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平成27年度 2月号
http://www.edu.city.yokohama. lg.jp/school/es/bessho/ 平成27年度 学校だより №.10 横浜市立別所小学校 平成28年1月29日発行 e― mail: [email protected] あきらめない心 副校長 松藤 朋治 先月、子どもたちは新年の抱負を心に抱きました。今まさ に、それを実現しようと日々励んでいるようです。しかし、誰 もがそれを貫き通す志気を持っているわけではありません。今 号ではある人の生き様をご紹介しますので、抱負の実現に向け て参考にしてください。 さて、右の写真はどこの写真だかわかりますか。 そうです、「ディズニーランド」です。この名称は、創設 者の“ウォルト・ディズニー”が、自分の名前からつけたも のです。 ディズニーは、小さい頃から絵を描くことが大好きでし た。なんと 7 歳の頃には、描いた絵をお金を出して買ってくれる人もいたそうです。これは私の 推測ですが、絵を手に入れた人が喜ぶ姿を見て、「大きくなったら、自分の絵を生かして人が幸せ になるような仕事に就きたい。」という夢を抱くようになったのだと思います。 でも、絵を描いてばかりいられる環境ではなく、小学校の時分には新聞配達をしていました。そ の後も、美術学校在学中に戦争を経験するなど、夢の実現に逆行するかのような環境が続いたよう です。さらに終戦後、漫画を描く仕事、デザインの仕事、友達と作った会社、自分で立ち上げた事 務所、と仕事を転々としますが、ことごとく失敗。それでも、あきらめませんでした。 最後の望みをかけて、映画の本場ハリウッドに移り住み兄と一緒に会社を起こしました。ディ ズニーは「子どもも大人もハッピーになれる場所、魔法の王国を作りた い。」と考え、その名前を『ディズニーランド』と決めました。しかし創 設の資金がありません。そこで、ミッキーマウスの絵を描いて銀行にお金 を借りに行きました。しかし、「何ですか、このネズミは!」と笑われて 門前払い。次の銀行にも、そのまた次の銀行にも断られました。それで も、あきらめませんでした。何度も何度も計画書を書き直しては、銀行に 行きました。なんと、その数302回。そして、ついに303回目の銀行 ▲ウォルト・ディズニー で、やっとお金を借りることができたのです。もしディズニーが302回 であきらめていたら、この世にディズニーランドはなかったわけです。 そして1955年、世界で最初のディズニーランドができました。開園前の下馬評とは異なり、 オープンしてみると大人気で、作ってから1年間で入場客数は400万人を突破したそうです。さ て、ディズニーが自分の夢を実現した力になったのは、何だったのでしょうか。そうです、「あき らめない心」です。別所小学校の子どもたちも、自分の抱負に向かってあきらめずに突き進んでく れることを願っています。最後に、ウォルト・ディズニーの名言をご紹介します。 「失敗が何だっていうんだ。失敗から学んで、また挑戦すればいいじゃないか。」