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第2−1部 パネリストによる基調報告 ダニエル・カール

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第2−1部 パネリストによる基調報告 ダニエル・カール
平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
第2−1部 パネリストによる基調報告
ダニエル・カール(タレント、山形弁研究家)
【田中】
それでは、シンポジウムに移らせていただきます。最初にダニエル・カールさんに基調報告をお願います。
大変失礼なんですけれども、タレントのダニエルさんとの印象が強かったんですけれども、とんでもない。
一東北人のダニエルさんだということで、今回は震災後、もう十数回でしたよね。
、レンタカーの2トントラッ
クを借りてご自分で運転して様々な物資を被災地へ届けられた。
【ダニエル】
福島県の南相馬市と岩手県の山田町と山形県の避難所とか、いろんなところを回っ
ているんですけれども、全部合わせると何回ぐらいになるんだべな。
【田中】
もう数え切れないぐらいでしょうね。
【ダニエル】
16、7回ぐらいは行っているんでしょうか。
ダニエル・カールさん
【田中】
私が本当に感心したのは、一人息子の19歳のアレックス君が日本に来られた時に、一緒に現地を訪ねてい
らっしゃるんですね。それで、アレックス君いわく、多分本当だと思うんですが、
「
(東日本大震災について)
アメリカでは原発のことばかりが話されているけれども、こういうふうに現地(被災地)の人々が一生懸命
に生き抜いているんだということを目の当たりに体験した。それをアメリカへ帰って伝えたい」というふうに
おっしゃっていたと。
この親子のこの体験というのはすさまじいなというふうに思いますが、私がお話しするんじゃなくて、こ
れからダニエルさんに、10分という制限時間はありますけれども、よろしくお願いいたします。
【ダニエル】
どうも皆さん、ダニエル・カールと申します。
一応、肩書きが山形弁研究家となっておるわけなんでございますけれども、さっきおっしゃったように、
テレビに出ることも昔からやっているんだけんども、本心はやっぱり東北人だと自分で思って、北のほうに
向かっていろいろ支援活動とか、ボランティア活動に参加させていただいておるんです。
皆さんも同じだと思いますけれども、3月11日にちょうど揺れ始めた時は、自分がどこにいたのかとはっ
きり覚えていらっしゃるんだと思います。私は、
ちょうど机の上にあった買ったばかりのコンピューターをじっ
と押さえて揺れが止まるのを待っていたんですよね。本当は机の下に飛び込むとか、そういう訓練を受けて
いるんだけれども、買ったばかりで高いものだったから、じっと馬鹿なことをしてしまいました。
その後、今はやりのツイッターというもので、多分、何千人とか何万人と一緒だと思うんですけれども、
揺れがおさまったら、みんながツイッターで、
「地震なう」とか、こういうようなメッセージを配信したと思
うんです。
その後テレビつけていたら、これは東京が中心部じゃなくて東北が中心部だということがわかって、これ
はすごい大きな地震なんだ。いや、こっち(東京)がそんなに大きかったら東北はそのまた何倍か強かった
んだべ。
ほんで大津波警報が出た時、これはとにかく大変なことだと。ヘリコプターからは沖のほうから津波が来
ているのがずっと見えていたわけなんだから、出来るだけツイッターで人にも知らせて、
「高台に逃げてー」
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
というメッセージを配信しました。
そういうことをやりながら気がついたんだけれども、日本の皆さんが同時に同じこと(情報発信)をやっ
ている、テレビを見ているんだからみんな同じだと。だから、大体同じ情報が日本の方々にはいっぱい入っ
ているんだけんども、ふっと、ああ、在日外国人はどうなってるんだべなと思ったんですね。僕も、情報番
組なんかの仕事もいろいろやっているわけなんですけれども、今回の地震の時には、やっぱり日本語の報道
が素早かったんですよね。映像も、すぐにいろいろなものが流れていましたけれども、やっぱりそれを英語
に訳したりする暇がなかったんですよね、日本の報道機関の皆さんは。
だから、僕はツイッターをやりながら、ふっと思ったんだけれども、在日外国人も、今ちょっと何が起き
ているのかもよくわからない人が多いだろうと思いました。それで、パニックにならないように、
「じゃあ、
これから私はツイッターのメッセージは全部英語にしますよ」
とフォロワーにまずメッセージを送っておいて、
その後は、ずっと地震と津波関係のニュースを英語で、三週間ほとんど寝ないでツイッターで送っていたん
ですね。
ツイッターだけじゃなく、自分のブログも、震災ニュース、震災情報の内容にしました。それまではタレ
ントブログだったので、画面の脇のほうにちょっとへんてこりんな写真がいっぱいのっかっているんですよ
ね。おらが「イェイ」とかポーズしている写真があって、その脇に地震情報が並んでいるから、ちょっと違
和感があるんですけれども、停電関係、避難関係、交通網関係、通信網関係などなど、ニュースをどしどし
と在日外国人のために英語で配信しました。
おかしかったのが、最初の3日間、4日間ぐらいは携帯電話とかあんまりうまく通じなかったのが、ツイッ
ターが、なしてかうまく動いていたんですよね。これは東北の方からもいっぱいメッセージもらいまして、
「私
は今、花巻(岩手県)のほうにおりますけれども、新幹線とか道路は全部壊れているんだから、おら、どうやっ
てここから東京に逃げればいいんですか」というメッセージとか、もうあちこちからメッセージが入ったん
ですね。
道路状況をいろいろインターネットで調べて、
「山形は道路があんまりやられてねえから、山形の県庁と
か山形駅まで行けば、そこから新潟方面だとか逃げられる。そうすると東京に戻れるよ」とか、そういうよ
うなことを知らせたりとか、あとレスキュー隊の方々とのやりとりもいっぱいやりましたね。
もちろん自衛隊の方々がものすごい仕事をなさっていたんですけれども、それ以外の小さな団体でもその
中に入り込んでいて、とにかく一刻も早く人々を助けようと思っている外国人の団体だとか、日本人の団体
もいろいろありました。けれども、被災地まで行ったら、電話もインターネットも通じなかったから、やっぱ
りどう動けばいいかもわからなかったんですよね。僕は東京にいたもんだから、その情報をいろいろ調べて、
それでツイッターで情報を送って、
「45号線は、まだその辺は通ってねえんだから、ちょっとこの経由で行き
なさい」とか、そういうようなお知らせとか、いろいろ踏ん張りました。
最初の3週間はそういうようなことで大忙しでした。本当は、震災の最初の日に、被災地へ行きたかった
んです。まっすぐ東北さ行きたかったけれども、最初の日はうちの女房もいわゆる帰宅難民(帰宅困難者)
になってしまいましてなかなか帰ってこねえんだから、おらももうどうしようもなかったんですよね。もう待
つしかねえと。
途中で、幸いに、発生してから八時間後ぐらいかな、女房からツイッターで「無事だよ」という連絡が入っ
てきたんだけんども、やっぱり東京の反対側のほうにおったんです。みんな、家まで歩いて帰ろうとしてい
るわけなんですよ。そんな中にうちの女房が入ってしまうとえらいことになると思っていましたの。めちゃく
ちゃな方向オンチなので、もしかして3、4日間ぐらい行方不明になるのではないか、間違えて、うちに帰
るんじゃなくて山形の方面に行っちゃうんじゃないかなとか、ちょっと心配していたんですけれども、何と
か夜中の1時ぐらいに無事にうちに帰れました。
それから、被災地へ行こうと思っていました。真夜中だけども、バックパックの中に、温かい服とか、缶
詰とか、水をいろいろ詰めたんだけれども、
「よし、おれはこれから行くだー」と、スコップをどこかで手に
入れて、ヒッチハイクしてでも、
「おら、東北さ行くだー」と女房に言ったら、
「何言ってんだ」と言われま
した。女房に待ったをかけられました。
出かけたい、
東北を助けに行きたいという気持ちはよくわかるんだ、
うちの女房も東北の人間だから。でも、
行ったって今は邪魔になるんだよ、プロが今行っているんだよと。自衛隊も行っているし、アメリカの海軍
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の空母もそっちに向かっている、赤十字の救援部隊とか、もうみんな行っているのだから、そこに行って、
もし迷子にでもなったら、怪我でもしたら、あんたまでも被災者になっちまう。
「かえって問題が増えるから、
今、こんな年になって行ぐな」と言われました。
年のことを言われるのは初めてでしたけんども、何かちょっと寂しかった。確かに女房のほうがおらより
はるかに賢いんだ。女房に言われました。体を張って被災地に行くのもいいんだ、その気持ちはすごくわか
るんだけれども、
「ダニエルに一番出来ることは、今やっていることじゃないですか。
(ツイッター等で)情
報を皆さんに配っているじゃないですか」とか言われて、それで3週間、東北自動車道で普通乗用車が通れ
るようになるまではずっと東京で踏ん張った、情報ばっかり送っていたりとかして。
つらいこともたくさんありました。行方不明になった後輩が2人いたんですね。もともと山形県で英語指
導主事助手だったんですけれども、今は人数がかなり増えていますが、
(宮城県)石巻市内の英語指導主事
助手と(岩手県)陸前高田市の英語指導主事助手の2人が津波の後はどこにいるんだかわからないというこ
とで、親戚とか家族から探してくれって依頼が入ってきたんです、ツイッターを通じて。
そんで、3週間ぐらい必死に探しました。それぞれのまちの避難所の名簿リストもずっと毎日見ていたん
ですよね、外国人っぽい名前が載ってねえかと。それから地元の人たちにも、
「外国人を見かけなかったか」
というメッセージを何遍も送ったりして、3週間、本当に真夜中までもずっと探していたんだけれども、結
局無駄でした。2人とも遺体で発見されまして、大変つらかった。
だから、
じっとしていられなかったんですよね。もう本当に東京にいられない。行がねばなんねえと思って、
そんで道路が通れるようになりましたら、物資をいろいろ車に載せて、最初は山形県内の避難所を全部回り
まして、福島の原発の周りの南相馬の人とか、浪江町の人たちとか、一人一人の話を聞きながら物資を届け
たりとかしました。
(山形県の)米沢市では400人、山形市では900人、天童市では200人、一人一人の話を
聞いてみて、物資は、もちろんあっという間になくなりました。
あとは、
宮城県の多賀城市に行って、
瓦礫の片づけを1日ボランティアで手伝おうとしたんだけんども、
やっ
ぱりおらも50歳代に入っているんだからね、1日が限界だと自分で思いました。瓦礫の片づけって結構つら
い仕事だ。手で全部やるわけなんだから、
腰も悪くして、
これは若い人たちに任せねばならないんだなとちょっ
と思いました。
じゃあ、この年で何が出来るんだと。いろいろ考えて、やっぱり物資を運ぶことが一番メインでしょうか
と思って、そんで、思い浮かんだのが、おらが去年の暮れごろにちょうど講演したばっかりの岩手県の山田
町で、連絡が全く取れなかったんですね、電話はまだ通じていない、道路も通じていないという状況だった
んですけれども、そこにちょっと物資を運んでみようと思ったんです。
なしてそこを選んだかというと、ちょっとした縁もありましたということもあるんだけれども、東京から一
番行きにくいところだということ。それで、多分物資があんまり届いてねえ町だろうと自分で勝手に判断し
たいんです。内陸のほうから入る道は1本もなくて、みんなが海岸沿いで入らなければならないところなん
ですよ。
地震が発生した後、東北自動車道が通れるようになったばかりの頃は、片道、トラックで東京から飛ばし
ても、スピード違反したとしても、12時間かかります。その後は、道路がちょっとよくなりましたから11時間
くらいとなりましたけれども。その山田町に最初に行って、いろいろな物を運んで、様子を聞いて、物資を
運ぶポイントのネットワークを少しずつつくって、結局は15か所にネットワークをつくりまして、大体、孤立
集落とか、そういうところに必要なものを持っていったんです。
最初に行った時は、何が必要かよくわからなかったから、いろいろ持っていったんですよね。服、毛布、
紙おむつだとかトイレットペーパーだとかの紙グッズ、そういうようなものをいろいろ届けたんですけれども、
行ってみたら、一番大変だったのが、やっぱり生ものでした。
震災が発生してから一か月経った頃に、おばあちゃんたちとか、おじいさんたちに、
「最近、何食ってんだ?
十分食ってんだか?」とか聞いたら、
「ああ、食ってる、食ってる」とか言って、
「何食ってんだ?」と聞い
たら、
「おにぎり」って答える。
「それと?」って聞いたら、
「いや、おにぎりです。種類が毎日ちょっと変わ
ります」とか、もうおにぎりしか食ってねえんですよ、1か月。
それだったら、これは栄養失調になるのではねえかとちょっと心配して、
「じゃあ、何食いてえのか?」と、
ちょっと世論調査したんですけれども、
やっぱり「野菜だ」と。とにかく野菜は一か月も食ってねえんだから、
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
野菜があったらうれしいなとか言って、あと2番目が納豆でしたね、納豆。
東北人は、あと東京の人も納豆を好きな人は多いんだけれども、このような話を西日本でやると、皆さんが、
「いやー…」みたいな顔するんだよね。やっぱり納豆は食い物じゃねえんだとかって思っているんだけれども
…。東北の皆さんにとっては、納豆を食べねえと1日が始まらねえものなんですよね。あれがスタミナ源だ
からね。でも、納豆も手に入ってねえんだ。これまたつらいなと思った。
一番びっくりしたのが、漁師さんの話で、ちょうど避難所の小学校から海を眺めながらちょっと話をした
んだ。かなりつらかったんですよ。漁師さんが、家も流されて、奥さんも流されて、船も流されて、全部何
でもかんでも流されたんだ。何でおらだけが残ったんだとか、こういうつらい話もいろいろ聞いて、
「でも、
踏ん張るよ」とか、強がっていろいろ話をしていました。
それで、
「お父さん、今何が一番食いてえか?」と聞いたら、
「魚だよ」と。漁港なのに魚を1か月もみん
な食ってねえって。これはちょっと、えっ、と思ったんですよ。というのは、
「何で魚食ってねえの?」と聞
いたら、
「船が出せねえがら。一部は残っているんだけれども出しちゃいけねえというふうに言われている」
と。
それは、瓦礫がいっぱいまだ溜まっているんですよ、海の中に。船を出したら危ないということで、
「じゃ
あ、
竿かなんか持ってがっとやればいいんじゃないか、
目の前に立派な海があるじゃないですか」と。これも、
やっぱり瓦礫がすぐそこまであって、
「何釣るかわからないから怖いんだ」とか言っていて、その話を聞いて、
うわぁーと思いました。だから、とにかく基本は食べ物ですね。主食以外のもの。
とにかく、
そういうようなことをずっとやり続けて、
被災地へは十数回は行っている。まだまだ仕事が終わっ
ていないんだ。食べ物は、最近はわりと安定してきているんだ。スーパーも復興してきました。流通網も結
構元に戻ろうとしているところなんです。通信も交通網も大分よくなってきた。
問題は、これから冬になりますので、寒くなるから、灯油とか、そっちのほうがちゃんと届くかどうかと
いうのが心配ですし、あと、経済的な支援というのが、これから東北全般にはやっぱり必要なんだ。そのた
めに、YouTube(ユーチューブ)のビデオを出して以来、3月以降、大げさな報道とか、誤報とのバトルが
いまだに続いているんです。風評被害にならないように、とにかくこれから力を入れていきたいと思ってい
るところなんでございます。
後ほどその話はいろいろコメントしますけんども、以上です。
ありがとうございます。
【田中】
ありがとうございました。ちょうど10分ぐらいのところでチリンと鳴らそうかなと思ったんですが、ものす
ごく話が佳境に入っていたところなのでついためらいまして、予定より5分ほどオーバーさせていただきま
した。
ありがとうございました。また後ほど。
【ダニエル】
すみません。最近、こういう話をよく講演でしているんですけれども、昨日は1時間でも足りなかったぐ
らいなもので、小ばなしはたくさんありますので、もし後で時間が余ったら、小ばなしはたくさんありますか
ら、またお願いします。
【田中】
一つだけ。ちょっとした縁があって岩手県山田町へとおっしゃいましたけれども、ダニエルさんの新婚旅
行先でしたね。
【ダニエル】
第2番目の新婚旅行だったんですが。
【田中】
わかりました。ありがとうございました。
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
和田 耕治(北里大学医学部公衆衛生学講師)
【田中】
次に和田さんにお話をお願いしようと思いますけれども、公衆衛生学を専門としていらっしゃいます。先
ほど控室で、間違ってはいけないので教えていただきましたけれども、
「公衆衛生学って何ですか?」とお
聞きしました。本当に素人ですよね、そういう質問を先生にするんですから。
そうしたら、
「医療は一人一人の健康」で、
「公衆衛生というのはみんなの健康」だと。なるほど、みんな
という言葉がつくだけで違いますねというふうなことで教えていただいたんですけれども、つまりは社会全
体の健全、健康といいますか、安全を考える、それが公衆衛生であるというふうなことと解釈してよろしい
んでしょうかね。
私が偉そうに言うことではありませんが、それと、被災地に何回か行っていらっしゃると思いますけれども、
そのこともあわせてお話しいただきたいと思います。
【和田】
皆様、こんにちは。私は神奈川県相模原市にあります北里大学から参りました和
田と申します。
私も、こういう話では、いつも80分とか時間をいただくものですから、10分という
ことで、きちんと時間を守ってお話をしたいと思います。
私たち、こういうパワーポイントを使うのが好きなものですから、普段どおり持っ
てまいりました。
私は、北里大学海洋生命科学部の校舎が(岩手県)大船渡市にありました関係で、
被災後に、医療活動の中で、公衆衛生学的側面ということで現場にも行かせていた
和田 耕治さん
だきましたし、そのほかにも、瓦礫の片づけに関連する粉じんの問題だとか、あと原
発の支援にも何度かお伺いさせていただくことがありまして、福島第一原発の方とかにも機会があって行か
せていただくことがありました。
今日は、
「私たちに出来ること」というのがサブテーマでもありますので、特に、私が今やっております公
衆衛生の中で皆さんにお願いしたいことというものも含めて、お話を少し持ってまいりました。
今日は医療従事者以外の方がたくさんおられるということで、
「健康を守る」ということをふだんから皆さ
んの言葉の中に少し入れていただくだけでも随分と社会は変わるのかなというふうに思っております。
医療と公衆衛生ということで、田中さんにご説明いただきましたが、公衆衛生というと、言葉の響きから
すると行政がやるものといった感じがあるかもしれませんが、私の後にお話をされます黒田さんにしても、
いろんな、一人一人がかかわることが公衆衛生であり、みんなの健康を守るということが主眼となっており
ます。
私が取り組んだことの一つでありますのが教訓に学ぶということで、既に私たちはいろいろな災害等の経
験をしております。その中で、次にどう生かすかといったことを学ぶということで、幾つかその中でも重要
なことをご紹介したいというふうに思います。
これもよく示されるスライドですが、被災後の気持ちの動きを表しています。まず、災害が起きてしまい
ますとみんなは気持ちがどーんと沈んでしまうということがあるわけですが、これは比較的早い時期に、今
回にも見られましたように、英語の言葉を日本語で訳すと、英雄期(he-roic phase)だとか、ハネムーン期
(honeymoon phase)だとかそういったことで、一気にみんなで助け合おうというムードが盛り上がります。
これは、被災地でもそうでしょうし、被災地以外のところからもそうで、みんな募金等をしたりということ
が起こりまして、これは、本当に非常によかったなというふうに思っております。
しかし、私たちが忘れてはいけないのが、この後に出てまいります幻滅期(disillusionment phase)とい
うものでございまして、ちょうど今まさにどういう時期かというと、震災から約7か月が経つということを考
えると、やはり幻滅期の、結構底に、低いところに下がってきているということが言えるのではないかなと
いうふうに思います。
先日、テレビの番組を構成されていらっしゃる方に取材の関係でお会いした時に、その方がおっしゃって
いましたけど、最近、テレビで被災地の話を組み入れると、実は視聴率が下がるという話があるそうです。
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
被災地以外の方にしては、もう過ぎたことという思いもあるのかもしれません。しかし、ここで強調した
いことは、この幻滅期というものをいかに深いところに下げずに、復興に向けて出来るだけ上げていくのか
というのは、公衆衛生上でも大事ですし、私たちみんなでやっていかなければいけません。
つまり、今日のシンポジウムという、震災後7か月がたって、忘れないように次に何が出来るかというこ
とを考える場があるというのは、私は、皆さんにここでご一緒させていただいて非常によかったなというふ
うに思っています。時間の経過ということで、これも、様々な災害にもよりますけれども、なるべくこれを短
くしていくということが非常に重要だとも考えております。
これも、被災地におけるニーズがどの程度変化していくかといったものを示したものですけども、これも
テレビなどでもご覧になったと思いますが、最初は、水、食料といったニーズがあります。1か月ぐらいす
ると、特に避難所における被災者の方々のプライバシーの確保ということで、仕切り等の必要性が出てきま
す。このあたりは、今回の震災では、対応が結構遅かったように思います。そして、まさに今、半年以上経っ
てきますと、非常に重要なのは経済的な問題や仕事の確保といったことになろうかなと思います。ですから、
個々に私たちが出来ることは少ないのかもしれません。
公衆衛生の観点から、みんなの健康を守るということで経済や仕事がどういうふうに関係するのかと思わ
れるかもしれませんが、私たちの中では、今、この「健康の社会的決定要因」という言葉が非常に大きなト
ピックとなっております。当たり前のことすぎて、皆さんにとっては何を今更と思われるかもしれませんが、
健康というものには様々なものが関係していて、生活習慣だけではなくて、社会のネットワークだとか、社
会のありよう、そして経済、それこそ仕事があるかないかといったことを含めて健康に関係してくると。
つまりは、やはり人権の一つとして健康を守るという意義を考えた時に、仕事や経済を外から支えるよう
な努力をするということは非常に理にかなったことであるというふうに考えております。
これも、教訓として私はよく本などを読んで勉強するわけですけども、阪神・淡路大震災の教訓というこ
とで、様々な切り口から被災地への支援をしなければいけないということで、東日本大震災が発生した当初
は、まずは命を守るといったことがあったわけですけども、震災から7か月が経過した今でも、まだまだ仮
設住宅等にお住まいの方も非常に多くて、やはり暮らすということ(住宅の確保)
、仕事の確保、そして地
域コミュニティやまちづくり、人材の育成、こういったことに関しても、バランスよく様々な切り口の中でやっ
ていかなければいけないということを考えると、まだまだ私たちに出来ることはいっぱいあるんだなというこ
とが言えると思います。
既に、住まいの確保に限らず様々な取り組みがなされているとは思うんですが、やはり地域によって様々
な格差があるというのも問題に感じております。
復興公営住宅の中の高齢者の人口の割合というのがもともと非常に多いところもありますので、今後、自
立支援だとか、コミュニティづくりだとか、そういったことに携わる人々をどうやって募集していくのかとか、
こういった中でのグッド・プラクティス(好事例)を、皆でシェア(共有)していきながら、効率よく実現
していくということが重要だと考えております。
人と人とをつなぎ、互いを助けるコミュニティづくり、これも、口で言うと簡単なように思われるわけです
が、震災で顕在化した家族の問題ということで、家を失ったり、仕事を失ったり、きずなが深まったという
ところが非常に前面に出てくるわけです。さらに、その背景には、様々な、お一人お一人の家族の問題があり、
それを支援していくということが、健康を守る上でも非常に重要になってきます。
震災をきっかけに地域コミュニティの活発化というものが行われたところもありますが、
そういったグッド・
プラクティス(好事例)を生かしていかなければいけないと思います。
レジュメに自殺予防というふうに書いていますけども、統計的に元々自殺をされる方が多かった東北地域
でございます。今のところ、自殺された方が増えたという情報は、幸いにして私の聞いている範囲ではない
のですが、やはりこれからが課題ではないかということを保健師の方々とも、先日話をいたしました。
産業の復興、雇用という点につきましては、これは阪神・淡路大震災の時にもありましたけども、求人は
瓦礫の片づけ等で一時的に高まってくるようです。求人募集が底になるのは、大体震災から半年ほど経過し
て以降だと言われています。現在、円高等もあって経済的にあまりいい話はないですが、やはり被災地の産
業を復興し、そして地元での雇用を確保するために様々な努力がなされるといいなと思います。そのために
は、企業の努力がとても重要になってきます。
こういった様々な努力の中で、被災地の方を優先的に採用するといったお話だとか、あるたこ焼き店チェー
ンが本社を石巻に移すとか、こういったニュースにしましても、やはり健全な雇用の機会を現地で創出して
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
いただくということは、健康を守る公衆衛生の観点からも、これは賞賛すべきことであろうと感じております。
また、政府も、三次補正で雇用創出といったことを考えているわけですけども、ぜひ継続して、健康を守
る観点からも、こういった活動を支えていければと考えております。
そして、最後でございますが、
「私たちに出来ること」で、実はここが抜けているんじゃないかと私は非
常に心配している点があります。それは、新たな災害に備えるということです。
私は神奈川県の大和市というところに住んでいますが、そのうち新たな大地震が起きるだろうと言われて
いるところの真っただ中にいるわけですが、多少の備えも進ん出来ておりますが、まだまだ進んでいないと
ころもあろうかと思います。
やはり人権を守るという観点から、特に一番人権が守られにくくなるのが震災発生直後の問題でございま
すので、東日本大震災の教訓を生かして、有事においてどう守っていくのかといったことを私たち一人一人
が考えていくべきではないかなというふうに感じております。
現状と課題ということでは、まだまだ地域差がございます。もう既に震災前と同じ生活をされている地域
もあれば、まだまだ瓦礫が山積みになっているところもあります。そうした中で、グッド・プラクティス(好
事例)をお互いに共有しながら、効率よく復興を目指して、教訓に学び、1日でも早く戻すことが健康の観
点からも非常に重要になってこようかと思います。
そして、行動もそうですけども、風化させないための努力を継続して、ここにいる皆さんとともに、私た
ちを含めて頑張っていこうではないかというふうに思います。
ちょっと宣伝で申し訳ありませんですが、新たな災害に備えるということで、これは東日本大震災の際に
少し情報提供させていただいた本をまとめたものがございます。こうしたものも、よかったらご活用いただ
ければというふうに思います。
(
『保健・医療従事者が被災者と自分を守るためのポイント集』
(和田耕治(編
集)
・岩室紳也(編集)/中外医学社/ 2011年)
ダニエルさんと違って、ちょっとお勉強めいた話で大変恐縮ですが、私からは以上でございます。どうも
ありがとうございました。
【田中】
ありがとうございました。ぴったり10分間で、さすがですね。
お話をお聞きしていて、経済の問題も健康を守るという意味から公衆衛生だと。幅広いですね、本当に。
最初にハネムーン期という、実に興味が引かれるような言葉で、イラストも映し出されていましたが、今は、
幻滅期、それから再興期、これが重なって起きている状態じゃないんでしょうか。
【和田】
随分地域差があるというふうに思っています。やはりまだまだ、特に海岸沿いの被害が大きいところは、
幻滅期という言葉をあまり強く言われると、どんどんまた下がってきますけども、私たち、特に医療従事者は、
そういう時期にあるということを念頭に置いて、先手先手を打った予防策を展開していくというのが重要だ
と考えております。
ですので、東日本大震災からまだ1年も経っておりませんし、1年後というのが、またいろんな意味でメ
モリアルですし、思い出されることも多くて気持ちが沈んでしまう方も増加する、そこに向けた、希望をど
うやって見い出していくのかということもそうでしょうし、どうやって守っていくのかといったことが課題に
なってこようかと思います。
【田中】
本当ですね。私、今回の震災が起きた直後のいろんな情報の中で一番ずしんと響いてきたのは、
「家と家
族を探している」という言葉でしてね、普通、
「家族を探している」というのは、まだわかるのですが、
「家
と家族を探している」というのは、これは何なんだという感じがしました。そういう方々にとっては、幻滅
というと大変失礼ですけれども、心が折れてしまっている時に再興、再建という大きなテーマが目の前にあっ
ても、なかなか本当の意味で取り組んでいけない面があるんじゃないかなという感じがしましたので、今敢
えてお聞きいたしました。
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
黒田 裕子(NPO法人阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長)
【田中】
さて、次は黒田さんにお願いしたいんですが、本当に震災の翌日に、車で神戸からもう宮城に入られて、
以来ずっと、多分2週間に1回ぐらい、ほかのボランティアの方々と被災地、避難所、それから仮設住宅を
回られている。心のケアというと、黒田さんに、
「違います」というふうに叱られたんですけれども、被災者
の方々に寄り添うということをずっと続けていらっしゃる。
本を正せばというのは失礼な言い方ですけれども、阪神・淡路大震災の時に、宝塚市立病院の、当時の
副看護婦長でいらっしゃったんですが、
とてもじゃないけど、
こんなスローモーな対応をしていたのでは、せっ
かくの助かる命も亡くなられてしまうということでお辞めになって、NPOをお作りになって、自らボランティ
ア活動を始められた。その時に
「災害ボランティア」
という言葉を本当に発しておられたらしいですけれども、
NPO活動に身を投じられ、おそらく肩書きだけでも30ぐらいあるんじゃないかと思うのですが、自分の家
でほとんど寝たことがないというぐらいあちこち飛び回っていらっしゃる、そういうのもすごい方です。
10分では本当に時間が足りないと思いますけれども、よろしくお願いいたします。
【黒田】
ご紹介、どうもありがとうございました。
皆さん、こんにちは。今日はこのようなシンポジウムにお招きいただき、私たちに
何が出来るか、ご来場の皆さんと一緒に考えてみるという機会で、市民の方がたくさ
んおいでになっているということをお聞きいたしました。
今、ご紹介にありましたように、私も阪神・淡路大震災の時の被災者の一人です。
その日、仕事の関係で朝4時に起きていたので命があったということをきっかけにし
て、看護師という職業を辞め、私は今一人の人間として活動の現場に行っております。
そして、先ほどダニエルさんがおっしゃっておりましたけれども、私の中でもすぐ
黒田 裕子さん
心が動いたというのは、阪神・淡路大震災の時にも、あの日あの時に「助けて」とい
う声と「大丈夫か?」
「生きているか?」という声が今でも耳に蘇ってきて、昨日のことのように覚えており
ます。
今回の東日本大震災が発生した時にも会議をやっておりまして、すごい音がしました。これはただごとで
はないということでテレビをつけましたら、そこには津波でまちが流されている状況が映し出されていまし
た。そこで、行っても何も出来ないかもわからないけれど、すぐに行かなければ、という思い出で動き始め
ました。
私たちは、命と暮らしを原点において17年間活動を行なってきました。そして、最後の一人まで見捨てな
いということ、そのことが、一人一人の健康をどのように維持し、そして日本の社会経済をどう考えるかと
いうことにもつながっていくんじゃないかと思っています。
私たちは、被災地の中に入ります時に、被災者の皆さんの心の中に土足で入らないということを原点にし
ております。土足で入らないということは、やはり人間と地域と暮らしを守るということをやっているという
ことでございます。人間が地域の中で暮らしている、暮らしている人間が地域の中にいるということですね。
そういう状況の中で、
今ここで何をしなければいけないのかという、
「今ここで」をしっかり考えます。まず、
被災地に入った時、それはそこに行くまでのプロセスもそうなんですが、そこの地域の特性を私たちはよく
見ます。震災は一括りで捉えることは出来ませんので、被災地の被災の状況、特性がどうであるかというこ
とを見ます。
もう一つは、どのような時間軸で我々に活動をさせていただけるのかということと、四季の特性ですね。
今回の震災では活動を開始したのが冬でしたが、その時、その季節によってケアのあり方、支援のあり方が
変わってくるというふうなことを私の中で思っております。
今は、被災地の中で24時間態勢で支援活動をやっておりまして、そこにはリーダーを一人置いておりまし
て、あとは、看護師と一般のボランティア、それとヘルパーさんたちですね。そのような体制で24時間活動
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
を展開おります。一番には、一人一人を守る、命を守るといった時に、やはり孤独死を予防するということ
をやっております。そして、自殺者を出さない、閉じこもりを出さない、うつ病を出さないということです。
被災しても、せっかく命が今ここにあるのだから、第二次、第三次の要因で命を放かしてはいけないといっ
たところで活動をしているんです。先程、和田さんもおっしゃっておりましたが、コミュニティをいかに守る
かといったところにおいては、やはり人間と暮らしが一体化していかなければいけないと思います。
そこの中で私たちが何をしているかといったら、お茶会をやったり、見守り活動をやったり、そしてピア
カウンセリング(同じような環境での体験や悩みを持つ者同士が、相手の相談に乗り、その人自身が悩みや
障がいを乗り越えるためのカウンセリング)ですね。お茶会に出てこられない人たちには、この人とこの人
とをつけ合せるとどのような生き切る力が出来てくるのか、そして自分の中で次のことを考える力が出てく
るのかというふうなことを、今やっています。
ただ、我々は自立と共生を原点に置いて活動しております。何から何までして差し上げることがいいとは
限らないと思っています。そして、先ほど出されておりました4つの柱を我々も主軸に置いて活動をしてい
ます。
その中でもう一つ大事なことは、やはりネットワークのあり方だと思います。人の命を助けるとか、コミュ
ニティをつくるとか、自殺を予防するといっても、それをどのように具現化していくのかということが一番で
あると思います。
そういう中で、誰とネットワークを構築すれば良いのか、そして、そのネットワークを構築しても、明確
な目的、目標を持って活動をしていかなければいけない、と私は思っております。
現在は、避難所での活動は閉鎖と共に一段落して、仮設住宅の中で活動を行なっております。仮設住宅
の中で、先程も雇用のお話がありましたが、阪神・淡路大震災とは違って、私たちの仮設住宅における活動
の中で、雇用という問題についても見守るということを行なっております。そこでも人権的視点で物事を捉
えて考えていかなければなりません。ただ守る、見守るということだけではないんです。
そこには相手が、人間がいるということで、倫理を守って、その人がお茶会に出てこられた時に、どんな
状況であるか、お顔、そして行動、表情、そこの中で、この人の人権と価値観を守りながら我々は活動して
います。そして、そのことが、被災者の方にとって、決して押しつけになってはいけないということが一番
大切であると思っております。
今、この会場に多くの市民の方たちもおいでになっておりますので、あと4分しかございませんが、私た
ちに何が出来るかといったところを少しお話させて頂きます。
先程、和田先生が「自分の健康は自分で守る」というようなことをおっしゃっていましたが、自分の命は
自分で守るということも大切です。
私は、阪神・淡路大震災の時に、公務員で課長(副看護婦長・当時)でしたので、すぐに病院に行かなきゃ
いけない立場でした。でも、病院に行くことが出来なかったので市役所の方へ行っていたのですが、
「お前
らは、ここで何をしているんだ!瓦礫の下で人がいっぱい死んでいる、生き埋めになっている、早く何かせ
んか!」と、足で蹴られたりとか、叩かれたりしたんですね。でも、行政職員であっても、市民の一人であ
るということを、ここにおいでになっている皆様には認識していただきたい。震災が発生して72時間は行政
は何も出来ません。まずは、自分の命は自分で守るということが一番大切であるということを、私は一つ申
し上げておきたい。
そのことに関連する話ですが、皆様方は、今お薬をどのようにされておりますか?ご自分の一番大切なお
薬を自分の身の中につけていらっしゃいますでしょうか。もし、ハンドバッグに持っていたとして、ハンドバッ
グだけが津波で流されてしまったらどうしますか?心筋梗塞で「胸が痛い、
助けて」という状況になった時に、
お薬もなく、医者もなく、病院が水浸しになってしまった。そんな時、自分で自分を守るために、自分にとっ
て一番大切なお薬を、3回分でいいから身に付けておいていただきたいと思います。
そしてもう一つは、そういう観点で、いつでも、下着とか、食料品とか、ちょっとしたものでいいから、
自分で、2日分でいいからお持ちになってください。
それと、
一つお尋ねしますが、
懐中電灯を皆さんはお持ちでしょうか。懐中電灯と笛を常に自分で持ち歩く。
そうすることによって、自分の命を助けられるし、自分の健康も守れるし、自分の暮らしも守っていけるの
ではないでしょうか。
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
そういう状況の中で、やはり情報をいかに正確に把握するかが、私は1番大切じゃないかなと思います。
今回の東日本大震災でも、医・衣・職・食・住・育(教育)の、日常生活に不可欠な要素が非常に大変な
状況に陥ってしまいました。
医というのは、病院など医療関係の施設のほとんど流されたりとか、なくなったりしておりますが、この
問題については、話せば長くなるので割愛させて頂きます。
。
それと、もう一つの衣というのは、衣料です。このことで一つ申し上げておきたいのは、被災者に対して、
ほかす(捨てる)
しかなさそうな汚れた下着や汚れたワイシャツを送るのは、
本当にやめていただきたいと思っ
ております。
今、皆様方に何が出来るのか。まず、被災地の現場の様子を映し出すテレビを見てください。そして、そ
のテレビを見て、多くの人と語り合ってください。被災地のことを決して忘れないで、お互いが意識し合う、
思いを馳せる続けるということが、今私たちに出来ることではないでしょうか。
ちょうど10分となりました。これで終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。
【田中】
大変恐縮です。私も10分という短いで制限したくはないのですが、恐れ入ります。
最後のほうでちょっとおっしゃった汚れたままの衣類をただ送ればいいんじゃないというのこそ、最初に
おっしゃった人間と地域と暮らしを大切にするという、
その暮らしを大切にするというところですね。それが、
人間の尊厳につながる。
【黒田】
そうですね。それは一つの人権です。
【田中】
ということでしょうね。本当に、具体的に何か医療道具を持って寄り添っておられるんではないんですね。
縁がありまして、以前、
(宮城県)気仙沼の避難所で、黒田さんに1日、2日、ずっと密着させていただき
ました。それで先週末も、黒田さんが、避難所でケアといいますか、寄り添っておられたご家族を訪ねました。
現在は仮設住宅に入っておられまして、そこを訪ねて参りました。何か物理的な支援、援助をされたわけで
はないんですけれども、そのご家族は今でも黒田さんたちを頼っておられる。
寄り添うということがどういうことなのかというのは、黒田さんに365日ぴったりくっついていないとわか
らないと思うんですが、本当に気持ちを共有するというか、共通するというか、相手の尊厳を大切にして、
単に何かを保護するというんじゃなくて、その方たちの暮らしを尊重するということなのかな、とおぼろげ
ながら今わかったような気がいたします。ありがとうございました。
【黒田】
どうもありがとうございました。
会 場 風 景
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
横田 洋三(財団法人人権教育啓発推進センター理事長)
【田中】
横田さん、お待たせいたしました。
今、紙芝居から始まって、被災地の状況、あるいは公衆衛生学的なこと等様々な視点からありましたけれ
ども、ところどころでパネリストの方々も触れていらっしゃいましたけれども、本当に、堅苦しく言うと、一
番難しいのが人権と大震災の関係性ということではなかったのかと思いますけれども、その辺を、被災の現
状とあわせて、大変短くて申しわけございませんけれども、ご説明、あるいはお考えをぜひお願いいたします。
【横田】
ご紹介いただきました横田でございます。
私は、日頃人権について話をしたり、それから人権教育啓発推進センターの理事長として人権教育・啓
発に携わってまいりました。今回の大震災、皆さんもテレビに釘付けになって、私もそうでしたけれども、
刻一刻と変わる状況、その中でたくさんの人が亡くなり、あるいは怪我をされ、ある
いは被災し苦しんでおられる、そういう場面を数多くご覧になったと思います。これ
は、私たちの目から見ますと、いろいろな意味で人権が奪われている、人権が侵害
されている状況だとすぐに思いいたりました。
ところが、実際にその人たちへの救援の手がどういう形で差し伸べられているかと
いうことを見ますと、とても人権侵害の被害者に対する救援の手という意味では十分
なものでないということがわかります。
私は、日ごろ人権教育・啓発活動ということに携わっておりまして、その中には、
横田 洋三さん
学生に対する大学での講義もありますし、一般の方に対する人権の講演もあります。
同時に各省庁や都道府県・市区町村の職員、国家公務員や地方公務員の方々に対す
る人権教育・啓発活動というものにも関わってまいりました。しかし、
今回の震災の状況を人権の視点で見て、
私は、日ごろの人権教育・啓発活動がまったく不十分だということをすごく実感しました。
現場において様々な形で被災された方々を支援されておられる人たちは、それは必死に活動されているの
です。本当に、一生懸命やっておられます。しかし、どうも人権の視点を必ずしもふまえた上での活動では
ないのではないかと感じました。真面目ですから、役所の規則に則って、役所のマニュアルに従って、こう
いう条件が整えばこういうことが出来ますよと。被災者に対しては、こういう支援が出来ますけれども、民
間企業や、あるいは病院がいろんな形で被災者を救援している時には、そこには国や自治体の支援は届きま
せん。これはマニュアルでそうなっていて出来ないのですよと。こういう対応というのは、私から見ると、
人権の視点が全く欠けた対応だというふうに思えたわけですね。
人権の視点というのは、目の前に人権侵害の状況にある人がいたら、それに伴う手続きや、マニュアル、
自分の任務がどうだとかいうことを離れて、とにかくこの人を救おう、その為に自分たちには何が出来るの
かと考えるのが、これが人権の視点なんですね。今回の震災において、そういう視点が必ずしも国や自治体
において十分に認識されていなかったのではないかと思いました。一生懸命やっておられるということは、
これはわかります。しかし、人権の視点が少しでもあれば、その対応の仕方に違いが出てくるのではないか、
ということを私はずっと感じておりました。
考えてみますと、今回のような災害が起こった時に、ともすると被災者に対しての同情の気持ち、何かし
てあげたいという気持ち、これは必ずどなたにも起こってきます。私も起こりましたし、皆さんもお一人お
一人感じられたと思うのです。その何かをしようという時のすべきこととは、いわゆる人道的な支援という
ことなんですね。
人道的な支援というのは何かといいますと、気の毒な立場にいる人に対して自分の出来る範囲で出来るこ
とをする。急ぐ必要はない、出来るだけのことをしましょうと。この気持ちは非常に大切です。皆さんにも
大切にしていただきたいし、出来ればそれを実行に移していただきたい。それはそれとして、人権の視点と
いうのはそれでは足りないのですね。人権の視点というのは、今すぐ、直ちに人権侵害の状況をなくすため
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
の努力をしなければいけない。
ですから、先ほど和田さんや黒田さんがおっしゃった、被災地において医療サービスが受けられなくて苦
しんでいる病気の方、
あるいは薬を毎日飲まなければいけないのに薬が手に入らない人、
こういう人たちには、
直ちに薬を提供し、直ちに医療サービスを与えなければ人権侵害になるわけですね。
そのようなときに、ちょっと待ってください、今準備していますから、もう少したてば何か出来ますよとい
うのは、これは人道的な支援であって、人権救済ではないのです。
これまで日本は、世界各地で起こった様々な災害に対して、例えば、インド洋で大津波(スマトラ島沖地震)
が数年前(2004年)に起こりましたけれども、その時にも日本は大変多額の支援をしました。それから、サ
イクロンで水浸しになったバングラデシュ(2007年)
、あるいは大きな地震で被害を受けたチリ(2010年)
、
あるいはハイチ(2010年)
、さらにトルコ(2011年)
、パキスタン(2005年、2011年)
、こういうところに日本
は直ちに支援をしましたが、これは全部人道支援なんです。
日本は出来るだけのことをして、それは現地の人たちに感謝されました。けれども、大事なことは、それ
と同時に人権を直ちに守るという、その視点が、こういう災害の時には必要であったと思います。それが、
今回の東日本大震災の支援のあり方を見ていて、必ずしもきちっと認識されていなかったのではないかとい
うことを私は強く感じました。
これからの私たちの活動は、そういう意味で、人権の視点をどういう形でこういう自然災害の場合の被災
者の方々に対して反映させていくかということが課題であると思っております。
人権の視点というのは、一つは直ちに救済しなければいけないということがありますが、もう一つ大事な
ことは、やはりほかのパネリストの方がおっしゃったことなんですけれども、人権の視点に立ちますと、人
が人間らしく誇りを持って生きるということ、健康に生きるということなのです。人道支援の場合には、足
りない物資を提供する、食料品を提供する、水を提供する、それが人道的な支援であり、これは非常に大
切なことです。これを、私は無視してはいけないと思いますけれども、それでは人権の観点からの被災者に
対する救済としては十分とは言えないのです。
被災者の立場に立って考えると、物資はもちろん必要です。欲しいですし、来れば助かります。けれども、
物があって、住む場所があって、そして医療も一応提供されて、それでもう何不自由ないからいいのではな
いかと考えるなら、これは間違いなんですね。人権の視点というのは、それ以上に、人の生きがい、人の心
のあり方、こういうところにまで十分に行き届いた活動をしなければいけない。
それで、今回の震災の時によく言われたことなんですが、コミュニティ、あるいは人のつながり、ネットワー
ク、家族、友人、知人、これらを切り離して支援をして、仮設住宅を作り、入居してもらっても、そういう
人たちをばらばらにして一人一人個別に救済するということをやったのでは、これは人権の視点を踏まえた
支援にならないんですね。物を提供しても、これは人権の視点で提供したことにはなっていないということ
になります。
そういう意味で、まだ私自身もこれから考えていかなければいけない点がありますけれども、今回の震災
を一つの教訓に、こういう場合に、行政や、あるいは私たち、支援をする立場の人たちが、人権の視点とい
うのをどのように捉えて、きちっと対応出来るかということ、そういったことをこれからは考えていかなけれ
ばならないと思います。
今日、このシンポジウムのご来場の皆様と一緒に、人権の視点で被災者を救済するために、今後、私た
ちがどういうことをやっていったら良いのかということを考えていきたいと思います。
一応、私からの話は以上です。
【田中】
ありがとうございました。
今もちょっと触れていただきましたけれども、東日本大震災以降、私もいろんなところで、いわゆる人権
センターが、なぜこの大震災に取り組むんだというふうに尋ねられたことがよくあります。
横田さん、こういう考えで間違っていないでしょうか。人間の安心と安全が脅かされている大震災だ、だ
から、これはもう本当に、人権の大きなテーマなんだというふうに私は単純に思い続けてきたんですけれども、
必ずしも間違ってはいないでしょうか。
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平成23年度 人権シンポジウム 東京会場
【横田】
おっしゃるとおりだと思います。
ですから、今日も既に指摘されましたけれども、今回の震災が発生したことに対して、私たちにはやるべ
きことがたくさんあります。これからやっていかなければいけませんが、同時に、既に言われたことなんで
すけれども、今後、この教訓から、同じようなことが起こった時にどうするかということを考えることも大切
です。これを考えておくことによって安心、安全が確保出来るわけですね。予防ということになるわけなの
ですが、そのことをやはり同時に並行して続けていかなければいけないと思います。
【田中】
それと、これは、本当に短く、数十秒でコメントいただきたいんですが、今年の憲法記念日(5月3日)で、
憲法の三大基本原則の一つである基本的人権が、私の記憶する限りでは、初めてメディアの中で大きなテー
マになったのではないかと考えました。生存権とか、それから幸福追求権、あるいは居住移転の自由、ある
いは財産権と。
今までは、どちらかというと、それは悪いことじゃないんですけれども、憲法第九条が憲法記念日の定番
のテーマみたいな感じがしました。でも、今年の5月3日前後の、いろんなメディア、あるいはいろんなと
ころでの動きとして、憲法の基本的人権がこれほど大きくテーマとして掲げられたのは、私の記憶では、お
そらく最近では初めてだったのではなかろうかなという気がしました。それもこれも、大震災は大きな人権
のテーマなんだというふうに私は解釈しましたけれども、それについては、いかがでございましょうか。
【横田】
その通りですね。私も感じたことですけれども、ほとんどの方は、あの震災の状況を見て、被災された方々
の姿を見て、これは深刻な人権問題だと捉えたわけなんです。したがって、憲法記念日でそういうふうに人
権の側面を扱わなければ何のための憲法記念日だということになりますね。
もう一つだけ加えますと、普通、人権といいますと、表現の自由とか、それから結社の自由とか、信教の
自由というような、いわゆる自由権が強調されがちです。もちろん、これも大事です。大事なんですが、教
育を受ける権利、健康に対する権利、安全な飲み水に対する権利、それから幸福追求の権利、最低限の文
化的な生活を営む権利というような、いわゆる社会権が、ともすると後回しにされがちです。
今回の震災を見て、被災者の人権こそ守らなくてはいけないのではないかということを皆さん感じられた
ので、その点が強調されたのも今年の特徴だと思います。
【田中】
ありがとうございました。
基調報告はこれで終わらせていただきます。
会 場 風 景
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