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みなと歴史さんぽ アーカイブ冊子
旧中原街道をゆく 旧中原街道を通り、三田を目指す散策コースです。 現在では、二本榎通り・三田台通りと呼ばれるこの付近は、歴史ある寺社や遺跡・ 公園が多く、現在でもたくさんの自然が残っている地域です。 歴史ある古道、人々が大切に守り受け継いできた環境がそこにあります。 11月 古代の遺跡から、平安、江戸、近代、現代とあらゆる時代の史跡を訪ねることがで きる散歩道です。 ②旧朝吹邸(高輪3-19-1) 区立三田中学校 区立 御田小学校 聖坂 至 田町駅 白金高輪駅 三 田 台 通 り 東京メトロ 都営地下鉄 高輪子ども中高生プラザ 桜田 通り 第一 京浜 高輪区民センター 区立高松中学校 区立高輪台小学校 ⑧フレンズセンター 宣教師館として建設。大正 11年(1923年)竣工。木造2階 建て。 旧朝吹邸と同様にアメリカ 人建築家ヴォーリズによるも の。国の登録有形文化財に指 定されている。四季折々の植 物に れた建物は、関東大震 災前から残る貴重な西洋館の 一つです。 至 品川駅 高輪公園 ④大石良雄ほか十六人忠烈の跡 都営アパートの中庭に進むと、肥後熊本藩細川家の下屋敷 跡地があります。 ここでは元禄16年2月4日(3月20日)、大石良雄をはじ め、16人の赤穂義士が切腹をしたことで知られています。 義士たちが実際に切腹をしたとされる場所は、藩邸、後の 庭の池を望む小さな丘の辺りであり、現在では塀で囲まれ庭 園として大切に保存されています。 当時の藩主、肥後熊本藩三代細川綱利は、「義士たちは細 川家の守り神である」とし、義士たちの血で染まった庭を掃 除する事すら許さなかったと伝えられています。 旧中原街道の伊皿子坂上の交差点には「歯科医学教育発祥之地碑」があります。 ここに1890年、高山紀齋(1851-1933)によって現在の港区高輪に日本で最初の 歯科医学校である高山歯科医学院(のち の東京歯科大学)が創立されました。 この辺りの高台の一角は江戸時代には 「月の岬」と呼ばれ、東京湾の絶景を見 ることができたといわれています。江戸 時代には潮見崎・袖が崎・大崎・荒蘭 崎・千代が崎・長南が崎と並び七崎と呼 ばれた屈指の景勝の地でした。 ⑨亀塚公園 港区内にある古墳は芝の丸山古墳とこの亀塚古墳の 2基のみ。円墳で塚の形から亀塚と呼ばれています。 平安時代に菅原孝標女が書いた「更級日記」に紹介 された竹芝皇女の物語の遺跡です。 明治維新後は皇族華頂宮となり、現在では区民が憩 う公園として使われています。 公園内には都内では珍しい在来種「カントウタンポ ポ」が咲くビオトープがあります。 慶長15年(1610年)、嶺南(れいなん)禅師により現在の溜池辺 りに開山。溜池に程近い霊南坂(赤坂1丁目と虎の門2丁目の境界) は、嶺南禅師の名に由縁しているといわれています。 寛永13年(1636年)、現在の高輪に移転。移転当時は東京湾が眼 前に広がっていたことから、「海上禅林」とも呼ばれました。幕末に 日本初のイギリス公使宿館に割り当てられます。その後、攘夷派浪士 により、二度襲撃され、死傷者が 出る事件となりました。 2010年2月には、境内が国の史 跡に指定されました。 境内にアカガシ林、シラカシ林 といった貴重な自然林があり、大 切に保護されています。 ⑥歯科医学協会発祥の跡地 都の天然記念物にも指定されているシイ の木で、旧細川邸に植えられていたスダジ イです。この巨大な樹木はブナ科シイ属ス ダジイ、種、和名はイタジイ、ナガジイ等 とも呼び、耐寒性が高く、夏に花が咲き、 翌年秋に実をつけます。雌雄同株で、実は 長楕円形の硬いものですが、食用にもなり ます。 大都市の狭く恵まれない環境でも、幹回 り8.13m、樹齢300年を超え今でも堂々たる 姿を私たちに見せてくれます。 JR 線 二本榎通り 明治学院大学 昭和8年(1933年)、港区高輪2丁目に現庁舎が竣工。建物は鉄筋コンクリート造り の地上3階建て、海抜約25mに位置し、当時は周囲に高い建物もなく東京湾を眼下に 眺望できました。 3階から上は円筒形の望楼(ぼうろう)となっており、昭和46年まで火災の見張り として使用されていました。1階の腰壁は御影石(花 崗岩)の切り出し積み、ひさしや窓台は左官洗い出し 仕上げとなっています。また、外壁はクリーム色の磁 器タイルで覆われ、玄関部分はすべて御影石で造ら れ、扉は木製となっています。3階の円形講堂は8本 の梁(はり)が中心に集まり、10個の窓部アーチと一 体になった独特の意匠は必見です。 ⑤旧細川邸のシイの巨木 都営地下鉄 京浜急行 泉岳寺駅 ③高輪消防署二本榎出張所(東京消防庁) 現在は東芝山口記念会館ですが、 1955年まで三井財閥の朝吹常吉氏の邸 宅で、桂坂の高台に建つスパニッ シュ・スタイルの白い洋館建、築90年 になります。 米国人宣教師ヴォーリズの設計で す。建築様式は依頼者の求めを取り入 れ、その応用と近代的な改善を施すこ とに努め、住み心地の良さを優先し、 健康を守るのに良い、能率的な建物を 目指したものでした。 豊岡いきいきプラザ 明治通り ∼都会の中の森林を訪ねて∼ ? プとは ー ビオト ⑦三田台公園 伊皿子坂から三田台通りを少し歩くと、 三田台公園内に出ます。ここ三田台公園は 伊皿子貝塚遺跡の発掘調査で1978年に発見 された住居跡と貝層の断面が復元されてい る遺跡の公園です。古代の人々の生活の一 端を知ることができます。 明治・大正時代には旧宮家華頂邸の庭園 だったところを公園としたもので、現在も 貴重な植生を保っています。また、園内に は草地のビオトープもあり、バッタやカマ キリなど昆虫がたくさん生息しています。 ⑩湧水のある地域 三田台通りから少し離れますが、この地には自然の湧き水が存在します。 亀塚公園前の標高が20m。慶應義塾大学正門前交差点の標高が15m。この5mの 落差が湧水を生み出すのです。湧水は動植物の発育を助け、生命を育みます。 寺社の敷地内であった為、都市開発の波で埋め立てられることもなく、現代に残 る都会のオアシスです。 高輪地区には8箇所の自然湧水(その場所から湧き出ている湧水)があります。 三田4丁目に4箇所、高輪2丁目に3箇所、高輪3丁目に1箇所。8箇所のうち 6箇所が寺院にあります。現地に行って見てください。良く地形分かります。 生き物が共生する場所 ドイツ語で「生き物の住む場所」という意味をもつ造語です。 色々な種類の生き物が、自分の力で生きていける自然環境を備 えた場所を、ビオトープと呼んでいます。そこにはさまざまな植 物や動物が生きており、互いに食べたり食べられたり、複雑に関 わり合いながらバランスを保って生きています。 みなと 発行所:港区立エコプラザ(港区浜松町 1-13-1) Minato City Eco-Plaza (1-13-1Hamamatsu-cho,Minato-ku,Tokyo) 開館時間:OPEN 9:30-20:00 休館日:毎月第4月曜日及び年末年始(12/29∼1/3) TEL:03-5404-7764 FAX:03-5404-7765 平成25年度・26年度版 歴史 さんぽ 基地へ エコ発信 ようこそ 芝のみなと歴史さんぽ・芝公園の梅林 赤坂のみなと歴史さんぽ・氷川神社の大銀杏(天然記念物) 青山のみなと歴史さんぽ・神宮外苑のいちょう並木 「みなと歴史さんぽ」とは 港区立エコプラザ認定インタープリター(環境・歴史ガイド)と一 緒に港区の旧跡・史跡をめぐり、港区の環境と歴史、文化をエコ の観点から訪ね歩く、港区立エコプラザの街歩きイベントです。 港区立エコプラザは、港区の歴史や文化を通じて、区民の方々やさまざまな団体 の取り組みから「環境」を再発見し、集い合い、学び合い、教え合う場所です。身 近なエコ活動から地球規模のテーマまで、幅広く紹介したり、体験したり、学習し たことを発表したり̶̶。いつも何かが行われている楽しいエコ発信基地です。 港区は各地域それぞれに特色があり、先進的な環境都市であり ながら同時に歴史や文化を豊かに内包する都市でもあります。 そこでエコプラザが提案する街歩きが『みなと歴史さんぽ』で す。ただ史跡をめぐるだけの街歩きをするのではなく、環境的な 芝 浦 都会の水辺 港区芝浦地区には歴史のある運河と、最新の水処理場があります。 この地区は昔から今に至るまで、水と関わり、水と共に生きる場所です。 また再開発が進み、最もダイナミズムに富んだ変化がある地域でもあります。 皆で芝浦の運河沿いを歩き、都会の大切な水資源と水の循環を学びながら、芝浦 の過去と未来を考えてみませんか? ②高浜運河歩道 都営地下鉄 京浜急行 泉岳寺駅 高浜公園 区立 芝浦小学校 JR 線 浜路橋 東京都のまちづくりガイドラインには芝浦・田町周辺 を「世界に向けた次世代型の環境都市づくりを実現する まち」として再開発してゆく将来像が描かれています。 そのため、この場所には水や緑、流れる風を体感でき るよう運河のオープンスペースが確保され遊歩道が続い ています。遊歩道は高潮や地震の際の液状化現象を防ぐ 防災の観点からも構築が進められており、多くの人たち が散歩やジョギングを楽しんでいます。 遊歩道からはカルガモ、ゆりかもめ、サギなど多種類 の野鳥類が観察できる一方、運河にはボラなど魚類の大 群も見うけられ水辺の豊かな自然を間近に感じることが できます。 新港南橋 高浜運河歩道 区立港南中学校 港南いきいきプラザ 区立港南小学校 水再生センターの処理能力は83万㌧/日で雨天時貯留池は2万㌧弱です。東京の下水道 は雨水と汚水が分流式でないため雨が降るとすぐオーバーフローしてしまいます。そのた め雨が降ると一部の下水は未処理のまま生放 流せざるをえず、環境への悪影響が懸念され ています。 これを受けて、昨年からセンター西側に新 たに建設中の建物の地下には、約7万㌧の貯 留池が建築中です。完成はまだ少し先の話で すが、完成すれば貯留池は合計容量2万から 9.5万㌧と4倍強に増加します。雨天時の生 放流が減少することでしょう。 再開発が進む芝浦・港南地区 高浜 運河 品川駅 ⑦芝浦水再生センターが見渡せる場 芝浦水再生センターは昭和6年に稼働した東京で3番目に古い 施設です。処理区域は千代田・中央・港・新宿・渋谷区を中心 に、品川・文京・目黒・世田谷・豊島区の一部で山手線の内側の 広さをカバーしています。特色はセラミック製ろ過材を使用して 再生水利用事業を行い循環型都市づくりに貢献することや、下水 熱利用事業によりCO 2を削減し温暖化防止に貢献することなど があげられます。また、広大な沈殿池や微生物反応槽の上部空間 を利用した公園や広場を提供しています。近くにはJR山手線の新 駅も予定されており、東京オリンピック開催までにさらに広い空 間を利用した街づくりのプロジェクトが計画されています。 名前の由来は万葉集「今日よりは 顧みなくて大君の醜の御 と出で立 つ我は」という防人の歌からという 説があります。太平洋戦争のさなか にこの地にあった旧帝国海軍経理学 校を修了し出征する際に、この橋の 上から見送ったということから、学 校にかかる橋の名称として名付けら れたのかもしません。現在の橋は昭 和41年に架橋、古くは当時台場と 呼ばれていました。 この地域は、現在も再開発が続い ており、都市のダイナミックな変貌 の一端を見ることができます。風 力・太陽光発電設備および蓄電池の 社内利用を進める会社ビルや、水処 理施設で処理した再生水を社内の中 水として利用する会社ビルなど、環 境に先進的に取り組む企業ビルが数 多く存在しています。 ⑧高輪橋架道橋(通称:お化けトンネル) 「芝浦水再生センター」全貌 御盾橋 隣接する芝浦水再生センターは都内最大級の水再生施設です。 そこから処理・再生された浄化水が日に約30万㌧ずつ2箇所から放流されています。汚れ た水をきれいにする微生物の利用技術では、アメー バなど7種類もの小さな生き物たちが反応槽といわ れる中で循環しながら活躍しています。 さらに一部の再生水はセンター近辺のオフィスビ ルへ冷房やトイレ用水として供給され、地域の循環 型水資源の利用が実現しています。浄化基準となる 放流水は、魚がすめるレベルの水質となっており、 技術の高さを示しています。実際に浄化水の放流口 には、冬の間、魚の大群が泳いでいる情景が見られ 放流口付近に群がる魚たち ます。 ⑤環境に配慮した企業やビル などが多数存在する地域 芝浦と高輪をつなぐ1本の長い架道橋です。 田町車両センター、JR東日本東京支社の車両基地の下を くぐる為、高さ制限1.5m、長さ231mというとても珍しい長 さの架道橋となりました。少し入った所に、現在は閉鎖さ れていますが、JRの車庫に上がる階段もあります。 元々この道路は、第一京浜(国道15号線)の高輪交差点 付近にある高輪大木戸跡辺りまでつながる水路でしたが、 大正時代にこれを埋め立て道路が作られたため、非常に天 井の低い造りとなっています。当時の日本人の平均身長が 165mくらいだったので、高さをそれに合わせたようです。 エコプラザでは、平成25年度・平成26年度の2年間にわたり、 『みなと歴史さんぽ』を計6回開催してきました。普段と違う視 点で散歩する事で、見知った街や道がまた違った魅力に気づかせ 港区全体図 赤坂 インタープリターとは インタープリターとは自然と人 麻布 芝 この公園の中に太陽光発電機、風 力発電機が設置されていて公園内の 照明に使われています。水再生セン ターの屋上部分を使った公園で、公 園の一部にはビオトープが設置され ています。一見、雑草だらけの植物 園のように見えるかもしれません が、動植物にとってはこれが一番育 ちやすい環境かもしれません。 赤穂事件で有名な寺院です。 慶長17年(1612年)に門庵宗関 和尚(今川義元の孫)が現在のホテル オークラ近くに創建。寛永18年 (1641年)の寛永の大火で焼失 し、現在の高輪の地に移転しまし た。現在でも、12月14日の前後で はたくさんの参拝客が訪れ、赤穂 義士たちの忠義に思いを馳せてい ます。 との 仲介 となって、さまざまな 自然や文化を紹介する人です。 その場所・その地域の自然や、 歴史的資産、さまざまな環境活動 ⑥芝浦中央公園 (ビオトープ・発電設備) ⑨泉岳寺(高輪2-11-1) お化けトンネル入り口 し、楽しむことができます。 てくれます。ここではその街歩きの軌跡をご紹介いたします。 ③再生水放流口 ④貯水槽建設現場 JR ①御盾橋 品川から出発し、芝浦を運河沿いに歩くコースです。 12月 区立高輪台小学校 ∼運河・水資源、そして自然∼ 環境にやさしい目線で 新しい 港区 を発見 視点から街歩きを行うことで、港区をもっと大きな視点から理解 などを、わかりやすく他の皆さん に伝えていくといった活動を行っ 高輪 港区立エコプラザインタープリター 第一期生・平尾隆幸氏 ています。 芝浦港南 エコプラザのインタープリター養成講座で訓練を積 んだ講師陣が、港区立エコプラザ公認のインタープリ ターとなって、港区の自然、環境、文化、歴史などの 魅力を紹介する役割を担っています。 文 化 、自 然 を 訪 ね る 高 輪 ①東禅寺(高輪3-16-16) 青 山 麻 布 黄葉に煌めく外苑前を歩いて 明治神宮は明治天皇をお祀りする神社として大正年間に造営されました。内苑は神 苑にふさわしく荘厳な風致とし、自然林に近い状態で永遠に維持存続を目指していま す。一方、外苑は近代的造園設計の公園として都市計画的価値が高いものです。 地下鉄青山一丁目から明治神宮外苑の歴史と樹木をめぐる散歩に出掛けましょう。 12月 首都高 散歩コースは約2km、ゆっくり歩いて1.5時間程度です。 ②いちょう並木 JR 信濃町駅 東宮御所 東京メトロ 都営地下鉄 青山一丁目駅 秩父宮ラグビー場 り 通 青山 東京メトロ 外苑前駅 ⑥白松 日本では比較的珍しい木 で、原産は中国の中部から 北西部です。中国では神聖 視され、王宮や墳墓、寺院 などに植栽されます。 聖徳記念絵画館前庭の池 の両側に3本ずつ植えられ ています。常緑の高木で樹 形は円錐形で成木は樹皮が 剥がれて白い肌がまばらに 表れています。 ④麻布宮村町支流 その昔、「霞の松」として名高かったが、三 代将軍徳川家光が鷹狩の休息の折、「遊女」と 名付けた愛鷹がこの松の枝に飛来したという逸 話からこう呼ばれるようになりました。 松は北半球に広く自生し、荒地にも進出する 先駆植物ですので、土の少ない岩場や砂地にも 多く見られます。 赤 坂 通 り 氷川公園 もともとは浅野家ゆかりの地だっ たこの地は、幕末から明治にかけて 活躍した勝海舟が明治5年から明治32 年、76歳で亡くなるまで住んでいた 屋敷跡です。屋敷跡は東京市に寄付 され平成5年まで氷川小学校敷地と して使用されましたが、その後廃校 となり武道場や老人福祉施設となり ました。発掘調査により発見された 遺物が施設内に展示されています。 芝 首 都 高 チが ミツバ は 好む花 途中に 散歩の したか? ありま 八代将軍徳川吉宗の命により建 てられた氷川神社の旧正面口の坂 です。氷川神社を挟んで反対側に 「本氷川坂」があります。 江戸時代から大名屋敷が多くあ りましたが、今では多くのマン ションが建ち並ぶ閑静な長い坂と なっています。 レンゲ ユリノキ ナノハナ 赤坂の氷川神社はかつて備後三次浅野家 の屋敷があった場所で播州赤穂藩断絶の 後、浅野内匠頭長矩夫人の瑶泉院が実家に 戻り住まわれたところです。 境内には、赤坂にあった神社を合祀し、 幕末から赤坂在住の勝海舟によって、称え らた『四合(しあわせ)稲荷』や港区内に 現存する善福寺「逆さイチョウ」に次ぐ大 きさと樹齢のイチョウがあり、緑と水のあ る空間となっています。 ⑥勝海舟邸跡 氷川神社西側の本氷川坂下のこ の地は、勝海舟が明治元年までの 幕臣として華々しく活躍した10年 間を過ごした当時の屋敷がありま した。 勝海舟は終生赤坂の地を愛し、 3回転居していますがここがその 場所の一つです。 氷川神社正面 江戸時代は長門府中藩毛利家の上屋敷です。 明治20年、増島六一郎(初代中央大学長)の 自邸となりました。 その後ニッカウヰスキー工場、昭和52年テレ ビ朝日の敷地になり、平成15年、六本木ヒルズ がオープンし毛利庭園が誕生しました。 現在の毛利庭園の水源は人工の流水を使って います。再開発の前には、この池の下に「ニッ カ池」という名の池がありました。 池のまわりを歩くと、多くの生き物が育まれ ている姿に出会えます。 江戸時代の火消の碑や、歴史ある神社仏閣、芝公園裏手にある滝(!!)、給水場、などなど……。 さまざまな場所を辿りながら、昔も今も変わらない、自然と都市環境の営みを体験できるコースです。 ①増上寺(芝公園4-7-35) 東京メトロ 神谷町駅 区立 御成門中学校 区立 御成門小学校 旧氷川小学校(勝海舟旧住居跡) 都営地下鉄 御成門駅 みなと図書館 東京タワー 港区役所 増上寺 都営地下鉄 赤羽橋駅 都営地下鉄 芝公園駅 首都高 南部坂(忠臣蔵) ⑤氷川神社(赤坂6-10-12) サクラ トチノキ 忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」(主君浅野 内匠頭長矩の仇討ちのため吉良邸討ち入り を目前にした大石内蔵助が、主君の奥方・ 瑶泉院にひそかに別れを告げに向かう場 面)として芝居や講談でおなじみの南部坂 です。 江戸時代初期に陸奥盛岡南部藩の屋敷が あった所から名付けられたようで、広大な 緑を有するアメリカ大使館の宿舎の脇にあ ります。 ④氷川坂 池に泳ぐメダカ 園をぐるりと一周して、愛宕山を目指しましょう。 2月 通り 桜田 ③南部坂 元麻布三丁目緑地 この土地には江戸時 代、5千石の旗本、山 崎主税助治正の屋敷が あった。 ある夜、家来が屋敷 内の夜回りをした時、 大がまに出くわし食い 殺されてしまった。 その敵打ちでがま退 治を決意したその夜、 白衣の老人が枕元に立 ち、その罪を深くわび た。その見返りとし て、今後、屋敷を火災 から守ることを約束し た。後、文政の頃、高 台下で火災が起こり、 この屋敷付近にまで延 焼してきた時、大がま が現れ、池の水を吹き つけて火を防いでくれ たとの怪奇な伝説が生 まれた。 芝地域は古い時代から伝わる旧跡・史跡と、近代的な建物が見事に融合した地域です。増上寺から芝公 日比谷通 り 赤坂いきいきプラザ の由来 がま池 歴史と水の小路 ②旧氷川小学校・勝海舟邸跡 赤坂サカス近辺の繁華街から南側わずか 100mほどの場所に水が流れ、季節にはサク ラやバラ等の花が咲き乱れる公園が昭和10年 に造園されました。都会の公園らしく地下は 駐車場になっています。 江戸時代前期にはこの付近に浅野家の本・ 分家の屋敷があり、赤穂浅野内匠頭の屋敷も この地域にありました。 麻布に5箇所ある 自然湧水" の 池です。 今では周囲を私有地に囲まれ、 中をのぞき込むことすら困難に なってしまいましたが、一昔前は 今の数倍の規模を誇る池でした。 今でも木々や竹林に覆われ、都 会の中で生き物たちの命を守る貴 重な棲み家となっています。 ⑤毛利庭園(六本木6-9) 麻布地区には6箇所の水源があります。 古川、笄川、吉野川、藪下∼麻布十番の支流、麻布宮 村町支流、麻布本村町の水路があります。麻布宮村町支 流は宮村池付近の湧水からの流路と、がま池からの流路 があり、元麻布3丁目6・7番地辺りで合流して麻布十 番の方で④藪下∼麻布十番の支流に流れ込んでいます。 ほぼすべての水源が、暗渠(あんきょ)を通っています が、この周辺を歩いていると、どこからか水の流れる音 が聞こえてくることがあります。 暗渠を流れる水音が、そこに昔、川が流れていたこと を我々に伝えてくれるのです。 ⑧お鷹の松 ①氷川公園(赤坂6-5-4) 転坂 ビオトープとは、あら ゆる生物が自然の中で共 存していける様な場所を 意味しています。人が自 分たちのために、あまり 手を加えないで樹木、野 草、昆虫、魚、鳥などが 自然の姿で育っていける 環境の大切さを教えてく れています。 広尾駅 歴史散歩のテーマは「赤坂の自然とミツバチ」、「忠臣蔵」、「勝海舟」です。 赤坂駅 麻布十番駅 麻布十番駅 東京メトロ そのような赤坂周辺を地下鉄の赤坂駅を基点として蜂の行動範囲程度を散歩しましょう。 り 区立南山小学校 東京メトロ 都営地下鉄 とができます。 東京メトロ さくら坂公園 ②がま池 ③元麻布三丁目緑地 ヒトツバタゴ、六道木とも呼 ばれ、朝鮮や中国にも分布して いますが木曽川流域と対馬に知 られている珍しい木です。落葉 高木で4月頃には雪が降り積 もったような花を咲かせます。 現在は枯れてしまったため、 再度植え替えの準備をしている ようです。近い所では台東区の 御徒町公園に現存しています。 明治記念館本館は、赤坂御所が仮皇居の 時代の明治14年宮殿建築の「御会食所」と して竣工しました。明治21年憲法制定の会 議、外国使節の謁見や宴会場として使用さ れました。 大正7年「明治神宮奉賛会」に寄贈され、 憲法記念館と名付けられました。昭和22年 明治神宮が公益事業として結婚式場を設け ています。 庭園は1,000坪、樹木は2,000本余りで東 宮御所、外苑と並び緑の多い空間を形成し ています。 1624∼1644年(寛永年間)は常陸笠間藩浅 野家(後に赤穂事件で有名になる浅野家)の下 屋敷となり、後に南部藩(盛岡藩)南部家の下 屋敷になりました。 明治維新後、宮内省用地として管理され、明 治29年、有栖川宮用地になります。 昭和9年、東京市に賜与され、記念公園とし て一般公開しました(現在は港区に移管)。 園内には四季を通じてさまざまな花が咲き、 樹木と水のせせらぎが静かな空間を作り出して います。公園に建つ有栖川宮熾仁親王の像は、 大熊氏広の代表作の一つ。 さくら坂 麻布消防署 坂御用地や数多くの神社、公園などの緑地が維持されています。そのお蔭で身の回りには小鳥や昆虫の営みを見かけて目を楽しませるこ 通 水路をめぐるという事、それは生き物の棲み家をたどる事でもあるのです。自然の湧き水をめぐる街歩きに出かけましょう。 通り 高層ビルが林立する都会をコンクリートジャングルと称することもあるようですが、赤坂のような繁華街であっても周囲には皇居、赤 堀 つながりあい、大きな生物の棲み家を作り出しています。 六本木 ミツバチが飛ぶ春の花々を辿って 外 そこには「草花」・「野鳥」・「水鳥」・「魚」・「昆虫」など、多くの生物が見られます。これらは川や水路を通じて結びつけられ、 ①有栖川宮記念公園(南麻布5-7-29) ⑤なんじゃもんじゃの木 大正元年の明治天皇の御大喪が青山練兵場で 挙行されたときに御轜車(棺を乗せる車)が安 置されたことから、外苑造営にあたり葬場殿を 記念して石碑が建てられました。クスノキは石 碑建立と同時に植樹されたものです。 クスノキは高さ40mにも達する常緑高木で温 暖な地域に広く分布し、枝葉は良く繁り病害虫 が少なく長命、巨樹ランキングトップテンの内 8本がクスノキです。 4月 庭園・池は緑をつくる大切な役目を果たしています。 3月 この地にはかつて青山練兵場があり、陸軍の観 閲式が挙行された際に明治天皇の御座所は常にこ のエノキの西側に設置されましたので、この木を 「御観兵榎」と名付けて保存されました。 この榎は先代が台風により倒木しましたので、 苑内から植樹した二代目です。 エノキはニレ科に属する落葉高木で一里塚など に植えられることが多かったようです。また国蝶 の「オオムラサキ」は幼虫が榎の葉を食べて育つ 蝶として知られています。 ⑦葬場殿跡の楠 赤 坂 この湧き水を求めて有栖川宮記念公園、がま池、そして昔からの麻布の水路跡をめぐってみました。 江戸時代 ﹁大がま﹂の怪奇伝説 神宮球場 神苑としての内苑が全国からの献木と国費 により造営されたのに対して、当外苑は民間 により結成された「明治神宮奉賛会」からの 寄付により造られ、大正15年に明治神宮へ奉 献されました。この石碑はこうした経緯につ いて述べられています。 港区には自然湧出箇所が20箇所あり、そのうち、麻布地区は5箇所あります。 ③御観兵榎(エノキ) 青山通り口から聖徳記念絵画館へ向かって 樹齢百年余のイチョウが4列に146本植えら れています。青山通り口から見ると高さ28m から17mに低くなる遠近法を利用した美しい 景観を形成し多くの人に親しまれています。 イチョウは古生代から分布していた落葉高木 で、成長が早く病害虫に強いので、街路樹、 神社、公園等に広く植えられ昭和41年に東京 都の木に指定されています。 ④明治記念館(元赤坂2-2-23) (旧赤坂仮皇居御会食所) 区立青山中学校 ①明治神宮外苑之記 外苑西 通り り 東通 外苑 国立競技場 港区の湧水 麻布の水源めぐり ⑥芝給水所公園(芝公園3-6-7) 東京都水道局芝給水所改築にあわせ、給水所 上部を利用し、少年サッカー場を主体として整 備された公園です。 旧芝給水所は明治29年に竣工。31年から淀橋 浄水場からの浄水を受け、その後100年にわたり 都民の水の供給をしてきました。給水所の正面 の壁面には「芝浄水池」の碑文があり、旧給水 場の名残をとどめています。昭和40年淀橋浄水 場から移設され平成14年に復元されました。 芝公園をぐるりと散策すれば、丘の上に建っている小さな建物を見ることができる でしょう。 ここは落ち葉を一時的に保管しておく「落ち葉倉庫」です。 このあたりに落ちた枯葉などは、この小屋 に集められ大切に保管されます。 落ち葉は1∼2年の間ここで保管され、堆 肥へと姿を変えます。 植物を育てるにあたり、堆肥を使うと、立 派な樹木や植物が育つと同時にゴミの減量に もつながります。公園内の目立たない所に設 置されている落ち葉倉庫。循環型の環境づく りを一役担っている働き者です。 散策の合間に、ぜひ探してみてください。 ⑦愛宕山(愛宕1-5-3) 明治6年、政府はこの地に公園設立を決めました。 日本最初の公園指定は5箇所あり、その一つがこの 芝公園です。 増上寺を囲む形で、野鳥も多く、早春には梅林など 四季折々の自然が楽しめます。 ③丸山古墳(芝公園4-8) 将軍家の墓所があり、二代将軍秀忠から十四代将 軍家茂まで、6人の江戸幕府の将軍たちが埋葬され ています。 二天門(徳川家所蔵)三解脱門他、国の重要文化 財と、都の有形文化財等があることでも知られてい ます。 また境内には増上寺門前前の町火消しとして有名 な「め組」の受難者供養塔が建っており、江戸の町 文化を今に遺しています。 ④芝公園:落ち葉倉庫 ②芝公園 自然の地形を利用した都内最大級の前方後円墳。 本来は全長112mに及ぶ巨大な古墳でしたが、増上 寺建立や、戦後の開発でかなりの原型は滅失してし まいました。あたりはサクラが多く、現在では大勢 の花見客で賑わっています。 頂上まで登ると、伊能忠敬(いのうただたか)の 偉功表があります。芝、高輪の大木戸を測量の基準 点とした伊能忠敬に敬意を表して芝公園に建てられ ることとなりました。 ⑤もみじ谷とメタセコイア 江戸幕府二代将軍、徳川秀忠が江戸城からカエデなどの樹 木をこの地に移し替えたと伝えられており、その後、昭和59 年に復活した人工の渓谷です。 一帯にはモミジが植えられており、秋になると一層風情を 楽しめます。 また渓谷の奥には高さ10mの岩場から落下する滝(もみじ の滝)がしつらえており、夏にも一服の清涼感を提供してく れます。 もみじ谷には、モミジの他にも、生きた化石と呼ばれるメ タセコイアなどの林もあり、水辺には水生生物が集います。 ただの作られた公園というだけではない、生物多様性の基 地としても有益な環境を我々に提供してくれる公園です。 愛宕山(標高26m)は、自然に作られた山で23区内では最高峰です。 昔は山頂から、東京湾や房総半島が一望できたともいわれており、当時から人々に親しまれ ていました。 山頂にある愛宕神社は慶長8年(1603年)徳川家康の命により創建されました。 ふもとから続く石組みの長い急階段(男坂)は、「出世の階段」といい、徳川家光の御世、 讃岐丸亀藩の曲垣平九郎が、一気に駆け上がり成功を収めた事から、こう呼ばれています。