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秋季号 - Biglobe

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秋季号 - Biglobe
季刊誌
シニアの季節:さいたま
(秋季号:H18年9月)
さいたまSLAの会
http://saitama-sla.at.webry.info/
Contents
3 巻頭言∼社会参加に取り組むシニアについて∼
5
紀行文:ダ・ビンチコードを訪ねて (紀行:リレー連載)
14
江戸木版画とフランス印象派
20
見沼の開拓者たち
(連載:2)
25
秋のメドレー
(歌い継ごう!連載:2)
31 ゲストのページ(柿田登理事長)
(バトンリレー連載)
35
グルメ情報
(連載:2)
36
私のボランティア
(社会貢献を考える:リレー連載の1)
37
あ∼男の独りよがり
39
脳ドックの意義
41
舞台裏から見たオペラ (連載:その2/2)
51
編集後記
読後アンケート
29
[案 内]セカンドライフ、シニアライフ講座
38
[案
内]さいたまSLAの会、今後の予定イベント
(表紙並びに巻頭言の写真:
出典:和田義男氏ホームページより
http://wadaphoto.jp/kikou/can7.htm )
2
巻頭言
∼
社会参加に取り組むシニアについて ∼
夏は名残さえ去り、いよいよ実りの秋となってまいりました。木々の蔦も色
づき、稲穂の香さえ漂います。処によっては落葉が散策の歩を軽々と奏でます。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。会長の落合です。
ローレンシャン高原の秋(メープル街道)
今回は、数年前から毎年 7 月中旬に行われています、高齢協が主催する「高
齢社会研究セミナー∼社会参加に取り組むシニア∼」での講演会・分科会から
課題など考えてみました。
このセミナーは、今年も著名人<堀田力さん、清家篤さん等>が参加して講演
会や分科会が開催されました。これまでは、
「ジェロントロジー」や「NGO活
動」、「NPO活動」等についてのアカデミックなプログラムが多かったようで
す。しかし、今年のテーマは、
「社会参加に取り組むシニア」であり、私達にと
ってこれまでより身近なプログラムでした。
私は、「社会参加に取り組むシニア」の一人として、「シニアの社会的活用策」
について課題等を考えてみました。
少子高齢化社会を迎えてますます増えるシニアは、自分の存在感や生きがい
を求めて経済的にも自立し、社会的にも地域で活動したいと志向する人々が
年々増加しています。又、来年の 2007 年からは団塊の世代の約 700 万人が大量
3
に離職することから、同世代を含めたシニアの新たなる社会的活用策が重要視
されています。埼玉県内でも、同世代の離職者が 40 万人いるそうですので、行
政・自治体等が地域においてどのような社会的活用策を実現するのか、お手並
み拝見というところです。
ところで、最近このシニアに対する社会的活用策としては、様々なボランティ
ア・セクターが着実に増加しているものの、運営上の弊害や課題等も顕在化し
ています(ボランティア・セクター;市民活動や NPO などの非営利団体。例え
ば埼玉県のNPO登録数は1千団体を突破している。)
まず第一の課題ですが、欧米の先進国では、有償無償を問わず、シニアのボ
ランティア希望に応える各種のボランタリー組織(非営利団体等)が古くから
多様にありますが、日本では NGO・NPO 等のボランティア・セクターが未熟
で、シニアのニーズにもほとんど対応できていないようです。
第二に、シニアが参加する市民団体や NPO など非営利団体等は増加しているに
も拘わらず、行政・自治体やNPOサポートセンター等の支援センターは、そ
の支援対象がそれらの既存の市民活動団体やNPO登録団体等であることが多
く、シニアの一個人に対するアプローチをしているところが少ないようです。
第三に、これらの支援センターやボランティア・セクター等は、各々バラバラ
に活動している事が多く、その活動や組織づくり・人材育成等々が脆弱なこと
から、行政・自治体等との円滑な協働関係の構築や発展的な組織運営などに構
造的な問題を抱えているようです。
以上のとおり、シニアに対する社会的活用策の実現には、未だ多くの問題点・
課題等を抱えています。しかし、近年の少子高齢化社会の急速な進展は、好む
と好まざるとにかかわらず、行政・自治体や支援センター、各種のボランティ
ア・セクター等々がその運営体制の弾力化や基盤の整備、ネットワーク化への
進展等を喫緊の課題と捉え真正面から取り組むことではないでしょうか。
私共は、このような行政・自治体等々によるシニアの社会的活用策等を求め
る一方、シニアの一個人に対しても社会参加への取り組みを支援し、一人でも
多くのシニアが地域社会にデビューできるよう支援活動を進めて参りたいと考
えています。
さいたまSLAの会
4
会長
落合英二
紀行文
ダ・ヴィンチコードを訪ねて (パリからミラノへ)
・ ・・・はじめに
* ダン・ブラウン作のこの本は全世界で空前のベストセラーとなり、今年
6月からは、映画化もされ大変話題になっています。
小説と有名な絵画、そこに隠されている「ダ・ヴィンチ」の意図を
体感したく「ダ・ヴィンチコード」の舞台となるフランス・ルーブル美術館、
そして有名な「最後の晩餐」を見に、イタリア・ミラノを訪れました。
by 爪川
(西日本新聞社朝刊より)
5
「ダ・ヴィンチコード」 のあらすじ
ルーヴル美術館館長が 館内で死体となって発見された。殺害当夜 館長と会う
約束をしていたハーヴァード大教授ラングドンは、フランス警察より捜査協力
を求められる。
館長の死体はダ・ヴィンチの有名な素描〈ウィトルウィウス的人体図〉を模し
た形で横たわっていた。被害者の孫娘でもある暗号解読官ソフィーは、一目で
祖父が自分だけに分かる暗号を残していることに気づく……。
フィボナッチ数列、アナグラム……数々の象徴の群れに紛れたメッセージを解
き進むラングドンとソフィーの前に現れたのは、ダ・ヴィンチが英知の限りを
尽くして暗号を描き込んだ絵画〈最後の晩餐〉だった。
6
ルーヴル美術館(パリ)
*パリのルーヴル界隈の紹介
世界遺産のセーヌ川沿いにあるルーヴルは、貴重な美術品・工芸品などを 35
万点を蔵している世界一の美術館です。
平日でも2∼3時間待ちは、当たり前というくらい人気です。
オペラ座、
ヴァンドーム広場方面
パリの中心にあるルーヴルの界隈
には、有名な観光スポットが多数あ
ります。
パリ発祥地としても知られている
ルーヴル美術館
シテ島には、ノートルダム大聖堂、
パリ警察などがあります。
更に少し北に歩くと、高級ブランド
の店が並ぶヴァンドーム広場があ
シテ島
り、オペラ座へもすぐです。
あのダイアナ妃が最後に泊まった
ホテルのリッツカールトンも、この
界隈です。
7
★ ルーヴルの説明が長くなりましたが、この小説のストーリーは、是非実際に
読んでいただくこととして、パリからミラノへの紀行に戻ります。
「ダ・ヴィンチコード」のあらすじにもありました・・・・・・・・
・・・・ダ・ヴィンチが英知の限りを尽くして暗号を描き込んだ絵画
<最後の晩餐>と<マグダラのマリア>について、
紹介をいたします。
(レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作の一つである<最後の晩餐>は、現在イタ
リア ミラノにある「サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会」に保管されて
います。)
「サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会」
◆ミラノをもう少し紹介します。
イタリア北部に位置し、ケルト人(現フランス)との関わりも多い。有名なも
のとしては、ミラノファッション・ドウモ・などがあります。食事もたいへん
美味しく、日本人に合います。ドウモの真下のカフェもたいへんおしゃれで、
素晴らしい景色でした。
そこを、夕方になると、おしゃれな格好のリッチそうな男女が通リます。何故
か?その通リの先には世界でも NO1 といわれているスカラ座があり正装した
紳士・淑女が集まってきます。
市内いたるところが歴史の遺産であり、また新しいものも生まれ、非常に活気
のある素敵な街です。
◆ミラノの位置・ミラノファッション・ドウモなど
ミラノ
ドウモ
8
ダ・ヴィンチコードと「最後の晩餐」
「最後の晩餐 CENACOLO VINCIANO」 1495-97年制作 テンペラ+油彩
レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci
1452-1519年 サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ聖堂 SANTA MARIA DELLE GRAZIE 壁画
420×910
最後の晩餐とは
イエス・キリストが磔刑の前夜に12人の弟子と共にした晩餐を指し、「主の晩餐」とも呼ばれているものです。
新約聖書の「マルコによる福音書」 などに記述されており、イエスは裏切者を指摘するとともに パンとブドウ
酒をとって自らの体であり血であると言う場面です。つまり、「裏切りの予言」 と「ミサの制定」です。
サンタ・マリア・デレ・グラーツィ エ教会
併設された左端の建物に「最後の晩餐」がある。見学もここから入る。ま た、教会の右隣を市電が走ってい
る。この場面をレオナルド・ダ・ヴィンチが修道院の食堂の壁に描きました。食堂に巨匠の絵とは何とも贅沢な
と思いますが、。食堂に最後の晩餐画を描くというのは、当時よくあったことです。僧たちは「最後の晩餐」を追
体験することがひとつの修行だったからです。
ダ・ヴィンチは描くための時間的余裕を生み出すためと重ね塗りを可能にするために壁画に は使われていな
かった技法を用いました。それがわざわいして、完成直後から絵の具が剥落 し始めました。その後幾度か修
復が行われてきたのですが、いい加減な修復のためオリジナルとは異なって描かれた部分もあります。また
第二次大戦中は爆撃のため修道院がほぼ全壊しましたが、この壁は奇跡的に損傷を免れました(これも聖な
る絵画と呼ぶにふさわしい理由です)。
9
「ダ・ヴィンチコード」とマグダラのマリア
「ダ・ヴィンチコード」では、マグダラのマリアは、イエスの妻、もしくは
親密な関係を持った女性であるとされている。
その論拠となっているのは、
「レンヌ=ル=シャトーの謎:イエスの血脈と聖杯
伝説」という本であり、この本では、マグダラのマリアはイエスの妻であり、
イエスの処刑時には、彼の子供をみごもっていたと論じている。
カソリックでは当然轟々たる非難をしていますが、彼女は十二使徒とともにイ
エスに従って旅をし、イエスが十字架に架けられ処刑された時にも、その様子
を見ていました。
又復活したイエスが最初に姿を現したのは、イエスの墓をのぞきに行った彼女
の前であったとする福音書もあります。
マグダラのマリア
さてイエスの死後、マグダラのマリアがどんどんな
人生を歩んだかについては、カソリックでは、母マ
リアと共に小アジアのエフェソスに移り住み、そこ
で死んだと伝えられています。
一方、「ダ・ヴィンチコード」では、「シオン修道会
によれば(中略)
・・そのころガリアと呼ばれていた
フランスへ密かに渡り、ユダヤ人社会にかくまわれ
た。そしてまさにここフランスで、ひとりの娘を出
産した。名前は「サラ」と言っています。さらに、
ユダヤ人がイエスとマグダラのマリアに始まる「イ
エス・キリストの家系図を
残していると・・」。
* シオン修道会というのは、マグダラのマリアの墓と、その血縁に連なる者
(つまりイエスの子孫)を守るために作られた修道会です。その創設者ゴ
ドブロフは、第1回十字軍の指揮をとり、テンプル騎士団にソロモン神殿
の廃墟から秘密文書を発掘するように命じた男です。
ゴドフロフは、フランク王国を建国したメロヴィング朝の末裔であると
され、「サラ」の血縁はそのメロヴィング朝に連なるということです。
10
◆最後の晩餐の列席者の説明(正面向かって左から)
・バルトロイ:テーブルの左端、イエスから最も離れた位置におりイエスの言葉を聞こうとして
立ち上がった様子
・小ヤコブ -:イエスと容貌が似ていたとされる使徒。左手をペトロの方へ伸ばしている。
・アンデレ : 両手を胸のあたりに上げ、驚きのポーズを示す。
・ユダ :右手に金入れの袋を握る(ユダは会計係であった)
。他の使徒と格別異なった風には
描かれていない。
・ペトロ : 身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに何か耳打ちしている。
・ヨハネ -:十二使徒のうちもっとも年少で、聖書では「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席に
ついていた」と記されている。中性的顔立ちとダヴィンチ・コードの影響からか女性と
思われがちだが、それはこの作品を問わずレオナルドに良く見られる画風である。
(ヨハネによる福音書 13 章 23 節)
・トマス : 大ヤコブの背後から顔を出しており、体部は画面ではほとんど見えない。右手の指を
1 本突き立てているのは、
「裏切り者は 1 人だけですか」とイエスに問い掛けている姿と
解釈されている。左手はよく見るとテーブルの上に置かれている。
・大ヤコブ : 両手を広げ大袈裟な身振りをしている。
・フィリポ -:両手を胸にあて、イエスに訴えかけるような動作をしている。
・マタイ -:テーブル右端のマタイ、タダイ、シモンの 3 名は互いに顔を見合わせ、
「今、主は何と
おっしゃったのか」と問い掛けている風情である。イエスから離れた位置に座る彼らには
イエスの言葉がはっきりと聞こえなかったのかもしれない。
・タダイ :
・シモン:
11
◆ <最後の晩餐>に秘められたダ・ヴィンチからのメッセージ
<謎その①>
この人物は 女性
に見える。つまり
「マグ ダラのマリア
を描い たものである
(ダ・ヴィンチコード
より)
<謎その②>
イエスと右隣の人物が
構成する構図は「M」を
形作っている(マグダラの
マリアを象徴している)
<謎その③>
更に、イエスと
マグダラのマリア
の姿を絵の中から、
切り出し・・・・
・・・・・・・・・・・・移動させると・・・・・・
★イエスに寄り添う
マグダラのマリアに
見えます!?
*読者の皆さんには、ヨハネがマグダラのマリアに見えましたでしょうか?!
* その他、最後の晩餐には、種々の謎やダ・ヴィンチの意志が表現され,或いは
隠されていると言われています。近々又、訪問したいと思っています。
end
12
カナダの秋;出典:和田義男氏ホームページより
http://wadaphoto.jp/kikou/can7.htm
13
江戸木版画とフランス印象派
1867年、慶応3年。大政奉還がなされ、坂本竜馬が暗殺された。翌年が
明治元年であり、戊辰戦争の年であった。この1867年パリ万博に、日本が
初参加。陶器、漆器、金細工、浮世絵などが出品された。
1878年(明治11年)のパリ万博でジャポニズム(日本趣味)は最高潮と
なり数々の賞をとる。
当時の新進画家であったモネ(1840∼1927)らは浮世絵に感嘆し、
競って研究した。
モネの代表作・年代は「印象・日の出」(1873)、「睡蓮」(1903)など
である(その他「日傘の女」(次ページの絵))。
睡蓮
14
日傘の女(モネ)
このような画家の一人にゴッホがいた(1853∼1890)。ゴッホの傑作は
アルル、サンレミ、オーヴェール時代に集中している(1888∼1890)。
この1時代前がパリ時代であるが(1886∼1888)、ゴッホの色彩がおお
いに変わり、特徴のある「黄」、「青藍」が形成される。
以下、ゴッホが模写した浮世絵である。
左右の2枚がゴッホの模写。真ん中の2枚が広重の浮世絵。
ゴッホの「輝くばかりの黄色」が見てとれる。
黄色の代表的傑作は「ひまわり」
(アルル時代)であるが、このほか「糸杉と麦
畑」(サンレミ時代)など、黄色の名作が多い。
15
中央の、
「タンギー親爺の肖像画」に描かれている浮世絵と、実際の浮世絵(周
りの4枚)との対比を示す図。
タンギー親爺とは、テオを含む2人のゴッホと親しい画商。着ている服の色が
青藍である。
青藍だけの名作もあるが、補色の関係(対比の関係)にある黄色との組み合わ
せに傑作が多く、
「夜のカフェ」
(アルル時代)、
「黄色い背景の花瓶のアイリス」
(サンレミ時代、次々ページに掲載)などがある。
ゴッホは浮世絵と(まだ見ぬ)日本を愛したが、後、ゴッホの絵画は世界から、
特に日本から愛されることとなった。
16
夜のカフェテラス
(ホームページ“プロバンスで出逢ったゴッホ”より)
http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2005/050520/
モデルとなった現在も残るカフェテラス
(東京国立近代美術館“ゴッホ展”より)
17
黄色と青藍の補色の“アイリス”1890年5月ゴッホ
18
緑と赤も補色の関係にある。
“アイリス”1889年ゴッホ
(こちらのアイリスも優れた作品である)
出展:モネ:インターネット美術館
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-imp2/h-moe/IPA-inb270.htm
ゴッホ:
浮世絵:ゴッホの愛した歌川派美術館より
http://www.furusatomura.jp/yumebi/umebiindex.html
アイリス:アール・アートグッズのホームページより
http://rart.org/cgi-bin/goodslist.cgi?in_kate=226
[記:H18.8.9 近藤康男]
19
「見沼の開拓者たち」(4回連載)
さいたまSLAの会 蓜島 駿
第2回:坂東家の歴史
寛永6年(1629)伊奈半十郎忠治の八丁堤締め切りによって見沼一帯は
溜井(灌漑用水池、つまり貯水池)となり、その後享保13年(1728年)
井沢弥惣兵衛による見沼干拓、見沼代用水完成によって田園地帯に一変します。
初代加田屋坂東助衛門尚重は、この井沢弥惣兵衛による見沼開発の約50年
まえに見沼溜井の一部を開発し「入り江新田」としました。しかし2代目四郎
左衛門直政のときに用水不足の訴訟に破れ「入り江新田」は再び溜井に戻され
ます。3代目助右衛門尚常は井沢弥惣兵衛の見沼干拓、見沼代用水による開発
に参加し、父祖の地「入り江新田」を「加田屋新田」として開発しました。
第2回はこの見沼に於ける坂東家三代の歴史をご紹介したいと思います。
この稿を書くにあたり何回か訪問した、さいたま市指定有形文化財の旧坂東家
住宅見沼くらしっく館は「加田屋新田」を見晴らす場所にあります。式台をも
つ格式の高い住居や広い土間、大きな竈など当時の雰囲気にひたりながら、坂
東家3代にわたる見沼開発にかける情熱こそが見沼の開拓者の名にふさわしい、
との思いを深く致しました。
(井沢弥惣兵衛については稿を改めてご紹介)
「旧坂東家住宅見沼くらしっく館」
行き方などは、よりみち①参照
初代:加田屋坂東助右衛門尚重
紀州出身の町人・加田屋坂東助衛門尚重は正保元年(1644年)から江戸
北新堀に屋敷を構えていました。助衛門尚重は見沼溜井内に次第に土砂が堆積
し上流域の一部は陸地化していること等から開発を意図し、尚重61歳の延宝
3年(1675)に幕府の許可をえて、見沼上流の一角(現在の加田屋1・2
丁目など加田屋新田)を新田開発しました。井沢弥惣兵衛による見沼干拓、見
20
沼代用水の開発の約50年まえの事です。この先見性は高く評価されています。
当時の片柳村と野田村の間に締め切り堤を築いて見沼の一部を切り離し、一
方では見沼の上流から流入する水が流れ込まないように堰止め、近くを流れる
綾瀬川に流路変更して見沼溜井の一部を干拓しました。
元禄10年(1697)には新田52町6反余りが造成されて前橋藩主の酒井
河内守の検地受け、「入り江新田」の名称でめでたく独立しました。
江戸日本橋に住む商人と伝えられる助衛門尚重はなぜ新田開発を志したので
しょうか? 様々な憶測が可能ですが、江戸幕府は年貢の確保のために寛永2
0年(1643)田畑の永代売買を禁止して農地の零細化を防ぎ、耕地の移動
を禁止しています。新たに農家を創るには新田開発の必要がありましたし、見
沼下流域の新田開発の盛況も見ていたと思われます。
商人である助衛門尚重も例えば岩槻藩領の木綿などは当時から有名でしたが、
ときに投機的な商品作物を選ばずに、堅実な基幹作物の米(新田)作りを志し
て自前の農地を確保したのではないでしょうか。
平成18年8月の加田屋新田
2代:四郎左衛門直政
坂東家2代目四郎左衛門尚政のころには、見沼溜井の下流低地はその後の新
田開発や農地化により用水不足は深刻な問題となっていました。また「入り江
新田」は見沼の上流から流入する水を流路変更して見沼の東部を流れる綾瀬川
に落としましたので、見沼溜井(貯水池)の水量はさらに減少しました。
見沼溜井の水量減少は溜井を用水源としていた水下八ケ領村の死活問題です。
21
やがて水下八ケ領村から「新田取り潰しの訴訟」
が起こされ、享保3年(1718年)に訴訟に敗
れました。新田開発の公許から40年余り、検地
を受けてから21年目にして、入り江新田」は再
び元の沼地に戻されたのです。宝永4年(170
7)から片柳村に住んでいた四郎左衛門尚政は
「入り江新田」取り潰しの翌年享保4年(171
9年)失意の中に62歳で没しました。
四郎左衛門尚政の無念の死を悼みますが、ここ
では「新田取り潰しの訴訟」を考えてみましょう。
今年も花が咲きました
(8月10日撮影)
幕府は自身の公許によって新田を開発し年貢の
増収を図りましたが、新田による見沼溜井の縮
小、上流からの流入水制限、結果としての水量減
少は水下八ケ領村に深刻な影響を与えていまし
た。この事実から幕府は自身の公許という体面を
捨てて「新田取り潰しの訴訟」を認めました。
ここで幕府も農民も見沼の開発には見沼に代
わる水源が必要であることを学習し、その後井沢
弥惣兵衛の見沼代用水による見沼干拓の実現に
生かされたのです。
3代:助右衛門尚常
坂東家3代目の当主は助右衛門尚常と称し、9歳のときから父四郎左衛門
尚政とともに片柳村に住んでいました。助右衛門尚常は井沢弥惣兵衛の見沼代
用水による見沼干拓の計画を知り、再び幕府に新田開発を願い出て許されます。
助右衛門尚常は莫大な資財を投じて祖父の拓いた「入り江新田」とほぼ同じ
場所に、65町2反4畝(田61町6反、畑3町6反)の新田を開発し同家の
江戸における屋号を冠し「加田屋新田」と命名しました。加田屋新田は享保1
6年(1731年)筧播磨守の検地を受けて一村独立し、坂東家は465石7
斗余りを名請けしました。ここに祖父尚重が拓き、父尚政が無念の涙を呑んだ
「入り江新田」が「加田屋新田」として再興されたのです。
また、助右衛門尚常は享保14年(1729年)見沼東縁用水路の新染谷関
枠から木曽呂(川口市)までの圦樋(いりひ)見守役に任命され、3反歩(3
石6斗)の年貢諸役を免除され名主役とともに幕末まで累代継承されました。
圦樋(いりひ)見守役とは、代用水から田圃への取水口(=圦樋)を見廻る役
22
目、すなわち代用水の水が秩序正しく使われるようにする役目のことです。
助右衛門尚常は父祖の遺業をついで加田屋新田の名主となりました、また圦樋
(いりひ)見守役という端役とはいえまぎれもなく幕府の役人になったのです。
享保13年(1728年)2月に見
沼代用水は完成し「加田屋新田」も
初めての作付けが行われました。そ
の4月13日に八代将軍吉宗は日光
社参のために「加田屋新田」のすぐ
東の日光御成り街道を岩槻に向かい
ました。助右衛門尚常も多くの農民
とともに御成り街道に出て八代将軍
吉宗公をお迎えしたことでしょう。
平成時代の
圦樋(いりひ)
よりみち1:旧坂東家住宅見沼くらしっく館(市指定有形文化財)
加田屋新田を開発した坂東家の旧宅を復元したもので、建築年代は解体時に
発見された長者柱の墨書銘から安政4年(1857)坂東家十代の当主助次郎
のときに建てられたことが判明しています。
「生きている民家」をテーマに当地
で行われてきた、季節おりおりの年中行事なども公開されています。敷地の北
側には屋敷林から続く斜面林が、東側には加田屋新田が広がっています。
一分銀:
見沼くらしっく館のご案内
住宅解体時の発掘調査で土瓶に入っ
た一分銀400枚(100両相当)
が「ざしき」押入れ下の土中から見
つかりました。現在展示中です。
○ 開館時間:9時∼16時30分
毎週月曜日休館
○ 交 通:JR大宮駅東口からバス
乗り場:⑦番バス乗り場、
行 先:浦和学院高校、浦和美園駅
浦和東高校、さいたま東営業所
下
車: 三崎台・大宮共立病院まえ
徒歩0分
○ お問い合わせ:
旧坂東家住宅見沼くらしっく館
℡ 048-688-3330
Fax 048-688-3335
23
よりみち2:見沼田圃の貯水池化計画
昭和の初めのころ東京市の産業、文化、人口の集中化が急速に進み、昭和2
年に村山貯水池、7年に山口貯水池が完成しましたが水の問題は解決しません
でした。そのような折から見沼田圃の貯水池化も計画されました。計画では川
口の芝地区に堤防を築き、見沼代用水を堰きとめて南北4里東西1里の貯水池
とし、貯水量25億立方尺、村山・山口貯水池の約五倍を確保し、総工費約5
千万円とされ、昭和8年9月には現地調査・測量を終えています。
当時の片柳村村長は坂東家十三代の当主新助でした。坂東村長は見沼田圃を
200年以上昔の見沼溜め井にもどすことに反対しました。この見沼田圃貯水
池化計画は坂東新助村長を先頭にした、全村を挙げての粘り強い反対運動が功
を奏し、昭和14年9月に見沼貯水池問題は打ち切りとなりました。
―
見沼自然公園園内の沼
―
もし貯水池が実現していたらこんな風景?
(旧坂東家住宅見沼くらしっく館のすぐ近くです)
参考文献:
片柳のむかし ―「片柳のむかし」刊行委員会
旧坂東家住宅解体調査報告 ―大宮市教育委員会
見沼、その歴史と文化 ―さきたま出版会
大宮の地名(大宮雑記帳5) −秋山喜久夫
埼玉大百科事典 −さいたま新聞社
24
♪ 秋のメドレー ♪
さいたま SLA の会
春 峯子
秋! 日本の秋は特に素晴らしい! 立秋を過ぎ、虫の声に耳を傾け、やがて
朝夕の冷気が心地よくなると名月。澄んだ空気に秋の花々が咲き誇り、木々は
赤や黄色に色づき紅葉だよりも。そして秋の収穫を祝う村祭り。秋の美しい情
景を、美しい歌詞で表現された抒情歌を歌いながら、秋を満喫したく思います。
虫 の 声
明治 43 年「尋常小学読本唱歌」
作詞・作曲者不詳
1.あれ松虫が 鳴いている∼ チンチロ チンチロ チンチロリン
あれ鈴虫も 鳴き出した∼ リンリン リンリン リ∼ンリン
あ∼きの夜長を鳴き通す∼ ああ おもしろい虫の声∼
2.キリキリキリキリきりぎりす ガチャ ガチャ ガチャ ガチャくつわ虫
あとから馬追いおいついて チョンチョン チョンチョン スイッチョン
あ∼きの夜長を鳴き通す∼ ああ おもしろい虫の声∼
夕焼け小焼け
大正 12 年「あたらしい童謡」
中村雨紅 作詞・草川
1.夕∼焼け小焼けで 日が暮れて∼
や∼まのお寺の 鐘が鳴る∼
お∼ててつないで みな帰ろ∼
からすと一緒に 帰りましょう∼
信 作曲
2.子どもが帰った あとからは∼
ま∼るい大きな お月様∼
小∼鳥が夢を 見るころは∼
空にはきらきら 金の星∼
あの町この町
大正 14 年「コドモノクニ」
野口雨情 作詞・中山晋平 作曲
1.あの町 この町 日が暮れる∼
2.お家がだんだん 遠くなる∼
日が暮れる∼ 今きたこの道
遠くなる∼ 今きたこの道
帰りゃんせ∼ 帰りゃんせ∼
帰りゃんせ∼ 帰りゃんせ∼
3.お空に 夕べの 星が出る∼
星が出る∼ 今きたこの道
帰りゃんせ∼ 帰りゃんせ∼
25
牧場の朝の爽やかな情景、そして軽やかなリズム。歌うと明るく幸せな気分に。
牧場の朝
昭和 7 年(昭和の大傑作!)
松村楚人冠 作詞・舟橋栄吉 作曲
1.ただ∼一面∼に 立ちこめた∼ 牧∼場の朝∼の霧∼の海∼
ポ∼プラ並木のうっすりと∼ 黒∼い底から勇∼ま∼しく∼
鐘∼が鳴∼る鳴∼る∼ かんかんと∼
2.もう∼起き出∼した 小舎小舎の あた∼りに高∼い人の声∼
き∼りにつつ∼ま∼れ あちこちに∼ 動く羊の幾群れの∼
鈴∼が鳴∼る鳴∼る∼ りんりんと∼
3.今∼さし昇∼る 日の∼影に∼ 夢∼からさめ∼た森∼や山∼
あ∼かい光∼に染め∼られた 遠∼い野末に 牧∼童の∼
笛∼が鳴∼る鳴∼る∼ ぴいぴいと∼
浜辺の歌
大正 5 年の作品で昭和 22 年「中等音楽」
林 古渓 作詞・成田為三 作曲
1.あし∼た浜辺∼をさ迷∼え∼ば∼ 昔∼し∼のこと∼ぞ 忍∼ば∼るる∼
風∼の音∼よ 雲∼のさ∼まよ∼ 寄す∼る波∼も 貝∼の色も∼
2.ゆう∼べ浜辺∼を回(もとお)れば∼ 昔∼し∼の人∼ぞ 忍∼ば∼るる∼
寄せ∼る波∼よ
返∼す波よ∼
月∼の色∼も
星∼の影も∼
夕 日
大正 10 年「白鳩」
葛原しげる 作詞・室崎琴月 作曲
1.ぎんぎんぎらぎら 夕∼日が沈む
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む∼
まっかっかっか 空の雲∼ みんなのお顔も まっかっか∼
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む∼
2.ぎんぎんぎらぎら 夕∼日が沈む
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む∼
烏よ お日を追っかけて∼ まっかに染まって 舞って来い∼
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む∼
通りゃんせ
江戸時代のわらべ歌
(大正 10 年)本居長世編曲
通りゃんせ通りゃんせ∼ 「こ∼こはど∼この細道じゃ」
天神さまの細道じゃ 「ちっと通してくだしゃんせ∼」
御用の無いもの通しゃせぬ「この子の七つのお祝いにお札を納めにまいります」
行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも 通∼りゃんせ 通∼りゃんせ
26
野
菊
昭和 17 年「初等科音楽」
石森延男 作詞・下総皖一 作曲
1.と∼おい山から 吹いて∼来る∼ 小寒い風に∼ ゆれな∼がら∼
けだ∼かく 清く∼ に∼おう花∼ き∼れいな野菊 う∼すむらさきよ
2.あ∼きの日差しを 浴びて∼飛ぶ∼ とんぼを軽(かろ)く∼ 休ませて∼
し∼ずかに咲いた∼
野∼辺の花∼ や∼さしい野菊
紅
明治 44 年「尋常小学唱歌」
う∼すむらさきよ
葉
(2部合唱)
高野辰之 作詞・岡野貞一 作曲
1.秋の夕∼日に∼照∼る山∼も∼み∼じ 濃∼いも薄い∼もか∼ずある中に
松をいろど∼る 楓や蔦は∼ や∼まのふもと∼の 裾模様∼
2.渓(たに)の流れに∼ 散∼り浮くも∼み∼じ 波にゆられて離れて寄って
赤や黄色∼の 色さまざまに∼ 水の上に∼も∼ 織る錦∼
まっかな秋
1.真っかだな∼ 真っかだな∼ 蔦∼の葉っぱが 真っかだな∼
紅葉の葉っぱも 真っかだな∼ し∼ずむ夕∼ひに∼ 照∼らされ∼て∼
真っか∼なほっぺたの∼き∼みと僕∼真っか∼な秋に∼囲まれて∼いる∼
2.真っかだな∼ 真っかだな∼ から∼すうりって 真っかだな∼
とんぼの背中も 真っかだな∼ ゆ∼う焼け雲を∼ ゆ∼びさし∼て∼
真っか∼なほっぺたの∼き∼みと僕∼真っか∼な秋に∼呼掛けて∼いる∼
3.真っかだな∼ 真っかだな∼ ひが∼ん花って 真っかだな∼
遠くの焚き火も 真っ赤だな∼ お∼宮の鳥居を∼ く∼ぐり抜け∼
真っか∼なほっぺたの∼き∼みと僕∼真っか∼な秋を∼訪ねてま∼わる∼
証城寺の狸囃子
大正 13 年「金の星」
野口雨情 作詞・中山晋平 作曲
証 証 証城寺 証城寺の庭は つ つ 月夜だみんな出て来い来い来い
おい等の友達ア ぽんぽこ ぽんの ぽん∼
負∼けるな負けるな和尚さんに負∼けるな 来∼い来い来い来い来い来い
みんな出て 来い来い来い
証 証 証城寺 証城寺の萩は つ つ 月夜に は∼な盛り∼∼
おい等は浮かれて ぽんぽこ ぽんの ぽん∼
27
村
祭
明治 45 年「尋常小学唱歌」
葛原しげる作詞・南 能衛作曲
1.む∼らの鎮守の か∼み様の∼ 今日∼はめでたい 御(お∼)祭日∼
ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ
あ∼さから聞こえる ふ∼え太鼓∼
2.と∼しも豊年ま∼ん作で∼ む∼らは総出の大∼祭り
ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ
よ∼るまで賑わう み∼やの森∼
3.治(お∼さ)まる御代(み∼よ)に か∼み様の∼
め∼ぐみ仰ぐや む∼ら祭∼
ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ
き∼いても心が い∼さみ立つ
里 の 秋
昭和 16 年 NHK「ラジオ歌謡」
斉藤信夫 作詞・海沼 実 作曲
1.し∼ずか∼な∼ し∼ずかな∼ さ∼との∼ あ∼き∼
お∼背戸∼に 木∼の実の∼ 落∼ちる夜∼は∼
あ∼あ 母∼さ∼ん∼と∼ た∼だふ∼た∼り∼
く∼りの実∼ 煮て∼ま∼す∼ いろ∼り∼ば∼た∼
2.あ∼かる∼い∼ あ∼かるい∼ ほ∼しの∼ そ∼ら∼
な∼きな∼き 夜鴨の∼ わ∼たる夜∼は∼
あ∼あ 父∼さ∼ん∼の∼ あ∼の笑∼顔∼
く∼りの実∼ 食べて∼は∼ 思い∼出す∼
3.さ∼よな∼ら さ∼よなら∼ や∼しの∼し∼ま∼
お∼船に 揺∼られて∼ 帰∼られ∼る∼
あ∼あ 父∼さ∼ん∼よ∼ ご∼無事で∼と∼
今∼夜も∼ 母さんと∼ 祈り∼ま∼す∼
案山子
明治 44 年
武 笠三 作詞
1.山田の∼な∼かの 1 本足の∼案山子
天気の良いのに 蓑笠着けて
あ∼さから ば∼んまでた∼だ立ち通し 歩けな∼いのか山田の案山子
2.山田の∼な∼かの1本足の∼案山子 弓矢で威して 力んでおれど
や∼までは 烏が かあかと笑う 耳がな∼いのか∼ 山田の案山子
(作詞者の故郷は見沼で、見沼氷川公園に「案山子」の記念碑があります)。
28
[案内]
新しい時代の
≪セカンドライフ≫を考える講座
(さいたま市生涯学習支援事業補助講座)
講演:退職前後からの豊かな人生を目指し、自らの「我が創業体験記」を
基に地域社会での「新しい時代のセカンドライフ」について考える。
日時:平成 18 年 9 月 30 日(土)午後 1 時 30 分∼3 時 30 分
場所:シーノ大宮センタービル 9 階生涯学習総合センター学習室 2
(JR大宮駅 西口徒歩約 7 分 大宮ソニックシティビルの西隣)
(地図)http://www.sonic-city.or.jp/access/index.html
参加費:無料、 定員:20 名(定員になり次第締め切り)
講師:増山
勝利氏
増山労務管理事務所・代表
社会保険労務士・労働安全コンサルタント
主催:
「さいたまSLAの会」
(NPO法人 関東SLA協会)
<SLAとは、シニアライフアドバイザーの略>
「さいたまSLAの会」では、シニアの皆様の自助・自立のために様々な情報
提供やイベント企画など見学・体験を交えて実施しています。どなたでも自由
にご参加下さい。
URL⇒http//saitama-sla.at.webry.info/
∇お問い合わせ&お申込は 9 月 23 日までに下記へお願いします。
==========================================================
=======
■ お申込み:落合・T&F/048−874−6279, ochiai-8@tbm.t-com.ne.jp
■
同
:蓜島・T&F/048-684-2408. [email protected]
同
:上村・T&F/048-592-5157 [email protected]
29
新しい時代の
健康で豊かなシニアライフを考える講座
(さいたま市生涯学習支援事業補助講座)
講演:これからの豊かなシニアライフをどう過ごすのか?
「地域社会での生きがい作りと、老いを感じさせない丈夫な身体
作りをする。」ために!!
日時:平成 18 年10月28日(土)午後 1 時 30 分∼3 時 30 分
場所:シーノ大宮センタービル 9 階生涯学習総合センター学習室1
(JR大宮駅 西口徒歩約 7 分 大宮ソニックシティビルの西隣)
(地図)http://www.sonic-city.or.jp/access/index.html
参加費:無料、 定員:20 名(定員になり次第締め切り)
講師:栗原
誠氏
医業経営コンサルタント
シニアライフアドバイザー
主催:
「さいたまSLAの会」
(NPO法人 関東SLA協会)
<SLAとは、シニアライフアドバイザーの略>
「さいたまSLAの会」では、シニアの皆様の自助・自立のために様々な情報
提供やイベント企画など見学・体験を交えて実施しています。どなたでも自由
にご参加下さい。 URL⇒http//saitama-sla.at.webry.info/
∇お問い合わせ&お申込は10月 23 日までに下記へお願いします。
==========================================================
■ お申込み:落合・T&F/048−874−6279, ochiai-8@tbm.t-com.ne.jp
■
■
同
同
:宮副・T&F、048-862-5295、
:田上・T&F/048-878-1799
30
ゲストのページ
人生の「思秋期」にこそ心を燃やそう
∼人生の生きた“証し”ライフキャリアを磨く∼
NPO 法人関東シニアライフアドバイザー協会
理事長 柿 田
登
会社生活を経験したサラリーマンは、在職中に「キャリア開発」などの
コトバを耳にし、
専門職種という「キャリア」を身につけることに挑戦した方もさぞ多い
と思われる。
ところが最近、単なる会社組織の中でのキャリアではなく、組織の外の
人生ステージでの
キャリアも含めた、生涯を通じた「ライフキャリア」の考え方が見直さ
れてきている!
◇◆「ライフキャリア」◆◇
そもそも「キャリア Career」とは、語源をラテン語の curro にもつ car から
の派生語で、車ならぬ動く「ゴンドラ」、
「吊り篭」を意味し、あたかも人生「お
ぎゃー」と生まれて、やがて自我に目覚め、思春期を迎えて社会人となり、結
婚、子供が生まれて、家庭・住居を持ち、定年、そしてシニアの第二の人生を
迎える・・・という、人間の生涯発達のステージに応じて「ゴンドラ」が動く
姿が「キャリア」といえそうである。
いわば、
「キャリア」とは、その人の人生の生きた証しであり、生きた存在の
意味をいうのである。したがって、どんな人の「キャリア」にも意味があり、
また良し悪しもなく、ましてや人の生き方と比較するものでもなく、内的輝き
を放つものなのである。
会社組織内のキャリア(職種)の考えを変え、その個人と切り離せない生涯
キャリア=「ライフキャリア」という考えをもつことによって、人生の午後、
いわば「思秋期」ともいえるシニアの第二の人生の生き方に、自信と自由さと
寛大さ、他人に惑わされない「自分らしさ」の発露を再発見することである。
31
『ライフキャリアの開発とは、本来自分が持っている能力を、主体的に
自己啓発し、充実した豊かな楽しみのある「自分らしい人生」を構築す
るための継続的努力』
(立正大学:宮城まり子教授)といわれ、
「人間の
心は、生涯にわたって死ぬその日まで発達し成長する」(エリクソン)
の前提のもとに、飽くなき自己啓発に心を燃やし、充実した「ライフキ
ャリア」を築くことを誰しもが願っているはずである。
◇◆ジェロントロジーから見て◆◇
私は現在、シニアライフアドバイザーとして活動しているが、そもそも
この資格は、シニアルネサンス財団で取得したもので、その養成講座の
理論は、
「ジェロントロジー」
(老年学)を土台に組み立てられたもので
あった。以後、南カリフォルニア大学にある「ジェロントロジーセンタ
ー」やハワイ大学でのジェロントロジー講習も受講して、ジェロントロ
ジーの学問を知った。それは、これからの高齢社会で全ての人が人間ら
しく生きるために、従来の学問のように特有の専門領域を研究するので
はなく、多くの専門分野を多面的に越えた、学際的、総合的研究領域を
有するものであること、誕生から死に至る加齢現象の比較研究の上で、
人間の健康・経済・生きがい面でのあらゆる分野の学問を統合的に捉え
るものと知った。
実は、
「ライフキャリア」の考え方が、ひとりの人間として、加齢により描か
れる人生ステージでのドラマが、ジェロントロジー的考察に基づくことに気付
いたのだ。
一人の人間として、一生の時系列の中に、生きた証しとして、喜怒哀楽など
生活のあらゆる面を統合したドラマが人生で、それはジェロントロジーの個人
版ともいえそうだ。
しかもそれは、本人が意識しようとしまいと死ぬまでキャリア開発が続けられ
ている…。
32
「自分がどこに行こうとしているのかを知らなかったら、結局どこか他の
ところに行きついてしまうだろう」
(ローレンス ピーター)ということ
にならないためにも、人生は、他人任せのものではない。これからの「思
秋期」の第二の人生は、縦横無尽に自分のやりたいことを自由に描き、
果敢にチャレンジする「自分らしさ」を意識することではなかろうか。
◆◇「育自の楽しみ」∼自律から自立へ∼◇◆
自分らしく生きる! かけがえのない人生をどう生きるか。自分はどう
ありたいか、何が好きか、興味があるか、何ができるのか、何を大切に
したいか、など自問自答し、自分を育てる「育自」の楽しみを持つこと
が大切だと思う。
そのためにはどうするか。まず『自律』し、『自立』することであろう。
自律とは、絶えず自分自身の生き方を考え、自ら行動し、実現しようと
する姿勢や態度を身に付けること、そして自立とは、社会・他人の評価
ではなく、自分らしい価値観・人生観を確立し、それらに基づいた自分
独自の実力で、自己実現を図ること、と考えてよい。
「自立」を支える5つの要素として、①心身の健康 ②精神的自立
③経済的自立 ④生活の自立 ⑤人間関係での愛情ネットワーク
(立正大学 宮城まり子)
は興味深い。この 5 つのエリアで、自分らしさを演出することである。
◆◇「電話相談」に見る人生相談◇◆
関東シニアライフアドバイザー協会では、毎年 2 回、全国の協会と協働し
て電話相談 110 番を実施している。この 9 月 23・24 日には「ひとり暮らし
の不安と悩み 110 番」を実施したが、これまでの傾向として、一番多い相
談は、家族問題で、次が遺言・相続、住まい・・・の順になっている。多
くの相談での答え・アドバイスは、決して同じものはありえないが、究極
的には、シニアや家族の自立の問題と見ることが出来る。
シニアへの人生相談をおこなっているシニアライフアドバイザーは、常に
その底辺にクライアントの自助自立支援、言い換えると「育自」を進める
ことではなかろうか。
ぜひ「ジェロントロジー」にもう一度振返って、その人のライフキャリア
を輝くものにしてほしいものである。
33
◆◇「シニア生活支援援センター」開設へ◇◆
私達は、協会や地域自主活動において、常に「シニア生活総合相談員」
であることを自覚し活動しているが、その活動の目標は、側面からシニ
アの自助自立を全人的に促し、豊かな人生へと道案内する「シニア総合
生活支援」にあると言っても過言ではないであろう。
そこで協会では、「シニア総合生活支援センター」を発足させ、具体的
に「電話相談」や社会的ニーズの高まっている「成年後見制度」の相談
も視野に入れ、他の各種生活支援とともに、ぜひ皆様のご協力を得て成
功させたいと、期待を膨らませている昨今である。
みのり
ホームページ「
“ゼンチャンファーム」より
http://www.iw.vrtc.net/~yoshimura/page021.html
34
<グルメ情報2>
絶品の 「ネギトロ丼」 !!
by 爪川
アンケート調査でもすれば、日本人の好きな食べ物のベスト5には、間違い
なく入ると思われる 「お寿司」 についてです。
築地、銀座と江戸前の寿司、小樽、仙台、新潟・・・伊豆、静岡・・・・関西の寿
司など全国で寿司はいろいろ食べてみました。
いわゆる寿司のジャンルからは、若干(或いは相当)外れるかもしれません
が・・・・・
本当に美味しい、いわゆる 絶品の「ネギトロ丼」が、さいたま市(旧大宮市)に
あります。
店の名は「大寿司」といいます。
◆ ランチは、たしか PM2:00 過ぎまでやっています(以前は土も OK でした)
◆
◆
◆
◆
値段は、800円(美味しい吸い汁つき)です。
ボリュームもタップリ、女性には少し多いかも・・・
営業日、時間(ランチタイム)その他は、確認後、おでかけしてください。
住所は、さいたま市大宮区土手町3−129
℡048−643−5592
です。
★ 場所:中山道を大宮方面から上尾方面に向かって、JA(埼共連ビル)の
先の信号の右側です。小さな店ですので、よく見てください。
電車では、東武線の北大宮駅が最寄駅です(下図参照)
*大寿司はここです
是非一度ご賞味ください。
病みつきになりますよ!!
35
[社会貢献を考える]
私のボランティア
田上幸男
種類も多く、参加する人の年齢・経験も様々なボランティア。
私の経験は僅か三つです。
その一つ目が、精神障害がある家族(主として子息)をもつ方々が社会復帰
に懸命に取り組んでいる組織でのお手伝い。
会合や講演会での受付、パーティー等の会計といった雑務であった。
障害(病気)の問題、家族、援護など複雑なことは、精神衛生の知識もない者
は立ち入りにくいように思われた。
月1回浦和の精神クリニックのデイケアルームの患者(メンバーさんと呼ぶ)
と絵(静物)を描く。20才代の男女10人位、看護師さんも一緒である。
時間は約二時間弱で短いが、作品をみんなで話し合う。批評、批判ではなく、
描いた気持ち、描きたい心をたのしく話しあう。
二つ目。在日外国人に日常会話を教える「出会いの学校」が川口にある。
毎日の生活に役立つよう気安く無料で勉強出来る。彼等は特に「助詞」
(て、に、
を、は)の用法が苦手のようである。お茶の時間があり、中国、韓国、フィリ
ピンほか東南アジアの人達とお互いに歓談し、悩みや相談を聞くこともある。
外人達の会話能力がそれぞれ違うのと、仕事の関係で永続きする人が少ないの
が、(彼等としても)やりにくいことかもしれない。
ボランティアが奉仕であることは云うまでもないが、結局それは自分のため
でもある。そして愉しくなければ永続きしない。
単独でする場合も、グループでする時も、心に負担を感じないようにやってゆ
きたいものである。
[編集者注]
筆者、田上さんのもう一つのボランティアが、さいたまSLAの会であり
ます。
36
あ∼50年間のすれ違い!夫の大事≠妻の大事 男の独りよがり
◆10年以上前のある時期、カウンセラーの勉強をしていました。毎週行われる実習が
ケーススタディです。クライアント役(来談者)カウンセラー役(相談員)
それにオブザーバー役が設定され、何回か練習をします(下図)
−ある相談事例−
40代女性のクライアントが相談したい内容は、
主訴(特に相談したい事)は、「夫が大事な話をしても
話に乗ってこない。夫婦の会話はできているのに、
大事な話は聞いてくれない」とのことでした。
(陰の声:この家庭はどうも奥さんが強そう・・・)
30分程そんなケースの後、3者が各立場でコメントを
言う場面があります。
クライアン
カウンセラ
ト
オブザーバ
・クライアント、カウンセラーのコメントの後、
オブザーバーの感想を述べた。「クライアントは、家庭で中心的な役割をしていること。
家庭の事柄について大体の決定権を持っていること」など・・・。
そうこうしているうちに、疑問が沸々とわいてきた。「大事な事」って、何?
男一般代表の筆者の「(家庭の)大事なこと」=進学・就職・結婚・出産・病気 etc.
女一般代表の方の「大事なこと」は、上記の内容通リである。
ところが、まだあるのです。女一般代表の「大事なこと」は、「今聞いてもらいたい」事。
・ ・・・・アーーそうだったんだ。それが「大事なこと」の重要ポイントなのだ。
(後日談)
その後、自宅や職場で本件の確認をしてみたら、殆どの女性が「そんな感じ」との事。
50数年迂闊であったことを悔いると共に、如何に女性や(他人)の言葉に「耳を傾ける」
習慣が少ないかを痛感しました。
ここで<KATAYOTTA 薀蓄>です。
・他人の言葉に耳を傾け良く聞くこと(ただひたすら聞くこと。途中アドバイスは厳禁)
・できれば、相手に言葉をしっかり返してあげる事(反射といい、話し手は気分が良い)
・期待効果:多分モテル人になれると思います(男と女の DNA は違う事の再認識)
◆ 属性でモノや事柄を語るのは、主義に反することです。DNA などと不得意な化学
の言語を使用するのは、後ろめたい感じがしますが上記は、まさに「男と女の DNA
の違い」です。
*属性とは、一般にあるものに共通に備わっているもの
*DNA とは、地球上全ての生物において遺伝情報を担う
∼巷間では「オバさんのオジさん化」「オジさんのオバさん化」等と囁かれているようです∼
◆心の持ち方で、少しでも潤いのあるシニアライフを送りたいものです。
BY
37
tsumekawa
[案内] さいたまSLAの会
今後の予定イベント
Ⅰ 秋の歴史散策:秋の氷川神社∼県立博物館
日時:11月8日(水)9:00∼
ツアーガイド:蓜島 駿 他
申し込み:落合、蓜島、他
http://saitama-sla.at.webry.info/を参照!
Ⅱ
さいたまSLAの会企画・生涯学習センター共済事業
“少子高齢化社会と介護予防、健康・安心”(仮題)
平成19年早春、5回シリーズ!
1)介護保険制度と本年度改正のポイント
1月27日(土)PM
2)初めての自宅での介護について
2月10日(土)PM
3)介護施設の実際(含む見学)
2月24日(土)PM
4)成年後見制度とは
3月10日(土)PM
5)少子高齢化への取り組み(パネルデスカッション)
3月24日(土)PM
お問い合わせ:
■ 落合・T&F/048−874−6279,ochiai-8@tbm.t-com.ne.jp
■
同
:蓜島・T&F/048-684-2408. [email protected]
■
同
:上村・T&F/048-592-5157 [email protected]
38
脳ドックの意義
近藤康男
脳ドックとは、脳卒中(脳の血管障害)を主な対象として、この予防のため
の検査を言い、
MRI(脳断面像)
MRA(脳動脈像)
頚動脈エコー
などにより検査・診断を行うものである。
頚動脈エコーは頚動脈血管の狭窄・閉塞の有無を調べ、脳梗塞(血管のつま
りによる障害)の早期発見に繋げるものである。最近、以外な盲点をチェック
する重要な検査項目となっている。
脳卒中は認知症をも誘発する。
そして脳ドックは脳腫瘍(いわば脳のガン)やアルツハイマー病の早期発見も
可能である。定期的に検査したいものだ。
検査そのものは、問診票作成を除き、1∼2Hで終わり、結果も3∼4週後
には報告される。費用もコースによるが4∼5万円程度である。
但し、大変混んでいる場合が多く、半年待ちなどもあると言う。
が、年1検査なら、最初は待つだろうが、以降はマメに予約しておくだけであ
る。
尚、急変などの緊急検査となれば(つまり緊急紹介など)、保険が利き(格安
となり)、かつ割り込み可となる(急ぎ検査可能となる)。
とは言え、ケースにより2W位は待つが、これも検査員、つまり医師次第であ
り、人気のある人の場合の待ちである。
医は科学の先端にあるが、相変わらず属人性は高く(つまり医者の力量によ
るところが多い)、そして今後共このことは変わらないように思われる。
人の性の最重要分野の一つなのであろう。
健康と経済は人生の重要なインフラの一角である。これに教養、貢献、甲斐(自
己実現)を加え、5Kと称し、この季刊誌の提唱するところである。
このページはKENKOUを話題とした。
39
ウィーン国立歌劇場
(ANAホームページより)
歌劇場での大舞踏会
(舞台と座席が除かれて開催される)
(オーストリア政府観光局公式サイトより)
40
舞台裏から見たオペラ(2/2)
近藤康男
音楽の幾つかの主要な源流は、一端モーツアルトと言う大河に流れ込み、そ
して再度幾つかに別れていった、とする説は余りにも肩の持ちすぎかも知れな
い、肩の入れすぎかも知れない。
モーツアルトの最後の交響曲は、1788年の第41番K551ジュピター
であり、モーツアルトの絶筆は1791年のレクイエムK626であるが、こ
の直前オペラ“魔笛”K620が“皇帝ティートの慈悲”K621と共に作曲、
初演された。
モーツアルトの序曲は大変勇壮なものが多く、あたかも交響曲の第一楽章のよ
うであるーーー序曲とは、オペラの開幕を告げる最初の曲で器楽曲である。
交響曲は40∼50分程度の曲である。これに対しオペラは3時間位の曲であ
る。この最初の一曲が序曲であり、その後に数十の曲が続くのである。
日本では言葉の問題もあり、モーツアルトを含め器楽が好まれる傾向にあるが、
一方のオペラも聴かないとモーツアルトを知ることにならないのである(と
思う)。
オーケストラの場合、ステージに指揮台・譜面台が置かれ、また木管楽器群
向けの台座が置かれ、さらに金管楽器群向けのもう一段高い台座が置かれる。
ここに弦楽器を含む楽員毎に座席と譜面台・楽譜が用意されれば、もういつで
も開始OKである。照明も、凝ったものはなく極く自然なものだ。着席、指揮
により音楽が始まる。
ロイヤルチェンバーオーケストラ
ところがオペラの場合、以上はオーケストラピットと言われる舞台の前に設置
される楽団用の場所にしか過ぎず、舞台そのものは各種の仕掛け・大道具、背
景・美術、照明などが用意されねばならず、また音楽をより効果的ならしめる
芝居に関するもの、衣装やメーク、小道具などが用意されることとなる。
そして音楽とともにボーカリストの振り、芝居が繰り広げられるのである。
41
上演後のカーテンコールでは、主なソリストが観客の掛け声に応えるが、これ
にほどなく指揮者が加わり、ヤンヤの喝采となる。これに“演出家”が加わる
こともある。
オペラの場合、舞台裏から覗いてみないと、何がどうなっているのか複雑そう
である。
今回、とあるオペラの合唱隊に加わることとなった。舞台裏からオペラが観
れる訳である。これが取材レポート“舞台裏から見たオペラ”である。
さー“舞台裏から見たオペラ”全2幕、その第2幕の始まりだ!
しかし筆者は完走したのだろうか、または途中でリタイアしたのだろうか、、?
1
誰も寝てはならぬ
トリノオリンピックの開幕を告げた、三大テノールの一人であるパバロ
ッティが歌い、また金メダルの荒川静香選手が用いた曲、
“誰も寝てはなら
ぬ”と言う、プッチーニの絶筆オペラ「トゥーランドット」の第3幕でテ
ノールの主人公が歌い上げるアリアがある。
(右側がパバロッティ)
この歌の最高音がH(シ)であるが、この歌を唄いたくて3オクターブ目
の裏声を表声にし、テナーを目指しているアホな冒険野郎が筆者である。
昨年前半、G(ソ)が全く適わなかったが後半から出始め、今はさらにA
(ラ)、Hを目指す(裏声ではC(ド)まで楽に発音可)。
この“誰も寝てはならぬ”を思わず歌うこととなった。正確には節が同
じで歌詞が異なる、第3幕フィナーレの大合唱である。
8月5日(土)
「トゥーランドット」初回練習があり、練習の最後にこのフ
ィナーレが“ラーラー”で唄われた(イタリア語練習はこれからの為)。
もちろん第1テナーにチャレンジしたことは言うまでもない。
来年1月27・28日の本番では、Hをバッチリ出そう!(出るか?)
エッ!来年?鬼が笑う前に今年を話さなくてはっ!
42
2
NPOフォーラム
それは今年3月4日のNPOフォーラムで始まった。
展示場の片隅に、8月からの「トゥーランドット」合唱団の募集のチラシ
が置かれていたのである。
さっそく加われるのか問い合わせたところ、OK、その前に1本あるから
3月26日に来られよ、とのことであった。
そして26日はオペラ「かぐや姫」の初顔合わせの日であった。
3
オペラ「かぐや姫」への参加
最初は音楽練習であり全く違和感はなかった。
ところが5月21日より演出家による“稽古”が始まった。何?
入退場、振り、役が与えられ、このような中で合唱の場面がある、と言う
訳である。しかも徐々に判明してきたのであるが、本番は時代物の衣装を
つけ、メークまでし、さらに“メガネ禁止”とのこと。えーっ!
と言うのは、一部の人のみ。 これが本当の エーッ!
ついて行けない!!降りるしかない??観念か(ここ迄が前号の内容)
結局のところ“興味”が勝ち、何とかついて行ったのであるが、他のメ
ガネの男性も本番時は“メガネなし”でやる、と言うことであった。
①暗譜が振りで真白に!
色々な所作は暗譜なくては難度が高いものである(または馴れなくては)。
何とか暗譜したつもりが、振りをしようとすると、飛んでなくなってしまう
(頭の中が真白になってしまう)。
ソリストと違い大した“振り”でもないのにーーーオペラを見ると主役や
その脇役らは演じていることが分かる。チャンバラ、乱闘、転倒、死亡、
また抱擁やら涙やらである。彼らは歌手であるが、役者でもあるのだ(と、
改めて認識)。稽古はどうしても緊張してしまう。
②隣でソプラノがキャーキャーと!
ソプラノS、テノールT、アルトA、バスBらは、S・Tが4グループ
に、A・Bが4グループに分けられ舞台に配置された。
これで歌うのである。主旋律を歌う隣のソプラノに思わず釣られそうになっ
たり、曲や狭い練習場によっては私の前に配置されたソプラノ嬢らから「う
るさいからボリュームを絞って」と言われたりして、トホホである。
43
③恥ずかしの!メーク練習
この間、衣装合わせ、メーク指導などが行われた。
メークはナチュラルメーク。要は照明に顔が光らないようにすること、と
のこと。さらに眉毛も書く。
兵士役も命じられたので、第2幕への幕間で一層眉毛を濃く書くこととな
った。
こういう中、ソリストと合唱隊の一部がキャンベラに赴き公演が行われた
(6月16日)。
キャンベラ公演は、ステージに豪州の合唱隊が席についたものの、日本から
のソリストと合唱隊の一部が豪州のソリストらと共にステージの前の部分
で、オペラ形式で演奏が進められた、とのことであった(指揮は台本・作曲
でもある平井秀明氏)。
日本の居残り組は、しばし“鬼の居ぬ間の洗濯”であった。
(在オーストラリア日本国大使館HPより)
4
舞台裏からみたオペラ
4.1
①
大ホールでの通し稽古(7月2日∼)
本番間近かの7月2日(日)より、稽古が大ホールに変わった。それまで
の練習場とは異なり明らかに広く、指揮者からも他の歌い手からも、また待
機点と出番点からも、距離が遠くなった。この時点ではまだ台座や大道具は
ない平地での稽古である。
この場でソリストとの通し稽古が行われた。
波乱が出る。入場タイミングが分からない、入場が遅れる、合唱が乱れる(遅
れがちとなる、パートで合わないなど)である。メガネなしで(指揮者がボ
ヤッと見える程度で)合うのだろうか?
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②
大ホールでの稽古は6日(木)の衣装を着けた、本番に近い台座での通し
稽古。
さらには7日(金)のオケ合わせ後も稽古が行われた。
指揮者の後ろに白布が釣られ見易くなる。
足元が暗い出入り階段、暗い中での登場などが行われ、またカーテンコールの
練習も行われた。
(新国立劇場、(株)テクニカルアート撮影、本番会場ではありません)
4.2
感激のオケ合わせ(7月7日)
7日、オーケストラ東フィル43人との合奏練習が小ホールで初めて行わ
れた。オーケストラはピットでの配置と同じであり、(客席から見て左翼の)
バイオリンの列の後ろに木管楽器、中央にチェロ・ベース、右翼のビオラ列
の後ろに金管楽器・打楽器と言う、横に細長いものである。
43人では“少ない”と思っていたが、演奏されると迫力があり、金管楽器や
打楽器には圧倒された。こちらも負けじと、思わず力が入る。
ピアノ伴奏と異なり曲想がより分かりやすくなる。
オーケストラとの合奏練習は純粋な音楽練習でもあり、実に楽しく、感動的で
あった。本番はど派手の音響になるだろう。
オーケストラの連中とは3日間の短い付き合いであったが“オツカレサーン”
などと挨拶を交わし、またアイコンタクトをしたりし、互いに興味を持った
ようである。
ピアノは最も優れた楽器であるがオーケストラは最も優れた伴奏者である。
45
4.3
①
本番(7月9日)
8日はゲネプロが行われたが、小中高の学生を対象に公開もされた。
いよいよメークも行い14:00からの本番を待つ。30分前にウオームア
ップ(発声練習)が行われたが、それ以外は待機である。
ゲネプロ後、“だめ出し”が行われた。反省点のやり直しである。
尚、この日の内容は18:45∼のNHK首都圏ニュースで1分間であるが
報道された。
②
9日、本番日。
客はかなり入っている。
曲が終わる度に拍手が出る。それどころか“ブラボー”などの声援もある(サ
クラかどうかは?)。
そしてアッと言う間に公演が終わる(人気ミュージカルなら、これからがロ
ングランなのであろう)。
あとは打ち上げである。ソリストやスタッフの人たちとの会話が弾んだ。
こうして初めての体験が終わった。
(新国立劇場、(株)テクニカルアート撮影)
5
オペラの表側と裏方達
5.1
オペラの表側
ここで言う表側とは客席から見える、主に出演者を指す。
指揮者、オーケストラ、ボーカリスト(ソリスト11人、コーラス44人、
親子コーラス26人)である。
46
序曲が終わると幕(緞帳)が開き、場面転換では明かりが消える(暗天とな
る)。
終焉後のカーテンコールで、これ以外の者の一部、演出家などが現れる。
しかし舞台裏や袖などに実は多くの人がいるのである。
演出直井氏
指揮平井氏
(カーテンコール、在オーストラリア日本国大使館HP)
5.2
裏方達
(1)音楽関係
音楽関係からするのが話し易いのでこれを最初に紹介する。
音楽関係とは合唱指導者、副指揮者、コレペティトールなどである。
合唱指導者(合唱指揮者)は、字の通りである。
副指揮者は謂わば助監督であり通し練習の指揮のほか何でも行う者である。
今回は本番のある場面で、指揮者を画面で見つつ、舞台裏で篠笛の指揮を
行ったりした。
コレペティトールとは練習・稽古時におけるピアノ伴奏が主な担当である
が、指揮を兼ねたり、発音指導などを行う者である(イタリア語など)。
(2)演出関係
演出家と、その助手である。
オペラはあくまでも音楽がメインであるが、その効果を最大限高めるため
振り・芝居が入る。そして舞台がある。
今回の場合立ち初日(5月21日)からは、それまでの合唱指導者のもと
での練習とは異なり、演出家指導のもと“稽古”が始まり、そのなかで歌
が唄われるものとなった。大ホール稽古からは客の目線上、客席からマイ
クでの指示・稽古となった。
47
(3)舞台関係
舞台関係は上記メンバー以外のほとんどの者であり、美術、大道具、小
道具、衣装、メイク、所作指導、音響、字幕、放送、そして舞台監督など
である。
舞台監督とは、実際組み立てられた舞台上を取り仕切る裏方の代表である。
所作指導とはソリストや合唱隊の所作を指導するのであるが、例えば“天
女”は頭の位置を上下することなく、すり足で歩くこと、などの指導が行
われたりした。
音響とは、舞台上などにオーケストラなどの音響をマイクを通じ流すこと
であり、今回は舞台袖に次の出演者向けに舞台中央のマイクからの音が流
されたが、大きな舞台では距離によるズレを避けるため遠くのボーカリス
トにオーケストラの音を同時に聞かせるため使われたりする。
ヴェローナ野外の大劇場
((株)ワールドエアサービスHPより)
字幕は、今回の場合、筋を分かりやすくするため場面説明に用いられたが、
多くは和訳に使われるものである。オペラの進行に従い流すものであり、曲
に精通するものが操作する。
放送とは舞台袖や控え室に、客席から見た舞台を放映することであり、客席
最後部のモニター室から撮影・伝送される。
このように舞台袖・裏などに多くの裏方が居、オペラは上演されるのである。
48
(4)制作関係等
上記以外にはプロデューサー、協力団体、スポンサーなどの制作関係者
が存在する。
ハリウッドでは監督(ディレクター)が作品の出来・不出来を左右するが、
それ以前に名作には必ず名プロデューサーがいたものである。
映画同様、オペラも興行側であるプロデューサーは余り名前が出ないもの
であるが、音楽監督・芸術監督に相当する重要な役割を持つ。この人材の
育成が時代の要請となっている。
[参考文献]
オペラかぐや姫PROGRAM:(財)和光市文化振興公社刊
(新国立劇場、音響室、(株)テクニカルアート撮影)
[終演]
49
[コラム] 荒川静香選手の金メダル曲
「トゥーランドット」(作曲:プッチーニ)のストーリー
主人公:トゥーランドット姫;
北京と言うより、中東に近いと思われる中国のさる王国の王姫。
絶世の美女ながら、惨殺された祖先の霊が乗る氷の心の姫。
王子(カラフ);ダッタンの王子。
ティムール;国を追われた、王子の父親である王。
リュウ;ティムールの待女。カラフを慕う。
第1幕(35分)
求婚者が次々に処刑される王国に、別々にたどり着いたカラフらは、
ペルシャの王子の処刑を目撃しつつリュウと王子の再会が歌われる。
が、同時に王子はトゥーランドットの美しさに心を奪われる。
第2幕1場(14分)
いつもの儀式(王妃の謎掛けと答えられぬ求婚者の処刑)を前にし
た官僚(ピン、ポン、パン)のコミカルな準備と、流血ではなく平
安を望む官僚達の、美しい故郷への想いが歌われる。
第2幕2場(34分)
いよいよ登場のトゥーランドット姫の、劇的なモチーフが姫と王子
により歌われる(この重要なモチーフは3幕でちょいとだけ現れる)。
山場は、緊張の、姫の3つの謎掛けと王子の回答である。
敗れた姫は嘆くが、王子は逆に謎を掛ける、自分の名前を当てろ!
この間、有名なアリアが器楽で提示される。
第3幕1場(39分)
有名なアリア“誰も寝てはならぬ”が王子により堂々と歌われる。
名前を知るリュウが王子を庇い、名前を洩らさず絶命する。
愛の強さを知った姫はカラフ(王子)の接吻に心を溶かす。
第3幕2場(フィナーレ、5分)
トゥーランドットとカラフは結ばれ、明るさの戻った人民は“万歳”
と大合唱で結ぶ(詞は異なり合唱であるが、3回目の有名なアリ
アが高らかに歌われる)。
(第3幕1場のリュウの絶命のアリアでプッチーニは絶筆する。
以降は友人により完成する。劇的で優れると思うが、個人的には「2幕2場
のトゥーランドットの劇的なモチーフ」が3幕で、より用いられる(再現さ
れる)と良いと思う。人それぞれだろうが、、、。)
50
作YK
[編集後記]
たそがれの夏、朝晩忍び寄る初秋の冷気、虫の声。これらは比較的早々と
来訪の挨拶をとげ、深まりゆく末を示唆した。
そうだ、今年の秋は長いのだ。
幾分か冷える早朝、さしこむ温かみのある日ざし、抜けるような空、暮れ
行く夕刻と灯る窓辺。そこの間支度の音と語らいが響く。
月星の下の色づいた木々の紅葉が揺れ、落葉の散る音が囁く。満天の下の、
コンサートや演劇の催される森の劇場での雑踏、感激と興奮の表情と仕草。
乾杯!と、あたかも永遠に続くような宴。円の中央での即興の演奏や歌唄。
楽しむがよい。一刻を惜しむがよい。実りの葡萄と房と果実の香に咽ぶがよ
い。帰りをチドリで歩めばよい。つれあいが、またーっ!と声荒げるものの
手にさげたワインはその口にそそがれるのだ。
秋の深夜よ、人生よ!実りよ!
永遠とは何時か?人生・存在は何故か?今とは何か?
と、秋号を発行しました。
クリスマスコンサートのチケットが販売される頃となりましたが、次号は
このクリスマスや炬燵の新年号です。
そして次々号はまだまだ寒い中での春を想い、唄う原稿作成となりましょう。
皆さん!
是非原稿をお寄せ下さい。
また、他薦、自薦での作者を募集しています。
書くこと、それは自分発見でもあります。 開花が遅い、と言うことはあり
ません。才能は開発するもの、だと思います。
H18.9 編集 近藤康男
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「シニアの季節:さいたま」読後アンケート
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2
興味のある分野はどのような分野でしょうか(いくつでも)。
3
今後、どのような内容のものを望みますか(いくつでも)。
4
その他ご意見があればお書き下さい。
(このページを、メール、FAX、郵送などで送付者に返信下さい。)
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