Comments
Description
Transcript
Ⅳ 座談会 ∼復興への道のり
Ⅳ 座談会 ∼復興への道のり∼ 平成22年 3 月18日 農家民宿・百姓や三太夫(長岡市山古志虫亀)にて開催 参加者 長島久子 長岡市山古志虫亀(農家民宿・百姓や三太夫女将) 片岡朋子 小千谷市小栗山(魚沼棚田倶楽部) 阿部恒雄 川口町武道窪(グループファーム武道窪代表) 廣田嘉夫 長岡市(旧栃尾市)松尾(農業) 宮里圭一 新潟県農地部農地建設課長(コーディネーター役) 阿部 恒雄さん 囲炉裏を囲んで 廣田嘉夫さん 被災地で復興に向けて活動を続けている方々に、中越大震災からの 5 年を振り返り、これまでの取組 −3年目から米作りを再開、共同での復興が始まった− の成果や課題、そして、これからのことについて語っていただきました。 宮里 これまで活動してきた中で感じたこと、問題点、良かったことなどをもう少し詳しく教えてくださ い。 長島 3 年間で帰ることができました。それで30%だけの人口減少で済んだのかもしれません。これが 4 宮里 はじめに自己紹介と地震の時の状況についてお聞きしたいと思います。 ∼ 5 年となると、帰れない人がもっと多かったかもしれません。山古志は集落を重んじる気持ちが 長島 私は地震の前から民宿をやっていました。ここに帰ってきて丸 2 年。仮設にいるときに普及セン 強く、集落ごとにまとまっていればいいと考えてしまう。次は「山古志」としてのまとまりを考え ター、市などといっしょに「山古志畑の学校」をはじめました。この集落には養鯉池や田んぼばか りで、帰っても畑がありません。最終的には復旧した田んぼや養鯉池を自分で畑に変えました。 る人が増えてほしいです。 片岡 震災から 3 年目に米作りができ、それを「復興米」として売ることにしました。 1 kg千円にしたら、 20袋のうち半分以上売れ、とても驚かれました。最初は良かったのですが、現状はそんなにたくさ ん売れていません。地道に活動して、これからも続けていきたいと思います。 阿部 復旧はお金をかければできますが、復興は人が集まらなければできません。それをいかにやってい くかを考えていかないと、せっかく復旧したものも無駄になってしまうのです。 廣田 平成20年度に復旧はほぼ終わり、中山間直接支払いで、トラクター 1 台と畔塗機を買いました。平 成21年の春から使い始め、今のところ好評ですが、今後の維持管理が大変です。 また、地震で来伝川の上流から水をあげているところが、測量も出来ないくらいだめになりました。 手前の沢から頭首工を作って水をあげることにしたのですが、今後も水不足が心配です。 −これからは自立、そして長いスパンで時間をかけて− 長島 久子さん 宮里農地建設課長 片岡 朋子さん 宮里 それぞれいろんなやり方で、共同の取り組みをされていますが、これからの夢、こんなふうになっ てくれるといいなぁというところを聞かせてください。 片岡 毎日田んぼや畑にいたおじいちゃん、おばあちゃんが全くいなくなった風景を見て愕然としまし 長島 私は直売所を一つにしたいという思いがありますが、今の段階では無理があるので、 1 箇所だけで た。(地震後)農村の現状を初めて聞かされ、あまりにも大きな課題があることを知ったのですが、 も、そう言う場所を作っていきたいと考えています。それがだんだん広がっていったらいいです 逆に魅力を感じ、すごい価値を見いだすことができました。何か集落の中と外をつなげる活動が出 ね。あとは、これからは自立ということを考えていかねばなりません。 来ないかということで今の活動を始めました。 阿部 私は川口町の役場に勤めており、住んでいるのは震央にいちばん近い武道窪。作業小屋などほとん 片岡 震災を契機としていろんなところで動きが出てきていることや、今でもボランティアの方々が力に なってくれていることは財産だと思います。それを長いスパンで時間をかけて続けて行けたらいい どが壊れてしまい、何とかしなければということで集落営農を始めることにしたのですが、みな家 と思います。この 3 年間がんばってきて、ちょっと疲れたねという話をしています。でも「疲れた」 が壊れてしまって農業をやるどころではなく、とても言い出しづらかったのです。今は基金事業等 で終わらせたくないのです。無理もできないけど、長い目で見ようと思っています。 で順調にいっていますが、これから先どうしたらいいか考えていかねばなりません。 廣田 松尾(集落)は私が子供の頃は38戸ありました。地震の前は19戸で、今は15戸。長岡駅から約30分で すが、典型的な限界集落です。平成17、18年と復旧工事を行い、19年度から作付けを再開しました。 地震後の事業は平成20年でだいたい終わりましたが、結局 4 戸減りました。 阿部 私は会社という形で農業をやっていますが、そのきっかけは、子どもたちに農業を見直してもらい たいという思いがあったからです。後継者を養うために、子どもたちが来たくなるような作業環境 作りをしていきたいです。 宮里 これからは長い目で、長いスパンでじっくり取り組んで行かなくてはならないと思いました。