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英和辞典の未来学 国広哲弥 従来、語学的に徹するのが辞書の理想と
英和辞典の未来学 国広哲弥 従来、語学的に徹するのが辞書の理想とされてきたが、これからはそれとはまったく逆の方 向に行くべきだと思う。 1 サイズ 辞書の編集にたずさわったことのある人ならだれでも痛感しているに違いないことの一 つとして、スペースの制約ということがある。最近は新語の増え方がはげしいようだし、辞 書学やその基になる意味論も発達してきて、収容したい内容は増える一方である。しかし無 制限に大きい辞書を作るわけにもいかず、利用する側から言うと、片手で持てるくらいの大 きさを超えると、利用するのがおっくうになる。 多少とも理想に近づけようとすると、学習辞典のレベルでさえ一冊物では済まなくなるだ ろうし、一般向けの大辞典になると十巻ぐらいにしないと間に合わないのではなかろうか。 そしてそういう真の大辞書を作ることも考えられてよい。『オックスフォード大辞典』のよ うな歴史辞典ではスペースがいくらあっても足りないが、私が今語っているのは現代語だけ に限った場合のことである。何にそんなにスペースがいるかということは追々に述べていく。 従来の辞典はスペースの制約を、記述の仕方を圧縮することによって切り抜けようとして きた。しかしそれにも限界があり、度が過ぎると使いにくくなる。利用者は表記上の細かな 約束を憶えなければならない。いつの頃からか、用例中に現れる見出し語を「~」で代用す ることが考えられた。これは確かにスペースの節約になるが、一方では利用者の心理的負担 を増す。現行の英英辞典では『コンサイス・オックスフォード辞典』(第7版)や『ウエブ スター大辞典』(第3版)で使われているが、 『ランダムハウス大辞典』では使われていない。 最も小さい『ポケット・オックスフォード辞典』の場合、第5版(1969)では使われて いるが、第6版(1978)からは使われなくなった。 『コンサイス・オックスフォード辞典』 もいま準備中の第8版では使用をやめるということである。だいたい同じ規模の英和辞典で は、 『研究社英和大辞典』では使われているが、 『小学館ランダムハウス大英和辞典』では使 われていない。見出し語をフルに綴るのにはそれなりのメリットがあるので、この問題は十 分に考慮に値することである。 スペースの問題を抜本的に解決するために、これからの大英和辞典は印刷する代わりに CD-ROM を用いたコンピュータ辞典形式を考えるべきであろう。現在の技術の発展ぶりを みていると、これは近い将来に十分実現可能と思われる。 2 編集法 従来の英和辞典はその材料の多くの部分を英英辞典に仰いでいた。現行の英和辞典を取り 上げて綿密に調べていくと、たいていその原典を突き止めることができる。もちろん日本側 1 の編者やインフォーマントによって補われる部分も少なくない。この自前で加えられた部分 によってその英和辞典の独自性が決まっていくことになる。これからの英和辞典ではこの独 自の取材を大幅に増やさなければいけないと思う。理想を言うならば、用例のすべてを自前 で集めることである。本国人の立場と外国人の立場はどうしても異なるから、英英辞典には ないけれどもわれわれが必要とする情報は相当な量に上るはずで、それはわれわれの手で集 める以外に手はない。一般的な語の場合、一つの見出し語に対してたくさんの訳語が与えら れるが、理想を言うと、一つの訳語に対して少なくとも一つの用例を付けるべきである。た だ訳語を羅列するだけでは、どういうときにどの訳語が当てはまるか分からないからでる。 一般的には語は多かれ少なかれ多義である。辞書編集の一つのポイントは、この多義の配 列の仕方にある。そして現行では多くの場合無原則に近い状態である。これは英和辞典ばか りではなく国語辞典についても言える。さらにまた英英辞典にも言える。もっと言うならば、 原則を提供すべき意味論においてもこの問題の研究は発達途上にある。英英辞典でもひどい 場合には、どこに違いがあるかわからないような語義が並べてあることがある。そういう場 合には、執筆者において語義に対する文脈の影響という現象がよく理解されていないのだと 思われる。言語そのものの知識についてわれわれは本国人に脱帽するが、辞書編纂法まです べての点で彼らが優っていると思い込んではならない。 多義語に含まれる多義の全体は何らかの意味で意味的に繋がりがあるはずである。意味の 似ている語義同士をまとめていくと、全体が枝分かれ図のように整理される。ところが現行 の多くの辞書は使用頻度順に語義を配列する方法をとっているので、多義語の構造はぶちこ わしになってしまう。その点には一応目をつぶるとして、われわれが考えるべきことは、元 の多義構造に基づいて基本義を定めることである。多義語によっては中間の枝分かれ部分ま でしか意味がまとまらないこともある。ともかく、無理をしない程度に多義をまとめること が、意味理解の上で有効であると思われる。たとえば、critical という形容詞の訳語は「批 判的な」と「危機的な」の二つの群に分けられ、それぞれに対応する名詞形も criticism と crisis に分化している。いま後者について見ると、ほかの訳語として「重大な、決定的な、 危篤の、臨界の」などがある。この訳語だけ見ると全体にどのような意味的繋がりがあるの かはっきりしない。また「重大な」というけれど、important とどう違うのかもはっきりし ない。そこで英英辞典(特に『ポケット・オックスフォード辞典』第6版)などを参照にしな がら意味分析を加えてみると、「二つのまったく違った状態の境界線上にある」という基本 義が取り出される。その意味で「重大な」のであり、どちらになるかを「決定する」のであ る。病気や負傷の場合、死ぬか生きるかの境界線上にあることを「危篤な」と言うのであり、 ガラスや水面に当たる光線が反射するか否かが決まる入射角を物理学で critical angle「臨 界角」と言うのである。Chambers Universal Learners’ Dictionary に次の例がある。 Help arrived at the critical moment. これは、その瞬間を過ぎたら助けが間に合わなくなる「危機一髪という」境界時点に助けが 到着したということである。 The amount of sugar in the recipe is critical. これは砂糖の量がその料理のうまいまずいの「決め手」であるということで、このような文 2 脈に即した訳語も基本義を心得ていると出やすいだろう。 3 独自の取材 先に、日本人の立場からの取材を大いにとりいれるべきであると述べたが、これは二つの 意味が含まれている。一つはすでに触れた、本国人には自明だけれども外国人として分かり にくいことを補足することで、もう一つは,本国人であるがゆえに気づきにくいことを外国 人として観察することである。どの英和辞典にもこの種の記述は含まれていると思うが、他 の辞書のことはよく分からないので、私が編集に加わった『小学館プログレッシブ英和中辞 典』で私が加えた部分から思い出すままに少し実例を示してみたい。中には初版初刷り以後 に加えたものもあるので、興味のある読者は第二版を参照して頂きたい。取材はすべてアメ リカ英語に関するものである。 (1)‘Thank you’ に対する応答としては普通‘You are welcome.’ ‘Not at all.’が用いら れるが、アメリカの庶民階級の人びとは‘Sure. / You bet. /Of course.’もよく用いる。 『プロ グレッシブ』では sure の副詞用法の 4 に「《話》 《Thank you に対する応答》どういたしま して」と書いた。これに対して編者の方が「▼男性が用いる」と書き加えて下さった。確か に私の観察範囲では男性ばかりだった。次に bet のイデイオムの一つ、‘You bet.’ の(2) としても「どういたしまして」と書いている。ところがこの用法についてもっと詳しく入り たいと思ってアメリカ人社会言語学者 H 氏に尋ねてみたところ、このような表現は全然聞 いたことがないという。私は H 氏と同じテキサスの町に住んでいて、ガソリンスタンドの 従業員の口からよく聞いているのである。 (2)here 電話を受けるときの応答に用いる‘Brown here’「こちらブラウンです」と いう用法がある。 『プログレッシブ』では here の5に記載しておいた。以前に月刊誌『言語』 に連載していた「マンガの言語学」で扱った漫画のせりふにも‘Daffy here.’というのがあ った。使用者は男性の課長のような地位にある人物である。使用者に限定があるようなので、 これも H 氏に聞いてみたが、よく分からないと言い、周囲の人に聞いてみたが、みんなも 聞いたことが無いと言うそうである。実はこの用法は H 氏自身がオフィスにかかってくる 電話に出るときいつも使っているのである。 (3)sheet 「敷布、シーツ」を指す場合について、『プログレッシブ』では「ベッドで は体の上下に二枚対にして用いる。上下別になっているものは、上側を flat sheet,下側を fitting sheet と言う、シングルベッド用は twin size,ダブルベッド用は full size」と注記し ている。最近日本でもこういう知識は広まっているかもしれないが、私が18年前にアメリ カでシーツを買おうとしたとき、下側ばかり2枚買ってしまったというにがい経験に基づい ているのである。 4 用例 辞書の生命は、語義記述と並んで、質の良い用例を提供することにある。英英辞典の用例 3 は、量が少なくて、とても頼りにならない。それに、そのまま借りてくるのは、気が引ける。 どうしてもわれわれの手で集めざるを得ない。質の良い用例が備えるべき条件は何か。まず 第一に、語義説明の繰り返しのような用例は避けるべきである。意味理解を深めるとか、他 の語との結びつきを教えてくれるとか、文面の一面を反映しているとか、何らかのプラスの 面がなければならない。日常生活でよく用いられる表現もできるだけ入れたいが、これは卑 近なだけに、英英辞典ではほとんど扱われていない。しかしこの種の取材は言うは易く、実 行は思うようにいかない。能力のある取材者が長い時間かけなければならない。『プログレ ッシブ』に入れることができたものに次のものがある。 (1) do ‘What do I do?’ 滞米中にある学生から問われるまで、恥ずかしながらこの表 現の存在に気づいていなかった。これは、‘What shall I do?’という直接に相手の意 向を尋ねるのとは異なり、客観的に、半ば自問してるかのように、「こういう状況の ときはどうすればいいのだろうか」と言っているのであり、途方に暮れたというとこ ろである。 『プログレッシブ』では do の他動詞用法の1の用例として挙げた。ついで ながらそのすぐ次の例‘What can I do for you’ につけた「⦅医者が患者に⦆どう しました」というのも、私の実体験に基づくものである。その後注意してみると、小 説の中に‘What do I do?’ 型の表現はよく出てくる。 (2) bite には名詞として「軽い食事」と言う意味がある。これを目的とする動詞にどの ようなものが用いられるだろうか。滞在中ある大学教授の運転する車で長距離ドライ ブをしていたとき、「ここらで昼食にしましょうか」という意味で‘Shall we grab a bite?'と聞かれた。『プログレッシブ』の原稿に‘have (or get)a bite’とあったところ に grab を滑り込ませたのであるが、軽食はサンドイッチやハンバーガーが普通であ るから grab「つかむ」とはまことにふさわしい表現である。1986 年に出た『英語連 語活用辞典』 (共編者の頭文字をとって BBI と略称される)を見ると、 ‘to grab, have a bite’となっていて、grab が最もよく用いられる動詞であることが分かる。 (3) test の自動詞のところに「‘Testing, testing, ABC.’ (マイクのテストで)ただ今マイ クの試験中。本日は晴天なり」という用例を入れておいた。サンフランシスコである 歌手のステージを見に行ったとき、マイクの準備係りがこのように言っていたので採 用したが、どの程度一般的なものであるかは不明である。 スペースが十分にある場合に加えたい用例として、多かれ少なかれ固定した表現(cool, calm, and collected など)、ことわざ、聖書、シェイクスピアなどの引用句などがある。小説や、 「タイム」誌など少し程度の高い文章にはこれらの表現を下敷きにした表現、つまりアルー ジョンがよく用いられるからである。たとえば『タイム』(stept,28,87)の経済欄のトップ 見出しは‘Blood, Sweat, And Fear’となっているが、これはチャーチルの演説に由来する ‘blood, sweat and tears’をもじったものである。この原典はペンギンの引用句辞典などに あるが、英和辞典にはどこにも採用されていないようである。『マザーグース』にもよく言 及されるので、全部吸収しておくとよい。 もし英語の漫画も十分に味わえるようにしておくことになると、芸能人やスポーツ選手も 含めて、有名人の名前も入れておかなければならなくなる。前記「マンガの言語学」で扱っ 4 たものの中には、J.C. Penny(雑貨を扱うチェーストアの創始者)とか、Lena Horn(黒人 女性歌手)の名前を知っていないと意味の分からないものがあった。このような知識は百科 事典にまかせるべきであるという意見もあろうが、理論的に言ってもディクショナリーとエ ンサイクロペディアは連続しているのであって、こういう考え方は私のみならずだんだんと 多くの学者がするようになっている。従来、語学的に徹するのが辞書の理想とされてきたが、 それとはまったく逆の方向に行くべきだと思う。これからの英和辞典では、もし可能ならば、 日本人に馴染みの薄い動植物や物を指す名詞の項では、すべてカラー写真を添えるべきであ り、その物の文化的な意味合いも十分に解説されなければならない。 Oxford Illustrated Dictionary およびその日本語翻訳版(福武書店)はその方向への注目すべき第一歩である。 逆に現行の大英和辞典にはもっと簡単にしてもいいのではないかという面もある。使用者は 英語の専門の研究者ではないのであるから、語源はうんと簡略化して、面白いお話のあるも のに限りたい。また発音は、世界各地の発音を調べれば調べるほど多用化していることが分 かってきて、われわれが外国人として純粋の標準音に固執することにはあまり意味がなくな ってきたように思えるのである。(初出:『知識』1988 年 5 月号) 5