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資料2 - 和歌山県ホームページ

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資料2 - 和歌山県ホームページ
平 成 20年
3月 198
監察 査 察 室
木 村 良樹 前 知事 の談 合 ・収 賄 被告 事 件 の概 要 並 び に県 職 員 の関与 状 況
及 び 処分 内 容 につ いて
前和 歌 山県知 事の木村 良樹 (以 下、 「木村前 知事」 とい う。)ら が関与 した県 発注 工事の
談含 事 件 と県 との かか わ り及 び木 村前知 事 の 収賄被告 事件 で賄賂 と認定され た現 金 100
0万 円並び に秘書 課で 資金管理 していた親睦会の 「樹 の 国会 (きの く にか い)」、「翔欄 会 (し
(に いちか い)」 の設立経 緯 か ら資金使途及 び県職 員 の 関与状 況
ょう しゅか い )」、 「21会
を調査 して処分内容 を検討 した結果は下3aのとおりである。
記
和 歌 山県 に お ける談 合 の構 図
1
① 木村前知事は、平成 12年 9月 に実施された和欧山県知事選挙に立候補して初当
選 した が 、和 歌 山県 で は 、木 村前 知事 が就 任 す る以 前 か ら、県 発 注 の 建 設 工 事 の 入
札 につ いて 、 知 事 公 室 を中 心 とす る知 事 の側 近 の者 が、 知 事 の 指 示 を受 け、 土 本 部
の技 監 ら と連携 して 、県 内 の 有 力業 者 の受 注 調 整 をす る な ど し、談 含が 行わ れ て い
た。
県 が 発 注調 整 をす る 工 事 は、 大手 ゼネ コ ンが 参 』D する大 規模 な 工 事 で 、 知 事 の 命
を受 けた 県 幹 部職 員 は、土木業 界 の取 りま とめ 役 で あ つた 大林 組 の 日沖九 功 に対 し、
県 内 の 有 力業 者 を指 名 して 推薦 して い た。
県 庁 の役 割 は、 県 内の 有 力業 者 を順 次落 札 者 とす る こ とに よ り、 業 界 内 の秩 序維
持 をす る お 日付 役で あ る とと も に、 業 界 によ る公 共 工 事 の 品 質維 持 の 努 力 が 円 滑 に
行わ れ て い るか ど うか の 監視 役 で も あ つた が 、 特別 の事情 が あ る場 合 に は、 知 事 の
意 向 を受 けて 、 特 定 の業 者 を特 定 の工 事 の受 注業 者 に推 す旨 の 意 向 を示 す ( い わ ゆ
る 「天 の 声 」 を出 す 。) な と して談 含 に関与 して いた。
②
木 村前 知 事 は、和 歌 山県 知 事 に就 任 後、 大 阪 府 総 務 部長 時代 か らの 知 り合 い で あ
った 会 社 役 員 の 丼 山義 ― らか ら話 を聞 くな ど して 、和 歌 山県 に おけ る談 合 の実 態 を
知 り、 これ まで の知 事 と同様 に知 事 の側 近 の 者 を窓 口 と して 、 建設 業 界 の受 注 調 整
( 談含 ) に 関与 し、 公 共 工 事 の受 注 を餌 に建 設業 界 の 支 持 を取 り付 け る 必要 が あ る
と考 え た。
そ こで 、 木 村 前知 事 は、 先 の知 事 選挙 の際 に種 々 の支 援 を して くれ た 丼 山 を和 欧
山県 発 注 の 建 設 工 事 の受 注調 整 に関 与 させ る こ とに よ り、 同 人 が選 挙 基 盤 の確 立 に
資 す る よ う、建 設業 者 を コ ン トロ ー ル して くれ る も の と者 え 、 大手 ゼネ コ ンと県 内
業 者が 共同 企 業 体 ( 」 V ) を 組 ん で受 注 す る大 規模 な 公 共 工 事 の受 注調 整 につ いて
は、 丼 山の 意 向 を汲 んで 対応 す る便宣 を図 る こ とと し、 県側 の窓 口と して 、 これ ま
で 公 共 工 事 の発 注業 務 に携 わ つて きた 水 谷聡 明 を審 議 監 に任 命 し、 同 人 に対 し、 丼
山の 意 見 を聞 きな が ら和 歌 山県 発 注 の工 事 の受 注調 整 を行 うな どの指 示 を し、 新 し
い談 含 システ ム を構 築 して 関与 する こ ととな つた。
③
和 歌 山県 においては、受注金 額が 5 億 円以上 の大規模土木 工 事 においては、大手
ゼネ コ ンな い し準大 手ゼネ コン ( 以 下 「ゼネ コ ン」 という。) と 地元 業 者 との共同
企業体 ( 以下 [ J ∨ 」という。) に 発 注する こととされて いて、また、入札方式 は、
指名競争 入札 とされていた。
-1‐
水 谷審議 監は、 」V 案 件 については、工 事の公募が開始された ころ、土木工事の
業 界の仕切 り役 を して いた株式会社大林組 の B 沖 と協議 し、受注予定 の 」V の 構 成
な どを決定 して いた 。
」V の スポ ンサ ー とサ ブ、それ にダ ミ ー で参力0 する J ∨ の構成 について は、 日沖
が決定 し、 3 番 手の業者 につ いて は、水 谷審議 監にお いて 、県下の業 者 を決定 して
いた。
入札価格 は、受注予定 」∨のスポ ンサ ー とな つたゼネ コン等が決定 し、その連絡
につ いて は、サ フ とな ったゼネ コ ン又は同社の担当者か ら依頼された者 が受注予定
」∨の入札価 格 を超 える価格で入札するよう に連絡 して いた 。
木村前知事 らが関与 した事件 の概要
2
木村前知事 らは、
① 上記 1 の よ うな背景の中、平成 1 6 年 1 0 月 ころか ら同年 1 1 月 1 0 B こ ろ まで
の間 、水 谷 審議 監 、 日沖、 丼 山、 株式 会社 間組 の丸 岡紘 ― ( a 工 事 につ き) 、東 急
建設株式会社 の谷本治 ( b 工事 につ き) 、株式会社熊谷組 の川 山男也 ( c 工事 につき)
らと共謀 し、平成 1 6 年 1 1 月 1 0 日 に入札 を執 行 した
a 国道 3 7 1 号 線 ( 仮称平瀬 トンネル) 特 殊改良 工 事
( 仮称切1 0 1 号 トンネル) 道 路改築 工 事
b 国道 1 6 8 号
c 紀 の川 中流流域下水道 ( 那賀処理 区) B B 賀 幹線管渠 ( シ ール ト) 工 事
の各工事 に関 し、特定の 」V に 落札させる とともに、そ の入札 に参1 0 する他の J ∨
が落札予定 の 」V の 入札金額 を超える金額 で入札する旨の取 り決め をす るな ど、公
正な入札 を薔する 目的で談含 した。
②
な お、 今回、検 察庁 の捜査で、公訴が提起 されて い な いが 、公判記録 を検討 した
結果、談含 があ つた と認定 した工事 と して
d 国道 4 8 0 号 線 ( 仮称梨子 ノ木 トンネル) 道 路改 築工 事
e 町遭紀 州サン リツートライン線 飯 称上 ノ城 トンネル第 2 工 区) 道 路 改良 工 事
f l T 総 含 セ ンター ( 仮称) 建 築 工 事
の 3 工 事があ つた。
③
平成 1 6 年 4 月 か 5 月 ころ、木村前知事 の 二 期 目の県知事選挙が近 づ く中、地 方
新間 に木村前知事 を批判する内容の報道があ り、小佐 田昌計知事公室長 は、木村前
知事の 一期 目の選挙か ら熱心 に木村前知事 を応 援 し、 二 期 目の選挙 を控 えた時期 も
熱心 に応援 して いた 県臓 O B の 中西伸雄 ( 元出納長 ) か ら 「何 とか して記事 を押 さ
えろ。」 と言 われたが対策 を請 じる ことができなか つた。
また、木 村前 知事は、 この状況 を丼山 に相談 した ところ、丼山は、地 方新 聞対策
や選挙運動 な どに使 うための資金 を用 立ててや ろ うと者 え、同年 6 月 上旬 ころ、知
事公室長室 を訪れ、小佐 田知事公室長、水谷審議監 を介 して木村前知事 に 現金 1 0
0 0 万 円を供与 した。
円は、木村前知事か ら和歌 山県発注の 工 事 の受注業者 決定等 に関
現金 1 0 0 0 万
与で きるよ う職務上有利か つ 便宣 な取 り扱 いを受 けた ことに対 する謝礼 及び今後 も
同様 の有利か つ便宣 な取 り扱 いを受 けたいとの趣 旨であ つた 。
現金 1 0 0 0 万
3
①
円の使途
円
上記の とお り、小佐 田知事公室長 は、 6 月 上旬 ころ、丼 山か ら現 金 1 0 0 0 万
に、地
いたが、そ
の
7
日
か
ら
1
0
B
く
らい後
方新
聞の記事
を
って保管
して
を受 け取
押さえ るため 中西伸雄 に対 し2 0 0 万 円を渡 した。
-2-
また、小佐 田知事公室長 もマ スコミ関係 に協資金 等 と して合計約 1 0 3 万 円 を支
払 い、 マス コミ 各社 との情報交換 を した際 の飲食代 と して、合計細 2 万 円の支払
いを した。
そ の他、小佐 田知事公室長 は、選挙期間 中に、本村前知事 の随行 を した若者の慰
労会 を開催 するな ど し、平成 1 6 年 8 月 末 ころには 、手持ち の資金 は約 6 7 0 万 円
とな って いた。
そ こで 、 小佐 田知事公室長 は、今後 は選挙 を応援 して くれ た人たち との親 睦会が
数回ある程 度で、 これ以上、 自分が資金 を管理する必要がな いと判断 し、宇野秘菫
課長 に現金 5 0 0 万 円、水 谷審議監 にも現金 1 0 0 万 円を渡 し、残 りの約 7 0 万 円
を手持ちの資金 と した。
宇野 秘書 課長 が受領 した 5 0 0 万 円 は、知事が出席する懇親会の費用 や冠婚 葬祭
儀式 の際 に持参する香典な ど準公務的な費用 の他、知事公舎 の使用 料やその光熱水
費、家族 旅 行代な どの純粋 にプラ イ ベ ー トな支 出に充て るため、秘書課長が管理 し
て いた資金 ( 以下 「私費」 という。) で 、木村前知事 のため に保管 して いた資金 で
あ つた。
水谷審議 監が受領 した 1 0 0 万 円は、同人の言 による と、個人の お金 とは区別 し
て保管 し、 本村 前知事の代理 と して 出席 した県 人会の会費や慶弔交際費、各種 会合
での会費等 の支払 いに充て、平 成 1 8 年 夏 ころまで に費消 して いる 。
小佐 田知事公室長が保管 していた約 7 0 万 円について も、同人の言 による と、個
人の お金 と は区別 して保管 し、そ の後、本村前知事の代理で 出席 した宴 会の祝儀や
慶弔交際費 及び親睦会の会費等の支払 いに充て 、平成 1 7 年 夏 ころ まで に費消 して
いる。
②
な お、水谷審議 監、宇野 秘書課長 及び丼 山の供述 による と、上記現金 1 0 0 0 万
円以外 にも、平成 1 3 年 に約 3 0 0 万 円、同 1 4 年 に約 2 0 0 万 円、 同 1 5 年 に約
3 0 0 万 円の現 金が丼山か ら水 谷審議 監 に渡 され、それぞれ秘書課長が管理 してい
た 「私 費」 に充当された。
「樹 の 国会」、 「
翔樹会」及び 「2 1 会 」 の設立経緯等について
①
②
和 歌 t u 県で は、知 事の交際 費 に関 して は、 「知事 等の 交際 費 執行 基 準」 が あ る
が、 同基準 に該 当 しな い交 際費、 知 事公 舎の使用 料や光熱水 費、 知事 の私 的な 旅
行代金 な どの支払 い 資金 に充て るため、木村前知事以前か ら知事 の親睦会 を作 り、
秘書 課長 において 、そ の会費 の 余剰 金 を 「私費」 と して管 理 し、 知事 の私的 な費
用 に充てて いた ものである。
そ の支 払 いの 中 には、祝賀 会の会費 や供花 な ど公 的な資金 で 支払 いが可能 な も
の も あ つたが 、情報 開示 を求 め られ た 時 の こ とを考 え、 「私 費 」で の 処理 を行 つ
て いた。
和歌 山県で は、平成 9 年 4 月 ころ 、不適 正支 出 ( いわゆ る裏金) が 社 会問題 と
な り、同 年 9 月 に職員互助 会か ら約 1 4 億 円の借 り入れ を して県 に 一 括返 済 を し
た ことが あ った。
秘 薔課 にお いて も、そ れ以前 は、 知事 の私的な支払 い費用 を何 らか の操 作で 公
金 よ り入手 した裏金 で処理 する ことがで きたが、そ の手だて もな くな り、 知事 の
親 睦 会で ある 「2 1 会 」 を設立 して 、会員 か ら会費 を徴収 し、余剰金 を知事 の私
的な支払 い費用 に充てるよ うにな った もので ある。
「樹 の国会」 は、西 □元知 事時代 にあ った 「紀 の国会」 を改名 した会員約 1 0
-3-
名 で 構 成 さ れ た 本 村 前 知 事 の親 睦 会 で あ るが 、 平 成 1 5 年 7 月 ころ に預 金 □座 を
解 約 して 解 散 して い るた め 、 資 料 等 も残 つて お らず詳細 は 不 明 で あ る 。
③
「翔 樹 会 」 は 、 平 成 1 2 年 1 2 月 ころ 、 本 村 前 知 事 が 秘 書 課 長 ら に対 し、 「県
内 に知 り合 いが い な い ので 、 知 り合 い を紹 介 して欲 しい。」 な ど と言 わ れ、 当 時 、
秘 彗 課 の副 課長 が 、県 内 有 力企 業 の若 手 オ ー テ ー に働 き か け て 、 会 員 9 名 で 発 足
した 木 村 前 知 事 を囲 む 親 睦 会 で 、 同 1 3 年 3 月 か ら は 1 1 名 の会 員 で 構 成 さ れ 、
年 2 回 の 懇親 会 や ゴ ル フ コ ン ペ を実 施 して いた 。
会 費 は、 月 3 万 円で 、 年 に 2 回 開 催 す る 懇親 会 や ゴ ル フ コ ン ペ を企 画 す る こ と
と し、 秘 書 課 の 職 員 が 預金 □座 で 管 理 して いた 。
そ の後 の 平 成 1 6 年 ころ 、 当 時 の 秘 書 課 長 で あ つた 宇 野 が 「翔 樹 会」 の 資金 を
「私費 」 の 一部 に充 て て い る。
宇 野 秘 書 課 長 は 、 平 成 1 7 年 4 月 、 審 議 監 に 昇 進 した が 、 「翔 樹 会 」 の 預 金 通
帳 は、 3 1 き続 い て管 理 して いた。
同 会の 領収 証 等 は保 管 さ れ て お らず 、金 銭 出納 帳 も作 成 して い な か つた 。
④
「2 1 会 」 の前身は、西 口元 知事 時代 に 県内 の 有 力企業 のオ ー す - 1 2 名 で構 成さ
れ た私的な親 睦会で、会 員か ら月 1 0 万 円の会資 を徴収 して、 年 2 回 行 う懇親会等の
費用 を支払い、余剰金 については、 知事の 「私費」 に充て られて いた。
同会 は、西 □元 知事が退職 後、 会費の徴収 を して いなか つた が、 平成 1 3 年 4 月 こ
ろ、宇野 秘書課長 が管 理 して いた資金 が少な くな って きた ことか ら、 小佐 田知事公窒
長が大平出納長 に 依頼 して、 「2 1 会 」 を再関することにな つた。
た だ し、 木村 前 知 事 の 意 見 で 会 費 は 月 に 3 万 円 と し、 親 睦 会 の 費 用 以 外 の 余剰
金 を木村 前知 事 の 「私 費」 に充 て るよ うに した 。
会費 の 余剰 金 は、 秘 薔課 長 が 現 金 で保 管 して いた 。
各親睦会 の 資金及 び残余金の処分 について
5
①
上 記 の と お り、 「樹 の 国 会 」、 「翔 樹 会 」 及 び 「2 1 会 」 につ いて は 、 各 年 度 の 収
入金 額 は特 定で き る もの の 、 支 出 につ いて は、 そ の 資金 の 一 部 をい わ ゆ る 「私 費 」
と称 して 木 村前 知事 の 私 的 費 用 の 支払 い に充て お り、領 収 証 は保管 さ れ て お らず、
金 銭 出納帳 も 作成 さ れ て いな い ため 、 支 出金 額 の特 定 は 困難 で あ る。
な お、管 理 栄 典 班長 が管 理 して い た 「私 費 」 につ いて は、 平 成 1 7 年 度 、 1 8 年
度 分 の支 払 い 明細 が 残 存 して いた が、 そ れ 以前 の支 払先 等 を解 明 す る こ とは困 難 で
あ る。
②
「樹 の国 会 」 は 、宇 野 秘 書 課 長 が管 理 して い たが 、 同 人 の 供 述 によ る と、平 成 1
3 年 4 月 に 1 5 万 円、 同 年 5 月 に 1 0 万 円 を 「私費 」 に組 み 入れ 、 さ らに同年 度 中
円 を集 め たが 、 懇 親 会 の 費 用 約 4 0 万 円
に、 2 回 の懇親 会 を開 いて 含 8 1 約 2 0 0 万
「
に組み
い、残
1
6
0
万
円
を
私
費
」
入れ て いる。
払
りの約
を支
そ の 後 、 平成 1 5 年 7 月 に、 「樹 の国 会」 を解 散 す る に当 た り、 口座 を解 約 し、
残高 金 額 に当 た る約 1 1 0 万 円 を 「私 費 」 に充 当 して い る。
③
「翔樹 会」 は、平成 1 2 年 1 2 月 に会 員 9 名 で発足 して いるが、同 1 3 年 3 月 か
ら会員数 は 1 1 名 とな り、毎月 3 万 円の会費 を集めて いた 。
同会 の資金管理は、平成 1 3 年 4 月 か ら、宇野秘薔課長 ( 後 に審議 監) が 行 つて
いたが、同人の 供述 による と、集めた会費は、年間約 3 9 6 万 F B に及ぶが、年 2 回
の懇親会 と随 時 ゴルフ コンペを実施 して も、 なお多額の 余剰金 があ つた 。
翔樹会 の資金 か らま とま った 資金 を 「私費」 に移 したのは、平成 1 6 年 に 3 0 0
-4-
万 円 と 1 8 年 5 月 の 1 0 0 万 円で あ る。
な お、 検 察 庁 か ら還付 され た同 会 の預金 通帳 には 、約 6 6 1 万
が 、 同 会 の代 表者 に返 還 済み で あ る。
④
円 の残 金 が あ った
「2 1 会 」 は、 平 成 1 3 年 4 月 ころ再 開 し、 会 員 1 2 名 か ら月 3 万 円の 会費 を徴
収 し、 年 2 回 の懇親 会 を 開催 して いた 。
同 会 の資 金 管 理 は 、平 成 1 7 年 3 月 まで は宇 野秘 書課 長 が 行 い、 同 年 4 月 に異 動
が あ り、 そ の 後 は、 後任 の 秘密 課長 で あ る矢 野哲 男 が管 理 を して い た。
同 会 で は 、 年 に 2 回 の 懇親 会 と随 時 の ゴル フ コ ン ペ を企 画 して いた。
円と
懇 親 会 の時 、 会員 か ら半 年分 の 会費 ( 1 8 万 円) を 徴 収 す る と合 計 2 1 6 万
つ
とな
い
った
の約
1
7
6
万
円
以上
が余
剰
金
4
0
万
く
を支
払
後
円 ら
な り、 懇 親 会費 の
て 、 秘 書 課長 が 「私 費 」 と して現 金で 保管 して い た 。
「2 1 会 」 の 資 金 は、 年間約 3 5 2 万
円 とな り、 そ のほ とん どが 「私 費 」 に充 て
られて い た こ と にな るが 、 平 成 1 8 年 8 月 ころ まで に 「私 費 」 に流用 され た 資 金 を
円以上 と推定 され る 。
概 算 す る と約 1 8 9 2 万
な お、 今 回 の 事件 後、 矢 野秘 書 課長 が保 管 して いた 「私費 」 の現 金約 1 8 9 万 円
につ いて は 、 同 会 の代 表 者 に返 還 し、 同会 代 表 者 か ら 日本 赤 十 字社和 歌 山県 支 部 に
寄 付 さ れ て い る。
以 上 の と お り、 「樹 の国 会 」、 「翔 樹 会 」 及 び 「2 1 会 」 か ら 「私 費 」 に流 用 さ れ
円以 上の金 額 にな る と推 定 さ れ る。
た 資金 は 、併 せて約 2 , 5 0 0 万
⑤
秘書課で は、
ア 知事公舎の使用料、電 気代、水道代
イ 知事が 出張する場合の旅費の管理
ウ 知事が 出席する懇親会 の費用
工 慶弔費
な どの支払 い管理 を管理栄典班長 が担当 して いた。
これ らの一部 は、本来通正 と認 め られる場合 は、 公費か ら支出を行い、その他の
ものは、木村前 知事 の私的支 出とす べ きもので あるが、公費 支出以外のもの につい
て は、上記 「私費」か ら支払わ れていた。
300万 円 く ら
領収 証等の証憑は残存 しないが、上記費用 と して、年間 200∼
いの支払 いを して いる 。
その他、秘書課長 にお いて、本村前知事のために 「私費」 か ら支払 った 先 と して
は、
ア 木村前知事が外 国出張 を した際、知人、夫 人の旅行代金
イ 家族 での国内旅行代金
ウ 地方新 聞の記事 を押さえるため の協賃金 な ど
工 木村前知事 の議響や寄付金
オ 私的 公的な懇親会の費用
カ パーテ ィ券の購入
キ 自家用 車の車検代金
ク 政務 関係の随行秘書や運転手 に対する超過勤務手 当の相当額
な どの支払 いが あ つたが、金銭出納帳 はな く、領収証 も一部 しか残存 しな いため 、
詳細な金額 は不明で ある。
6
現金 1000万
①
円及び 「私費」に対する県職員の 関与状況 について
小佐 田元知事公室長 副知事 は、平成 12年 10月 か ら同 16年 10月 までの間、
知事 を していた。
知夢公室長 を、その後、 同 18年 12月 まで の間 、日」
-5-
平 成 1 3 年 4 月 ころ 、 宇 野 秘 書 課長 か ら、 「西 口知 事 の 時 、 2 1 会 と い う親 睦 会
が あ って 、 会 員 か ら月 1 0 万 円の 会費 をも らい、 知 事の 私費 に充 て て いた 。 この ま
まで は 、 手 持 ち の私 費 が不 足 す る 見 通 しで あ る。」 との 相 談 を受 け た こ とか ら、 大
平 出納 長 に依 頼 して 、 「2 1 会 」 を再 開 す る こと に した 。
平 成 1 6 年 4 月 か 5 月 ころ 、地 方新 間 に木 村 前 知事 を批 判 す る内 容 の報 道 が あ り、
木 村 前 知 事 や県 職 O B の 中西 か ら何 とか して 記 事 を押 さ え ろ と言 わ れ た が 、 お金 も
支 払 わ な いで押 さ え られ る とは思 わ な か つた ので 、 その 旨木 村前 知 事 の 報 告 して い
た。
そ れ を聞 いた 木 村前 知 事 が丼 山 に批 判 記 事 の ことを相 談 した と ころ 、 丼 山が そ の
方 策 を考 えて くれ る こと にな った。
同 年 6 月 上 旬 ころ 、 小佐 田 ( 当 時知 事 公 室 長 ) は 丼 出か ら 「知 事 公 室長 室 に い る
よ う に。」 との電 話 を受 け 、 待 つて い た と ころ、 丼 山が 来 て 、 本 村 前 知 事 の た め の
円 を渡 した ので 、水 谷 審議 監 も同 席 して 受領 した 。
資 金 と して 現 金 1 0 0 0 万
円 を受 領 した こと を木 村 前 知 事 に
小佐 田知 事公 室長 は、 丼 山か ら現 金 1 0 0 0 万
報 告 し、 知 事 公 室長 室 に保管 して いた が、 そ の 7 日 か ら 1 0 曰 くら い後 に、地 方新
聞 の 記 事 を押 さ える ため の資 金 と して 、現 金 2 0 0 万 円 を中西 に渡 した。
そ の 後 の 同年 6 月 ころ 、木 村 前 知 事 の 批判 記 事 を書 いて い た 2 社 に各 1 0 万 円 を
支 払 い 、 7 月 ころ に は、地 方紙 に協 資金 と して 8 3 万 円 を支 払 った 。
また 、 マ ス コ ミとの情 報交 換 の場 ( 4 回 分 ) の 飲食 代 金 な ど と して 合 計約 2 2 万
円 を支 払 つた 。
平 成 1 6 年 8 月 末 ころ になる と、現 金 残 金 が約 6 7 0 万 円 にな つて い た 。
円 を宇 野 秘 薔 課長 が管 理 して いた 「私 費 」 と して 漫 し、 1 0 0
そ こで 、 5 0 0 万
万 円 を水 谷 審議 監 に渡 し、約 7 0 万 円 を手持 ち 資金 と した。
手 持 ち 資 金 の約 7 0 万 円は、 小 佐 田 の言 によ れ ば、上 記 5 に 記載 した と お り、 本
村前 知 事 の ため 、平 成 1 7 年 夏 ころ まで に全 額 を使 つて いる 。
②
水 谷聡 明元 審議 監 ・出納長 は、平 成 1 2 年 1 0 月 か ら同 1 6 年 1 0 月 まで 審議 監 、
そ の 後 、 同 1 8 年 1 1 月 までの 間 は出納 長 を して いた 。
同 人 は、 平成 1 2 年 1 0 月 、 本 村 前 知 事 か ら審議 監 に任 ぜ られ、 建設 業 界 の 談含
の仕 切 り役 をす るよ うにな り、 そ の 後 、 丼 山及 び大 林組 の 日沖 らとも 知 り合 い 、受
注 調 整 を行 つて いた 。
円、 同 1 5
円、 同 1 4 年 に現 金 2 0 0 万
丼 出か ら は、 平成 1 3 年 に現 金 3 0 0 万
年 に現 金 3 0 0 万 円 を受 領 し、 そ れ ぞ れ宇 野 秘 ■ 課長 に渡 して 「私 費 」 と した 。
そ して 、 平成 1 6 年 6 月 上 旬 ころ 、 知 事 公室 長 室 にお いて 、 小佐 田知 事 公室 長 が
円 を受領 した場 に 同席 した 。
丼 山か ら木 村 前 知事 の ため の現 金 1 0 0 0 万
同 1 6 年 8 月 末 ころ、 小佐 田知 事 公 室長 か ら現 金 1 0 0 万 円 を受 領 した が 、 水 谷
元 出納 長 の 言 によれ ば、 上 記 5 に 記 載 した とお り、本 村 前知 事 のた め 、 平成 1 8 年
夏 ころ まで に全額 を使 つて いる 。
③
大 平 勝 之元 知事 公室 長 ・出納長 は、 平 成 1 1 年 8 月 か ら同 1 2 年 1 0 月 まで 知事
公 室長 、 そ の後 、同 1 6 年 1 0 月 まで の間 は 出納 長 を して いた 。
同人 は、 平成 1 3 年 4 月 ころ 、 小 佐 田知 事 公 室長 と宇 野秘 書 課長 か ら依頼 さ れ 、
「2 1 会 」 の 再開 に関 与 した 。
「2 1 会 」 の 会費 の余 剰 資金 は 、 木 村前 知 事 の ため の 「私 費」 に充 て られ る こ と
は承 知 して お り、 本 村前 知 事の 了解 も得 て いた 。
④
知 事 公 室長 は、 歴代 、地 方新 聞社 と対応 して お り、盆 暮 れ 時期 にな る と、 各 社 に
協 資 金 を支 払 って いた こ とか ら、 当時 の知 事 公 室長 は、地 方 新 聞 各 社 に対 し協 賛 金
と して 、平 成 1 6 年 1 2 月 ころ 6 9 万 円 を、 同 1 7 年 8 月 ころ 6 9 万 円 を、 同 年 1
2 月 ころ 6 9 万 円 を、 同 1 8 年 8 月 ころ 5 9 万 円 を小佐 田副 知 事か ら昴 じられ 、秘
-6-
書課長か ら資金 を受 け取 つて支払 って いる 。
⑤
宇 野朝 治元 秘書課長 ・知事公室次長 ・審議監は、平成 13年 4月 か ら同 16年 3
月 まで の間、秘書課長、同 16年 4月 には知 事公室次長 に就任 、同 17年 4月 には、
審議 監 とな つて知事公室 次長 を兼 務、同 18年 4月 か ら同 19年 3月 までの間、審
議 監 と して勤務 、同 19年 4月 か ら現 在 まで、財団法人和歌 山環境保全公社 に専務
理事 と して派遣 中である。
同人は、 平成 13年 4月 に秘書課長 に就 任 したが、和歌 山県では、知事公舎 の便
用 料や電 気代な どを秘書課長が管 理 していた 「私費」か ら支払 うことが慣例 とな つ
て お り、そ の資金手当 をする必要があ つた ことか ら、木村前 知事や小佐 田知事公室
長 らと相談 して、西 日前知事の親 睦会であ つた 「21会 」 を再開させ る とともに、
「21会 」 と併せて、既 に設立されて いた 「翔樹会」の資金管 理をする よ うにな っ
た。
また、 「樹 の国会」 という親睦会 もあ り、平成 13年 4月 の秘書 課長就 任直 後 に
は、 「21会 」 が まだ再 開 して お らず、 手元 に現金 がな か った ことか ら、 「樹 の国
会」 の 口座 か ら、平成 13年 4月 に 15万 円、同年 5月 に 10万 円を 「私費」 に組
円集 めたが、懇
み 入れ、さ らに同年度 中 に、 2回 の懇親会 を開 いて合計約 200万
円を 「私費」 に組 み入れ
親 会の費用 と して約 40万 円を支払 い 、残 りの約 160万
た。
そ の後 、 平成 15年 7月 に、 「樹 の国 会」 を解散 する に当た り、 口座 を解約 し、
円を 「私費」 に組み 入れた。
残高全額約 110万
「21会 」 と 「翔樹 会」 の会費 は、月額 3万 円 と して年 2回 の懇親 会 を開催 して
いたが、原貝」と して 「21会 」の余剰金 を木村前知事の私的費用 に充 てるた め、「私
費」と して現金で保管 し、資金不足が生 した時は 「翔樹 会」の資金 を発当 して いた 。
円、同 15年
円、同 14年 には 200万
な お、宇野は、平成 13年 には 300万
「
には 300万
円の現金 を水 谷審議 監 を経 由 して丼 山か ら受 け取 り、 私費 」 に組み
入れ て いた ため、その間 は、 「翔樹 会」の資金 を 「私費」 と して組 み 入れた ことは
なか つた 。
宇 野 は、平成 17年 4月 に審議 監 に就 任 し、 「21会 」 は、後任 の矢 野秘書 課長
に31き継 いだが、 「翔樹 会」は継続 して資金管理 を して いた 。
⑥
矢 野哲 男元 秘書課長 ・知 事公室次長 は、平成 17年 4月 か ら同 18年 3月 までの
間、秘書課長 を、同 18年 4月 か ら知事公室次長 に昇任 して秘書課長 を兼務 し、同
19年 4月 か ら出納 局長 と して勤務 して いる 。
同人 は、 平成 17年 4月 に前任者 の宇野秘書課長 か ら 「21会 」 の資金管理 及び
「私費」 の管 理の31き継 ぎを受 けた。
そ して 、上記宇野同様 に本村前 知事 の私的な費用の支 払いのため 「私費」 を管理
して いた。
⑦
秘 薔課元副課長 は、平成 12年 12月 ころ、本村前知事か ら 「県 内 に知 り合 いが
いな いので 、知 り3い を紹介 して欲 しい。」な どと依頼 された ことか ら、当時 の秘
書課長 と相談 して、 「期樹会」 の設立 に深 く関与 した。
しか し、 当時、 「翔樹 会」の資金 は、預金通帳 で管理 して お り、 同 会の余剰 資金
が 「私費」 に流用されるとは者 えて いなか つた。
③
歴代 の秘書課管理栄 興 lJl長は、前 任者か らの31継 ぎによ り、 「私 費」 の管 理 を担
当 して いた 。各 人とも 「私費」が公金 とは別の もので、当時 行 つて いた 「私費」の
管 理が木村前 知事の個 人的支 出の支払 いに 向け られるものである ことか ら、公務 と
は言 い難 い という認識 を持 って いたが、引き継 ぎ事項 で あ り、上コか らの命で ある
ことか ら、 早期 に異動 を願 い出た者 もいる ものの、その仕事 に異を唱える ことはな
-7-
く従事 した。
木村 前 知事 が 公務 以 外 の政務 に関す る会合 に参力0 する場 合 が あ り、 これ に随 行
して 超過勤 務 を した場 合 、 そ の都度 、そ の手 当月額 2 万 円 か ら 3 万 円 を運転 手 と
ともに秘書 課長 か ら現金 で受領 して いた。
同 人 によ る と、 この現 金 は、 後援 会か ら支払わ れて いる も の と考 えて いた との
ことであ る。
県職員 の職務上の問題点等について
7
8
①
談合 の開与
県 庁 に お いて 行わ れ て きた談 合 に県 庁職 員 が関 与 した件 に つ いて は、そ れが歴
代 知 事 の意 向 を受 けた も ので あ る以上 、 これ に逆 らうこ とは 県 庁 に おける地 位 を
失 いか ね な いもので ある と して も、 このよ うな行 為 に関与 した ことは容 認され る
もので はな い 。 しか しな が ら、 関係者 はす べ て ま さ に今 回 の 事件で 検察 庁 の捜査
及 び訴追 を受 けて お り、 また 、関係 者 は全 て退職 して お り、 本件 に関 して職 員 の
責任 を問 う ことはで きない。
②
いわ ゆる 「裏金」又は 「私費」の性格
また、本報告書 で るる述 べ た とお り、木村前 知事時代 の いわ ゆる 「裏金」や 「私
費」は、そ の出所が県の公金 とは別の ものであ り、 公金 を操作 して 「裏金 」 に 回 し
た とい った問題 はな い 。 すなわち、 この 「裏金」又 は 「私費 」 を県 庁職員が取 り扱
ったな い しは受領又 は費消 した ということは、元々、私 的な もの を私的 に取 り扱 つ
た とい うことで、県 民の税 金を無駄遺 い した とい った問題で はない。
③
地 方公務員法上の問題
しか しな が ら、地 方 公務 員法 第 3 5 条 で は、職 員 に対 し、 法律 又 は条例 に特= 」
の定 め があ る場 合 以 外 は、 勤 務 時間 中はそ の職 務 の 遂行 のた め に使用 しな けれ ば
な らな いと職務 に専念す る義 務を課 して いる。
また、 同 法 3 2 条 で は、 法令 及 び上 司の購 務命令 に忠実 に従 う義 務 を課 して い
る。
第 1 1 条 では、秘書課 の所掌事務 と して
和 歌 山県 行政組織規貝」
(1)
来賓 に関する こと。
(2)儀
式及び表影 に関する こと。
(3)知
事及び目J 知事の秘書 に関する こと。
と規定 している。
秘書課長 、同副課長 及 び秘書課 職員 について、木村前 知事が 関係 する親睦会 の
資金 管 理 をする 行為 は、所掌 事務 を逸 脱 して いる と言 わざ る を得 ず、地 方公務 員
法 に言 う職務専 念義務連反 に該当する と認める。
今回の事件 の総括 とそ の後の改善状況
今回の 一 連 の事件 にお いて 、知事以下の犯罪 は別 と して、和 歌 山県 庁 の在 り万 と し
て、何 が問題であ つたか ということを総括 する と以下の とお りで ある。
①
和歌 山県 において は、その 目的、極富は木村前知事 よ り前 と木村前知事 時代
とで は異なるも のがある とい う違 いはあ るにせよ、県庁 の最高 幹部が公共調 達
工 事 についての談含 に関与 してきた こと。
-8-
②
本来知事 の政 治活 動で ある べ き 「親 睦会」活動の事務 を県庁職 員が行 い、 こ
れ によ って もた らされる資金 を 「私費」 と して、その管理 を県 庁職 員が行 つて
きた こと。
③
県内地 方紙 に対 して、県庁職員が協賛金 を支払 い 、 また 、知事 に不都 含な記
事 を書 く地 方紙 に対 して、資金 を提供 する行為 に職 員が従事 した こと 。
これ に対 して、事件 発覚以降、県 庁は次 のよ うな措置 をとる ことによ って 、それぞ
れ の再発 を完全 に防止 する体制 とな つている 。
① につ いて は、事件 以来、完全 に排除 して いるのみな らず、抜本的制度 改革 を
行 い、平成 2 0 年 6 月 か ら談含 を防止 しうる完璧な公共調達制度が発足する こと
とな つている。
② につ いて は、 そのよ うな機能 は現在の県 庁か ら完全 に排除されて いる。 知事
公室 の後継で ある知事 室か らは、知事の政治活動的行動 へ の関与 は完 全 に排除さ
れて お り、また、 このよ うな行為 に関与 する面 もあ つた と思われ る審議 監な どの
組織 も廃止 されて いる 。
③ については、 事件 以来、完全 に廃止されて いる。
さ らに、県 庁 において は、平成 1 9 年 4 月 か ら職 員が守 る べ きル ー ル と して 「和
歌山県職員倫理規貝」」 を定める とともに、県 庁退職者の就職 状況 について は、退
職後 5 年 間は県庁 に 「再就職状 況等報告書」の提 出を求め、広 く公表 をする制度
を導 入 し、また、 公益通報等 を容易 に し、不 祥事 の未然 防止 等 を図るため、監察
査察制度 を導入 し、県庁内の 自浄能 力を抜 本的 に高めて いる 。
9
関与目員 の評価 と臓責に関する意見
本来、県知事の公務でな く政治活動 と者 え られ る親睦会 の活動 に県 庁の最高幹部が
関与 し、知事の私的な費用 を支払 うための 「私費」の管理 を、歴代 の秘書課長及 び管
理栄 興班長 が行 って きた ことについて は、それ ら事務 は 日常業 務 と して脈 々と3 1 き継
ぎが 行 われて きた歴 史 が あ り、 今回 の 「2 1 会 」、 「翔 樹 会」 の 活動 及 び資 金 を 「私
費」 と して管理 した ことについても 、そ の延長線 上で 行わ れて いたもの と言 えよ う。
こう した事情 を者慮 した と して も、小佐 田元副 知事 、大平元 出納長 、水 谷元 出納長
及び宇 野元審議 監 につ いて は、 も っば ら木村前知事 のため に、 「2 1 会 」及 び 「期樹
会」 の会員か ら多額 の会費 を徴収 し、その余剰金 を木村前 知事 のための私的な費用 に
充 て る目的で、「私費」と して管理 し、また、部下職員 である管理栄 典班長 らに対 し、
「私費 」 の 一部 を管 理 させて、知事公舎の使用料や光熱水 費等の支払 い な ど職 務外の
事務を1 0 当させて いたものであ つて、地 方公務員 と しての暇務専憲義務 に違反 し、か
つ 、管理監督者 と して 、その責任は重 いと解価 した。
これ ら職 員 についても、知事 とい う県庁の人事権 を握 る者の部下であ り、知事 の容
認又 は要請 のも とにあ つた当該行為 に非 を唱える ことが実 際上 どれだ け可能で あ った
か とい う疑義 は残る ものの、 これ らの者 は、能動 的 に これ ら行為 に加担 している面も
あ り、 また、県 庁最 高幹部 と しての責任 と責務もあ った ことを考 える ことか ら、その
責 任 を問 わ ざ る を得 な い と評価 した 。
1か 月
従 つて 、宇 野 朝 治 に つ いて は、 減給 1 0 分 の 1
の処分が相当で ある。
秘密課長 の上 コで あ った 小佐田元副知事、大平元 出納長、水 谷元 出納長 につ いて は、
宇野元審議 監 ととも に 「私費」の管理 に能動的 に関与 し、秘書 課長 らに 「私費」 を管
-9-
理 させ た責 任 は極 め て 菫 大で あ るが 、既 に退 職 して い るた め職 資 を間 う こ とはで きな
い。
矢 野元 秘 書 課長 につ いて も、 前 任 の宇 野元 秘 書 課長 か ら 「2 1 会 」 の 資金 管 理 及 び
「私 費 」 の管 理 の 3 1 き継 ぎ を受 け る と い う受 動 的 な形 で はあ る が 、 「私 費 」 が 、 公 務
員 が 取 り扱 う べ き公 費 とは 異質 の資 金で あ る こ とを知 りな が ら、 前 任 者 同 様 、管 理栄
興班 長 に 「私 費 」 の 一 部 を管理 させ 、 知 事 公 舎 の使 用 料 や 光熱 水 費 等 の支 払 いな ど職
務 外 の 事 務 を担 当 させ て いた もの で あ つて 、 県 職 員 と して 、 「私 費 」 の管 理 を拒 否 で
き る状 況で は な か つた と評価 して も、そ の 責 任 を間 わざ る を得 な い と評価 した 。
従 って 、
矢 野 哲 男 につ いて は 、戒 告
処 分 が相 当で あ る。
元 知 事 公 室 長 は、歴 代 の公 室長 が 担当 して いた地 方 新 聞 社 との 対応 の 中 で、 各社 に
協 賛 金 を渡 して お り、県 庁 と して マ ス コ ミに協 賛 金 を渡 す よ うな ことが 公 的 な 行 為 と
して 不 通 切 で は な いか とい う進 言 す べ き で あ った と い う責 任 を免 れ な い が 、 「私 費 」
の管 理 には 関 与 して お らず、上 記 各 人 と同様 の職 資 を問 う こと はで きな い 。 また 、既
に退職 して い る ことか ら職 資 を問 う ことはで き な い。
秘書 課副 課 長 は、 平 成 1 2 年 当時 、木 村前 知 事 の親 睦 会 で あ る 「翔 樹 会 」 を発 足 す
る につ いて 、県 内 の有 力業 者 に働 き か け をす るな ど同 会の 設 立 に関与 して いる が 、 上
133で
あ る秘 書 課 長 ( 平 成 1 9 年 3 月 、退 職 ) と も相 談 して いた ことや 、 会 費 の 一 部 を
「私費 」 に 充足 す る 目的 で設 立 した もので は なか つた こと を者 慮 して も、 木 村 前 知 事
バ ックア ップ した 事 実 は否 定 で き ず、 県職 員 と して 、 担 当 す る職 務 を逸
の 選挙 活E l l を
脱 した行 為 で あ つて 、 そ の責 任 を問 わ ざ る を得 な い と部 価 した。
従 って 、
秘 書 課 日」
課長 につ いて は、 9 1 告
処 分 が 相 当 で あ る。
また 、 秘 書 課 長 の指 示で 知 事 の私 的な 支 払 い を担 当 して いた 歴代 の 秘 書 課管 理栄 典
班 長 で あ つた 5 名 につ いて は、「私費 」の 取 り扱 い に は領 収 証 等 も求め られ て お らず 、
い わ ゆ る裏 金 で あ る との認 識 は あ った も のの 、知 事 の 後援 会の 資金 で はな いか と理 解
して いた こと、 また 、 従前 の 前 任者 か ら3 1 き継 ぎ を受 けた 際、 自己の 判 断 で 拒 否 す る
こ とも 困難 で あ った と認 め られ る こ とな どを 総合 して 考 慮 す る と、県 職 員 と して 上 司
の命 に 従 って 事 務 処 理 をせ ざ る を得 な か つた 事 情 も認 め られ 、 そ れ ぞ れ 、 「注 意 」 処
分 が相 当 と評 価 した。
以 上
-10-
記
者
担 当 課 室
担
当
臨
爾
者
発
表
監察査察室
中
野
2133
木村良樹前知事の談合 ・収賄被告事件の概要並びに県職員 の関与状況及び
処分内容について
標記事件 に係る判決書、供述調書写 し等 を入手のうえ、精査 し、また、 これをもとに関
係者 へ の事情聴取を行 った結果、 これに対する職員の関与状況が解明できま した。
つきま しては、本日、平成 20年 3月 19日 付けで、下記の とおり関係 した職員の処分
を行いま した。
懲戒処分 2名 》
《
規所属
循環型社会推進課
臓
名
参
事
氏
処 分 内容
名
1分5為に係る当時048
川01胡 ) 平成13年4月∼15年3月 朧
宇 野 朝 治
(60議
)
平成15年4月∼16年3月 参3
“
兼3薔課長
室壊撮
平成16年4月∼17年3月 知事公
兼3薔課長
平成17年4月∼18年3月 審議監
細
局
局
長
お
男 0
7
1
哲 6
︺
納
o野
や
矢
出
室次長
平虚18年4月∼19年3月 審議監
告
戒
平成17年4月∼18年3月 喜書課長
平成18年4月∼19年3月 知事公室次長
線 長
(財
(注)宇 野朝治は、平成 19年 4月 1日 から
)和 歌山環境保全公社に専務理事と して派遣中。
《上記以外の処分
現
所
訓告 1名
注意 5名 》
属
職
処分砲容
名
処分5為に係る当時038
県 土整備部 県土整備政策局
局
長
訓
告
平成10年4月∼13年3月 秘薔課 目思長
知事室 政策審議室
政策審議員
注
意
平成12年4月∼13年3月 3EX 管理彙11長
農林水産部 晨林水産総務課
課長薔佐兼【長
同
平成13年4月∼15年3月
同
同
同
福 祉保健 部 医務課
課長薇佐兼壼長
同
平成15年4月∼16年3月
教育委員会 健康体育課
副
長
同
平成16年4月∼19年3月
那 賀振興局 産業総務課
主
査
同
平成12年9月∼17年5月8=課 1508
課
-11-
《
円及び秘書暉が資金管理 してい
賄脇と日定された■01000万
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腰
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成■0,___SOO万
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1000万
日会15万
円
13年
平
成
円
10万
同 5月
約 160万 円
同
'θ約 110万 円
平成 15年 7月
円
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002
円円 円円
万 万万万
0325
21約約
約
(水谷書ヨE同席)
︱ ユ N l
∼161g
宇野秘●課長 11苺農
矢野秘●課長 田■鰤1瞬g
残金 約 6 7 0 万
円
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長
馨
尿
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議
小佐D知 事公室長
?88:日
円
約 70万
電賓瀞紆
¨―――――
― ― ― ― ―、
をした際の要の旅行代金
め協賛金など
や寄付金
会の費用
'
考》
◎ 秘薔課長が私■として支出した金額は特定
◎ 馨E業 員班長が私贅として支出した金額は
年間約200万 円∼300万 円.
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