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高尾千津子氏博士学位請求論文 ソビエトにおけるアメリカユダヤ人組織

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高尾千津子氏博士学位請求論文 ソビエトにおけるアメリカユダヤ人組織
高尾千津子氏博士学位請求論文
ソビエトにおけるアメリカユダヤ人組織「ジョイント」の活動 1920 年−1938 年
審査報告要旨
1.主題と構成:第一次大戦勃発後アメリカの三つのユダヤ人団体は、同胞の救援を目的と
して「アメリカユダヤ人合同分配委員会(ジョイント)」を組織した。本論の目的は、この
ジョイントがソ連のユダヤ人に対して行った 18 年間の援助活動の全体像を描き上げ、その
中でその方式がスターリン体制の成立に多大な影響を及ぼしていた点を明らかにすること
にある。本論文の構成は以下の通りである。
「序文」、
「第 1 章
「第 2 章
原型
エム・テ・エスの起源」、
「第 3 章 回帰
「第 4 章
発展
アグロジョイント」、「第 5 章
ターリン体制とジョイント」、「結論
危機
接触
救援ルートの模索」、
ジョイントとエム・テ・エス」、
地方の反発」
、「第 6 章
撤退
ス
二つの体制のはざまで」、「巻末資料」、「参考文献」。
2.概要:序文では、研究史を振り返りつつ上記のような独自の視角が提示され、アメリカ、
ロシア、イスラエルにおける文書館史料が説明される。
第1章は、ドイツ系のジョイント指導層のブルジョア的同族的性格と帝政政府に対する
姿勢とを分析した上で、ジョイントがボリシェヴィキ政権との接触を積極的に模索する過
程が叙述される。連合国による封鎖中に結んだ 1920 年 6 月のフィッシャー・パイン協定、
1921 年のアメリカ救援局によるヴォルガ地域の飢饉救援事業への参加、ならびにそれらに
まつわる諸問題を論じ、同時に本論文の主役であり、ジョイント側の代表として救援事業
に農法の改善という方針で取り組んだロシア系ユダヤ人の農学者ローゼンが紹介される。
第2章では、ポグロムと旱魃にあえぐ南ウクライナでローゼンが主導した 1923 年の農業
再建事業に焦点があてられる。論者はこの事業を MTS の起源と位置づけ、続いてそれに対
するソ連の諸当局の反応が分析される。彼はアメリカから導入したトラクターのうち 75 台
をユダヤ人入植地と近隣農村の再建に投入した。その際、トラクターを村や農家ごとに分
散させるのではなく、7 つの基地を設けてトラクター隊を組織化し、しかも、農民たちには
協同組合を通じて作業サーヴィスや精選種子の提供を受けることと共同輪作を義務づけた。
この事業で住民への影響力を失ったイェフセクツィアや地方のソビエト機関はジョイント
への対抗意識を剥き出しにした。だが、ソ連政府首脳部や経済官僚は、散在耕地制を消滅
させ、農業の大規模経営と社会化を促すローゼンの方策に注目した。その現われが、1924
年、ロシア共和国政府が 500 台の輸入トラクターを用いて南東部で実施した「トラクター・
カンパニア」であった。しかし、予定のトラクター隊の組織化は当初から頓挫した。
第3章では、MTS の起源とされてきた 1927 年創設の南ウクライナ・シェフチェンコ・ソ
フホーズの機能とローゼンの方式との同質性とともに、実際に始まる全面的集団化方式の
異質性が検討される。1928 年 11 月に MTS の名称をえた同ソフホーズは、ジョイント方式と
同様にトラクターの農民組織への譲渡を展望し、またロシア共和国ではトラクター隊をも
つコルホーズ合同という形態も現われていた。だが、1929 年夏からの強制的な集団化は、
生産手段の国家管理によって、しかも過渡的措置としてトラクターを前提とせず、農民の
農機具と牽引家畜を没収する形で開始される。この機械・馬ステーション(MKS)という左へ
の旋回は、富農との対決を不可避とし、また 1928 年の穀物調達危機が引き金となったと分
析する。
第4章は、この間の 20 年代後半にジョイントが現地法人アグロジョイントを立ち上げ、
クリミヤや南ウクライナで展開した壮大なユダヤ人入植事業がとりあげられる。このユダ
ヤ人の農民化の事業に対してソ連政府も積極的に呼応し、同じ 1924 年夏 KOMZET(ユダヤ人
勤労者農地定着委員会)が設けられる。入植計画の意味をめぐるアメリカユダヤ人社会内
部の議論、「ユダヤ人問題」の解決を世界に誇示しようとするソ連側の姿勢も検討される。
優遇されるユダヤ人、自由な活動を許されるアグロジョイントには地方当局や社会の嫉
み、反発が沸き起こる。第 5 章ではこうした問題の分析とともに、1927‐28 年には中央で
も KOMZET が孤立し始めていたこと、そしてこの頃に採択されるビロビジャン計画は特権的
性格を持っていた従来のユダヤ人入植計画からの転換であったことを指摘する。第 6 章で
は、全面的集団化に困惑しながらも、「困難なときこそ、ロシアで我々が存在する意義があ
る」と考えるローゼンが 1938 年に撤退に追い込まれるまでの過程が、彼の人脈に対するテ
ロルやビロビジャン問題を通して叙述される。ネップ期に脆弱な国家に代わる擬似国家的
機能を果たしえたジョイントとローゼンは、官僚制が整うスターリン体制下において、自
らがロシアにもたらした方式を歪曲、逆利用されて破れた。これが本論の結論といえよう。
3. 評価:これまでの史学研究においては、ソビエト国家は一国社会主義のイデオロギー下
で成立し、わけてもその体制の根幹である MTS を軸とした集団農場制度はシェフチェンコ・
ソフホーズでの実験をもとに組み立てられた独自の制度であるとされてきた。本論文はこ
の通説が捏造の神話に過ぎず、しかも集団農場制度はアメリカの機械文明と、それを利用
したジョイントの実施モデルとの邂逅を通して産み出されたことを証明した。加えて、こ
れらのことを文書史料を掘り返し、説得力をもって実証したことも特筆すべきであろう。
ソ連国家はいまや消滅したが、20 世紀最大の歴史現象でもあっただけに本論文が世界の研
究史に占める貢献は極めて大きい。また、1920 年代の困難な時代にアメリカだけでなくソ
連にも、ディアスポラの地においてユダヤ人問題を解決しようとする真摯で懸命な努力が
あったことを我々に知らしめてくれる。巻末史料のインタビュー記録も興味深い。
他方で問題点がないわけではない。たとえば、フィッシャー・パイン協定のもとでの初
期の援助活動や 1930 年代における新旧入植地の実態も明確には描き得ていない。また、
KOMZET が孤立するメカニズムやイェフセクツィアとの関係の推移も十分に検討されるべき
分野であろう。
しかし、以上のような諸点も本論文の価値を大きく損ねるものではない。これらを総合
的に勘案し、本論文は「博士(文学)早稲田大学」の学位に値するものと判定する。
2005 年1月 21 日(金)
主任審査員
早稲田大学教授
井内敏夫
早稲田大学教授
博士(経済学)鈴木健夫
早稲田大学教授
大内宏一
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