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聴講(考古学)

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聴講(考古学)
平成22年度
愛知学院大学開放講座
授業記録
春学期 考古学概論(2010/04/14~7/14)
秋学期 考古学概説(2009/09/21~2010/01/11)
考古学概論・目次
NO
月日
タイトル
備考
頁
01
04/14
考古学概論(考古学とは何か)
02
04/21
日本の遺跡発掘(遺跡・遺構・遺物)
03
04/28
人類論(人類の起源)
3
04
05/12
人類論(日本人の祖先)
5
05
05/19
人種論(日本人の祖先2)
5
06
05/26
編年論(いつ、時間、年代)
6
07
06/02
編年論(絶対年代)
8
08
06/09
編年論(年代測定法)
8
09
06/16
編年論(石碑・木簡・壁画)
9
10
06/23
分布論(どこで)
10
11
06/30
縄文時代の食文化
12
07/07
分布論(どこで)2
13
13
07/14
型式論(何をしたか)
14
14
07/21
まとめ
2
欠席
2
特別講義
各項目に挿入
11
15
考古学概説・目次
NO
月日
タイトル
備考
01
09/21
考古学の定義と必要性
15
02
09/28
日本人種・民族論
16
03
10/05
日本人起源論1・外国人学者の説
17
04
10/12
日本人起源論2・日本人学者の説
17
05
10/19
層位学と編年論1・層位学とは何か
18
06
11/26
層位学と編年論2・第3期以降
19
07
11/02
層位学と編年論3・編年
19
08
11/09
邪馬台国所在地論1・江戸から戦前迄の研究
20
09
11/16
邪馬台国所在地論2・戦後の研究
21
10
11/30
埴輪の性格、起源論
23
11
12/07
埴輪の性格、埴輪の研究
24
12
12/14
円筒埴輪の起源
25
13
12/21
型式学の原理
26
14
01/11
まとめ
各項目に挿入
頁
27
1
4月14日(水)
(01)考古学概論(考古学とは何か)
1. 誰が…人種論、Ⅱいつ…編年度、Ⅲどこで…分布論、Ⅳ…何をしたか、Ⅴどんな状態
で…機能論、Ⅵどのような環境で、環境論、Ⅶこれから何を…考古学の方法論など。
(1)考古学の定義についての研究の歴史
(2)Ⅰ-1誰が(人種論1)私たちの祖先の人種の起源と系統。
①化石人骨 ②生体形質 ③風俗習慣
(3)Ⅰ-2誰が(人種論2)
(4)Ⅱ-1いつ(編年論1)遺跡、遺構、遺物の年代を調べる。
①相対年代(層位論)大まかな年代 ②絶対年代(理化学的方法)細かな年代
(5)Ⅱ-2 いつ(編年論2)
(6)Ⅲ-1どこで(分布論1)どこで生活していたか調べる。
①微視分布(住居内の家財道具) ②概念的分布(集落内の各戸との役割と機能)
③巨視的分布(分布圏)
(7)考古学のビデオを鑑賞して研究法を考える。
(8)Ⅳ-1何をしたか(型式論1)どのような用具で生活していたか。
①年代的な役割 ②集団論 ③遺物組成論
(9)Ⅳ-2何をしていたか(型式2)
(10)Ⅴどんな状態で(機能論1)道具がどのように使われいたか。
①使用痕 ②民族例
③実験例
(11)Ⅵどのような環境だったか
①気候 ②火山活動
③植生 ④動物
(12)Ⅶこれから何を
①先史考古学と歴史考古学 ②プロセス考古学
2.スライド映写…为な遺跡
岩宿遺跡(群馬県)35000~17000 年、パラン高原(フランス)3500 年前、先苅遺跡(愛
知県)
、吉岡遺跡(神奈川県)、夏島貝塚(神奈川県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、原ノ辻
遺跡(長崎県)魏志倭人伝、荒神谷遺跡(島根県)
、加茂岩倉遺跡(島根県)
、朝日遺跡
(愛知県)
、八幡山遺跡(新潟県)
。
4月21日(水)
(02)日本の遺跡発掘(遺跡・遺構。遺物)
2
年代と発掘(遺跡、遺構、遺物)
年代
時代
道具
住居・集
墓
祭祀
土坑墓
コケシ形
落
~DC10,000
旧石器時代
ナイフ形石器・槍先形尖頭
石囲炉
器・局部磨製石斧
~DC400
縄文時代
石製品
縄文土器・釣針・弓と石
竪穴住居
屈葬
土偶
環濠集落
墳丘墓と
銅鐸
鏃・磨製石斧・製粉具
DC400~300
弥生時代
弥生土器・鉄斧・木鍬・鉄
剣
300~600
古墳時代
木棺
須恵器・鎧・鉄刃鍬鋤・太
豪族居館
刀
600~
飛鳥・奈良
奈良三彩・牛耕用犂
平城京
時代
前方後円
三角縁神
墳
獣鏡
火葬骨蔵
法隆寺
器
4月28日(水)
(03)人種論(人類の起源)
1.人種論
(1)猿人…アフリカのアウストラロピテックス。エチオピアのアファール猿人(脳容積
400 ㏄、350 万年前)
。ケニアントロプス・プラテイオプス(平らな顔をしたケニアの
少年、脳容積 800~600 ㏄、350 年前)
。東アフリカのアウストラロピテックス。アフ
リカヌス(ルーシー、脳容積 400~500 ㏄、300 万年前)
。アウストラピテックス・ボ
イセイ(脳容積 530 ㏄、210 万年前)。タンザニアのホモハビリス(能力のある人、脳
容積 600 ㏄、約 200 万年前)
。ホモエレクトス(アフリカからユーラシア大陸へ広がる。
(160 万年前)
。
(2)原人…トータヴェル原人(单フランスピレネー山脈東端、45 万年前)。北京原人(周
口店洞窟(約 50 万年前、化石人骨紛失)
。
(3)旧人…ドイツのネアンデタール谷のフォルトフォッファ洞窟。マバ人(中国華单地
方広西省獅子岩遺跡出土。ソロ人(インドネシア、5万年前)
(4)新人…クロマニオン(单フランスのクロマニオン岩陰)。ボスコップ(アフリカ東单
部、約 3 万年前)
。山頂洞人(中国北京市周口店洞窟、約 1.8 万年前)
。ワジャック人(イ
ンドネシア、約 1 万年前、完新世初頭?)
2.地域の为な化石人類
人類名
脳容積㏄
アフリカ
ヨーロッパ
東アジア
ジャワ
新人
1400^
ボスコップ人
クロマニヨ
山頂洞人
ワジャック
1600
ン人
人
3
旧人
1300~
カプェ人
1750
原人
猿人
900
500
ネアンデタ
マバ人
ソロ人
北京原人
ジャワ原人
ール人
東トゥルカナ原
トータヴェ
人
ル原人
アウストラロピ
テックス
チンパンジーの脳容積は 394 ㏄
3.顔面の比較…顔面の進化で目立つのは下アゴの部分で、オトガイの形成は類人猿には
まったく見られない。オトガイはアウストラロピテックスや原人(ホモエレクトス)
には未だなくクロマニオン人になって完全に形成された。
4.新人の起源…二説がある。
(1)多地域進化説…各地域の旧人が進化して新人そして現代人になる。
(新人多元説)
。
アフリカ起源説…150~160 万年前アフリカから外に出てユーラシア大陸に進出、各地
で原人から旧人そして新人になる。
(ノアの箱舟説)。
(2)新人アフリカ起源説…ヨーロッパの旧人ネアンデルタール人と新人のクロマニオ
ンは大きく異なる。進化的な変化ではなく、西アジア、アフリカで進化した新人が外
から移住して土着の旧人と交替した説もある。またホモ・サピエンス・イダルツ(長
老)
、エチオピアで発見(16 万年前、脳容積 1450)眼の上の盛り上がりが大きい。ホ
モサピエンスはアフリカで誕生、世界に広まったとするアフリカ起源説が有力になる。
5.人類の進化…歩行は四足歩行から二足歩行へ。脳容積は 300 ㏄から 1600 ㏄。脳容積の
増加は道具の製作が多様になる(河原石→礫器→剥片を作る→削る道具)
。顔つきオト
ガイは未発達から発達。眼窩上隆起は突出から衰退。生活は樹上生活から地上生活へ。
6.世界の人種
①アフリカ中心…ニグロイド②ユーラシア大陸の西半分中心、アフリカの北部…コー
カソイド③オーストラリア、ニューギニア一部、インド大陸…オーストラロイド④ユ
ーラシア大陸東半分、单北アメリカ、
(日本)…モンゴロイド⑤その他…カラハリ砂漠
(ブッシュマン)
、東单アジア山岳地帯離島(ネグリト)
、单太平洋の島々(ポリネシ
ア)
。
7.モンゴロイドの特徴…①シャベル状切り歯→北京原人の切歯に類似、現代中国人に見
られる。②下顎隆起→小臼歯の内側に瘤状の骨。③矢状頭頂隆起→モンゴロイド人種。
④インカ骨→後ろ頭骨の上部に縫合により三角形の骨(アンデス地方の人骨に多い)。
モンゴロイドの祖先→北京原人(顔が平べったい、顎の部分が前に突出、シャベル状
の切歯)
、藍田人。周口店第1地点シナトロップス→太平洋戦争の混乱によって行方不
明。部分的な化石骨から全体復元している。→その結果モンゴロイドと共通している
ことが解った。⑤頭髪は黒、直毛、太い。⑥顔は平べったい、鼻根は低く広い、目の
4
色は黒に近い暗褐色、瞼豪古(目尻)ひだ、一重瞼が多い(二重はコーカソイドの特
徴)
、胴が長く四肢は短い、ひげや体毛は少ない、皮膚の色は明るい褐色、全体として
黄色。
5月12日(水)
(04)人種論(日本人の祖先)
1.遺跡の発掘
①ヨシゴ貝塚(愛知県田原市)前歯がフォーク状に研歯してある、呪術のためか。
②イムームスティエ洞窟は旧人の埋葬。
③スンギル遺跡(ロシアウラジミール市郊外)後期旧石器時代(2.5~2.2 万年前)現代型
新人の極北進出。2基の土光坑道、埋葬施設。副葬品(マンモスの牙のビーズ)
、合
葬(少年と少女が頭を接触して埋葬)、狩猟具(マンモスの牙製のヤリなど)
④石垣島洞窟(沖縄県)20000 年前の男性頭骨破片、18000 年前の成人の中足骨、15000
年前の成人男性の腓骨が発掘された。
⑤港川人1号男性(沖縄県)18000 年前、5~10体発見、身長は 150~155 ㎝(縄文
人 157~159 ㎝、現代人 170 ㎝、)脳容積 1390 ㏄、歯は抜歯、キャシャであるが顎の
筋力は発達。現代日本人男性との比較…低く広い脳頭蓋、側頭窩が大きい、低く広
い眼窩、突出した眉間、くぼんだ鼻根、張り出した頬骨、幅広く頑丈な下顎骨(噛
み合わせが強い)、垂直な壁状の下顎骨と歯槽部、薄い頭骨壁、脳容量は小さい、突
出した後頭部、横後頭隆起など。人骨が出ても遺物の道具が出ない。
2.日本人の祖先…食人説、アイヌ説とコロポックル説。明治時代に人種論争が始まった。
①E・S・モース…アメリカ人、ダウイン(アガシーと対論)の種の起源に傾向する。
1877 年来日、東京大学教授、プレアイヌ説、大森貝塚(石器時代の人)を発掘、貝
塚の科学的な発掘調査(日本で初の調査遺跡)、報告として「シェルマンズ of 大森」
がある(大森介嘘古物編)
。
代後期(約 3000 年年前)と解った。
②坪井正五郎…東大人類学教授、アイヌ説を批判、コロポックル説。石器時代はコロ
ポックルの人々が残した。アイヌ伝説に出てくる人々にフキの下に住む人々とさげ
すむことがある。石器時代はアイヌではない、土器・石器を使用しない。アイヌ文
様と土器文様は異なる、土偶から髪型が頭頂で結んでいる。衣服がカブリものであ
る、文様が違う。竪穴には住まないなどを理由とした。
③小金井良精…アイヌ説。髪はマゲを結ぶ、かぶり物の服。石器時代の人骨とアイヌ
の人骨を調べる。
5月19日(水)
5
(05)人種論(日本人の祖先2)
④鳥居龍蔵…坪井正五郎の弟子。千島を調査。アイヌが竪穴に住み土器を使用、アイ
ヌの文様と同一からアイヌ説を为張する。
⑤ハインリッヒ・V・シーボルト…ドイツ人。外交官、人類学に興味を持つ。アイヌ
人と琉球人は同じ系統にある。内地に住む人々と異なる。
⑥J・ミルン…イギリス人。アイヌとパプア人は似ている。根拠として弓矢を使う。
薩摩は丸顔、大きな目、体毛が多いので原住民タイプ(日本古来人)
。
長州は卵円形の顔、斜めの目、鷲のような鼻で貴族タイプ。朝鮮から来た。
(アイヌ
人は北から来た)
。
⑦E・V・ベルツ…ドイツ人。薩摩には西郷隆盛(低い鼻、大きな口)マレー人に似
ている、庶民タイプ。長州は中国人に似て貴族タイプ。
⑧デーダーライン…ドイツ人。奄美大島は内地と風習が異なる、アイヌに似ている。
・日本人の顔貌の2型
報告者
報告年
Ⅰ型
2型
シーボルト
1879a
薩摩型
機内、北越など
〃
1879b
九州
西部、北部
デーダーライン
1881
奄美大島(原住民)
薩摩人(日本人)
ミルン
1882
原住民タイプ
貴族的タイプ
ベルツ
1883-5
庶民タイプ、武骨型
上流タイプ、繊細型
菱川師宣伝、丸顔職人
喜多川歌麿、面長美人
浮世絵などから
5月26日(水)
(06)編年論(いつ、時間、年代)
1.
相対年代と絶対年代
①相対年代…おおよその年代。
②絶対年代…年代測定機器により、確定した年代。
(誤差は±150 年)
2.層位論(地層)…第4紀層…人の出現から今日まで。第3紀層…人が出現してない。
①ニコラス・ステノ(オランダ人)上に乗る地層は下の地層より新しい。
(地層累重の
法則)
②ウイリアム・スミス(イギリス人)一つの地層にはその地層に特有な化石が含まれ
ていて、その化石は上の地層にも、下の地層にも含まれていない。
(地層同定の法則)
③八木宗三郎…遺物が地層を違えて層位的に出土している。
(加瀬貝塚・神奈川県)
3.地層の形成
6
近世
①地層は火山活動による降灰によって形成。
中世→古代
②植生(草や木)が土になり黒土(腐植土層)になる。
古墳→弥生
③地形変化の断層、地すべりなどで形成。
亀ヶ岡遺跡層位図
縄文→旧石器
岩宿遺跡(群馬県みどり市)
黒色泥土層
縄文早期
黄白色泥炭層
岩宿Ⅲ(石槍)
灰色砂質泥土層
岩宿Ⅱ(切出ナイフ)
褐色泥炭層
岩宿Ⅰ(石斧)
黒色泥土層
相沢忠洋が赤土から石器を発掘
灰色砂質泥土層
佐藤伝蔵(1896)
4.地層から石器が出土する地層の目安はAT(九州の姶良TN火山灰 28000 年前)が基準
となる。御岳の火山噴火は 80000 年前。
①ローム層(富士山を給源とした火山灰が堆積した地層を関東ローム層と呼ぶ)中の層
位的出土例…古い(深い)順に台形型石器、ナイフ状石器→台形型石器、局部磨製石斧
→ナイフ形石器→尖頭器→細石器
②東関東の石器群の変遷
地層
③遺物の集中…地層の中に遺物が多く集中して発
石器群
L1S~
草創期初頭」
BO
第Ⅴ期後半
L1H
第Ⅴ期前半
B1
第Ⅳ期後半
L2
第Ⅳ期前半
B2L
第Ⅲ期
B3~AT
第Ⅱ期後半
L5
第Ⅱ期前半
B5
第Ⅰ期
掘される。遺物を包含する为体的な文化層である。
遺物の集中(生活面)
・栗原中丸遺跡(神奈川県)…遺物の集中の資料(別紙)となった。
・泉福寺洞窟(長崎県)…洞窟遺跡で層位を確認された。12層からなり旧石器から縄
文時代(草創期)までの遺物を発掘。
・蜆塚貝塚(静岡県)…縄文後期の土器が層位的に出土した。
・西志賀貝塚(名古屋市)…弥生式土器(カイダ式土器、高くら式土器)の層位的出土。
7
6月2日(水)
(07)編年論(絶対年代)
1.相対年代はおおよその年代、絶対年代は1000年±150年を表す。
①地層から年代を調べる。
・松河戸火山灰(春日井市)は縄文後期(3120 年前)
。色調は桃灰色で火山ガラスを含
む。給源は不明だが濃尾平野、三河山間部、伊豆半島、山陰(三瓶・太平山降下火
山灰)と推測される。
・アカホヤ火山灰は 7000 年前。
・姶良 TN 火山灰(AT)は 28000 年前に姶良カルデラが大噴火した。噴煙は偏西風に
乗り東北地方まで降下した。黄灰色の火山ガラスなので確認しやすい。
②遺跡には開地遺跡、洞窟遺跡(風穴、海食洞窟)
、岩陰遺跡がある。
洞窟遺跡は川の側刻や下刻作用の洞窟を利用する。天候のよい日は洞窟の前で、雤
降りは洞窟で生活する。洞窟の奥は墓地になっている。
③文化層…人が住んでいた痕跡。
自然層…火山灰が風によって運ばれて堆積。
④貝塚遺跡…いろいろな考古学的資料が含まれている。土器、石器、魚骨(貝の炭酸
カルシュームによって保存される。
(獣骨も同様)
純貝層、昆土貝層、昆貝土層には遺物が層位的に出土している。日本の土器はヨー
ロッパより早く出現している。縄文時代への突入は日本が 5000 年以上早い。
6月9日(水)
(08)編年論(年代測定法)
2.为な理化学的年代測定法
測定法
試料
考古学への適用
放射性炭素法
木片、炭、泥
2万5000年より新しい年代の測定に適す。試料が
(炭素14年
炭、骨、貝殻
得やすいこともあり、現在考古学で最も普及してい
代測定法)
フィッション
る。
鉱物、ガラス
トラック法
カリウム・ア
数百万年から数千万年前くらいを測定するのに適す。
黒曜石の産地の測定などに用いられる。
岩石、鉱物
ルゴン法
100万年以上前の年代測定に適す。地質学における
年代測定に向いているが、考古学への利用は限定され
ている。
電子スピン共
鍾乳石、化石
数百万年以降の年代測定に適す。開発されたばかりな
8
鳴法
サーモルミネ
ので考古学への応用は限られる。
土器、骨
ッセンス法
数十万年以降の年代測定に適す。土器のある時代には
利用できるが、炭素14年代測定法よりやや信頼度が
低い。
古地磁気法
黒曜石水和層
溶岩、湖成
70万年から500万年前くらい年代測定に適す。为
層、海成層
として地質学で用いられる。
黒曜石
日本では10万年より新しい年代測定に適す。水和層
法
の発達に環境が影響するため、別の年代測定法を併用
しなければならない。
年輪年代学
木材
数千年より新しい年代測定に適す。利用できる地域と
時代が限られる。
①年輪と放射性炭素法による年代測定…多少差を生じたが、木材は年輪測定が優位。
1895 年木名セコイアで同様の比較測定を3グループ行った結果、誤差は3%以内。
②放射性炭素法で中近東からヨーロッパの最古の農耕遺跡を調査した結果、中近東か
らヨーロッパへの農耕の広がりを示した。(BC5200~BC2800 をかけて広がった)
③グリーランド氷床コアから炭素同位体比からみた気候の変化…1995 年
16000 年以前は最終氷期(ウイルム氷期)でそれ以降は高氷期になり現在も続く。
日本の縄文時代はこの 16000 年前の太平三元の遺跡から土器が出現している。ヨー
ロッパでの土器は 7000 年前となる。
④湖沼(水月湖、福井県)の年縞堆積物…平均堆積速度は 2.19~2.27 ㎜である。海洋
底堆積速度の 0.01mm よりかなり速い。
3.文字と絵
①ロゼッタの石…縦 114 ㎝ 横 72 ㎝ 厚さ 30 ㎝。1799 年ナポレオンが遠征しロゼッ
タに築城工事中に発見。1822 年解読した。前 196 年、玄武岩に刻まれ建立された法
令碑。古代エジプトのヒエログリフ体、デモティック体、ギリシャ語の三言語で書
かれピエログリフの解読に重要な手掛かりになった。
②日本の文字がある出土品
・
「景初四年」銘龍虎鏡…福知山広峯15号墳。景初四年と記入した銘文がある。三角
縁神獣鏡の製作地問題に一石を投げた。
・大宝令以前の墨書土器…奈良県藤原宮。7世紀末木簡と共に出土。
・小治田安万侶墓誌…奈良県都祁村で発見。729 年に作られた。
・
「辛亥年」銘鉄剣…埼玉県稲荷山古墳…前方後円墳、5世紀(中期古墳時代)表に5
7文字、裏に58文字金象嵌にて記してある。
9
・荷札木簡…奈良県平城京跡。703 年に書かれた。表「尾張国智多郡番賀郷花井里丸部・・」
裏「調塩三斗 神亀四年・・・」と書いてある。
・護摩札…大脇城遺跡、愛知県豊明市。
・墓碑…京都府木津惣の墓碑と型式を 1601~1900
③絵(壁画)アルタミラ洞窟(スペイン)、ラスゴシ洞窟(フランス)
4.土器と墓
①土器…土器は各部(右図)の文様で年代を判断できる。
②墓碑…京都府木津惣の墓碑の型式の別出現変遷を調査
(1601~1900 年)した結果、1600 年代は型式12(砲弾
薄型)が多く、1700 年代は型式 15、1800 年代に角柱
口縁部文様帯
頸部
胴部
型、1900 年代からは現代の角柱型となっている。
型式 12
型式 15
型式 22
底部文様
型式 24
6月23日(水)
(10)分布論(どこで)
1. ナイフ形石器文化の東と西
①
茂呂・国府形ナイフ形石器文化圏…関東、長野、石川
から西日本区域。今城遺跡出土(大阪府郡家)の国府型(長さ 5.3 ㎝)
。
②
杉久保・東山型ナイフ形石器文化圏…関東北部、長野、
石川から東日本区域。米ケ森遺跡(秋田県)出土の東山型ナイフ形石器(長さ 13.2
㎝)
。
2. 環状集落…西田遺跡(岩手県紫波町)の発掘。縄文時代中期の約 5000 年前の集落は
環
状形になり、中央に墓、平地建物(祭祀に使用?)、竪穴住居、外側に貯蔵穴を配置。
3. 環濠住宅…縄文時代は戦がなかった。弥生時代になり稲作をするようになり肥沃な土
地や水利の奪い合いで戦が起きる。大塚・歳勝土遺跡(神奈川県)弥生時代 2000 年前。
集落の周囲に V 字溝を作り、防衛した。その外周に槍杭を二重に配したものもある。
墓は離れた場所にあり、方形周溝墓である。
4. 埋葬と切歯…姥山貝塚(千葉県市川市)から多くの人骨が発掘され、男性は左側の歯
を抜歯、女性は右側を抜歯していた。切歯の習慣がある。また、埋葬の頭の方向が西
10
向きのグループと東向きがあり、一族ごとに方向を決めて埋葬した。
5. アスファルト付着遺物の分布の変化…アスファルトは石鏃(せきぞく)即ちヤジリ(黒
曜石)と柄を接合するのに用いられた。为に東北地方に多く、関東以西ではニカワで
接合したようである。縄文後期 5000~2500 年前の貝塚などから出土。日本海側から
太平洋側へ分布変化。
6. ヒスイ玉の分布(縄文中・後期)…ヒスイの原産地は姫川(富山県)。内陸部を通り
関
東や東北地方に、また海を舟(?)で北海道まで広がった。
7. 青銅製祭具の分布…分布状況は卖純でない。北部九州は銅剣・銅矛文化圏。近畿地方
は銅鐸文化圏と言われてきたが吉野ヶ里遺跡(佐賀県)から銅鐸見つかった。荒神谷
・遺跡(島根県)では銅剣・銅鐸・銅矛が出土。加茂岩倉遺跡(島根県)からは、銅鐸
30点ほど出土した。
・広形銅矛…は九州北部、四国。平形銅剣…山陽地区。出雲形銅剣…山陰地方。近畿式
銅鐸…近畿地方。三遠式銅鐸…愛知県・静岡西部。
・銅鐸の内側に引掛けがある「鳴り物銅鐸」は田の神信仰に用いられた(?)
。
→13 頁に続く
6月30日(水)
(11)縄文時代の食文化(特別講義)
1.縄文前・中期の小文化圏と自然環境との関係…縄文文化の発達は、東北日本において
特に顕著である。その文化内容は西单日本より豊富であり、バラエティーにも富んでい
る。遺跡も又東北日本に圧倒的に多く、大規模遺跡も多い。東北日本のなかでも遺跡は、
太平洋側にも豪雪地帯の日本海側にも偏り無く分布し、地域性豊かな小文化圏が分立し
ている。
1)自然環境…①常緑針葉樹林帯(亜寒帯)…北海道から中部地方の山岳地帯。②落葉
広葉樹林帯(温帯)…北海道から東北の平野部、関東から中部地方の山地および九州
までの山岳地。③照葉樹林帯(暖帯)…関東から中部までの平野部、近畿以西の山地
および平野部。
2)小文化圏…豪雪地帯における独自の文化圏の発達は、稲作以前の縄文時代にあって
も、資源の豊かさと、それを十分に活用できる技術が確立していたことを示唆してい
る。小文化圏の境界線形成には、水域環境と植生との関係が最も深い。食料資源とし
ては植物が最も重要であったと見られる。むしろこの植物の高度利用を背景に、漁業
もまた発達していったと見ることができそうである。
小文化圏は北海道から单へ①北筒式(北海道)②円筒式(北海道单部から東北北部)
③大木式(東北单部)④浮島・阿玉台式(茨城・千葉)⑤長者ケ原・馬高式(佐渡・
11
新潟)⑥諸磯・勝坂式(関東西部から長野・東海)⑦北白川下層・船元式(北陸から
九州北東部)⑧曽畑・阿高式(九州北西部・单部)⑨单島系(奄美・沖縄)
2.食事形態の変遷…縄文遺跡の200ヶ所から出土した植物遺体は約40種類。
それも殻の硬い堅果類が为であり、蔬菜類、地下茎、球根類は殆ど残っていない。堅
果類はクルミ、クリ、トチとドングリ類などで、ドングリ類の半分を除いては、いず
れも東北日本の落葉(広葉)樹林帯(ブナ帯)に卓越する樹種である。
・縄文時代の気候は寒い時代でクヌギやナラ類は九州まで広がっていた。
①
縄文時代…トチ・ドングリなど、魚、獣肉→②大陸か
ら…米、家畜獣③弥生時代以
降…トチ・ドングリ、コメ④欧米から…パン、家畜肉など、魚→⑤現代…コメ、家畜肉。
・トチとドングリ類の大部分は、アク抜きをしないと食べられない種類である。
3.狩猟具と獲物…毒矢・槍(旧石器)の使用は本州山地帯ではツキノワグマ・カモシカ、
北海道山地帯はヒグマ(特に毒矢を使用)。弓矢(縄文)は本州低地帯ホンシュウジカ・
イノシシ、北海道低地帯エゾシカ。
4.漁業の多様性
中心地
貝類
海棲哺乳類
外洋性
内湾性
リアス式・多島海
縄文海進・サンゴ礁
①
④
③ ⑤
河川
⑨
寒流 暖流
製塩
サザエ アワビ
ハマグリ アサリ
ウニ
カキ ハイガイ
シジミ
トド アザラシ
オットセイ
魚類
マグロ
カツオ
マダイ
サメ イルカ アラ
クロダイ
スズキ
フグ ウナギ
ボラ(汽水域)コイ
フナ
ユ
漁具
回転式離頭銛
ヤス 魚網錘
固定式銛 釣針
土器片錘(切目石錘
オイカワ
ア
イワナ
有溝土石錘)
中心地の番号は1.2)の小文化圏を表す。
5.深鉢型土器の2系統…煮沸系と沈殿系
BC
縄文期
堅果類
煮沸系深鉢
~10,000
草創期
ドングリ類
尖底深鉢
~7,000
早期
沈殿系深鉢
年代
尖底深鉢
12
~4,000
~3,000
前期
中期
クズ・ワラビ類
キャリパー形深鉢・片口
製粉技術の発達
付き深鉢
トチ
キャリパー形深鉢・注口
円筒形深鉢
円筒形深鉢
付き深鉢
~2,000
後期
くびれる深鉢
300~1,000
晩期
くびれる深鉢
底の大きい深鉢
6.堅果類の貯蔵法
①長期保存…乾燥台地の集落内の屋根裏貯蔵で乾燥貯蔵をする。
②短期保存…低湿地の集落外の穴貯蔵で生貯蔵をする。
7.ドングリ類の種類とアク抜きの違い
民俗分類
種(出土例のみ)
森林帯
アク抜き方法
クヌギ類
クヌギ カシワ
落葉広葉樹林帯
製粉または加熱処理
東北日本 韓国
+水さらし
ナラ類
ミズナラ コナラ
カシ類
アカガシ アラカシ
〃
〃
照葉樹林帯
单日本
西
水さらしのみ
韓国单
海岸
シイ類など
イチイガシ
ツブラジイ
〃
スダジイ マテバジイ
8.北九州小西田遺跡の水さらし場遺構
アク抜きの水さらしとして大きな遺構。ドングリピットや木枠が連続している。
9.栃木県鹿沼市明神前遺跡の水さらし場遺構
掘り片、石敷、石敷掘り方、木組遺構などを発掘。
10.長方形大型家屋址の分布と平均積雪量との関係
長期保存のため大きな家屋が建てられた。特に豪雪地帯の北陸、新潟、山形、秋田県
には多くあった。
11.最大の長方形大型家屋址…秋田県能代市杉沢台遺跡
屋根裏に貯蔵するから長方形が必要。正方形や丸形では貯蔵スペースが少ない。
12.水野氏の縄文集落論と追加遺跡…猟場、住居・貝塚、道路・広場、畑、水さらし場な
どの配置を論じている。
13.クッキー状炭化物(山形県高畠町押出遺跡)…前項7.のクヌギやナラ類で製粉技術
が発達して、このクッキー状の炭化物を発掘した。
14.炉で焼かれるパン状炭化物(長野県豊丘町伴野原遺跡)…同様パン状炭化物の発掘。
15.スタンプ形土製品…もちなどに付ける文様、土で作ったもの、現代の印鑑の指で持つ
突起もある。カゴの編み技術は縄文時代にほとんど生まれた。
13
7月7日(水)
(12)分布論(どこで)2
8. 三角縁神獣鏡の分布…分布は関東から以西にあり。東方型鏡群は関東から東海北陸の
地域。中央型鏡群は東海北陸から中国地方地区。西方型鏡群は九州地区。
・畿内には三種の神獣鏡が多くの遺跡から出土している。この事から邪馬台国の畿内
説が有力になる。
9. 二つの貝輪の道…約 2000~1500 年前、貝の腕輪は单海諸島と伊豆諸島の貝の道を通
り
北海道单から沖縄まで供給された。貝の材料はゴホウラ、イモガイ、オオツタノハ等。
10.碧玉(へきぎょく)製腕飾類出土古墳の分布…関東から九州まで広く石釧、車輪石な
どを出土している。
11.遺跡の数…佐藤真(1985 年)調査による。歴史的に存在した数(A)と遺跡として確
認された数(B)の割合は未だ低い。現状の遺跡の発掘状況から結論は難しい。
歴史的に存在した数
遺跡として確認した数
割合%
国分寺
66
59
98
国衙
66
19
29
郡衙
587
43
7
12.研究者コッシナによるゲルマン人の領域…コッシナ氏がゲルマン人の黄金容器の分布
でゲルマン人はヨーロパに広く居住していたことを利用してヒットラーが領土拡大の
言い訳にした。
7月14日(水)
(13)型式論(何をしたか)
1. 型式と形式…型式はタイプ。特定の構造や外形などによって分類される型。モデル。
形式はスタイル。物事が存在するときに表に現れている形。外形。
2.スタイル(形式)があってタイプ(型式)がある。
深鉢形土器
平縁
浅鉢形土器
波状口縁
皿鉢形土器
把手付
3.土器型式の研究は変わらない部分と変わる部分を分ける。
4.型式の変遷と変化
14
1)ヨーロッパのブローチの変遷…①当初は機能的であり実用的 ②装飾化する ③文
様が描かれる。
2)ヨーロッパの鉄道客車の組列…①アールヌーボーのような客車 ②段々角型になる。
3)自動車の変遷…①人力車のような車 ②運転席にテント屋根がつく ③屋根付き箱
形になる。④車高が低くなり現在の車となる。
4)マケドニア共和国のケルト貨幣の変遷…図柄から変化を知る。文様は時代と共に変
化する。個々の変化の度合を確認する。
5)銅鐸の把手部の変遷…①内側に引掛け具(舌)があり鳴らしていた。 ②舌がなく
なり飾りが多くなる。胴の部分にトンボ、カメ、ツルなどを描いた。
6)土器と口縁部文様帯…縄文時代中期の加曾利(カソリ)式土器 ①口縁部は年始文
様、胴は縄文。
(EⅠ式前半) ②口縁部の下部は無文帯、胴は縄文を上下に指先等
で縄文をすり消す。
(EⅠ式後半) ③②と比べ無文帯がなくなり胴のすり消し部分
の本数が増える。
(EⅡ式) ④口縁部の文様帯がなくなり、すり消しの幅が広くな
る。
(EⅢ式)
7)縄文時代晩期亀ヶ岡式土器(浅鉢形土器)の文様…当初は直線や卖純な柄だったが
序々につる状や曲線文様が多くなった
8)ミッキーマウスの変化…①1928~1930 年頃
②1930~1940 年は①に比べ目、眉毛
の描き方とパンツや靴の形状と色が変わった。 ③1940~1950 年は②に比べ、眉と
目玉それに靴の描き方が変わる。 ④1950 年以降はシャツを着た。ズボンのボタン
が無くなり、靴の色も変わった。
9)ヨーロッパの先史時代の斧…①石製で刃先を削る ②刃さにを幅広くする ④銅製
となる ⑤柄を穴に差し込むリングを設ける。
7月21日(水)
(14)まとめ(内容は各項目に追加挿入)
春学期修了
9月21日(火)
(01)考古学概説
(1)考古学の定義
・浜田耕作『通論考古学』1922(大正 11)で「考古学は過去人類の物質的遺物を研究す
る学なり」
浜田氏の物質的遺物とは遺跡…遺構遺物が構成されている空間
遺構…不動産的考古学資料
15
遺物…動産的考古学資料
(壁画・墓石は遺構遺物どちらでもよい)
時間的空間的制限はない
・時代 旧石器→縄文→弥生(古墳)→古代(奈良時代・古事記・日本書紀)→中世
(2)考古学の必要性
①文献のない時代がある。古事記・日本書紀(奈良時代)以前の文献がない。
②文献に記されていないことがある。
③文献には信用できないものがある。(犯罪捜査の自由と物証の関係と同じ)
・埴輪…殉死の風習をなくすため、以前には壺などがあった。
(この地域の窯業地は猿
投窯跡群である)
・考古学(考古学的資料)は文献史学(文献資料)である。
9月28日(火)
(02)日本人種・民族論
1 日本人種・民族論
A 石器時代の人種論
(1)明治期前半の研究(外国人研究者)
①モース(アメリカ人・動物学者)
1877(明治 10)大森貝塚発掘、
『大森介嘘古物編』1879
プレアイヌ説…土器の有無・食人の風習
②ハインリッヒ・V・シーボルト(ドイツ人・外交官)
アイヌ説…1879『日本考古学覚書』で日本書紀と古事記を重視。
③J・ミルン(イギリス人・地震学者)
アイヌ説…アイヌの「コロポックル伝説」に注目。
北海道の先住民はポロコップル(蕗の下の人)説。竪穴住居(アイヌは地上式)、
土器の有無(アイヌは土器を作らない)
(2)明治期後半の研究(アイヌ説とポロコップル説)
①坪井正五郎
1897(明治 30)
『日本石器時代、人民遺物発掘地名表』
ポロコップル説…アイヌの風習とは不一致。遮光器土偶(縄文時代のメガネ)に
注目…遮光器はエスキモーやイヌイット。他に筒袖の上着、足首までのズボン、
入墨がないなどアイヌ説を否定。
②小金井良精(よしきよ)
(医学部教授)
アイヌ説…貝塚人骨とアイヌ人骨は類似、人骨の分析からポロコップル説に反論。
③鳥居龍蔵(坪井の弟子)
16
アイヌ説…北千島に調査の結果、アイヌ人は半地下式の竪穴住居に住み、土器を
作っていた。
◎別紙資料(NO.1)遮光器・石偶・土偶図
・雪中遮光器…上記坪井正五郎の遮光器土偶を参照。
・日本石器時代における石偶・土偶の変遷。板状土偶→立体土偶→中空土偶
・年代は草創期(BP13000~10000)→早期(BP10000~6000)→前期(BP6000~5000)
中期(BP5000~4000)→後期(BP4000~3000)→晩期(BP3000~2300)
◎別紙資料(NO.2)代表的な土偶写真
・極限美、亀ヶ岡式土偶(青森県亀ヶ岡遺跡)晩期、H35.5 ㎝
・十字形の板状土偶(青森県三内遺跡)中期、H15.5 ㎝
・十字形の板状土偶(青森県石神遺跡)中期、H8.7 ㎝
・十字形の板状土偶(青森県石神遺跡)中期、H15.1 ㎝
・十字形の板状土偶(青森県陣場遺跡)中期、H22.2 ㎝
・ハート形の顔の立体土偶(群馬県郷原遺跡)後期、H30.5 ㎝
・亀ヶ岡式の中空土偶(出土地不明)晩期、寸法不明
(3)大正期の研究
①松本彦七郎(東北大学)…東北地方の太平洋側貝塚の調査。縄文から弥生を層位学。
②長谷部言人(ことんど)
(小金井の弟子)人骨はアイヌ人と現代人とは異なっている。
③浜田耕作…大阪国府遺跡の調査から原始縄文土器を発掘。下層からアイヌ式縄文土
器、上層から弥生式土器が出土。このことから日本人のルーツは
外来人→アイヌ人(縄文土器・狩猟)→日本人(弥生土器・農耕)
10月5日(火)
(03)日本人起源論1
B 日本人起源論
(1)外国人学者の説(江戸時代~明治期)
①ケンペル(言語学者)…1651~1716『日本誌』言語体系が違う朝鮮から来た。
②フィリップ・シーボルト…石鏃に注目。1831『日本』満州、朝鮮はアイヌ語に類似。
③ベルツ…1883~1885「日本人の起源とその人類学的要素」で日本人のタイプとして
第1タイプ…上流階級(華奢、長頭、細長い顔、釣り上った眼、中高の鼻、小口)
マレー人に似ている
第2タイプ…庶民階級(ずんぐりがっちり、短頭、幅広く寸づまりの顔、張ったほ
ほ骨、釣り上らない眼、低い鼻、大きな口)朝鮮、中国人に似ている
*土器の流れ…縄文土器→弥生土器→土師器(はじき)古墳時代から
17
◎別紙資料(NO.3)縄文土器と弥生土器の写真
縄文土器…鉢形(縄文中期)BP5000~4000 と深鉢形
・深鉢(福島県野中遺跡)中期、火炎土器様式、H42.8 ㎝
・深鉢(新潟県山下遺跡)中期、火炎土器様式、H27.8 ㎝
・深鉢(福島県石生遺跡)中期、火炎土器様式、H26.5 ㎝
・深鉢(新潟県馬高遺跡)中期、火炎土器様式、H29.3 ㎝
・深鉢(新潟県千石原遺跡)中期、火炎土器様式、H38.5 ㎝
弥生土器…明治17年(1884)東京都文京区弥生町向ヶ岡貝塚から出土。明治29年
(1896)蒔田鎗二郎が貝塚土器(縄文土器)と区別した。
丹塗土器…命名は浜田耕作、パレススタイル土器で宮廷式土器として弥生後期に出土。
10月12日(火)
(04)日本人起源論2
(2)日本人学者の説(大正期)
き
だ てい きち
く まそ
①喜田貞吉…日鮮同祖論-西方民族(隼人、熊襲、倭人)弥生土器
東方民俗(蝦夷)
天孫民族(皇室、天孫降臨神話)
②鳥居龍蔵…アイヌ族-縄文土器。固有日本人-弥生土器。インドネシアン-印度支
那族。
(3)形質人類学的研究
①清野謙次(京都帝国大学医学部)…混血説 1925(大正 14 年)
『日本原人の研究』
石器時代人
→古墳時代人
似ていない
朝鮮半島人に似ている
→現代人
畿内人に似ている
ことんど
②長谷部言人…変形説。1949「人類の進化と日本人の顕現」生活様式の変化に伴う。
③鈴木尚…小進化説。1983『骨からみた日本人のルーツ』
单関東の人骨調査から
・古墳時代人~現代日本人
脳頭骨…鎌倉時代にかけて長頭化、以降短頭化。
顔面骨…長く狭い顔、鼻は狭く隆起する。
・縄文時代人~古墳時代人
縄文人…頭は丸い、顔は広く鼻も広い。眉間は突出。顎は頑丈。
弥生人…縄文人と古墳人の中間。
*日本人の大部分は縄文時代以来の土着の人。
た けお
④金関丈夫…渡来説。1976『日本民族の起源』
・九州の弥生時代人骨
18
北部…身長、高顔、鼻高が大きい。縄文晩期には水田(農耕)をしていた。
单部・西部…短身、短顔(沖縄人に近い)。
10月19日(火)
(05)層位学と編年論1
2 層位学と編年論
A 層位学とは何か…層位学(地質学・古生物学)
型式学(人為物の「型式」は生物の「種」のごときもの。「種」が系
統的に進化するように「形式」も系統的に進化する。
(1)二つの法則
①地層累重の法則(方法論)…「一連の地層においては上に連なる地層は下の地層よ
り新しい」1669 年ニコラス ステノが発見。1791 年ウイリアム スミスによって法則
化された。
②地層同定の法則…「一つの地層には、その地層に特有な化石が含まれていて、その
上の地層にも下の地層にも含まれない」1816 年ウイリアム スミスにより確立。
Ⅰ
○
△
Ⅱ
○
△
□
Ⅲ
○
△
□
Ⅳ
○
ⅠはⅡより新しい
◎
印は地層にあった化石、
◎印は標準化石
□
(2)地質学的層位学(マクロ)と考古学的層位学(ミクロ)
B 日本考古学の層位学研究史
(1)第1期(1890~1915)断面図の出現
①モース 1877 年(明治 10 年)大森貝塚発掘に層位図(断面図)の有無は不明。
②貝塚断面図及び遺跡断面図…山崎直方、佐藤伝蔵 1896(明治 29 年)
③加瀬貝塚の発掘調査…八木奬三郎 1906(明治 39 年)学会では「疑問の加瀬貝塚」
(2)第2期(1916~1925)…大境洞穴と層位学的発掘
①指宿遺跡の発掘調査…浜田耕作(京都大学)1921(大正 10 年)以前
②大境洞穴の発掘調査(富山)…長谷部言人、佐藤伝蔵 1918(大正 7 年)
③東北松島付近の貝塚調査…松本彦七郎(東北大学・層位学の祖)1919 年(大正 8 年)
。
◎別紙資料(NO.4)層位
・佐藤伝蔵…亀ヶ岡遺跡(青森)切断面(1896)
・八木奬三郎…加瀬貝塚(川崎市)の層位図(竹林貝層略図)
・梅原末治、小林行雄…北白川遺跡(京都)の層位と深さと土器型式図
図中の第1類~第3類は北白川下層式土器(縄文前期)
19
第4類~第7類は北白川上層式土器(縄文後期)
・芹沢長介…大丸遺跡(神奈川県)層位と土器型式。下記の(4)-②参照。
型式 稲荷台式(縄文・撚糸文)→擦痕文→無文)→夏島式→大丸式(井草式)
・大上、鈴木…栗原中丸遺跡(神奈川県)ヴィーナスライン(遺物の出土状況は女性
の乳房のように中央部に多い。下記の(5)-②参照。
・小田静夫…柱状図集成。下記(5)-③参照。
10月26日(火)
(06)層位学と編年論2
(3)第3期(1926~1936)
①縄文土器の編年の大略完成…山内清男(東北)、甲野勇(関東)八幡一郎(中部以西
松本の門下生)
②北白川遺跡の調査…梅原末治、小林行雄(京大・浜田の教えを受けた)
③ミネルヴァ(雑誌)論争…甲野勇が発表「日本石器時代文化の源流と下限を語る」
山内清男(考古学者)喜田貞吉(古代史家)の間で論争。
(4)第4期(1937~1966)
よりいと
①縄文土器最古型式の追求…撚糸文(早期)→隆線文→豆粒文(早創期)
②型式学と層位学…型式学で予測(推測)。層位学的事実で検証(確認)
・撚糸文土器の細分…稲荷台式(文様卖純)最古→井草式(文様複雑)新しい→
大丸式→夏島→稲荷台
③本の木論争…本の木遺跡(新潟県津单町)の発掘調査。1956 年尖頭器と土器が共伴
するか否か(同一層)→未報告。山内清男(共伴を是認)。芹沢長介(尖頭器は旧石
器と言い共伴を否定)
(5)第5期(1967~)
①旧石器編年…杉原荘介が 1949 年岩宿遺跡(発見は相沢忠洋・1946)を発掘調査。
遺構面は旧石器時代、肉眼でははっきりしないと報告。
②ヴィーナスライン…小野正敏 1969 年調査。遺物出土深度差曲線で発表。
③柱状図…小田静夫が 1973 年発表。
11月2日(火)
(07)層位学と編年論3
鍵属…AT蛤良丹沢火山灰(九州)ATが確認できれば前後の地層が確認できる。
宮崎県での調査・山田上の台(仙台市) 1980
座散乱木 (岩手川町)1981
4万数千年前
20
馬場壇A (古川市) 1984~1985 20万年前
高森
(築館町) 1988~1994 50万年前
上高森
(築館町) 2000
60万年前
後期旧石器は前 35000~前 16000 年。(2000 年に日本考古学協会によって検証)
④ねつ造事件…記録する作業を怠った。石器についた傷を見逃した。石器の型式学的
研究が不充分。学会で充分議論する前にマスコミ発表した。など反省。
C 編年(年代的序列をつけること)
相対編年…考古学
絶対編年…放射性炭素法(炭素14年代測定法)
、年輪年代学など。
11月9日(火)
(08)邪馬台国所在地論1
3 邪馬台国所在地論…前漢(前 202~後 8 年)
。後漢(後 25~220 年)
。魏(220~265 年)
。
景初3年(239 年)
◎別紙資料(NO.5)
・
『漢書』地理志…楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国と成る。
・
『後漢書』東夷伝…光武賜ふに印綬を以てす。倭国大いに乱れ歴年为なし。この印が
福岡県志賀島で発見された金印といわれている。
・
『魏志』倭人伝…邪馬台国への里程が書かれている。読み方によって九州説と畿内説
の二説となる。下記*印参照。
もうじん
しゅう い
・倭王武の上表文…毛人(蝦夷か)
、 衆 夷(九州单部か)、渡りて海北(朝鮮半島?)
A 江戸時代の研究
①新井白石(朱子学者)…1716 年(正徳6年)
『古史通』で邪馬台国を大和説を唱えた
や まと
が晩年『外国之事調書』北九州の築後山門郡に変更した。
②本居宣長…(国学者)单九州説
しげ のぶ
③鶴峰戊申…单九州説。遺跡に卑弥呼の墓。
*『魏志』倭人伝の資料(挿入文書)
韓国を経て、乍は单し、乍は東し、その北岸狗耶韓国に到る、七千余里。始めて一海
を渡る千余里、対馬国に至る。また、单一海を渡る千余里、一支国に至る。また、一
まつら
海を渡る千余里、末盧国に至る。…東西陸行五百里にして伊都国に到る。世々 王 ある
も皆女王国に属す。郡使の駐まる所なり。東西奴国に百里、東行不弥国に至る。百里、
单投馬国に至る。水行二十日、单邪馬台国に至る。…水行十日、陸行一月…その单に
狗奴国より女王に属せず。
(
は国名。距離の卖位…一里=435M。一日の行程=40里)
21
*狗奴国は畿内説の場合、東海地方(西上免)にあたる。
B 明治期の研究
①那珂通世、菅政友、吉田東吾…北九州説
こう ご
②久米邦武…北九州説、神籠石(現在は霊域説、城郭説)
③白鳥庫吉…北九州説
④内藤虎次郎…畿内大和説
⑤古谷清(考古学者)…江田船出古墳調査から单九州説
C 大正~昭和前半の研究
①富岡謙蔵(考古学者)…畿内説(鏡の研究)
②高橋健自(考古学者)…畿内説
③梅原末治(考古学者)…畿内説『史学雑誌』で橋本に反発
④橋本増吉…北九州説
⑤笠井新也…畿内説。卑弥呼は倭述述日百襲姫命。卑弥呼の墓は箸墓古墳にあたる。
11月16日(火)
(09)邪馬台国所在地論2
D 戦後の研究
①榎一雄…北九州説(白鳥の弟子)
②樋口隆康、岡崎敬(1949)…畿内説。古墳から出土した鏡を調査
後漢の鏡…手づれ(磨滅)の跡がある。
魏の鏡 …手連れがない
「径百余歩」直径約 145mmは畿内にあるが北九州にはない
どうはん
③小林行雄…同笵鏡論。京都椿井大塚古墳から32面の鏡が出土。17種類22面の
同笵鏡。恩賜、下賜に使用。三角縁神獣鏡(縁の断面が三角・魏の時代)
・鏡の歴史的背景 伝世鏡…宗教的権威で代々首長が伝世した(弥生時代)
同笵鏡…中央政権があって下賜されている。宗教から支配された
国へ下賜した鏡が各地に渡る。
④小林批判した研究者(未決着)
原田大六…湯冷えの現象
森浩一…三角縁は中国、朝鮮で出土していない。
(三角縁は国産)
ちゅうしゅ
王仲 殊 …鏡の名文から三角縁は呉の工人か日本で製作。
*三角神獣鏡は現在 500 枚位出土
*墳丘墓は弥生時代(3世紀前半)種類は前方後円形、前方後方形、双方中円形、
四隅突出形がある。
22
古墳は古墳時代(3世紀後)
*この頃の集落は環濠集落又は高地集落。
◎別紙資料(NO.6)鏡の写真
・内行花文鏡…平原遺跡14号鏡(福岡)、後漢時代。花びらが内側に向かっている。
き
く
・方格規矩鏡…平原遺跡8号鏡(福岡)中央に□の囲みがある。
・景初三年銘画文帯神獣鏡…和泉黄金塚古墳(大阪)、倭(3世紀)。景初3年の銘。
・景初四年銘龍虎鏡…広峯15号墳(京都)
。景初4年は存在しない。
・正始元年銘三角縁神獣鏡…柴崎古墳(群馬)
。縁の断面が三角。
◎別紙資料(NO.7)鏡の分有・環濠集落・墳墓
・小林行雄…中国製三角縁神獣鏡の同笵鏡分有関係。畿内説。
・高島忠平…日本列島における弥生時代環濠集落の分布の概観。西より吉野ヶ里遺跡、
比恵遺跡、池上曽根遺跡、唐古・鍵遺跡、朝日遺跡、大塚遺跡など全国に500。
・紀元後3世紀前半の首長墓の形と分布…前方後円形(畿内以西に多い)と前方後方
形(畿内以東に多い)の有力者の墓。
・寺沢薫…初期の前方後方墳の分布図。纒向型前方後円墳の分布図。
・箸墓古墳周辺遺跡分布図(奈良県桜井市)…30か所以上の古墳や遺跡がある。箸
墓古墳が最大級(卑弥呼の墓か)
11月30日(火)
(10)埴輪の性格、起源論
4 埴輪の性格、起源論
ひ ば す ひ め の みこと
の みのす くね
・埴輪起源説話『日本書紀』垂仁32の条…皇后は日葉酢媛 命 の列の際、野見宿禰が
殉死をやめるよう建言。この事が埴輪を作ることに発展した。
・埴輪には円筒埴輪(朝顔形埴輪も含む)と形象埴輪(家形埴輪、器財埴輪《武器、
鎧など》
、人物埴輪、動物埴輪)がある。
A 江戸時代の研究
①大金重貞…1692(元禄5年)徳川光圀の命により古墳を調査し、日本最古の埴輪の
図を描いた。
②松下見林…1698(元禄11年)伝・神功陵を調査し、初めて「埴輪」と記載。
③菅沼定静…1792(寛政4年)円筒埴輪の図を描いた。
④桂川中良…1800(寛政12年)形象埴輪の図を描いた。
B 明治期の研究
(1)外国人研究者の説(円筒埴輪の性格)
①ハインリッヒ・フォン・シーボルト
②エドワード・シルベスター・モース
23
③アーネスト・サトウ…透孔に注目し、横棒で円筒埴輪を連結した。
④ロミン・ヒッチコック…透孔は横に接続する位置関係にない。
(土留説)
⑤ウイリアム・ゴーランド…土留め以外の目的を指摘。殉死の代用説に疑問。
(2)日本人研究者の説
①坪井正五郎…円筒埴輪は柴垣を模倣したもの。透孔、タガ、タガの間の線。
地上部は垣根、地下部は土留めと折衷案を発表した。透孔のづれは進化論的に意識
されなくなった。
②和田千吉…円筒埴輪の底面レベルに注目し装飾説を唱える。
③光井清三郎…円筒埴輪刷毛目は製作技法上にできたもの、円筒陶棺との類似。
④瓦片生…刷毛目(縦横の細線)と焼成の関係に注目。縦線は土師質で赤色。横線は
須惠質で黒色。
◎別紙資料(NO.8-1)埴輪の種類
・特殊器台…岡山県宮山遺跡(4世紀)
)H95.6 ㎝
・円筒埴輪…大阪府池田茶臼山古墳(4世紀)H119 ㎝
・なれ付き円筒埴輪…奈良県ウワナベ古墳(5世紀)H91 ㎝
・壺形土器…奈良県大市墓(箸墓古墳)
(4世紀)H45.2 ㎝
・高杯と円筒埴輪(左と右)…奈良県メスリ山古墳(4世紀)左 H242 ㎝。
(中)…奈良県歌姫横穴(5世紀)H52 ㎝
・椅坐の巫女…群馬県塚廻三号墳(6世紀)H69.5 ㎝
・謎の罪列…群馬県塚廻四号墳(6世紀)
◎別紙資料(NO.8-2)埴輪の種類
・瓦偶人(人形)之図1
・瓦偶人(人形)之図2…掛川中良の形象埴輪の図
・壺形埴輪の図…大金重貞の日本最古の埴輪の図
・壺形埴輪の断面…栃木県侍塚古墳出土の壺を図面化。左半分は表面図。右は断面図
底部に穿孔を描く。
・円筒埴輪図…菅沼定静が下総古河思川堤出土の「瓦缶」を描いたもの。
文面に「地雷火之道具成哉」とある。
12月7日(火)
(11)埴輪の性格、埴輪の研究
C 明治末~大正期の研究(形象埴輪の起源)
よう
①浜田耕作…石人・石馬の影響。俑の影響ではない。
②高橋健自…自生説で形象埴輪の進化論。表伝承。円筒埴輪(実用的)の方が出現が
古そう。進化し、発展し形象埴輪が発生。
24
③喜田貞吉…代用供献説。生前要した近習、その他日常使用(器財・埴輪)の
の器物(人物埴輪)に至るまで死後なお使用すべく墓に供えた。
D 昭和期前半(戦前の研究)
①森本六爾…形象埴輪の進化論を否定。
帄立貝式古墳…遺跡における出土状況
②後藤守一…葬列代用説。家形埴輪は死者の住家。器財埴輪は死者の世界を守る。人
物、動物埴輪は死者に伴う葬式の行列。伊勢神宮の遷宮式との関連(描かれてい
る行列に似ている)
③小林行雄…祭祀儀礼説。神を祭る儀礼の場に臨んだ人々。
E 昭和後半(戦後の研究)
円筒埴輪の起源…茶臼山式壺について(埴輪の原型)
。昭和24年(1949)桜井市茶臼山
古墳の発掘調査で後円竪穴式石室を取り囲む壺形埴輪の区画列の検出。
①末永雅雄…弥生土器の系統、焼成前穿礼(円筒埴輪の母胎)→儀器。
②原田大六…福井式カメ棺(弥生後期・北九州)+有弧器台(弥生後期・近畿)=円
筒埴輪(古墳時代・近畿)
③上田宏範…朝顔形埴輪(古墳時代)→壺形埴輪
④金谷克己…朝顔埴輪の分類・編で朝顔埴輪と円筒埴輪は別のもの。
⑤内藤 晃…壺形埴輪+円筒埴輪=朝顔形埴輪と発表(1960)現在これが定説。
◎別紙資料(NO.9)埴輪の配置(配列)
・柴田常恵による上芝古墳埴輪配列図
・原田大六による円筒埴輪の構成図
・上田宏範による樹立状態比較図
・金谷克己による埴輪壺の変遷図
・都月1号墳出土の遺物と特殊器台形土器の胴部文様変遷模式図(近藤義郎・春成)
・保渡田八幡塚古墳墳丘測量図、A区埴輪配置図および配置想定復原図
・塚廻り4号墳埴輪分布図及び配置復元写真
・瓦塚古墳周濠想定復元図および形象埴輪群配列復元図
・
「木製の埴輪」と土製の埴輪で飾られた前方後円墳の想像図
12月14日(火)
(12)円筒埴輪の起源
(1)1967 年に近藤義郎・春成秀爾が「埴輪の起源」を発表。弥生時代後期の墳丘墓で
特殊器台形土器を発掘した。円筒埴輪に通じる→岡山県吉備地方で成立→畿内で成
立→朝顔形埴輪。
(2)円筒埴輪の諸説(戦前)
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・墳丘表飾説…高橋健自。代用供献説(喜田貞吉)
。葬列代用説(後藤守一)
。祭祀儀
礼説(小林行雄)
もがり
・ 殯 説(和歌森太郎)(1958)葬前に棺に死者を納めて仮に祭ること。殯の形式化その
印象を永遠に故人とともに留めるため。
・首長権継承儀礼説…近藤義郎・春成秀爾(1967)
・
「埴輪芸能論」水野正好(1971)。族長を中心に職業・軍人・官人・祭祀と言った氏族
の持つ機構のすべてが集約される。
しのびごと
・ 誄 説…増田精一(1976)『埴輪の古代史』
(NO.8-1 の古墳祭式の復原及び誄の葬列
を参照)
。貴人の死を悼み生前の徳などを追偲して述べる詞。死者が死んだものと
して、祖先からの系譜に対することを宣言。
5 型式学の諸問題
A 分類学としての型式学(型式学とは)
(1)考古資料の分類と必要性(生の資料は雑然と混沌)
分類…秩序・個体数(カメ)
・時期(器種)
。分類は遺物整理、情報の圧縮。
*教授は夏休み窯跡(鎌倉時代)を調査をする。器種、材質、形(大きさ)、色(文様)
(2)型式と型式学…型式は個々の資料が持っている多くの属性から研究者が必要と認
めたもののみを抽出して構成された概念(言葉に表す)
。考古資料の分類における基
本卖位。型式学は型式と形式との関係を検討し、諸型式を一定の原理に従って整理、
配列する研究。
◎別紙資料(NO.10)型式
・鉄道客車の組列(モンテリウス)
・北欧青銅斧の変遷(モンテリウス・浜田訳『考古学研究法』)
・北欧の留針の組列
・北部九州弥生中期甕の形態変遷(田崎博之)
・畿内土師器甕の把手の変遷
・方格規矩四神鏡系倭鏡における为文獣像の変遷
・方格規矩四神鏡系倭鏡に見える为像型式と図像文様要素との相関表
・奈良県唐古出土弥生土器編年表(末永・小林・藤岡)
・中津式土器・坂の下Ⅱ式土器とその折衷土器
・
12月21日(火)
(13)型式学の原理
(3)型式配列の視点
・機能…何のために存在したか
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・時間…いつ作られたか
・空間…誰が作ったか
B 型式学の原理…モンテリウス(スウェーデン)1903 原書。浜田耕作訳 1932『考古学
研究法』
(1)
「型式」と「種」
①人為物の「型式」は生物の「種」のこときもの。
生物学者が「種」を区別できるように考古学者も「型」を区別できる。
②「種」が継続的に進化するように「型式」も系統的に進化する。生物学者が「種」
の進化を指定するように考古学者も「型式」の比較によって「型式」の進化を推
定することができる。
(2)型式学の実践
・進化の方向性…効率化、実用化、装飾化。
・痕跡器官…退化の方向
(3)型式の組列の検証
・一括遺物
・層位学との併用(類重の法則)
*小林行雄の「型式」Type、
「形式」Form、
「様式」Style
1月 11日(火)
(14)まとめ
秋学期修了
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