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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s
 Title
Author(s)
人間の苦悩へのアプローチI : 苦悩の時限と援助への手続
船岡, 三郎
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
社會問題研究. 1980, 30(1), p.17-31
1980-04-01
http://hdl.handle.net/10466/6944
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
人間の苦'悩へのアプローチ
I
一苦悩の次元と援助への手続一
船
岡
郎
1 . ま え カf き
2
. 実存的苦悩について
3
. 現実の苦悩について
4
. 神経症的、精神病的苦悩について
5
. 苦悩に対するアプローチとその手続
1.まえがき
カウンセリング、精神療法、ケースワークなどの臨床場面は、人間の苦悩に
満ち、乙れらの苦悩にいかにアプローチし、それをいかに援助するかは、われ
われの大きな課題である o
しかしながら、乙れらの苦悩はその発生図的な見地から、その症因が異なる
ばかりでなく、その心理学的な構造も異なり、それにしたがってアプローチの
手続も異なると思われる d
たとえば、中田は神経症的苦悩、すなわち神経症的な不安 (
n
e
u
r
o
t
i
ca
n
x
i
e
t
y
)
に対する現実的な対応ないし現実的な援助は、 1、その援助が表層的な援助に
過ぎなかったり、 2、援助が無効で無益であったり、 3、援助がクライエント
に疎外的に機能して、クライエントを傷つけたりするなどと述べて、神経症的
苦悩に対する現実的援助が無効であるばかりでなく、むしろ疎外的に機能して
いる一事例を紹介している。(文献 11) さらに G
r
e
e
n
s
o
n は患者のもつ神経症
的不安による神経症的な転移反応 (
n
e
u
r
o
t
i
ct
r
a
n
s
fe
r
e
n
c
e
) と分析家に対す
る現実的な反応とは、
噌
弓'
ι
献 3)
その取り扱う手続の異なることを指摘している。(文
人聞の苦悩へのアプローチ
工(船岡)
そこで本稿においては、人聞の苦悩をその発生図的見地から、 1、実存的苦
悩
、 2、現実の苦悩、 3、神経症的、精神病的な苦悩の 3つの次元に大別し、
それを図式化し、それぞれの次元に対するアプローチの手続に考察をす〉める
ことにしたい。いうまでもなく、人間のこうした次元の苦悩は、現実には統合
され、まざり合っているものである。ある苦悩が苦悩された場合に、その苦悩
はこれらの次元の何れかにウェイトが置かれているに過ぎない。
しかしながら、問題を明確化するためと、やはりこれらの次元における苦悩
の経験と意味およびその心理学的構造が異なるために、敢えて次元化、 図式イじ
a
して分析を試みたいと思う。
2
. 実存的苦悩について
F
r
a
n
k
l
eは人間存在そのものにか〉わる避ける乙との出来ない苦悩を実容
的苦悩と呼んでいるが、人間脊在そのものにか〉わる苦悩は、
F
r
a
n
k
l
eのいう
ように四肢を切断された人、不治の病を苦悩している人など、運命的に必然な
苦悩を苦悩している人(文献 2) だけに存在するものではない。
精神病理学、精神療法、カウンセリング、発達心理学などにおいて、われわ
れ有機体には自己実現の衝動が内在していることを認めており、それは何らか
の意味で生命の脊続する限り機能するものであるといわれている。そのために
その衝動にまつわる苦悩も、人間容在そのものにまつわる必然的で避けること
の出来ない苦悩であり、
F
r
a
n
k
l
eにならって、 こ〉では実害的苦悩と呼ぶこ
とにする。
このような見地に立つ時、実害的苦悩はすべての人が人間的容在である限
り、すなわち自己実現の衝動の寄在する限り一一すでに触れたように、すべて
の人に何らかの意味で存在する一一経験しなければならない苦悩である。
こうした自己実現の衝動は、もっとも顕著に幼児の行動に観察される。たと
えば児童心理学者である
J
e
r
s
i
l
dは「有機体にはその資質を開発し、それらを
使おうとする衝動が与えられている。子どもは平衡の状態を保持しようとする
。
。
のみではない。彼はたとえ不平衡を招いても、自らの潜在的能力を使い、行為
人間の苦悩へのデプロ』チ〆 '1(船岡}
や思考や感情や他人との理解において、自分の能力を使う経験を求めるのであ
る。成長には積極的で前向きの衝動があり、その衡動は解放、解消、逃避から
のみなりたっているのではない。……・ ・・..人間はたえず自己実現の過程の中
H
H
に含まれている。...・ ・..諸能力の発達の全体像は、それらの能力を使う傾向で
H
あり、発達のメカニズムは自己始動的なものである」と述べている。(文献 8)
幼児は自分の身体がある程度支えられるだけ、骨格や筋力が発達してくれば、
外部からの誘因がなくとも、歩行を始め、歩行に熱中し、自ら歩行訓練を反復
する o さらに発達が進めば、子ども達は坂道や階段を好み、そこで歩行に専念
しそれを反復する。一層発達が進めば、子ども達は自発的にジヤンク事ルジム、
ぷちん乙、すべり台などの遊びに熱中するようになってくる。とのような子ど
もの在り方は、身体的機能の発達のみでなく、言語、情緒、感情の機能、社会
性の発達においても同様である。
言語が発達する発達段階に達すると、子どもは言語の学習に専念し、いわゆ
る質問期には反復的で固執的な質問を繰り返し、あくなき好奇心を外界に示す
のである。数量観念、文字の学習の発達過程においても同様のことがいえるの
である。
社会性の発達においても、子どもは他人と感情や思考を分かち合おうとする
深い接触を求め続け、その社会的な能力を使用し実現していとうとするのであ
る。初めは親との接触、 同輩との接触、
さらに社会的な場における接触、
ま
た、恋愛、結婚、そして家族の構成というように、社会性における自己実現の
方向は、より深く、またより広範で普遍的な方向を目指している。
しかもこうした自己実現の衝動は、人聞において、発達のそれぞれの段階
で、適切に充足されなければならない強烈な衝動である。もしそれが充足きれ
なければ、その個人は健全な発達が期待きれない特質をもった衝動である。
しかしながら、この自己実現は、決して安易になされるものではない。その
過程において、人聞は危険や苦痛や苦悩に直面しなければならない。い〉換え
れば、人聞は自己実現の過程において、極めて高価な代価を支払わなければな
らないのであり、時には生命さえも犠牲にしなければならないのである O
-1
9ー
人間の苦悩へわアプローチ
工(船岡〉
中田は 5
00mのすべり台に監視の目を盗んで乗った小学校 4年生の男子が、
0
)
途中で振り落されて岩石に激突して死亡した事例をあげている。(文献 1
彼はすべり台に乗ったのは良かったが、自分の自己実現の衝動のために、生
命を失うという取り返しのつかない犠牲を払わざるを得なかったということが
出来よう。
幼児が歩行を試みようとする際には、ひっくりかえったり、たおれるという
苦痛を味わ〉ざるを得ないであろうし、ジヤンクゃルジム、ぶらんことなれば、
その危険は増大し、もし子どもが誤って落ちたとすれば、苦痛は一層はなはだ
しいものになるであろう。
知的機能が増し、ある企画ないし計画を子どもが設定出来るようになれば、
成功という自己実現の喜びを味わうことも可能であるが、挫折や失敗という苦
悩にも直面せぎるを得ないのである o 時間的な観念が発達してくれば、子ども
は未来の希望に胸を輝かし、過去の楽しい追憶にふけることが出来るようにな
るが、しかしまた未来の不安におびえ、過去に悔こんのほぞをかむ可能性にも
直面しなければならない。
社会性の側面においても同様である。他人との深い接触を個人が求める時、
その個人は、他人の拒否や裏切りという不安や苦痛に直面せぎるを得ないので
ある。恋愛を経験するという乙とは失恋の可能性に直面する乙とであり、結婚
するということは離婚の可能性に直面する乙とを意味する。そもそも人聞が出
会うということは別離への可能 性を意味し、生きるということは死の可能性へ
i
の直面を意味するのである。
ところが、乙の衝動が充足されるのは、中田、船岡がいうように s
t
r
i
v
i
n
g
n
e
s
s
(獲得性)を通してである。(文献 1
1・1) つまり十分歩行出来るようになった
幼児は、もはや歩行には興味を示さない。彼にとって歩行は他の要求を充足す
るための手段になって、歩行では自己実現の衝動は充足出来ないのである。彼
はより複雑で困難な状況を求め、そこで自己実現の衝動を充足しようとする。
危険や挫折や苦痛の可能性のない場面や対象では、個人は自己実現の衝動を充
足することは不可能なのである。自己実現の衝動のもっとも強度の充足感は、
もっとも強度の危険や挫折や苦痛の可能性のある対象や場面においてである。
-2
0ー
人聞の苦悩へのアプローチ,工〈船岡)
登山の醍醐味を味わうためには、危険な山をザイルやピッケルを使って、ロ
ック・クライミングを誌みてこそ味わうことが出来る。多くの登山家がヒマラ
ヤを目指すのも、死の危険と戦い、生理的、心理的苦痛の人間としての限界に
挑むが故であり、その人聞の能力の極限に挑戦して、前人未踏の高山に登頂
し、深監の宇宙に向って万才を絶唱出来た人は、人生において経験出来る最高
の歓喜の一つを経験した人であろう
o
文献10)
乙のように自己実現の衝動にまつわる人間寄在そのものの中に苦悩が害在
し、人間存在そのものの中にある苦悩を、先にも触れたように実害的苦悩と呼
ぶことにしたい。
e
r
s
i
l
dのいうように、人聞は求めたり、歓迎した
こうした実存的苦悩を、 ]
りするわけではない。(文献 9) しかしこの苦悩を苦悩することを通して、人間
の成長が可能であるし、本来人間として充足しなければならない自己実現の衝
動が充足出来るということを意味している。
もしわれわれがクライエントに対して、サービス精神の過剰から過保護にな
って、
またクライエントが苦悩したり、傷つくのを恐れたり、同情的になっ
て、乙の実存的苦悩を苦悩する場面を常に回避するように、クライエントに働
きかけたり、クライエントのこの苦悩を苦悩する権利を奪ったりすれば、クラ
イエントの自己実現の衝動は欲求不満に陥り、様々の問題一ーたとえば援助ず
れと呼ばれるような無気力状態ーーが出現することになる。
3
. 現実の苦悩について
乙の苦悩は個人の外界からの苦悩であり、また個人の現実的な欲求とその個
人をとりまく外界との関係から生ずるものである。
乙の苦悩の場合、個人は外界からの刺激や自分自身に対して r
e
a
l な知覚が
成立しており、
その刺激に対する個人の反応は、
その強度、時間などにおい
て、適合したものである o 乙の意味で、個人の現実的苦悩は他人からの理解が
比較的容易であり、避けることが出来たり、解決可能と目されるものである。
いうまでもなく、すでに触れた止うに人間は全体として統合きれているため
-2
1ー
人聞の苦髄へのヌプ U ーチハ I(
船間)
に、純粋に現実的な苦悩というものは存在しない。
この苦悩には、実脊的苦
悩、とりわけ神経症的苦悩が大なり小なりまつわりついているものである。
しかし敢えて例をあげれば、強い地震が発生した。自分の入っている建物は
倒壊するおそれがある。それは恐怖であり安全な場所に避難した万がよい。犬
が吠えて接近してくる。それは危険だ。追い払わねばならない。長期の病気の
ため収入が減少し、過去の貯蓄を食いつぶして家計のやりくりがつかない。そ
こで公的な融資制度を利用して一時をしのとう。また治療ないしは治癒可能な
病気における苦痛、苦悩、人間関係におけるトラブノレなど、対象に対して r
e
a
l
な知覚が獲得されており、
r
e
a
l な対応が出来ている場合の苦痛や苦悩が、現
実的苦悩なのである。
4
. 神経症的、精神病的苦悩について
この苦悩は個人の人格の矛盾とか不統合のために生じてくるものであり、苦
e
a
lな
悩している個人が外界一一一とくに苦悩の対象一ーや自分自身に対する r
知覚が出来ず、その知覚に欠陥があるために、直接的、現実的な手段では解決
困難な苦悩である。また個人をして、現実的な方法で生活に立ち向かうことを
困難にせしめている苦悩であり、その苦悩を苦悩することによって、人聞が成
長するというよりも、成長しつ〉ある人格にとって、その苦痛が一層わずらわ
しく、その結果がより破壊的で、他人との係わり合いに一層有害な影響を与え
るものである。(文献 9)
この苦悩の発生はその個人の過去にさかのぼる O すなわち幼少期において、
現実の苦悩や実存的苦悩が余りに大きく、また実容的苦悩が苦悩出来ず、強烈
な自己実現の衝動が充足出来なかったりして、
e
g
o
)に
その当時の幼い自我 (
よってはその経験が十分受容出来ず、自我よりあふれた場合に、この苦悩の源
になる。しかも幼児の自我よりあふれるような苦悩の経験は、幼児にとって重
要な意味をもっ他人との関係の間で経験されることが多く、また外的な脅威と
内的な欲求との係わり合いにおいても発生するが、この場合でも幼児は“重要
o
b
j
e
c
tr
e
l
a
t
i
o
n
s
h
i
p
)を求めて、その苦悩を癒
な意味をもっ他人"に対象関係 (
円
必
q&
人聞の苦悩へのアープ t
:
r
.
.
.
.
;
;
.
ーチ/工く船岡〉
そうとする。乙のために、自我よりあふれるような苦悩は、そのほとんどが直
接的、間接的に、幼児と重要な他人との関係の場において経験されるというこ
とが出来る。
たとえば、直接的には、両親から自己実現の衝動や愛情欲求の衝動が充足さ
れないとか、両親の過保護のために、実在的苦悩を苦悩する権利を奪われ、自己
実現の衝動や愛情欲求の衝動が充足出来ないとかで、その苦悩が幼児の自我の
許容量を越えた場合である。間接的には、外からの脅威が強烈で、その苦悩が
自我からあふれようとした時、幼児は両親もしくはそれに代るべき人との係わ
りを強く求める O すなわちその苦悩はしばしば強烈な愛情欲求に還元される D
乙の時、両親がそれに無理解で接し方が悪いと、両親との関係の中において、
自我からあふれた苦悩となる。
あるクライエントが幼少時代、わらびとりに行って道に迷い一晩を山中で過
ごした。その時の生命の危機感、孤独、よるべなさの恐怖は、まさしくその幼
児の自我からあふれるものであった。やがてそのクライエントは母親をまじえ
た捜索隊に発見されて救出されたのであるが、初めて母親に出会った時、その
クライエントは何ものも構わず母親に抱きしめられることを求め、そのことに
よって恐怖を癒そうとした。しかしながら、母親は捜索隊の他の人々に気を遣
うだけで、そのクライエントの自我からあふれようとしていた苦悩には、まっ
たく気を配らなかった。このためにクライエントは母親の冷たさという苦悩、
すなわち強烈な愛情欲求の阻止という経験が自我からあふれることになった。
このように現実的、実存的苦悩が自我からあふれようとする時、その苦悩は
両親もしくはそれに代るべき重要な意味をもっ他人との関係に、直接的、間接
的に係わり合うものとなり、個人の自己実現の衝動の阻止も、愛情欲求の衝動
の限止に還元されることを意味する。
乙の愛情欲求の阻止を個人が経験し、その苦悩が自我からあふれた場合、そ
の個人は両親もしくは、
それに代るべき重要な意味をもった他人に、
H
o
r
n
e
y
がいうように過大な愛情欲求をもつようになり、(文献 5) 一方では愛情欲求
を充足させてくれなかった対象に、敵意とか恐怖を所有するという分裂した
a
m
b
i
v
a
l
e
n
t な態度を形成する。かくしてその個人は人格の矛盾とか不統合を
4
内
q
a
人聞の苦悩へのヂブローチ
工(船岡〉
形成するようになる。
そもそも個人の自我の許容量を越えた苦悩は、その個人が自我を維持し人格
の統合を保持するために、抑圧されて、無意識化される傾向がある。なぜなら
自我とそれからあふれた苦悩を意識することは、余りにも苦痛で矛盾している
からである。
したがって、個人はその苦悩を所有しながら自らが直接的には、それに気付
orneyにならって基本的な
かないということになる。この抑圧された苦悩を H
不安とか不安と呼ぶことにする。(文献 6)
いま自我からあふれた苦悩は抑圧されると述べたが、すでに触れたように、
この苦悩は直接的に対象との関係から生ずるか、もしくは間接的に対象との関
係に還元され、対象に対する愛情の過大な要求と敵意や恐怖に分裂する乙とに
なる。
しかし、これらの分裂した衝動は、対象から愛情が得られない結果生じたも
のであり、すでに対象からは求むべくもないものである。このため自我は愛情
の過大要求、敵意や恐怖を抑圧する。さらに対象一ーとりわけ両親やそれに代
るべき養育者一ーに対するこれらの衝動や感情は、一般的に社会的に承認され
ないものであり、その個人の超自我 (
s
u
p
e
re
g
o
) が許容しないために抑圧さ
れることになる。
また対象に対する愛情の過大な要求と敵意や恐怖とは、相互に矛盾する衝動
である。
乙のために、
これらの衝動や感情は相互に抑圧し合って無意識化さ
れ、その個人は乙れらの衝動や感情の存在について、ますます気付かなくなっ
てしまうのである。
しかしながら、乙れらの衝動や感情の背景にある自己実現の衝動や愛情欲求
の衝動が強烈なために、これらの衝動や感情は、本来的に強大な心的エネルギ
ーをもったものであり、その突出口を求めて発動しようとする。
この場合、本来の対象とは異なる第三者や社会体制、組織、その他の事物な
ど、しばしば本来の対象を象徴するものに対象を置き換え、時閣をずらして発
動することになる。すなわち基本的な不安の意識化を防衛するために、無意識
的な防衛策 (
d
e
f
e
n
c
es
t
r
a
t
e
g
y
) が形成されてくる。
唱
a
。&
人間の苦悩へのアプローチ
1 (:船岡)
ζ の防衛策は次のようなものである。
愛情の過大要求は従属的な防衛策を、敵意は敵対的な防衛策を、恐怖は恐怖
症または自閉的な防衛策をっくり上げていくのである。これらは後で述べるよ
うに無意識的なものであり、個人は自らの防衛策については気付かないのであ
るo
ある個人が、ある場合には従属的な防衛策を、ある場合には敵対的な防衛策
を、ある場合には自閉的な防衛策を使うことがあるが、また個人によっては、
何れか一つの防衛策を比較的多く使うということもあり得るといわれている。
従属的な防衛策をつくり上げている人は、従属と服従、引込み思案、温和と
いう行動像をつくりあげる。……従属的な人は、自分が学んだり考えたりすべ
きことについて、あらゆる人の意見を謙虚に受け容れるのである。彼は非常に
従属的であるので、あらゆるアカデミックな資料を取り入れる。しかしこの従
属性は自己防御の一つの手段であって、自己充足
(
s
e
l
f
f
u
l
fi
1m
e
n
t
) を示して
いるものではない。(文献 9)
いわば、こうした人は自分の内面にある愛情の過大要求、すなわち愛情飢餓
のために、自分を売って他人の歓心を求めようとする人であり、過度に他人か
ら受け容れられようとする衝動をもっている人である。たとえば、他人の顔色
に過敏な人や、人前で強度の緊張を示す人なども、この防衛策を使っている人
だといえるであろう。
敵対的防衛策をつくりあげている人は、攻撃的で尊大で抗争的である。彼は
他人を支配し、他人と張り合い、また他人を乗り越え、他人の上に立とうとす
る。(文献 9) しばしば短気だといわれる人も、こうした防衛策をっくり上げて
いる人である。
自閉的な防衛策をつくり上げている人は、現実から逃避的であり、引っ込み
思案になったり、無関心になったり、孤立したりする。自分が現実に直面すれ
ば、不安に直面しなければならないために、行動や思考や感情の側面におい
て、事態の核心に立ち入らないようにするのである。
すでに触れたように、個人は自らがこれらの防衛策をとっていることを、意
識しないものである。それはこれらの防衛策が社会的に承認されにくいという
同 u
h
nL
λ閣の苦悩へのヂプロ回ふデノ 'I(
船岡〉
乙ともあって、一般的に彼の超自我によって抑圧されたり、防衛策相互の矛盾
のために抑圧される。つまり 3次的な防衛策がっくり上げられることになる。
i
d
e
a
l
i
z
e
dimage) と
乙の場合、これらの 3つの防衛策は、超自我とか理想我 (
時ばれるものに統合され同化される。(文献 6 ・7) その結果、それらの防衛策
は基本的不安の防衛策というよりも、あたかも実容的苦悩や現実的苦悩のよう
な形態をとるととになる。乙のため、しばしば神経症的、精神病的苦悩と現実
的、実容的苦悩との区別がつきにく〉なる。
たとえば、従属的な防衛策をとっている個人は、自らの基本的不安の防衛と
して、強迫的で不合理な方法で譲歩せざるを得ない人間と意識するよりも、自
分をかえりみないで譲歩し、自分の権利や願望を捨て入他人の要求や願望を
いつも気にかける性向があり、気高く寛大な傾向として、それを意識する o (文献
9) またしばしば乙の防衛策をとっている個人は、従属している対象に対して、
現実以上の価値付けや信頼をしているかのように意識したり、現実以上に好意
や愛情をもっているかのように意識して、従属するのが当然であるとか、従属
が自らの自発的意志であるかのように意識することがある。
敵対的な防衛策をとっている個人は、自分が自らの不安の防衛のために、他
人や社会体制、その他に敵意をもっていると意識するよりも、自分の正当な権
利の主張として、時には他人に対する思いやりとしてきえ意識されるのであ
る
。
J
e
r
si
1d は他人を凌駕する手段として学識を使うと述べているが、 (文献 9)
との個人は純粋に学問研究に動機付けられていると意識するであろう。
われわれのケース・カンファレンスや研究会などにおいても、事例提供者や
研究資料提出者が挫折感をもら、まったく意欲をそう失するほど非難や批判を
されることがある。そして提供者が再び資料を提供したくないと感じ、そこか
らは何ら生産的なものが得られない状況の出現をしばしば観察する。
乙の場
合、事例研究や研究会の名のもとに、不安に対する敵対的防衛策が機能してい
るといえるであろう。
教師にしても、親にしても、子どもに過大な要求を課し、子どもがそれを達
成出来なかったとして、愛情の名のもとに子どもを叱ったりする場合も、この
q&
F
o
人聞の苦悩へのアプローチ
J
工{船岡)
防衛策が機能しているといえよう。
自問的な防衛策の場合も同様である。不安の防衛策一一恐怖から現実を逃避
している一一ーと意識するよりも、自分は客観性と公正さを所有した理性的な人
間であると意識されるのである。
文献主義とか象牙の塔にたてこもったアカデミズムこそ、純粋に学問的だと
意識されて、プラグマテイズムや現実に対する蔑視なども、しばしばこの防衛
策が機能しているということが出来るであろう。
e
x
t
e
r
n
a
1
iz
at
こうした 3次的な防衛策のうちで、注目すべきものに外在化 (
p
r
o
j
e
c
t
i
o
n
) と時ばれる防衛機制がある。たとえば、敵対的防
i
o
n
) とか投影 (
衛策で他人や社会体制などに敵意をもった場合、その敵意を自らのうちにある
ものと意識しないで、外部の対象に投影して外在化して意識することである。
すなわち他人の問題として問題を述べたり、怒りや不当さや苦悩の原因が、他
人もしくはその対象にあるとすることである。
、 3重に防衛され、本来の不
このように基本的不安と時ばれるものは、 2重
安の源は見失われてしまい、その対象はまったく異なった対象にすり換えられ
てしまっているのである口
したがって、すでに触れたように、不安をもっクライエントの現実に対する
知覚はゆがめられ、クライエントが現実の苦悩と知覚するものは、本来の対象
ではなく、ヨ│き金に過ぎないものになっている。こうして経済的貧困や失職な
どの問題も発生して、あたかもそれが現実の問題であるかのごとく見える場合
があるが、その現実はその苦悩の引き金に過ぎないものである。
この引き金に対する現実的援助をしても、表層的な援助に止まって、苦悩の
解決にならないか、中田が指摘するように、却ってクライエントを混乱に陥れ
さえするのである。
たとえば、こうした貧困に対する経済的援助や就職のあっせんなどが無意味
であったり、さらにクライエントを混乱に導きさえする。また犬恐怖症をもっ
た人に対して犬を追い払っても、精神病患者の幻聴や被害妄想の対象を除去し
たとしても、それは表層的な援助に過ぎないであろう。
筆者のクライエントに、自分の所属している部屋から離れて、別室で仕事を
可
d
qA
人聞の苦悩へのアプローチ
工{船岡)
していると、自分の部屋の同僚、とくに女性の同僚が自分の悪い噌をしている
ように思え、また事実、その噌らしき笑い声が聞えてくるとくり返し訴えた男
性があったが、彼をもとの部屋にもどせば、その幻聴や被害妄想は一時的に消
滅する。しかしまた別室へ行けばその噂が聞えてくるのである。
初期の学校恐怖症のクライエントは、しばしば転校を申し出て転校を試みる
が、ほとんどの場合、再ぴ、学校へ登校しなくなる。
乙のように神経症的、また精神病的苦悩があたかも現実的、実容的苦悩であ
るかのように見え、とくにクライエントはそのように訴えるのである。
しかしながら、クライエントの苦悩にアプローチしようとする場合に、治療
者やカウンセラーは、その苦悩がどの次元にウエイトがおかれた苦悩であるか
を洞察しなければならない。
そ ζ で神経症的、精神病的苦悩と現実的、実存的苦悩との概括的な差異につ
いて触れておかねばならない。
すでに述べたように、現実的、実存的苦悩の場合は、その個人の外界、内界
e
a
l な知覚が構成されており、とくに実容的苦悩においては、しば
に対する r
しばそれを苦悩することを通して自己実現の衝動が充足され、人格の成長をう
ながすととが多い。それに対して、神経症的、精神病的苦悩においては、その
個人の知覚は u
n
r
e
a
lであり、欠陥をもっている。また ζ れらの苦悩を苦悩す
るととを通して、その個人はますます混乱し、人格の矛盾や分裂を増大せしめ
るのである。
現実の苦悩や実存的苦悩においては、苦悩を引きおとす内外の刺激に対する
個人の反応が、その刺激に対して、強度、時間などが適合している。しかしな
がら、神経症的、精神病的苦悩においては、その反応は不適合であり、強度、
時間において、過大であったり、過少であったりする。
との意味で、前者は他人からの理解が容易であるのに対して、後者は一般的
に理解が困難である。
現実の苦悩や実容的苦悩は、内外の刺激にその反応が適合しているのみなら
ず、その反応に矛盾が少ない。それに対して、神経症的、精神病的苦悩はその
発生の過程からして a
m
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tであり、しばしば反応に矛盾が見られる。た
- 28ー
人間の苦悩へのアプローチ
工(船岡)
とえば、白人は好むが黒人に対しては嫌悪と侮蔑をもっているとか、同僚や部
下に対しては受容的であるが、上司や管理者には絶えず拒否的であるとか、ま
たその逆の場合も生ずるであろう。不潔恐怖のクライエントは手を頻ぱんに洗
うが、その手を拭くタオルはほとんど洗たくしないなど。
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tな衝動
また同一の対象に対しでも、しばしば敵意と従属という a
や感情をもっていることが多い。伺れか一方の防衛策がとられているかのよう
に見えるのは、他の一方の防衛策が抑圧されているに過ぎないのである o
5
.
苦悩に対するアプローチとその手続
アプローチとその手続については、すでに示唆してきたが、現実的苦悩に関
しては、クライエントがその苦悩を解決出来るように、現実的な援助を与える
必要がある o たとえば、適切なインフォーメーションや指示の提供とか、適
切な施設にリファーするなどの実際的な援助手続きが必要であり、 c
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な機能が重視される。
実在的苦悩に関しては、すでに現実的、実際的援助手続が不可能、もしくは
不適切な苦悩である。また実存的苦悩を苦悩することを通して、自己実現の衝
動が充足出来たり、人格の成長が可能になるのである。
したがって、この苦悩をクライエントが回避するような実際的、現実的援助
は、時としてクライエントに有害に機能する。一ーたとえば自己実現の衝動の
充足を阻害することがある。むしろクライエントが実存的苦悩を苦悩出来るよ
うな援助が望まれる。それはクライエントの実容的苦悩を共感 (
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ることである。クライエントはクライエントにとって重要な意味をもった他人
から共感され、そのことでサポートされた時、実存的苦悩にもっともよく耐え
得るし、実在的苦悩をもっともよく苦悩出来るのである。
神経症的、精神病的苦悩については、インフォーメーションの伝達、指示な
ど、その他の現実的援助的機能は、クライエントの現実認知がゆがめられてい
るために、もはや無効である。こうした神経症的、精神病的苦悩に対するアプ
ローチは実存的苦悩と同じく、その苦悩を共感することである。とくに神経症
-2
9ー
人間の苦悩へのアプローチ
I (船岡)
的苦悩に持いては、共感を通して、クライヱントとともにその苦悩の症困を分
析する手続が必要である。このことによって、クライエントは徐々に自らの苦
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yを洞察し、その症因を探究し、その症因である自我からあ
悩の対象の r
ふれ見過ごされてきた (wardedo
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) 苦悩の経験を自我に統合出来るように
なる o なお精神病的苦悩について、その苦悩を治療者が共感することは極めて
困難であり、その苦悩にいかにアプローチするかについて、未だ十分な知識を
もち合わせていない。しかしながら、精神病的な苦悩について、もし共感出来
れば、その治療への道が聞かれてくるであろう o
今、現実的苦悩については、苦悩の解決のための現実的援助が、実容的苦悩
と神経症的、精神病的苦悩については、共感的アプローチが必要であると述べ
たが、すでに触れてきたように純粋に現実的な苦悩とか、純粋に実容的苦悩と
か、純粋に神経症的、精神病的苦悩というものは在り得ない。それらは実際に
は統合されたものである。このためにあらゆる苦悩に共感的アプローチが重要
な意味をもってくるのである。
つぎに問題になるのは、こうしたクライエントの苦悩への援助が、治療者と
クライヱントとの人間関係の場においてなされるということである。つまり治
療者とクライエントの r
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p の在り方が関われてくる D とりわけクラ
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ference) や治療者のクライエントに対
イエントの治療者に対する転移 (
する逆転移 (countertransference) の構造と、
こうした転移関係のなかに
おけるアプローチの手続の機能などが追求されねばならない。これらについて
は次の機会に考察を進めることにする。
注
目
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. は従属的 (
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) の 3つの
防衛策をあげている。(文献 5
.
6
.
9
.
)
(
2
) H
orney,K.の用いた概念である。(文献 6)
(
3
) 治療場面におけるクライエントの陽性転移 (
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) の発生の
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(
4
) 自閉的防衛策をとった場合には、反応は過少であることが多い。
(
5
) 共感という概念は R
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sによれば、共感の状態、もしくは共感的であるという
- 30-
人聞の苦悩へのアプローチ
工(船岡)
ことは、他人の内的な枠組 (
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) を正確に、かつある
事柄に関する情動や意味をあたかもその人であるかのように、しかしながら、あく
までも、あたかも。という条件を失わないように知覚することである。このような
共感というのは、他人の不快とか喜びをその人の感じたま〉感ずることを意味する
のであり、それらの原因をその人が知覚したま弘知覚することを意味している。し
かしながち、その概念は、あたかも私が不快であるとか、喜んでいるようにという
認知をあくまでも失わないのである。もし乙の‘あたかも'という性質が失われる
ならば、
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) の一つであると述べている。(文献
その状態は同一視 (
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なお J
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1d は同じような内容を compassion という用語で述べ、個人が神経
症的不安を解決するために、他人から共感されることが必要であるという意味のこ
1
1
)
とを述べている。(文献 9 ・
文 献
(1)船岡三郎
カウンセリングの原理豊中市立教育研究所
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、 霜 山 徳 爾 訳 神 経 症 E一ーその理論と治療一一フランクル著作集 5
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自 己 を 見 つ め る 創 元 社 昭5
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0 中 田 洋 子 職 業 に 関 す る 個 人 の 意 味 づ け の 過 程 に つ い て -1- phenomenologi-
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l な見地からの一考察社会問題研究 2
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中田洋子
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神経症的不安へのアプローチ一一ー福祉場面における一事例より
社会
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