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世界を解く――第8回テーマ
連 載 企 画 世界を解く ﹁ 越 え る ﹂ 10 第 八 回 テ ー マ 学ぶ、働く、遊ぶ…。 人間は日々、さまざまな行為を営んでいます。どれも一見、ごく当たり前のこと。 国境も地域も、民族も歴史も、時間も空間も超えて、 普遍的に存在しているこれらの行為は、その普遍性ゆえに見過ごされてしまいがちです。 しかし、例えば「学ぶ」という行為の本質を深く掘り下げ、 さまざまな角度から「学ぶこと」の意味を問うたとき、 そこには驚くほど豊かな世界が現れてきます。 学ぶことの社会的意味とは、その歴史的経緯が伝える価値観の変遷とは、 学びの経済効果と社会システムとの関係とは、等々。 ごく当たり前の行為は、その相貌を一転させ、生きるという営為の本質に迫る、 あるいは社会と人間のあり方の原点を理解する、貴重な手がかりとなるのです。 本特集企画は、こうしたキーワードにスポットをあて、そこから浮かびでる多様で豊かな世界を、 それが示唆する多くの問題点をありのままに考えていきます。 第8回目のテーマは、 「越える」 。 異なる専門領域、視点をもつ研究者たちに、 それぞれの立場から「越える」という言葉が連想させる今日的諸問題を語っていただきました。 e s s a y 言語社会研究科教授 ●糟谷啓介 「峠を越える 国境を越える」 峠や橋のような場所は、二つの世界を分けながらつなぎとめるとい ングショットで映画の幕が閉じられる。 う不思議な両義性に満ちている。一歩踏み出せば向こう側の世界へ行 さすがに昔の戦争だけあって、ずいぶんお行儀のよい国境警備隊で くことができるが、それは慣れ親しんだ世界と別れを告げることにも ある。昨今ではこうはいくまい。それはともかく、脱走兵は向こうが なる。別離の悲哀と新たな出会いの喜びが入り混じるこのような場所 スイス領であることを知ってはいるが、自分たちがいつ国境を越えた には、古来より、ありとあらゆるひとびとの思いが積み重ねられてき のかはわかっていない。兵士の一人がいうように、 「国境なんて目に た。 「私を捨てて行かれる方は/十里も行かずに足が痛む」と嘆く者 見えるものじゃない。ただ人間が作ったんで、自然はそんなもの相手 もいるだろうし、 「晴れた空には星も多く/われらの胸には夢も多い」 にしない」のである。ところが警備兵にはこの国境が「見えている」 。 と未来への希望で胸をふくらませる者もいるだろう。このように「峠 さもなければ、脱走兵がいつスイス領に入ったのかはわからないはず を越える」ことは、象徴的な意味をもつ行為でありつづけてきた。 だ。であるとすれば、この世の中には、国境が見える者と見えない者 ところで、峠は誰にでも開かれているが、 「国境を越える」となる と話はちがう。ジャン・ルノワール監督の映画『大いなる幻影』の という二種類の人間が存在するわけである。そういえば、歴史家リュ シアン・フェーブルはこう言っていた。国民国家ができる前には、 有名なラストシーンを思い浮かべてみればよい。舞台は第一次世界 「貴族も文学者も商人も、顔色ひとつ 大戦。ドイツ軍の捕虜収容所から脱走した二人のフランス兵がスイ 変えずに国境を渡っていった。国境 ス領を目指して、雪の積もった山の斜面を一歩一歩進んで行く。ド は軍人と君主たちにとってだけ、し イツ軍の警備隊が山の上から二人を発見して発砲するが、すぐに隊 かも戦争のときにのみ存在した」と。 長は射撃を止めるよう命令する。 「奴らはすでにスイス領に入った」 それでは、わたしたちの目に果たし という理由である。こうして、無事に追跡を逃れた二人の兵士のロ て「国境」は映っているだろうか。 11