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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title Author(s) Editor(s
 Title
Author(s)
神経症的不安へのアプローチ : 福祉場面における一事例より
中田, 洋子
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
社會問題研究. 1979, 29(3), p.57-66
1979-10-01
http://hdl.handle.net/10466/7295
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
神経症的不安へのアプローチ
福祉場面における一事例より一一一
洋
子
田
中
まえがき
ケース・ワーク、カウンセリング、精神療法などの場面において、神経症的
苦悩、すなわち神経症的不安に対する現実的対応ないし現実的な援助は、 (
1
)そ
2
)援助が無効で無益であったり、 (
3
)
の援助が表層的な援助に過ぎなかったり、 (
援助がクライエントに疎外的に機能して、クライエントを傷つけたり、また (
4
)
援助者がクライエントの神経症的な欲求にふり廻されて、疲労困ばいしたり、
クライエントの神経症的な不安にまき込まれて、援助者自身が精神病理学的な
問題をもつようになった事例をしばしば観察することができる o
そこで本稿においては、養護施設における養護の一場面を捉え、神経症的不
安の特性、機能、症因などを考察しながら、神経症的不安に対する現実的対応
が、いかに先述したような問題を引き起したか、また指導員の現実的な対応を
引き起こさざるを得なかった指導員自身の内的な問題、すなわち転移 (
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)や対抗転移 (
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) などの課題や神経症的苦悩に対
して、いかに対応すべきかを事例を通して明らかにしようとした。
事 例
A子、女性、
11
学 2年生、小学校
2年生の時、家庭崩壊のため B長護施設に
S
tはア jレコーノレ中毒、本人が 5歳の時、母親と離別、行方不明、母親
収容、父 J
はA子が小学校 2年生の時、 A子を放置して蒸発、行方不明、異性関係のため
らしい。
- 57-
神経症的不安へのアプローチ(中田)
場 面
A子が登校している時、 B施設から急用のため、登校していた A子に電話を
した。最初に電話口に出たのは、 A子の登校していた中学校の教師であった。
B施設からの電話は、
fB施設ですが、 B施設の A子を電話口まで呼んで下さ
い。」という内容であったロそれを聞いたその教師は fB施設の A子さん施設
から電話ですから直ちに電話口まで来て下さい。」と校内放送をした。
その校内放送を A子が聞き、
「先生が B施設の Aさん……と全校放送をした
ため、施設の収容児である乙とが、全校生徒にわかってしまった。学校の先生
ともあろうものが……。」と泣いて腹を立てて帰ってきて、 B施設の指導員 C
にその旨訴えた。
それを聞いた指導員 Cは「お前の怒るのはもっともだ。学校の先生をもあろ
うものが怪しからん。 2年 D組の A子さんと放送すればよいのに。」と怒って
直ちに学校へおもむき、教師に抗議を申し込んだ。教師の返答は fB施設の A
子を呼んで下さい」という電話であったので、間違わないようにと思い。つい
口移しに fB施設の A子さんと放送してしまって、うっかりしていた。」とい
うことであった。
さらに Cが学校へ抗議に行ったことを知った Aは、筆者が観察していたと乙
ろ、何か傷ついているように見受られたので、面接をしたところ、
fC先生に
そんなこと一 Cが学校へ抗議に行ったこと一ーをされたら、自分が学校の先生
からにらまれてしまって、これからは学校へ行かれへん」と強い不満をもらし
ていた。
Cは自らのとった行動に対して、 Aに好意と理解を示した積りで、 Aは満足
しているものと思い、自己満足をしているかのように見受けられた。しかしそ
の後 CがAに会った時、 Aがどちらかといえば Cに反援的で、避けるような態
度を示したために、
fA子は何んてひねくれた変な子だろう Jという感想をも
らしていた。
- 58ー
神経症的不安へのアプローチ(中田)
Aの反応に対する考察
教師の iB施設の A子さん、施設から電話ですから直ちに電話口まで来て下
さし、。」という校内放送を聞いて、泣いて怒ったという Aの反応は、その反応
の度合、反応の継続時間などからして、刺激に対して過大で、不適切で、非現
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d,A
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T
.や Greenson,R
.R
.のいう如く、明らかに
実的なものであり、 J
神経症的な反応である o
文献・⑤・②)
その反応は、過去の悲惨な生活経験からくる親に対する敵意と不信と愛情飢
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o
)の許容量をはるかに越え
餓を基盤としており、その苦悩が子どもの自我 (
ていたために、解快されないで抑圧されて神経症的な葛藤を形成し、その葛藤か
ら発生したものである。いい換えれば、働かずに飲んだくれた父親、それにま
l対する極め
つわる両親の不和、母親の父親に対する烈しい非難は、 Aに父親ζ
て強烈な敵意と不信と侮蔑を生ぜしめずにはおかなかった。また父親はアルコ
ール中毒という自分自身の問題のため、 Aをほとんどケアーすることが不可能
であり、母親は生計をたてねばならなかったし、父親との関係に心を奪われて、
Aをケアーするゆとりはなかった。この意味で、 Aは放置されていたばかりで
なく、両親相互の不和とあつれきのとばっちりを受けて、しばしばヒステリッ
クで不合理な叱せきを受けていた。その上、 Aは両親から捨てられるという、
子どもの側からすれば、乙れ以上悲惨な体験はないと思われる経験をした。こ
の結果、 Aは両親に対する極めて激烈な反援と不信と、それにまつわって深刻
な愛情飢餓を経験する乙とになった。
いうまでもなく、この敵意、反媛、不信、愛情飢餓は、その両親との関係では
到底癒されるすべもなく、またこれらの経験は、いたいけな幼児の自我には到
底許容できるものではなかった。 Aが自我の平衝を維持するためには、乙れら
ff)、無意識化する乙としかなかった。
の悲惨な苦悩を抑圧し、見過し (wardo
こうして Aの苦悩は未解決のまま残されて、外傷体験 (
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)
となり、神経症的な不安を形成していった。
しかしながら、 Aのこうした体験は仰圧され、見過ごされたとはいうものの、
強烈であるために、この敵意、反援 t 不信、愛情飢餓の衝動エネルギーは強大
- 59-
神経症的不安へのアプローチ(中田)
であり、絶えず突出口を求めざるを得ないものである。したがって、これらの衝
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)、他人に対する敵対的態度、対
動エネノレギーは対象を置き換え (
人不信感、他人に過度の愛情や関心を求めようとする神経症的な反応を形成す
るに至った。しかも Aの所有している敵対的態度と対人不信感、および愛情飢
餓にもとずく他人からの愛情や関心を過度に求めようとする態度は a
mbiva-
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tなものであり、いわゆる人格の分裂ともいえる内部矛盾を意味しているた
めに、容易に解決できない深刻なものであった。なぜなら敵対的態度や対人不
信感からは、 A の所有している愛の飢餓を癒すことは不可能だからである。
教師のチヨットした配慮のなさに対する Aの烈しい怒りは、その配慮のなさ
を引き金に、 Aのもっていた抑圧された敵意が、対象を換えて放出されたもの、
すなわち Aの父親や母親に対する敵怠が転移された (
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)、いわゆる陰性
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)とも呼べるものである D しかもこ
転移反応 (
うした敵意の背景に、教師に過度で完全な関心や配慮を求めようとする愛情飢
餓を根底にした愛情の過大な要求(文献・③)を看取することが出来、
いわゆ
る a
mbivalent な態度を伺うことができるのである。
また Aは Cのとった処置に決して満足していない。むしろミ場面、に示した
ような Cの同情や好意一一それは表層的なものであるが一ーはほとんど Aには
知覚されず、敵対的に反応しているし、 Aは Cの表層的な好意には、まったく
充足できていないのである。これらの Aの反応は、先述した如く、また神経症
的な反応であり、転移反応ということができょう。
さらに‘場面、を見ても明白なように、 Aは施設児であることに、深い差別感
ないし劣等感を抱いていた。それはすでに述べたように、幼少時代に親から愛
され尊重されなかったために、健全な自己受容的な態度が育成されなかったと
いう乙とを背景に、両親に対する敵怠と侮蔑からして、 Aは家庭に対する敵意
と侮蔑を所有していた。このことは、自分の家庭が決して誇れる家庭ではなく、
卑下すべきものと深く感じていたことを意味し、さらに施設に収容されるに至
った事情は、まったく卑下すべきものであったし、施設に収容されていること
自体が、卑下すべきことを意味していた。
また Aの抑圧された敵意は、すでに述べた Aの所有している内部矛盾、 Aの
-60ー
神経症的不安へのアプローチ(中田)
超自我 (
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)、Aの自我の機能や施設の状況からして、外部には十分向
けられず、その一部が A 自身に向けられ、一種の m
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c な態度がつく
られてきたヮ
(文献・②)
Aの所有している施設児という阜下感、劣等感は、この m
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c な傾
向をも基盤にしているため、強烈で、執勘で、また少々病的な深刻なものであ
って、 C施設での劣等感、卑下感から収容児が解放されるような指導を受け付
けないものであった。
指導員 Cの処置に対する考察
Aは校内放送を開いて泣いて怒った。それに対して Cは「お前のいうことは
もっともだ一一」と述べ、教師に抗議にいくという処震をしたわけである d い
い換えれば、 Aの神経症的な苦悩に対して、 Cは学校へ抗議に行くという現実
的な対応をしたわけであるの先ず第ーに Cの態度の不一致 (
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)
(文献・⑦)について触れなければならないっ
Cは日常の施設指導の中で、施
設に収容されていることは、卑下すべきでないことをしばしば指導してきた。
しかしながら、施設に収容されていることは、卑下すべきもの、差別すべきもの
という Aの訴えに対して、
「お前のいうことはもっともだJと是認を与えてい
るのである今このことは、 C自身も自ら B施設を卑下すべきものと、その劣等性
を打定していることを意味し、 C 自身も施設や施設児に対して差別感を所有し
ていることを意味しているつ Cは一方では施設にいることが差別されるもので
ないことを指導し、一方では子どもの茅別感を是認し、自らも施設が卑下される
べきものと認めるという矛盾を犯しているのである。しかも Cは自らのとった
処置に対して、 Aを理解し、 Aに好意と愛情を示したと自己満足をしており、
自らの差別感や自らの態度の不一致については、まったく気付いていないので
あるつ
また Cは Aの神経症的な不安に対する処遇として、好意と理解を示した積り
で、ただでさえ忙しい施設指導の時間をさいて、学校に抗議に行くという現実
的な対応をあえてしだっしかしその行動は Aを満足させないばかりか、 Aに新
- 6
1ー
神経症的不安へのアプローチ(中田)
たな混乱と反壌と苦悩を引き起こしたに過ぎなかった。いわば CはAの神経症
的な苦悩にふり回わされただけで、 Aの問題解快への援助には成功しなかった
のであるョ
神経症的不安は、すでに述べたように、その全体像、真の動機、症困が抑圧さ
れ、無意識化されて、その個人には十分認められず、また現実 (
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) に対す
る知覚がゆがめられ、しばしばその苦悩一一この事例では、教師のうかっさに
対する Aの怒り一一ーは、その不安の全体像一一 Aの悲惨な体験およびそれを基
盤にした親に対する敵意と愛情飢餓およびその転移反応一一ーを意味するもので
なく、不安の引き金に過ぎないものであるつしたがって、個人が直接的で、現
実的 (
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) な方法で生活に立ち向うことを不可能にせしめているものであり
(文献・⑤)、その苦悩に対する現実的な処置は、乙の事例が示すように、真の
意味での問題解決に役立たないのである o
指導員 Cの反応に対する Cの内的な問題への考察
CはAの神経症的な苦悩に対して、現実的な処置をしたわけであるが、こう
した処置を Cがとらざるを得なかった、 Cの内的必然性があるように思える。
つまり C は、 A~こ「お前のいうことはもっともだ」と述べ、学校へ抗議に行か
ざるをf
専なかったということができょう o
C 自身の詳細なケース・ヒストリーを筆者は持ち合わせていないが、 Cは日常
生活の中で、どちらかといえぼ短気で、カットになり易い特性をもっていた。と
りわけ上司や施設長に対しては反接的な言動が多かった O この乙とは、 Cが Aほ
どの深い敵対的な態度をもたないまでも、 C 自身が自らの不安に対して敵対的
な防衛的態度を所有していたことを意味していると思われるつ
(文献・④・⑤〉
つまり CはAに同情を示し、 Aを理解したつもりで、学校へ抗議に出かけたの
であるが、 Cのこの行動のより深層の動機は、先生という権威に対する反接、
いわば Cは彼の父親像を先生に投影した陰性転移反応であったと思われる o し
かもこの転移反応が、子どものためという Cの超自我に統合されて、合理化さ
れ
、 C 自身は、乙の転移反応について、まったく意識していないのである。
また、このことから、 Cの AI
乙対する表層的な同情や理解は、いわゆる、対
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臼
つ
神経症的不安へのアフ。ローチ(中田)
抗陽性転移
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) であると理解される。乙うし
て Cは自らの親との関係における外傷体験 (
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)や外傷場
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) の想起を防衛したと思われるつ
面 (
神経症的不安と共感的アプローチ
A の神経症的な苦悩に対して、 C の現実的な処遇は、 A~乙援助的であるより
も、新たな混乱を引き起こして、問題解決に役立たなかった。
それでは、こうした Aの神経症的苦悩に対して、いかなる対応が考えられるか
について、述べなければならない。それは共感的アプローチ
(empathic u
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)を通してのみ可態だと思う O つまりすでに触れたような悲惨な生
活体験を繰り返してきた人として、 Aを理解することである。こうした子ども
の全生活史における苦悩から敵意と、深刻な愛情飢餓と、自己卑下をもたざるを
得なかった人として、その苦悩の量的・質的全体像を理解しながら、 fAにとっ
て
、 B施設に収容されていることを、学友に知られたのがつらいし、収容児童で
あることが、何よりも卑下すべきことだと感ずること、そんな乙とを平気で放送
する先生の無理解さと無関心さがとてもつらいし、腹立たしいのですね」という
ような発言に象徴化される指導員の態度が必要である。このような共感的アプ
ローチによる長い施設児との触れ合いを通して、 Aは過去の外傷体験を徐々に
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)を確かめ“そんなことは泣いて
自我に統合し、自らのあり方の現実 (
怒る程のことでないこと'¥また施設児という乙とも一つの運命なのであって、
徒らに卑下する必要のないととを自ら感じとり、さらに安定した共感的関係を
通して、 Aが所有していた敵対的態度、対人不信感が非現実的なものであるこ
とを洞察し、 Aは徐々に神経症的な苦悩から解放されるようになるであろう D
共感と自己理解
Rogers は共感 (empathy) について、「…一・クライエントの私的世界を、あ
たかもあなた自身のものであるかのように、しかしミあたかも、という特性を
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神経症 I
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J
不安へのアプローチ(中田)
失わないように感ずること一一一これが共感であり、そして共感が治療に本質的
であると思われる o クライエントの怒りや恐れや混乱を、あたかもあなた自身
のものであるかのように感ずるが、しかしそれに巻き込まれて、あなた自身が怒
ったり、恐れたり、混乱しないようにすること……」と述べている o (文献・⑦)
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d が述べているように、共感し
こうした共感が可能であるためには、 J
ようとする人が、自らの怒りや恐れや混乱の過去の経験を想起し、その衝撃や苦
痛の意味や程度を味うことを通して可能であろう。すなわち J
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、
「
共
感 的 (c
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) であろうとする人は、激怒のもたらす荒廃や、恐怖の
破壊的な衝動や、愛のもっとも優しい啓示などに直面しなければならないし、
またそれは、このような感情を受容することであり、それと同時に、このよう
な感情を経験している人に対して、それがどんな意味を持っているかを味うと
いう広汎な内容を含んでいる」と述べ、さらに怒りに対する共感として、
「
個
人が激怒している人に共感的であるためには、この怒りの意味の世界に自分自
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主
身を投げ入れることである。このことは共感 (
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)の瞬間に、怒れる
人と同じように怒ることではない。もしその人が共に怒ってしまえば、彼は怒
りに情緒的に巻き込まれて自分を失い、共感するゆとりを失ってしまうであろ
うD 共感的であることは、怒っている人に対して、気の毒がることではない 0
・・ー中略……このことは、人が怒りを大自にみることではないし、自らも怒る
が故に、怒れる人を是認するのに急なことでもない。……中略……人は触れ合
いの感情を通して、怒りの破壊性と破滅性、その苦渋、その衝動性、怒りの持
っている絶望、それに伴う暴力と破壊、怒りの中にしばしば含まれている自己
への憎しみ、また怒りに時として伴う苦悩や罪悪感を実感することである。 J
と述べ、共感者の自己理解の重要さを説いている文献・⑤)
また c
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tや a
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tの訓練にお
いても、治療者の自己理解ないしは自己洞察の重大性を認め、教育分析的な訓
練を重視している。(文献・①・⑥) とりわけ
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s においては、
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tの対抗転移 (
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)の問題を取りあげ、その非治療牲
をある程度明らかにしている文献・②・①)
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t の怒りを是認し、同情し、教師 l
こ抗議に行
この事例において、 Cは c
-64-
神経症的不安へのアフ。ローチ(中田)
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dもいうように共感で
くという戦いをあえでしたわけであるが、乙れは J
はない。それはすでに述べたように Aに対しては対抗陽性転移であり、教師に
対しては陰性転移であった。そのために CはA に対して共感的であり得なかっ
たわけである。 Cの反応は、彼自身の幼少期からの両親、とりわけ父親と思わ
れる人との関係の中における Cの苦悩を引き出し、それを味わうことに対する
無意識の防衛反応でもあった。この意味でケース・ワーカー、カウンセラー、
精神療法家がc1i
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t に共感するためには自己理解、自己洞察が重要である o
Rogersは empathy とか empathicunderstandingという用語を使い、 J
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注
は compassion という用語を使っているが、ほとんど同義語と思われるので引用の
翻訳部分では両者とも共感という訳語を使用した。
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