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個別化医療実現のための医薬品開発

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個別化医療実現のための医薬品開発
部会資料
個別化医療実現のための医薬品開発
平成 20 年 1 月
日 本 製 薬 工 業 協 会
E
医薬品評価委員会 統計・DM 部会
発行
医薬出版センター
個別化医療実現のための医薬品開発
資料作成者
タスクフォース 7
鍵村 達夫
日本ベーリンガーインゲルハイム
宍倉 香
ワイス株式会社
直井 一郎
大日本住友製薬株式会社
橋本 敏夫
三菱ウェルファーマ株式会社
平田 篤由
マルホ株式会社
藤原 力
大塚製薬株式会社
山田 雅之
キッセイ薬品工業株式会社
吉田 多恵子
大塚製薬株式会社
(推進委員兼タスクフォースリーダー)
監修
統計・DM 部会 部会長
東宮
秀夫
大日本住友製薬株式会社
同
副部会長
上坂
浩之
日本イーライリリー株式会社
同
副部会長
小宮山
同
副部会長
酒井
靖
弘憲
ファイザー株式会社
三菱ウェルファーマ株式会社
以上の資料作成に当たり,医薬品評価委員会 中島委員長ならびに本資料の査読を実施頂いた
今井康彦氏(ブリストル・マイヤーズ株式会社)に感謝致します。
目次
1. はじめに ................................................................................................................... 1
2. 医薬品開発を取り巻く現状 ........................................................................................... 2
2.1 改革か停滞か ............................................................................................................................. 2
2.2 相次ぎ撤退するブロックバスター ................................................................................................ 4
2.3 行政の動向 ................................................................................................................................. 5
3. ファーマコゲノミクス ..................................................................................................... 7
3.1 遺伝学の基礎 ............................................................................................................................. 7
3.2 個別化医療 ................................................................................................................................. 9
3.3 バイオマーカー ........................................................................................................................... 9
3.4 遺伝子と人種差 ........................................................................................................................ 10
3.5 CYP2D6 遺伝子と遺伝子多型 ................................................................................................. 11
4. ファーマコゲノミクス検査を使った医薬品開発 ................................................................ 15
4.1 医薬品と診断法の同時開発に関するコンセプト・ペーパー(案)とは .................................... 15
4.2 医薬品と診断法の同時開発 .................................................................................................... 16
4.2.1 Phase I/II (分析バリデーションから臨床バリデーション) ........................................ 18
4.2.2 Phase II/III (臨床バリデーションから臨床有用性) ................................................ 18
4.3 まとめ ......................................................................................................................................... 22
5. ファーマコゲノミクス検査を使った市販後調査 ................................................................ 24
5.1 Case-Control 研究 .................................................................................................................... 24
5.2 Case-Only 研究 ......................................................................................................................... 25
5.3 ファーマコゲノミクスを利用した市販後調査 ............................................................................ 27
6. 米国でのゲノムデータの自発的提出(VGDS)制度について ............................................. 28
6.1 VGDS 制度とは .......................................................................................................................... 28
6.2 VGDS の歴史 ............................................................................................................................. 28
6.3 通常の申請と VGDS .................................................................................................................. 29
6.4 VGDS の評価プロセス ............................................................................................................... 30
6.4.1 VGDS の申請 ................................................................................................ 31
6.4.2 VGDS の評価過程 .......................................................................................... 31
6.4.3 IPRG の構成 .................................................................................................. 32
6.5 まとめ ........................................................................................................................................ 32
参考文献 .................................................................................................................... 33
1. はじめに
2003 年 4 月にヒトゲノムの解読が完了し,来るべき医療は個別化医療(Personalized Medicine)
といわれるようになって久しい。また現在欧米の製薬会社を中心に薬物反応に関係する遺伝子と
その発現の検討が進んでいるといわれている。本書は,それらの研究に専門的に関わっている
人々を対象にするものではなく,製薬会社の開発部門にいて遺伝子解析と薬物反応の研究の重要
性は理解しながらも何もしていないことに漠然とした不安を持っている人を対象としている。本
書はそれらの人々に遺伝子解析技術の進展が医薬品開発をいかに変えようとしているかを理解
してもらうことを目的にしている。
本報告書では,2 章に医薬品開発を取り巻く現状とファーマコゲノミクス技術の進展に対する
期待,3 章にファーマコゲノミクスを取り巻く基礎的な事柄として遺伝学の基礎から遺伝多子型,
個別化医療の解説を行う。4 章として個別化医療を実現するための医薬品開発の中心になるであ
ろう医薬品と診断法の同時開発のあり方について,FDA のコンセプト・ペーパー案を中心に解説
を行う。5 章として主に医薬品が市販された後に取り組むべき課題について考察する。6 章では,
FDA が示したファーマコゲノミクスデータ提出のためのガイダンスが取り入れたゲノムデータ
の自発的提出(VGDS; Voluntary genomic data submissions)を解説する。巻末に参考とした
参考文献,FDA のガイダンスの一覧表を添付した。
1
2. 医薬品開発を取り巻く現状
2.1 改革か停滞か
FDA が発表した 2004 年の,「改革か停滞か」(Innovation / Stagnation)と題した白書は,
遺伝子解析技術に代表される生物医学分野における基礎科学の急激な進歩にもかかわらず,それ
が患者にもたらす医療製品の技術革新につながっていないことを指摘している。その例として,
米国の製薬会社の研究開発費と米国政府の NIH 予算がこの 10 年間でいずれも 2 倍以上に増加し
ているが,FDA に申請される新医薬品数が年々減少していることを示しており,この傾向が米国
だけの傾向ではなく世界的規模で起こっているとしている。
FDA. Innovation / Stagnation (2004)
図 2.1 生物医学研究費と FDA に申請された新医薬品の申請数の最近 10 年間の傾向
そして増大する研究開発費の内訳では,臨床試験での費用が著しく高騰していることを指摘し
ており(図 2.2),かつては Phase I に入った医薬品が市場に出ている割合は 14%あったにもか
かわらずここ 10 年間で 8%に減少しているとしている。
2
FDA. Innovation / Stagnation (2004)
図 2.2 成功した化合物での投資の増加
白書の 2 年後の 2006 年に出された同じ名前の報告書では FDA のメッセージとして「科学のお
かげで我々は疾病に関する非常に多くのことを知ることができる。それにもかかわらず,非常に
多くの人々が病気に苦しみ,あるいは病気にかかっていることに,我々は依然として失望してい
る。疾病の分子的基礎への洞察が増すほどに,これらの発見に関与する基礎科学は発展している
が,その進展に対して医薬品開発に関与する科学の進歩は著しく後れをとっている。この医薬品
開発科学はこれらの発見を新しい医薬品に転換するために使用されるものである。新薬開発に使
用される(すなわち,候補医薬品が安全で有効であるかどうかを理解し,信頼できる大量生産を
可能にするための)科学的試験は数十年前のものである。これらは新しい知識と手法を組み込む
ための近代化がなされていない。例えば,ほとんどの開発プログラムは,新しい分子知識とゲノ
ム知識に基づくよりメカニズム的なアプローチではなく,試行錯誤による経験的試験に依存せざ
るを得ない。」(製薬協国際委員会訳より引用)として,医薬品開発をこれまでの試行錯誤の経
験的な試験からメカニズムベースのアプローチに転換する必要があるとしている。開発のパラダ
イムシフトを提案したこの白書にもあるようにクリティカルパスの概念が今後重要になると考
えられる。製薬開発に関わるものがこの白書のテーマの「Innovation / Stagnation(改革か停滞
3
か)」をかみしめて改革するリスクと改革しないリスクがあることを認識するべきであろう。
医薬品の開発のパラダイムシフトの成功には医薬品開発への遺伝子解析技術の応用が重要な鍵
をにぎると考えられている。
2.2 相次ぎ撤退するブロックバスター
さらに医薬品が市場に出た後でも数多くのブロックバスターが市場より撤退を余儀なくされて
いる。FDA の Shiew-Mei Huang らの報告によれば,1997 年から 2004 年の間に 13 件のブロッ
クバスターが撤退している(表 1)。例えば,1997 年承認されたトログリタゾンは画期的な糖尿
病薬として年間 1000 億円の売り上げがあったが,肝障害の副作用のため販売中止となった。ま
た,高脂血症薬のセリバスタチンも横紋筋融解症の副作用のため自主回収することになった。最
近の事例では,1999 年に発売された COX2 インヒビターのバイオックス(Refecoxib)は売り上
げ 2700 億円,8000 万人の患者に使われていたが,2004 年に心疾患の副作用出現のため,自主
回収した。現在も 4000 件,2 兆円の訴訟があるといわれている。このような副作用の原因追求
と撤退のリスクを回避する1つの手段として,ファーマコゲノミクス技術の利用が期待されてい
る。
表 2. 1997 年から 2001 年の間に US の市場から撤退した医薬品
Year
Withdraw
1997
Approval
1973
Drug name#
Fenfluramine (Pondimin)
Use
Obesity(肥満症)
Risk
Heart valve abnormality(心臓弁異常)
1997
1996
Dexfenfluramine (Redux)
Obesity (肥満症)
Heart valve abnormality(心臓弁異常)
1998
1997
Mibefradil (Posicor)
1998
1997
Bromfenac (Duract)
High blood pressure/
Drug-drug interactions Torsades de Pointes(多形性
Chronic stable angina
心室頻拍薬物相互作用)
(高血圧/慢性安定狭心症)
NSAID
Acute liver failure(急性肝不全)
1998
1985
Antihistamine
Torsades de Pointes Drug-drug interactions(多形性
心室頻拍薬物相互作用)
Torsades de Pointes Drug-drug interactions(多形性
心室頻拍薬物相互作用)
Torsades de Pointes(多形性心室頻拍)
1999
1988
Terfenadine
(Seldane/Seldane-D)
Astemizole (Hismanal)
1999
1997
Grepafloxacin (Raxar)
2000
2000
Alosetron* (Lotronex)
2000
1993
Cisapride (Propulsid)
Irritable bowel
syndrome in women(女性に
おける過敏性腸症候群)
Heartburn(胸やけ)
2000
1997
Troglitazone (Rezulin)
Diabetes(糖尿病)
Torsades de Pointes Drug-drug interactions(多形性
心室頻拍薬物相互作用)
Acute liver failure(急性肝不全)
2001
1997
Cerivastatin (Baycol)
2001
1999
Rhabdomyolysis Drug-drug interactions(横紋筋融
解薬物相互作用)
Bronchospasm(気管支痙攣)
2004
1999
Rapacuronium bromide
(Raplon)
Rofecoxib (Vioxx)**
Cholesterol lowering
(コレステロール低下)
Anesthesia(麻酔)
NSAID (COX-2 inhibitor)
Cardiovascular risks(心血管系リスク)
(抗ヒスタミン剤)
Antihistamine
(抗ヒスタミン剤)
Antibiotics(抗生物質)
Ischemic colitis; complications of constipation(虚
血性大腸炎; 便秘の合併症)
#Trade names are in parentheses.
*Reintroduced to the market in 2002 with use restricted to patients severely affected with irritable bowel syndrome.
**Updated information; subject of discussion at an FDA Advisory Committee meeting held in Bethesda, MD, February 14 to 18, 2005.
Huang, S-M et.al (2006)より引用
4
2.3 行政の動向
2005 年からファーマコゲノミクス(Pharmacogenomics)に関わる規制当局の動きが活発化し
てきた。FDA は 2005 年 3 月にファーマコゲノミクスデータを用いた医薬品と医療機器の申請の
種類と手続き等を定めたガイダンス(図 2.3)を発表した。さらにその翌月の 4 月には個別化医
療のための医薬品開発のための基本的コンセプトとなる「Drug-Diagnostic Co-Development
Concept Paper -draft-(医薬品と診断法の同時開発に関するコンセプト・ペーパー案)」
(図 2.4)
を公表した。また,わが国においても同じ時期に厚生労働省はガイダンス作成に向け,製薬企業
に対してゲノム検査を伴う臨床試験に関する情報の提供を求める通達を出している。ICH におい
ても E15 として「ゲノム薬理学における用語集」の検討が始まり,2008 年 1 月ガイドラインと
して公開された。製薬協においても,医薬品評価委員会タスクフォースが「医薬品の臨床試験に
おけるファーマコゲノミクス実施に際し考慮すべき事項」の自主ガイダンスを作成している。
このように行政面においてもファーマコゲノミクスに関する環境整備が進展しつつある。今後,
製薬企業,規制当局,大学などの研究機関,医療機器企業が,ますますファーマコゲノミクスの
取り組みを活発化させ,相互協力のもとに,いかに早く個々の患者に適した薬剤の提案と開発を
進めるかが今後の課題である。
図 2.3 FDA のファーマコゲノミックスデータの提出に関するガイダンス
5
図 2.4 FDA の医薬品と診断法の同時開発に関するコンセプト・ペーパー案
6
3. ファーマコゲノミクス
ファーマコゲノミクスという言葉が 21 世紀の医療を説明する上で業界誌を含めた一般新聞誌
上にも登場することが多々見うけられる。この言葉はもともと Pharmacology(薬理学)と
Genomics(ゲノム学)からの造語で薬理ゲノム学と訳される。ファーマコゲノミクスを一言で
説明する場合,1つは「ゲノム情報に基づいた創薬研究開発」ともう1つは「個々の患者に適し
た投薬量などを調節する個別化医療」を目的とした学問である。創薬研究開発においては患者の
ゲノム情報を基に有効かつ安全な医薬品を開発する手法で,できるだけ個人差の少ない医薬品を
開発することである。一方,ゲノム情報を広く臨床現場で応用する手法としてもファーマコゲノ
ミクスが利用されつつある。患者個々の遺伝的特徴を把握して個々の患者に最適な薬剤を選択し,
最適な用法用量で投与することを目指すことである。
3.1 遺伝学の基礎
ヒトの体は 60 兆個の細胞から構成され,そのひとつひとつの細胞の中には核があり,核の中
には染色体がある。ヒトの染色体は大きさの順に第1染色体から第 22 染色体まで,22 対,44 本
の常染色体と X,Y の性染色体の計 46 本から成り立っている。染色体は DNA の 2 重らせんが緻
密に折りたたまれてできている。このように,ヒトでは 46 本の染色体の中に DNA として生命の
設計図が描かれている(図 3.1)。
図 3.1 ヒト・細胞・染色体・DNA
1980 年前半にヒトゲノムプロジェクトが開始され,2003 年 4 月にはヒトの全ゲノム配列が完
全解読された。このプロジェクトの成果として,ヒトゲノムは 30 億塩基(アデニン,シトシン,
チミン,グアニンの 4 塩基からなる)からなり,約 26,000 個の遺伝子を含んでいることがわか
った。この遺伝子の働きにより,1つの受精卵から正確に細胞分裂を繰り返して非常に緻密で複
雑な成熟した体が構成され,そして人は人たらしめる高度な知能や精神活動を営むことが可能と
なる。ゲノムプロジェクトの進展に伴って,いろいろなことが解明された。その1つに,ゲノム
7
の多様性があげられる。ヒトとチンパンジーのゲノム配列はおよそ 2%の差異がある。同様に,
ヒトという種の中でも,各個人間に約 0.1%の違いがあることがわかった。その違いのことをポ
リモルフィズム(polymorphism),多型といい,1 人 1 人の顔や体型が異なるようにゲノム情報も
個人によって異なっている(図 3.2)。
図 3.2 遺伝子多型
こ の 多 型 の 代 表 的 な も の と し て , 一 塩 基 多 型 ( SNP ( ス ニ ッ プ ) ; Single Nucleotide
Polymorphism)というものがある(図 3.3)。SNP は人のゲノムの中に約 300 万個存在し,大
部分の SNP は生理機能に影響を及ぼさないが,ある SNP は糖尿病,高血圧,高脂血症などとの
関連が示され,将来の発症リスクの指標となる場合がある。
図 3.3 SNP
8
3.2 個別化医療
前述した個別化医療はオーダーメイド医療,あるいはテーラーメイド医療と呼ばれることがあ
る。この個別化医療と従来の医療の大きな違いには以下の点があげられる。従来は症状が同じで
あれば同一の治療法で治療してきた。例えば,A さんは A 遺伝子,B さんは B 遺伝子の異常によ
り発症した同じ症状を持つ患者であった場合,従来治療が A 遺伝子の異常に起因する疾患にしか
効かなかった場合,A さんは治癒する(レスポンダー)が B さんは治癒しない(ノンレスポンダ
ー)。現在の薬の多くは,集団によってはノンレスポンダーが 20%~100%までの幅があり(有
効性の高い薬はまだまだ少ない),抗癌剤では特定の集団には 100%効かないものまである。個
別化医療では,遺伝子解析により原因を突き止めて,A さん,B さんとも原因に即した治療薬を
投 与 し , 両 人 に よ り 適 切 な 治 療 を 行 う こ と が 可 能 と な る 。 SNP 診 断 に よ る 個 別 化 医 療
(Personalized Medicine)が 21 世紀の医療といわれる所以である(図 3.4)。
図 3.4 オーダーメイド医療
3.3 バイオマーカー
2006 年 10 月に公開された「ICH-E15:ゲノム薬理学における用語集(案)」では,ゲノムバイ
オマーカー(Genomic Biomarker)は次のように定義されている。
「正常な生物学的過程,発病過程,および/または治療的介入等への反応を示す指標となる,
DNA もしくは RNA の測定可能な特性(A measurable DNA or RNA characteristic that is an
indicator of normal biologic processes, pathogenic processes, and/or response to therapeutic or
other intervention.)」
広くバイオマーカーは,ここでいう DNA もしくは RNA のみに限定せず,タンパク質,低分子
量代謝物,画像診断などを含めた測定可能な特性をいう。
例えば代謝酵素の UGT1A1 の多型のひとつである*28 はイリノテカンの有害事象に関連するバ
9
リッドなゲノムバイオマーカーであり,アメリカの添付文書では,UGT1A1*28 ホモ接合体の患
者は初期用量の減量を検討することとされており,イリノテカンの使用に当たっては UGT1A1
の多型検査が推奨されている。また,トラスツズマブ治療では,Her2/neu の過剰発現が認めら
れた患者にのみ治療が適用され, Her2/neu の過剰発現の検出はトラスツズマブ治療を決定する
バリッドバイオマーカーである。
FDA のファーマコゲノミクスデータ提出のためのガイダンスは,バイオマーカーを
1.
認知されているバリッドバイオマーカー(Known Valid Biomarker)
機能特性が確立された分析試験システムで解析され,結果の生物学的・毒性学的・薬理学
的・臨床的意味について医学界・科学界で広く合意が得られているもの。
2.
まず確実なバリッドバイオマーカー(Probable Valid Biomarker)
機能特性が確立された分析試験システムで計測され,試験結果の生物学的・毒性学的・薬
理学的・臨床的意味を明らかにできると思われる科学的枠組みや証拠があるもの。以下の
ものは「まず確実なバリッドバイオマーカー」であり,「認知されているバリッドバイオ
マーカー」とはいえない。
・ その意義を明らかにするデータが 1 企業で作成され,広く科学的精査を受けていない
・ その意義を明らかにするデータからは可能性はあるがいまだ最終結論に至っていない
・ 結果の独立的検証がなされていない
3.
探索的または研究的ファーマコゲノミクスデータ
「認知されているバリッドバイオマーカー」でも「まず確実なバリッドバイオマーカー」
でもないバイオマーカー
の3つに区分している。
実験的に得られたファーマコゲノミクスデータを,その分析方法の機能特性を確立し,分析結
果の生物学的・毒性学的・薬理学的・臨床的意味付けを試験に基づいて明確にし,バイオマーカ
ーの意義付けを広く医学界・科学界で合意を得てゆくプロセスこそが個別化医療実現の道筋で
ある。
FDAのGenomics at FDA
(http://www.fda.gov/cder/genomics/genomic_biomarkers_table.htm)には,医薬品の添付文書
(ラベル)に記載されているバリッドバイオマーカーのリストを公開しており,2007年2月現在
でその数は18個となっている。
3.4 遺伝子と人種差
患者の薬物への応答性には,多くの要因が影響しているとされている。ICH-E5 では,患者固
有の内的要因(例えば,遺伝子多型,年齢,性,身長,体重,除脂肪体重,身体の構成および臓
器機能不全など)と外的な要因(例えば,医療習慣,食事,喫煙,飲酒,環境汚染や日光への暴
露,社会経済的地位など)の 2 つに大別している。最近はこれらの要因の中で遺伝子の関与する
割合を検討する研究が進められている。例えば,Caldwell らはワーファリンの一日維持用量に対
10
する代謝酵素の遺伝子多型の検討をしている。ワーファリンは投与量の調整が難しい薬剤として
広く知られており,ワーファリンの一日維持用量の予測に当時ワーファリンの維持用量に関連す
る要因として知られていた年齢,体表面積,弁置換術の既往,性別等を用いても 1/4 程度の寄与
しか認められなかった。それにワーファリンの代謝酵素の CYP2C9 と VKORC1 の遺伝子多型を
要因として加えたところ,ワーファリンの一日維持用量の予測に全体として 1/2 程度まで寄与す
ることが分かった(図 3.5)。FDA の Huang, S-M(2006)らは,とりわけ,薬物代謝酵素,ト
ランスポーター(輸送担体),受容体に関わる遺伝子型の相互作用が患者個々のリスクとベネフ
ィットのバランスに影響を及ぼす可能性があるとしている。
Huang, S-M. NCDEU 46th Annual Meeting, June 2006 より引用
図 3.5 ワーファリンの維持用量の推定に関与する因子の割合
Age
3.5 CYP2D6 遺伝子と遺伝子多型
BSA
Valve Replaced
Male Gender
CYP2C9
薬物代謝酵素,トランスポーター(輸送担
体),受容体の活性の分
布に人種間・民族間に違いがあることが知
られている。例えば,
VKORC1
CYP2D6 は日本人と白人種でその代謝活性
の分布に違いがあること
が知られている。CYP2D6 は重要な約 50 の
医薬品(中枢神経薬,循
環器系薬など)の薬物代謝に関わり,薬物
代謝に占める割合が
CYP3A4 についで 2 番目に高いとされる代
謝酵素である。
ヒトの CYP2D6 遺伝子は 22 番染色体の長腕(染色体の交差するセントロメアを基準に染色体
の短い部分を短腕,長い部分を長腕と呼ぶ)のバンド 13.2 に存在する。この遺伝子のサイズは約
4500 塩基で,その中に 9 つのエクソンを持っている(図 3.6)。エクソンは mRNA に写される遺
伝子領域で,図ではボックス部分で示されている。さらにエクソンはタンパク質に翻訳される翻
訳領域(coding region)と, 翻訳されない 5’非翻訳領域および 3’非翻訳領域からなる。 その他の領
域はイントロンと呼ばれ,実線で示されている。
11
エクソン
イントロン
図 3.6 ヒト CYP2D6 遺伝子
CYP2D6 酵素が生体内で合成される際には,遺伝子領域の DNA が RNA に転写され,イント
ロンが削られた後 m-RNA となる。m-RNA から酵素蛋白が翻訳される。CYP2D6 酵素は 497 ア
ミノ酸からなり,推定分子量は 55769 ダルトンである。このタンパク質にはこれまでに 104 個
の野生型あるいは変異型があり,その一部は酵素活性との関連が報告されている
(URL:http://www.cypalleles.ki.se/cyp2d6.htm) (2006 年 1 月 2 日現在)。
図 3.7 は日本人の CYP2D6 の野生型あるいは変異型の遺伝子を模式的に示したもので,この報
告では 286 人の日本人の遺伝子検査を行い,*1(野生型)と*2,*4,*5,*10,*21,*27,*36,
*39,*49,*50,*53,*54,*55 の 13 種の変異型が確認された(遺伝子多型は,野生型を 1 番
として,発見された順番に*をつけて表示される。)(Ebisawa 2005)。
Ebisawa(2005)より引用
図 3.7 ヒト CYP2D6 遺伝子の遺伝子多型
12
図中の1から9の数字はエクソンを示し,*1 は野生型で変異のない遺伝子型である。変異のあ
るものは,各エクソンの下に矢印で塩基の変異とアミノ酸の変異を示している。例えば,*2 では
6 番エクソンの 2850 番目の塩基が C から T に変異し(一塩基多型:SNP),そのため 296 番目
のアミノ酸が R(アルギニン)から C(システイン)に置換され,さらに 9 番エクソンの 4180
番目の塩基が G から C に変異し(一塩基多型:SNP),そのため 486 番目のアミノ酸が S(セ
リン)から T(スレオニン)に置換されたことを示している。野生型の*1 と*2 の違いは,2850
番目と 4180 番目の塩基の違いによるもので,この 2 つの SNP は連鎖して遺伝し,このような組
み合わせをハプロタイプと呼ぶ。
これらの変異の位置,変異の内容によって,CYP2D6 の酵素活性が影響されることが知られて
いる。*4 の変異はスプライシング異常を起こし(エクソンとイントロンの接合部分で遺伝子から
転写された mRNA の編集(スプライシング)が異常となること),*5 は全エクソンが欠損した
変異であり,*4 と*5 は両者とも酵素活性は完全に消失している。また,*10 ではエクソン 1 の
34 番目のプロリンがセリンに置換したため立体構造が変化し酵素活性が野生型の 50%に減少し
ている。
さらに,日本人のディプロタイプ(二倍体)の遺伝子型については,表 3.1 にリストアップさ
れている(Ebisawa 2005)。日本人においては頻度 5%以上のディプロタイプは多いものから
*1/*10,*1/*1,*10/*10,*1/*2,*2/*10,*1/*5,*5/*10 で,それぞれ,30.9%,18.2%,13.1%,
9.7%,8.2%,6.1%,5.2%の割合で存在する。この遺伝子の遺伝様式は*1 および*2 の優性遺伝
であるため,ディプロタイプに*1 および*2 を含むものは全て通常代謝型(EM: Extensive
Metabolizer)となる。そのため*1/*5,*1/*10 型も通常代謝型となる。*10/*10,*5/*10 は通常
代謝型よりやや活性の低下した中間代謝型(IM: Intermediate Metabolizer)となる。これ以外
に 0.5%と非常に低頻度の*5/*5 では酵素欠損のため酵素活性は完全に消失している低代謝型
(PM: Poor Metabolizer)となる。
アジア人種では,*5 の変異アレル頻度が白人種よりも低いので,低代謝型が少ない。しかし,
中間代謝型の*10 の変異アレルの頻度は 40~50%と非常に高く,白人種では 2%以下と低い。こ
のため,種々のモデル薬物のクリアランスを指標に平均的な CYP2D6 活性をアジア人種と白人
種で比較すると,体重差を補正してもアジア人種の平均酵素活性は白人種より低いことが知られ
ている。
また,日本人では非常にまれなため報告はあまりされていないが,通常代謝型に比べて活性の
高い変異型(UM:Ultrarapid metabolizer)が白人種の 1%程度で存在し,サウジアラビア人,エ
チオピア人ではそれぞれ,21%,29%と高頻度で UM が存在することが知られている。これらの
変異型の遺伝子解析の結果,これらの人では CYP2D6 遺伝子が 2 個以上にタンデム(直列に同
じ遺伝子が並んだ形)に増幅している(多い場合は 13 個)ことがわかった。
13
表 3.1 CYP2D6 のディプロタイプ(二倍体)の日本人での分布
Ebisawa(2005)より引用
表3.2に示すように,CYP2D6のPMの発現頻度は白人種で5~10%であるのに対し,日本人では
1%未満といわれている。PMでは薬剤の血中濃度が上昇し副作用の出現する可能性が指摘されて
いる。そのため欧米の精神科や循環器科の施設によってはCYP2D6の遺伝子診断を行っているこ
ともある。日本人ではPMの頻度が低頻度でありほとんどがIMないしEMであることと,社会状
況のためかほとんど行われていない。
今後,日本でも代謝酵素の遺伝子診断は各個人の薬物の適切な投与量を決めるために重要になる
と思われる。
表 3.2 CYP2D6 の代謝活性とその構成比
表現型
遺伝子型
活性
Low
PM
IM
High
頻度
PM 原因遺伝子のホモ接
合体
(日本人は主に,*5/*5)
*10/*10
*10/PM 原因遺伝子
日本人
1%未満
白人種
5~10%
約 20%
低頻度
EM
*1/*XX (*1/*10 など)
*2/*XX (*2/*10 など)
約 80%
90~95%
UM
活性を持つ CYP2D6 遺
伝子を複数持つ
低頻度
約 1%
14
4. ファーマコゲノミクス検査を使った医薬品開発
ファーマコゲノミクス検査を使った個別化医療の実現には次の 3 つのパターンが考えられる。

既に確実なバリッドバイオマーカーのファーマコゲノミクス検査を用いて患者を分類し,
分類に特異的な反応(有効性/安全性反応)を示す医薬品を開発する,診断検査先行型

既に医薬品として承認されている薬剤の反応を分別できるバリッドバイオマーカーのファ
ーマコゲノミクス検査を開発する,医薬品先行型

医薬品の反応を分別できるバリッドバイオマーカーのファーマコゲノミクス検査の開発と
特定の医薬品を同時に開発する,医薬品-診断検査同時開発型
2006 年の現状においてはアトモキシチンに対する CYP2D6,イリノテカンに対する UGT1A1
など,薬剤の反応性や有害事象の発現との関連性が確認されたバリッドバイオマーカーは少数で
あり,またそれも代謝酵素系の多型に限られているため「診断検査先行型」のパターンを取りう
るのは限られたケースであろうと考えられる。「医薬品先行型」は,現状の診断方法で対象疾患
を定め有効性の確立や安全性の確認をする従来の臨床開発の後に,薬剤の反応を分別できるバリ
ッドバイオマーカーのファーマコゲノミクス検査を開発するわけであるから医薬品の開発手順
としては本質的な変更はない。一方,「医薬品-診断検査同時開発型」は医薬品とその対象疾患診
断検査を同時に開発しようとする試みであり医薬品開発手順も大きな変更が必要となる。仮に同
時開発することで他の 2 つ開発型よりも効率的に開発できるのであれば個別化医療の推進につな
がる。
本章では,FDA が 2005 年に「ファーマコゲノミクスデータ提出に関する企業向け指針」の公
表の直後に示した「医薬品と診断法の同時開発に関するコンセプト・ペーパー(案)」に基づき,
近い将来もたらされるであろう医薬品-診断検査同時開発型の医薬品開発の姿を検討してゆく。な
お FDA のコンセプト・ペーパー案は既に日本語訳が公表(翻訳監修:東純一,翻訳提供:クイ
ンタイルズ・トランスナショナル・ジャパン KK PGx グループ,臨床評価 2005 ; 32(2・3) :
591-622.)されており,ここで用いた用語と引用はそれに基づいた。
4.1 医薬品と診断法の同時開発に関するコンセプト・ペーパー(案)とは
急速に発展しつつある科学分野のひとつであるファーマコゲノミクスの分野では,実験結果の
再現性やバイオマーカーの妥当性が十分に確認されないまま次の研究に進むような状況が多い。
FDA は規制上問題があるが将来の医薬品開発の発展に有望なこのファーマコゲノミクスの分野
の問題に取り組むため,2002 年から一連の公開会議を開催し(2002 年 5 月,2003 年 11 月,2004
年 7 月,2005 年 4 月),製薬企業を含めた関係者から意見を聞いてきた。その取り組みの中で
2005 年 4 月に「医薬品と診断法の同時開発に関するコンセプト・ペーパー(案)」が公開され
たものである。
このコンセプト・ペーパー(案)(以下 CP)では,「実地医療で患者の医薬品選択に関する
決定を下す際に使用が必須になるような体外診断用医療機器の開発に関する事項を検討してい
る」として,
15

特定の薬物に反応する可能性が高い患者あるいは薬物に反応しない可能性が高い患者

特定の薬物投与が禁忌となりうる有害事象が発現する患者
を同定するために使われる対外診断検査の開発と,その診断検査が識別する患者への適応とな
る特定の医薬品の開発を同時に行うことを検討している。
4.2 医薬品と診断法の同時開発
CP は,検査法の開発ステップとしては次の 3 段階があるとして,この 3 段階を医薬品の開発
ステップとどう組み合わせて効率よく開発を進めるかという課題を検討している。
1.検査法の分析バリデーション
検査法の結果に再現性があるか,検査法が目的とする分析対象を測定しているかというような
検査法の分析的な妥当性を検討する段階である。この段階には,分析感度および特異度を含めて,
目的の分析対象物質を正確かつ確実に測定するための in vitro での分析能力の検討が含まれ,研
究室レベルで行われる事項に焦点が当たる。
2.検査法の臨床バリデーション
体外診断検査法として対象とする患者を正しく識別できる能力を検討する段階である。この段
階では,臨床的感度・特異度,検査結果のカットオフなどの検討が行われる。
3.検査法の臨床有用性
体外診断検査法で判別された患者と薬物反応との関係を検討する段階である。
例えば,制癌剤トラスツズマブの使用の診断に使われる Her2/neu 検査の場合を例にとれば,
Her2/neu 検査の分析バリデーションとは,生体試料中の Her2/neu の存在を正確に検出する能力
が Her2/neu 検査にあることを示すことであり,Her2/neu 検査の臨床バリデーションとは,トラ
スツズマブが治療効果を示す可能性が高い患者を同定する能力が検査にあることを示すことで
ある。そして検査法の臨床有用性とは検査が判別した患者がトラスツズマブ使用の有効性が高い
ことを証明することとなる。
実際には,検査の分析能力は臨床バリデーションが求める測定精度のレベルが必要となる(精
度が高すぎても無駄であり,低すぎては使い物にならない)ので,臨床バリデーションの確立な
しには分析バリデーションの検討は終わらない。また,患者を識別することが可能であっても特
定の薬剤の反応と患者の診断結果が結びつかないと臨床バリデーションの確立に意味がないの
で臨床有用性の確立なしには臨床的バリデーションの検討は終わらない。すなわちこれら検査の
開発過程は相互に関連している。
そのため,分析バリデーションと臨床バリデーション,臨床バリデーションと臨床有用性のプ
ロセスは多くの場合オーバーラップする。
CP に示されたそれらの検査法と医薬品のそれぞれの開発段階との関連を図 4.1 に示す。
16
図 4.1. 医薬品と医療機器の同時開発プロセス:開発の主要段階
訳は東純一ら(2005)より引用
CP では「理想的には,新薬の使用の参考指標となる新規診断法は医薬品開発の初期(第 1 相
または第 2 相)に並行して検討し,診断法の開発の結果,後続の(後期第 2 相および第 3 相)臨
床試験では分析および臨床バリデーションの主要側面が全て事前に規定されているようにす
る。」とある。即ち,検査法の分析バリデーションは開発の初めの段階から始まり,臨床の第 1
相あるいは初期第 2 相試験が終わるまでの期間としている。そして臨床バリデーションは第 1 相
試験の段階から分析バリデーションとオーバーラップして始まり第 3 相試験が終わるまで期間と
している。最後に臨床有用性は第 2 相試験から臨床バリデーションとオーバーラップして始まり
市販後までつづく期間としている。
医薬品と診断法の同時開発を考えるときにこれらのバリデーションプロセスがオーバーラップ
する時期に何を確認するべきかを考察することが重要である。以下にそれぞれの段階における同
時開発のあり方を考察する。
17
4.2.1 Phase I/II (分析バリデーションから臨床バリデーション)
CP では臨床試験段階までで分析バリデーションとして取り組む課題は,マーカーのアッセイ
に対するバリデーション,診断キットの分析バリデーションとしている。その後の初期臨床試験
の段階では臨床バリデーションが要求する測定精度を検査法が満たしているかを検討すること
となる。
すなわち前臨床の段階で,解析ソフトウェアを含めた検査機器,検査試薬などの診断キットを
開発し

試料要件(試料の採取,処理,取り扱い,保存法など)

分析対象物質の濃度規格(検出可能範囲の設定)

カットオフ(カットオフの分析的特性の検討)

標準試料および比較用試料の特定や調製法

精度特性(精度不良発生源を同定し性能特性を検討)

分析特異度(交差反応物質および干渉物質を同定しこれらの影響を検討)

アッセイ条件(反応条件,反応体濃度,非特異的活性の管理法の検討)

試料のキャリーオーバー

医療機器の制限因子
などを検討するための分析試験を実施し診断キットの分析特性を確立する。その後の初期臨床
試験の段階では検査法が臨床バリデーションの要求する正確度,精度,特異度および感度を備え
た診断法として臨床使用に適用できるかを検討することとなる。CP では「新規診断検査法の分
析上の特性を明らかにした後,さらに試験を実施して臨床バリデーションを検討する。最も望ま
しいのは,こうした試験を分析試験から得た情報に基づいて実施するとともに,予備試験または
周到な解析を用いて生物標本における臨床的検査性能および標的カットオフポイントの確認に
適した対象集団を判定した上で実施することである。」としている。
CP は,分析バリデーションの後に臨床有用性の検討が始まるとしている。そして臨床バリデ
ーションの段階はその 2 つにオーバーラップするものである。臨床試験の初期段階で実施される
臨床バリデーションの初期段階は,少数例の被験者を対象に
1.被験者を層別にするに足るだけの測定精度を求め,その結果を検査キットの改良などにフィ
ードバック
2.後続する臨床試験で行われる臨床バリデーションの本格的検討に適した対象集団の選定
をすることになる。
4.2.2 Phase II/III (臨床バリデーションから臨床有用性)
本格的な臨床試験の開始とともに臨床バリデーションの主眼は患者を選択するための検査能力
の検討から,検査結果による患者の診断が薬剤の臨床的有用性をもたらすという検査の識別能力
の検討に移る。CP では,「薬物療法の選択または除外に用いる新規診断検査法の臨床バリデー
ションは,目的の分析対象物質の有無別の患者部分集団における所期の臨床的転帰に関して検査
法を検討する方法で進める」としている。即ち検査結果の陽性および陰性を規定するカットオフ
18
を定め後続の臨床試験でその臨床有用性を確認することとなる。また必要に応じて偽陽性(グレ
ーゾーン)を設定する。
カットオフの設定においては,CP は「検査法の潜在的カットオフを詳細に検討するとともに,
要因となる関連情報を全て補足することも重視する」としている。カットオフの陽性結果と陰性
結果のバランスの検討には ROC(Receiver-Operating Characteristic)曲線の補助的利用が有益
である。また CP では「臨床試験でカットオフを選択する際には,方法の分析的評価段階で測定
した精度に特に注意する。」としており,Her2/neu の免疫組織化学的検査の例を示している。
すなわち Her2/neu の免疫組織化学的検査では,2+と 1+,2+と 3+の識別が困難であることが再
現性試験の結果わかった。また臨床試験においても 2+と診断された被験者の有効率が,3+と診
断された有効率よりも少ないことが認められた。その結果それまでの陽性としていた 2+の分類が
偽陽性(グレーゾーン)に改められ,臨床適応においては 2+の場合は必ず別の検査法で再度検査
することが推奨されることになったとしている。
また CP では,カットオフの設定は臨床有用性の確認の前に事前に定めておくべきであるとし
ており,「後続の(後期第 2 相および第 3 相)臨床試験では分析および臨床バリデーションの主
要側面が全て事前に規定されているようにする。これには対象集団の規定のほか,バイオマーカ
ーによる診断のカットオフポイントを選択し,検査結果の陽性判定,陰性判定および必要に応じ
て判定保留域も明示することが含まれる。」としている。
検査結果とその後の臨床的転帰の関係から感度・特異度は求められるので,カットオフを求め
るために ROC 曲線を書くにしても,臨床試験を実施して,診断検査と臨床的転帰を求める臨床
試験を実施しなければならない。その事前の予備的臨床試験からカットオフを事前に定めて,臨
床有用性を確認する検証試験を実施することになる。CP では「検査結果の陽性および陰性を規
定するカットオフは,医薬品/診断法の主要な臨床試験を実施する前に選択する。当該試験のデ
ータは検査法の臨床バリデーションおよび臨床有効性の適切さを裏付ける根拠となる。」として
おり,2 段階の臨床試験の実施を求めている。その理由として「検査法の性能を最適化しようと
してカットオフを事後的に選択すると,性能の推定値に重大な偏りが生じうる。対外診断検査法
のカットオフを事後に選択し,臨床的正確度が最大となる点,特異度の所定の最小値に対して感
度が最大となる点またはその逆が得られる点とした場合には,カットオフが確率変数となり,統
計解析でカットオフに起因した不確実性を検討する必要が生じる(例えば信頼区間)。この方法
で検査法の臨床バリデーションを設定すると,検査法の性能に対する評価尺度の過大評価を招き
かねない」としている。一方で「こうした(事後的にカットオフを求める)設定の下で偏りのな
い推定値を得るには,交差バリデーション,ブートストラップ法などの統計手法を利用すること
ができる。」ともしているが「これらの手法(交差バリデーション,ブートストラップ法などの
統計手法)による推定値は,目的のカットオフに対する独立したバリデーション(試験)に基づ
いて性能を評価した場合ほど明確でも確実でもないと考えられる。」としている。この不確実と
なった実例として,前述の Her2/neu の免疫組織化学的検査の例を示して,事前の臨床バリデー
ションを検討した臨床試験において 2+と診断された患者数が十分ではなく,適切なカットオフを
19
求めるために必要な統計的に有意な判定が得られていなかったとしている。即ち CP によれば,
カットオフを求めるための十分な規模の臨床試験を実施し多元的にカットオフを求めて,その後
得られたカットオフを事前に定義して診断検査の臨床有用性を検証する臨床試験を実施するこ
ととなる。そのため図 4.1 にあるように診断検査の臨床有用性の確立はある場合には,市販後の
検討に引き継がれて行われることもありうるのであろう。その場合は同時開発型で進めていても
結果的には医薬品先行型になる。
検査値と臨床反応の関係が求められれば感度と特異度から構成される ROC 曲線は求めること
ができるので,カットオフを求めるため臨床試験は特に対照群の設定の必要はなく,その段階で
薬剤に反応すると考えられる被験者対象と用法用量が推定されていればよい。そのため,用量検
討試験の中で,カットオフを求めるデータを取ることができるかもしれない。
その後につづく診断の臨床有効性を検討する臨床試験では,診断検査による層別が薬剤の有効
性と関連していることを示す必要があるので適切な比較対照群を設定する必要がある。CP では
「医薬品の臨床試験の中で診断検査法の価値を探索するには治療と対照療法を比較する通常の
単純な 2 群無作為化を使用し,検討する診断検査法ないしバイオマーカーによる判定結果は,事
前に規定した層別因子として事後の統計解析で検討するという方法を取れる。これで,治療と診
断検査結果との交互作用が特定できると考えられる。」として臨床有効性の確認する時期として
最適なのは,医薬品の開発の第 3 相で適切な対照群を置き,十分に管理された臨床試験を実施す
る時期であるとしている。
CP では臨床的有効性を確認する臨床試験のデザインの例としては次の 2 つを示している。
最初の例は,治療群と対照群を単純にランダム化して比較し,診断検査は,事前に明示した層
別因子として事後の統計解析で検討するという方法をとるというデザインである。このデザイン
により治療と診断検査結果の交互作用を確認することができ,実施施設でランダム化する際の情
報として検査結果をすぐに利用できない場合などで有用なデザインである。
被験薬
全被験者が検査を受ける
全被験者
が,無作為化に検査結果を
使用しない。
プラセボ
2 番目の例は診断検査結果で層別(例えば,陽性あるいは陰性の部分集団)して,ランダム化
するデザインである。特にこれは,実施施設全てで検査結果がすぐに入手できる状況があてはま
る。診断検査結果で層別してランダム化することで,診断検査結果の陽性と陰性の部分集団の両
方に対して,治療群と対照群の患者を確実にバランス良く割り付けることにより臨床試験の効率
が上がることが考えられる。なお PG 検査結果を被験者に知らせることによって登録辞退や脱落
が増える場合は結果にバイアスがかかるので,試験を始める前に十分な検討が必要である。
20
検査結果
全被験者が無作為化時点
全被験者
被験薬
陽性
プラセボ
検査結果
被験薬
で PG 検査を済ませてい
る
陰性
プラセボ
診断検査の臨床有用性を確認するための原則は,検査による診断が臨床的有用性をもたらすと
ことを確認するという目的を統計学上の仮説に転換して臨床試験デザインを構成することであ
る。
CP では言及していないが,ここで上記の診断検査で層別する検証試験でいかなる結果が出た
ときに診断薬の臨床的有用性が確立したと判断されるかということを検討してみたい。この試験
の検証仮説は 2 つある。即ちひとつは薬剤の有効性を検証するというものであり,今ひとつは診
断検査の臨床有用性を検証するというものである。薬剤の有効性を検証するという場合は被験薬
とプラセボの間に差がないという帰無仮説を棄却することで検証される。そのためいずれかの層,
あるいは全体で群間差が認められれば薬効は検証される。次に診断検査の臨床有用性は診断検査
による層別と薬剤の効果に交互作用を確認するということである。しかしこの交互作用を検出す
る検出力と薬効の存在を証明する検出力は普通一致しない。そのため試験をデザインするために
は 2 つの仮説の関係を考慮に入れて試験規模を見積もらなければならない。薬効の存在が検証さ
れないときに診断薬の臨床的有用性は確立し得ない。一方診断薬の臨床的有用性は確立し得なく
とも薬効の存在の検証には意味がある。すなわち前者の薬効存在の検証が試験目的として第一義
的であり,交互作用の確認はその大きさが推定され,検査コストと層別がもたらす臨床反応とが
見合えば層別に意義があることとなる。このことを簡単に説明するために次のような 3 つ試験結
果の場合わけを考える。
21
表 4.1 試験結果と結果の解釈
試験結果
ケース1
ケース2
ケース 3
○
○
☓
☓
○
☓
薬効の検証
○
○
☓
検査の臨床的有用性
○
△
☓
検査陽性
検査陰性
被験薬
プラセボ
被験薬
プラセボ
ケース 1 は試験結果として事前に定めたカットオフで検査陽性とされた層でプラセボとの間に
有意差が認められた場合である。ケース 1 はプラセボとの間に差が認められたので特定の層で薬
剤の有効性が存在することが検証されたとすることができる。また診断検査で層別することに臨
床的有用性があることが明らかである。
ケース 2 は検査陽性,陰性いずれの層でも差が認められた場合である。薬剤の有効性を証明す
るに十分な検出力を持った試験を行った場合にはこのような結果が得られることがあるかもし
れない。この場合薬効の存在は検証されたとすべきであるが検査の臨床的有用性は層別による効
果の大きさの違いに関連してくる。
ケース 3 は個々の層においても,全体においても薬剤に有効性が認められなかった場合である。
この場合は薬剤の有効性が認められなかったのでその薬剤に対する診断検査の臨床的有用性は
確立し得ない。
これらの 3 つの場合わけ以外にも,層ごとには差が認められなかったけども全体で差が認めら
れた場合などいろいろな場合を考えることができるが,このような臨床試験が一般的に実施され
て多くの実例がない状態ではこれらの複雑な状況に一般論として答えるのは難しい。
4.3 まとめ
来るべき診断と医薬品の同時開発では,
前臨床段階

バイオマーカーを測定する分析的に妥当な診断キットを開発して,十分な分析試験を実施
する。
初期臨床試験段階(第 1 相から第 2 相)

臨床試験に参加した被験者に診断キットによる測定を行い,検査法に臨床バリデーション
が求めるだけの測定精度があることを確認
22

検査結果と臨床的転帰の関係が認められる適切な対象集団を探索する

検査結果と臨床転帰の関係を求めカットオフを推定する
後期臨床試験段階(第 3 相あるいは場合によっては市販後)

事前に定めた診断基準で被験者を層別して診断の臨床有用性と医薬品の有用性を検証する。
といったステップが医薬品の開発に新たに追加されるものと思われる。
23
5. ファーマコゲノミクス検査を使った市販後調査
世界で最初に添付文書(Package Insert パッケージインサート。以下 PI)に遺伝子多型と有害
事象の発現の関係が認められると記載された薬剤は 2002 年に米国で承認されたアトモキセチン
(商品名:Strattera)とされている。PI では代謝酵素 CYP2D6 の代謝活性の違いにより有害事
象の発現率に 2 倍以上の増加を認めたとし,活性の違いの検出に CYP2D6 の遺伝子検査が有用
であると記載している。その後 2004 年には 50 年以上前に承認された 6-メルカプトプリン / ア
ザチオプリン(商品名:Purinethol,Imuran)が,代謝酵素 TPMT の遺伝子多型と有害事象の
関係が認められ,TPMT の多型の検査が推奨されるという記載が PI に追加された。つづく 2005
年には 1996 年に承認されたイリノテカン(商品名:Camptosar)の PI に,代謝酵素の UGT1A1
の*28 多型のホモ接合体を有する患者では,好中球減少のリスクが増加し初期の投与量を減少さ
せるべきあると記載された。FDA は,このイリノテカンの PI の改定後,薬物代謝酵素の遺伝子
多型に基づき投与量調節する初の診断薬「Invader UGT1A1 Molecular Assay」を承認した。こ
のように最近になってファーマコゲノミクス測定技術の進展が薬剤の適正使用に応用されるケ
ースが増加してきている。本章では市販後調査にファーマコゲノミクス検査技術を応用して,ハ
イリスクの患者集団を特定する方法について概説して,これからの市販後調査で取り組むべき課
題を検討する。
薬剤の安全使用を検討する研究手法としては,横断研究(Cross-sectional),ケース・コントロ
ール(Case-Control)研究やコホート(Cohort)研究などの観察研究,無作為化臨床試験などの
前向き介入研究などがある。
ここでは,疫学研究に生物化学的方法を応用する疫学(Molecular epidemiology)を紹介する。
この方法を用いることで,遺伝的ハイリスク患者集団を特定することが可能となる。
特定の有害事象に関連すると考えられる遺伝子変異の候補がいくつかあり,その遺伝子変異と
薬剤による有害事象の発現が関連することを検討する手法としては,Case-Control 研究と
Case-only 研究の 2 つの手法が適応できる。
5.1 Case-Control 研究
Case-Control 研究は,結果から原因を検討する研究手法である。特定の有害事象が発現したケ
ースと,それに対応するコントロールをとり,それぞれに投薬の有無と候補遺伝子の変異を検査
する。Case-Control 研究では,有害事象の発現との関連性を見たいとする薬剤だけでなく,それ
以外の薬剤の投薬履歴の調査と遺伝子変異の有無の検査が必要である。
24
表 5.1 Case-Control 研究
Genotype
Exposure
Case
Control
Non- variant
-
Non- variant
+
Variant
-
Variant
+
c 00
c 01
c 10
c 11
d 00
d 01
d 10
d 11
ここで,OR 10 を Variant(遺伝子変異群)での非暴露のオッズと Non-variant(遺伝子非変異
群)・非暴露のオッズの比,OR 01 を Non-variant での薬剤の暴露のオッズと Non-variant・非暴
露のオッズの比,OR 11 を Variant での暴露のオッズと Non-variant・非暴露のオッズの比とした
ときに,暴露・非暴露,変異・非変異,ケース・コントロールの 3 因子交互作用のオッズ比
IOR variant は下記の式で表され,ケースのオッズ比 OR Case とコントロールのオッズ比 OR Contorol の比
で示すことができる。
IORvar iant =
c11 d 00 / c 00 d11
c c /c c
ORCase
OR11
=
= 00 11 01 10 =
OR10 OR01
ORControl
(c10 d 00 / c 00 d 10 ) × (c 01 d 00 / c 00 d 01 ) d 00 d 11 / d 01 d 10
この交互作用のオッズ比(IOR variant )が統計的に有意に1より大きければ遺伝子変異が薬剤に
よる特定の有害事象の発現に関与していることを示すと判断される。
5.2 Case-Only 研究
Case-only 研究は, 特定の有害事象が発現したケースを集め,投薬の有無と候補遺伝子の変異を
検査する。
遺伝子変異と薬剤の暴露に関連がないという仮定が成り立つとき Case-only 研究により
Case-Control 研究と同じ,投薬と遺伝子変異の交互作用のオッズ比が得られ,その仮定の下で交
互作用のオッズ比は,相対リスクの推定値となる。
すなわち,遺伝子変異と薬剤の暴露に関連がないという仮定の下では,集団全体で,特定の遺
伝子変異が起こる確率を p,薬剤が暴露される確率を q としたときに,有害事象の発現しない
Control 群の各セルの出現確率は以下のように表される。
25
表 5.2 Case-only 研究での Control 群
Exposure
Genotype
-
+
-
(1-p)(1-q)
(1-p)q
+
p(1-q)
pq
p:変異遺伝子の発現率, q:暴露を受ける確率
このため,Control 群の期待オッズ比は1となるため,Case のオッズ比が交互作用のオッズ比
となる。さらに薬剤の暴露の有無,遺伝子変異の有無により有害事象が発現する確率をそれぞれ
R 00 , R 01 , R 10 , R 11 としたとき,同じように Case 群の各セルの出現確率は以下のように表される。
表 5.3 Case-only 研究での Case 群
Genotype
Exposure
Probability for AE
Non- variant
-
R 00
(1-p)(1-q)R 00 /Σ
Non- variant
+
R 01
(1-p)qR 01 /Σ
Variant
-
R 10
p(1-q)R 10 /Σ
Variant
+
R 11
pqR 11 /Σ
p:変異遺伝子の発現率,q:暴露を受ける確率,
Σ: (1-p)(1-q)R 00 +(1-p)qR 01 + p(1-q)R 10 + pqR 11
このため Case 群のオッズ比は
(1 − p )(1 − q ) R00 × pqR11 R00 R11
ORCase
ORCase
R11 / R00
=
= IORvar iant =
=
=
= IRRvar iant
1
(1 − p )qR01 × p (1 − q ) R10 R01 R10 R01 / R00 × R10 / R00
ORContorl
となり,遺伝子変異と薬剤の暴露に関連がないという仮定のもとで,有害事象発現に対する投薬
と遺伝子の交互作用の相対リスク(IRR variant )の推定値となる。Case-Only 研究を実施する場合,
この遺伝子変異と薬剤の暴露に関連がないという仮定,即ちコントロールのオッズ比が1という
条件,が成り立っていることが想定されている必要がある。
大規模なランダム化臨床試験で,イベントが発生したケースのみの遺伝情報を測定して,臨床
試験のサブ試験として Case-Only 研究を実施することがある。この場合は薬剤の割付は無作為割
付なので,暴露と遺伝子変異に関連がないという仮定は成立し Case-Only 研究が適応できる。
P. S. Albert らは,Case-Only 研究の遺伝子変異と薬剤の暴露に関連がないという仮定が崩れ
たときの結果に及ぼす影響をシミュレーションにより検討している。それによると,Case-Only
研究で交互作用の検定の実質有意水準は,Control 群のオッズ比が1,1.22,1.65 となったとき
26
にそれぞれ 0.041,0.103,0.601 となり,Case-Only 研究は仮定の崩れにとてもセンシティブで
あることを示している。そのため暴露と遺伝子変異の関連性が不明確なときは,Case-Only 研究
は仮定のずれに大きな影響を受けるという限界をよく理解して注意深く結果を解釈する必要が
ある。
5.3 ファーマコゲノミクスを利用した市販後調査
例えば,ある会社が市販後に報告された重篤な有害事象の認められた患者さんの血液を保存す
る DNA バンクを作っていたとする。数年後,その会社が販売していた A 剤の投薬と心疾患系の
有害事象の発現の関連性が疑われ, 当局からコメントを求められたとする。この場合,心疾患系
の有害事象の認められた患者さんがケースとなるので,そのケースの A 剤の投薬の有無と,発現
に関連すると考えられている候補遺伝子の変異を検査することで Case-only 研究のデータを集め,
A 剤の投薬と心疾患系の有害事象の発現に関連する原因遺伝子を特定することができるかもしれ
ない。このことにより危険因子を持つ患者集団を特定し医薬品の適正使用を図ることで,市場か
らの撤退という最悪の事態は回避できるかもしれない。
あるいは,その会社で実施している複数の薬剤の市販後調査から心臓疾患系の有害事象が認め
られた症例をケースとし,それに対応するコントロールとともに抽出する。抽出されたケースと
コントロールの患者さんの同意を取って血液サンプルを集め候補遺伝子の変異の有無を検査す
る。このことによって,Case-Control 研究を行い,特定の有害事象の発現に関連する遺伝子変異
を特定することができるかもしれない。
COX2 インヒビターのバイオックスの自主回収は,バイオックスだけにとどまらず,COX2 イ
ンヒビター全体の売り上げにも大きな影響を与えた。もし仮に,COX2 インヒビターによる心疾
患系有害事象の発現と関連するバイオマーカーが見つけられていたらこのようなブロックバス
ターの自主回収という事態は避けられたかもしれない。ファーマコゲノミクス検査が普及するこ
れからの市販後調査においては,有害事象の発現と関連する遺伝子を積極的に調べて特定の有害
事象の発現リスクの高い患者集団を特定し,医薬品の適正使用を図り医薬品のライフサイクルマ
ネージメントを行ってゆくことになろう。
27
6. 米国でのゲノムデータの自発的提出(VGDS)制度について
ゲノムデータの自発的提出(VGDS; Voluntary genomic data submissions)制度は,FDA が
2005 年 3 月に公表した,ファーマコゲノミクスデータ提出のためのガイダンスにより米国で導
入された制度である。
このガイダンスの目的はファーマコゲノミクス分野の科学的な発展を促進し,規制当局の許認
可決定にファーマコゲノミクスデータの使用を促すことであり,IND,NDA,BLA に関わる企
業に,(1)開発のどの時期にファーマコゲノミクスデータを届出すればよいか,(2)届出の際の
書式および内容,(3)規制当局の意思決定にファーマコゲノミクスデータがいつ,どのように
用いられるか,について推奨事項を示したものである。
6.1 VGDS 制度とは
2005 年,FDA は通常の医薬品の承認審査時に提出されるファーマコゲノミクスデータとは別
に自発的に提出されるファーマコゲノミクス関連データの受け入れを始めた。FDA が定めた
VGDS の定義は次のとおりである。
VGDS は次の 2 つに分類される
1.
独立な VGDS:現存する承認申請とは無関係であるもの。新規 IND 申請前に申請する
VGDS などが含まれる。
2.
関連する VGDS:現存する申請(例えば IND 申請(IND 前も含む),NDA,BLA あるい
は一変申請)と関連する VGDS。現存する申請に関連して申請されるが,それらの承認審
査の意思決定には使われないもの。
即ち VGDS は医薬品の承認審査とは無関係に,あるいは関係があったとしてもその審査過程と
は無関係にレビューされるファーマコゲノミクス関連データの自発的な提出システムである。
医薬品の承認審査の意思決定に用いられるべき「認知されているバリッドバイオマーカー
(Known Valid Biomarker)」は,初めからそうであったわけではない。幾多の探索的研究を経
て探索的なバイオマーカー候補となり,次に「まず確実なバイオマーカー(Probable Valid
Biomarker)」と考えられるようになり,最終的に広くその妥当性が広く認められるという,科
学知識におけるバイオマーカーの段階的進化を経て開発されるものである。バイオマーカー研究
の初期段階からその過程に関わることは研究の発展のためには意義があることであり,VGDS を
開始した FDA にファーマコゲノミクスという生物科学領域の新たなフロンティアを研究者・製
薬企業とともに切り開いてゆこうという姿勢を感じることができる。
6.2 VGDS の歴史
VGDS の歴史は 2002 年に FDA が DIA において開催した第 1 回ファーマコゲノミクスワーク
ショップに始まる。翌年の 2003 年 11 月に FDA はファーマコゲノミクスデータ申請に関するガ
イドライン案を公表し,VGDS の受け入れを表明し,直後に開催された第 2 回ファーマコゲノミ
クスワークショップで解説が行われている。そのガイドライン案に基づいて翌年の 2004 年 3 月
に最初の VGDS が行われ,同年 7 月に FDA 内の学際的ファーマコゲノミクス評価グループ
28
(IPRG; Interdisciplinary Pharmacogenomics Review Group)と申請者の会合が行われた。
2005 年初頭 VGDS 評価の主体となる IPRG が FDA 内に正式に設立され,3 月にファーマコゲノ
ミクスデータの申請に関するガイドラインが施行されるとともに FDA のインターネットサイト
内に” Genomics at FDA”(www.fda.gov/cder/genomics/default.htm)が開かれ,以後さまざま
な情報がここのサイトを通じて公開されるようになった。
2002 年 3 月
First FDA-DIA PGx workshop - Introduction of "Safe Harbor" concept for
PGx data submissions
2003 年 11 月 Guidance for industry pharmacogenomic data submissions (Draft Guidance)
2003 年 11 月 Second FDA-DIA PGx workshop - Discussion around biomarkers, voluntary
vs. required submissions, first public comments
2004 年 3 月
First VGDS received
2004 年 7 月
First IPRG-sponsor meeting to discuss VGDS
2005 年 1-2 月 IPRG formally created
2005 年 3 月
Class II Special Controls Guidance Document: Drug Metabolizing Enzyme
Genotyping System
2005 年 3 月
Class II Special Controls Guidance Document: Instrumentation for Clinical
Multiplex Test Systems
2005 年 3 月
Guidance for industry pharmacogenomic data submissions
2005 年 3 月
Genomics at FDA website goes live
2005 年 4 月
Drug-Diagnostic Co-Development Concept Paper Draft
2005 年 4 月
Third FDA-DIA PGx workshop - Looking ahead: translating PGx into
clinical trials and clinical practice
2005 年 10 月 DIA workshop - Application and validation of genomic biomarkers for use in
drug development and regulatory submissions
6.3 通常の申請と VGDS
ファーマコゲノミクスに関連するデータを通常の申請資料とともに審査資料として提出すべき
か,提出する必要がないかは,そのファーマコゲノミクスデータが医薬品の有効性と安全性に関
わる「バリッドバイオマーカー」であるかないかによる。即ち医薬品の有効性や安全性の評価に
対する妥当性を確立していないデータについては審査過程に利用することができないので提出
の必要はない。FDA はガイダンスで,バイオマーカーを「認知されているバリッドバイオマーカ
ー(Known Valid Biomarker)」,「まず確実なバリッドバイオマーカー(Probable Valid
Biomarker)」「探索的または研究的ファーマコゲノミクスデータ」の 3 つに区分しており,次
の早見表のように,申請区分ごとに規定をしている。また,申請者が提出するファーマコゲノミ
クスデータが申請資料に添付すべき申請資料なのか VGDS に該当するのかがわからないときに
は,FDA に設置された IPRG がその問題を議論するために申請者と審査部門の責任者を集めて
29
会議を開催して決定することになっている。
表 6.1 ファーマコゲノミクスデータの提出に関する早見表
IND
提出データ
新(未承認)NDA/BLA
既承認品目の
または一変申請
NDA/BLA
認 知 さ れ て 通常の申請
通常の申請
定期報告で提出
い る バ リ ッ 21CFR312.23(a)(8),(9),
(21CFR312.50, 601.2) 概略か概略レポートと
ド バ イ オ マ (10),(11)に基づく規制
に基づく規制)
ーカー
(審査資料の形態につ (21CFR314.81) に 基 づ
(Known
い て は ガ イ ド ラ イ ン く規制)
Valid
IV.B のアルゴリズムを
Biomarker)
使用)
して提出
ま ず 確 実 な 提出する必要はない(た 通常の申請資料ととも 定期報告で提出
バ リ ッ ド バ だし人の安全性評価試 に提出することを推奨
概略か概略レポートと
イ オ マ ー カ 験に使用する場合は提 (審査資料の形態につ して提出
ー
出)
い て は ガ イ ド ラ イ ン (21CFR314.81) に 基 づ
( Probable VGDS で自発的提出を IV.B のアルゴリズムを く規制)
Valid
歓迎
使用)
Biomarker)
探 索 的 ま た VGDS で自発的提出を VGDS で自発的提出を VGDS で自発的提出を
は 研 究 的 フ 歓迎
歓迎
歓迎
ァーマコゲ
(審査資料の形態につ
ノミクスデ
いてはガイドライン
ータ
IV.B のアルゴリズムを
使用)
Guidance for industry Pharmacogenomic data submissions: Appendix D より
6.4 VGDS の評価プロセス
FDA における VGDS の評価のプロセスの詳細は,FDA の公開している“Management of the
Interdisciplinary Pharmacogenomics Review Group”(MaPP 4180.2)と“Processing and
Reviewing Voluntary Genomic Data Submissions (VGDSs)”(MaPP 4180.3)に詳しい。ここ
ではその資料を基に VGDS の評価プロセスの解説を行う。次の図は FDA のホームページに示さ
れた VGDS の評価過程の概略図である。
30
Genomics at FDA(www.fda.gov/cder/genomics/default.htm)より引用
図 6.1 FDA における VGDS の評価プロセス
6.4.1 VGDS の申請
VGDS を申請しようとするものは VGDS カバーシートをつけて FDA の CDR(Central
Document Room)に資料を提出する。CDR が新規の VGDS であればその申請にプレ IND 申請
番号をつけて,申請資料を直接 IPRG に送る。
6.4.2 VGDS の評価過程
VGDS の評価は FDA 内に組織した IPRG が行う。VGDS が関連する承認申請の直接の審査部
門に送られることはない。IPRG は VGDS の評価全般に責任を持ち,評価の全ての段階を通じて
申請者との連絡窓口をはたす。もし申請者が必要と思うのなら,VGDS の前に申請者は IPRG と
VGDS に関する問題を議論するために会議を持つこともできる。また申請者は VGDS が評価さ
れている間に IPRG と会議を持つこともできる。評価が終了すると IPRG は VGDS の評価報告
書を作成し審査部門のプロジェクトの長にその写しを提出し,VGDS 申請者には報告書のまとめ
を提供する。ただし VGDS の結果が該当する医薬品の審査の意思決定に影響することはない。そ
の後,VGDS 申請者は必要ならば IPRG と評価結果を議論するために会議を開こともできる。
また,VGDS として提出された資料であっても IPRG が新薬の IND や NDA の審査資料として
31
適切であると判断した場合には,IPRG は申請者にその旨を伝える。しかし,その資料を審査資
料として再提出するかどうかは申請者による。
6.4.3 IPRG の構成
FDA 長官が指名した長官代理(the OC Representative)が IPRG の責任者を指名する。IPRG
は,その IPRG の責任者と,新薬の審査機関である CDER(Center for Drug Evaluation and
Research)と CBER(Center for Biologics Evaluation and Research)および医療機器の審査
機関である CDRH(Center for Devices and Radiological Health)の 3 部門からの代表者および
事務局長/プロジェクトマネージャーから構成される。審査 3 部門からは各 5 名までの代表者を
IPRG に参加させることができる。また IPRG の事務局は Office of clinical pharmacology and
biopharmaceutics のある CDER に置かれる。IPRG の構成員は FDA のホームページに公表され
ている。
審査は評価の内容や必要に応じて IPRG 各審査部門の代表者が指名した専門家(Center
Experts)に評価を依頼することもできるが,あくまでも必要に応じて暫定的に評価を依頼する
ものであり,VGDS の評価の責任は IPRG が負う。
IPRG のアドバーザーとして,Advisory subcommittee が Drug Safety and Risk Management
Advisory Committee のもとに設立されている。このアドバーザーは特定の分野の専門家であり
VGDS に最新の科学的評価を与える手助けをする。IPRG が VGDS の評価の過程で,探索的バイ
オマーカーが「認知されているバイオマーカー」あるいは「まず確実なバイオマーカー」と見な
す こ と が で き る と 考 え た と き に は , IPRG は そ の 問 題 の 公 的 な 評 価 を 下 す た め に
Pharmacogenomic Advisory Subcommittee を開催することがある。
6.5 まとめ
ファーマコゲノミクスを利用した医薬品開発は,見出された候補バイオマーカーをいかに確実
に薬剤反応を予測できるバリッドバイオマーカー(Valid biomarker)として確立し,承認申請
の基礎資料としてゆくかが中心課題であり,この VGDS による早い時期からの規制当局との協議
はとても重要である。また 2006 年 5 月には FDA と EU の EMEA が共同でこの VGDS のレビ
ューを行うことに合意したことが報じられており,ファーマコゲノミクスを用いて医薬品を開発
しようとするものは VGDS により規制当局と早期に協議に入るということは世界的潮流となる
と考えられる。現段階の我々の結論としては,FDA が導入した VGDS 制度を利用して規制当局
とともにバリッドバイオマーカーを確立しつつ同時に医薬品開発を行ってゆくという,患者を層
別する診断薬と医薬品を同時に開発するスタイルが来るべき個別化医療実現のための医薬品開
発の姿となると考えている。
32
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Genomics
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(http://www.fda.gov/cder/genomics/default.htm)が詳しい。
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