...

都市とITとが出合うところ

by user

on
Category: Documents
33

views

Report

Comments

Transcript

都市とITとが出合うところ
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
下車。目の前の通りは旧東海道。社員旅行風の団体が
第1回 近江八景@大津
近江牛「松喜屋」さんに入るのを横目に見ながら、瀬
大津へ
田の唐橋へ。唐橋は、織田信長により現在の位置に移
近江八景は、瀟湘八景を手本として、三藐院信尹が
され、中之島を経由して大・小2つの橋が架かる。唐
琵琶湖周辺の景勝の地を撰んで発案したとされる。歌
橋の架かる瀬田川は琵琶湖から流れ出す河川で、宇治
川広重による浮世絵を通じて、庶民にまで広く浸透し
川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。淀川水系
たといわれる。瀟湘八景は、中国湖南省の瀟水と湘水
は琵琶湖を含め、琵琶湖に流入する河川や、山崎付近
の流れを集める洞庭湖周辺の8つの名所のことである。
で三川合流する木津川、桂川も含む。そのため、淀川
近江八景と瀟湘八景との関係を表に記そう。石山秋月
全体の支流数は965本と、大河で有名な信濃川、利根
から順に、緯度の低い方(南)から高い方(北)に並
川よりも多く、なんと日本一である。地図を広げると、
べてある。今回は、滋賀県大津市に点在する近江八景
瀬田の唐橋付近は琵琶湖のつけ根に位置し、琵琶湖を
を公共交通を使いながら巡ってみたい。
胃に例えるならば唐橋は十二指腸の辺りとなる。また、
近江八景(場所)
瀟湘八景
近江大橋、国道1号線、名神高速道、京滋バイパス、
秋
石山秋月(石山寺)
洞庭秋月
東海道線、新幹線など日本の大動脈が連ねる交通の要
春
瀬田夕照(瀬田の唐橋)
漁村夕照
衝であることがわかる。話が横道にそれたが、瀬田の
春
粟津晴嵐(粟津ケ原)
山市晴嵐
唐橋に向かおう。唐橋に出会って驚いたのは、橋のむ
季節
夏
矢橋帰帆(矢橋)
遠浦帰帆
春
三井晩鐘(三井寺)
煙寺晩鐘
夏
唐崎夜雨(唐崎神社)
瀟湘夜雨
堅田落雁(浮御堂)
平沙落雁
比良暮雪(比良山系)
江天暮雪
秋冬
冬
くりがかなり大きく、龍の背中のようにかなりうねっ
て見えることである。そのため、車も自転車も歩行者
も龍の背中を歩いているようだ。むくりの程度はとい
えば、 中 之 島に い る 歩 行 者 はほ と ん ど見え ない 位
(図2)。
石山秋月
粟津晴嵐
JR 石山駅で京阪石山坂本線に乗り換え、石山寺へ。
唐橋から瀬田川沿いに琵琶湖に向かって歩く。明ら
石山坂本線は2両編成で市民生活の貴重な足。大津の
かにマラソン選手らしい外国人がジョギング。そうい
まちなかをうねうねと走る。石山寺駅から10分ほど歩
えば明日はびわ湖毎日マラソンだった。東海道本線の
いて東大門に到着。仁王さんに睨みをきかされながら
高架を抜けると、川幅は急に広がり、琵琶湖に辿りつ
山門をくぐり梅が咲きはじめた境内へ。境内には奇
いた(図3)。鳰や雁が湖面に浮かんでいる。粟津の
岩・硅灰石がよこたわり、文字通り「石山」の様相。
晴嵐とは、旧東海道沿いにある多数の松並木が晴れた
本堂は京都・清水寺と良く似た構造で、斜面の上に柱
風の強い日、嵐のように枝葉がざわめく様子を表した
梁が組まれており、本堂前の巨大な硅灰石群と建築は
もの。かつての松並木は、粟津中学校前の曲がりくね
自然になじんでいる。紫式部が源氏物語の構想を練っ
った旧東海道沿いに残された数本といわれる。隣接す
た地、鎌倉時代初期に完成した日本最古の多宝塔、淀
る工場も敷際に松が植えられ、かつての風景を偲ばせ
君による伽藍の再興、芭蕉の句碑と、石山寺が接して
る(図4)。この地に残る「晴嵐」という町名が何と
きた長い歴史を感じさせる。
「石山秋月」のシンボル、
も好きだ。近年では、湖岸道路沿いのなぎさ公園に粟
月見亭は瀬田川の清流を見下ろす高台にある(図1)。
津晴嵐の復活を祈念して松の植栽が進められており、
訪問時は春・新月・昼間と、秋月とは真逆の設定とな
将来が楽しみである。
ってしまった。また来なければ。
三井晩鐘
瀬田夕照
旧東海道を北上し、瓦ヶ浜駅で再び京阪石山坂本線
石山寺山門前からバスに乗り、2駅目の唐橋前駅で
に乗る。瓦ヶ浜駅のホームは線路がカーブしている敷
2 まちなみ 2014/4
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会長、日本建築学会近畿支部常議員ほか公職
多数兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン
設計競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
地にあるためホーム幅が曲線で削られかなり先細り。
らに異なる年代の写真に切り換えることで地区の変容
電車に乗り、膳所、そして浜大津を過ぎると電車は車
を読み取ることができる。今後、スマートフォンやタ
道に出た。ここからは路面電車となる。三井寺駅で下
ブレットなどの携帯端末上で PC 版並みの機能充実が
車、京都への導水路として作られた琵琶湖疏水を脇に
期待される。次に、筆者は歩いたルートを地図上に記
見ながら園城寺(三井寺)へ。天台寺門宗総本山の境
録して自分紀行の備忘録にすることが多い。相変わら
内はさすがに広い。
「三井晩鐘」で親しまれている梵
ず赤ペンで紙地図の上に書き込むことが多いが、最近
鐘は二代目。初代「弁慶の引摺り鐘」の跡継ぎとして、
は電子地図上に移動した軌跡を自動的にプロットして
豊臣家による三井寺再興の一環で鋳造された。この鐘
くれるアプリも登場してきている。但し、GPS サー
は、形の平等院、銘の神護寺とともに「音の三井寺」
ビスを使用すると電池の消耗が早くなるのでご注意を。
として日本三銘鐘のひとつに数えられる。こんなに有
今回は、近江八景のうち、石山秋月、瀬田夕照、粟
名な鐘であるが、何と、撞かせてもらえる。
「ぐぉーん」
津晴嵐、三井晩鐘、唐崎夜雨と五景を街歩きしてきた。
確かに奥深い音色(図5)。梵鐘の前に建つ大きな建
残り三景は次回以降にでも。
築は、金堂。豊臣秀吉の夫人・北政所により1599年に
ルートと参考文献
建てられた。金堂内部をぐるりと歩いてみたが実に壮
京阪石山駅 --< 京阪石山坂本線 >-- 石山寺駅【石山寺】
石山寺山門前駅 **< 京阪バス >** 唐橋前駅【瀬田唐橋】
++< 徒 歩 >++【 粟 津 晴 嵐 】++< 徒 歩 >++ 瓦 ヶ 浜 駅
--< 京阪石山坂本線 >-- 三井寺駅【三井寺】別所駅 --<
京阪石山坂本線 >-- 皇子山駅 / 大津京駅 --<JR 湖西線
>-- 唐崎駅 ++< 徒歩 >++【唐崎神社】(19.4km)
[1]国土地理院,地理院地図:
http://portal.cyberjapan.jp/
大な構造体。完成後、415年経った今日まで、一度も
解体されることなく建ち続けているそうである。
唐崎夜雨
三井寺の隣にある歴史博物館の見学を終えると雨が
降ってきた。日没の時間も近づいており街歩きは之ま
でと考えていたが、思い立って唐崎の夜雨へ。京阪石
山坂本線別所駅から皇子山駅へ一駅、そこから JR 湖
西線に乗り換えて、唐崎駅で下車。駅を降りると比叡
山がぐっと間近に迫る。夜雨を期待してやって来たの
だが、唐崎神社に着く頃には雨は上がってしまった。
それでも、唐崎神社の立派な老松に出会えてよかった
(図6)
。樹齢200年の三代目。二代目は何と1591年に
図1 石山寺の月見亭
図2 瀬田の唐橋
図3 河川管理境界
図4 晴嵐中学校前
図5 三井寺の晩鐘体験
図6 唐崎神社の老松
植えられ1921年まで330年も存在したんだとか。さら
に絶えることのないよう、四代目の準備が始められて
いると聞いた。ぼちぼち辺りが暗くなってきた。広重
が描いた頃には出会えなかったであろう、大津の夜景
がまばゆい。
おわりに
街歩きに必須のツールといえば地図。観光案内所な
どの現地で入手する紙版の地図は近年充実してきた。
電子版であれば、マピオンや Google マップ等の商
用地図の他、国土地理院の地理院地図[1]も整備さ
れてきた。個人的なお勧めは、地理院地図の上で過去
の航空写真をオーバーレイして眺めてみること。こう
すれば、当時の土地利用や街並みの状況がわかり、さ
まちなみ 2014/4
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第2回 坂本と堅田
近江・坂本へ
再び近江の国へ向かう。今日は大津市の坂本と堅田
へ。京都から湖西線に乗り換える。かつて京阪神を走
っていた新快速電車117系がホームでお待ちかね。ク
リームとマルーンのツートーン・カラーの車体は当時
のままで懐かしい。山科を過ぎて湖西線に入るとまだ
雪が残る比叡山が目に飛び込んできた。大津京駅では
手動でドアを開閉するようアナウンス。まだ雪国モー
ド。2つ先の比叡山坂本駅へと向かう。
坂本城跡
坂本は比叡山に源を発する大宮川や藤木川などが形
成した扇状地に位置し、延暦寺、日吉大社の門前町と
して栄えた港町である。
比叡山坂本駅に着いた。湖西線の高架下を大津方面
に戻る格好で歩き始める。藤ノ木川に出合うと左に折
れ、川に沿って歩くと琵琶湖に辿りつく。さらに国道
161号を南下すると30分ほどで坂本城跡に着いた。坂
本城は織田信長による延暦寺焼き討ちの後、坂本と延
暦寺とのつながりを断ち切るために明智光秀が築いた
水城である。本丸跡は現在民間施設が建っており、す
ぐそばの坂本城址公園に明智光秀の碑などが建てられ
ているが、何だかひっそりとしている。湖畔に出てみ
ると空が本当に広い
(図1)。大津、そして近江富士・
三上山が綺麗に見える。
石積みの町
湖畔から坂本の町へはだらだらとした上り坂。無理
をせず松ノ馬場駅から京阪石山坂本線に乗り一駅で坂
本駅へ。駅を出るや、延暦寺の里坊、神社、民家の石
塀に築かれた美しい石垣が目に飛び込んできた。この
石垣は、坂本の「穴太」一帯に古来より居住する石工
「穴太衆」によるもの。自然のままの石を巧みに用い
て積み上げており、自然の美しさを感じさせる(図2)。
観光案内所で地図を頂く。既に、重要伝統的建造物
群保存地区に指定された「里坊のまち」の中にいるの
だ。苔むす石垣と水路を眺めながら日吉馬場を上って
いくと日吉大社の鳥居が見えてきた。ここは全国3800
余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。掛け声をかけな
がら担ぐ神輿のルーツもここらしい。大きな境内のあ
ちらこちらでは写生大会、そして東本宮ではちょうど
結婚式の真っ最中(図3)。偶然ながら幸せの空気を
頂戴した。
竹林院近くのお茶屋さんで鴨なんばを頂いてから、
2 まちなみ 2014/5
延暦寺の本坊、滋賀院門跡へ。延暦寺といえば比叡山
の山頂にのみあるものと思っていたが、山の麓にもあ
ったとは。滋賀院跡は、狩野派の障壁画、小堀遠州の
庭園が有名であるが、一番驚いたのは「油断大敵」の
由来。ここには延暦寺の根本中堂に1200年以上も灯し
続けられている不滅の法灯と同じ灯火が置かれている。
灯籠を開けてみると確かに炎。菜種油の入った油皿に
灯芯を浸して灯しているので、常に油量に気を配って
いないと消えてしまうところから「油断大敵」という
ことわざの発祥となった、と説明された。延暦寺は、
世界遺産「古都京都の文化財」に登録されているため
か「京都のお寺」のイメージが強いが、本坊が坂本に
あることや占める面積の大きさからしても「滋賀のお
寺」の方が相応しいようだ。
堅田へ
坂本駅までは一直線の下り。日吉馬場の鳥居をくぐ
るまでは、琵琶湖の輝きが目に入ってくる。湖西線で
坂本から堅田へ。実は坂本駅と堅田駅の間には雄琴温
泉がある。坂本で3時間しっかり歩いたので、おごと
温泉駅で一度降りてみようかと心が揺れたのだが、今
日は我慢しておこう。
堅田駅に着いた。思っていた以上に大きな町。駅が
完成した40年前は田んぼだらけだったそうだが、京阪
神のベッドタウン化が現在も進む。駅から見て琵琶湖
側は都市化が進み、山側では区画整理が進む。観光案
内所で地図を頂く。当日は堅田全域で100円商店街が
開催されていた。100円商店街は、近年、バル・まちゼ
ミなどと並んで、商店街の活性化につながるといわれ
全国に広がる取り組みである。堅田駅から5分ほど歩
くと堅田内湖が見えてきた。内湖には棒状の柵のよう
なものが無数に見える。淡水真珠の養殖なのだそうだ。
堅田落雁
堅田地区は琵琶湖湖畔に広がる集落で「湖族の郷」
ともいわれる。堅田は琵琶湖で対岸との距離が最も狭
くなるところ、すなわち、北湖と南湖との境界に位置
する。そのため、中世から湖上交通を支配し、琵琶湖
沿岸で最大の自治都市として栄えた。田舟はすっかり
少なくなってしまったが、内湖と堅田港を結ぶ水路沿
いは往時の風情が残る。
居初氏庭園と茶室「天然図画亭」を訪ねた。かの、
小林一茶も足を運ばれたそう。居初氏は1100年を超え
る家系。米寿を迎えられた29代当主・居初寅夫さんが
丁寧に解説してくださった。まず土蔵に展示された絵
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会長、日本建築学会近畿支部常議員ほか公職
多数兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン
設計競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
巻物を見てビックリ。湖畔に巨大な松が描かれており、
前号で訪問した唐崎の老松かと思いきや、この庭にあ
った巨松だそうである。残念ながら80年前に枯れてし
まったそうだ。2階には日本最古級の剣道具や刀剣な
どが置かれていた。そして庭園へ。江戸時代の茶人・
藤村庸軒(千宗旦四天王の一人)と地元郷士の北村幽
安とが協力して作庭。庭の向こうには琵琶湖や三上山
が広がっており、その風景は正に「天然図画亭」。風
景を眺めただけで鳥肌が立った。但し、写真は対岸の
建物が入らないように工夫して撮影した(図4)。居
初さんの悩みは維持管理なのだそうである。
いよいよ「堅田落雁」の地、浮御堂へ。堅田港から
浮御堂へ向かう遊歩道が気持ちいい。いよいよ満月
寺・浮御堂に入る。浮御堂は琵琶湖に突出しており、
伊吹山、長命寺山、鈴鹿山脈、三上山、沖島、比良連
峰、比叡山など、ぐるっと見渡せた。湖面にはカモメ
とカイツブリ。浮御堂のそばに最近オープンしたカフ
ェレストランへ。古民家を改装したお洒落なインテリ
ア。三上山と浮御堂を眺めながらコーヒーブレイク。
比良暮雪
湖族の郷資料館に立ち寄った後、浜通りを北へひた
すら歩き、出島灯台にやってきた。水都大阪を周遊す
る観光船「アクアライナー」はこの近くの造船所で生
まれたそうである。内湖の夕照を眺めつつ堅田駅方面
へ。このまま電車に乗って帰ろうかと思ったが、ふと、
「比良暮雪」が気になった。確か、井上靖も「比良を
望むにおいては、湖畔広しと雖も、堅田に勝る地はな
く」と紹介している[1]
。何とか電線など人工物が
できるだけ見えない視点場で比良山系を眺めようと、
うろうろ。遂に区画整理の進む山側までやってきた。
丁度、日没間際。山頂付近は雪が残っており、射し込
む夕日で白く輝いていた。
おわりに
前号では2D のデジタル地図を紹介したが、国土地
理院は今年3月に「地理院地図3D」を公開した[2]。
国土地理院の地形図を誰もが簡単に日本全国どこでも
3次元仮想空間で見ることができるデジタル立体地図
である。作成した3D 地図データから最近話題の3D
プリンターで立体模型を作成することもできるし、地
理院タイル[3]で提供されている主題別画像をオー
バーレイさせることもできる。
「地理院地図3D」サイトにアクセスして、右上の「3
次元でみる」ボタンをクリック。3次元で表示させた
い場所を決めて「この地図を3D で表示」を押すと、
その範囲の3D 地図が表示される。マウスでドラッグ
してグルグルと回して眺めたり、ホイールでズームイ
ン・アウトしたり。画面下方にある「高さ方向の倍率」
の数値を変えると高さ方向が強調され、地形の特徴が
直 感 的 に 理 解 で き る。 作 成 し た3D 地 図 は STL、
VRML、WebGL の各フォーマットでダウンロード
ができるので、3D プリンターで立体模型も作成可能
である。仮想世界と現実世界の行き来、是非お試しを。
ルートと参考文献
比叡山坂本駅 ++<徒歩>++【坂本城跡】++<徒歩>++
松ノ馬場駅 --< 京阪石山坂本線 >-- 坂本駅 ++
【日吉大社】
++<徒歩>++【滋賀院門跡】++ 比叡山坂本駅 --<JR
湖西線>-- 堅田駅 ++<徒歩>++【居初氏庭園】++
【浮御
堂】
++【湖族の郷資料館】
++【出島の灯台】++<徒歩>++
堅田駅(19.7km)
[1]井上靖,比良のシャクナゲ・霧の道(井上靖小説
全集第3巻)
,新潮社
[2]国土地理院,地理院地図3D:
http://cyberjapandata.gsi.go.jp/3d/
[3]国土地理院,地理院タイル:
http://portal.cyberjapan.jp/help/development.html
図1 坂本城跡からの眺め
図2 穴太衆積み
図3 日吉大社東本宮
図4 天然図画亭
図5 浮御堂
図6 比良残雪
まちなみ 2014/5
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第3回 針江
近江・高島へ
湖西線を北上。先回ご紹介した堅田を過ぎると、車
窓からの風景は大きく変化する。琵琶湖は南湖から北
湖に入るため、湖面の占める割合が大きくなり対岸は
みるみる小さくなっていく。山側は比良の山なみが琵
琶湖に迫り、さながら山岳風景となる。北小松を過ぎ
明神崎のトンネルを抜けると、平野がパッと広がる。
琵琶湖に流れ込む安曇川、鴨川によって形成された扇
状地だ。近江高島駅で下車。
大溝城跡
大溝城は織田信澄(信長の甥)が内湖・乙女ケ池を
取り込んで築いた水城。
明智光秀の設計といわれる(図
1)
。現在は天主台の石垣が残る程度だが、一つひと
つの石は結構大きい。往時の威光が伺える。
織田信長は湖東の安土城を拠点にして、湖北に長浜
城、安土の対岸となる湖西に大溝城、湖南に坂本城を
築き、それらを結ぶ城郭ネットワークで琵琶湖を掌握
しようとした。各城間の距離を概測してみると、坂本
城 - 大溝城28㎞、大溝城 - 長浜城24㎞、長浜城 - 安土
城26㎞、安土城 - 坂本城26㎞と、ほぼ同じ距離となっ
た。城郭ネットワークは、きれいな菱形に形成されて
いたことがわかる。
高島びれっじ
近江高島駅前は、北国街道西近江路沿いを中心に、
水路で区画された町割りと古いまちなみが残る。建物
は、近江商人の中でも最も古くから活躍した商人とい
われる高島商人が構えた商家や蔵などだ。260年続く
造り酒屋「萩の露」の軒先には緑色の大きな杉玉がぶ
ら下がっており、新酒ができたようだ。一方で、その
まちなみが失われていく中、地元の有志が立ち上がり、
旧商家を手作りで保存再生させる
「高島びれっじ構想」
を発案、カフェや体験施設に活かす取り組みがなされ
ている。今から20年ほど前に始まったこの取り組みは、
1号館から始まり、現在は8号館までオープンしてい
る。1号館に立ち寄り地図を頂いてから、1号館と曳
山蔵の間の路地を入っていくと、商家の敷地にあった
と思われる民家、蔵、納屋などを改装して、建物の風
情に似合った店舗が看板を上げていた。
オルレ
大溝城下町から琵琶湖畔へ。萩の浜から近江白浜に
かけて水際に白砂青松が続く。対岸には、三上山(近
江富士)、沖島、長命寺山、繖山、荒神山、鈴鹿山系、
2 まちなみ 2014/6
伊吹山などがパノラマで見渡せる(図2)。ジモティと
思われる散歩途中のオジサンに出会った。日頃はここ
でよくグランドゴルフをするそう。何とも贅沢な環境。
ここから琵琶湖湖岸を安曇川、新旭方面へとてくて
く歩く。鴨川の橋を渡ると、大きな内湖か、と思いき
や、メガソーラーだった。近江鉄道㈱が遊休地を活用
するために、3.8ha の敷地に約1万枚の太陽光パネル
を設置したそうだ。メガソーラーの内湖に別れを告げ
てさらに進むと、今度は本物の「松ノ木内湖」の湿地
帯。さらに、南船木集落を抜けて安曇川を渡る。安曇
川では簗漁が始まろうとしていた。簗(ヤナ)とは魚
を取る仕掛けのことであり、安曇川を横断する格好で
扇形に簀を張り、川を上ってきた魚(アユなど)を川岸
に誘導して捕らえる。この伝統的な漁法は「未来に残
したい漁業漁村の歴史文化財産百選」のひとつである。
安曇川左岸の竹林に沿って、針江を目指す。そうい
えば歩き出してから長い間、コンビニはおろか、自販
機にも出合っていない。オルレとは、韓国・済州島の
方言で「家に帰る細い道」という意味であるが、現在
ではトレッキングやウォーキングを指すようになった。
湖畔、田園、古い集落、竹林などを歩いているこの旅
もオルレなのだろう。仲間とワイワイ歩くのも楽しい
が、たまには一人で長時間歩いてみるのも中々有意義
である。
生水(しょうず)の郷
「この地点より生水の郷です 水は宝 自然を大切に
川を美しくしましょう 針江生水の郷委員会」
針江集落入口の立て看板。針江は、比良山系に降っ
た雪や雨が伏流水となり、200年もの歳月を経て地下
から澄んだ水が湧き出す地区。水温は年間を通じて13
℃であり、夏は冷たく冬は温かい。この湧き水を現在
も110世帯ほどが日常生活で飲料や炊事にそのまま利
用している。「カバタ(川端)」と呼ばれる仕組みであ
り、家屋の外の小屋にある「外カバタ」と家屋の中に
ある「内カバタ」がある。
針江生水の郷委員会の有料ツアー「川端と街並コー
ス」に参加した[1]。個人の生活空間の中にある川
端を地元の方にガイドしてもらいながら、実際に利き
水を体験できるプログラム(図3)。集合は針江公民館。
見学カードを首からぶら下げ、水利き用に竹のコップ
を頂く。実はこのコップは、放置された竹やぶを集落
の人々が手を加えて作ったものだそうだ。
ガイドとゲスト3名で90分のツアースタート。目の
前の針江大川には梅花藻が自生している(図4)。初
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会長、日本建築学会代議員ほか公職多数兼務。
NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計競技最
優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。ふくだ
ぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
夏にはホタルが舞い、盛夏には子供たちの川遊び場に
なるそうだ。日吉神社の前を曲がり、焼杉塀のまちな
みを歩いて最初のカバタに着いた(図5)。カバタは
一般的に、
上水として利用できる湧水をためておく「元
池」
、野菜や汚れた食器を洗う水をためておく「壺池」、
さらに、
「壺池」から流れ出た食品残差を食べるコイ
等の魚を泳がせておく「端池」の3つの要素から成り
立つ[2]。端池と道端の水路はつながっている。
早速、元池の湧き水を竹コップへ。
「うまい!」。各
カバタには上水検査の成績書が掲示されており安心だ。
魚屋さんのカバタの脇には湧き水と普通の水道水の蛇
口が並んでいる。順番に利き水。飲み比べてみるとわ
かりやすい。すでに数か所のカバタで湧き水を飲みな
れたせいか、水道水のカルキ臭がいつも以上にきつく
感じられた。
地区内には花が溢れ、河川や水路にはコイ、フナ、
ヨシノボリ、カワニナ等が生息。正伝寺の境内にはワ
また、
近年では下水道の空気取
サビやミズバショウが。
り入れ口を兼ねた常夜灯が設置されたが、必要な電気
は小型水力発電や太陽光発電により賄っているそうだ。
集落内の「生水の生活体験処」では古民家に宿泊して
川端の生活体験ができる。空き家の活用も兼ねたアイ
デアである。
おわりに
今回の旅は結果的に18㎞ものオルレとなったが、長
い距離を歩くのはちょっと、という方にはレンタサイ
クルをお勧めしたい。レンタサイクルは、これまで自
転車を借りた場所まで戻ってきて返す、という方式が
当たり前であったが、近年では自転車を借りた場所と
は別の場所で返却可能な「乗り捨て制度」の採用が増
えてきた。コミュニティサイクルやシティサイクルと
呼ばれる。高島市では近江高島、安曇川、近江今津、
マキノの各駅でレンタルでき、乗り捨てができる。香
川県高松市では、引き取り期限の過ぎた放置自転車を
コミュニティサイクル用に再利用している。
IT は、コミュニティサイクルの利用促進のため、
利用者の登録、料金決済、自転車の居場所追跡などに
不可欠な存在である。実は今年4月から、大阪大学吹
田キャンパス、それも私の研究室から70歩ほどのとこ
ろに利用無料のコミュニティサイクル「COGOO」が
登場した[3]
。早速 COGOO に乗ってランチへ。ネ
ットで会員登録を済ませた後、理工学図書館前でレン
タル。
レ ン タ ル し た い 自 転 車 の 番 号 を、 ス マ ホ で
COGOO サイトに入力すると、暗証番号が表示され
る。その暗証番号を、サドル後ろに付けられたパネル
(コグマシーン)に入力すると、コグマシーンから自
転車キーが出てくる(図6)。あとは普段通り、自転
車を利用(2時間以内)。
自転車の返却は、指定された理工学図書館、本部前
福利会館、体育館の3か所から選べる。返却場所でコ
グマシーンの「かえす」ボタンを押す。この時、返却
場所が正しいかどうか位置情報をチェックしている感
じ。自転車キーをコグマシーンに入れて完了。
各地に広がるコミュニティサイクル、是非お試しを。
ルートと参考文献
近江高島駅 ++< 徒歩 >++【大溝城跡】++【高島びれ
っじ】++【萩の浜】++【安曇川の簗漁】++【針江・川
端と街並見学】++< 徒歩 >++ 新旭駅(18.8㎞)
[1]針江生水の郷委員会:
http://www.geocities.jp/syouzu2007/
[2]環境省,平成24年版環境白書・循環型社会白書・
生物多様性白書
[3]Relations Inc.,COGOO: https://cogoo.jp/
図1 大溝城跡
図2 萩の浜より三上山
図3 針江ツアー
図4 針江大川
図5 外カバタ
図6 コミュニティサイクル
まちなみ 2014/6
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第4回 竹生島
近江今津へ
第4回となる今回は、湖西線をさらに北上して竹生
島へ向かう。竹生島へは2つの船会社が定期船を運航
している。1社は今津航路と長浜航路(琵琶湖汽船)、
もう1社は彦根航路とマキノ航路(オーミマリン)で
ある。航路の決め方として、まず出発港を選びそこに
寄港する船会社の航路、すなわち、ひとつの港を往復
する航路か、竹生島を経由して対岸の港へ渡る航路を
選ぶものだが、今回は、高島市北部の町を効率よく回
るため、往路は今津港から琵琶湖汽船で竹生島へ、復
路は竹生島からオーミマリンでマキノ港へと、2社を
利用した。
船に乗る前に、早朝の近江今津を歩く。今津は、京
都と北国・敦賀とを結ぶ北国街道西近江路と、日本
海・小浜と琵琶湖とを結ぶ九里半街道(若狭街道)が
交わる要衝として古くから発展してきた。「♪われは
湖の子さすらいの……」琵琶湖一周を漕艇中のクル
ー・小口太郎が今津の宿で部員達に初めて披露した
「琵琶湖周航の歌」の町としても知られる。
辻川通りへ。この通りは、建築家ウィリアム・メレ
ル・ヴォーリズの設計による、今津ヴォーリズ資料館、
今津基督教会会館、旧今津郵便局通りが並んでおり、
近年はヴォーリズ通りとして町並み整備が進められて
いる。浜通りを歩くと湖魚の佃煮屋から甘い醤油だき
の美味しそうな匂い。昔ながらの旅館や民家の間から
琵琶湖が垣間見えてくる(図1)
。浜に出ると、江戸時
代に金沢藩が築いた石垣が残る。今津の町が遠く離れ
た金沢藩の飛び地だったとは初めて知った。
竹生島
快晴、微風。「インターラーケン」号は竹生島へ。
若干霞んでいるものの、ぐるりと見渡せば、北にはマ
キノ、海津大崎、葛籠尾崎、西には出港してきた今津
の町並みと背後の箱館山、南には安曇川扇状地、その
向こうには近江八幡の長命寺山、そして前進中の東に
は竹生島(図2)。今津港を出てしばらくすると、エ
リ漁が見えてきた。これは小鮎を獲るための伝統的な
定置網。魚を狙っているためか、鳥が湖面ぎりぎりに
飛んでいる。
20分ほどで竹生島へ。ちょっとしたクルージング。
竹生島は花崗岩の一枚岩からなり、周囲2㎞、面積
0.14km2と、琵琶湖では沖島に次いで2番目に大きい
島。神が住む島として厚く信仰されてきた。「深緑 竹
生島の沈影」として琵琶湖八景の一つに数えられる。
竹生島港に着いた。急峻な階段を上り、宝厳寺と都
2 まちなみ 2014/7
久夫須麻神社を巡る。豊臣秀吉が建てた大坂城の唯一
の現存遺構として注目されている唐門、そして秀吉の
御座船「日本丸」の骨組みを利用した舟廊下を歩いて、
都久夫須麻神社 本殿へ。竜神拝所は琵琶湖に突き出
しており、長浜、伊吹山、彦根、近江八幡の長命寺山
までパノラマビュー。ここの名物は、かわらけ投げ(図
3)。竜神拝所で二枚の素焼の小皿(かわらけ)を購
入し、一枚に名前を、もう一枚に願い事をそれぞれ書
いて、名前、願い事の順に思いきり投げる。投げたか
わらけが鳥居をくぐると願いが成就するといわれる。
実際にトライしてみたものの、鳥居まであと一歩で届
かず。しかし確かに、パワースポット。
マキノ
竹生島に2時間ほど滞在。寺社巡りを終えて帰りの
船を待つ間、門前町で美味しい草餅を頂いた。そして、
「Kirari」号に乗り、20分ほどでマキノ港へ。港の桟
橋は、何と、砂浜に設置されている(図4)。見慣れ
た人工的なコンクリート岸壁とは違って、まるで南国
リゾートに来たようだ。レンタサイクルを借りるため、
マキノ駅までてくてく散歩。駅前ではランチバルが開
催されていた。
海津方面へポタリング。古くから北国街道西近江路
の宿場町として繁栄してきた町は、今も当時の面影が
残る。特に、江戸時代に築かれた波よけの石積みが長
さ約1.2㎞、高さ約2.5mにわたって続く湖岸の風景は
圧巻。西浜から海津方面に向かうほど、大きな石が使
われている(図5)。他にも、洗濯のための「ハシイタ」
や、「イケ」と呼ばれる暮らしの水場や共同井戸など、
多様な水文化が維持されており、「海津・西浜・知内
の水辺景観」は全国で五番目の重要文化的景観に選定
された。湖岸4㎞に及ぶ海津大崎のソメイヨシノの桜
並木は既に葉桜となっていたが、つい2週間ほど前は
大勢の人や車で賑わっていたそうである。「美しいマ
キノ・桜守の会」が保全活動を続けている。
マキノ高原へポタリング。以前から気になっていた
こと。なぜ「マキノ」とカタカタで書くのか?調べて
みたところ、大正時代末期、マキノ高原スキー場がオ
ープンすることになった。大阪・京都などからお客さ
んを呼び込みたいが、枚方市に「牧野」という地名が
あり紛らわしい。そこで区別するためにカタカナ名に
した。その後、昭和30年に4つの村が合併して町名を
付ける際に、有名となったスキー場の名前に因んで、
日本で初めてカタカナで「マキノ町」となったそうで
ある[1]。
マキノ高原へはなだらかな上り坂。途中、延長2.4
㎞にも及ぶメタセコイヤの並木道に出合った。カタカ
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
ナ地名と相まって北海道を思わせる風景。丁度芽吹き
が始まる頃。周りは広大な栗園が広がっており、ヒツ
ジが散歩していた。マキノ高原にはソメイヨシノ、大
島桜、八重桜が約1000本。訪問時は丁度八重桜が満開。
実は、レンタサイクルを借りる際、コンシェルジュに
マキノ高原がお勧めだと教えられここまでやってきた。
マキノ駅までの帰り道は下り坂が多く、風を切りなが
ら走れて気持ちいい。
気象レーダーと AR
屋外で活動する時、悩ましいのは何といっても天気。
特に最近は単なる雨降りだけではなく、ゲリラ豪雨、
竜巻、落雷のような極端気象が、局所的に急激に発達
した積乱雲により引き起こされ、大きな被害を及ぼし
ている。雨や雪による降雨の被害を防止・抑制するた
めの観測手段として、気象レーダーが用いられている。
気象レーダーは、リモートセンシングの一つであり、
アンテナを回転させながら電波(マイクロ波)を発射
し、半径数百㎞の広範囲内に存在する雨や雪を観測す
る。発射した電波が戻ってくるまでの時間から雨や雪
までの距離を測り、戻ってきた電波
(レーダーエコー)
の強さから雨や雪の強さを観測する[2]。既に大型
の気象レーダーが日本全土を覆うように配備され、台
風、低気圧、梅雨前線などによる降雨を観測してきた。
最近では、特に都市域の降雨をよりきめ細かく(250m
メッシュ)、短い時間間隔(1分毎)で観測できるよ
うXバンド MP レーダーの整備と運用が始まってい
る。これにより、降雨監視体制の強化を行い、河川の
増水などによる被害の軽減を図ろうとしている[3]。
次に、観測した降雨量の表示について。気象庁、国
土交通省 XP バンド MP レーダー雨量情報、Yahoo!
雨雲ズームレーダー等の各 web サイトでは、一般地
図に降雨の状況が重ね合わせられて表示される。さら
に現地では、現在地での降水の分布状況を地図以上に
体感的に把握したい。そんなニーズに応えようと、
AR(Augmented Reality)を応用したアプリ「Go
雨 ! 探知機」がリリースされている
[4]。AR は拡張
現実と訳され、人間が知覚する現実環境を、コンピュ
ータを用いて拡張する技術を指す。
「Go 雨 ! 探知機」は、
スマートフォンの GPS 機能でユーザの現在位置情報
を取得し、カメラ機能で今眺めている風景の映像を取
得し、現在の位置情報と角度情報を媒介として、周囲
5㎞の雨量情報をスマートフォンのディスプレイ上に
リアルタイム表示してくれるサービスである(図6)。
雨が急に降ってきた時、しばらく雨宿りすべきか、
傘を買って先を急ぐべきか。降雨の状況をより精度よ
く観測でき、より体感的に確認できる最新技術、是非
お試しを。
ルートと参考文献
近江今津駅 ++< 徒歩 >++【ヴォーリズ通り】++【琵
琶湖周航の歌資料館】++【今津港】~~< 琵琶湖汽船 >~~【竹
生島港】++【宝厳寺・都久夫須麻神社】++【竹生島港】
~~< オーミマリン >~~【マキノ港】++【マキノ駅】@@<
レンタサイクル >@@【海津】@@【大崎寺】@@【マキ
ノ高原】@@【正眼院】@@< レンタサイクル >@@【マ
キノ駅】
(46.8㎞)
[1]マキノまちづくりネットワークセンター :
http://www.ex.biwa.ne.jp/~machinet/
contents/page7/main.html ; JP21, Inc.:
http://sooda.jp/qa/130054 など
[2]気象庁:気象レーダー観測 http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/
radar/kaisetsu.html
[3]国土交通省:XP バンド MP レーダー雨量情報 http://www.river.go.jp/xbandradar/
[4]日本気象協会:Go 雨 ! 探知機 https://itunes.apple.com/jp/app/go-yu!tan-zhi-ji-xbandompreda/id655469995
図1 浜通りの路地
図2 竹生島遠景
図3 かわらけ投げ
図4 マキノ港
図5 海津の町並み
図6 Go 雨 ! 探知機画面(一部)
まちなみ 2014/7
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第5回 淀川北源
淀川の北源へ
「淀川の源」へ向かう。淀川を構成する淀川水系は、
桂川、木津川、瀬田川の他に、琵琶湖、そして琵琶湖
に流入する河川が含まれるため、淀川全体の支流数は
965本と日本一である。つまり、
「淀川の源」は、多く
の河川にある訳だが、今回は淀川水系の最北端となる
高時川の源を訪問した。
JR 木ノ本駅から余呉町コミュニティバスに乗って
中河内へ。木之本から中河内行のバスは朝、昼、夕方
の三本。中河内行から木之本への戻りは同じく朝、昼、
夕方であるから、行きは朝、昼の2本のいずれかにな
る。気持ちとしてはやはり朝一で向かいたい。路線検
索サイトで調べてみると朝のバスは木ノ本駅7:35発。
大阪から在来線を使うと始発電車でも間に合わないの
で、京都から米原間は思い切って新幹線を利用した。
コミュニティバスの乗客は輪行バッグのサイクリス
トと小生のみ。出発してすぐに農村や田園風景がはじ
まり、余呉を超えると山あいの道に入る。途中、北陸
自動車道がすぐ真横を並走する風景に出合う。
バスに揺られて45分。椿坂峠を越えて終点の中河内
に着いた。さらにここから4 km 歩いて、淀川の源の
碑へ向かう。中河内集落では田植えが終わり、カエル
の合唱が谷間にこだまする。この先集落はなさそうで、
さすがに「街歩き」とは呼べないが、50分ほど歩いて
碑に到着した(図1)。碑の裏には「河川の恵みに感
謝して」
。この地点から淀川河口まで直線距離で
131km。ここに浮かべられた笹舟が運よく大阪湾まで
辿り着けたとして、それはいつのことだろう。
さらに少し歩くと栃ノ木峠。滋賀県と福井県の県境
であり見晴らしがいい。木之本からはるばるやってき
た道は北国街道であり、福井県今庄で北陸街道に合流
する。栃ノ木峠は水分れ地点でもあり橋の下を流れる
孫谷川は日本海へ向かう。
中河内
木之本まで戻るバスの出発時刻まで中河内集落をぶ
らり(図2)。滋賀県最北の集落。廣峯神社のケヤキ
かつては北国街道の宿場町として「今
が物凄く大きい。
庄朝立ち、木之本泊まり、中河内で昼弁当」と歌われ、
旅人にとって重要だった集落も人口減・高齢化が進む。
また、ここは全国でも屈指の豪雪地帯であり、近畿以
西唯一の特別豪雪地帯に指定されている。運転手さん
2 まちなみ 2014/8
曰く、冬はバスを待つ待機小屋の屋根当たりまで雪が
積もるそう。雪かきだけでも大変だ。
農作業中のおばさんに「県の方ですか?」と声をかけ
られた。理由を聞くと獣害の見回りをされているのか
と思われたそう。サル、シシ、カモシカによる農作物
被害。
「ここはヒトより動物が圧倒的に多い」と半分笑
いながら話してくれた。田んぼや畑の周囲にはトタン
や金網で柵が張り巡らされている。簡単な柵では容易
に壊されてしまうそうである。かなり深刻な話である。
賤ヶ岳
木ノ本駅でレンタサイクルを借りる。観光案内所の
スタッフが地図を広げて丁寧に道案内をしてくれた。
駅前の食堂で昼ご飯を済ませ、まずは西方面へポタ
リング。田園風景、里山風景の広がる田舎道。この辺
りは「いかごの里」といわれ、古代からの伝承と和楽
器糸の産地として有名。黒田家廟所や伊香具神社を訪
れてから、賤ヶ岳リフトへ。リフトに乗りながら斜面
を眺めるとシャガが満開。濃い緑の中に銀色の花が光
り輝いている。7分ほど揺られて賤ヶ岳山頂に着く。
賤ヶ岳は琵琶湖と余呉湖を分ける山であり、織田信長
が本能寺で討たれた後、家督争いに端を発した羽柴秀
吉と柴田勝家とが壮絶な戦いを繰り広げた戦国合戦の
地。リフトを降りて歩き出すとすぐに視界が開けて、
奥琵琶湖の碧い風景がばっと広がる。ここまで琵琶湖
が全く見えなかったこともあって見事な演出だ。
尾根を10分ほど上って山頂に着いた。南西には琵琶
湖と竹生島(図3)、北には余呉湖、東には湖北平野、
小谷山、伊吹山。三方の美しい眺め、正に三方よし。
木之本
東方面へポタリング。木之本は北国街道の宿場町、
または木之本地蔵の門前町として栄えた。往時の面影
を色濃く残し、うだつのある旧家が数多く残る。木之
本地蔵院は、賤ヶ岳合戦時に秀吉の本陣があったとさ
れる。また、旧本陣の当主(第22代 竹内五左衛門)
は我が国の薬剤師第一号であり[1]、「淺田飴」など
古い薬の看板が残る(図4)。造り酒屋や造り醤油屋
も複数あり。昭和10年建造の近代建築「きのもと交遊
館」(旧・滋賀銀行木之本支店)では大河ドラマに併
せて「黒田官兵衛博覧会」が催されていた。
さらに数 km ほどポタリングして、石道寺、鶏足寺
へ。寺へ向かう途中、高時川に架かる井明神橋を渡る。
今朝、源流付近では小川だった高時川が、この辺りで
は大きな川に成長していた。鶏足寺参道は、樹高約10
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
m、約200本のモミジの古木が並んでおり、緩やかな
石段、苔むした石垣とともに風情が漂う(図5)。ひ
っそりとした山寺なのだが、紅葉の名所として知られ
るようになった。訪問時は初夏の夕暮れ時。参道は毛
虫たちと小生のみ。貸し切り状態でかなりお得感。
それにしても今日はよく移動した。木ノ本駅へ帰る
途中、石道の集落を流れる小川で思わず顔を洗ってリ
フレッシュ。レンタサイクルを返却してから、再び木
之本宿へ。今も大きな杉樽で作られる
「ダイコウ醤油」
でたまりを購入。このお店には昭和3年製の古いレジ
スターがあった。つるやパンではお隣の富田酒造の酵
母を使用したパン、そして、今年限定の「黒田パンべ
ぇ」を購入。パッケージに描かれた官兵衛はちょっと
怖い顔だが、中身を開けるとスィートなカボチャ餡の
菓子パン。パッケージとパンのギャップも旨い!
ハザードマップ
前回は「気象レーダーと AR」として降雨観測技術
と降雨状況を現地で直感的に確認できる AR 技術とを
紹介した。関連して今回はハザードマップを取り上げ
たい。ハザードマップは災害予測図のことであり、発
生の予想される自然災害について、被害の及ぶ範囲、
被害の程度、
避難経路、
避難場所等を地図上に表したも
の。国土交通省はポータルサイトを設けて各種ハザー
ドマップをまとめて閲覧できるようにしている[2]。
大阪府では様々な降雨により想定される河川の氾濫
や浸水の可能性を示すため、大阪府管理の全154河川
を 対象 とし て、 洪水 リ スク 表 示 図 を公 開 し て い る
[3]。対象は降水による河川の氾濫による災害に限ら
れるが、詳細に洪水のリスクを把握できるサービスで
ある(図6)
。
内容は以下の通りである。洪水リスク表示図のメニ
ューから、降雨の発生状況として、1)10年に一度の
降雨(概ね50mm/ 時)、2)30年に一度の降雨(概
ね65mm/ 時)、3)100年に一度の降雨(概ね80mm/
時)
、4)200年に一度の降雨(概ね90mm/ 時)、か
らひとつを選ぶ。次に、河川の状況として、1)現状、
2)治水目標に基づき河川改修した後、からひとつを
選ぶ。選んだ条件に基づいて、地図上に50m程度のメ
ッシュで「危険度1」
「危険度2」
「危険度3」の区域
が表示される。ここで、
「危険度1」では床下浸水(想
定浸水深0.5m未満)
、「危険度2」では床上浸水(想
定浸水深0.5m以上3.0m未満)、
「危険度3」では建物
1階が水没すること(想定浸水深3.0m以上または家
屋流出指数2.5m3/s2以上)を意味する。併せて、大阪
府下に設置されている水位計、雨量計、ライブカメラ
のアイコンをクリックすると最新情報を閲覧すること
も可能である。
居住地、勤務地のみならず、通勤経路やよく訪れる
場所の洪水リスク、是非ご確認を。
ルートと参考文献
木ノ本駅 **< 余呉町コミュニティバス >** 中河内 ++<
徒歩 >++【淀川の源・栃ノ木峠】++< 徒歩 >++ 中河
内 **< 余呉町コミュニティバス >** 木ノ本駅 @@< レン
タサイクル >@@【黒田家発祥の地】@@【伊香具神社】
@@ 賤ヶ岳リフト乗り場 ¥¥< 賤ヶ岳リフト >¥¥【賤ヶ岳】
¥¥< 賤ヶ岳リフト >¥¥ 賤ヶ岳リフト乗り場 @@< レンタ
サイクル >@@
【木ノ本宿】
@@< レンタサイクル >@@【石
道寺・鶏足寺】@@ 木ノ本駅(69.2km)
[1]漢方の本陣薬局
http://www.kampo-honjin.com/rekishi.html
[2]国 土 交 通 省: ハ ザ ー ド マ ッ プ ポ ー タ ル サ イ ト http://disapotal.gsi.go.jp/
[3]大阪府 洪水リスク表示図
http://www.river.pref.osaka.jp/
図1 淀川北源
図2 中河内集落
図3 奥琵琶湖
図4 木之本本陣跡
図5 鶏足寺
図6 大阪府洪水リスク表示図
まちなみ 2014/8
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第6回 菅浦
高月へ
「たかつきーたかつきー」早朝、大阪から電車に揺
られて来たのでついウトウト。冒頭のアナウンスを聞
いた途端、大阪の高槻駅まで連れ戻されてしまったの
かと、ハッと目が覚めた。実は車掌さんが案内した駅
は、滋賀県の高月駅であるが、高槻駅とはイントネー
ションが全く同じだった。
高月駅でレンタサイクルを借りる。この辺りは観音
の里で知られる。高月町内21集落に26体もの観音菩薩
があるらしい。姉川の戦い、小谷城の戦い、賤ヶ岳の
戦いなど戦国時代の舞台となり、村や寺院は焼打ちに
あってきた地域。村人たちは仏像を田畑や川に隠すな
どして、守ってきたといわれる。
渡岸寺観音堂(向源寺)を訪ねた。国宝・十一面観
音立像は本堂脇の別堂に安置されており、日本全国に
7体ある国宝十一面観音の中でも最も美しいとされる。
堂内に入ると身の引き締まる想い。観音像は、檜材の
一木彫であり、作成された平安時代の日本人とは思え
ない、インド人や西洋人を思わせる官能的なプロポー
ションである。観音像の背後も鑑賞できるように展示
が工夫されており、ぐるりぐるりと何周もしながら見
入ってしまった。
青の洞門
西へ向かう。田植えが終わり、麦が収穫の時期を迎
え、緑色と金色が織りなす田園風景が広がる。正面に
賤ヶ岳から山本山へ続く連山が琵琶湖沿いに立ちふさ
がっており、さながら三方を山に囲まれた盆地の風景
である。このような地形であるから、この地域は余呉
川が氾濫した際に水没を繰り返していた。これを解決
するには、連山のどこかを掘りぬいて琵琶湖に水を抜
くしかない。江戸末期、西野集落の充満寺住職・恵荘
師は6年かけて、長さ220m、幅1.2m、高さ2mの隧
道(西野水道)を手掘りで貫通させた。第二次大戦後、
二代目(長さ245m、幅4.5m、高さ4m)そして現役
の三代目(長さ252m、幅10.3m、高さ10.3m)が完成
した。今では近江の「青の洞門」といわれ、御役御免
となった初代と二代目は歩いて琵琶湖に辿り着ける
(図1)
。トンネル内部は真っ暗であり、闇を通り抜け
ると琵琶湖が広がり、大勢の釣り人が来られていた。
雨後に訪問したため初代の隧道に入るのをためらって
しまったが、内部へはヘルメットと長靴の着用が必要
である。
湖上タクシー
尾上港へ。ここからは湖上タクシーに自転車と共に
2 まちなみ 2014/9
乗せてもらい、菅浦へ渡る(図2)。湖上タクシーは、
北びわこ湖上タクシー研究会が運営している。当日は
竹生島に大勢の子供たちを運ぶ合間を縫って、乗せて
もらえた。港外へ走り出すとエリ漁が見えてきた。そ
して竹生島と葛籠尾崎がどんどん近づいてくる。竹生
島は見る角度によって島影は変わっていく。葛籠尾崎
は断崖絶壁であり湖岸に道路は付いていない。葛籠尾
崎を回ると菅浦の集落が見えてきた(図3)。意外に
近い。出港時は曇っており風もあったが、葛籠尾崎を
回るころからは晴れて風も止んできた。西方面には海
津大崎や高島の安曇川扇状地が顔を覗かせており、遠
くに行けばいくほど空と溶け合う。
尾上港から菅浦港までほぼ30分。湖上タクシーは、
筆者と自転車を降ろすと狭い港内を器用に U ターン
して、尾上港方面に戻っていった。
菅浦
白洲正子はこの辺りについて「海津、大崎、大浦、
と竹生島は次第に近づき、この辺へ来ると人影もまれ
で、湖北の中の湖北といった感じがする」と紹介して
いる[1]。菅浦は背後を標高約400mの山々に囲繞さ
れた、狭隘な扇状地に位置している。気候は、北側が
山地、南側が琵琶湖であり、比較的穏やかで、柑橘類
の栽培もおこなわれている。
割烹「佐吉」で昼食を。お造り定食を注文したら、
何と天然物のビワマスのお造りが出てきた。ビワマス
は水深が深い長浜を中心とした北湖に多く棲んでおり、
「幻の魚」「淡海の宝石」と言われる琵琶湖の固有種。
美味。デザートにフルーツのビワが出てきたのは、集
落で栽培されているとはいえ、ちょっとした洒落であ
ろうか。
天皇を祀った須賀神社。長い参道の階段を上り、手
水舎に着く。ここから先は土足厳禁であり、裸足で参
拝するしきたりが継承されている(現在はスリッパが
用意されている)。菅浦は中世の惣村であり、集落の
東西端には「四足門」と呼ばれる草ぶきの古い門が今
も残る。かつては、村の出入りの検察が行われていた
ようである。琵琶湖に面した湾沿いには防波堤として
の古い石垣が築かれており、手入れされている花や緑、
家屋の風景と調和している(図4)。
丁度この原稿を書いている時、菅浦の湖岸集落景観
は重要文化的景観に選定するよう文部科学省に答申さ
れた。
大浦
菅浦から大浦へは湖岸沿いにつづら折れの道が続く。
かつて菅浦の子供たちはこの道を歩き、途中渡し舟に
乗って大浦の学校まで通ったそうである。湖岸の自然
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
の植生から垣間見える群青色の澄んだ湖。「北欧のフ
ィヨルド」と呼ばれる所以である(図5)。
奥琵琶湖は、かつて、北陸と京都・大阪とを結ぶ交
通の要衝であり、大浦・菅浦・塩津の三つの港を有し
ていた。その湖上輸送の主役だった丸子船。丸太を二
つ割りにした丸太を胴の両側に付けた意匠が特徴的。
北淡海・丸子船の館には、全長17mの現存する丸子船
2隻のうちの1隻が実物展示されている。
地域の資源・課題を収集・共有する仕組み
現地を歩いていると、案内標識が混在・不足してい
る、歩道が十分に整備されておらず危険だ、違法駐輪
や落書きが多い、お勧めの花見スポットがあったなど、
様々な発見がある。現地でそれらの情報を発見する人、
すなわちエンドユーザにとって、既に知っていた情報
もあれば、知らなかった情報もある(既知⇔未知)。
また、エンドユーザにとって評価が高い発見情報もあ
れば、評価が低い発見情報もある(高評価⇔低評価)。
これら2つの軸の交差によって得られる4つの領域は、
それぞれ、1)確認(既知∧高評価)、2)発見(未
知∧高評価)
、3)失望(既知∧低評価)、4)嫌悪(未
知∧低評価)と定義できる。
「確認」領域は最も好ま
しい状態であるといえるので、
「発見」領域は認知度
を高めることで「確認」領域へ、
「失望」領域は改善
することで「確認」領域へ、
「嫌悪」領域は改善し認
知度を高めることで「確認」領域へ近づけることが可
能となる。そのためには、まずは現地に散在している
地域の資源や課題を収集し、より多くの人々が共有し、
解決していくための仕組みづくりが求められる。そこ
で IT の出番である。
上記のような課題意識の下、筆者らは、以前、まち
歩き活動を対象として、収集システムと共有システム
から成る観光マネジメント支援システムを開発した
[2]
。収集システムは、エンドユーザが地域の魅力や
課題を発見した際に、GPS 機能付き携帯端末を用い
て写真を撮影する。GPS により現在位置を付加した
画像をアップロードすると、その画像に対する評価フ
ォームが画面に表示され、エンドユーザが評価を入力
する、という仕組みである。アップロードされた画像
情報、位置情報、評価情報はサーバに蓄積されていく。
共有システムは、収集システムにより蓄積された情報
を、Google Map 等のデジタル地図に表示させる。
地図上には、位置情報を基にアイコンマーカーが表示
され、マーカーをクリックすると画像と評価が表示さ
れるという仕組みである
(図6)
。開発したシステムは、
大阪市や近江八幡市でのまち歩き社会実験を通じてそ
の有効性を検証してきた。尚、筆者らの研究を実施し
た頃はいわゆるガラケー(スマートフォンが登場する
前の普通の携帯電話)を使用していたが、現状ではス
マートフォンやタブレットでより容易に実践が可能で
あると思われる。類似の実施例として、大阪市は現場
で日々発生している地域の課題や資源の共有のため、
「マイコミおおさか」の実証実験を今年度実施してい
る[3]。是非お試しを。
ルートと参考文献
高月駅 @@< レンタサイクル >@@
【渡岸寺観音堂】@@【西
野水道】@@【尾上漁港】~~< 湖上タクシー >~~【菅浦漁港】
@@【菅浦集落】@@< レンタサイクル >@@【大浦港】
@@【丸子舟の館】@@ 永原駅(29.0km)
[1]白洲正子,かくれ里,新潮社
[2]福田知弘,吉川泰代,矢吹信喜:旅行者発信情報
を収集可能な観光マネジメント支援システムの開
発,日本建築学会環境系論文集,第76巻,第662号,
pp.449-458, 2011.4.
[3]大阪市「マイコミおおさか」の実証実験(トライ
アル)を行います http://www.city.osaka.lg.jp/
shimin/page/0000261221.html
図1 西野水道
図2 湖上タクシー
図3 菅浦全景
図4 菅浦集落
図5 奥琵琶湖
図6 情報共有システム
まちなみ 2014/9
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第7回 小谷城と都市プレゼン
テーションシステム
小谷城へ
湖北・河毛駅でレンタサイクルを借りてポタリング
スタート。東に向かい、北陸自動車道の高架を抜ける
と、小谷城跡は間もなくである。小谷城は戦国武将・
浅井家の居城であり、浅井長政とお市の方(織田信長
の妹)との間の生まれた3人の娘、浅井三姉妹(茶々、
初、江)ゆかりの地。図1で中央より少し左に見える
頂が小谷山(495m)。頂にある大嶽城跡から両側の尾
根筋に郭が築かれ、特に東側(写真右側)の尾根筋に
本丸をはじめとする主要施設が築かれていた。攻めに
くく守りやすい城であり、信長も攻めあぐねたといわ
れる。日本五大山城の一つに数えられる。
小谷城戦国歴史資料館を見学してから、いよいよ小
谷城跡に登る。追手道から望笙峠へ。少々霞んでいた
ものの、虎御前山と山本山との間に竹生島が琵琶湖に
浮かんでいる(図2)
。さらに登っていくと、番所跡、
御茶屋跡、御馬屋跡、桜馬場跡、黒金御門跡、大広間
跡、そして、本丸跡と続く。山全体に18の郭を配置し
た要塞。石垣など山城の遺構が当時のままに残されて
おり、こんな険しい高所に城をよく築いたものだ、と
改めて感心させられた。本丸跡に着いた頃に持参した
水が無くなったので、小谷山頂はあきらめ、六坊跡か
ら谷沿いを歩いて山を下りた。所々、蛙岩、八畳岩な
ど大きな岩が顔を出す。険しい下り坂で途中から膝の
笑いが止まらなくなった。
近江孤篷庵
小谷城から北国脇往還(現在の365号線)を南下し、
田園地帯を抜けて、近江孤篷庵を目指す。近江孤篷庵
は、茶人、建築家、作庭家などで名高い小堀遠州の菩
提寺。
今は地元の方により手入れされているが、知る人
もなく放置されていた時代が長らくあったそうである。
本堂の南西面は五老峰、舟石、海等を配した枯山水
庭園、北東面は錦渓池を中心に瀟湘八景を模した池泉
回遊庭園。背景の山の起伏や稜線は庭園全体の借景と
なっている。本堂は4室あるが、襖絵が部屋毎に異なり、
松、竹、梅がダイナミックに描かれている(図3)。
写真を撮ろうとしたらオニヤンマが前を横切った。正
に、自然と一体の景。
国友
北国脇往還をさらに南下すると姉川古戦場跡に辿り
着いた。1570年、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉軍が
戦った地。ここから姉川沿いに西に向かい、国友へ。
2 まちなみ 2014/10
時折自転車を止めて振り返ると、伊吹山が綺麗だ。
「国友村は、湖の底のようにしずかな村だった。家
並はさすがにりっぱでどの家も伊吹山の霧で洗いつづ
けているように清らかである。」[1]国友は、1543年
ポルトガル人により伝えられた鉄砲を国内で最も早く
作った村。鉄砲を自前で作る際に課題であったネジを
日本で初めて発明した地でもある。姉川の合戦より前、
鉄砲伝来の翌年となる天文13年(1544)に創業した国
友源重郎商店は現在も営業中である。この、ものづく
り職人集団の風土は引き継がれ、江戸時代後期には東
洋のエジソンといわれる国友一貫斎を生み出した。反
射望遠鏡、気砲(空気銃)等の製作や懐中筆(筆ペン)、
玉燈(ランプ)等を発明した一貫斎の屋敷前には、現
在、星を見つめる少年と夢見るナナの2つの銅像が道
を挟んで対話しており、ロマンチックである(図4)。
話が少しそれるが、奈良は、都が京都に移ってから
明治時代を迎えるまで、歴史遺産を抱えたまま1000年
の長い眠りについていたと言われる[2]。対して、以
前に紹介した木之本や高月、そして小谷城から国友の
辺りは、戦国時代が色濃く保存されている地域である。
長浜
長浜へ。羽柴秀吉が初めて城主となった長浜城。以
来、町は湖上交通の要として栄え、明治時代、東海道
本線は琵琶湖航路を利用していた時期もあるが、長浜
駅は浜大津駅と共に鉄道連絡船の玄関駅として栄えた。
1882年に建築された初代長浜駅は、現存する日本最古
の駅舎である。
黒壁スクエアへ。時間帯のせいかもしれないが、こ
の辺りは観光客でごった返していた。本日はここまで、
人にほとんど会わずに来たのでギャップが凄い。黒壁
スクエアは、1980年代後半、黒漆喰の和風建築である
黒壁1號館の保存と再生から始まり、現在は30館ほど
になっている。再生された古建築は、ガラスショップ
や郷土物産、喫茶やレストラン、工房、ミュージアム
に生まれ変わった。郷土料理・鯖そうめんを食べそび
れたのが残念。
長浜駅から西は豊公園が広がる。駅から緑あふれる
豊公園を抜けて、たった5分で琵琶湖に辿り着くこと
ができるロケーション。レンタサイクルを返却し、浜
に出て、琵琶湖に沈む夕陽を眺める(図5)。何とも
贅沢なひと時である。
模型と VR による都市プレゼンテーションシステム
小谷城戦国歴史資料館にもあったが、博物館や資料
館では過去、現在、未来の都市や建物の姿を模型で紹
介することが多い。模型は実物あるいは過去や未来の
3次元空間を、一定の比率で縮小されて表現された物
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
体である。模型の特徴として、複数のユーザが任意の
視点から同時に眺めることが可能なこと、都市などの
表現された対象全体を一度に把握できること、ユーザ
が直接触れられることなどの強みがある。一方、歩行
者視点から眺めるにはファイバースコープなどを併用
する必要があること、縮尺や使用材料による表現の制
約、制作可能範囲が限定的であること、大きな模型は
運搬や保管が困難であることなどの弱みがある。
対して、コンピュータ上に3次元仮想空間(デジタ
ル模型)を定義して、2次元のディスプレイで表現す
る技術が3DCG(3次元コンピュータ・グラフィック
ス)として研究、実用化されてきた。近年では、現実
と見間違えるほどに表現された3次元仮想空間をリア
ルタイム(実時間)にレンダリング(描画)すること
も可能となっており、VR(バーチャル・リアリティ。
人工現実感)体験が可能となっている。VR の特徴と
しては、模型と同様に3次元空間を表現しつつ、模型
の弱みであった歩行者視点や建物内部などの視点移動
を容易にすること、日射などの環境シミュレーション
が可能なこと、人々や車などの動的な表現が可能であ
ることなどの強みがある。一方、直接触れることは困
難であること、距離感の把握が難しいことなどの弱み
がある。
すなわち、模型と VR はそれぞれ異なる特徴を有し
ており、現時点ではどちらかが完全に優れているとは
いえない。そこで、筆者らは、模型と VR を一体的に
扱い、より効果的な都市プレゼンテーションができな
いかと考えて、ユーザがレーザーポインタを用いて眺
めたい視点を模型上で指定すると、指定された視点の
VR が描画されるシステムを試作した[3]。
システムの流れは次の通りである。同じ対象が表現
された都市模型と VR を用意する。システムがインス
トールされた PC に Web カメラを接続する。Web
カメラは模型の真上からの映像をキャプチャする。ユ
ーザがレーザーポインタを用いて模型上で眺めたい視
点を指定する。Web カメラは指定されたレーザーポ
インタの光点をキャプチャする。キャプチャされた光
点座標を Web カメラの座標系から VR 座標系に変換
する。VR 座標系に変換された座標値は VR システム
の視点座標か眺められる対象の中心座標となる。これ
らの座標を用いて VR を再描画する。結果、模型上で
指定された視点からの VR が描画され、ユーザは模型
で都市を一望しながら VR で歩行者目線の景観を確認
することができる(図6)
。開発したシステムに課題
は残るが、システム開発と検証を通じて模型と VR と
の連携の可能性を示すことができたように思う。
ここ数年、3次元プリンターの応用も広がっており、
設計やプレゼンテーションの生産性向上や価値創出に
向け、実物(模型)とデジタル3次元モデル(VR)
との連携や循環がますます進みそうである。是非お試
しを。
ルートと参考文献
河毛駅 @@< レンタサイクル >@@【小谷城戦国歴史資料
館】++< 徒歩 >++【小谷城跡】@@< レンタサイクル
>@@【近江孤篷庵】@@【姉川古戦場】@@【国友】@@
【長浜】++< 徒歩 >++【黒壁スクエア】++【長浜城歴
史資料館】++@@ 長浜駅(33.7km)
[1]司馬遼太郎,街道をゆく,朝日新聞社
[2]竹 村 公 太 郎, 日 本 史 の 謎 は「 地 形 」 で 解 け る,
PHP 文庫
[3]孫,福田,徳原,矢吹:模型と VR との視点連携
による都市プレゼンテーションシステムの開発 - 二
つのマーカーによる精度向上と専門家による評価 -,
日 本 建 築 学 会 環 境 系 論 文 集, 第76巻, 第668号,
953-961, 2011.10.
図1 小谷城跡
図2 望笙峠より
図3 近江孤篷庵
図4 夢見るナナ
図5 長浜夕焼け
図6 都市プレゼンテーションシ
ステム
まちなみ 2014/10
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第8回 彦根×点群のポリゴン
化システム
佐和山城跡へ
彦根駅でレンタサイクルを借りてポタリングスター
ト。まずは佐和山城跡へ。佐和山城跡は、鎌倉時代か
ら江戸時代初期にかけて、近江支配の拠点、京都と岐
阜の中継地点、西国への最前線として機能した山城で
ある。信長の時代には丹羽長秀、秀吉の時代には石田
三成が入城した。関ヶ原合戦の後、彦根山に彦根城が
築かれ、その役割を終えた。
麓の佐和山城跡観光案内詰所よりボランティアガイ
ドさんに案内してもらいながら佐和山を登る。龍潭寺
の境内を抜けると山道である。測量調査が進む西の丸
跡を過ぎ、本丸跡に着いた。佐和山城は彦根城を造る
際、大規模な破城が行われたそうで、現在確認できる
石垣はわずかである。ただ、標高232.6m の山頂から
の景色は素晴らしい(図1)
。南東方面には彦根城、
彦根市街、琵琶湖。遠くには荒神山、観音寺山と安土
山、沖島、三上山まで眺められる。北東方面には中山
道(旧東山道)
、米原、長浜の街並みと伊吹山。遠く
には竹生島や小谷山(小谷城跡)も確認できた。
彦根城
佐和山城を下り、彦根城へ。お城と緑がまちの中心
に広がる風景はいいものだ。彦根城は1622年に完成し
たとされる。天守は、江戸時代かそれ以前に建設され
た現存天守12城のひとつであり、姫路城、松本城、犬
山城と並んで国宝指定されている。珍しいのが天秤櫓
(図2)
。これは、大手門と表門からの道が合流する位
置に築かれ、天主へとつながる櫓。上から見ると全体
として「コ」の字型をしており、両隅に2階建ての櫓
が設けられ、中央に門がある構造となっている。天秤
櫓へは、架けられた廊下橋を渡って入ることになる。
有事の際には廊下橋を落とすことで、敵は高い石垣を
登らないと本丸へ侵入できなくなる。
(実は築城以来
これまで戦とは無縁とのことだが)。また、江戸末期
の大規模修繕では、石垣の積み替えが行われており、
右手が築城当時の牛蒡積み、左手が幕末に積み替えら
れた切石の落し積みとなっている。
彦根城から南へ伸びる、夢京橋キャッスルロードに
は江戸町家風の歴史的なまちなみが甦っている(図
3)
。これは地権者全員が参加し建築家が支援する「本
町地区まちなみづくり検討委員会」を組織して、まち
なみ形成の誘導に向け、条例制定等に関する調査研究
を行い、軒の傾斜を揃えるなど具体的計画づくりを進
2 まちなみ 2014/11
めてきた長年の成果である。飲食、物販など個性豊か
なお店が連なる。道路幅は築城時から続いた6mから
18mに拡幅され、交通渋滞の解消と歩行者の安全確保
にも寄与している。夢京橋キャッスルロードに隣接す
る四番町スクエアでは、大正ロマンをコンセプトに、
区画整理事業に取り組む区画整理組合と、賑わいの仕
掛けづくり・まちづくりの仕組みづくりに取り組む共
同整備事業組合を同時に設立して、かつて彦根の台所
と呼ばれた本町市場商店街の再現に取り組んでいる。
サイクルトレイン
米原、彦根、八日市、近江八幡を結ぶ近江鉄道。そ
の大部分の区間で、自転車を電車内に持ち込めるサイ
クルトレインが実施されている。自転車を解体するこ
となく車内に持ち込めて、持ち込み料は何と無料(運
賃は必要)。行動範囲がグッと拡がる。乗車したひこ
ね芹川駅は高架駅で JR が並走しており、ホームで自
転車と待っていると何だか不思議な気分(図4)。2
両編成の黄色い電車がやってきて、電車に乗り込み、
JR 線と別れると、急にローカルな田園風景となる。
多賀大社行きと分岐する高宮駅を過ぎると東海道新幹
線の真下を通ることになる。新幹線を頻繁に利用して
いる身であるが、夢の超特急の足下をサイクルトレイ
ンが走っているとは、これまで知らなかった。
豊郷
豊郷駅で自転車共々下車。豊郷小学校旧校舎群へ。
ヴォーリズ建築では珍しい公立小学校。新校舎建設の
際の保存運動は記憶に新しい。現在は耐震化を終えて
町立図書館、子育て支援センター、シルバー人材セン
ター、集会所やギャラリーなど地域の教育・福祉の拠
点として活用されている。この建物は、当時、丸紅の
専務だった卒業生・古川鉄治郎氏の寄附により完成し
た。学校建築らしくシンプルなデザインであるが、ゆ
ったりとした階段の手すりにはウサギとカメが追いか
けっこをしているなど(コツコツがんばれ=古川鉄治
郎氏にまつわる逸話らしい)、優しい雰囲気を持ち合
わせる(図5)。廊下は特徴的であり、広く長く、幅
は2.7m、長さは100m(1階)もある。校庭は、日本
初の造園設計家とされる戸野琢磨氏による。豊郷小学
校旧校舎は、アニメの舞台に設定されており、聖地巡
礼の若者が多い。
近傍には、豊郷小学校旧校舎群のさらに先輩となる
旧豊郷尋常高等小学校本館(明治20年築)があり、向
かいには豊郷の先人たちを紹介する「先人を偲ぶ館」
がある。
多景島
豊郷から中山道をさらに南下して、愛知川駅から近
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
江鉄道に自転車を乗せて彦根へ戻る。夕方の城下町は
日中とはまた違った風情。クランク状の鍵曲の辻をい
くつか抜けて琵琶湖畔の松原へ。湖にポツンと浮かぶ
多景島は船のような形をしている。さざ波や行きかう
雲のせいか、後光がさす多景島は動いているように思
えた。
点群のポリゴン化システム
彦根にもみられるが、近年では景観まちづくりやシ
ビックプライド活動のように、専門家のみならず市民
の積極的な参画によって新たな都市空間を創ろうとす
る動きがみられる。その計画設計プロセスでは、その
時点で存在しない将来の都市像をわかりやすく表現し、
関係者の合意形成を図りながら進めることが求められ
る。そのため、模型や VR(Virtual Reality)のよう
な三次元表現媒体が用いられているが、前号でも述べ
たように、模型と VR とは異なる特徴を有しており、
使い分けがなされている。また、模型と VR とは別々
の工程で制作されており、複雑な形状になればなるほ
ど、時間とコストがかかってしまう。
模型のような実物・実空間から3次元のデジタルデ
ータを得る方法として、3次元スキャナを用いるレー
ザー測量法がある。この方法により得られるスキャン
データは点群であり、一般に、必要以上の頂点数を有
するため後段階の編集加工作業がやりにくいこと、表
面の凹凸などの測量誤差が含まれること、レーザー光
が届かない、または透過・吸収してしまう部位の点群
が得られないこと、VR 上ではオブジェクトの陰影や
前後関係の表現が困難であること、といった課題が残
る。そのため、筆者らは、模型の幾何的特徴に着目し
て、
点群から最適化を図りつつポリゴン
(多角形)を生
成するシステム
「Poly-Opt2012」を試作した[1]。
システムの流れは次の通りである。3次元スキャナ
を用いて模型のスキャンデータを作成する。そして「点
群データの補正」段階では、得られたスキャンデータ
で定義される座標軸が実空間の垂直水平方向と異なっ
ているため、座標軸を補正する。また、スキャンデー
タをメッシュ化すると、その表面には微少な凹凸が生
じ、以降の処理を行う際の精度低下の原因となるため、
点群を平滑化しておく。次に「稜線の算出」段階では、
同一平面上に存在すると考えられる点群を抽出し、こ
れらを近似する平面を凸包により算出する。この平面
に先ほどの点群を投影してメッシュ化する。その後、
余分なメッシュを除去し、稜線の方程式を算出するこ
とで、新たなポリゴンを生成する。最後に「算出結果
の調整」段階では、前の段階で算出された各稜線の関
係性を調節して、形状データの出力や画面描画のため、
これらのポリゴンにメッシュを生成する。また、実用
シーンを考慮すると、点群間の距離、凹凸の状態、ポ
リゴン化の要求精度などがスキャンデータごとに異な
るため、GUI(Graphical User Interface)を作成
して、各引数を適宜変更できるようにした(図6)。
筆者らの取り組みはほんの一例であり、模型と3次
元デジタルデータのスムーズな連携のための研究開発
が進められている。ご注目を。
ルートと参考文献
彦根駅 @@< レンタサイクル >@@ 佐和山城跡観光案内
所詰所 ++< 徒歩 >++【佐和山城跡】@@【彦根城】@@
【夢京橋キャッスルロード】++【四番町スクエア】@@
ひこね芹川駅 --< 近江鉄道本線 >-- 豊郷駅 @@【豊郷小
学校旧校舎群】@@【愛知川宿】@@ 愛知川駅 --< 近江
鉄道本線 >-- ひこね芹川駅 @@【琵琶湖畔】@@ 彦根駅
(45.1km)
[1]福田,北川,矢吹:非凸多角形を含む建築模型に
対応した点群からの対話的な3次元モデリングシ
ステムの開発,日本建築学会計画系論文集,第78巻,
第687号,pp.1231-1239, 2013.5.
図1 佐和山城跡より彦根市街
図2 天秤櫓と廊下橋
図3 夢京橋キャッスルロード
図4 サイクルトレイン
図5 旧豊郷小学校階段
図6 Poly-Opt2012GUI
まちなみ 2014/11
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第9回 繖 山× VR 安土城タ
イムスコープ
五個荘へ
快晴。本日は近江鉄道沿いに巡ろう。まずは近江八
幡駅から近江鉄道に乗る。丁度、早川鉄平氏のラッピ
ング電車がお待ちかね。テーマは「米原市の自然と生
息する動物たち」
。
五箇荘駅で降りて歩いて五個荘金堂へ。金堂は、鈴
鹿山脈と琵琶湖の間に広がる湖東平野のほぼ中央に位
置し、近代日本経済の基礎を築いた近江商人の発祥地
として、近江八幡、日野(後述)と共に知られる農村
集落。遠景からは弘誓寺の大屋根を中心に商家の町並
みが田園風景と一体となっている。近景では白壁、舟
板塀からなる和風建築や庭園が連なって歴史的町並み
を形成している(図1)。平成10年には国の重要伝統
的建造物群保存地区に選定された。
きぬがさやま
繖山
金堂から繖山(観音寺山)へ。繖山にはかつて観音
寺城があった。佐々木六角氏が本拠としていた山城で
あるが、織田信長に滅ぼされた。石垣やとりでの跡が
今も残る。
結神社の脇で「観音正寺これより13丁(=1.4km)」
の看板を確認して山に入り、裏参道の林の中を登って
いく。途中、ところどころに小さい石仏が置かれてい
る。まだ暑い時期。途中の休憩所は風が抜けて気持ち
がいい。ここからは北東方面の風景が広がり、荒神山、
前回紹介した佐和山、遠くには伊吹山。
三角点(標高433m)を抜けてしばらく歩くと視界
がぱーっと開けた(図2)。五個荘駅からここまで2
時間のハイキング。眼前にはかつて安土城があった安
土山、安土の町並み、西の湖、長命寺山、琵琶湖、そ
して対岸の比良山系までもが多層に連なっている。本
当に心地よい。
観音正寺まで戻り、一休み。観音正寺は西国三十二
番札所。聖徳太子が1400年前に開基。かつては城郭が
あったであろう巨大な石垣の上に本堂が建つ。目を引
くのは本堂脇の石積み。ここに石積みが置かれた理由
はよくわからないが、異様である。何だか、墓石の集
合のようであり、芸術のようである。
教林坊
観音正寺から表参道石寺コースで下山。ひざの笑い
を抑えながら教林坊へ。教林坊は聖徳太子により創建
された、観音正寺の子院として現存する唯一の寺院。
現在の庭は小堀遠州の作といわれる。個人的に、それ
2 まちなみ 2014/12
以上に興味深いのは、近年20年ほど放置され荒れてし
まっていた無住寺を、青年僧が私財を投じて町の協力
を得ながら復興したことだ。
江戸時代前期のヨシ葺き書院に入ると掛軸庭園が見
事(図3)。庭は岩や苔でできた山が建築に迫る格好
で盛り上がっており、立体感豊富。掛軸庭園とは、こ
の和風庭園を掛軸に見立てたもの。生の掛軸を眺めて
いると、影が揺らめき、トンボが通り過ぎる。紅葉の
シーズンが楽しみである。
太郎坊宮
近江鉄道「河辺の森駅」までひたすら歩いて、ロー
カル線に乗り太郎坊宮へ。これは赤神山(標高350m)
の中腹にある神社。おむすび山の格好をした、赤神山
の山頂付近は奇石が露頭しており、社殿が岩に張り付
いている様子が近江鉄道の車窓から見えた。ローカル
線に揺られながらこんな風景に出会うと思わず行きた
くなるものだ。
で、本日の二山目。山麓から参道となるまっすぐの
階段をひたすら登っていく。本殿へは幅80センチの夫
婦岩の間をくぐる(図4)。悪心あるものは岩に挟ま
れると言い伝えもあるパワースポット。夫婦岩を通り
抜けて出合える蒲生野の風景も中々。万葉の頃、額田
王と大海人王子(後の天武天皇)が恋の相聞歌を詠ん
だ地。麓の小学校の運動会の歓声も聞こえてきた。
日野
太郎坊宮を下り、東近江駅へ向かう途中のカフェで
エネルギー注入。そしてレトロな東近江駅から近江鉄
道で日野駅へ。日野駅からバスで日野の旧市街へ。今
朝の五個荘や近江八幡と並ぶ、近江商人のふる里。
時間はすでに夕暮れ時(図5)
。観光案内所などは終
わっていたが、歴史的佇まいが残る清水町などでは三
日月を背に井戸端会議を楽しむ住民の姿が見られた。
虫の音色が似合う季節。
実はこの地も織田信長、そして安土城と関係が深い。
蒲生定秀は六角氏の重臣であり観音寺城の戦いで信長
に敗れ、
信長の家臣となった。
その後、
本能寺の変
(1582)
が起こった時、定秀の長男・賢秀は濃姫等織田家の女
性たちを保護して日野城に立て籠もった。この時、明
智光秀の勧誘を拒絶して「日野の頑愚どの」と呼ばれ
たのである。
VR 安土城タイムスコープ
織田信長が築いた安土城は、琵琶湖畔に位置し、安
土山山頂付近に天主、そして安土山全域に郭が築かれ
たとされる。しかしながら、築城からわずか3年で本
能寺の変が起こり安土城は滅びてしまった。安土城を
実際に復元することは幾度となく話題となってきたが、
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
特別史跡内に建物を復元する際には図面が残っている
こと、又は外観を証明する写真等の資料があること等
の条件があり、新たな資料の発見がない限り実物の復
元は困難な状況である。また、仮に復元を可能とする
学術上の諸条件が整ったとしても、巨額の建設費の捻
出等、実現には大きな課題が残る。
「安土城を幻のままでは終わらせたくない。」近江八
幡市では VR(Virtual Reality)技術を用いて、コン
ピュータ上に安土城を再現する VR 安土城プロジェク
トを2011年より推進しており、既にいくつかのシステ
ムやイベントをリリースしてきた。今回ご紹介する
VR 安土城タイムスコープもその一つ。
VR 安土城タイムスコープは、タブレットやスマー
トフォンを現地で安土山にかざせば、安土城が出現す
るアプリ。天主のみならず、郭や城下町など当時の風
景全体を360°パノラマ画像として現在の風景と比較し
な が ら 体 験 す る こ と が で き る。 ア プ リ は、iPad/
iPhone[1]または Android 端末[2]でダウンロ
ードする。近江八幡市内では、安土山大手門広場、安
土城外堀、セミナリヨ跡、安土城考古博物館、安土文
芸セミナリヨ、安土やすらぎホール、安土城郭資料館、
浄厳院、西の湖畔、八幡山山頂、近江八幡市役所、
JR 近江八幡駅の12か所にて、GPS で現在位置を感
知しながら使用することができる(図6)。近江八幡
市内以外の場所であれば、ひとつの視点場でお試し体
験することができる。
VR 安土城タイムスコープを作成するに当たり、天
主は、故・内藤昌氏による復元案[3]を基に、花園
大学 師茂樹准教授らが3次元モデル化した。郭と城
下町は、発掘調査資料等を基に、筆者と(有)シージ
ーラボが3次元モデル化した。システムは京都高度技
術研究所が開発した。
偶然であるが、VR 安土城タイムスコープを制作し
ていた2013年に「劇場版 タイムスクープハンター 安
が公開されることになった。この「タ
土城 最後の1日」
イムスクープハンター」は TV 番組が始まりで、未来
からやってきた時空ジャーナリストが歴史のあるシー
ンを密着取材するというドラマ風のドキュメンタリー
である。そして此度安土城を舞台として映画化される
ことになった。
SF 風の映画のコンセプトが VR 安土城のコンセプ
トと適合していることから、VR 安土城タイムスコー
プのタイムスクープハンター版を作ろうという話にな
り、コラボレーションアプリとしてついに実現した
[4]
。コンテンツは、VR 安土城タイムスコープのパ
ノラマ画像中にワープした時空ジャーナリストを発見
すれば、映画のスペシャル動画が鑑賞できるというも
のである。
VR 安土城タイムスコープ、是非、お試しを。
ルートと参考文献
五箇荘駅 ++< 徒歩 >++【五個荘金堂】++【繖山】++【観
音正寺】++【教林坊】++ 河辺の森駅 --< 近江鉄道 >-太郎坊宮前駅 ++【太郎坊宮】++ 新八日市駅 --< 近江鉄
道 >-- 日野駅 **< 近江鉄道バス >** 警察署前 ++【日野
の 町 並 み 】++ 警 察 署 前 **< 近 江 鉄 道 バ ス >** 日 野 駅
(39.5km)
[1]VR 安土城タイムスコープ(iOS 版)
https://itunes.apple.com/jp/app/vr-an-tucheng/id626839608
[2]VR 安土城タイムスコープ(Android 版)
https://play.google.com/store/apps/
details?id=jp.or.astem.android.vrazuchi
[3]内藤昌:1976,「安土城の研究」上下 『國華』
987, 988号.
[4]劇場版 TSH(iOS 版)
https://itunes.apple.com/us/app/juchang-bantsh/id651914659
図1 舟板塀
図2 繖山から安土山
図3 教林坊掛軸庭園
図4 太郎坊宮夫婦岩
図5 日野夕景
図6 VR 安土城タイムスコープ
まちなみ 2014/12
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第10回 西の湖×高精細シア
ター型 VR 安土城
安土へ
昨年7月、
「大阪府建築士会 北摂」の研修旅行とし
て「映像で蘇る安土城と近江八幡の舟旅」を協働企画
した。内容は、筆者とつながりのある VR 安土城プロ
ジェクトや近江八幡のまちづくりを現地に赴いて見聞
してもらおうというもの。30名ほどの定員は申込みで
埋まった。当日は三連休の初日。新大阪よりミニバス
で早出して安土へ。
旧伊庭家住宅
沙沙貴神社にお参りしてから、旧伊庭家住宅へ。
1913(大正2)年、W.M. ヴォーリズ設計による。住
友財閥の二代目総理事で別子銅山の公害問題を解決し
たことでも知られる伊庭貞剛の四男伊庭慎吉の邸宅と
して建設された。洋風の外観を持ちながら、畳敷の座
敷など随所に和風建築の手法を取り入れてある。2013
年8月より、
市民20人による旧伊庭家住宅利用団体「オ
レガノ」が結成されたことにより、常時公開されるよ
うになった。当日はオレガノの取り組みを伺った後、
旧伊庭家住宅の各部屋を丁寧に解説して頂いた(図1)。
高精細シアター型 VR 安土城
安土図書館に移動して、VR 安土城プロジェクトの
全貌を紹介してから、高精細シアター型 VR 安土城を
いよいよ体感していただく。VR 安土城プロジェクト
については前号でご紹介した通り織田信長が築いた安
土城をデジタル復元しようというプロジェクト。前号
では、タブレットやスマートフォンを使って近江八幡
市内12か所で体験できる VR 安土城タイムスコープに
ついて紹介した。今回は昨年3月に完成した、高精細
シアター型 VR 安土城について(図2)
。
高精細シアター型 VR 安土城は大型スクリーン等に
VR 映像を投影して、専用のコントローラを使って天
主内部、外部、城郭、城下町などの空間内を自由に行
き来することができるシステム。信長や秀吉、鷹の視
点など、様々な視点から体感することができる。また
ユーザーは、朝日に輝く天主、夏の日差しが照り付け
る琵琶湖、金色の夕焼けに染まる城下町、満月と提灯
で浮かび上がる安土山、と異なる4つの時間帯を選ん
で VR 仮想空間内の散策が可能である。一方で、創建
当時の安土城を舞台とした15分のショートムービー
「絢爛 安土城」も制作した。
信長の人生の集大成とも言える安土城をフロイスの
視点から描いたあらすじは次の通り。
「天正九年の夏、
2 まちなみ 2015/1
完成した安土城に呼ばれたポルトガル人宣教師ルイ
ス・フロイス。安土城の総棟梁を務めた岡部叉右衛門
に城内を案内され、信長の待つ天主へと向かう。豪華
絢爛に作られた安土城天主に目を見張るフロイスは、
最上階から金色に染まる城下町を眺め、信長の力の強
大さに畏怖の念を覚えるのであった。」
技術面では、VR 制作フローとして、①調査・企画、
②シナリオ制作・ディレクション、③現地取材・素材
手配、④テクスチャ作成、⑤データモデリング、⑥プ
ログラミング・エフェクト、⑦ BGM・サウンドエフ
ェクト・ナレーション、⑧調整・インテグレーション
の順に、試行錯誤を繰り返しながら進められる。重要
な点として、VR に求められるリアルタイムレンダリ
ング(実時間に3次元データを画像化すること)を
30fps 以上確保しつつ、リアリスティックな表現を実
現することが求められる。そのために、④テクスチャ
作成と⑤データモデリングの段階で様々な工夫を凝ら
した。例えば、琵琶湖を含む約65km 四方の範囲の地
形を定義し、その中に安土城の天主、郭、城下町を配
している。また、データモデリング段階でポリゴンを
細かく作りこみ、テクスチャの解像度を上げると高精
細な VR 表現が可能となるが、リアルタイムレンダリ
ングへの負荷が大きくなる。そのため LOD(Level
Of Detail)技法を用いて表示するポリゴン数を制御
した。リアリスティックな表現が難しいと言われる自
然物の表現についても石垣、光、水面、城下町の集落
配置、田畑、煙、星空などについて検討した[1]。
高精細シアター型 VR 安土城の関係者であるが、近
江八幡市が製作・監修、内藤昌氏による天主復元案
[2]を採用し、VR 制作は凸版印刷株式会社が担当
した。筆者は技術監修を務めた。
安土城趾
高精細シアター型 VR 安土城で往時の姿を仮想体験
してから昼食を済ませ、いよいよ実世界の安土城趾へ
(図3)。麓の安土山大手門広場では VR 安土城タイム
スコープを現地体験されている参加者も。さあ大手道
を登ろう。VR を観て往時のイメージがまだ残ってい
るうちに、現実の安土城趾に足を踏み入れる。先ほど
コントローラを使って仮想空間を歩いた大手道を、今
度は自分の足で一歩ずつしっかりと登っていく。大手
道を登りながら天主方面を仰ぎ見ると、実際には大木
に覆われており見えないのだが、VR を観た後なので
往時の天主の姿がしっかりと甦って来る。ショートム
ービーに出てくる岡部叉右衛門のセリフや BGM まで
が聞こえてくる(笑)。
天主台へ登りつめると、天主の礎石が整然と並ぶ。
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
ここからは湖国の風景が一望できた(図4)。琵琶湖
の向こうには、正面には高島の扇状地(大溝城)、右
へ視線をずらせると、賤ヶ岳、小谷城、長浜(長浜城)、
伊吹山、彦根の荒神山まで。
西の湖和船
旧安土町から近江八幡の旧市街(旧八幡)へ移動。
今回の旅はミニバスをチャーターして移動しているの
だが、ここは西の湖を和船でわざわざ横断してみよう。
西の湖は琵琶湖最大の内湖。この辺りはかつて大小い
くつもの内湖を形成しており安土山もかつては岬のよ
うな形状で琵琶湖に面していたのであるが、戦後の干
拓事業により西の湖以外はほとんど陸地化された。西
の湖は、今でも生物の貴重な生息地であり、琵琶湖の
ラムサール条約湿地登録エリアとなっている。
時は7月。雲行きが怪しくなり、夕立や雷を心配し
たが、不思議と降られず。琵琶湖周航の歌を BGM に
静かな湖面を眺めながら、和船三艘で旧八幡側へ
(図5)
。
旧八幡
近江八幡開町時、豊臣秀吉の甥・秀次が琵琶湖を往
来する荷船を八幡に寄港させるために設けた八幡堀。
戦後、モータリゼーションの進展と幹線道路の整備に
ともない物資輸送は陸上交通へと移行され、かえりみ
られない存在になっていった。さらに生活排水の流入
もあり、次第に悪臭を放つようになってしまったが、
市民有志により堀の存続と浄化が実現された。近江八
幡のまちづくりの原点である。
『近江八幡は飲んで騒いで楽しめる観光地ではあり
ません。自然の恵みや先人達が創りだした風景や文化、
今現在生活を営む人々が重なり合って醸し出す「風情」
が輝く地域です。静かで小さな町に息づくこだわりや
流れる時間を感じていただければ幸いです。』これは
近江八幡観光物産協会が提供する観光ガイドに書かれ
たメッセージであり、当初、少々とっつきにくい感じ
がしたが、今となっては、近江八幡の奥行きを良く表
しているように思う。近江八幡市は近年、交流人口が
拡大している都市としても知られるが、営利目的だけ
の観光地化は決して目指していない。
近江商人発祥の地、そして、W.M. ヴォーリズが活
動の拠点とした旧八幡。昨秋にヴォーリズ没後50年記
念企画展として「ヴォーリズ・メモリアル in 近江八
幡」が市民の手により開催された。今回ご紹介した建
築士会ツアーはイベントの前であり、ヴォーリズ展実
行委員会の方に準備の様子を伺いながら、ハイド記念
館とヴォーリズ記念館(一柳記念館)を見学させて頂
いた(図6)
。
ハイド記念館は、メンソレータム創業者 A.A. ハイ
ドの夫人からの寄付により幼稚園の園舎として建設さ
れた。お隣の教育会館と共に、近江兄弟社学園の一施
設として今も使われている。ロングスパンの木造梁。
丁度、近江兄弟社のブラスバンドが演奏中。木造ゆえ
か、いい音色を聞かせて頂いた。ヴォーリズ記念館は、
ヴォーリズの自邸として使用された建物。木造の外壁、
赤い瓦屋根、白い煙突を持つ、洗練された洋館である。
ルートと参考文献
【沙沙貴神社】++< 徒歩 >++【旧伊庭家住宅】**< チ
ャーターバス >**【安土図書館】**【文芸の郷】**【安土
城趾】** 安土やすらぎホール~~ < 西の湖和船 > ~~西の湖
園地 ** 旧八幡 ++【ハイド記念館と教育会館】++【ヴォ
ーリズ記念館】
(17.7km)
[1]福田,伴,八木,西家:安土城の3次元デジタル
復元を通じた高精細版バーチャルリアリティシス
テムの構築に関する研究,日本建築学会・情報シ
ステム技術委員会第37回情報・システム・利用技
術シンポジウム論文集(報告)
,2014.12.
[2]内藤昌:1976,「安土城の研究」上下 『國華』987,
988号.
図 1 旧伊庭家住宅
図 2 高精細シアター型 VR 安土城
図 3 安土城趾 図4 天主台からの眺め
図5 西の湖和船
図6 ハイド記念館と教育会館
まちなみ 2015/1
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第11回 金勝×クラウド VR
こんしょう じ
金 勝 寺へ
快晴。本日は湖南アルプスへ。湖南アルプスは栗東
こん ぜ さん
市の南部にそびえる金勝山(阿星山・龍王山・鶏冠山
の総称)などを指す。JR 草津線手原駅から栗東市観
光物産協会が季節限定で運営するシャトルバスに乗る。
何と満席。途中、道の駅「こんぜの里りっとう」で昼
食を確保してから金勝寺へ。栗東の朝らしく、競走馬
専用運搬車が競馬場に向かっていた。
金勝寺は天平5(733)年、良弁上人が創建したと伝
えられる古刹。聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のため勅
願を発したことに由来する寺で、奈良を向いて建てら
れている。周囲はヒノキやスギの森であり、キツツキ
が
「コンコンコンコーン」
と木を突っついていた。仁王
門では阿吽の木造仁王立像がおられた
(図1)。境内で
は、木造釈迦如来坐像などの重要文化財が拝観できる。
金勝山
金勝寺から龍王山(604m)山頂を目指す。馬頭観
音堂付近では北東方面の風景が広がる。近江富士・三
上山、近江八幡の長命寺山と八幡山、以前登った観音
寺山と太郎坊宮、そしてはるかに伊吹山。ここから山
道に入り、しばらく歩くと龍王山山頂。茶沸観音を過
ぎると分岐点である白石峰に辿り着く。尾根道は非常
に歩きやすい。白石峰から重岩や国見岩を過ぎ、沢の
ある急斜面を下っていくと狛坂磨崖仏に出会えた(図
2)
。狛坂磨崖仏は、金勝山中の狛坂廃寺跡にある、
高さ6.3m×幅4.5mの花崗岩の磨崖面に掘られた仏像。
奈良時代後期の作といわれる。実際にこの仏像に出会
って写真と見比べると、写真では中々この大きさや立
体感を伝えるのが難しいと気づく。近づくとやはりか
なり大きい。恐らくこんな岩を動かすことはできない
からこの地で掘ったのであろうが、大昔、職人はどの
ようにして長い時間をかけて掘ったのだろうか、不思
議に思う。
白石峰まで戻る。左手に、自然にできた珍しい形の
岩々がポコポコと山頂部に露頭している。有名なのは
耳岩や天狗岩。岩の形が耳や天狗に似ていることから、
そう呼ばれるらしい。天狗岩を遠くから眺めていると、
かつて訪問した、中国・黄山の飛来石を思い出す。た
だ、このような有名な岩に限らず、この付近には自然
が長年かけて作った岩や石のアートが沢山。目に留ま
った岩を色んな角度から眺めるだけでも楽しいものだ。
松が自生している岩は盆栽のようでもある。そして時
には岩と岩の狭い間を抜けなければならないことも。
耳岩のちょっと先の茂みを抜けると、360度絶景パ
ノラマが広がる場所に出合えた(図3)
。眼下には新
2 まちなみ 2015/2
名神高速道路、草津、大津の町並み、琵琶湖の対岸に
は、比叡山と比良山系。
片山
天狗岩に登ってから(図4)、耳岩へ戻る途中の分
岐点で片山方面へ山を下りていく。途中、ロープを頼
りに下りていかなければならない厳しいところも。山
道は一旦、走井林道と出合うがそのまま下りていくと
砂防ダム、そして白糸の滝に出合う。それからさらに
下っていくと片山の集落に辿り着けた。片山で帰りの
シャトルバスを待つ間、金勝寺里坊、春日神社、そし
て大野神社へ。里坊とは山坊(本坊)で修行を続けて
いた僧が人里に下って営んだ僧房をいう。
大野神社の楼門は見事。鎌倉初期のもの。しかしそ
れより有名な話題として、この神社は現在、某アイド
ルの聖地となっており参拝客の嵐が起こっているそう。
国内遠方のみならず海外からも来られるそうだ。境内
に掛けられた数えきれないほどの絵馬には良く見られ
る「○○大学合格!」ではなく、コンサートへの当選
祈願といったファンのメッセージが奉納されていた。
草津
手原から JR 線で草津に戻る。草津は東海道と中山
道とが分岐する宿場町。駅から中山道となる商店街を
歩いていきアーケードが終わった先のトンネルが旧草
津川隧道。トンネルの上は、道路でも鉄道でもなく河
川。旧草津川は短期間に、洪水のたびに土砂が流れ込
み、河床の高さが増し、堤防を嵩上げするといったこ
との繰り返しによって天井ほどの高さで川が流れる
「天井川」として有名であるが、治水対策のため既に
新草津川に付け替えられた。廃川となった旧草津川は
人が集まるにぎわい空間として再整備中である。訪問
時は、地球の耳かきが旧河川のコンクリート壁を板チ
ョコのようにバリッバリッと剥がしていた。
草津宿本陣を訪ねてから東海道を歩いて草津名物う
ばがもちを本店で購入。小さくて可愛らしいフォルム。
そして草津駅前には、昨夏草津市と草津まちづくり会
社によりオープンした niwa +(ニワタス)に若いフ
ァミリーや大学生、高校生たちがひと時を過ごす。駅
前一等地に芝生広場が設けられ、等身大の建物に個性
的なショップが軒を並べる。
矢橋帰帆
「瀬田へ廻ろうか矢橋へ下ろか此処が思案のうばが
もち」草津宿で江戸時代に流行った言葉。草津から大
津へは陸路の瀬田か湖路の矢橋のどちらのルートで行
くか考えている歌である。湖路は陸路より距離が短く
時間も早かったため、矢橋港は琵琶湖の渡しとして栄
えた。しかし、大津港に向かう舟は時折比叡おろしの
強風にあおられて難破することもあった。そのため、
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
時間がかかっても東海道を進み、陸路で瀬田唐橋を渡
った方が安全確実。
「急がば回れ」という言葉はここか
ら生まれたらしい。
近江八景・矢橋帰帆の舞台となった旧港は埋立てら
れ矢橋帰帆島ができた。かつての港跡には石積みがわ
ずかに残る(図5)
。思えば、本連載の第1回(石山秋月、
瀬田唐橋、粟津晴嵐、三井晩鐘、唐崎夜雨)
、第2回
(堅
田落雁、比良暮雪)
、そして今回の矢橋帰帆とを併せて、
近江八景制覇!
クラウド VR
前号で紹介した VR(Virtual Reality)は様々なア
プローチで研究と実用化が進められている。例えば、
VR が抱える課題の一つとして、VR システムを動作
させるためにユーザは高性能な3D グラフィックス性
能を有するクライアント端末を準備しなければならな
い。事務用 PC では3D 処理が追いつかないためである。
単純な3D モデルならまだしも、建築や都市のような
データ量が多くなる対象は尚更である。
そのため、建築・都市の計画・設計段階で VR を用
いて検討会議を行うシーンとしては、利害関係者が同
じ時間に同じ場所で会議する同期同室型環境か、空
間・時間の制約を気にせずに自らのクライアント端末
に VR システムをダウンロードして閲覧する非同期遠
隔型環境が主流であった。しかしながら、同期同室型
は移動時間を含む会議のスケジュール調整が中々困難
であること、非同期遠隔型は発言のタイムラグの発生、
メール等のテキストコミュニケーションではニュアン
スの伝達が難しいことや空間のある位置の課題解決を
テキストでやり取りすることは中々手間であることと
いった課題を抱える。一方、同期遠隔型である「三次
元仮想空間を遠隔で共有しながら検討会議を行い意思
決定する」という行為はその会議環境を整備するハー
ドルが高く実用面では気軽に実現できてこなかった。
このような背景および、近年、ブロードバンド環境
の整備やクラウドコンピューティング技術の発展を受
けて、クラウド技術と VR 技術を融合させたクラウド
コンピューティング型 VR の開発を㈱フォーラムエイ
トと進めている。経済産業省の研究開発プロジェクト
にも採択されたこの技術はパワフルなクライアント端
末 で な く て も 三 次 元 仮 想 空 間 を 共 有 し な が ら、
Google ハングアウトや Skype 等のテレビ会議シス
テムと組み合わせて同期遠隔型会議を可能とする
(図6)
。技術的な内容は以下の通りである。
クラウドサーバ上に設置した VR アプリケーション
「UC-win/Road」の高画質な映像や音声を伝送し、
クライアント端末(PC、タブレット)で共有するこ
とができる。また、クライアント端末のマウス、キー
ボード等から操作コマンドが入力された場合、入力内
容はクラウドサーバへ伝送され、クラウドサーバ上で
要求に応じたレンダリングが実行され、クライアント
端末にレンダリング結果は再度伝送され再描画される。
実際には、レンダリングされた映像の転送は動画形式
で行われており、解像度および圧縮品質は設定可能で
ある。クライアントとの接続が遅い場合にはフレーム
更新レートを自動的に低減する機能も備えている。
筆者らは、クラウド VR を用いた建築・都市分野の
同期遠隔型検討会議を行う可能性を模索している。次
号で詳しくご紹介したい。
ルートと参考文献
手原駅 **< こんぜシャトルバス >** 金勝寺駅 ++
【金勝寺】
++< 徒歩 >++【龍王山山頂】++【白石峰】++【狛坂
磨崖仏】++【耳岩】++【天狗岩】++【白糸の滝】++【大
野神社】++ 片山駅 **< こんぜシャトルバス >** 手原駅
--<JR 草津線 >-- 草津駅 ++【追分道標】++【うばが
もち本店】++【niwa+】++ 草津駅西口駅 **< 近江鉄道
バス >** 矢橋北口駅 ++【矢橋公園】++ 矢橋北口駅 **<
近江鉄道バス >** 南草津駅(41.5km)
図 1 金勝寺
図 2 狛坂磨崖仏
図 3 耳岩付近より
図4 天狗岩
図5 矢橋帰帆
図6 クラウド VR を用いた同期
遠隔型会議システム例
まちなみ 2015/2
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第12回 信 楽 × 遠 隔 景 観 デ
ザイン会議
ミホミュージアムへ
本日は陶都・信楽方面へ。まずはミホミュージアム
を目指そう。JR 石山駅から路線バスに乗る。バスは
瀬田唐橋を渡り、石山寺を右手に見ながら、瀬田川左
岸を下っていく。途中、熟した柿をくわえて悠々と飛
ぶカラス、前号で登った金勝山・天狗岩にも出合いな
がら、終点のミホミュージアムへ。約50分。見知らぬ
土地で路線バスに乗るのはちょっと勇気が要る上に遠
回りになる場合が多い。それでも、バスは地域に密着
しながら、人の住む地区を回遊してくれる。初めて訪
れる地域を理解するには意外といいツールなのかもし
れない。
ミホミュージアムに着いた。自然豊かな山の中にあ
る美術館。設計者の I.M. ペイはルーブル美術館のガ
ラスのピラミッドや香港の中国銀行タワーの設計で知
られる。ミホミュージアムの施設は、大まかに、レセ
プション棟と美術館棟に分かれる。まず、レセプショ
ン棟でチケットを購入して、美術館棟へ向かう。美術
館棟へのアプローチは山を一つ越えることになり、桃
源郷をテーマとした森の中を歩き、銀色のトンネルに
入る(図1)
。トンネルはカーブしており出口は最初
見えないが徐々に白けてくる。そしてトンネルは、象
徴的なアーチを主塔とする斜張橋に繋がっており、美
術館棟はその先である(図2)
。このように、レセプ
ション棟から美術館棟へ向かうアプローチは、単に10
分ほど歩くだけではなく、仕掛けが次々に用意されて
いた。
美術館棟は、路線バスが先ほど坂を登ってきた谷の
上に位置し、建物容積の80%以上が地中に埋められて
いる。ロビーに立つと湖南アルプスの美しい山並みが
臨める。太陽の光でガラス屋根のフレームが落とす影
も美しい。丁度、特別展「獅子と狛犬」が催されてい
た。普段神社や寺で見慣れた狛犬でありながら、こん
なに数多くの種類と歴史があったとは。木造の狛犬に
は特に圧倒された。
信楽
ミホミュージアムから路線バスで信楽へ。一般に信
楽のイメージといえばタヌキの置物ではないだろうか。
信楽は日本六古窯のひとつ、信楽焼の町(瀬戸、常滑、
越前、信楽、丹波、備前)
。確かに、信楽に行けば、
幹線道路沿いの土産物屋の屋内外に大小多数のタヌキ
がびっしりと並んでいる。タヌキは「他を抜く」の意
味があり商売繁盛の縁起物。また、タヌキの体や持ち
2 まちなみ 2015/3
物には「八相縁起」と呼ばれる八つの意味があるそう
だ(笠:災難から守る、笑顔:愛想よく、大きな目:
正しい判断をする、大きな腹:大胆さ、徳利:人徳、
通帳:信用、太い尻尾:しっかり終える、金袋:金運)。
今回は沿道のタヌキに出合うだけでなく、もう少し
じっくりと信楽を巡りたい。そんな気持ちから、観光
案内所で入手した「信楽窯元散策路マップ」を頼りに、
窯元や登り窯が多数点在している長野地区を歩いてみ
た。
窯元巡り
長野地区は、ろくろ坂、ひいろ壺阪、窯場坂を中心
に細い路地が多くまるで迷路のよう。坂道が多いこと
もあって景観がどんどん変化する。道路に埋められた
信楽焼の敷石がユニーク。新宮神社の脇からろくろ坂
を登り、沿道の窯元をいくつか訪問した後、坂の頂上
にある Ogama で休憩。ここは役目を終えた大きな
登り窯を保存し、脇に整備したカフェとギャラリーで
くつろげる場(図3)。登り窯という生の芸術作品を
間近に眺めながらコーヒーを飲むのは初めてかも。
休憩を終え、ピーナッツみたいな焼き物の水道、子
供たちの安全を見守るお巡りさんタヌキ、そしてレト
ロなペンギンに挨拶しながら窯場坂を下りていくと、
屋根のない大きな登り窯に出合った。斜面を登ろうと
する巨大な芋虫のようであり、古墳のようでもある。
社長さんに話を伺った。この丸又窯は、昭和8年に完
成して昭和38年まで使われ、今は近代化産業遺産に指
定されている。登り窯が現役の頃は町に10か所ほど登
り窯があり、それぞれから煙が立ち上る風景は壮大だ
ったそう。30度の斜面をゆっくり上り、11ある登り窯
の部屋を覘きながら、ゼーゲルコーン(焼き物の焼成
状況を確認するために窯に入れるもの)、立ちざや・
継ぎざや(壺や火鉢などを焼く時に使った台)、信楽
の寝仏の話についても丁寧に解説して頂いた。丸又窯
の模型が可愛らしい(図4)。ただ、維持管理が大変
なこと、鹿の獣害もあって高い柵で囲う必要があるこ
となど苦労話も聞いた。
信楽はしっとりとした町と改めて実感。名物・たぬ
き丼は食べそびれたので次回にでも。
クラウド VR で遠隔景観デザイン会議
前号ではクラウド VR の開発背景と仕組みをお伝え
した。今回は、クラウド VR を用いた建築・都市分野
の遠隔デザイン会議の具体について、街路整備事業で
実験した内容を紹介しよう[1]。
実験は、下関市中心市街地(街路幅員15m、街路延
長約350m)を対象とした。筆者らが数年前に当地の
街路整備事業に関わったのが縁である。中心市街地は
人口減、来訪者減、低未利用地化が進行しており、再
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市都市景観委員会委員、CAADRIA
(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほか公職多数
兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。
「光都・こうべ」照明デザイン設計
競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」など。
ふくだぶろーぐは、http://fukuda040416.tumblr.com/
生が求められている。街路に着目すれば、老朽化した
アーケードによる危険な歩行環境、電線・電柱の存在
による景観の乱れなどが現状の課題であり、「歩きた
くなる、回遊したくなる街」を実現することが求めら
れた。
そのため、アーケードの撤去と電線地中化を実施す
ると共に、車道と歩道の再構成を検討した。検討の結
果、街路整備計画案として、①歩道幅3.5m×2+車
道幅8m(現状追認)案、②歩道幅4m×2+車道幅
7m案、③歩道幅5m×2+車道幅5m案、④歩行者
専用道路案(案③で車両進入禁止を期間限定で実施)
が出された。歩行環境向上のための装置であるパラソ
ルセットや街路樹は歩道幅員に応じて変更している。
この景観検討を実現するために、街路(現状、各街路
整備計画案)
、沿道建物、地形(10km 四方)、ランド
マーク建物(海峡ゆめタワーなど)、土木構造物(歩
道橋など)の3D モデルを作成してクラウド VR に登
録した。クラウド VR の機能は、三次元仮想空間を自
由に動き回れる他、視点場の切替え、道路の走行、プ
ランの切換え等、景観検討で良く使用する機能が使用
可能である。そして離れた場所にいる関係者が、会議
スケジュールを調整した後、クラウド VR と Skype
や Google+ ハングアウトのテレビ会議システムとを
自身の端末(ノート PC やタブレット)で起動させて
遠隔デザイン会議を実施した。同期共有する内容は、
クラウド VR で三次元仮想空間、テレビ会議システム
で相手方の映像と音声である。
遠隔デザイン会議の様子であるが、まず話し手が現
状の課題を説明した後、それぞれの街路整備計画案に
ついて、街路センターからの景観や歩道環境をウォー
クスルーしながら説明する。車道幅員の増減に伴い、
車の通行状況も変化するため、交通流も適宜表示させ
る。聞き手は話し手の説明を聞いた上で、クラウド
VR を適宜操作しながら質問を行い議論した(図5)。
クラウド VR は時折、インターネット通信の影響に
より映像配信の遅延が見られたものの、問題ない程度
であった。また、過去に VR システムを利用したこと
のある VR 経験者は、VR 未経験者に比べて、クラウ
ド VR 使用中に不具合が発生しても柔軟に対応してい
た。クラウド VR を使用した遠隔デザイン会議の実用
シーンを拡げるためには、まずは、シビアな議論が起
こりうる会議よりはむしろ、知識レベルや価値観が共
有しやすい仲間内の会議で試行する方がよい。一方、
遠隔デザイン会議の準備としてインターネットの整備
と接続チェックが必要となる。
ここ2~3年、㈱フォーラムエイトとの共同研究に
より、このような実験を繰り返しながら、クラウド
VR の機能改善に務めている。機会があれば、また詳
しくご紹介したい。
おわりに
この一年間、琵琶湖を時計回りにぐるりと一周した
(図6)
。その際、自家用車を使わずに自身の足・自転
車・公共交通を使って、惹かれる地域を順に巡ってき
た。また、事前準備をしっかりとして出発する旅では
なく、ふらりと出かけて現地での出合いを大切にする
旅にしたつもりである。それなりの情報はネットでい
くらでも取得でき、事前準備をし過ぎると現地へは確
認しにいくだけとなるのを恐れた。こんな時代だから
こそ、現地で出合った時の生の感動を大切にしたい。
ルートと参考文献
石山駅 **< 帝産バス >** ミホミュージアム駅 ++< 徒歩
>++【ミホミュージアム】++ ミホミュージアム駅 **<
帝産バス >** 信楽案内所駅 ++【信楽】
++ 信楽駅(41.1km)
[1]福田,田口,清水,孫:景観検討を対象としたク
ラウドコンピューティング型 VR による分散同期
型検討会議の実現可能性,日本建築学会計画系論
文集,第76巻,第670号,pp.2395-2401, 2011.12.
図 1 銀色のトンネル
図2 斜張橋
図 3 カフェから登り窯を眺める
図4 丸又窯模型
図5 クラウド VR を用いた遠隔
景観デザイン検討画面
図6 足どり 2014
まちなみ 2015/3
3
都市とITとが出合うところ
福田 知弘 大阪大学 大学院工学研究科 環境・エネルギー工学専攻 准教授
建築・都市と IT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情
報社会の時代となり、建築・都市と IT とは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互
いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市と IT との両者が出合うところや
課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。
第13回 山崎×クラウド
VR・スケッチ機能
山崎へ
山崎は京都西山連峰の端っことなる天王山が淀川に
ぐっとせり出した地。対岸の男山とセットで自然の関
所を成す。その関所には、桂川・宇治川・木津川が合
流し淀川となる三川合流、旧西国街道(国道171号)・
名神高速道路(天王山トンネル)、JR 在来線・阪急
京都線・新幹線・対岸には京阪電車が所狭しと並ぶ。
鉄ちゃんでなくとも、JR 快速と阪急電車、新幹線と
阪急電車が並走する風景は面白い。大阪府と京都府の
府境の地でもあり、JR 山崎駅の下りホームには府境
看板が立つ。
山崎といえば、サントリー山崎蒸溜所。この地は、
大阪で唯一「名水百選」に選ばれた離宮の水があり、
また、三川合流のため霧が立ち込める立地のため、約
90年前よりウイスキーづくりが始められた。隣の JR
島本駅では、電車が到着する際、サントリーオールド
の CM ソング「夜がくる」が流れてくる。筆者は、
OSAKA 旅めがねのエリアクルーを務めており[1]、
2013年9月に
「サントリー山崎蒸溜所見学・セミナー」
プレミアムツアーを造成・案内した。内容は、ウイス
キー製造工程の見学、そして、ウイスキー原酒とハイ
ボールのテイスティング。ウイスキーを長年作ってこ
られた職人さんに解説をお願いしたので語り方がやは
り違う。迫力たっぷりのツアーとなった(図1)。
待庵
待庵は、千利休が山崎の合戦(1582)後に建立した
草庵風茶室。JR 山崎駅前の妙喜庵にある(図2)。
数寄屋造りの原点であり、にじり口が最初に設けられ
た茶室といわれる。待庵の見学は、要事前予約、撮影
不可、室内はにじり口から覗くだけという制約付きだ
が、一目見ようと申し込んだ。内部は2畳敷だが意外
に広く感じられる。隅を丸く壁土を塗りまわした塗り
方や、駆込天井など、狭い室内を広く見せる工夫がな
されている。異なる大きさの連子窓の桟は竹で簡素な
つくり。事前予約が無理な方、いきなり山崎を訪れた
方は、近くの大山崎町歴史資料館に待庵の原寸大模型
があるのでそちらへ。
天王山
天王山(標高270.4m)に登ろう。宝積寺で金剛力
士像、閻魔王、十一面観音立菩薩像にお参りしてから、
山に入る。この山の東麓は、本能寺の変(1582)の後、
中国大返しでやってきた羽柴秀吉軍と明智光秀軍が戦
った山崎合戦の地。それもあって、天王山ハイキング
2 まちなみ 2015/4
コースには、秀吉の天下取りの物語を解説する陶板が
道案内してくれる。旗立松展望台では山崎合戦の地が、
また、山道の途上では三川合流や男山が一望できる(図
3)。登山道は本当に静か。この直下には天王山トン
ネルが通り抜けており、正に今、8車線に及ぶ高速道
路を車がビュンビューンと行き交っているのが信じら
れない。
淀城
天王山を下り山崎合戦の地を超えて桂川を渡る。京
都競馬場のレースが終わったのか、競走馬を載せたト
ラックやオジサン達が競馬場の方から続々とやってく
る。淀城跡へ。この淀城は、江戸時代に築かれたもの
であり、淀君ゆかりの淀城はもう少し北方にあったそ
うだ。淀城跡をぶらぶらしていると地元のオジサンが
やってきて、他の訪問客も巻き込んで、淀城にまつわ
る解説を始められた(図4)。昔の井戸のこと、井戸
のそばにある石流しのこと、石垣に掘りこんだ島津藩
の家紋のこと、石垣の中には財宝が隠されていると言
い伝えが残されていることなど。オジサンは、一通り
説明した後、ガイド料も取らずに、境内のお稲荷さん
にお参りするよう指示だけをして立ち去った(笑)。
三川合流
桂川の左岸を下流に歩いて三川合流地点に向かう。
桂川は丹波高地から流れだし日吉ダム、嵐山を経て鴨
川と合流してやってきた。宇治川は淀川北源(都市と
IT とが出合うところ 第5回)から琵琶湖、瀬田の唐橋、
平等院を経てやってきた。そして木津川は三重県の方
からやってきた。三川は全く同地点で合流して淀川と
なるのではなく、まず南二川の宇治川と木津川が合流、
そして500mほど下流で桂川が合流する。合流地点は、
前近代までは先にご紹介した淀であったが、明治以降
の淀川改良工事により山崎付近となった。
宇治川と木津川を分ける淀川河川公園・背割堤地区
へ。東に男山、西に天王山に挟まれた地。ここの桜並
木はまことに立派(図5)
。堤の上を約1.4km に渡って
列植されている。花見のシーズンは20万人もの利用が
あると聞いた。鳥のさえずりも絶え間なく。船着場の
整備も進められているようだ。
クラウド VR・スケッチ機能
前回まで、クラウド VR の技術面、及び比較機能を
用いた遠隔デザイン会議の事例を紹介した。今回は、
遠隔デザイン会議の参加者がクラウド VR の画面にフ
リーハンドスケッチを直接描いて他の参加者とネット
越しに共有できるスケッチ機能(Annotation 機能)
について[2]
。
三次元(3D)仮想空間を眺めながらデザイン検討す
る際、3D 仮想空間の画面に直接、計画内容や VR コ
福田 知弘(ふくだ ともひろ)
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授。環境設計情報学が専門。大阪大学大学院工学研究科環境
工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)
。大阪府河川整備審議会委員、大阪市建築物環境配慮推進委員会委員、
CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会前会長、日本建築学会代議員ほ
か公職多数兼務。NPO 法人もうひとつの旅クラブ理事、大阪旅めがねエリアクルー。「光都・こうべ」照明デザイ
ン設計競技最優秀賞受賞。主な著書に「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」
「はじめての環境デザイン学」
など。ふくだぶろーぐは、http://d.hatena.ne.jp/fukuda040416/
ンテンツの内容に関する指摘や修正内容をフリーハン
ドでスケッチしたり、矢印やメモなどを書き込みたく
なる。この行為が3D 仮想空間の画面に直接できないと、
ユーザーは別途、ホワイトボードや自分のノートを用
意することになるが、記述内容は遠隔のメンバーとリ
アルタイムに共有できない。遠隔デザイン会議では、
これらの記述内容をネット越しのメンバーがリアルタ
イムに共有できる必要がある。これらのスケッチ操作
は2D 情報でありスケッチ画面を決定するために、3D
仮想空間でスケッチ操作を行う視点情報(位置、姿勢)
を決定しておく必要がある。その上でスケッチを書き
込んで検討を進めていく。書き込まれたスケッチは保
存・再編集することができるようデータベースに蓄積
され、保存されたスケッチ情報は3D 仮想空間のある
位置にアイコンとしてその存在が示される。
開発したスケッチ機能を検証するために、ある地方
都市で古くなった戸建住宅を建替えて、集合住宅を新
築する実験プロジェクトを実施した。対象敷地は、面
積151m2、建ぺい率80%、容積率600%、用途地域は商
業地域(防火地域指定)である。プロジェクトでは、
施主から設計依頼を受け、離れた場所にいる3人のデ
ザイナーが、2日間、スケッチ機能を使いながら、更
地に初期案を検討していった。建築計画の初期段階で
ある。
遠隔会議の役割分担と検討初日の様子を。各メンバ
ーは、クラウド VR と Google +ハングアウトを用いて、
3D 仮想空間、音声、Web カメラ映像を互いに共有した。
デザイナー1(千葉)はマスターアーキテクトであり、
設計条件に適合する建物ボリュームを建ぺい率と容積
率を考慮しながら、空間の使い方を想定して計画・設
計した。デザイナー2(大阪)は、現地の様子に詳し
い担当者であり、クラウド VR の三次元仮想空間をフ
ライスルーやウォークスルーしながら、対象地の現況
や条件をメンバーに説明した。デザイナー3(ドイツ・
ハイデルベルグ)は若手であり検討会議を記録したり
気になる点をメンバーに質問した。結果、建設可能な
階数は7階であり、1階は店舗と住宅用エントランス、
2階から7階は住宅となった。そして、メンバーと議
論しながら、デザイナー1はスケッチ機能を使用して、
住宅エントランス、店舗、階段、住居など設計する空
間の配置と、各空間の大きさをスケッチで表現した。
メンバーは、描かれたスケッチを見ながら、空間構成
をスタディして、最終的に初期案を決定した。
検討2日目。SketchUP で作成した3D モデルをク
ラウド VR に挿入し、共用部から各戸に至る動線や各
階からの景観など具体的な検討内容を議題として遠隔
デザイン会議を引き続き実施し、初期段階での目的を
達成した。
このように、スケッチ機能は遠隔デザイン会議の双
方向性の質を高めるために必要な機能であることが確
認できた。現時点では、スケッチ機能が使えるのは操
作権を取得したユーザーに限られる。そのため、複数
のメンバーが同じスケッチ画面に書き込みあうには、
あるユーザーがスケッチ画面を一度閉じてから、他の
ユーザーが同じスケッチ画面を開いて再編集する必要
がある。今後の課題としたい。
ルートと参考文献
JR 山崎駅 ++< 徒歩 >++【大山崎町歴史資料館】++【サ
ントリー山崎蒸溜所】++【待庵】++【宝積寺】++【天
王山】++【天王山跨線橋】++【長岡京市立中山修一記
念館】++【淀城跡】++【三川合流地点・淀川河川公園】
++ 京阪八幡市駅(17km)
[1]OSAKA 旅めがね http://tabimegane.com
[2]F u k u d a , T . , S u n L . a n d M o r i , K . : A
Synchronous Distributed Design Study
Meeting Process with Annotation Function,
CAADRIA 2014, 749–758, 2014.
図1 大阪旅めがね山崎ツアー
図2 妙喜庵
図3 天王山より
図4 淀城
図5 背割堤地区
図6 クラウド VR・スケッチ機
能実験
まちなみ 2015/4
3
Fly UP