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「沖縄のぐすくと聖域-沖縄の世界遺産の物語-」

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「沖縄のぐすくと聖域-沖縄の世界遺産の物語-」
「沖縄のぐすくと聖域-沖縄の世界遺産の物語-」
福 寛美 先生
Q:福先生のご専門は、琉球王国時代編纂の『おもろさうし』の研究でいらっしゃます。
日本の和歌や俳句は、季節感・風情などを詠んだものが多いかと思われますが、
「おもろ」は、どのような対象を詠んだものなのでしょうか。
A:ご質問をありがとうございます。「おもろ」を以下の文章での読み易さの便宜上、オモ
ロと片仮名表記させていただきます。また、オモロの場合、
「○○という対象をうたう(謡
う・歌う)」といった言い方をする場合が多いです。ここでもそのようにさせていただきま
す。
オモロにはまず、王府の高級神女祭祀をうたったものがあります。琉球王国は男性が政
治を担い、女性が祭祀を担う、という体制をとっていました。政治の最高権力者は国王で、
きこ えの おお きみ
ぎ
し
国王に対応する宗教権力者は王族の女性が就任する聞得大君です。この体制は、一見『魏志
わじんでん
ひ
み
こ
倭人伝』の語る卑弥呼(女性シャーマンで年齢を重ねても結婚せず人前に姿を現さない)
と男弟(卑弥呼の言葉を人々に伝える弟)のようです。しかし、聞得大君職は俸給つきの
役職であり、紀元前の中国の史書の漠然とした記事と江戸時代とほぼ同時代の琉球王国の
高級神女職を一緒に論じることはできません。
琉球王国には聞得大君のほかに、三十三君といわれる大勢の王族の高級神女達がいまし
た。王の身内でもある王族の高級神女達が祭祀で国王の治世の平安と充実を祈っていたの
で、その祭祀に関係するオモロが『おもろさうし』にはたくさん収録されています。
また、琉球は統一国家(第一尚王統、第二尚王統)成立以前の十二~十四世紀、沖縄島
あ
じ
よ
ぬし
各地に按司(あんじ)
、てだ(太陽神を意味する語、按司をさす場合もある)
、世の主など
と呼ばれる男性支配者たちが群立していました。その人々をうたったオモロもあります。
また、琉球は中継貿易(地の利を生かし、東南アジアや中国や日本との物流を中継する)
で賑わった時期がありました。琉球から外の世界へ出て行く手段は船しかありません。航
海や船のことをうたった航海に関連するオモロも『おもろさうし』に収録されています。
また、俗謡的なオモロを集めた巻、王府の公的な祭祀に関連するオモロを集めた巻もあり
ます。
オモロの世界の特徴は、賛美する世界、ということです。僅かに他者への罵り(侵攻し
てくる薩摩軍兵への罵りなど)の詞句もみられますが、ほとんどのオモロが高級神女祭祀
や国王、そしてかつての男性支配者達への賛美、そして船や船の航海への賛美がうたわれ
ています。また、恋愛をうたったオモロがほとんど含まれていないことも『おもろさうし』
の特徴のひとつです。
また、オモロは色彩に関する表現が乏しいです。現実の琉球は亜熱帯の気候で一年中美
しい花が咲き、蝶が飛び、王族の女性達は美しい衣装を身に着けていた、と思われます。
それなのにオモロは赤い金属、青の衣、紫の雲、などの僅かの色彩や、霊力の輝きという
きこ えの おおきみ
視覚表現はありますが、視覚表現には乏しいです。そのかわり、最高神女職が聞得大君(名
と
よ
せ だか こ
高い大君)
、その美称が鳴響む精高子(鳴り轟く霊能高いお方)というように、聞こえる、
鳴り響く、といった聴覚に敏感な世界です。
りゅう か
また、和歌の影響を強く受けている 琉 歌(八八八六の音数律の三十音のうた)は季節の
景物を歌いますが、オモロは冬と夏が対語になるオモロや、沖縄独自の季節感である「う
わか なつ
りずん(旧暦二、三月)・若夏(旧暦四、五月)
」がうたわれる場合もありますが、用例は
僅かです。
Q:「おもろ」の中には、ぐすく(城)・聖域を詠んだものがあるとのことですが、この場合
の「聖域」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。琉球国の歴史・信仰・文化
に関わることかと拝察いたしますが。
A:ご質問をありがとうございます。「ぐすく」を読み易さの便宜上、グスクと片仮名表記
させていただきます。琉球・沖縄の聖域は現代でも数多く存在しています。グスクは大変
有名な言葉ですが、グスクの語源は未だに明らかにされていません。グスクの原型は集落
や村落の祖先の墓が聖域化したものである、とする見解があります。ごく小さいグスクは
南西諸島(鹿児島県に属する奄美群島から沖縄島、宮古諸島、八重山諸島〉全域に分布し
ています。小さいグスクはささやかな石積みやシャコガイをイベ(聖域の中で最も聖なる
はいしょ
お
場所)とする拝所(うがんじょ、拝む場所)の形をとっています。イベを森が囲む聖域は御
たけ
嶽(うたき)といいます。この御嶽は一見、何の変哲もない森ですが、御嶽の森にみだり
に入ってはならない、と言われています。
大規模なグスクもまた聖域を含んでいます。その聖域は多くの場合、グスクを創建した
人物の墓であり、祖神のまします場とされています。現代でもグスクの中の聖域に祈って
いる沖縄の方々の姿を見ることができます。
きょう
うち
し ゅ り もり
ま だま もり
また、グスクの中のグスクである首里城の内部には、 京 の内、首里杜、真玉杜などの聖
域が存在しています。また、地方のグスク、例えば世界遺産でもある中城グスクには首里
城遥拝所(遠方から首里城の方角を拝む場所)があります。日本の神社の中にも境内に伊
勢神宮遥拝所(皇室の祖先神である伊勢神宮を遠方から拝む場所)がある場合があります
ので、それと同じだとお考えください。
ところで、日本の城のことを考えると、そこは政治、経済、文化の中心ではありますが、
宗教の中心ではありません。日本本土の城に土地の神や藩主が個人的に信仰している神を
祀ることはありますが、宗教的な機能が強調された城は本土には無い、と言っていいのだ
と思います。本土の城と比較すると沖縄のグスクの特異性がよくわかると思います。
そのようなグスクを特徴付けるのは城壁で、本土の城壁には無い湾曲した形を持ってい
ます。この湾曲は、土地の等高線にそって城壁を積み上げていったからこその形です。オ
モロの中には神や神的な国王が石を削って積み上げていく、とうたうものがあります。巨
大なグスク、例えば首里城や浦添グスクは城壁を全部積み上げるのに百年もかかった、と
言われています。そのような城壁を神や国王が積み上げる、とうたうのはまさに神の仕業
をうたうことである、と考えています。
Q:TV 等で見る沖縄(琉球国)の歴史・文化・信仰には、非常に興味深いものを感じており
ます。また、過去の歴史を持ち、かつ今日基地問題等の困難に対峙しても、常に前向き
で、明るさを失わない民俗性に強く魅かれます。その源はどこにあるとお考えでしょう
か。
ご質問をありがとうございます。琉球・沖縄の言葉は琉球方言ですが、広くは大和方言
に含まれます。同じ祖を持つ言葉ですが、琉球方言は沖縄で生まれ育たないと中々使いこ
なすことができません。また、琉球文化圏に含まれる奄美諸島と沖縄島の北部と南部、そ
して宮古諸島、八重山諸島、は方言が異なっています。これらの方言の差異は、それぞれ
の島に住む人々の祖先が、異なる時代に異なる場所から南西諸島の島々を目指してきて、
やがてそこに定住したことを示唆するように思います。
また、南西諸島の文化は多くの要素の複合体である、と思うことがよくあります。例え
びんがた
ば貴婦人が身に着けていた紅型の着物の柄は、よく見ると和風の場合があります。紅葉、
菖蒲、桜などをデザイン化した意匠は美しいのですが、沖縄には紅葉する木は無く、菖蒲
も日本的な染井吉野の桜も咲きません。しかし、日本的なデザインを取り入れる柔軟性と
琉球化するセンスの良さは素晴らしいと思います。
そのような琉球・沖縄は中国と日本にはさまれ、また中継貿易以来の立地の良さから東
アジアの要石として扱われ、苦難の歴史があったことは指摘するまでもありません。しか
し人々は強く明るく生き続けました。アメリカに占領されて捕虜になった時、沖縄の人々
さん しん
がまず作ったのが、カンカラ三線でした。大き目の缶詰の空き缶ににわか造りの棹を取り
付け、ありあわせの弦を張ったカンカラ三線を奏で、歌って踊ることで人々は生きる活力
を持ち続けていました。
今でも沖縄の結婚式では新夫婦の友人知人による玄人はだしの余興が延々と演じられて
います。余興の練習がある時は、その為に会社や役所からなるべく早く帰る、とも言われ
ています。それは、身一つを使って人を喜ばせることや芸能が巧みなのは素晴らしいこと
だ、という文化が琉球・沖縄にはあるからで、日本本土とは違っているのだと思います。
沖縄出身の歌手や芸能人は独特の雰囲気と確かな芸で多くのファンを持っています。そ
れは、琉球・沖縄は芸術的センスがよく、芸能に長けた人々を多く輩出し、流入した多く
の文化的要素を上手にミックスできるからだと思います。沖縄の人気料理、チャンプルー
にちなみ、チャンプルー文化、と沖縄文化は称されることがありますが、まさにそうであ
る、と思っています。
Q:その他、講座に関してまた沖縄に関して、受講希望の方々に伝えたいことがありました
ら、ぜひお願いいたします。
琉球・沖縄文化は私の研究対象です。それと共に、その文化について学べば学ぶほど
奥深く面白い、といつも思います。私はたぶん、この研究対象がある限り、一生退屈す
ることなく問題を考察し、原稿を書ける、と思います。
琉球・沖縄文化は日本にとって異文化である、という側面があります。それは、日本
とは異なった政治・宗教体制をとった王国があった、という歴史的な経緯ゆえです。そ
のことは、残念ながら本土でよく知られている、というわけではありません。基地問題
を抱えた沖縄でもリゾート地の沖縄でもない、琉球王国があって日本本土とは別の歴史
を歩んだ沖縄の魅力的な歴史と文化について、受講生の皆様とご一緒に勉強していきた
い、と思います。
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