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03 歴史展示推進のための 具体的整備 歴史回廊の整備 -97- 基本的な考え方 基本的な考え方 ■明日香を歩きながら歴史を体感・学習してもらう回廊コース ■歴史物などがないフィールドに解説ポイントを設置し、 歴史を体感・学習 回遊コースにおいて、歴史物などがないフィールドに解説ポイントを配置し、その周辺にお ける歴史を紹介します。回遊コースを巡る中で、歩道や空地などを単なる通過点とするこ となく、歴史を体感・学習してもらうことができます。 ■歴史回廊は短時間で回れる回遊コースに設定 歴史回廊として新たにコースを設定するのではなく、基本的に万葉文化館をスタート& ゴールとして徒歩、もしくは自転車で短時間で回れる回遊コースに設定します。この回遊 コース上に解説ポイントを配置して歴史回廊を構成します。 ■多様な歴史情報を楽しく分かりやすい手法で紹介 ■空間・事象・人物・施設・遺物などいろいろな切り口から歴史を紹介 各解説ポイントでは、かつてどのような場所であったかという空間情報、そこで起こった出 来事や事件などの歴史的事象、関連する人物、かつてあった施設や現存する施設、遺物 など、様々な切り口から歴史情報を紹介します ■見たくなる、分かりやすい手法で解説 上記のような歴史情報を、見たくなる、分かりやすい手法及び明日香の歴史的風土に配 慮した手法で解説します。興味・関心を高め、楽しみながら知識や理解等を深めてもらい、 歴史の体感・学習の広がりを創出します。 -98- (手法例) ■自分でめくる解説パネル パネルの表に歴史に関する問いかけがあり、パネルをめくるとその答えが見 えます。 ■解説板に内蔵された映像装置 解説板に仕込んだ映像装置で歴史情報を提供します。 解説板に表示されたQRコードを携帯電話のカメラで読み込むと、携帯電話 で解説が聞けるサイトへアクセスできます。(外国語ガイドが容易) ■携帯電話で聞ける音声ガイド CGのマネキン映像が歴史を紹介します。 ■バーチャルマネキン <展示イメージ> -99- 歴史回廊 歴史回廊 コースイメージ コースイメージ 飛鳥水落遺跡 甘樫丘 蘇我入鹿首塚 飛鳥坐神社 飛鳥寺 飛鳥池工房遺跡 C 藤原鎌足誕生地 万葉文化館 甘樫丘東麓遺跡 ミロク石 飛鳥京跡苑池 A B 亀形石造物 酒船石 伝飛鳥板蓋宮跡 (飛鳥浄御原宮跡) 川原寺(弘福寺) 犬養万葉記念館 橘寺 -100- A B C *吉野川分水沿いの北に飛鳥寺跡を望む場所で。 *展示されている現状の風景の写真パネルを持ち上げると、同じ角度から眺めた飛鳥寺の 大伽藍の再現CG画のパネルが現れます。 *横の展示パネルには、塔の絵と古墳の絵が描かれている。塔の下の抽斗を引くと、心礎 に埋められたものが、古墳の下の抽斗には、古墳の副葬品が、グラフィックによって紹 介されます。 *解説パネルには、道昭の姿(キャラクター・イラスト)とともに、道昭の言葉による飛 鳥寺についての解説が書かれています。 <解説内容> 解説内容> 「飛鳥寺は蘇我馬子によって創建され、飛鳥時代の仏教興隆の礎となった日本最初の本格 的な寺院です。古墳時代の副葬品によく似たものが、塔の心礎に数多く埋められている ことから、陵墓から寺院へと信仰の対象が移りつつあった、この時代の様子がよくわか ります。」 *吉野川分水沿いの伝飛鳥板蓋宮跡を望む場所で。 *展示されている現状の風景の写真パネルを持ち上げると、同じ角度から眺めた飛鳥浄御 原宮の再現CG画のパネルが現れます。 *横の展示パネルには抽斗があり、一番下の段には「飛鳥岡本宮」、その上の段には「飛 鳥板蓋宮」、その上には「後飛鳥岡本宮」、一番上の段の抽斗には「飛鳥浄御原宮」の 再現平面図が収められています。 *解説パネルには、藤原不比等の姿(キャラクター・イラスト)とともに、不比等の言葉 による飛鳥京についての解説が書かれています。 <解説内容> 解説内容> 「舒明天皇が飛鳥岡本宮を置かれたのち、皇極天皇も板蓋宮としてこの地に宮を置かれた と伝えられています。飛鳥板蓋宮は、中大兄皇子が蘇我入鹿を討った乙巳の変の舞台に なりました。そののち斉明天皇(皇極天皇重祚)の後飛鳥岡本宮、さらに天武天皇の飛鳥 浄御原宮が置かれ、律令国家を目指す飛鳥時代の政治の中心地であったのです。」 *蘇我入鹿首塚周辺の甘樫丘を望む場所で。 *展示されている現状の風景(甘樫東麓)の写真パネルを持ち上げると、同じ角度から眺め た蘇我蝦夷の邸宅を含めた甘樫丘の再現CG画のパネルが現れます。 *解説パネルには、南淵請安の姿(キャラクター・イラスト)とともに、南淵請安の言葉 による蘇我氏の興隆についての解説が書かれています。 <解説内容> 解説内容> 「甘樫丘の東の麓には、蘇我蝦夷の邸宅があったと伝えられています。蘇我氏は大陸から の文化を古代日本に伝えた渡来人を祖にもつといわれております。東アジア文化の花で ある仏教が興隆するとともに、蘇我氏もその栄華を極めました。」 *蘇我入鹿首塚周辺から北の方向を望む場所で。 *展示されている現状の風景の写真パネルを持ち上げると、同じ角度から眺めた水落遺跡 の漏刻台の再現CG画のパネルが現れます。 *解説パネルには、南淵請安の姿(キャラクター・イラスト)とともに、南淵請安の言葉 による漏刻と中大兄皇子についての解説が書かれています。 <解説内容> 解説内容> 「栄華を極めた蘇我氏は、天皇中心の律令国家を目指す中大兄皇子によって滅ぼされまし た。中大兄皇子は漏刻台を設け、飛鳥の都に時を告げ、国をしっかりと治めることを目 指しました。漏刻は、複雑な給水システムを持ち、唐の先進技術を用いて作られたと考 えられています。」 -101- -102-