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教育メディアと環境

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教育メディアと環境
教育メディアと環境
小柳和喜雄(奈良教育大学)
以下の文章を読み次の課題に答えましょう.
(1)
教育メディアは、どのような変遷を経て現在に至ったのか?各時代において焦点化
された課題,大切にされたこと,背景にある考え方を説明せよ。
(2)
学習環境を構築していく際に、目を向けるべきポイントは何か、説明せよ。
(3)
視聴覚教育で従来から主張されてきた映像視聴能力とメディア・リテラシーはどこ
が同じでどこが異なるのか、比較しながらあなたが考えるところを述べよ。
第1節
教育メディアとは何か
教育メディアとは何か?教育活動に活用する、絵、写真、スライド、映画、ラジオ、テ
レビ、ビデオ、OHP といった視聴覚関連、コンピュータ、インターネットなどの情報関
連のものをイメージするだろう。では、それは、教材・教具といわれてきたものとどう違
うのか?
例えば、中内
(1990)によれば、
「教材は、授業の目標である教科の目標を、より多くの
子どもに、より深く、よりたのしく教え、習熟させていくために、これを、子どもの生活
概念につなげて具体化したものである。外見上では、それは教授活動の媒介物である。教
材のうち、その直感化されている部分が教具である」。すなわち教材・教具は、教育目標を
効果的に達成するために選ばれ、あるいは加工された、言語的・非言語的素材であり、ま
た教育目標・教育的価値の世界を具体物として体現しているものと考えられる。このよう
な点(表1参照)から眺めると、教育メディアは、教材・教具に内包される。
言語的で視的なもの
教科書、問題集、ワークシートなど
言語的で聴覚的なもの
ラジオ、テープレコーダ、MD、LL教室など
非言語的で表現的なもの
絵、掛図、写真、スライドなど
複合的なもの
紙芝居、映画、OHP、テレビの放送番組、ビデオ、コンピュー
タ、インターネットなど
表1
特徴に即した教材・教具の分類
では、なぜ教育メディアという言葉を使う必要があるのか?
細谷 (1991) は、その著『教育方法』の中で、先の教材・教具に相当するものを、教授
メディアという言葉を用いて説明し、視聴覚教育との関わりを次のように述べている。
「教授の近代化をはかるための手段として生まれたメディアには絵入りの教科書のほかに
多種多様なものがある。実物、標本、模型、機械器具、絵画、図表、地図などいずれも学
習者の直感的印象を明確にし、具体的経験に基づいて正確な観念を得させるための代表的
なメディアである。…….知識を明確にし、事実や現象を理解させる手段として生まれた模
型、標本、絵画といったような教授メディアにしだいに変化がみられるようになった。こ
れらのスタティックなメディアに対して、レコード、映画、ラジオのような近代的な機械
を用いるダイナミックなメディアの発達がそれである。ここに初めて<視聴覚教育>が成
1
立し、教育の近代化を急速に促進することになるのである」
。
すなわち教える活動の近代化は,言語による知識注入に対して、感覚や身体的活動へも
目を向けていこうとした。そのため、標本、模型といった実物ないし直接その形に触れる
ものも含めて、生徒の感覚に訴える教材・教具が多く開発されてきた。そこでは、教師の
教えるための補助手段だけでなく、生徒の自己活動を誘発する手段もそこに含まれるよう
になった。さらにレコード、映画、ラジオなどのダイナミックな教材が実用化されてくる
と、もはや教室で教師が子ども達と対面式に用いる形態を越え、新しいコミュニケーショ
ンの形を生み出すことにもなっていった。そのため、感覚的・直感的な教材・教具という
言葉の枠組みだけでは語れなくなってきた。視聴覚教育への着目は、ここで活発になって
きたということである。
現在の視点から捉えるならば、先にも述べたように、細谷の教授メディア、視聴覚教育
で取り扱うものすべてが、教材・教具の枠組みに入れられる。しかしながら、その成立の
過程を振り返るならば、言語中心の教育活動から、感覚的・直感的な教材・教具を用いた
教育活動へ、さらにスタティック(静的)というよりはダイナミック(動的)な感覚的・
直感的な教材・教具を用いる教育活動へと、教材・教具という言葉で取り扱う範囲を広げ
てきた経過がある。視聴覚教材・機器という言葉が広がってきたのも、これらの言葉に呼
応する。
ではそれがなぜ教育メディアという言葉に変わってきたのか?それは、ここ最近の技術
の発展により、学習者に視覚・聴覚に訴えるダイナミックな言語的・非言語的情報提供に
加えて、学習者と教材、学習者間の相互行為を可能とする、さらに新しい学習コミュニケ
ーションの形態を可能にする機能を含み込んだ視聴覚教材・機器、
すなわちコンピュータ、
マルチメディア、インターネットなどが現れてきたためである。そのため、それを包み込
む別の言葉が求められたと考えられる。
このことは学会などの動きからも見て取れる。例えば、視聴覚教材を取り扱う日本放送
教育学会(1954 年 8 月設立)と日本視聴覚教育学会(1964 年 7 月設立)は、1994 年 4
月に合併して、日本視聴覚・放送教育学会となり、それが 1998 年 10 月に日本メディア教
育学会と名称を変更して新たに発足した。日本教育メディア学会は、学会のホームページ
において、
「対象とする分野の変貌が、名称の変更を促した」とする学会発足の経緯につい
て述べた後に、イスラエルの研究者 G.サロモン(Salmon)の言葉を引きながら、教育メ
ディア研究について次のように語っている。
「教育メディア研究は教育過程の一部であるメ
ディアに中心を置いている。メディアは、再現可能な手段であり、教育を形作り、保存し、
学習者に配布する形式(form)であり、道具である(vehicle)
」
。続いて研究対象となる教
育メディアの分野については、
「無声映画から始まって、ラジオ、テレビ、語学ラボ、ティ
ーチング・マシン、CAI、マルチメディア、インターネットなどを取り入れることによっ
て、より広く、より複雑な分野となってきている」と述べている。
このように、視聴覚教材という言葉では収まりきれない最新のテクノロジーを駆使した
ものまで含めて捉える言葉として教育メディアは位置づいている。しかも、最近では、デ
ューイ(Dewey)以来の流れを持つ発想ではあるが、本章のタイトルにもある「環境」と
関わって、教育メディアが取りざたされている。つまり教育メディアを直接授業で教師が
取り上げ利用していくものだけでなく、生徒たちに豊かな学びの機会を裏側で支えていく
2
学校の校舎の構造、黒板、机の配置といったものにまで最新の技術の成果や癒しの機能を
加えて、教育メディアを学習環境に組み込んでいく、またその関係をより広く捉えていく
ことが行われてきている(インテリジェント・スクールなど)。
そこで本章では、以上のような変遷を、
「教材・教具としての教育メディアから学習環境
としての教育メディアへ」と、より詳細にその歴史的経過を探りながら、なぜ各時代に教
育メディアのある機能が求められたのか、なぜそれを生み出したり、利用されたりしてき
たのか、その理由を考えていく。教育方法を考えていく際に、教育メディアと各時代にお
ける人々の利用意図の関連をおさえ、今後の取り組みを過去・現在の課題から捉えていく
ことは重要であるからである。次に、学習環境としての教育メディアについて、より具体
的に考えていくために、ここ最近話題となっている、活動的な学習のための豊かな学習環
境(Rich Environments for Active Learning;REAL)とはどのようなものをいうのか、構
築のためのポイントは何かについて学ぶ。最後に、教育メディアと環境のさらなる可能性
を拓くために、何が課題であり、どのような思考や取り組みが求められてくるのかを考え
る。
第2節
教材・教具としての教育メディアから学習環境としての教育メディアへ
2-1.教育メディア前史
教会の権威に基づいて、言語を使って知識の注入を専らとする中世的な方法に対し、近
世における教育方法の転換を促したのは「感覚」への着目であった。優れた絵入り教科書
として有名な「世界図絵」の著者であるコメニウス(Comenius; Komensky)は、次のよ
うな主張と立場に立っていた。すなわち、知識は感覚を通じて獲得される。そのため学習
は事物の観察に始まり、続いてそれを思考し、最後にそれを言語に表現するという順序を
とるべきであるという考え方である。コメニウスは、抽象的な概念の前に具体的な事物を
もって教育するという新しい教授法の原理を提出した。ここに感覚的な教材・教具の必要
性とその効果への着眼が始まった。教材・教具としての教育メディアのルーツがここにあ
るといってもいい。
しかしコメニウスは、知識が感覚を通して得られるという視点を提示したが、教授過程
そのものの新しい組み方まで言及してはいなかった。すなわち、その知識がその後、どの
ように思考へ発展するのか、また実践の中で思考がどう位置づいていくのか、あるいは実
践とどうつながっていくのか、について言及していなかった。このような認識過程の問題
を、教えることの過程に位置付けてとらえなおしていこうとしたのは、ペスタロッチ
(Pestalozzi)であった。
ペスタロッチは、次のような授業の一般的過程を定式化した。教えるということは、事
物の直感から始まる。子どもたちにその印象が明瞭になる時に、その事物の名称が教えら
れる。続いてその形や性質が話し合われ、比較される。最後に事物の基本的な性質を描き
出してこれに対する定義を下していくといった流れである。さらにまた、彼は、そこでの
児童の活動なくしては豊かな感覚的印象は与えられないことも示した(吉本 1986 参照)。
このようなペスタロッチの試みによって、教育メディアのルーツは教える過程に位置づけ
られ、そこでどのような順番で活用されるか、誰によって活用されるか、などの検討が加
えられた。
3
ここに授業の過程でそのつど選ばれる教材・教具としての教育メディアの萌芽が見られ
る。
このようなペスタロッチの定式は、その後に生じてくる様々な教材・教具に影響を及ぼ
した。しかしながら、教えるものが、その教育目的と関わって、活用する教材・教具とい
った側面に対して、学び手の側から、教材・教具の機能(学習材・学習具といった視点)
により着眼していったのは、フレーベル(Froebel)であった。フレーベルは、子どもの自
己活動によりいっそう着目し、自分自身の興味から発する自己活動によってはじめてその
精神の進化が生み出されることを主張した。このような発想から作られた教材・教具は、
恩物(幼児教育の手段として一種の玩具としてみなされる)として知られている。これは、
幼児の自己活動を誘発するまさに教材・教具としての教育メディアであった。
19 世紀に見出されたペスタロッチやフレーベルの教育方法は、「児童の世紀」という言
葉に代表される 20 世紀初頭の「生徒の自発的な活動」に着目する考え方と呼応して、い
っそう着目されてくることになった。とりわけ、このような教育思想にもとづく教育方法
の転換に寄与したのは、デューイであった。
デューイは、シカゴ大学の実験学校で、生徒が日常生活で親しんでいる調理、裁縫、工
作などの活動を中心にカリキュラムを作り、実行のために必要な施設設備を整えた。これ
は、生徒が学習活動に用いる教材・教具をそろえるだけでなく、学習環境として施設設備
までも考慮に入れていく試みであった。ここに、教材・教具としての教育メディアと学習
環境との接点の1つのルーツが見られる。
年代
世界の動き
本論で取り上げた教育者
言葉で
中世で中心的な教育方法
教える
コメニウスの着眼
感覚
絵、具体物
1800
言葉
ナポレオンの
ペスタロッチの着
欧州支配
眼(どのような手
生活
続きが効果的か?
学習者
直感教授)
1850
フレーベル
明治維新
の着眼(自己
活動を促す
デューイの着眼(生活に役立つ学
教材・教具)
1900
習の教材・教具を学校の施設まで
広げて考える)
デールの着眼(教材・教具そして新技
術が提供できる経験の具体性と抽象の
度合いを秩序付ける:経験の円錐)
図1
視聴覚教育のルーツ
4
2-2.視聴覚教育の発展と教育メディア
まさに近代から 20 世紀初頭にかけての試みの中に、現在に通じる感覚的・直感的教材・
教具としての教育メディアのルーツがそこにあるといっていい。それらは、これまで述べ
てきたように、時代の動きの中で、教育活動の問題点を克服していこうとする取り組みに
応じて、教育方法を発展させ、その結果、様々な教材・教具を生み出してきたといえる。
20 世紀に入ると、とりわけ 1920 年代頃から、様々な新しい技術による産物が教育の世
界へもたらされるようになってきた。フィルム、レコード、ラジオといったダイナミック
で、情報を多くの生徒に運ぶことができる新しい技術が開発されてきたことなどがそれで
ある。これが視聴覚教育といった研究分野を成立させ、教材・教具としての教育メディア
研究が次のステップを迎えるきっかけとなった。
クーバン(Cuban 1986) は、彼の著書の中で、1920 年代から新しい技術がアメリカ
の教室に導入され、利用されてきた経過を振り返り、当時の様子について語っている。要
約して述べると次のようである。「1913 年オレゴン州ポートランドにある 50 の小学校へ
の訪問記録によれば、およそ受動的・ルーチン的・事務的で統一的な教育方法がとられて
いた。それは、当時の様々な記録資料から共通に言えることだ。高等学校でも同様であり、
1907 年から 1911 年にかけて調べられた結果によれば、教師は 1 分間に 2 ないし3の質問
を生徒に浴びせ、記憶の再生を促そうとしていた。45 分の授業で 100 の質問が教師から
なされることもざらであった。授業時間の 64%を教師が話しているという結果であった。
このような教室の状況に挑戦していったのが、デューイの考え方に賛同し、生徒の興味か
ら授業を組み立てようとする進歩主義者による教育方法改善の動きであった。彼らは、教
師の役割は、コーチやアドバイザーに徹すべきであり、ドリル遂行のための隊長であって
はならないという前提に立っていた。また一方で、当時の教育状況に対して、テーラ
(Taylor)は、教育にも「効率」という概念を導入し、教育方法として効果が上がるもの
を求めるという提言をしていた。このような状況の中で、教育改革を進めようとする動き
が活発化し、フィルム、ラジオほか、当時の最新の技術が学校に生かされていくことにつ
ながった。その背景には、反復活動の退屈さからの子どもの解放、個人を尊重した授業、
教室で教師が利用できるものを越えた内容の提示といった教育要求があった」という。
このように、20 世紀を児童の世紀と呼ぶような教育思想の展開はなされたが、アメリカ
の実際の教室では、やはり詰め込み式の言語を中心とした伝統的な教育方法が主流であっ
たこと、その改革のために、新しい技術の活用が導入されてきたことが読み取れる。
では、視聴覚教育の普及は、何がきっかけで、どのように展開して行ったのか?もう一
度、クーバンを参考に、その経過を見てみると次のようなことが見えてくる。
「サイレント・フィルムは、1890 年から 1900 年初めにかけて、すでにアメリカの文化
の中に入り込んでいた。1910 年代には、1000 以上のフィルムを含む、336 ページにわた
る教育モーションピクチャーに関するカタログが出版されていた。しかし、その貸し出し
を行う資料館等のオーナーは、エジソン(Edison)であり、フィルムの貸し出しに色々な
制限があった。また投影するプロジェクターも安定感に欠け、活用はそれほど広がらなか
った。その後、フィルムなどが以前より容易に活用できる仕組みが作られるようになった
り、ラジオ放送プログラムなどを使って、優れた講師の話を全米で共有しようとする動き
が出てきた。このような状況の中で、教室へ視聴覚技術の導入とその利用を活性化させて
5
いくきっかけを作った代表的な人物の 1 人にデール(Dale)という人がいた。彼は、ペス
タロッチやフレーベルの影響を受けたデューイの考え方を支持し、プラグマティックな学
習論という立場からアメリカでの視聴覚教育に貢献した。1940 年代以降、デールの影響力
はさらに増し、この頃よりアメリカの学校での視聴覚教育の発展が始まった」(Cuban
1986、 Vaney & Butler 1996)
。
それでは日本では、どのような動きがあったのか?西本 (1979) によれば「日本では、
明治時代に黒板、掛図、地図、実験用道具等による教育の近代化、ついで大正時代に、社
会教育、学校教育、幼児教育に、幻灯、映画、紙芝居による視聴覚教育の実践があった。
….しかし、敗戦にともなう混乱の中で、その多くは、連合国軍進駐に先立って戦犯に問わ
れることを恐れて、軍の命令によって焼きすててしまった。たまたま焼却をまぬがれたも
のも占領軍に没収されて、戦前、戦中の視聴覚資料も、経験の記録も、ほとんどその跡を
とどめなくなった。…ところが戦前、戦中、映画教育に情熱を傾けてきた関野嘉雄氏など
の提唱によって、昭和 21 年 10 月 1 日日本映画教育協会が再発足した。この協会は 16 ミ
リ映写機の整備と、新しい教育映画制作用の生フィルムの配給運動に協力し、月刊雑誌”
映画教育”を刊行した(昭和 22 年 1 月)。この月刊誌は、後に”映画教育”(昭和 25 年)と改
題、さらに”視聴覚教育”(昭和 27 年)と改題した」とある。
日本は、教育メディア、視聴覚教材・機器のルーツである、近代化の中での教材・教具
の活用を経て、幻灯、紙芝居と並んで、かなり早い時期から映画を教育活動で用いていた
ことが伺える。すなわち、すでに視聴覚教材および機器の利用の芽はあったといえる。そ
れが、
本格的に位置づいてくるのは、上記の関野嘉雄氏らの草の根的な教育活動、また 1950
年の GHQ の「アメリカの文化映画の宣伝」政策といった政治的な動きや 1953 年からの
テレビ放送といった技術的な動きに後押しされながらも、教育に関わるアカデミックな研
究の動き(国際基督教大学の AV セミナーの開催、日本放送教育学会の創立など)に起因
している。とりわけ、アメリカで視聴覚教育に影響力のあった先のデールが、1956 年に来
日し、全国 8 地区 10 回の講演会を開き、彼の著書なども翻訳されてくる中で、日本の視
聴覚教育は、アメリカの視聴覚教育を学び、その水準を高めていった。
ここに教育メディアの前身である視聴覚教材・機器が、日本の教育活動に位置づいてく
る発端が見られる。教育行為を効果的にするために、映像などを用いたメッセージと言語
メッセージの特質を明らかにし、それを生かしていくための視聴覚教材や機器の制作、選
択、および利用を理論・実践的に問う科学的な視聴覚教育研究が現れてきたのである。
2-3.教育工学の発展と教育メディア
日本で、視聴覚教育の研究が本格化してくる頃、アメリカでは、
「視聴覚機器を使って教
育する」という発想から、
「視聴覚機器を使って子どもが学ぶのを支援する」発想に基づく
研究が活発化していた。あわせて 1954 年、オペラント条件付けで著名なアメリカのスキ
ナー(Skinner)からティーチング・マシン(Teaching Machine)の技術と概念が提案さ
れ、教材や機器を使って学習者が学ぶ、それを制御という形で支援していく発想が出され
た。それに呼応して、ティーチング・テキスト(Teaching Texts)やプログラム・ブック
(Programmed Books)も現れた。プログラム・ブックは、 (1)論理に即した内容の提示、
(2)学習者の反応の要求、(3)学習者の応答に対する即時情報提供(正答かどうか)、(4)学習
6
者のペースで進められる、といったティーチング・マシンと同じ特性をもっていた。そし
て、これは、ティーチング・マシンに比べて容易に作れ、持ち運び便利であり、低コスト
であったために 1960 年代早々に瞬く間に広がっていった。このような研究の広がりは、
それまでの暗記を中心とする教授法に対して、科学的で新しいアイディアを提供するもの
として、当時の人々に受け入れられていった。このようなティーチング・マシンおよびプ
ログラム・ブック等を活用した、教授法に関わる言葉として、プログラム教授法
(Programmed Instruction)が用いられた。
プログラミング(Programming)という言葉は、教育の目的である最終的な行動の変容
を導くために注意深く検討された一連の随伴性を構成したものを意味していた。このよう
なプログラム教授法のアイディアや研究成果に基づいて開発された様々な教材・教具の活
用などを中心に進められる学習活動がプログラム学習と呼ばれた。
なおプログラミングには、直線的な構造をもつものと、枝分かれ構造をもつもの 2 つが
あるといわれた。直線的なプログラミング構造をもつ学習は、学習者がそのペース(時間
配分)以外には、差異が出ないように、学習活動を細かく分け、1 つひとつの段階を確実
に達成できるように(1 つの課題に対して1つの正答を引き出せるように)工夫されてい
た。一方、枝分かれ的なプログラミング構造をもつ学習は、1つの課題に対して多肢選択
が用意され、学習者の選択行動に対して、次の指示や課題が異なってくるように工夫され
ていた。
このように学習活動を科学的な手法で捉え直し、学習効果をあげようとしたプログラム
学習の試みは、1960 年代にはじまるコンピュータの教育への試験的利用、そして教育工学
という学問分野の誕生によって本格的な研究へ歩みだすことになった(大内ほか 1979,
Burton, Moore and Magliaro 1996 参照)
。
ここに視聴覚教材・機器、また視聴覚教育ということばでは捉えきれない新しいコミュ
ニケーションの形態が現れてきた。教育メディアという言葉が求められてくるきっかけが
ここにある。
2-4.学習環境としての教育メディア
―「メディアからの学習」から「メディアを使った学習」へ―
1960 年代には、技術的な発展だけでなく、教育活動や学習活動をとらえる考え方の前提
に様々な動きが生じてきた。教育工学研究が積み重ねられてくる中で、CAI (Computer
assisted Instruction)、最適化方略の研究、学習者の応答に推論エンジンを使って最適な
対応をしていこうとする知的(Intelligent)CAI など目覚しい勢いで教育メディアが生ま
れ、1970 年代になるとシステムとして教育過程をとらえていく研究も活発化してきた(西
之園 1981、菅井 1990、赤堀 2002、参照)
。
視聴覚教育研究と教育工学研究は、研究で得られる成果を相互に補い合いながら発展し
てきた。そこでの大きな動きの変化としては、
「学習者が教育メディアから情報を得て学習
を進める」発想から「学習者が教育メディアを使って学習を発展させていく」発想への移
行が生じてきたことである。これは、教育活動や学習活動をとらえる考え方の前提が変わ
ってきたこと(表2の前提1から前提2への移行)に影響を受けている。
前提1
前提2
7
1.
人は、抽象的で文脈に依存しない概 1.
人は、内容と文脈を伴った学習の両
念を学ぶことによって、容易に学習を次
方を必要としており、困難を伴いながら
のステップに進める。
次のステップに進んでいく。
2.
学習者は、知識の受け手である。
3.
学習は行動的であり、刺激と反応を
2.
ある。
強化することと関わっている。
4.
3.
学習者は、知識を満たすために用意
学習は認知的であり、成長と発展の
連続的な状況にある。
されたまだ未記入の予定表である。
5.
学習者は、知識の能動的な構成者で
4.
スキルや知識は、文脈に依存しない
学習者は、自分の要求と経験を学習
の状況の中に関連付けていく。
場合、最もよく獲得される。
5.
スキルと知識は、現実の文脈の中で
最もよく獲得される。
表2
前提の変化(Grabinger 1996 参照)
上記のように教育活動そのもの、学習それ自体の捉え方の前提が揺れたことにより、教
育メディアに求めるものも変わってきた。この初期の動きとして典型的なものとしてあげ
られるのは、マイクロワールドという考え方である。
マイクロワールドは、ある領域の専門家によって認知されている部分を単純化した事例
として提示するものである。学習者が熟達してくるにつれて、マイクロワールドもより複
雑で洗練されたものになっていく。とくに重要なのは、学習者が、自分のニーズに応じて、
マイクロワールドを構造化したり、方向付けを行ったりする仕方を決定できる点である。
コンピュータベースのマイクロワールドは、直感的に現象を探求したり経験したり、また
仮説を定義する機会を提供した。またマイクロワールドは、比較的狭く限られた内的連関
を持つ一連の構造の中で、学習者の概念的・意味的理解を大切にした。マイクロワールド
は、物理や数学の中で、とりわけ発展したが、とりわけよくデザインされた物理のマイク
ロワールドは、ゲームのようにデザインされ、物理の問題に対する生徒の概念を質的に変
えていくために用いられた。
ここに見られる特徴としては、先にあげた CAI 等でよく見られたように、非常によく練
られた収束的なプログラムを持つコースウエアや多くの情報をもった情報提供型の教育メ
ディア(教育メディアから生徒は学ぶ)から、それを使いながら自分の関心に即してより
柔軟に課題探求をしていくことを支援する(教育メディアを使って生徒は学ぶ)へといっ
た変化が教育メディアの設計に現れてきたことである。
このような教育メディア利用の動きは、ハイパーメディアというものの到来によってい
っそう拍車がかかっていく。
ハイパーメディアの概念は、そもそもテキストを組織し表現する上で非構造的といった
性格を持った初期のハイパーテキストの概念の中に見出される。それは、ある一人の著者
よりも読み手がテキストを組織する方がより意味があるとする前提に立ち、読み手が自分
にとって意味ある方法でテキストから情報を読み取ることができるようにデザインされて
いた。ハイパーメディアは、グラフィックス、オーディオ、ビデオなどをテキストに加え
て統合したこのハイパーテキストの拡張を表した言葉である。ハイパーメディアの特性は、
テキストや他のメディアに対し節目(node)を持ち、そこに自由につながる(link)こと
ができる点である。このような発想に基づいた教育メディアが設計され、
マルチメディア、
8
インターネットなど技術的な発展も後押しする中で、学習者がそれを使って学ぶ、学習環
境として教育メディアが位置づいてくることになっていった(Jonassen & Reeves 1996 参
照)。
第3節 学習環境としての教育メディアの現在の動向
これまで、教材・教具として出発した教育メディアが、学習環境としての教育メディア
の性格を持つことへと変わってきた経過を見てきた。ここでは、学習環境としての教育メ
ディアが、現在どのような方向へ向かっているのか。またそのような動きつつある学習環
境構築のための成立要件やさまざまな取り組みの様子について考察を深めていく。
3-1. 活動的な学習のための豊かな学習環境とは
グラビンガー(Grabinger 1996)によれば、学習環境をめぐる現在の取り組みとして、
活動的な学習のための豊かな学習環境(Rich Environments for Active Learning;REAL)
という考え方があるという。それは、包括的な授業のシステムであり、キーコンセプトと
して、統合性と包括性といった2つを中心に構想されている。統合性とは、新しい知識を
既知と結びつけ、現有の知識を修正したり、豊かにしていく過程であり、情報に対して多
くの接触を持てるように、学習を深めていくことに貢献する。一方、包括性とは、文脈に
依存しないバラバラな知識というよりも、幅広く現実の文脈を伴った学習を繋いでいくこ
とに貢献する。それは、個人の学習をガイドしたり、媒介したり、意思決定を支援してい
くことにつながる。そのため用意されるテーマは、概念や知識を環境の中で焦点化された
活動に結び付け、問題解決やプロジェクトに取り組む文脈を伴った学習を組織するものが
選ばれる。
では、活動的な学習のための豊かな学習環境(REAL)は、従来から言われてきた学習環境
とどこが違うのか?グラビンガー(1996)は 2 つを上げている。1つ目は、活動的な学習
のための豊かな学習環境は、ビデオ、CD-ROM やオーディオテープといった情報を伝え
る(配達する)技術それ自体を意味していない点である。メディア・テクノロジーは確か
に REAL のための統合的な構成要素となりうる。しかしながら、REAL は何か特別なメデ
ィアに限定されるものではなく、むしろ学習を誘発する方法やアイディアの集合体である。
言い換えるなら、REAL は、メディアが教師と生徒の用いる道具となり、単に情報を伝え
てくれるメディアになるのではなく、その環境の中で生じる学習が、思考や理由付けを引
き出す活動や過程で見出されるという前提にたってデザインされる一連の教育方法である。
2つ目は、REAL は、コンピュータベースのマイクロワールドではないという点である。
コンピュータベースのマイクロワールドは、学習者があらかじめ想定された学習目的を効
果的に達成するために、その学習フィールドをシミュレーションして作り出すコンピュー
タプログラムである。マイクロワールドの開発者は、より小さく単純化されたスケールで
現実の環境をシミュレーションしようと試みるので、学習環境としてそのプログラムはし
ばしば理解される。しかしながら、これは学習環境の概念を制限してしまうことがある。
学習環境、とくに REAL は、個々のコンピュータ・アプリケーションよりもより包括的で
全体的である。REAL を構築していくために、教師は、生徒の責任、活動的な知識構成、
生成的な学習活動を、より大きなスケールで、また多様な方法や様式で支援する戦略を計
9
画し、そして実行する時、生徒や保護者の参加までも想定する必要がある。マイクロワー
ルドは、情報伝達、実践、情報の発見と提示、ハイレベルの思考過程のシミュレーション、
共同活動の促進、あるいは探求といった活動に対して、REAL において 1 つの役割を果た
すかもしれない。しかし、REAL は、より能動的な活動と関わり、1 つのコンピュータプ
ログラムに含まれていることよりも、さらに柔軟性を要求する。REAL は、教えられる内
容、取り扱われる教育学的な方法、一連の学習活動、学習の社会学という発想をも含みこ
んだ環境なのである。
それでは、このような環境(REAL)を作り出すには、何が求められるのか、その必要
要件は何か?グラビンガーが指摘する事柄に即し、ポイントを明らかにしていく。
REAL
自己省察・メタ
メディア・学習
認知
環境のデザイン
①生徒が責
④生成的な
任とイニシ
学習
アチブを持
文脈
つ学習
相互依存・共同
③協調的な学習
②学習者にとっ
て真実味を感じ
られる学習
転移
図2 REAL の4つの要件と設計のポイント
3-2.生徒が責任とイニシアチブを取れる場を用意する
1 つ目は、生徒が責任とイニシアチブを取れる場を用意するということである。これは、
目的をもった意図的学習者を育てることにつながる。
スカーダマリア(Scardamalia ら 1989)は、受動的また未成熟な学習者が有能な問題
解決者になりにくい4つの特性を見出した。①未成熟な学習者は、自分達の生活に対する
活動の関連性を見ることにつまずき、目標というよりも、話題になっていることに関わっ
て知的活動で対処しようとする。②彼らは表面的な特徴に目を向け、話題を深く調べよう
としない。③彼らは、目の前の課題にのみ取り組む。すなわち、1 つの課題が終わるまで
その作業を続ける傾向がある。作業の質をどう高めるかに時間を割かず、またいまの作業
や思考方法を修正しようとしない。④彼らは、学習そのものに関わって、既有の知識構造
を変容・豊かにするものと考えず、むしろ、追加的方法を学ぶことと考える。
このような未成熟な学習者を、有能な問題解決者に育てていくためには、知識を生み出
していく同時に、学び方を学ぶ機会、すなわち「場」を作っていかなくてはならない。自
分の問題として問えること、自分の意図や動機を振り返りながら、いま行っている自分の
学習活動を自己省察できること、そしてさらに高度なこととなるが、学習者として自分の
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活動全般・経過、すなわち各ステップをモニターでき、コントロールできること、こうい
った意識と能力に着目して指導していくことが、目的を持った意図的な学習者に育ててい
くことにつながる。逆に言えば、生徒中心の学習環境を構築することによって、生徒は、
こうした活動をすることによって自己省察力やメタ認知力を獲得し洗練していく状況へ必
然的に出会うことになる。
生徒が責任とイニシアチブを取れる場を用意することは、目的をもった意図的に学んで
いく学習者を育てること、また一方でそれへと向かうための自己省察できる能力、そして
メタ認知できる能力を育てることにつながる有効な方法となるのである。
3-3.生徒にとって真実味のある学習の文脈を用意する
2 つ目は、生徒にとって真実味のある学習の文脈を用意するということである。前にも
述べたように、
「生徒にとって真実味が感じられるということ」は、
次の 3 つの理由で REAL
にとって重要である。1 つ目は、それが、生徒に、状況や自分の学習のオーナーシップ取
ることを勇気付けるからである。2 つ目は、それが、新しい状況への移行の可能性を最大
限に導く深く豊かな(索引化された、条件に応じられる)知識構造を発展させるからであ
る。最後に、3 つ目は、それが、共同活動や交渉を勇気付けるからである。
例えば、生徒に現実世界の出来事を提示し、学習の意味を感じさせる方法としてアンカ
ー(投錨)教授法がある。これは、相互に結びついた下位問題を解くことを生徒に求める
複合的な文脈を取り扱う。生徒達は、多様な展望、解決、過程を共有する。この学習モデ
ルは、興味を引き出したり、問題を明確にしたり、それを解いたり、問題に対する自分の
受けとめ方や理解に注意を払うことを生徒にさせるきっかけ、ないし学習活動を焦点させ
る状況を作り出す。このような複合的な文脈は、マクロな文脈と呼ばれている。この方法
がまず第1に目指していることは、不活発な知識の問題を克服することにある。効果的な
アンカーは、興味を生じさせ、オーナーシップをもたせ、関連する問題の特徴へ目を向け
させる機能を発揮する。
例えば、米ヴァンダービルト大学の認知と技術に関する研究グループ(CTGV
1991)
のプロジェクトの1つに、問題提起、問題解決、理由付け、効果的なコミュニケーション
の促進を目指した Jasper Woodbury シリーズがある。これは Jasper の冒険シリーズにな
っており、各シリーズ、まず 15-20 分のお話が流れる。お話の中で、登場人物が、教室で
生徒がこれから解決しなくてはならない問題と出会い、その登場人物が、どのように問題
を解いていくか、事前に見せる。Jasper の冒険シリーズは、生徒が、自分たちで問題を部
分に分け、大きな目標を達成するまでの下位目標表を立てること、関連する情報を見つけ
て確証すること、仮説を出したり検証したりすること、友達と共同で取り組むことなどを
学べるように編成されている。
このように自分で問題提起、問題解決、理由付け、効果的なコミュニケーションをして
いく生徒を育てていくためには、生徒にとって真実味のある学習の文脈を用意することが
重要となるのである。
3-4.協調的な学習活動が埋め込まれた学習を組織する
3 つ目は、協調的な学習活動が生み出されるように学習環境を設計するということであ
る。REAL は、知識の転移的性質(既に知っていることに基づいて、まだ知らないことを
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知る手がかりを得る)に着眼し、その設計コンセプトに生かそうとしている。このような
知識の転移的性質は、複数のメンバーと一緒に学びを進めること、自分の学習同様に他の
人の学習にも責任を持つ協調的な学習活動のスタイルの中で培われていく。逆にいえば、
1対1、グループ、教室と発展していく相互の教えあい(Reciprocal teaching)といった
社会的な関係の中での学びが、知識の転移を可能にすることに有効となる。しかし、協調
学習を成功させていくことは容易ではない。そこで色々な方法が提案され、工夫されてき
ている。
例えば、グラビンガー(1996) によれば、問題の理解や解決へ向けて活動し、その都度、
解決の過程から帰結する問題へ挑んでいく問題ベースの学習(Problem based learning;
PBL)とバラバラに学ばれる内容を文脈の中に位置付け、実践的力量を養っていくケース
ベースの学習(Case-based Learning; CBL)が、協調的な学習活動を有効に引き出す学習
としてあげられる。まず PBL は、次のような 3 つの基本的な原則を持つという。①問題
への取り組みは、生徒が新しい情報の構造を理解できるように、既存の知識を活性化させ
ることで始まる。②学習の転移が生じるように、絶えずその必然性を見ていく。学習の文
脈が、見通されているとき、つまり以前の学習の状況と似ているとき、学習の転移は生じ
やすいためである。③学習は、その理解を高めるために学習時間に提示される情報をより
吟味していく活動とならなくてはならない。
次に、2 つ目の CBL は、先の Japer シリーズ(アンカー教授法)に見られるデザイン
方法とる。ケースベースの学習は、PBL 同様にすでにビジネス・スクールや医療に関する
学校などで、専門的な資質を養成するために用いられている。そこでは獲得すべき核とな
る内容を、単にテストに合格する知識として教えているのでない。実際の経営場面や臨床
治療の場面を取り上げ、様々な情報を駆使して意思決定していく能力の養成を目指してい
る。つまりケースベースの教育活動は、それぞれバラバラに学ばれる内容を文脈の中に位
置付け、実践的力量を養っていくことを目指しているといえる。
PBL と CBL の違いをあえて言えば、PBL では、確かに問題は最初に提示されるが、必
要となるあらゆる情報は、生徒が基本的な学習の概念を学ぶ前ではなく、その都度、また
後で提示される(帰納的な学習)。しかし CBL の情報は、ストーリーの形ではじめにすべ
て生徒に提示される。生徒は、他のケースに応用可能となる抽象的なルール、発見支援、
実践へ向けて、ストーリーを通じてケースの分析を協力して行っていく(演繹的な学習)
。
以上のような PBL や CBL といった方法は、
その問題の提示の仕方やテーマにもよるが、
知識の転移といった点から協調的な学習活動を引き起こす。また逆に協調的な学習活動が
PBL や CBL に広がりと深みを与える。これは、REAL の設計にとって不可欠な要素なの
である。
3-5.生成的な学習活動が埋め込まれた学習を組織する
最後に 4 つ目の要件は、生成的な学習活動を引き起こす設計という視点である。生成的
な学習は、生徒が論議や振り返りに従事することを求める。選択的な視点を意味付けよう
とするのと同時に、存在している知識を用いて定義することを求める。すなわち生成的な
学習は、学習を構成する概念の拡張であるため、能動的な関わりを通じて生徒は何かを生
み出すことを求められる。しかし、このような要件はどのようにしたら実現できるのだろ
12
うか?
例えば、このような生成的な学習は、認知的徒弟性といったアイディアに立つプロジェ
クト学習が有効である。認知的徒弟性は、工芸の学びにおける伝統的な徒弟性にちなんで
モデル化されたものである1)。認知的徒弟性の目ざしているところは、通常見えにくいも
のを見えるようにする過程を作ることである。
認知的徒弟性という言葉は、徒弟の技術が、
観察可能な身体的スキルを越えて、学校での学習と関わる認知的スキルにまで到達できる
ことを強調している。
具体的に言えば、その指導のプロセスは、次のように進められる。まず教師が考えてい
ることを言葉で表し、認知的課題の遂行の仕方を生徒にモデル化させる。次に、教師は、
生徒の課題遂行を観察し、コーチし、次につながる足場(scaffolding)をあたえる。そし
て最後に、生徒に仕事の責任を次第に委譲し、課題を 1 人できるようにしていく。この間、
教師は、
コーチングやスキャフォルディングから次第に手を引いていく。
認知的徒弟性は、
生徒が真実味を感じられるある専門領域の活動の中で、
認知的な道具を獲得し、発達させ、
利用できるようにすることを目指している。
このように認知的徒弟性は、認知的過程を目に見えるようにするという点で、生成的な
学習と非常に緊密に結びついている。認知的徒弟性は、まさに生成的な学習が求める、生
徒が学びの過程を視覚化し、結果を生み出したりすることに必然的に貢献するからである。
REAL の設計にとって、認知的徒弟性に支えられた生成的な学習活動は、学習過程の視
覚化と結果の産出に貢献するという点で非常に重要な要件なのである。
以上、活動的な学習のための豊かな学習環境の構築に関わっては、これまで繰り返し述
べてきたように幾つかのおさえるべきポイントがある。4 つの要件と共におさえるべき要
件を横断する4つのポイントである。1 つ目は、学習における「文脈」の重要性である。
文脈に依存しない学習は、不活発な知識をもたらす。たとえ新しい文脈が、生徒がこれま
で学んできた文脈と異なるにしても、生徒が知っていることを応用しようとする、やる気
を引き出せる。その答えは、まちがっているかもしれないが、彼らが学んできたことは、
新しいことに挑戦したり、正しいのか誤っているのかを分析する上で不可欠である。この
ように文脈は、彼らが、現実的問題、抽象的でない、無意味でない問題と関わっていくた
めの知識構造の索引を作り出していくことに貢献する。2 つ目は、
「転移」の重要性である。
学習環境は、新しい状況への転移を進めるために用いられ、生徒が知っていることを用い
ることが出来ない不平・不満を解決するために用いられる。3つ目は、学習環境は、
「相互
依存的で共同的」であるということである。活動的な学習のための豊かな学習環境は、
「内
容」とともに仲間と「学ぶことそれ自体」を学ぶといった両方を学ぶことを促進するため
に設計されているからである。最後に4つ目は、自己省察とメタ認知の重要性である。こ
れは生涯学習者の養成と繋がってくる。生涯学習を行っていく者は、選択に挑み、多様な
解決法を探す。つまり問題を解決するために1つの方法というよりは、多様性を求める。
このような活動に、省察とメタ認知できる力(メタ認知のための知識の獲得とそれを実行
できる能力)を持てることが重要となる。
つまり REAL(活動的な学習のための豊かな学習環境)は、あらかじめ決められたある
1 つの目標を達成するための教育メディアという発想を越えて、過程の中で生み出される
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学習活動が効果的・発展的に行われるように、必要に応じて多様な教育メディアを組み合
わせて駆使していく発想に立つ、そのための統合された環境なのである。
第4節 まとめにかえて:更なる可能性を求めて
これまで、
「教材・教具としての教育メディア」から「学習環境として教育メディア」
へ、その利用の範囲や機能を拡大してきた動向を見てきた。ここでは最後に、教育メディ
アと環境が今後さらにその可能性を広げていくために求められてくる視点に触れて本章
のまとめに変えたい。
最近、メディア・リテラシーという言葉をよく耳にすると思われる。これは、端的に言
えば、様々な情報が錯綜している情報化時代において、その情報を批判的に読み取り、社
会参加していく能力を育成しようとするものである。現在、教育メディアや学習環境は、
情報へアクセスでき、そこで必要な知識を獲得し、提供される多様な情報を客観的に分析
でき、評価ができ、さらにそれらを基に、他者とコミュニケーションできる力の育成等に
おもに活用されている。しかしメディア・リテラシーは、放送・視聴覚教育研究の遺産で
ある映像視聴能力の育成をさらに発展させて、製作過程とも関わって(いったい誰がどの
ような意図でどのように情報を生み出しているか)
、また社会的文脈に即して情報を読み取
っていく、味わっていく力、さらに共同で文化創造していこうとする力を育成しようとし
ている2)。教育メディアと環境の機能を教育活動の中でさらに引き出していくためには、
このようなメディア・リテラシーの研究にも学びながら、実践を進めて行くことが求めら
れてくるのではないだろうか(小柳ほか 2003)?
註
1) 伝統的徒弟性と認知的徒弟性の違いは、次の3つにあるという。①伝統的な徒弟性では、
課題は容易に観察可能である。しかし認知的徒弟性では、思考が教師によって、意図的に
見えるようにさせられ、またそれができるように生徒を教師は支援しなければならない。
②伝統的な徒弟性では、課題は外界からやってくる。そして学習は、仕事の現場で状況の
中で行われる。しかし認知的徒弟性が挑戦する中身は、学校カリキュラムの抽象的な目標
を状況の中で学ぶことである。③伝統的な徒弟性では、学ばれたスキルは課題に固有であ
る。しかし学校では、異なる課題を横断することを想定されたスキルを生徒は学ぶ。つま
り認知的徒弟性では、ある範囲の課題が振り返りを促すために提示されたり、課題を横断
した共通なものの獲得がなされるように促す。その目標は、生徒に学習を一般化したり転
移できるように支援することにある(Collins ら 1991)
。
2) 水越 (1999) によれば、
「メディア・リテラシーとは、人間がメディアに媒介された情
報を構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、自らの思想や意見、感じ
ていることなどをメディアによって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出
していくという、複合的な能力のことである」
「以下の3つの能力が相互に補完的で複合的
な関係にあるのがメディア・リテラシーである。
『メディア使用能力、メディア受容能力、
メディア表現能力』」
。
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