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奴隷保険と生命保険 - 生命保険文化センター

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奴隷保険と生命保険 - 生命保険文化センター
奴隷保険と生命保険
−世界最古の真正生命保険証券−
木 村 栄 一
(一橋大学教授)
は し が き
筆者は先に「奴隷に関する1401年ピーサの海上保険証券」と題する拙
稿を発表した(保険学雑誌第423号157∼168頁)が,そこで筆者は同奴
隷保険証券の中に「生命保険のめばえ」が認められることを指摘した。
これに対し,近藤文二教授は最近発表された「生命保険の原型−商人保
険としての生命保険」r保険学の論理と現実−末高信博士古稀祝賀論文
集17頁以下)と題する論文の「生命保険のめばえ」という一章で,拙稿
を取り上げ,生命保険の源としての紋隷保険を論じておられる。幸い教
授は筆者の見解をかなり肯定的に批判されているが,前掲拙稿はもとも
とそのような見地からのみ書かれたものではないから,筆者の真意が必
ずしも十分には教授に伝わっていないように思われる。そこで本稿は
「奴隷保険と生命保険」という見地に立って前稿を補足し,更に新らし
い資料に立脚して生命保険の起源についての私見を述べたものである。
生命保険の起源としての奴隷保険については,近藤教授の外にも戦前
に小島昌太郎教授,戦後は大林良一一教授が言及されている。ところが,
3教授の所説は,いずれもその資料をBensaによられたことになってい
るにもかかわらず,かなり食い違っている。そこで筆者はまず第1に
Bensaの見解を原典によって考察した。
そのBensaは貨物海上保険としての奴隷保険の生命保険怪を否定して
−1−
奴隷保険と生命保険 (木村)
いる。したがって,それにもかかわらず筆者は前稿でどうして1401年
の奴隷証券に「生命保険のめばえ」を認めたのかをヨリ詳細に説明する
必要がある。そこで筆者は次に1401年奴隷保険証券と当時の一般の貨物
海上保険証券とを比較して,それが純粋の海上保険証券とどう違うかを
考察した。
仮に筆者のいう通りに1401年の奴隷証券に「生命保険のめばえ」があ
ったとしても,本当の生命保険契約が生れたのはいっか,という点が問
題として残る。そこで筆者は最後に,当時の記録の中から世界最古の真
正生命保険証券の探索につとめた。
幸にして筆者は本稿で所期の目的を十分達することができたと信じて
いるが,ここで筆者がわが国にはじめて紹介するような中世の保険関係
資料の入手については,生命保険文化研究所の特別助成に負うことが大
きかった。この機会を利用して心から感謝の意を表したい。
ー 2 −
I 奴隷保険に関する拙稿に対する近藤教授の批判
I 奴隷保険に関する拙稿に対する近藤教授の批判
近藤文二教授は,前掲論文で,奴隷保険について次の如く書かれてい
る。
「海上保険と関係があるとみられる奴隷保険は,たとえば,ジャック
A.FinglandJackの『生命保険の歴史についての序説』……が紹介し
ているように,ベンサBensaの『保険契約の歴史』その仏訳 Histoire
du Contrat d’Assurance1897のなかにでているところのジェーノヴ
ァの1430年11月15日付と1467年1月23日付の奴隷妊娠保険である。そし
てジャックは同じベンサの発見したゼノアの公文書のなかには一般人に
ついての妊娠保険もあり,それは1427年の契約で奴隷保険より古い。そ
こでは『夫がその妻の妊娠の場合の危険に対して生命を保険している』
のであるが,さらにその翌年になると『なんら危険を限定しないである
人が1年間にわたって他の人の生命を引受けている保険』の例さえみら
れると述べている」
「……ジャックはマクリーン(筆者註−同論文21頁によると,彼は
生命保険の最初の形態は身代金保険であるという。)とは異なり,生命保
険との関連では奴隷保険の方を重視するのであって,生命保険の起源を
前述の1430年や1467年の奴隷保険に求める。そし’て,前者は出産するか
どうかはっきりしないときの保険なので保険期間は4ケ月であるが,後
者は出産が間近かにせまっているので2ケ月となっている。いずれも奴
隷の妊娠による死亡の危険を扱う保険である。がそれはまさに『保険契
約の形式」をとっているとし,同時にそのころには前述のように一般人
の妊娠保険さらには一般人の死亡保険さえ見られたのだと説くのである。
r保険史の諸章j…・・・の著者へイネスFrederick H.Haines も,こ
のジャックの説を正当と断じ……」
− 3−
奴隷保険と生命保険(木村)
このように,近藤教授によれば,Jackは生命保険の起源をBensa
が示した1430年や1467年の奴隷保険に求めている。ここで疑問に思うの
は,同教授によれば,Jackはこれら奴隷保険より古い1427年や1428年
の一般人の妊娠保険や生命保険があった事実をBensaが示しているのを
知っているのである。それでは,どうしてその方が生命保険の起源とは
ならないのか。又,近藤教授によれば,Jackは1430年や1467年の奴隷
保険は「まさに『保険契約の形式』をとっている」といっているそうで
あるが,Jackの説はとも角として,これらが本当に「保険契約の形式」
をとっていたであろうか。これらの点については後で立入って検討する。
近藤教授は,次の章「生命保険のめばえ」では,奴隷保険に関する拙
稿について次の如く書かれている。問題の所在が明らかなように,関係
部分をそのまま引用する。
「そこで,われわれはいま少し詳しく奴隷保険について調べておく必
要があるのであるが,これについては最近,精力的に中世イタリーの海
上保険契約の分析を試みている木村栄一教授の労作に一言しておく必要
がある。というのはとくに『奴隷に関する1401年ピーサの海上保険証券』
と題する論文はわれわれに多くの示唆を与えるからである。これはLivio
Piattoliの研究に基き,1401年5月9日ピーサで契約された1女奴隷に
関する海上保険契約の内容を紹介したものである。が,木村教授はこの
契約の内容を訳文のみでなく凍文をも掲げて紹介するとともに『本海上
保険契約の対象は女奴隷であるが,それは貨物としての女奴隷である。
したがって本保険は貨物海上保険である。また女奴隷の死亡危険もそれ
が航海に関する事故によって生ずるものであれば,保険者はそれを負担
するか,内部的原因,すなわち疾病によって生ずる死亡危険は,保険者
その責に任じない。したがって本保険は真の生命保険ではない。
しからば,本保険はBensa がいうように,完全に貨物海上保険であ
ー4 −
I 奴隷保険に関する拙稿に対する近藤教授の批判
り,いかなる意味においても生命保険の萌芽は見られない,かというと,
必ずしもそうではない。特別の条項で考察したように,そこには死亡危
険という観念が抽出されている。勿論そこでは未だ疾病による死亡危険
は免責されている−航海に関する事故による死亡危険は負担されたと
しても。しかし,実際に死亡危険が負担されたかどうかということでは
なく,死亡危険という危険が保険の対象として考えられるようになった
ということに着目するならば,そこに生命保険のめばえがある,と解し
て差支えない。Piattoliがこれら蚊隷の保険に生命保険の精神的はじま
り(avviamento psichico)を認め,Donatiなどがやはりこれらを生命保
険の遠い源としているのも,この点からである。』と断じている。木村
教授はまたこの契約は『Bensa が公にした同時代の普通の海上保険契
約の内容と,様式においても,文言においても,余り違っていない』と
も述べている。ここで,問題になるのはこの種のものが,木村氏のいう
ように生命保険のめばえであるかどうかである。生命保険は人の生命に
関する保険であるが,そこにいうところの『人』とは自然人ではない。
あくまで1個の人格をもち,当時の社会において人間として認められた
社会人を意味する。こうしたことは,むろん,今日では改めて問題とな
ることではない。しかし,奴隷制度が行なわれていた当時は問題となる
わけである。
この種の保険が人の『死亡危険』を▼扱うものであることは確かであり,
その限りでは,確かに木村教授の指摘するように『生命保険のめばえ』
ということもできよう。しかし,その『人』は『奴隷』であったことも
また忘れてはならない。そしてその意味では,それは牛や馬の死亡危険
と同様に扱われたのであり,その意味ではベンサの説が正しい。ただ,
しかし,奴隷であるとしても,自然人であったことには変りがなく,そ
こから社会人の保険が思いつかれたとしても不思議ではなく,その意味
− 5−
奴隷保険と生命保険(木村)
では15世紀に至ってジェーノヴァで見られた奴隷の妊娠保険をもふくめ
て生命保険への一つの橋がかりとしての役割を果したものであることは
確かである。すなわち最初は奴隷の妊娠時における死亡保険であったの
が後には一般人の妊娠時の死亡保険となり,さらに進んでは,一般人の
死亡保険にまで発展したとみても必ずしも誤りではあるまい。そしてこ
の過程のなかにこそ生命保険のめばえがみられるというならば木村説は
こうけいに値する。その意味ではわたくLは身代金保険に生命保険の原
型を求めるマタリンの説よりは,ジャックやへイネスの説の方が事実に
近いと思う」
以上,近藤教授の論文から関係部分をそのまま引用したが,要するに,
1401年の奴隷海上保険に生命保険の「めばえ」を認める木村説は「奴隷」
という「牛や馬」と同様なものを「人」と見る点でBensa の見解に一
歩ゆずるが,15世紀の奴隷妊娠保険→一般人妊娠保険→一般人死亡保険
という発展過程への1つの橋がかりとしてなら「こうけいに値する」こと,
その意味でジャックやへイネスの見解,つまり,生命保険の源を1430年
及び1467年の奴隷保険に求める見解が,事実に近いと述べられている。
近藤教授が奴隷保険証券に関する筆者の研究を評価されたことを,筆
(註)
者はこの上なく光栄に思うが,それはそれとして教授の所説に疑問がな
いわけではない。
第1は,近藤教授によるJackの見解を引用した時にも触れたが,
Bensa が示すように1427年や1428年に一般人の妊娠保険や死亡保険の
記録があるのに,どうしてこれよ・り新らしい年代の,しかも同じBensa
が示した1430年や1467年の奴隷保険に生命保険の源を求めるのが正しい
のか,という点である。
第2は,筆者が紹介した1401年の女奴隷保険証券は,筆者がいうよう
に「生命保険のめばえ」ではなく,Bensa がいうように純粋の海上保
−6 −
I 奴隷保険に関する拙稿に対する近藤教授の批判
険なのか,という点である。
、第1の点についてはIII及びⅣで,第2の点についてはⅤで考察する。
(註)
前掲拙稿で取上げた奴隷に関する1401年ピーサの海上保険証券は,今ではその存
在自体保険史上最も重要な記録の1つとなっており.イギリスのRa叩eS,AHis−
tory of BritishInsurance,2rd.ed.,hrdon,1964,p.12などもこれを引用
している。またその存在意義についてもPiattoli,DonatiやCass弧d品などの外国の
学者に止まらず,このように近藤教授もその内容・形式の両面から評価されている。
しかるに,岩崎稜・保険史における奴隷(損害保険研究第26巻第1号)151頁
は,その意義が全く分らないのか,次のように書かれている。
「海上保険史に奴隷が保険対象として19世紀後半まで常に現われてくることは
周知のとおりであり,最近も木村栄一助教授が一次資料の紹介ならびに関係文献
の摘示によって説かれたところである。しかし近代奴隷制と奴隷廃止運動の社会
経済史的意義は従来の保険史研究に全く反映されていない。これはしごく当然の
ことのようにみえるが,実はこの点に海上保険約款研究の方法に関連した問題点
が反映していると考えられる。だが,海上保険の具体的研究成果皆無の筆者がそ
の点について一般論を展開する資格はないから,ここではその点に立入らないけ
れども,従来の奴隷保険研究には右の意味で大きな不満を感じるのが本稿の一動
機であった」
拙稿はその題名「奴隷に関する1401年ピーサの海上保険証券」が示す通りに,
保険証券の研究(どういうわけか岩崎氏が引用される拙稿題名には最後の「証券」
というのはない)であって、「近代奴隷制と奴隷廃止運動の社会経済史的意義」の
研究を目的としていない。筆者の研究にとってはそれは必要でもない。それにも
かかわらず拙稿を引合に出して超越的批判をなし,「大きな不満」を表明される
のは心外である。筆者は同助教授が近藤教授の論文を読まれた上で,拙稿に対す
− 7−
奴隷保険と生命保険(木村)
る内在的批判を行なわれるよう切望する。
II 奴隷保険に関する小島・大林両教授の見解
奴隷保険に関する近藤教授の見解は以上の通りであるが,同教授以外
に奴隷保険に言及したわが国の代表的文献として,戦前は小島昌太郎教
授,戦後は大林良一教授の著作を挙げることができよう。したがって,
近藤教授の見解について論ずる前に,両教授の所説を聞いてみよう。
小島昌太郎・保険本質論101頁以下は,次のように書かれている。
「第15世紀頃のゼノアの法律に従へば,他人の所有に属する奴隷を妊
娠せしめたる責任者は重き罰金刑を科せられ,若しその奴隷が之が為め
死亡したるときは更に其金額を倍加せらるることになって居った。且つ
この場合に於て,奴隷所有者が被害者と認められたのであるから,加害
者は所有者に対して一定金額を支払い,之を以て爾後その妊娠の結果如
何なることが起るとも民事上一切の責任を免ると云う契約を結ぶ風習を
生じた。そしてかくの如き契約が幾許もなく保険契約に転化することに
なったのである。ベンサはこの種の契約書2通(1は1430年11月15日附,
他は1467年1月23日附のもの)をゼノアの文庫より発見して公表して居
るJ
一方,大林良一・生命保険の発達.(生命保険実務講座第1巻)9∼10
頁によれば,
「中世イタリヤにおけるもう一つの(筆者注−旅行保険と並ぶ)死
亡保険は妊婦,とくに妊娠中の奴隷(商品)の保険であったが,一般人
の妊婦の保険も行われた。ゲノアの法律によれば,女性奴隷の妊娠に対
− 8 −
Il 奴隷保険に関する小島・大林両教授の見解
し責任あるものは,その妊娠奴隷が出産の結果死亡するときは,その主
人すなわち奴隷の所有者に対して責を負わねばならなかった。そこで責
任者は,予め相当の額を支払うことによって妊婦の不幸の場合に,その
責任から免れることができたが,このような契約はやがて保険契約の形
をとった。ベンザの上掲書(筆者註−同書9頁に「BensaはHistoire
du contrat d’Assurance,Paris1897の中で」と書かれている)
には2つの例が挙げられている。同書は1427年,1人の夫がその妻に特
定の不幸な事件の発生する場合(妊娠による死亡)につき付保した例を
挙げ,更に特定の危険なしに1年間の死亡保険を契約した例を挙げてい
る。」
以上引用した小島,大林両教授の説明は,いずれも短いものであるが,
それにもかかわらず,大きく食い違っている。
第1に,小島教授はベンサ,大林教授はベンザ,つまり両者共Bensa
が掲げた例として示された年号が,小島教授では1430年と1467年である
−Jackや近藤教授も同じ−のに反し,大林教授では1427年と大き
な違いがある。もし奴隷保険の貴初の記録が1427年であれば,近藤教授
の所説について設定した第1の問題は,はじめから生じないことになる。
第2に,小島教授によれば,ゼノアの法律では,他人の奴隷を妊娠せ
しめた男は罰金を科せられ,更にその奴隷が出産で死亡したときは罰金
が倍加されるのに対し,大林教授によれば,ゲノアの法律によれば,妊
娠した奴隷が出産で死亡したときに相手の男はその責を負ったことにな
っている。
一体,両教授の見解−Jackや近藤教授の見解とも関連がある−
はどちらが正しいのであろうか。判断を下すのは簡単である。何となれ
ば,幸なことにこれらの文献は全部その出典がBensa であることを明
記されているからである。したがって,Bensaがそもそもどう書いてい
一 9 −
奴隷保険と生命保険(木村)
るかを見てみればよいのである。
III Bensaの見解
ベンサ(Enrico Bensa)が1884年に公刊した「中世における保険
契約」(II contratto di assicurazione nel medioevo,Genova)
は,保険の起源に関する決定的著作となった。したがって,1897年には
Valiryによって「中世における保険契約の歴史」(Histoire du cont−
rat d’assurance au moyen age)という書名でフランス語に翻
訳されているし,わが国の学者も,保険の歴史に言及する場合には,こ
のBensa の本を,あるいはイタリア語の原書で,あるいはフランス語
訳で,必ずといってよい程引用している。しかしながら,たとえば筆者
が「海上保険および海上保険証券の生成に関する従来の見解の誤りを正
す」(保険学雑誌第430号所載)で指摘したように,この本位わが国の保
険学者によって引用され,かつ,読まれていない本は珍らしい。本稿で
問題にしている生命保険についても,上述のように皆Bensa を引合い
に出されているが,果してBensaの原典又はフランス訳を参照されたの
であろうか。近藤教授が「Bensaのr保険契約の歴史jその仏訳Histoire
duContratd,Assurance1897」と書かれ,r中世における保険契約j とは
されていない点,大林教授が「BensaはHistoireduContratd’AssuraJICe,
Paris1897の中で」とされ,それがVal占汀 による仏訳−その書名に
/
−10−
llI Bensaの見解
ついても両教授はau moyen ageというのを省略されている−であ
ることを明記されていない点から推測すれば、疑いなしとはしない。し
かし,多くの先学が「臨nsaによればAである」というのに対し,筆者
が単に「BensaによればBである」といっては,読者が前書を信用する
のもやむをえない。そこで,以下,煩をかえりみずに鮎nsaの関係部分
を全訳して示すことにする。
第8章「生命保険の最初の形態」
生命保険の法的性格−既に中世において行なわれていた−奴隷の特別保険一
一出産危険に対する−一般の生命保険−その若干の例−ペスト保険。
今日われわれが理解しているところの生命保険は真の,固有の保障契
約(contratto di sicurtA)ではない。この所謂準備契約は,本質に
おいては,各個人が自己に許された条件で行なう貯蓄に外ならず,そこ
において保険会社は早死が彼の貯蓄の完成を妨害しないよう被保険者に
保障するに止まっている。危険という要素は確かにそこにあるが,契約
においては,「早死」というべき事故の可能性に比例した保険料がはっき
りと区別されてはいない。生命保険契約の要素を分析してみると,保険
の一般的形態と類似している点を明らかにすることができよう。それに
もかかわらず,全体としてみた場合に,これを単純な填補契約(contratto
d’indennitふ)と混同してならないことは確かである(原話:Vivarrte,
Natura かridica del contr.dassicurazione suHa vita,Arch.由urid.,VO上
XXⅩI,関g・95)。更に生命保険は,たとえば鉄道傷害保険のような,純粋
の保障契約にヨリ近似しているその派生物と同じく,近代の産物である。
しかしながら,死亡の危険,なかんずく,異常な,特別な原因による
−11−
奴隷保険と生命保険(木村)
死亡の危険は,既に中世から保険の問題となっているし,われわれは死
亡危険に対する保険と完全にいうことのできる契約の多くの例を,実際
の記録に基づいて,示すことができる。しかしてこれらは一般の保険とそ
の本質において異なる所は全くないし,われわれは,これらの中に,遠
いものではあるが,近代の生命保険のめばえ(germe)を認めることが
できるのである。
勿論われわれは,船舶に積まれた奴隷の保険に関する数多くの契約
(原詫:Arch・nOt・di Genova,Act・Branch・De Ba伊aria,f・19)を,わ
れわれの主張の支柱にしようとは思わない。彼等をsuper rebus et
mercibus onustis vel onerandis(積載貨物及び商品)という一
般的表現の下で理解することが間違いでないのと同様,彼等は商品であ
ると考えられたのである。したがって,彼等の保険は本質において海上
保険の一形態に外ならないのである。
Scaccia(原註:De comm.et cambio,§1,quCeSt.1,n.142,p.
24・筆者註:1618年‰ma発行)の時代に行なわれ,また屡々17世紀ローマ
においても(原註:Zacchia,QuαSt.medico le料les,lib.lX,COnSil.
XXⅥ, ⅩⅩⅩIII)ソキエタ(societA)の名前で行なわれた他の形の
生命保険は,出産による死亡危険に対する女性の保険であったこの保
険自体はその始まりを奴隷の保険にもっているように思われる。奴隷の
保険は,その特殊な態様において,すべてがその土地その時代の商業的
性格を以て特色づけられている。
ジェーノヴァの条例は次の如く規定していた。妊娠した女奴隷と交際
していたことが明らかであった者はすべて,その責任者と推定された。
女奴隷自身及びもしその所有者が信用のおける人であればその所有者,
並びにその他の情報によってそれが証明された。その立証がなされたと
きは,犯人には重い罰金が課せられ,女奴隷が死亡した場合には罰金は
−12−
III Bensaの見解
2倍となった(原証:この条例の規則はBelloni編のStatuti crimina,li de11556,
lib.11,Cap.LXV,p.84に若干修正されたものが掲載されている。もっと古
い規則はBosco,Cons147.p.241に収録され,註釈が加えられている)。被疑者に
とって,証言が非常に多いこと,又は出産のためもしくは出産の際に女
奴隷が死亡して倍額の罰金を支払わなければならぬことは,確かに大き
な危険であった。当時の考えではこれは人に対してではなくて,財産に
対して加えられた損害であったから,女奴隷の主人は被疑者から一定の
金額を受取り,それによって妊娠させた責任を免除し,女奴隷が死亡し
た場合に負担しなければならない危険に対して保障するという約束をし
た。この形態の契約はやがて保険に似た形をとり,15世紀以降になると
保険契約の形態をとるようになった(原話:附錦の資料でその例を参照)。公
証人達はこの種契約の書類を保険契約の書類の中に入れていたが,既に
述べたように(原話:同書63頁及び附錬資料中の1426年11月16日の書類参町,海
上保険について使用していた非常に簡略な様式をこれには使っていなか
ったことが注目される(筆者註:フランス語訳にはこの次に更に,「われわれは
以下に,奴隷の出産危険に対する2つの保険契約,すなわち,1430年11月15日付と
1467年1月23日付のものを掲げる。第1の契約は既にそれについて訴訟が提起されて
いる女奴隷についてであり保険期間は4ケ月である。第2の契約は出産が間近に迫
った女奴隷についてであり,保険期間は僅か2ケ月であるJという説明が加えてあ
り,原書では巻末にまとめてある各種契約の原文の中から,2契約のそれが本文中
に挿入されている)。
出産による死亡危険に対する保険は,女奴隷に対してのみ行なわれた
わけではない。もっとも,そういう例は稀ではあるが。しかし,これを
以て,後に17世紀に広く拡かった単なる賭博(vadimonium)と関係が
あると信じてはならない。賭博は今日の株式投機と同じく,むしろ社会
的腐敗から生じたものであって,商業上の考えから生じたものではない。
−13−
紋隷保険と生命保険(木村)
純粋に金銭的な利益が,一定人の生命又は生存について,特に血族の間
において,認められることは明白であろう。われわれは,自分の妻が出
産のために死亡した場合に備えて600金フロリンを付保した夫の例を挙
げることができる(原註:資料中の1427年4月10日付文書を参照。筆者註:フラ
ンス語訳には,更に「ここに1427年4月10日にさかのぼる契約の内容を掲げる」とあ
り,原書資料中の同契約の原文が示されているJ
これら一定の死亡原因に関する契約の外に,一定期間に対し一定人の
生命を一般的に付保した,他の契約もあった。その1つの例が残ってい
る(膿註:資料中の1428年1月5日の文書参照。筆者註:フランス語訳はここで原
文を掲げている)。それによると,1453年にCaffaのジェーノヴァ領事とな
り,またその名声が低くなかった判事Ingo の息子として,歴史上無名
ではなかったBoruele de’Grimaldi は,Andriolina Cattaneo
−Grimaldi の生命について,1428年2月1E】から1年間保険につけて
いた。この簡単な証券の簡単な文章では分らないが,保険契約者と,そ
の人の生命が危険の対象となっている人との関係は,偶然な事情によっ
て明らかになっている。
1426年頃Boruele がこの孤児の女をその親戚の家から誘い出したの
で,2つの訴訟が起された。1つはポデスタに対してLuciano Doria
とBartolomeo Centurione は誘かいした女を返すように訴えたもの
であり,他の1つは代官に対してBoruele と Andrioliana との間に
彼がいうように婚約関係が本当にあったかどうかの判決を求めたもので
あった。代官は法律学者のBartoloheo Bosco とArtdrea.Imperiale
にこの争についての意見を求めた。両者はこれについてその見解を述べ
たが,それは前者の著書の中にも書かれている(原詩−Cons・416,p・654)。
両者を和解に導こうとした2法律家の努力は失敗に終り,いつまでも続
くみにくい争いのために当事者の憎悪は益々激しくなり,女の財産の損
−14−
m Bensaの見解
書は愈々大きくなったことを両法律家は残念に思っているが,−一体この
保険の被保険利益は何であったのか,われわれ以外のもっと賢明な人が
説明してくれるのを期待しよう。
このような保険のもう1つの例をジェーノヴァ古文書文庫にある書類
によって示すことができる。(筆者註−フランス語訳にはここにrそれは1427
年8月17日付の,公証人の作成した契約書である」とあり,その駄文が挿入されてい
る)。それによれば,契約書が濡れて破損しているので,保険者と保険金
額は不明であるが,OpizzinD Gentileが,Paolo Dall’ orto の
生命について1年間保険につけている。この場合においでも,このGen−
tileが Dall’ ortoの生命についてどんな利益をもっていたかは明
らかでない(原註−附録資料の1427年8月17日付書類参照)。われわれは,そ
れは事実に則応しているといい切るには余りにも弱すぎる根拠しかもた
ないので,その間の事情を推測するのを止めて,こういう契約が存在し
たということを指摘するに止めよう。
保険の変った形態として,もう1つその名前だけが残っているものを
挙げることができよう。ジューノヴァの法律に「ペスト保険」(De as−
securatione super peste)という表題のものがあった(原註−ジ
エーノヴァ古文書文庫Cd.125,索引。同法典の中この表題に関する頁が欠けている)。
ペスト保険及びそれに関する法律についても,’現在までの調査はすべて
想像の城を脱しない。既に述べたように,15世紀のはじめ以降法律的に
も経済的にも大きく発展した海上保険と異なり,これら当時の状況の下
では「早熟」(prematuro)ともいうべき2次的形態の保障は,ずっと後
の時代になって,しかもその発祥地とは別の地方に移された後に成長し
た1つの「めげえ」(un germe)をなしたといいうるのに過ぎない
のである。
以上筆者はBensaの「中世における保険契約」中「生命保険の最初の
一15−
奴隷保険と生命保険(木村)
形態」と題する章を訳出したが,これによってBensa の見解を要約し
てみよう。中世において,人間の生命が保険契約の対象となったが,
それは次のような形であった。
(1)積荷としての奴隷の保険
(2)女奴隷の出産危険の保険(例−1430年及び1467年の契約)
(3)一般女性の出産危険の保険(例−1427年の契約)
(4)一般女性の一般死亡危険の保険(例−1428年及び1427年の契約)
(5)ペスト保険(例−ジエーノヴァの法律)
Bensa によれば,この中の(1)は海上保険であって,生命保険では全
然ない。しかし,これを除いた(2ト(5)はいずれも生命保険の「めばえ」
なのである。ただ,その中,数の点では(2)が一番多かったが,時間的に
一番早かったかどうかという点については必ずしも明確ではない。はじ
めの方でScacciaの時代(すなわち1600年頃)や17−世紀Romaで行なわ
れた出産死亡保険は,その始まりを奴隷保険にもっていると書いている
が,後の万では出産死亡保険は奴隷に対してだけに行なわれたわけでは
ないとし,しかも実際の記録としてはその方に古い日付のものを掲げて
いる。
Ⅳ 近藤・小島・大林教授の見解に対する筆者の批判
上に訳出したBensaの所説を読めば,わが国の諸学者が「Bensaによ
れば」として書かれていることが,如何に間違っているかが判明する。
筆者は先に小島教授と大林教授の所説の食い違いを2点指摘したが,
第1の点,すなわち,奴隷保険の記録としてBensaが示しているのは小
島教授の書かれているように1430年と1467年のものであり,大林教授の
−16−
Ⅳ 近藤・小島・大林教授の見解に対する筆者の批判
書かれているように1427年のものではない。大林教授が1427年の2つの
契約書といわれるのは奴隷保険ではなくて一般人の妊娠保険と死亡保険
である(年号も後者は1427年ではなくて1428年)。したがって大林教授
の説明と実例とは矛盾している。また,第2の点,すなわち,大林教授
によれば妊娠した奴隷が出産で死亡したときに相手の男が責任を負うこ
とになっているが,Bensaによれば,小島教授が書かれているように,
死亡しなくても妊娠すれば,まずその責に任ずるのである。大林教授が
このように戦前の小島教授の所説を改悪されたのは,この部分をBraun
のGeschichte der Let光nSVerSicherung urKl der LebnsversicherungS−
teclmik,1925,S.33によって書かれたためではなかろうか。しかも
(註)
Braunを誤訳されているようである。
小島教授の所説は,教授が書かれた範囲においては誤りがない。しか
し,教授はどうして奴隷保険の記録である1430年と1467年のものだけを
掲げて,同じBensaが掲げている一般人の妊娠保険や死亡保険, すな
わち,1427年や1428年の記錦には言及されないのであろうか。小島教授
もBensaを直接ではなくて,間接にJack によられたと推測されるが,
Jack自身は両者に言及している。
さて,近藤教授の見解について筆者が設定した第1の問題を考察して
みよう。近藤教授によれば,Jackは生命保険の起源をBensaが示した
1430年や1467年の奴隷保険に求めているとし,近藤教授もその説を支持
されている。しかし,同教授によっても,Jackは同じBensaが示した,
これより古い1427年や1428年の,しかも一般人の妊娠保険や死亡保険の
記録があることを知っているのである。一体この関係はどうなのか。
近藤教授はJackによっておられる。Jackは,近藤教授によると,
Bensaによっている。所が,そのBensaは前述のように15世紀の奴隷
保険も一般人の保険も「生命保険のめばえ」として同列に取扱っている
ー17−
奴隷保険と生命保険(木村)
のである。ただBensaは前述のように,時間的に蚊隷保険の方が早いよ
うに書いている個所もあるが,Jack はむしろ両者を平等に扱っている。
それが近藤教授によるとJackは奴隷保険のみを「生命保険のめばえ」
として重視しているように解されている。いずれにせよBensaは「生命
保険のめばえ」として15世紀の奴隷保険(その古い記録は1430年と1467
年)や一般人の妊娠保険(その古い記録は1427年),死亡保険(その
古い記銀は1428年),ペスト保険(その証拠はジェーノヴァの法律)に
求めているのである。つまり15世紀のこれらの保険に「生命保険のめば
え」を認めているのであって,1430年や1467年の奴隷保険だけに認めて
いるわけではない。これに対し,筆者はさらにさかのぼって1401年の奴
隷海上保険証券に生命保険の遠い起源を求めているが,これについては
次のⅤで論ずる。
なお,近藤教授はJackが1430年と1467年の奴隷妊娠保険は「まさに
『保険契約の形式』をとっている」と説いていると書かれている(前出
引用文参照)。これによると両証券は愴かも真正保険契約のようである
が,実際は両証券ともジェーノヴァの証券であって末だ売買を仮装して
いるのである。Jackが書いているのはそういう意味ではなくて,妊婦
奴隷について責任ある者がその責任を免かれるために保険を利用したと
いうことで,その具体例が両証券であるといっているのである。
(註)第1の点について,Bfaunはこう書いている。「ベンサはその Histoire du
Contratd’心sura据e(Paris1897)の中に,そのような2つのジェーノヴァの
契約を掲げている。1つは1430年のものであり,他の1つは1467年のものであ
旦ヱ彼はまた,1427年に1人の夫がその妻に特定の不幸な事件の発生した場合
(妊娠による死亡)につき付保した例をも掲げている。更に彼は特定の現存の
危険なしに1年間の死亡保険を契約した塁室の例を掲げている。」
大林教授の訳では筆者アンダーラインの部分が抜けているので,誤った緒論
−18一
V1401年奴隷保険証券と「生命保険のめばえ」
となっている。
第2の点についても,Bra皿は次のように書いている。「ジェーノヴァの法
律によれば.女性奴隷の妊娠に対し責任あるものは,その主人及び所有者に対
して責任を負わなければならなかった。畢生,女蚊隷が出産の結果死亡した主
上はそうであった。」
大林教授はこの「殊に…・・・とき」(nazrentlichwem……)の「殊に」を見落さ
れたのではなかろうか。したがって,女奴隷が死ななければ男に責任がないと
いう風に誤って解釈される説明をされている。ただBraunはBensaの説明を省
略し女奴隷が死亡したときは罰金が2倍になるとは書いていない。
V1401年奴隷保険証券と「生命保険のめばえ」
さて,筆者が前掲拙稿で述べた結論は,その保険証券に「死亡危険」
というものが一般の「海上危険」の他に問題となっている以上,この奴
隷の海上保険−それはBensaの(1)に入る−に生命保険の「めばえ」
を認むべLというのであった。この点について近藤教授はBensaの見解
に与みされている。しかし,ここで注意しなければならないのは,Ben−
sa は(1)では奴隷海上保険一般についていっているのであって,1401
年のピーサ証券についていっているのではないのである。Bensa は
1401年のピーサ証券を知らないのである。しからば1401年の奴隷保険証
券と,Bensaが(1)で対象としている奴隷保険証券と,どこが違うか,と
いうと,Bensa は(1)の実例を掲げていないので,何ともいえない。
Bensaが1401年の奴隷海上保険証券を知らず,われわれがBensaの対象
とした当時の奴隷海上保険証券を知らない以上,われわれとしては1401
年証券とわれわれが知っている当時の一般海上保険証券とどう違うかを
−19−
奴隷保険と生命保険(木村)
問題とする外はない。
このような目的から女奴隷に関する1401年(ピーサ暦で1402年5月9
日付)の保険証券と,現在知られている世界最古の真正海上保険である
(註)
1383年(ピーサ暦で1384年4月24日付の)保険証券の各条項とを比較し
てみよう。
(註) Cianelli,Sul1eormediunprl汀凪tO,BollettinodelleAssicurazioniGene−
rali,N.2−3,1955,Pag.42e segg.
1383年ピーサ証券
1401年ピーサ証券
(1)AlnmdiDio,amen;adi24
d’apri1e1384,al
(1)Iesus.AlnomediDio;aLmen.
AdiⅥnl dim喝io1402(alcorso)
corsDdiPisa.
di Pisa.
Michele delVo由iae compagni f.200
Ldovicho
MichielediMon(duccio)
eBartolomeodelVoglia …
f.2∝)
Piero delVoglia …………・・・・f.100
〔以下5保険者名及び各引受金額省略〕
(神の名において,アーメン;ピーサ
暦1384年4月凶日。)
(イエス。神の名において。アーメン。
ピーサ暦1402年5月9日。)
(MicheledelVodiaecompa伊i……
(MichielediMon(duccio))
…………‥‥…・2007ロリ ン
I,dovich3e EhrtoIcmeodelVodia・・・
………………=……・2007ロリ ン
PierodelVoglia =・……1007ロリン)
(2)Idettiasiclmratori,nCminatie
(2)Id!ttiaSichuratorirkninatiet
scrittiquidisopraildidettoe anno,
discrittiquidi sopraildettodiet
feciono siclmrtA e asiclmrarono diPisa
anno fenno sichurti et asichuroronoda
inSin0inSaona,匹Sta e SCharicha h
PortoPisano aBarZalon&,POSta et
robainterra,aFranCiescho diMar−
discharichala schiavainterra asal−
chodaPrato e com抑i,SOPraballe
vamento,a Franciesco diMarcho da
quatrodivelielavorodisetadipiも
Prato e chompagli soprauna schiava,
−20−
V1401年奴隷保険証券と「生命保険のめばえ」
r噛αd e蝕l軸o tintoe refe,le
la甲de sichmMarかdta,tar−
qudivmm segnia,tedi questo se伊io,
tara odi che altra由nea si&,h
cosi舌,di stirrBdi fiorini1300
qualeschiavavainnomede’dettiFr−
d’oro,Sicch拍iasidMratOricorroJr)
ancescodiMarChoecl叩Iidetti.
0伊i rischio alire e a SOldi evaZu船e
Etistirrnnoi detti FranCeSCO diMar−
sonocharichatele dettequatro balle
Cho e chompagliladetta schiavaper
inPisa,PerFranchieschodiMardx)
daPrato e comp柳i,insulasaJettia
dAntonio SiJTK)rdidiNoli.
fiorinicinquantad’oro,Cio占fior.50
d’oro.
Sich占gliasichuratorichorronoongli
rischio alire et soldi et血nari charト
chata o vero montata detta sdliava.a
PbrtoPisanoin sulla,naVepadrone由−
ataper PierodBLllaRa血diVischaia
Chor血tta匹rMatteoTuro chatelano.
(上記保険者は上記年(月)日,Por−
(上記保険者は,上記年(月)日に,
PisaからSaona で貨物が荷卸し陸揚
toPisanoから Barzalona まで,
げされるまで,Franciescho血MarCO
Franciescho dih血rcho daPratO e Ch−
血Prato ecαnp8伊i に対し,4柚の
om抑由に対し,タタール人又はギニ
布,絹織物,綿織物,麻織物について
ア人であるMarかritaと称する女奴隷
保障を与え,保険する。()が指図
−それは上記FrancescodiMarcho e
され,1,3007ロリンと評価される。
chq叩岬iの名前で輸送される−が
すなわち,保険者はPisaにおいてFr−
安全に到着し陸揚げされることについ
anchieschodiMarcodaPrato e ccmpa−
て,保障を与え,保険する。上記Fr8−
gniによりAntonioSirrk)didiNoliの
ncesco diMarcho e cbmpagli は上記
船舶に積込まれた4柚の価額について
女奴隷を五十金7ロリン,即ち50金7
あらゆる危険を負担する。)
ロリンと評価する。すなわち,保険者
はPortoPisanoにおいて船主Piero
ddlaRan血心Vischaia,船長カタロー
ニヤのMatteOTuroの船舶に積込まれ
た価額,すなわち女奴隷の価額,につ
きあらゆる危険を負担する。)
(3)ChominciarLOgliasichuratoria
(3)e comincianogliasiclmratoria
COrrere Ognl rischio incontanente,
chorrereonglirishcioinchontenente
−21−
奴隷保険と生命保険(木村)
choTrCl8dettaSeatti且PWio陣rti血
chαneladett8nm hri fatb o fa−
o fossep&rtitadiPisa hsirK)&tan,
Ciesseofar中間SSefattOVela血
tocblla血ttaPOb,cqne dettoも,
PbrtoPisanOperinsirDat8ntOChe,
msarapStae Schdclu∴hterra
clmnedettoと,etladett&rOtnnOrr
in Sa0na.
Sara
PStaet
dischricha,0VerOSchi一
札Va,8蝕は払lona,S8lv8h terra・
(かつ,保険者の危険負担は,上記船
(保険者の危険負担は上記船舶がPorto
舶がPisa を出航した時に開始し,上
nsanOを出帆した時に開始し,上記の
記貨物がS80naに到達し,陸揚げされ
貨物,すなわち女奴隷,が無事に
る時まで継続する。)
Barzalonaに到達し,陸揚げされる時
まで継続する。)
(4)Corrono ogni rischioidetti asi−
(4)Chorrono ongrli rischioidetti
churatori,dal dettoluogho aldettolu−
asichuratori daldettoluodlOal detto
luoghoet sopraaladettaschiavae,n
0gh0,e SOpraledetterotxB,indet−
dettonome
tono汀把e Segnio,eperladettais−
tima,eindettonavi1io,diDio edi
mareedigientee品伊ichasoeperic0−
lo e sinistro e fortuna o chaso sinistro,
CheperniunorrKXlo rx)terVenire e fosse
fattoil chaso cαne Si volesse o di che
condizione tutti di rx)rtanO e COrrOnO
et
per
detta・Stima
e’n
dettanave.Chorrono ongni rischiodi
Dio,di rnare,di由ente,di barat‥
teriadipadrone et dbngrlichasoetpe−
richolo et sinistro et forhna o chaso
Sinistro,Che匹汀niunomdoo chasoFK)−
tesseintervenire et fusse fatto;il
mcdo o chaso chome esser si volesse o
gliasichuratoridaldettoFranciescho
di che chordizione,伽ttigli FDrtanO
e compapi fioriniunoe terzoper100.
et chorrono gli asichuratorisopradi
loroperinsinoa tantoche,CIⅥ肥
detto e,etla detta roba non sara,O
vero schiava,rX)Staet discharichaa
Barzalona salvain terra.Et perlo
dettD rischioetx)nOgliasichuratori
fiorini7dbroper CentO.
(上記保険者は上記場所から上記場所
(上記保険者は,上記場所から上記場
まで,かつ上記貨物について,かつ積
所まで,上記女奴隷について,上記名
込または発達した上記の名前及び署名
前において,上記評価額に対し,上記
、において,かつ上記評価額に対し,か
船舶におけるあらゆる危険を負担する。
ー22−
V1401年奴隷保険証券と「生命保険のめばえ」
つ上記船舶において,神の,海の,人
神の,海の,人の,船員の非行の,及
の,及び,いかなる形態で生じようと
び,いかなる形態でいかなる事故が生
あらゆる偶然な出来事,危険,事故,
じようと,あらゆる偶然な出来事,危
不幸または偶然な事故のあらゆる危険
険,事故,不幸又は偶然な事故のあら
を負担する。かつ,それがいかなるも
ゆる危険を負担する。保険者は危険が
のであろうと,いかなる条件であろう
いかなる形態でいかなる事故がいかな
と,保険者はその危険を負担し,保険
る条件で生じようと,それについて,
者は上記Francieschoecomp坤Ii から
上記の通り,上記の貨物,すなわち,
1007ロリンにつき1+7ロリンを受
取った。)
女杖頴がBarZalona に無事に到達し,
陸揚げされるまで負担する。上記の危
険に対して,保険者は100金フロリン
につき7金7ロリンを受取った。)
(5)Eseniuno disastrointervenisse delle
(5)E se niuno disastrointervenisse
dette robe−CheIddioleguardi−i
delladettaschi8Va,Chenoglighuardi,
dettiasichuratorisipromissonoeob−
idettiasichuratoriprαnettOnOet Ob−
righaronsi di dare edi padnre,Chon
ri如ididareetdipaghare chon
efettoe sanza niuna eciezzione,O
effettoet senzaniunaeciezioneap)rre
rK・rre O fare TX)rreper niunomdo o
O farearK)rTeperniunomdoochagi−
Cha由onea:dettiFrancieSchoecompagli,
one ali detti Fr柑lCeScO daPrato et
OVerO dllorofattoriea,lloroprcclmー
Chom囲Iioaloro fattoreoprochu−
ratOri,daldiche fia notificht。il
ratore d且l di che fia notifichtoil
disastro
disastroa:dettiamesidueprossimiche
a’detti
asichuratori
amesi
due
prossi血 che seguirannoo伊itmoquella
Seghuiranno,OngnLROinquellaquan−
quantiddid.anaridicheasichurano,in
titididBnaridi che asichur乱nnO,in
Pisa,inFirenze,in Siena,inGienova
Pisa,inFiIenZe,inGierm,inⅤinegia,
e inognialtra terra o parteoluogo
in ongn,altra terraoluogh00Parte
oveidettiFranciescho e compagnigli
OVelidBttiFraJICeSCOet Chom卿i o
volessonoloroma血re,Salvo che se,l
altriperloroglivolesseloroado−
PaghaJTCntO gaVeSSe afarealtrove che
ml血re:Sahsel’蜘ntos’a−
inPisanonTX)SSaeSere adomar血to
vessea farealtrovecheLpisa,nOn
agli asichuratori niunovam噛Odi
rx)SSanOli dettiFrancescodaPrato
cluunbio dimoneは;
et chαnp叫訂Ii adoznardare agli asi−
Churatoriniunovmtagiodi chambiodi
ー23−
奴隷保険と生命保険(木村)
moneta olter ala valuta de,ChaJTbi di
Pisa.
(かつ,もし−神が護り給う一上記貨
(かつ、もし,神が守り給う上記女奴
物に,何かの事故が生じたときには,
隷に,何かの事故が生じたときは,上
上記保険者は,上記Francieschoe co一
記保険者は,上記Francesco daPrato
mpa卯iまたはその代理人に対し,事故
et ch(加Pa伊i叉はその代理人に対し,
の通知か上記の保険者になされた臼か
事故の通知が上記の者になされた日か
ら2ヵ月以内に.Pisa,Firenze,Siena
ら2ヶ月以内に,Pisa,Firenze,Gie−
Gienovaその他上記 Franciescho
nova,Vinegiaその他上記Francesco
e com匹伊i及びその代理人か希望する
血Pratoet chom押伊i及びその代理人
地において,確実に,かつ,いかなる
が希望する地において,確実に、かつ
例外もなしに,各自その引受けた金額
いかなる例外もなしに各自その引受け
を支払うことを約束する。但し,保険
た金額を支払うことを約束する。保険
金の支払がPisa以外の地で行なわれる
金の支払がPisa.以外の地で行なわれ
ときは,保険者に対していかなる貨幣
るときは,上記FrancescodaPrato et
交換の利益も要求することができない。
chompagni は保険者に対し,Pisa に
おける交換価値以上の貨幣交換の利益
を要求することかできない。)
(6)e
se
avenisse
ch’e’detti
asIChura−
toriperdisastro che aJorointerve−
(6)E se adlVenisse che detti asichu−
ra・tOri,perdisastroche aladetta
nisse,aVeSSOnO a richonperare o a ri−
SChiavaadivenisse,lhvessono a richom−
sch誠はreledette rol把le pssano ren−
prare o a rischattare,1a possano
dere
sane
e
rendere salva a Barzalona ali detti
salveinSaona,a’detti
Francieschoecompagmioadaltriper
Francesco et chompagnl0altri rerloro
loro neloiscritto nominati dal dユ sia
di sopradaldi che fiai血ervemltOll
intervenutoil disastro amesi trepro−
disastroadetti amcsl quatrO prOSSimi
SSiml Che seguiranno.
Che seかrianno.
(かつ,上記保険者か,上記に生じた
(もし,上記保険者か,上記女蚊隷に
事故によって,上記貨物を買戻したと
生じた事故によって,上記女奴隷を買
きは,事故が発生した日から3ヶH以
戻したときは,事故が発生した日から
内に,上記Franciescho e compagrLi ま
4ヶ月以内に,Barzalona で,」二記
たはその代理人に対し,Saonaにおい
FhncescodaPrato et chompagni及びそ
て,無事な及び安全な状態で,返還す
の代理人に対し,女奴隷を.安全な状
−24一
V1401年奴隷保険証券と「生命保険のめばえ」
ることができる。)
態で,返還することができる。)
EsJl detto debito non fusse adomarT,
(9)参照
dato agli asichuratorida ogiadidetto
amesi sei prossin1i che seghuiraImO,
S’interxhil
detto
debito
esser
chasso
et vanO et di niuno valore.
(かつ,もし上記保険金の請求が保険
者に対して上記の日から6ヶ月以内に
なされないときは上記請求権は消滅し
たものと看徹される。)
(7)Eperpi占chiarezzadelledette
(7)EperChiarezadelle soprascritte
chose,idetti asiclmratori,0伊iuno di
chosei detti asichuratori,OngnunOdi
suaproprlam凪nO Sisoscrissonoin
suapropla rrBno,Si sosscrissonoin
questa.iscrittaal1e dette chose esere
queata scritta ale dette chose dもsser
tenutie obri如iedidaree paghare,
tenuti et obrighati et di dare et di pa−
se’l
disastrointervenisse,a’detti
Fran−
dlare,Se’1disastrointervenisse,al
ciescho e compagni,OVerO adaltriper
dettoFrancesco et(cho)mpagni o altri
lorodi sopranelloiscritto nominati,
perloronello scritto nominati,OngnU−
chomedettoも,Ogrliunoquellaquantita
noinquellaquantitididanaridiche
di danaridi che asichuranoperlomdo
(asichurann)0,perlomcdo et fom迫
efomaぐti占iscrittoinquestaiscritta,
ch’a
匹rmOdime,GheraKbd’omamo,
di Gherard(o dl Giovamnl da)Siena
sensale en℃ZZanO delle dette chose.
sensale et mezzano ale dette chose.
scrlttOinquesta
scritta
permano
(上記のことがヨリ明白なように,上
(上記のことが明日なように,上記保
記保険者は,各自自分の手で,上記の
険者は,各自自分の手で.本書に署名
件について本書に署名し,もし事故が
し,事故が発生したときは,上記Fr−
発生したときは,上記 Francieschoe
ancescoet chompagrLi またはその指図
c叫岬iまたはその指図する者に対し
する者に対して,付保された金額を,
て,付保された金額を,本件の仲立人
本件の仲立人GherardodiGiovamida
Gh。rard。dbrmannoによって本書に記
Siena によって本書に記載された形態
載された形態及び様式により支払う責
により支払う責に任じ,支払うことを
に任ずることを約束する。)
約束する。)
(8)NostroSignioreIddiochorduchala
(8)Nostro(Sing)noreIdiochon(ducha
−25一
奴隷保険と生命保険(木村)
lalarm)et schi8Va(asalv)amento;
roba e・l navilio a salv即肥ntO.
aInen.
(われらの神か貨物及び船舶を安全に
(われらの神が船鮒及び女奴隷を安全
導き給うことを。アーメン。)
に導き給うことを。アーメン。)
(9)Eseil dettodebitonon fosse
(9)(6)参照
adonudato adi aSichuratoridao由,a
didetto,a汀把Siqu戚roprossimiche
seguiranrx),S,inteI血ildebitoesere
chasso,eVanOedi niunovalore.
(かつ,もし上記保険金の績求が保険
者に対して上記の日から4ヶ月以内に
なされないときは請求権は消滅したも
のと看撤される。)
(10 E sonod’achordo¢detti)asichu−
ratoricholdettoFranceミcOdi随rchb
et choni)pa伊ichediasichurdorinon
(sie)no
temidimorte,一nadinalattia
che avesseladetta schian et inchaso
sidttasseinrnareperSeSteSSa.Et
chosisormodL:hordo,etioGherardo
diGiovamisoprascritto,Cho汀err把ZanO,
C10agluntOqueStOChapitolodimiapropia・
mmOdiet amo soprascritto.
(上記保険者は,保険者は死亡及び上
記女奴隷が揺っていた疾病に対し,ま
た自ら海に身を投げたときは,その責
に任じないことを,Francescodi Ma−
rchoet chom匹伊iと合意する。以上の
l
通り約束し.かつ私,上記のGherar血
diGiovanniは仲立人として,自らの手
で,上記の年(月)日に本書に記載す
る。)
l(11)Io,Micheledel Voglia,SOnO COn−
(11)Io
一26−
Michele
di
MorxkhICCO
SOnO
COn一
V1401年奴隷保険証券と「生命保険のめばえ」
tento diditta・Sigurtidi fior.dugento.
terrto dhresiguratoladittaschiava
陣rlol−血ochedisopra畠山chiarab;
pr fiorhi chqu地声rlomdo血tb,
e o廟 questo dinibi甜m抑血0:匹r
ef紀rChiaressadici66soscrittoquie
nostro rischo fior.血把S.13d.4
dimiamano ogiadf Xdirrn由oMCCC
aoro・ScrittaperzTnnOdiJTe,Arigho
CII,ed a avutopermi0rischio fio−
da Pettori,COmPagrK)deldettoMichele,
rini tre emezo.Diola m紺di sarVa;
乱心24dゝprile1384.
amen.
(私,MicheledelVodiaは上記の態様
(私,Micheledi M)rducco は,上記
で,上記2007ロリンの保険を承諾し,
女奴隷を,507ロリン,上記態様で,
本日われわれの危険として2S.13d.
保険することを承諾し,それが明白で
4金7ロリンを受取った。上記Mic−
あるように,1402年5月10日目著し,
hele の組合員,ArighodaPettori,
私の危険として 3.57ロリンを受取っ
1384年4月別日日署する。)
た。神が蚊隷を守り給うことを。アー
〔以下他の保険者の分は省略〕
メン。)
以上は両証券の各条項をそのままの順序で対照したのであるが,両証
券はその構成,内容はもとより,文言までも殆んど全く同一である。も
っとも奴隷証券では保険の目的が一般の貨物ではなくて奴隷であるた吟
に,たとえば(3)や(4)で「上記の貨物」(la壷ttaroba)と書いた後で,
「すなわち,女奴隷」(oweroschiava)と説明し,また(8)で「われら
の神が船舶及び女奴隷(lanave et schiava)を安全に導き給うことを。
アーメン」という祈り文句に「女奴隷」ということを明記はしているが,
(4)の所謂危険約款においても,一般の海上保険証券と同じく,海上危険
が列挙されている。その限りにおいて1401年の奴隷証券は貨物海上保険
証券である。しかるに両証券を比較して一ヶ所だけ違っている所がある。
それは(1ゆであるも そこには,「保険者は,死亡及び上記女奴隷が罷ってい
た疾病に対し,また自ら海に身を投げた場合には,その貴に任じない」ことが
書かれている。すなわち,女奴隷の死亡,疾病,自殺が免責されている。
これらの危険が末だ負担されていない点において,それは決して生命保
−27−
奴隷保険と生命保険(木村)
険ではない。それにもかかわらず,これらの危険が人間の危険として抽
出され,証券本文の結句の後に明記されていることは,人間の死亡・疾
病危険が保険の問題となりうることを示している。その意味において本
保険証券に「生命保険のめばえ」を感ずるのは決して不当なことではな
い。筆者が前稿で指摘したのもこのためである。事実,次に示すように,
その後間もなく,生命保険契約が締結されていた記録か存在するのであ
る。
Ⅵ 真正生命保険契約の存在を示す1422年の記銀
われわれは1401年ピーサの女奴隷に関する保険証券に「生命保険のめ
ばえ」を認めたが,それはなお貨物海上保険であってけっして「生命保
険」契約そのものではなかった。しかし1422年になるとわれわれは既に
当時生命保険契約が存在したという確かな記録をもっている。それは
1422年11月14日付の他人の生命の保険の保険金請求権の譲渡に関するフ
ィレンツェの文書である。以下その原文及び訳文を掲げる。
Sia manifesto a qualunqueperSOm Vedra oleggieri questa presente scricta
che,Chon ciムsia cosa che Matteo diMichele Rordinelli abbipreso sichurtiin
sulavita
di
messerJacorx)di
messer
Gherardo
dApiano,il
qua】e
si
titola
si一
gnore di Pionbin0,匹r fior・mille settecerb cinquanta tre,SOLVIIIIO,den・VIII
a fior.,(蒜fi〕r・1753soL.9den.8a fior.,dagl.infrasricti asichuratori,etlave−
ritA占chelh detta.sichurtAlui prespal鳩tizionedi Palla dirnesser fhllaetGioA
vanniLionibanchieri.Et
sechaso
venisse
che’1detto
signorediPionblnO
mOrisse,dl
CheIddiolo guardi,Ogni danaro che11ui riscotesse dl detta sichurtilui prome−
−28−
Ⅵ 真正生命保険契約の存在を示す1422年の記録
tte
farnela・VOlontide’dettiPalla
et
Giovanni.Et
anchora
prcmetteloro
ad
ogli
loro richiesta ciedereloro ogni ragione chelluiavessecontroadettiasi血ratori
O Cbntroaqualunquediloro,Odi farli suoi procchurabri brt,。Chiloro volessono,
a
rischuotereisopradettidanaridagl’irJrascritti
hreinnessunomcdo
chontro
adalchuno
atto
che
asichuratori.Epit)PrOrnettedinon
facessono
que’tali
o
queltaleche
hli facesse pr眈ChuratDre aridliesta delsopradetti Palla et Giovmi.Et tutte
le sopradet臨COSe prOmetteil dettD hhtteo a dBtti palla et Giovmi soprala
Sua fede chqm肥diricto et reale rnerchatante.Et per Chiarezza di cioio Giova−
rmi
di
FranceschoI_ioni
sopradetto
o
fatta
questa
scricta
dimia
propria
nnno
questo dixIIIP di novembreMCCCCe XXII,la quale fia soscricta di rrnno
del detbMatteo pr p品chiarezza.Gl’assiclmratori sono questi,Cioe:
higi d’Arhnio Covoni陣r fior.cc:fior.200;
Piero
d’AJTbrlio
ZampiniiX,r
fioE
L:fior.50;
Bernardo d’Ardrea di MasoI把r fior.CC nuovi:fior 213sol.9den.8
a 玉or.
Piero Bonciani e comp.per fior.CCC:fior.300;
hti di Michele diI』ti per fior.cc:fior.200;
brenzo d’Andrea di CαnOper fior.C nuovi:fior.106sol.19den.4
a fior.
Giovanni di NofriBischeriper fior.CCnuovi:fior.213sol.9den.8a fior.
Ghabriello Buonromei per fior.CL:fior.150;
higi di serlJdovico Dom 匹r fiolこ Lnuovi:fior.53sol.9den.8
a fioIこ
ArLtDnio dilacoFK)Canigiani per fior.C nuovi:fior.106sol.19den.4
a fioI:
Riccholdo di ser Paolo Riccoldi qer fior,CL nuovi:fior.160.
ー29−
紋隷保険と生命保険(木村)
Sorrma intucto,COme di sopra si dice,fior.mi11e settecento cinquanta
tre,SOl.VIIIIO,den.VIII a fior.
Io Matteリdi Michele Rordinelli sono chontentooservare quanto di sopra si
chontiene,e T把r Chiareza dl Cidmisono soscritto dimia propriamanoannoe
(1)
di soprascrittQ.
(本証書を見又は読むすべての人に次のことを宣言する。Matteo diMichele Rordine・
lli は,Pionbinoの知事であるJacorK)dir肥SSer Gherardo d’Apianoの生命につい
て,下記の保険者と17537ロリン,9ソルド,8デナロの保険をつけた。この保険
は,真実は,銀行家であるPalla di messer Palla及びGlOvanni Lioniの依頼を受け
て契約されたものである。もし,神が守り給うno血jnoの知事が死亡した場合は,
彼がこの保険から得られる金銭については,上記のPalla及びGiovanni両氏の意思
によって行動することを約束する。更に,彼等のすべての要求にしたがって,彼が
上記の保険者,もしくはその中の一人の保険者,又は彼等もしくは彼等の中の一人
が欲する代理人に対して有している権利,及び下記の保険者から前記の金銭を取立
てることについて有している一切の権利を譲渡することを,彼等に約束する。かつ
また,上記Palla 及び Giovami の要求に基づいて代理人が行なう行為に対して.
いかなる形においても反対しないことを約束する。以上すべてのことに対して,上
記Ma枕eoは上記Palla及びGiovami に対して,その誠実につき,正直な真実の商人
として約束する。このことか明確なように,私,上記の,Giovanni di Francescho
Lioni は,本証書を1422年11月14日自らの手で作成し,これについて上記Mh馳0は
ヨリ明確なように自ら署名した。
higi d、Antonio Covoni
Piero d.Amonio Zampini
2007ロリン
507ロリ ン
Berna.do d’心血rea di Maso
2137ロリン,9ソルト,8デナロ
Piero Bonciani e comp.
3007ロリン
hti di 鳩chele di Luti
2007ロリン
ー30−
Ⅵ 真正生命保険契約の存在を示す1422年の記録
Como
1067ロリン,19ソルド,4アナロ
GicFⅦli di Nofri Bischeri
2137ロリン,9ソルド.8アナロ
GhAbriello BuorLrCmei
1507ロリ ン
brenz〇 d’Ardrea
di
hi由 di serI血Ⅳico Doffi
Antonio diIacopo Canigiani
Riccholdo di ser Paolo Ricco姐i
537ロリン,9ソルド,8アナロ
1067ロリン,19ソルド,4アナロ
1607ロリン
上記金額会計17537ロリン,9ソルド,8アナロ
私MatteO dih6chele Ro通nelliは上記の内容を遵守することに合意し,明確なよ
うに上記年月日に自らの手で署名した。)
上禍の拙訳から分るように,本証書は生命保険証券そのものではない
が,生命保険契約の存在を前提として書かれている。すなわち,Matteo
di Michele RordnelliはPionbino(Elba島と向いあったToscanaの町)
(2)
の知事であるJacopoII di Gherardo d’Apianoの生命を11人の保険者
について17537ロリン,9ソルド,8デナロの保険につけているが,そ
の保険は銀行家 Palla di rrx!SSer Palla とGiovanni Lioni に依頼さ
れてつけたものである。そして本証書でMatteoは,Jacorx)Il diGhe−
rardo d’Apiano が死亡したときに有する保険契約上の権利を両者に譲
渡しているのである。
1422年11月14日付の本証書は保険証券そのものではないから,たとえ
ばMatteoがJacopoIl の生命についていつからいつまで保険につけた
か,など保険契約の内容の委細は分らないが,保険金はJacopllの死
亡によって支払われること,保険は11人の保険者によって引受けられ,
各保険者が引受けた保険金額の合計額は17537ロリン強であることなど,
既に生命保険契約が存在していたことには疑いの余地がない。つまり,
15世紀の前菜にこのような生命保険契約が行なわれていたことは確かで
−31−
奴隷保険と生命保険(木村)
ある。
なお,Palla dirresser PallaとGiovmiLioniが何故Pionbinoの知事で
あるJacofX)IIの生命をMatteoを通じて保険に付けたかは興味ある問題
である。周知のように,16世紀になると,被保険者とは何の利害関係の
ない王侯その他高位高官の生命を保険につけることが流行し,それは後
には賭博として禁止されるに至ったからである。以上の記録だけではこ
の点は分らない。ただPallaもGiovanniも銀行家であったから,彼等が
Jac0匹II に対して金を貸していたことも十分考えられることである。
とすれば,Matteoが付保した本保険は債務者の生命についての信用保険
として適法な保険であったわけである。因みに,当時の生命保険契約は
今に比べるとずっと短期の保険であり,しかもJacol泊 は1440年12月27
日に死亡したといわれているから1422年11月14日以前のある日−1422
年であることは間違いなかろう−に締結された本生命保険契約は,保
険者にとって有利な結果に終ったであろう。
(1)Piattoli,Ricercheintomo all’assicurazione nel mdioevo,Ⅳ,inAssicurazi−
One,1939,Pag・ 292 e segg・
(2)JacopoII d’Appianoについては詳らかでないが,1404年幼なくして父Gherardo
を継いだので,暫らくは母Paola Coloma が摂政として政務をみた。彼女はジェ
ーノヴァと仲良くするために,彼をn)nella di hlCa Fieschi と結婚させた。
1440年12月27El没。
Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
上に掲げた1422年のフィレンツェの記録は、生命保険契約の存在を前
−32−
Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
接としているが,生命保険契約そのものではない。また,Bensa が掲
げた1427年以降の若干のジェーノヴァの記録の内容は生命保険契約では
あるが,形式は当時の海上保険契約と同じく服装売買であって真正の生
命保険証券ではない。われわれが現在知っている最古の真正生命保険証
(註)
券は1515年のフィレンツェ証券である。以下にこれを紹介するが,同証
券と海上保険証券との相違が分るように,同じくフィレンツェで発行さ
れた,かの1397年海上保険証券と対照した表を,最初に掲げよう。
(註)Piattoli,OP.Cit.同証券の原本はフィレンツェのArchiviodiStatoに保有
されている。Carte Strozziane,SerielII,filza122,C.254.
1515年生命保険証券
1397年海上保険証券
(1)†Jesus.
(1)AlnomediDio−addiXdil_Dglio
1397.
(神の名において−1397年7月10日。)
(イエス様。)
(2)SiarrBnifestoa chileggeraoldi−
(21Siarrnnifesto aongni p∋rSOna
chome.
rileggere
questa
scritta
fattadell’
annoemesedetti disopra che
(すべての人に次のことを宣言する。)
(上記年月に作成された本証券を読み,
又は読もうとする者に次のことを宣言
する。)
(3)Francesco diMarco eDomenico
(3)CharlodiNicholbStrozziⅦOle
esere
asichurato
per
diCanibioeccmpagniapresono sicurtA
fior‥.SOpra
lavitadellaFrancescha sua fidiuola
匹r SCudi( )d’oro sopraballe sei
et dona al presentediFranceschodi
e uno fardello di nerci sottili cariche
DomenichoBenvenuti,
o si deono caricare aMutroneperle
rrnnldiLionardo
11i
o
d’AndreaCiampe−
d’altri perloro,in
sul1a
nave boccia padroneggiata perPerino
Conciati,0 peraltro padrone che
la padroneggiasse.e delladetta roba
−33−
奴隷保険と生命保険(木村)
carica e si dee caricarein sul1ade−
tta naveinn伽】e e SegnOdiDonlenico
血hmogi,Se卵t8cOSi()d占
di valutadi sctxli … O Circa;
(CharlodlNicholもStrozzi は,自分
(FrancescodiMarCOeDomenicodi
の娘で現在FranceschodiDomenicho
Canibioecompagniaは,Lionardod’−
Benvenuti の妻であるFranceschaの生
ArdreaCiampelli又はその代理人の手
命について○○プロリンの保険をつけ
により,MltrOne において,Perino
Conciati又はその他の者が船長である
た。)
船舶に積込まれる6梱及び小物1包に
ついて()金スターティの保障が
与えられる。上記貨物は上記船舶に
DomenicoA料hmo由 の名前及びその拍
図人により積込まれ,( )が指図さ
れ,かつ……スターデイ又は約〔……
スターデイ〕と評価する。)
(4)e pigIiBLnOla sicurti dahhtrone
(4) si cheil dettoCharlo Strozzi
vuole esereasichurattochellasopra−
匹rinsinoinAquamorta,rX)StaeSca,−
detta Franceschaviverよ0viva fia
rica in terra a saIvamento.Gliassi−
dadI priJnOdiz7nrZO 1514 avenire
curatorl
perinfino a tuttodi sei di settembre
sicurti…….la
1515 a venire,
si dee caricare aMltrOne Sulla detta
SOnO……… di
detta
rischio
e
roha6carica
o
wel貨rlen山1i diljonadod’Adrea
Ciampelli
(上記CharloStrozziは上記Francescha
od’altroperloro.
(かつ保障はMltrOne からAquanx)rta
が1514年3月1日から1515年9月6日
に到達し安全に陸揚げされる時まで継
まで生存することについて保険をつけ
続する。保険者は……危険及び保障を
=・・引受ける。上記貨物はMutroneで
た。)
上記船舶にLionardo d,Ardrea Ciam一
匹川 又はその代理人によって積込ま
れる。)
(5)ptterdodettaFranceschainquesto
tenpoardareet stare et chavalchareet
ー34−
Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
na前chare匹rqual皿Cheluoか0,壷ao
卯月Se,etinaquad汀凪re;
(上記Fr胱eSCl迫はこの期間,陸,水,
海を問わずすべての場所に行き,滞在
し,騎乗し,航海して差支ない。)
(6)et gli asiclmratoriche hrano
qtleStaSichurtidebinoavereal pre−
se血e fior‥
(この保険を引受けた保険者は,現在0
07ロリンを受取らなければならない。)
(7)El ristiochegliasichur誠Od c1℃
:7)Eilrischio che di assicuratori
krano甲eSdsichuぬchor乱nO bsulla
corrono hsulladetbrob,Carica,O
dettavitadellasopradettaFrancescha
sideecaricarein sulladetはmⅣe,Si
sia血d汀払rZO1514I光ridinoa
占dall,ora cheladet也n斜佗hrAvela
htto disei disettembre1515avenire,
o avesse httoveladah血trone rer
(この保険を引受けた保険者の危険は,
かつ保険者が上記船舶に積込まれる上
ardareinAquamorta;
上記Francescha の生命について、
記貨物について引受ける危険は,上記
1514年.3月1日から1515年9月6日ま
船舶がAquamorta に行くためMlt−
で引続いて継続する。)
rone を出帆した時から開始する。)
(8)siaムーnortedi fuocho,心aqua,
(8)si占diDio,dimare,digente,
diveleno,di pistolenza,dimortedi
di fuoco,di由ttodirrnre;diriteni−
choltelo
rnentod.isignoriodiCorrmni,Od’−
nrKlrte
et
d’ongni
naturale
altrofero,di
oacidentaleet
d’ongi
altrazTDrtedi che rx)tteSimorire o
alcun’altra
od’arresto
persona,Odi
ed’ognl
rappresaglia
altro
casO,peー
fusi morta ed etia di morte di che non
ricolo,forturuI hpedimentoocaso
Sl rX)tteSiinznaglnare neI把nSare,
Sinistro,Che rerverunnl元orleFDte−
della quale工dio schampietghuardi:
SSe h胞n佗nire o h】SSeintervenuto,e
ttlttili chorano et tuttili portano
fussono httii case come si volessero
detti risti e,dettiasichuratori sopradi
odi che codiziorDe,Salvodi stiva o
loro陣rinfinoatuttodi6disette汀hre
dl dogana,bltti gli portanoa tutti di
1515 a venire.
COrrOmidetti assciurぬri sopr乱心
lorotx:rinSino a tanto cheladetta roha
ー35−
奴隷保険と生命保険(木村)
Sara POSta e SCaricainterra a sahTa−
ncntoinAquamorta.
(保険者が引受ける危険は,火・水・
毒・ピストルによる死亡,刃物その他
(保険者か引受ける危険は神の,海の,
人の,火災の,投荷の,王侯・団体又
すべての鉄による死亡,自然死又は事
はその他あらゆる人の差押の.報復の,
故死,及び想像も予想もできなかった,
強留の,及び,いかなる形態で生じよ
それに対して神が助け護り給う,その
うと,生ずることあるべきすべての他
他の死亡である。保険者は彼女につい
の出来事,危険,不幸,障害又は事故
てのこれらすべての危険を,来る1515
の危険であり,これらの出来事がいか
年9月6日まで負担する。)
なるものであり,いかなる条件であろ
うと,横付の,及び関税の危険を除き,
そのすべてを上記保険者は,上記貨物
がAquamorta に到達し完全に陸揚げ
される時まで引受ける。)
(9)Ese chasoavenisi chellasopra−
(9)Ese匹rCaSOaVVenisse chela
detta Franceschamorisi ofusimorta
detta roba caricainsulladetta nave,e
infradetto tenro,Che serKLolalnOrte
闘止血,0匹鵬irふ,心血ttoluogol℃r
inFirenze fraduamesidaldile
arxhre adettoluogo,neintervenisse
nwelegli asichura.toridebino paghare
ofosseintervenuto alcuno disastro,
aldettoCharloStroz,Zi ciaschuno que
delqualeIddioguardi,giuntelevere
danari sichuratti.
novelledeldisastro,daldiamesidue
prossimicheseguiramlO,idettiassi−
curatori slprO汀賠ttOnOeObbligansidi
dareedipagareadettiFrancescodi
h血rcoeIhmenicodiCambio e compa−
gniacaduno quellaquantitididenari
perluiassicurati・
(かつ,もし上記Francescha が上記
(かつ,もし上記船舶に積込まれた上
期間内に死亡した場合は,死亡の通知
記貨物が上記場所から上記場所に行く
があった時から2ケ月以内に,保険者
ために出港してから,それに対して神
は,上記Charlo Strozziに対して,フ
が守り給う何等かの事故が発生した場
ィ レンツェにおいて,各自その引受金
合は,事故の確実な情報があった日か
額を支払うことを約束する。)
ら2ケ月以内に,上記保険者は上記
−36−
Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
Francesco diMlrCO eDomenico di Ca−
mbioe compagniaに対して,各自その
引・、丁金額を支払うことを約束する。)
(代 Ese prcaso avvenisse chela
detta roba caricainSul1a detta nave e
partita,OPartir左,dadettoluogoF杷r
ardare adettoluogo,infraI肥Si sei
prossimiche segulr8nOnOnCene aVe−
ssevere novelle,Chein quello caso
i detti assicuratori sl prOmettOnO e
obbligansididare e匹gare adetto
Francesco dih血rco eDomenico di
Cむnbio e co叫料aC伽hlnOqpella
quantitAdi dBnariperlui assicurati,
(かつ,もし上記船舶に積込まれた上
記貨物が上記場所から上記場所に行く
ために出港してから後6ケ月以上確実
な情報がない場合は,上記保険者は上
記FrancescodiMardoeDomenicodi
Cambioecompagniaに対して各自その
引受金額を支払うことを約束する。)
(ll)Eseper CaSOaVVenisse chepas−
Satii rrkBSi seidi chedi sorra・Si
contiene,’elaroba由ugnessedaprx)i
e scaricassesiin terra a salvⅢllentO
inAquamorta,Cheinquesto casoi
detti Francesco dih血rco e Domenico
diCamb10e COmpaglia siano tenuti e
debkno rerdere e restihlire a ca血mo
deidettiassicuratoriquellaquantiti
didenaricheI把rdettasicurtAaves−
SerC・rlCeVuti;
(かつ,もし上に定めた6ケ月が経過
−37−
奴隷保険と生命保険(木村)
した後に,貨物がAquamOrta に到達
し安全に陸揚げされた場合は,上記
Francesco diM旺CO eDon℃nico di C乱rl−
bioecom匹伊ia は,上記保障により
既に受取っていた金額を各保険者に返
還しなければならない。)
(1ZI E匹r Ciらoservareidetti asic−
(12)el把rle sopradetta cose osservare
huratori s,Obrldnno aldettoCh8rlo
e attenerei detti assicuratori si si
Strozziloro etloro eredi et beni
obbliganoloro eloro rede e t紀ni,Che
presenti et futuri;et rinunzianc
SOnO eperinnanzi saranno,e SOttO,
a ongnibenifizio,StatuttOetlegie
汀ettOnSi adogniCorte,Arte eluogo
Che perloro fa,CeSi,SOttOmeten−
della cittidiFirenze e sI把CialnRnte
dosialla・Merchatantiaetaongni
allaCorte e Ufficiale e Sei della
altrogiudizio et chorte dove detto
h4lrCatanZiadelladettaCittAein ogni
Charlo
Strozzilivolesi
chonveni_
altroluogodoⅥ1叫ue adettiFran−
cesco dih血rco eDomerdco di Cambio
re.A fede dellaverita:
e compagnla glivolessonoconvenire e
far convenirper alcunorTmlo.
(かつ,上記の件を守るために,上記
(かつ「上記の件を守るために,上記
保険者は,上記CharloStrozziに対し,
保険者は自己自身及びその相続人.並び
自已自身及びその相続人,並びに現イl:
に現在及び将来の財産を以てその膏に
及び将来の財産を以ってその責に任じ,
任じ,フィレンツェのすべての法廷及
自己のためのあらゆる利益,法規を放
び場所,就中上記市の商事法廷,並び
棄し,商事裁判所その他上記Cbrlo
に上記Francescodih血rco e Domenico
Strozziが訴えようと欲するその他す
diCa的bio e compagnia が,いかなる
べての法廷の決定に服する。このこと
形態にせよ,訴えようと欲するその他
が間掛、ないことを神に誓う。)
すべての場所の法廷の決定に服する。)
Equdrdoladetta rotn sara FX)Stae
scaricain terra a salvamentoinAqua
mor†a cheinquello casoidetti
assicuratori slanOliberi edisobbl軸ti
della sICurta搾rloro fatta.
(かつ上記持物が Aquamrb に到達
ー38−
Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
し安全に陸揚げされたときは,上記保
険者はその引受けた保障の義務から免
かれる。)
(13)IoBarblαneORickⅣ℃ri b ktbla
(13)E匹rChiarezzadi cioioCristo−
presente schritta,allaquale si sos−
fano di Pantaleone comemeZZanO e
chriveranno e−detti asichuratori.
sensale del dettoJl肥rCatO ho fatta
questa
scrittadimia
proprlamanOdell’
annoen℃Sedettodi sopra.Iddiola
hcci salva.
(私BartolomeoRichoveri が本吉正券を
(かつ,このことが明確なように私
作成し,本証券に上記保険者が署名し
CrlStOfanodiPantaleone は上記商事
た。)
の仲立人として上記年月に自らの手で
本証券を作成した。神が守り給うこと
を。)
(14)Io Cinodi施sserFrancescoRinuc−
(14)+150 NoyI』remZOPitti e
COmp.aSSichuriam0匹rduc.cemto
Cini
sono
contento
d’avere
assicurato
cinquantalarghid’oro,epernOStrO
per SCldi trecento etc.cqm賠in questa
rischio abbiam)avutO fior.dua,,妬
SCritta si contiene,eperOmisono
1arghiirporoquestodiprmodifeb−
raio1514.Iddiola sald.
1397. I舶iola saM.
十150IoUlivieryGhuadagliin
soscrittodimiamanoa・10 dil」uglio
〔以下Arrigodi SerPiero,Ugodi
no汀e di Tomasomio fratello asichur0
BartolomeoAlessaJdri,Antoniodi
匹rduc・Cientocinquantad’oroin
FrancescoAlessi,Giov孔nniOrlardini.
orolardli.Permio rischiohoauto
FilipFX)eFiancescodih厄sserSinx)ne,
duc.血a % d’oroinoro匹rBar−
Giovanni e Ranieri Pazzi e co.など10
保険者の分省略〕
tolomeoRichovery questodi primodi
febraio1514.
(150ドカート。われわれbremzo
(私CinodiM∋SSerFranCeSCORinuccini
Pitti e comp.は,150金ドカートの保
は,本証券の定めるところにより.300
険を引受け,われわれの危険に対して,
スターティの保険を引受け,1397年7
2兄金ドカートを.本1514年2月1日
月10日,自らグヰで署名する。神が守
受取った。神が守り給うことを。
り拾うことを。)
150ドカート。私UlivieryGhuadagni
ー39一
奴隷保険と生命保険(木村)
は,私の仲間Tomso の名前において,
150金ドカートの保険を引受けた。私
の危険に対して私は2%金ドカートを,
Barbl①1eORichoⅧry を通じて,本
1514年2月1日受取った。)
以下,上に掲げた対照表を見ながら,本証券の形式・内容を考察して
みたい。
(1)目頭に「イエス様」(+Jesus)という文言がおかれている。
当時の保険証券には,このように「イエス様」(Jesu と綴ったものも
ある),「キリスト様」(Christus),「神の名において」(Al−
nome di Dio),「キリストの名において」(工nChristi nomine),
「イエス・キ))ストの名において」(Innome diGesu Cristo)など
の宗教的文言がおかれたこと,それは後にロイズ証券でIn the name
of Godという文言で継承されていることは既に他の機会で屡々触れた
ところである。
(2)本文はSia manifesto a ongnipersona chome(すべての人に
次のことを宣言する)という文言で始まっている。本文言がフィレンツ
ェ保険証券の典型的文言であること,それが後にロイズ証券に有名な
Beit known thatとなって継承されていることも,既に他の拙稿で
折に触れて述べた所である。
(3)本保険証券によると,Charlo di NicholムStrozzi(略して
Charlo Strozzi)が,自分の娘で現在はFrancescho diDomenico
Benvenutiの妻であるFrancescaの生命を保険につけている。しかして
Francescaが死亡したときは,保険金はCharloStrozziに支払われる。
したがって,今日の保険用語でいえば,保険契約者と保険金受取人は
Charlo Strozzi,被保険者は Francesca,つまり,他人の生命の保
−40−
Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
険である。CharloStrozziが何故Francescaを保険につけたか,とい
う直接の動機は本保険証券では分らないが,Francesca が彼の娘であ
る以上,彼が一定の利害関係,すなわち,被保険利益を有していたこと
は疑いのないところであり,故に,全くの他人を保険に付した賭博でな
いことは確かである。因みにStrozziもBenvenutiも当時のフィレンツ
ェの名門であり,保険者はその関係を十分に知っていたと想像される。
(4)保険期間は本証券の文面によると,1514年3月1日から1515年9
月6日まで約1年半である。しかし,これはフィレンツェ暦によってい
ると思われるかち,今日の暦でいえば1515年3月1日から同年9月6日
まで,すなわち,約半年であったろう。
(5)前述のように,CharloStrozziが何故Francescaを保険につ
けたかは判らないが,本条項によるとFrancesca はこの期間自由な行
t
動を許されている。すなわち,彼女は旅行してもよいし,それも,陸,内
水,海を問わず,乗物も馬であっても船であってもよいことになってい
る。本条項はここで対照した1397年のフィレンツェ証券にはないが,
1523年のフレインツェ証券にみられる 〝potendo detta nave toc,
carein qualunque altroluoge,et naVigareinnanzi,Oindietro,
et a sinistra,a piacimento,del Padrone,et far tuttiisuoi
disogni,d(上記船舶は,船長の希望により,他の如何なる場所にも
寄航し,かつ前又は後に,右及び左に航海することができ,また必要と
するすべてのことをなすことができる。)という約款と一脈相通じるも
のがある。
(6)本証券本文では(3)の条項でFrancesca の生命について007ロ
リンの保険がつけられたこと,この(6)では保険を引受けた保険者は対価
として007ロリンを受取るとあるだけで,保険金額も,保険料も空欄
となっており,保険者名も「上記保険者」とあるだけであるが,これら
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奴隷保険と生命保険(木村)
は証券末尾の引受欄の記載で明らかとなる。すなわち,保険金額は300
7ロリンで,Loremzo Pitti e comp.及びUliviery Ghuadagniの
二保険者がそれぞれ1507ロリンづつ引受け,対価として2+7ロリ
ンをそれぞれ受取っている。保険者の危険は前記の通り3月1日から開
始するが,保険を引受け,保険料を受取ったのは2月1日である。
(7)保険者の負担する危険の期間が定められている。
(8)保険者の負担する危険の種類が記載されている。当時の海上保険
証券ではここに主要な海上危険が列挙され,最後にその他すべての危険
という総括文言があったが,本証券ではここに考えられる主要な死亡危
険が列挙され,最後にその他すべての死亡危険となっている。すなわち
保険者の負担する危険は,「火,水,毒,ピストルによる死亡,刃物その
他すべての鉄による死亡,自然死又は事故死,及び,想像も予想もでき
なかった,それに対して神が助け護り給う,その他の死亡」である。こ
の点,奴隷に関する1401年ピーサの保険証券が,「神の,海の,人の,
船員の非行の,及び,いかなる形態でいかなる事故が生じようと,あら
ゆる偶然な出来事,危険,事故,不幸,又は偶然な事故のあらゆる危険
を負担する」,という海上保険の危険条項をおいた後,証券の末尾で,
「・‥保険者は死亡及び上記女紋隷が罷っていた疾病に対し,また自ら海
に身を投げたときは,その責に任じない」ことを記しているのとは,根
本的に異なっている。すなわち,1401年証券は海上保険証券であり,た
だその「貨物」が女奴隷であるためにその特別な危険について末尾で補
足していたが,本証券は純粋に生命保険証券であって,そのことが危険
条項にハッキリと示されている。
保険者はこれら生ずることあるべきすべての危険を,9月6日まで負
担する。負担危険のあとに続いてこれらすべての危険を保険期間の終期
まで負担すると書くのは,フィレンツェ証券の様式である。
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Ⅶ1515年フィレンツェの真正生命保険証券
(9)各保険者は,被保険者Francesca が死亡したという通知があっ
た時から2ケ月以内に,フィレンツェで各自の引受保険金を支払う。こ
の2ケ月という期間はフィレンツェ証券に一般的な期間である。
(1腑1)貨物海上保険と違って生命保険ではこれに相当する場合は考え
られないので,本証券にはかかる条項はない。
(1勿 各保険者が本証券記載の事項を遵守するために,被保険者に対し
て自己及びその相続人,並びに現在及び将来の財産を拘束すること,か
つ,被保険者の欲するいかなる裁判所にも出頭することが記載されてい
る。このような条項は中世のフィレンツェ証券にはどれにでもあった。
(13)本証券を作成したのは仲立人BartoIomeo Richoveri である。
(1勧 前出(6)で述べたように,2保険者がそれぞれ150ドカートを引受
け,対価として2十7ロリンを2月1日に受取っている。なお,Lorenzo
Pitti e comp,は自署した後,Iddiola salviと祈っているが,この
ようにこれは結びの文句であって,決して保険証券の冒頭文言でないこ
とを注意しなければならない。
以上各条項の説明で分るように.1515年のフィレンツェ生命保険証券
は1397年のフィレンツェ海上保険証券と,その様式,内容において極め
て類似している。しかして1397年フィレンツェ証券は当時のフィレンツ
ェ海上保険証券として一般的な様式,内容をもったものであるから,
1515年の生命保険証券,つまり,われわれが知っている真正生命保険証
券の最初のものは,当時使用されていた海上保険証券にならって作成さ
れていたことが分る。それにもかかわらず,それが既に海上保険証券か
ら完全に独立し.た生命保険証券の内容をもっていることは,(8)の危険約
款や,(5)の自由行動を認めた約款にはっきり現われている。このことは,
たとえばこれを海上保険の危険約款を有していた1401年の奴隷保険証券
と比べてみれば,尚一層はっきりするであろう。その後一一世紀の間に,
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奴隷保険と生命保険(木村)
生命保険契約は名実共にその芽をふいたのである。
ただ当時は末だ遠い将来のために備えるという観念は発展しておらず,
一方保険者も個人又は合名もしくは合資会社程度の小さな資本であった
から,生命保険といっても,ごく短期間の,いわば今日の定期保険であ
り,特・−出産死亡保険ではそうであった。また自己の生命の保険は考え
られず,保険契約者と被保険者とは常に別人であったことが注目される。
結 び
一般に海上保険は14世紀,北部イタリアのジェーノヴァやピーサ,フ
ィレンツェに生れたといわれているが,筆者は既に他のいくつかの拙稿
において,ジェーノヴァとトスカーナ地方では海上保険契約は異なった
形で出現したことを明らかにした。
すなわち,トスカーナ地方では,はじめから海上保険は保険契約とし
て出現した。その黄も古い記録として,われわれは1384年4月24日付ピ
ーサ証券をはじめ1385年7月11日付ピーサ証券,1397年7月10日付フィ
レンツェ証券などを知っている。当時においては奴隷も商品の一つであ
ったから,奴隷が既にこの頃貨物海上保険の対象になっていたであろう
ことは想像に難くない。事実1402年5月9日付の女奴隷に関するピーサ
証券が今日に伝わっている。それをみると,それは確かに一つの代物海
上保険証券ではあるが,当時の一一一般の海上保険証券に比較してみると,
対照が奴隷ではあれ,やはり人間であるために,死亡危険という人間独
特の危険が問題とされている。そこで,われわれは,そこに巨L命保険
のめばえ」,「生命保険の精神的はじまり」,あるいは[生命保険の遠
い源」をみた。本稿で紹介した1422年11月24日付のフィレンツェの記録
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結 び
は,以上の筆者の見解を裏書きするかのように,当時既に生命保険契約
が存在したことを示している。また次に紹介した1515年の真正生命保険
証券は,当時の生命保険証券が海上保険から完全に独立したことを示し
ている。したがって,次のごとく結論することができる。トスカーナで
は生命保険契約は15世紀のはじめにめばえ,15世紀の間にめを出した,
と。
これに反し,ジェーノヴァでは海上保険はなかなか保険契約の形をと
らなかった。実質的に世界最初の保険契約の記録といわれる1347年や
1348年の契約は無償消費貸借を仮装しているし,1370年以降の契約は売
買を仮装していた。15世紀に入ると本稿で論じたようにジェーノヴァで
も奴隷や−一般人の出産保険や一般死亡保険の記錨がみられるが,これら
はいずれも売買を仮装した契約であって,真正生命保険契約ではない
(この点で近藤教授かJack はこれらは「まさに『保険契約の形式』を
とっている」と説いていると書かれていることの誤りは既に述べた)。
ただ無償消費貸借や売買を仮装した14世紀の海上保険契約を保険貸借や
準保険とみずに実質上の海上保険契約とみるならば,これら15世紀の仮
装売買も実質的には生命保険契約であろう。その意味ではジェーノヴァ
にも15−世紀には生命保険かあったということになる。仮にそうだとして
も,わが国の諸学者のように1427年や1428年の一一般人の生命保険を無視
して1430年や1464年の奴隷保険のみを生命保険の起源として取上げるこ
とはjl二しくない。しかも,−一般に世界最古の海上保険契約としては他の
契約を仮装したジェーノヴァの1346年や1347年の契約ではなくて,1383
年や1384年のピーサ証券を挙げるのか骨であるからせ界最初の生命保険
契約としても,15世紀のジェーノヴァの記録ではなくて,真正保険契約
であるトスカーナのそれを挙げるべきである。そしてそのような生命保
険契約が15世紀のトスカ一十に確かに存在したのである。
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