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ヘーゲルの言う矛盾 (1)- 『論理学』における矛盾の分析

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ヘーゲルの言う矛盾 (1)- 『論理学』における矛盾の分析
岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要節3
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ヘーゲルの言 う矛盾 (1)-
『
論理学』 における矛盾の分析
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竹 島 尚仁
TAKESHIM A, Naohito
はじめに
ヘーゲルが矛盾律の廃棄 を主張 した哲学者であるという誤解 はいまだに残存 している。 もし本当に
そうであるなら、そこには意味をなす考えは何 も見当たらず、彼のテキス トを読むことはほとんど不
可能であ り、ヘーゲルの哲学から何 も学ぶことはできないであろう。
なるほど、ヘーゲル自身、矛盾 を積極的に容認するような主張 をいたるところで行っている。教授
資格取得討論のテ-ゼのひとつに、「
矛盾は真理の規則であ り、無矛盾 は虚偽の規則である」 とあるo
イェ-ナ期の差異論文において、絶対者 を意識に対 して構成することを哲学の課題 としたとき、たん
なる反省による嬢近が矛盾に陥 らざるをえないと指摘 していた1.そ して r
論理学」においては、矛盾
は存在 しない とい う一般の見解に対 して、矛盾が 「あらゆる経験、あ らゆる現実的なもの,および各々
の概念の うちに見出されさるをえず」
2
、 日常の葎験で さえもが 「
矛盾 した事物、矛盾 した組織等々が
存在 している」
3ことを告げていると言 う.そ して彼 によれば矛盾は 「
あ らゆる自己運動の原理」
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であ
り「
絶対的活動性」
5
なのである。
その反面、彼が同時に矛盾の解消をも主張 していることは、見過 ごされがちである。矛盾を解消す
ることによってある統一 (
否定的統一)が成立 し、それが 「
事物、主観、概念」 として把握 されるこ
とになるOそ してこれ らもまた有限の ものであるか ぎり、より高次の統一にもたらされる6
。へ-ゲル
によれば、矛盾 に陥るのは悟性であ り、理性はそこにたんなる無 を見るのではな く、矛盾を洞察 し、そ
れを統一的に把握するのであるO
ヘーゲルの言 う矛盾 をめ ぐる議論の うちでは、 とりわけ矛盾律 を犯 しているという批判 と矛盾の存
在化 を行っているとい う批判が際立っている。 フルダは、社会批判 における弁証法論理の説得力があ
同一性の命題A=Aはすべての不等性を捨象するが、同時に不等性の定立をも要請する。そこで定立されるのは
A≠AすなわちA=Bという命題であり、これはA=A と即座に矛盾する、とヘーゲルは吾う。
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ヘーゲルの官う矛盾 (1)-
r
旨理学」における矛盾の分析
竹腿 尚仁
る と して も、だか らと言 って矛盾の存在化 を認 め るこ とはで きない と言 う7。 ヘース レは、ヘーゲルが
矛盾律 を受 け入れてお り、そ して 自己矛盾 す る存在者が存在す る ことを認め た と言 う名
。 ゲイ-ラ ン ト
は、ヘ ーゲルの言 う矛盾 を命題 Pと命題 ∼Pとの 間の矛盾 ではない と考 えてい る9
. ローセ ンタランツ
も、ヘ ーゲ ルが 自己矛盾す る枚念 が真 な らざる もので なければな らない とい う真理 に異論 を唱 えるこ
とは なか った と明確 に述べ てい る1
0
。加藤 もヘーゲルの言 う矛盾 はなん ら矛盾律 に抵触す る ものでは
ない と主張 す る1
1
。 ヴ オル フ もまた,ヘー ゲルの言 う矛盾 は矛盾律 に反す る もので はない と分析 す る
が 、 さ らにそれが真 の矛盾 であ る と考 えてい る1
2
。 同様 に高 山 も、ヘーゲルの矛盾が ア リス トテ レス
や カ ン トの論 じた矛盾 ではない とい う。 そ して ローゼ ンクラ ンツ以来の矛盾解釈 、す なわち 「自立存
在 の他者依存性 」 とい う解釈 を根 源的 な矛盾 解釈 で はない と言 う1
㌔
ヘ ーゲ ルの矛盾 をめ ぐる議論 に終止符 を打 つ ため には,加藤が述べ るつ ぎの研究手版 が重要である
ことは疑 い えない。(
Dへ-ゲルが 「
矛盾 の其 理性 」 を語 ってい るテキス トを、彼 の 自筆著作 か ら完全
枚挙 す る、(
参そのテキス トを解読 して,見かけの矛盾 を摘発 し、論理的 に矛盾 とい うことので きる串
例 を残 す 、③ 論理 的 に矛盾 といわ ざるを得 ない事例 につ いて検討 す る 1
40 本稿 では この よ うな研 究手
順 の一環 と して、 まずヘ ーゲル 自身に よる矛盾 の説 明 に立 ち返 り、その説 明 を正確 に理解す ることを
行 うこ とに したい. そのため には r
論理学j の本 質論 における 「矛盾」 の節 に立 ち返 るこ とが点 良で
あ る。 それ に よって,ヘ ーゲルの言 う矛盾が擬似矛盾 で ないのか どうか を まず明 らかに しようと思 うO
それが疑似 矛盾 であ るな ら、ヘ ーゲルが矛盾律 を犯 してい る、あ るい は また矛盾 を存在化 している と
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K ローゼンクランツ(
中埜姿訳)r
ヘーゲル伝1.
白水社.
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5号、2
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以下,加藤(
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71
‖ 加藤尚武、「
エンゲルハル ト音文の吟味」,r
ヘーゲル筈理学研免l第1
貫。エンゲルハル ト詮文では- 残念ながら未入手でありまた未公表のためオリジナルを読めていない- へゲJ
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,
の雷 う矛盾をめぐる三つの立場がまとめられている.①共なる矛盾が存在するのであり,それどころか弁証
法はそのような想定に基づ く,堰)
矛盾はたんに悟性的巴椎において現れるのみであり、理性的思考においては矛
盾は現れないのであ り、弁証法そのものは矛盾を犯すことに基づ くのではない、@ヘーゲルが矛盾一般の客椴性
を望めているとは考えず.t
Tしろ弁証法は有限な思考においてたんに見かけ上矛盾として現れているだけのもの
を解消するための一つの方法であり、したがって矛盾は乗 り也えられるべきものであって、弁証法には矛盾を犯
すという内容は含まれない。本箱 もエンゲルハル ト尊文に対する応答に刺激を受けて昏かれたものであるが、下
敷きとなったのは、私自身が博士論文 r
苫理と世界jにおいで行った矛盾の分析 とその碍籍である。
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山口祐弘他訳)
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矛盾の概念J、学除砂房、1
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3頁)
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M ヴ*ルフ (
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号.1
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9年 (
以下,高山 (
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9)
)、2
8、3
3頁。また、高山守、r
ヘーゲ)
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哲学
1
3 高山守,「
存在と矛盾」、r
理想16
と盤の漁RJ.東京大学出版会、2
∝1
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年、第-串節三節、弟六章節三味三。
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、6
6賢.
1
4 加藤(
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岡山大学大学院社会文化科学研 究科定要第3
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)
いう非難そのものが空 しいものであることになるであろう。
本箱の結論 としては、ヘーゲルが矛盾律に抵触するような矛盾 を主張 してはいない解釈 を追記する
ことになる。 しか し本名がこの論争に対 して何 らかの寄与をしているとすれば,どこからそのような
疑似矛盾が生 まれたのか、そ してなぜそれが疑似矛盾で しかないのかをテキス トに即 して克明に示そ
うとする点である。 また、へ-ゲJ
L
'
の言 う矛盾が本来的な矛盾1
5
と言えるのかどうかは本箱の範囲を
超える課題であるが、それが どの ような事態 (
関係性) を表すのかを示そうとする点である。
以下では矛盾 を理解するために、
その前段階である対立概念をおさえてお く。
対立概念の理解によっ
て矛盾の理解は容易になるし、対立のうちにすでに矛盾関係が伏在 していると考えられるからである。
まずは、ヘーゲルが対立概念 によってどのようなことを説明 しようとしたかを導入 として示す (
1)
。
2)
。それをうけて同所におけるヘーゲルの矛
ついで r
論理学J本質論における対立概念 を分析する (
盾概念 を分析 し、それが矛盾律に反するような矛盾ではないことを示すとともに、 どうして矛盾であ
るかのように誤解 され うるのか も示す。そ して、その ような矛盾の思索が どのような事態 (
関係性)
3)
0
を表 し、それにどのような合理的な意味があるのかについて示唆 を行 う (
1 対立概念への導入
ヘーゲルは、対立 という反省規定 を導 くうえで、或 るものが他の或 るものと比較 されるという次元
を考欝 している。そこでは相異性 (
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) とい う、区別 (
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している。或 るものが何か別の或 るものと相異 したものであるとき、そこには、或るものが他の もの
と異なるという不等性 (
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) という側面 と同時に或るものが他の或 るものに等 しいという
相等性 (
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) とい う側面 とが現れる。これは、われわれが抽象概念のみならず 日常的な個物 を
も比較 し,それ らの共通点や相違点に注 目するときに生 じている事態 と重なる.ヘーゲルが差異性 と
いう区別について重要な特徴 としてあげるのはつ ぎの二つである.第-に、二つの ものの相等性 も不
等性 も、両者 を比較する外的反省 (
主観)のうちにあると捉えられ、対象その ものの規定であること
が忘れられているとい うことである。第二に、相等性 と不等性が関係規定 としてそもそも対立関係に
あ り、相互に切 り放 して捉 えられず、そもそもひとつの反省 (
あるいは同一性)の うちでのみ成立 し
うるような関係規定であるとい うことが忘れられているということである。
たとえば、赤、菅、黄、等々とい う色規定を考 えてみる。それぞれは一つの色であ り、そのかぎり
で他の規定に等 しい。 またそれぞれは相異なる色であ り、他の規定 と等 しくないC これはE
l
常の感覚
知覚の うちに現れる多様性であ り、
非常に基本的な区別の段階である。それらは、
たとえば補色 といっ
た特別な関係性ぬ きに捉 えられてお り、ただ相異なるという関係性の もとで しか捉 えられていない.
さらに、上、下、右、左 という規定を考えてみる。それぞれは一つの場所であ り、そのか ぎりで他
1
5 馬山 (
1
9
8
9
)
、28頁。
ヘーゲルの言う矛盾 (i)-
r
鎗理学Jにおける矛盾の分析
竹島
尚仁
の規定に等 しい.それぞれは同時に相異なる場所であ り、他の規定 と等 しくないo Lか しそれらはた
だ相異なるとい う関係性の もとで捉 えることもで きるが,さらに規定の対立関係に着 日することもで
きる。上 と下、右 と左 は対立関係にあ り、そ して対立関係 にあることによってその規定が成 り立って
いるのであるか ら、さらに対立 という区別の別形態 を考察する必要性 も容易に納得で きるであろう。
相異性 における同一性 と区別、すなわち相等性 と不等性が、互いに没交渉な関係性ではな く、さら
に限定された関係性すなわち対立関係に入るのは、比較する外的反省が捉えていた二側面が或るもの
と他の或るもの自体 に内在化 されること、いわば反省 された側面が対象へ繰 り込 まれることによって
いる。つま り対象にとって外的であったこの二側面が対象 自身の関係性 として凍 えなおされることに
よって,対立が導かれる1
6
。そ して対立は、後節 (
次号掲載予定)で論 じる矛盾の構造を懐胎する。
へ-ゲ)
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,は対立 をこう定式化 しているO
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)〔
両〕側面が同様 に端的にただ否定的統一の契機であるような相異性
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) は対立 (
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」1
7
あるいは、
「区別の契機は、ひとつの同一性 において相異 した ものである。こうして両者は対立 した ものであ
るo」
対立において重要 なのは、区別の契機 (
同一性 と区別)が、両者の 「
否定的統 一」あるいは 「ひと
つの同一性」の もとで捉 えなお されている点であるOひとつの同一性 とは、区別の両契横 を成立 させ
る基盤 となるものである.逆 に相異性においてはこの同一性は顕在化 していなかった。なぜなら或る
ものと他の或るものはこれこれの点で同 じであ り、これこれの点で異なっていると述べるだけで、こ
の相等性 と不等性が ともに成立する碁敵 こついては考慮 されていない。それだか らこそ相等性 と不等
性 とは互いに没交渉な側面 として他方 との関係な しに現れて しまうo Lか し対立関係 を捉 えるにはそ
れでは不十分である。そのためには、同 じ或るもの と他の或 るものを反省する同一な観点の うちで、
相
等性 と不等性は捉 えなおされな くてはならない。
こうして区別の契機 は対立の実検へ と形を変え、それは 「
肯定的なもの (
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)」 と 「
否定
的なもの (
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e)」であると捉 えなおされる。 さしあた り両者は次のように定義 されているo
「この自己へ反省 した自己 との相等性は、それ 自身の うちに不等性への関係を含み、肯定的なもの
である。同様にそれ自身のうちにそれの非存在すなわち相等性-の関係 を含む不等性は、
否定的
8
なものである。」1
相異性 をかたちづ くっていた相等性 と不等性 とが、基本的に肯定的なもの と否定的なものに引 き継
■
6 もちろんすべての不等性が対立関係にはいるというわけではないであろう。にもかかわらずへ-ゲルの誹論がい
わば同一平面上で進んでいくように見えるために、反対対当と矛盾対当の区別が忘れ去られているように見える。
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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第3
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1
)
がれている。そ して、 ともに他方への関係が含 まれているとい う点で、相異性の段 階における相等性
と不等性 の凍 え方 とは異 なっていることが分かる。
た とえば上 と下が対立関係 にあ るとする。先の引用 に即 していえば、上 と下の相等性 は場所であ り、
不等性 はほかで もない上 と下 によって表 されていると言 って よいだろう1
g
。 さて上が何であるかを語
ろうとす るとき、上 は上である と繰 り返 して も、それを規定 したことにはならないので、 さらに上 は
下ではない と言 った とす る.下 について も同様 に、下は上ではない、 とo Lか しここで気づか される
のは、上 も下 も相互的な否定関係 によって、互いに他でない とい うことを述べているに過 ぎず、せい
ぜい対立 しあ うものである と言 えているだけである。 これでは堂 々巡 りであって,上 と下 を本当に区
別 しきれていない (
1)。
では、自分が立 っている とき、頭のあるほ うが上で、足 のあるほうが下だ とすれば、上 と下の固有
性孤を表す ことがで きるか もしれないo Lか し、上や下 とい う規定 を私 に とって相対的に表す だけで
は、本当に両者の規定 を表 した ことにはな らない。 とい うのは、 もし私が逆立ちを していたな ら、最
初述べ た上が下であ り、最初述べ た下が上であると語 ることが可能になって しまうか らであるOつ ま
り上 と下が、場所 その ものの客観的な規定ではな く、私 にとって便宜的に交換可能な規定 となって し
まっている (
2)0
上や下 はたんに私 に とって相対 的であるにす ぎない ものではな く、客観的な固有の意味 をもち、上
は上であ り、下 は下であ り、互いに交換不可能で国有 な意味 を もつはずである。た とえば、下 を重力
3)0
中心に向か う方向、上 をその逆方向 と定めることがで きるであろう (
2 対立概念の分析.一
・
一他者 が存在 するかぎりで存在することと他者が存在 しないかぎりで存在する
こと
では、上や下 といった対立概念 の事例2
1
はさてお き、そ もそ も対立の契機 であるとされた、肯定的
な もの と否定的な ものについて、その固有性 は一体 どの ように して論理学内部で表現 されるのであろ
うか。
ヘーゲルはその過程 を三つの段 階を追って説明す る。実 は、前節末尾 の事例の説明は、その段階 を
先取 りして示 した ものであるO
第一段 階では、肯定的 な もの と否定的な ものが 「
定立 された存在」であるとされている。そのこと
VglGWll 288
「
固有の」忠味(
GWl
12
7
5
.2
7
7
)に関連させて考えている。
ヘーゲルは、J
i
j完的なものと否定的なものの具体例として、正の数(
+a)と負の数(
a
)を挙げている。この例は、
プラスの数とマイナスの数が相互に還元できない国有の意味をもつことを示すうえで分かりやすい。ヘーゲルは
それに先立ち、対立の弗一段階,第二段階に即して正の数、負の数を用いて説明を行っている。とりわけ対立関
a
l
を想定しながら説明を行っているように読めるoM ヴオル7は
係の基盤をなす 「
ひとつの同一性」が絶対侶L
前掲軽でこのような想定をもとにヘーゲルの矛盾概念の分析を進めた。
3
3
7
ヘーゲルの言う矛盾 (
i)-
r
論理学Jにおける矛盾の分析
竹島
尚仁
は、両者が互いに他者によって定立 されていることを意味する。ただ し両者は、相互的な依存関係の
うちで捉えられているにす ぎず、ただ 「
対立する者一般」であるとしか捉えられていない。ここには
両者の圃有性はない。
第二段階では、両者が互いに没交渉であるとされている.両者は互いの対立関係を離れて存在する
かのように捉えられていることになるから、ある意味では相互に自立的な在 り方を達成 しているとも
言いうる。 しか し、両規定が対象 に内在的であるとは捉えられず、外的にラヘルのように張 りかえ交
換 して しまえるような規定であるとしか捉えられていない。そ してそれは同時に対立関係その ものを
支える 「ひとつの同一性」あるいは 「
否定的統一」にも関わ りな く存在するかのように捉えられて し
まっている。
第三段階では、両者が定立 された存在であ り、同時に互いに没交渉な存立でもあることを結合する
ような仕方で成立する。定立 された存在 とは他者によって定立 されていることであ り、他者への関係
を本質 としている。そうした関係 を、自立的に存立する両者が取 り戻すことによって、それぞれが肯
定的なものとい う規定性ならびに否定的なものという規走性 をもち、本当の意味で自立的な反省規定
としての肯定的なもの と否定的なものとが成立する。
ヘーゲルが説明する対立の三段階の素描は以上の とお りであるo三段階の説明2
2
を細か く追跡する
のは本題ではないので、ここでは矛盾に引 き継がれる構造 としてとりわけ重要な第一段階の説明に注
目してお きたい。
ヘーゲルは、肯定的なもの と否定的なもの という対立項の うちに二つの側面をとりあげ、つ ぎのよ
うに整理 している。
「〔1
〕各々は一般に第-に、
他者が存在するか ぎりで存在する。 〔2〕各々はその他者 を通 じてす
なわちそれ自身の非存在 を通 じて、それがそうであるところの ものであるO〔
3〕各々はただ定
立 された存在である。第二 に、〔4〕各々は他者が存在 しないか ぎりで存在するO〔5〕各々は他
者の非存在 を通 じて、そ うであるところの ものである。〔
6〕各々は自己内反省である。
」
2
3
対立項の各々が、定立 された存在 として存在すると同時に、 自己内反省 として存在することが言われ
ているC反省規定が一般にそ うであるように、それが他者 によって媒介 されているということとその
媒介か ら自立的に存立するという両側面がここで も反復 されていると考えられる。
対立項の二つの側面がそれぞれ三つの文 (
〔1〕∼ 〔3〕と 〔4〕∼ 〔6〕
)でまとめられている。た
だ しここには、存在言明 (
-が存在する) と述定吉明 (
-が
である)が混在 しているように思われ
る。 まず 〔1〕「
他者が存在するか ぎりで存在する」 と 〔4〕「各々は他者が存在 しないか ぎりで存在
する」 との対比に着 目してみよう。両者 ともに、ただ肯定的なもの と否定的なものの存在言明を行い、
2
2 なお、対立の三つの側面は,節-の段階が定立的反省に対応し、第二の段階が外的反省に対応し、第三の段階が
規定的反省に対応するという構成になっているO
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)
同時にそれぞれ異なる存在するための粂件を述べているように見える0
〔1〕の文言は、さしあた り一方の潰走が存在するなら他方の規定が存在するということを意味 し、
両者の相互依存関係 を述べていると考えられる。肯定的なもの と否定的なものはそれぞれ対立関係に
ある他方の規定がな くなって しまえばそれ自身もな くなって しまうであろう。 したがってこの文言は
容易に受け入れることができる。そ してこうした相互依存関係のゆえに、各々は他者すなわち自分の
非存在 によって定立 されているわけである (
〔
3〕)
。
ところが
〔
4〕の文言は容易 に受け入れることができない。第-で述べたことと矛盾 したことを述
べているようにみえるという表面的な理由のみならず、実質的に考えてみても各々は他者がなければ
それ としては存在 しえないはずだか らである2
㌧ それでも
〔
6)にあるように、自己内反省 とい うこ
とで各項が存在 (
存立)するということが語 られていることは間違いなさそ うなのである。
そこで、〔日 と 〔4〕が対立項の存在言明を行 っていると理解 して よいのか どうかをあらためて問
〕
う必要がある。そのために、〔2 「
他者を通 じて
そうであるところの ものである」と 〔5)「
他者
の非存在 を通 じて、そ うであるところの ものである」 との対比に着 目してみる。 ここでは 「
∼そ うで
あるところのものである」 とい うように、先ほどと異な り存在言明ではな く、対立項の意味内容につ
〕
いて述走言明2
5
を行 っている。 この観点か ら解釈 してい くと,〔
5 「他者の非存在 を通 じて,そ うで
あるところの ものである」は容易に理解できる。肯定的なものは否定的なものではないことを通 じて、
それが 「そ うであるところの もの」すなわち指定的なものである。否定的なものについて も同様であ
〕
る。〔2 「
他者 〔
の存在〕を通 じて
そうであるところの ものである」はどうか。肯定的なものは
否定的なものであることを通 じて 「そ うであるところの もの」すなわち肯定的なものである。これは
容易に受け入れることはで きない。
「
存在する」 と 「である」に焦点をあてそれぞれの観点か ら整合的な解釈 を試みたが.
ヘーゲルが対
立項の存在について説明 しようとしているのか,それとも意味内容 について説明 しようとしているの
か.画一的な解釈は簸 しいことが分かった。それでは、ヘーゲルはまさに矛盾 したことを通説 どお り
述べているのであ り、このような説明になんの合理的な意味 も見出せないのであろうか。そ うではな
い。
もちろん、なにか或るものとしては存在しえるであろうが、肯定的なものあるいは否定的なものとしでは存在し
えない。
述元 (
Pr
e
dlkat
l
Or
I
)ではなく包摂 (
SUbs
umt
l
On) と捉えるのか正確であるが、ここでは、そのことよりも存在
(
ExI
S
t
e
n
Z)の宮明ではないことが重要である。
3
3
9
ヘーゲルの言う矛盾 (1)-
r
論理学」における矛盾の分析
竹島
尚仁
何 よ りも強調 されねばな らないのは、肯定的な もの ・否定的な ものの意味内容その ものの存在2
6と
意味内容 とを切 り推 して考 えることは事態の本質を見誤 ることになるとい う点である2
7
。なぜ なら、
肯
定的な もの とい う意味内容が存在す ることは、 まさしく否定的な もの とい う意味内容ではない独 自の
意味内容 をもつ ことによっているか らである。つ ま り肯定的な ものの存在 は否定的なものではないこ
とによっているか らであるO 自立的に肯定的な もの ・自立的に否定的 な ものが存在するためには、そ
れぞれの内容規定が確定 されていることが不可欠である.
そこで先の引用 について合理的な解釈 を総合 的な観点か ら施す とすれば、それは,対立項の存在 と
同時にむ しろ意味内容 に重心 を置いてつ ぎのように解釈で きるのではないだろ うか。対立項のそれぞ
れが 「他者が存在するか ぎりで存在す る」 とは、対立項がそれぞれの 「
他者 によって」そ うである と
ころの ものであ り、それゆえ存在す る。「
他者が存在 しないか ぎりで存在す る」 とは、対立項がそれぞ
れの 「他者 の非存在 によって」つ ま り他者 でない2
8ことによってそ うである ところの ものであ り、そ
れゆえ存在す る、 と。
こうして最終段階において、肯定的な もの と否定的なものは、 自立的な反省規定 としてつ ぎの よう
に捉 え られている。
「
肯定的な もの と否定的な ものは、〔
1〕定立 された存在であるだけで も、〔2〕没交渉なものであ
るだけで もないO 〔
3〕それ ら白身でない ところの統一 における定立 された存在あるいは他者へ
の関係 は、各 々へ取 り戻 されている。 どちらもそれ 自身において肯定的であ りまた否定的であ
る」
2
9
引用中の 〔1〕〔
2〕は対立の第-、第二段 階に、〔3〕がその第三段階 に対応す る。 この ような過程
を通 じて、対立項 は他者-の関係 を取 り戻 した自立的な存在 となるのであるが、両者の固有な意味そ
の ものはそれぞれつ ぎの ように説明 される。
「
肯定的な ものはた しかに定立 された存在ではあるが、しか しそれにとっては定立 された存在 は揚
索 された もの としての定立 された存在 にす ぎない、とい う具合 にである。肯定的なもの とは対立
z
b ヘーゲルが r
論理学j において請カテゴリーの形而上学的な意味を考察していることは疑いえないが、そもそも
その分析にあたってどのような意味での存在を考えておくべきであろうか。協極 陰極のような物理的な意味で
の存在なのか、プラス マイナスのような数学的な意味での存在なのか、広くそうした存在を包括する形而上学
的な意味での存在なのか、それとも文字通 り肯定 否定のような くとりあえず現実に安当するかかどうかを闘わ
なくて済む)意味論上のあるいは論理上の存在なのか。私自身は、前二者が r
論理学jの直接の対象でないこと
は明らかであるし、そして妨三のレベルが r
論理学j の対象であるとしても、堀後のレペ)
i
,
が r
論理学」におい
てまず成 り立たないといけないものであると考えているので、以下本稿ではi
I
j
定的なもの 否定的なものの恵味
内容を考案の中心に増えることにする。
㌘ もちろん、それらの存在と意味内容とを切 り離して考えてはいけないとしても、区別することが拒まれるわけで
はない0
2
3 ヴェン図を思い描いて、i
l
f
走的なものは否定的なものが存在しないところに存在する、と解釈することも可能で
あるc Lかしその解釈は、実質的に肯定的なものが否定的なものではないということに還元されると考えられる0
2
9 GWl1 27
4
3
40
岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第3
0号 (
2
01
0l
l
)
していないもの (
da
sNI
Cht
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1
t
ge
geZ
l
geS
e
t
Zt
e
)であるO
た しかに或 るものは他在への関係の
なかで肯定的 と規定 されるのであるが、しか しこのあるものの本性は定立 されたものではないと
い うことである」
3
)
「
否定的なものは、それ自身が もはや定立 された存在
ではな くて自立的な存在であるOそれだ
か ら肯定的なものを否定す る自己-の反省はこの自分の非存在 を自分から排除することである
と規定 されている。
自己内反省 としてそれは他者への関係 を否定する。
それだけで存立 している対立 したものである
否定的なものは
」31
まず肯定的なものは、
他者によってその意味内容が定まりそ して他者 によって存在するがゆえに、
定
立された存在であるO ところが、肯定的なものが肯定的なものであ り、固有の意味 をもつのは.他者
によって定立 されていることが覆い隠され、対立関係 を免れているもの として捉 えられているからで
ある。つま り、肯定的なものの固有の内容規定は、定立 されているとい うことが揚棄 されている (
定
立 された ものではない) ということ、あるいは対立 していないということなのである。
他方否定的な ものは、肯定的なもの と同様 に定立 された存在であることには違いがない。 しかし否
定的なものは、自分の非存在すなわち肯定的なものを自分か ら排除することによって、この定立され
ているということを否定 して しまう。 この排除は他者への関係 を否定することであ り、それによって
自己へ と反省 し、「
肯定的に自己自身にやす らい」
3
2
それだけで存立す るもの となるOそ して否定的な
ものの固有の内容規定は、 自分の非存在すなわち肯定的なものを自分か ら排除することであ り、対立
しているとい うことなのであるO
ヘーゲルは以上のように幾分手間のかかる仕方で、対立の契機である肯定的なものと否定的なもの
が どのような関係性 を通 じて成 り立 っているのかを示 している。要は、定立 されていることと自己へ
と反省 していること、ひろ く言 えば他者へ と関係 していることと自己へ と関係 していることという規
定に含 まれている関係性が指摘 されたわけであるO肯定的なもの と否定的なものは、その関係性の一
面を役い隠す ような仕方で自立的な存立 をもつ ようになっていることが示 されたのである. しかしそ
のような説明は、同者がそれぞれにおいてそ もそ も矛盾 していることを示すための前置 きのようなも
のであると言 えるか もしれない。 というのは、次節でみるヘーゲルの言 う矛盾は、まさに対立関係の
説明のなかに現れた関係性 をそのままうけとめ,そこに伏在する矛盾 を知 らしめるという体裁になっ
ているか らである。
(
以下次号)
x
)GWl
12
7
4
3
1 GWl
l2
7
4
2
7
5
3
2 GWl
12
7
5
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