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p39~p83 - 千葉県教育振興財団

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p39~p83 - 千葉県教育振興財団
第 1節
貝殻を用いた14c年 代測定
つかの層準 か ら試料 を採取 して年代演1定 に供 して、層序 と年代 との対応 が調和 的 になってい るか を確認 す
ることが重要である。
今 回の分析 で は、分析 を行 う試 料 の検証 とい う点で は相 当の注意 を払 って い る。少 な くとも各試 料 にお
いて、共伴 す る遺 物 が分 か る もの を選 び出 し、出土状況 も含 めて検討 を行 ってい る。 ある意味 で は考古学
的検討 に値す るだ けの、必要最低 限 の情報量 をようや く備 えた と言 って よ く、こ うした基礎的作業 を経 て、
初 めて 14c年 代測定 の有効性 と問題点 が 明 らか になろ う。 また、それ に関連 す る ことで あ るが 、14c年 代測
定 が 導入 されてか ら40年以上 た つが、 その間試料 の選 定や採取法 について、 よ り効果的 な方法の 開拓 が必
ず しも積極的 に行 われた とは言 えな い。今後 は、 それぞれの遺 跡 の立地や性格 に合 った試料 の選 択法 と採
取法 を多角的 に検討 し、 14c年 代測定 の利点 を生かす ことを考 える必要があろう。
注
1
貝層 の コ ラムサ ンプル採取方法 につ い ては、出 口雅人『千葉市誉 田高 田貝塚確認調査 報告書』 (文 献
ID13199102)を 参照 の こと。
2
施設 の詳細 については、中村俊夫 ほか1997「 名古屋大学 タ ンデ トロン加速器重量分析計 の現状 (1996
年度 )と タ ンデ トロン 2号 機 の設置状況」『名古屋大学カロ
速器質量分析計業績 報告書 (Ⅷ )』 を参照 の
こと。
3 1990年 に先 に述 べ たアイ ソ トープ総合 セ ンターか ら、加速器質量分析施設が独立 してで きた組織 で、
同時 に古川総合研究 資料館 と合体、年代測定資料 の整理・ 保存 と公開展示 を合わせ て行 っている。
参考文献
浜 田知子 1975 「 14c年 代測定担 当者 か ら考古学者 へ 」考古学 と自然科学
8
中井信之 1979 「カロ
速器 による放射性 同位体分析法 の最近 の進 歩」 RADIOISOTOPES
28 12
中村俊夫、中井信之 1983「 加速器 を用 い た高感度質量分析法 による14c年 代測定 の最近 の進 歩」考古学 と
16
強 1985 「年代決定論
自然科学
藤本
(1)」 『岩波講座 日本考古 学
1
研究 の方法』岩波書店
Kitagawa,H.、 NIlasugawa,T.、 Nakamura,T.and Mateumoto,E.1993 A batch preparation lnethod
of graphite targets with lo、 v background for AMS 14c lneasurements.Radiocarbon,35(2),295-300
Stuiver,M.and Braziunas,T.F.,1993
Modeling atmospheric 14c influences and 14c ageS of rnarine
samples to 10,000 BC.RadiocarbOn,35(1),137-189
Stuiver,M.Long,A.,and Kra,R.,(ed.)1993 CaHbratoin 1993 Radiocarbon 35(1),244
中村俊夫・ 池 田晃子・小 田寛貴 1994 「タ ンデ トロン加速器重量分析計 による14c測 定 にお ける炭素同位体
『名古屋大学加速器重量分析計業績報告書 (V)』 237243
分別 の補 正 について -14c濃 度算出 の手 引 き―」
小 田寛貴 1994「 加速器重量分析計 による14c/13c比 測定 にお ける同位体効果 の補 正 」
『名古屋大学カロ
速器
重量分析計業績 報告書 (V)』 244251
―- 39 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
第 2節
干潟町桜井平 遺跡 ・ 千葉市誉 田高 田貝塚 にお け る
ハ マ グ リの 成長線分析
樋 泉 岳 二 曝 稲田大学ブF常 勤講師)
は じめ に
千葉県干潟町桜井平遺跡 および千葉市誉田高田貝塚 より産出 したハマ グ リ 0姥 π′
″ 滋sθ tt RODING)
の貝殻成長線分析 を通 じて、両貝塚 におけるハマ グ リの採取季節 と成長速度 について検討 した。
桜井平遺跡 は九十九里平野北部、旧椿海 を臨む台地上 に位置する縄文時代早期
(鵜 ガ島台式期 )の 遺跡
である。九十九里平野周辺地域の貝塚では、 これ まで貝殻成長線分析 がなされてお らず、 また縄文早期 の
貝層の分析例 は全 国的 にも少ないこ とか ら、当該地域・ 時代 の様相 を知 るための資料 として重要 である。
誉田高田貝塚 は都川流域貝塚群 の中で最 も谷奥 に位置する縄文時代後期中頃
(力
日曽利 B式 期中心)の 遺
跡 である。同貝塚群 の中・ 下流部 の貝塚 との比較研究 を目的 として分析 を行 った。
1.桜 井 平 遺 跡
(1)貝 層 の概要
桜井平遺跡 で は、千葉県文化財 セ ンターの発掘調査 (蜂 屋他 1999)に よ り、鵜 ガ島台式期後半 の小 規模
な斜面貝層 が検 出 されて い る。 貝層 は台地 斜面上方 の浅 い谷状 の 凹地 に堆積 して い る。面積 は約 40m2、 厚
さは50cm前 後 で、 かな りの急斜面 に形成 された貝層 である。貝層試料 としては、50cm角 の柱状試料
(コ
ラ
ムサ ンプル)が 6か 所 で採取 されて い る。各 コラム はそれぞれ 貝層 の傾斜 に合わ せて厚 さ 5 cmご とに分割
採取 されてお り、各分割単位 には上か ら通 しナ ンバ ー
(カ
ッ トナ ンバ ー)が 付 けられて い る。 これ らの コ
ラムの うち、m2コ ラム とNo5コ ラムの 2本 が水洗処理 され 、貝類組成・ サイズ分 布 が調 べ られて い る。 そ
の結果 による と、両 コラム ともマ ガキ・ハマ グ リが卓越 して い るが、No2コ ラムで は全 層準 を通 じてハ マ グ
リが約 7∼ 8割 (個 体数比 )を 占 めるのに対 し、商 5コ ラムで はマ ガキ も多 く、構成比 の層位変化 が大 きい。
(2)試 料
(第
2表 )
死亡季節推定用試料 として、m2コ ラムのカ ッ ト 1∼ 11か ら 4点 ず つ、商 5コ ラムのカ ッ ト 1∼ 7か ら 3
点ず つ、合計 61点 のハマ グ リ殻 を抽 出 した。試料抽 出 に当た っては、同一個体 の重 複分析 を避 けるため、
まず各 カ ッ トごとに左殻 だ けを抜 き出 し、 その 中 か ら完形 もし くはそれ に近 い殻 を選 び出 した。次 いで、
腹縁付近 の成長線 の判読 が 困難 と思われ る大型 0高 齢 の貝 を除 外 した上 で、殻 サイズ分布 に応 じて大 きさ
に偏 りのな い よう留意 しつつ試料 を抽 出 した。成長速度推定用試料 としては、m2コ ラムの各 カ ッ トよ り大
型殻 を 1点 ず つ、計 10点 を抽 出 した。
(3)分 析方法
プレパ ラー トの作成 お よび死亡 季節 の推定 は、基本的 に小池 の方法 (Koike1980)に 準 じた。試料 は、殻
高・殻長 を計測 した後、殻頂 と腹縁の殻高計測点 を結 ぶ線 に沿 って切 断 し、樹脂包 埋 と切 断面 の研磨、0.1
―- 40 -―
第 2節 干潟町桜井平遺跡 。千葉市誉田高田貝塚におけるハマグリの成長線分析
桜井平遺跡 にお けるハマ グ リの死亡 季節推定結果
第 2表
No 2-65
L
636
501
L
489
390
L
486
L
*449
*538
428
L
472
395
L
505
396
L
*565
455
L
L
L
*51 4
448
427
408
368
343
427
,
ふ
,
保存悪い
冬輪不明確
低成長・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
冬輪不明確
低成長・クロスラメラ顕著
T
品
■
8
7
︲
W
。
6
︲
?
,
つ
つ
,
W
W
T
W
W
,
?
,
ク
41 8
W
400
354
,
375
440 346
390 326
490 389
,
41 9
*481
501
23//231
,
521
L
L
23//231
360
L
491
*429
283
410
461
L *483 376
L
L
188
250
41 8
L *460 380
L
L
L
クロスラメラ顕者
低成長・クロスラメラ顕著
,
L
つ
*491
590
,
L
L
,
369
,
ホ397
502
,
L
L
,
-2
-3
484
359
,
…1
420
586
444
0?
133
0
6
︲
-2
-3
51 7
L
L
冬輪不明確
低成長
冬輪不明確
僻
5-⑥
5-⑥
5-⑦
5-⑦
5-⑦
L
0?
高齢
冬輪不明確
冬輪形成中
保存悪い
クロスラメラ顕著
高齢
249?
135ノ /315
。
4
︲
No
No
No
No
No
133
230?
8
・ 7
︲
-1
卜2
卜3
卜1
卜2
No5-④ 卜3
No5-⑤ 巨1
No5-⑤ 卜2
No5-⑤ 卜3
No 5-⑥ -1
382
型
-3
453
135//315
冬輪不明確
冬輪不明確
冬輪不明確
W
②2
L
578
339
385
冬輪形成中
クロスラメラ顕著
高齢
クロスラメラ顕著
120
200?
257?
207
,
54 No 5-② -1
41 2
478
6
5
2
No5-① …3
L
L
114?
185?
172
441
0± 52
2
4
︲
53
726
35/190
,
No 5-① …2
*531
L
120
200?
冬輪不明確
冬輪不明確
低成長・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
245
,
52
1
L
284
冬輪不明確
208
195?
,
No5-① 卜
339
395
340
179?
?
5
51
*393
*468
0?
114?
,
No2-(D-4
L
L
L
35//190
6
6
3
No2-(D卜 3
49
359
378
41 2
465
577
W
48
521
442
*452
509
571
728
7
・ 2
3
No 2-(D-2
*645
L
L
L
L
L
6
9
2
No 2-①-1
47
L
2
2
2
No 2-に D-4
No 2-⑩-5
328
375
386
*553 ホ457
二
44
66
67
68
69
70
71
61 3
398
461
*489
178
36
0± 27
,
No
No 2-⑩…3
62
63
64
65
795
L
L
L
,
42
43
1
「い2
2-⑩
5-②
5-③
5-③
5-③
5-④
5-④
L
,
No2-⑩
No
No
No
No
No
No
409
466
。
5
. 2
No 2-⑨ F4
41
56
57
58
59
60
61
*474
582
?
No 2-63
55 No5
L
L
︲
0
3
-1
卜2
No2-(D卜
31 0
W
-5
No2-(フト5
50
383
369
0
7
2
-4
40
45
46
457
L
7
4
2
39
2-③
2-③
2-⑨
2-⑨
382
391
449
475
う
38
No2-③ -3
475
553
588
L
L
No2-③ い2
No
No
No
No
L
L
L
T
34
35
36
37
No2-04
No2-65
No2-61
31 2
467
稀
32
33
No2-⑦ 卜3
381
L
義
29
30
31
2-⑥ …3
2-()-4
2-⑥ -5
2-⑦ -1
2-⑦ -2
L
轟
28
No
No
No
No
No
444
,
23
24
25
26
27
1
*558
クロスラメラ顕著
223
,
No2-⑤ 卜
No2-⑤ 巨2
No2-⑤ 3
「…4
No2-⑤
No2-⑤ ‐5
No2-⑥ …1
No2-⑥ …2
L
冬輪不明確
167
183
ら
16
17
18
19
20
21
22
308
ウら
No2-()-5
*370
L *657
528
L
404
343
L *464
385
L *458
386
L
504 41 6
,
15
L
266∼ W?
9
0
No 2-④ -2
No 2-④ -3
No 2-()-4
377
。
3
12
13
14
409
453
・ ?
1l No 2-④ -1
520
L
?
No
L
L *537 420
低成長・クロスラメラ顕著
9
5
10
427
376
533
︲
7
9
2-③ ‐4
1
540
460
*634
︲
5
No2-③ 卜
No2-③ 卜2
No2-③ い3
361
L
L
L
・
6
7
8
429
備考
)
6
5
5 No2-O② -5
L
推定死亡季節
(補 正値
,
3 No 2-(D② -3
4 No 2-(D② -4
359
殻高 冬輪数 最終冬輪からの 前年 の冬輪間
*1
日成長線数
日成長線数
304
,
①②-2
Ⅲl
一
2 No2
殻長
98
5 。3
。3
02
3 8割
︲2型2
83
0蘭︲
3
60,,W︲
5
7
6
25
︲
︲,4
︲︲
,2,8
︲ ,,,,,,︲
2,
試料 地点・層・No 左右
番号
l
No 2-① ②-1
L
高齢
冬輪不明確
成長不規則・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
冬輪不明確
クロスラメラ顕著
低成長・クロスラメラ顕著
冬輪不明確
クロスラメラ顕著
クロスラメラ顕著
クロスラメラ顕著
俣存要 い
*1*の ついた数値は破損殻での推定値
-41-
第 1章
資試料分析とその研究
N希 塩酸 によるエ ッチ ング
(約 30秒 )の 後、切断面 に酢酸 メチル を滴下 してアセチルセル ロース フ ィルム
を貼 付 した。 フ ィルム は剥 離後 の収縮 を避 けるため、充分 に乾燥す るまで数 時間放置 した後 に剥離 して、
貝殻断面 の レプ リカを作成 した。 これ をスライ ドグラス とカバ ー グラスに挟 んでプラスチ ック・ テープで
固定 し、 プ レパ ラー トとした。
成長線 の観察 はメカニ カルステー ジ付 き生物顕微鏡下 40∼ 200倍 で行 つた。す べ ての試料 につ い て、まず
冬輪 の数 を確認 し、最終冬輪 か ら腹 縁 までの 日成長線数 を計数 した。 また、複数 の冬輪 を もつ試料 につ い
て は、で きるだ け各 冬輪間 の 日成長 線数 を計数 した。 ハ マ グ リの貝殻成長線 は潮 の干満 をベ ースメーカー
として形成 され る と考 え られ 、今回の分析試料 で も潮汐周期 を示す成長線 の配列 パ ター ンが全般的 に認 め
られたので、 ここで は潮汐 2サ イ クル (=約 24.8時 間 )に 相 当す る成長線 を もって 日成長線 1と カウン ト
した。
死亡時期 は、Koike(1980)に 従 って冬輪形成 の 中心時期 を東京湾 の最低水温期 で ある 2月 中旬 と見 な し、
最終冬輪 か ら腹 縁 までの 日成長線数 (2月 中旬 か ら死亡 時 までの経過 日数 )に よって表記 した。成長速 度
については、殻頂 と冬輪 のステー ジ座標 か ら算出 した両者 の距離 を冬 輪形成時 の殻 高 と見 な し、各冬輪形
成時 の殻高分布 を求 めた。 また、複数 の冬輪 を もつ試料 について は、Walfordの 定差図法 (Walford1946,
小池 1982)に よって各年齢時 の平均殻高 を求 めた。
(4)年 間 日成長線数 の不足 お よび障害輪 の介在 につ いて
冬輪 は年 に 1回 、 しか も毎年 ほぼ同 じ時期 に形成 され るので、冬輪 と冬輪 の 間 の 日成長線数 は年間 日数
に近 似 した値 を示す ことが期待 され、有明海 (熊 本 県緑川河 日干潟 )産 のハマ グ リで は これ を支持 す る結
果 が報告 されてい る (Koike1980)。 しか しなが ら、今 回 の分析試料 にお ける冬輪間の 日成長線数 (最 大 ∼ 最
大 (平 均 ±標 準 偏 差 ))は 、第
1-第 2冬 輪 間 で234∼ 388(319.9± 58.3)、
第
2-第 3冬
輪間で
209∼ 320(265.8± 32.3)と なった。 この値 は年間 日数 (正 確 には、年間潮汐周期数 /2≒ 354)よ りかな り
少 な く、 また高齢 の個体 ほ ど年間 の成長線数 を減 じる傾 向 が認 め られ る。 こ うした年間 日成長線数 の不足
は関東 ∼ 東海地方 の貝塚産 ハ マ グ リに一般 的 に認 め られ る現象で、冬季 を中心 とした殻 成長 の停止 による
もの と考 え られ る (樋 泉 1995,1998)。 これ らの試料 で は冬 の成長停止期間中 の成長線 が欠落 す るため、上
記 の方法 による推定死亡季節 は実際の死亡季節 よ り前 にずれて い る可能 性 が高 い。 そ こで、 こ うした タイ
ム ラグを補 正す るため、以下 の方法 (樋 泉 1998)に よって死亡 時期 の補 正値 を求 め、第 2表 に参考値 とし
て示 した。
M)+(354-N(WL l∼ WL))/2
N(WL∼ M):最 終冬輪 と腹縁 の間 の 日成長線数
N(WL l∼ WL):最 終冬輪 の直前 の冬輪 と最終冬輪 の間 の 日成長線数
補 正 値 =N(WL∼
ただ し、 この補 正 値 は算定 の根拠 に不確定要素 を残 すため、 さ らに検討 の余地 が ある。 よって、以下 で
は未補 正値 を用 い て記述 を進 めるが 、 この値 は実際 の死亡季節 よ りも若 い値 を示 して い る可能 性 がある と
い う点 に留意 が必要である。
一 方、 これ らとは別 に、 一 見冬輪 に見 える成長線密 集帯 (低 成長帯 )間 の 日成長線数が 180前 後 と著 し く
少 な い個体 も認 め られ る。 これ らの個 体 で は、夏期 に冬輪 と同様 の障害輪 (擬 冬輪 )が 形成 されて い る可
能性 が 高 い (樋 泉 1995)。 冬輪 と擬冬輪 の判別 が 困難 な試 料 については、最後 の低成長帯 を冬輪 と見 なすか、
―- 42 -―
第2節 干潟町桜井平遺跡・千葉市誉田高田貝塚におけるハマグリの成長線分析
あ る い は最後 の低 成長帯 を擬 冬 輪 とし、 もう一 つ 前 の 低成 長帯 を冬 輪 と見 るか に よって 、死 亡季 節 の 推 定
値 はふ た つの候補 に分 かれ る。そ こで 、推定 結 果 を記載 す る際 には、これ らの 推 定値 を/で 結 んで 表記 した 。
(5)結 果 と考 察
死亡季節
①
死亡季節 の推定結果 を第 2表 に示 す。推定結果の得 られた試料 は、m2コ ラムが50点 中32点 、ヽ 5が 21点
中 9点 、合計 41点 である (第 3表 )。 その他 の試料 で は、不規則 な成長や擬冬輪 の介在 な どのために冬輪 の
認定が困難 であった り、成長線が不明瞭 で読 み とれ な い な どの理 由 によ り、死亡季節 を推定 で きなか った。
死亡季節 (第 15図 )は 、全体 として は冬後半 を除 く周年 にわたっているが 、 そのほ とん どは冬輪形成後
90日 ∼ 225日 の期 間内 にあ る。この ことは、本遺跡 においてほぼ周年 にわた リハマ グ リの採取が行われて い
た こと、 またその採取季節が主 に夏 ∼ 秋前半 であった ことを示す。 こ うした季節分 布 の特徴 は、本遺跡 が
縄文早期後半 の段 階 ですで に強 い定住傾 向 に あ った ことを示 してお り、 また貝類 採取 に季節的な計画性 が
存在 して いた可能性 をうかがわせ る。
地点別 に見 る と、m2コ ラムで は死亡季節が春か ら秋 まで広 く分散 して い るの に対 し、No5コ ラムで は結
果 の得 られた試料 のすべ てが 120∼ 180日 の期間内 に集 中 してお り、採 取地点 が近 接 して い るに もかかわ ら
ず、両 コ ラムの季節分布 は明 らかな違 い を示 した。 また 、m2コ ラムで は、カ ッ ト4が 190∼ 220日 、カ ッ ト
7・
9が 120∼ 200日 に集 中す るのに対 し、 カ ッ ト102、
6、
10で は春か ら秋 まで分散 して い る (第 16図 )。
こ うした状況 は、貝層がかな りの急斜面 に形成 されてい るに も関わ らず 、部分的 には短 期間 の廃棄単位 が
保存 されている こ とを示す。 おそ ら く貝の採取・ 廃棄 が活発 な夏 の堆積物 は、堆積速度 が速 いために保存
されやすいのに対 して、貝 の廃棄量が低下 す る秋 か ら春 には各季節 の貝の混合層が形成 された もの と推測
され る。
季節分布 と貝類相 の対応関係 についてみ る と、No2コ ラムで は貝類組成 が単調 で あるに も関わ らず 、季節
性 の層位変化 が比較的大 きい。一 方、商 5コ ラムで は貝類組成 の層位変化 が 明瞭 である割 には、これ に呼応
す るような季節分布 の推移 は認 め られ な い。これ は、m2コ ラムで は秋 か ら春 の間 もハマ グ リが廃棄 され続
けて い るの に対 して、
m5コ ラムで は この季節 にハマ グ リに代わ ってマ ガキ層 が形成 されて い る ことに よる
ので はないか と推測 され る。
②
成長速度
冬輪形成時の推定殻 高 を第 3表 に示 した。 まず各冬輪形成時 の殻 高分布 (第 17図 )を 見 る と、第 1冬 輪
で平均 101nlll前 後、第 2冬 輪 で25111111前 後、第 3冬 輪 で351nlll前 後 に達 して い る。 ただ し、殻頂 の ご く近 くに形
成 されてい る第 1冬 輪 は殻 の磨耗 や風化 によって失われ ている ことが 多 いため、第 1冬 輪 の平均殻 高 は実
際 の値 よりもかな り大 きい値 となっていると考 えられる (こ うした観察不可能 な第 1冬 輪 の有無 は樋泉 (1995)
と同様 の 方法で判定 した )。
Walfordの 定差図
40.61nlll、
(第 18図 )か ら推定 された満年齢時の平均殻高 は、 1歳 で 19.Ol■
ll、
2歳 で31.9mll、 3歳 で
4歳 で46.51nlll、 5歳 で50.41nlllと なった。この成長速度 は東京湾岸 の縄文貝塚産 ハ マ グ リ(小 池 1982)
とお よそ一致す る。 こうした様相 か ら、当時 の遺 跡近傍 にはハ マ グ リの生 息 に適 した 内湾砂泥底環境 がか
な りの規 模 で形成 されていた と推定 で きる。 この ことは、本貝塚 の貝類 が東京湾岸 の貝塚 と同様 の 内湾性
種 で 占 め られてお り、チ ョウセ ンハ マ グ リをはじめ とす る外洋性種 が見 られな い ことと も調 和す る。
―- 43 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
第 3表
桜井平遺跡産ハマグリの冬輪時殻高。 Wn: 第 n冬 輪。
3
No2-O② -4
2
NA'-6` つ卜ら
4
No2-③
No2HЭ 卜4
391
184
278
3
74
237
328
W6
地 点・層・No
冬輸数
No 2-③ -2
2
■
190
263
+
351
460
「5
NO,-0■
No2-⑨ 卜4
344
No.2-@l
No.2-G2
No.2-@3
No.2-@4
3
2
37
2
114
127
3
4
4
No 2-① -1
3
N^'“ T卜 │
No 5-① ‐3
No 5-② 卜
4
329
197
305
293
293
391
352
446
5
11.5
+ ” +劉 +
No.2-@-1
No.2-G2
No.2-G3
No.2-G4
No.2-O-S
1
W
416
471
2
369
448
51
145
No 5-02
297
326
322
385
361
522
576
No5-③ 卜2
3
No 5-63
3
No5-⑤ -2
2
No 5-⑥ -2
3
十 う0
3
125
136
67
2
335
W
159
4
r-6N5
■
W2
3
Na
98
Wl
3
3
2
No2-⑥ ‐
3
No 2-餅 5
W5
No 2-③ 4
149
+
2
No 2-⑤ -1
No 2-⑥ -2
(
W4
+″
No2-④ ‐3
No2-a卜 4
No2-(,-4
No2-C■ 5
殻高
W3
4
3
No2-65
W2
17.1
2
1
「
No 2-02
No 2-03
Wl
5
冬輪数
No2-(〕 ②‐
3
7 3
地 点・層・No
No5-C■ 3
No5-│
445
483
N
12
10
8
6
4
2
コ
0
1-45
46-90
91-135
136-180
.
181-225
226-270
271-315
316-VV
死亡季節
第 15図
桜井平遺跡 にお けるハマ グ リ死亡季節分布
桜 井 平 :No 5コ ラム
桜井平 :No_2コ ラム
0
45
0
90 135 180 225 270 315 360
45 90 135 180 225270315 360
1
2
”
一姜
平Zo
3
4
賀華 zo
5
6
7
8
9
10
11
第 16図
桜井平遺跡 にお けるハマ グ リ死亡季節分布 の層位変化
―- 44 -―
第 2節 干潟町桜井平遺跡・千葉市誉田高田貝塚におけるハマグリの成長線分析
本貝塚 のハ マ グ リの殻長 組成 はヽ 2・ M5と
桜 井 平 :コ ラム No 2
0
6
もほぼ同様 に35∼ 601nm(殻 高約 30∼ 501nll)の
0
5
ものが大 半 を 占 めてお り、特 に50111m(同 約 40
0
3
。
2
上記 の成長速度 と上ヒ較す る と、採取 されたハ
EE︶
︵
に饉
これ を
0
4
mll)前 後 の個体 が 多 い (蜂 屋他 1999)。
。
1
マ グ リの大 半 は 2∼ 5歳 で、特 に 3歳 前後 の
0
個体 が主な採取対 象 となっていた と推定 され
る。 2歳 未満 の個体 が ほ とん どな く、 また 4
∼ 5歳 の高齢個体 がかな りの比率 で含 まれ る
桜 井 平 :コ ラム No 5
0
6
。
4
。
3
なお、m2の カ ッ ト5、 No5の カ ッ ト 105
EE︶
︵
に薇
響 は小 さか った と推定 され る。
。
5
ことか ら、採取圧 によるハ マ グ リ資源 へ の影
。
2
。
1
で は、全試料 に類似 した成長阻害 (成 長低下
。
や顕著 なク ロスラメラの形成 )が 認 め られ 、
/1
ノ
成長線の解析可能 な試料 が得 られなかった (第
2表 )。 また、No5の カ ッ ト5付 近 の層準 で は、
桜 井 平 :合 計
。
6
こ うした試 料 の 出現 と軌 を一 に して マ ガキの
0
3
。
2
︵
EE︶
に駁
悪化が生 じたか、 もし くは採貝場 がハマ グ リ
│
。
4
グ リの成長 が 阻害 され るような短 期的 な環境
│
0
5
顕著 な増加 が生 じて い る。 この ことは、 ハマ
│
Ю
。
の生 息 に不適 な場所 ヘー 時的 にシフ トした可
能性 を示 して い る。
2。
第 17図
誉 田高 田貝塚
桜 井平遺 跡産 ハ マ グ リの冬 輪形成 時 の 殻 高分布
◆ は最小―
最大、横棒は平均を示す
(1)貝 層 の概要
貝層 は比 較 的大 きな 4か 所 の地 点貝層 のほか、遺構 内 に堆積 した小 貝層 が 多数集合 して、全体 として弧
状 の分布 を描 い てい る (出 口1991)。 今 回分析 した試料 は、1990年度 の千葉県文化財 セ ンターによる発掘調
査 の際 に、 2T
l(ピ
ッ ト)お よび 3T
l(住 居跡 )内 部 の貝層 か ら採取 された ものである。
2T lは 直径約 40cm、 深 さ75cmの 柱穴状 の ピ ッ トで、覆土 には確認面 か ら底 まで混土 貝層 が含 まれてい
た。所属時期 はカロ曽利 B3∼ 曽谷式期 である。貝層試料 としては、半裁 した残 りの覆土が上 部 か ら厚 さ10
6)に 分割採取 されて い る。
3T lで は、住居跡 の ピ ッ ト内か ら床上 にか けて、 2m四 方 ほ どの範囲
cmご とに 6単 位 (上 か らカ ッ ト 1∼
(一 部調査 区外 まで伸 びる)か
ら貝層 が検 出 された。貝層 は不整形 で、厚 さは約 10cmだ が上 面 は削剥 されてい る疑 いが 強 い。所属時期 は
堀之内 2∼ 加 曽利 B式 期 であ る。貝層分布範 囲 には50cmメ ッシュがか けられ、貝層 はこの 区画 ごとに分割
して採取 された (層 位的 な 区分 は行 われて い ない)。
一- 45 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
(2)試 料
(第
2表
桜井 平
)
死亡季節推定用試料 として、 2T
カ ッ トにつ き 2点 づつ、
lで は各
3T lで は各 区画 に
つ き 1∼ 3点 ず つ (含 まれ るハマ グ リの殻 数
に応 じて点数 を調 節。 一 部 の 区画 は分析可能
にあた っては、同一個体 の重 複分析 を避 ける
ため、 まず各 カ ッ ト・ 区画 ごとにハマ グ リの
子SH(3)‐ 496
︵軍 ε3工∽
な試料 な し)、 合計 38点 を抽 出 した。試料抽 出
0
.
0° 0ジ
左右殻 の うち数 の多 い方 を抜 き出 し、以後桜
/― ‐,一 一
井平遺跡 と同様 の手順 で抽 出 を行 った。成長
速度推定用試料 としては、 2T
‐
SH(1)‐
:
190
lよ り 3点 、
3T lよ り 6点 の大型殻 を任意 に抽 出 した。
00
(3)分 析方法
00
100
標 準偏 差 )は 、第
20.7、
第
1-第 2冬 輪 間 で314.0±
2-第 3冬 輪 間 で265.8± 49.5と
300
400
500
600
SHW(n)
分析方法 は桜井平遺跡 と同様 である。なお、
本貝塚 においても冬輪間の日成長線数 (平 均 ±
200
第18図 WalfOrdの 定差図法による桜井平遺跡産ハマグリの成長速度
SHW(n):第 n冬 輪時 の殻 高、SH(n):満 n歳 時 の殻高、
SHmax:最 終殻高
な
り、年間 日数 を大 き く下 回ったので、桜井平遺跡 と同様 の方法 によ り死亡季節 の補 正 を試 みた。
(4)結 果
①
死亡季節
死亡季節 の推定結果 を第 4表 に示す。 48点 の試料 中、結果 の得 られた試料数 は 2T
28点 、合計 40点 である (第
lで 12点 、 3T lで
4表 )。 その他 の試料 で は、桜井平遺跡 の場 合 と同様 の理 由 によ り、死亡季節 を
推定 で きなかった。
死亡季節 の分布 (第 19図 )を みる と、 2T l、
3T lと もに、死亡季節 は周 年 に分散 してお り、ハマ グ
リが年間 を通 じて入手 されて いた ことを示す。地点別 に見 る と、 2T
クが見 られ るのに対 し、 3T
lで は夏∼秋前半 にゆるやかな ピー
lで は夏前半 の貝 が際 だ つて多 い。全体 として は、初夏 か ら秋前半 の間 が主
な採取 シーズ ンで あった と見 て よいが 、 その ピー クにはかな りの経年変動 が生 じて いた疑 い もある。
3T lの 季節分布 を区画 ごとに見 る と(第 19図 左 )、 区画 9、
14∼ 17は 初夏 に明確 な集中 を示す ほか 、 区
画 11、 13で は夏 か ら秋 にゆるやかな まとま りが見 られ る。 この ことか ら、本貝層 はい くつかの季節的 なブ
ロ ックが モ ザイ ク状 に集合 して構成 されて い るもの と推定 で きる。
2T lは せ ま く深 い ピ ッ ト内 とい う閉鎖的 な堆積環境下 に形成 された貝層 であ るが、 カ ッ トごとの季節
分布 に層位的 な連 続性 は とくに認 め られなか った (第 19図 右 )。 分析試料数 が 少 な いために傾 向 が はっき り
と現れ ていないのか もしれ な いが、 二 次的な廃棄物 また は流れ込 みによる堆 積物 の疑 い もある。
②
成長速度
冬輪形成時 の推定殻高 を第 5表 に示 した。第 1∼ 第 3冬 輪形成時 の平均殻 高 (第 21図 )は 、 2T
―- 46 -―
lで は
第 2節 千潟町桜井平遺跡・千葉市誉田高田貝塚におけるハマグリの成長線分析
第 4表
試料
番号
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
左右
*1
2T―
2T―
2T―
2T―
2T―
2T―
2T―
2T―
2T―
―
OD-1
-GD-2
-GD-3
-② -1
-②-2
-③-1
-③-2
-④ -1
-④-2
2T― -④-3
2T― -⑤ -1
2T― -⑤-2
2T― -⑥ -1
2T― -⑥-2
2T― -⑥-3
3T―
3T―
3T―
3T―
―
①-1
殻高 冬輪数 最終冬輪からの 前年の冬輪間 推定死亡季節
日成長線数
(補 正値 )
日成長線数
殻長
L
L
416
405
350
335
L
*584
457
R
366
31 1
R *431
L
384
L
487
L
420
L
433
365
322
404
345
355
L
-
531
R
478
398
R
383
318
R
*385
325
R
R
L
335
585
360
275
468
308
-② -1
R
371
315
-② -2
-④ -1
3T― -④ -2
3T― -⑥ -1
R
678
523
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
8T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
3T―
-③ -1
-③-2
-⑨ -1
-⑨-2
-⑨-3
-⑨-4
-⑩ -1
-⑩-2
-① -1
-① 2
-①-3
-①-4
L
*451
358
R
330
291
L
L
*450
*574
366
456
L
517
410
R
385
319
R
■ 456
370
R *487
R
584
L *309
406
474
256
R
309
357
R
429
860
R
478 394
R 390 318
R *654 * 490
R
315
273
R
407
-⑬ -1
-⑬-2
-⑭ -1
-⑭-2
-⑭ -3
L
-⑮ -1
-⑮-2
-⑮ -3
-⑮ -1
-⑮-2
-⑮-3
-① -1
-① -2
-①-3
-〇-4
備考
*1
455
364
L *404
L
322
R *554
R *458
332
269
446
362
R
359
301
R
R
R
R
R
R
R
*442
431
385
346
414
469
617
368
367
317
309
353
378
505
220
冬輸形成中
成長不規則
0
95
285
240?
180?
冬輪不明確
冬輪不明確
210
120
冬輪不明確
冬輪不明確
207
冬輪不明確
177 ?
21
100?
130 ?
120//290
175 ?
90 ?
170?
0
85
一3 3 ? 2 ? 2 2 3 ? 2 2 2 1 ? 2 2 2 2 3 2 2 ? ?
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
地 点・層・No
3 3 汚 2 2 2 2 2 3 × ? 2 3 2 3 ? ? ? 2 ? ? ? ? 3
1
2
3
4
5
6
7
8
9
誉 田高田貝塚 にお けるハマ グ リの死亡季節推定結果
260?
223?
,
,
323
106
試料なし
冬輸不明確
冬輪不明確
保存悪い
冬輪不明確
冬輪不明確
30//245 ?
121?
100?
280?
310?
クロスラメラ顕著
保存悪い
冬輸不明確
保存悪い
冬輪不明確
保存悪い
保存悪い
冬輪不明確
冬輪形成中
312?
,
215
115?
135 ?
160?
,
104?
100?
,
70?
125
163
310?
153
117?
280?
160?
113
127 ?
88
132
314
139
197 ?
44ノ /226
225 ?
冬輪不明確
低成長・クロスラメラ顕著
冬輪不明確
保存悪い クロスラメラ
冬輪不明確
冬輪不明確
冬輪不明確
成長不規則
冬輪不明確
冬輪不明確
冬輪不明確
,
?
130?
,
冬輪不明確
冬輪不明確
*1■ の ついた 数値 は破 損殻 での 推 定値
それ ぞれ 131HIl、
231mll、
311nlll、
3T lで は91■
ll、
261nlll、
361mllで
あ る (た だ し第 1冬 輪 については、桜井平遺跡
と同様 の理 由 によ り過大 に推定 されてい る もの と思われ る)。 また、WalfOrdの 定差 図 (第 22図 )か ら推定
された満 1歳 ∼ 5歳 時 の平 均殻高 と最終殻高 は以下 の通 りとなった。
2T l l歳
3T l l歳
:171mll, 2歳 :28mm, 3歳 :36111n, 4歳
:42mm, 5歳 :461mll,最 終殻高
:231nln, 2歳 :35mm, 3歳 :431mn, 4歳 :4711m, 5歳 :49mm,最 終殻高
:54111111.
:521mn.
2T lと 3T lを 比較 す る と、両者 の成長 パ ター ンに大差 はないが、3T lの 方 が初期成長 がやや速 く、
1∼ 3歳 で は 2T-1を 6∼
7 1mnほ
ど上 回 っている。
―- 47 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
誉 田高田貝塚産 ハ マ グ リの冬輪時殻高
第 5表
地 魚・J曽・No
冬輪数
W3
+
173
254
■
190
322
98
235
307
0
︲
2Tl ④
2 湾
8
卜③受
l
219
+
2T-1-0-ク
2T-1-⑥ -1
2T-1-⑥ 2
2T-1-⑥ い3
3T-1-(9-1
396
433
464
285
281
380
W3
422
3
97
289
2
■
169
19
279
?
300
266
209
314
■2
3T-1■(2■ 1
3T-1-02
2
2
160
133
●
2
2
mm)
W4
W5
W6
+
280
159
W2
■4
H⑩-2
327
Wl
6
3T-1-C■ 3
382
冬輔叡
0
3
肥 黒・ ′
冒・N0
W6
213
132
3T-1■ ⑨-1
344
w5
●一 +
2T-1-C>3
259
+
+
206
139 314
157 264
+
251
2T-1■ ③-1
2T―
+
W4
0000作000
2T-1-② 卜
2
(mm)
CCO
2T-1-(D-2
2T l― ①‐
3
2T-1-② -1
W2
T. T. T.
3 3 ゝ
2T l― ①-1
殻高
Wl
N
2
0
8
6
4
2
///
・‐
・...。 ■
″°
′
´
0
1
-45
46-90
91-135
136-180
181-225
226-270
271-315
316-VV
死亡季節
第 19図
誉 田高田貝塚 にお けるハ マ グ リの死亡季節分布
誉 田高 田 :3T-1
誉 田高 田 :2T-1
45
畑
悩
45 90 135 180225270315360
90 135 180225 270315 360
1
1
2
2
3
3
4
4
5
5
6
6
図回
7
8
9
10
11
12
13
第 20図
誉 田高田貝塚 にお けるハマ グ リ死亡季 節分布 の平面分布 (3T l)と 層位変化 (2T l)
―- 48 -―
第 2節 干潟町桜井平遺跡・千葉市誉田高田貝塚におけるハマグリの成長線分析
本貝塚 のハマ グ リのサイズは、 2T
lで は
警 田高 田
殻長 25∼ 45mm(殻 高約 23∼ 37mm)の ものが主
:2T
体 で、特 に30∼ 3511ull(同 約 26∼ 301nlll)の 個体
い。 3T
lで はやや大型 で、殻長30∼ 48111111(殻
EE︶ に経
︵
が多 く、50111m(同 約 40mm)以 上 の個体 は少 な
高約 26∼ 39mm)の ものが卓越 してお り、 特 に
33∼ 38皿 (同 約 28∼ 3211m)前 後 の個体 が多 い
(出 口1991)。 これ を上 記 の成長速度 と比 較す
る と、多 くは 1歳 半 (生 後 2回 目の冬 を過 ぎ
書 日高 田
た頃 )∼ 2歳 の個体 であ り、 3歳 を越 える も
の は少 な い と推定 され る。ただ し、 2T
lで
は 2歳 前後 の個体 が主体 をな して い るのに対
し、 3Tで は 1歳 後半 の貝 が主体 をな してお
50
͡
40
こ
に
30
E
厳
20
10
lの 方がやや大型 だ
0
2鶴
り、サイズ分 布 で は 3T
:3T
60
が 、年齢構成 で見 る と両者 は同等 な い しは逆
転 した傾 向 にある ことが わか る。
誉 田高 田 :合 計
いずれ に して も、 3歳 以上 の貝 が 少 な い こ
60
50
とは、 それ以上 に成長 す る前 に大半の貝が捕
獲 されて しまって い ることを示 して い る可能
性 が 高 く、 当時 の採貝活動 が ハ マ グ リ資源 に
40
E
5 30
1E
薇
20
対 してかな りの採取圧 を与 えて いた ことをう
10
かがわせ る。 ただ し、本遺跡が内陸域 に立 地
0
してお り、貝層の規 模 も小 さい ことか ら見れ
ば、 こ うした傾 向 を即座 に採取圧 に結 びつ け
第 21図
て解釈 す るの は妥当でな いか も知れな い。
誉 田高 田貝塚産 ハマ グ リの冬輪形成時の殻高分布
◆は最小―
最大、横棒は平均を示す
一 方 1歳 未満 の貝 が見 られ な い点 については、幼貝 を採 らず に残 してお くことで資源 を維持 しようとす
るの現れ とも考 え られ る。主体 とな るサイズの下限
(2T l:殻 高23mm、 3T l:同 261nln)は
いずれ も第
2冬 輪 の殻 高 とよ く一 致 してお り、生後 2回 目の冬 が 漁獲 開始 の 目安 とされていた可能性 も考 え られ る。
参考文献
出口雅人 1991 『千葉市誉 田高田貝塚確認調査報告書』
蜂屋孝 之 1999 『桜井平遺跡』
千葉 県文化財保護協会
千葉 県文化財 セ ンター
Koike, H 1980 Seasonal dating by growth― line counting of the clam, NIleretrix lusoriao The
university museum, The university of′ okyo, Bulletin 18:1-104.
「
小池裕子 1982 「 日本海北陸地域産 ハ マ グ リ類 の貝殻成長線分析」 第 四紀研究 21(3):273282.
樋泉岳 二 1995
賄ヒ満上小貝塚 出土 ハ マ グ リの採取季節 と成長速度」『市原市能満上小貝塚』
pp.484501 (財 )市 原市文化財 セ ンター
―- 49 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
樋泉岳 二 1998 「 水神 貝塚 (第 2貝 塚 )出 土 ハ マ グ リの 貝殻成 長線 分析 」『水神 貝塚 (第 2貝 塚 )』
pp.199217,pls.5759
ヽ
lralford,L.A. 1946
豊橋 市教育委 員会・ 牟 呂地 区遺跡 調査 会
“A new graphic method of discribing the growth of anilnals", Biological
Bulletin. 90: 141-147
書 日高 田 :合 lt
¨
¨
¨
瑯
m
“
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含 十こ 〓 工∽
珈
含 +c︶〓 工∽
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倉 十こ 〓 〓∽
枷
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n
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一]
﹁ ︲
]
第 22図
WalfOrdの 定差 図法 に よる誉 田 高 田貝塚 産 ハ マ グ リの成 長速 度
SHW(n):第 n冬 輪時の殻高、SH(n):満 n歳 時の殻高、SHmax:最 終殻高
―- 50 -―
図版
1
1
桜 井平遺跡 出 土 ハ ζグ リの 貝殻成 長線 (1)
ヽ議陽銀轟怒
272
″ ■鸞
硫
/
l cm
│││││││
1.試 料No 2-④ -3。 数字は日成長線数。la:殻 頂部、lb:第 1冬 輪 (0歳冬)、 lc:1歳 夏、ld:1歳 秋 (原 因不明の成長障害が認め
られ る)、 le:第 2冬 輪 (1歳 冬 )、 lf:2歳 夏 、 lg:第 3冬 輪 (2歳 冬 .写 真 中央付近 で は成 長線 が密 集 し過 ぎて判 読不 可能 とな って い
る)、 lh:腹 縁部 (推 定死亡 時期 =10月 初旬 (補 正値 =10月 下旬 )。 写 真 中央 一 帯 に産 卵 障害 と思 わ れ る成 長 遅 滞 が広 く認 め られ る)。
la-lh: ×60倍 。
-51-
図版
2
桜井平遺跡出土ハマ グリの貝殻成長線 (2)
2
C
Qs0)
aレ
惨
l cm
姜
,
な プ
,
一
2.試 料No 2-③ -2。 2a:第 1冬 輪 (0歳 冬)、 2b:0歳 春、2c:夏 (8月 頃)に おける軽度の成長障害、2d:1歳 秋、2e:第 2冬 輪 (1
歳冬)、 2f:2歳 夏、2g:腹 縁部 (第 3冬 輪形成中=2歳 冬)。 2a∼ 2g:× 60倍 。
防
│
成長遅滞が著しく、成長線の判読が困難である。NQ 2-⑤ 、No 5-① ・⑤ではすべての試料が同様の成長遅滞を示
―- 52 -―
図版
3
誉田高田貝塚出土ハマグリの貝殻成長線
C ▼
1
e
d
,
濶
│
」粟
│
てが冬輸 とは考えに くい。b・ e は Fri
(死 亡推定時期 =5月 中旬 (補 lLイ 直
そ殻
(
、
拗
部
頂
b。
ヽは
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る
3T-1-試 料珈 Э-1。
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│■ 111,
1。
一
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一
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一一
●
" a .'"
みて、すべ
lgは 腹縁部
if■■
‐ .II
=「
2.3T-1-試 料NQ③ -2。 2a:腹 縁部 (冬 輪形成中)、 2b:最 大成長面を中心に貝殻の劣化が進行 している。誉田高田貝塚の
保存が悪 く、成長線の判読困難なものが多い。
- 53 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
第 3節
千葉県下 出土人骨 の 炭素 ・ 窒素安定同位体測定
/Jヽ
人骨 中 コラーゲ ンを用 い た炭素安定同位体
(δ
池裕 子
(九 州大学大学院比較社会文化研究科)
13c)は 1ぉ よび窒 素安定同位体
(δ
15N)(注 2測 定 は、 その
個体 の タ ンパ ク質が食物 中 の タ ンパ ク質源 の値 に近 似 す る ことを応用 して食性分析 に用 い られて い る。た
とえば食糧資源 の源 である一次生産 者 のδ13cは 陸上植物 や水産 物 の 間 で大 きな差 を持 つ のが特徴 で、C3
植物 (代 表値 -26.5‰ )、
C4植 物
(-13.5‰ )、 海洋 一 次生産者 (-19.5‰ )と それぞれ特有 の値 を示す。
一 方、窒素 の場合 には、食物 と捕食者 の間 のδ15N値 の差、いわ ゆる栄養段階 によるδ15N値 の分 別 が +3‰
∼ +5‰ と大 きいのが特徴 である。なお人 骨 コ ラーゲ ンのδ13c測 定値 か ら食物 の平均δ13c値 を推定す るに
は、栄養段階 による +1‰ の差 と、 コラーゲ ン (ゼ ラチ ン)に よる+3.5‰ の差 を合わせた +4.5‰ を補 正
値 として用 い る。
1.分 析 材 料
有吉北貝塚 か ら出土 したSB 096-A人 骨 (壮 年、男性 )、 SK 001人 骨 (青 年、男性 )、 SK 081A人 骨 (青
年、女性 )、 SK 095人 骨 (成 人、性別不詳 )、 SK 122-F人 骨 (成 人、女性 )、
SK 291A― A人 骨
(成 人、男性 )、
SK 774人 骨
(壮 年、男性 )の
SK 122-M人 骨 (壮 年、男性 )、
8個 体 、草刈遺跡 か ら出土 した202B人 骨
(506才 、性別不詳 202D人 骨 (成 人、女性 207B人 骨 (壮 年、男性 216A人 骨 (壮 年、男性
228B人 骨 (予 L幼 児、性別不詳 228C人 骨 (成 人、女性 229B― A人 骨 (青 年、男性 ?)、 480人 骨 (壮
509A人 骨 (壮 年、男性 511人 骨 (熟 年、女性 516A人 骨 (成 人、男性 516B人 骨 (熟
年、女性
516C人 骨 (成 人、男性 516D人 骨 (8才 、性別不詳 585人 骨 (壮 年、男性 )の 計 15個 体、
年、男性
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
)、
矢作貝塚 か ら出土 した矢作 -1人 骨 (成 人、男性 )、 矢作 -2人 骨 (熟 年、女性 )、 矢作 -5人 骨 (7・ 8才 、
性別不詳 )の 3個 体、武 士遺 跡 (年 齢性別不詳 )の 1個 体 の合計 27個 体 を分析 した (第 6表 )。
2.分 析 方 法
人骨 な どの分 析試料約 1∼
2gに ついて、土壌 や毛根 な どを取 り除 きなが ら粉砕 した。0.lNHCl溶 液 を
加 え、脱灰液が着色 しな くな るまで試 料 を脱灰 した。得 られた コラーゲ ン蛋 白 は、不純物 が ほ とん どみ ら
れ なか ったので、 その まま凍結乾燥 し分析試料 とした。δ13c.δ 15N値 の 測定 は、 ANCA―
(Automated NitrOgen and CarbOn Analysing mass sepectometry全
mass
自動窒素炭素同位体分析用質 量分
析機、Europa Scientific社 )を 用 いた。δ13cの 測定 は、 0.7mgを 正 確 に秤量 して 6× 4mmの すずカ プセ
ル に封入 し、各試料 を三 度分析 した。δ15Nの 測定 は、13c測 定 の際算出 され る%N/%C値 を参考 に100μ g
Nを 計算 し、 その重量 を 8× 15mmの すず カプセル に封入 し、同 じ く試料 を三度分析 した。
―- 54 -―
千葉県下出土人骨の炭素・ 窒素安定同位体測定
第 3節
第 6表
炭素・ 窒素安定 同位体比測定結果
Lab i
ARY-1
-17.2
有 吉 北貝 塚
ARY-2
ARY-3
ARY-4
ARY-5
ARY-6
ARY-7
ARY-8
-18.4
-20.8
SK-001
SK-081A
SK-095
SK-122-F
SK-122-M
SK-291A― A
SK-774
202-B
202-D
KSK-1
KSK-2
KSK-3
KSK-4
KSK-5
KSK-6
KSK-7
KSK-8
KSK-9
KSK-10
207B
158.Ocm
:::││:││││:貪 1言 [li』
£聾 J141壮 年 1男 性
:;I::I:│:1確
216-A
228-B
228-C
229B― A
480
509-A
5H
KSK-11
516-A
516-B
516-C
516-D
KSK-12
KSK-13
KSK-1
KSK-1
585
37年 1号
80年 2号
80年 5号
98HM0
98HM04
98HM0
98HM0
全1努
1隆
1嘉
オ
-17.7
-18.6
-18.6
-19.7
[Ⅱ
154.Ocnl
-18.61 +8.5
-18.6+8.7
-17.7+99
-1811+9.9
149.lcm
-18.5+8.0
旨
誓
給
I
E
利
智
冨
新
協誓
:嗣 剛!響 全難
-18.31+9,1
麗瑚 言信
黎1切 Ⅱ
輩
:千
三
;:I::│1緊
輝
I「
-18.41
7臨「 輛菊
ll・
■ 両圭台∼
155.4
-18.51+8.7
166.8cnl
-18.6+8.8
-178
-18.3
%N 30
°
°
■
・●
●
50
第 23図
有吉北貝塚、草刈遺跡 出土 の 炭素 含量
―- 55 -―
60
+8.
2
-18.51+8.3
SK-645
oO
7l
158.Ocm -18.61+9.9
-19,5
:語
.
+9. I
-17.21+10.8
-18.
`}li:│[1串
I C7-25-0421壮 準 1勇
-19.01+9.8
-17.81 +9,7
155.2
│ヨ
1獣
-190
70
80
%C
(%C)と 窒素 含量 (%N)
第 1章 /iS試 料分析 とその研 究
3.%C/%N値
につ い て
ANCA― massで
は試料 中 の 12cの 総量 (炭 素含量、 ここで は%Cと す る)と 、 14Nの 総量 (窒 素含
量、 ここで は%Nと す る)が 測定 され る。第 23図 に示す ように、有吉北貝塚 と草刈遺跡 出土人骨 の コラー
ゲ ン試料 は、 %Cが 約 35∼ 55%、
%Nが 約 10∼ 18%に 集 中 し、 これ らの試料 が比 較 的純度 の高 い タ ンパ ク
質 であることを示唆 した。
4.δ 13c
o δ15N値 に つ い て
A)
有吉北貝塚 (第 24図 ―
13c値 の平 均値 は -18.4
第 24図 に示す。有吉北貝塚 出土人骨 のδ
13c.δ 15N値 を
今 回分析 した人 骨試料 のδ
13c値・δ15N値 ともに関東縄文人骨 の 中後期 の典型的 な値 であった。出土人骨
‰ 、δ15N値 は +10.6‰ で 、δ
を中峠∼加 曽利 EI、 加 曽利 EI∼ EⅡ の時期、及 び男女別 に分 ける と、中峠 ∼ 加 曽利 EIの 女性人骨 (SK
081A)と カロ曽利 EⅡ の男性人骨 (SK 774)の δ13c値・δ15N値 が 関東縄文人骨 の 中後期 の典型的 な回帰直
線 よ りも上位 にプ ロ ッ トされた。 また 中峠期 の男性人骨 (SB 096-A)が やや水産 資源 へ の依存性 が 高 い と
思われ るδ13c値 を示 した。
草刈遺跡 (第 24図 ―B)
13c値 は -17.2∼ -18.7‰ に集 中 し、 その平均 値 は -18.6‰ で あった。 δ15Nは 十
8.2∼ +10.8‰ までで、その平均値 は +9.2‰ であった。 δ13c値・δ15N値 ともに関東縄文人骨 の 中後期 の 中
お よび男女別 に分 けたが、δ13c値
EI・
EⅡ の
に
した
土人骨 を中峠・
草刈遺跡 出土人 骨 のδ
央値
位置
。出
加 曽利
加 曽利
各時期、
0
δ15N値 が集 中 して い るためか、顕著 な差 は認 め られなか った。特 に中峠期 の人 骨 は男性 。女性・ 子供 とも
にδ13c値 が -18‰ 台、 δ15N値 が +8∼ +10‰ に集 中す る傾 向 がみ られた。
13c
草刈遺跡 出土人骨 の うち男性 5例 、女性 2例 において大腿骨最大長 か ら身長が推定 されて い るが、δ
13c値・δ15N値 との間 には相 関 が認 め ら
値・δ15N値 が この ように集 中 して い るため、 それ らの推定身長 とδ
れなか った。
C)
矢作貝塚 (第 24図 ―
矢作貝塚 出土人 骨 は ともに堀之内期 に属 し、成人男性
(98HM03)の δ13c値 とδ15N値 はそれぞれ -19.5
13c値 とδ15
‰ と+8.9‰ で、典型的 な回帰直 線 よ りも上位 にプ ロ ッ トされた。 また熟 年女性 (98HM04)の δ
N値 は-17.8‰
と+10.9‰ で、典型的な回帰直線 よ りも水産資源 よ りに プ ロ ッ トされた。
C)
武士遺跡 (第 24図 ―
13c値 とδ15N値 はそれぞれ -20.4‰ と+6.5
武 士遺 跡 SK 645出 土人骨 (98HM06)は 称名寺 1期 に属 し、δ
‰ で、典型的 な回帰直線 にの る ものの、 よ り陸上資源 よ りにプ ロ ッ トされた。
これ らの値 を関東縄文時代人骨 のδ13c.δ 15N値 と比 較 してみ る と (第 25図 )、 有吉北貝塚 の 2例 (中 峠
―- 56 -―
第 3節
A
δ15N
千葉 県下 出土人骨 の炭素・ 窒素安定 同位体測定
15
有吉北
0有 吉北♀
固
回
回
◎
● 中峠∼加曽利 EI
口Ъ °
□
口 加曽利 EI∼
-25
-15
-20
15
草刈
0中
♂
響
回
δ15N
峠
ロ
カロ曽禾りEI
◇
加断 りEH
●
草 メJ ♀
■
草
刈
♂
▲
草
刈
子供
δ13c
0
-25
c
EH
δ13c
0
B d,uN
有吉Jヒ ♂
-15
-20
15
-25
第 24図
13c、
出土人骨 等 のδ
―- 57 -―
δ15N分 布
士
δ13c
-15
-20
供
♂ ♀ 子
0
作 作 作
●
武
△
矢 矢 矢
□
●
0
口 0 △
矢作・ 武 士
第 1章
δ15N
資試料分析 とその研 究
20
◆
■
武
口
矢 作
△
有吉北
O
▲
θ
士
草 刈
◆
Early
O
Middle
o
Late
▲ Latest
-30
-25
-20
-15
-10
δ13c
第 25図
13c、
今 回 の分析結果 を含 めた関東縄文貝塚 のδ
∼ 加 曽利 EIの 女性人骨 =SK
δ15N分 布
081Aと 加 曽利 EⅡ の男性人骨 =SK-774)が 関東縄文人骨 の中後期 の典型的
な回帰直線 よ りも上位 にプ ロ ッ トされたが、 それ以外 は従来 の縄文 中後期人骨 の分布範 囲 に含 まれた。 そ
の 回帰直線上 で は、称名寺人骨 ほ どδ13c値 が 高 くはなか ったが 、全般的 に水産 物資源 へ の依存性 が 高 い こ
とを示 唆 して い る ことは興 味深 い。
13c.δ 15N値 の 回帰直線 が女性 に比 べ て上 位 に位 置す る"と
本州縄文後晩期 の遺 跡 で は、 “男性人骨 のδ
い うパ ター ンが み られたが、今 回分析 した有吉北貝塚や草刈遺跡 で は顕著 な男女差が認 め られ なかった。
注
1
δ15N(‰ )=
膊
c/12c
samメ eゴ 3c/12 c standard_×
13c//12 c standard
15N/14Nsampに
nυ
nυ
δ13c (%。 )=
15N/14NAIR__×
1000
15N/14NAIR
要
参考文献
Koike Hiroko and Brian Chishoirl1
1991
13c15N and lipid analyses第 四紀研究
Paleodiet of hunter― gatherers in Japan estirnated by
30:231238
―- 58 -―
第 4節
―
千葉市誉 田高 田貝塚 の 多数遺体集積合葬
合葬形態 の推 定復元・ 出土 歯牙 デ ー タの提 示
渡 辺
―
新 (元 明治大学考古学博物館 )
は じめ に
多数 の遺体 が土尻 内等 に集積 され る特異 な合葬事例 が 、東京湾東岸域 を分 布 の 中心 として、縄文時代後
期初頭 ∼ 前葉 の一 定時期 に集 中す る。合葬 の形態 には、遺体状況 が解剖学的 自然位 にあ る/な い、埋葬施
設 の規模 が一 次葬可能 /不 可能、 とい った別 が ある ものの、各事 例 の間 には脈絡 が認 め られ 、一 連 の墓 制
として変遷 の途 を予察す る ことが で きる。誉 田高田貝塚 の事例 は、部分的 なが ら 3度 に亙 る発 掘調査 を経
て、 かか る墓 制 の一例 として周知 され るに至 ってい る。
1990年 に「 県内主要貝塚調査」 の一 環 として千葉県文化財 セ ンターが実施 した、合葬 へ の 3度 目の発掘
調査 で は、 それ まで未明 であった埋 葬施設 が確認 されて人 骨群 との対応 が 明 らか になった他、多数 の人 骨
片 と共 に比較的保存 良好 な歯牙 157点 が 出土 す る等、多 くの成果が得 られて い る。そ こで、1990年 次調査 に
お ける人骨 群 の 出土状況 を基 として合葬形態 の推定復元 を行 な い、出土歯牙 に関す るデータを提示 して他
遺跡 との若干の比較検討 を試 み る ことにす る。
1.合 葬 形 態 の 推 定 復 元
(1)1990年 次調査以前 の沿革
千葉市緑 区高田町冬寒台 に所在す る誉 田高田貝塚 は、海岸線 か ら遠 く離 れた都川谷 の谷奥 にあって標高
50mも の高所 にあ り、「高 々距貝塚」 (酒 詰 1955)と してその立地 が注 目 されていた。立地 の問題 とは別 に
3度 に亙 る発掘調査 の都度、調査要 目 に加 え られ るのが 、馬蹄形貝塚 の北西 内縁部 に存在 す る人 骨群 であ
る。貝塚 をのせ る台地 は、風雨 による表土 の流 出 が大 き くローム層 までの土の堆積 が薄 い うえ地 目が 農地
であって、人骨群 は攪乱 によ り絶 えず地表 面 に露 出す る状況下 に置 かれている。現地 を踏 めば容易 に人骨
群 の存在 が察知 で きた ことか ら関心 が払われ て きたのであろう。
最初 の発掘調査 は1949年 に國学院大学 の椎名仙卓氏 によって実施 され る。人骨群 の存在 を察知 の うえで
人骨 の採集 が調査 の主 目的であった ようである。人骨群 に打製石斧 が伴 出 した との伝聞 (島 津 ほか 1955)
が あ る他 は、未報告であるために詳細 は不明 で ある。
1954年 には學習院高等科史學 部 と同志社大学 の合同調査 が 実施 され 、馬蹄形貝塚 の貝層 中心部 の発掘 と
並行 して、人骨 の検 出 を目的 とした第 V調 査 区が馬蹄形貝塚 の北西内縁部 に設 け られ る (島 津 ほか 1955)。
第 V調 査 区 は、東半 が椎名氏 の発掘 に来 由す る人 骨 お よび層位 の乱れ があるため、西半 が 主 な調査部分 と
な る。調査 区内に貝層 は存在 せ ず、人骨 群 は黒褐色土層 中 に包 含 されて い る。人骨 の出土状況 は、長 管骨
の上 に頭蓋骨が置 かれた如 き状態 をな してお り、頭蓋骨 か らは下顎 骨 が遊離す る等、解剖学的 自然位 を保
つ個体 が一切 み られな い。人骨 の分布 は、実測図 による と 1× 1.5mの 調査範囲 の北部 に集 中 し、南西部 に
も若干 の 出土がみ られ 、調査範囲外側 の西方 にさらに広 が って い るようである。埋葬 された時期 を示す も
―- 59 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
の として堀 之 内式 土器 片 の 伴 出 が あ った とされ るが、 報 告書 に図示 が な く細 別 は明 らか で な い。採 集 され
た人 骨 の 最 少個体 数 は右側頭 骨 で 数 えて17体 にな る (池 田 1957)。
(2)1990年 次調査 の合葬 出土状況
1990年 の発掘調査 は、 千葉県教育委員会 が 史跡指定以外 の主 要貝塚 の今後 の保護活用 のため、貝層分布
測量 と包含層や遺構 の分布傾 向 の確認 を千葉県文化財 セ ンター に委託 して実施 された。この調査 の前年 に、
先 の第 V調 査 区地点 にお い て農作業 の際、多量 の人 骨 が露 出 した との証言 が あ り、実際 に耕作 土 に多量 の
人骨片が混 じる状況 にあったため、
攪乱 された人 骨 の回収 と残存状態 の確認 を目的 として第 7ト レンチ (以
下
7Tと 略 )が 設 け られ る ことになった
(出 口1991)。
7Tは 全域 に亙 って ローム層上面 までが耕作 土 となってお り、耕作土 を除去 して もなお南北 に短冊形 の
掘削坑 と東西 に 4条 の耕作溝 が ローム層深 くに まで及 んでいる。人骨片 は攪乱 を被 って耕作土 中 に多量 に
四散 して い るが、原位置 を保 つ約 400点 の人骨片 はほ とん どが 7T東 半 に検 出 された竪穴遺構 の 内 に遺 存 す
る。
竪穴遺構 は一 部分 が トレンチに掛か る形 での検 出 であ る。竪穴壁 は トレンチ北壁 中央 か ら南東方向へ緩
い 円弧 を描 いて 1.5mほ ど伸 び、竪穴西壁 に相 当す る部分 になる。竪穴南壁 を成 すであろう部分 は耕作溝 に
重 なってお り消失 した もの と考 え られ る。竪穴壁 の最 も遺存 の良 い部分 で20cmほ どの高 さがあ り、 ほぼ垂
直 に立 ちあが る。床面 はやや凹 凸 が あ り硬化 はみ られ な い。埋 土 は ローム主体 の黄褐色土層 であ り、竪穴
西壁 の以 東 ∼ 北 か ら 3本 目の耕作溝 の以 北 に堆積 し、 プライマ リー な層 は竪 穴壁近 くで 10cm以 上 あるほか
は 5 cm程 度 が遺存 す るに止 どまる。竪穴遺構 の完掘後、竪穴西壁 か ら70∼ 80cmほ ど離れ た床面上 に柱穴 の
存在 が確認 された (図 版 4-4)。 径 はお よそ25cm、 深 さは上端 のみの検 出で掘 り下 げるに至 らず詳 らかで
な いが垂直 に掘 り込 まれて い るようである。
人骨 の 出土状況 は、原位置 を保 つ約 400点 いずれ もが解剖 学的 自然位 にな く、竪穴床面上 に10∼ 20cmの 厚
さで埋土の黄褐色土 を混 じえなが ら間層 を挟 む ことな く積 み重 なって い る。人骨 の分布 は、竪穴壁 に沿 う
形 で幅 60∼ 80cmの 帯状 にあ り、竪穴床面上 の柱穴 には掛 か って い な い。骨 の各部位 ごとにみた 出土状況 で
は、頭蓋骨・ 四肢長管骨 とい った大 きな骨 は散在傾 向 であるの に対 し、椎骨・ 肋骨・ 手足骨等 の小 さな骨
は数箇所 に纏 め られて い る様子 が窺 える。 また、撓骨 ―尺骨、腫骨 ―勝骨 の間 で解剖学的配列関係 を保 つ
もの (図 版
4-6)が 多 くみ られた り、椎骨 で は関節 して出土す る もの
(図 版
4-5)が あるな ど、当時、
軟部 の腐朽 が不完全 な骨 が 多 く存在す る状況 にあつた ことを示 して い る。
合葬 の時期 を示す伴出遺物 は全 くみ られな い ものの、
7Tの 表土 お よび攪乱層中 にはカロ曽利 B式 を主体
とす る摩滅 した土 器小片 が 多量 に混 じり、新 しい時代 の遺物 が一切混入 して い な い事実 か らす る と、 1954
年次調査 で伴 出 した堀之 内式上器片 が示す年代 に大過 な い もの と考 え られ る。
採集 された人骨 の最少個体数 は左 側頭骨 の 内耳孔 が保存 され る部位 で 15体 を数 える。ただ し15体 はいず
れ も大人 の骨 であ り、他 の部位 でかな りの数の小人 の骨 が認 め られ るので、 15体 を上 回 る出土数がある こ
とは確実 である。 1954年 次調査分 と1990年 次調査分 の採集人骨 を合算 した最少個体数 は、側頭骨 内耳孔保
存部位 で前者 が右 15・ 左 13(池 田 1957)、 後者 が右 12・ 左 15で あ り、左 で数 えて28体 となる。
―- 60 -―
第 4節
千葉市誉田高田貝塚の多数遺体集積合葬
(3)合 葬形態 の推定復元
1990年 次の発掘調査 で得 られた合葬 に関す る情報 は部分的 で はあ る ものの、上述 の とお り埋葬施設 と人
骨群 が対応関係 を もって検 出 され、 さらに人 骨群 にはい くつかの特徴的 な出土状況 がみ られ る等、合葬形
態 の推定復元 に堪 える情報 が得 られて い る。
埋 葬施設 である竪 穴遺構 は、一 部分 の検 出なが らも緩 く円弧 を描 く西壁 や埋土堆積 の在 り方か ら全体 の
形状 と規模 の推定 が 可能 であ る。埋土堆積 の範囲 は西壁 の以 東 ∼ 北 か ら 3本 目の耕作溝 の以 北 に認 め られ 、
7Tの 北端、東端 までプライマ リーに跡切 れず達 してお り、 7T外 側 の北 ∼ 東方 へ大 き く広が る ことが確
実 で ある。埋土堆積範囲 を目途 に消失 した南壁 ライ ンの位置 を求 める と、北 か ら 3本 目の耕作溝上 にあた
り、西壁が描 く円弧 とほぼ同様 のカープで あった と考 え られ る。 したが って、竪穴遺構 の形状 は円形 な い
し東西 にやや長 い楕 円形が推定 され、直径 は西壁 円弧 か ら土器実測 での口径 を求 め る要領 で算 出す る と約
3.2mに 復元 され る。 1990年 次 の発掘調査 で は竪 穴遺構全体 の 1/2程 度 が検 出 されている計算 になる。
人骨群 の分布 で特徴的 であ るのは、人骨群 が竪 穴遺構 の西壁 か ら南壁 ライ ンの壁沿 い床面上 に局限密集
し、竪穴遺構 の 中央部 にあた る 7T北 東部 で は人 骨 が 全 くみ られな い点 である。報告書 (出 口1991)で は
先 の調査箇所 である との見解 が示 されたが 、竪穴埋土 は 7T北 端、東端 にまで跡切 れず プライ マ リー な層
を保 ってお り、少 な くとも竪穴遺構 中央部 の床面上 には本来、人骨 が存在 しなか ったのは明 らかであ る。
1990年 次調査 にお ける人骨 群 が黄褐色土層中 に包含 され るのに対 し、1954年 次調査 で は黒 褐色土層中 に包
含 され るとい う。1954年 次調査 の人 骨群 は、竪穴 の床面 が確認 されて い な い ことや土 層 の性質 か ら考 えて、
1990年 次調査 よ り上 層 にあった公算 が大 きい。 1954年 次調査人骨群 が1990年 次調査人骨群 と同様 に竪 穴壁
に沿 う形 で分布 して いた と仮定す る と、 1954年 次調査
箇所 は 7Tの す ぐ北側 に当 ては まり(第 26図 )、 や は り
竪穴遺構 中央部 が空 白 となる。 したが って、竪穴遺構
の 中央部 は層 の上 下 に拘わ りな く人骨が存 在 しな い空
閑 として認識 すべ きと考 える。空閑の大 きさは、竪穴
遺構 の直径 が3.2m、 人骨群 の分布 が1990年 次調査 にみ
られるごとく幅 60∼ 80cmの 帯状 で周 回する とした場合、
直径 1.8m前 後 の計算 になる。
人骨群 の 出土状況 で特徴 的 であるの は、四肢骨 が解
剖学的配列関係 を保 つ ものや関節 して出土す る椎骨 が
み られ る等、軟部 の腐朽 が不完全 である骨 が 多 く存在
す る点 である。 一 瞥 す る と改葬 な い し再葬 の形である
ものの、 その実質 は横穴墓 にお ける追葬の際 に「片付
け」が行 われた旧葬遺体 の在 り方 に近 似 して い る。人
骨群 を収容 して い る竪 穴遺構 が一 次葬可能 な規模 にあ
る以上、一次葬 を他所 に求 め る必然性 はな く、竪穴遺
構 の 内 でいか に遺体処理が行 われたか を先ず考 えるべ
0
きであろう。 そ こで着 目 され るのが竪 穴遺構 中央部 の
人骨が存在 しな い空閑である。東京湾東岸域 の後期前
-61-
第 26図
合葬 出土状況
11n
第 1章
資試料分析 とその研究
半 の埋 葬 は伸 展葬 が主 体
(71%)(宇 田川 1994)で あ るか ら、竪穴遺構 の 内 で の一 次葬 は伸 展葬 で あ った蓋
然性 が 高 い。竪穴遺 構 中央部 の空 閑 は直径 1.8m前 後 と計 算 され るので 、伸 展葬 に適 った 大 きさにあ る。
以上みてきた事象を纏め合葬形態 を復元すると、①遺体 を収容
する竪穴 は、円形ない し東西 にやや長 い楕円形 を呈 し、直径 が約
3.2mの 規模 を有す る。竪穴 には上屋が架 けられ、床面 に配 られた
柱数本 がそれを支 える。②死者 が発生す ると竪穴の中央 に安置 さ
れる。追葬 が繰返 されて竪穴中央 に遺体安置のスペ ースが無 くな
ると、旧葬遺体 は上屋支柱 の外側、竪穴の壁沿 いに片付 けられる。
追葬 は頻繁 に行われた らしく、旧葬遺体 は軟部 の腐朽 が不完全 で
ある ことが多 い。③最後 に安置 された遺体 の片付 けが行われた結
果、上屋支柱 を境 に外周が二 次葬の場、内側が空閑 となる。竪穴
には遺体搬入のための出入口が用意 されていたはずであるか ら、
竪穴遺構の人骨群 はIEx状 に分布す る
(第 27図 )。
出入 口
A.二 次葬 の空間
(人 骨群 )
一次葬 の空間 (空 閑)
上屋支柱 (● )は 4本 を想定
B。
第 27図
合 葬概 念 図
2.出 土 歯 牙 に 関 す る デ ー タ
1990年 次調査 にお ける出土歯牙の数 は、顎骨 に植立す る ものが32点 、
顎骨 か ら遊離 して い る ものが 125点 、
総数 157点 である。 これ ら出土 歯牙全点 につい て歯種 の鑑 別、歯冠計測、形態観察 を行 な い、一 覧表 に して
デー タを提示す る。 そ して歯種 の鑑別 によって明 らか とな る同一 歯種 の重複や個 々の形成状態等 によ り最
少個体数 と年齢構成 を導出 し、若干 で はあ るが他遺跡 出土 歯牙 との計測的、形態的比較 を行 な う こととす
る。
(1)出 土歯牙 に関す るデー タ
凡
<No>
例
顎植歯 について は下顎骨 a号 ∼ f号 お よび上顎 骨 g号 ご とに通 し番号 を付 し、番号 の頭 に a∼ g
の顎別記号 を加 えて表示す る。遊離歯 につい てはヽ 1∼ ヽ 125ま での通 し番号 を付 し、番号 のみの表示 とす
る。
<歯 種 > 上 /下 の表示 は上顎 歯 /下 顎歯 の別 を示す。歯牙記号 については下記 の とお りであ る。右 /左
は右顎側 /左 顎側 を示す。顎骨 a号 ∼ g号 については歯式 を一 覧表 の上 に記 した。歯式 で は下記行頭 に記
した永久歯 :ア ラ ビア数字、乳歯 :ア ル フ ァベ ッ ト小文字 で表わ し、○が歯牙脱落歯槽開放、●が歯牙脱
落歯槽閉鎖、 ×が歯槽欠失、水平線 が上 下顎 の境 (数 字や記号 に対 して上 に線 が ある場合 は下顎 、下 に線
が ある場合 は上顎 )、 鉛直線 が左 右顎 の境 を示す。
11=中 切 歯
a
12=側 切 謀ζ
b
C =犬 歯
C
Pl=第 1小 臼歯 d
P2=第 2小 臼歯 e
Ml=第 1大 臼歯
M2=第 2大 臼歯
M3=第 3大 臼歯
il=乳 中切 歯
i2=乳 側切 歯
C =乳 犬歯
ml=第 1乳 臼歯
m2=第 2乳 自歯
―- 62 -―
第 4節
<保 存 >
千葉市誉田高田貝塚の多数遺体集積合葬
保 存状 態 は歯冠 /歯 根 の順 で 、 ○ :完 存 、 △ :一 部 欠損 、 × :欠 失 、 ― :未 形成 、 を示 す。
<歯 冠計測値 >
m一 d:近 遠心径 と b-1:頼
副尺 つ き滑動計
(ノ
舌径 につ い て藤 田の規準 (藤 田 1949)に 基 づいて 1/101nlll
ギス)を 用 いて計測 した。歯 の方向 につ い ては、歯列 の上 で正 中部 (左 右 の 中切歯 の
接触点 )に 近 づ く方向 を近心 mesial、 これか ら遠 ざか る方向 を遠心
側 buccal、 舌 に接す る方 向 を舌側
な い参考値 であ ることを示 し、 m―
lingual、
とい う。数値 を
頬 また は唇 に接 す る方向 を頬
distal、
( )で 表わ した ものは藤 田の規準 に基づか
d数 値 の末尾 に 'の 印 しがある ものは隣接面咬耗
(咬 合運動 で生 じる
隣 り合 う歯 と接 す る面の摩耗 )に よ り補 正 値 が加 えてあ る ことを示す。 補 正 値 は一 覧表末尾 に記 した。
<咬 耗 >
咬耗 の度合 い をBrOcaの 分類 による数値 で示 し、1度 については細分 を行 なった。
1':咬 耗 が エ ナメル質 に僅 か に切子 面状 に現われ、 ようや くルーペ 下 において確認 され る もの。
1:咬 耗 が エ ナメル質 のみに局限 し、象牙質 に及 んでいない もの。
2:象 牙質 が一部露出 して い る もの。
3:咬 合面 のエ ナメル質 が全 く消失 して全 面的 に象牙質 が現われて い るもの
4:咬 耗 が歯頸部 の近 くまで及 んでい る もの。
.
一 :咬 耗 が全 くな い もの。
<鯛 nlt(虫 歯 )>
1:嬬
蝕有 り、 0:輛 蝕無 し、 一 :未 萌 出歯 =鯛 蝕無 し、 を示す。鯛蝕 発生箇所 につ い
ては本文 中 の第 14表 に示 した。
<形 態観察 >
上顎切 歯 の シ ャベ ル形 の発達程度、上顎大 臼歯 の咬合面形態、下顎大 臼歯 の咬合面型、下
顎第 1大 臼歯・ 第 2乳 臼歯 の第 6咬 頭発達 の程度、 の 4項 目を重点 に下記 の分類基準 に従 い観察 を行 なっ
た。
○上顎切 歯 の シ ャベ ル形 の発達程度 は (Mizoguchi 1977)の 分類 で
[ ]内 に示す。
no:no shOvel
(シ ャベ ル形 を呈 しな い)
tr:trace― shovel fOr slight but distinct indications
(シ
ャベ ル形 の形 跡 はわ ず かなが ら明瞭 な徴候 が ある)
ss:senli― shovel fOr the relatively― wen― developed grades
(あ る程度 の シ ャベ ル形 で相対 的 に十分 に発達 した等級 にある)
s :shovel for an the highly― developed grades
(あ
らゆる点で非常 に発達 した等級 にあるシャベル形 )
○上顎大 臼歯 の咬合面形態 は (Dahlberg 1951)の 表示法 で示す (第 28図 )。
第 28図
4
4
3
3+
4-
4
3
上顎大 臼歯咬頭表示法 (左 側模型 図 )
:遠 心舌側咬頭 の全 く退化 のない もの
.
:退 化 は したが舌側 にその位置 を占 める もの。
+:著 明 に退化 して遠心 中央 の一 隅 に とどまった状態 にある もの。
- 63 -
第 1章
資試料分析 とその研究
3:全 く遠 心舌側 咬頭 の消 失 した もの。 (数 字 は咬頭 数 を示 す
)
○下顎 大 臼歯 の咬 合面型 は (桐 野 0中 村 1954)の 表 示法 で示 す (第 29図 )。
Y4
Y5
+5
X5
+4
X4
第 29図 下顎 大 臼歯 咬合面型 表 示法 (右 側模 型 図 )
Y:近 心舌側 咬頭 と遠 心頼側 咬頭 とが相 接 す る もの。
十 :近 遠 心溝 と頬 舌溝 とが 十 字形 に交 わ る もの。
X:近 心頼側 咬頭 と遠 心舌側 咬頭 とが相 接 す る もの。
記号 の 傍 らの 数字 は咬頭 数 を示 す。基本 の
+1と 表記 し、 Y6と
5咬 頭 以 外 の 第 6咬 頭 の よ うな過剰 咬頭 が 出現 す る場 合 は Y5
は表 わ さな い。 よって Y4+1の 場 合 もあ りうる。
○下顎 第 1大 臼歯・ 第 2乳 臼歯 の 第
6咬 頭 発達 の程 度 は (Mizoguchi 1977)の 分類 で [ ]内 に示 す。
1 :sHghtly― s、voHen part of the distal rnarginal ridge bet、
veen the entoconid and the hypoconulid
faintly by the boundary grooves
(遠 心舌側 咬頭
entOconidと 遠 心 咬頭 hypoconulidと の 間 の 遠 心縁辺 隆線 distal marginal ridge
の一 部 が 微 か に溝 で境 界 され わず か に膨 れ た もの )
2 :small cusp― like formation outlined distinctly by the boundary grooves
(溝 の境 界 に よ り明瞭 な輪郭 を描 く小型 の 咬頭
cusp力 `
形 成 され る もの )
3 :well― developed sixth cusp,nearly equal to the hypoconulid in size
(よ
く発 達 した 第
面
遠 心 頬,1咬 暉
「
響
誓
6咬 頭 で あ り遠 心 咬頭 と略 同等 の 大 きさ とな る もの
遠心 舌側 味 頭
心頬側 咬 頭
舌甲 面
咬 含面
│
´
′ 咬 合 面副 隆線
遠 心辺 縁 隆線
1遠
近 ■ 舌側 咬頭
)
―近 心辺
縁隆線
心 辺縁 隆線
中心咬 合 面隆線
\嵐
遠′
心舌側咬 頭
近 心 頬側 咬頭
│
舌側 面
/′
臨 喀
頬側面満 分界溝
′
鰤呻枷
中心清
│
縦溝
舌
11溝
舌側 面 溝
横溝
遠 心溝
遠心 溝
`近 心溝
´
‐
遠′
心頬側 面 溝
遠 心小 縞
遠 心 舌側 溝
遠 心頬側 溝
´
遠心小宮
│
中 ,さ 宮
{遠 姜 簡継
舌側 面溝
下顎
上顎
第30図
大 臼歯 咬合 面各部 の 名称 (右 側模 型 図 )(藤 田 ほか 1995)
―- 64 -―
第 4節
以上
千葉市誉田高田貝塚の多数遺体集積合葬
4項 目の 観 察 の他 に も形 態 的特徴 が あ る もの は表記 し、 補 註 で一 覧表 末 尾 に解説 をす る。 また形成
途 上 にあ る歯 につ い て は、冠 :歯 冠 が 形 成途 上 にあ る、根 :歯 根 が 形成途 上 にあ る、 を示 し、 [ ]内 にそ
の形 成状 態 として (金 田 1957)(藤 田 ほか 1995)に 従 って 年齢 を記 した 。 なお → の 右 の 歯牙 NOは 同 一 個体 も
し くは可能性 が あ る もの を示 す。
出土歯牙データ
【a 号】
r
8 7 6 5 4 0
保 存
冠 /根
m―
左
○/○
(6.1) (7.1)
下 Pl右
○ /○
(6.7) (7.6) 3
al ttC
a3
d/b-1
鯛蝕
種
歯
a2
歯冠計測値
345678
●
咬耗
No
× ○ ○
形
態
観
察
形
態
観
察
左 △/○
a4
下 P2右
△ /○
左
△/△
a5
a6
下 Ml右
○ /○
左 ○/○
a7
a8
下M2右
a9
○/○
左 ○/○
a10
下 M3右
○/○
左
○/○
a ll
【b 号】
r
8765
b3
b4
b5
b6
b7
b8
下 P2右
△/○
左
○/○
下Ml右
○/○
左
下M2右
左
下 M3右
左
○/0
歯冠計測値
m―
d/b-1
″′
b2
保 存
冠/根
○/0
11.8' 11.5
10.9
11.5'
○/○
○/0
8.5
11.6
○/○
11.1
10.7
11.9
5678
○
嬬蝕
bl
種
歯
○
咬耗
N0
○
10.5
O
O
O
0
O
O
Y5
Y5
Y4
+4
Y5
Y5
- 65 -一
第 1章
C
資試料分析 とその研 究
号】
歯
Cl
C2
下 Pl右
下 P2右
C3
保 存
冠/根
種
下 Ml右
C4 下M2右
C5 下M3右
d
歯冠計測値
m―
d/b-1
△/○
○/○
8.3
○/0
11.6
醐蝕
No
ol"
咬耗
4oo
形
Y5+1
12.2
○/0 12.0' 11.0
○/0 12.1 11.1
態
第 6咬 頭
観
察
[2-3]DFl)
+5
X5
号】
● ● ● ● ● ○ ○ ○ │○
e
号】
I
歯
el
下 Ml右
f
保 存
冠/根
歯冠計測値
m― d/b-1
○/○ (10.2)(11.2)
種
鯛蝕
No
o
咬耗
o o 6 o o o o olo
態
観
察
形
態
観
察
号】
歯冠計測値
d/b-1
fl 下m2左 ○/0 13.1 11.5
9.7
f2 下Ml左 ○/0 11.9
10.6
80 下M2左 ○/0 12.2
m―
館蝕
保 存
冠/根
種
歯
咬耗
○
ヽ
形
Y5+1 第 6咬 頭 [2]DFl)
Y5+1 第 6咬 頭 [2]DFl)
Y5 根 [7-8] ←M80植 立
【g 号】
7
g2
g3
g4
g5
()
歯
種
上C
保 存
冠/根
右
○/○
(7.3)
上 Pl右
○/○
(8.0)
上
P2右
上Ml右
上 M2右
下顎骨計測値
歯冠計測値
m―
頗蝕
gl
3
5
咬耗
No
6
d/b-1
○ /○
(5.9)
○/○
(9.5)(10.8)
形
8.2
△/○
(lnlll)
a号
b
号
C号
d
号
e号
67
前下顎幅
オ トガイ高
69(1)下 顎体高
47.0
69
27.9
29.5
28.0
27.3
30.4
30.8
33.1
(14.1)
69(3)下
13.7
13.0
32.3
14.9
32.0
12.0
顎体 厚
(9.3)
- 66 -
f号
(27.2)
(13.6)
態
観
察
第 4節
歯
種
保 存
冠/根
上
11右
○ /△
8.9
7.6
シ ャベ ル 形
[tr]
右 ○/○
8.7
7.6
シ ャベ ル 形
[tr]
左 ○/○
8.3
シ ャベ ル 形
[tr]
下
12
歯冠計測値
d/b-1
m―
○/○
7.0
7.2
シ ャベ ル 形
[tr]
左
○/△
7.4
6.8
シ ャベ ル 形
[tr]
左 ○/△
7.9
6.9
シ ャベル形 [nO]
左 ○/○
6.8
6.5
シ ャベ ル 形 [nO]
11右
△/△
3
0
左 ○/○
4
0
下 12左
上C
つ0
○/○
5.6
6.5
2
0
左 ○/○
5.9
6.5
3
0
右 ○/○
8.3
8.8
2
0
右 ○/×
8.0
8.0
2
0
左 ○/×
7.9
8.0
2
0
3
0
2
0
2
0
3
0
3
0
右
△/○
16
左
○/○
7.5
17
左 ○/△
6.8
18
左 ○/×
7.1
19
左 △/△
○ /○
右
○ /○
右
○/○
″イ
,
Pl右
η‘
上
7.6
7.8
8.0
9。
9
10.4
“
二 根性 3)
9.6
00
04
左 ○/×
9.9
1
0
7
2
0
25
右 ○/○
6.2
8.9
1
0
26
右 ○/○
6.7
10.3
1
0
右 ○/○
6.8
8.7
2
0
28
左 ○/○
9.4
3
0
○/×
6.5
9.0
1
0
下 Pl右
○/△
7.8
8.6
1
0
2
0
1
0
左 ○/○
32
左
″‘
左
31
つ0
○/△
7.3
8.5
左 ○/×
7.3
7.6
○/×
7.0
8.2
1
0
左 ○/○
6.9
8.1
2
0
左 ○/×
8.0
8.8
2
0
下 P2右
36
04
9。
ワイ
7.0
,
○/○
″
上 P2右
30
形
12右
下C
20
ウ‘
上
10
瀬蝕
No
咬耗
遊離歯】
【
千葉市誉 田高田貝塚の多数遺体集積合葬
つ0
左 ○/×
9.2
―- 67 -―
態
観
察
エ ナメル質減形成 2)
第 1章
資試料分析 とその研 究
種
保 存
冠 /根
38
39
40
下P
P
×/△
上 Ml右
右
歯冠計測値
m―
d/b-1
3
11.1' 12.5 2 0
○/0 11.3 12.2 2 0
右 ○/0
11.1
12.5
42
右
○ /△
10.4
12.2
49
50
51
52
53
右 ○/0
10.8' 12.0
左 ○/0
左 ○/△
左 ○/×
上 M2右
右
61
62
63
64
65
0
咬頭
[4]
咬頭
[4]
1
咬頭 [4]
11.1' 12.2 2 0
11.0 11.7 1 1
咬頭 [4]
2
9.5 12.0 1 0
○/0 9.6' 11.2 2 0
12.8
11.7
2 1
2 0
1 0
1' 0
1 1
1 0
咬頭
[4]
根癒 合
咬頭
[4]
台状根め
咬頭 [3]
咬頭 [3]
咬頭
咬頭
[3] 臼後結節0
[3+]近 心側 エナメル滴η
咬頭 [4]
1 0
3 0
1
0
咬頭
1' O Y5
72
73
○ /△
左 ○/0
左 ○/×
11.3
10.3
1
根先未形成
0 X5+1
10.7 10.2 1 0 X5
11.1 11.4 2 0 X5+1
- 68 -
遠心側エナメル滴η
[4]
右 △/△
右
台状根つ
咬頭 [4]
(12.7)
1' O Y5+2
右 ○/× 12.0 11.2 2 0 X5+1
左 ○/0 12.1' 11.3 2 0 X5
左 △/× (12.1)
2 0 +5+1
左 △/×
(11.7) 2 0 Y5
66 下M2右 ○/× 12.0' 10.6 1 0 X4
67
左 ○/× 11.8' 10.7 1 0 X4
68
左 ○/△ (11.2) 10.6 2 1
69
2 0 X5
左 ○/× 11.9' 11.1
70 下M3右 ○/0 10.0 9.9 1' O X5+1
71
カラベ リ結節4)
0
○ /0
○ /△
[4]
2
右 ○/0
下 Ml右
2
咬頭
0
9.4' 10.6
8.2 10.6
右 ○/×
8.7' 10.6
左 ○/×
54 上M3右 ○/0 8.3 11.7
55
右 ○/0
9.5 11.1
56
右 ○/0 9.1 12.2
57
9.3' 11.1
左 ○/×
58
8.0 10.7
左 ○/△
59
左 ○/0 8.7 12.2
60
1' 0
4
左 △/×
察
咬頭 [4]
0
11.3' 12.0
観
咬頭 [4]
3
右 ○/○
態
形
0
○/0
41
43
44
45
46
47
48
館蝕
歯
咬耗
No
第 6咬 頭
[2]
第 6咬 頭 [2]
第 6咬 頭 [2]
第 6咬 頭
第
6咬 頭
第 6咬 頭
第 7咬 頭O DFl)
第 4節
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
下M3左
○/×
下 M破 片
△/×
下M破 片
△/×
下 M破 片
×/△
2 0
3 0
2 0
破
片
×/×
1' 0
形態異常
○/○
下M2左
○/0
d/b-1
11.1 11.4
m―
2
0
12.2 10.6 上 11左 ○/
8.1
下 12左 ○/
5.8
―
下 C 左 ○/
上C
右
○ /0
上 Pl右
○/0
上 P2右
○/0
上 Ml右
上 Ml左
○/0
8.1
8.5 -
7.3 9.5 7.1 9.4 -
離蝕
歯冠計測値
歯
種
咬耗
保 存
冠 /根
No
千葉市誉 田高 田貝塚 の 多数遺体集積合葬
形
態
0 X4
0
上
12円 錘歯 0?
Y5
―
根 [7-8] → f号 植立
シャベル形 [tr] 冠 [3-4] →ヽ82,83
冠 [3-4] →ヽ81,83
―
冠
一
―
[3-4]→
ヽ 81,82
―
根周 条
根
[8-9]
→ No85,86
―
根周条1の 著明 根
―
根周条 著明 根
[8-9]
[8-9]
→ヽ84,86
→ヽ84,85
―
咬頭
―
咬頭
1の
著明
1の
10.0 12.3 ○/0 10.0 12.4 上 11右 ○ /0
8.6 7.6 上 12左 ○/△
7.4 6.2 -
―
シ ャベ ル 形
―
シ ャベル形 [tr]
上C
―
冠 [6]
―
根 [7]
―
根 [7]
左 ○/
8.0 8.2 上 Pl右 △/0 7.5 9.8 下 Pl左 ○/0 7.4 8.0 上Ml右
上M2右
上 M2右
上M2左
下Ml右
下 Ml右
100 下Ml右
101 下Ml左
102 下Ml左
[4]エ ナメル質減形成 の 根 [5]→ No88
[4]エ ナメル質減形成 2)根 [5]→ ヽ 87
[ss] 根 [5-6]
根
[6-7]
○/△
10.5
11.5
-
―
咬頭
[4]
○/
9.6
11.8
-
―
咬頭
[4]
冠 [7-8]
―
咬頭
[4-]
冠
―
咬頭
[4]
冠
11.9 10.8 ○/ 11.8 11.0 ○/△ 12.6 11.4 -
―
+5+1
Y5+1
+5+1
○/
一
○/
9.1
○/
9.4
11.6 -
10.5 -
○/
11.9 11.1 ○/0 11.8 11.0 -
察
観
一
―
Y5+1
Y5+1
冠 [5-6]
[6-7]
[7-8]
第 6咬 頭
第 6咬 頭
第 6咬 頭
第 6咬 頭
[2]
[2]
[1]
[2]
冠
[4-5]
冠 [5]
根
[5-6]
冠 [5]
[2]DFl)根 [5-6]
103 下 M2右 ○ / 11.7 10.4 ― +5
冠 [6-8]
104 下M2左 ○/ (10.5) (9.2)一
― +4
冠 [5]
105 下 M破 片 ×/×
―
― 咬頭 片
106 下ml右 ○/△ 8.4 7.5 1' 0 根尖未完成 [2] →No107
107 下 ml左 ○/0 8.4 7.6 1' 0
根尖未完成 [2] →ヽ 106
108 上 m2右 ○/
― 咬頭 [4]
9.1 10_3 冠 [9m] → No109,112
109 下m2右 ○/ 10.9 9.4 一 Y5
冠 [9m] →ヽ108,112
一
―- 69 -―
第 6咬 頭
第 1章
資試料分析 とその研究
歯冠計測値
離蝕
咬耗
保 存
冠/根
N0
歯
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
下 il左
○/0
下 i2左
○/0
下 i2左
○/△
d/b-1
4.5 4.0 2 0
5.2 4.8 1 0
4.6 4.1 - ―
下C 右
上ml左
下ml右
下 ml右
上m2右
上m2左
下 m2右
下m2右
下 m2右
下m2右
下m2左
下m2左
下m2左
○/△
6.5
種
m―
5.7
形
態
観
根尖未完成・切縁結節11)残
察
[9m]→ ヽ108,109
1' 0
○/0
8.4 9.1 1 0
○/0
8.1 7.7 1' 0
○ /×
8.6
○/×
8.9 9.8 1' 0
9.5 10.3 - ―
○/×
8.1
○/0
11.4
9.6
○/0
11.2
9.2
○ /△
10.8
9.4
1' 0
1
未萌出歯 ?
0 Y5+1
第 6咬 頭
[2-3]DFl)
1' O Y5 DFl)
1
0 Y5+1
第
6咬 頭
[3]DFl)
[2]DFl)
10.9 9.0 1' O Y5+1
第 6咬 頭
○/0 11.6 9.2 1 0 Y5 DFl)
○/△ 11.1 9.1 1' 0 歯冠 ヒダla Y型 第 6咬 頭 [2]DFl)
○/× 11.6 9.2 1' 0 歯冠 ヒダ Y型 第 6咬 頭 [3]DFl)
○/×
1の
m一 d隣 接面咬耗補正値
Nob 4/0.3 Nob6/0.3 Noc4/01N028/0 1 No39/0.3 No43/0.2 No45/0.l No46/02N050/0.4 No51/0.2
M53/0.2 No57/0.l No63/0.l No66/0.2 No67/0.3 No69/0.2
圧
1)屈 曲隆線 deflecing
wrinkleの 略表示。屈 曲隆線 は下顎大 臼歯 。第 2乳 臼歯 にお ける近 心舌側咬頭 か ら中心溝 に向 か
う隆線 が 、時 として途 中 か らその方向 を変 えて遠心方向 に屈 曲 して い る もの をい う。誉 田高 田貝塚 で は下顎第 2乳 臼歯
9点 中、 8点 にDFが 認 め られ る。
2)歯 冠 エ ナメル質 の形成不全 で、萌 出前 の顎 内 で歯冠形成途上時 に栄養疾 患等 のス トレス を原因 として線状 、小富状 、
溝状 の凹が 歯冠表面 に現 われ る もの をい う。歯種 ご とに歯冠形成 時期 は異 な るので、 どの歯種 の どの位 置 かで ス トレス
の起 こった略年齢 を知 る ことがで きる。
3)歯 根 が頬側 と舌側 の 2根 に分岐 してい る もの。
4)CarabelHが 最初 に記載 した過 剰結節 で、上顎大 臼歯 の舌側近心咬頭 の舌側 に小 さな膨 れが生 じる もの をい う。第 1大
臼歯、第 2乳 臼歯 に出現 す るのが通 常 で あ り、第 2、 第 3大 臼歯 には稀 といわれ る。
5)歯 根 が比 較 的長 い距離 に亙 って癒 合 して切 株状 を呈 して根尖 部 だ けが開離 し、 しか も根尖間 の角が丸 み を帯 びて根 が
全 く台状 を呈 す る もの をい う。通常上顎大 臼歯 に、稀 に小 臼歯 に もみ られ る。
6)第 3大 自歯 の後 に続 いて位 置 を占め る過剰 歯 (第 4大 臼歯 また は自後歯 と呼 ばれ る)が 独立 せ ず に大 臼歯冠 に癒 合 し
てい る もの。 臼後結節 は第 3大 臼歯 と発生時期 が 同 じで あ る とされ る。
7)歯 頸部 また はそれ よ り下 の歯根部 にみ られ る半球形 の真珠様 の エ ナ メル質塊 の こ と。大 きさは辛 うじて肉眼で観 察 さ
れ る ものか ら直径 2∼ 3 mmに 至 る もの まで種 々で あ る。その出現 は大 臼歯 と決 まって い て、多 くは第 3大 臼歯 にみ られ、
次 いで第 2大 臼歯 、第 1大 臼歯 で は極 めて稀 で あ り、上下顎 で は上顎 の方が遥 か に頻 度 が 高 い。
8)下 顎大 臼歯 の舌側 の両 咬頭 の 間 に出現 す る過剰 咬頭。
9)過剰 歯 (正 常数 よ り余分 に表われ る歯 )の 一 種 であ り、歯冠 が尖 って い て咬 合面 も切縁 もな い歯 で、栓状 歯 ともいわ
れ る。 また、第 3大 自歯 に次 いで退化傾 向の著 しい上顎側切歯 の退化形 も円錘歯 と呼 ぶ。
10)象 牙質 の成長 線 で、象牙質 の表面 にあ る凹凸が その上 を覆 うセ メ ン ト質 の薄層 を通 して外表 に表われ る もの。
11)切 歯 の歯冠先端 の水平 に走 る切 縁 (自 歯 の咬合面 に相 当す る部分 )に 表 われ る 2つ の切痕 によって、 3つ の切 縁結節
に分 れ て い る もの をい う。切痕 は時 に 3つ あって 4つ の切 縁結節 に分 れ る こ ともあ る。切縁結節 は通 常 、咬耗 に よ り萌
出後 まもな く消失す る。 なお、切痕 に研 目を加 えた ものが叉状研 歯 で あ る。
12)咬 合面 の基 本 的 の溝 が消失 して、著 しい数 を呈 す る もの。上 下顎 それ ぞれ において認 め られ る。
- 70 -
第 4節
千葉市誉田高田貝塚の多数遺体集積合葬
(2)最 少個体数 と年齢構成
同一 歯種 で重 複 が最 も多 い の は下 Ml右 の 10点 であ り、 これ に下 Ml右 が生 前脱落 している d号 の分 を
加 える と11人 分 とい う数字 となる。11人 分 中、形成途上 の歯 はNo98、 ヽ 99、 No100の 3人 分 で、いずれ も未
萌出の 4∼ 6歳 の段階 にあ る。 4∼ 6歳 の段 階 にお ける同一 歯種 が 3人 分以上重複 す る もの は他 に無 い。
そ こで先ず 4歳 に満 たな い段階の歯 を もつ個体 の最少数 を求 め、 11人 にプラスす る必要が ある。
4歳 に満たな い段階 の歯 は、同一個体 と考 えられ るNo108、
No109、 商 H2の 生後 9ヵ 月の段階。同一個体
と考 え られ るNo106、 ヽ 107の 2歳 の段階。同一 個体 と考 え られ るヽ 81、 ヽ 82、 No83の 3∼ 4歳 の段階。 の
計 3人 分 が ある。 ただ し、 3∼ 4歳 の段 階 であるNo81、 M82、 No83は 、 4∼ 5歳 の段階 で あるヽ 98と 形成
段 階 を異 にす る もの と判 断 され るが 、同一 個体 であ る微 かな可能性 を払拭 で きな い。 よって 4歳 に満 たな
い個体 の最少数 は 2人 としてお く。結果、下 Ml右 を照準 とす る個体数 で は13人 を数 える ことになる。
次 に、年齢段 階別 で最少数 を求 めてみ る。乳児 (1歳 未満 )0幼 児 (下 Mlが 萌 出す る 6歳 までの乳歯列
の時期 )個 体 の最少数 は上 述 の とお り
(下
Mlの 歯 根 の 完 成 時 期 は 9∼ 10
12右
下
11右
下
12右
左
左
上C
して抽 出 され るに止 どまるので、別歯
上 Pl右
左
上 P2右
左
下 Pl右
左
下 P2右
左
上Ml右
左
上 M2右
左
上M3右
左
下Ml右
左
下 M2右
左
下M3右
左
上 11右
左
上 i2右
左
下 il右
左
下 i2右
左
上C 右
左
下C 右
左
上 ml右
左
上 m2右
左
下 ml右
左
下 m2右
児の段階 に あって歯種 の重 複 がみ られ
るのは、上 Pl右 ― No85の 8∼ 9歳 の
段 階、ヽ 92の 7歳 の段階。上 M2右 ―
ヽ 95の 7∼ 8歳 の段階、ヽ 96の 6∼ 7
歳 の段階。 の 2歯 種 それ ぞれ 2人 分 で
ある。 これ らと形 成段階 を異 にす る小
児段階の歯 は他 に無 ので、小児の最少
数 は 2歯 種 2人 分 の重 複 を もって 6
∼ 7歳 と 7∼ 9歳 の 2人 とな る。結果、
小人 の最少数 は 7人 であるが 、乳歯 の
歯種重複 を照 準 とした場合 による小人
の最少数 が 7人 を超 えて い な いか確認
しなけれ ばな らな い。最多重複 は下 m
2右 で 5点 、 この 5点 とは歯冠形質上
別個体 と判 断 され る著明 な歯冠 ヒダの
み られ る下 m2左 のヽ 124、 ヽ 125の
2
点 を加 える と計 7人 分 とな り、 最少数
10
NQll
No82
No14 No91
Na15
NOal No16 No17 No18
NQg2 No20 No21 NIQ22
M M
下C
Nα
Nogl No12 No13 No84
M M
左
右
左
右
左
歳 )No60の みが確 実 な小 児段階の歯 と
種 で重複 がみ られ るか を確認 す る。小
M
照準 とした場合、根先が未形 成 である
左
上
9 7
8
M M
の時期 )個 体 については、下 Ml右 を
11
︲ 6
2 8
M M M
す る12歳 までの乳・ 永久歯 の混 合歯列
a。 歯
歯種重複
M M M M M M
で 5人 となる。小児 (乳 歯 が全 て脱落
第 7表
No23
Nog3 No24 No25 No26
N028 N029
NOa2 Nacl
Noa3 NQ31
Noa4 Nobl
Nα
No30
No32
NOc2
NIo33
No93
No34
a5 Nob2 NQ35 No36
Nog4 Nα 39 No40 Nα 41
No45 No46 No47 NQ48
Nog5 No49 No50 No51
N053
No27 Nα 86
No37
Nα
42 No43 Nα 44 No87 No94
No88
No52 No95 No96
No97
No54 No55 No56
No57 No58 NQ59
Noa6 Nob3 NIoc3 NQel
NOa7
Nob4
Nof2
No63
No60 No61
No64 No65
Noa8 Nob5 Noc4
NOa9 NQb6 No67
No66
NQ68
No69 NQ80
NOa10 NQb7 NQc5
No70
No71
Ncall NQb8 No72 NQ73
No74
lll NQl12
N0113
Nol14
No108
Nol18
NQ106
NQ107
No109
l
- 71 -
Nol17
NQl15 NQl16
Nol19 No120 No121 No122
No123 No124 No125
No98 No99
No101 No102
No103
N0110
Nα
No62
No104
No100
第 1章
資試料分析 とその研究
/」
N089
NQ81
左
上
12右
下
11右
下
12右
11
上
12右
下
11右
下
12右
左
左
下C
大人
上
11右
上
12右
下
11右
下
12右
左
左
上C
ヽ
上
左
No90
左
左
NQ82
左
右
左
右
左
上 Pl右
左
上 P2右
左
下 Pl右
左
下 P2右
左
上Ml右
左
上 M2右
左
上M3右
左
下Ml右
左
下M2右
左
下M3右
左
上 il右
左
上 i2右
左
下 il右
左
下 i2右
左
上C 右
左
下C 右
左
上 ml右
左
上 m2右
左
下 ml右
左
下 m2右
上C
下C
Na83
No87
No88
No98
No101
No99
N。
102
No104
Nol12
No108
ヽ 106
No107
No109
N0100
左
左
上C
tt No84
左
右
左
上 Pl右
左
上 P2右
左
下 Pl右
左
下 P2右
左
上Ml右
左
上M2右
左
上 M3右
左
下 Ml右
ZE
下 M2右
左
下M3右
左
上 11右
左
上 i2右
左
下 il右
左
下 i2右
左
上C 右
左
下C 右
左
上 ml右
左
上 m2右
左
下 ml右
左
下 m2右
左
1
N091
下C
NQ85 No92
NQ86
NQ93
No95 NQ96
No97
No60
Nof 2
No103
NQ80
│
左
右
左
右
左
上 Pl右
左
上 P2右
左
下 Pl右
左
下 P2右
左
上 Ml右
左
上 M2右
左
上 M3右
左
下 Ml右
左
下M2右
左
下 M3右
左
(a号
)
NOa l
Nca 2 NQc l
NOa 3
(d号 )
Noa 4 NQb l NOc 2(d号
NQa 5 NOb 2
Noa 6 NQb 3
NQa 7 NQb 4
NOa 8 NQb 5
Noc 3 NIoe l
(d号 )
Noc 4(d号 )
Nα a 9 NQb 6
Noa10 NQb 7
)
NQc 5 NQ70
M71(d号
)
Noall Nob 8
られ るもの
Nof l
l
7人 を超 えな い ことが確認 され る。 ちなみに、 1990年 次調査 の骨 による最少個体数 15は 大人 に限 ってカウ
ン トされた数値 であるので 、小人 の最少数 7人 をカロえるな らば、最少個体数 は22人 となる。
大人
(M3が 萌 出す る18歳 以降の永久歯列 の時期 )個 体 の最少数 につ いて は、最多重複 の下 Ml右 を照
準 とす る と、 11人 分 の 中 か ら幼・ 小児の 4人 分 を差 し引 いた 7人 分 が検討対象 になる。 7人 分 の 中 でM3
萌 出が確実 である ものは、顎植歯 の a号 、 b号 、 C号 、 d号 、 e号 の 5人 分 で 、 e号 を除 く 4人 分 に下 M
3右 の植 立 な い し歯槽閉鎖 が認 め られ る。下 M3左 で も 5人 分 の歯 を数 えるが、下 M3右 はさ らにヽ 70、
商 71の 2点 の遊 離歯 が存在 して い るので 、最少数 は 6人 となる。 なお下 Ml右 の遊離歯 であるヽ 61、 No62
は、小児か ら大人 までの いずれの段階か決定す る材料 を欠 い て い るが、咬耗度 を参考 にす るな らばヽ 61は
小児、No62は 大人 となろう。
年齢段階別 に求 めた最少数 は計 13人 であ り、最多重複歯種 の下 Ml右 を照準 とした個体数 と同数 になる。
す る と下 Ml右 のNo61、 No62は 年齢段 階別 の検討 の対象外 となって い るので、年齢段階別 の最少数 が増 え
一- 72 -―
第 4節
千葉市誉田高田貝塚の多数遺体集積合葬
る可能 性 が 出 て くる。 しか し、仮 に咬耗度 を参考 にヽ61が 小児、ヽ62が大人 とした場合で は、 年齢段 階別
の最少数 が増 えることはな い。 したが って、歯 によって数 え られ る最少個体数 は13人 とい う結果 に落着 す
る。
以上、歯種鑑別 か ら得 られた年齢構成 を纏 める と、乳児-9ヵ 月-1人 、幼児-2歳・ 3∼ 5歳・ 5歳・
5∼ 6歳-4人 、小児-6∼ 7歳・ 7∼ 9歳-2人 、大人 6人 、 にな る。留意 され るの は、小児後半 か ら
少年
(M3が 萌 出す る18歳 までの未完成永久歯列 の時期 )の 段 階 とす るに確実である歯 が全 く認 め られな
い点である。 あるい は合葬 には年齢別 の 区画――例 えば竪穴遺 構 の床面上 に配 され る上 屋支柱 の部分 で 区
切 られ る等―一 が あって1990年 次調査箇所 は少 年埋葬 区 か ら外 れて いた、 な い し竪 穴遺構 には少年 は収容
されなか った ことを示唆 して い るのか もしれ な い、今後 の課題 とな る。
(3)他遺跡 出土歯牙 との比 較検討
比較資料 には歯牙 に関す るデータの詳細 が示 されてい る、千葉県草刈貝塚 (平 本 0溝 口1986)、 岩手県上里
遺跡 (野 坂 ほか 1983)、 長野 県北村遺跡 (茂 原 1993)の 報告 の他、(Matsumura 1989)(鈴 木・酒井 1955,1956)
(中 村 1957)の 研究 デー タを用 いた。本来 な らば男女別 の比較 が なされ るべ きであるが 、誉 田高 田貝塚 の
資料 は性別 についての情報 が ほ とん ど無 く、他遺 跡 との比較検討 は以 下す べ て男女混合 とす る。 なお、縄
文時代人 の歯 の特徴 については (松 村 1993)に 平易 な解説 が あ るので参照 い ただ きた い。
a.歯 冠計測値 の比較
(表 8・ 9、 第 31図 )
関東現代人 (Matsumura 1989)の 計測値 を平均 とした偏差折線 図 を上 /下 顎別、 m―
れぞれ用意 した。縄文時代人 の歯 は現代 日本人 と比 較 して 12、
第 8表
1989)で もその傾
永久歯歯冠計測平均値
(m― d)
誉 □高 田貝尿
標 本数
平均 値
草刈 貝塚
標準偏差
12
Pl
P2
M M
08
34
79
78
19
82
0
0
o
0
0
o
17
19
35
48
50
59
12
2
575
021
C
4
7 35
0 52
Pl
4
745
Ml
M2
6
11
7
? 30
12 07
11 87
P2
1117
0 39
o 34
0 23
071
6 62
4
8
0
9
0 29
1012
052
9 00
0 41
856 051
555 030
5 94
711
704
8
7 24
16
1143
14
16
10 90
10 88
12
12
10
7 55
6 88
8 26
1214
1111
11 50
0 48
0 72
8 52
0 42
9
1078
8
10 69
12
12
13
11
7
6
6
10
8
7
72
22
35
63
99
標本無
平均 値
全 国縄 文 人
標 ●偏
0 33
0 40
=
026
0
0
0
0
0
28
24
69
45
92
0 27
033
052
0 63
0 60
0 50
0 48
10
11
6 84
6 96
14
1169
11
4
10 81
10 93
0 52
0 47
066
054
0
0
0
o
51
37
56
72
28
32
0 50
1 87
364
322
212
401
0 39
0 40
42
99
47
74
38
関東 現代 人
標準 傷差
42
51
47
46
43
52
55
59
1010
052
8 98
816
5
6
6
6
11
71
63
76
81
38
10 62
0
0
0
0
0
採 本敗
6 89
7 80
7 26
0 60
0 42
0 38
57
6 91
0 48
59
10 45
0 54
0 59
58
9 60
0 50
0
0
0
0
0
48
52
56
59
59
59
59
066
37
43
45
50
52
0 63
5
6
6
7
7
11
11
42
03
87
13
28
55
05
0
0
0
0
0
0
0
31
40
43
43
43
51
59
10 48
218
717
037
28 781 043
37 916 074
213
6 55
129 785 051
277 913 054
0 43
36
349
365
325
8 88
11 58
11 23
0 57
0 54
0 65
15
15
7 27
6 64
0 41
0 52
9 16
0 68
11 76
051
11 18
0 59
8一
4 ︲ 9 8
¨
︲ Ю ︲¨
2 1 ︲
11 29
10 38
10 64
8
6
7
6
6
10 58
6 86
6 87
平均 値
182
184
149
280
347
1126
55
59
8 27
9 42
0 55
0 49
57
9 19
o 55
071
7 53
7 87
0 29
0 42
0 46
8 59
0 43
1
14
11
4
標本致
153
197
337
377
419
10 24
4
8
7 78
7 95
6
15
32
53
53
90
737
2
一3
4
4
9
11
11
10
8 58
6 92
11
長野 県北村 遺跡
標準 偏差
0
8
Pl
12
12
13
10
11
11
平均 値
0
一
2
2
938
8 5 0¨
2 4 5
¨
7一
8 6 3 6 4
12
13
標 本薇
0 9 5
8 5¨
4
12
Ml
M2
M3
7 726 056
7 781 033
694 018
│
11
P2
岩 手県上 里貝塚
標準 に≠
0 0¨
0
1 1 1
舌径 (b―
7
024
平均 値
3 7 6
¨
4 5 6
8
7
6
10
9
8
標本数
0 55
0 37
1 44
- 73 -
41
51
45
10 69
10 38
9 91
にそ
Mlを 除 いてサイズが小 さ く、 とくに C
M2で 顕著である。事実、今 回用意 した偏差折線 図の全 国縄文人 (Matsumura
∼ P2、
d/b-1別
186
203
340
383
428
404
316
616
7
7
8
11
10
9
30
65
18
03
27
81
0
040
0
0
0
0
0
0
49
52
52
50
55
62
56
7 81
0 49
58
58
8 02
8 44
0 51
0 42
59
59
10 86
10 41
0 51
0 53
第 1章
資試料分析 とその研究
第
9表 永久歯歯冠計 測 平均値 の比 較
各値 ―平均 を偏差値で除 して求めた。「関東現代 入Jを 平均 とし、 (値 ―「 関東現代 入」 )/(値 /「 関東現代入」 ●05)に よる。
「関東現代 入」 のM3と 誉 田高田の下顕 11は デ ー タな し。北村以外の縄文遺跡は標本数が少ない歯種がある。
す べ て男女混合の平均値 。 したが って 、標 本の男女比率 に よる影響が出ている可 能性がある。
近遠心径 (m― d)
頬舌径 (b― │)
052
080
0
-0 02
-0 09
-004
-1 55
-0 95
0 25
-1 23
-022
6
-1 99
-1 34
037
-0 97
-0 54
023
-0 05
028
-0 89
-0 60
-0 63
-012
0
0
0 00
000
0 00
054
043
-0 58
0 91
0 62
-0 18
0 47
-0 17
-0 06
-0 15
-0 04
-0 36
0 04
1 00
-0 08
-0 26
0 15
0 59
0 32
0 89
上顎頬 舌径
上 願近遠 心 径
‐‐口自‐■口海ロ
‐‐0-■ 刈購
110。
‐い0‐‐■メ
1貝 壕
1100
―‐
+― ■里貝塚
略
北
一
北1,遺 躊
',,・
X
P2 MI M2
― ■ ― ■里員塚
一
Ml
全国■文 人
X
M2
下 駅 近 遠 ,じ 径
全国■文人
下籟頬舌径
‐‐ロロ‐■日高田
′
ゝ
ぎ サ
‐‐●‐‐車メ1貝 塚
―“
+― ■菫貝塚
P2 Ml M2
第 31図
‐
全国縄文へ
,.rI
,aI
11 12
`
イ
` ′
ン
C
Pl P2 Ml M2
…
… 車メ 颯
`貝
― ■ ― 上里貝塚
北1ナ 遺跡
一
‐X・
全国縄文人
永久歯歯冠計測平均値 の上ヒ較
向 が認 め られ る。
誉 田高 田貝塚 の偏差折線 をみ る と、上 M2で 傾 向 を他 と同 じ くす るが、下 M2は 極端 に大 き く、C∼ P2
は現代関東人 と同等以 上 のサイズが あ り、 C∼
Plは m― dで 上下顎 ともにかな り大 きい。上里遺跡、北
村遺跡 の偏差折線 は誉 田高 田貝塚 に比 較 すれ ば概 ね全 国縄文人 に近 い形 であ るが、上里遺跡 で はサイズの
小 さい C∼ P2が よ り顕著 に表 われ、北村遺跡 では幸長告 の指摘 の とお り下 Mlが かな り小 さ くなって い る。
草刈貝塚 はMlが 小 さい他 は全 体 的 には誉 田高田貝塚 に次 ぐ大 きさにある。遺跡間の比較 で着 目 され るの
は、地理的 に も年代 的 に も近 い誉 田高田貝塚 と草刈貝塚 の下顎 b-1の 偏差折線 が ほぼ一 致す る点であ る。
m― dよ りも b-1の ほ うが環境 による影響 を受 けやす いか もしれ ない との指摘 (Matsumura 1989)に 符
号す る。
―-
74 -
第 4節
b。
上顎切 歯 の シ ャベル形 (第 10表 )
千葉市誉 田高 田貝塚 の多数遺体集積合葬
上顎切 歯 の シ ャベル形
第 10表
シ ャベル形切歯 は上 下顎切歯 の全 てにみ られ るが 、縄
【
中切歯】
発 速度
例
文時代人 の下顎 のデータは管見 に触れず、上顎 の比 較 の
誉 田高 田 貝塚
み とした。 また、縄文時代人 は弥生 時代人 ∼ 現代 日本人
数
例
草 刈 貝塚
に比 較 す る と上 顎切歯 の シ ャベ ル形 の頻 度 が低 い といわ
数
例
現 代 日本 人
(第 11表 )
(平 本・溝口19861
7
77 フ
(野 坂 ほか 1983)
(鈴 木・酒井1966)
24 0
数
2
3
%
例
0
数
%
例
C.上 顎大 臼歯 の咬合面形態
0
発達 度
草 刈 貝塚
現 代 日本 人
2
22 2
%
誉 田高 田 貝塚
表われて い る。
0
3
37 5
数
例
らに弱 く、 中切歯 に比 べ やや発達す る草刈貝塚 との差 が
0
0
20 0
│
側切歯】
【
調 され る。側切 歯 においては、誉 田高田貝塚 の発達 はさ
5
625
%
れ るが 、遺跡 ご との具体的 デー タの提示 は少 ない。
弱 く、縄文時代人 としては特異 な上里 遺跡 の在 り方が強
0
数
例
1
800
%
上里遺跡
中切歯 においては、誉 田高田貝塚、草刈貝塚 の発達 は
0
%
(平 本・溝口1986)
61 5
数
│
%
97
21 7
333
(鈴 木・酒井19661
上顎大 臼歯 の形態変化 は遠心舌側咬頭 の退 化傾 向 に最 も著明 に表われ る。 また第 1→ 第 2→ 第 3へ の形
態変化が定 向的 で、後方の ものほ どよ り強 い退化傾 向 にある。
第 1大 臼歯 で は、 3遺 跡 の縄文時代人 と現代 日本人 との間 に差 はみ られな い。第 2大 臼歯 で は、誉 田高
田貝塚 と現代 日本人 は 4-に ピー クが あるのに対 して、草メリ
貝塚 と北村遺跡 は 3+な い し 3に ピー クが あ
第 11表
第12表 下顎大臼歯咬合面型(ド リオピテクス型Dryopithecus
上 顎大 臼歯 の 咬合 面形 態
第 2大 臼歯】
【
咬 頭数
4
4-
3+
p lYslvll+s
3
現 代 日本 人
例
誉田高田員塚
致
革 刈 貝塚
例
3
3
致
("議 員1993)
51
数
4
4-
2
0
0
0
3+
3
1
%
3
%
勒
2
0
20 0
数
%
0
1
%
例
2+
購
00
,1 数
草 刈 貝塚
馴
酒井1956)
(鈴 木 。
咬 頭数
誉 田高 田 貝塚
ll
12
3
%
例
現 代 日本 人
(平 本・溝口1986)
30 0
%
現 代 日本 人
現 代 日本 人
0
│
2
286
数
%
北村遺 跡
北 村遺 跡
0
4
%
例
【
第 3大 臼歯】
1
2
2
3
9.フ
(平 本・溝口1986)
4
61 2
12.9
(茂 原 1993)
(鈴 木・酒井1956)
誉 田高 田 貝塚
- 75 -
patemと
その変異型
)
第 1章
資試料分析 とその研究
る。前者 よ り後者 のほ うが明 らか に退 化傾 向 が強 い。第 3大 臼歯 では、誉 田高 田貝塚 は 4に ピー クが あ り
他 と比 較 して退化傾 向がかな り弱 い。
4-を
ピー ク とす る現代 日本人 に対 して、草刈貝塚 と北村遺跡 は退
化傾 向 が強 く 2咬 頭性 の もの もみ られ る。
d.下 顎大 臼歯 の咬合面型
(第 12表 )
Y型 は近心頬側咬頭 が大 き く近心 に張 り出す とともに近心舌側咬頭 も大 き く、 これが頬側 の 2つ の咬頭
と隣接 す る もの、 X型 は近心 舌側咬頭 が縮小 し、遠心頼側咬頭 が遠心移動 した ものである。化石霊長類 の
歯 の研究 か らY型 が ヒ ト科 の下顎大 臼歯 の原始形 であ り、 Y型 か ら+型 を経 て X型 へ 、咬頭数 は 5→ 4へ
と進 化す る と考 えられて い る。 Gregoryが Dryopithecusに
patternと 呼称 す る場合 があ る
Y型 を認 めた ことか ら、 これを Dryopithecus
(藤 田ほか 1995)。
第 1大 臼歯で は、現代 日本人 と比 較す る と、誉 田高田貝塚 と草刈貝塚 はほ とん ど差 がな く、上里遺跡 は
やや原始的、北 村遺跡 は進歩 的 となる。第 2大 臼歯 で は、 いずれ も十型 にピー クが あるが 、 Y型 において
誉 田高 田貝塚 と上里 遺跡 の比 率 が 高 いの に対 し、北村遺跡 では全 くみ られ な いのが 目立 って い る。第 3大
臼歯 で は、誉 田高 田貝塚 と草刈貝塚 で X型 に ピー クが あるのに対 し、北村遺跡 は +型 に ピー クが ある。誉
田高 田貝塚 はY型 がやや 高 い比率 にあるものの、例数 の少 な い ことが原因 して い るか もしれな い。
e.下 顎第 1大 臼歯
0第 2乳 臼歯 の第 6咬 頭
歯 の付加形質 (非 計測的形質 )の 出現 は、双生児法 また は家族法 による研究 の結果、遺伝 的 にかな り安
定す る もの と考 え られて い る (埴 原 1978)。
誉 田高田貝塚 で は第 1大 臼歯 0第 2乳 臼歯 に付加形質 である第 6咬 頭 の出現がかな り高率でみ られ、第
1大 臼歯 で67%(総 数 18点 で咬合面観察可能数 15点 中10点 で確認 )、 第 2乳 臼歯 で67%(総 数 9点 中 6点 で
確認 )と な り、 とくに小人 の段 階 の永久歯 で は83%(6点 中 5点 )に も上 る。 この ような極端 に高 い付加
形質 の出現率 を解 くとすれば、①誉 田高田貝塚 ない しその周辺地域 に第 6咬 頭出現遺伝因子 の集中があっ
た。②竪穴遺構 へ の遺体収容 には出自別 の原理があ り、1990年 次調査箇所 は第 6咬 頭出現遺伝因子 をもっ
たグループの系統 の区画 であった。③竪穴遺構 へ は誉 田高田集落の中で も第 6咬 頭出現遺伝因子 をもった
グループの系統 に限って収容 された。のいずれか とい えよう。 とくに① の関連 として、地理的 にごく近 い
草刈貝塚 で「中峠式」 の時期 の住居址出土人骨 に第 6咬 頭 が 目立 つ現象 は、誉 田高 田貝塚 との時間的問隙
が猶あ るものの留意すべ きである。
f.頗 蝕
(第 13・ 14表 )
被調査者数〉×100、
顔蝕率 を求める方法には、鯛蝕有病率 (%)=〈 鯛蝕有病者数〉÷ 〈
1人 平均館歯数 =
〈鯛 歯 数 〉÷ 〈被 調 査者 数 〉、等 あ るが 、誉 田高 田貝塚 で は遊 離歯 が 大 半 を占め るので、 〈館歯 数 〉÷ 〈出 土
萌 出歯総数 〉×100を もって他遺跡 との比 較 を行 なった。 た
総歯数
‖歯数
0
2
2
4
︲
4
3
9
︲
4
︲
9
9
︲
4
︲
4
︲
9
5
一 ︲
3
7
7
6
0
2
2
︲
6
3
6
2
0
5
5
︲
6
6
︲
4
︲
0
︲
8
︲
5︲
5︲
86
3
9︲
76
54
22
︲0
9︲
83
4
︲
4
39
m2
︲
2︲
2︲那9
︲
︲︲
個体数
7
[ ¨[ [ [
- 76 -―
期期
後晩
い るのであって、
仮 に a号 が 出土 して い なけれ ば5。 7%で あ
中
.
.後
2∼ 3%高 い率 にな る。 これ は独 り a号 が嬬蝕率 を上 げて
[ [ ¨[﹁
るので鶴 蝕率 は10.8%、 第 13表 に挙 げた 14遺 跡 の平均 よ り
期
晩
誉 田高 田貝塚 で は萌出歯総数 129点 中、14点 に鯛蝕 を認 め
中
.
傾 向 に注意 を要す る。
遺跡 ごとの朗蝕率 (藤 田・ 鈴木 1995)
] 一[
を欠 くことの多 い縄文時代人骨 の場合、劇蝕率 が 高 くなる
第 13表
%%
幹
一
幌
鰯
醐
峨
螺
0
︲
咄
嘲
﹄
咄
﹄
咄
辮
・
.
4
0
︲
(11∼ C)
一
¨
叫
]
[
赫
]
﹄
卿
刹
]
刹
[
降
帥
呻
だ し、 この方法で は館 蝕発生頻度 の低 い前歯
*(茂 原 1993)
第 4節 千葉市誉田高田貝塚の多数遺体集積合葬
り、畑蝕有 病率 で は10.8%を 大 き く下 回 るのは確実 とい えよう。
鯛蝕発生歯種類 について は、遊離歯 7点 す べ てが大 臼歯 であ り上下顎 の差 が な くみ られ る こと、乳歯 に
は全 く館蝕 がみ られない ことが特徴 である。
鯛蝕発生箇所 では、現代人 に多 い咬合面 の発生 が 1点 のみで あ り、歯冠・ 頸部 の頬側面 と隣接面 に多発
して い る。 この ような鯛蝕発生 パ ター ンは縄文時代人 に一 般的 な傾 向であ り、現代人 にお ける高齢者 のそ
れ と全 く一 致 して い る とい う (藤 田・ 鈴木 1995)。 さ らに細部 を観察す るな らば、歯冠 の頬側・ 隣接面 の鯛
蝕 は頸部 にお ける発生か ら広が った ものが大 半 であ り、鯛蝕 の直接的 な主原 因 が歯 肉や歯槽骨 の退 縮 によ
る歯頸部・ 歯根部 の露呈 で あった との指摘 (藤 田 0鈴 木 1995)に 合致す る。 しか し、歯槽骨 の退 縮 のな い
個体 であって も頸部 の館蝕 は多 々認 め られ るので、歯頸部・ 歯根部 の露呈 が直接的な主原因 になった とは
限定 で きな い。 そ こで歯頸部 クサ ビ状欠損 を朗蝕 発生原因 の 1つ にカロえる ことを提案 したい。歯頸部 クサ
ビ状欠損 は、何 らかの圧力 が歯冠 にカロわ って比較 的脆弱 な頸部 にその負担 が 集 中 しクサ ビ状 の欠 損 が発生
す る ものをい う。臨床 で は当初、 ブラ ッシングの
第 14表
鯛蝕 (虫 歯 )発 生箇所
過重 によ り発生す る とされていたが 、 ブラシの過
重 を受 けな い隣接面 に も多 く認 め られ るので、現
在 では強度 の咬合運動 による負担 が原因 と考 えら
れて い る。縄文時代人 の歯 の咬耗度 をみ るな らば、
現代人 と比較 してかな り強度 の咬合運動 であった
のは明 らかであ り、歯 へ の 負担 も相 当大 きか った
と推定 され る。 なお歯頸部 クサ ビ状欠損 について
STUDY
GROUP OF DENTAL REFERENCEの 諸氏 よ
は、愛 知 県 下 の 歯 科 医 師 の 研 究 組 織
りご教示 いただ いた。
歯
冠
頸
部
歯冠失
歯
種
下
P2右
下 Ml右
頬側 面
舌倒 面
隣オ
妾面
咬 合面
頬側 面
舌側面
隣接面
●
●
●
下 Ml左
●
下 M2右
下 M2左
●
●
下 M3右
下 M3左
●
●
●
●
●
●
●
下 M3右
●
下 Ml右
●
上 Ml左
上 Ml左
●
●
上 M2右
上 M3右
下 M2左
●
●
●
●
●
以上、 a∼ fの 6項 目について他遺跡 との若干 の比 較検討 と誉 田高 田貝塚 の歯 の特質 を記 して きたが 、
歯 に関す るデータは歯冠計測値 を除 きまだ十分 に提示 されて い る現 状 にない。今後、遺跡単位 のデー タが
蓄積 され ることを期待 し、 よ り詳細 な比 較検討 を試 みた い と考 える。 なお草刈貝塚 の歯牙 データについて
は、一 部 を追補 して整 え、附章第 1節 1に 提示 した。
お わ りに
誉 田高田貝塚 の多数遺体集積合葬 はなお多 くの問題 を学 んでい る。東京湾東岸域 の 5遺 跡 7事 例 中、遺
体収容施設 の規模 、収容人員 の数 で群 を抜 い てい る こと、地理的 にやや離れ る茨城 県中妻貝塚 の事例 に類
似点 がみ られ その関係 が 問われ ること等、今後 もさまざまな角度 か らの検討 を加 えなければな らな い。 そ
れ には合葬 の再検証 が何時 で も何度 で も出来 る条件 が整 って い るのが必 須 であ り、保存が 良好 な現状 にあ
る誉 田高田貝塚 が この まま維持 され ることを強 く望 む。
今回 の誉 田高田貝塚 の多数遺体集積合葬 の分析 は、 1990年 次調査担 当者 で ある千葉県文化財 セ ンター資
料課 の西野雅人 さんがその機会 を与 えて下 さった。西野 さんには種 々 ご教示 い ただいた うえ、歯冠計測値
の集計 と偏差折線 図の作製 に手 を煩 わせた。文末 なが ら感謝 申 し上 げます。 国立科学博物館 の溝 口優 司先
―- 77 -―
第 1章
資試料分析 とその研究
生 には歯冠計測方法 について ご教示 いただ い た。 お礼 申 し上 げ ます。 また、引用の歯牙 データを提示 され
た研究者 の皆様 には敬意 を表 します。
参考文献 (ア ル フ ァベ ッ ト順 )
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rariability in Tooth Crown Characters:Analysis by the Tetrachoric
ヽ
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1954』
學習院高等科史學部
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化財 セ ンター
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1954』
學習院高等科史學部
Dryopithecus pattern"に ついて」人類学雑誌 64-3
鈴木誠・ 酒井琢郎 1956「 日本人歯牙の “
鈴木誠・酒井琢郎 1956「 日本人上顎大 臼歯 の咬合面形態、特 に遠心舌側咬頭 の退 化 について」人類学雑誌
鈴木誠・ 酒井琢郎 1966「 シ ャベ ル型歯牙の形態学的分析」人類学雑誌 74-5
宇 田川 浩-1993「 房総半島 にお ける縄文時代 埋 葬様式 の変化 について一特 に中期 か ら後期 ヘ ー」法政考古
学 第 20集 記念論文集
―- 78 -―
図版
4
多数遺体集積合葬出土状況
■ 一
1.確 認面全景
3。
(東 か ら)
人 骨 出土状 況 (東 か ら)
(1ヒ
4.堅 穴 完掘状 況
か ら)
(東 か ら)
矢 印 は柱穴
5。
関節 す る椎骨 の 出土状 況
6.解 剖学的配列関係 を保 つ腔骨 と誹骨
―- 79 -―
(写 真右下 )
図版
1
5
下 顎骨 (咬 合 面観 )
b号
a号
l稜 角
、
マ
│
C号
e号
d号
f号
a号 の断蝕
Nol12
No109 上 /咬 合面 下 /頬 側面
(写 真左 方 が遠心 )
No108 上 /頬 側 面 下 /咬 合面
(写 真左 方 が遠心 )
Nol12 舌側面
1.右 頼側 P2∼ M3
2.左 頼側 P2∼ M3
3.左 舌側 M2∼ M3
―- 80 -―
図版
6
下顎第 1大 臼歯 。第 2乳 臼歯の咬合面 (写 真上方 が遠心 )
F
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ヽ∼― ― │
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―- 81 -―
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第 1章
資試料分析 とその研 究
第 5節
千葉市矢作 貝塚 の動物遺存体 分 析
樋 泉岳 二・ 西 野 雅 人
矢作貝塚 は千葉市 中央 区矢作町 に所在す る。都川の河 口に広が る沖積低地 に直接面 した、広 い台地 の先
端 にあ り、当時 は海 岸 を間近 に望 む ことがで きたで あろう。数多 くの都川流域貝塚群 のなかで も、大型貝
塚 としては もっ とも海寄 りに位置す る。
調査 は昭和 12年 (武 田1937)、 55年 (千 葉 県文化財 セ ンター1981)、 平成 3年 (千 葉 県文化財 セ ンター 1994)
の3回 行わ れてお り、縄文後 0晩 期 の貝層、住居跡、 土墳墓 な どが検 出 されて い る。 それぞれの調査位置 を
第 32図 に示す (上 方座標北、 S=1:1,000)。
この うち、昭和 55年 の 当 セ ンター による調査で は、面状 貝
層 と遺構 内貝層 か ら後期 の遺 物 が 多量 に出土 して い る。今回 は報告書 に掲載 で きなかった動物遺存体 の分
が
才
析結果 につ いて追加的 な分 析、報告 を行 う ことに した。
祗
ー
‐
‐
ン
9、
ヽ
︱ゴ〃
ニ
彦
牌 好
/イ
ヽ
、
、
L O ﹁
多イ
ヽ
﹁
ヽ
I
「
ヽ瘍
孝
/
/\
ハ
ヽ
蘇
Y
/ヽ
絃
吻
だ
`
ざ
第 32図
矢作 貝塚 全体 図 (千 葉 県文化財 セ ンター1994に よる)
―- 82 -―
\
第 5節
千葉市矢作貝塚 の動物遺存体分析
1.貝 層 とサ ン プ ル 採 取 の 概 要
遺跡全体 か らは後期前葉 か ら晩期前半 に至 る土 器 が 出土 して い るが 、貝層 中 に限 っては堀之内式土器以
外 は きわめて少 ない。 したが って、貝層 の貝や骨 は、 ほ とん どが堀之内 1∼ 2式 期 に廃棄 された もの とみ
られ る。 ただ し、 ブ タや ニ フ トリとい った 、明 らか に近 現代 の流れ込 みの骨 が相 当数紛 れ込 んでいて、細
かい層単位 の分析 は困難 な部分 が多 い。 したが って、今 回 はす べ て堀之内期 の もの として一 括 して扱 い、
時期的な変化 の検討 は行 わなか った。 なお、遺構 や グ リッ ドの層別 に土 器 を見直 す ことに よって、部分的
には精度 の高 い時期 区分 が可能 である と考 え られ るが 、今 回 は果 たせ なか った。
貝サ ンプル は リス ト (第 15表 )の ように31か 所、 137単 位 が保管 されてい る。採取法「 C」 は コ ラムサ ン
プル で、1カ ッ トは30× 30× 5cm=4500ccを 基本 としてい る。ただ し、 これ よ り少 な い不定量 のカ ッ トが い
多
こ とに注意が必要 である。「
は一 括 サ ンプル で、採取量 は不明 で ある。
I」
サ ンプル の採取位置 を第 33図 、分析対象 としたサ ンプル の採取地点の層序 と、層毎 のハ マ グ リの死亡
節推定 の結果 を第 34図 ∼ 第 38図 に示 す。
第 15表
矢作 貝塚 貝 サ ンプル ー 覧
貝 層名
71
断 面図
グリ
III之
l
混
│:貝
∼ 混 貝 L層
イ4-
混
‐
l:貝
層
ハ1-37
混 L員 層
ハl― ??
llH之
内
III之
内
I
l
│
l
堀之内2
堀之内2
イ4-57
∼ It肩
イ4-64
グリッ ト1混
1:貝
∼貝層
イ4-55
グリッ ト 混 上員 ∼lt層
イ3-64
グリッ ド 混
イ3-96
層
5
イ4-81
一5
イ4-81
グリッ ト1貝 層
・5
グリッ ト 貝層
︲
イ4-80
内 .
内
之 之
堀 ・
堀
11貝
3
︲
グリッ ト 灘貝上層
堀之内
グリッ ト
グリッ ド 混
1:貝
∼混貝 土層
I
・C
9 一H
一C
グリッ ト 准It層
イ4-92
イ4-92
一1
I
一I
I
グリッ ト 混 土貝∼混貝土層
イ4-96
グリッ ド
ハ1-29
グリッ ト 混員土
イ4-45
グ リッ ト1混 以上
イ4-39
l
○
報 告 8層
括
報 告 12層
´
括
イボキサゴ集計瀬れ。
○
サ ンブル見あた らず
原図の層ヽ読めない
報告 78層
員層ハ
報 告 12層
報 告 35層
1∼ 3層
員サ ンフ ル見 あ た らず
貝 サ ンフ ル見 あた らず
貝 サ ン プ ル見 あ た らず
貝 サ ン フル見 あ た らず
.
一
△ 一
△ 一
△ △
1:貝
〇一
〇一
〇一
〇 〇一
〇.
○ ○ ○ ○ ○ ○
グリッ ト 混
2
・C
一
1 一6
︲ ︲
一1
(218)
221)
〈
イ4-57
1:坑
グリッ ト1混 貝土層
3 一0
︲
90
101
土坑
考
極 め て大 き い 攪 乱が 入 つ て い る。 Cu19は
○ 〇一
〇 〇 〇・
イ4-32
グリット混上貝∼混貝上層 イ3-99
一C
104
C 8
C
99
混 貝 上∼混 L貝
内
I
121
イ481貝 層
4-90貝 層
イ4-91貝 層
イ4-92員 層
イ4-92員 層
イ4-96員 層
A卜 29貝 層
一
3-99員 層
イ4-80員 層
イ4-8:貝 層
120
イ4-72
内
III之
I
74
75
イ4-62
111之
l
1
I
S10員 層
69
属
内
成 長線
丞 Δ
OI 一
2
一
2
60
83
│:貝
純 貝層
│
l
2
一2
56
S07員 層
S08員 層
S09員 層
82
混
a
︲
︲
2
103
70
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a
6
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∼純 貝 層
内
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4
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5
︲
居 居 居 坑
住 一住 住 t
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81
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括
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5
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居
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居
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(S13)
居
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内
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5
居
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〇一
〇 一〇 一
〇・
〇一
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〇一
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〇一
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〇一
〇
61
62
貝集 計
時期
NQ
一
︰
採 llX法
立
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方法 カゥト 遺構
層位
itサ ンフ ル見 あた らず
○
原 図 に位 置が な いが 、 「S10貝 層 Jな の
で 、 ほ ぼ位 置 を断 定 で き る
○
CrTlは 不 定 量
○
○
u11910は
○
○
の確 認 によ り遺 構 外 it‖
で は遺 構 外 だ が 、 お そ ら く遺 構 内 員 層
・it計 測△はハマグリのみの計測。
・位置を特定できなかったNo53・ 586364・ 68115と 、イポキサゴを紛失したらしいNo79は 対象外とした。
―- 83 -―
不定 量
季
Fly UP