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中世ヨーロッパと教会文化 2016

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中世ヨーロッパと教会文化 2016
本日の講義要旨
中世ヨーロッパと教会文化
(神の国)
欧米文化論 第7回
http://harlock.web.fc2.com/
• カロリング帝国や神聖ローマ帝国の成立は
西欧の安定をもたらした。これに加えて気候
の温暖化が人口の増加と技術革新をもたらし
た。
• 中世農村社会は独特の発展を遂げ、また中
世都市も成立した。
• ローマ教会によるキリスト教社会は成熟期を
迎え、神の国が完成した。
人口の増加と技術革新
• 他民族の侵入が収まった11世紀頃からヨー
ロッパの人口は急拡大する。
– イングランド:110~130万人→370万人
– フランス:600万人→1700~2000万人
– イタリア:500万人→1200万人
• これらの人口増加を支えたのは農業技術革
新であった。
– 当時の農業は、ゲルマン系の牧畜業と地中海世
界の穀物類の生産とが結合したもの。
人口の増加と技術革新(続き)
• 農業生産の拡大は、農地の拡大、農機具の
普及、そして、三圃制の導入による。
– 三圃制とは、①冬麦、②春麦、③休耕地の三年
輪作。
• 農地が整理され、農牧業の共同作業が進む
に連れ、集村化が起こった。
– 村の教会を建て、それを教区教会として結合を強
め、森林や放牧地、入会地などの共有地を管理
し、共同墓地が作られた。
中世農村社会
• 中世農村社会の領主支配のあり方としては、土
地領主制、バン領主制、体僕領主制の3種類が
あった。
– 土地領主制とは、所領の一部を直接経営する(直営
地)とともに、残りの土地を農民に保有地として貸与
し、地代を取り立てるもので、中世初期から見られる
古典的荘園制のことである。
– バン領主制とは、裁判権をもつ一円的な領域の政治
的支配権を指す。土地領主に重複する形で、さらに
農民を搾取し、この適用を受けないのは、戦士と教
会のみであった。
中世都市の成立
• 古代ローマ時代から続く都市はキウィタスと呼
ばれた。
• ローマ教会は、都市を布教の拠点にしていた
ので、中世においてはここに司教座を置いて
いた。
• これに対して、中世都市は、9~13世紀に主
に2つの地域で生成した貿易港。
– 北中部イタリア:ロンバルディア地方=ベネチア、
ジェノバ、ピサ、フィレンツェなど。
中世農村社会(続き)
– 体僕領主制とは、農奴という言葉に代表される「体
僕の集団」を所有する領主制。ただし、体僕が直
接農地を耕すとは限らず、領主役人や戦士である
場合もあり、必ずしも社会的身分が低いことを意味
する訳ではなかった。
• 領主は2つの集団に大別できる。①教会及び
教会人、②世俗領主(封建領主=支配と服従
の関係)
• この両方の人材を供給したのは貴族であった。
中世都市の成立(その2)
– 南ネーデルランド:フランドル地方=ヘント、イープル、
サン・トメールなど。
• この他には、キリスト教の普及基地として修道院
が建てられた地方(ローマ帝国時代にキウィタス
の外側)。
– イングランドで○○ミンスターと呼ばれる町
• 封建領主の城下町。
– カストル、カステッルム、カステルノー、グルグスと付
いた町
• 荘園が発達し、荘園の作物の交易地
– ヴィルヌーヴ、ヴィラノヴァ、ヴィル・マルシェ、マルク
と付いた町
中世都市の成立(その3)
中世都市の成立(その4)
• 都市には、商人や手工業者の他に、都市領主
の家人や奉公人、聖職者、教師や学生、外国
人、日雇人夫、乞食などが住んでいた。
• 市民権を有する者は、これらの公式の統治
制度から自治に参加できたが、職人や徒弟、
日雇人夫などは対象外であった。
• ギルドが形成され、彼らの親方が組合員にな
り、都市自治を求めるようになる。
• ギルドは、10世紀以降のキリスト教化の進
展に伴い、仲間の埋葬や相互扶助に関わる
ようになる。
– 市民権の取得には、市内に土地と家屋を所有する
必要があった。
• 都市には、都市領主として、国王や司教、諸侯
が君臨していたが、その下に参事会制度が設
けられていて、市長や参事会員などの名誉職
(無給)が選出され、書記、廷吏、下僕、門番な
どの公務員(有給)がいた。
キリスト教世界の成熟
• カロリング期のキリスト教は、社会と一体化し、
地上に「神の国」の建設を目指して政治と統合し
た。
• しかし、カール大帝の死後、各地で封建貴族が
地域権力を確立し、教会や修道院は一時国王
や新興諸侯、領主の保護下に入る。
• 「キリスト教世界」という西欧独特のシステムが
発展するのは、11世紀のグレゴリウス改革以降
である。
キリスト教世界の成熟(その2)
• 1049年に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ3世
が教皇レオ9世を任命する。
• 教皇レオ9世は、西欧各地から改革者をロー
マに集め、教皇使節を派遣して聖職売買や
聖職者の結婚を禁止する教会会議を開催。
• 1075年、教皇グレゴリウス7世は、国王によ
る司教叙任を批判し、皇帝ハインリヒ4世と全
面的に対立する。=叙任権闘争
→カノッサの屈辱
キリスト教世界の成熟(その3)
キリスト教世界の成熟(その4)
• 1122年、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ5世
とローマ教皇カリストゥス2世との間で、ヴォ
ルムス協約を取り決め。
• 一連の改革によって、ローマ教皇を中心とす
る統一的な組織が実現した。
• これは宗教的覚醒を人々にもたらし、十字軍
遠征につながった。
• ヴォルムス協約の結果、王は聖職者的性格
を失い、その後の社会の封建化が著しく促進
された。
• カトリックの中央集権化によって、これに反対
する異端運動が次々に生まれた。
– 「叙任権は教会にあり、皇帝は世俗の権威のみ
を与える」=司教と修道院長の叙任権を放棄。
– ただし、帝国内の教区教会については皇帝が自
由に叙任し、司教は司教区内の選挙で選ばれる。
• 更に、グレゴリウス改革では、教皇庁を設置
し、教皇が官僚組織をもつ。
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