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2013年6月8日

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2013年6月8日
村上春樹初期三部作
カート・ボネガット発、レイモンド・チャンドラー経由、上田秋成着
(母校兵庫県立神戸高等学校)
講師 溝口 めぐみ (兵庫県立図書館)
日時
平成 25(2013)年6月8日(土)
午前 10 時 10 分~12 時
1
「1.はじめに/ある日のシンポジウム」
いまを遡ること7年前の出来事でした。2006年3月25日、26日、29日の3日
間、国際交流基金の企画により、札幌、東京、神戸の3会場で、海外からの参加者だけで
も17国、23人の村上春樹作品の翻訳者が参加するという「国際シンポジウム&ワーク
ショップ/春樹をめぐる冒険/世界は村上文学をどう読むか」が開催されました。村上春
樹の長編小説を里程標にその時期を語れば『海辺のカフカ』の刊行後、『1Q84』の前
のことです。私は地元という関係から3月29日の神戸高校でのシンポジウムへ客席の一
人として参加しました。場所は神戸高校講堂、司会は四方田犬彦、パネリストは韓国、台
湾、香港、カナダ、チェコからの翻訳家という面々でした。このシンポジウム全体は最終
的に『世界は村上春樹をどう読むか』という一冊の本になりましたから興味のある方はご
一読をお勧めします。この神戸高校に参加した感想を簡単に述べるなら「このようなシン
ポジウムを企画し、そして実現する現役の小説家がいま村上春樹の他に世界に誰がいるだ
ろう?」という率直な驚きでした。この神戸高校のシンポジウムに関して言えばパネリス
トの本業が翻訳ということで一口に語学といっても読み書きがメインの文学者であり、流
暢な日本語を話す韓国の翻訳者からカタコトの日本語を語るチェコの翻訳者まで様々で、
それゆえにどこかごった煮的な面白さに満ちたシンポジウムとなっていました。クールに
眺めればパネリストの母国語がそれぞれに違うこういった形式のシンポジウムは本質的に
難しいものだと思います。確かにそう感じた場面もないではありません。費用的なことを
考慮に入れずにその文学的価値を追求するという意味で理想のシンポジウムを考えれば極
端な例えですが国連の会議のように一人一人の翻訳者にそれぞれの母国語の同時通訳をつ
けるべきであったろうと思います。ただそうした場合、あまりに理想的なものになりすぎ
て私の感じた面白さの多くは失われていたであろうと思います。このシンポジウムについ
て私の感じた面白さを想う時、それは限られた予算の範囲内で少しでも価値あるものを作
ろうという主催者や各国の村上春樹作品の翻訳者の姿勢にあったと思います。一言で言え
ば知恵と想像力をベースにしたハンドメイドのイベントの魅力です。私の参加した神戸高
校の場合、村上春樹の母校を舞台に各国の村上春樹の翻訳者が並ぶといった時点でそのシ
ンポジウムは既に成功していたと思います。その粋な絵心に満ちた書き割りを前に並んだ
彼らの姿は村上春樹をこの日本という国で肯定的に語りたいという想いに満ちあふれてい
ました。そしてその想いが繰り返しになりますがそのシンポジウムを最終的な成功に導い
ていたと思います。
「2.チェコの翻訳家/トマーシュ・ユルコヴィッチ」
このシンポジウムの中、私の記憶に鮮明に残っている一場面があります。その最後、客
席からの質疑応答のシーンでした。様々な質問が寄せられ、その質問にそれぞれのパネリ
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ストが自由に発言するというフリートーキングの場面したが、私の記憶に残ったその一枚
の質問の紙だけは特にチェコの翻訳家に宛てて書かれたものでした。その質問はこう語り
ました。
「村上春樹はフランツ・カフカの影響を受けていますか?」
時期的に言っても『海辺のカフカ』の刊行後のことですから当然の質問であったと思い
ます。その質問に対し、まだ若くラフないでたちのチェコの男性翻訳家はカタコトの日本
語で「いいえ、村上春樹はフランツ・カフカの影響はうけていません」と明確に答えまし
た。さらに続けて「村上春樹が影響を受けているのは上田秋成です」と言います。次の瞬
間、司会の四方田犬彦が「雨月!雨月!」と叫びました。勿論、上田秋成の『雨月物語』
のことです。この場面は『世界は村上春樹をどう読むか』に収められることはありません
でしたが、私にとってこのシンポジウム全体の中、もっとも強く記憶に残る場面でした。
私個人としてもこのチェコの翻訳家の意見に100パーセント、賛同いたします。その発
言は優れた作家の小説技術の自らの作品への応用と作家個人への全体的な影響力というも
のを明確に区別した知的な発言として評価されるべきものです。『海辺のカフカ』はあく
までも寓話性というフランツ・カフカのテクニックの応用であって影響とはまた別のもの
です。彼の言葉に私なりの言葉を付け加えれば村上春樹は上田秋成の『雨月物語』にとり
つかれた現代、日本の小説家です。村上春樹の文学が世界の文学シーンに与えた衝撃の大
きさはその上田秋成的世界だと言っても過言ではありません。
ここで上田秋成の『雨月物語』について簡単に触れます。江戸時代後期に発表された全
9編からなる現代でいうところの怪奇小説です。「あう坂の関守にゆるされてよ
り、・・・」という文章から始まる「白峰」は一般に名文として知られています。195
3年、溝口健二によって映画化された『雨月物語』は一般によく知られる作品ですがその
映画は「浅茅が宿」をベースに、入れ子細工のように「蛇性の婬」を挿入した物語
です。映画は「昔、一人の焼物職人が戦乱の世の始まりをきっかけに一儲けを企ん
だ」と語り始めます。この焼物職人を若き日の森雅之が演じます。この男は一人の
焼物職人であると同時に様々な他の時代の別の人々、社会、国家にも代替可能で
す。これが寓話、めぐる因果の物語です。物語がこう始まったら「その焼物職人は
一切を喪失して終わるだろう」と考えるのが普通です。事実、その通りに展開しま
す。ただそれだけでは単調ですから「蛇性の婬」から幽霊にして妖艶な姫君という
京マチ子を登場させます。最後、一切を失った職人は郷里の自宅に帰り、田中絹
代演じる妻と再会します。その翌朝、一人目覚めた職人は村の名主から妻はしば
らく前に落武者に殺されたと教えられ、昨夜一夜を共にした妻は実は幽霊だった
と判明します。この映画のアダプテーションにおいて上田秋成の世界を成立させ
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ているのがラスト、「わたしはもうこの世の人ではなくなったのです」と夫へ愛情
豊かに語りかける妻の生々しいナレーションです。その静謐さ、ピュアな想い、
ミステリアスな展開に圧倒的美文をプラスしたものが『雨月物語』の世界です。
上田秋成の『雨月物語』の登場人物の中、最も魅力的な人物は死者、死んだ人間
です。その死者は生前の比較的健全な想いから生と死の境界線を超え、生者の世
界に現れます。そして自らの想いを遂げると同時に死の世界へと帰っていきます。
『雨月物語』の世界の世界をさらに知りたいという方には原文テキスト、現代語訳、
白石加代子の朗読CDなどがよいと思います。
「3.本日の私の原稿について」
読書とは本来、個人的行為であり、作品を通しての作家と読者との間の個人的な結びつ
きを言います。その結びつきの強さを一般に読者の作家への愛情と考えます。そうした強
い愛情という側面から考えると村上春樹作品の場合、コミットメント以前に多く、特に本
日のテーマである『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』
の所謂「初期三部作」、また『ノルウェイの森』というデタッチメント時代の傑作が挙げ
られます。それらの作品は一読して面白く、なおかつ素晴らしいとごく自然に感じること
が出来ます。ちなみに『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公もこの「初期三部作」の「僕」
と同一人物ですが、「僕と鼠」の物語ではない点において愛読者の心理としては別物と区
別されます。
ここで「小説とは何か」という基本な問題について村上春樹が日本の小説家の中でも例
外的に認めるという谷崎潤一郎の文章から引用して考えます。「小説と云うものは、やは
り徳川時代のように大衆を相手にし、結構あり、布局ある物語であるべきが本来だと思
う」とかつて大谷崎は書きました。「結構あり、布局ある物語」という部分を現代風にい
い直しますと「全体の構成がしっかりしており、なおかつ伏線の巧妙に張りめぐらされた
物語」と言えます。さらに続けて「そうして実はその方が、多くの場合、所謂高級物より
も技巧の鍛練を要し、何等の用意も経験もない者がオイソレとは書くことは出来ないもの
である」と言いました。およそ小説論としては簡潔にして完璧という印象を受けます。も
しこれ以上の簡潔さを求められたら私の場合、黙って『風の歌を聴け』、『1973年の
ピンボール』、『羊をめぐる冒険』の三作品を図書館のカウンターの机に並べ、「これが
小説です」と答えます。この「初期三部作」に関しては谷崎潤一郎の語る大衆をして面白
さの坩堝に引きずり込むという物語の本来の力を実感することが出来ます。いかなる言語
に訳されようとも「読めば判る」というシンプルな面白さです。この初期のそういう作品
から村上春樹を読み始めた読者はコミットメント以降の作品のその難解さを理由に抵抗を
感じるという読者が少なくありません。私の身近にも沢山おります。実際、『海辺のカフ
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カ』などは日本の一般の読者にはある程度の解説を必要とする難解な作品と言ってもいい
でしょう。ただそういった作品の方がより高い世界的評価を受けている事情から読者の心
理は複雑に錯綜します。今日の読書会ではこの「初期三部作」に関し、客観的事実として
指摘可能な村上春樹が受けた他の作家の影響や村上春樹が使った他の作家の小説技術など
を語るに止め、後のトーク・セッションのために私の個人的な感想というものには極力控
えたいと思います。なぜならばこの「初期三部作」を全体として一つの作品としてとらえ
るか、それとも別個の作品として考えるかはあくまでも個人的な問題であり、それぞれに
作風の違う三作品の中でどの作品が一番好きか、完成度が高いと感じるかという問題もや
はり個人的な問題であり、読み手である個人の心の奥深いところに存在する何かが決める
ことです。そういう問題に関して他人の意見に介在されたいとは思わないし、また文学賞
といった如きものに権威づけされたくないと考えます。逆にそういう個人的なことに関し、
私の意見として世間様の心の中に無遠慮に立ち入ることも極力避けたいと思います。世界
の村上春樹の読者の中には「この世界で村上春樹を理解できるのは私だけだ」という意見
の持ち主のファンが少なくないという話です。出来ればそういった個人的意見もつ人々の
想いに抵触する発言はさけたいというのが本音です。一例を挙げますとロシア語訳の『羊
をめぐる冒険』を読んだモンゴルの人が「この小説を理解できるのはモンゴル人だけだ」
と言ったそうです。そうした感想なり、意見は私の感じるところ反論の余地のない正論と
思えます。
「4.『風の歌を聴け』/1979年」
村上春樹がジャズ喫茶のオーナーの時代に書いた青春小説であり、処女作です。一日の
仕事が終わった後の数時間、キッチン・テーブルの原稿用紙に向いながら万年筆で書き続
けたという作品だけあって短い章の連なりから出来上がっています。暗喩と断章という世
界です。ストラクチャーに関しては映画『アメリカン・グラフティ』からの引用が目立ち
ます。その有名な映画はジョージ・ルーカスが青春の日々との決別を描いた神話的一夜で
す。若者たちのだけの物語であるというのは勿論のこと、物語の時空間が限定されている
こと、アメリカン・ポップスが延々と流れ続けるシーン、ラジオ番組にパーソナリティー
が若者たちに語りかける場面、最終的に後の時代の主人公がその若き日々を振り返るとい
うエンディングなど沢山の共通項が見いだされます。ともにそれぞれの作品に接した後、
それ自体が魅力なのですが「センチメンタルすぎる」という想いを抱く点についても共通
しています。
村上春樹はその若き日の文章の中で青春群像をストレートに描き、その登場人物の家族
の登場しないこの『アメリカン・グラフティ』を例に挙げ、こと優れた青春映画(或いは
青春小説)の在り方に関し、以下のように述べています。
5
「 青春あるいはアドレセンスというものは所詮ある種の虚構性の上に成立してい
るものであり、そこにリアリティーをこじつけようとする試みは必ず失敗に終る。
必要なのはリアリティーを描くことではなく、リアリティーを的確に示唆するこ
とである」
この言葉の通り、この『風の歌を聴け』には主人公の「僕」の父親は「僕」がそ
の父親の靴を磨くという示唆的な行為によって暗示的にその存在が語られます。
ここにもこの作家の得意とする優れた他の作家の技巧(この場合、ジョージ・ルー
カス)からの引用を読み取ることが出来ます。<技巧の引用>とは具体的に優れた
作品に接し、その作品を優れたものにしている原則論を抽出し、その原則論を自
らの作品世界に応用することをいいます。1930年代から始まるハリウッドの
世界的な席巻の中、世界の小説シーンがその影響下に入るというのは自然な流れ
だと思います。
この小説『風の歌を聴け』はまた村上春樹がこれまでの生涯でその能力のおよそ
一割(あの才能を思う時、その一割だけでも相当量の文学的価値です)を注ぎ込み
翻訳したスコット・フィッツジェラルドとの関係でもよく語られます。フィッツ
ジェラルドはその妻ゼルダへの想いを『グレート・ギャツビー』という優れた小説
の中で書き上げました。ゼルダへの想いに夢中になる自分とその自分を冷静に見
つめるもう一人の自分をギャツビーとニックの二人に分けて描きました。その小
説の中、ニックの冷静な語り口の中で恋に夢中になるギャツビーの姿が華麗に描
かれます。そのニックとギャツビーとの関係性がこの『風の歌を聴け』の「僕」と
「鼠」のそれへとそのままオーバーラップします。村上春樹は自分の内部の「小説
を書きたい」と願うキャラクターを「鼠」として、そしてその「鼠」をクールにさ
らに愛情豊かに見つめる自分を「僕」という語り手として描き分けました。
ですからこの原稿のタイトルの「カート・ボネガット発」という部分は「スコッ
ト・フィッツジェラルド発」と変えていただいても一向に構いません。
ただこの小説の刊行当時は主に一部の識者によるカート・ボネガットからの影
響を指摘されて語られていました。いまそのことに関し、正確な表現を使うとす
ればカート・ボネガットの小説技術の応用です。1969年に発表されたカー
ト・ボネガットの『スローターハウス5』は世界文学シーンにおける一つの事件で
した。その小説は作家自身が体験した第2次世界大戦における連合軍のドレスデ
ン空爆を描いた戦争文学なのですが従来のそうした作品を思えばそれは型破りな
スタイルのポップ・カルチャー的傑作でした。従来の戦争文学が戦場のシーンを
延々と描くことに作家がその最大限の労力を費やす小説であると考えればこの小
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説における作家の技術はあまりにも異色でした。カート・ボネガットはその小説
で戦場における不条理な死の数々をほんの数行、簡潔に描いただけで最後に「そう
いうものだ」という一言を付け加えることより、そのフレーズを纏めました。例え
ば「哀れな中年のハイスクール教師エドガーが、地下墓地からティーポットを持ち
だしたところを逮捕された。容疑は窃盗であった。彼は裁判にかけられ、銃殺さ
れた。そういうものだ」といった文章です。この小説は様々な形をしたそうしたフ
レーズの繰り返しです。そのリフレインの効果が読み手の心を震わせます。その
10代の初めに19世紀の大河小説を愛読した村上春樹は大学生の頃、カート・
ボネガットの『スローターハウス5』に接し、「これで小説が成り立つのか!?」
と驚愕します。村上春樹が『風の歌を聴け』を書こうとした時、小説技術の一つと
して使ったのがこのカート・ボネガットの『スローターハウス5』でした。ここで
そのひとつひとつ指摘することはしませんがその二つの小説を読み比べれば沢山
の共通項が発見されることでしょう。その難易度の高い小説技術を自らの作品の
中できちんとつかいこなせるかどうかはともかく初めての小説を書こうとする執
筆時間の限られたジャズ喫茶のオーナーにとってそれは時間的に言って最もコス
ト・パフォーマンスなテクニックでした。カート・ボネガットが戦場を描くのに
使ったその技術を駆使し、村上春樹は自らの青春小説を書き上げます。カート・
ボネガットの小説に登場するキルゴア・トラウトに相当する架空のSF作家、デ
レク・ハートフィールドを登場させ、さまざまな文章論から小説論まで展開させ
ます。このデビュー作における文章論や小説論がのちの村上春樹の作品を形作っ
たと言ってもいいでしょう。このあたりはさながら万華鏡の様な構成を持つ青春
小説のいろんな場面に散らばせており、技術的に見事です。その見事な技術です
が全体に高級感のある文章がそれをそうと感じさせません。その小説を読む者は
さらりと一読し、その小説のもつ爽やかさを感じます。と同時に「ビールが飲みた
くなる」という気分になります。お酒を嗜まないという方には大変申し訳ない発言
ですが「ビールが飲みたくなる」という気分にさせるという点に関し、あえて個人
的な意見として申し上げますが小説の読後感としてこれ以上のものはありません。
小説家の処女作ということを考えると全体に老獪という印象を受けます。この小
説に登場する「鼠」の口癖ではありませんがはっきり言って小説が上手すぎます。
以上はこの小説のスタイル面からの説明です。よく語られる話としては一般的な
内容です。
ここであえて本質的なことに触れればこの小説における最も大切な点は「鼠」が
金持ちは嫌いだとはっきり語っている、その言葉です。「僕」は「鼠」の父親が金
持ちになったプロセスを語り、その人生を否定します。少し先行することになり
ますが『羊をめぐる冒険』の「僕」が敵対し、有名なモデルがいることで知られて
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いる「先生」は金で権力を買収し、最終的に国家を乗っ取った男です。「初期三部
作」の最深部、通奏低音のように存在する作家の想いはこと金銭に対するそういっ
た好意を抱けない世界です。優れた物語というものは時に作家が好意を抱く世界
と好意を抱けない世界の対立と拮抗から成立します。つまり村上春樹における創
作の原点は経済的な角度からの故郷の否定です。おそらく村上春樹は十代の日々
にそういった人生を沢山見、率直に「好きになれない」と感じたことでしょう。そ
の反動からこの小説が生まれたと考えてもいいと思います。不快感、それがこの
作家の作品の物語の重要な動力の一つとなります。例えば『海辺のカフカ』の後の
事ですがこの作家は残酷な暴力描写や露骨な性描写に関し、読み手に不快感を与
えるくらいハードなものでないと小説としては有効に機能しないと言います。も
し小説を物語世界に読者を誘うための機能的な読本と考えるなら正しい考え方で
す。『羊をめぐる冒険』を例にとれば「秘書」の言動は明らかに強迫、いまでいう
ところのパワー・ハラスメントに相当し、誰がどう読んでも不快以外のなにもの
でもなりません。その言動がそれまで日々の暮らしに汲々としていた主人公の
「僕」を『羊をめぐる冒険』へと送り出します。
先のそのまた先の話になりますが村上春樹のそうした感情は『ノルウェイの森』
において「永沢さん」という人物を通し、この国の東大卒というエリート主義に向
けられます。
のちの『国境の南、太陽の西』において株式売買などによる資産運営的人生が決
定的に否定されますが、村上春樹の人生の出発点、創作のスタート・ラインにお
いて価値を有するものはゼロから始まった自己の人生の中でジャズ喫茶店なり、
一冊の本なり、具体的な形のある何かを作り出すことでした。その対局にあった
ものが故郷、特に経済的側面からの姿でした。それは村上春樹の創作の原点であ
る以前に彼の人生哲学となっています。おそらく若き日の村上春樹は組織に所属
しても父親の職業である教職に就いても父親の僧籍を継いでも具体的な創造物を
作り出すことは出来ないと考えたことでしょう。芦屋で生まれ育ったという事実
はこの作家にとって良くも悪くも重要な役割を果たしています。村上春樹が「初期
三部作」でノスタルジアの中、故郷を美しく描くと同時に現在の故郷との決別を明
確に物語っているのはその人生哲学からホームグラウンド的なるものの多くを否
定しているからです。村上春樹は風景の美しさを描く作家でもあり、山を切り崩
し、海を埋め立てその上に新しい街をつくる神戸市に対し、怒りを隠しません。
こういうことを湘南地方の人々だったら絶対に許さないだろう、という意味のこ
とも語っています。現在の芦屋市の海岸線に並び建つマンション群を(映画『20
01年宇宙の旅』に出てくる謎の黒い板)モノリスのようで醜悪だとも言っていま
す。
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そう語る一方、阪神・淡路大震災で崩壊した自分の生まれ育った街をアメリカ
のTVで観、急遽帰国し、この作家にしては珍しく芦屋で朗読会を行うなど表立
ったボランティアを行っています。このように変わり続ける故郷の姿は事程左様
にこの作家に特別な感情を抱かせます。いずれの方向にその指針が向くにせよこ
の作家の豊穣な精神性のなせることという気がします。
現在までの作品を全集的に読み返す時、村上春樹の人生において大切なことは
手に触れうる何か、手にとることが出来る何かを具体的な形の中で作り出すこと
でした。そうした人生に対するクリエイティブな姿勢がのちの膨大な量の作品と
して直結します。たとえそれが「鼠」や「デレク・ハートフィールド」の書く二流
の小説であってもゼロからの創造という一点においてあの巨大な経済圏(或いは投
機)的人生よりも遥かに価値あることでした。このジャズ喫茶のオーナーの時点、
『国境の南、太陽の西』のバーの経営者を作家自身の投影と考えるならその頃の村
上春樹は日本の一流企業の管理職に相当する収入があったと考えられます。この
デビュー前の日々、「暮らしのために小説を書く必要がない」という意味では村上
春樹は例外的な作家でした。創作が余技でそれが本業に変わるというタイプとも
異なります。彼はその才能から小説を書いたのではなく、書くための時間をなん
とか捻出し、自らの才能を立ち上げるように小説を書いたのです。そして小説を
書き続けると同時に小説を書く技量というべきものをさらにヴァージョン・アッ
プさせ、その人生の中で試み続けました。村上春樹の作品が表層的に変化し続け
るのはそのヴァージョン・アップが繰り返されるからです。自己の小説世界に安
住しない、それが村上春樹の生き方です。そして一切は成功しました。それは世
界が見つめる現在の村上春樹の姿が雄弁に物語っています。
「5.『1973年のピンボール』/1980年」
小説家となってからの初めての長編小説です。ジャズ喫茶のオーナーという仕事は続け
ていましたから兼業作家時代の最後の長編という言い方も出来ます。制限された執筆時間
という意味ではデビュー作の時と同じ条件です。コラージュという作風は前作と同じです。
『風の歌を聴け』、そして後の『羊をめぐる冒険』の中間に位置する作品ですが、作品は
「僕」の一人称の部分と「鼠」の三人称の部分からなり、前後の作品の完成度の高さと比
較すると若干、構成に脆弱さを感じさせますが、それは後の時代の比較から始まる話であ
り、リアルタイムで読んだ読者にとってはこの小説もまた文句なしに傑作の一つでした。
村上春樹は村上龍との対談集『ウォーク・ドンド・ラン』の中、この小説に関して最後の
場面をよく褒められると語っています。正確には「みんなあそこがいいというんですよ」
とのことです。勿論、「僕」が長い捜索の果てにピンボール「スペースシップ」と出会う
場面です。この小説が様々なエピソードの果てにクライマックスを迎え、そのエピソード
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がスタートするあたり、構成が「シーク・アンド・ファインド」へと劇的に変化します。
そして小説の語る「夢の墓場」で主人公の「僕」はピンボール「スペースシップ」と再会
します。ドラマとしては突然の展開です。彼女との会話、そして二人の別れの場面がこの
小説、一番の読み所です。こと物語に関しては小説や映画を問わず、SFやファンタジー
も含め、この場面を楽しむ読者の精神性を「センス・オブ・ワンダー」と言います。この
世界における不思議な出来事を自然に受け入れることの出来る柔軟な心と一般に理解され
ます。読者における「センス・オブ・ワンダー」の有無がこの場面以降の村上春樹の読者
を決定的に二分します。後の出来事となりますがそれまでリアリズムの呪縛にあった日本
の文壇のこの作家に対する極端なまでの拒絶反応はこの精神性の欠如が原因と考えられま
す。見方を変えると日本文学のメインストリームを村上春樹の作品がそれだけで一切を変
更しようとし、実際変更したのです。当然、文学的権威に立つ日本人の精神の在り方を思
えば「3.11」の後のエネルギー革命を目の当たりにしたこの国の経済界の人々のよう
に一切は不快な出来事でした。それに対し、読者がガードに立ちます。最終的にその読者
は世界規模で広がります。この瞬間、そしてそれ以降のそれぞれの立場の人々の構図は以
上のようになります。
リアルタイムの読者に限って言えばこの小説を手にするまで彼らは村上春樹の長編小説
と言えば『風の歌を聴け』しか知らず、その読者は現代文学の多くの作家がそうであるよ
うに村上春樹もまたリアリズムの作家だと思っていました。日本の純文学の小説と言えば
固定観念的にリアリズムと決まっていました。そう思い込んでいた読者を村上春樹は非リ
アリズムの迷宮、「夢の墓場」へと導き、「僕」と「スペースシップ」との再会の場面へ
と読者を誘います。ここでいう非リアリズムとは判りやすい話、現実世界からワンダーラ
ンドへと落ちて行くアリスの文学世界です。村上春樹はその非現実的な世界を大人の小説、
日本でいうところの純文学で書きました。ちなみに村上春樹が自らの長編小説の中でその
作品をリアリズムと明確に言い切っているのは『ノルウェイの森』だけです
ですから現在、その有名性からまたは非リアリズムの作家として知られる村上春樹の作
品を初めて手にする読者との違いはそのデビュー当時、「初期三部作」をリアルタイムで
読んでいった読者はその高級感溢れる文章に導かれるままその物語を読み進むと同時に村
上春樹という作家の作家性を探るという体験もしていたのです。とにもかくにも「シー
ク・アンド・ファインド」というこの作家の得意とする物語形式はこの時点で確立されま
す。『風の歌を聴け』の中、高校時代にレコードを貸してくれた女の子を「僕」が捜すと
いうエピソードがあるのですが「ファインド」の部分が欠落しています。その小説のラス
トはそのスタイルの生まれ出る瞬間というべき場面であり、逆の角度からみればその形式
が本格的に完成されるのがこの『1973年のピンボール』です。後の時代から見て驚く
ことはこの素晴らしい2作品の小説が村上春樹のウォーミング・アップ的作品であったと
いうことです。彼が走り出すのは勿論、次の『羊をめぐる冒険』からです。
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いまの若い読者には想像もつかないことと思いますがこの時点、日本の文芸シーンにお
ける村上春樹のポジションというべきものをここで明確にしておきたいと思います。この
当時、純文学/エンターテインメントを問わず、村上春樹よりも知名度の高い作家、売れ
行きの多い小説家は沢山いました。当時の文芸シーンを舞台にたとえれば村上春樹は出番
の少ない脇役の一人でした。ただ彼は自らの出番とともにその舞台の総てをさらうという
見事な小説技術を持っていました。またこの時期、たとえ村上春樹を評価する好意的な識
者であっても村上春樹を本質的に短編作家であると考えていました。のちの巨大なストー
リーテラーという姿は夢にさえ想像できませんでした。『風の歌を聴け』、『1973年
のピンボール』という連作短編といった作風からもそう考えるのが自然でした。さらにも
う一つ付け加えればこの時代、初期読者とって村上春樹の新刊を世間の騒動は無関係に堪
能できる平和な時代でもありました。
「6.『羊をめぐる冒険』/1982年」
かつて一人の小説家がその創作においてレイモンド・チャンドラーに挑むという作家的
行為はそれ自体が失敗作として終わることの決まっていたことでした。それゆえ後のハー
ドボイルドの作家はチャンドラーに憧れながらもフリップ・マーロウ的世界を巧妙に避け、
自らの道を模索しました。積極果敢にチャンドラーに挑んだ作家は「確かにチャンドラー
が好きなのは判るけど、・・・」という読者の言葉とともにそれに続く「・・・遠く及ば
ない」と言う語られなかった想いと一緒に否定されました。賢明な編集者が側にいたら作
家が書き始める前に「それだけはやめた方がいい」とアドヴァイスしたことでしょう。村
上春樹は『1973年のピンボール』を書いた後、自分の経営していた店を売却し、フル
タイムの作家となり、その第一作としてこの『羊をめぐる冒険』を書き始めます。勿論、
この時代の村上春樹の読者にとって『ロング・グッドバイ/長いお別れ』は常識的読書で
すから読み始めて村上春樹がレイモンド・チャンドラーに挑んだということはすぐに判り
ます。その事実にまず驚きました。作品としては読めば判ります。この小説の見事さに関
し、付け加える言葉はありません。面白い物語、若く瑞々しい文章、最終的には止まらな
い読書となります。世界的な才能の持ち主である作家の「小説を書きたい」という想いが
さながらビッグ・バンのような形で生まれた小説です。当時の日本の現代文学としては唖
然とするほど面白い小説でした。その面白さは色あせることなく現在もなお続いています。
世界文学史的にみてもレイモンド・チャンドラーに挑んでその作品に敗れることなく、自
らの作品として完成された希有な例です。『羊をめぐる冒険』以前にもその作品以降にも
『ロング・グッドバイ』に挑んで肩を並べた他の作品はありません。その証拠にアメリカ
のチャンドラー・ファンはこの英訳版『羊をめぐる冒険』をそのタイトルで呼ばずにチャ
ンドラーの『ザ・ビッグ・スリープ/大いなる眠り』にかけて『ザ・リトル・シープ』と
愛称で呼んでいるとのことです。その事実を名誉に感じているという村上春樹本人の発言
11
もあります。
ここでハードボイルドという文学形式について考えてみたいと思います。なぜハードボ
イルドは読み手を魅了するのか、或いはなぜハードボイルドは少年の日の村上春樹を魅了
したのか、という問題です。勿論、ここでいうハードボイルドとはレイモンド・チャンド
ラー水準の作品を言います。「シーク・アンド・ファインド」という物語形式については
既に語りました。ハードボイルドは常識的にミステリーの一形態と考えられます。私立探
偵が登場し、なんらかのトラブルを解決するという物語ですからそう考えるのは普通です。
ミステリー自体、その魅力は均衡の美学と言っていいでしょう。初めに謎の提示があり、
最終的にその謎は物語の最後に綺麗に解きあかされます。ハードボイルドもそういうバラ
ンスの美しさは併せ持ちます。ただハードボイルドと他のミステリー、例えば本格推理も
のとを区別する明確な点はハードボイルドにおける道徳性の存在です。普通、ここで「ダ
ンディズム」という言葉が使われると思うのですが、その言葉を使うと見た目など表面的
な意味に解釈される可能性があり、ここではあえて道徳といいます。ここでいう道徳とは
あの懐かしい戦後民主主義教育の時代、私たちが道徳の時間に習った言葉です。「食事を
する前に手を洗う」、「約束は守る」、「お友達は大切にする」などといったこの人間社
会における最低限度のルールです。
ハードボトルドの主人公はフィリップ・マーロウに代表されるようにタフでワイルドで
あり、彼らは暴力や銃撃戦の嵐の中を生き抜きます。その行動の原理となるものは道徳な
正しさです。レイモンド・チャンドラーの代表作『ロング・グッドバイ』の場合、そのモ
ラリティは友情という形となります。その友情のためにフィリップ・マーロウは権力の不
正な暴力に屈することもなく、美しい悪女の誘惑にからめ捕られることもなく、自らの道
を邁進し、最終的な解決へと辿り着きます。こういったキャラクターの造形に映画『三つ
数えろ/ザ・ビッグ・スリープ』(ハワード・ホークス監督作品)のハンフリー・ボガート
が一役買っていることはいうまでもありません。ここで手短に個人的なフィリップ・マー
ロウ論を語れば勿論、フィリップ・マーロウはレイモンド・チャンドラーが活字から立ち
上げた人物ですが、そのキャラクターをビジュアル面から補強したのがハワード・ホーク
ス、ハンフリー・ボガートの二人であろうと思います。このイメージからフリップ・マー
ロウがいかに悪徳警官から殴られようともマフィアのボスから脅されようとも道徳的な過
ちは犯さない、例えば口にできないことは話さない、クライアントの守秘義務は絶対に守
る、というキャラクターが生まれました。こうしたハードボイルドの魅力が同時に村上春
樹の『羊をめぐる冒険』の魅力でもあります。
この『羊をめぐる冒険』の中にのちの村上春樹作品を想起させるようなどこか謎めいた
キャラクターや場面が登場します。背中に星の印のある羊、羊男の登場、不思議な耳を持
つ女の子の突然の失踪などです。こうしたミステリアスな展開について村上春樹は好んで
ハワード・ホークスとレイモンド・チャンドラーの電話での会話を紹介します。『ハタ
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リ!』や『リオ・ブラボー』などで有名な映画監督のハワード・ホークスは『三つ数えろ
/ザ・ビック・スリープ』の映画化にあたり、作中、どう読んでも犯人の判らない殺人事
件のその実行犯について電話でレイモンド・チャンドラーに「いったい犯人は誰なのだ?」
と訊ねます。
「私にも判らない」
というのがレイモンド・チャンドラーの返事でした。村上春樹がこのエピソードを引用
する時、小説家は自らの小説世界の総てを知っている必要はないと暗に言っています。た
とえばもし誰かが村上春樹を相手に「なぜ突然、羊男が登場するのか?」と訊ねてもやは
り「僕も知らない」という答えが返ってくると思います。そしてそれは正直な答えなので
す。村上春樹は結果としてレイモンド・チャンドラーの創作スタイルを踏襲しています。
ともにタイプライター、或いはコンピュータを前に物語が生まれ来るのをじっと待ちま
す。
この小説の最大の見せ場は勿論、そのクライマックス、「僕」と「鼠」との二人の再会
の場面にあります。「君はもう死んでいるんだろう?」と語る「僕」の問いかけに「鼠」
はこう答えます。
「そうだよ」と鼠は静かに言った。「俺は死んだよ」
この瞬間、読者の間でリアリズムから非リアリズムへの瞬間的な移行が行われます。読
んだ後のことですが読者はこの小説がリアリズムではなく村上春樹という小説家の小説世
界であることに気づきます。生者と死者との間の境目が取り払われた幽玄な世界であるこ
とを知ります。この驚くべき展開を圧倒的なまでに美しい文体が支えます。別に言えばそ
ういう文体がなければこのラストシーンを成立させることは出来なかったでしょう。金星
人、土星人、ピンボール、そして不思議な耳を持つ女の子、羊博士、羊男と予告編的なキ
ャラクターが登場していてもやはりこの場面は読者の予想を遥かに超えて見事としかいい
ようがありません。生者と死者との間の会話は続き、最後に生者と死者との間で最後の別
れの言葉が交わされます。生者と死者との間の等価性、これが村上春樹の世界です。と同
時に『雨月物語』によって語られる上田秋成の世界でもあります。上田秋成/村上春樹の
世界における死者はその純然たる想いから生と死の境界線を超えて生者の世界へとやって
きます。そしてさながら生きている姿のままに行動し、話します。村上春樹は『海辺のカ
フカ』の中で『雨月物語』についてどちらかと言えば少年向けの一編「菊花の約」を引用
し、大島さんの台詞を通し、以下のように語っています。
『二人の武士が友人となり、義兄弟の契りを結ぶ。これは侍にとってはとても大事な関係
だ。義兄弟の契りを結ぶというのは、すなわち命を預けあうことだからね。相手のために
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はすすんで命を落とす。それが義兄弟というものだ。二人は遠く離れた場所に住み、別の
主君に仕えている。菊の花の咲くころにあなたのところになにがあってもうかがいます、
とひとりの侍が言う。それでは用意をしてあなたを待っていましょう、ともうひとりが言
う。しかし友を訪れることになっていた侍は藩のトラブルに巻きこまれ、監禁の身になっ
てしまう。外に出ることが許されない。手紙を送ることも許されない。やがて夏が終わり、
秋が深まり、菊の花が咲く季節がやってくる。このままでは友と交わした約束を果たすこ
とができない。侍にとって約束はなによりも大事なことだ。信義は命よりも大切なものだ。
その侍は腹を切り、魂となって千里の道を走り、友の家を訪れる。そして菊の花の前で心
ゆくまで語り合って、そのまま地表から消えてしまう。とても美しい文章だ。』
先に述べたチェコの村上春樹の翻訳家の言葉、「村上春樹が影響を受けているのは上田
秋成です」という言葉をさらに敷衍すれば村上春樹はその創作中、無意識の奥底から物語
を紡ぎだしているということを明確に語っておりますが、その中から突然浮上してくるの
が上田秋成の『雨月物語』的世界です。これまで述べたフィッツジェラルド、ボネガット、
チャンドラーは明らかに意識的な小説技術の応用であり、この作家に与えた影響とは別の
次元の文学世界です。影響、この言葉は憑依とか文学的バックグラウンドという言葉に置
き換えても同じ意味として通じると思いますが、無意識の世界から突如浮上する上田秋成
の世界こそ村上春樹に影響を与えた文学世界です。
「なぜ上田秋成なのか?」
と訊ねられてもそれは判りません。純粋な文学体験なのか、それとも少年の日の図書館
体験に求めるのか、あるいは父親の血統にしてその職業、浄土宗の僧侶というところまで
遡るのかは後世の研究家の課題だと思います。
「ジェイ」について一言。この「初期三部作」を通し、「僕」と「鼠」の他に登場する主
要な人物にジェイズ・バーのオーナー「ジェイ」がいます。彼は『風の歌を聴け』の時点
から好意的な解釈としてイエス・キリストだろうと読まれていました。Jesus Christ の
「J」です。英訳を確認してもやはり「J」です。作者がどれだけシンボリズムを意識し
ていたか判りませんが自然主義からの反動から生まれたものという歴史的流れを思う時、
象徴主義的に読めます。『風の歌を聴け』で「鼠」がギリシャの哲学的作家、カザンザキ
スの『再び十字架に架けられたキリスト』を読み、「汝らは地の塩なり」とイエス・キリ
ストの言葉を引用するのですからそのような解釈は充分に成り立ちます。『羊をめぐる冒
険』のクライマックスの直前、主人公の「僕」が「鼠」の別荘におけるモノローグでこの
解釈を強める一節があります。
「ジェイ、もし彼がそこにいてくれたなら、いろんなことはきっとうまくいくに違いない。
全ては彼を中心に回転するべきなのだ。許すことと憐れむことと受け入れることを中心
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に」
聖書というベースがあれば福音書的に読み手を魅了する独白です。まるで詩の一節のよ
うに美しい文章です。『羊をめぐる冒険』はジェトローラーコースターのような小説です
からまるで生者の世界に突然、死者が登場するように読めます。一般にはそう読めます。
ただこの小説を注意深く読む時、そのクライマックス、「僕」が別荘を訪れる前の不吉な
カーブを曲がった瞬間、文章全体のトーンが変化します。この場面、生者が死者の世界に
迷い込んだと読むことも可能です。どちらの角度から読んでも間違いではないでしょう。
そういう世界で「僕」は「ジェイ」をそのような想いとともに回顧します。物語の最後、
作家は帰るべき故郷を喪失した「僕」が帰ることの可能な心の拠り所として「ジェイ」を
設定します。河の流れのように自然な展開です。「ジェイ」は港に碇泊する船をその場所
に止め置く海底の碇です。センチメンタリズムからスタートしたこの物語がこれ以外のエ
ンディングはないと言わんばかりにセンチメンタリズムとして終結します。見事な幕切れ
です。
一般的に作家論というものは作家の死後、本格的な全集が出、さらには評伝から研究書
の類まで数々、出版され、そうした出来事の果てにようやく出てくるのが本物の作家論で
す。正直いまの時点で村上春樹に関し、語ることの出来ることは実に少ないという気がい
たします。夏目漱石や太宰治は生前、大衆に愛された人気作家でした。決定的な文学論が
出るのは勿論、死後のことです。宮沢賢治や石川啄木に至っては生前の人気はおろか満足
な刊行物さえありませんでした。この『羊をめぐる冒険』の時点で将来を見通し、明確に
言えることは漱石、太宰、賢治、啄木などと並んで永遠に全集の刊行される作家が生まれ
たということです。
ちなみに村上春樹の意向により、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』はア
メリカでは出版契約が結ばれておりません。その存在を知り、講談社英語文庫からそれら
の作品を入手することはいまの世の中ですから充分に可能ですが、その契約のせいで一般
にアメリカでは村上春樹のデビュー作は『羊をめぐる冒険』と考えられているとのことで
す。小説水準という意味から考えると『羊をめぐる冒険』は才能ある優れた作家のピーク
に書かれる作品です。その契約をして村上春樹はアメリカの文化シーンを相手にこの小説
を自分の「処女作」と語りました。これが村上春樹のアメリカを相手にした時のさながら
歌舞伎役者の如き見得のきり方です。
村上春樹はこの『羊をめぐる冒険』の中でクライマックスに登場する「鼠」を死者と明
確に説明しました。そしてそれを最後に自分の小説にさながら生者の姿で登場する死者を
そう説明するのをやめました。コミットメント以降の作品が読者に混乱を与えているのは
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そういう説明の欠如が原因だと感じます。ですからこの作家の場合、その作風を理解し、
その刊行順に読んでいくとその作品世界が比較的、自然と読み手の心の中に入っていくと
思います。
村上春樹はこの『羊をめぐる冒険』を最後にレイモンド・チャンドラーからは遠く離れ
ます。ただそのエッセイやメモワールを読む限り、その私生活において、また創作時の姿
勢に関し、フィリップ・マーロウ的な部分を濃厚に残しています。村上春樹は日々、長距
離を走り、プールで延々と泳ぎ、肉体を鍛えています。「一に足腰、二に文体」という作
家本人のユーモア溢れる言葉もあります。実際、この作家の場合、生原稿流出事件のよう
な文章を読む時、肉体的にも精神的にもタフでないと小説は書き続けることは出来ないの
だろう、と感じます。
初期読者の立場から語れば作家と読者の間のさながら蜜月という時代はこの『羊をめぐ
る冒険』を最後に終わります。この後に起きるのは静かに本を読むことを好む人から見れ
ば騒動の数々としかいいようのない出来事、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーラ
ンド』における谷崎潤一郎賞という権威付け、関係各位の死後、当時の一切を見聞してい
た人々がいっせいに語るであろう様々なトラブルの果ての作家のギリシャへの国外逃亡、
そして大ベストセラーになった『ノルウェイの森』と枚挙に暇がありません。作家と読者
という関係性においてその親密さに変わりは無かったのですがその世界に俗世間が流入し
たという感じです。その後、その俗世間が世界的規模で入ってきます。『羊をめぐる冒険』
の主人公でなくても「やれやれ」といいたくなるような心境だったろう、と思われます。
ただ最終的に村上春樹が日本のトップに立つことは作家本人にも彼を評価する識者にも
彼を愛読する読者にも判っていたことだと思います。ただそこに存在した問題は村上春樹
が大作家、スター作家になることに作家本人も読者も馴染めなかったことです。この事実
を理由に作家は「
(初期の)十万部の時代は幸福だった」と語ります。
「7.最後に/『海辺のカフカ』再び」
ここまでの説明で村上春樹における上田秋成の影響を理解いただけたかと思います。そ
うした上田秋成の呪縛的なものを前回までのテーマであった『海辺のカフカ』に則して考
えてみます。私のケースから語りますが、『海辺のカフカ』を刊行と同時に購入し、その
小説を読みます。「謎だらけで判らない」という世評、その通りに感じます。実際、謎だ
らけでよく判りません。ただ私の場合、業務命令のもとの図書館司書として講座で村上春
樹を語るという仕事があります。というわけで講座のための下準備が始まります。まずフ
ランツ・カフカの代表作を再読し、今回初めてフランツ・カフカの評伝や研究書を読みま
した。さらに派生的読書としてユダヤ人の歴史やナチスドイツに関連したものを読みます。
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この時期を思い返し感じることはこういった冗長的読書の一切をパスし、『海辺のカフカ』
という小説の真実に到達できたフランツ・カフカ賞の選考委員は実に見事だったと思いま
す。そして再び『海辺のカフカ』に立ち返り、その小説を再読三読します。その結果、ま
ず『海辺のカフカ』という物語自体が「寓話」というフランツ・カフカのテクニックを応
用したものだと判ります。その「寓話」の向こう側にある世界がフランツ・カフカ家の人々
とその時代や社会であることに気づきます。フランツ・カフカの評伝を読んでいる時点で
ナカタさんが燃やした原稿の意味を理解します。カフカ家の人々の中で私が調べた限り、
離婚した女性は妹のオットラだけです。オットラはユダヤ人として強制収容所で死に、彼
女の子供は戦後も生き延びます。オットラ/佐伯さんが自分の実子を置いて養子を連れて
去ったのは当時の社会がナチスドイツ/ユダヤ人という二元論の世界で出来ていたからで
す。体制側の養子を強制収容所に連れていってもユダヤ人ではないということで問題は発
生しません。実子はユダヤ人の血を引いているために連れて行くことは出来ません。こう
いう風にパズルにピースを当てはめて行くように思考を突き詰めるとその子供が田村カフ
カ君であることが判ります。田村カフカというのは姓と名ではなく、両親の姓を二つ並べ
た一つの姓です。このあたりは英訳をチェックすると判ると思います。そしてこの『海辺
のカフカ』という物語が15歳へと成長したその子供が強制収容所で死んだ母親へと会い
に行く物語であるということを漠然と理解します。「死んだ母親に会いに行く」という部
分に関しては『羊をめぐる冒険』の「死んだ友人に会いに行く」という物語を既に経験し
ているのでそう違和感はありません。死んだ母親はその子供を迎えるために甲村記念図書
館という死者と生者の間に存在する結界を形作ります。この『海辺のカフカ』に登場する
佐伯さんは勿論、カフカ君の母親ですがその登場の時点で既に死んでいます。遠い昔に強
制収容所で死んだ女性です。少なくとも私はそう読みます。と同時に二人は死者と生者と
いう関係にあります。ですから二人の間にどのような会話が交わされようともどのような
性描写が描かれようとも死者と生者の関係ですからそこには近親相姦も pornography も成
立しません。そこに存在するのは物語によって語られる母と息子の愛情だけです。こうし
た部分に関し、『海辺のカフカ』では「菊花の約」ではなく、戦乱の世を生き抜いた焼物
職人とその死んだ妻との一夜を描いた「浅茅が宿」を引用した方がその理解のために
役立ったであろうと思いますが、この時期の村上春樹に『羊をめぐる冒険』の時の
ような分かりやすさはありません。村上春樹が『海辺のカフカ』をこの日本で発表
した時、その小説のもつ構成の複雑さ、奥行きの深さから否定的書評や一般読者
の誤読は充分に想定にいれていたことでしょう。「初期三部作」の時期との違いは
この時代の村上春樹はその作品が外国語に翻訳されることが一般的となっていた
ことです。その日本における否定的書評を一変させたのがフランツ・カフカ賞の
選考委員会であり、この作品の価値を最終的に決定したのがエルサレム賞の選考
委員会でした。特にTVのニュース映像で流れた『壁と卵』を語る村上春樹の姿は
決定的でした。この瞬間、日本で一般に知的階級と考えられ、『海辺のカフカ』を
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否定していた人々の動揺が始まります。その果てに思想的転向へと至ります。こ
ういう時の日本人は太平洋戦争直後の戦犯的人々もそうでしたが簡単に掌を返し
ます。そうした読書シーンの流れからいうとその『海辺のカフカ』という作品の価
値にもっとも遅れて追いついたのが日本人ということになります。『海辺のカフ
カ』を一番初めに読んだのが日本人であることを考えると皮肉な結果です。
或いは『海辺のカフカ』の佐伯さんはその物語に生者の姿で登場し、ナカタさんに原稿
を渡した後、死にます。小説ではそう描かれます。こういうことを理由に私の語る言葉と
小説の在り方は「矛盾するのではないか?」という疑問を呈する方がいるかもしれません。
かつて小説家のデレク・ハートフィールド相手にそのような質問をしたという新聞記者が
いたという話です。今日の私の話は『風の歌を聴け』の中から以下の部分を読み上げ、終
わりにしたいと思います。
ある新聞記者がインタビューの中でハートフィールドにこう訊ねた。
「あなたの本の主人公ウォルドは火星で二度死に、金星で一度死んだ。これは矛盾じゃな
いですか」
ハートフィールドはこう言った。
「君は宇宙空間で時がどんな風に流れるのか知っているのかい?」
「いや」と記者は答えた。「でも、そんなこと誰にもわかりゃしませんよ」
「誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?」
本日はご静聴有り難うございました。
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