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日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前∼百花繚乱のやきもの散歩∼」総合

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日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前∼百花繚乱のやきもの散歩∼」総合
日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前∼百花繚乱のやきもの散歩∼」総合案内板
製作設置業務・仕様書
1
業務名
日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前 ∼百花繚乱のやきもの散歩∼」総合案内板製作
設置業務
2
設置基数
8 基(設置場所は別紙のとおり)
3
業務内容
(1)板面デザイン
(2)案内板製作及び設置
4
板面デザイン
基本的なデザイン構成は以下を含むものとし、発注者と協議の上製作し、校正は原則
3 回以上とすること。
①構成文化財の位置図【設置場所毎】
・設置する 8 自治体毎に位置図を製作
②日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前∼百花繚乱のやきもの散歩∼」ストーリー【共通項目】
・内容は別紙のとおり
③構成文化財等の説明【設置場所毎】
・各構成文化財の内容は別紙のとおり。構成文化財以外の項目を発注者の指示により
追加する場合があるので、その指示に従うこと。
・構成文化財の写真データは、発注者から受託先に提供する。
・日本遺産タイトル、構成文化財の名称は日・英の 2 言語表記。
(英文は発注者が受託
先に提供する)
【レイアウトイメージ】
※設置場所毎の構成文化財のボリューム等に応じてレイアウトを検討すること。
(ストーリー)
(位 置 図)
(文化財等)
5
案内板製作及び設置
(1)板面印刷
①色
フルカラー
②印刷方法
屋外耐候性が高い印刷方法(特殊溶剤を使った UV 仕様の印刷方法等)
(2)案内板本体
耐候年数は 10 年以上のものとし、別紙参考品と同等品以上の規格とすること。
なお、同等品以上の規格品を使用する場合は、発注者にカタログ等を提出のうえ、事
前に協議すること。
(3)設置作業
①
着手前に現地に訪問の上、設置位置とその現状を発注者が紹介する者と確認の
うえ、施工計画書(手順、日程等)を発注者に提出すること。
②
6
施工にあたっては、安全管理・事故防止を徹底すること。
納入期限
平成 29 年 3 月 8 日(水)
7
成果物の提出
(1)板面デザインデータ
(2)設置状況写真(完成品写真)
8
留意事項
・本業務の成果品は、全て発注者に帰属する。
・本業務の実施にあたっては、発注者と協議の上行うこと。また、本業務に疑義が生じ
た場合は、双方協議し発注者の指示によるものとする。
・本業務は文化庁補助金(日本遺産魅力発信推進事業)により実施するものであり、制
作物に文化庁シンボルマーク及び日本遺産ロゴマーク並びに補助事業名(日本遺産魅
力発信推進事業)を明記する必要があること。
別紙・日本遺産総合案内板設置場所一覧
No
市町名
設置場所
所在地
1
唐津市
唐津市ふるさと会館
佐賀県唐津市新興町 2881-1
アルピノ
2
伊万里市
伊万里・有田焼伝統 佐賀県伊万里市大川内町丙
産業会館
221-2
3
武雄市
JR 武雄温泉駅北口広 佐賀県武雄市武雄町大字富
場
岡
4
嬉野市
シーボルトの足湯前 佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙
駐車場
818−2
5
有田町
泉山磁石場
佐賀県西松浦郡有田町泉山
386-1
6
佐世保市
三川内伝統産業会館
長崎県佐世保市三川内本町
343
7
平戸市
8
波佐見町
調整中
陶芸の館
長崎県東彼杵郡波佐見町井
石郷 2255-2
現地写真
別紙・構成文化財一覧
場所
文化財名称
①肥前陶器窯跡
(国史跡)
・御茶盌窯跡
・飯洞甕上窯跡
・飯洞甕下窯跡
・皿屋窯跡
唐津市
・皿屋上窯跡
・帆柱窯跡
②やきもの市
①大川内鍋島窯跡
(国史跡)
②大川内山
③・旧犬塚家住宅
(伊万里市有形文
化財)
・伊万里津
伊万里市
④旧戸渡嶋神社灯
籠・手水鉢
(現伊萬里神社)
⑤茅ノ谷1号窯跡
(佐賀県史跡)
⑥無縁塔祭
説
明
16 世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の
歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)
の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。
間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による
陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことによ
り、その生産地は肥前各地へと拡大した。
窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り
窯である。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降
も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本
初の磁器の焼成が開始されることとなる。
肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で
賑わっている。
<唐津市>
唐津やきもんまつり(4 月、5 月)
唐津焼秋の窯元ツーリズム(11 月)
佐賀藩が肥前磁器の製作技術を結集し1660年代頃に伊万里の大川
内山に設置した藩営の御用窯跡。窯跡のほか、物原、御細工場跡、
藩役宅跡、陶工屋敷跡群など古絵図にある遺構や地形が良好に残
る。
ここで生産された磁器(鍋島焼)は、将軍家への献上や諸大名へ
の贈答を目的とした最高級品であり、一般市場に出回ることはな
かったといわれる。
1660 年代頃に鍋島藩直営の御用窯が築かれた伊万里の大川内山
地区では、現在も30 の窯元が軒を連ねている。
急峻な山々に囲まれた狭い谷間にトンバイ塀やレンガ造りの煙
突、窯元が建ち並び、その背後に青螺(せいら)山がそびえる山
水画のような幽玄な風景は「秘窯の里」としての雰囲気を醸し出
している。
文政8 年(1825)に伊万里津に建てられたやきもの商家の旧宅を
修理復元したもの。
伊万里津はやきものの積出港として栄え、千軒在所といわれるほ
ど数多くの白壁土蔵造の商家が建ち並んでいた。
現在、この建物は「伊万里市陶器商家資料館」として、かつての
伊万里津の賑わいや商いの様子を伝えている。
文化11 年(1814)に海上安全守護のためやきものの積出港として
栄えた伊万里津の戸渡嶋神社に寄進された灯籠と手水鉢。石灯籠
は筑前商人関係者から、手水鉢は紀州商人からの寄進で、伊万里
津を拠点としたやきものの流通に全国各地の商人が深く関わって
いたことを示している。
なお、戸渡嶋神社は現在、伊萬里神社に合祀されている。
16 世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の
歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)
の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。
間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による
陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことによ
り、その生産地は肥前各地へと拡大した。
窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り
窯である。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降
も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本
初の磁器の焼成が開始されることとなる。
伊万里の大川内山では毎年4 月に、江戸時代の陶工たちを祀る
供養塔で無縁塔祭が行われ、先人の偉業をたたえている。
伊万里では毎年11 月にやきものの絵付けに使用する筆の供養が
⑦窯業道具の供養
⑦やきもの市
行われている。
肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で
賑わっている。
<伊万里市>
春の窯元市(4 月)
鍋島藩秋祭り(11 月)
写真
御茶盌窯跡
(灯篭)
飯洞甕下窯跡
(手水鉢)
場所
文化財名称
①飛龍窯
②肥前陶器窯跡
(国史跡)
・土師場物原山
・錆谷窯跡
武雄市
・大谷窯跡
・小峠窯跡
③肥前磁器窯跡
(国史跡)
・百間窯跡
③やきもの市
①嬉野の磁器窯跡群
(一部国史跡)
・吉田
・志田
・不動山
嬉野市
②志田焼の里博物
館(旧志田陶磁器
株式会社工場)
③肥前磁器窯跡
(国史跡)
・不動山窯跡
説
明
陶器(唐津焼)の一大産地であった武雄市黒牟田地区に陶芸の里
武雄の拠点として作られた、世界一の容積を誇る連房式の登り窯。
飛龍窯のある竹古場キルンの森公園内には、利用可能な登り窯「向
窯」もあり工房ではろくろや楽焼体験ができ、陶芸教室も行われ
ている。
毎年2 月には、数千本の灯ろうを一斉に点灯させる「TAKEO・世界
一飛龍窯灯ろう祭り」が開催される。
16 世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の
歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)
の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。
間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による
陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことによ
り、その生産地は肥前各地へと拡大した。
窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り
窯である。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降
も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本
初の磁器の焼成が開始されることとなる。
17 世紀前半の磁器生産初期段階に操業した窯跡群及び泉山磁石
場跡。窯跡はいずれも連房式登り窯である。
磁器は当初、陶器窯の中で陶器とともに焼成されたが、寛永14 年
(1637)に佐賀藩が有田一帯の陶器窯を廃して窯場の整理・統合
を行った。これを境に有田は磁器専門の産地へとシフトすること
になった。
肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で
賑わっている。
<武雄市>
武雄の紅葉と窯元巡り(10月∼11月)
17 世紀以降の嬉野市内の吉田や志田、不動山で営まれた磁器窯跡
群で、いずれも連房式の登り窯である。
17 世紀から操業した吉田焼の窯では中国の呉須赤絵に似せた色
絵磁器を生産し、一部は東南アジアにも輸出された。1700 年頃か
ら始まった
志田焼は、幕末には5 基の連房式登り窯によって染付を中心とし
た皿類が大量に生産された。
不動山の窯跡は確認されているだけで5 基を数え、17 世紀後半に
芙蓉手の染付皿や青磁製品などが焼成された。
嬉野で大正期から昭和50 年代まで操業した志田陶磁器株式会社
の工場。陶土製造から焼成までのすべての工程を大規模に行って
いた。志田は波佐見と同様に庶民向けの器の大量生産供給地であ
り、工場跡には国内最大級の石炭窯も
残る。
現在は「志田焼の里博物館」となっており、原料加工から焼成ま
での作業工程など往時の姿を見ることができる。
17 世紀前半の磁器生産初期段階に操業した窯跡群及び泉山磁石
場跡。窯跡はいずれも連房式登り窯である。
磁器は当初、陶器窯の中で陶器とともに焼成されたが、寛永14 年
(1637)に佐賀藩が有田一帯の陶器窯を廃して窯場の整理・統合
を行った。これを境に有田は磁器専門の産地へとシフトすること
になった。
写真
土師場物原山
大谷窯跡
錆谷窯跡
小峠窯跡
場所
文化財名称
①柿右衛門窯跡
(国史跡)
②有田内山伝統的
建造物群保存地
区
(国重要伝統的建造
物群保存地区)
③・初代金ヶ江三兵
衛墓碑(有田町
史跡)
・陶山神社鳥居陶
祖(国登録有形
文化財・建造
物)
・李参平之碑
④柴田夫妻コレク
ション
(国登録有形文化
財・美術工芸品)
⑤蒲原コレクション
有田町
⑥染付山水図輪花
大鉢(国重要文化
財・工芸品)
⑦染付白鷺図三脚皿
(国重要文化財・工
芸品)
⑧柿右衛門(濁手)
(国重要無形文化
財・工芸技術)
⑨色鍋島(国重要無
形文化財・工芸技
術)
⑩天神森窯跡
⑪肥前磁器窯跡
(国史跡)
・泉山磁石場
・天狗谷窯跡
・山辺田窯跡
⑫陶祖祭
⑬やきもの市
説
明
写真
有田の南川山にある17 世紀後半に操業した連房式登り窯の磁器
窯跡。後に続く南川原窯ノ辻窯とともに「柿右衛門様式」の優品
を中心的に生産した。
白漆喰の伝統的な町屋や洋館など、江戸時代後期から昭和期の特
徴的な建物が連なる有田町東部の地区。
有田の窯業の隆盛は、有田に裕福な町人文化を育て、中でも磁器
生産の中心地であった内山地区には多くの窯元ややきもの商家が
建ち並んだ。文政11 年(1828)に大火にみまわれたが間もなく復
興され、近代になると洋風建築も加わった。
有田町内の墓地には、有田焼の陶祖とされる金ヶ江三兵衛(李参
平)の墓碑が残る。
また、陶祖を祀る陶山神社には、染付で全体に唐草文様が施され
た磁器製の鳥居(明治21 年(1888)奉納)があり、神社の山の中
腹の有田町内が一望できる場所には、顕彰碑「陶祖李参平之碑」
が有田焼創業300 年を記念して大正7
年(1918)に造立されている。
墓碑
鳥居
李参平之碑
網羅的・体系的に収集された有田磁器のコレクション。柴田明彦・
祐子夫妻から佐賀県立九州陶磁文化館に寄贈され、同館で常設展
示されている。
点数は10,311 点に及び、磁器生産の始まった江戸時代初期から幕
末に至る有田磁器を中心に、その歴史的変遷がわかるように、様々
な種類の作品が網羅的に揃っていることが大きな特徴である。
江戸時代にヨーロッパに輸出された、華やかで豪華絢爛な金襴手
様式の作品を中心とする有田焼のコレクション。有田町出身の蒲
原権氏がヨーロッパ各地で収集し、有田町に寄贈された。
計101 点。現在は佐賀県立九州陶磁文化館で常設展示されている。
有田の山辺田窯で1640∼50 年代に作られた染付の優品。有田磁器
の技術革新を示す名品とされる。佐賀県立九州陶磁文化館所蔵。
伊万里の大川内山に置かれた佐賀藩の御用窯で1690∼1710 年代
に作られた鍋島焼(鍋島染付)の傑作。
佐賀県立九州陶磁文化館所蔵。
有田の陶工酒井田家では、正保4 年(1647)に初代柿右衛門が赤
絵(色絵)の焼成に成功し、17 世紀後半には濁手と呼ばれる乳白
色の素地に余白をいかして非対称の構図で上絵を配した「柿右衛
門様式」を確立した。
伊万里の大川内山に置かれた佐賀藩の御用窯では、最高級の材料
と技術者によって鍋島焼と呼ばれる最高級品が生産された。中で
も染付の藍に赤・緑・黄の色絵を施す色鍋島はその代表的な様式
である。
16 世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の
歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)
の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。
間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による
陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことによ
り、その生産地は肥前各地へと拡大した。
窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り
窯である。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降
も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本
初の磁器の焼成が開始されることとなる。
17 世紀前半の磁器生産初期段階に操業した窯跡群及び泉山磁石
場跡。窯跡はいずれも連房式登り窯である。
泉山磁石場
磁器は当初、陶器窯の中で陶器とともに焼成されたが、寛永14 年
(1637)に佐賀藩が有田一帯の陶器窯を廃して窯場の整理・統合
を行った。これを境に有田は磁器専門の産地へとシフトすること
になった。
有田、波佐見、三川内の各地域では、それぞれの陶祖を敬い偲ぶ
陶祖祭(陶祖神社祭)が毎年5 月に営まれている。
肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で
賑わっている。中でも有田町で毎年4 月29 日∼5 月5 日の一週間
にわたって行われる有田陶器市は、明治29年(1896)の有田五二
会陶磁器品評会以来100年以上の歴史を有し、大正期から現在の陶
磁器廉売市の形が加わった。
<有田市>・有田陶器市(4,5 月)
・秋の有田陶磁器祭り、有田ちゃわん祭り(11 月)
天狗谷窯跡
山辺田窯跡
場所
文化財名称
①三川内の磁器窯
跡群
②三川内三皿山
③・陶祖神社
・釜山神社
佐世保市
④三川内の磁器製
作技術
(一部佐世保市
無形文化財)
⑤葭之本窯跡
(長崎県史跡)
⑥陶祖祭
⑦窯業道具の供養
⑧やきもの市
説
明
平戸藩では、寛永10 年(1633)に針尾島(佐世保市)で磁石場が
発見されると、長葉山窯で初めて磁器の生産が行われた。慶安3 年
(1650)には中野窯の陶工たちを三川内皿山に移し、藩営の御用
窯の体制を強化した。17 世紀後半から稼働した御用窯の三川内東
窯跡、三川内西窯跡は連房式登り窯で、その操業は昭和期まで続
いた。また、江永皿山、木原皿山でも民窯で磁器の生産が行われ
た。現在でもそれらの痕跡が残されている。
三川内焼の産地であった三川内、江永、木原の三地区の皿山。
窯跡やトンバイ塀、レンガ造りの煙突のほか、古い家並みや昔な
がらの道筋が残り、現在でも窯元が建ち並ぶ。中でもその中心で
ある三川内皿山には、平戸藩の御用窯であった東窯・西窯跡のほ
か、その優れた技術を伝承するために明治期に開設された三川内
陶磁器意匠伝習所跡や、昭和期に操業した今由製陶所窯跡などが
残る。
三川内焼の発展に貢献した先人を敬い祀る神社。陶祖神社には平
戸藩御用窯二代目の今村弥治兵衛(如猿)が、天満宮内の釡山神
社には伊万里から陶工たちを連れて移って来たといわれる三川内
の陶祖の一人、高麗媼(中里エイ)が祀られている。
写真
陶祖神社
釜山神社
三川内の平戸藩御用窯で高級品を生産するため培われた技術。現
卵殻手
透かし彫り
在も三川内の窯元に受け継がれ、様々な製品が生み出されている。
竹箆等で切り取り格子や花弁の模様など細かな装飾を作り出す透
かし彫りや、卵の殻のように透けるほど薄く削る卵殻手(薄胎)
は三川内を代表する技法である。
このほか、菊花飾細工や捻り細工、置き上げなどの細工技術や器 菊花飾細工 唐子文様 置き上げ
の内部に繊細な山水画を施した内山水絵技術、松に牡丹と戯れる
唐子を配した図柄の染付技術など多様である。
16 世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の
歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)
の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。
間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による
陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことによ
り、その生産地は肥前各地へと拡大した。
窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り
窯である。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降
も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本
初の磁器の焼成が開始されることとなる。
有田、波佐見、三川内の各地域では、それぞれの陶祖を敬い偲ぶ
陶祖祭(陶祖神社祭)が毎年5 月に営まれている。
三川内では毎年5 月にやきものの焼成に使う円盤型の使い捨ての
台「はまぜん」の供養が行われている。
肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で
賑わっている。
<佐世保市>
・はまぜん祭り(5月)
・みかわち陶器市(10月)
場所
平戸市
波佐見町
文化財名称
説
明
写真
16 世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の
歴史は、1580 年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)
の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。
間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による
陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことによ
①中野窯跡
り、その生産地は肥前各地へと拡大した。
(長崎県史跡)
窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り
窯である。肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降
も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本
初の磁器の焼成が開始されることとなる。
波佐見で16 世紀末から近代にかけて操業した窯跡。いずれも連房
中尾上登窯跡
畑ノ原窯跡
式の登り窯で、現在までに36 基が確認されている。
①・肥前波佐見陶磁 波佐見焼の窯の大きな特徴の一つが、大量生産を可能とした世界
器窯跡
最大級の巨大な登り窯である。「くらわんか手」と呼ばれる簡素
(国史跡)
な磁器は江戸時代後期を中心に国内各地に流通し、高価だった磁
器の大衆化に大きく貢献した。
・智惠治窯跡
智惠治窯跡
(長崎県史跡)
また、明治期に開窯し改修を経ながら戦後まで操業した智惠治窯
跡は、窯の天井部まで現存しており、伝統的な登り窯の構造を伝
える貴重な窯跡である。
波佐見焼の産地として江戸時代初期から現代まで連綿と続く窯業
集落。世界最大級の登り窯跡や、明治期のやきもの卸商家である
②陶郷・中尾山
中尾山うつわ処赤井倉のほか、レンガ造りの煙突やトンバイ塀な
どが残り、現在でも窯元が操業を続けている。
波佐見で磁器を生産した福幸製陶所とその経営者である福重家の
建物群で、いずれも昭和初期の築造。「福重家住宅主屋」及び「旧
③福重家住宅主屋・
福幸製陶所事務所」・「旧福幸製陶所細工場」・「旧福幸製陶所 福重家住宅主屋 旧福幸製陶所
旧福幸製陶所
絵書座」からなり、波佐見焼を代表する製陶工場の様相を伝えて
(国登録有権文化
いる。
財・建造物)
現在、旧福幸製陶所の建物群はカフェや雑貨店として活用されて
いる。
波佐見における日用磁器の生地(素焼き前の器)を成形する技術。
江戸時代、波佐見では蹴轆轤による生地の成形技術を高度化させ、
磁器の大量生産を可能とした。その技術を背景に、近代以降には
④波佐見の生地成
鋳込み成形や機械轆轤成形など新たな技術を導入し、肥前におけ
形技術
る生地生産の中核として発展を遂げた。
現在も肥前一帯に生地を供給し続け、肥前磁器生産の「裏方」的
役割を担っている。
波佐見に伝わる伝統的な郷土料理で、キュウリなどの夏野菜を使
った味噌味ベースの汁を御飯の上にかけたもの。
⑤冷汁
窯に薪をくべ火力を調整する窯焚き職人たちが暑い夏場に好んで
食したといわれる。
有田、波佐見、三川内の各地域では、それぞれの陶祖を敬い偲ぶ
陶祖祭(陶祖神社祭)が毎年5 月に営まれている。
⑥陶祖祭
⑧やきもの市
肥前窯業の各産地で行われるやきもの市で、例年多くの来場客で
賑わっている。
<波佐見町>
・波佐見陶器まつり(4月,5月)
・桜陶祭(4月)
別紙・日本遺産ストーリー(概要)
日本磁器のふるさと 肥前
∼百花繚乱のやきもの散歩∼
陶石、燃料(山)、水(川)など窯業を営む条件が揃う自然豊かな九州北西部の地「肥前」
で、陶器生産の技を活かし誕生した日本磁器。肥前の各産地では、互いに切磋琢磨しながら、
個性際立つ独自の華を開かせていった。その製品は全国に流通し、我が国の暮らしの中に磁
器を浸透させるとともに、海外からも賞賛された。
今でも、その技術を受け継ぎ特色あるやきものが生み出される「肥前」。青空に向かってそ
びえる窯元の煙突やトンバイ塀は脈々と続く窯業の営みを物語る。この地は、歴史と伝統が
培った技と美、景観を五感で感じることのできる磁器のふるさとである。
別紙・案内板本体/参考品
Fly UP