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素直に生きる

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素直に生きる
素直に生きる
薬学部長 大 原 直 樹
マタイによる福音書 10章26節
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠され
ているもので知られずに済むものはないからである。…」
今日、お話しする機会を頂きましたことを幸せに思っております。私には信
仰がありませんので、ここで皆さんに「奨励」としてどのようなお話をして良
いのかは、相変わらず分かりません。でも、こうした機会を頂けるおかげで、
「聖書のことば」を知る機会に恵まれ、私は幸せです。
今日は、マタイによる福音書10章26節を一緒に読ませていただきました。こ
の節で、「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので
知られずに済むものはない」の部分からは、隠し事は自分を偽ることであり、
外見をどんなに取り繕っていても、心の中にある良いこと悪いこと全てが必ず
外に現れる。だから内面を清めなさい。と教えられている気がします。でも、
その前に、
「人々を恐れてはならない。」という部分があることで、この節をど
のように理解するかが難しくなります。この節からは、仮に、自分と意見が異
なる相手、敵意をもった相手と対立することになったとしても、正しいと信じ
ることを貫きなさい。そう、教えられていると受け止めることもできます。極
端なことをいえば、敵意を抱いた相手によって自分が傷つけられ、最悪の場合
命を落としたとしても、真理、正義あるいは魂(ということばが適切かどうか
はわかりませんが、)までが消され、失われることは決してないのだから、正
しいと信じることを貫きなさいという意味だと思います。
―仮に自分が殺されても、正義は朽ちることも滅びることもない。裁きはそ
のあと訪れる。それを信じて生きる。―それができるか?というと、私にはで
きません。追いつめられると、私はきっと簡単に自分に都合のよい嘘をつくで
しょう。だから殺されないかもしれませんが、正義を貫くことも真理を知るこ
ともないのかもしれませんし、人を追い、殺す側に廻ることさえあり得ると思
います。そんな私ですが、自分自身の良心を通じて後悔することは、まだでき
ますので、それは幸せだと思っています。「人を恐れず、正しいと信じること
を顕わし、それを貫き通した」という経験はなく、今後そのように生きること
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もできないと思いますので、もう少し小さな水準の、経験上ある程度は自分に
もできたことで、もしかすると、少しだけですが足しになるかもしれないお話
をします。今日の聖書のことばの引用とどう繋がるか…、といわれるかもしれ
ませんが、私には繋がりがあるように思えるので、聴いて下さい。
小さなことでも自分が為すことは、自分の良心が見ています。私たちは時に
その良心を無視することができるのですが、そうすると、良心があるゆえに大
なり小なり後悔させられます。その良心の後ろには絶対的なものである誰かが
いる、という畏れがあるように感じます。自分にできることを、できるときに、
実行する。それを続けることが大切だと思います。
くだらない例ですが、ある日、私はいつものようにだらしない恰好で机に向
かい、仕事をしているとします。まさにこれが日常なのですが……。そして、
鼻をほじったりした紙を丸めてポイと屑かごに放りますが、外れて床に落ちた
とします。すると、心の中で良心が「拾え」と言ったとき、自分の部屋だし、
だれもいないのだから、放っておいて後で掃除すればよいと思い、すぐに拾わ
ないこともできます。でも、大切なのは、
「拾え」と心の一部が合図したとき、
それをすぐ実行することなのです。できることを為さないまま放置しない。そ
の気持ちをもって為すべきことを為すのが、きっと良いのです。その様子を良
心の後ろで見ている絶対的な誰かがあり、その誰かによって私は守られ、救わ
れている気がするからです。
今、お話したことは、良心を介して自分が自分を評価している場面といえま
す。話題が少し変わりますが、それでは、他人から評価を受ける場合はどうで
しょう。他人からの評価は、さまざまな意味で重要ですが、いつでも良いとこ
ろだけ観てもらえるわけではありません。例えば、上司から思いがけず悪い評
価をされてしまう場面もあると思います。でも、そこで落胆することはありま
せん。見ているのはその上司一人だけではありません。ある関わりの中で、時
間を共有している集団全体の“眼達”、その“心達”の動きがあります。そして、
大きな時間の経過を介して、「まとめ、積み重ねられた」集団の心の変化を通
じて、絶対的存在がわたしたちを見つめ評価しているのです。私たちが、私た
ちの良心の前で素直になれたとき、それを続けることができたとき、私たちは
正しく理解され、評価されるでしょう。私たちが、良心に対し素直に生き続け
られれば、必ず報われるときが来るでしょう。
自分の弱さを自覚できることを幸いと思って生き、初めから予測できる後悔
の種を蒔くことをしない。「後悔先に立たず」ですが、ほとんどの後悔は、自
分を見つめることでそれを予測できるものです。できることをしなかったこと
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を後悔するわけですから。それでも、繰り返し後悔している自分に気付いたと
きは、それも幸いと思いましょう。なぜなら、ずっと良心に従えず、死ぬまで
に後悔の山を築いたとしても、後悔は、自分が良心に眼を向けられる素直な心
の持ち主であることの証だからです。
とりとめの無いお話をしてしまいましたが、混乱と申しますか混迷している
私の思考からはみ出したものが、聴いて下さった皆さんに“漠然と”伝われば、
私としては幸せです。
2012年11月13日 朝の礼拝
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