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「こころ」はどこにあるのか?

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「こころ」はどこにあるのか?
マインド・タイム
脳と意識の時間
「こころ」はどこにあるのか?
̶神経科学と物語る「私」
ベンジャミン・リベット 著
現代の神経科学が教えてくれる「自己」
のような「場」なのだという CMF(意識
下條信輔 訳
や「自我」は,18世紀イギリスの哲学者
をともなう精神場)理論を提示する。彼
デビット・ヒュームが描いたような感覚
は CMFを検証するための実験も提案して
や印象の束であるらしい。しかし,われわ
いる。この実験を使えば確かに CMF は経
岩波書店
2005 年 7 月
2700円 + 税
脳の彼方へ
神経心理学の旅
れはどうしてもその感覚や印象を統合する
験的に反証可能(つまり,科学的理論であ
「自己」や「自我」を求めようとする。脳は
る)だが,おそらく倫理的に実行がむずか
さまざまな機能を有する神経モジュールの
しいと思われる。また,
この CMF 理論は,
集合だとして,それらの機能を統合するも
リベットが強い影響を受けている脳科学者
のは何なのか?
エックルスと科学哲学者ポパーに共通の心
リベットは,
何かに気づいている(アウェ
身の二元論の立場を思わせるものだ。
アネス)という意味での意識に焦点を当て
一方,神経心理学者のブロックスは,
「新
て研究を進めてきた神経科学者だ。彼の発
しいオリバー・サックス(映画『レナードの
見によると,感覚刺激に対応する脳神経系
朝』の原作者)
」と称されるように,不幸
の活動に 0.5 秒遅れて,その意識(アウェ
にも脳神経系に損傷を受けた人々との交流
アネス)が生まれる。つまり,人間は世界
から生まれた美しくも奇妙な物語を紡ぐ書
に 0.5 秒遅れて生きている。また,
「さあ
き手だ。
動かすぞ」と意図をもって,身体を動かそ
彼も単純な心脳同一説の立場には立たな
うとするよりも前に,その身体動作にとも
い。脳は孤立した島ではなく,
「こころ」は,
なう脳神経系の活動が生じていることも発
この物理的世界やほかの脳とともにつくる
見した。いい換えれば,意識的な自由意志
社会的世界と相互作用する中で生まれると
にもとづく行動より以前に,無意識のプロ
する。心理学的現象は生物学的システムで
セスが起動しているのである。これらの成
あると同時に,社会学的システムでもある
果は,心と脳は同じものであるという心脳
のだ。
同一説の再検討を促すかのように見える。
人の「こころ」や「自己」とは,哲学者
リベットは心脳同一説に替えて,意識
のデネットがいうように,進化的に獲得
とは電流が流れるとその周囲に生じる磁場
されてきた認知構造であるし,
「物語」で
もある。ばらばらの感覚や印象というエピ
ポール・ブロックス 著
小野木明恵 訳
ソードは取捨選択され構成されて,私とい
う物語になる。この物語は自己組織的なも
のであって,物語を物語る「私」がいるわ
けではない。その物語こそが「私」なので
青土社
2005 年 7 月
220 0円 + 税
ある。
ブロックスの立場に立つと,神経心理学
は脳神経系の物理的記述と人間の生の物語
との狭間に立つ学問ということになる。彼
ナラティブ
の話法も,科学と物語の間で儚い炎のよう
に揺らめく。永遠に朽ちることのない堅牢
な魂ではなく,脳という簡単に壊れ機能を
失う,脆い物理的システムに支えられた,
人間存在のかけがえのなさ。これが,英国
評者 大谷卓史
(吉備国際大学 政策マネジメント学部
知的財産マネジメント学科)
80 BIONICS NOVEMBER 2005
的な含羞と感傷を湛えた多数の断章から,
静かにそしてずっしりと伝わる。
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