...

第 章 発展期の民団愛知( )( ∼ 年)

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

第 章 発展期の民団愛知( )( ∼ 年)
第 章 発展期の民団愛知 ()(∼ 年)
1 姜大海執行部の誕生( 年4月)
年4月 日、名古屋韓国学校で開かれた民団愛知県本部第 回定期大会で前任の
金宰淑団長に代わり、姜大海氏が新団長に選ばれた。
地方大会は代議員 人中 人が出席する中、注目の団長選挙が行われた。姜大海、
朴性祐の両氏が推薦を受けて立候
補したが、投票の結果、 対 で姜大海が当選した。続く議長選
挙では前団長の金宰淑氏が、監察
委員長選挙では前監察委員の崔東
佑氏が対立候補なく選出された。
姜大海団長は「青年会を全面に
出して世代交代を行い、民団組織
の活性化のため、団員のための民
団であるという雰囲気をつくりた
い。そして支部を中心とした運営
をしながら民団発展に努力し、公
▲ 民団愛知県本部第回定期大会開く
約を実現したい」
と抱負を述べた。
(年4月日、名古屋韓国学校)
2 ソ連の大韓航空機撃墜事件( 年9月1日)
乗員乗客あわせて 人を乗せたニューヨーク発ソウル行きの大韓航空ボーイングジャ
ンボ 「 便」が、 年9月1日未明、サハリン上空でソ連機のミサイルによって
撃墜されるという衝撃的な事件が起こった。
大韓航空機が何らかの理由でコースを大きく外れ、ソ連領の領空を侵犯したことが事件
の発端にあるにせよ、
「武装していない民間機を撃墜することは人道上決して許されず、
ソ連の責任は重大である」と、韓国、日本、アメリカをはじめ、全世界から「強い非難」
の声が上がった。
この蛮行に対し翌2日、全斗煥大統領は特別談話を発表し、
「ソ連は真相を全世界に知
203
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
らせ、謝罪せよ」と述べた。
民団もただちにソ連公館所在地
を中心に抗議、糾弾活動を展開し、
9月7日には東京・日比谷野外音
楽堂において「ソ連の大韓航空旅
客機撃墜蛮行を糾弾する在日韓国
人中央大会」を開催し、ソ連大使
館前で抗議行動を行った。これに
は民団愛知から 名の代表がバ
スで上京、抗議団の先頭に立って
▲ 大韓航空機撃墜蛮行に対し、ソ連大使館へ抗議行動
(年9月7日)
活躍、怒りの声を上げた。
さらに9月 日には、ソ連国
立ボリショイバレエ団の名古屋公
演の中止を求めて、民団愛知県本部、支部幹部、婦人会、青年会ら 余名が公演会場の
名古屋市民会館前において、
「ソ連は事件の真相を明らかにせよ」「ボリショイバレエ団は
ただちに公演を中止せよ」とシュプレヒコールを繰り返し、怒りを爆発させた。
3 北韓のラングーン爆弾テロ事件( 年 月9日)
大韓航空機撃墜の悲しみもさめやらぬ間に、 年 月9日、今度は全斗煥大統領一
行がビルマ公式訪問中、ラングーン市のアウンサン廟で金日成の指令を受けた北韓殺人集
団が仕掛けた爆弾で命を狙われるという事件が起こった。全大統領は到着が遅れて危うく
難を逃れたが、先に到着していた徐錫俊副首相兼経済企画院長官、李範錫外相、咸秉春大
統領秘書室長ら閣僚級5人を含む公式随行員 人と非公式随行員ら5人の合計 人が爆
死、その他、随行記者、秘書官ら 人が重軽傷を負い病院に収容された。
事件後、全斗煥大統領はただちに「この蛮行は北韓によるもの」と断定し、警告を発し
た。事件の解明が進み、犯人のチン・モ少佐、カン・ミンチョル大尉、キム・チホ大尉(死
亡)が逮捕されたことによって事件の背後関係が一層明らかになり、このテロ事件は北の
偵察局の命令を受けた同局所属の特殊工作部隊要員と、駐ビルマ北大使館の周到な計画の
もとに引き起こされたことが判明した。
ビルマ政府はただちに北と国交断絶を通告、
最大限の制裁措置をとり、さらに世界の国々
からテロ行為に対する非難の声が上がり、北の国際的立場は一段と微妙なものとなった。
大韓民国は全斗煥大統領以下、全国民が悲しみをこらえ賢明に対処したのである。民団も
月 日、
東京・日比谷野外音楽堂において「北傀殺人集団の国際テロ蛮行糾弾中央大会」
を開催、全国代表 , 名が参加、天人共に許さぬ北の蛮行を糾弾し、約4km の示威デ
モ行進した。
204
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
4 第9回愛知県韓国人大運動会
年 月3日、名古屋市西区の庄内緑地陸上競技場において第9回愛知県韓国人大
運 動 会 が 開 催 さ れ、 県 下 団 員
, 名が参加した。
華麗で秩序整然とした入場行進
が行われた後、トラック、フィー
ルドいっぱいに 種目の競技が
繰り広げられた。民族色豊かな農
楽隊も出演し、大会の雰囲気は大
いに盛り上がった。競技は種目の
一部を除いて、各支部対抗の得点
制で争われた。結果、総合優勝は
岡崎支部が獲得した。
▲ 民団愛知の第9回大運動会
(年月3日、庄内緑地陸上競技場)
5 指紋押捺・常時携帯撤廃要求 万人署名運動
年9月1日、本部任員、支部三機関長が出席して拡大会議を開き、運動の趣旨を
徹底し、署名運動がスタートした。 月2日には名古屋一の繁華街である中区栄のセン
トラルパークにおいて本部役員、婦人会、青年会あわせて 余名が署名活動を行った。
続いて第1次集中活動として豊橋、岡崎、春日井、一宮の各主要駅前で署名活動を展開、
同時に大型宣伝カーを活用し、該当する市の路地に至るまで回り、指紋押捺の不当性を訴
えた。しかし、ソ連による大韓航空機撃墜事件やラングーン爆弾テロ事件などの影響で運
動は思うように進まなかった。本
部では遅々として進まない状況を
打破するために、
「署名 万人目
標達成指針」という小冊子を印刷
するとともに、運動強化月間(
月7∼ 日)
、目標突破週間(
月 ∼ 日)を設定し、
いま一度、
団長団と本部常勤部長が各支部を
巡回した。
こうした中、第2次集中活動と
して西尾、知多、金山、瀬戸で街頭
署名を展開。1日で ,∼,
▲ 署名運動の目標を達成して開催された連席会議(年)
205
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
名の署名が集まるようになってきた。そして街頭署名の
打ち上げ
となった 月 日
のセントラルパークでの署名は、本部三機関、執行委員、県下支団長、婦人会、青年会の
役員、幹部らが率先して活動に参加。1日で1万人余名の署名を集めることに成功した。
◉ ᅇ˩п ୈ᥂ȟᄻൈɥᤎ਽
一方、県下各支部でも、この間独自の方法で署名活動を展開した。運動のトップを切っ
たのは熱田支部であった。団員世帯数 世帯の小さな支部でありながら、支団長をはじ
め役員が中心となって団員、日本の友人、知人を総当たりし、いちはやく目標の %を
達成、最終的には %の成果をおさめた。
また大手(団員 , 世帯以上)の支部で運動の停滞していた名南支部でも、県本部か
らの集中活動が実を結び、以降、署名数は急カーブを描いて伸び、1支部で2万 , 名
に近い署名を獲得した。
このようにして、署名運動は各地域でさまざまなエピソードを残しながら、県下 支
部がすべて %以上の成果を上げ、トータルで 万 , 名の署名を獲得することがで
きた。これまで幾度となく行ってきた署名の実績が4万余ということからみても、この運
動がいかに爆発的な盛り上がりをみせ、大成功に終えたかがわかるのである。
民団愛知県本部では、この署名運動で特に功績のあった団員、団体に対し、 年の3・
1節の席上、賞状と記念品を添えて表彰した。
なお、公明党愛知県本部をはじめとする友好政党、東邦生命相互会社などの真心からの
署名協力があったことを付記しておく。
各支部の署名獲得数
支部名
署名数
支部名
署名数
支部名
署名数
東 中
,
中 村
岡 崎
,
一 宮
,
名 南
,
,
瀬 戸
,
豊 橋
,
中 川
,
西 碧
,
名 西
,
知 多
,
豊 田
,
名 港
,
豊 川
,
春日井
,
熱 田
,
西 春
,
その他
,
6 名古屋で組織強化対策会議開く
指紋押捺・常時携帯制度撤廃要求 万人署名運動が大きく目標を達成し、民団が勝利
宣言し、その喜びに沸き立つなか、 年 月6日に全国の民団、商工会、商銀の三団
体幹部による「生活権確立のための組織強化対策会議」が名古屋市西区のホテルナゴヤキ
ャッスルにおいて開かれた。
206
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
この会議には、全国の民団三機関長、商工会会長、商銀の理事長が一堂に会したほか、
崔慶禄駐日大使をはじめ、公館長多数と日本側から自民、公明、民社を代表する国会議員
らが参加した。会議では、民団で示した運動の成果を生かし在日同胞の唯一の指導機関と
して、団員の生活と権益擁護に邁進するとし、今後の課題として「商工会の活動振興と民
族金融機関の拡充のための経済基盤を強化する」ことなどが話し合われた。
7 母国訪問推進委員会の再建
年5月 日に設立した母国訪問推進委員会が、種々の事情により活動が停滞して
いたが、母国訪問省墓団の活発化に伴い、その再建を望む声が強くなった。民団愛知県本
部では、これまで省墓団事業に積極的に寄与してきた金胤鎰氏を中心に何名かの準備委員
を集め、 年1月 日に再建総会を民団愛知県本部で開催し、趣意書と会則を制定し、
次の役員を選出した。
相談役:金胤鎰 会 長:安瑛中
副会長:朴重錫、韓亨洙、辛時宗、李聖熙 事務局長:姜文秀
8 民族教育振興推進委員会の発足
民族教育を通じて韓民族としての自負心をもたせ、祖国と民族のために仕事ができる頼
もしい後継者を育てることを目的として、
年9月にスタートした「民族教育 時間制」
は7年間で , 人の修了者を出し、大きな成果をおさめることができた。しかし、この
数年、受講生の数が減少の一途をたどり、 時間制も新たな対応をせまられることにな
った。
民団愛知県本部では、世代交代の加速化とあわせて 時間義務教育制の見直し、民族
教育の活性化に力を入れるため「民族教育振興推進委員会」を設置することを決め、
年2月 日、民団愛知県本部会館会議室で、金
名古屋韓国学校長、李秉哲名古屋韓国
教育院長ほか 名の委員を集め、結成式を行った。
結成式では経過報告、会則の審議が行われ、①民族教育の充実化とそのための指導、研
究② 時間義務制の担当と推進③民族教育の生活化運動──の3点を重点事業として活
動していくことなどを決めた。
なお、役員は次の通りである。
委員長:金栄圭 副委員長:金年成、姜致珣
207
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
9 NHK ハングル講座の開設( 年4月)
韓日国交正常化以降、両国の交流が盛んになるにつれて、NHK に韓国語の講座開設を
求める声が、日本人や在日韓国人の中から出てきた。
民団では 年6月には 万 , 名の署名を、さらに 年7月には3万 , 名の
署名を NHK に伝達、
一日も早く講座を開設するよう要望し、またその際、講座の名称を「韓
国語」にするよう求めてきた。
この名称について NHK は一般的に日本人に親しまれているとして「朝鮮語」講座とす
ることを強く主張し、朝総連の後押しもあり、最後まで講座名称について結論が出ず、一
時講座開設を見送ってしまった経緯がある。
しかし、民団側の講座開設の要望はいっそう強まり、双方の歩み寄りの努力の結果、
年4月からその名称を「アンニョンハシムニカ」として講座を開設したのである。
講座の名称は「アンニョンハシムニカ」ではあるが、使用する言語は主としてソウル地方
の標準語で、講師には政治色の一切ない人物を選任しており、実質的には「韓国語講座」
といえる。
「アンニョンハシムニカ」は、テレビでは毎週1回 分間、ラジオでは月曜日
から土曜日まで毎日 分間それぞれ放送されている。また、ラジオはその日に、テレビ
も週1回再放送されている。
NHK の「アンニョンハシム
ニカ」の開設により、
「在日」
にとっては学ぶ機会が増えただ
けでなく、視覚的な部分も含め
生きた言葉と接することができ
るようになった。また、この番
組を視聴する多くの日本人が、
韓国の人と文化にふれる機会も
増え、韓日親善促進のうえでも
一定の役割を果たしているとい
▲ 名古屋駅前で「NHKハングル講座」開設の要望活動
える。
全斗煥大統領、初の公式訪日( 年9月)
全斗煥大統領は 年9月6日午後、李順子夫人をはじめ公式、非公式随行員ととも
に羽田空港着の特別機で来日した。
大統領夫妻一行は、
申秉鉉副総理ら6人の閣僚を含む約名。2機に分乗して来日した。
羽田空港では安倍外相、二階堂自民党副総裁、崔慶禄駐日大使をはじめ、民団中央本部団
208
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
長ら 数名が出迎え、在日韓国人児童が大統領夫妻に花束を贈呈した。
韓国の国家元首として初めて日本を公式訪問した全斗煥大統領は、東京・元赤坂の迎賓
館で行われた歓迎行事の後、皇居で日本天皇と会見した。その後、迎賓館で中曽根首相と
第1回目の首脳会談をもち、
主として国際情勢について意見を交換した。全斗煥大統領は、
この日夜、皇居での天皇主催の晩餐会に出席した。この日の晩餐会では政財界、関係団体
の首脳ら 名が参席、天皇はこの席での歓迎挨拶の中で、植民地支配の「過去」に言及し、
遺憾の意を表明した。
民団愛知では大統領の訪日を心から歓迎するために、民団愛知県本部会館及び各支部会
館に「歓迎・全斗煥大統領閣下日本国公式訪問」の垂幕を掲げた。
滞在中、全斗煥大統領は中曽根首相と2回にわたって首脳会談をもち、アジア情勢、韓
日両国関係について意見を交換、
「アジアの平和と安定、ひいては世界平和に貢献するには、
両国があらゆる分野で協力しなければならない」との意見の一致をみた。大統領は、在日
韓国人の法的地位及び処遇の改善に日本国政府が続けて努力するよう要請した。
9月8日、全斗煥大統領夫妻は日本天皇の送別の挨拶を受けたあと、正午から中曽根首
相夫妻の招きで昼食をともにし、訪日の成果をおさめて韓日両国政府の共同声明を発表、
歴史的な訪日を大成功に終えた。
監察委員会の研修会開く
民団組織の三機関中、規約運営、会計、人事、保安事項などの団務一般を監察する重要
な役割をもつ監察委員会の研修会が、 年2月 日、蒲郡市西部市民センターで開かれ、
県下 支部の監察委員と民団愛知県本部から崔東佑監察委員長らが出席した。
研修会では朴述祚民団中央本部監察委員が「現行規約に関して」と題し、規約の意義な
どについて述べた。また権赫斗民団中央本部組織1局長も「規約の運営」について述べ、
監察機関の重要性を強調した。
最後に崔東佑民団愛知県本部
監察委員長が、民団愛知の現状
と改善点について率直な意見を
述べ、その中で特に、①朝銀と
取引している民団員に対して啓
蒙活動を徹底する。②支部会館
及び土地が個人名義になってい
る支部は早急に消費生活協同組
合名義にする。③適時に支部の
監 察 を す る── な ど を 指 摘 し
た。
▲ 民団愛知の監察委員会研修会
(年2月日、蒲郡市西部市民センター)
209
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
サハリン残留韓国人同胞帰還問題
「 数年間、私の流した涙は河になりました」──。 年から敗戦までの3年間、日
本政府は国家総動員法によりサハリン(樺太)へ4万人にのぼる韓国人を連行した。その
ほとんどが森林伐採、炭鉱、飛行場、軍用道路、鉄道建設などに従事、極寒の地で過酷な
労働を強いられた。
年日本は降伏。日本の領土であった樺太はソ連の占領するところとなり、サハリ
ンと呼ばれるようになった。そこに居住していた約 万人の日本人は 年のソ連地区
引揚・米ソ引揚協定や日ソ共同宣言による集団引揚( 年)で全員が帰還した。しかし、
強制連行された4万 , 人にのぼる韓国人は、そのほとんどが韓国への帰還を望んでい
たにもかかわらず、引揚対象者からはずされ、帰国の道を閉ざされてしまった。以来彼ら
は望郷の念にかられながら 余年の間サハリンの地に留まった。
年残留韓国人の帰還を実現するために、日本国を相手どり4人の在日韓国人が訴
訟を提起した。
◉ ᔯࡺឰ‫׆‬ȟ‫ܓ‬ᠨ
一方、草川昭三衆議院議員(愛知2区・公明党国民会議)は、 年3月の衆議院予
算委員会でサハリン残留韓国人問題を連続して取りあげ当時の鈴木内閣の姿勢を問いただ
した。そして翌 年7月には日本の政治家としてはじめて日ソ親善の墓参団に参加し、
サハリンに行った。現地ではトレチャコフ第一書記とクージン第三書記と会談し、
「政治
の壁を乗り越えて何んとか帰還をさせてほしい。せめて 家族ぐらいの再会を日本で実
現したい」
と訴えた。その後、
草川議員らの奔走で 年8月 日に 年ぶりに権熙克(
才)
、金山起夫婦と韓国の権氏の2人の弟夫婦、夫人の弟夫婦と劇的な再会が実現した。
そして 年も2月 日に金性坤さん( 才)は 年ぶりに娘の金貞子さんら家族と、
2月 日には崔䇼沢さんが感激
の対面を果たした。また草川議員
は2年前から毎年夏、大邱市で行
われる離散家族の集会に招かれて
いる。
その後 年1月にシェワル
ナゼソ連外相がこの問題について
前向きな発言をしたのにともな
い、 年7月には日本の超党
派国会議員で構成する「在サハリ
▲ 大邱市で開かれた中国・ソ連離散家族大会では、日
本政府に対する批判が噴出した(年8月日)
210
ン韓国・朝鮮人問題議員懇談会」
が発足し、サハリン同胞の親族再
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
会の道が拡大され、立ちおくれが指摘されていた日本政府もようやくこの問題に力を入れ
るようになり、 年度予算に約 , 万円を計上した。
年 月 日、訪韓した五十嵐官房長官はサハリン残留留守家族による「中ソ離散
家族会」(李斗勲会長)代表と会い、残留者に対する支援と永住帰国のための旅行費用を
負担することを表明した。戦後 年を目前にして、やっと得た日本政府当局者の謝罪で
あった。
しかし、現地の女性と結婚し一家を構えている人の永住帰国は許されていない。一日千
秋の思いで夫の帰りを待つ年老いた妻。彼女の心情を思いやり、泣く泣く離婚してまで祖
国に帰ってきたハラボジもいる。また、新たな悲劇が生まれている。サハリン残留韓国人
も3世・4世の時代となり、そのほとんどが祖国に生活の基盤が全くない。新たな視点か
らこの問題を検討することが望まれる。
民団愛知、名古屋まつりに参加
愛知韓国青年商工会の前身である愛知県韓国人青年経済会が中心となって、 年 月 ・ 日に行われた名古屋まつりに朝鮮通信使隊が参加したことが中日新聞に大きく
報じられ話題となった。
年 月 ・ 日の両日第 回名古屋まつりの最大の行事である「郷土英傑行列」
で民団愛知が「朝鮮通信使隊」を華麗に再現し、沿道を埋めた 万人の市民の目を楽し
ませた。
「朝鮮通信使隊」
は、
李氏朝鮮と江戸徳川幕府との善隣友好関係を象徴するもので、
前年、愛知県韓国人青年経済会がまつりへの参加を提案、徳川家康隊を担当する松坂屋百
貨店の好意で実施されたもので、
今回から民団愛知県本部が主催と
なったもの。
姜大海民団愛知県本部団長を正
使に、朴栄吉青年経済会会長の副
使、
具晃治同会員の従事官のほか、
武官、訳官、文官などが行進した。
名古屋まつりには翌 年に
も参加、郭鍾彦民団愛知県本部副
団長(1日目)
、金一容中村支部
団長(2日目)が正使となった。
これまで3回参加している。
▲ 民団愛知の青年たちは名古屋まつりで「朝
鮮通信使隊」を再現(年月・日)
211
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
指紋押捺留保・拒否運動の展開( 年)
年3月 日、第 回定期中央委員会において民団も「指紋不押捺を辞さず」との
活動方針を明確に打ち出し、婦人会、青年会とともに留保運動を推進することになった。
運動開始まもなく、5月8日には川崎市の李相鎬氏が逮捕された。法務省は「5・ 通達」
で回転式から平面式に改正するとともに、各自治体に押捺拒否者の告発を徹底するよう求
め、民団の運動に対する弾圧を図った。
法務省のこの通達に対して自治体側は東京都町田市、埼玉県上尾市、神奈川県川崎市、
神奈川県などが一斉に反発の態度を示し、
「外国人の人権と地方自治を侵害する」として、
①拒否者に対する不告発②登録済証の発給③拒否者に対する警察の任意捜査に協力しない
──などを表明した。この他、大都市を中心に多くの自治体が通達の「一時棚上げ」をし
た。愛知県も5・ 通達に対し、
実質的な 保留 をし、それにな
らって名古屋市をはじめとするほ
とんどの市町村が通達の実施を見
送った。
6月9日、婦人会と青年会が「外
登法改正要求愛知県決起集会」を
開き、続いて7月7日には青年会
の幹部、趙仁秀、鄭柄斗、李豊宏
の3名が名古屋市中区の栄広場
▲ 婦人会と青年会の外登法改正要求愛知県決起集会
(年6月9日)
で、外登法改正のための無期限ハ
ンガーストライキに入った。
◉ пّȺᴮ˥ᴰԛͺ̷ȟႡί
大量切り替えが本格的に始まった7月から全国的に留保・拒否者の数は急増し、愛知県
でも着々とその数は増えていった。一応の目標期間となった8月の韓日定期閣僚会議開催
までに全国で , 余人、愛知県で 余人の留保者を出した。
期待された両国の閣僚会議もこれまでと何ら変わらない日本側の態度と結果に終わった
ことから、民団中央本部でも留保運動の継続を再確認し、この運動は9月末まで続き9月
9日には当初の目標であった , 人を突破した。
そして民団中央本部では、「われわれの意志は十分反映された」として、 月 日に開
かれた中央執行委員会で声明を発表し、留保運動の終結を宣言した。
212
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
‫ۦ‬ǽ஥
定住韓国人に対する外登証の指紋押捺・常時携帯制度の廃止要求運動は、 年
の 万の制度廃止要求署名による国会請願をもって今年7月頃から始まる外登証大
量更新期以前に改正されんことを要求してきたが、遺憾にもわれわれの要望は反映さ
れないばかりか、生活権をもおびやかす、法務省の5・ 通達が出されたことに対し、
() 合法的に指紋押捺を一時留保することによって制度廃止要求意志をしめすことに
なった。
() 韓日閣僚会議において、早急に解決されるべき懸案事項を時期を明示せず解決を
先送りしたことについては、不満を禁じ得ないところがあるが、将来長きにわた
る韓日関係の安定、日本社会の国際化という見地から制度問題を含め誠意をもっ
て努力すると言明したことは、3世以後の法的地位問題と関連した、韓日間協議
が今年中にもたれることとあわせ、われわれの要望意志が反映されたものとうけ
とめる。
() 月 日現在、, 名に達する留保者が制度廃止要求意志を示したことは、
留保運動が所期の目的を充分果たしたものと確信し、本日を以って、指紋制度撤
廃委員会が推進してきた留保運動を終結することにする。
() 本団は、今後、あらゆる合法的方法による指紋制度撤廃運動を引き続き、強力に
展開していくことを再度言明するとともに、 世紀に向けて、定住韓国人が日
本国民とともに、へだたりなく日本社会に積極的に寄与していけるよう、外登証
の指紋押捺及び常時携帯制度が一日も早く撤廃されることを切望する。
ࢳ ఌ ஓ ٣ஓట‫۾‬ᬤ෢ّࠊႡ෢‫ي‬ǽ˹‫ږ܄‬ᚐ݃‫͢׆‬
愛知県における留保運動
◉ ঢ়ᅺɂ ¬ ջሶᆍ
民団で実質的に留保運動が始まったのは 年7月1日である。この日は民団中央本
部・支部役員、傘下団体役員ら 名が一斉に留保した。
以後、民団愛知県本部では、留保運動の意義と外国人登録法の経緯、5・ 通達の内容
などについて学習会をもち運動の盛り上がりを図った。班別学習会を徹底して実施した中
村支部が運動のトップを切り着々と成果を挙げ、東中、岡崎などの支部もそれに続いて運
動のけん引力となった。しかし、目標とした , 名のうち1カ月過ぎた7月末には 名で、達成率は %にすぎなかった。
再入国取り消しと、不許可問題、営業許認可、就職、在留資格等々に影響を与えかねな
い運動だけに目標達成に困難が予想されたが、8月9日緊急支団長会議を開き、
「役員自
213
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
ら率先垂範の行動」を決議し、本部をはじめ支部三機関、事務部長らが次々に留保した。
これが刺激となって留保者の数は急増し、9月5日には目標の , 名を突破、同胞居住
数の多い大阪を除いて全国トップの成果を挙げることができた。
2年前、「指紋押捺、常時携帯制度撤廃 万人署名運動」と同様、それぞれの支部が
目標を突破し、外国人登録法の指紋押捺制度廃止運動に大きく寄与した。
◉ ᫺ࢳ͢ঢ়ᅺࢷ᥂᣷ઽȨɞ
年 月 日に指紋押捺拒否をした鄭柄斗青年会宣伝部長が、 年 月 日朝
出勤途中で、愛知県警守山署に外国人登録法違反で逮捕された。拒否後1年未満で自治体
からの告発もなしに警察に逮捕されたのは全国で初めてである。
この逮捕に対し青年会県本部では「逮捕は不当であり、1年に満たない拒否者の逮捕は、
明らかに警察の弾圧であり、われわれの外登法改正運動つぶしにほかならない」として、
この日の午後、警察前で青年会、民団愛知県本部と波状的に抗議行動を行った。また、民
団愛知県本部では裁判闘争に向けて弁護団を構成、鄭柄斗君への支援を続けた。
この一連の運動は、民団の活動に大きな影響を与えた。一つはたび重なる要求集会の開
催は、要求貫徹への目標を明確にさせ、団員の強い結束力を生むものとなった。二つ目は、
運動に参加した一人ひとりが実際に指紋押捺拒否・留保の運動を通じて、そこから民族的
な主体性を感じられることができ
た。特に当時の青年会愛知には「不
当な権力」に対抗する純粋な民族
闘争の息吹であふれていた。
この指紋押捺問題も「回転式か
ら平面式」
( 年)
、生涯1回
限り( 年)などの改正を経て、
そして 年再協議の覚書で「2
年以内の撤廃」をとりつけ、つい
に 年4月 日の日本衆議院
において「外国人登録法の一部を
▲ 指紋押捺を拒否した鄭柄斗青年会宣伝部
長はハンガーストライキへ。年月
日朝、外国人登録違反で逮捕された
改正する法律案」が可決され、永
住者の指紋は押捺撤廃されること
になった。
ソウルオリンピック後援誠金運動
◉ ٣ஓպᑛ Ияɥͤᤎ
年9月 日、西ドイツのバーデンバーデンにおいて開かれた IOC 総会で、 年
214
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
のオリンピックをソウルで開催することが決まり、本国同胞はもとより在日同胞社会は歓
迎一色に包まれた。
民団では民族史に燦然と輝く世界平和の祭典の開催とその成功は、韓民族の底力を世界
に誇示し、韓国の国際的地位を大いに宣揚するものだけに、在日同胞も在外国民の一員と
して、ソウルオリンピック成功に物心両面にわたる後援をしていくことが決議された。
そして、
この崇高な事業を推進する
「ソウルオリンピック大会在日韓国人後援会」
(李
熙健会長)を 年6月 日に結成、本格的な支援体制を整えた。同後援会では主に競
技施設の拡充とその資金獲得に努め、全国にまたがる同胞経済人を中心に誠金募金活動を
展開した。
誠金募金活動に際し、民団では駐日公館、日韓議員連盟からの協力を得てオリンピック
誠金の免税措置を働きかけ、 年 月 日から1年間にわたり国際交流基金を窓口に
してオリンピック後援会が集めた募金に対して免税措置がとられることになった。
民団愛知では 年3月5日から8日まで本国で開かれた支団長本国研修会で組織負
担分の支部割当を行い、それぞれ各支部で誠金募金活動がスタートした。以後、支部では
団長をはじめ各役員が一致団結して募金活動を推進し、各支部とも所期の目標を達成して
9月1日に民団中央本部に伝達した。
民団愛知のソウルオリンピック誠金(千円)
支 部 名
目 標 額
達 成 額
支 部 名
目 標 額
達 成 額
東 中
,
,
西 碧
,
,
中 村
,
,
名 西
,
,
名 南
,
,
知 多
,
,
岡 崎
,
,
豊 田
,
,
一 宮
,
,
名 港
,
,
瀬 戸
,
,
豊 川
,
,
豊 橋
,
,
熱 田
,
,
中 川
,
,
西 春
,
,
春日井
,
,
合 計
,
,
ソウルオリンピック在日韓国人後援会は、朴世直オリンピック組織委員長に伝達した。
第1次伝達式( 年 月 日、韓国ロッテホテル)
,,, ウォン
第2次伝達式( 年6月 日、韓国ハイアットホテル)
,,, ウォン
合計 ,,, ウォン
日本円にして約 億円に達する誠金は世界中から集まった寄金の約9割近くになり、
韓国オリンピック組織委員会ではこの誠金でオリンピック会館を建設した。
すでに 年に第 回アジア競技大会がソウルで開かれ、韓国は中国に次いで総合2
位の成績を収め、体育強国の姿を内外に示すことができた。2年後の 年の第 回ソ
ウルオリンピックは、共産圏を含む カ国、1万 , 人の選手が参加する歴史上最大
215
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
規模の大会となり、わが国の発展相をさらに広く誇示するうえで一大契機となった。
第 回愛知県韓国人大運動会( 年 月)
民団愛知創団 周年を記念する第 回愛知県韓国人大運動会が、 年 月 日、
名古屋市西区の庄内緑地陸上競技場で開かれ、県下団員 , 余人が参加、トラック、フ
ィールドで元気いっぱいの競技を繰り広げた。
晴天に恵まれたこの日、朴炳憲民団中央本部団長、金昌式体育会中央会長、金昌錫駐名
古屋総領事ら来賓が参席する中、午前9時 分に県下 支部による整然とした正々堂々
の入場行進が行われ大会の幕は切っておとされた。
姜大海大会会長、朴炳憲中央団長らの挨拶の後、前年度優勝の岡崎支部から車龍守君が
選手宣誓、小学生 m走を皮切りに競技がスタートした。
二人三脚、障害物競走、アメ喰い競走、来賓によるミニサッカー、スプーンレース、女
子 m走、男子 , m走などの競技がグランドいっぱいに繰り広げられた。
午後からは、各種決勝レース、青年会による「車戦ノリ」
、各支部の農楽などで運動会
の雰囲気は最高に盛り上がった。特に 数年ぶりに復活した民俗伝統芸能「車戦ノリ」
の出来は素晴らしく、青年会員による農楽、タルチュムと雄壮な車戦に会場から大きな拍
手が沸いた。なおこの運動会の総合優勝は 年の第9回大会につづき岡崎支部が獲得
した。
愛知韓国人会館の建設事業(∼ 年)
名古屋市中村区椿町の民団愛知県本部会館は 年に建設され、愛知県下団員の活動
拠点として大きな役割を果してきた。その間 年の歳月が経過する間に、めまぐるしく
変化した社会情勢と民団愛知の飛躍的な発展により会館自体が手狭となり、新しい時代に
相応する新会館建設が切実に要望されるに至った。
◉ ቼ ‫و‬ᒱ஽٥஁݃‫͢׆‬ȟ੪ᝓ
このような時代の流れの中で、時あたかも本部会館移転問題が可能な諸般与件が確立さ
れる雰囲気が造成されてきた。 年2月7日に召集された第 回臨時地方委員会にお
いて、
姜大海団長は「長年にわたりわれわれ愛知民団会館建設を念願してきた宿願事業も、
現時局の流れに力をえて、莫大な移転建築費を団員各自に一切負担をかけず、有志 余
名の協力で会館移転建設が必ず成就するものと確信し、第 回臨時地方委員会を開催し、
本事業推進の承認を受けたい」と力強く挨拶するとともに「本事業は一つの民族的大事業
である。だからわれわれ全てが一致団結し、子孫に残す大遺産を創るために一層の努力と
216
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
協力をお願いしたい」と訴えた。
◉ ঢ়ᅺᬤ̷ّ͢ᮁ࣮ᜫ݃‫͢׆‬ᄉᠴ
第 回臨時地方委員会の決定
をうけて、会館建設の実質的な推
進母体となる「愛知韓国人会館建
設委員会」の発足式と第1回会議
が、2月 日午後 時から名古屋
韓国学校で開かれ、 余名の建
設委員が出席した。会議では建設
委員 名が正式に発表されると
▲ 第回臨時地方委員会が開催され、民団愛知県本部の
会館移転・新築することを決定した(年2月7日)
ともに建設小委員会の発足を決めた。
◉ ௔ɟɗȞȾ቞ࡾࣻમᚐ
民団愛知同胞の夢が遂に実現した。前年2月から建設を進めていた「愛知韓国人会館」
の竣工式が、 年2月 日、名古屋市中村区亀島の新会館で盛大かつ晴れやかに行わ
れた。式は、神事のあと、テープカット、記念式典、祝賀会、芸能公演とつづき、出席し
た来賓からは「新会館の落成を心より祝福する」との祝辞が寄せられ、愛知県下の同胞は
大きな喜びに包まれた。
この日は前日のはげしい雨もすっかり上がり、すみきった晴天に恵まれた。午前9時か
ら州崎神社の宮司による神事がとり行われ、民団愛知県本部三機関長、玉岡設計、松村組
がそれぞれ玉串を奉奠した。
その後、正面玄関前において姜大海建設委員会委員長(民団愛知県本部団長)
、朴炳憲
民団中央本部団長、朴太煥中央議長、辛容祥中央監察委員長、李源京駐日大使、朴泰俊韓
日議連会長、金顕煜韓国国会外務統一委員長、洪承昊駐名古屋総領事、杉戸清愛知日韓協
会長、李熙健中央本部常任顧問、
石田幸四郎公明党副委員長、佐治
正之愛知県参事、劉学燮民団愛知
県本部顧問、金宰淑議長、崔東佑
監察委員長をはじめ 名により
テープカットが行われた。
5階大ホールで開かれた竣工式
典には全国地方団長、事務局長、
日本側来賓、民団愛知関係者らあ
わせて 余名が参席した。
国民儀礼の後、挨拶に立った姜
建設委員長は「朝夕に洗面するこ
▲ 内外の来賓多数が参席して竣工式が挙行された
(年2月日)
217
ቼᴮኲ ෢‫ي‬ঢ়ᅺᅇట᥂ ࢳɁඬɒ
とがごとく清新な気持ちでこの事業を遂行することができた。今後は民族的殿堂として、
民団組織の発展はもとより韓日親善事業の拠点として十分に活用していきたい」と述べ、
これまで会館建設に尽力のあった関係者に謝意を表わした。また、前日には姜英勲大韓民
国国務総理より感激のメッセージがあったこともあわせて報告された。
つづいて工事関係者の玉岡設計と松村組及び今回の会館建設に多大な貢献があった有志
人の代表として李武林、権東鉉の両氏にそれぞれ感謝状が贈呈された。
この後、朴民団中央団長は「愛知韓国人会館の竣工は発展する 世紀の同胞社会の希
望となるものである」と心から祝福した。また本国からかけつけた政府関係者、国会議員、
李大使らも「新会館の竣工は在日同胞社会の慶事」と祝辞を述べた。金胤鎰民団愛知県本
部顧問による万歳三唱により記念式典は終了。この後、青年会愛知の会員らが壇上に駆け
上がり、姜団長を胴上げ、この突然の ハプニング に会場には感動の渦が広がった。
参席者はこの後1階の広場で祝賀会に臨んだ。民団愛知県本部三機関長による「鏡割り」
が行われ、鄭煥麒民団県本部顧問による乾杯の後、華やかに祝賀会の幕が開かれた。宴会
場のあちらこちらで談笑の輪が広がる中、参加者からは祝福の声が寄せられた。
午後1時過ぎからは5階ホールで記念芸能公演が行われ、婦人会愛知県本部全員による
合唱や本国女性歌舞団の舞踏、歌謡ショー、さらに夜には青年会員による農楽が行われ、
参加者は終日楽しい雰囲気で竣工の喜びを味わった。
民団愛知県地方本部奨学会を設立
民団愛知県本部会館(愛知韓国人会館)の新築を記念して、 年 月同事業に寄与
した有志 名が誠金を拠出し、基金1億 , 万円を確保。同胞社会の後継者養成、同胞
子弟の教育振興の一助とするために奨学会制度の導入を決議し、準備委員会委員長に姜大
海を選出した。
年 月 日、民団愛知県
本部会館会議室において「設立準
備委員会第1回会議」を開催し、
これには 名の委員が出席した。
会議では、経過報告、役員構成な
どが行われ、名称を「民団愛知県
地方本部奨学会」にすることを決
め、具体的な奨学金支給について
も、細目にわたり諸事項を検討し、
早急に実施することが決まった。
▲ 新会館設立を記念して奨学会を設立
218
ቼ ቛǽᄉࠕఙɁ෢‫ي‬ঢ়ᅺ ¨©
◉ ‫͢ޙܟ‬म‫׆‬ջԨ
理 事 長:姜大海
常任理事:鄭興圭 金要求 李東旭
監 事:姜仲弘 趙樟浩
選考委員:姜大海 金永徳 洪達源 鄭興圭 金要求 李東旭 朴尚根 (順不同)
民団愛知県地方本部奨学金の第1回支給式は、 年6月 日、愛知韓国人会館にお
いて挙行された。
愛知で 全国団長会議開く
年3月の中央委員会を前に、 全国地方団長会議が2月 日名古屋市西区のホテ
ルナゴヤキャッスルで開かれた。
朴炳憲民団中央団長は開会挨拶で、7・7特別宣言以降の時局に関して「7・7特別宣言
以降の開放ムードのために在日同胞の中には浮かれている向きがあるが、北韓や朝総連に
変わったところは何一つない。われわれの対北韓姿勢が変化したからといって混同しては
ならない」とし、
「われわれは和合しうる土台を追及するためまず中傷・謀略を中止し、
共同利益を追及していく」と語り、最近の浮かれムードに警鐘を鳴らした。
式後会議に入り、丁海龍事務総長が団務報告で前年度の運動(ソウルオリンピック 日間運動、国事犯特赦請願運動、その他)を報告した。このあとソウルオリンピック後の
税務当局による課税強化問題、遊技業に対するプリペイドカード制導入問題などが重点的
に話し合われた。また時局と関連する組織的対処について和合増進の活動を進めるが、個
人と組織を厳格に区別し、組織的対話や交流は中央次元に局限することを周知させた。
主要運動と関連、まず生活権確立
運動を推進するが、目標を、①信用
組合預金増強②遊技業のプリペイド
カード制導入動向への対処③保険事
業拡大④節税対策事業などに置き、
特にプリペイドカード制導入動向に
ついては商工連合会が主導して地方
商工会に同胞業体間の協議体を設置
し、当事者の意見を収集し、制度導
入動向に対する対策を樹立すること
にした。
▲ 愛知で全国地方団体長会議開く
(年2月日、ホテルナゴヤキャッスル)
219
Fly UP