Comments
Description
Transcript
介護保険制度の地域格差問題 ―有料老人ホーム市場に見る参入規制効果
介護保険制度の地域格差問題 ―有料老人ホーム市場に見る参入規制効果― 政策研究大学院大学 まちづくりプログラム MJU09062 露久保 光平 1.はじめに する責務は最少の行政組織である自治体に帰属してい 現行の介護保険制度では有料老人ホーム設立にあたり、 ること、サービス供給の管理と保険料徴収の地域性など 自治体からの許可が必要である。しかし、有料老人ホー の理由により地方自治体が行うこととされた。 ムの設立は介護サービスの一部が自治体の負担となる 2-1-2 財政と費用負担 ことから、財政状況が悪化している自治体においては自 介護保険制度では各保険者は特別会計を設けなけ 由な参入を認めないことが起こりうる。 ればならない(法第 3 条)。会計期間は年度ごとの会計と 本稿では、保険者の歳入に占める介護給付費準備基 なっており、その財源は国、県、市町村、保険料で賄わ 金繰入金、財政安定化基金の割合が財政状況の悪化 れることとなる(法第 121 条~法第 153 条)。(図 1 参照) を示す変数であることに注目し、保険者財政の悪化に伴 図 1:介護保険制度財源の仕組み う参入規制効果が、利用料金に与える影響を、個別の 市町村 12.5% 有料老人ホームのデータを用いて実証的に分析する。 県 12.5% 国 25% 税金50% 施設給付の場合は国20%、 都道府県17.5% 分析の結果、保険者の財政状況の悪化は、有料老人 ホーム利用料金に最大で約17%の価格上昇をもたらす 第1号被保険者分 約20% 第2号被保険者分 約30% 保険料50% ことが観察された。これは、介護保険サービスについて 地域間に格差が生じている事を示している。この地域格 財政安定化基金 介護給付費準備基金繰入金 差解消のためには、国による制度運営、または保険者の 広域化などの運営規模の再検討が必要といえるだろう。 (出典)厚生労働省資料より筆者作成 2.自治体が直面する介護保険の現状 制度開始以降、回避しがたい給付費不足に陥った場 2-1 介護保険制度の概要 合には保険料の増額、財政安定化基金(法第 147 条)の 2-1-1 保険者・被保険者 利用。もしくは介護給付費準備基金繰入金を用いての 介護保険制度は急速な少子高齢化の進展に対応す 対応となる。 るための、社会保障構造改革として打ち出され、国民だ 2-1-3 制度改正 れしもが、身近に必要な介護サービスが手に入れられる 逆選択による市場の非効率性を改善するための情報 システムを構築していくことが必要であるとの理念に基づ 整備。本稿の実証ではこの改正により整備された情報シ き制度設計されたものである。 ステムを採用している。また、サービスの質の確保の観 点から、有料老人ホームの定義が見直された1。 対象者は被保険者として年齢に応じて強制的に加入 することになる。保険者(市町村)は介護保険事業の主 2-2 サービス利用状況と有料老人ホーム市場 体であり、加入手続きに始まる資格管理、保険料の徴収、 2-2-1 認定者の現状 あわせて国・県からの負担金などを財源に介護保険特 近年の傾向として目立つことに要介護度の比較的軽 別会計内にて財政の運営を行い、また運営全般に関わ 度な認定者の割合が増していることがある。 ることでは条例、介護保険実施計画の策定をする。介護 1 保険事業を運営する保険者は住民の福祉の向上に対 介護保険法改正と同時に老人福祉法第29条の改正がなさ れた。 -1- 2-2-2 介護サービスの現状と有料老人ホーム ってだれしもが利用への動機を持つ種類の財ではなく、 比較的軽度な認定者の割合が多くなっていること、有 利用の必要がある人(利用者)の尽きない範囲内で需要 料老人ホームがその受け皿となっていることも鑑みると は非代替的であるといえる。 こうした性質を持つ市場に起こる参入規制の効果を、 需要は増大している。(図 2 参照) 図 3 八田(2008 97 項)のモデルを参考に検討する。縦 図 2:施設数の推移 軸に有料老人ホーム利用価格、横軸に数量(床数)をと 3000 る。市場における供給曲線をS、需要曲線をDとする。最 2500 2000 適な均衡点は E 点とする。その際価格はPe、数量は Qe 養護老人ホーム 1500 ケアハウス となる。参入規制が働くと、供給曲線は Sf からSrへと変 有料老人ホーム 1000 化する(f は free、r は regulation の略)。数量は Qe から 500 0 2001 2002 2003 2004 2005 2006 Qr へと変化し均衡点はRとなる。そして価格はPe から Pr 2007 へと上昇する。この上昇が財政悪化による価格プレミア (出典)厚生労働省「社会福祉施設等調査報告」より筆者作成 ムと考えられる。(図 3 参照) 3.介護保険制度にみる地域格差問題 3-1 市町村のインセンティブ 図 3:参入規制時の有料老人ホーム市場の供給変化 サービス利用の補助を各保険者(市町村)が担うこと 価格 で、保険者は給付費抑制に対して強いインセンティブを 参入規制時 Sr 自由参入状態 持つようになる。財源確保のためには二つの方法がある。 一つに介護保険料の引き上げである。しかし域内被保 Sf Pr 険者にとっては目に見える負担の増加がもたらされるた R E Pe=ATC めに行いにくい。二つ目の方法として給付費増加の抑 制である。抑制段階では利用者の目に触れることがなく D Qr 保険者としては一つめの方法と比べると採用しやすい。 Qe 床数 (出典)八田(2008)97項より作成 3-2 参入規制が生じる過程 4.実証分析 有料老人ホーム開設には品質維持、域内の過剰な開 4-1 推計方法と推計モデル 発をコントロールするため県による許可制度が存在あり、 財政状況が悪化した保険者による参入規制効果が有料老 それには市長村長の意見書が必要となる。許可の目安 人ホーム市場の価格上昇をもたらしている、という仮説を実証 として保険者が作成する事業実施計画があり、域内の需 するためにまず、長期における企業の市場参入・退出の 要を見込んで計画期間内における施設予定数(目標) モデルを考える。 が記載される。この計画数の設定には保険者による裁量 企業の総収入をTR、総費用をTCと表すと、企業は、 の余地がある。そうした目標値を理由に新規事業者に対 (TC>TR)であれば市場から退出する。両辺を生産量 して事業を認めないという参入規制を保険者が行う。そ Qで割ると(TC/Q>TR/Q)と書ける。TR/Qが平均収 の傾向は、給付費抑制を果たしたい財政状況が悪化し 入で価格Pと等しいこと。TC/Qは平均総費用ATCであ ている市町村(保険者)ほど生じる。 ることよりこの式は、(P>ATC)と変換できる。すなわち 3-3 老人ホーム市場の経済分析 企業は、財の価格が平均総費用より小さければ市場か 現在有料老人ホームは参入障壁となる技術的要素は ら退出し、大きければ市場に参入するということが言える。 なく、事業が民間企にも認められてことにより参入の自由 つまり参入と退出は平均費用と価格が等しくなったとき な市場といえるであろう。また、価格が低くなったからと言 のみ終了する。競争企業は価格と限界費用が等しくなる -2- ように生産を行うため、価格が限界費用と平均総費用に を表した、サービス提供状況の指標。 等しいのであれば、限界費用と平均総費用が等しいこと ④夜間介護対応体制:夜間の介護についても介護保険 になる。その状態を満たすのは、企業が平均総費用の 制度を利用できるか否か。 最小値で操業しているときである。平均総費用の最小値 ⑤入居定員:施設の受け入れ可能数を表す。数値が大 に対応した生産量は企業にとっての効率的規模である きいほど施設そのものが大きく規模を示す指標。 が、この効率的な規模は参入規制効果により妨げられ ⑥個室:個人が生活する居室の広さ。 る。 ⑦県ダミー:地域特性をコントロールするために調査対 価格の上昇は財政状況が悪化した保険者にて生じる 象とした県を表すダミー変数を用いた。 ので、以下に示す財政状況は価格プレミアム(価格の上 データは千葉県、茨城県、埼玉県、群馬県、栃木県、 昇)の代理変数として用いるのに有力な指標である。そ 神奈川県、山梨県、長野県に所在する有料老人ホーム のほか平均総費用を説明する変数として地価、介護サ を対象とした。東京都、横浜市については保険者の状況 ービス体制、占有個室面積などを用いる。これら有料老 が全国的にも特異なため除いた。 人ホーム価格を決める諸要件のクロスセクションデータ 4-3 データの基本統計量 を用いて、最小2乗法(OLS)により推計を行った。 表1 基本統計量 変数名 図4:推計式イメージ 理論式 P = ATC + 価格プレミアム 変数 財政状況 Obs Mean Std.Dev. Min Max 老人ホーム価格・割引率20%(円) 409 15300000 6355054 4462000 49100000 老人ホーム価格・割引率15%(円) 409 18800000 6829459 5616000 54500000 老人ホーム価格・割引率10%(円) 409 25800000 8020871 7924000 77600000 財政状況(基金繰入額+貸付金/歳入) 409 0.021 0.012 0.000 0.060 地価(円/㎡) 409 138708 85008 11100 542000 有料老人 地価、介護サービス体制、 介護サービス体制(人) 409 2.213 0.599 0.130 ホーム価格 夜間介護対応体制、 夜間介護対応体制(ダミー) 409 0.050 0.500 0 1 入居定員、個室、県ダミー 入居可能者数(人) 409 69.868 63.458 10 490 住居個室面積(㎡) 409 20.041 9.641 8.37 県ダミー yes 推計式 lnY =β0 + β1 x1 + ・・・ + βk xk 5.59 63.66 +e 注)2データは各県に設置される、介護サービス情報公表システムHPより抽出。千葉県(http://www.kaigo.pref.chiba.lg.jp/)埼玉県 (http://www.kohyo-saitama.net/kaigosip/Top.do)茨城県(http://ibaraki-kouhyou.as.wakwak.ne.jp/kouhyou/Top.do)群馬県 (http://www.kaigo-joho.pref.gunma.jp/)神奈川県(http://center.kaigo-kouhyou-kanagawa.jp/)栃木県(http://www.tkjcenter.jp/kaigosip/Top.do)山梨県(http://www.kaigo-kouhyo-yamanashi.jp/kaigosip/Top.do) 4-2 説明変数・被説明変数説明 Y:被説明変数 4-4 推計結果 価格:有料老人ホームにかかる 1 か月あたりの費用、入 表2 居の際に必要となる一時金について抽出。 推計結果 入居期間 5 年を想定した割引率20%を月額費用に勘 割引率20% OLS 案し算出した。またこの設定は恣意的であるため推計結 ln価格(円) 財政状況 果をより頑健なものにするために割引率を15%、10%と 入居一時金+(1 か月の費用/割引率)=費用 X1~Xk:説明変数 ①財政状況:介護保険特別会計歳入中の介護給付費 割引率15% t値 3.215 ** 2.43 係数 割引率10% t値 2.880 ** 2.40 係数 t値 2.487 *** 2.32 1.150 *** 5.19 9.980 *** 4.97 8.130 *** 4.51 介護サービス体制 -9.619 *** -3.87 -8.254 *** -3.67 -6.608 *** -3.27 夜間介護対応体制 4.308 *** 3.41 1.005 *** 3.77 1.007 *** 4.20 入居可能者数 9.309 *** 3.41 7.392 *** 2.99 4.879 *** 2.20 住居個室面積 1.332 *** 7.46 1.116 *** 6.91 8.454 *** 5.84 地域ダミー yes 地価 設定した推計も行う。 係数 yes 16.095 *** 150.22 yes 16.375 *** 168.91 16.780 *** 準備基金繰入金と財政安定化基金貸付金の繰入れ割 定数項 合。数値が大きいと財政が悪化していることを表す。 補正R2値 0.4159 0.3985 0.3601 F値 0.0000 0.0000 0.0000 409 409 409 ②地価:平成 21 年公示地価より施設の最寄り地点。 サンプル数 ③介護サービス体制:従業員あたりが対応する入居者数 (注1)***,**,*はそれぞれ1%,5%,10%で統計的に有意であることを示す 193.03 (注2)財政状況は小数点第3位にて四捨五入、地価は1000000倍、介護サービス体制は100倍、夜間介護対応体制は 10000倍、入居可能者数は10000倍、住居可能面積は100倍して表示してある。 -3- 5.政策提言 各説明変数の符号は有意に仮説通りであり、割引率1 介護保険制度は、最低限度の生活を営むことができ 0%、15%、20%いずれの推計においても財政状況は るようにそのリスクを社会的に保障し、所得の再分配を通 価格に対して有意に影響を与えているため結果は頑健 じて介護利用における機会の均等を保障している。本稿 であるといえる。 では保険者(市町村)の財政状況の格差が、機会の均 4-5 考察 等を目指した制度とは異なり、有料老人ホーム市場に 財政状況の違いによる価格差を把握する。 割引率 おいて価格差として観察された。この地域格差を是正す 20%の結果に着目していく。価格プレミアムを算出する るために以下の通り提言する。 ために以下を計算。 国による一元的な制度運営 clnprice=price-βx 地域格差の解消に有効であり、福祉競争が回避でき (c は counter factual の略) 財政状況が有料老人ホーム価格に与える影響を価格プ るであろう。しかし、膨大な行政コストが生じる。この制度 レアムとして算出する。 が被保険者データ、地域特性を最もよく把握している地 premium=exp(price)-exp(clnprice) 方自治体であるからこそ成り立っていることも忘れてはな そして最終的に価格プレミアムが有料老人ホーム価格 らない。また財源管理がないことによる、認定事務、保険 に及ぼす影響を算出し分析を進める。(ir=increase rate) 料徴収事務における市町村によるモラルハザードも懸念 ir=premium/price*100 される。 ir の基本統計量を示す。(表 3 参照) 市町村が保険者であり財源は国で負担 国による財源管理は福祉競争回避に有効であり、か つ市町村保険者による運営は利用者本人のサービス供 表 3:ir の基本等軽量 給に有効であろう。しかし問題点として国による財源管 割引率20% Obs ir 409 Mean Std.Dev. 6.35282 3.45965 Min Max 理が認定事務、介護保険料の徴収事務等にたずさわる 0 17.6633 市町村のモラルハザードを引き起こす可能性はいまだ Max に注目するとより財政が切迫している保険者では 否定できない。 そうでない保険者と比べて約 17.66%、老人ホームが高 保険者の広域化、最適な運営規模の検討 くなっていることを示している。価格プレミアムを具体的 広域化により行政事務の効率化、近隣市町村におけ に金額表示すると、その価格差の最大値は約 300 万円 る財政規模の拡大による地域差の解消が期待できる。 を超える。(図 5 参照) しかし問題点として、地域特性が広域に及ぶ場合は 図 5:価格プレミアムと頻度(割引率 20%) 保 険 者 数 やはりその地域と他地域との格差解消は果たし得ないで 140 あろう。また、この広域化は市町村のモラルハザードを回 120 避することに絶対的な効力をもっているわけではなく、保 100 険者の最適な規模の把握は今後も検討課題である。少 80 なくとも本研究で実証した地域格差解消のためには、現 60 行の市町村=保険者という形を見直す必要がある。 40 20 0 金額 -4-