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Kobe University Repository : Kernel
Title
<論説>英米法と大陸法
Author(s)
田中, 保太郎
Citation
国民経済雑誌,73(5):1-31
Issue date
1942-11
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00055695
Create Date: 2017-03-31
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法
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陸
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米
大
英米法と大陸法
円六一=一)
7
カン法は勿論英米法師ち庚義のコン モン・ロウの法律関制である 。とのこうとも 羅馬法 どグルマン法の融合より成る
創造されたもりであると云ふよ 註 二伎の一五ふロマネスク法律間制は現代羅馬法卸ち欧洲大陸法制であり・アングリ
及び回教法は或程度まで 純粋の障制 として 残り ‘ ロマ、ネスク法及びアングリカン法の二つは融合臨制として新らしく
馬法.グルマン法、スラプ法‘海法、及び日本法は他の法律悟制との融合担制として存在し.支部法、ヒンヅ l法
、
法、メソポタミア法.ギu
'シヤ法‘ ヘプ一フイ法、ケルト法.及び基督教合法は既に法律障制としての地位を失ひ.羅
ルマン法、スラプ法、基替数合法、 ロ?ネスク法、及アングp カン法の十六を掲げ、 との中の六つ、郎ち・ エヂプト
法、メソポタミア法、ヘプライ法、支那法、ヒンヅ l法.ギリシャ法、肌柏崎法、海法、日本法、回数法.ヶルト法、日
ウイグモアは共著﹁世界法律問制のパノラマ﹂に於て、世界に生起した法律問制の名に債ずるものとしてエヂプト
英
第七十一一一容
第五議
三八一四﹀
もりであるが,欧洲大陸法は羅馬法を包括的に縫受して居ると云 ふ建前から現代羅馬法と稿せられて.ヂルマン法を
基調とする英米法と封立せしめられてをる。
Kそのご乞保つものであるとする。例へばジエンクスは、﹁寅質的に見て現代の世界は唯
英米の筆者及び大陸 O英米法研究家は好んで英米法と大限法印ち現代目維民法系との封立を詑き・この雨法系が現代
文明諸閣の法制を二分して各
二つの偉大怠る濁創的の法律髄制を認める、羅馬法とイギリス法、印ち之れである﹂と一式ひ、円紘 )ホ1 ルズウオ l
一
一
スも亦一六‘七世紀に於けるイギリス法の殻展過程を述べた後に、イギリス法はとの時既に﹁島図的な館制ではな
︿、羅馬法と共に現代文明世界を二分すペく運命づけられて居たものである ﹂としてをる。円 註三 ﹀ポロ ック は﹁現代
V
レピイウルマン、円設さ シワルツ、(註六)品目ザの大
法律撃に於て羅馬のもの又は羅ぽ仰の型にはめられたもので・なければ.イギリスのものである﹂としてイギリス法が羅
馬法の征服から兎れたこと乞比舵法阜のために喜んでゐる。(訟問
陀に於ける英米法研究家も亦同様 に雨法系の釘立を認めてをる。
とれらの見解は四つのととを意味するものと考へる。その一はイギF ス法は 国有の グルマン法が濁自的強展を途げ
たものであり.羅馬法の影響によってその濁自性を失はれてゐないととである。そのこは大陸諸国が羅民法を包括的
に纏受してその法制の基礎としてをり、此等の諸国の法律腫制に於ける回有法的要素は続出向法に睦倒されてをるとと
でるる。その三はとの雨法系の勢力が相拾抗して世界を支配してをるととである。その四は師法系の聞には一を他と
直別すぺき根本的の相違があるととである。之は前掲の三黙と密接な闘係をもつものでるるが一躍分けて考へるとと
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が便宜である。。との四つ貼のうちっこ.三は本稿で設き.第四の貼はその質的 重要性とその論述の量的長さとに
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鑑み、直に本稿に続︿別稿としたい。本稿はとの別稿﹁英米法の特徴﹂の序設と見てもよい
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(註六)
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英米法と大陸法
ハ六一五)
に賞ってイギ'ス法に大きか仏影響を興へたフランク法ハとの影響の重要さはイギリス法をフランク法の子孫と見る設
たノルマン人も何れも隊一洲太陸の北西海岸地方に位したグルマン人であり、ノルマン人によるコンモン・ロウの形成
合興したデ l ン人も、最後に来ってコンモン・ロウを作りあげ
再ふ文字を出
柏遅れて来って.イギリス法に法ハZ4
﹃)と 一
た狭義のアングロサクソン人のダルマン的法律慣習に殆ど影響を民へなかったととは史家の一迎設の 認める所であり、
間羅馬の支配下にあったととによって受け入れられ経馬法とは、 五世相以来イギリスに伝入してブリトン人を駆逐し
イギリスの先住民族としてプリテンと云ふ名稿の起因と伝ったプリトン人の固有法たるケルト法と、彼等が数世紀
イギ官ノス法のグ y ?ン 法 的 性 質 と 羅 馬 法 の 影 響
ー
、
一
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.
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.
第七十一 巻
一
一
第五披
グルマン法を基調とするものであるととが一際承認せられるであらう。
2八一六﹀
羅馬法がイギリス法に興へた 影響如何に 就 いては. 一九世紀の末頃までは民の陸史的研究の不足と.イギ
特別の部門に於ては部会的の櫨受が行はれた、しかし会慢としては形式に於ても貰質に於ても、イギF ス特有の性質
ってしたものである﹂と云ふ(註 さ 。更に大陸に於けるイギP ス法研究の大家 レピイウルマンの言葉を借りれば、﹁或
に配するに直接若くは間接的に羅馬法から受入れた或程度の素材の迫加と可成重要な程度の形式の埠加又は修正を以
化され、同化されたのであった﹂ハ詑ニ ﹀。ポロック及びメ lト
一アンドも﹁イギリス法はグルマン的慣習を根幹とし、之
禁とはなら-なかった。苦人が受け入れた羅馬法は羅馬法的な方向に設展せしめられなかった。それはイギリス法に蹄
仏 8
るとして受け入れたのでb る。羅馬法はイギ F ス国有法 D強准刑としての作用をしたのであって麻酔剤若くは毒
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邑-FogSMMREn
々は羅馬法を採り入れた。しかし苦々は之を臭った時期に必要に 賂 じて少量の類似療法的投薬 (SS
局的な結論は 誤りが ・
なからうと思はれる。イギリスに於け るかかる問題の最高構成たるホールズウオ lスは云ふ﹁吾
lpスが興へた影響 に閲する全面的な隠史は未だ書 かる べきである﹂と述ペてをる。しかし今日の遁設が到達した大
註
一 )の 著者 オリパーは、﹁イギリス法の 全殻展段階を通じてコルプス・ユ
リス裁判所の現代的判例に於ける羅馬法﹂(
ゐたととは否めない。ブラ ックストーンが英法樺議 の第 一章 に説くととろ左どはその頴箸なる例である。最近に﹁イギ
濁自性を強調せんとする愛国的熱情のために、イギリス法の竪同盟に迫った羅馬法の完敗を誇張する傾向に果せられて
ny
ス法の
が一時大陸のイギ F ス法研究家の聞に流行した程である﹀も亦グルマン法的のものあるととを思へば‘イギリス法が
四
を保持したりである、手捜法も、貰髄法規も.制度も方法もさうであった﹂門誌四 ﹀斯くて.今日のイギ9 ス法はドイ
ン・ロウの純イギリ ス位 守口司四回ロ色町田宮司﹀を過大に 誇る傾 向がるる。しかしとの濁自性は
と云はれるの である。とのイ ギF ス法の 羅馬法からの樹立の得失に ついてメ lトランドは云ふ。
ツの法制よりもヂルマン的であ り ベ設五 )﹁イギリス人は羅馬を除けば固有法を保持 し、之を登展せしめた西洋唯一の
U
kは梢々もすればコンモ
国民である﹂︹ 訟六
﹁
吾
良い結果ばかりを溺らしたのではない。吾人が隣人のした如く、羅馬法を械受 しマ﹂居たとすれば 苦々 が陥った多︿
料品法を縮交したりとせば恐らく絶封君主制を伴ったであらうと思はれる政治
の混乱を量れ得たであらう。しかし 肌
kにとっても世界にとっても良かったのであらうと思はれる。吾々は手近に
的な方面を論外とするも、苦々が五日々の経験的な方法で蹴き・ながら歩を進め、大きな誤によって賢くたって行った
(
巴
ロ
ロ
仏
四
円
山
口
町
民
ロ
g 主的仏OB) ととは多分五日
ある虎の巻を伎はなかった皐宜の道徳的た意気を感歩るととを許されるでるらうし、真面目に自ら研究したものを興
へられる耐幅を望んでもよいだらう﹂とハ 註七Y
羅馬法がイギリス法の如何なる部門に如何なる時期に於て影響したかに就ては勿論詳説する飴裕をもたないが.と
与には二階法源別と時代別とに之を要約して見ょう。
先づ之を法源別に見る。イギ P ス法の基本的部分たる最狭義のコンモン・ロウは、ノルマン征服後約二世紀の聞に
被征服民族たるアングロサクソン民族の固有の慣習を基礎とし、若くは少・泣くとも斯く標椋しつ L下された普通法裁
円六一七﹀
判所の判例によって形成せられたものであり・その基礎となったアングロサクソン法はアングロサクソン人の基督教
英米法左大陸法
五
第七十一二血管
第五貌
(六一八)
Lる判事が極
邸加が顕著に現はれて居るとと。グランピルの著ハとの 書 が異に彼の筆にな るか否かは史家 の疑門とする所であるが﹀
のより 重要 た略主同名の 書 (ωgnSPOOML品552の025E円忠良σ5﹀ロ色町)にも、か Lる傾向を物語る羅馬法的な色
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H田吉田内凶刊戸内岡山σ52。
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C間関刊間口町﹀ロ丘町お)にも、 一三社組の・中頃に書かれたプラ グトン
期目論ハ。目白ロ429 凶a
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伺 島三
まで整理し、補充し又は挺更したととは極めて自然であるとと. 一一一世紀の末葉に出たグランビルのイギリス法律慣
とを槙棒し‘且つ大煙にが、て事賢さうしたとしても、続的法的な 技術 .法迎、概念叉は法規を以って土蒋法 を或程度
めて幼稚で、不明瞭で、地方的分裂の甚しいアングロサクソン法に直面したのでるるから、たとへ之を慕躍とすると
一世の頃迄僧侶であるととが 多く、従って 数合法とその背景をなす椛馬訟の智識を持 ってゐたとと、か
ド大壊に於ける緑馬法教育の某礎を築いたとと . コンモン、 ロウの形成の任に営った関王裁判所の判事はエドワード
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ロ胆)皐抵 の ぐ忠良宮田が雑防法の一講義をし 日一つ著書を出して、オックスフォ l
と、セヲパルドの招科したポロナ(回o
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Oげ回目仏が相次でカンタベリーの大儒正の要職に就いたと
て時用したとと、ランフランクの教を受けた﹀ロ白色B と .
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n をその助言者とし
ウイFアム征服王が営時羅馬法串界の最高の権威として知られたパピ ア (342)思抵の F
との時期に於ける経馬法の影響の霊要性は 、蛍時の法の内容に縮、札、?とも失の如き事情から理解し得るであらう。
は史家の遁設の認める所である。
最も稀薄な部分である .しかし. コンモン・ロウがそ の形成羽に於ては可成著しい程度に羅馬法の恩躍に浴したとと
化による影響の外は殆ど羅馬法の影響を受けぬものであるから‘間有法的色彩の最も濃厚友、従って羅馬法の影響の
六
ヘンリ二世の主席法官であった著者がその主宰 する闘王裁判所の慣行を叙述したものであるが、 メ lトランドは
英米法と大陸法
2ハ一九﹀
士
争者として勢力を遅うし、普通法裁判所の訴訟事件を 奪 って之を無柳に苦しめた星座 裁判所共他の羅馬法的色彩の濃
てゐた所程最も痛烈であった﹂と云った言葉(
泣八﹀を想起すべきであらう。 コンモン・ロウはとの危機に於て、その競
得たのである。との姑に 閲 してはメ 1トランドが欧洲 諸関κ釘 ずる悶 l マ法 の誕繋 K ついて﹁攻 想が最も長︿延され
議運に乗じて .ド fツを風即してイギ F スに 迫った一新民法の進撃に堪へてその危機を股し.共後の濁自的殻民を・なし
固とも云ふ べきコンモン・口ウ法曹の闘力なる開館 に詫られて居たれば とそ、 一六世紀に於ける膨肝たる文 整復興 の
にが、て相官注視皮まで羅防法の合開主誌の洗脳 E受けて夙にかい一閣に殻カを有する統一的な法律髄制を整へ、その騎士
要するにコンモン、 ロウへの雑ん法の影響はその形成期に於て技大なるものがあり、 コンモン ・ロウがその形成期
ひた約?九百の事件 の訴訟記鋭からの抜翠が牧められてをる。
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と叙越の方法の外に、若干の俗 一同と法則と bL
之より借川してをる。しかしとの書の主たる内容は関王裁判所の判例で
一
営
gR8.白208 切oow には、 プラク トンがとの 書の材料 として用
一九世紐 にピノグラドフによって資比され た 回
重要なる地位を占めるものであるが 、著者はボロナ阜抵の業総を集成した ﹀ NOの註時書にm一よ所多く、との書の控系
は、五世紀の後にプラックストーンの英法樺義が出るまで之に匹敵する書を見なれったと云はれる程イギリス法史上
云ひ、羅馬法の影響による合理化の結果であるとしてをる。ハ註七)プラクトン (彼の由民の名は甲白神同 Oロである)の書
との書と七十年前のへン P 1 一世時代の法律蓄と を比較して、その距離は論理と悉意、理性と不合理の夫れであると
は
第七十三巻
第五貌
かれたと見るべきであらう。
ノルマン征服後間もなく成立したイギリスの数合裁判所は、
円六二 O)
により、然らざるときは羅馬法によって裁判をしたのでるり、 一八五七年以来とれらの事項の管轄概を新に設立され
は世俗的事項 と見る べき婚姻閥係及び遺言捻認につき管轄櫨を有し 、裁判に営つては‘数合法に規定存 するときは之
一九世相の中頃迄、純宗教的事項の外.今日の観念で
モン・ロウとはその形成期を具にする ものであるから‘ より新らしい時代の慣習なり 、道 徳翻に よってその基礎が築
捜した規範の主たる淵源はコンモン・ロウに於けると阿賀のもの、印ちイギP ス人の慣習及び遺徳翻であり、唯コン
向に殻展せ しめられたの であり 、今日の衡平法を構成する判例を下すに蛍って大法官共他の衡平法裁判所の判事が 依
はあるが、との影響 を制端に過火しするととは警戒せねばならない。悲しとの裁判所も結局はコンモン・ロウ的な方
れとは全く趣を異 にしたととから見 ても 、 コンモン・ロウに於けるよりも羅馬法の影響の太きいととの明かた部門で
平又は良心の名に於て自由裁量的裁判が行はれたとと.その裁判手続及びその興へた救済方法がコンモン・ロウのそ
べ︿起った大法官裁判所の判例より成る衡平法は、その初期に於ては致合法羅馬法の州目識生存する借侶によって、衡
式に街一や法を見る。強展的な形成却を過ぎて硬化期に入ったコシモン・ロウの硬直性を緩和し、その欠陥を補充す
展せしめ、 一八世紀には商人法をその韓系中に牧めてイギリスの経済的護展に順臆する法的機構を整へたの である。
り入れて時勢の護民に順醸し、とれらの裁判所の唯一の 残存者たる衡平法裁判所も漸衣コンモン・ロウ的な方向に護
い行政的裁判所を園舎の力を借りて打倒すると共に‘とれらの裁判所に於て費展せしめられた法理をその盟系中にと
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﹃
一
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曲ESSECzg曲)及び遺言検認裁判所有BZS
た園玉の裁判所たる離婚及び 婚姻事件裁判所223F U-4228仏
﹀
に 奪は れた後も‘之等の 世帯項に関する宗教合裁判所の判例は依然と して 効力を認められた ものであるから.
。23
れ等の一事項に閲する法は羅馬法及び敬合法の影響の設も著 しい部円で ある。
RnvgH) 及び海法 (BREs-担当)は.元来欧州商人聞の陸上及び海上取引の慣習法
商人法{戸時MBRE22FU司B
kが時成した裁判所に於て趨則され 、之 等の裁判所の謀頚若くは底止後は 、先づ主とし
として羅馬法の骨絡の上に 築きあげられたものである が、イギリスに於ては.中世には市 場及び海地都市にが、ける商
人裁判所及び 数人 の提替の各
一八位紀にはイギリス商法の父と柄せられるFo丘言自国民叩E 等の努力によって、普通法の一
) に泊川され 、持活法裁判所に於ても一七世紀以来先 づ事官た る慣習とし
て海世帯 高等法院 (呂ちのocRえ﹀仏253可
ての効力が認められ、
十九世紀以後の影響につ いて一言ずる必要がある 。
及び商人法をコンモンロウに採り入れた十八世紀に於て 最も著 しかったととは.上述する所で明であらう。と Lには
耳
ふ べきも のなく 、 コンモンロウの形成期たる 一二、 三世紀 、その危機 と云はれる一六世相.
よる影響を除いては殆E 一
羅馬法の影響を時代別に見るに、ノルマン征服前に於ては六世把の末に始ったアングロサクソン民族の基替教化に
に浴するとと大なりと一試はねば友ら左い。
部として採り入れられたものであるから、イギリス商法は大陸商法と同様の淵源を有するものであり、羅馬法の思津
と
円六二一)
オースチンを始組とする分析法間
半
は .殊にその初期に於ては 、概ね大陸法的な方法及び概念を借りてイギF ス法を
英米法と大陸法
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第七十三容
第五貌
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門誌六
(註一)
紀に於ける羅馬法の進撃によるコンモン、ロウの危機に相似たるものがある。
円六二一一﹀
要求に基くものであるが、英米法の最も根本的体統の一ったる法支配の概念と反封の傾向をもつものでるり、
一六世
委任立法の増加と、各種の行政機関への司法擁荒しくは準司法機の賦興は、大陸法の影響によると云ふよりも時勢の
ものであり.次第に増大する岡家作用の積観性に北部く椛力の行政機闘への集中の傾向、邸ち委任立法殊に所謂異常的
に於ける判例法の成文化の傾向と大撃に於ける法準教育の護謹 とは‘英米法を大陸法の体統に或程度迄接近せしめる
鰻系化ぜんと努力したのであり、之が法の形式及び内容に興へた影響は踊るえなるものがある。又十九世相後字以後
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大陸法に於ける羅馬法縫受の過程についてはと hに説くぺき眠りでたい
には、多数簡明者の一五ふ如く現代の欧
eと h
洲大陸諸国の法制を羅馬法の檎縫と見て、之を現代経路法と呼び、この意味に於て大陸法と英米法との調立を説くと
との受賞性をご臨反省 して 見るに止める 。勿論大陸法を現代結局 法なりとするととは 大陸諸閣の法 制 に於 ける 同有法
的要素の存在を谷定ずるものではない。英米法も ん人陪法 も共にはゲルマン法と経印刷法との 一
組
合 より 成るものであるが .
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前者に於てははヅルマン法的従来が 仲
間調をな すに 以し 、
後 者 に 於 ては羅防法的要 議が陸倒的でb ると 一
疋ふのであ る。尤も
英米の勝一
者の中にもとの大局内湖町議の例外を認めるものもある。例へばポ ロックは 、西洋の法律堕はグ ルマ ン法 と羅
'
馬法に二分し得るものとし、グルマン法 O主流なすものはイギリス法なあり・欧洲大陸一
諸 閣は概ね持品法の下に立つ
﹀
。 また ウ
ものなりとしつ h. スカ ンヂ ナピ ア諮問は唯一の明白な例外と し てグル マン法系に属するもの とす る(混 一
イグモアは、 欧洲大陸諸国を概ね現 代結局法に数へつ L. スカン デナピア諮問は間有法たるグルマン法的要素の濃厚
なるに 鑑 み之宮現代 経防法と 国ワルマ ン法 との融合憾制なりとし 、ソピヱ ットロ シヤ の法制を現代羅馬法 とスラプ法と
ソピエ ツ ト法と の融合悌制友 り としてをる 。とれらの 例外 よ り も 二 居注目すべきは現 下 のド イツ の法律憾 制 なある。
上越のポ ロックの 見解はド イツ 民法典施行 より 数日午後に護表されたものでるるが 、紋はド イツ 民法典を現代園民法墜
に新な出穫期を劃したものと見るべきものとし友い限りと云ふ留保を附してゐる。しかし,ウインドシヤイドのパン
デクテン教科書 を傑文の形に 書 き 改 め たに過ぎないとさへ 一
去はれたドイツ民法第一 草案がけゲ ルマ早ステンの活鴎によ
ハ六一ごニ)
って齢からヂゲルマン法的に 書 き換へら れたととは 周知の事賢であるが 、しかも向ドイツ 民法典を現代羅馬法 に敢へ
英米法と大陸法
第七十三容
第五貌
ハ六二回︾
るととは大局的に見て許されるであらう。問題はナチス・ドイツの法律障制についてである。羅馬法の排撃とグルマ
ン法への復蹄を高唱するナチスの法律盟制を現代羅馬法に属するものと云ふととが出来るであらうか。敵洲大陸の指
議闘たるドイツの法律関制につき斯く叫ばれる今日に於て命欧洲大陸諸闘の法制を現代雑馬法として 、グルマン法の
主流をなすものとしての英米法に釘立せしめるととが許されるであらうか @若しナチス法律串者の主張する羅馬法排
撃、グルマン法復蹄の聾が文字辺り官現したとすれば.ドイツの法律位制は英米法と等しくゲルマン法を基調とし、
現代羅馬訟とお立的のものとなる。現にナチスの法皐は可成イギリス法の体統に接近せるもののるるととは事賓であ
る。民族同有法の牢車、抽象的税念法問?の排斥、円民間的現質的なるもの L軍閥、抗日通法時代以来無数の製者の努力に
よって建 設され殻民ぜしめられ‘ 多くの訟作部門 の小でも北も 金主された民法制則の排斥の 聾及びナチス民法製者の
提唱する民法の新制別とイギリ スに於 て脱く行はれる私法の分知との 知似の如きはそれである 。
他方.指謀者主義、金剛相、主 誌 のナチス訟作間制が民主主括的にして例人主義的 、自由主義的色彩の濃厚な英米法と
は釣腕的友一面を有するととは勿論である。尤も英米法に於ても時勢の要求ハ戦時は論外とするも﹀に基く英米法律
2号
即
日B
家の所謂共同主義(口o
)の県副によって同家作川の秘脳性が強調され、・次第に白山主義的伺人主義的た面白を
改めつ Lあるとと、及び自由主義的仰人、一十一義的色彩の濃厚な英米訟の裡にも、之と釘蹴的伝傾向を有するロスヨウ・
バウンドの所調闘係(円己主 Oロ)の観念、即ち‘法律位制の中心を、何人の意思と法律行震に求める羅馬法とは封際的
に、人と人との閥係に附着する義務と責任に求める思想が、 コンモンロウの形成期に於てそ の地盤とたった封建法に
由来して今日まで持続されてをり.過去に於て他の原因に基く英米法の個人主義を多少緩和するに役立ったと共に、
将来の役割を期待されてをるととは後述する如くであり、また英米法がその過去の歴史に於て遅かれ早かれ時勢の嬰
化に順臆する弾力性を示してゐるととも 本質 でるる。今日の時勢が例 人主 義自由主義の清算又は是正を要求しつ Lあ
るととは何れの閲に於ても同肢であり、 唯そ の方法、速度、及び程度に於て各岡異る所があるのみである。そして、
ζの方法、速度及び税皮の如何は.その凶 に於ける従来の法律隠制と‘そ の体統 と、その背後に存夜する考へ方の相
Z
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g が二つの考 へ方(吋当 0 4 司 白 3 0同叶宮島町四)と題する 講演に於 て指摘したスコット一アンド人及び
邑
蓮 iFo
蹴洲大陸人の前線的な考へ方とイギ w
yス人の杭験的危考へ方の相謹ーに光右されるととが多いのである。ナチス法撃
者の羅民法排盤、グルマン此花仰の叫ぴの狙ふととろは、続同法の側人宇一義的、自由主義的たものを排して、全館主
義の下に民族粕榊の日刊坊と民族力の結集を計らんとするにあるのであらう。同級防法以来二千四百年、後期詫緯皐誠に
よってグルマン法的 製業をと り入れて賀川化され始めて以来七百年の 錬鴎 を経、 殊にド イツに続受されて以来四世紀
に亘ってドイツ民衆の生活生支配し.溺逸法閉ま有の研鍛によって濁逸民法典にまで殻展せしめられた現代羅馬法、特
に法律専問 家がその任務遂行 の武器とする法律技術的な ものをも一 事に排斥せんとするもりではなく、また排撃 し得
るものとも考へられない。羅防法が会館として必歩しも金臨主義に反するものでないととはイタ p l k於て依然とし
て之を誇りとしてゐるととから見ても明である。現在の ドイツの法制をウイグモアがソピヱット白法制についてとっ
ハ六二五
V
た方法に倣って、現代羅馬法とナチス法の融合鰹制と呼ぶか否かは別として、現代羅馬法と一五ふ共通的地盤に立つ大
英米法主大陸法
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第七十一一一岱
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四) 英 米 法 と 大 陸 法 の 支 配 閤
人除諸国及びその海外領土、誹ってその猶民地たりし中南米諸園、主として大陸法殊
大陸訟の文配幽は、火健峨洲 ι
(一氏ニ)
(説一﹀
と犬山川諸閣の法作臨制と一川一叫すぺき特徴をもって居るとと乞前提とする。との特徴は別稿の課題とする。
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市 川 す べ き で あ る と と 、 殊 に 英 米 法 を 研 究 す る 者 に と っ て は 、 大 悦 祁 凶 の 法 制 と 比較した の特徴の犯加が北川い毘大
て
,
4 もとれは英米法が之
小山立誌が浜認さ れる であらう 。 ん
関心部であるべきととを忠へば‘大除法と英米訟の日照的考山門
統 的 な も の を 全 く 知 叫 し り な い の み な ら ヂ ‘ 平 ろ そ の 仰 統 的 な も の Lう ち に 析 し い袋山 氏一泊肱 ずるものぞ選んで大に
法律扶術的なもの後民的 総 統 性 に 九 ふ と と ら が 大 な あ るとと.如何なる大控止中にも体
としての同一位 を 保 ら 仰 る の は い
がないでもないが、法律技術的な研究とそ法律小沢の間伐の任訟であり、法律的制がその内作の設化に拘ら十法律関制
侍統的法律偲制。立場から'X陀法と英米法と一五ふ如き包活的な討立を必反することのほんmk疑 を さ し は さ ま れる飴地
経 済 の 優 位 、さらに凡 て の も の に 到 す る 政 治 の 優 越 が 叫 ば れ
馬法印ち大陸法なる概念を認める大助的埼京を妨げないであらう。関家主義が高唱され、法律技術的なものに到する
ツト・ロシヤの法制についても同 様 K取 扱 ひ 符 る の で は な か ら う か ‘若 し 然 ら ナ と す る も 之 を 例 外 と み れ ば 、 現 代 羅
陸法の一員とし敢へるととが少くとも英米法研究者の立場からは許されるであらう。スカンヂナピア諸閤及びソピエ
四
に猫逸の法制を栂受して固有の法制と融合せしめた日本. 続 くして出来た一世が法制に倣った満洲図並広中華民園.
米法化されて居り、約悶(の05広町﹁同氏。ロ)の法理が探用さ れた地域は税であるが .信託制度や表示行筑の禁反言の 法則
一に統治に閲する問題 には既存法律間制存続の原則は旭川なきものとせノれ るし、私法部門 に就 ても.商法は概ね英
仰に想像される事賀である 。第
右の原則によって大限法 の地盤に立 つ地域にも漸次 英米訟が浸潤 しつ Lあるととは山下n
法と、共他の法系 の支配聞は大関との原則を出税制とし,之と共後の 控化によって定まるのである。英米飯土のうち
って 艶革が・なさ れない限り ・従来の法律枠制がが 倍 、すると見る 此川辺法上の原則が存布ずる 。英米悦土内に於け る英米
のとし、イギリスが割譲又は征服に よっ て以 に文化的な法作 税制の存在する飢土を獲得した地域には、新た立法によ
人が無人又は未聞の地 域 K・如氏し た場合には沼氏詑がその地の事情に泡F る組問内 に於て イギリ ス法を鷲た らしたも
英米法の支配闘はほ別として英米一山闘の鈍土寸ある が‘ とれ には多くの例外がある。 との引に閲しては. fギリス
も泰図の破産法、商法の分野にはイギリス法の出山副将な るも 心がある 。
ペ 尖 米法は松山師訴に不 越前なあるからぜあ る。尤
閣は概ね法典腕謀によって法仲間制た段 備 しようとするに拘らム
カ下に立たない地 域に於て 包抗的 に般党されるに泊しないととはウイグモアも認めるととろであるハ紘 一﹀。悲し後進
外に 泰園 ‘土耳古の如 き東洋諸園が 之 に局する 。英米法は主としてその法加に闘する特共性のために 、その政治的勢
の
の如きは殆ど凡ての地域に行はれて居る。従って之 等 の地 域 の法は以 に大陪 法と 一
式
ふ よりも、 大陸法と英米法の折衷
︿六二七)
的題制と一五ふ方が 趨切 であらう。以下 英米飯土内に於て行はれる法律関制を 一山
付する。
英 米 法 と大 陸法
五
第七十三容
第五四淵
英帝閣は之を山大プリテン及び北 ア
(六二八)
一六
向。同町白神甲山片白山口同Ezo
ルランド聯合王図︿匂口一円EZDm仏0 5 0
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アイル・オプ・マ ン (宮白色玄白ロ)別海 峡 諸 島 (の
)問自治制 ︿005ロ吉区)問印度帝国(
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)旬開王
2HWO円山町田)に分つととが出来る。
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門mngsg)向委任統治制(昌吉仏伊丹空片岡a
領殖民地 (QO毛ロのOHOEg)mw保也 前
うち仰向山 W及び自治 問中のア イレ (
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)とを綿綿して FE&呂田ロ仏国と 呼ば れる。
られる。
スコ ヅトランド。
スコットランドにも趨則される。しかしその法律関制
一七O七年にスロットランド詩品目が底せられてからその
制定訟が早に イングランドと和するときはウエ 1ルスを包含するものと解せ
AWU
k,特接となり‘間合制定法は、反釘の明文泣き限り、
一六O 三年に イングラ ンドに併合され、
ーの高扱裁判所の伶轄 の下に立ち、同
て構成される。右の中ウエ lルスは二ハ世紀以来法律上は殆どイングランドと同一蹴されて居り、ウエストミンスタ
聯合王闘はイングランド、ウエ 1ルス、及びスコットランドより友るグレートプリテンと北部アイルランドによっ
と
ては、
一八七一年に於ても街エルスキンのスコ vトランド法制要が ﹁スコ ットランドの高等法院たるのORご
v同
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之をイギF ス法と経路法との折 哀とみるべきで あらう。イギリス法の根本的特徴の一つである判例謹白の原理に就い
(佐一一)、多数の製者はスコ ットランド訟の法磁を雑防法なりとして居る。しかしイギリス法の浸潤の著しさからみて、
κ於ける雑防法の縮交は比恕的なものに温きゃとし、その法休館制をイギリス法と同様グルマン法の中に教えるが
は元来日維防法系に数へられて応たもの であるから純粋のイ ギリス訟とは一氏 へ友 い。克もポロックは. スコットランド
関係が益
の
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γト
-フン
商法はイギリスの判
も.その上訴を審理 する貴族院も.常 該裁判所叉 はその下級裁判所を拘来する如 き一般的規範を樹立 するととを得た
い﹂と(註三)強制してゐるに拘ら歩、今日ではイギ P スにが、
けると同校の原型が確立して居る
コ
例法を成文化した 多数の邸行制定訟がスコ ットランドに行はれる結果大般に於て同一である。 しかし、 ス
一八九三年の動産史民法令色白色。。。仏国﹀nH)は. 捨保守員同g
q) の建丘は
ドのために、特別規定を設けた 場合もある。例 へば 、 一八九O年の合名人 wu
枇法(匂252目立ukrR)は、 スコ ッ トラン
ドに於ては合名合祉の法人格を認め‘
スコットランドに於ては契約の草嬰部分の不服行と見倣 す べ き 旨 を 規 定 し て . コンモン・ロウに於ける捨保と候件
口の法迎 は人的 禁 止(℃Rgロ回目Zる な る 名 稲
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n凶昨日0ロ﹀の区別がスコ ットランドに 入するとと を防いで民る。禁反一一一
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の下に行はれて居る。私法中最大なる初治の存在するのは物総訟であり、刑、訟はコンモン ・
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砂く.Eoミハ毘罪﹀22仏日5080円(臨却)FRo-4(続強)と一
同伊包O
ドの最高裁判所たるの2 三 O
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Hの H52同050より 貴族院への 上告が許される(註巴。
北部アイルランド。 mwA
口王国の 椛成員たる北部 ア J ルランドは 、内 政的立法躍を有 する別館の園舎 qREBSGを
もち O L、ウエ ストミシスターに於ける下院 に議員を沿って居りもイギ リス図食の 立訟は広釘の 規定 たき限り・と L
G
と Lに行はれる法は、イギリス法で&り、イギp スの 最高
にも誼用を見るとと にたって居るが 、事質か ‘
ふ
る 諮問をみる立法がなされるの は. 一九二O年のアイルランド統治法
によってイギ P ス閣舎 に皆保された事項 に限られて居る
ハ六二九)
. そとより貴族院への上訴が許される。
法院合唱同町宮町内U05こ
2 c&nBHCB)の組織に倣った裁判所がbp
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英米法主大陸法
七
16
第五波
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ノルマ ンデ 1公 O領地の中戸、ィギワ一九時五に注された唯 一っち O で あ る . この小さい諸白には H024
一九二六年の内山図︿内議の決議於ては 、 自治領が図王に
Z田氏。口同)の一見たることが沼められた。 しかし
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定法の遁用を受けない旨を規定したり 向一九二六年の府閤合誌は ‘ 自 治領に於ける固王の代表者 は拒否権︿ gHO)を
から自治領を除外すると共に、自治飼は 強め嬰請 し官日つ同芯 した場合の外はウエストミンスタ ーに於ける図合の制
。
。
た命令又は規則に反する嫡民地の立訟を 無効とする防相 民地法の効力に 闘 す る 法 律 (
-ggF2・︿白E-Q ﹀nGの迎 用
山市開合議の決議は政治的効川市
む もつに地 ぎな かったが、 一九 二千のウエストミンスタ 1法氏よって法律的に平等な
二
一
山
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山 られ
る地位が 認められた。即ち川法は 、
別民地に町一川れる間合制定法 、又はか ahる悶令制定に悲く舵限によって 川
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自由に聯合したるプリティシュ櫛合閣議(切門主任 。
055843
弓 日
封する忠誠によって結合さ れつ Lも 、内政及び外交の如何なる方聞に於ても他に従局する乙となき平等友立場に於 て
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sPRRO)に於て傑約締結慌及び使区一段涜の 慌が 認め られ‘
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江
田歩、ために前大 戦には常処参判せしめられたが、戦後間際紛血心構成員となり 、 一九 二 三 年 の 俗 図 合 議 (
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自治領。自治領は前欧洲 大時前、すでに政治的には内政問題に闘する自治擢を獲得してゐたが、未だ外交躍を有せ
時
5505と一試ふ古風た名 m
Hmgqの議舎は目白 nrzo(}
仰をもっ。
CER54及び﹀Em﹃コ品 の三 つの政府があり・その法はイギ リ ス法ではなく ・yルマ ンデ 1 0法に基くものである。
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・1 叩。
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剖HdH辛口
銅盤に泊則すべきも のとせられてをる。北欧的な役 習に基く同行法をも って伝り 、 コン ごン ・ロウの遁用を見ない。
アイル・ オプ ・マシ 。凋立の議舎を有し .イギリス開会の立法は明文の規定なき限り埴用をみないの寸るるが 、事寛
第七十三巻
1
ノ
行使せざるとと、及び自治領の大臣の匙 言に よって行動すべく.本国政府の代表者の立 場 に於て行動すべきでないと
云ふ慣行を承認した。
自治領がかく平等なる地位を獲得した結果‘英術図は少くとも自治制に 闘する限りは.山市閣の名にふさはしからぬ
統一のないものとなった。現在英俗図に或程度の統一を蹄す要素として弐の三つのものがあげられるが‘何れも不十
分なものである。
その一つは図王でるる。川以近までは法律的な見地からは閤王が大きな統一的要 であると 一
五
ふ ととができた。蓋し
識
一
帝閲内のあらゆる立法は如何なる立法府でなされたとを問は歩.岡 正叉はその 代表者の 裁可を必要と し、あらゆる行
政行錦も‘裁判も、闘王の名に於て恋されたからであるぷしかし、との主権も‘とれによる市岡の統一も従来から費
質よりも形式に過ぎない視があったが、アイレ及び南阿聯邦に於ける最近の事前は授賞のみならや形式にも捷化を興
へた。卸ち、例へばアイレに於ては令欣は最早国王の名に於て殻せられ歩、国家の名に於 て殻せらるのである。
第二の統一的要素は枢密院司法委員合の海外領土からの上告表管轄様である。との委員合は反封の立法なき限り
は、聯ム口王闘を除く 会領土(保謎領及び委任統治制を合む) から の上品目管轄と聯合王閣内の宗教裁判所及び捕獲審判
所からの上告管轄植を有する。尤も刑事々件に ついては上告艇は なく ‘京大なる正誌の無視があった場合に委員舎 は
特別上告の許可を興ヘ 犯る のみでるる。との司法的統一の要素も長紅白治相に駁しては、者しくその重要牲を減少し
k件にラき 、アイレは全面
ハ
大
一
一
一
一
﹀
て居る。蓋しその上告管轄 慌を制限又 は底止した自治領があるからである。加奈陀は刑事
英米法左大陸法
ゴ
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第七十三谷
第五貌
的に‘との上告管轄樺を底止した。またオ 1ストラリヤに於ては、
の許可によってのみとの委員合への五符が許 される。
ハ
六
一
一
一
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一
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一定の問題についてはオ 1ストラ Pヤの高等法院
e之は本 図及び花自治俄に北ハ湿な問題を審議するための機関で.三年毎に倫敦
制の下に立 って居る。小んもそ の不動産法及び 鯨姻法 はイギリス法と相官
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一つの州を除く外はイギリス法が行はれてる。全カナグの人口の四分の一を擁するケベツク川
一八六七年制定の民法典が行はれてゐる。しかし公法ハ刑法を含めて﹀に就いては全カナダはイギリス法系に層すと
ペツク州議舎のみならムペ カナダ議
ん闘
Wに
於 ても 英語及 び仰誌の使用が法律上認め られて居る)、フ ランス民法に倣った
55Zn) は、元来フランスの植民地であり、今出川主としてフランス語の話される仰入居住地域であり、(その結果ケ
なるものであるが、
叶1
55 を排成法とし、十一の州(官 04即日自由)と、二つの外領 (SES崎町田﹀より
カナダ。 Z03Y﹀52町田﹀ npEO1
異るものがある。
ったのであるが‘ 今は会 くヨンモン・ロウ
その南部が自治舗となったものである。 古くはその間有法たる
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アイレ。アイル ラ ンドは 一八OO年以来聯合 王国 の儲成分子であったが. 一九二二年目
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g 法がイギリスのコンモン・ロウと支配力を争
南阿聯邦である。以下その各々に行ばれる法に 就 て一号一目する。
ュ lフアウ ンドランド、涼洲聯邦、-一ユ 1 3 1ランド及び
ってをる。自治領の地位そ有するものはアイレ、カナグ、 ニ
に閃かれ、本園首相及び各自治領首相が出席する。政治的な合ム口にすぎないが、今日では最も軍要友統一的要素とな
第三の統一的要素は山市閲合議である
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一耳ってよい。判例漣山の原理はケペツク州にが、ては未だ確立されてゐないと見るべきであらう。アメ Fカに隣接して
ゐる拙から見てカナグに於ける立法 の司法 的常五の問題は特 に興味を惹くものがある。或事情引がカナ 、ダ議舎 の檀限に
属するか、州の立法 慌の純川内にあるかの問題については司法的混有が行はれるが.或事項が一定の立法府の立法権
の範悶内にある限り、之に闘する立法は如何に 専問的. 悲説 的.不常であらうともその効力を妨げられないと云ふ意
味に於て、隣同アメリカに於けるが如き立法慌に釘ずる司法楳の仮越は認められないと云ふべきであらう。
ユユウ・フアウンド一アンド。 一八三三年常時のイギリス訟が 摺交さ れてをる。
05534425KM立 を 結 成法と し、六つの川よりなるも白であり.全土にイギリス法が
一役洲聯邦。 一九OO年の 。
行はれて居る。その鴻交の時期は涼州訟判所訟 (
KF55一一日。。広三﹀2 H包∞)によって一八二八年の六月二五日と規定
されて居る。イギリス法との主な相誌は不羽深法に見交けられる。
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ユ 1 3 1ラ ンド 。 一八五二年 のZ24NSFロ仏のOBEES﹀円刊によって 的成され、 一八四O年 一月一四日 首時の
イギ F ス法を格 交 したものとされてをる。不動 産法は イギH ス法と相官尖るものがある。
南阿聯邦。 一九O九年の∞ oEY﹀Egkr2Kよって椛成された四つの州よりなる腕邦である。元来オランダの植民
地であったためにその法は所謂ロウマ・オランダ法 (mOB210EFF21 である。しかしイギF ス法の判例、逗由の原
則はと Lにも確立されてをる 。
ハ
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ハ
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一
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一
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g 何回)より成るが‘将来附者を合して一つの自治領たらし
印度情図。英制印度(回岳山岳円包即位﹀と印度諸州(同豆紅白∞
英米法と犬同幽法
第七十一一一巻
第五披
ハ
六
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五年に浩識な印度統治法(の0
める腔昧な一歩として一九一一 一
4858仲良同三位﹀ nCが制度されて居る。その法制は極
ngS と宗教に関する事項についてヒンヅ l法及び回鞍法がそれぞ
めて腹雑であるが‘親族法、相続法、及び階級 (
れの信徒に諮問される外は、大躍に於てイギリス法の下に立っと 一
辺へる。特に注目すべきは成文法化がイギリスに於
けるよりも若し t進んでゐるととで、印度契約法(同ロ住吉。。忠円目立﹀三)の如きは、イギリスに於ては今街主として判例
法である契約法を成文化したものとして、イギリス訟の研究のおにも町一
要関されるものである。との立法には俊文の
例解が附せられて 居る ととも興味 を惹 くものである 。
山
川
、mLる印 皮法が印度出市図の 一部であったピルマは勿論 、西は
アデン及びグ ンガ =ィヵ、ザ ンヂパール、ソマリランド等の京アフリカ地方、東はマレイ聯邦及び非聯邦諸州、海峡
植民地、官英領北ボルネオ、サラワク仙寺にも勢力を及ぼしてゐるととも注訂に位する。
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にはとの例
王領殖民地、保諮銅、委任杭治領。原則としてイギリス法又はイギリス法と川教法、ヒンヅ 1法、共他各地の原住
此の間有法とが行はれるが、詐て大陸諸国の卸土であった附係上大限訟が行はれる地域も跨く・な い。こ
外と云ふべき大陀法の支配倒を列車するとと Lずるの山んもとれらの地坊に於ても‘公法問係 のみたら・一 Y私訟の分野に
﹀
e之に反し北部ロデアシアはイギ P ス法の支配闘に屈する@
市部ロヂシア。市阿肺邦と同様ロウマ・オランダ訟が行はれるが‘原住民間の事件 KE
就ては原住民の慣習の
粧品法を基礎とし.多分にイタリア法及びフランス法の影響を受けてをる。
マルグ。 m
もイギリス法が可成浸潤してをるとと及び原住民の間有訟が並び行はれてゐる地坊が多いととは勿論である。
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趨用が認められるとと南阿聯邦に於けると同様である
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パストランド宙開gggロ仏)原住民のために保留された地域であるから、原住民の間有法が行はれるのである
セイロン。 ローマ・オランダ法の地域である。 克も北部地方のヒンヅ 1教徒はテサワラミ(寸同曲目謡曲EEC と
マウ uyシアス及び嘗ってその属簡であったセイシェルにはフランスの民法典、民事訴訟法典及び商法典が行
が、殴洲人に閲する問題に就てはロウマ・オランダ法が 遡則さ れる。
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はれる。
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稿する慣習により、回数徒は凶教法により、カンデイ人はその間有法の 支配を受けるが、とれらの同有法に規定ゑき
﹀
ニhzng)。元来巴裂の慣習に よづて支配され 、後にフランス法に刊誌︿民法典(一八七九年)及び
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サン・ルチア
ときはロウマ・オランダ法が諮問される。
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名門山岳門広向日)に於ては 営事者の同和に よ
円 てイギ P ス法 、又はフ ランス訟が遡用さ
ユウヘブライ 諸品 (Zn
民事訴訟法典(一八八一年)が制定されたが、とれら の法典 に規定 なき ときはイギリ ス訟 による べき旨 が定められて
をる。
右の外
れる。また、トリ=ダツト叶同町回目円回目仏に於ては元来スペイン法が、英 側ギアナに 於ては ロウマ・オラング法が行はれ
てゐたが、今では立法によってイギP ス訟の支配闘に 隠せ しめられてをる。
サイプヲス品に於ては人誌と 宗教の 如何によってオツトマン (02088)法とイギリス法が趨用される。バレスチン
門大一一一五)
に於ては回数法に基︿奮トルト民法が、ィギ F スの委任統治以来・没された 重要 な費更の下に行はれてゐるが、身分に開
英米法主大陸法
第七十一一一容
第五競
円
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二四
する問題についてはアラビア人、ユグヤ入、及基督教徒が各々別箇の裁判所に於て各自白法の遁用を受けてをる門誌五)。
北に米閣を見る。北米合衆閣を拙成する諸州はルイジア刈を除いてイギリス法を械受してその法律盟制の基礎とし
てをる。摺受に関する倖統的理論は‘初期植民連は殖民地の欣態に趨ム口ナる範園内に於て、入植と同時にイギリス法
日々の組先は彼等と共にその
.
1
-般原則を粛し‘
をアメリカに賀したものとする。そのク一アシカルな表現はストオ F 1のそれである﹁イギリスのコンモン・ロウは凡
ての結に於てアメリカのコンモン・ロウであると考へては・ならない。
之を彼等の天賦の慌利と主 探 したのである。しかし. 彼等はその状態に遁合する部分のみを清らし.且つ採用したの
文
さ れた部分と然らざる部分との区別の表現としては
である﹂ハ設六)との見解は、コシモン・ロウのうちアメリカに紘一
正営であるが、級交の時切を述べたものとしては限史的事官に反するものである。 ロスコウ・バウンドは開拓者時代
のアメリカの裁判に就て一五ふ。﹁間際的 日的のため Kはアメリカの司法史は本命後に 始 まる。 続民地時代の裁判は最
初行政的であり、且つ立法的であり、との非司法的ぬ判は一九世紀に入ってからも向可成縫いたのでるる。小数の顕著
なる例外を除いては革命前及び 本命後初くの聞は.裁判所は大部分業人の判事より椛成されてをり.彼等は或程度ま
で立法府の指針巴場かれつ L.山市誠と自然的理性によって裁判したのであった。革命までは大部分の杭民地に於ては
法律嵐?の智識を有する判事が必要であるとも、組首であるとも考へられなかった。革命後に於ける=ュ 1 ・ハンプシ
一八一九年から一八二六年までの首席判事は俊夫であった﹂と門誌七)。
ヤイヤ l高等法院の三 人の判事の 一人は 借伯 二 人 は 留者 であった。 -八一四年から一八一八年迄のロ 1ド・アイラン
ド州の最高法院の判事の一人は鍛治屋であり、
またラインシユの 言 を借りれば﹁多くのアメリカ植民地の HM初の植民注は.あらゆる設跡から見て彼等が必要なる法
的規律の全部と考へたものと推測せられる 成文法を作った。 彼 等の文明 は幼 誰であり、多くの拍に於てアングロ・サ
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クソン諸王の法典にも似たる犯坪と不法行おとぷも単純な契約に山附する簡単な法見で足りた。之等の法典はコンモン
-ロウと問先ると ころがるった のみなら・ヂ、之に制定のない場合にも位初は コンモン・ uウが扱 川されなかった。か
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一八九一年に於=もケン トをし て、 ニューヨーク川の
る場合には判事の裁H
Xに委ねられた のごあ った }L1 i一
八﹀不命也前に於けるプ ラヴクストーンの英法部誌の行及 はイ
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有寸タ.何へも法がん川何 にあるかを知らなかった﹂(ぷ九﹀ と技ぜしめたのであっ
ギリス法地交の大きな刺伐と なったひではあ るが‘それ
法律につき﹁苦々は一九H
日ーほの法
h7
た。革命後に於て は民衆の fギ リス に討する反感はイギ明ス法にも及び、 フランス法の根交子主張する有力な一一蹴も
あれば、 ニユウ ジャ I シ l、 ペンシルパ -一プ、ケ ンタッキ ー州の-如く ‘ イギリス判例の引川を禁止した州もあった。
しかし、之等の反 感も弐おに沈静し .プラヴクス トー ンの者とア メリカ のブ ラッ クストーンと稲せられるケントの米
一
一
党 がなされたのでるった。
法制伸義の助を諮りて、南北戦争に先立つ数十年の問にコンモン・同ウの 統
との橋受は州によって、 或は州訟法により 、或は制定法により ・或は平に判例に よって 宣言せられたの であった。
如何なる時期のイギリス法が 稽受され たも のとするかに就ては、 或 州 にが、ては ジ エ1 ムス・タウン(同国5284弔ロ)の建
、 或 川では濁立宣言の時たる一七七六年の七月四日を限界とし、
設された一六O 七年以 後の イギリス制定法を排 除 し
ハムハ三七)
二五
或州ではとの時期が明定され てゐない。しか し制 定法花開する との相還も‘鳩 受前のイギリス判例はアメ習カ裁判所
英米訟と大 陸法
第七十三巻
第五抽出
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州 によ勺てはイギリ
﹁六=一八﹀
悲し、何れの州に於℃も裁判所はイギリス法の特定の規
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χのそれと加古川陛在具にするものがある。 元来各 州に於け
限したものもあった。その他の州に於ては、より債汎伝管轄艇が興へられてゐたがイギリスの大法官裁判所のそれより
的に推論さるべき投植を必-嬰とされた。そして十日い州の中には街子訟上の管轄権を附興せ﹂ぺ叉は之を若しく挟︿制
法上の管軒椴を宥するものとせられたが、街-小法上の 政制杭に批ては法訟又は制定訟による明示的文は明文より必然
る第一群管轄棋を有する段高裁判所は特別の授椛を伐たずしてfギリスの尚紘裁判所(印巳UERnORZ) と同椋な北日通
ては可成の制約 を交け 、今日に於て
投誌のコンモン・ロウに担問⋮什一られる和千訟も亦アメリカに於てm
xされた。 しかし衡一小法上の訟判椛は一判明に於
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かもイギリス法との間にも他州の訟との川 にも、 多くの胤にい⋮て相法則を引するものである ω
yス法を母煙とするとと及び各州問の立法及び判例の相五的影響とに凶って、全般的な 知似性を有しつつ.し
もイギ w
れたととは勿論である。 斯くて アメp カ には州の駄だけの コンモン・ ロウの法律問仰 が存在 するのであり、その何れ
を有するものとは考へられなかった。そして何れの川に於ても税交後の判例及び制定訟によって多くの鑓更が加へら
ギP スの判例は、 公古の も のも批近のものも‘松一受された訟の宣明 として・大なる敬立を排は れたが、結釘的な拘束力
ての川に於て植民営時に作在したイギリスの制定法は 概ね 、持制定を侠た歩して.殻力を有するものと認められ、イ
範が﹁その州D事情に趨合するか否か﹂の棋 訟に限らし てその採去を決する 権限をもってゐたからでるる。従って凡
も.貨際の判決には大した莞異を鴨川らさ司なかった様である
開
削 する理論上の匝別
に 劉 し 拘 束 力 を 有 す る が 、 共 後 の 判 例 は 詑符的植成 しか有しないと云ふイギリス判例の権威 に
六
一九位結以後に加入を認められた祈らしい刈に於ては治と完全なる様限が認められ
は多少狭かった。しかし衡平法上の裁判権に封する反感が消波すると共に‘古い刈陀於ても・漸火憲法又は制定法に
よってとの裁判擢が描張せられ、
ア法裁判所の阪叫が底止されてたるが . アメリカに於ては、
た。イギリスに於ては}八七氏不バ一米庁活法挽判川と術‘ハ
り¥ 之宮 ょ.M
いに分 一
川するこ とができる。 その一一は何一山 l法ば依然川⋮川の設刊一川に於て泊
との融合の程度は川によって 川(
a第二はん的小訟も詐一必法と尚一の故村川氏於て迎川されるが、その一亦沿千い一川上の一此
M1た河川はせし
用されるものであり、ア ラパマ、 ァ lカンサ ス二 γラウ ヱア、ミシシザピ l、一一ウ、ンヤジ l、テネシー及びパ l モント
の諸州は之に属する
められ‘衡平上の訴訟手続は大限第一に屈するも Oa
cm応である。フロ Pグ‘ィワノイ.メーン、 マリランド、マサ
zアは之に 属寸る 。 第 三は裁判所の阿川もャ持活法上の訴訟と衡平法上の・訴訟の直別も印刷川一比されたもの
チユセツッ、ミシガン、ニユウハンプシヤヤ l、オレゴン、ペンシルパニア、 ロードアイランド、パージニア.及びウ
ヱストパージ
で.以上 列壊の諸川以外の 州は之 に局する。向勝邦 の司法組織の下では 、持 活法裁判所と街不法裁判所の毘別は芯・在
しないが、訴訟手続は別筒のもの とされる 。聡邦の地 方裁判所は将地法上の訴訟に苅ては 、その所 在。 川の訴訟手続
に依るに反し、街千法に闘しては合衆閣議舎の制定法及び合衆国一人指院の制定した規則によっ℃統一的な乎践が定め
られてをる。
政 教 の 完 全 に 分 離 さ れ た ア メ リ カ に 於 て は . 始 め か ら数 合 裁判 所 も ・ 致 合 法 も 存 在 し な い が 、 イ ギ リ ス に 於 て 元 来
円六=一九)
敬曾裁判所の管轄に属してゐた遺言。検認、婚姻の管轄植が.離婚の管特椛と共に制定法によって此 H
通法品
批判所、衡
英米法左大陸法
七
第七十三巻
第五銭
ハ六四OV
二八
平法哉判所又は特別の裁判所に附興され‘とれらの制定法はイギリスの数合裁判所の依撰した法理及び慣行を採用す
るととを許容したも のと併せられた。斯くてイギ リス 歌合裁判所の判例法もアメリカ諸州に於 て織受されたのである。
(
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g号 広 三gEEEQ) によって行はれて
海事裁判権は殖民地時代はイギリス図王の段植によって副提督裁判所
ゐたが、との 裁判所は本図に於ける普通法裁判所の嫉視とその干捗から菟れて‘本園の海事裁判所が普通法裁判所の
制肘を受ける前にもってゐたと同 校 K債汎た管結植を享有し 、との 管轄権が合衆閣憲法に よって聯邦裁判所に附興さ
れたのであった。
KMmいてをる。その代表的な表現はホ
ルムス判
最後に 一言ナペきは合 衆凶企慌に述ず るコン モン ・ロウが存在するか否かの問題である。との問題はアメリカ開閤
以来型界に法廷に幾多の誠治の然防と友ったものである。遁説は否定
事の畳一
口
で
あ る。﹁コ ンモン ・ロウは 天誌を記 ふ北口組的存布で はなく、特定の主仙住者又は準主椛者の明断 なる瑳言であ
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v。との否定訟は夙に聯邦法記法上の 犯非(同色白吋白-nOBESE44
る
。 ji---それは常に何れか の川の訟であるp
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)なるもの L存布を 否定した介衆倒大容院の見併に支援さ れるととろが大で あ った。との大 審院の見解は今日ま
でに多数の判例によって 間製 され、 時邦裁判所の 認める 犯出は憲法に規定した叛逆非の外は合衆国議曾の制定法が規
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定するものに限ると 一
足ふ原 叫が献立されてをる。 しかし合数闘競合の制定法が普通法上の或麗の犯罪を認めたと きは
裁判所は之を認めた法律に明断な定義がたい限り、その 意味に つき コンモン・ロウに依操 し得るとされてをる
通設によれば聯邦普通法の否定は刑法以外の分野にも及ぶものとせられてゐるが、との否定には次の如き留保を附
せねばならぬ。その一つは合衆閣憲法 、制定法 .及び傑約の 解稗につ いて下される判例はコンモン・ロウの用語に表
現され、その精一肺及び見解に浸潤されてをると 一
五
ふ立味に於て、 コンモン・ロウに基礎を有するものであるととであ
る。そのこは街子法に就ては各州のそれとは別に、杢闘の聯邦裁判所に共通な統一的臨制が存在するととである。そ
の三は聯邦裁判所の淵占管特に委ねられた栴事訟に就ては合衆図式中一間に通ヂる統 一的鰭制が 存在する ことである。そ
の川は、合衆関山泳法によって合政凶の棋限に的せしめられた事明、例へば川際商業に闘し合衆闘立法が存在し友い場
一BEggnoggg
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木容院はとれらの事件の判例によって州際背迦法(
合にも普一迎法上の制約を受けるものと併せられるととである。その冗は、ム口衆凶法法によって合衆凶大審院の管轄に
属せしめられた州と州との常争事件に此ては
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Mせしめてをる ととである。
-044)とも加すべき判例 訟を
v事件を指導的判例とする原則も、円収近地去百年間に於ける最も センセイシヨナル訟判例の一
とLK特筆すべきは約百年川無数の判例にようて持一巡され、合米同普通法背定論の有力な根掠と見 ら れ て ゐ た 、
五二
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。邑 4・吋OB阿佐口同ハ位二一)事件の判例に よって制されたととである。この原則は 合衆園憲法に
っと云はれる開門松岡 色
よって、聯邦裁判所にも管轄艇を興へられた 、異なる州の市民間又は外聞人との繋争事件の裁判に蛍 って、櫛邦裁判
所は‘全闘に共趨伝性質を有する所謂一般的地 H地法︿mgE
ossgzSの問題については、州白判例に拘束され左
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mgロ︼し白話F2kgg) のリステートメント(河内回S858骨)の作成なE Kょっ
いとするものである。米図法律協合 (
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二九
て全国的普、遁法肯定論が 勢力を盛り返さうとするとき、 との原則が 覆されたととは殊に興味を惹くものがあるが、と
英米法と大陸法
第七十一一一容
第五務
円六回二
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の判例に就ては嘗って本誌に簡単な紹介を試みたととがあり(詑二3・その詳論は他日託期したい。
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(訟 一 )
公法は勿論 、私法に於ても‘殊に商法の分野では米法化の何向が問 者 である。
フイリツピンも亦嘗って スペ イ ンの 悦土であった附係上もその私法はスペイン民法をぷ-礎として出張してをるが、
イスコンシン叫には巴m の慣習が支配したととなどは今日では股 史家 のみが知る主従となってゐる。
一
一
めてをる﹂と一石ふ程である。との外テキサス刈やカリフオルエア州には芹ってスペイン法が行はれ、ミシガン州やウ
に於ける事件全臨のりょ珂がフランス法共の上にりしが
刑法は全くイギリス的であるのみなら歩、 コンモン・ロ ウの必本 的制度たる、 法王上主 義 .判例法主 義 、 及び公判廷
-が﹁ルイジア ナ州に於てはその
フランス民法を 基礎 としてをる。しかし 阿川に於げる英米法出出の欣況は、バウン r
アメリカ諸州のイギF ス法 橋受に釘する唯一の例外をなすルイジアナ川は寄ってフランスの植民地であった閥係上
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