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向精神薬は万能ではない。それが処方の標準化を難しくしている

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向精神薬は万能ではない。それが処方の標準化を難しくしている
No.45 July 2014
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向精神薬は万能ではない
それが処方の標準化を難しくしている
日本大学医学部
精神医学系教授 渡辺 登 先生
向精神薬の多剤処方が関心を集めて久しい。厚生労働省は、この 4 月に診療報酬の支払いに
関して多剤処方を制限する方針を打ち出し、守らなかった場合には診療報酬を減らす措置を講
じる。新しいルールでは、外来診療時に処方できるのは、抗不安薬か睡眠薬が 2 種類以下、抗
うつ薬か抗精神病薬が 3 種類以下とされる。しかし、なぜ厚生労働省がそうまでして制限しな
ければならないほど、多剤処方が増えてしまったのか。その辺りの実状を、実際に日本大学駿
河台病院で診療に当たられている渡辺登先生にうかがった。渡辺先生は、
「薬物治療の標準化
としてガイドラインがつくられるようになってきている。しかし、向精神薬は万能ではないた
め、試行錯誤をしなければならないケースが少なくない」と言う。
■学会が中心になって薬物処方を標準化
他の精神疾患についてもそうなんでしょうか。
渡辺 統合失調症については日本精神神経学会が出し
――まず、向精神薬の処方について、医師の方たちは
ています。そうしたガイドラインづくりのお手本は、
どのように学んでいくのかについて、教えていただけ
アメリカ合衆国です。精神科の先生方の多くが参考に
ますでしょうか。
している本に、たとえば『精神科治療薬処方ガイド』
渡辺 基本的には、徒弟制度のなかで学んでいきます。
がありますが、これが邦訳されたのが 2006 年です。
医科大学や医学部を卒業して国家試験に合格して医師
すなわち、アメリカが先行し、それを追って日本で
になるわけですが、それだけでは薬の処方はできませ
は学会が中心になってガイドラインづくりをはじめ
ん。大学の講義では教わらないのです。
た、という経緯です。
精神科や神経科の医局に研修医として配属されてか
――ガイドラインがなかった時代、徒弟制度のなかで
ら、
薬の処方について勉強していきます。その方法は、
多剤処方が望ましくない、という見解も伝えられてい
昔は徒弟制度のなかで、先輩から教わって習って引き
ったのでしょうか。
継がれていったのです。
渡辺 その見解は昔から知られていました。
たとえば、
でも、その方法では医師によって同じ患者でも処方
2 つの薬を処方して症状が改善したとします。同時に
の内容が大きく異なるという事態が起こります。そこ
処方を開始したら、どちらの薬が効いているかわかり
で、学会が中心になって、有識者がオピニオンリーダ
ませんよね。薬価も高くなりますし、副作用がどの薬
ーとなり、薬物療法のガイドラインをつくるようにな
によるものかも見当がつきません。
りました。2000 年頃からの動きです。
多剤処方が望ましくないとの指摘は、以前から医師
――うつ病については、うつ病学会が治療のガイドラ
は理解しています。では、どうして、医師は薬の種類
インを出しているのを目にしたことがあるのですが、
を増やすのか、という疑問ですね。
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Mental Health Network Report
が認められなければ SNRI に変えて様子をみる、とい
うことでしょうか。
渡辺 その通りです。場合によっては、炭酸リチウム
を追加してみたり、
薬の量を増やしてみたりもします。
すなわち、医師はガイドラインに沿った治療を行っ
ていくわけですが、薬を変えても、あるいは増やして
も効果が現れない場合があります。そうなると、ガイ
ドラインには何も書いてない。
――ガイドラインに沿った治療で治らないことがある
ということでしょうか。
渡辺 ええ。精神科医は患者さんの QOL を少しでも
高めようと努めています。しかし、その要求に応えて
渡辺 登氏
76 年日本大学医学部卒業。80 年同大学大学院修了(精
神医学)
。84 年国立精神衛生研究所研究員。87 年国立
くれる薬がない、というのが現状です。だから、精神
障害に対しては、B29 の攻撃に竹やりで応戦してい
精神・神経センター研究室長。89 年日本大学医学部精
る感じです。
神神経科講師、01 年助教授を経て、2007 年より現職。
ガイドラインには、たいていチャート図がついてい
て、そこで効果が認められればこう、認められなけれ
その最も大きな理由は、薬を飲んでも患者さんが寛
ばこうするという手順が書かれています。しかし、そ
解に至らないからです。その率は、うつ病ですと 2/3
の手順の最終段階は空白ですから、そこから先はそれ
以上です。つまり、向精神薬は万能ではないからです。
ぞれの医師が試行錯誤していくしかありません。
残念です。
――そんな事情があったのですか。
■薬の効果は睡眠と食欲の改善で判断
渡辺 多剤処方との観点で言うと、以前の三環系や四
環系と呼ばれる抗うつ剤は副作用が強くて、2 つ以上
――少し話が戻るんですが、薬で患者さんの症状が改
の薬剤を同時に服薬することはできません。でも、新
善したと医師の方が判断するのは、どのような所見か
しい抗うつ剤は副作用が強くないので、2 種類以上の
らなのでしょうか。
薬剤を服薬できるという面もあります。
渡辺 基本的には睡眠と食欲です。これに改善がなけ
どの薬がその患者さんに効くのかという結果も処方
れば、薬の効果があったとは認めにくいですね。とく
してみないとわかりません。そんな手さぐりのなかで
に睡眠のリズムが乱れたままでは回復には向かいませ
治療をしていく、というのがいまの薬物療法の現実で
ん。食欲についても同じで、両者が改善したと認めら
す。
れたら、薬の効果があったと理解します。
もし、患者さんが目の前にいて、
「もう少し元気に
そうした効果は、問診によってわかるだけではなく、
なりたいんです。どうにかできませんか」と訴えてき
本人に心身のエネルギーがたまってきていることが、
たらどうしますか。
その言動からもうかがえたりします。
患者さんに何の説明もしなくて、
「これを飲みなさ
ところが、先ほども言いましたように、なかなか改
い」と処方するのはよくないと思いますけれど、
「こ
善しない患者さんが少なくありません。そうすると、
ういう良い面と悪い面がありますよ」と説明して、そ
次の手を試してみる必要がありますね。
れを患者さんが納得したうえで 2 種類あるいは 3 種
――うつ病の場合、第一選択肢が SSRI で、その効果
類以上の抗うつ剤を処方するのは、現状では仕方がな
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いと思いませんか。
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しかし、うつ病を繰り返している患者さんは、なか
なか一筋縄ではいかない。抗うつ剤を飲み続けること
■ガイドラインは現在進行形
になりますし、寛解に至るための治療法も、まだ確立
――薬が万能ではないということですと、新しい知見
がもたらされると、それによってガイドラインも見直
されていません。
渡辺 その通りです。現在ある薬剤を使ってどうした
■うつ病の発症機序が
そもそもまだよくわかっていない
ら効率的に最良の治療ができるか、との立場でガイド
――その難治性のうつ病に対しては、いまどんなこと
ラインは更新され続けています。
が議論されているのでしょうか。
――その治療法でいま、議論を呼んでいることってあ
渡辺 学会では、SSRI や SNRI ではない別の薬を使う
りますか。
方法が議論になっていて、いろいろな薬の試行錯誤が
渡辺 双極性障害の治療法について、いろいろと議論
繰り返されています。
があり、抗うつ剤を使うべきか否かで揺れ動いていま
たとえば、非定型抗精神病薬を使った治療例も紹介
す。
されています。抗てんかん薬なども試されています。
――と言いますと。
私は、抗てんかん薬に期待していますが、今後どう展
渡辺 私は抗うつ薬を使わない方がいいと思っていま
開していくのかは、まだ未知数です。
す。その理由はトラブルが多いからです。具体的には、
――抗うつ剤ではない薬剤を使うということは、現在
患者さんが抗うつ剤を飲むと、イライラすることがあ
の抗うつ剤の限界が見えてきたということですか。
り、リストカットしたり大量服薬をしたりすることも
渡辺 ええ、繰り返しますが、抗うつ薬は万能ではあ
ある。そこで、私は処方を控えています。
りません。同じ SSRI でも、A さんには効果があった
それに対して、使ったほうがいいと考えている医師
けれども B さんには効果がない、という違いがあり
もいます。薬の効果で症状が少しでも改善することが
ます。では、どうしてその効果に差があるのかになる
あるからです。すなわち、眠れるようになって食事も
と、よくわかっていません。
摂れるようになる。
――受容体のタイプが異なるからだということが言わ
ポイントは、副作用を優先して考えるか、有効性を
れていますよね……。
優先するか、という見方ですね。
渡辺 ええ。ただ、それもよくわかっていません。い
――なるほど。そして、そこに患者さんの希望も入っ
まの抗うつ剤は、モノアミン仮説に基づいてつくられ
てくると、一概にこうだと正論を言えなくなるわけで
ていますけれども、モノアミンの異常はうつ病になっ
すね。
た結果として起こった事態で、そこにアプローチして
内田 ええ。ただ、薬物療法のアルゴリズムというの
も根本的な原因に対して働くわけではないのです。そ
は、ほぼ固まってきています。20 数種類ある抗うつ
んなことから、モノアミン仮説に基づく新薬開発は打
薬の併用で副作用の出やすい組み合わせについての情
ち止めになったそうです。
報も共有されていますし、どうやって患者さんに服薬
といって、新しい作用機序の薬が医療の現場にすぐ
を卒業していただくかという経緯も、標準化されてき
に出てくるわけではありません。遺伝子レベルの研究
ています。
が進んで、うつ病のことが科学的にもう少しよくわか
初めてうつ病になった方なら、だいたい 8 か月で
るようになる必要があるのでしょう。でも、それには
薬物療法を終えていただくという目安もはっきりして
時間がかかると思います。
されていくということでしょうか。
きました。
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