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の自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討
岡山大学大学院教育学研究科研究集録 第1 41号 ( 2 0 0 9 )1 4 3-1 5 2 Ko hutの 自己愛性パーソナ リテ ィ障害論の批判的検討 上地雄一郎 自己愛性パー ソナ リテ ィ障害 に関す る Kohutの見解 を,彼 と対立 した Ke nber r gの見解, DSMⅣの診断基準 , 自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害の二類型論 な どと関連 させて論 じた。そ の緒呆 ,Kohutの言 う自己愛性パー ソナ リテ ィ障害 を 「自己愛の障害のある患者」 と呼び換 え,DSMⅣによって診断 されるそれ とは区別 したほ うが よい とい う丸 田 ( 1 995) の見解が 妥当であることを主張 した。 自己愛性パーソナ リテ ィ障害 に関す る Kohutの見解 の問題点 と して, まず ,Kohutが誇大 自己 と呼んだ 自己発揚的傾 向 と,防衛的誇大性 とは区別すべ きで あることを指摘 した。次 に, 自己愛性パー ソナ リティには理想 自己 と現実 自己の乗離がみ ら oucek ( 1 982,1 991)や岡野 ( 1 998)の見解 と, 自己変性パーソナ リテ ィは高 れるとい うBr 1 971 )の見解 のずれについて, これは理想 について い理想 を持つ人ではない とい うKohut( の両者の理解のずれか ら生 じているのではないか とい うことを示唆 した。 1.問題 と目的 2. 自己愛性パ ーソナ リテ ィ障害に関する Kohutと 本論文では, 自己変性パーソナ リテ ィ障害の治療 か ら自己心理学 という精神分析 の一学派 を創始 した Ker nber gの対立 自己愛性 パー ソナ リテ ィ障害 とい う診断は DSM- Kohutの言 う自己愛性パーソナ リテ ィ障害 について 検討 し,その特徴 と位 置づけを明 らかにす る。また, Ⅲか ら登場 し,現在の DSMⅣに引 き継がれている。 それ とともに,Kohutの 自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障 害論の問題点 について も論 じる。 この ような論考 を リテ ィ障害 に二つの異 なるタイプが存在す るという また,先述 した ように,最近では 自己愛性パー ソナ 二類型論が提唱 されている 〔 Gabba r d( 1 989,1 994) む自己愛の障害が注 目されているか らであ り,また, や Br oucek ( 1 982,1 991 ) な ど〕 。 この ように自己愛 性パー ソナ リテ ィ障害 に関す る議論が盛んになった 最近では,誇大的で 自己顕示 的な自己愛性パー ソナ リテ ィだけでな く,Kohutの言 うような過敏で傷つ nber gが異 なるモデルを提 唱 し, のは,KohutとKer 両者の間で論争が交わ されたか らである。Kohutと きやすい タイプの 自己愛性パー ソナ リテ ィに関心が Ker nber g以外 に も自己愛性 パー ソナ リテ ィ障害 に 関する見解 を述べている人はいるが,それ らも基本 行 うのは,近年, 自己愛性パーソナ リテ ィ障害を含 集 まっているか らである。そ もそ もこの ような過敏 で傷つ きやすい 自己愛性パー ソナ リテ ィを最初 に体 系的に研究 したのは Eohutであった。Kohutの 自己 愛性パー ソナ リテ ィ論 は,わが国で も概要 は紹介 さ れて きたが,その細部 にわたる詳細 な検討は十分 に 行われた とは言い難い。 nbe r gの見解 に近 的には Kohutの見解 に近 いか Ker いかによって集約す ることがで きる。そ こで,本節 nber gのモデルを対置 させ なが では,KohutとKer ら述べ ,Kohutの言 う自己愛性パーソナ リテ ィ障害 の特徴 を浮 き彫 りに したい と思 う。 順序 としては, まず Kohutの見解 を紹介 し,次 に Kohutとは対照 的 な Ker nber gの見解 と比較す る。 次 に.Kohutの見解 を,最近 一般化 して きた 自己愛 性 パー ソナ リテ ィ障害の二類型論 と関連づ ける。最 後 に,Kohutの見解 にみ られ る問題点 を二つあげて 論 じる。 ( 1 ) 自己愛性 パーソナ リテ ィ障害 についての Kohut の 見解 Kohut( 1 971 ) によれば, 自己愛性パー ソナ リテ ィ障害 を有す る患者 は,恐怖症,強迫, ヒステ リー とい った神経症 的症状 を表 して い るか も しれ ない 岡山大学大学 院教育学研究科 教育 臨床心理学講座 7 0 0-8 5 3 0 岡山市 北 区津 島中 3-1-1 ACr i t i c al Ev al u a t i onofKohu t ■ STh eor yofNar c i s s i s t i cPer s on al i t yDi s i or der Yui c h i r oXAMI J I Di is v i ono fCl i n i c lPs a y e hol og yi nEduc a io t r L , Gr a d ua t eShoo lo fEduc a t i on, Oka y a maUni ve r s i t y , 3 +1Ts us hi ma naka, Ki t a k u, Oka y a l l l a7 0 0 8 5 3 0 -1 43- 上地雄一郎 が,その一方で,抑 うつ気分,仕事-の熱意や 自発 性 の欠如,人間関係での鈍感 さ,心身の状態に対す れ る 自己の うち最 も中核 的 な もの を 「中核 自己 ( nuc l e a rs e l f ) 」 と呼ぶ。 るこだわ り,性的倒錯傾向といった問題が存在する。 そ して,やがて,滴漫性の 自己愛的傷脆弱性. 自尊 感情の欠如や 自尊感情 を調節することの困難 さ,理 想 システムにおける障害が発見 される。 自尊感情の ②・ 自己対象 と自己対象転移について 上述 した ように 自己心理学では 自己 を重視す る 調整の困難 さは, 自意識過剰,強い差恥傾向,不安 を伴 う誇大感や興奮などとして現れる。 また,理想 システムの障害 というのは,内的理想 に したがって える。野心 と理想 を備えた,凝集 した自己が形成 さ 自分 を方向づけることがで きず,外的他者の承認が ない と安心で きないような傾向である 。 しか し, 自己愛性パーソナ リティ障害か どうかの 最終的な判断基準 は,顕在的症状や訴 えではな く, 精神分析が進むにつれて "自発的に展開 して くる転 Kohut ,1 971,p. 23) であ る。つ ま り, 移 の性 質 " ( Kohutの言 う 「自己対象転移 ( sel f o j ectt r ans f er ence)」が生 じることによって,その患者が 自己愛 性パー ソナ リテ ィ障害であると診断される。 自己対 象転移 について説明するには,その前提 として, 自 己 と自己対象 という概念について説明 しな くてはな らない。 ① 自己について Kohutの言 う自己 ( s e l f ) は,Kohut( 1 971 )では Ha r t mannの言 う自己,つ まり自我 ( ego) の一部で ある自己表象 ( s el fr e pr es ent at i on) として考 え ら 1 977) に至 ると, 自己 れていた。 しか し,Kohut( i ni は人の心理的世界の中心であ り,主導的意志 ( r eci pi t i a t i ve) の主体お よび感覚 ・知覚の受容者 ( )であ り,空間的 まとま りと時 間的連続性 を伴 ent って体験 されるもの と定義 された。 これは,古典的 精神分析でい う自我 に代わる概念であるということ がで きる。 自己心理学では, 自己の構造化の程度や構成要素 を問題 にする。人が人生に意味や 目標 を感 じ,活気 や幸福感を味わっている状態は, 自己の要素が凝集 凝集 し合って一つの全体 を成 しているとみな し,「 した 自己 ( cohes i ves el f )」 と呼ぶ。一万.人が生 きる意味や 目標 を見失い,空虚感 にとらわれ,エネ ルギーが枯渇 したような状態 は, 自己の構造がば ら ば らになった状態 にた とえ られ るので ,「断片化 ( f r ag me nt a t i on) 」 と呼ぶ. 自己の構成要素で Kohutが重視 したのは,野心 ( 力や成功 を勝 ち取 ろうとす る努力) と理想 ( 理想 化 された価値や規範), この野心 と理想 によって活 性化 される才能 ・技能である。 これ らが形成される ことにより人生にテーマやプランが生 まれ,生 きる Wol f ,1 988)0 ことに意味が感 じられるようになる ( この個人特有の野心 一理想 一才能 ・技能か ら構成 さ が,同時に, 自己はそれを支えて くれる他者 との関 係 という基盤 ( mat r i x) と不可分の ものであると考 れ, また維持 されるためには,それを可能にす る他 者 との関係が必要であるというのが,Kohutの認識 である。その ような他者体験 ( または便宜的にその 他者 自体) を 「自己対象 ( S el f ob j ec t )」 と呼ぶo 自 己対象 という用語は, もともとは自己の一部の よう に体験 され る他 者 とい う意味であ った。 しか し, Kohut( 1 984) の最終的な定義によれば,それは自 己を支えて くれる他者の機能を 「 体験すること」で あ り,個人の主観体験 を意味 している。その意味で は 自己対象 は 「自己対象体験 ( s el f ob j ectexper i 」 と表現するほうが理解 しやすいo e nce) 自己対象の種類 としては,Kohutは 3種類の もの を考えた。子 どもの 自己対象体験 を例に して説明す るなら,まず,子 どもは自分のすぼらしさを親が確 認 ・賞賛 して くれること ( 映 し返 しmi r r or i ng) を 当然のことの ように期待 している。親が この ような 応答 を行い,子 どもが 自己のすぼらしさや完全 さを mi r r or i ng 体験 す る こ とを 「映 し返 し自己対象 ( 1 971 )は, この よう s e l f obj ec t )」 とい う。Kohut( に自己を顕示 して承認 ・賞賛 を求める自己を 「 誇大 自己 ( gr andi os es el f )」 と呼んだが,誇大 自己に対 して親が適切 な応答 を行 うとき,未熟 な自己顕示は 野心や 目標の追求に変容 してい く。 また,理想化 された他者,言い換 えれば完全性, 力,平静 さを備えているように体験 される他者 ( 親 mer ge)する体験 を 「 理 など) と心理的に一体化 ( 想化 自己対 象 ( i deal i zedsel f obj ect )」 と呼ぶ 。 Kohutの記述 を検討すると,この理想化 自己対象に は二つの要素が含 まれていることがわかる。一つは, ( a) 他者 に感情 の緩和 や調節 をして もらうことであ る ( Te i c hol z ,1 999)。 もう一つは,( b) 親 イマゴ ( 親 倭)の理想化であ り,親像が尊敬 ・理想化で きる特 質 を備 えて い る こ とであ る ( Tei chol z,1999)。 Kohutは,理想化 自己対象体験か ら,感情 を自分で s el f s oot hi ng)の能力や 積和 ・調節する自己緩和 ( 自己を内的に支える理想 ・価値が育ってい くと考え た。 しか し,厳密 には,Te i c hol z( 1 999)の ように ( a)と( b沌 区別 して考 え, ( a)か ら自己媛和能力が, ( b〕 か ら価値 ・理想が育つ と考 えたほ うが よいであ ろう 。 Kohutが最初 は映 し返 し自己対象に含めていて, -1 4 4- Ⅹo hu t の 自己愛性パー ソナ リテ ィ障害論の批判的検討 後 に これ か ら分 離 させ た のが ,「双 子 自己 対 象 あった り,その 自己対象の期待や願望 を代 弁 した り ( t wi ns hi ps e l f obe j ect )」である ( Kohut ,1 9 84)。 こ れは,他者 との間で類似性 ・共通性 を体験 し,それ によって支え られる体験である。双子 自己対象体験 は, 自分が他者 と感情体験 や関心 ・活動 を共有で き る一人の人間 として受け入れ られている とい う感覚 している部分である。ただ,Kohutがあげている事 例 をみる と,患者の誇大性 は,優越感や 自己顕示 と い うよ りも,精神分析家 に完壁 な理解 を期待 した り, を強化する ( Te i c hol z ,1 99 9) 先述 した 「自己対象転移」 とい うのは,精神分析 や精神分析 的心理療法を行 うと,過去 に体験で きな Kohut , として出現す る場合が多い ように思われる ( 1 971 ) 0 。 かった 自己対象体験 を求める欲求が復活 し,精神分 析家に向けられる現象である。 自己対象転移は, 自 己対 象 体 験 が 3種 類 あ るの に対 応 して , 鏡転 移 ( mi r r ort r ans f er ence),理想化 転移 ( i deal i zi ng t r ans f er e nce),双子転移 ( t wi ns hi pt r ans f er e nc e) に区別 される。つ まり,映 し返 し自己対象体験 を分 析家 に求めるのが鏡転移,理想化 自己対象体験 を求 めるのが理想化転移,双子 自己対象転移 を求めるの が双子転移である ③ 自己の分割 自己の構造の観点か らKohutの言 う自己愛性 パー ソナ リテ ィ障害の特徴 とされているのが,下記の よ うな自己の分割である。図 1の 「 縦」の分割 は 「 垂 。 精神分析家が共感不全 をおか した ときに敵意,冷淡 さ,尊大 さ,皮肉,沈黙 などによって反応する傾向 その一万, この誇大性 とは対照的に,患者の中心 的な欲求は満 たされない まま抑圧 されている。 この 現象 を,Kohutは 「 水平分割 ( hor i z ont a ls pl i t ) 」と 呼ぶ ( Koh叫 1 97 。図 1の 「 横」の分割が水 平分 割であ り,図 1の右側 ・下半分が抑圧 された部分 を 1) 示 している。水平分割は,現象的には, 自己対象欲 求 を満た して くれ る可能性のある対象か ら距離 を取 Kohut ,1 971, りひ き こ も る態 度 と して現 れ る ( p. 1 98)。つ ま り,患者 は誰かに自己対象欲求 を向け て依存す る とい うことが ないのである。 最初 ,Ⅹohut( 1 971 ) は,水平分割の下 に抑圧 さ gr a ndi os es e l f ) 」 と呼 れている部分 を 「 誇大 自己 ( んでいた。Kohutの言 う誇大 自己は, 自己 (とくに その本来的部分)への承認や賞賛 を求める自己であ ve r t i ca ls pl i t ) 」 と呼ばれ,図の左半分が病 直分割 ( 理的な誇大性 を表 している。Kohutによれば, この り,発達早期 においては 自然で健康 な ものである。 それが満たされることな く抑圧 され,未熟 なまま存 誇大性 は,決 して患者の本来的 自己に根 ざした もの ではない。 この誇大性 は,患者の病理の主要 な発生 源である自己対象 との関係 において育 った誇大性 で ある。その 自己対象が承認 ・賞賛 した自己の部分で 在 してい るわけで あ る。 しか し,その後 ( Kohut , 1 977),彼 は, この水平分割の下 に抑圧 されている nucl ea rs el f )」 として説明す る 部分 を 「中核 自己 ( ようになった。 公然 と表出される幼児的誇大性 垂 直 分 割 <意識 されている自己> <意識 されている自己> 低い 自尊感情 恥 を感 じやすい傾向 心気症的傾向 親が 自分の 自己愛的欲求か ら 賞賛 した部分 水平分割 ( 抑圧障壁) 親の 自己の延長のような部分 <意識 されていない自己 > 満たされていない 自己愛的欲求 (-自己対象欲求) 親が子 ども独 自の 自己愛的欲求 ( 自己対象欲求) を拒絶 したこと によって生 じた部分 図 1 自己愛性 パーソナ リテ ィ障害 にみ られる自己の分割 ( Kohut ,1 971,1 977を修正) -1 45- 上地雄一郎 ④ Kohutの言 う自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害の位置 づけ Kohutと対立 した Kembe r g( 1 970,1 975) の言 う自 己愛性 パー ソナ リテ ィ障害のほ うが一致度 は高 い。 この ように,Kohutの言 う自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害 は ,DSMⅣの診 断基準 で診 断 され る 自己愛 Ke r nbe r g( 1 970,1 975) は, 自己変性パ ー ソナ リテ ィ障害 を基本的には境 界性パー ソナ リテ ィ障害 の水 性パー ソナ リテ ィ障害 とは重 なる部分 もあ りはす る 準の人格構造 で機能 してい るとみなす。両者が異 な が,か な り異 なる ものであ る と考 え ざるをえない。 る点 は, 自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害では 「 誇大 自 表 1に最新の DSMⅣTR ( 200 0) の診 断基準 をあげ るが, この診断基準では,Kohutの言 う自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害 にみ られる ような過敏性 や脆弱性 が ほ とん ど考慮 され てい ない こ とが わか る。 丸 田 己 ( gr a ndi os es e l f ) 」 とい う病理 的ではあ るが安定 した 自己が形 成 され てい るこ とであ る。Ker nber g の言 う自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害の特徴 は,以下 の とお りであ る 。 ( 1 9 95) は,Kohutの言 う自己愛性パー ソナ リテ ィ障 害 を "自己愛に障害のある患者 と呼び替 え,DSMⅣ ① 自己概念が非常 に肥大 しているが,他者か ら愛 さ の診断基準 によって診断可能 な 自己愛性パ ー ソナ リ において も, ときどき自己が偉大 ・全能であ るとい テ ィ障害 とは一線 を画す方が,理論 的 ・臨床的理解 う感情や空想が現れ る。 として正確 であろ う" と述べ ているが, この見解 は ②情緒が分化 してお らず,喪失 した対象へ の思慕 と 妥当であると思われる。 悲 しみの感情が欠けてい る。他者 に捨 て られる と落 ただ ,Kohutの言 う自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害 れ賞賛 されたい欲求 も過剰 である。劣等感 を示す者 ち込むが,深 く聞 きいてい くと怒 りと憎 しみが復讐 をこの ように位置づ ける と,診断分類 上は厄介な問 願望 を伴 って現 れ る 題 を抱 え込 む ことになる。つ ま り, 自己愛の障害の ③他者か ら賞賛 と承認 を得 たが るのに,他者へ の興 程度 をは じめ として, どの ような特徴があ る場合 に 味 と共感が乏 しい。情緒的深みに欠け,他者 の複雑 そ う診断す るのかが不明確 になるか らであ る。 この な感情 を理解 で きない。 診断分類 の問題 は,本研究では触 れ ないが,検討 を ④他者か らの賞賛や誇大的空想以外 には生活 に楽 し 必用 とす る重要 な問題である。しか し,この事態 は, み を感 じることが少 ない。 心理療法 に関 しては診 断分類 におけるほ ど困った問 L 1・ i 1自己尊重 を もた らす ものがな くなる と,落 ちつか 題 を生 む わ け で は な いO 心 理 療 法 に お い て は , な くな り,退屈 して しまう。 Kohutが述べ た ことに従 って 自己愛 の障害 の軽減 に ・ ⑥ 自己愛 的供給が期待 で きる人は理想化 し,何 も期 。 努めれ ば よ く,その方針 を立て るこ とは困難ではな 待で きない人 は評価 を下 げ,侮蔑 的に取 り扱 う。他 いか らである。 者が 自分 にない もの を持 っていた り人生 を楽 しんで いた りす るだけで,非常 に強い羨望 を抱 く。 ( 2)自己愛性パー ソナ リテ ィ障害についての Ker nber g の見解 DSMⅣの診 断基準 との一致 度 に関 してい えば. ②他者か ら賞賛 を求め るので他者 に依存 してい る と 思 われが ちだが,他者への深い不信 と軽蔑のため に 本当には誰 に も依存で きない。 表 1 DSM-1 VTRにお ける自己愛性パ ーソナ リテ ィ障害の診断基準 誇大性 ( 空想 または行動 にお ける).賞賛 されたい とい う欲求 .共感の欠如の広範 な様式 で. 成人期早期 までに始 まり,種 々の状況 で明 らかになる。以下の うちの 5つ (またはそれ以上) に よって示 される。 ( l) 自己の重要性 に関 す る誇大 な感覚 ( 例 :業績 や才能 を誇張 す る.十 分 な業績 が ないに もか かわ らず優 れてい る と認 め られ るこ とを期待 す る) ( 2) 限 りない成功 .権 力,才気 .美 しさ, あるい は理想的 な愛 の空想 に と らわれているO ( 3) 自分が "特別" であ り,独特 であ り,他 の特別 なまたは地位 の高 い人達 に ( または団体 に) しか理解 されない, または関係 が あるべ きだ. と信 じてい る。 ( 4) 過剰 な賞賛 を求 めるO ( 5) 特権 意識 .つ ま り.特 別有利 な取 り計 らい, または 自分 の期待 に 自動 的 に従 うこ とを理 由 な く期待 する。 ( 6) 対 人関係 で相 手 を不当 に利用 す る.つ まり, 自分 自身の 目的 を達成 す るために他 人 を利用 する。 ( 7) 共感 の欠如 :他 人の気持 ちお よび欲 求 を認識 しよ うと しない. また はそれに気づ こ うと し ない。 ( 8) しば しば他 人 に嫉妬 す る. または他 人が 自分 に嫉妬 している と思 い込 む。 ( 9) 尊大 で倣憶 な行動 . または態度 -1 46- Ko hu t の自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討 ⑧非常 に原始的で脅威 に満ちた対象関係が内在化 さ い 。 れている。内在化 された良い対象 を支えにす ること がで きな ⑨分裂,否認,投影 同一化,全能感,原始的理想化 といった原始的防衛機制 を示す。その ような点では 境界性パー ソナ リテ ィ障害 と同 じだが,社会的機能 や衝動統制が よく,疑似的昇華能力,す なわちある e nf e l d( 1 9 87) については,英国対象関係学派の Ros も言及 してお り,彼 はそれを 「自己愛構造体 ( na ト nbe r r gや c i s s i s t i cor ga ni z at i on)」 と呼んでいる。Ke Ros enf el dの言 うような 自己変性 パー ソナ リテ ィ障 害は,誇大性 や 自己中心性 の強い,かな り重篤なも のであると考え られる 。 領域 で能動 的に一貫 した仕事がで きる能力がある。 ただ ,Ker nber gの見解 とKohutの見解 には,塞 な り合 う部分が皆無 とい うわけではない。 まず, ど しか し,その仕事は深みに欠けている。 ち らの見解 において も, 自己愛障害 を抱 えた患者は ⑲不安 な状況で 自己統制がで きるが,それは自己愛 重要 な依存欲求 を抑圧 してお り,本当の意味では他 s pl e ndi di sol at i on)」への逃 空想の増大や 「 孤高 ( 避 によって獲得 される不安耐性である。 彼の言 う誇大 自己 とは どうい うものか とい うと, 通常 な ら現実 自己の表象 とは区別 され,超 自我の一 部 として位置づけ られるべ き理想的 自己 と理想的他 者の表象が現実 自己 と融合 してで きあがる構造であ 者 に依存で きない人であるとみなされている。次 に, Ke mbe r gの言 う誇大 自己は,Kohutの図式の垂直分 割の左側 にみ られる誇大性 と重 な り合 う部分がある のではないか と思 われる。 また,Kohutは自己愛障 害の患者 には理想 システムの障害 ( 理想の欠損)が る。誇大 自己がなぜ形成 されるか とい うと,患者が r nber gも患者 の超 自我 には理想 ある と言 うが ,Ke に到達 しようとす る自己を賞賛する愛情的部分が欠 生 まれつ き攻撃性が強 く,欲求不満耐性が弱いのに 加 えて,人生早期 に親 との関係で耐 えがたい欲求不 r nber gの言 う超 自我 の けている と述べ ている。Ke 愛 情 的 部分 とい うの は,精神 分析 で 「自我 理 想 満 を体験 したか らで あ る。家族 的背景 と して は, ( e goi dea l)」 と呼 ばれて きた部分であると考え られ るか ら,理想の欠損 とい う点で も両者の見解 は類似 している ` ` 隠 され た強 い攻 撃性 を もつ慢性 的 に冷 たい親 ", …表面 は よ く機能 しているが,冷淡 さ,無 関心,冒 葉 に出ない侮蔑的攻撃性 をもった母親ない しは母親 代理"が兄いだされることが多い という。その結果, 患者は空想のなかで現実 自己の表象 と理想 自己お よ 今 の 自己がその ま び理想他者の表象 を融合 させ ,「 ま理想の状態 なので他者か ら愛 され る必要はない」 と感 じることにより,外的他者お よびその表象 を無 価値化 し,それへの依存 を拒否するのである。 患者 には愛情 に飢 え,怒 りに満 ちた自己の部分 も 存在す るわけであるが,この ような否定的 自己像 は 抑圧 され,排 除 されて他者 に投影 される。否定的 自 己像 を投影 された他者 に対 して患者は軽蔑の感情 を 向けるが,それは自己の一部分である否定的 自己像 への態度 と同 じものである。患者は他者 を理想化す 。 3.その他の見解- とくに疑似成熟性 ( 早熟性)に ついてKohutや Ker nber gの視点以外 に,重要 と思 われ る ものに自己愛性パー ソナ リテ ィにおける擬似的な pseudomat ur i t y) あるいは早熟性 ( pr e成熟性 ( cos i t y)があ る。つ ま りパー ソナ リテ ィあるいは 自 己の一部が時期 尚早 に成熟 して しまっているとい う 問題である。 Model l( 1 975) は, 自己変性 パー ソナ リテ ィを wi nni c ot t( 1 96 0 b)の言 う 「 偽 りの 自己 ( f al s es e l f ) 」 や De ut s c h( 1 942) の言 う 「かの ような人格 ( asi f ることもあるが,それは 自分の誇大 自己 を投影 し, per s onal i t y)」 とよ く似 た臨床的 タイプ と位置づ け ているが, 自己愛性パーソナ リテ ィが 「 未熟な 自己 それを賞賛 しているのである。 また,普通 な ら理想 充足性 ( pr ema t ur es el f s ufi c i e nc y) 」 を発達 させて 自己 と理想対象は超 自我 に吸収 され,それに到達 し ようとす ることが幸福感や 自尊感情 を生み出す よう Model l ,1 984)。それは,「自分 は他者 いる とい う ( には何 も求めてお らず, 自分 自身の情緒的支持は自 分で提供で きる」 とい う誇大的 ・万能的な幻想であ になるO ところが. 自己愛性パー ソナ リテ ィ障害の 超 自我 は,理想 に到達 しようとする自己をほめるよ うな愛情的側面が欠けてお り, 自己を責めるだけの 迫害的な もの となる。 この迫害的超 自我 は, 自分の なかか ら排除 されて外界に投影 され,その結果,忠 者 は他者 か ら責 め られてい る ように感 じやす くな るc Ker nber gが述べ た ような,誇大感 ・万能感 を伴 い,他者への依存 を否認す る自己破壊的な心の部分 Model l ,1 975)。 しか し,その幻想は,それ とは る ( 正反対の極端 な依存性や 自己感覚の脆弱性 を伴 って いる。 Model l( 1 975,1 984) は, これ を 「繭 ( cocoon) 」 の中にいることにた とえている。 これは,患者が他 者 と隔絶 してお り, 自分の状態 を繭 またはプラステ ィックの シール ドの中にいるようだと表現すること か らMode l lが用 い る比倫 である。そ して,Model l -1 47- 上地雄一郎 えてい るが,それ らは全能の ファンタジーによって ( 1 975) に よれ ば, この 自己充足性 は,他者 との コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に お け る 強 固 な 「感 情 遮 断 ( af f ectbl ock)」 を伴 ってい る。Model lに よる と, wi nni cot t( 1 960a) は 「感情 の体験 と共有が 自己感 覚 の組織化 を助 ける,言 い替 えれば本 当の感情 を共 有 で きない こ とに よって人 は 自己 を隠す ように な Kohutは この ような早熟性 について述べ てはいない が ,両 者 は矛 盾 す る もの で は ない と考 え られ る Kohutは, 自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害 の 自己 には る」 とい う理解 を もってい たが ,Model lは, この 親の期待 に同調 して発達 した部分 と,発達が停止 し wi nni cot tの見解 と自分 自身の観 察 を結 びつ けて, 自己愛性パ ー ソナ リテ ィは本 当の感情 を他者 に伝 え るこ とがで きないだけでな く, 自分 自身の感情体験 か ら切 り離 されてい る と結論す る。 いわゆ るi sol at i onが強烈 な感情 に圧倒 され るこ とへ の恐 れか ら生 じるの と違 い,感情遮断は分析家 と親密 になること へ の恐 れ に動機づ け られている。 Model l( 1 975) は, この ような防衛が生 じる原因 を次の ように推測す る。 子 どもが 自己感覚 を発達 さ せ る時期 に母親の側 に問題があ り,子 どもが母親 は あて にな らない とい う知覚 を持つ と,母親の侵入か ら自己の独立性 を守 る必要が生 じる。 こう して母親 か らの早熟 な分離 と早熟 な 自己感覚 の形 成 が起 こ る。 この早熟 な自己感覚あるいは 自律性 は,母親へ の同一化 に基づ くもの とも言 える。子 どもが 「 お母 さんは信 用で きない。だか ら私が私 自身の もっと良 いお母 さんになろ う」 と言っている ような ものであ るC そ して, この脆弱 な 自己感覚 を守 るために, 自 己充足性 や感情遮断 とい う自己愛的防衛が生 じる と 考 え られる。 この ような早熟性 を指摘 す る人 は,Mode l lだ け た まま抑圧 されてい る部分がある とみてお り,前者 ではない。Ri ns l e y( 1 989) は,Mahl erの分離 一個 体化 理論 に基づ いて同様 の早熟性 を指摘 してい る。 Ri nsl eyに よれ ば, 自己愛性 パ ー ソナ リテ ィにお い ては,分離 と個体化が歩調 を合 わせ て進 むのではな く,分離の問題が未解決の まま個体化が進 んで しま うとい うことが生 じている。 この ような人は,疑似 的に成人化 している,あるいは擬似 的 に成熟 してい るにず ぎず,分離へ の不安 や分離 に伴 う無力感 を砲 防衛 されている とい うD この ような観点 を Kohutの見解 と関連づ け る と, 。 が Mode l lや Ri ns l eyの言 う早熟 な部分であ る と考 え れば,両者 の見解 は調整が可能である。筆者 自身は, Mode l lや Ri ns l e yの視点 も有益 な もの と考 える。筆 者 自身 も, 自己愛の障害 を抱 えたクライエ ン トには 不 自然 に成熟 した部分 と未成熟 な部分が 同居 してい るこ とを観察 してい る し, クライエ ン トか ら 「自分 と周 囲の世界の間にガラスの壁があるようだ」 とか 「 周囲の世界 と本 当に触 れあっている感 じが しない」 とい った ( Model lの指摘 す る ような)訴 え を聞い た経験 があ るか らである。 4. 自己愛 性 パ ー ソナ リテ ィ障 害 の 二 類 型 論 と Kohut の見解 hutとKe r nber gの論争 を経て, 先述 した ような Ko 両者 の見解が対立す るの は,そ もそ も自己愛性 パー ソナ リテ ィ障害の なかに異 なる タイプが存在す るか らではないか とい う視点が複数の研究者か ら提 出さ れた。 最 も有名 なのは Ga bbar d( 1 989,1 99 4)の見解 で bbar dが言 うには, 自己愛性 ある ( 表 2参照)。Ga パー ソナ リテ ィ障害 は,対人的関わ りの典型的スタ イルに基づ いて想定 され る連続体 の二つの極 の間の どこか に位置す る もの として概 念化す ることがで き る。その二つの極 とは,「 周囲 を気 に しない ( obl i v- hyper i ous)」 タイプ と 「周 囲 を過剰 に気 にす る ( vi gi l ant )」 タイプであ る。 どち らも自己評価 を維持 しようと格 闘 しているが,対処の仕方 は異 なってい る。周囲 を気 に しない タイプは, 自分 の業績 を他者 Gabbar d,1 994) 表 2 自己愛性 パー ソナ リテ ィ障害の二つの タイプ ( 周囲を気にしないナルシス ト 周囲を過剰に気にするナルシス ト 1.他者の反応に気づくことがない。 2.倣憶で攻撃的である。 1.他者の反応に過敏である。 2.抑制的か、内気か、あるいは自分を表 に出すことさえしない。 3.自己陶酔的である。 3.自己よりも他者のほうに注意を向ける。 4.注目の的になっている必要がある。 4.注目の的になることを避ける。 5. 「 送信機はあるが受信機がない」よう 5.軽蔑あるいは批判されている形跡がな な人である。 いかどうか注意深く他者の話に耳を傾け る。 6.他者によって傷つけられたという感情 6.傷つけられたという感情を持ちやすい; に鈍感であるように見える。 恥や屈辱感を感じやすい。 ー1 4 8- Ko hu t の自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討 に印象づけようとするが,他者の反応 には鈍感であ り,自己愛的傷つ きか ら自分 自身を隔絶 させている。 これに対 して,周囲を過剰 に気 にす るタイプは,他 者の反応 に敏感で,そ こに拒絶や侮蔑のサ インを読 み と りやすい。後者 は,一見す ると顕示的 ・誇大的 ではないが,内的世界では自分 自身を誇大的に露出 したい とい う願望を抱いてお り,それに根 ざした強 Ⅳの診 断基準で記述 い差恥心がある。前者は DSM- ad ( 1 989) され る臨床像 に よ く合致す る。Gabbar に よれば,Ker nbe r gの言 う自己愛性パ ー ソナ リテ ィ障害 は周囲を気 に しない タイプに近 く,Kohutの 言う自己愛性パーソナ リテ ィ障害 は周囲 を過剰 に気 にす る タイプ に近 い。 これ と同 じような見解 は, Br o uc e k( 1 9 8 2,1 9 91 ),Ro s e r L f e l d( 1 9 8 7 ),Ma s t e r s o n ( 1 9 93) によっても提唱されている。 Br ouc ek ( 1 982,1 994) によれば,子 どもが 自己 認識の能力 を獲得 し, 自分の小 ささ ・弱 き ・無能 さ 特定の分野で優越性 を求め ようとす る傾向があると している 。 Ma s t e r s on ( 1 993) ち, 自己愛の障害 を 「 顕示的 自己愛障害」 と 「 隠れ 自己愛障害 ( c l os e tna r c i s s i s t i cdi s or der )」 に分類 した。顕示的 自己愛 障害 は DSMⅣの診 断基準 に一致す る ような障害であ り. bba r dや Br ouc e kの言 う過敏で 隠れ 自己愛障害が Ga 傷つ きやすい 自己愛性 パー ソナ リテ ィに相 当す る Ma s t e r s onによれば,隠れ 自己愛障害患者 は,誇大 自己で はな く全 能 的対象 に情緒 的エ ネルギー を注 ぎ, この ような対象 を他者 に投影 してその他者 を理 想化す る とい う。 この点 では, 隠れ 自己愛 障害 は Br ouc e kの言 う解離的 タイプに似 ているように思わ れる。 。 最後 に, これ らの二類型論 とKohutの言 う自己愛 性 パ ー ソナ リテ ィ障害 との 関連 につ い て述べ る。 i de a l i z eds e l f ) 」が登場す る 「 理想化 された 自己 ( Ga bba r d( 1 9 94) によれば,Ke mbe r gの言 う自己愛 MⅣにおける自己愛性パ 性パーソナ リティ障害や DS ー ソナ リテ ィ障害は 「 周囲を気 にしないタイプ」 に 近 く,Eohutの言 う自己変性パーソナ リテ ィ障害は oucek 「 周 囲を過剰 に気 にす る タイプ」 に近い。Br Br ouc e kは,理想化 された 自己が優位 に立ち,他者 か らの否定的反応 に対 して選択的不注意 を示す よう ( 1 991 ) ち,Ke r nbe r gが 自己愛性 パーソナ リテ ィ障 害 の典型 と考 えてい るの は 自己 中心 的 タイプであ e g ot i s t i c a l ) 」 タイプ,逆 な人たちを 「自己中心的 ( に卑下 された 自己が優位 に立 ち, 自己評価 が低 く, り,Kohutが典型 と考 えているのは解離的 タイプで に気づ き,恥の体験が限度を超 える と,防衛的 ・補 償 的方策 として 自己の誇大化 ( 理想化)が生 じる。 こうして,「卑下 された 自己 ( de val ue ds e l f ) 」 と, 。 恥 を感 じやす く,拒否 されることに敏感な人たちを 「 解離的 ( di s s oc i a t i ve) 」 タイプ と呼ぶ。解離的 タ イプでは,理想化 された自己は分割 ・解離 された形 で存在 し, どことな く感 じられる優越感や特権意識 d( 1994) に よれ ば, と して 姿 を現 す 。Gabbar Br o uc e kのいう 「自己中心的タイプ」が Ga b ba r dの言 う 「 周囲を気に しないタイプ」に相当 し,Br o uc e kの bba r dの言 う 「 周囲を過 言う 「 解離的 タイプ」が Ga 剰 に気 にするタイプ」 に相 当するが,両者の見解の d( 1994) に よれ ば, 相違点 も存在す る。Gabbar Br ouce kの言 う解離的 タイプは自分 自身の誇大性 を 他 者 に投 影 して他 者 を理 想 化 す る の に対 して , Ga bba r dの言 う周囲を過剰 に気 にす るタイプは誇大 性 を自己の内側 に保持 し,周囲を迫害的にとらえる という。 Ros enf e l d( 1 987) も同様 の分類 を行 ってお り, t hi ns ki nne d) 」( 敏感な)患者 と 「 皮の 「 皮の薄い ( 厚い ( t hi c ks ki nne d)」 ( 鈍感な)患者 を区別 してい bba r dの言 う 「 周囲を過剰 に気 にす るタイプ」 る。Ga ouc e kの言 う 「 解離的タイプ」 に相当す る 「 皮 や Br e nf e l dは,過度に敏感 の薄い」患者 について ,Ros であ り, 日常生活で も精神分析 においても傷つ きや すい と述べている。また,非常 に過補償 を してお り, あ る と述 べ て い る。 また ,Broucekに よ る と, KohutとKer nbe r gの見解 の相違 は恥 の力動 につい nbe r gの言 う誇大 ての認識 とも関連 してい る。Ker 自己は,Br ouc e kの言 う理想化 された 自己に相当 し, s hame)」 その形成 や分割 ・否認 において は 「 恥 ( が重要な役割 を演 じているわけであるが ,Ke mbe r g は恥の役割 を認識 し損 なっているとい うのであるO 以上の ように自己愛性パーソナ リテ ィ障害 を二類 r nbe r gの見解の 型 に分 けて考 える と,KohutとKe 対立 にも説明がつ くし,それぞれの言 う自己愛性パ ーソナ リテ ィ障害 に市民権が与 えられることになる であろう。 5. 自己愛性 パーソナ リテ ィ障害に関する Kohut の 見解の問題点 ここまで 自己愛性 パ ー ソナ リテ ィ障害 に関す る Kohutの見解 の特徴 を浮 き彫 りにするために,他の 見解 と比較 し, また現代の動向 との関連づけを行 っ た。最後に, 自己変性パーソナ リテ ィ障害 に関する Kohutの見解 の問題点 を論 じる。取 り上 げるのは, 自己愛性パー ソナ リティ障害における誇大性の問題 と,理想 自己 と現 実 自己のずれ に関す る問題 であ る。 -1 49- 上地雄一郎 ( 1 ) 誇大性 に関する問題 え,垂直分割の左側の部分にみ られる誇大性 を 「防 Kohut( 1 971 ) は,子 どもが 自己対象の賞賛のお かげで 自己を万能であるかのように感 じる時期があ ることを発達的に自然 なもの と考え,この ような自 衛的誇大性 ( de f e ns i vegr a ndi os i t y) 」と呼んでいるO 筆者 もこの見解 には賛成であ り,垂直分割の左側部 己を 「 誇大 自己 ( g r a ndi os es el f ) 」 と呼んだ。そ し て,誇大 自己に対 して自己対象か らの賞賛が与えら れ,親の賞賛の適度な失敗により子 どもが 自己の限 界 も知 らされてい くとき,誇大 自己は健康 な自尊感 情や野心 に変容 してい くとした。垂直分割 ・水平分 割 との関連でいえば,水平分割の下に抑圧 されてい るのは,親か ら承認や賞賛を受け られなかった誇大 分にみ られる誇大性 については,防衛的誇大性 と呼 ぶのが適切であると考えている。 このことは,心理 療 法 を行 う うえで も重 要 な意 味 を もって い る 。 Eohutが防衛的な誇大性 を健康 なもの と考えている かのように誤解 されると,心理療法においても防衛 的な誇大性 を受容することが必要であるかのように みなされて しまうか らである。 1 971) は考 えていた。後 に 自己であると,Kohut( ( 2) 理想 自己と現実 自己のずれに関する問題 Kohut( 1 977) は,水平分割の下に抑圧 されている nucl ea rs e l f )」 と呼ぶ ようにな 部分 を 「中核 自己 ( ったが,上記の Kohutの見解 は自己愛の理解 におい て大きな影響力 を持 ち続けている。 その一方,垂直分割の左側の部分 も誇大性 を帯び Kohutの 言 う 自己愛 性 パ ー ソナ リテ ィ障 害 , Ga bba r dの言 う 「 周囲を過剰 に気にする」 自己愛性 パーソナリテ ィ,Br oucekの言 う 「 解離的」 自己愛 性パーソナ リテ ィなどは,恥の感情 を体験 しやすい ことを特徴 としている。この恥体験の生 じやす さに ついて,それが理想化 された自己と卑下された自己 Kohut ,1 971)。Kohutは, た部分である とされた ( 少な くとも1 971年時点 においては, この部分 も誇 大 自己 とつながる部分であ り,幼児的誇大性がその まま表現 されているかのように描いていた。 この よ うな Kohutの説明は, 自己変性パーソナ リティ障害 患者が示す誇大性 を健康なもの と言っているかのよ うな誤解 を生みやすかった。Kohutの言 う誇大 自己 r nber gの言 う誇大 自己の意味が異なることも, とKe このような誤解 に拍車 をかけた。 しか し,Kohut自身が述べていることか らもわか るように,垂直分割の左側の部分は,親 ( 主に母親) の期待や願望 に同一化 した結果生 じた部分であ り, Kohut , 1 9 7 7 ) 。 母親の自己の延長のような部分である ( それは,親が子 どもの特性や達成を自己愛的に利用 したことへの順応の結果である ( Or a ng e,At wood,& St ol or ow,1 9 97) 。つ まり,この部分 は,親の願望 に 同調することによって親 との ( 病理的)杵 を維持 し s pl enようとす るものである。 この部分は,孤高 ( di di s ol a t i on),全能的な自己充足,他者の無価値化 ( de va lua t i on) を伴 い ( Or a nge ,At wood,& St ol or ow, 1 997), 自己対象転移の展開を妨げる部分で もある ( Bac l,1 a 9 9 0) 。Ba c l( a 1 9 9 0) や Mol l on ( 1 9 9 3) も指 nni cot t( 1 960b) 摘 しているように, この部分は Wi の言 う 「 偽 りの自己 ( 払I s es e f l ) 」 に似たものである といえよう。 Br oucek,1 991 ),あるいは理想 自己と恥ず の並存 ( 998) に由来す るという べ き自己の分極化 ( 岡野,1 見解があ る。 この 見解 の土台 になってい るのは, 「 理想 自己 ( i de a ls e l f ) 」と 「 現実 自己 ( ac t ua ls e l f ) 」 の 葛 藤 が 恥 の 感 情 を生 み 出す と した Sandl er, Hol der ,& Me e r s( 1 96 3)の見解である。 しか し, この点 に関 して,Kohut( 1 971) の見解 は異なっている。彼 によると,恥を感 じやすい人々 の多 くは強い理想をもってお らず,野心に駆 りたて られた顕示的な人であるというo Kohutは, この点 では精神分析 における経済論的視点 を維持 してお り, 自己顕示エネルギーの噴出が 自我の統制 を超え たときに恥の感情が発生すると考えていた。そ して, Kohutにとって 「 理想」は,その ような恥傾向か ら 人格 を守って くれるものであ り ( Kohut ,1 966),野 心 や顕示性 を方 向づ ける ものであ った ( Kohut , 1 977)。む しろ,その ような理想構造の未形成ある いは脆弱性が恥傾向をもた らす というわけである, J 通常,理想 自己が過大であるか らそれに到達 しな い現実 自己を恥ずか しく思 うのだと考えるほうが 自 然であ り,上記の Kohutの見解は一見す ると不可解 である。実際.岡野 ( 1 99 8,p. 1 22) は "ここでのコ フー トの真意は今一つ不明である" と疑問を投げか したがって,この部分は,水平分割によって抑圧 されている本来的な自己の部分 と同一視 されるべ き けている。 しか し,岡野が見落 としているのは,そ もそ もBr ouc ekや岡野の言 う理想 自己 とKohutの言 う理想が同一か どうか という点である。Kohutが上 ではない。Or a nge , At wood,& St ol or ow ( 1 997) は, Kohutが用いた誇大 自己 という用語が不適切である と指摘 している。そ して,Kohutの言 う誇大 自己を 記の ような見解 を記述 した前後の文脈 を検討す る と,Kohutが理想 をもともと超 自我 (とくに,その なかの自我理想) との関連で考えていることがわか 「 原初的発揚性 ( a r c hai ce xpa ns i ve nes s) 」 と呼びか る ( Kohut ,1 96 6)。Kohut( 1 966) によれば,彼の -1 5 0- Eo hu t の自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討 言 う理想 は 「誇大 で願望的 な自己 イメー ジ」 の こと 解の問題点 として,次の 2点を論 じた。 まず,Ko hut ではないD後 に Ko hut( 1 9 7 7) は,古典 的精神分析 が誇大 自己 と呼 んだ,発達 的に自然 な自己発揚 的傾 ( 欲動理論)か ら離れ, 自己 ( s e l f ) を中心 において 向 と, 防衛 的誇大性 とは区別すべ きであ る。次 に, 理想 自己 と現実 自己の乗離か ら恥の意識が発生す る 精神分析理論 を再構築 した ことか ら,超 自我や 自我 理想 とい う用語 は使用 しな くなるが,それで も理想 とい うBr ouc e kや 岡野の見解 と,理想が 自己顕示性 が野心や顕示性 を調節 し,導 くものである とい う視 を調節 で きない ことか ら恥が発生す る とい うⅩo hut 点は堅持 している。 の見解 のず れ につ いて, この見解 のず れは,Ko hut これに対 して,Br ouc e kや岡野が言 う理想 自己は, Kohutが理想 とは区別 した ∼ であ りたい」 とい が理想 を超 自我 (自我理想) と関連 させ て考 えるの う願望的 自己イメー ジを含んでいる と思 われる。少 ー ジを含 めて理想 自己を考 えることに起 因す るので な くとも,彼 らは Ko hutの ように両者 を区別 しては はないか と考 え られる。 ,「 に対 して ,Br ouce kや岡野が願望的な理想 自己 イメ ouc e kや岡野の言 う理想 いない。 言い換 えれば,Br 自己は.Ko hutの枠組 みか らみれば顕示性 や野心 の 引用文献 領域 での願望的 自己 イメー ジを含 んでいるのではな A e m r i c n Ps a y c hi a t iCA r ss oc i a t i o n( 2 0 0 0 ) . Di a gno s t i c L t aldi sor de r s: andsl at i st i , c atmanualo fme l Fo ur t he di t i o 7 1(t e xtTleV i s i o n).Wa s hi ng t o n,D.C. : 高橋三郎 ・染 m e A iC r n Ps a y c hi a t r i cA ss oc i a t i on.( 2 00 3) .DSMⅠ ⅤTR 精神 矢俊幸 ・大野 裕 ( 訳) ( い か とい う こ とで あ る O も しそ う だ とす れ ば , Br ouc ekお よび岡野の見解 とKohutの見解 は,一見 したほ ど不一致ではないことになる。 こ こで (1)で述べ た こ とが 関連 して くる。 先 に, 垂直分割 の左側の部分は,親 の期待 や願望 に同調 し, 同一化 した結果生 じた部分である と述べ た。つ ま り, 親 は子 どもに優 れた特性 や達成 を期待 し,子 どもが それに同調 ・同一化 して親の期待や願望 を満 たそ う と してい るのが この部分 であ る。そ うだ とす れ ば, 垂直分割の左側の部分 に願望的 ・自己顕示 的な意味 での過大 な理想 あるいは理想 自己が存在 し,それ と 現実 自己 とのずれが生 じていた として も不思議では ない 。 この よ う に考 え て よい な ら, この 考 え は Br ouc e kお よび岡野の見解 とKohutの見解 の不一致 に対す る一つの説明になるであろう 。 6.まとめ 自己愛性パー ソナ リテ ィ障害 に関す る Ko hutの見 解 を,Ke mbe r gの見解 ,DSMⅣの診 断基準, 自己 愛性パ ー ソナ リテ ィ障害の二類型論 と関連 させて論 じた。その結果 ,Kohutの言 う自己愛性パー ソナ リ テ ィ障害 は,Ke nbe r r gや DSMⅣにお けるそれ とは でいえば 「 周 囲を過剰 に気 にす る」過敏で脆弱 な タ 疾患の診断 ・統計マニュアル 医学書院) Ba c a l , H.( 1 9 9 0 ) . He i nzKohut . I nH. A. 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