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シンガポールにおける交通計画の取り組み
研究員の視点 〔研究員の視点〕 シンガポールにおける交通計画の取り組み 運輸調査局 研究員 仲田知弘 ※本記事は、『交通新聞』に執筆したものを転載いたしました はじめに 促している。2012 年の公共交通機関の利用 シンガポール共和国(以下「シンガポール」) 者は、バス 348 万人、地下鉄が 264 万人、 の陸上交通庁は、2013 年 10 月に「陸上交 タクシーは 96 万人となっている。1965 年 通マスタープラン 2013」を発表した。陸上 のシンガポール独立時はバスが公共交通の中 交通マスタープランは、40 年から 50 年先 心だったが、1987 年の地下鉄開業から 30 の都市の姿を展望した都市計画に基づいて、 年近くを経て、現在はバスと鉄道による二大 特に陸上交通における 10 年から 15 年先の 公共交通の仕組みに変わりつつある。 基本的な方針や計画を示したものである。交 シンガポールの政治体制は人民行動党によ 通計画はその都市における背景を踏まえ、未 る一党制であり、国家資本主義体制ともいわ 来の交通サービスのあるべき姿を計画してい れている。国家資本主義体制とは、国営企業 るため、住民の生活に大きく影響を及ぼしか や政府系ファンドを通じて政治的意向を反映 ねない。 させた経済活動が行われるような体制であ そこで本稿では、シンガポールにおける社 り、日本や欧米などで行われている市場原理 会的背景や交通計画を述べ、交通計画を網羅 に基づいた自由主義経済とは大きく異なる。 した都市計画の策定の重要性について考えて シンガポールは都市国家のため地方行政がな いきたい。 く、さまざまな国策が身近な生活に影響を与 えている。 シンガポールにおける社会的背景 シンガポールは中国系やマレー系、イン 陸上交通マスタープラン ド系などから構成される多民族国家で、日 陸上交通マスタープラン 2013 は、1996 本から南西方向へ約 5000 キロの距離にあ 年のホワイトプラン、2008 年の陸上交通マ る島国であり、東京 23 区と同じくらいの面 スタープランの計画や実施を踏まえ、中央ビ 積(約 710 平方キロ) に 23 区の半分くらい ジネス地区(CBD)の渋滞問題や通勤時間帯 の人口(約 530 万人) が住んでいる。そのた のラッシュ問題などに対して様々な対応策を めシンガポールでは、限られた土地を有効利 盛り込んでいる。 用するため、電子式道路料金徴収システムや 今回のマスタープランの特徴は、初めて国 新規車両購入権などの制度を導入して自家用 民の意見やヒアリング調査の結果を基にして 車の増加を防ぎつつ、公共交通機関の利用を 作成されたということと、地下鉄やバス、自 研究員の視点 家用車、自転車などを含めた総合的な陸上交 の陸上交通マスタープランでも、2030 年に 通の方針を示し、 「人間中心の陸上交通シス 向けて鉄道ネットワーク網を現在の 178 キ テム」を構築できるように考えられていると ロから 360 キロに拡張することを目指し、 いうことの 2 点が大きなものである。多民 さらに 8 割の世帯が駅から徒歩 10 分圏内 族国家であるシンガポールには、各民族間の に居住することが計画における大きな目標と 争いを避けるため国民に対して意見聴取やヒ して示されている。 アリング調査などを実施することなく、交通 また、本計画の特徴の一つとして、鉄道 計画や住宅政策などを政府主導で行ってきた 事業の拡大だけでなく、バスの快適性や利 経緯がある。しかし、シンガポールもまた時 便性などの向上を目指すことで、総合的な 代の移り変わりとともに、国民の意見に耳を 交通サービスの実現を目指している。さら 傾けなければいけない環境になってきている に、バス路線の新設やサービスレベルの向上 と考えられる。 などを目標にしたバスサービス向上計画で は、2016 年までに 800 台(うち 550 台を政 総合的な交通計画と住宅政策 府が負担) のバスを購入するとともに、新た シンガポールは、独立した 1965 年には に 40 系統を開設しバスネットワークの接続 既に貿易港として発展し大きな都市になって の改善を図ることなどが盛り込まれた。 いたが、貧困問題や住宅問題、交通問題な 前述のバス 550 台の購入費用や 10 年間 どのさまざまな問題を抱えていた。当時の のバス事業における人件費や燃料などの営業 リー・クァンユー首相らは、経済先進国を目 費用として、11 億シンガポールドル(日本 指す上で、国民の生活や政治的な安定を必要 円で 900 億円ほど) を政府が負担することと としていた。そこで、国民が安心して生活が した。日本の感覚ではやや大きな金額とも思 できる環境を整えるため、1971 年に住宅政 われるが、これだけの投資をすることでシン 策と交通計画などの統合的な都市計画を示し ガポールの公共交通の質を抜本的に高めよう た。 としていることがうかがえる。 現在、シンガポールの鉄道路線は、都市中 心部向けの大量輸送を担う MRT と郊外の住 シンガポールにおける交通計画のポイント 宅街を循環する LRT(注)に分類して建設が 以上、シンガポールにおける最新の交通計 行われている。シンガポール人口の 8 割が 画の概要を紹介してきた。今回のシンガポー 住むとされる公団住宅は、この鉄道ネット ルの交通計画のポイントは、限りある土地の ワークに沿って建設されており、駅と住宅の 活用の視点から、鉄道、バスなどの公共交通 距離が近い。 を連携・活用する交通計画となっているこ このような計画を実施できる背景には、英 と、また交通計画と住宅政策を網羅した都市 国の植民地時代からの「土地は国家のもので 計画となっていることの 2 点にまとめられ ある」という考え方に由来しており、政府の る。このような計画を提起した背景として、 方針や計画に基づいた土地収用が容易である アジアの金融センターとしての地位を確立し ことが、日本と大きく異なる点である。今回 て国家としての成長を図ろうとするシンガ 研究員の視点 ポール政府の戦略があるとともに、これを実 都市環境や、それを実現させている制度や社 現させることができる事情として長年黒字を 会的背景には、日本でこうしたことを進めて 続けているシンガポール政府の財源や土地収 いこうとする際に参考になる部分も少なくな 用の制度があることを忘れてはならない。 いと筆者は考える。読者の皆様には、このよ 日本とシンガポールの間には土地収用に時 うなシンガポールの計画や各種制度はどのよ 間と費用がかかるうえ、財政面における自由 うなものに映るだろうか。 度やそもそもの国土の成り立ちといった少な からぬ違いがある。そうした違いを考慮に入 れるとしても、シンガポールの計画が目指す (注) シンガポールの LRT とは、日本の「新交通 システム」に近いシステムである。