Comments
Description
Transcript
日 本 記 者 ク ラ ブ 会 報
− 15 30 「われわれの友情と同盟の比類なき重 要性に感謝して」(2.15) 07 14 ジム・ウェブ米上院議員の会見 ( ) 日本記者クラブ会報 一時は膨張主義的な勢力がなだれこ 〠一〇〇 〇〇一一 東京都千代田区内幸町二ノ二ノ一 んだが、いまやこの地域は安定し、 日本プレスセンタービル 経済成長を実現している。これは米 社団法人 日本記者クラブ 国が緊密に日本と協力することでも http://www.jnpc.or.jp たらされた。自身、ベトナム戦争で 演説の組み立てがすばらしいの 負傷した一人の人間として、この同 で、簡単に整理してみた。 盟関係は貴いものだと思っている。 (a ) ま ず 日 本 の 強 靱 な 底 力 と こ (e )最近のワシントンでのリー・ 第一級の会見だった。緊迫感に満 政治家の一人かもしれない。 の地域の安定に果たした長年の貢献 クアンユー元シンガポール首相の発 ち充実した記者会見は次の3要素か 1946年生まれ。海軍士官学校 に敬意を表わす。続いて自身と日本 言を引いて、前段の日米協力の成果 らなる。①ゲストスピーカーの資質 を出て、海兵隊で任務につきベトナ およびアジアとの関係を説明。いま を補強説明。そして、米軍が日本の と魅力②タイミング③司会の手際の ム戦争で数々の功績を挙げた。軍事 よりもっと積極的に軍事だけでなく 基地から撤退することになれば、南 よさと鋭い質問。 計画官、海軍長官を務める。200 経済、文化面でも、米国はこの地域 シナ海などで主権争いが始まるかも ゲストの要素が圧倒的なのだが、 6年の選挙で、共和党の大統領候補 に関わるべきだと表明する。 しれない、と。 久々に三拍子そろった。 とも目されていたジョージ・アレン (b ) 米 国 と 他 の ア ジ ア の 国 々 と (f ) 最 後 に、 こ こ へ 来 て ま ず 話 2月 日、午前9時 分、ウェブ を破り、 年から上院議員に。現在、 の関係と区別して、日米関係の重要 したかったのは日米同盟と友好関係 氏は壇上のポデュームの前に立っ 上院外交委員会東アジア太平洋問題 性を強調する。共通の目標、見方を の重要性だった、と。双方は歴史的 た。がっちりした体格だが、背は高 小委員長。エミー賞受賞者で、9冊 もち、同等の政治制度などを備えた、 に み れ ば 異 な る が、 政 治 制 度、表 現 くない。アナポリスが生んだ最良の の著書がある作家、ジャーナリスト。 真の意味での同盟関係なのだ、と。 の 自 由、経 済 の 野 心 的 エ ネ ル ギ ー な ウェブサイトには「書くこ (c ) 世 界 経 済 シ ス テ ム は こ の 1 どの点で似通った国だ。来日したの とが自分にとって生活の一 年半大きな混乱を経験した。そのな は、両国関係の強さを維持していく かで米日とも政治環境が激変したの 部だ」とある。 に は ど う す れ ば い い の か、日 本 の 指 で、二国間関係にブレが起きること 新政権が普天間飛行場の 導層の方々や市民の方々の意見を聞 移設問題で右往左往してい もあり得る。しかし、何度も何度も くためだと締めくくった。 る最中の訪日だった。 問題に見舞われても、それに適応し、 話の背後にあったのは、中国の南 メモ紙一枚すら持たず同 調和のとれた社会を維持してきた日 シナ海などでの主権主張と海軍力の 時通訳で約 分のスピーチ 本の底力を、自分は信じているとく 増強。それに対しては「米国が他の だった。レトリックや文飾 り返す。さらに、この地域における 国々の主権を保護する意図があるこ はない。ぜひクラブのHP 米日関係もしかりであろう、と。 とを、明確なシグナルとして発する にアクセスして動画でみて (d ) 米 日 協 力 の 成 果 を、 第 二 次 ことが重要だと思う」。 ほしい。 大戦後のこの地域の歴史で振り返る。 (専務理事 岩崎玄道) http://www.jnpc.or.jp 第 481 号 2010年 (平成22年) 3 月10日発行 © クラブゲスト おかだ かつや 岡田 克也 外相 67 2・1(月)記者会見 司会 橋本五郎委員 出席 人 HP動画・速記録 170 く伝える必要がある。 ど れ も 至 極 も っ と も で あ る。 だ が、普天間問題をめ ぐる鳩山政権の迷走 は、外相自身が3原 則のなかで身動きが とれなくなっている 現実を見せつける。 原点に返って、か つてリストから落ち た嘉手納統合案を検討した。が、現 場主義にしたがって沖縄に行ってみ ると、嘉手納案には猛烈な反対があ った。 ゼ ロ ベ ー ス の 検 討 を 強 調 し、「普 天間のほかに選択肢がなければ、い まのままの事態もありうる」と説明 すると、司会者から「それは首相が 否 定 し て い る 」 と 指 摘 さ れ た。「総 理の思いだろうが、明確に否定して いるわけではない」と、わかりやす くない説明に陥る。 「 年 間、 野 に あ っ た。 外 相 と い う職にあって、ここで完全燃焼した い」とも。悲運の外相を覚悟してい るようにも聞こえた。 日本経済新聞論説副委員長 伊奈 久喜 エリ・カタビラ 国際エイズ学会次期会長 ペドロ・カーン 前会長 20 70 18 40 10 2・ 2(火 ) 研 究 会「H I V / エ イ ズ 」○ 司会 宮田一 雄委員 通訳 池田薫 出席 人 HP動画・速記録 23 18 33 なっているのに、途上国では治療を ▼普遍的アクセスの早期実現を 受けられずに亡くなる人がまだたく 世紀後半から人類の前に次々と さんいる」と指摘した。 現れた未知の感染症の中で、エイズ 途上国でARTを受けている人は は唯一、パンデミック(世界的流行) 現在、約400万人で、5年前に比 となった新興感染症である。 べると 倍に増えている。だが、そ この大流行に立ち向かうべく、国 れでも緊急に治療を必要とする人の 際エイズ学会(IAS)には世界の %にとどまっており、それを10 医学者や政治指導者、社会、経済学 0%にする 者、NGOの活動家ら幅広い分野の 普遍的アク 専門家1万4000人が加盟してい セスの実現 る。隔年開催の国際エイズ会議の参 がIASの 加者は2万5000人に達し、保健 大きな目標 分野最大の会議としても有名だ。 だ。 ウガンダのマケレレ大学医学部教 一方、ア 授であるエリ・カタビラ博士(左) ルゼンチン は今年7月、ウィーンの第 回国際 の著名な医 エイズ会議でIAS会長に就任する 師であるペ 予定で、IAS初のアフリカ出身の ドロ・カー 指導者が誕生する。 ン博士は、 エイズの病原ウイルスであるHI ARTの早期開始が治療を受ける人 V(ヒト免疫不全ウイルス)に感染 を救うだけでなく、体内のウイルス している人は現在、世界で3400 量の減少で社会的に感染を抑止する 万人と推定され、 %がサハラ以南 効果も期待できると述べ、早期の検 のアフリカに集中している。カタビ 査によって治療の普及が進むことの ラ博士は「先進国のHIV陽性者は 重要性を予防の面からも強調した。 抗レトロウイルス治療(ART)の 産経新聞特別記者・編集委員兼論 普及で長く生きていくことが可能に 説委員 宮田 一雄 ( ) ▼悲運の外相になる予感も 悲運の外相になっ てしまうのではない か。A4版の一枚紙 のレジュメを手元 に、きまじめに語る 姿を見て、そんな心 配をしてしまった。 小沢一郎 氏の代 表 辞任を受けて昨年5月に行われた民 主党代表選挙は鳩山由紀夫、 岡田克也 両氏の対決となった。 党内で人気があ った鳩 山氏が勝つわけ だが、当 時、 世 間の人気は、 岡田氏がまさっていた。 世論調査によると、鳩山政権下の 日米関係を心配する声は、 %に達 する。責任は鳩山首相にあるのだろ うが、岡田外相も逃れられない。首 相候補としての影も薄くなってしま った感がある。 会見では、外相就任時に掲げた3 原則にまず触れた。 ①現場主義。 ②今までやってきたからという議 論はやめよう。原点に返って。 ③国民の理解と信頼があってこ そ、強い外交ができる。わかりやす 2010. 3. 10 No. 481 フェリペ・カルデロン・イノホサ メキシコ大統領 ▼安全な国に 憂国の大統領 14 16 14 2・2(火)記者会見 司会 斎藤史 郎理事長 通訳 梅澤雅代 福井美子 出席 人 HP動画 120 こ が のぶあき 古賀 伸明 連合会長 20 関心が高い経済対策を重視しなかっ ▼会社が踏み出す一歩が大事 たからだとの声も出た。その後大統 領は軌道修正を迫られ、経済、雇用 連合結成 対策を治安対策よりも前面に押し出 年で、久 すようになったという指摘もあった し振りに与 が、治安回復にかける情熱はまった 党の有力支 く揺らいでいないと感じた。 持団体とし メキシコ紙ウニベルサルによると、 て春闘に臨 国内の組織犯罪の犠牲者が今年に入 む。政権を味方に付けて意気揚々と り既に1千人を超えているという。 した心境を語ってもいいのだが、古 一国の元首が地球の裏側で「国の恥」 賀会長はまじめな人柄そのままに慎 重に言葉を選びながら話した。 とも言える治安の悪さを再三強調す る姿には驚きも感じたが、それだけ 意気揚々と話せないのは、デフレ に問題の深刻さを物語っていた。 経済のもとでの客観情勢の厳しさが 大統領はまた、ゴールドマン・サ あ る。「経 団 連 は 定 昇 凍 結 と も 読 め ックスが2050年にメキシコが世 る表現を使っている。定昇凍結とは 界第5位の経済大国に 会社は原資を増やさないということ なると予測していると で、とんでもない。何としても賃金 いうデータも披露し 水準を維持する」と、最低限の目標 た。海外投資を呼び込 を強調した。 む環境作りのためにも 定昇維持だけでは意気が上がらな 犯罪組織との闘いは急 い。 も う 一 つ、「非 正 規 労 働 者 を 含 務だ。 めた全労働者の処遇改善に向けたキ 「何 よ り も メ キ シ コ ャンペーンをしたい」とも言う。こ を安全な国にしたい」 と こで問題なのは、会社の原資が同じ 重々しく述べたその顔には「憂国」と なら、非正規社員の賃上げは、正規 いう文字が浮かんでいるようだった。 社員の賃下げにつながる、というこ 共同通信外信部 中川 千歳 とだ。これまで正規社員を守ること 2・4(木)昼食会 司会 栢森哲也理事 原田亮介委員 出席 人 HP動画 88 が中心課題だった連合が、この難問 にどう対処するかという質問が出た。 古賀会長は「この問題を労労配分 の問題にしてはならない。会社の大 きな決断、踏み出す一歩が大事だ」 と述べ、非正規社員の処遇改善は、 主に会社が原資を積み増すことで対 処するべきだという考えを明らかに した。 目先の春闘の話だけでなく、日本 の国のありようにも話は広がり、「成 長も大事だが、日本はここで一度立 ち止まって、人の幸せとは何だろう ということを考える時期ではない か」と、連合が目指すべきものは「幸 せ」という考えも披瀝した。 この日は、小沢一郎民主党幹事長 の 政 治 資 金 問 題 で、「小 沢 氏、 不 起 訴の方向」という新聞の大きな活字 が 一 面 に 躍 っ て い た。 会 場 の 関 心 は、小沢問題にもあり、代表質問の 一問目がこれだったが、古賀会長は 「基 本 的 に は ご 本 人 が ど う 考 え る か ということで、短兵急に断定したコ メントはしづらいし、やるべきでは ない」と、こちらも慎重に言葉を選 んで答えた。 朝日新聞編集委員 一色 清 ( ) 11 「多 く の 未 成 年 者 が 犠 牲 に な っ た 殺人事件を深く悼み、断固として糾 弾する」 冒頭に切り出したテーマは、 月 に自国で開催されるCOP でも、 日本との経済協力でもなく、2日前 にメキシコ北部シウダフアレスで起 きた高校生らが犠牲になった集団殺 害事件だった。 民家で開かれたパーティーに武装 集団が押し入り、銃を乱射。 人を 殺害し、 人にけがを負わせた。米 国境に接する同市は麻薬組織の犯罪 が深刻で、今回の事件でも組織の関 与が疑われている。 カルデロン大統領 は事件の一日も早い 解決と、警察機構の 強化による犯罪組織 の撲滅へ強い決意を 見せた。 治安対策は政権発 足当時から大統領が 掲げてきた最重要課題だが、昨年7 月の中間選挙で与党が大敗したの は、治安対策を強調しすぎ、国民の 2010. 3. 10 No. 481 クラブゲスト クラブゲスト アリ・アーメド・ジャマ・ジャンゲリ さくらい まさみつ 桜井 正光 経済同友会代表幹事 2・9(火)昼食会 司会 久保伸太 郎理事 小此木潔委員 出席 人 HP 動画 10 2・ 8(月 ) 記 者 会 見 司会 脇祐三委員 出席 人 通訳 西村好美 HP動画 ( ) 80 のない新政権を100日程度で評価 ▼ 「自立」 こそが日本経済を変える は出来ない」とした上で、ギャップ 大きな期待を乗せて船出した鳩山 は「財政的な危機感のない国民生活 政権も、マスコミ各社の世論調査で 第 一 主 義 の 政 策 」「需 要 家 サ イ ド に は支持率の %割れが常態化してい 偏った経済政策」が生み出している る。「政治とカネ」の問題もあるが、 と分析。まず必要なことは「この国 外交や経済などで国民が政権担当能 のかたち」の明確化と指摘する。 力そのものに疑問を持ち始めたから 「現 在 抱 え て い る 財 政、 税 制、 雇 ではないか。 用などあらゆる課題の5年後、 年 経済同友会の桜井正光代表幹事は 後の行き着く姿を明確にして、総合 民主党の地球温暖化防止対策などに 的に繋がるようにしていけばよい」 理 解 を 示 し て い る 経 済 人 だ が、「選 と 手 順 も 示 す。 そ し て、「も っ と 産 挙に勝つための政権公約と、実際に 業界の声に耳を傾けるように」とく 日本を活力のある国にする政策の間 ぎも刺す。 にギャップがありすぎる」と苦言を 一方、企業に対しては官依存から 呈する。消費税論議の前倒しなど現 の脱却を説く。恒例の経済3団体の 実路線への転換もうかがえるが、国 年頭会見で、桜井氏は「企業自らの 民の漠たる不安は桜井氏が指摘する 変革」の重要性を力説、「頑張れ民」 「ギャップ」にありそうだ。 と げ き を 飛 ば し た。「政 府 に 頼 る の 講演は『民主党の経済政策の評価』 ではなく、企業自らが需要を喚起せ 『日 本 経 済 ねばならない」というのが持論で、 が回復する 今回の講演も冒頭に「結論は自立」 ために企業 との考えを示した。政治とカネでは が求められ 「知 ら な か っ た 責 任 」 に 言 及 す る な ているもの』 ど多岐にわたるテーマで桜井節を展 がメーンテ 開した。 ーマ。政策 日刊工業新聞論説委員長 では「経験 小池 英二郎 50 ソマリア 暫 定 連 邦 政 府 外 相 20 47 とともに、治安部隊創設に全力をあ げていることを強調し、日本には武 装解除への支援と沿岸警備隊への装 備の提供や訓練への支援を求めた。 ソマリア沖・アデン湾で頻発してい る 海 賊 事 件 は「陸 上 の 問 題 」、 つ ま り若者が仕事に就けず希望を失って いることが背景にあり、雇用の創出 ▼崩壊国家の「人質」救出を と人材の育成が問題解決の鍵である 内ではテロと飢餓、 外では海賊と、 との見方を示した。 混迷の度を深めるソマリア。 年間 国際社会から見放され世界で最も にわたり無政府・無法状態が続き、 悲惨な国・ソマリアの人々を救おうに 過激派の巣窟となっている現状を、 もこれまでは受け皿がなく、援助機 関の職員が次々と誘拐される状況で 暫定連邦政府のアリ外相は「国民が は手の施しようがなかった。アリ外 人質にとられている」 と表現し、 治安 の回復と国家再建への支援を求めた。 相は反政府勢力に対し「これまで飴 2005年に樹立された暫定連邦 と鞭の両面だったが、これからは鞭 政府・TFGは、 反政府勢力との和解 を使う」として、和解に応じないア を呼びかけているが、イスラム過激 ッシャバーブを近く駆逐し、「政府」 派アッシャバーブは協力を拒み、首 の支配地域を拡大していきたいと自 都モガディシオの制圧を続けている。 信を示した。しかし、暫定連邦政府 アリ外相は「過激派はアルカイダ がどこまで国を掌握できるのか、氏 族や軍閥が支配するソマリアの統一 とつながり、資金は国外から潤沢に と和平への道のりは険しい。現状を 流れ込み、戦闘員がアフガニスタン 聞くにつれ暗澹とした思いになった などから入って来ている」と指摘。 会 見 だ が、「人 質 」 を 救 う た め に も 治安回復のためには「強く効果的な 国際社会はこれ以上放置できない。 政府」が必要だとして、反政府勢力 に和解と政府への参加を呼び掛ける NHK解説主幹 二村 伸 2010. 3. 10 No. 481 魁皇 大関 12 13 ▼堂々の品格 「師匠」 と 「稽古」 と 遠くからそっと応援しているだけ で十分なのだけれど、囲む会の誘惑 にはやっぱり勝てない。それに一つ 確かめたいことがあった。 平成 年秋場所に 勝2敗で優 勝、九州場所も 勝3敗で準優勝。 なのに綱は見送りに。ホントに悔し かった。でも昇進していたら今日は 16 多分ない。ど っちが良かっ たのか。ファ ンも悩ましい が魁サマは? 入門時、相 撲は好きでは なくて、新弟 子検査では緊張し邪魔にならないよ うにしていたという。花の 年組で 若貴兄弟、曙が同期とあれば無理も ない。冬は裸になるのがつらく、遂 に3人で部屋を脱走した。 親や地元にもう会わせる顔はない と思ったが、すぐ見つかった。 「ほ っ と し ま し た。 恥 を か か な い で済んだ。それからはもうやるしか ないと切り替えた」 。小声だが実感 63 2・9(火)囲む会 司会 井田由美委員 西田善夫会員 出席 人 HP動画・速 記録 89 のこもった口調だった。 会見で印象に残った言葉が二つあ る。「師匠」と「稽古」だ。 「師匠に怒られぬように」「師匠の 教えで自然に」と師匠との絆がとて も感じられた。今や右上手を取るだ け で 場 内 が 沸 く 型 の 確 立 に も「稽 古 」、 モ ン ゴ ル 勢 の 攻 略 に つ い て も 「モ ン ゴ ル の 人 た ち に 負 け な い く ら い稽古するしかない」と言う。 思えば師匠と稽古の 復権こそ相撲界復活の カギではないか。取れ る限り取るのが今は 夢。「幸 い こ の と こ ろ 大きなケガもないし、 気持ちは諦めない」と うれしい決意だ。 で、冒頭の疑問。ご本人の答えは 「そ う 思 え ば い い の か な あ 」 と 最 多 勝更新中の今日を肯定している風で あった。そう、良かったんだ。品格 を忘れた横綱がいたけれど、魁サマ の品格は堂々の横綱だもの。 デフレ、政治と金、リコール…滅 入るようなニュース続きの中、良き 時代の良き力士がそこにいた。 産経新聞特別記者 千野 境子 米上院 外 交 委 員 会 ジム・ウェブ 東アジア太平洋問題小委員長 ▼普天間─たくさんのオプションが 日米同盟関係は、日本でしばしば 報道されてきたように本当に今、危 機的状況にあるのだろうか。また、 あつれきの原因である普天間飛行場 の移転問題は、米側にとって現行計 画以外はあり得ないのだろうか。 こうした問題を考える上で、ベト ナム戦争時代に米海兵隊員として沖 縄に駐留した経験を持つウェブ上院 議員の会見は興味深かった。軍の計 画官として沖縄米軍を米領グアムや 米自治領北マリアナ連邦テニアンに 移転する案を検討したこともあると いう。その経験に基づき、普天間問 題 の 解 決 に つ い て、「た く さ ん の 現 実的なオプションがありうる」と述 べたのが特に印象的だった。 米民主党の議員でありながら、オ バマ民主党政権からは一歩離れた立 2・ (月)記者会見 司会 会田弘継 委員 通訳 西村好美 富永恵子 出席 人 HP動画 15 100 場を取り、この日も「政権の政策を 支持する義務は私にはない」と語っ た。だが、オバマ政権の政策決定に 影響を与えた人物でもある。 昨年8月のミャンマー訪問がそう だ。軍政のタンシュエ議長やアウン サンスーチーさんと会い、さらに、 スーチーさんの自宅に侵入したとし て懲役7年の判決を受けた米国人男 性を解放した。この行動は米政府の 命を受けていなかったが、オバマ政 権は対ミャンマー政策を見直し、関 与政策へと大きくかじを切った。 普天間問題でウェブ議員ならでは の役割を演じることができるのかは 分からない。だが、米政府内の対日 政策に特化した専門家だけでなく、 ウェブ氏のようないわば部外者の声 を聞くことが、米国が進む道を見極 める上で重要だと感じた。 「日 米 双 方 が 自 分 の 利 益 に な る と 感じられる形の合意が重要だ」とも 述 べ た。「押 し 付 け 」 の 印 象 を 与 え る問題解決が結局、米国のためにな らないという理解は、国防総省を含 む米政府内でも共有されているはず だ。 毎日新聞外信部 杉尾 直哉 ( ) 2010. 3. 10 No. 481 クラブゲスト クラブゲスト ひらまつ しげお 元杏林大学教授 平松 茂雄 20 2・ (月 ) 研 究 会「日 米 中 」 ⑥ 司会 浜本良一委員 出席 人 HP動画 15 100 ライラ・アモロ・オディンガ ケニア首相 2・ (水)記者会見 司会 石郷岡建委員 通訳 長井鞠子 出席 人 HP動画 17 43 ては格好のお手本だったという。中 となった。アナン前国連事務総長が 国はその言葉通り、例えば、大人数 仲裁し、キバキ氏を大統領、オディ 人立つのがやっとの「島」の上に掘 ンガ氏を首相とする大連立政権が誕 っ立て小屋を造るなどして居住でき 生、対立の火種は残しつつも2年が ることを証明し、領有権を獲得して 経過したところだ。 いった。しかし、今となっては、東 問題の2閣僚は、それぞれ数億円 シナ海から西太平洋に勢力圏を延ば の横領疑惑が報じられている。1人 し始めた中国にとって、沖ノ鳥島が はオンゲリ教育相でキバキ派。もう 「島」であることは許されない。「島」 1人はルト農相でオディンガ陣営な ▼自国の政局は大丈夫? なら周辺海域での行動が著しく制限 のだが、次の大統領を狙うオディン されてしまうからだ。 ケニア政局大荒れの中での来日と ガ氏にとって最大のライバルと目さ なった。日本に向けて出発する直前、 れている人物なので、騒ぎの背景は 国際法の規定さえも自分に都合よ 汚職疑惑に絡んでオディンガ首相は く解釈する、まさに「常識が当ては なかなか複雑なのかもしれない。 まらない国」だが、むしろ平松氏は、 2閣僚を停職処分とした。これにキ ただ、オディンガ氏に連立維持の 沖ノ鳥島の状況を放置し続ける政府 バキ大統領が反発、復職させたこと 考えは強いようで、会見でも「問題 の無策ぶりを嘆く。続けて、迷走す から、大統領派と首相派の関係は現 は腐敗、汚職で、これと戦うことで る米海兵隊普天間飛行場の移設問題 政権発足後、最も緊迫した局面を迎 は大統領も私もまったく同じ見解 にも触れ、「今は黙ってみているが、 えた。しかし、大統領と改めて話し だ」と強調した。淡々と「連立では 合おうにも日本に向けての出発の時 中国は心底、海兵隊がいなくなって 必ず意見の違いや誤解が生じる。し 間が迫り、しこりを残したまま離陸 ほしいと願っている」と分析する。 かし、だからと言って即連立崩壊と に踏み切った。会見でもオディンガ それだけに、平松氏は鳩山政権内で はならない。交渉すれば必ず解決の 氏は「恐らく間違ったアドバイスを の 議 論 の 行 方 を 危 ぶ み な が ら、「沖 道が見えてくるものだ」と訴えたの 縄は戦略的な要衝にもかかわらず、 大統領は受けている」と述べており、 は、自らに言い聞かせていたのかも 政治には考えがなさ過ぎる」と締め 大統領派への不信感は強そうだ。 しれない。司会から「日本の話では くくった。 ケニアでは2007年末の大統領 ないかというところもある」と指摘 どうやら「常識が当てはまらない」 選が勝敗不透明な結果に終わり、対 さ れ る と、 居 合 わ せ た ケ ニ ア 側 の のは中国だけではなさそうだ。 立する2陣営の大規模な衝突に発 面々からも思わず笑みが漏れた。 読売新聞編集委員 勝股 秀通 展、約1300人が死亡する大惨事 時事通信外信部 松尾 圭介 ( ) ▼常識が当てはまらない国 「常 識 が 当 て は ま ら な い 国 」 と 平 松氏は中国を評する。それを裏付け る逸話として、長年、中国のしたた かな海洋戦略を研究してきた平松氏 は、たくさんの引き出しの中から、 日本最南端の沖ノ鳥島(東京都)を めぐる中国の主張の様変わりぶりを 取り上げてみせた。 岩礁に囲まれ、満潮時はほとんど が 水 没 す る 同 島 に 対 し、 現 在 中 国 は、国連海洋法条約で200カイリ の排他的経済水域(EEZ)が認め られない「岩」だと主張する。とこ ろが 年ほど前、日本が「島」を維 持するために施した水没防止措置を 持 ち 上 げ、 「い く ら 金 を か け て も 惜 しくない。実に素晴らしい」とまで 絶賛していたことを明らかにした。 信じられないような主張だが、当 時、南シナ 海の南沙諸 島への進出 をもくろむ 中国にとっ て、日本が 講じた手立 2010. 3. 10 No. 481 もとひで 15 67 ワンガリ・マータイ ノーベル平和 ( ) 2・ (金)記者会見 司会 坂東賢 治委員 通訳 池田薫 出席 人 HP動画 10 よしかわ 30 50 賞受賞者 12 19 し、来日も5回目。今回は、京都の ▼市民の力への信頼が原動力 ともいき 知恩院を訪れ、浄土宗の「共生」 (自 きょうせい 最近、環境問題をめぐる動きとし 然との共生、尊重)という概念を初 て記憶に新しいのは、昨年 月にコ めて知ったことで、その思いをさら ペンハーゲンで開かれた国連気候変 に強めたようだ。日本では今年、名 動枠組み条約第 回締約国会議(C 古屋で生物多様性条約第 回締約国 OP )だろう。1997年のCO 会 議 が 開 か れ る が、「C O P 3 の よ P3で締結された京都議定書に代わ うな将来への展望を示せるよう期待 る法的な枠組みはおろか、全加盟国 している」と語った。 が加わる政治的な合意も達成できな マータイさんは2004年にノー かった。今後の進展に対して、悲観 ベル平和賞を受賞して以降も、国連 的な見方を示す向きも多い。 平和大使や、世界で第2位の面積を だ が マ ー タ イ さ ん は、「C O P 誇るアフリカ・コンゴ川流域の熱帯 で は、主 要 国 す べ て が、『気 候 変 動 は 雨林保全の親善大使を務めており、 人間の活動が引き起こした』という さらに母国ケニアのナイロビ大学で、 点に同意していた。京都よりも前進」 「ワ ン ガ リ・ マ ー タ イ 平 和 環 境 問 題 と前向きな評価を行い、関係国の指 研究所」を設立。活動の場を一層広 げている。会見で印象 的だったのは、その精 力的な活動を支えてい るであろう、前向きで 柔軟な考え方と、市民 の力への信頼だ。その 市民の力に働きかける 立場にある我々、報道 に携わる者たちに向けても、 熱いメッ セージが発せられたように感じた。 読売新聞国際部 梁田 真樹子 15 導者を鼓舞。同時 に、「と く に 民 主 国家で、市民が温 暖化対策を促す世 論を形成できるよ う教育を行い、政 治家を動かすこと が必要」とも訴え、 市民の行動の大切さも強調した。 マータイさんは、環境問題に関す る日本のリーダーシップに期待を示 15 2・ (水 ) 記 者 会 見 司会 倉重 篤郎委員 出席 人 H P 動 画・ 速記録(スピーチのみ) 60 吉川 元偉 アフガニスタン・ パキスタン支援担当大使 10 17 73 アフガン政権の課題は、次回国際 会議のカブール開催だ。カルザイ大 統領が、汚職、開発などの対策を具 体化して国民に約束する場となる。 日本とアフガンの付き合いは長 い。1930年の修好条約署名から 年に及ぶ。アフガン人は日本に親 近感をもっている。日本は 年代か ら水供給、結核治療、テレビ局開局 など幅広く経済協力してきた。 ソ連軍撤退後のアフガンの「失わ れた 年」終盤に、初めて和解提案 をしたのも日本の小渕外相だった。 年の第1回アフガン支援国会議の 東京開催に結び付いた。ロンドン会 議で、日本が5年間で最大 億ドル の 支 援 を 表 明 し た の も、「 年 代 か らの長いつながりから出てきたもの だ」という。 米欧では厭戦論が強まり焦燥感が 世論に表れている。だが「息長くア フガニスタンを理解してつきあって いくのが日本の外交だ」という吉川 大使の言葉から、アフガン和平で日 本が重要な役割を果たしているとい う自負と強い責任感が読み取れた。 共同通信論説副委員長 粟村 良一 80 02 ▼息の長いアフガンとの付き合いを アフガニス タンは戦争の 泥沼から抜け 出せるか。反 政府武装勢力 タリバンが支 配を広げ、米 軍はじめ外国軍に多くの死者が出て いる。この1月にロンドンでアフガ ン支援国会議が開催。米軍が南部ヘ ルマンドで大規模軍事行動を開始し た直後の時宜をえた会見だった。 吉川大使は①ロンドン会議とアフ ガンの課題②日本・アフガン関係と 日本の役割─を豊富なエピソードを 交えて概説した。 会議で国際社会は、末端タリバン 兵士の社会復帰(再統合)を支持し た。日本は5千万ドルを拠出する。 強要されたり金をもらったり、さま ざまな事情から戦闘に参加している タリバン末端兵士に職を与え社会復 帰させる。国民和解への一歩だ。 軍事力だけでなく民生活動の重要 性を認めたオバマ米政権の新戦略と 同じ方向だ。 2010. 3. 10 No. 481 クラブゲスト クラブゲスト 90 2・ (月 ) 記 者 会 見 司会 中井 良則事務局長 通訳 澄田美都子 出席 人 HP動画 モハンマド・ファヒーム・ダシュティ カブール・ウイークリー紙発行責任者 2・ (月 ) 懇 談 会 司会 高畑 昭男委員 通訳 石黒弓美子 出席 人 HP動画 22 48 るとの主張はいささか突飛だが、安 ▼安定化への道筋─メディアの役割 定化への道筋は論理的に聞こえる。 「私 は ア フ タリバンを「根っからのタリバン」 ガン人。民族 と多数の「参加せざるを得なかった の区別はした タリバン」の2つに分類。前者は交 渉不可能だが、後者を現政権側に取 く な い 」。 多 り込むのは可能だと訴える。 数の民族が入 り混じり、長 もめごとが起きて提訴しても、裁 年対立が続く 判官にわいろを要求される現状で アフガン。自らの民族を問われ、こ は、すぐに裁定してくれるタリバン う言い切った。2001年の米同時 に頼ってしまう。最大民族パシュト テロ以前、タリバンと戦っていた国 ゥン人中心のタリバンは、長年にわ 民的英雄マスード元国防相の懐刀。 たり国を支配してきた民族の自尊心 同時テロ2日前の元国防相暗殺時に をあおり、教育のないパシュトゥン 同席し、重傷を負った過去を持つ。 の若者を取り込んできた。最大の課 現在発行する週刊紙は元国防相が創 題は民族間の対立解消で、さらに貧 刊したものだ。タリバン政権下では 困の解消、政府の統治能力の回復、 新聞1紙、ラジオ1局しかなかった 汚職の撲滅を進められれば後者を懐 が、現在は活字メディア700、テレ 柔でき、根っからのタリバンも交渉 ビ 局、ラジオは150局にまで増 に応じざるを得ないと主張する。 えた。発行部数1万部の「小さな新 米軍増派後も前途が多難であるこ 聞」だが、経済的には完全に独立し とに変わりはなく、安定への道のり ているといい、武装勢力や麻薬密売 は極めて遠い。教育が行き届いてい 組織はもちろん、カルザイ政権や米 るとは言えないアフガンで今後、国 国も厳しく批判していると自負する。 民に道筋を示す公正なジャーナリズ タリバンがアフガンを再制圧すれ ムの役割は一層重要になるだろう。 ば、似た思想を持つ隣国パキスタン 共同通信前カブール支局長 の軍部からタリバンに核兵器がわた 遠藤 幹宜 ( ) ピンディー・ステファン 国際移住 機関(IOM)上級移民統合研修官 20 22 32 は、難民が入国直後の生活にスムー ズに入れるようにするための準備 だ。あいさつなど基本的な日本語を 教えるのはもちろんだが、それ以前 に、 例 え ば 多 く の 難 民 が 未 経 験 の 「飛 行 機 の 乗 り 方 」 な ど に つ い て も かなりの時間を割くという。 印象に残ったのは「重要なのは、 日本について正確な情報を提供し、 難民が抱く期待を、より現実的なも のにしていくこと」という言葉だ。 難民が抱く期待に対して、研修官は どんな『日本の現実』をつきつける のだろうか。 難民は入国後も半年間、本格的な 日本語などの研修を受けるが、その 後は、住居も職業も自分で探し自立 して生活することが求められる。半 年だけで日本社会になじんでいける のか、懸念する声も上がっている。 新たな試みは、日本が難民をどう 受け入れるのか、定住者=隣人とし て迎えるつもりがどこまであるの か、受け入れ側の日本政府だけでな く、結局は私たち一人一人が考えて いく一つのきっかけとなるのかもし れない。 NHK報道局社会部 松 成至 本 20 ▼ 「第三国定住」 を現実的なものに 日本は今年から「第三国定住」と いう新たな試みを始める。政情不安 が続くミャンマーから逃れ隣国タイ のキャンプで暮らす難民を、3年間 で 計 人、 「第 三 国 」 で あ る 日 本 に 呼び寄せ定住してもらう。日本はこ れまでも計約1万1千人のインドシ ナ難民のほか、世界各地から「自力 で」日本に逃れてきた難民を毎年数 十人程度受け入れてきたが、今回は 「呼び寄せて」定住してもらう、 「よ り積極的な政策」に踏み切る。 IOMはその難民たちが日本に向 けて出国する直前、基本的な日本語 や生活習慣などを約1ヵ月かけて教 える研修を担当する。ステファン氏 はその責任者で、難民への研修では 年のキャリアを持つという。家族 を失ったり命の危険に冒されたりす る難民と長年接してきた経験をうか がわせる柔ら かな語り口 で、IOMが 行う研修につ いて説明した。 出国前研修 2010. 3. 10 No. 481 ゆ かわ かずお 遊川 和郎 北海道大学大学院メディア・ コミュニケーション研究院准教授 2・ (火)研究会「日米中」⑦ 司会 坂東賢治委員 出席 人 HP動画 きむら せんいち 木邨 洗一 国際協力機構 前アフガニスタン事務所長 21 23 79 2・ (木 ) 研 究 会「ユ ー ラ シ ア 」 ⑫ アフガン編 司会 石郷岡建委 員 出席 人 HP動画 25 50 脇阪 紀行 も に、「平 和 の 象 徴 と し て の 首 都 カ ブールをつくりたい」と語った。 もう一つの農業支援は東部の町ジ ャララバードで取り組んできたコメ 増産支援の経験が土台となる。若い 頃に英国に留学し、農業管理学を学 ん だ と あ っ て、「紛 争 で 途 絶 え た 稲 作技術をよみがえらせれば、収量は 増えるはず」と熱っぽい。 しかしこうした取り組みが進展す るためには、結局、アフガンの治安 状況の改善を待つほかない。 カブールでは自爆テロ攻撃が頻発 し、日本人専門家は昼間も外を歩け ず、外出時は必ず防弾車を使うこと に な っ て い る。「な に か 事 件 が 起 き れば必ず無線連絡で全員の安否を確 認した」と、スタッフの安全確保に 責任を持つ所長らしい言葉も。 た だ 最 後 に 一 言 と 問 わ れ て、「日 本での報道によって、アフガンは危 ない国だというイメージができてい る。普通の人々が生活し、開発の現 場で日本人が活動する姿も伝えてほ し い 」。 危 険 の 中 で 頑 張 っ た か ら こ その思いなのだろう。 朝日新聞論説委員 50 代 の「新 紅 衛 兵 」。 普 通 選 挙 や 議 会 ▼開発援助の進展には治安改善必要 運営などの「民主主義コスト」が低 い の が 強 み だ っ た が、「全 知 全 能 の 世紀の 神」たる共産党も社会多元化に対応 世界が安定 しきれず、上昇する「民主主義でな するかどう い(ために支払わされる)コスト」。 かのカギを 中国は北京五輪開催や金融危機脱 握るアフガ 却で「中国モデル」に自信を深めた ニスタン。 が、遊川氏は「普遍的な大義」を欠 国際協力機構(J ICA)の現地責 いていると説く。思わずひざを打ち 任者として2年余り、首都カブール た く な る 指 摘 だ。 筆 者 も 北 京 駐 在 に駐在し、1月に帰国した。 中、外国外交官などから「中国の発 日本政府は向こう5年間で最大 億ドル(約4500億円)の支援を 展は確かに目覚しいが、果たしてど れだけの国から尊敬されているだろ 約 束 し て い る。「こ れ ほ ど 巨 額 の 援 うか」という疑問をよく聞かされた。 助ができるのか」という質問が出た 全球化時代になっても中国はなん が、 現 地 の 治 安 悪 化 の せ い で 当 面 ら変わらない。国際社会が「大国に は、国連経由でアフガン警察官の給 ふさわしい責任を担うはず」と過剰 料を支払うといった治安機構の整備 支援を柱にせざるをえない。 な期待を寄せ、それが失望に変わっ た だ け。「経 済 レ ベ ル が 上 が れ ば 民 その中でJ ICAは、教育や医療 な ど の 従 来 の 支 援 に 加 え て、 新 た 主化に向かう」という国際的経験則 に、カブール北部への首都圏拡充構 は通用しない。中国的価値観は成熟 国家のそれと相容れない。こうした 想と、北東部クンドゥズ州への農業 判断に立つ遊川氏によると「普通に 支援の拡大を進めるという。 なれない大国」の苦悩はさらに深ま 首都圏拡充構想では昨年マスター りそうだ。その大国との共生を強い プランを作り、水の供給路の建設な られる世界もまた。 ど百件以上のプロジェクトを提案し 時事通信外信部長 服部 健司 ている。大量の雇用を作り出すとと ( ) ▼キーワードで読み解く異質大国 経済規模世界2位を指呼の間に臨 み、 国 際 舞 台 で 存 在 感 を 高 め る 中 国。資源、環境、人権、軍事などで 独自のスタンダードを貫き、国際社 会とのあつれきも絶えない。この異 質の大国とどう付き合うか。日本に とって永遠のテーマだ。中国の現状 を「強欲社会主義」と喝破した遊川 氏は「利益最大化のためには手段を 選ばない」振る舞いが世界に違和感 を与えているとし、そのあり方に疑 問を投げ掛けた。 豊富なデータ、適切な具体例、明 快な語り口で説得力あふれる内容。 わけても秀逸なのは、切れ味鋭いキ ーワードと独自の造語だ。これまで 中国内にとどまっていた諸問題がグ ローバル化によって外部にあふれ出 し、世界が共有せざるを得なくなっ た「国内問 題の全球 化」 。愛国 主義を奉 じ、政権へ の忠誠心が 強い若い世 2010. 3. 10 No. 481 クラブゲスト 「小沢不起訴」と「朝青龍引退」 朝刊担当デスク ▼武田 安弘 (東京新聞前編集局次長) 整理部など関係各部が集まり打ち合 わせた。さらに、当日も午後2時す ぎから再度、最終調整をすませた。 その直後の一報だった。 張り出し号外を出した後、朝刊担 当の局次長作業席で緊急打ち合わ せ。運動部長に編集局長も加わった。 最大のテーマは、1面トップをどち らにするかだった。 当番整理部長は「小沢不起訴は今 日の朝刊でも見通しを書いている。 掲載の「この人」欄は休載した。異 例の措置だが「こんな大きなニュー 織り込み済み。読者の驚きを優先す スのバッティングはめったにないこ るべきだ」と、朝青龍引退をトップ とだから」と説得し、担当者の理解 に主張した。社会部の担当局次長は を得られた。 「ニ ュ ー ス の 重 大 性 」 を 重 視 し て 小 沢氏をトップにすべし、だった。編 共通認識が固まると一気に紙面作 集 局 長 が 議 論 を 引 き 取 り、「西 松 建 りは動き出した。トップと肩両方の 設の献金事件で秘書が逮捕されて以 主見出しが白抜きベタ黒で幅も同 来、1年近く続いてきた小沢幹事長 じ、肩の写真の方が大きいという印 絡みの捜査の結論が出るわけだか 象的な1面。プリウス問題など本来 ら、小沢でいこう」と断を下した。 1面モノはあったが、割り切った。 同 時 に、「朝 青 龍 も 本 来 は ト ッ プ。 意思統一と割り切りで乗り切る 肩だが、目立つ扱いにしよう」との 指示も出した。これで、1面の大枠 夕方以降も節目ごとに、ほとんど は決まった。 自然発生的に各部が当番局次長席に 集まり、紙面の内容、見出し、レイ 主見出し、構成で一工夫 アウトの調整を繰り返した。定例の 次は、中面。特に難問だったのは 朝刊会議は夕方と夜の計3回だが、 3面「核心」欄。その日一番のニュ この日は 回近くやった。 ースのサイドストーリーを置く。当 大ニュースが衝突したときは、編 集局の迅速・入念な意思統一と、そ 初は、もちろん小沢氏関連で社会部 れに基づく割り切りで乗り切る。こ が用意。1面トップを譲った運動部 が「突然の引退劇の内幕を書きたい」 れが今回の結論だ。 と 主 張 し、「核 心 」 は 運 動 部 原 稿 に 「こ ん な に 打 ち 合 わ せ を し た 日 は した。本来ならトップニュースとの 珍 し い ね え 」。 日 付 が5 日 に 変 わ っ 読者へのメッセージも込めたつもり たころ、居残って応援してくれた同 だ。ただ、核心は左側に寄せ、右半 僚が笑顔で語りかけてきた。 分は予定通り社会部原稿で2面の政 た け だ・や す ひ ろ 1989 年中日新聞 治面と見開きは実現した。 入社 特報部 ソウル支局長などを経て しかし、2つの大きな記事で他の 政治部長 年から編集局次長 3 月1 日付で北陸本社編集局長に異動 記事がはじき出される。3面に毎日 「1面トップは?」2月5日付朝刊各紙に ( 10 ) 横綱級ニュースが衝突した日 ニュースは気まぐれだ。1面トッ プをどう埋めればいいのか、と途方 に暮れるほど少ない日もあれば、多 すぎて困る日もある。2月4日。東 京地検特捜部は資金管理団体による 土地購入問題で小沢一郎民主党幹事 長の不起訴を決定。横綱・朝青龍は 突然、引退届を提出。横綱級のニュ ースが衝突する1日となった。当日 の朝刊担当局次長として本紙の紙面 作りを報告する。 「小沢」で全面展開予定が一変 「朝 青 龍 引 退!」 の 一 報 が 飛 び 込 んだ午後3時すぎ、この日の紙面づ くりは一変した。 それまでは、小沢幹事長の処分で 全面展開の計画だった。いまや政界 の最高実力者である小沢氏の疑惑に 捜査当局が決定を下す。しかも、今 回は東京地検特捜部の捜査のあり方 も問われている。 巨大なニュースだ。 前日には社会部、政治部、特報部、 10 06 ワーキングプレス 2010. 3. 10 No. 481 ドラマ「神戸新聞の7日間」 17 6割が震災後の入社 “ 重み” を共有する機会に 15 ■林 芳樹 (神戸新聞社編集局長) 阪神・淡路大震災から 年となる 1月 日の前夜、フジテレビ系列で ドキュメンタリードラマ「神戸新聞 の7日間」が放送された。それなり の反応は予想したが、ふたを開けれ ば、こちらがたじろぐほどの反響だ った。 企画が持ち上がったのは昨年7月 のことだ。震災で本社が壊滅しなが ら、1日も休まずに新聞を発行した ことをまとめた「神戸新聞の100 日間」 (角 川 ソ フ ィ ア 文 庫 ) を ド ラ マ化したいとの申し出だった。 テレビドラマにふさわしいか、少 しためらった。しかし、270人ほ どの私たちの編集局を見ても、震災 後に入社した記者が6割を占めてい る。神戸市民の4割弱が震災を体験 していないというデータもある。い やおうなく遠ざかる震災を見つめな おすきっかけになると思い、全面協 力を決めた。 そのとき、番組スタッフにお願い したことがいくつかある。事実を踏 まえた内容に徹してほしい。京都新 聞の協力をきちんと描いてほしい。 読者に届いてこそ新聞だから、販売 店の踏ん張りを盛り込んでほしい。 そんな注文である。 ほぼ全員が実名で登場 制作スタッフは実に誠実に受け止 め、意向を汲んでくれた。原作に登 場する社内外の 人に丹念な再取材 70 2010. 3. 10 No. 481 神 戸 発 2010. 3. 10 No. 481 を重ねて出来上がったのが、若手カ メラマンを軸にした物語だ。 ほぼ全員が実名になったのは、局 としてそれぞれに要請したためでは ない。全員が快く実名を了承してく れた。企画の趣旨を理解し、制作ス タッフとの強い信頼関係ができたか らだろう。 編集局としても、当時の資料を可 能な限り提供した。膨大な写真、社 の原稿用紙、整理部員の使う特殊な 物差しから、腕章、社旗に至るまで、 支障のないものは送った。 台本作りの段階では、実情と違う 場面やせりふがあると遠慮なく指摘 させてもらった。ドラマの撮影には、 震災を知る記者らが加わり、編集局 内 の 様 子 を 助 言 し た。「7 日 間 」 を どう描くかはテレビ局の作業だが、 そこにリアリティーを吹き込む役割 の一端を私たちが担った といえる。 放送当夜。番組が終わ るのを待ちかねたように、 編集局には視聴者からの 電話がたくさんかかって きた。フジテレビも同様 だった。登場した記者の 携帯には、知人らから1 00件を超すメールが入 っていた。 映像写真部の打ち合わせを取材する フジテレビのスタッフ=2009.11.4 神戸新聞社 視聴率は関西で平均 ・3%に達 した。社のホームページに残る60 0件近い書き込みに、視聴者の熱い 思いがうかがえる。 ほてりが冷めるほど重み増す 「苦 し ん だ の は 神 戸 新 聞 だ け じ ゃ ない」などの声も一部にあったが、 ほとんどのメールに「すばらしいド ラマ」「感動した」「泣いた」などの 言葉があふれていた。ドラマを見る ことを宿題にした小学校教師もいた。 震災を知る世代は心のひだに隠れ た記憶を呼び起こし、苦難の日々を 振り返った。知らない世代は惨事に 思いをはせ、痛みを知ろうとした。 このドラマをどう見て何を感じたの かも、一つのドラマと映った。 編集局は重いものを背負った。つ らい立場にある人たちに寄り添う姿 勢は貫いているか。紙面で地域を励 ます構えに緩みはないか。災害をよ り深く伝える使命を果たしている か。いわば「震災報道の遺伝子」の 質が厳しく問われていく。 放送から時間がたち、ほてりが冷 めるほどに、重みは増す。 は や し・ よ し き 1975 年入社 文化 生活部長 論説副委員長など 2009 年3 月 か ら 現 職 震災時は社会部遊軍記 者 同時に神戸新聞・デイリースポーツ労 組 委 員 長 として 被 災 組 合 員の救 援 活 動 も ( 11 ) 19 長かった通信社記者生活を通して て、「政 治 決 着 」 に よ っ て 無 理 や り さほど自慢できる仕事はしていない に事件の幕を引いてしまった。 が、全国紙を含めて日本中の新聞が 事件の後ワシントン駐在になった ほとんど一面トップに掲載するよう 筆者は、米メディアが「情報の自由 な 記 事 を 書 い た こ と が あ る。 「金 大 法」を使って政府の内部文書を入手 中事件は韓国中央情報部 (KCIA) し「特ダネ」を報じているのを知っ の犯行であることを韓国政府および た。自分もやってみよう。米国務省 米政府が認めていた」というワシン および中央情報局(CIA)に「金 トン共同電だ。情報源が米政府秘密 大中事件」に関する情報の公開請求 文書だったことから「リーク説」も を提出した。1年2カ月経った19 出たこの報道の裏側を紹介したい。 79年5月、2百通余りの文書が郵 送されてきた。その中に2通の重要 ■ ミスで秘密文書公開 情報が含まれていた。 事件発生から2週間後、ハビブ駐 韓米大使が国務省に送った公電は、 事件をKCIAの犯行とする報道は 「基 本 的 に 正 し い 」 と し て 韓 国 政 府 のこうした行動に警告を発している と報告していた。もう1通は1年5 1973年8月8日白昼、金大中 氏が東京のホテルから拉致誘拐され た。現場から検出された指紋などに よって、KCIAの犯行ということ は明らかになった。にもかかわらず 日韓両国政府は「真相」にふたをし た文書」として報道した。こっちの 配慮にもかかわらず、国務省スポー クスマンがなぜか「共同通信に公開 した文書の中に秘密解除されていな いもの、あるいは誤って秘密解除さ れたものが含まれていた」と発表し た。追いかけるように、ミスを犯し た二人の担当官が処分を受けたとい う情報が流れた。 このスクープは日韓両国政府に打 撃を与えた。新聞各紙は揃って社説 で「政治決着の見直し」を要求した。 カ月経った同 年1月のスナイダー 両国政府はあわてたが、米政府の公 式文書が表に出ているにもかかわら 大使の電報。韓国外相が事件の責任 者であるKCIA要員を密かに解職 ず「伝 聞 証 拠 」 と 強 弁 し て、「政 治 処分にした、内々の話にして欲しい 決着」を押し通した。沖縄返還に際 と述べたことを明らかにしていた。 しての「核持ち込み密約」の文書が 「こ れ は い け る 」 と 大 喜 び で、 支 米国で公開されても「密約はない」 局をあげて記事に取り掛かった。だ と言い続けてきたのと同じである。 が、おかしなことが次々と起こった。 ■米政府のミスかリークか 国務省セキュリティ・オフィサー と 名 乗 る 電 話 が か か っ て き た。「誤 その後、筆者の報道が実は「ミス」 によるのではなく、米政府の「意図 って公開できない文書を入れてしま った。返してくれ」というのだ。「も 的リーク」によるものだったとする う記事にして東京に送ってしまっ 見方が流れていることを知った。 た」と断った。しばらくすると今度 カーター政権の時代だった。ベト は同省「情報の自由法」担当官から ナム戦争の反省が生み出した同政権 「記 事 の 中 で 直 接 引 用 す る こ と は 避 は「反共」に代わる世界戦略として けて欲しい」という電話である。 人権外交を掲げ、韓国の朴正熙政権 やはり気になる。「情報の自由法」 の人権弾圧に厳しい批判を向けてい た。韓国政府はこの圧力をかわすた に は 触 れ ず に、「共 同 通 信 が 入 手 し 75 金子 敦郎 ( 12 ) 「リーク」 説も出たスクープ 金大中事件㊙文書を入手 書いた話 書かなかった話 2010. 3. 10 No. 481 めに在米韓国人ロビイストを雇って ブ大使の別の公電が入っていた。一 米議員買収工作に精を出したが露見 方、われわれが入手したハビブ大使 して、コリアゲート事件として議会 の他の電報はある部分が切り取られ 公聴会が開かれるなど大問題になっ ていたが、同紙が入手した同じ電報 ていた。 は、この部分がそのまま残っていた。 翌6月には東京サミットが迫って 二つの日本メディアに秘密文書を いた。カーター大統領がその足で韓 公開するに当たっての、この「ちぐ 国を訪問する。 この訪韓にさいして、 はぐ」は何を意味するのだろうか。 意図的リークの一部の「差別化」だ マル秘文書を通信社に流して大きな ったと考えるには無理がある。秘密 ニュースに仕立てさせ、金大中事件 を忘れてはいないと韓国の人権弾圧 文書の公開を求める請求は大変な数 に強い姿勢をとっていることを示す に上る。対象となる秘密文書も膨大 意図的リークだったというのである。 で、限られた数の担当官が手分けし 狙ったとおりに大きな記事になっ て公開か拒否かを仕分ける。判断や た。そのために日韓両政府が困って 作業上のミスが起こる可能性は十二 いる。知らぬ顔をしているのもまず 分にある。 いので「ミス」だったと外交上の釈 もうひとつはタイミングだ。筆者 明をし、担当者の処罰もしたことに が公開要求を出してから資料提供を する。 受けるまでに1年2カ月もかかって こういうシナリオはありえたかも いる。資料公開をわざわざ大統領訪 しれない。だが、筆者は否定的だ。 韓という日程に合わせたのだろうか。 十分な理由があった。後で分かった ■安易なリーク論は困る のだが、ある全国紙も情報の自由法 を使って金大中事件に関するマル秘 この話には続編があった。筆者は いったん帰国してから1984年に 情報入手を狙っていた。わがスクー プも実はタッチの差だったのだ。 再びワシントン勤務になった。カー 数日遅れでその新聞社に提供され ター政権時代に国務省広報担当次官 た公開文書の中には、われわれに提 補(スポークスマン)を務めたホデ 供されたハビブ、スナイダー両大使 ィング・カーター氏は政権が代わり、 の公電は含まれていなかった。しか ジャーナリストに戻っていた。同氏 し事件はKCIAの犯行とするハビ は情報の自由法にもとづく秘密文書 2010. 3. 10 No. 481 書いた話 書かなかった話 の公開要求を扱う部門の責任者だっ ークに踊らされているとするマスコ た。昼食に誘いだした。 ミ批判が強まっているときなので、 カーター氏は筆者の「金大中文書 ひとこと。 座っている記者にはリーク 報道」が波紋を引き起こしたことは はやってこない。リークであれ情報 よく覚えていた。しかし意外にも、 操作であれ、情報を出す側は自分の 間違って秘密文書が公開されたこと 利益になるような出し方をするもの によって国務省内で問題が生じた事 だ。その情報を吟味してどう使うか 実はなく、担当官二人が処分された がジャーナリズムの力量。思い込み ことは「全く知らない」というのだ。 の「リーク報道批判」は批判したい。 「処 分 が な か っ た 」 と は い わ な か っ ■金大中氏の色紙 た。だけど処分があったか、なかっ たかを担当次官補だった同氏が「知 金大中氏は拉致事件で九死に一生 らない」というのは解せない。カー を得たが、民主救国宣言事件や粛軍 ター氏はなぜか、それ以上のコメン クーデターにかこつけて最高裁で死 トは避けたように見えた。ナゾは残 刑確定。無期懲役に減刑された後の った。 執行停止で1982年からワシント カーター氏はカーター大統領と同 ンに「政治亡命」していた。198 じジョージア出身の新聞人で、大統 5年韓国が民主化へ向けて動き出し 領側近だった。国務省に特設された た。金大中氏は危険を冒しての帰国 人権問題調整官の女性とのちに結婚 を決断。出発前夜、在米韓国人や人 した。人権重視のリベラル派だった。 権運動家たちの歓送会が開かれた。 韓国政府の人権弾圧を苦々しく思っ その席で金大中氏は筆者に色紙を書 ていたと見ておかしくない。 いてくれた。 これは「リーク説」の有力根拠に 「金 子 敦 郎 先 生 恵 存 君子和為不 はなる。しかし共同通信と全国紙へ 同 一九八五年二月」 の「解禁」の仕方の不統一や大統領日 かねこ・あつお会員 1935年生 程に重なった公開タイミングが計算 まれ 年共同通信入社 社会部を しつくされたものだった、とするリ へてサイゴン支局長 ワシントン支 ーク説を説明することにはならない。 局 長 国 際 局 長 常務理事 その後 小沢一郎民主党幹事長の政治資金 大阪国際大学学長 現在同大学名誉 教授 カンボジア教育支援基金会長 問題の報道が、東京地検特捜部のリ 58 ( 13 ) 大関 貴ノ花 山崎 正 30 17 逝した。享年 と早い死だった。 強さで最後まで全力を尽くす相撲っ ぷり。勝敗が分かりにくく行司泣か 印象的だった。 貴闘力と強い力士を育て、再び栄 月、2度目の優勝を果たし、だれも そこにはいつも煙草の煙がゆれて 親方は本当に相撲好きであり、 光の道を歩んだ。 が横綱昇進を信じていた。しかしそ いた。心を静めるために吸ってい いきおいは波にのり、その年の9 の後は、北の湖、輪島の強さに阻ま ると話していたが、まさかそれが せの相撲と言われた。 (1 9 7 5) 年 の 春 場 所 の こ と。 優 れ、思うようにはいかなくなり、つ 命とりになるとは…。口腔底がん 貴ノ花が脚光を浴びたのは昭和 勝決定戦ですでに横綱として無類の いに昭和 (1981)年1月場所 7日目、大関 場所をつとめ名大関 現役、そして師匠として輝かし なかばで終焉を迎えた。 ァンから惜しま の異名をとった貴ノ花は、大勢のフ を患い、再び訪れた栄光の道は志 強さを誇っていた北の湖を破り、初 優勝したときだった。 大阪府立体育会館は、観客のほと い時代を築いた名大関貴ノ花を、 う。そしていま、息子の貴乃花が れ引退を決め 引退記者会見 父の遺志を受け継ぎ、改革を旗印 私は忘れることができないだろ の後、私は部屋 に大きな栄光を目指し歩き始め た。 にうかがった。 た。 そんな息子の姿を、父はきっと 昼間の会見では 硬かった表情が の晩一人で考え、今日(7日目)の 優しいまなざしで見守っているだ んどが大歓声で貴ノ花の優勝をたた 朝、気分が萎え引退を決めた。これ ホッとした顔に レビ朝日の 「大相撲ダイジェスト」 えた。だれでも勝ったものの姿は美 からはより強い弟子を育てる。苦し 引退後は藤島部屋の師匠として夢 や ま ざ き・た だ し (元 テ レ ビ 朝 日 ア ナウンス部長) ろう。 という番組で司会を始めたとき、 しいが、このさわやかな笑顔は男が みを克服しながら強くなる姿はきれ なっていて、「前 大関として活躍していたのが貴ノ 惚 れ る ほ ど 魅 力 的 で、「角 界 の プ リ 昭和 (1973)年、私がテ 花だった。当時、先代二子山親方 いだ」と、かみしめながら話してく ンス」とも言われていた。 関 が 優 勝 後 の イ ン タ ビ ュ ー で、「久 であった若貴兄弟横綱を現実のもの れた。 ご存じの通り、貴ノ花は体格的 しぶりにおいしいたばこを吸った。 とし、大関貴ノ浪、関脇安芸乃島、 普段から寡黙で多くを語らない大 には106キロと軽量ながら、柔 いまは帰って寝たい」と語ったのが がおり、活気があった。 らかい足腰と稽古で鍛えたバネの ( 14 ) 50 56 春場所千秋楽の優勝決定戦で横綱北 の湖を破り初優勝 賜杯を手に喜び の貴ノ花=1975年3月23日 大阪 府立体育会館 (共同通信社撮影) 50 のもと、部屋には2横綱、2大関 48 55 元大関貴ノ花こと二子山親方が急 平成 (2005)年5月 日、 角界のプリンス 行司泣かせの名勝負 私が会ったあの人 スポーツ編③ ▼ リレーエッセー 2010. 3. 10 No. 481 東北ビジネ ス 最 前 線 大関・ 魁皇(2・ 9)は大 相撲から の4人目 のゲスト だった。 最初は新横綱・曙、次にいずれも大 関昇進時の朝青龍、白鵬。外国人力 士ががんばったのを、ナショナル・ プレスクラブで招いてお祝いすると いうような趣向だった。 日本人力士は魁皇が初めてだった。 初場所中に相撲協会を通して申し入 れた。たとえ負け越しても、ぜひ幕 内最多勝達成者としてゲストに招き たいと思っていた。なぜか。政界だ けでなく若い人たちまで含めて、 パフ ォーマンス過 多の軽い世の中で、そ の対極にある人に思えたからだ。 寡黙で、ウデ一本が頼りの職人の ように、自分の型にこだわる相撲。 何度か綱を前にして挫折を経験しな がらも、たびたびのケガと長いこと 同居しながら、大横綱・千代の富士 の記録を破っての新記録。価値があ る。雇用悪化や不況の中で、へこた れそうになって踏ん張っている人た ちに、勇気を与える存在だろう。 まじめで素直なこころを持った人 だった。開始時刻の 分前には到着 した。輪をかけてまじめな人がもう 一人ゲストルームで待っていた。質 問役を引き受けてくれた西田善夫さ ん( )だ。1時間も前から来てい た。NHKのスポーツアナウンサー 時代から、抜群の聞き上手、インタ ビューの名手で知られた人だ。 相撲は放送したことはないが、大 の魁皇ファンだそうだ。相撲担当の 後輩たちからいろいろ情報を集めて 待っていた。司会の井田由美企画委 員も加わり、十分に控え室で意思疎 通をはかり、大関がリラックスした ところで、本番の会場へ。 相撲が好きでなかった古賀少年が、 名大関と言われ、815勝を達成す るまでのお話は、クラブのHPの動 画でお楽しみを。最近アップした中 では一番の人気。東の横綱だ。 控え室で同席していて感じたこと が二つある。まず大関が貴乃花新理 事の人間性や力量を高くかっている ふしがあったこと。 もうひとつは朝青龍のことだ。こ ちらがやんちゃだけど頭が悪い人で ないので惜しかったといったら、や んちゃなだけなんです、というよう な表情だった。やっぱり良識兼備の お相撲さんらしいお相撲さんだっ た。きっと周囲の人にもめぐまれて いるのだろう。 (玄) 74 マイBOOK マイPR 伊藤 裕造 エバレット・ブラウン (同時代社 1、995円) に、日本の市民は何をなすべきか。こ うした視点から、これまでの日本の 反核運動の変遷や現状を紹介しなが ら、運動の方向と課題を提案したの が本書である。運動団体や自治体は 本年5月のNPT(核不拡散条約)再 検討会議に向け核兵器廃絶署名に取 り組んでいるが、運動やメディアの 関係者にはぜひご一読いただきたい。 日本力 (ep a 通信社日本支局長) JAPANSを語りつくす 日本は、 ただ一つの日本ではない。かつて日 本文学研究者のドナルド・キーンや ジョン・ダワーが指摘したように、 日本はもともと単数の「J APAN」 というよりも、実は複数形の「J A P A N S 」 な の で あ る。「J A P A NS」は、今どういう形で現れてい る の か。 ま た、「日 本 力 」 は ど こ に 潜んでいるのか。日本文化研究者の 松岡正剛と語りつくした対談本。い まを生きる「日本人」に勇気を与え る一冊である。構成は、対談+引用 +写真。松岡正剛氏との共著。 (PARCO出版 1、680円) ( 15 ) (東日 本 放 送 社 長 朝日新聞出身) 東北の強靱さと先進的取り組み 地 方軽視の経済政策で、低迷を強いら れてきた東北の新たな可能性を探る 経済番組「東北ビジネス最前線」 (月 1回放送) を本にまとめました。 トヨ タグループの東北への本格的進出を きっかけに、弊社には経済記者がい なかったこともあり私自身も出演す る形で始めたのですが、地球環境問 題と戦後最悪の経済危機が重なり、 東 北には逆に大きな有用性とビジネス チャンスが生まれています。各分野 のリーダーのインタビューをまとめ たDVD付きです。東北の強靭さと 先進的な取り組みは、今後の日本経 済の進むべき方向のヒントになると 2、625円) 思います。(東日本放送 核なき世界 へ 岩垂 弘 (朝日新聞出身) 核兵器を廃絶するにはどうしたらい いか 年4月にプラハで行われた オバマ米大統領の演説を機に、世界 は「核兵器のない世界」に向けて動 き出した。こうしたまたとない好機 09 2010. 3. 10 No. 481 会員の著書 気はやさしく力持ち 40 ク 試 ラ ブ 写 ゲ ス 会 ト 標題のハート・ロッカー る。「も し 作 品 賞 を 取 れ ば、 女 性 監 は 普 通 の 辞 書 に な い。 「傷 督では初めてとなります」と配給会 をしまっておくロッカー」 社の女性宣伝員が試写会の冒頭で紹 という意味のスラングらし 介していた。これと争っているのが い。イラク戦争の米軍爆発 興行的に成功している3D映画「ア 物処理班にとっては、身体 バター」だ。監督のジェームズ キ 的な傷でもあり得るし、そ ャメロンとビグローは元夫婦同士で れ以上に深い心の傷でもあ アカデミー賞を争っているわけだ。 ろう。戦争英雄を描き アバターは先 ながら反戦映画を作る 日、地元 熊本市 という離れ業を演じた の劇場で見た。こ のは女性監督のキャス ちらの主人公も海 リン・ビグローだ。そ 兵隊上がりの傷痍 こではイラク戦争の大 軍人だというのも 義も語られないし、逆 皮肉だ。米国内で に声高にその非を唱え はアバターについ ることもしない。ひた て保守派が反戦的 すら米軍爆発物処理班 だと批判している の日常(非日常的な日 (1 月 日 付 読 売 常)をドキュメンタリ 新聞)ようだが、 ー映画的な手法で描き 米国はオバマの時 きっている。 代になってもまだ 戦争の悲惨さをお涙 アフガンやイラク ちょうだい風に描くような柔な感覚 の戦争から抜け出せない現実がそこ とは無縁だ。爆発物処理の現場のと にはあることを強く感じさせる。 てつもない緊張感、 人間的な泥臭さ、 米国民の傷をしまっておくロッカ 崇高な人道的精神は描かれるが、そ ーはまだない。これからも心身とも れにもかかわらず迫り来る人の死と に多くの傷を負うのは間違いない。 いう生々しい現実を突きつけられる。 元共同通信論説委員長 井芹 浩文 この映画は作品賞を含むアカデミ ©2008 HURT LOCKER, LLC. ALL ー賞9 部門にノミネートされてい RIGHTS RESERVED. 2010. 3. 10 No. 481 ハート・ロッカー (2.12) 心の傷をしまうロッカーは? ・ 31 ・ 一国の軍事力は、外敵から自国民 「ビ ル マ 民 主 の 声 」 が 残 し た 記 録 を守るためにあるはずだ。それなの はつくられたものではなく、ビルマ に、ビルマ(ミャンマー)では軍が自 軍事政権の一面をありのままにとら 国民に敵対している。政権にとって、 えている。だが、終幕近くで軍事政 ビルマ国民とは、いったい何なのだ。 権は、海外に発信された映像に反駁 冒頭でスクリーンに映し出される し、 放 映 の 中 止 を 要 求 す る。「こ れ 僧侶の反政府デモと、それに呼応す は、彼らに都合よく編集されたもの る大衆の姿。僧侶が神聖視される国 で、間違っている」と。 とはいえ、軍事独 この映像記録が 裁、人権無視の現 なかったとした 況を考えたら、あ ら、軍事政権は「自 の行動力と勇気は らの正義」を歴史 「神 々 し い 」 の の一頁に刻んだに 一言に尽きる。 違いない。ビルマ 「和 解 と 対 話 」 の歴史が全く異な を訴える無防備な る姿で後世に伝わ デモに、銃口で応 るところだった。 じる軍事政権。ま 歴史とは、記録 るで、権力者の自 者の立ち位置によ 信のなさと自らの ってがらりと変わ 非力をさらけ出し ってしまう。 ているようにも見 歴史書の多く える。 は、時の権力者の側がまとめている。 でも、権力者たちの臆病 とすると、これまでに残された膨大 と狭量さは、ビルマに限っ な世界の歴史書はどこまでが真実 たことではない。国内を見 で、どこまでが権力者の脚色なのか。 渡しても、政界も経済界も、 編纂された歴史とは何か、をあら そんな意気地無しがなんと ためて考えさせられた。 多いことか。最近は、大学 元朝日新聞論説委員 帆足 養右 の学長にも、こんな手合い が数を増している。 ©2008 Magic Hour Films ビルマVJ 消された革命(2.27) 歴史をもてあそぶ権力者 ( 16 ) んな話をしていました。事務局の職 員として側でうかがうこともありま した ▼藤本さんは佐藤さんのこと を「タッちゃん」、佐藤さんは藤本 さんを「ユーテン」と呼び、二人は ジュンコーさんを呼び捨て、時には 「岩手の神童」などとからかった呼 び方をしていました。クラブにとっ て大恩人のお一人ですが、個人的に もいろいろ教えていただきました。 ついこの間も、毎日で「余録」を書 いていた諏訪正人さんと、クレベー ル会の話になり、ジュンコーさんど うしているかなー、エレクトーンは どうしたかなーなどと話したばかり です。小林さんが司会をした記者会 見などの写真を確認して、よいもの があれば後送しますが、とりあえず 会報などに書いていただいたものの コピーを同封いたします。合掌 ▼ 数日して「仏前で大声で呼んで聞か せました」という返信が夫人から届 いた。そこには次のようなことも書 かれていた。 年間の闘病(介護 5 )でした。読み書き外出もでき ず、起きてから床につくまですべて 私が家で世話をしましたので、その 点は私は満足しています。とてもお だやかな顔で旅立ってゆきました。 (玄) 会議報告 第 回会報委員会 (2・8 小会議室) 2月号について意見交換をし、3 月号の編集と新企画などについて協 議した。 出席 住田委員長、小西、近藤、菅 谷、富田、羽原、八木の各委員。 第 回会員資格委員会 (2・ 小会議室) 3 月1日付の会員入退会を審議 し、理事会に答申した。 出席 朝倉委員長、布施、松田、金 子、梅野、坂本、齋藤、若松、川嶋、 工藤の各委員。 第 回企画委員会 (2・ 宴会場) 法人会員代表変更 神戸新聞社 (新)高士 薫 代表取締役社長 (旧)稲垣嗣夫 AP通信社 (新)マルコム・フォスター 東京支局長 (旧)我孫子和夫 都三県(東京、埼玉、千葉、神奈川) 以外の方で、2月1日現在 人。ク ラブ会合への出席や施設の利用が極 めて難しい会員に考慮した措置で、 今後、地方紙・地方局の退職者の会 員拡充にもつながることを期待す る。 ■寄贈書 共同通信ニュース予定 2010 共同通信社 NHK放送文化研究所年報 201 0 NHK放送文化研究所 新委員の星浩朝日新聞編集委員 (旧・ 宮 田 謙 一 氏 ) を 紹 介 し た 後、 ■会員の著書 (寄贈していただきました) 司会担当の委員が行事を報告し、今 バラックの神たちへ 芥 川喜好会員 後のゲスト候補や研究会テーマにつ 「金正日」後の北朝鮮 重 村智計会員 いて協議した。 範は歴史にあり 橋本五郎会員 松山幸雄会員 出席 船橋委員長、星、坂東、浜本、 鳩山から鳩山へ 脇、原田、長谷川、和田、広瀬、石 FRB議長 緒方四十郞賛助会員 郷岡、泉、瀬川の各委員。 (監訳) 第 回 理事会(書面) 地方在住の個人D会員の会費を、 2010年4月から月額3000円 (現 在6 10 0 円 ) に 改 定 す る こ と を決定した。対象者は自宅住所が一 ( 17 ) 17 18 小林淳宏さん追悼 クラブのバー テンダー吉富学さんのお得意はドラ イマティーニ。それが大好きだった 元理事の小林淳宏さんが、1月に亡 くなった。 年に時事の役員を退任 した後も、個人会員として残り、四 国巡礼をしたり、エレクトーン演奏 に取り組んだりしていたが、ある日 バス停で倒れてから外出が困難にな り 年に退会した。訃報には、ご家 族で葬儀を済まされたとあったの で、専務理事として次のような手紙 を喜久代夫人に送った ▼1月 日、時事の配信でご主人の訃を知り ました。お悔やみ申しあげます。小 林さんのことを、会員の人たちは 「ジュンコーさん」と音読みで呼ん でいました。日本記者クラブの大功 労者です。小林さんは時事からの理 事として、企画委員長、会員資格委 員長、会報委員長、施設委員長を務 められました。お一人で四つもの委 員会の委員長をやられたのは、これ まで他にいません。これからも出な いでしょう ▼当時、時事からみえ た藤本有典さんが事務局長でした。 時事の社長は佐藤達郎さんでした。 時事がプレスセンターの前の市政会 館にありましたので、三人はよく夕 刻、クラブのバーでくつろいでいろ 31 309 390 395 481 2010. 3. 10 No. 481 ジュ ン コ 481 ーさん 2010. 3. 10 No. 99 85 26 11 2010. 3. 10 No. 481 情報発信 新しいOB会員 クラブ施設では会員による各種の会合が行われていま あらた しげお ▼荒田 茂夫 す。企業や大使館などの賛助会員も記者発表の場としてク ラブを利用しています。 ■河野洋平さんのネジを巻く会 衆院議長の最長在任記録(2029日)を残し政界を引退 した河野洋平さんを慰労するとともに、今後の活動に向 けて励ます会が行われた。マスコミほか各界から約80人 が参加した。河野さんは「美事なる 此議事堂に ふさ はしき 議員を得るハ 何時の代ならむ」という尾崎行 雄の歌を引用し、国会の状況について「品位を欠いてい る」と苦言を呈した。(2. 4 10Fホール) ■藪中外務次官が外交協会で講演 日 本 外 交 協 会(平 沼 赳 夫 会 長 http://www.spjd.or. jp/)で、藪中三十二・外務次官が「今年の外交課題」 のテーマで講演した。(2. 4 宴会場) ■全国新聞東京支社長会 全国の地方紙、郷土紙57社の東京支社長会が懇親会を 開いた。講談師の神田紅さんを招いての講演の後、会員 の意見交換会を開いた。(2. 5 宴会場、10Fホール) ■OECDから見た中国経済の現状と課題 OECDは2月2日に中国経済審査報告書を発表した。同 東京センター(http://www.oecdtokyo.org/)の主催で、 執筆者のリチャード・ハード経済局中国課課長が、金融 政策の枠組みの改革など中国経済の現状、課題について 解説した。その後、内閣府の林伴子参事官(海外経済担 当)もコメントした。(2. 5 宴会場) ■アジア問題懇話会 アジア問題懇話会で、武貞秀士・防衛研究所統括研究 官が「北朝鮮と北東アジアをめぐる諸問題」のテーマで 話した。(2. 6 大会議室) ■北関東3県商工会議所連合会長座談会 上毛新聞、下野新聞、茨城新聞の3社が、曽我孝之・ 群馬、簗郁夫・栃木、加藤啓進・茨城の各県商工会議所 連合会会長による座談会を開いた。2011年開通予定の北 関東自動車道の効果について、産業、物流、観光、医療 の観点から議論した。3県の連合会は7月に交流会議を宇 都宮で開催し、開通に向けて連携を強化していく予定。 (2. 8 小会議室) ■アッバス・パレスチナ自治政府議長講演 来日中のアッバス議長が中東調査会(http://www. meij.or.jp/)で「中東和平の展望」と題して講演した。 イスラエルとの和平交渉に関して、米国のミッチェル中 東 和 平 担 当 特 使 を 仲 介 と し た 間 接 交 渉(Proximity talks)について「可能性を検討している」とし、交渉 再開へ向けた提案に対して「門戸を閉ざすつもりはない」 と述べた。(2. 9 宴会場) ■外食アワード 表彰式・レセプション 外 食 産 業 記 者 会(加 盟28社 http://www.g-kishakai. net/)が選ぶ「外食アワード2009」の表彰式が行われた。 外食事業者では、餃子チェーンが好調な王将フードサー ビスの大東隆行代表取締役社長、格安居酒屋チェーンを 展開する鳥貴族の大倉忠司代表取締役が選ばれた。その ほかの部門の受賞者は以下の通り。中間流通・外食支援 事業者:浜倉好宣・浜倉的商店製作所代表取締役。食材 事業者:松沢幸一・キリンビール代表取締役社長、相場 康則・サントリー酒類代表取締役社長。特別賞:奥脇裕・ ヤヨイ食品顧問、三國清三・ソシエテミクニ代表取締役。 (2. 12 レストラン・アラスカ) ■一人一票実現国民会議 第1回サポーター大会 国民一人ひとりの票の重さが平等になることで、はじ めて民主主義が実現される、という升永英俊弁護士の提 唱で2009年に始まった市民運動。具体的な活動としては、 これまでの「一票の格差」裁判で「合憲」の判断を示し てきた裁判官に、総選挙時の最高裁裁判官国民審査で不 信任票を投じるというもの。共同代表の升永弁護士、久 保利英明弁護士、事務局長の伊藤真弁護士の発言の後、 1972年朝日新聞入社。ベイルート、ロ ンドン特派員、中東アフリカ総局長、 ジュネーブ支局長、コンプライアンス 委員会事務局長など。2008年から日本 対がん協会常務理事 誰もが情報発信できる時代を迎えました。新聞記 者時代の経験を生かし、新たな立場(フリー、個人 会員)から発言を続けたいと思います。 まえだ あきら ▼前田 昭 1966年毎日新聞入社。テヘラン特派員、 外信部副部長、マーケティング本部長 などを経てテレビユー福島へ。報道制 作局専任局長、取締役事業局長、取締 役郡山支社長など。 社会部、外信部、メディア。そして最後の十年をテ レビユー福島で。体にこびりついた活字の臭は抜け ていません。 国際交流の仕事をしています。 新聞、テ レビ離れの時代だけに記者魂のお手伝いをします。 一般参加者らとの意見交換が行われた。活動の詳細など は同会議サイト (http://www.ippyo.org/index.html)で。 (2. 13 10Fホール) ■佐々木毅氏の鳩山政権評価 未来をひらく日本委員会(尾畑雅美代表 http://www. nihoniinkai.com/)で、21世紀臨調共同代表の佐々木毅・ 学習院大教授が「鳩山政権を“採点”する」のテーマで 講演した。 (2. 17 10Fホール) ■企業フィランソロピー大賞贈賞式 日本フィランソロピー協会(高橋陽子理事長 http:// www.philanthropy.or.jp/)が、本業を生かして社会貢 献活動を行う企業を顕彰するもの。大賞は義肢装具の製 造を行う中村ブレイス株式会社(島根県大田市 中村俊 郎 代 表 取 締 役 http://www.nakamura-brace.co.jp/) に 贈られた。使用者の尊厳を意識した製品技術向上や過疎 化が進む地元でのひとづくりなど本業での貢献に加え、 住む人がいなくなった伝統家屋を買い取り、社員寮、社 宅や店舗として再利用する町並み保存への取り組みが評 価された。そのほか飯田電子設計、資生堂、積水ハウス に特別賞が贈られた。詳細は同協会サイトで。 (2. 18 10Fホール) ■歴史学から見た聖徳太子 奈良新聞主催の文化講座で作家・歴史家の加来耕三氏 が聖徳太子の実像について講演した。 (2. 20 10Fホール) ■日本ジャーナリスト懇話会例会 日本ジャーナリスト懇話会(竹田純会長)で、農政ジ ャーナリストの中村靖彦氏が「食糧−のど元過ぎれば、 では困る」のテーマで講演した。 (2. 22 大会議室) ■ロシアから見たディアナ号事件 1854年、国交交渉のために来日したロシア艦「ディア ナ号」が津波で沈没した際に、沿岸住民が献身的な救助 活動を行った。日本ではあまり知られていないこの事件 について、北澤法隆・元防衛研究所戦史部主任研究官が 講演した。 『モルスコーイ・ズボールニク(海軍雑誌)』 といったロシア側の貴重な資料からの情報も披露した。 主催=日ロ交流協会(有馬朗人会長 http://www.nichiro. org/hp/090523/top/) (2. 23 10Fホール) ■放送人政治懇話会 次のようにゲストを招いた。渡辺喜美・みんなの党代表 (2. 3) 、舛添要一・前厚労相(2. 10) 、尾立源幸・民主党 参 院 議 員(2. 17) 、 玄 葉 光 一 郎・ 民 主 党 衆 院 議 員(2. 23) 。 ( 18 ) 2010. 3. 10 No. 481 バー、レストラン、宴会 ホールご案内 予約電話 和食3503-2723 洋食3503-2766 会員社のホールで開催されるコンサートなどの情報です。 ●日経ホール ♪4/20(火) チャイコフスキー生誕170周年記念 「アナスタシア&カンディンスキー・デュオ・ リサイタル」 チャイコフスキー国際コンクール最高位受賞の アナスタシア(ヴァイオリン)と画家・カンディ ンスキーの家系のミハイル(ピアノ)によるデ ュオ。 (3,500円) 問い合わせ:03-3943-7066 ●サントリーホール ♪4/9(金) 「オービック・スペシャル・コンサ ート2010 コバケンの復活」 指揮者・小林研一郎(コバケン)の70歳の誕生 日に、指揮者を志すきっかけとなったマーラー の『復活』をお届けします。 (S席12,000円) チケットセンター:03-3584-9999 ●王子ホール ♪5/13(木) エマ・カークビー&ロンドン・バロック 英国のソプラノ歌手・エマ・カークビーが『テ ンペスト』 『真夏の夜の夢』などシェイクスピ ア作品を題材にした歌を披露します。 (6,000円) 問い合わせ:03-3567-9990 吉富カクテルを再開 好評だった吉富さんのオリジナ ル・カクテルを再開します。3月 は「愛はきらめきの中に」。ラムをベース に、桃のリキュールとレモンジュースを ミックスしました。(630円) 和 食 弥生懐石 3月26日(金)まで 洋 食 桜コース 4月10日(土)まで 先付・蓬豆腐、前菜・春子鯛寿司ほか、お椀・ 清汁仕立て、造り・鯛うす造り、焼物・桜鱒菜 種焼き、煮物・穴子桜葉包み蒸し、揚物・桜海老かき揚 げ、食事・蚕豆御飯、水菓子・季節の果物(5,250円) ハマグリのコンソメスープ仕立て、桜鯛のポ ワレと桜海老のリゾット、サラダ、桜のアイ スクリーム、パン コーヒー。ランチ、ディナーともご 用意できます。(2,520円) 中国新聞東京支社がプレスセンタービルに移転 中国新聞東京支社(福間伸二・執行役員東京支社長) が日本プレスセンタービル2階に移転、2月22日(月) から業務を開始しました。これで同ビルの地方紙の東京 支社は6社になりました。 〒100−0011 東京都千代田区内幸町2丁目2番1号 日本プレスセンタービル2階 Tel 03(3597)1611 ■イラン国会議長記者会見が中止に 2月26日午後4時から予定していたラリジャニ・イラ ン国会議長の記者会見は、イラン大使館側の要請で中止 になりました。大使館からキャンセルの連絡が入ったの が前日午後6時。在京各社へと出席申し込みのあった 方々、メール配信を登録されている会員には「中止」のお 知らせが間に合いましたが、全会員にご連絡ができませ んでした。 こうした急な連絡のためにもメール配信登録をお勧め します。ご希望の方は[email protected]にアドレスをお 知らせください。また、クラブHPの「会見カレンダー」 には最新情報を掲載していますのでご活用ください。 地方在住会員(個人D)の会費を改定 第481回理事会(2月12日書面)で、地方在住の個人D 会員の会費改定が決まりました。一都三県(東京都、埼 玉、千葉、神奈川)を除く地方在住のD会員の方の会費 が、4月から月額3,000円(現在は6,100円)になります。 クラブ会合への出席や施設を利用することが難しい会員 に考慮した措置です。同時に、地方紙・地方局の方も退 社後に会員として残っていただきやすくなります。 HP http://www.jnpc.or.jp/ 資料室 「会見速記録」 :2月の新規掲載 ●大関魁皇「幕内最多勝達成」 (2. 9)●エリ・カタ ビラ国際エイズ学会次期会長、ペドロ・カーン同前 会長「普遍的アクセスの早期実現を」 (2. 2)●岡田 克也外相「新たな国際協調の時代における日本外交」 (2. 1)●門間一夫日銀調査統計局長「日本経済の現 状と展望」 (2. 1)●水野和夫三菱UFJ証券チーフエ コ ノ ミ ス ト「歴 史 的 転 換 点 の 中 の 日 本 経 済 」 (1. 18)●関志雄野村資本市場研究所シニアフェロー「中 国経済の現状と展望」 (1. 15) <訃報> 山岸駿介会員(朝日新聞出身、74歳)が1月10日に、 森一久会員(特別賛助会員、84歳)が2月3日に肺炎の ため、今静行会員(個人D会員、86歳)が同10日肺炎のた め死去されました。謹んでお悔やみ申しあげます。 <会員現況>法人会員 136社 基本会員 762人 個人会員 1,520人 法人・個人賛助会員 70社 180人 特別賛助会員 80人 名誉・功労会員 9人 計206社 2,551人 クラブの電話 ダイヤルイン 和食レストラン(9階) 3503−2723 洋食レストラン(10階) 3503−2766 貸室予約、宴会打ち合わせ 3503−2724 受 付 3503−2721 会員事務 3503−2725 経 理 3503−2728 クラブ行事への申し込み 3503−2722 会見申し込みアドレス [email protected] 会報委員会 委員長=住田良能 委 員=大谷 徹 小西美和子 近藤憲明 菅谷 齊 富田 恵 羽原清雅 堀 徹男 村澤繁夫 八木浩幸 連 絡=長谷川和子 本庄五月 (電 話 03−3503−2752 FAX 03−3503−7271) 行事予定(3/3現在) 3. 15(月)11:00〜12:00 10階ホール ダンバ・ドルリグジャブ モンゴル大統領府 長官 記者会見 15:00〜16:30(10階ホール) 「世界の新聞・メディア」⑤ 石川幸憲 在米ジャーナリスト 3. 16(火)13:00〜14:00(10階ホール) ホルタ東ティモール大統領 記者会見 3. 19(金)17:30〜19:40(10階ホール) 試写会「沈黙を破る」 3. 24(水)15:00〜16:30(10階ホール) 「世界の新聞・メディア」⑥ 我孫子和夫 前AP通信北東アジア総支配人 3. 29(月)12:00〜14:00(10階ホール) 福武聰一郎 ベネッセ会長昼食会 ホームページの「会見カレンダー」で、日時の変更なども 含め、最新のクラブ行事をお知らせしています。 ( 19 ) 2010. 3. 10 No. 481 特派員時代、空港で旅客機の離着陸を見 るのが楽しみだった。日本の航空機は来な い。3番目の任地で初めて日航機に対面し た。 エアカーゴを出しがてら、駐機した日航 機の近くで、くんくん犬のようににおいを かいだこともある。日本の移り香を探した が、みつかるわけはない。垂直尾翼に描か れたツルを見ながら、深呼吸するだけで満 足した。うなぎ屋の看板を見て、つばをの み込むようだと苦笑したことを思いだす。 帰国して、かば焼きのにおいは身近にな ったが、あんなに大事にしていた日本の香 りは逆に遠くなった。気がつくとJ ALの 機体からツルのマークが消えていた。そし て破綻。 「こ れ な ん だ わ。 …… み ん な こ れ の た め なんだわ。……おかね……おかね……もう 今は……ほかにあんたをひきとめる手だて はなくなってしまった。……」 木下順二「夕鶴」の女主人公つうの嘆き である。つうは自身の羽で布を織り、夫に 手渡して別れを告げた。舞台は一面の夕焼 け。その中を一羽のツルがよろよろ飛び去 っていくところで幕が下りる。 J AL機も、燃えるような落日を全身に 浴びて、飛び立っていった。行く手に広が るのは深い夜の闇だ。こ れ を 乗 り 越 え る と、かなたに夜明けの光がさす。 (諏訪 正人) 夕焼けの空の下で ( 20 ) ( ) 時事通信社写真部 おぐら・たけし 撮影 小倉 健史 写真回廊 1. 19=羽田空港 この日 日本航空は会社更生法の適用を申請した