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22 号
2009 年 11 月 13 日発行
【巻頭言】一人ひとりの意見が学園の民主主義を活性化します!
【私の意見】組織とリーダーシップ
立命館大学名誉教授・元経営学部教授 渡辺 峻
【私も一言】
『学園ガバナンスの総括と今後の課題について』
キャリアオフィス 五十川 進
【編集後記】どことなく図々しい面々 ・(資料:『ものぐさ老人日記』)
巻頭言
「私の意見」
「私も一言」一人ひとりの意見が
学園の民主主義を活性化します!
10 月半ば以降、学園ガバナンスに関わる学内の議論が白熱してきました。一つには常任理事会の
もとに置かれた「学園運営の改革に関する検討委員会」の報告が出され、それを受理した常任理事
会の見解が示され、全学討議に付されたからです。もう一つには、
「総長公選制を実現し、学園民主
主義を創造する会」が 10 月 28 日にフォーラムを開き、そこで新しい総長選挙規程案が公表され、
それをもとに教授会や職場業務会議で議論を深めることが要請されたからです。前者については、
すでに教職員組合が「ゆにおん No.37」(11 月6日付)で総括的な見解を発表しました。
端的にいえば、常任理事会文書は 2004 年以降の不正常な事態に対し「痛恨の極み」や「満腔の
反省」を語っているものの、事態を引き起こした根本的原因にメスを入れず、したがって責任の所
在を曖昧にし、学園トップに対する実効的なチェックの必要性についても何も語らないという中途
半端なものに終わっている、ということが指摘されています。後者については、
「実現する会」のニ
ュースに「オピニオン」という形で教職員の意見が載るようになりましたが、学内優先の原則や立
候補制の導入、理事会の介入を排除した選挙管理委員会の設置、所信表明の機会の保障、総長リコ
ール制の導入等に関しては、少なくともフォーラム参加者の間では圧倒的な賛同を得ておりました。
「考える会」のニュースにも、こうした問題をめぐる投稿が寄せられてき
ています。そこで、今回は先ず渡辺峻氏の「組織とリーダーシップ」を取り
上げ、学問的に裏打けられたリーダーシップ論を通して、我が学園のリーダー
に期待されるものは何かを考えて頂くことにいたしました。また五十川進氏
からは、業務会議での発言-検討委員会への提起を退職教職員等にも知って
欲しいとの希望で、ガバナンス文書に関する忌憚ない意見表明を頂きました。この数年に立命館に
就職された教職員のみならず、
多くの方々にお読み頂きたいと思います。
今後も皆さんの意見が続々
寄せられることを期待しています。
‐1‐
【私の意見】
組織とリーダーシップ
立命館大学名誉教授・元経営学部教授
(1)はじめに
組織は個人なくしてはありえないし、また個
人は、社会的存在である以上、組織なくしては
ありえない。つまり「組織と個人」は、お互い
が双方を前提にした依存関係にある。しかし
「組
織の目的・目標」と、組織構成員としての「個
人の目的・動機」は必ずしも一致していない。
ここに「組織と個人」の関係性を調整し統合す
る問題が浮上する。
つまり組織リーダーの側が、
個人に働きかけて組織目的に貢献するように影
響力を行使する対応、いわゆるリーダーシップ
の問題が登場する。
このような「組織と個人」の関係性を巡る問題
は、これまで経営学の分野では主要なテーマと
して扱われ、すでに多くの研究成果を蓄積して
きた。ここでは紙面の性質を配慮し、論点を分
かり易くするために、まず古典的議論と近代的
議論のふたつに大別し、その後で現在、広く支
持・受容されている近代的議論に共通する論
点・特徴点を浮き彫りにしたい。
(2)古い議論と新しい議論
古典的議論の基本的な特徴は、組織目的の達
成のみを重視して、組織を構成する個人の側の
ける議論や手法が登場する(
「欲求論」と呼ばれ
る)。
その 根 底 に あ る 基 本 パ ラ ダ イ ム は 、C・バ
する考え方であり、経営学では、それをX理論
モデルとも呼んでいる。そこでは、ピラミッド
型の軍隊的専制組織を前提に、独裁的リーダー
ー ナ ー ド や H.サ イ モ ン の 近 代 組 織 論 で あ
シップのもとでの画一的な指示命令が重視され、
ーダーは彼らが怠けないように、つねに監視・
監督を強化し、脅迫・みせしめ・懲罰などの外
的強制により働かせる、という考え方である
(他
律人モデル)
。したがって、そこでの望ましい組
織リーダー像は、たとえば「押しが強い」
「決断
力がある」
「根性がある」などの個人的な資質や
特性に注目するものとなる
(リーダーシップ
「資
質論」
「特性論」と呼ばれる)。このような古典
的議論は、独裁的軍隊型組織が支配的で、組織
の中の個人の自律度・成熟度が低い歴史段階を
背景にして展開されたもので、現在では学説史
的に紹介されるのみである。
ところが政治的民主主義の成熟や高学歴化の
進展につれて、個々人の自律度・成熟度が高ま
り、さらに情報技術の進展で情報共有型のネッ
トワーク型組織が張り巡らされると、もはやピ
ラミッド型専制的組織の物的基盤が大きく揺ら
いできた。とともに「組織と個人」の間の調整
の仕方もまた大きく変容せざるを得なくなり、
組織の中の個人の欲求・動機の充足と、組織目
的の達成をいかに統合するか、という集団の機
能が重視されてきた。すなわち個人の行動(活
動・労働)の基本的な動因は、本来的に彼らの
内面的な欲求・動機にあり、誘発因である目標・
目的の設定とあいまって、個々人は動機づけら
れるからである。かくして外的強制・脅迫・み
せしめ・懲罰によるのではなく、個々人のもつ
内面的な欲求(動因)に即して内発的に動機付
欲求・動機を無視して画一的に自己犠牲を要求
組織を構成する個人は滅私奉公的に動くことが
強制される。そこで想定されている人間は、本
来的には働きたくない人間であるから、組織リ
渡辺 峻
り 、 そ れ を基礎にしたマズロー、マグレガー、
ハーズバーグ、アージリスなどによって組織行
動論・行動科学として展開され、その主要内容
は 1960 年代にほぼ基本的に出揃った。
これらが
近代的議論の典型であり、現在、多くの組織で
採用されている考え方である。
近代的議論の特徴は、組織の中の個人の欲求
(とくに成長欲求・自己実現欲求)を充足する
‐2‐
アイオワ大学児童福祉研究所で行った「リーダ
ーシップ類型による集団雰囲気の実験的操作に
関する研究」は、集団とリーダーシップの研究
に新しい分野を切り開いた。この実験は、ふつ
う「アイオア実験」と呼ばれている。
アイオワ実験では、
小学生 20 名を5人一組の
集団に分けて工作させたが、その際、リーダー
シップの型により、①独裁的リーダーの集団、
②放任的リーダーの集団、③民主的リーダーの
集団に分けた。そして各集団におけるメンバー
の態度、感情、行動、集団の構造、モラール(意
欲)、
作業の生産性が比較検討された。
その結果、
次のことが確認された。
①独裁的リーダーシップのもとでは、作業量は
一番多くなるが、他面ではメンバーが相互に敵
意をもち攻撃し合う傾向が強まり、その中で孤
立する者が生まれやすくなる。また、リーダー
への依存が高まりメンバーの中に潜在的不満が
生じてくることが示された。
②放任的リーダーシップのもとでは、ひとつの
作業をみんなでする集団作業では作業の質も量
も低下することが示された。
③民主的リーダーシップのもとでは、集団の目
標をメンバーの討議により決定し、将来の行動
の展望がメンバーに広範に与えられ、メンバー
への仕事の配分も
集団決定し、作業
評価についても客
観的事実に即して
ことが組織目的の達成に通じる対応・仕組・制
度を重視する考え方であり、経営学では、それ
をY理論モデルとも呼んでいる。そこではボト
ムアップを重視する逆ピラミッド型の民主的組
織を前提に、民主的リーダーシップのもとで、
個々人の自主性・自律性が重視・尊重される。
そこでの個人は、自主的・自律的に自己管理し
て組織貢献できることが前提にされている(自
律人・自己実現人モデル)
。すなわち組織の中の
個人は、組織目的の達成のために自分で自分を
コントロールできるのであり、組織目的の達成
に個人が参加する程度は、それを達成して得ら
れる成長欲求・自己実現欲求の満足度に比例し
ている、という考え方である。もはや専制的な
指示命令・ディレクティングよりも、むしろコ
ーチングやサポートが重視され、リーダーシッ
プのあり方も、
「民主的リーダーシップ」
(レヴ
ィン)や「参加的および従業員中心的リーダー
シップ」
(アージリス)が提唱される。さらに、
職 務 充 実 、職 務 拡 大 、統 合 と自 己 統 制 に よ
る 管 理 ( M B O )、 Q C 活 動 な ど 、 組 織 目
的の達成と個人の欲求充足の統合を志向
し た 制 度 が 登 場 す る 。このような施策は、個
人の自律度・成熟度の高い職場、高学歴化の進
んだ職場では、す で に 広 く 社 会 的 に 普 及し 受
容されている。
このように現代社会においては、「組織と個
人」の関係性やそこでのリーダーシップは、近
代的議論(自己実現人を前提にしたY理論モデ
ル)に基づく考え方が支配的である。
行われた。その結
果、集団の凝集度が強くなりメンバー間には友
好的な雰囲気が創出され、仕事への動機づけが
高まり、独創性が生じることが示された。
(3)民主的リーダーシップと集団の生産性
レヴィン(Lewin, K.)は、物理学を心理学に応
用して、集団のなかに作用する心理の力学的な
この実験の途中で、リーダーのもつ人格的要
因(個性)の影響を排除するために、
「リーダー」
と「リーダーシップ類型による集団」とを交替
(交換)してみたが、リーダーの人格的要因はな
関係(あるいは法則)を研究するグループ・ダイ
ナミックス(Group Dynamics:集団力学)を確立
した。そして彼は、グループ・ダイナミックス
による集団行動の力学的実験により、集団や社
んら影響しておらず、
「リーダーシップ類型によ
会における理想的なリーダーシップのあり方が
「民主的リーダーシップ」であることを解明し
た。なかでもレヴィンの指導のもとにリピット
(Lippitt, R.O.)やホワイト(White, R.K.)らが、
る集団」の雰囲気のみが、組織メンバーに影響
を与えることが認められた。かくして「アイオ
ア実験」の結果、集団の生産性、メンバーの満
足度、また集団の凝集度からみて、
「民主的リー
‐3‐
で2回行われたが、結果はほぼ同じことであっ
た。このような実験の結果、研究者たちは次ぎ
のような結論を引き出した。
①集団の示すモラール(勤労意欲、生産能率)
の程度は、集団の構成員たちが集団全体に関わ
る重要事項に関する意思決定過程に参加する度
合いに比例する。
②重要条件の変更に際しては、変更の必要性を
集団的に認識させ、変更を支持する圧力の源泉
を集団内部に確立することが必要である。
このような結論は、前述のレヴィンの「民主
的リーダーシップ」の議論にも繋がるものであ
り、生産能率や勤労意欲の向上にとって組織構
成員の意思決定過程への参加がいかに重要であ
るかを示唆している。これらの結論は、企業経
営者の立場からの研究成果であり、決して政治
的民主化を求める政治学の研究成果ではなかっ
た。
ダーシップ」の型こそが最も望ましい、という
結論が導き出された。
(4)意思決定過程の参加と生産能率・勤労意欲
組織構成員の意思決定過程の参加の程度と生
産能率・勤労意欲との関係性を究明したのは、
コック&フレンチによる「ホーウッド調査」と
呼ばれる実験的研究であった。ここでは研究の
歴史的背景などは省略するが、それは以下のよ
うな内容であった。
実験は、まず労働者の作業集団を、集団全体
に関わる重要条件の変更の意思決定決に参加す
る程度により以下のように3つに分けた。①
「意
思決定に誰も参加しない集団」すなわち重要条
件の変更の説明を受けるだけで、その意思決定
過程には誰も参加しない。②「意思決定に代表
者のみが参加する集団」すなわち重要条件の変
更の際に、その意思決定過程に代表者のみが参
加する、③「意思決定に全員が参加する集団」
すなわち重要条件の変更の際に、その意思決定
過程に全員が参加する。そして、それぞれの集
団の生産能率と、管理者への協力度について、
40 日間にわたり調査が行われた。その結果、重
要条件の変更の前後の生産能率を、それぞれの
集団ごとに比較してみると、次のような差異が
見られた。
「意思決定に全員が参加する集団」では、諸
条件の変更直後に生産能率が
わずかに低下したが、すぐに
(5)従業員志向型リーダーシップと参加的集団型
管理システム
ほぼ同様の見解は、リッカートによっても提
示された。リッカートもまた集団力学の立場か
ら、ミシガン大学社会調査研究センターを拠点
に、集団の機能について実験的研究を進めた。
研究プロセスの詳細な記述は省略するが、研究
結果として、彼は、リーダーシップの行動につ
いては、
「従業員志向型リーダーシップ」と「生
産志向型リーダーシップ」の2類型のあること
を確認した。
従業員志向型リーダーシップでは、
仕事上の人間関係を重視し、全ての部下を重要
変更前の水準に戻り、その後は
引き続き上昇し、管理者との間
にトラブルも起こらず退職者も出なかった。
「意思決定に代表者のみが参加する集団」で
視して一人ひとりに関心をよせ、彼らの欲求と
は、諸条件の変更後にしばらく能率が下がった
が、その後 14 日目になり変更前の水準に戻り、
労働者の態度も協調的であった。
「意思決定に誰も参加しない集団」では、条
件の変更後ずっと生産能率が回復せず、管理者
に対する敵意や生産抑制などの抵抗が続いた。
しかも1ヶ月間に、この集団の 17%の者が退職
した。
実験は、1回だけでなくほとんど同様の方法
個性を認めようとする。生産志向型リーダーシ
ップでは、仕事上の生産性や技術的な側面を重
視し、組織目的の達成に主要な関心を払い、部
下・従業員は、そのための手段・道具であると
みなしている。リッカートの研究の結論は、従
業員志向型リーダーシップの方が、組織全体の
生産性も個人の満足度も高くなり好ましい、と
いうものであった。
そして彼は、このような議論を前提にして、
管理システムを「4つの類型」に概念化し、
「シ
‐4‐
ステム4」の「参加的集団型管理システム」こ
そが、現代社会で最もすぐれていると言う。彼
の言う「参加的集団型管理システム」とは、以
下のような内容である。
「トップは従業員を、上
司は部下を、全面的に信頼している。意思決定
は広く組織全体で行われているが、バラバラに
ならずうまく統合されている。コミュニケーシ
ョンは、上下方向のみならず、同僚間でも行わ
れる。組織の構成員は、報償制度の策定、目標
の設定、仕事の改善、目的達成過程の評価など
にも参加が許され関与させられており、これに
よって動機付けられる。トップと従業員、上司
と部下の間には、十分な信頼関係に基づく広範
で緊密な接触が見られる。
統制機能については、
低位の職場単位に至るまで完全に責任を分掌し
ている。公式組織と非公式組織が一体化するこ
とも珍しくなく、全ての勢力・エネルギーが組
織目的の達成に向けられる」
。これが「システム
4」モデルである。ちなみに個人の自律度・成
熟度の高い現代社会において、最も好ましくな
いモデルは、
「システム1」の「独善的専制型管
理システム」であり、その内容は前述の古典的
議論(Ⅹ理論モデル)に示されている。
であるがゆえに効果をあげる仕事のために組織
をつくる。それゆえ組織は,明確にされた組織
目的の達成と,組織を構成する個人の欲求を充
足する手段として展開されねばならない。その
際に個人の側の欲求は、彼の成熟度の段階に応
じて変化するので、それに応じて組織の側も変
化しなければならない。
アージリスによれば,個人は,以下のような
未成熟の状態から成熟の状態へと成長・発達す
る傾向をもつ,という。
①受動的行動から,能動的行動へ,
②他人依存状態から,相対的自立状態へ,
③単純な行動様式から,多様な行動様式へ,
④場あたりの浅い関心から,
複雑で深い関心へ,
⑤行動の短期的見通しから,行動の長期的見通
しへ,
⑥従属的地位の甘受から,同等または優越的地
位の希求へ,
⑦自覚の欠如から,自覚と自己統制へ
個人は、このような成長・発達の過程にあるの
で、そこでの欲求のレベルも個人によって異な
り,上記の「7つの次元」のいずれかの成熟度
に応じて組織の中の個人は自分の成長欲求の充
(6)個人の成熟度と組織リーダーの対応
足を求める。しかし独裁的リーダーのもとでの
ほぼ同様の見解は、アージリス(Argyris, C.)
によっても提唱され、個人の自己実現欲求の充
足に焦点を置く「参加的あるいは従業員中心的
リ ー ダ ー シ ッ プ (participative
組織では、成熟・発達を求める個人の側の成長
欲求を必ずしも満足させない。
その要因は、次のような組織目的の達成しか
or
employee-centered leadership )」を論じてい
る。すなわち彼は、
自己実現人モデルを前提に、
個人が自己実現できるように組織をデザインし、
考慮しない古典的管理原則により組織デザイン
されるからである。たとえば、①課業の特殊化
の原則(組織の効率は、組織構成員に配分され
個人の組織参加の機会を出来るだけ多く提供し
る課業を細分化し分業を徹底化すると向上す
て自己統制の範囲を拡大させるリーダーのあり
方を論じた。
ア ー ジ リ ス の 理 論 は ,個 人の 欲 求 充 足 と
る)②指令系統の原則(組織の効率は、ピラミ
組織の目的達成との統合を重視する点で
と向上する)。③ 指揮統一の原則(組織の効率
近 代 的 議 論 の 典 型 で あ る 。彼 に よ れ ば ,人
間 は 本 質 的 に 社 会 的 存 在 であ り 、生 涯 を 通
じ て 公 式 組 織 と 非 公 式 組 織(非 論 理 的 な 気
は、組織リーダーの単一同質の画一的指揮のも
分感情の論理が貫く組織=派閥)に帰属する。
人間は単一の個人ではできない仕事つまり集団
ッド型軍隊組織のもとで上層部が底辺部を専制
的に指揮統制し、部下に判断の余地を与えない
とに各単位組織を従属させると向上する)。
これ
らの古典的管理原則は、いずれも組織目的の達
成のみを重視しており、個人の側の成長欲求は
無視・軽視している。
‐5‐
このような管理原則が支配する職場組織では、
個人は未成熟段階の行動をとることが要求され,
個々人の成長・発達が阻害される。その結果,
成長・発達を求める個人の側と,組織の側との
間に不適合・不一致が生ずる。かくして組織の
側の欲求も個人の側の欲求も,双方とも効果的
に充足することなく,逆に組織と個人の双方が
相互に相手を傷付けることになる。このような
「不適合」のなかでも、個人は様ざまな適応行
動をとる。たとえば組織を去るのも一つの選択
である。仮に組織に留まるにせよ、退行、代償、
無関心,精神的葛藤,ストレス、欲求不満、合
理化(いいわけ)、つじつま合わせ、逃避、昇華
など、個人の心理的エネルギーは組織目的の達
成を回避する方向に支出される。また空想・攻
撃などの防衛規制も働かせる。このような要因
が、「不健康な組織」をつくりだすという。
アージリスによれば,組織の側は、個人の成
長欲求の満足化過程が,同時に組織目標の達成
過程となる施策・対応をとり,組織のあり方を
個人の欲求に適合するように変化させねばなら
ないし、他方で組織を構成する個人の行動も変
化させることになる。かくして個人の自律度・
成熟度の高い職場組織においては、個人の側の
成長欲求(自己実現欲求)に焦点を当てた「参
加的あるいは従業員中心的リーダーシップ」こ
そが有効となる。
(7) むすび
以上において、
「組織とリーダーシップ」を巡
る近代的議論のいくつかを概観したが、もちろ
ん議論は、これにつきるものではない。しかし
であろう。
ここで概観した諸見解は、いずれも企業経営
者の立場から、いかにしたら労働者のヤル気を
高めて労働させることが出来るかを意図して調
査研究した結果であって、決して労働組合運動
の立場から、政治的民主主義の前進を求めるた
めの政治学的な研究ではなかった。しかし企業
経営者の立場にたつ経営学研究の結論は、意外
にも、逆説的ではあるが、職場の民主化をすす
め、組織構成員に出来るだけ意思決定過程に参
加させることは、個々人のモチベーションの高
揚やモラールアップをもたらし、組織全体の生
産性を大きく向上させることを解明した。つま
り働く個々人の成長欲求・自己実現欲求に応じ
た民主的リーダーシップのほうが、独裁的リー
ダーシップよりも、はるかに個々人のモチベー
ションを高めて組織貢献を引き出すことを発見
したのである。おそらく視野狭窄の経営者には
理解し難いことかもしれない。
最後に組織科学の創始者の有名な言葉を引用
して、この小論を結びたい。
「組織の存続は、そ
れを支配している道徳性の高さに比例する。す
なわち、予見、長期目的、高遠な理想こそが協
働を持続する基盤なのである。かように、組織
の存続はリーダーシップの良否に依存し、その
良否はそれの基礎にある道徳性の高さから生じ
るのである」。
「道徳性が低ければリーダーシッ
プが永続せず、
その影響力がすみやかに消滅し、
これを継ぐものも出てこない」。
「かように、協
働する人々の間では、目に見えるものが、目に
見えないものによって動かされる」
(C.I.バーナ
ード著 山本安次郎・田杉 競・飯野春樹訳『新
訳・経営者の役割』ダイヤモンド社、295~296
頁)。
共通する論点の特徴は、ほぼ浮き彫りにされた
と思われるので、もはやこれ以上の紹介は冗長
‐6‐
(参考文献)
①Levin, K.(1948), Resolving Social Conflicts, Harper & Brothers. 末永俊郎訳(1954)『社会的葛藤の解決』東京創元社。
②Argyris, C.(1957), Personality and Organization, Harper & Row. 伊吹山太郎・中村 実訳(1970)『新訳・組織とパーソナリティー』
日本能率協会。
③McGregor,D.(1960), The Human Side of Enterprise, McGraw-Hill. 高橋達男訳(1970)『新訳・企業の人間的側面』産能短大出版
部。
④Herzberg, F.(1966), Work and the Nature of Man, World Publishing. Co.. 北野利信訳(1968)『仕事と人間性』東洋経済新報社。
⑤Maslow, A.H.(1970), Motivation and Personality, 2nd ed., Harper & Row. 小口忠彦訳(1987)『改訂新版・人間性の心理学』産能
大出版部。
⑥Harsey, P. et al.(1996), Management of Organizational Behavior, Prentice Hall. 山本成二・山本あずさ(2000)『入門から応用へ
行動科学の展開(新版)』生産性本部。
⑦渡辺 峻(2007)『「組織と個人」のマネジメント―新しい働き方・働かせ方の探究』中央経済社。
⑧渡辺 峻(2009)『ワーク・ライフ・バランスの経営学――社会化した自己実現人と社会化した人材マネジメント』中央経済社。
【私も一言】
キャリアオフィス 五十川 進
『学園ガバナンスの総括と今後の課題について
-「学園運営の改革に関する検討委員会」報告-』への意見・提案
はじめに・・・欠落している視点と論点
「学園運営の改革に関する検討委員会」は常
任理事会に対し 2009 年 10 月 14 日、
標題の文書
(以下 「検討委員会報告」)を上程し、常任理
事会はこれを「重いものと受け止め」
、その上で
「学内諸機関においても、本報告の内容を理解
の上、それぞれの運営において具体化が必要で
あると考えている。そのため、更なる豊富化の
会の努力や熱意に対し率直に敬意を表する。但
し問題は、学園一部執行部を始め常任理事会が
検討委員会報告を「重いものと受け止め」とは
言ってはいるが、実際にどれだけ真摯に受け止
め、どのように信頼を回復する行動を具体的に
示すかである。
同時に私は、検討委員会報告に見られる指摘
ため、様々にご意見をお寄せいただくことをは
ると思う。検討委員会報告には 04 年以降の「不
信の基になり、学園の混乱の要因」となった事
項が列挙されているが、あまりにも「評論家的」
じめ、全構成員のご協力をいただきたい」とし
ている。検討委員会報告は、2004 年以降の「不
信の基になり、学園の混乱の要因となった」い
くつかの事例を列挙し、
「これらに共通する問題
点としては、学園構成員の理解を可能な限り得
ようとする努力と姿勢が極めて不十分であり、
そしてそのことの裏返しとして結論の押しつけ
感を強く残したものであった、ということであ
る。
」と指摘している。これらの指摘はこの間学
園で生じてきた多くの問題点を、従来以上に掘
り下げて直視するといった指摘や総括であり、
そのことについては評価に値するし、検討委員
には重要な、致命的とも思える視点の欠落があ
指摘であり、それらのことを生起させてきた常
任理事会(あるいは執行者個人)の当事者責任
についての指摘が無いことである。したがって
事実・事象の羅列であって、いわば「あれも悪
かった、これも問題だ」
「今後改められるべきで
ある」といったような指摘に終わっている。反
省し改めるという言葉だけで、
「信頼回復」にと
って非常に重要な「責任問題」が論点として浮
び上っていない、したがって再び教員・職員が
目標を共有し、一丸となって新しい活気あふれ
‐7‐
る学園を再構築していくための前提条件が満た
せていないという弱点がある。
私自身、学園の一員であり、キャリアオフィ
スで日々学生の学びと成長に関わる仕事に従事
している者として、今日の学園の状況について
大変由々しく思っており、一刻も早くかつての
ように「光り輝く立命館」を復活させたいと切
望している。その立場に立脚して検討委員会報
告に対していくつかの疑問を提示したい。
1.今、陥っている学園の「閉塞的状況」の原因
今、学園に「閉塞的状況」をもたらしている
ものは何か。学園執行部(あるいは一部幹部)
と現場との「乖離」した、
「しらけ切ってしまっ
た」状況をもたらしているものは一体何なのか。
私は検討委員会報告にはこういった状況をもた
らした原因が記されていると思う。
「2004、2005 年以来出来した事態は」
「問題
の解決を困難にし、今日の紛糾を生み出したこ
とは明らかである。このようななかで、学園の
内部からもかってない強い怒りと
不信を招き、訴訟その他の「紛争」
を抱えることになった。また、そ
の結果、学生からの信頼を失い、
平和と民主主義の教学理念への信
頼が揺らぎ、学生を大切にする立命館という社
会的評価が損なわれ、経営主義的体質の立命館
といったイメージを生み、この間学園が営々と
築いてきた社会的信頼をも傷つける結果をもた
らした」ことが原因ではないか。ならば、それ
をもたらした「2004、2005 年以来出来した事態」
について、ここに記載されていることだけなの
か、もっと人心の琴線を蝕んできたリアルで象
徴的な事例は無かったのか、そのことについて
正面を見据えて総括する必要がある。そこに触
検討委員会報告では、
「いわゆる『ガバナンス
文書』
をめぐる議論のあり方と決着の付け方
(05
-06 年)
、総長選任規程をめぐる議論と実施過
程(04 年-05 年)
」などいくつかの諸点を指摘
し、「不信の基」「学園の混乱の要因」としてい
る。しかし実は今日の「学園の閉塞的状況」や
「学園一部トップと現場の乖離、しらけ切った
状況」をもたらしたもっと具体的で象徴的なも
のは以下のような事例であり、そのことを避け
ることなく直視し、真摯に総括することが極め
て重要であると思う。
① 「お前らの代わりは何ぼでもいる」-新入職員
に対する理事長のメッセージ
理事長は新入職員に対するメッセージとして
上記の言葉を「確信をもって」発した。このこ
とは個別立命館学園理事長としての「品性」が
問われる様な全く負のパフォーマンスではある
が、この発言は個人の「品性」に留まらない。
新入職員に対するこの言葉がいかに「軽蔑的」
でありいかに「脅迫的」であるか。このような
言葉を浴びせられて、そして「全ての教職員が
参加・参画して学園の創造」
などと言われても、
誰が率直に参加・参画できるのか。新しく入っ
てきた職員は萎縮するか
「しらけ切ってしまう」
か、上っ面だけ取り繕うか、いずれにしても学
園執行部と現場は大きく乖離してしまう。
② 教員・職員に対する不可解な人事異動
2004 年、正確にはそれ以前から不可解な人事
異動が行われている。教員・職員に共通してい
るが、特に職員にあっては、まさに不可解で説
明のなされない不自然な「異動」
「降格人事」が
行われている。さらにこの不可解で説明の無い
人事は「異動」
「降格」だけではない。本来なら
ば何らかのペナルティがあってしかるべき大き
なミスに対して責任ある立場にあった者や、コ
れていかなければ、現場と「乖離」し「しらけ
切ってしまった」状況を克服していくことは決
してできないと思う。
ンプライアンス上重要な問題を起こし、処分と
2.
「不信の基」
「学園の混乱の要因」をもたら
した「2004 年、2005 年以来出来した事態」
以上の象徴的な事例を直視する
しての
「降格」
を受けても当然と思われる者が、
少なくとも公表上では何の咎めも無く役職に居
座っているという「無異動」も対極的に大きな
問題である。また、教員・職員に共通して「降
‐8‐
いたが、
それ以降ユニタースを読むのを止めた。
そういった教職員は少なからずいる。
格」だけでなく「昇格」「任用」
「登用」におい
て不可解な、人事異動が行われている。
このようなことは特に職員にあっては「脅迫
的」でもあり、恐怖政治の基でもあり「物言わ
ぬ(言えぬ)会議・組織」を作り出し、学園の
活性化を大いに阻害するものである。
③ 組合との対話の拒否、学園執行部によるコミ
ュニケーションの一方的切断
2006 年、一時金カット問題に関わって、京都
府労働委員会の斡旋があり、学園執行部も了承
した。
しかし学園執行部は斡旋内容を曲解し
「一
時金問題は終了した」とし、さらに「業務協議
会のあり方を見直す」と明言し、以降今日に至
るまで立命館民主主義の象徴のひとつでもあっ
た業務協議会を拒否し、今日に至っている。最
近は組合との「協議」を求め、学園執行部は実
際に歩み寄ってきてはいるが、今日の「不信感」
をもたらし、
「学園にとって不幸なことである訴
訟」に立ち至らせたそもそもの根源は、学園一
部執行部による組合ひいては教職員との対話の
頑なな拒否、コミュニケーションの一方的切断
であったのは紛れも無い事実である。
④ 学園広報紙(ユニタース)の学園一部執行部
のプロパガンダの道具への変節
2007 年には、学園広報紙(ユニタース)を利
用して、
「部次長一同」名で組合委員長宛の「私
信」が掲載された。内容は退任慰労金について
の組合の見解を批判し、組合の運動について
「組
合は変わった」といって憂う内容であった。ま
他にも、
「不信の基」
「学園の混乱の要因」を
たその一月後には、
学生部長見解が送信された。
内容は退任慰労金問題を学友会が全学協議会で
議題にしないことや朱雀での行動を中止するこ
とを執拗に迫ったことについての「説明」と称
批判は別途の機会とするが、学園一部執行部は
本来学園の広報誌であり、学園アイデンティテ
ィを醸成する有力な手段であったユニタースを、
従った。私自身について言うなら、それまでは
ユニタースは必ず読み込み発行を心待ちにして
もたらした事例は多くある。学友会費の代理徴
収の廃止表明や、2005 年度頃からの総務担当常
務理事への権限の集中等。
権限の集中は例えば、
特別研修における派遣者を総務担当常務理事が
した「釈明」であった。この内容に対する見解・
自らのプロパガンダの具とし、広報課はそれに
⑤ 評議員選挙での総務部次長の不適正行為と
評議員に欠員を生じさせた事態
2008 年 7 月に評議員選挙が行われた。その際
当時の総務部次長は若手職員に対し特定候補へ
の投票を指示、あるいは他の特定候補への「不
投票」を指示した。このことが発覚し問題を指
摘されたとき、当事者は「評議員選挙には選挙
規程が無い」と居直ったのである。規程が無け
れば慣例に従うか世間の法令に準じるというの
は常識以前の問題であろう。
結局、当然のことであるがこ
の職員選挙区の投票は選挙管
理委員会によって無効とされ
た。結果、評議員の「欠員」
が生じた。このことは私立学校法をはじめとす
る関連諸法令に違反するコンプライアンス上の
重要な汚点となったのである。問題はこのこと
に関して、公式には「居直り」以外には何も明
らかにされず、
当該の次長には何の咎めも無い。
繰り返すが他方では不可解な「異動」や「降格」
が行われているのである。この不明瞭さに対し
ては、未だに憤りを抱いている教職員は少なく
ない。このような状況で、いかに「参加・参画」
を提起しようが、空疎な、
「しらけた」響きしか
聞こえてこないであろう。
決定するとか、職員の定年後の継続雇用につい
て最終的には総務担当常務理事が決定する等々
である。
私は、検討委員会報告では以上のような象徴
的事例もきっちりと見据えて、真摯に指摘ある
いは問題提起として打ち出していただきたかっ
たと思う。もしこれらのことが検討委員会の認
‐9‐
識の外にあったとしたなら、改めて上記の「象
徴的事例」について、検討委員会は、報告を充
実することを望む。
3.「閉塞的状況」を打ち破るために-3 つの条件
の提案-
以上、いくつかの論点を述べてきたが「不信
の基」や「学園の混乱」言い換えれば「閉塞的
状況」
「学園構成員が乖離し、しらけ切った状況」
を打ち破るために、検討委員会はもっと本質に
突っ込んで、以下のような 3 つの条件を踏まえ
て報告していただきたかった。もし、このこと
が報告委員会の認識の外にあったとしたら、改
めて私は提起したいことである。
①
謝罪も含め、責任の所在の明確化と当事者
責任を果たすこと、それは学園トップが率
先して行うべきである
学園一部執行部を始め常任理事会は検討委員
会報告を「重いものと受け止め」るとは言って
はいるが、実際にどれだけ真摯に受け止め、ど
のように信頼を回復する行動を具体的に示すか
が、「信頼回復」の要であると私は思っている。
「理事長、総長をはじめ常任理事会として深
く反省」だけでは駄目である。
「適正な学園運営
を確立しそれを礎として
さらなる飛躍をのぞむた
めに、常任理事会は満腔
の反省をもって取り組む」
決意であるなら、この間教職員に対して「軽蔑
的」
「脅迫的」
言動や行為があったことを認める、
そして潔く勇気を持って謝罪すべきは謝罪し、
当事者責任を果たしていただきたい。
なおその際、学園トップ、職員トップが率先
して行うべきである。それでないと誰もが建前
論に終始し、実際には誰も責任をとらず、
結果、
学園教職員、ひいてはステークホルダーも含め
再び目標を共有し新たな活気あふれる立命館の
再構築を共に目指して行こうというモチベーシ
ョンへとは繋がっていかないであろう。
② 学園構成員が納得し、団結の出来る学園執
行部の構築
2 番目の条件は学園アイデンティティ(「立命
館憲章」)
を再度検証したうえで再確認すること。
そしてその学園アイデンティティをブレークダ
ウンし、政策化していくという立命館の営み、
そういった仕組みを作り、実践していく「リー
ダー」を創っていかなければならない。その「リ
ーダー」は圧倒的多数の教職員が納得し、団結
ができる「リーダー」でなければならない。
「カ
リスマ」を求めてはいない。つまり「民主的集
団指導体制」としての学園執行部を構築してい
かなければならない。
その際、
「民主的集団指導体制」を担保するも
のとして、今日議論の渦中にある「総長選挙規
程」の民主的でフェアな策定や、これからの議
論の課題である、リコール制も念頭に置いた理
事長選任および解任に関するルール(規程)作
りも是非必須の条件として頂きたい。
③ 「立命館憲章」を具体化する学園の大きな
ビジョンの提起と、全構成員が目標を共有する
学園構成員が納得し団結の出来る学園執行部
が構築されたなら、とはいわない。この際「段
階論」ではなく、学園執行部が直ちに着手して
頂きたいのは、
「立命館憲章」を具体化する学園
の大きなビジョンの再構築である。
「中期計画」
を策定し PDCA マネージメントサイクルで高め
ていくなどと言ういわゆる「手法」や「傍論」
ではない。
例えば学園の財務政策はどうなっているのか。
私学第 3 位、1,000 億円の運用資産を内部留保
しさらに学費を上げ続けるのか。世間的には偏
差値上位層は「何も高い学費を払って立命に行
かなくても国公立や D 大に行けば良い」
(これは
附属校でも見られる傾向であるとおもう)とい
う傾向は浸透しつつある。また厳しい経済状況
の中で学生に対する新たな、情勢に切り結んだ
「学生支援」施策も保証されない予算 0 査定の
ままでよいのか。一体学園の財政政策は何なの
だ。教学を支える財政政策を謳い、教学創造こ
そ財政政策と語っていた立命館で、APU の財政
‐10‐
状況は秘匿され、附属校や協定校政策に絡む財
政問題は不分明である。具体的な情報公開を徹
底すべきであろう。
もちろん基幹・骨格となる教学政策、教学理
念に裏付けられた「立命館らしい学生像」とは
何なのか、今日の社会状況を踏まえて検討を深
【編集後記】
める必要がある。
「未来を信じ、未来に生きる」
学生を育てるためには、総体としての学園自体
が一点の曇りもなく、誇り高く未来を目指す必
要があろう。それを念じて、私の見解を一応締
めくくりたい。
(以上)
どことなく図々しい面々
本格的な冬の到来をつげる木枯らし1号が吹き、この冬一番の冷え込みが暫らく続きました。毎年同
じことが繰り返されているのに、少しずつ寒さが堪えるのは加齢のなさる所為でしょうか?
先日、常任理事会からこの間の「学園のガバナンス」を「総括」する文章が公表されました。
しかし、この文書に対する各学部や職員職場の受止め方は、ことのほか厳しく、
「責任の所在があいま
いだ」
「反省の姿勢(ポーズ)を示しながら、何を改善するのか明確でない無責任な総括だ」と一様に異議
を唱えています。(組合ニュース「ゆにおん」No.37参照)
今から20年ほど前、前理事長がまっとうに理事職を務めていた頃、学生の不正行為や職員の業務上
での過失に対し、
「罪を憎んで人を憎まずの精神が大事だ。人間誰しも失敗はつきもので、同じ過ちを繰
り返さないことが大事だ。業務会議で教訓を導き出すように総括しなさい」と指導していた。この指導
に照らすとき、常任理事会が公表した「総括」文書は、二度と同じ誤りを繰り返さないよう教訓を引き
出し、今後の改善策を具体策を提起しているのでしょうか?
「学園運営の改革に関する検討委員会」報告の2.
「近年の学園運営に関する総括について」には、前
理事長が激怒したと云われる記述―「常務理事会の一部の権威的な姿勢とそのリーダーシップの肥大化」
等々―も含まれていますが、総じて坦々とした記述に終始し、痛みをもって自らの膿を絞り出すといっ
た姿勢に欠けています。2004 年度以降生じた「結果」にこそ反省の姿勢を示すものの、当時自分たちが
常務会(常務理事会)のメンバーとして、その一翼を担ってきたことを自らの責任として引き受ける覚悟
に欠けています。だから、
「常任理事会として痛恨の極み」
「常任理事会として深く反省」という言葉も、
ただの言葉の上での反省の域を出ず、しかも集団的な責任の問題を前面に出すことによって、個別の責
任を免れんとしているのではないかと疑われるのです。
10 月 28 日に開催された「総長公選制の実現をめざすフォーラム」に参加したある人が、この「総括」
を「悪がきが“ごめんなさい”と舌をだし、頭を掻いている姿」で、
『ごめんなさい文書』には誠意がな
い」と批判したことは、実に的を射た表現ではないでしょうか。
常任理事会のこの姿勢は「一時金訴訟をすすめる会」との「和解協議」でも同様で、訴訟そのもの
に対する和解案の提示ではなく、
「訴訟を取り下げて」欲しいために協議に臨んでいるやに聞いています。
“図々しく生きたくはないものです。
”
運動は少しずつ確実に前進し、成果も幾つか勝ち取って来ています。ここで一服する訳にはいきませ
ん。今こそ老若男女・附属校・APUの教職員を含め、教職員組合連合や「三つの会」が力を合わせ、
常務会を中心とした学園トップの責任を明確にさせるため、要求実現と問題点を追及する時が来ている
と思います。
好意的な感想が多く寄せられた前号の「編集後記」に続き、今回もまた「ものぐさ老人日記」(09.2.6
付京都新聞)を転載します。
*みなさんにお薦めする上映中の映画:家族愛、姉妹愛に満ちた「私のなかのあなた」、
:国民・乗客
の安全ため不義・不正のない航空会社をめざし、一筋に生きる男を描く「沈まぬ太陽」
。以上(M&H)
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〈参考資料〉
*前頁の「編集後記」と併せて
お読みくださると理解が深まり
ます。尚、編者に網かけのタイト
ルに本意があるわけではありま
せん。
京都新聞朝刊 14面より転載
‘09.2.6(金)付
⇒
事務局連絡先:〒603-8577 京都市北区等持院北町 56-1 立命館大学教職員組合 気付
「立命館の民主主義を考える会(元教職員)
」
TEL:075-465-8200(宮澤気付)
FAX:075-465-8201
メールアドレス [email protected]
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