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日本と中国のこれからの関係について
中国短期留学レポート 日本と中国のこれからの関係について 若松 弘晃 タイトル:中国と日本のこれからの関係について 中国と日本の関係をこれからどうしていけばいいのか、それについて中国に 実際に行って考えたことをこれから、述べていこうと思う。 まず、日本と中国の関係を考える上でどうしても避けては通れない事柄は、 両国の歴史認識の違いであろうと思う。日本は世界の国々が植民地支配を次々 と行っていた時代に、日本のすぐ近くまで西欧諸国に植民地を増やされてしま うと、日本の国としての存続が危ぶまれると当時の政府は考えた。そのために、 中国まで他国に植民地支配を行われると日本まで植民地化されることは必定と 考えられていたので、日本は中国に攻め込み、満州を日本の植民地として他国 にその了承を得たのである。確かに植民地化したことには違いはないが、植民 地支配が世界で流行していた時代に、誰が悪だと認識して植民地化を行っただ ろうか? 今現在、植民地化することは悪に相違ないと思うが、善悪はいつも不変である わけでもなく、その時代の雰囲気に依存するものだと私は考えている。 その 60 年以上前のことを価値観が全く変わってしまった今の「ものさし」で計 り、未だに日本の戦争責任を追及し、謝罪を要求するのは筋が通らないことで はないのだろうかと私は思うのだが。現在戦争を引き起こした世代は次々とい なくなってしまっているが、子孫代々に至るまで謝罪を要求し続け、罪悪感を 植え続けるのだろうかと、不安に思ってしまうのだ。中国の歴史において、敵 に対しては絶対的に不寛容であるように思える。それは日本でも同じだと思う かもしれないが、中国の敵に対する厳しさは日本のものとはやはり違うものを 感じてしまう。これも大陸性の民族と島国の民族との違いだろうか?人に対す る残酷さ、カニバリズムといった面も日本とは異なるように考えられる。 現在の日本と中国との関係は良好とは言えないが、どうすれば良好な関係を 築くことができるだろうか。私が考えたことは、そもそも中国と日本とで教育 の仕方が異なる(特に問題となっている歴史では)。そのことが、中国と日本と の歴史に対する考えを平行線に保っている原因ではないかと思うのだ。中国に おいて反日教育を行っていくことで、そのような教育を受けた子供達は、日本 に対して反発、嫌悪の感情を抱きこそすれ、友好的な感情は決して湧かないだ ろう。日本では中国で行ったであろう(決して確定ではない、歴史的に確証を 得ていないことに対して)ことを書いて、日本人の子供達に対して罪悪感を植 え付けているのだ。最近では日本が起こした(起こさざるを得なかったという のが正しい記述であるとおもうのだが)戦争に対して、反省の態度を取らず、 過去の日本の戦争を美化していると言われている教科書が問題になった。日本 中で話題になったし、中国、韓国もそれに対して不快感を示していた。だいた い他国の教科書に対して訂正などを求めること自体が、異常であることと思わ ない日本のメディアがすごいと思うが。もともと、日本のメディアがその問題 を大きく取り上げ、中国、韓国に対して発信していたのだから、そりゃそうか と納得してしまうけれども。ともかく、日本の教科書に対して他国が訂正でき るという関係を終わりにしなければ、真の日中関係改善は望めないであろう。 中国が日本の教科書に対して訂正を求めるのであれば、日本も中国で使われて いる教科書を見直し、訂正を要求することができるはずである。そうすれば、 今よりも対日感情は良くなるのではないだろうか。 私は歴史に対して完璧に客観的に記述できるとは思わないので(それができ るのは神しかいないだろう)それぞれの文化で行うことのできる、真の客観的 立場からの近い立場での歴史を記述することで、相互の歴史認識の相違は少な くなるに違いない。過去に起こった全ての事象は唯一であるからだ。それを行 うには政治的な思惑、自国のプライド等を全て二の次にして、歴史に対して謙 虚な態度で接しなければならないのだが、これはとても難しいことであろう。 中国に行って、 「日本と中国は、国レベルの関係で仲良くできるであろうか?」 と中国人に聞いてみたのだが、その中国人は「日本の首相は何故靖国神社に参 拝するのかが、中国人は分からないし、中国人が何故日本に対して大規模なデ モが起こるのかが分からない。両国の常識というものが理解し合えないのだか ら、今のような摩擦は当然起こってしまうものだろう。」というような趣旨のこ とを言っていた。しかし、ここで考えなければならないことは、両国の常識を 全く同じにすることは、つまり、両国の文化を同一にすることに等しい。それ は、いわゆるグローバリゼーションというやつだ。両国の文化を同一にすれば、 常識は同一となり、相互の理解をすることができるのだろうか、ということを 容易く信じることはできない。一つの超大国が世界を支配したとして、共通の 認識が確立されるかというとかなり疑問だ。異なる文化同士が融合して、ある いは強制的に一方の文化を押し付けた場合に、文化同士が平衡状態つまり、文 化の変化がほぼなくなる状態になるまでには相当の時間がかかるであろう。現 在のインターネットの普及により、世界中の文化の均一化は行うことができる ように思われる。 しかし、それが問題の解決になるとは思わない。文化同士の違いを考慮した上 で、両国ができるだけ謙虚に話し合いを進め、折り合いをつけることが月並み であるが、いい方法であるように思えるのだ。外交というものは、資本主義下 において自国の利益を最大限達成する為に行うものであって、自国の有利の為 に行動するものである。そのため、中国にとって靖国参拝、教科書問題、戦争 責任の外交カードは、非常に有益であり、多額の ODA を得るためには必要なこ とであるので、決してそれらの外交カードを捨てることはないのだ。 結局、資本主義が世界を覆っている現在において、中国と日本との関係を良 くしていくことは難しい。そのため、資本主義が廃れ新しい理念が創造され、 広く普及するならば、改善されるかもしれない。例えば、自他共楽主義など。 (※ 注 自分と相手とが共に向上していくことを目的とする考え。他人と自分との 繋がりを大事にするといった考え。)そうすれば、今よりもっと日中関係は改善 され、より良い世界となるのではないだろうか。そのような世界になるにはま だ相当の時間が必要になるだろう。