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いつくしみの特別聖年
▼いつくしみの特別聖年▼ 校長 阿南 孝也 2015年12月8日、教皇フランシスコは、バチカン・サンピエトロ大聖堂の「聖なる扉」 を開く式を行い、1年間に及ぶ「いつくしみの特別聖年」が始まりました。 聖年とは、1300年に始まったカトリックの行事で、現在は25年ごとに行われています。 前回2000年の聖年は、「ジュビリー2000」と呼ばれ、途上国の返済不可能な国際債務 を免除しようという運動が行われました。前年に開催されたケルンサミットでも取り上げら れたほどです。 レビ記25章に「ヨベルの年」と呼ばれる「解放の年」の規定があるからです。ヨベルとは、 解放の年を知らせるために吹く角笛のことです(ジュビリー:ラテン語=ヨベル:ヘブライ 語)。レビ記の規定では、この年に、取り上げられた土地の無償返還、負債の免除や奴 隷状態からの解放が定められていました。土地も財産も、全ては神からの預かり物であり、 人はその管理を委ねられているにすぎないという精神は、21世紀の私たちにも学ぶべき ものがあると思います。 教皇は、2025年に予定されている定例の聖年を待たずに「いつくしみの特別聖年」 を宣言されました。図書館前にロゴマークが掲げてあります。よい羊飼いであるキリストが、 迷い出た人間を両肩で担いながら連れ帰る姿です。よく見ると、キリストが愛を込めて私 たちに触れ、じっと見つめてくださっていることがわかります。まなざしの奥に、御父の愛 を感じ取るよう促しておられるのです。 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。・・・ 赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたが たにも与えられる。 (ルカによる福音書6章36∼38節) 「イエス・キリストは、御父のいつくしみのみ顔です。いつくしみは生きたもの、見える ものとなり、ナザレのイエスのうちに頂点に達しました」。教皇フランシスコは特別聖年勅 書の中で、こう述べられました。手話で「慈しむ」は「愛する+涙」で表します。イエスは、 私たちのために涙を流し、痛むほどに愛しぬいてくださる、いつくしみに満ちた方として、 御父の愛を示してくださいました。 新しい年がスタートしました。「人の痛みに気づくことのできる人になってほしい」、これ が校長としての私の願いです。校内や通学時に出会う人たちの気持ちを考えて行動で きる人であってください。合わせて、広く世界に目を向けてほしいのです。中東情勢の更 なる悪化、難民や移民の問題、世界経済の停滞など、数多くの難題が見えてくるでしょう。 洛星で学ぶ生徒たちが、困難な状況に置かれた人々の幸せ実現のために働くことのでき きる、いつくしみ深い心を持った人として成長してくれることを願ってやみません。