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CAMP ヒロシマにおける国際交流 移住するアートプロジェクト 報告:古

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CAMP ヒロシマにおける国際交流 移住するアートプロジェクト 報告:古
CAMP ヒロシマにおける国際交流 移住するアートプロジェクト
報告:古堅太郎
んどは、海外や日本国内から、このプロジェクトのために一時的に
広島に滞在した。ドイツ、日本はもちろん、オランダ、フランス、
スイス、ボスニア・ヘルツェゴビナ、さらに、韓国からも多くのア
はじめに
ーティストが参加し、
「CAMP ベルリン」のもつ多国籍な性格を受
「CAMP ヒロシマ」は、
「Migration(移住・移動)」をテーマと
け継いだ。彼らの多くは、広島在住者ではないため、新鮮な視点
し、2008 年 2 月にベルリンで開催された「CAMP ベルリン」に続
を持って広島を観察し、Migration を広島との関係性の中で提示
いて、同年 11 月に広島で開催されたプロジェクトである。タイトル
しようと試みた。
に付けられた CAMP とは、
「現代美術移住プロジェクト」の英名で
会場となったのは、広島市中心部の被爆建物、旧日本銀行広島
ある「Contemporary Art Migration Project」の各単語の頭文字
支店(以下、旧日銀)である。総合テーマ「汽水域」のもと、同
からなる略称である。
時開催された「旧中2」が地域との密接なコミュニケーションを特
テーマである Migration は、現代の生活や芸術において重要な
徴としたことに対し、
「CAMP ヒロシマ」は、Migration をテーマと
トピックの一つである。地球規模で繰り広げられる経済活動、世
し、国際的な視点から広島を捉える展覧会としての特徴を担った。
界中に張り巡らされた航空網の発達は、異文化間の交流や出会
旧日銀内には、柳幸典企画室による《peace scope》も展示され、
い、再解釈、それぞれの特徴を兼ね備えたハイブリッドな文化や、
さらに、サテライト企画として、広島市立大学芸術資料館で「CAMP
異なる文化圏から文化圏へと移動を繰り返す人たちを生み出して
ベルリン」のアーカイヴ展も同時開催された。
いる。このプロジェクトが開催されたベルリンと広島においても、
Migration は、様々なレベルで、両都市の形成と維持、歴史的、
先に述べたように Migration というテーマのもと、広島との関係
社会的な側面、その都市やそこに住む人々のアイデンティティーに
性を強調した作品が多く見られた。例えば、
「CAMP ベルリン」に
影響を与え続けている。
も参加したダヴィッド・ポルツィンの《広島1》は、
「CAMP ベルリン」
と同様のコンセプトのもと、被爆にも堪えた旧日銀の柱を神体に
ベルリンと広島における Migration
見立て、制作された。
ベルリンは、様々な国からの移住者がひしめき合う、ヨーロッパ
広島で行ったパフォーマンスの様子を撮影したヘニヒ奈於美の
でも有数の都市である。約 430 万人の人口に対して、13%を越え
《静けさ》は、目には見えない広島の歴史との対話を思わせる。元
る 45 万人以上が外国人移住者である。
「CAMP ベルリン」が開催
安川をはじめとした市内の様々な場所で送られたメッセージは、手
された旧ヴェディング地区(現ミッテ地区)においては、その割合
旗信号に翻訳されたゆえに、誰に届くこともなく広島の中空へと消
が特に高く、約 3 人に 1 人は外国人という驚異的な状況である 1。
えていく。
一方、広島市には、116 万人の総人口に対し、1.3%にあたる約
マライケ・ドロブニによる《ドローイング—広島—》は、作家が
1 万 5 千人の外国人移住者が住んでいる 。ベルリンが市全体を
一年間、広島に滞在した際、身につけていた GPS による軌跡によ
平均しても、13%という高い割合であることを考えると、外国人移
って描かれている 4 。最初は、まったくの白紙であったはずの紙の
住者がほとんどいないに等しい状況である。これは、広島市に限
上に、日々の移動の積み重ねによって徐々にドローイングが描かれ
ったことではなく、日本全体としても 1.63%と、かなり低い割合で
ていく。
ある 。しかし、移住者の送り手としては、広島も特徴的な歴史を
的場智美による《私達のいるところ》も地図に関する作品である。
持っている。広島は、近代以降、北米、南米、ハワイへの移住者
一見すると何の変哲もない地図が、実は、日本とイギリスの地図
を多く輩出してきた。ベルリンが多くの外国人移住者を受け入れな
が組み合わされたものだったり、真珠湾のあるハワイ、オワフ島と
がら、その社会を形成してきたように、広島も多くの海外移住者
広島市内の地図が混ざっていたりする。視覚的な類似性の強調は、
を送り出しながら、その社会を形成してきた。Migration について、
逆に、異なる場所同士の交換不可能性を暗示している。
全く異なるアプローチをしてきた両都市で開催された「CAMP ベル
大田祐子による《ここで見聞きしたこと、ここで行ったことは、
リン」と「CAMP ヒロシマ」は、その都市における Migration の
ここを去るときに持っていけ》は、平和記念式典臨時キャンプ地
現状を反映したものとなった。全年度に開催された「CAMP ベルリ
「Hiroshima peace camp 2008」に宿泊し、記念式典に向かう人々
ン」については、前回の紀要で報告したので、今回は、
「CAMP ヒ
の様子を撮影した作品である 5 。タイトルの文章はアメリカ軍原爆
ロシマ」について報告することにする。
投下部隊秘密訓練地の入口に書いてあった言葉の意味を反転させ、
2
3
広島を訪れる人に平和の意味について考えるように促している。
CAMP ヒロシマ
古堅太郎による《あなたが欲しいものは、あなたが失うもの》は、
「CAMP ヒロシマ」に参加した 26 人 24 組のアーティストのほと
1908 年から 1973 年まで行われたブラジルへの移民政策をもとに
23
制作されている。
「コーヒーは金のなる木」というふれこみとは裏
している。野外での公開撮影に無許可で侵入し、撮影を録画して
腹に、富を手に入れた人たちはごく一部であったことに着目し、金
いるテレビ局のカメラを作家が撮影する作品は、本来ならば透明
のコーヒー豆を制作、1973 人目の来場者にプレゼントした。
な視点としてテレビ画面には現れないカメラの存在を提示してい
チャン・ファジンによる《記憶の転移》は、日韓併合によって
る。
日本政府が韓国のソウル市に建設した朝鮮総督府庁舎の精巧な
セバスチャン・ルセニュールも、彫刻や絵画、写真といったメデ
模型とその巨大なドローイングによって構成されている。作家は、
ィアを変遷するイメージをとらえた《b.p. blackpictures》を制作し
1995 年に尖塔部分のみを残し解体されたこの建物の痕跡を追う
た。
ことで、日韓の歴史の再考を促している。
増山士郎は「CAMP ベルリン」に展示した《ベルリンからハンブ
チョン・ソンジュによる《徘徊者》も、広島の歴史について言及
ルグへの移動》に加え、
《神奈川から広島への移動》を展示した。
している。コーヒーの粉と灰を使って描かれたドローイングは、少
「CAMP ベルリン」と同様のコンセプトで、作家の自宅から「CAMP
し触れただけでも、その形を変える。常に修復を必要とする様子は、
ヒロシマ」の展示会場である旧日銀まで配送された過程を見るこ
記憶の持つ本質的な性格を思わせる。
とができる。
カン・アイランによる《韓国人のアメリカと日本の移住の歴史》は、
ミヒャエル・オットーによる《相互関係》は、“日本人が斉唱する
アメリカと日本に移住した韓国人についてのドキュメンテーション
ドイツ国歌” と “ドイツ人が斉唱する日本国歌” の姿が映し出され
である。本の形をしたオブジェクトがインターフェイスの役割を果
たヴィデオインスタレーションである。引き延ばされた歌声の不気
たし、それぞれの本に触れることにより、それぞれの内容が映像と
味な雰囲気は、国歌の持つ不穏な一面について言及している。
して映し出される。
藤原勇輝による《MIKARA DETA SABI》も不穏な雰囲気を漂わ
キム・ホンシクによる《“日系” を知っていますか?》は、日本か
せる作品である。北朝鮮で現在使用されているスカッドミサイルを
ら移住した人々の名前が書かれた金属のプレートと畳の写真で構
インターネットなどの調査によって原寸大で制作したものである。
成された作品である。
鹿田義彦は、地球儀の表面を鉛筆で塗りつぶし、
《ダークルーム、
《Camélia、冬柏、椿》と題された、華やかな椿のインスタレー
ブラックボール》を制作した。陸や海、国境などが消されるという
ションを制作したユ・ミヨンは、日本や韓国を原産とする椿が、ヨ
ユートピア的な発想とは対照的な、執拗に幾重にも重ねられた鉛
ーロッパに伝わり、フランスで小説やオペラのタイトルに使われ、
「椿
筆のストロークは、むしろディストピアを象徴している。
姫」として日本や韓国に帰ってきた歴史に着目し、異なる文化的背
タノタイガによる《サバイバルスーツセット》は、プラモデルを思
景と歴史の中で、ものごとの意味とイメージの変容について言及し
わせる段ボール箱に丁寧に収められた、ブルーシート製のスーツや、
ている。
トラロープでつくられた鞄からなるセットである。同室に展示され
ダミール・ラドヴィックの《盲点》は、多様な「NO MORE…」の
たヴィデオには、アーティストがそのスーツを着用し、東京の町中
メッセージで、すでに失われてしまったもの、これから失われるで
を歩き回る様子が映されている。タイトルが暗示するように、その
あろうものについて言及している。
「NO MORE」という言葉は、広
素材は、災害時などに使用される素材を中心に選択されている。
島で撮影されたフランス映画「ヒロシマ・モナムール」
(1959 年)
アクセル・テップファーのインスタレーション《KITE くださーい》
に登場するプラカードに書かれた「NO MORE HIROSHIMA」から
は、廃材の金属製波板を集めて作られた、巨大な円心状の通路で
発想を得ている。もう一つの作品《パラドキシカル・スリープ》には、
ある。中心から放射線状に写真が配置され、それぞれの写真は、
人通りの多い道の真ん中で、突然布団を敷き始め、パジャマに着
中心に想定された見えない山の頂上へとつづく道の景色を表して
替え、そのまま就寝する作家の映像が収められている。サラエボ
いる。
と広島で行われた同じ内容のパフォーマンスに対する、全く異なる
「CAMP ベルリン」では《ともかく、ありがとう》を展示したマテ
周囲の反応が、文化的背景の違いを伝えている。
ィアス・ヴェルムケ+ミーシャ・ラインカウフは、今回、
《合間に》
シャルロット・ボンジュールの《銀河命名ドットコム》は、20 世
というヴィデオ作品を展示した。ベルリン市内に張り巡らされた鉄
紀を代表するメディアであるテレビを素材に、科学技術の進歩と
道路線を自作のトロッコで疾走するこの作品は、何ヶ月にも渡る細
私達の生活の変化について言及している。同じく、メディアとして
かなリサーチが反映されている。深夜の無人の地下鉄線路でトロッ
のテレビに言及したのは、パウル・ダリウスの《自動詞》である。
コを漕ぐ姿は、滑稽な印象も受けるが、作家が東ベルリン出身で
実際には存在しない、テレビ画面の枠から出られなくなった作家
ある点を考え合わせると、東ドイツから西ドイツへと亡命した人達
の様子からは、メディアに大きな影響を受けている現代社会につ
の姿を思い浮かばせる。
いて考えさせられる。
下西進による《I’ m on the Air》もメディアに対する問いを内包
24
終わりに
2008 年 11 月 16 日、
「CAMP ヒロシマ」の会期が終了した。こ
れをもって、約二年がかりで取り組んできた「CAMP ベルリン—ヒ
ロシマ」が幕を閉じた。ベルリンと広島の両都市をまたいで行わ
れたこのプロジェクトには、合わせて 63 人 55 組のアーティストが
参加した。Migration という壮大なテーマに対し、それぞれの作
家が行った取り組みは、ベルリンと広島の両都市、さらには、広
島アートプロジェクトの貴重な知識や経験として蓄積された。この
プロジェクトを通じて、参加作家やスタッフの間で養われた国際的
なネットワークは、プロジェクト終了後も、両都市の文化的発展の
インフラストラクチャーとして機能する大きな可能性を秘めている。
Migration というテーマが、今後ますます社会における重要性を
増すなかで、アーティストが果たすべき役割も、その重要性を増し
ている。
「CAMP ベルリン—ヒロシマ」を通じて行われた取り組み
が、それらの重要な指標となることを確信している。
註
1. Vielfalt fördern – Zusammenhalt stärken: Das Berliner
I nt e g r at i on s kon z ept ( B erl i n : S en at s ver w a lt u n g f ü r
Integration, Arbeit und Soziales, 2007), p115.
「CAMP ヒロシマ」の会場となった旧日本銀行広島支店内の展示風景
h t t p : // w w w . b e r l i n . d e / i m p e r i a / m d / c o n t e n t / l b i nteg r at ion -m ig r at ion /publ i k at ionen / b er ic hte/
integrationskonzept_2007_bf.pdf
2.「広島市多文化共生のまちづくり推進指針 〜互いに認め合い
共に生きていくまちづくりを目指して〜」
(2006 年 4 月)
http://www.city.hiroshima.jp/shimin/jinken/kokusaiteki/
sisin_jp_keii.doc
3. 法務省入国管理局「平成 18 年末現在における外国人登録者
統計について」
(2007 年 5 月)、1 ページ.
参照データ名:070516-1.pdf
http://www.moj.go.jp/PRESS/070516-1.pdf
4. GPS とは、衛星により地球上での位置を計測する機器で、自分
エントランスで特別展示された柳幸典企画室による《peace scope》
の位置を知ることが出来る。
5. Hiroshima peace camp 2008 とは、8 月 6 日に広島で行われ
る平和記念式典に訪れる人々に、宿泊施設と平和について話し
合う場の提供を目的に設置された一時的なキャンプ場の名称
である。
本稿は、
『広島アートプロジェクト 2008「汽水域」』
(広島アートプ
ロジェクト、2009 年)に掲載した「CAMP ベルリン—ヒロシマ 現代美術移住プロジェクト」に加筆訂正したものである。
ダヴィッド・ポルツィンによる《広島1》
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ヘニヒ奈於美による《静けさ》のパフォーマンス風景
古堅太郎による《あなたが欲しいものは、あなたが失うもの》
大田祐子による《ここで見聞きしたこと、ここで行ったことは、
ここを去るときに持っていけ》
カン・アイランによる《韓国人のアメリカと日本の移住の歴史》
広島市立大学芸術資料館で同時開催された
「CAMP ベルリン」アーカイヴ展の風景
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