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車 M各に咲く{乍品のi, ノノ
- AOMORI· IWATE…l…·YAMAGATA· FU…MA 評〉 〈講 て え 終 を 査 審 査 員 弘前大学教授 村 上 善 男 この展覧 会も回を重ね、一五 回になるという。会員の皆さんの御発 展を 念 じている。 している私 自身 、反 省させられることばかりであった。 日 々 の 、 雑 然 と し た 仕 事 も な く は な い 中 で 、 研 究 を お こ た ら な い の は 見事 と い う ほ か な い 。 多 少 な り と も 同 じ よ う な 仕 事 を デ ザ イナ ーの皆さんに感謝したいと思うのは、作品 レ ベ ルを 、自分の問題として深く考えている。 その態 度に対してだ。 しい審査 であったと思う。 総 じて、今回の作品 は、前にも述べたように力作ぞ ろいであった 。審査 員 泣 か せの審査 は 、思いのほか 手 間どった が 、楽 に 流 れ や す い の だ が 、厳 し い い ま ま で 終 わ っ て い る の が い い 。 地 区連会長賞 の石沢 工業氏は 、テ ーマが 厳 し く 、内 容もまた厳しい。 こうした 仕 事はともすれば、セ ンチ メンタ ルなもの また、日広連会長賞 のニッ タ 美術工芸 氏の作品 は、技 術がテlマに、ぴったりとよりそったという印 象を 受け た。 の ぼの とした印 象を与える一方で、危機が、すぐ そこに迫っていることを示して、成功 していた。 建設大 臣賞 のア lトサイン 平館 氏の作品 は、地 球温 暖化がテ!マであるが、ペン ギン を あしら うことによって 、画面 にほ ア イデア はよく理解 できるが、テク ニッ ク に問題が 、という作品 が少なく、技 術の向 上 ぶりには目を 見はった。 れば、甲 乙つけ がたい制作者の情熱 に、選 者が圧 倒されたためであろう。 公共キ ャン ペ ーン 展という、厳しい テ! マ性 を持ったコンク ールに、ふさわ しい力作が寄 せられた。選 考に苦 労 したとす 審 瀬宮 態調 査 票と か 団体実態調 査 表の記入 提出を 求めら れる。 その中に組合運営上の問題点として、第 一』に取り上げ ら れ るのは、 「組合員の協同意識の欠如 、「組合員の 協 力 不 足 」が 事実、組合の日常 の運営で、特-に運営の機関 に携 わ る、役 ある 。 員 は 時 に 遺瀬 の な い 淋 し さ と 空 し さ を 感 じ る こ と が 度 々 で あ 前号にも書いたことの繰返 しになる・が、わ れわ れは端 的に る と 思ふ 。 員 組合をつくったのはわ れわ れ ひと り ひと り で あ る 。組ム伯 同志が肩を がっちり組んだ協 同の力が、わ れわ れの繁 栄、向 上 の み ち を 切り 開 く き め て な の で あ る 。 「役員も進んで引受けよ う。」 「 そのた め、費 用を 分担 しよう 。」 といふ創立 時の初 心を忘 れてはならない。 前号 に も 、組 合 と い ふ も の は 上 意 下 達 と い ふ 上 下 の 縦 の 関 係 で な く 、 自 由・ 民 主 ・ 協 同 の 横 の 関 係 で な け れ ば な ら な い 合 機 構 と い ふ 図 形 を つ く っ て 組 織 化 し て も 、縦 の 上 意 下 達 に と書いた が 、た しかにそうである とは思って も 、実際 には組 馴れ、その方が面 倒くさくていいと言ふ。 そこに二 十年 の年 月を経ても、組合の進歩 がなく、ただ足 ぶみをし、社会の進 運 の 底 辺を 漂 っ て い る 原 因 が あ る と 恩 ふ 。 「社会的地 位と経済的地 位が現実低 い 」 た 肩を 組 み 合 ふ 仲間 が ど う で あ る か を 考 えて み た い も の と 思 足 」の指摘があたっているかどうか、自分はどう なのか 、ま われわれは、「組合員の協同意識の欠如 」「組合員の協 力不 を 組 ん で 、自 力 を た か め 、社 会 このためにわ れわ れ業者は一屑 きない。特 に異種産業界 との交流の場合 、わ れわれの席が設 け ら れな い憾 みが ある 。 類 か と の 物 語 り に も 似て 経 済 界 の 活 動 や 友 好 の 仲 間 入 り が で 自由業の分類に甘んじている限り、「こう も り 」は 鳥 類 か 獣 第 一 は わ れ わ れ の 業 種 の 確立 が な さ れ ず に ど っ ち つ か ず の てられる羽 田に陥ると思ふ。 それ に 応 じ な け れば 、わ れ わ れ 、取 り 残 さ れ る か 、切 り 捨 会 の 進 運 は 、わ れ わ れ に さ ま ざ ま な 要 請 を す る 。 さて、わ れわ れも尚ほ底 辺を さまよっ ていたとしても、社 ふ。初 心忘れるべからず」 といふ諺のよう に 。 し ごと に マイナ スになるよ 「うっかり役員にでもなれば、ただ働 きを さ せ ら れ 、 自 分 の 「組合は組合費を徴 収しているのに、わ れ わ れ に 何 も し て く れない。」 どっ か で 、 「組合に加入してもなんのメ リッ トもない。」 か協力不足とか と指摘される 。今 まで は 、いや 今 で も 組合 の 自明 の理が、身につかないでいる。 それが協 同意識の欠如 と 済的な地 位を一 歩 一歩 たかめてゆかなければならないといふ 的な活動に貢献 する等さまざまな活動によって己 の社会的経 言ふならば こ ん な 声 が ま だ 聞 か れ る 。 さ びし い こ と で あ る 。 最後に、根 田サイン 氏の作品 について 一言 。幻 世紀 に、赤トン ボがいるぼ ろうか、とする黒 いユ ーモア が印 象的だった。 俊 審査 は大 変にむ ずかしかった。でも 楽しかった。 :ム ,ロ 思いきって、 三賞 の中に、と思ったほどである。 九九三年 を迎 える 責 差側 長業 貝協 同 毎年、中小企業団体中央 会や 日広 連から、組合運営状況 実 青 森 雄県 報屋 文金 色詮 フR口 会場風景 日広連賞制ニシタ美術工芸(青森) 建設大臣賞アートサイン平館(膏森) 青森市サンロード青森2 F催事場 .会場 平成4年10月16日, 17日, 18日, (3日間) 園期日 \3/ 口守 ロ守 曹 lま ‘ 発 行 所 東北地区屋外広告美術業組合連合会 情報文化委員会 事務局 TEL 022-257-0437 第4 4 〈第 く ー ·-一す 一一ートー-h・" ・・ つw と 1993年(平成5年) 3月10日 (1) 第15回東北六県公共キャンぺーン作品展 車�M各に咲く{乍品のi,�ノノ 建設大臣賞 地元アー トサイン平館さん(青森県) 屋 外広告士資格制度はわ れわ れの業 し ごと を 目指して、自分の警の秘 伝を とω カ所 もあると言わ れてお ります。 襲 す る と す れ ば 、今 こ こ で し っ か り と 組んで お か な け れ ば な ら な い 事で あ る 今 後 の 重 要 な 課 題 と し て 逃 げ ずに 取 り の で あ る と 言 わ ざ る を 得 ま せん 。 人類はまだまだ野蛮で困 ったいきも そういふ保守的なむかしのよき時 代 体得し、結 構商買繁 昌をしていた。 と思って お ります 。 主な取扱い商品 種 確立 の た め の 重 要 な 要 素 と な る と 思 我 々の公共 キ ャン ペ ーン 作品 展は環 ふ の で 、組 合 員 の 受 検 奨 励 の た め に 、 寅三陸博の益金は叩億5千万円 境保 全 の た めに どれだ け 効果を あげ る 昨年のパネル展出品 減少の理由とし は、まさに遠い過 去のことなのに、ま て 、三陸 博が 考 えら れます 。直 接 的 仕 だ ど こ か に 、その よ う な む か し の 跡 が ことが出来るのかわかり ま せん が 、自 策を早急 にたてることを提案する。 漂 っているように思ふ。俗 称 「看板さ 日広連、各 単組は協 力して有効な具体 屋 外広告業は社会の進歩発展に則し、 分の職業を 通じて社会のために少しで 事 は と も か く と し て 、街 その も の が 活 ん 」の死 語 がまだ一般に使用されてい る。 もお 役にたつ事告木に参加できるという 業 能力 開 発 施 設訓練 設置 の 運動 に 注 目 事が 多 く パ ネ ル 展作 品 制作 ま で エ ネ ル 性 化したのですから、店 舗改装等の仕 人材 を育成し確保 するために、公共 職 岩広 美 で は 前 年 度 会 場 が 岩手 の た め か ことは本 当にうれしい事なのでしょう。 それにしても 三陸 ・海の博覧 会は黒 ギ ーが 回ら なかったのかも知れません。 この こと に 誰も が わ れわ れの 業種の 出品 者も非 常に多く、みんな頑 張って 字 が叩億5千万 円 となり 「三陸 博記念 新しい呼 称れが仲々決まらないのに焦 い た の で す が 、今 回 は 出 品 数 が 5 点 と 度 が で き て も 、その 事 前に こ れ へ の 受 い う 、い ま だ か つ て 無 い 非 常 に 残 念 で をおかなくてはならない 。広 告 士資 格 い ろ い ろ と 感 じ た ま ま に 書い た が 、 燥 を 感じて いる 。 遅 れ て い る わ が 業 界 は 、組 合 員 の 力 強 基金 」 設 立 案 も だ さ れ た と い う こ と で た と いわ れて お ります 。 資 板 ア ア カタ ダ規 ア そ 他 検予備 群を育成しなくては、いつか、 といふ恐 るべき事態 を招来することに 早い時 期に屋 外広告業界は人材 の枯 渇 全作品 六県公共キ ャン ペ ーン に出品 と あ り 、さ ん た ん た る も の で 、そっ く り 地+議としては他 に例を見ない盛 況だっ れに 即 応 す る 態 勢 を 立 て な く て は な ら い 団結 に よ り 、 社 会 の 進 展 を 脱 み 、 そ むか し と 言 っ て も それ 程 年 月 の 経 っ いう 結 果に なって し まいまし た 。 部 ミ 看 ル 看 板 材 材 の なる 。 な い 。 もと も と 屋 外 広 告 業 は 社 会の 先 岩手 四大 イベ ン トはその 三つを消化、 最後のひとつ 「第八回国 民文化祭 いわ そ の 前 奏 曲が 聞 こ え て く る 思 い で す 。 て 幻」へ向 け て しずか にスタ ート、今 宮城 屋 外 広告 物 規 制 制 度 化 ペ ーン の立 看板との2部制を 今後 も踏 におきた問題であり、交通安 全キ ャン コンセ プトがしっかりしていないため これは岩広美の作品 展に対する出品 ていない職人気質が看板業界 で巾を 利 に大きな誇 りをもち、所 謂いい 端 を ゆ く べき業 種な の で ある か ら 。 た かせた時 代は、自分のたたき鍛 えられ 岩 手 は燃え ている μ 夫 聞に目に付く派手過 ぎる広 告物や 看板 識者ら で 構成す る 。宮 城県 屋 外広 告物 審議 会を設置し、(宮 城 県 屋 外 広 告 物 の排 除に効果が期待されるようである。 宮 城県 では早ければ今年四月にも、有 る方針 を固めた。三 月 に改正する。宮 宮城県仙台市宮城野区福田町南一丁目2 -46 ぷ寸日 も 岩手県情報文化委員長 鎌 田 昌 宮 城県では、屋 外広告物の景観整備 宮城県屋外広告美術協同組合 情報文化委員長 大 友 た 2万 人の ギ ャラリ ーは言葉 は通じな くて もガッ ツ ポlズの外国 人選手たち のモデル地区設定 と 「広告景観形成地 技 の 応 酬 に 感 動 、 思 わ ず大 喚 声 を あ げ たのでした。 に心から一緒によろこびの拍手をおくつ . 一 ’6かつてこれ程、盛岡 が 世界中から注 目されたことがあったでしょうか? 戦い終 った選手たちが専 用コiスを 問題懇談 会はある)仙台市には審議 会 区 」 の 指 定 制 度 導 入 を 、来 年 度 導 入 す 居ながら大きな国 際交流を街ぐ るみ、 身をもって体験したのだとつくづく思 城県屋 外広告物条 例に指定 制度を明 記 は あ る の で あ る 仙台 市 は 独 自 の 考 え で し 、指 定 地 区 で は 、現 在よ り 厳 し い 広 告物規制基 準を県と地区地元が制定す て具体的な.宮 城県 独自の基 準について あ る と 思 う 。 指 定 地 区 の 場所 数 も 含 め らなって手を差しのべているギ ャラリー に、まるでピ アノの鍵盤を手のひらで 一次 指定地区を選定する計 画である。 る と の こと で ある 。来年 度 まで に は 第 す べ っ て く る と 、仕 切 り の ロ l プ に つ 顔で帰 って 行く風景はまさに心あたた 音 を 出 す み た い に 、ふ れ あ い な が ら 笑 盛岡 の街をこれ程、多くの外国 人が いました 。 ゴlル地 点 での0・00秒 差の熱 戦で に お い て 充分 検 討 す る よ う で あ る 。 現 は 、な を 地 区 の 街 並 み や 、地 域 性 な ど 在指定 候 補地 のうち、仙台空 港周 辺で 指定 地 区としては現在候 補地 には、名 シ ョッ ピ ングしているところを見た こ とが無かったし、なんと言っても競技 ま る 国 際 交 流 の ほ ほ え ま し い 姿 で 、感 の指導基準と美観維 持 基準を 制定 、広 は 、屋 外 広 告 物 の 設 置 に 関 す る 、独 自 ス道路となっている名 取地区岩沼 地区 は、仙台市内より空 港までへのアクセ う地元などの要望もとり入れて審議 会 地 球環境対策はますます深刻な問題 告物の形 状や色大 きさなどについて規 市内のの国 道四号 線と県 道線が主な対 を 考 慮 し な が ら 、絞 り 込 み を 行 う と 言 となっておりますが環境破壊の最たる 制を 行う。美観維 持基準を満たさなけ 取 地 区 の 仙 台 空 港地 区 と 仙 北 の 、 古 川 も のが、人間どうし殺しあう戦 争だと れ ば 県 知事 の 屋 外 広 告 物 設 置 許 可 を 与 象地域となるようである 。国 際空 港に 動 が い っ ぱ い の 大 会で し た 。 思 い ま す 。 大 切 な 地 球 資 源 も 戦 争の た ふ さ わ し い 景 観 形 成 の た め 、屋 外 広 告 ゆ来) J� 格 (022) 254-0611悦) (022) 254 - 0608 TEL FAX 市 中 心部などが挙がっている。指定 で めに どんどん無 駄 に す て ら れて し ま っ えな い制度 で ある 。広 告 物設置 に つい 物 規制強 化 と し て 求 め る 声 が い ろ い ろ て 、あ る 程 度 の 強 制 力 を 持 つ こ と に な る。 ネオン サイン の点 滅や広 告看板を 古 川市 中心部では現在進めら れて いる と 挙 が っ て い る よ う だ 。 ま た 、県 北 の が お き て い る 場所 が ど れ く ら い あ る と ほんとうに人間の愚か 照らす夜間照明 の設置 の是非 について て お り ま す が 今 、 地 球 で 戦 争と か 内 乱 思います か ? も、いろんな美観維 持基準の中に明 記 景 観 整備 事 業 を 効 果 的 に 行 う 観 点 か ら す が 、 カン ボジア 、ア ルメ ニヤ、バ ル す る こ と が 可能 で あ る よ う だ 。 特 に 夜 さに は 今 さら な が ら あきれて し まいま ト 三国、 ソマリア 、ボスニア などなん 各種樹脂パイプ 、 コ リアン (人工大理石) ク ッ リ ポ ル ク ッ ル ル テ ィ ン グ シ ート ツ ル カ フ ル カ ナ イ 品 丸棒 製 P R F 三I乙 敏 リ ル 樹 脂 板 ア ク 硬質塩化 ビ ニ ー ル 板 ポリカーボネート樹脂板 オヒ 放浦 3A日 「貴mm世界アルペンスキl世界選手権盛 ラ ト岡町雫石大会 UL、‘、hhuma可副議官持ぷ絞桜 蝦FZ唾 J一戸 ゑF 貴公共パネル展 号〉 〈第 4 孝 (2) 1993年(平成5年) 3月10日 く ‘’ と する美しい県土を一層の宮 城県らしさ 本 と な る よ う な 景 観 形 成 を 目指 し た い であるのである。他 の地区地域のお手 は ま だ ま だ 未 知数 な と こ ろ が あ る よ う て は 、ど れ だ け の 効 力 が あ る か ど う か い 考 えで す す む こ と が 肝要 か と 思う 。 を 合わ せて乗り越 え、次 代に来る新 し て い る 。今 こ そこれら の難 問を 一同力 い う む ずか し い 大 き な 問 題 も 提 起 さ れ 状で ある 。各 法令 以外にも環境保 護 と ように、大 きな変化を 迫ら れて いる 現 宮 城県県北の古 川支部 (支部長鈴 木 啓蒙 屋 外広告の日、屋 外広告美化旬 閣の と し て い る 、こ と に 県 民 全 体 が 誇 り 愛 のある快適 な美ある空 間にすることで が 必 要 で あ る 。 今 後 は 、好 ま し い 景 観 あ る 。 その 実現 に は 各 関 係 機 関 の 協 力 ま で 「屋 外 広 告 美 化 旬 間 」九 月 十 日 「屋 外広告の日 」に ち な ん で 、 地 域 に 良 雄 支 部 長 ) で は 、 九 月 一日 か ら 十 日 も種々の施 策に考慮しながら業界一体 告 の の 美 化運 動 の 意 識を 高 めて い た だ 広 く屋 外広 告についての認識と屋 外広 づくりが重要な役割を果すことになる。 と な っ て こ れら を 乗り 越 えより よい 景 これからは我 々屋 外広告業界において 観守つくりに対しての役割を果すことを 考 えなくて はならないのであ る 。し か 形 県 で行わ れ、国 体一色で一年 間が 過 ぎまし た 。 我 が 山 広 美 は 全 県 あげ て の で 、な ん と か 全 国 か ら 来 る 皆 さ ん を 迎 実権句した組合員の実態 調 査 を見ても、 に 、川 原 毛 地 獄 山 と 大 湯 滝 の 景 勝 地 を 県 南の雄平支部では秋の紅葉 の時期 策委員会」を 作り、福岡 、石川と視 察 ら、山広美も、速 、「べ に ば な 国 体 対 和五 十 三年 に 知事が 開 催を表明 してか 業員の休暇 および時短 の問題について ニップ壁装材, ニップスペースカラー発売元 こ う と 言 う 趣 旨 で 広 報 用懸 垂 幕 を 作成 し支部内の古 川地 区築館地 区、迫地 区 の 三ケ所 の県土 木事務所 の県合 同庁舎 に期間中掲示された 。作成には 、支部 会員の古 川美装社、狩 野寿 一社長、く まがい美創、熊 谷直明 社長さんに依頼 し、掲出については各 土木 事務所 さん のご好 意を頂き各庁舎の壁 面 に掲示で き ま し た 。 初 め て の 企 画と の こ と で は あるが立派な事だと我 々も、後に続く ことを願いたいと思う。古 川支部の皆 様大変ご苦労 様でした。大きな効果が あっ た と 思う 。 の 躍 動 山形県情報文化委員長 古 津 龍 と 活 発 に 行な わ れ ま し た 。 ま ず は 春 五 る と確 信 します 。 国体で忙しい中にも、建 口事業は色々 に大きな源として 「永久 」のも のであ た エ ネルギ ーは、これから の組合 活動 の を 覚 え ま し た 。 こ の大 会 で 発 散 さ れ 和 と熱 気でむ んむ ん、胸のあつくなる 未来へ向かって飛躍 することを誓 い、 打上げ を 行い、労 を ねぎら い、さら に 部終 了した後で、プロ ジェク ト全員で ス ポ 大 会 が 十月 十八 日 、 十九 日 と 、 全 そ し て 、 大 会 が 十月 四 日 i 九 日 、 身 くないと思って います 。 と 大 声 を 出 し て も 、け し て 、は ずか し 身を持って、全国から認められたのだ」 面 、精 神面 すべて、我 が山広美 は 「自 で 来 て く れ た 様 な 気が し ま す 。 仕 事 の 組合 員同士の気持のつながりもはこん にばな国 体 」は仕事の函だけでんなく、 ちで今から進んでいけると思うと 「べ 来 た 。結 果として、 そんな明 る い気持 を 設置 するにも一つになって仕事が出 みあった 仲間が 、道路 案内 立 看板一枚 し れ ま せん 。 仕 事 の 奪 い 合 い で 、い が ヘ 月は筆供 養と経営セ ミ ナーを 開 催、従 丸 来日 商 株式 会社 しながら我 々業界 も各 産業にみられる 平 成 四 年 度の 秋 広 美 る が 、定 例会を 隔 月 実施 して いる 外、 三、四年前から取り組み、本番を迎え、 大 会でしたので組合 も一団となって、 「べにばな国 体 」完全国 体として山 平成四年度も長いようで、短 かい一 を は じ め 従 業 員 、その 家 族 、秋 広 美 の 秋 に は 年 中 行 事 の 大 運 動 会 が 、組 合 員 秋田県・情報文化委員長 今 川 義 の影 響をじわりと受け止めて、今後の 年であった。県内業界はバ ブルの崩壊 賛 助 会 員 を 含 め 盛り 沢 山 の 賞 品 を 積 ん で 盛 大 に 行わ れ る 。 昨 年 は お で ん 、焼 ばりました 。 休 日 が 日 曜 ・祭 日 ・有 休 ・特 別 休 暇 を 定 例会の 開 催地 に 選 び、理 事長、行政 団をくりだし、資料集 めに奔走しまし 委員会と一体になって受注 に対応 しま した。 国 体のような、県 内各 地 で一斉 に行 な わ れ る 行事 は さ さ い な 要 素 が 成 否を 分け た り、ちょっとした 気配 りが 注 目 分かれがちです 。 それが時の流れも風 されたりして、結 果的に大きく評 価が く れ て 、最善 の 成 果 を あ げ る 事 が 出 来 向 きも 、私 どもが目指した方に動いて 討 論会を 行い、平 成六年 迄 に一週間四 FA X0249(61)0281 FA X0196(23)1913 明 け て も 、暮 れ て も 国 体 の 話 し 、仕 事 対応 に知恵を しぼっているのが現状で あ る 。 秋 田県 の み な ら ず 、 こ の 業 界 の 鳥 、焼 そば の 屋 台 も 出 て 運 動 の 後 の 空 腹を 満た した 。何 よりの組合 員 相互 の 冬の国体は 「蔵 王 」で、夏は 「米包 全 部 取り 入 れて い る 組合 員 は 全 体の 一 対 策 委員 長、情報文住奮員長を招いて、 ム を 一チ !ム 五 、六社でつくり、対策 を 主会場に、秋 は 「全県下 」で と、昭 それでも日曜・祭 日特休というのが二 六 ・九% 、日曜日の みが っ て 三% 、 秋広美諸般の問題について意見交換を し た こ と は 、今 後 の こ の 種 会 合 に 大 い 親 陸 、融 和 に 止 ま ら ず大 き な 情 報 交 換 え る に 支障 が あ っ て は な ら な い と が ん 悩みは、云わ れるところの3K 問題だ と思うが、その解 決はひと筋なわ では の 場と も な っ て い る 。 六・二%であるのがいささかの救いで に 期 待さ れ る も の と な っ た 。 た 。平成二 年に国 体プロ ジェク トチ ー ある。 週休二 日制では完全実施 が一・ 五 %、月二 回が 三・一%と低調であり、 検討 中が四四・六%という状況にある。 し か し こ れは 企 業 の 内 部 だ け が 原 因 で はなく顧客 という外部要因 も大きく作 用していることは事実である。しかし、 る。 この問題はこの業界 に於 け る 今後 の大 きな課 題となってくることも事金大であ ま し た 。仕 事 の 成 果 は も と よ り 、 組 合 十時間の実働 、又 、年間休暇 一四O 日 な ど を 、ど の 様 に 対 応 し て い く か 、社 FA X0188(65)6732 世 紀 員 の 団 結 に も つ な が り 、 組 合 が 一つ に な っ た 事は 今 ま で に は な か っ た 事か も 札幌, 東京, 名古屋, 大阪チェーン店 FA X0177(81)4091 社 本 十 -A � (住友スリーエム株式会社特約加工代理店) ニップトータルインテリア ・・..・・・圃 いかない。一つ休日の問題を取り上げ てもそうであ る 。ち な みにわが組合で iJ常識麟鵬盤国 鑓世立uqr担制&詞宅地招致時梅宮R/、主京岩 本番町私事 時現世主urp必需品世祭U句 母Uぬだ続出附阿波 ES訴が露出国市公尭 宇治rンベーン時qh崎 署 × × × 当組合の支部活動ではやはり秋田市 を区域とする中央支部が群を抜いてい くスコ ッチカル〉 フィルムの . 仙台営業所 FA X022(238)0271 ft022(232)7411附 ft0177(82)1331側 岱0188(65)6731(fe 80249(61)0050側 ft0196(23)1901側 〒983仙台市若林区大和町3 -4 -20 〒038青森市沖舘字小浜158- 9 干983秋田市川尻大川町3 -23 干963郡山市大槻町古屋敷44ー1 〒020盛岡市中野1 -24ー13 Scotch Masterトータルカッティングシステム 巾長ディスプレイ素材| :!:f;ニ 宇都宮市瑞穂3 - 5 -14 TEL (0286) 56-3611刊号 FAX (0286) 56-6781 仙台市宮城野区岡田西町1 -37 TE L ( 022) 288-1351侃) FAX (022) 288-1355 �、 τc-企?+ ロ ロ 1"'.I 株式会社仙 ‘ ,ロ 号〉 4 〈第 く iま つ と 1993年(平成5年) 3月10日 (3) 』?_, 員の意欲を持つ環境作りなどと、難 問 いいにくいこともいい合い、互 いに士 県単位の青 年部として、他 県と同様ア 山形県青 年部 に 組 合 に 参 画 す る こ と を 期 待す る も の で あります 。 『組織の拡充、調 和 と活性 化の実践 』 率向上の実践 』 をどう解 決しなければならないか、時 に青年部として強力を惜しまず献 身的 気を 高 め て い か な け れ ば な ら な い と 思 ク シ ョン を起 し業界に対しリlド 的な 役割を果し、強力、E つ繊 細にして、 おごることなく、本 県の今年度基本 目 一人の紳が固く結ぼれた事は組合にとっ います。 色々な事をいい合い、一 人、 九月六日、国 体開催直前に 「広告の 標 で あ る 『 事業 参 加 の 意 識高 揚 と 参 加 にして新しい理想に向かって、躍 動し 今、我 が山広美は二十一 世紀を間近 た。山形では、 山形市七 日町の繁 華街 ようとして います 。 デアある企画をし、組合をPR しまし で、門援夢q 自怠旦名人をチ ャリティー として行い、大勢の人たちが列 を作っ な く 、 組 合 全 体 の 目標 や 仕 事 遂 行 過 程 ム ワ ーク とは仲よくすることだけでは たけれども、この一年間を通して、チ ー 年 間 の 行事 を 主 な も の だ け 報 告 し ま し 団に寄託しました。 以上 、山広美の一 十年後 には、 シ ャッタ ーの波に埋まり、 り ま す 。 数有 る 有 名 商 店 街の 大 部 分 が こ う ゅ う 商 店 主 、商 店 街 が た く さ ん 有 やき、一 向 に自ら啓香しようとしない。 と続け、客 が来ない、仕事がないとぼ 「昨日のつづきを 今 日、明 日と漫 然 ・昨日と違った今日、明 日を 目指 す 0 ・煮 蛙 症 候 群 に な ら な い 。 変わ った事を自分のものにする。 ・世の常 識は、日に臼に変わって来る、 この話で、目 の覚める思いがしました0 社全体の資質が向上 さ れ る 。」私 自 身 がいいというのは 表面的解決にすぎず、 の中で、ウ マが合うからチ ーム ワ ーク ら な い。 ・気宇 壮大なテiマに酔 わない。 ・体 力 を 無 視 し た 活 動 で 青 息 吐 息 に な 題 し た パネルディ スカッ シ ョンの中で、 これは、H幻 世紀へ の明 る い展 望 Hと 意 識を 常 に も つ 。 等 な ど ・ 以上 は、 組合青年部全国 交流会に出 席したときの講師の弁の中の一部です。 ・貴重な時間を使っているのだという 店 経営者のH ハチ のひと射しHでした。 私 は 、 いった い何 を 言 い出す の だ ろ 団体 青 年 部 理 事 と い う 立 場 で 、 い ろ い ろ な 業 種 、地 域 の 方 々 と 触 合 う 機 会 ストの最後に意見発 表したある若き商 う と 、 目 を し ば た か せ、 話 に 聴 き 入 り 夢多く、熱 っぽく語 った居並 ぶパネリ ました。彼 の話は、発 想の転換と自己 資 料 を 多 く 持 っ て い る 事 が 、良 い 仕 事 が多い事は、私 にとって色々な形 で財 産になっている と 思 い ま す 。H 良 質 の 引き上げ てや ろうじゃ な い か 。」 と 、 人材 は要らない訳ではありませんので、 喜 んで来てくれる人材 を、大学出並 に な い こ と に し ま し た 。 し か し 、優 秀 な す。そこで、それらの方々の経験や知識 として持っている方達がたくさんいま は 自 分 の 知ら な い こ と を 、 経 験 や 知 識 との触合いに積 極的な行動を取って行 良 質の資料を求めて機会を探し、又 人 福島県情報文化委員長 中でも、彼 いわ て 、 「私 共 の よ う に 資 質 の 向 上 と い う 内 容 に 終 始し た と 思 わ れます 。 知恵 を 出 し 合 っ て よ り 良 い 方 向 に 向 っ ては時間を 惜しまず、 講演、研 究、研 言 う の で す 。 そ れ に は 、 機 会 を 見付 け うのが私 の持論ですので 、これからも て 頭の ト レ ーニ ン グと 、技 能の向上 に を、私 の良質の資料とし、これからの をするうえでの最 大 の 要 因 だOHと 言 共 に研 鎖すべきではないでしょうか。 修 会 等 に 出 席 さ せ 、 それ を 、社 内 で も 想 の 転換 HやH自己 改革 Hの材 料とし 生 活 、 仕 事 を 進 め て 行く う え で の H 発 小 さな会社には、大 学出の優秀な 人材 いるが、 やはり交通安 全をテlマにし た 内 容 の 作 品 が 多 く 、 それ な り に 考 え を行い、一人の情報・ フォロ ーの研壁 去 は 、 来 て く れ ま せん 。し た が っ て 望 ま させられた記憶が今でも鮮明 によみが 従来 の 有 り方と 大 きく別れる と ころで 知識を社員全体に浸透 さ せる 。社 員 一 は各 県に合せる形で二世会を一 九九一 仙台 弥 生 会 館 岩 手 仁王 会館 秋 田禰 高 会 館 青 森 教 育厚生会館 十二 月 九 日 財政管理委員会 九 月 三日 組織振 興委員会 七 月九日 事業 厚生委員 会 五 月十二 日 技 能開発 委員会 て使わせて戴きたいと思っています。 きた い と 思っ て お り ま す し 、 世の 中に えって来る。回を重ね当初 のデザイン も ある が 、 各 県 と の 兼 ね合 い も ある の で 一考 を 要 す 。 ま た 一 ツ 頭 の 痛 い 今 後 人 一 人 の資 質 が 向 上 す れ ば お の ず と 会 年四月二 十六日 (金) に設立発足し 第 トし た 広 美 展 。パネル展 のデザ イン の 内容も、 色々 と バ ラエティに富 んでは 動きがみられ、密 度の高い作品 が多く と 現 在と を 比較 す る と か な り の 表 現 に 一部 の 単 組 で あ る 福 島 支 部 に 於 い て どうにか、こうにか、その成果の程が表 一 回の会合 が福島 ビ ュ! ホテルに於 い 行政対策 委員 会 平成 四年 度地 区 連 各委 員会 開催 状 況 の課 題になることは間違いないだろう。 その よ う な 社 会 背 景 を 持 っ て ス タ ー 欲 し た 事は 確 か で あ る 。 社 会 は 高 度 経 済 成 長期 の 真 只 中 に あ り 我 が 業 界 に 於 い て も それ な り に 恩 恵に ボ出来たと思う。 昭 和 幻年郡山市を会 ラ → .-V場としての第一回展 のスタ ート、当時、 川 福広美 のパネル展 も数えて( 平成四 . e勺 年にて)初回展 を終一ツの大きな仕事 福 広美 展 却 年 の 足 跡 そのうち電 気も消えるだろう。 云々」 て盛況 で、チ ャリティl金を愛 の事業 聖 日 」キ ャン ペ ーン として各 支部でア イ て 大 きな 意 義 が あった と 思います 。 間一杯熱 意ある討論がされました。 革 改 己 自 と 換 転 の 想 発 .. 津 ’’ 『寸品 黒 野 見受けられる様になった。堅 かった頭 われてくるものだ。パネル展 に感謝グ ク 社長が就任 され、積 極的な活動を繰 て開催された。初代会 長に、ハセ ガワ ー 福島 開拓会館 五 月 十八 日 五 ツ 橋 会 館 九 月 二 十五 日 情報 文 化委員 会 (022) 295 -2255(1{) TEL TEL (0244)22-2836俄) ズの答 え る 皆様のニ 丹 の中身が初回もトレ ーニングされると、 に 有 る と 言 え ど も 飽き の こ な い 筈 は な こ う 言 っ た 組 織 が 各 支部 に 拡 大 し 、 を 行 っ て 居る 。 り返 し、他 支部に対し強 力なア ピ ール とは言うも のの、ここ迄 来た パネル 展 も や は り 初回を 数 える と 幾 ら 成 功 裡 か、初回展 終 了を節 目として、会員一同 い。あの席、この席から今後の継続に対 し、どうあるべきか、どのようにすべき TEL (022)364-292H代) 仙台市宮城野区東仙台5 -38-16 163番の3 干975福島県原町市朱 来 字出 福 島原 町店 弘栄産商 FAX (022)364-2046 株式会社 干985多賀城市中央三丁目7 番 5 号 多賀城営業所 FAX (022)293-3154 TEL (022)293-3151任問 アイ スプレー材料 看板・プラスチック資材・機材の総合商社 あ らゆる看板 塗料・塗装関連資材・機材 一ー 一 干983仙台市宮城野区東仙台四丁目3 番43号 社 本 号〉 く第 光彩塗料商会 株式 会社 功 (4) 1993年(平成5年) 3月10日 く と 4 片 代表取締役社長 今 野 議申 常務取 締 役 二階堂 宏