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社会背景から何故人々がノスタルジーを求めるのかを
スーパーフラットの向こう側 ・映画・小説・アニメーションなどの分野ではノスタルジーを感じさせるものが数多くある。 CM 社会背景から何故人々がノスタルジーを求めるのかを探る 現在の日本において どこでも だれでも﹂が当たり前となってしまったユビキタス社会の反動として求められるものと考えられる。 それは﹁いつでも 壱 資本が支配するスーパーフラットな世界 現代、世界の国の多くが資本主義経済によって支配されている。 資本主義が世界を覆いつくした今、利益のみを求め、モノの本質や価値を数字でしか判断しなくなった。 ドバイは最も資本主義社会を象徴した場所である。 ブルジュ・ハリファやパーム・アイランドのように利益のみを追求した建造物が数多く建ちヴァーチャルなマネーゲームが繰り返された。 その結果、二〇〇九年十一月世界規模のバブル崩壊、ドバイ・ショックが起こったのである。 資本のみで形成されていく。 ﹁いつでも どこでも だれでも﹂が当たり前のユビキタスな世界。 場所性、地域性もない人間さえもが無視されている。 人間の価値が希薄化している それが現代におけるスーパーフラットである。 弐 スーパーフラットの終焉とノスタルジーブーム 金融工学的な数値による価値判断は現在も増幅し続けている。 しかし、現在の特徴としてノスタルジーを求める風潮が挙げられた。 つまり今、人々の価値感はその流れから離れ始めた。 スーパーフラットの終焉である。 人々は人とのつながりやモノの本質、価値を見直しつつある。 現在のノスタルジーブームでは主に一九六〇年代∼一九八〇年代、日本における高度経済成長期を表しており、 それは私たち学生が実際に体験していない近過去である。 ノスタルジーはその当時を生きた人にとっては懐かしさであり、その時代を生きていない私たちにとっては憧れであると言える。 一人一人の存在感の大きかった時代。 人と人とが密に関わりあっている時代。 高度経済成長期、人々には日本が発展して豊かになるという共通の大きな目標があった。 そして実際に日本の成長を肌で感じていた 。ノスタルジーから得られる共通の記憶、﹁一人一人の居場所があったこと﹂に憧れているのである。 参 ﹁いつでも どこでも だれでも﹂から ﹁今だけ ここだけ あなただけ﹂へ 現在のノスタルジーブームから人々が﹁一人一人の居場所があったこと﹂に憧れているという事が読み取れた。 それは﹁いつでも どこでも だれでも﹂に象徴されるユビキタスでスーパーフラットな社会の反動から湧き上がるものである。 つまり、ノスタルジーブームが映す今とは﹁いつでも どこでも だれでも﹂が当たり前となった社会の反動として ﹁今だけ ここだけ あなただけ﹂が求められているということである。