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【平成27年度学長裁量経費プロジェクト】教員養成大学における

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【平成27年度学長裁量経費プロジェクト】教員養成大学における
巻頭言
プロジェクト代表
国際交流留学センター 和泉元千春
グローバル化に対応した人材育成が求められる中、国際的な視点に立った教員の養成は
教員養成大学にとって重要な課題となっています。例えば、小学校での外国語活動の必修
化や教育現場の多文化化に対応しうる教員の養成が求められているものの、実際には教員
志望学生の異文化経験の不足、異文化理解教育の現場に対するリアリティのなさが教員養
成上の問題となっていることは多く指摘されるところです。
そこで、本学国際交流留学センターでは、平成 26 年度より本学の国際交流および留学
生教育に関心を持つ教職員が中心となった「教員養成大学における“グローバル人材”育
成のためのカリキュラムに関する総合的研究プロジェクト」を立ち上げ、教員養成大学と
しての「グローバル人材」とは何か、またその育成のために何をすべきかについて、教育
実践を踏まえた検討を行ってきました。
プロジェクト 2 年目にあたる平成 27 年度は、2 回シリーズのシンポジウムを開催し、言
語文化教育の分野から言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア主宰・早稲田大学名誉教授
の細川英雄氏、教員養成の分野から目白大学学長の佐藤郡衛氏をお迎えして、言語文化教
育、あるいは教員養成や学校教育における「グローバル人材」とは何か、その育成には何
が必要かをお話しいただきました。さらに、シンポジウムでは、これまでの本学の取り組
みを「グローバル人材」育成という観点でとらえ、その検証を行い、フロアの参加者も交
えて議論を深めました。
今後、本学で個々に実践されてきた「グローバル人材」育成に資する取り組みを、大学
の教育課程や留学生教育の中にどのように構造化して位置づけていくか、さらに実践と検
討を続けていく必要があります。シンポジウムでの議論の成果を踏まえ、教員養成大学と
しての「グローバル人材」育成と留学生教育のあり方について、ますます議論が活発にな
ることを期待します。
2016 年 3 月
奈良教育大学
国際交流留学センター主催
シンポジウム
平成27年度学長裁量経費プロジェクト
教員養成大学における「グローバル人材」育成のためのカリキュラムに関する総合的研究
シンポジウム「教員養成大学におけるグローバル人材育成を考える」
目
第1回
次
言語文化教育におけるグローバル人材育成
講演:
「グローバル人材」になる―言語文化教育の個と社会の立場から― ---------------2
細川英雄氏(早稲田大学名誉教授、言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア主宰)
実践報告①:奈良教育大学における留学生教育と連動した言語文化教育の実践 ----------21
本学国際交流留学センター・准教授 和泉元千春
本学英語教育講座・特任講師 岩坂泰子
実践報告②:奈良教育大学附属小学校「言語・文化」の実践 --------------------------29
本学附属小学校教諭 林
綾
本学英語教育講座・特任講師 岩坂泰子
参加者のコメント ----------------------------------------------------------------35
シンポジウム広報用ポスター ------------------------------------------------------42
第2回「グローバル人材」に求められる異文化間能力―教員養成から学校教育へ―
講演:グローバル時代の教員養成の課題 -「異文化間能力」育成の視点から- -----------44
佐藤郡衛氏(目白大学 学長)
実践報告①:ESDの視点に基づいた道徳性育成の授業実践 --------------------------55
本学附属中学校教諭
小嶋佑伺郎
実践報告②:
「異文化間能力」を育む教員養成-博物館における校外学習をめぐって- ---63
本学学校教育講座・教授
渋谷真樹
参加者のコメント ----------------------------------------------------------------73
シンポジウム広報用ポスター ------------------------------------------------------74
▼プロジェクト名
学長裁量経費プロジェクト
(
「学長のリーダーシップを更に高めるための特別措置枠」
(運営交付金特別経費)
)
教員養成大学における「グローバル人材」育成のためのカリキュラムに関する総合的研究
▼プロジェクトメンバー
和泉元千春
国際交流留学センター 准教授
岩坂泰子
英語教育講座 特任講師
加藤久雄
国語教育講座 教授(~2015 年 9 月)、 現、本学学長
小島道子
次世代教員養成センターボランティアサポートオフィス
渋谷真樹
学校教育講座 教授
頓宮 勝
国際交流留学センター センター長、教授
林
附属小学校教諭
綾
吉村雅仁
教職大学院 教授
(50 音順)
▼プロジェクト概要
グローバル化に対応した人材育成が求められる中、国際的な視点に立った教員の養成は教
員養成大学にとって重要な課題である。しかし現在までに教員養成大学としての「グロー
バル人材」の在り方とその育成に関する研究は緒に就いたばかりだと言える。本プロジェ
クトでは平成 26 年度の成果をさらに発展させ、欧州等の取り組み事例を参考にしつつ、
大学が有する留学生を含む人的リソースや教育環境を総合的に活用した教育実践(附属校
での日本人学生と留学生の協働、日本人学生と留学生の共修科目開設、課外活動の企画運
営)を行っている。本プロジェクトでは、外部有識者を招聘したシンポジウムを開催する
ことで、上記の実践成果の発信と検証を行った。
<第 1 回:言語文化教育におけるグローバル人材育成>
日 時:2015 年 12 月 12 日(土)13:00-17:00
場 所:本学大講義室
参加者:本学学生 124 名、本学教職員 7 名、学外 8 名
<第 2 回:「グローバル人材」に求められる異文化間能力-教員育成から学校教育へ->
日 時:2016 年 3 月 19 日(土)13:00-17:00
場 所:本学次世代教員養成センター2 号館 多目的ホール
参加者:本学学生 4 名、本学教職員 10 名、学外 12 名
後
援:奈良県教育委員会、奈良市教育委員会
第1回
言語文化教育における
グローバル人材育成
シンポジウム「教員養成大学におけるグローバル人材育成を考える」
第1回
言語文化教育におけるグローバル人材育成
講演:
「グローバル人材」になる―言語文化教育の個と社会の立場から―
細川英雄氏(早稲田大学名誉教授、言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア主宰)
実践報告①:奈良教育大学における留学生教育と連動した言語文化教育の実践
本学国際交流留学センター・准教授 和泉元千春
本学英語教育講座・特任講師 岩坂泰子
実践報告②:奈良教育大学附属小学校「言語・文化」の実践
本学附属小学校教諭 林
綾
本学英語教育講座・特任講師 岩坂泰子
1
1
講演「グローバル人材」になる―言語文化教育の個と社会の立場から―
細川英雄氏(早稲田大学名誉教授、言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア主宰)
細川英雄氏(以下、細川氏)
:今日は、言語と文化の教育を考える、あるいは言語と文化と教育を
考えると言ったらいいかな、3つの問題が全部一つになっているという分野の話をします。
言語文化教育と言う分野そのものは古くからあるわけではなくて、比較的新しい分野です。
どうしてかと言うと、言語教育というのは、すでに 100 年くらいの歴史があります。一方、
文化教育と言うのはそんなに古くない。ことばの教育というのは既に歴史がありますが、そ
れに対して文化教育というのはそんなに新しい歴史がない。その言語と文化のそれぞれの教
育を一つに統合して、言語文化教育と考えようということが実際に言われるようになるのは、
本当にこの 20 年位の話です。西暦で言うと 1990 年代の後半位から言語文化教育、言葉と文
化の教育という言葉が使われるようになってきました。そこから今日はグローバル人材とい
う問題を考えてみようと思います。
「グローバル人材になる」とタイトルをつけさせていただ
きました。そのグローバル人材とは何かという議論を本当はしないといけないのですが、こ
れをやり出すととても時間がかかります。そしてとても難しい。抽象的な概念ですし、まず
グローバルとは何か、それから人材とは何かということはなかなか簡単にこれはこうですと
言い切れない問題です。ですから今日はちょっと乱暴かもしれないけれど、最初に一つの事
例を見ていただいて、それが一体グローバル人材とどうつながっているのか、あるいは多文
化とか、いろいろな外国語とか、いろいろな言語とか、世界で活躍するとか、そういうこと
とどういうふうにつながっているのというのを、私がご紹介する事例と比べて、皆さんの頭
の中にあるグローバル人材というイメージと結び付くのか、結び付かないのかというところ
を一緒に考えてみようと思います。
高校生 K さんの事例
山梨県と長野県のちょうど境に八ヶ岳という山がありますが、私はその麓に住んでいるも
のですから、その麓で昨年度の春学期に、半年間、半年と言っても週に一回だけ正味 15、16
回の公立の高等学校の総合的な学習の時間というのにゲストみたいな感じで毎週出かけまし
て、高校生と一緒にいろいろなことを考えてみようというようなことをやりました。その時
に、自分の興味関心について語ることで一冊の本を作ろうというプロジェクトを作りました。
その自分の興味関心に関する一冊の本を作るプロジェクトに、5、6人の高校生が参加して
くれましたが、自分の興味関心に基づいて、自らのテーマについて一人の高校生が考えよう
としました。女性だったのですが、彼女が何について興味関心があるかという最初の議論を
した時に、梶浦由記という音楽家に関心があると言ってくれました。皆さんは梶浦由記とい
う人を知っていますか。結構有名な人らしいですよ。僕は彼女に聞くまで梶浦由記という人
はどういう人が全然知りませんでした。テレビの音楽に携わっている人で、いろいろな主題
歌とか、テーマミュージックとかをつくる人だというふうに聞いたのですが。梶浦由記とい
う音楽家、作曲家なんですね。その人に興味がある。何で興味があるの?と聞くと、そうい
2
2
う人になりたいというわけです。じゃあ、なぜそんな人になりたいのかと聞くと、要するに
自分の好きなことをしている人、そういう人に魅力を感じると答えました。昨年の段階で高
校2年生ですね。今はもう3年生になっていますけど。自分の好きなことをしている時が一
番楽しいし、そういう人に私はなりたい。梶浦由記さんの仕事を見ていると本当に自分の好
きなことをしているという感じがする。そういうふうになりたいんだと。じゃあ、なんでそ
んな好きなことをしている人に魅力を感じるのか?という議論をその活動の中で行ったとこ
ろ、やっぱり自分がやっていることを、やりたいことをしていくという自信が欲しいという
彼女の本音が段々出てきたわけですね。そして自分には今そういう自信がないので、家庭の
中で、お母さんとはそんな話をするらしいのですが、自信があるということは正しいことじ
ゃないというようなことを言われた。それにひどく傷ついて、自分は一体どうやったら自信
を持つことができるんだ。どうしたらいいのか分からないというふうなことをプロジェクト
の中で、彼女が少しずつ話をするようになります。そして、そこで何かよく分からないけれ
ど、家庭の中でお母さんとの葛藤がどうもありそうだということを僕が感じたわけです。そ
れは、お母さんとのやりとりの中で、どうしても自分を認めてもらえないというようなこと
があったようです。文章の中に少しずつそういうことが出てきます。
このプロジェクトは、そういう自分の悩みと言うか、自分の関心、自分が今考えているこ
とを、誰か自分の信頼できる人と話をしてみよう、対話をしてみようというプロジェクトに
なっています。すると、自分のお母さんのお母さん、つまり母方のお祖母さんとこの問題に
ついて対話をするということを彼女自身が自分で決めます。お祖母さんはすぐ近所に住んで
いて、同居はしていないけれども、小さい時からずっとすぐ近くに住んでいるようです。そ
して学校が終わってからお祖母さんのところに出かけていって、何日か続けて対話をしてき
ました。対話と言っても、この問題についてどう考えますかとか、どう思いますかとか、そ
ういうインタビューではなく、実際に自分の書いたものをお祖母さんに見せて、お祖母さん
に読んでもらって、お祖母さんから意見を貰う。それに対して自分もいろいろ考えていく。
二人で共通の時間をつくる。そういう活動をしたわけです。その活動をしていく中で、お祖
母さんとの対話が盛んに出てきます。配布資料をざっと見ていただければ、だいたいどんな
会話をしたかというのが分かると思います。その会話をしている間に、少しずつですけれど
も信頼、もちろんお祖母さんと対話するということはお祖母さんに対する信頼関係があった
わけですね。自分のことをよく理解してくれているというふうに思っていたようです。その
お祖母さんと、今までそんな自分の悩みだとか、母親との葛藤であるとか、あるいは自分の
自信の問題、自信があるとかないとかという、その自信の問題、生きていく自信ですね。そ
れについて話すことはなかった。ところが、お祖母さんと何日かかけてゆっくり話をしてい
るうちに、少しずつ少しずつ、小さい頃から自分のことに関心をもってくれたお祖母さんと
自分との関係というのに気付き始めます。15、16 回を通じて少しずつ少しずつ、彼女がクラ
スの中で話し始め、段々蓄積していくわけなんです。そして、その対話の中で、いろいろな
ことに気付く。つまりお祖母さんに言われて気付くという点もあるし、お祖母さんに言われ
ないけれども、お祖母さんの意見を聞いて、また自分で考えて気付いていくというふうな、
いろいろなことがあります。例えば、自信とは何かということ。それから、自分の好きなこ
とをするということに関してどうも彼女自身は、好きなことだけしていていいのかとか、も
3
3
っとそうじゃない、好きじゃないこともしなきゃいけないんじゃないかと思っていたのが、
お祖母さんに逆に好きなことだけしてればいいんだと言われるんですね。じゃあ、それはど
ういうことなんだ。じゃあ、この社会で好きなことだけしていって、職業に就けるんだろう
かというようなことを本人は非常に心配になっていきます。それは学校でやっぱりどんな教
科の授業もちゃんと受けなきゃいけない。好きな教科と嫌いな教科があるけれども、嫌いな
教科は好きにならなければいけないというふうにどこかでプレッシャーを受けていたらしい
んですね。でも好きなことだけやればいいんだというふうにお祖母さんに言われます。
「お祖
母さんも好きなことばかりしてきたの?」と聞くと、
「そう、自分も好きなことだけしてきた」
。
「今はどうか」と聞くと、
「今は幸せだ」と言うんです、お祖母さん自身が。自分はお祖母さ
んのように生きていきたいという気持ちがどこかにあって、理想とするお祖母さん自身から
「好きなことだけしていけばいいんだ」と言われます。そこでハッと気付くんですね、私は
もっと好きなことだけしていこうというふうに。ある意味ではちょっと重い言葉ですけど、
決意をします。そして、「この社会でやっていけるかしら?」「職業に就けるかしら?」と考
えたとき、まさにお祖母さんが梶浦由記さんの姿だろうというふうに言います。梶浦由記は
好きなことだけやって、好きなことしかやらなかったから、立派な、名の知れた音楽家にな
った。そういう音楽家になれたのだろう。だからあなたも好きなことだけすればいい。きっ
と梶浦由記さんのようになれるよと言われるわけです。
それはそのお祖母さんと本人との対話の中で起こった、作られていった世界ですが、彼女
は社会の中で生きている。これから学校を出て社会に出る。恐らく大学には行くんでしょう
けれども、大学に行ってその後社会に出て行く時に、好きなことだけやっていこうみたいな
ふうに、ちょっと大袈裟ですが決意をして、そういう内容のことを文章に書くわけです。彼
女は、
「好きなことをして生きて行くことの意味」というタイトルをつけました。そして、エ
ッセーの形で 10 数ページにまとめます。5 人いたので、50 ページ位の本を1冊作ることが
できました。話し合いの結果、彼女がまえがきを書くことになって、まえがきを彼女が書い
ています。そのまえがきを見ていただければ、彼女の様子、姿勢と言うか、この活動への取
り組みというのが見えてくるだろうと思います。
ということで、まず高校2年生の総合的な学習の時間の例を紹介しました。私は彼女の姿
勢、そこに集まった4~5人のメンバーとの毎回の話し合いをとても楽しみにしていました。
出来上がった本は小部数なので、もう在庫がなくて、今日は皆さんにもお見せすることがで
きませんが、そういう活動をしました。彼女をKさんというふうに言っておきますが、この
活動の意味と、そのKさんという人が行った活動、それが私が考えるグローバル人材という
ところと結び付くのではないかと思って持ってきた一つの材料です。
「普通の」日本人はどこにいる?
今日は日本人のある一人の高校生の例を出しました。これはグローバル人材になろうとす
るある一人の高校生の事例と捉えてご紹介をしました。なぜそういうふうに考えるかという
ところを、皆さんとどこまで共有できるか分かりませんが、できるところまで共有してみた
いというのが今日のお話の筋です。まず、なぜこのKさんという高校2年生が、お祖母さん
と話した話がグローバル人材と結び付くのかという話をします。ここではアイデンティティ
4
4
という言い方をしたいのですが、ぴったりの日本語がないので、カタカナで言わざるを得ま
せん。普通アイデンティティと言うと、どんな表現を思い出すでしょうか。恐らく日本人と
してのアイデンティティというような表現が、一番よく使われると思います。日本人として
のアイデンティティ。その場合の日本人って誰のことだろう?ということを考えたことがあ
りますか?僕は 20 年程留学生に日本語を教えてきましたが、例えば、日本人は人に物をあげ
る時に「つまらないものですが」と言って差し出します、と言われています。それは多分ケ
ース・バイ・ケースだと思いますけど、教科書にはそういうようなことが時々書いてあるん
ですね。人に物をあげる時は、
「つまらないものですが」と言って差し出してください。それ
を読んだ留学生が「先生、ものをあげる時はこう言わなければいけないんですか?」という
ふうに僕に聞いたことがあります。僕ももうちょっと若い頃だったんですけれども、ちょっ
と考えまして、
「それは人によるんじゃないかなあ」と答えました。そしたら別の留学生が「い
や、やっぱり日本社会では、人に物をあげる時は、つまらないものですが、と言わないと駄
目だよ」という発言をしました。
「そうだ、そうだ」という留学生もいました。日本人の学生
も混じっているクラスでしたので、日本人の学生からは「私はあんまりそういう言い方で人
に物をあげたことないかな、よく分かんない」というふうな発言も出ました。最初に質問し
た学生が、「普通の日本人はどうなんですか、先生?」と言うから、「いや、僕は言わないか
なあ。すごく自信のある物だったら、
“これ美味しいですからどうぞ ”って言ったり、
“面白い
からどうぞ ”と言ったり、でも“つまらないものですけど”と言った時に本当につまらない
ものだと思っているかどうかは…。どうかな?自分でも考えたことがないなあ」みたいな発
言をしたんですね。そのあとその留学生に「先生は普通の日本人じゃないんだ」と言われま
した。
「じゃあ、普通の日本人はどこにいるの?」と聞くと、
「そのへんにたくさんいますよ」
と言うので「分かった。じゃあ、明日でいいからその人連れてきて」って言ったんです。で
も、その留学生は「それは無理ですよ」と。
「どうして無理なの?」と聞くと、
「本当はいない
んです」と言う。
「分かってるんじゃない。どうしてそんなこと言うの?」と聞くと「でも普
通の日本人がいるんです」と。周りはざわざわとなって非常に混乱している。普通の日本人
ってどこにいるのか?いないって分かっているのに、いると言ったりする。これは何なんだ?
ということがクラスの中で議論になって、それから延々と半年位その話ばかりやっていまし
た。つまり、普通の日本人ってどこにいるんだろう?「普通の日本人を連れて来てください」
って言われても連れて来られない。困ったなあ。僕はだいたい自覚的に普通の日本人でない
と思っているし普通の日本人でないと言われるので、じゃあ、普通の日本人となるにはどう
したらいいかというようなことを考えたこともあります。でもその普通の日本人の「普通の」
というところは一体何か、日本人としてのアイデンティティって何だろうと考えると、なか
なか難しい。日本人と言っても1億2千万か3千万の人がいて、それが全部同じであるわけ
がないし、一人一人みんな違うでしょうし、地域によっても違うでしょうし、家族によって
も違うかもしれない。そうすると、なかなか日本人というアイデンティティという形で決め
られないですね。ですから、アイデンティティという言葉はとても難しい、と言うか使いに
くい難しい言葉です。それでも、あえてここでは、
「今ここのアイデンティティ」という言い
方をしてみました。
5
5
「今、ここ」のアイデンティティ
先程の高校生のKさんの話に戻りますけれども、今ここで自分が自分として認められてい
るという意識、あるいは居場所。私はここにいていいというふうに感じる気持ち。これを私
はアイデンティティと呼んでみようかと思っています。それはとても動態的なアイデンティ
ティです。アイデンティティとは何かということを考えようとする時に、とても動態的に、
動いているものとして、流動的に動いているものとして考えようとすると、ここに私はいて
いいんだろうか?という居場所感覚としての居場所アイデンティティという定義、考え方が
割合ぴったりくるというふうに私は考えています。先程お話しした、日本人としてのアイデ
ンティティというのは、むしろアイデンティティというものを動いているものとしてではな
く、静的なもの、固定しているもの、静態的なもの、固定化したものと捉えようとしていま
す。日本人としてのアイデンティティとか、何々人としてのとか、一種の所属、帰属ですね。
帰属意識というような形で表れていますが、どうもアイデンティティというのはそんなふう
に固定化すると言うか、レッテルを貼っていくようなものじゃなくて、自分自身の中で常に
揺れ動いていて、
「私はどうしたらいい?」
「私は何なんだ?」
「私は誰なんだ?」ということ
を自分に問いかけていく時の、非常に流動的な、ある意味では曖昧な動態的な感情、気持ち、
それを私はアイデンティティと呼んだらどうだろうかと思っているわけです。先程ご紹介し
たお祖母さんとの対話をした高校生のKさんは、こういったアイデンティティの複合的な危
機的状況にあった。ちょっとこれも大袈裟かもしれませんけど、こういうふうに私は解釈を
しています。つまり家族との葛藤が、特に母親との葛藤とか、見えない権威への反抗、無機
的な日常、毎日がそんなにおもしろくない、つまらない。受験であるとか、仕事と言っても、
感情もある。学校の中では常に一つの正解を求められる。それから好きな科目じゃなくて、
嫌いな科目も好きになれと言われる。つまり全部好きにならなきゃいけないと言われる。こ
ういう辛い状況。
「そういう勉強をして、一体どうするんだ?」「将来どうするんだ?」と言
われても、先が見えない。将来に対する不安。それを考えてみる私って一体何なんだろう?
ということもよく分からない、という揺れている私。そのとき、複合的な危機状況をどうし
たらいいか分からないということになります。K さんはそのような状況にあったというふう
に考えます。それがこの活動の中で少しずつ自分を開いていきました。何故そういう危機的
な状況で動けなくなってしまっているかと言うと、自分を閉じている、外側に対して私はど
う見られているかとか、他の人は私をどう見ているかとか、例えば好きなことばかりしてい
ては駄目だといろいろな人、家族からも言われる。それから学校でも言われる。あるいは学
校外でも言われる。そういうふうにして外側から規定的にいろんな枠をつけられてしまうか
らなんですね。それに対して、非常に自己防御的になっていってしまう。それをこの活動の
中で K さんは自分の興味関心のあることは何かと問われて、梶浦由記という人物を挙げ、な
ぜ梶浦由記か?と考える中で「好きなこと」というキーワードが出てくるわけです。それを
続けていくことはちょっと危ないものに触れるような恐れを伴いながら、少しずつそれにつ
いて踏み込んでいく。それは一人では出来なかったわけです。周りのクラスメートと一緒に
それについて語ることによって少しずつ自分を開いていって、そして今、自分の今ここ、現
在を前向きに受け止めるようになる。
「好きなことを“好きだ”と言っていいんだ。決して何
も悪くないんだ」と。もちろんお祖母さんに言われたこともきっかけになって、それをそう
6
6
いうふうに考えていいんだということを自分でエッセーとして表現するようになるんですね。
「今ここ」を前向きに受け止めるようになるプロセスが対話の中で描かれていくわけです。
しかも対話するだけじゃなく、対話を今度は文字化して、クラスのみんなに見せる。お互い
に読み合う。読み合ってお互いにコメントを貰って、自分で修正しながら本にしていくとい
う活動のプロセス、つまりさまざまな出会いと対話、そして自分の体験を記述するという一
つの表現活動によって、ちょっと大袈裟に言えば、アイデンティティの複合的な危機状況を
乗り越えていこうとした。K さんが完璧に乗り越えたかどうかは今問題にはしませんけれど
も、乗り越えようとするそのプロセスがこの本という形で表れています。
「グローバル人材」になることの意味 ―「地球人」とは?―
今までの話を考えると、これがグローバル人材とどう関わるのか、そこを是非皆さんにも
考えて欲しい。グローバルというのは地球とか世界とかいう意味です。グローバル人材とは
何かと言うと、簡単に言えば、人材開発とか人材発掘とかいうような表現があるように、役
に立つ人という意味が含まれますが、役に立たない人は人材じゃないのかということですよ
ね。役に立つ人と、役に立たない人の分類は誰がするのかという問題が大きな問題としてあ
ります。
グローバルというのは、地球とか世界とかに置き換えることもできる。じゃあ「グローバ
ル人材になる」と言った時には「地球人になる」ということなのかなと、ここではまず仮に
考えるとします。そうすると、その地球人の条件というのは、非常に大きく定義すれば、
「地
球に生きる人間としてどのような地球であって欲しいか、そのために個人として何が出来る
かということ」という話にもなる。例えば、日本に置き換えれば、
「日本に生きる人間として、
どのような日本であって欲しいか。そのために個人として何ができるか」というふうにいろ
いろな言葉に置き換えることができます。ここで求めているのは一応グローバルだから、地
球ということなのでしょうけれども、これは多分社会ということに置き換えることもできる
わけです。いろいろな社会がある。必ずしも同じ社会にいるわけではなくて、皆さんが今こ
こにいる時には、奈良教育大学という一つの社会がありますけれども、また外に出ればいろ
んな社会に属している。男性ならば、男性社会というものもあるだろうし、女性社会という
ものもあるだろうし、それからサークルとか、そういうところにも属している人は、そのサ
ークルも一つの社会です。家に帰れば家族がいる。その家族も一つの社会というふうに考え
ると、人はいろいろな社会に同時に公的かつ私的に属しているということになりますね。じ
ゃあ、その自分が属している複合的な社会というのはそれぞれ一体何だろうかということに
なります。そうすると、全ての個人が、一人一人にとってその社会で「グローバル人材にな
る」という意味になるんです。そしてそれは、自分が属している社会というものをどう考え
るか。社会に生きる人間としてどのような社会であって欲しいか。そのために自分に何がで
きるかということとつながっていくはずです。グローバルというのは、ある意味では単に社
会とか世界とか地球そのものを言うというよりはもっと広い意味で、私たちが所属している、
一人一人が所属している複合的な社会というふうに読み替えることも多分できるだろうとい
うことなんです。
7
7
「人は一人ひとり違う、されど人はみな同じ」―70億のピースで成立する社会―
残念ながらその議論はあまりきちんと行われていなくて、グローバル人材と言うと、要す
るに世界に出て活躍する人とか、そういうイメージをもっていますけれども、実際はそこの
根は深いと言うか、もっと議論をしなければいけない、もっと考えなければいけない大きな
問題があるということなんですね。少なくとも複合的な社会というふうなことを考えると、
その社会と、自分自身、個人はどんな関係にあるかということを考えていくことになるだろ
うと思います。最後の結論のところだけをまとめてみたいと思いますが、地球に生きる人間
としてあなたはどのような地球であって欲しいか、そのために、個人として何ができるか。
それを社会に置き換えると、社会に生きる人間としてどのような社会であって欲しいか。そ
のために、個人として何が、自分として何ができるのかということになります。ここで一つ
確認しなければいけないことは、人は一人一人全部違うということです。されど人は皆同じ
ということです。ここは矛盾する言い方ですね。人は一人一人違うけれども、全部同じなん
だ、これは 2002 年に私が出した本の中で書いたものなんですけれども、このことをよく考え
てみようということなんです。その場合に、言葉の問題とか文化の問題があります。世界の
全ての人は何人いるかと言うと、70 億人と言われています。世界の人口は猛烈な勢いで増え
ています。20 年前に、私が交換研究という形でヨーロッパに一年いた時に、フランスの友人
が私の子どもに絵本をくれました。きれいな絵本で、その絵本の名前が『45 億の人々の暮ら
し』っていう本で、その時、僕は 40 歳過ぎていて頭の中では分かっていましたが、
「あ、世
界の人口って 45 億もいるんだ」とその時初めて認識したんですね。1995 年か 1996 年の話
だと思います。それから 20 年位経っていて、もう 70 億になってると言います。倍くらいに
なってるんですね。日本の中にいるといつも少子化、少子化で子どもがどんどん減っている
みたいな話ばかり出てきますが、
世界的に見ると 1.5 倍になっている位人口が増えています。
だから、いろいろな食料危機とか、そういう問題も起こってるということが改めて実感され
るんですけど、それはともかくとして、70 億の人がいて、大きなパズルが出来上がってると
いうふうに考えたらどうだろうか。パズルというのは普通埋め込んでいって、最後糊で貼っ
て壁に飾るというものです。500 ピースのパズルも大変ですけど、1000 ピースのパズルは結
構大変ですよね。それが 70 億ピースもある。それを全部埋め込んでいくと、全部がきれいに
はまって世界が出来上がるという話です。しかもそのピースは一つ一つ全部違うんです。同
じようになったら絵ができません。一つ一つ全部違っていて、それが一つ一つ全部固有の位
置を持っているんです。それが集まって初めて 70 億の一つのきれいな絵に、美しい絵になり
ます。70 億のピースで一枚の絵をつくるためには、
「ピース」という意味では人は皆同じで
なければならない。しかし、一つ一つのピースは全部違う。同じ形のピースは絶対にあり得
ないということです。今、一枚の絵と言いましたが、一枚の絵は平面的なものですよね。と
ころがそれは、先程言ったように 20 年前は 45 億だったわけです。45 億がどんどん大きくな
ってきている。もちろんその 20 年間に生まれた人もいるし、死んだ人もいるわけです。それ
は立体的な絵なんですね。歴史を背負った絵です。しかもそれは 20 年前から始まっているわ
けではなくて、200 年 300 年、あるいは 1000 年 2000 年、あるいは人間の歴史ってどのぐら
いですか。45 億年前と言われていますよね。それからずっと続いている壮大な一つの立体的
な芸術なんですよ。その中の皆さん一人一人は一つのピースであって、その 40 億年前から現
8
8
在に至るまで、それから現在を横に見れば、70 億の一つであるけれども、それと全く同じピ
ースというのは存在しない。全くのオリジナルなんです。だから、これから人口が増えるか
減るか分かりませんけれども、あるいは歴史はどんどん経っていくわけですけれども、その
ピースが一つであるということは全くそれは変わらないわけです。変わらないと言うのは絶
対にオリジナルなものだということです。たった一人しかいない。だから三次元的にこの世
界で生を受けて生きていく、何歳まで生きるか分かりませんけれども、平均年齢 80 年とすれ
ば、80 歳は全くのオリジナル。あなたにしかない 80 年だということになるんです。
「グローバル人材」になる―ことばの学びとは何か―
今、一言で言うのはとても難しくなりますけど、されども皆同じなんだから、異なる相手
を認めて、今ここの自分をどのようにしないといけないかを伝え、共に生きるための社会を
つくるための協同的な関係の意味について自らの体験の記述によってとらえ直す。自らの体
験の記述と言うのは、あなたにしかない体験です。それをどうやって表現するのか。表現す
るというのはどう相手に伝えるかということです。それは目の前にいる相手だけではなくて、
自分や相手を取り囲む社会全体に向けてどのように表現していくかということにつながって
いくはずです。ことばを学ぶという時に、ことばの学びというのは、恐らく言語を習得する
ということではなく、むしろことばによって活動することでアイデンティティを自ら形成し
ていくことだと私は考えています。ことばというのは、頭の中で考えたことだけと思ってい
る人がたくさんいると思いますが、そうではなくて、体や体の感覚、心からの感情、それか
らもちろん思考の論理。そういうものを一体化した考え方になっていく。それは一人一人が
自分の興味関心から問題意識という方向を持って、言葉による活動によって他者を受け止め
て、テーマのある対話や議論が展開できるような場をつくっていく。そこでその体験記述の
活動を行うことがとても重要になると思います。
簡単にまとめると、アイデンティティの複合的な危機というのを皆さん一人一人が抱えて
いる。それを克服するためには自己発信とか他者を認めること、それから社会へ参加してい
く、こういうことから自分をつくっていくしかないということです。自分から発信し、他者
を理解するということと、それからこの地球でさまざまな人たちと生きていくための社会を
つくっていくという、そういう活動の場をつくっていく必要がある。その場合に皆さんに先
程言ったように 70 億のピースということを思い出して欲しいのですが、個人の存在のオリ
ジナリティを自覚できるような環境というものをどうやってつくっていくか。これは権利で
もあると同時に義務でもあるというふうに思っています。これは本当に単純なまとめになり
ますが、この学びの方向性を目指す個人こそグローバル人材だというふうに私は考えている
ので、皆さんの頭の中にある皆さんがイメージするグローバル人材とどう結び付いていくの
か、結び付かないのかという議論をこれからやっていきたいと思います。これで私の話を終
わらせてただきます。どうもありがとうございました。
9
9
<質疑応答>
質問1:
「グローバル人材」という用語はどこから出てきたものなのでしょうか。
細川氏:国の予算の使い方とかで随分指摘されてきましたが、予算を使う時にもっと効率的にし
ようということで、それぞれプロジェクトに名前を付け、そのプロジェクトを達成するため
に、予算をつけるようなことを政府と各省が、以前に比べて随分活動的に行うようになった。
その名前を付けるための一つの戦略として生まれた言葉であって、決してアカデミックな場
面から、こういうことが必要だからやってほしいというところからボトムアップ的に出たも
のでは決してないわけです。ですから政府の予算をつけるためのレッテルにすぎないと考え
ても、そんなにズレはないと思っています。ですから「グローバル人材とは何か」みたいな
議論を、言葉だけでやっても実はあまり意味がないというのが本心です。ただ、さまざまな
地方自治体も大学も含めてそういう予算がなければ実際の活動ができないわけですから、そ
ういう制度的な構図になってしまっているということは否定できないのです。その制度的構
図の中でどうやって生き残っていくかということになると、どうしても「グローバル人材と
は何か」という議論をせざるを得ない。しかし、内実を見ると、もっと「本来人間の教育と
は何か」というような観点で考えなければいけないことです。そうすると単に「キャリアウ
ーマンを育てるのは良いことなのか」みたいな話とはだいぶずれてくる。問題は、そういう
イメージを私たちが一人一人がなんとなく持ってしまっているということです。自分が持っ
ているイメージ、どうしてそういうイメージを持つのかということをほとんど疑わない。疑
わないで、なんとなく「それはお上の言うことだから仕方がない」みたいなふうにして受け
止めてしまっているということが実は一番大きな問題だと私は思います。
質問2:外国語を話せることは「グローバル人材になる」ために必要でしょうか。
細川氏:やはりグローバル人材と言うと、英語ができる人という発想があります。それについて
はちょっと乱暴な説明をしないといけないと思いますが、それでは「英語を一番効率的に学
べる方法って何なんだ」ということです。
「本当にそういうものがあるのか」ということです。
例えば、私は長く外国人の日本語教育の仕事をしていましたが、例えば 100 時間勉強すると
初級が終わる。300 時間終わると中級にいける。1000 時間勉強すると上級と言われる。とい
うふうな一応規定が少し前までありました。ところが、
「100 時間勉強したら」という時には、
じゃあその 100 時間は何をもって 100 時間と言うかと言うと、教科書の中に語彙とか文法が
並べられていて、それが 100 時間経つとこれだけ勉強できます。300 時間経つとこれだけ勉
強できます、1000 時間経つとこれぐらいです、というリストがあります。そのリストを全部
覚えたとして、それで「今、いわゆる初級と言われている人たちのレベルとだいたいマッチ
しますよ」という話であって、100 時間やったらぴったりその通りになるかと言ったら、そ
んなことは全然ありません。上級というのは、日本語能力試験というのがあって、それの「N1
を取れば上級です」と言うけど、じゃあ、上級というのはどういう能力かと言っても、実際
にそれは本当に個人差があって、N2 レベルをとっても、実際の日常会話のできない人もたく
さんいます。
というように、言語の能力を測るためには、
「語彙とか文型にはこういうリストがあります」
という形の見えるもの、ものさし、尺度でしか測ることができません。つまり、どういう人
10
10
と、どういうやりとりが、どの程度の深さまでできるかみたいなことは測ることはできない。
けれども、そういうものさしや尺度が全くないと困るので、言語テストのようなものがあっ
て、それは日本語だけではなくて英語にもフランス語にもドイツ語にもあります。それぞれ
見える形で言語能力というのがあることは一応認められてはいます。ただ、皆さんが「英語
ができる」
、例えば「ある言葉ができるようになる」という時の「できる」というのは、何を
もって「できる」と考えているか、それが問題です。TOEIC の何点を取るということが目的
なのか、それとも実際にそれを使っていわゆる中身のある話ができるようになることが目的
なのか、あるいは中身はなくてもいいから、その場でペラペラ話せばいいのか、それは多分
人によってだいぶ違うと思います。その言葉を使ってやっていくことができるという意味だ
ったら、それは1、2年その言葉を使う社会に浸り込んで暮らせば誰でもできるようになり
ます。学校に行く必要は全然ありません。もうそれしかありません。しかもそれは若ければ
若い程良い。なぜなら母語の干渉が少ないからです。だから、皆さんもよく知ってると思い
ますが、帰国生とか言われている人たちのように、小さい時に何年間かある言語社会に暮ら
すと、その言語社会のことばが身に付いて母語のようになる。場合によっては、生まれた時
の言葉と、それから暮らした時の社会の言葉が同じように使えるようになる。それが良いこ
とか悪いことかはともかくとして、そのように言われます。ですから、とにかくその言葉を
使いたい、その社会で使えるようになりたいと思うのだったら、その社会に行くしかないの
です。
もっと良い方法がありますよ。もちろん一番良い方法は、親を変えることです。もう一回
生まれ直すことです。つまり、自分が生まれたい言語の社会に生まれれば完璧にその言語が
話せます。ところがそれは難しい。先程の2番目は、生まれてからしばらく経って話したい
言語があるならば、その話したい言語の社会に浸り込む。でも、ただ浸り込むと言っても、
ただ生活するだけでは駄目です。もう本当に浸り込まないといけません。例えば、外国人の
相撲の力士がいるでしょ。特に三役以上の力士は、非常に上手な日本語を話しますよね。彼
らが学校へ行っているかと言うと、全然行ってないです。学校なんか行ってる暇がないです
から。毎日毎日朝から晩までその部屋の中で女将さんと言われる人にバシバシ言われながら、
稽古をして生活しているわけです。三役ぐらいの力士の世界でかなり上の方ですと、かなり
普通に日本語が話せますね。それはどうしてかと言うと、日本語で暮らさなければならない
という、言わば意志の下に、いつの間にかと言うか、それを身に付けようとして身に付いて
いくわけです。逆に、アメリカから来たプロ野球の選手は、5 年いても 10 年いても、なかな
か日本語を話しません。それは、通訳がいて、全部通訳が言ってくれて、日本語を使う必要
がないから。別にそれが悪いことだと言っているわけではありません。使う必要がないから
日本語を話さない。だから、社会に浸り込む意味を現実に考えないといけない。そして、も
しことばを身につけたかったら、相撲の力士のようにして、要するにその社会に浸り込めば
いいんです。だから学校は行く必要がない。じゃあ、学校は何のためにあるのか、という話
になるんですね。学校で勉強するのは、単に練習をしたりするのではなくて、一人一人が自
分が何を考えているのか、何を言いたいのか。目の前の他者にそれをどうやって伝えるのか。
そして、相手が言ってることも受け止めなければいけない。ただ聞き流すだけではなくて、
受け止めて、それについてどう考えるのか、自分の考えを言わなければいけない。それがま
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さに何について話すかということですね。そして、それぞれが持っている興味関心について
話す時に、なぜあなたはそのことに興味関心を持つのかと問い、それに対して「私は、そう
思う」
「思わない」と言う。つまり対話が始まるわけです。その対話をするためには、そこに
はある一つのテーマが必要です。先程軸というお話がありましたが、まさに自分の精神の軸
がなければならないということになります。思考の軸がなければならないということです。
それがテーマです。それを展開できるような場がやはり必要です。その場こそが本来の教育
の場です。あるいは学校と言い換えてもいい。学校は社会の準備にあるわけでもなく、受験
のためにあるわけでもなく、その人が人間として、個人として、他者と交わり、社会を考え
ていくための場でなければならない。学校そのものが社会でなければならないわけです。外
国語という言語学習もまさにそのためになければならない。外国語学習というものをコミュ
ニケーション能力スキルをつけるというふうに人々は考えがちですが、
「コミュニケーション
能力をつけてどうするの?」という問いは、外国語教育にはありません。
「コミュニケーショ
ン能力をつけたい」とみんな言いますよね。
「英語で話せるようになりたい、書けるようにな
りたい、読めるようになりたい」と。もちろんそれはとても重要なことですが、コミュニケ
ーション能力をつけてどうするのかと言うと、その先は真っ暗になります。だから、重要な
ことは、言語を知るということ。あるいはその言語を使うということで、自分が今まで育っ
て使ってきた母語とは違う構造の言語で、あるいは違う認識の仕方で、その言語を使用しな
ければいけない。そうすると、言わば自分を相対化することで、自分の言いたいことがどん
どんクリアになっていく。単にクリアになるだけではなくて、自分の中にあるいろいろなモ
ヤモヤとか、相手との関係とか、そういうものが対話の中で出てくると言うか、浮かび上が
ってくるわけです。そういう経験がとても必要。それを単に経験としてだけではなく、その
経験をどうやって第三者に伝えていくかという、その経験がまた必要になる。それがまさに
教育の場です。たまたま先述の実践では、総合的な学習の時間に本を作るという活動でした
が、これはたまたま母語でやっているわけであって、それを他の言語でやっても構わないわ
けです。他の言語でやることは十分にできます。ですから、例えば英語を学習するというこ
とを否定するわけではありません。英語を学習することは、そういう意味ではもう一度自分
の考えていることを、別の言語で表現するという意味で非常に重要なことですが、コミュニ
ケーション能力、スキルということが先行してしまうと、つまり目的化してしまうと、何の
ために外国語を学ぶのかということが見えなくなる。コミュニケーション能力をつけるだけ
だったら、先程から言っているように、その言語を使う社会に浸り込むだけで十分です。学
校に行く必要はありません。それが僕の答えです。
質問3:先生のお話を伺っていて、グローバル人材という言葉に対して自分の見識の幅の狭さを
あらためて思い知りました。他者というのは自分の隣にいる人であったり、周りにいる人で
あったりで、外国人とは限らない。たまたま留学生の人が自分の隣に座ってる、というのじ
ゃなくて、どこの国の人に限らず、自分の暮らしの中で、自分と関係している人を他者とし
て、その人との関係づくりの中で自分をつくっていくということが、グローバル人材の一つ
なんだろうなというふうに感じました。この理解でいいでしょうか。
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12
あと、私には小学4年生の娘がいますが、先日、国語の学習の一つだと思いますが、何々
になったつもりで物語を作るという単元がありました。それは、例えば自分ではない誰かを
主人公にして作文をずっと書いていくものです。
「誰々さんは、おじいさんとこんなことがあ
って、こんな喧嘩をして、どうのこうの」と娘が書いていて、他の子も原稿用紙 10 枚、20 枚
と書いていました。一見たくさん言語活動、表現をしているように見えましたが、実は自分
が主人公ではないんですよね。自分ではない架空の人物を主人公にして、なったつもりで書
いていたんです。これは本当に言語活動と言うか、本当に自分をつくる教育なんだろうかと
疑問をもちましたが、残念ながら今、国語の教科書を見ても、何を見ても、そういう何々に
なったつもりでとか、そういうものが結構増えてきていると思います。やはりそういう教育
ではないところで、先生がおっしゃるアイデンティティの形成というのを大事にしていった
らいいのかなというふうに、半分感想ですけれども、そんなことを思いました。
細川氏:ありがとうございます。今おっしゃったように、文化とかことばというのは、国家、国
とか民族にくっついている、民族に所属していると考えるのは、近代という時代のとても大
きな誤解だと思います。つまり、日本人だから日本語が話せるとか、それから日本語は日本
人のものという考え方、それ自体が、近代という時代が生んだ大きな誤りだと考えています。
それはナショナルアイデンティティというようなこととつながっていきます。どうしてかと
言うと、それは先程言ったように、もし違う国籍、違う民族を異文化とするならば、同じ国
籍、同じ民族は同文化になります。それならば同文化なら問題ないのかという話です。同文
化こそ問題なんです。家族の中こそ問題なんです。親しい人との間だからこそ問題なんです。
つまり、人は一人一人全部違う文化、違う言語、違うことばを持っているはずです。ところ
が、あるカテゴリー化をして、「この人たちは私と同じ」「この人たちは私と違う」という線
引きをいつのまにかイメージしています。それは本当に怖いんですよ。これは簡単に戦争が
起こるナショナリズムに走る危険性を持っています。だから、ここに「ハイブリッドでクレ
オール」と書きました。カタカナ語でちょっと分かりにくいですが、
「ハイブリッド」という
のは要するにまぜこぜということです。
「クレオール」といいうことも同じ意味です。言語に
ついては「クレオール」という言葉を使いますし、文化については「ハイブリッド」という
言葉を使います。要するに言葉や文化に純粋なものは存在しません。みんなごちゃごちゃな
んです。ごちゃごちゃなんだけど、それは自分の中に、さっき言ったように 70 億のピースの
一つとしてごちゃごちゃなのであって、そのごちゃごちゃさ加減は自分にしかありません。
だから、外国人だからとか、何人だからとか、言語が違うからというのは、何の理由にもな
らないんだけど、そこに理由をすり替えていると考えた方が私はずっと分かりやすいと思い
ます。ですから、自分と同じ価値観の者としか集まれないと言う人もいますが、自分の価値
観と全く同じ価値観を持ってる他人なんているはずがありません。私の奥さんも全然違うし、
娘も全然違うし、兄弟がいたとしたら兄弟でも全然違うし。要するに私と同じ考え、同じ価
値観を持っている人なんて誰もいないというところから出発しなければならないということ
です。でもそれは、決して孤立という意味ではなくて、自律という意味です。自律している
からこそ連帯できる。協同できるということになるだろうと思います。ですから、国籍、民
族というのは一つの区切りではあるけれども、それは一つの区切りにすぎないということで
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す。それを絶対視したり、目的化したりするのはとても恐ろしいことです。先程の国語の実
践に直接触れていないのであまり具体的には分かりませんが、
「だれかのつもりになって」と
いうのは、自己に向き合って何か活動するというのはとても大変なので、現場の先生には「そ
れを回避したい」という気持ちもあるのかもしれません。アカデミックな場面でもそうです。
つまり、「論文は“私”という一人称で書いたらいけない」と言われます。なぜかと言うと、
一人称で書くと責任を負わなければならなくなるから。私を出してはいけない。論文で「私
は」と言ってはいけない。必ず「我々は」とか、
「私たちは」という言い方をすべきだという
ことを盛んに主張している。
「そうじゃないと客観的にならない」という主張をする人がたく
さんいますけれども、実はそうではなくて、私と言ってしまうと、私が全部責任を負わなけ
ればならないから、その責任を回避するために、使わないのかもしれません。ですから、私
語りというのは主観的で客観的ではないと言われますけれども、実はそうではなく、私語り
こそしなければいけない。ただ、私語りだけに終わってしまっては意味がなく、私の私語り、
他者の私語り、それらが集まって一つの社会がつくられている、つまり社会と個人というも
のが循環するようなことを考えなければいけません。そして、その軸になっているのは間違
いなく「自分」というものです。ですから、
「私」を外してしまうと、確かにポイントがずれ
るというふうに思いますね。でもそれはとってもしんどいだろうと思います。つまり、向き
合わなければいけない。だから不特定多数の一斉に何か同じことをしたり、同じ回答を求め
ようとしたりする教室活動には向かないわけです。だからそこを意識的、無意識的にずらす
のでしょう。そのこと自体がもうすでに問題になっているということだと思います。それは
結構深刻な問題になるので、大変ですが、私はそういう立場を取ることにしています。
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1
• ことば、文化、教育/学習という観点から考えられることは何か
• すべての個人一人ひとりにとっての<「グローバル人材」になる>ことの意味
しいか、そのために個人として何ができるのか。
3
• 「地球人」の条件とは? -地球に生きる人間として、どのような地球であってほ
• 「グローバル」-地球、世界
• 「人材」-人材開発、人材発掘・・・役に立つ人?役に立たない人?
• 「グローバル人材」=地球人、世界人 ~になる=「地球人」になる?
「グローバル人材」とは何か
早稲田大学、言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア
細川英雄
2015年12月12日(土) 奈良教育大学
―言語文化教育の個と社会の立場から―
「グローバル人材」になる
2
どこから来るのか
なぜ「異なる」ことを「壁」というイメージでとらえるのか―できればそうした
「壁」は回避したい―「壁」の感覚の増大、排除の論理と心情
何か支障となる、うまくいかないときの理由として使われる「異」のイメージ
4
課題:「異なる」言語、文化を持った人たちとどのように接すればいいのか
言語や文化が「異なる」という事態
• 言語や文化が「異なる」ことがなぜ「壁」なのか、このような感覚イメージは
•
•
•
•
「異」なるものと「壁」のイメージ
学びとは何か/だれが地球人になるのか
「今、ここ」のアイデンティティ
「同文化」志向はあぶない / 「同文化」志向は、なぜあぶないか
「異なる」ものと「壁」のイメージ / 「異なる」ことは、なぜ「壁」なのか?
「グローバル人材」とは何か
• 「グローバル人材」になることの意味:「地球人」の条件とは?/ことばの
•
•
•
•
本日の話の構成
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• ことばや文化の「境界」(国・民族)はだれがつくってきたのか?
• 世界中にことばはいくつ(何ヶ国語)ある? -200(国の数)? 6000~8000(民
•
•
•
•
•
•
集団類型主義と帰属意識からの脱却-70億のピースは、すべて異なる
「人は一人ひとり違う、されど人はみな同じ」(細川,2002)
ことばも文化も本来ハイブリッドでクレオール、純粋無垢はあり得ない。
「ハーフ、ダブル」の矛盾-所属・帰属から自立・自律へ
ナショナル・アイデンティティ (〇〇人であること) の固定性・静態性
ここでも顔を出す国・民族-○○人<男性・女性<・・・<人間=個人
「同文化」志向は、なぜあぶないか
そ、本来のコミュニケーション
• 人と人の関係をつくり・つなぐ、感覚・感情・思考の総合的やりとりのプロセスこ
の種類や形ではない(言語の別・種類は、構造の違いによって規定)。
7
5
• 同じ国、同じ民族ならば、ことばは通じるのか? -コミュニケーションは、ことば
族の数)? 72億の個人?
6
8
つ自分に向き合い、対話によって、少しずつ自分を開き、自分の「今、ここ」を前
向きに受け止めるようになるプロセス-アイデンティティ危機を、さまざまな出会
いと対話と体験記述によって乗り越える。
• 【配布資料】一人の高校生が自分のテーマを探すという活動によって、少しず
無機的な日常(受験・仕事・・・)の圧力、一つの正解を求めるだけの学校、将来
が見えないという不安、揺れている「私」、どうしたらいいかわからない・・・
• アイデンティティの複合的危機状況; 家族との葛藤、見えない権威への反抗、
場所、「わたしはここにいていいんだ」という気持ち―動態的アイデンティティ
• アイデンティティ:「今、ここ」で、自分が自分として認められているという意識・居
「今、ここ」のアイデンティティ
• 「異」=「壁」ならば、「同」=「安心・安全」か? 「同文化」志向の危険性
人=日本語)と、社会通念を無批判に受け入れ、いつのまにか自分でイ
メージをつくりあげる個人
• 社会通念、常識、例:近代国家の政治的装置としての国語(日本=日本
ミュニケーションは問題ないのか
• 同じ国、同じ民族ならば、文化はみな同じ? ―ひとつの家族内ならばコ
• 「ことばが違う」とは? -ことばが通じない、コミュニケーションができない、言い
たいことが伝わらない・・・
「同文化」志向はあぶない
「異なる」ことは、なぜ「壁」なのか?
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• この学びの方向性をめざす個人:地球人、すなわち「グローバル人材」。
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く社会構築をめざした活動の場とその形成-個人存在のオリジナリティを
自覚できる環境の保障(権利と義務) ―「ことばの市民」(細川,2012)へ
• 自らの発信と他者理解、この地球上の、さまざまな人々とともに生きてい
める、社会協働参加への意識-この対話的環境のなかで、自らの体験
を記述化することで、人は自律した個人となりうる-孤立≠自立・自律
• アイデンティティの複合的危機状況の克服; 自己を発信する、他者を認
だれが地球人になるのか
「グローバル人材」になることの意味(3)
のように相手に伝え、ともに生きる社会をつくるための協働的な関係の意味に
ついて、自らの体験の記述によって問い直すこと。
• 「されど人はみな同じ」なのだから、異なる相手を認め、「今、ここ」の自分を、ど
だから、100%はわかりあえない(同文化はあり得ない)。 しかし、一人ひとりの
ことばや文化が異なるからこそ、新しい出会いと対話の可能性がある-70億社
会の壮大なパズルとそれぞれの個によるピースの物語、正解を求めない生き方
• ことば・文化はともにハイブリッドでクレオール、すべて「人は一人ひとり違う」の
9
• ことばの学びとは、「言語を習得する」ことではなく、「ことばによって活動
• 地球に生きる人間として、どのような地球であってほしいか、そのために個人と
•
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•
•
•
•
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•
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バイラム、マイケル(2015)『相互文化的能力を育成する外国語教育-グローバル人材を育成する市民性形成をめざ
して』(細川英雄監修)大修館書店 Byram, M.S. (2008). From Foreign Language Education to Education for Intercultural
Citizenship. Multilingual Matters.
細川英雄・武一美(2013)『初級からはじまる「活動型クラス」-ことばの学びは学習者がつくる』スリーエーネットワーク
細川英雄(2012b)『「ことばの市民」になる――言語文化教育学の思想と実践』ココ出版
細川英雄(2012a)『研究活動デザイン――出会いと対話は何を変えるか』東京図書
細川英雄(2002)『日本語教育は何をめざすか-言語文化活動の理論と実践』明石書店
細川英雄(1999)『日本語教育と日本事情-異文化を超える』明石書店
西山教行・細川英雄・大木充(2015)『異文化間教育とは何か― グローバル人材育成のために』くろしお出版
福島青史(2011)「「共に生きる」社会のための言語教育」リテラシーズ8、pp.1-9
牲川波都季・細川英雄(2004)『わたしを語ることばを求めて―表現することへの希望』三省堂
【参考文献】
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ち、ことばによる活動を軸に、他者を受け止め、テーマのある対話や議論
を展開できるような場(共同体)を形成しその体験記述活動を行うこと。
• 個人一人ひとりが、自分の興味・関心から問題意識へという方向性を持
二言語、外国語という分類を越えて「共に生きる社会」を取り戻す。
• 自己をめぐる身体、心、思考の総体によることばの体験活動は、母語、第
する」ことで、一人一人がアイデンティティを自ら形成・実現していくこと。
ことばの学びとは何か
「地球人」の条件とは?
して何ができるのか。
「グローバル人材」になることの意味(2)
「グローバル人材」になることの意味(1)
「わたしの興味とあなたの思い―今の自分を見つめなおす 1 冊の本」
山梨県公立高校・総合学習 2014「自分再発見―みんなでつくる「私」の旅」クラス
自分の興味・関心に基づいて、自らのテーマについて考えようとする一人の高校生が、近隣
に住む母方の祖母との対話を通して、次第しだいに異なるものとしての他者に気づき、その
意見を受け止めることによって、もう一度、自分の価値観を見直すようになる過程。
「好きなことをすることで生まれる自信」
(K・高 2)の執筆過程
・ある作曲家(梶浦由記)への興味・関心→こんな人になりたい。「わたしは好きなことをし
ている時が一番楽しいです。だから、好きなことをして行けば人生が充実したものになりま
す。わたしは充実していることを感じたいです。だから、今自分はやりたいことをしている
のだという自信が欲しいです。
」
でも、こんな人になるための自信がない、母親からの一言「自信があることは自分が正し
いということじゃない」
、揺れている「私」、どうしたらいいかわからない?
・ここでの「壁」の感覚―「自信」をめぐる母親との葛藤、見えない権威への反抗、幼いこ
ろから近くにいた祖母への思い、祖母とゆっくり話してみたいという気持ち。
祖母との対話
私
「この文章を読んで一番伝わってきたことってなんだった?」
祖母「〇〇ちゃんが目標の人、これだったら梶浦さん、みたいな『いい人』になりたいって
こと。このいい人って言うのは自分の目標に向かって頑張っていく人だよね。そういう人が
成功した人になるから。それでこんな人いいな、って目標に出来るじゃん。だけど比較はす
ることないね。音楽とか絵を描くこととか、努力をしてそういう人になるんだから、自分と
は比較できないね。
」
私 「そもそも比較できないね。」
祖母「この人みたいにこういう人になりたいっていうことは、結局こういういい人になれた
らいいね、っていう理想の人だね。
」
私 「自分ではない。」
祖母「自分ではなくて、理想の人。こういう人はその人の持ってる目標に向かって努力して
んだよね。そういう人になれればいいな、ってことが伝わってきたね。」
・祖母:比較だけからは何も生まれない。理想の自分は、今の自分ではない。自信は自分で
つけるもの。
私
「自分自身を認めて自信をつけるのは自分自身ってことだね。」
祖母「そうだね。他の人とか理想がつけられるものじゃないね。
」
私 「自分に自信があるかどうか決めるのは自分自身だ。じゃあ、自信があるって言う日本
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語はおかしいね。自分が自信をつけてるってことだからね。
」
祖母「日本語がおかしいね(笑)」
・祖母:理想の人は理想の人、でもそれはあなたじゃない、謙遜はしなくていい。謙遜と「空
気を読む」ということは違う。
・祖母からの励まし、さまざまな価値観の違いとその気づき、自分の迷いとその方向、対話
による気づき、これからどう生きるか、
「自分再発見―1 冊の本」
今回私たちは・・・自分再発見という活動に取り組んできました。活動の目的は、自分の
興味、関心について追求し、自分の知らなかった自分を発見することです。まず、興味・関
心をまとめた文章を作りました。自分を見つけるために好きなことを書くというのは今ま
でやったことがなく、メンバーは戸惑いました。仲間と相談したり先生に質問したりして手
探りで書きました。最初の文章は多くはありませんでした。それを元にして先生、メンバー
との意見交換を、時間をかけて行いました。回を追うごとにそれぞれのレポートは内容が深
くなっていきました。量も増えました。他人の視点からアドバイスをもらうことによって個
人の意見はより明確に、より深くなっていきました。ある程度内容がまとまったところでレ
ポートを個人が選んだ人に読んでもらい、その内容について相手と話し合いました。友達、
家族など、この人だ! と思った人を選ぶのです。そして、その対話から自分を見つめ直す
のがこの活動の目的です。対話で相手の感想、思ったことを聞いて、自分の意見を相手に正
面からぶつけます。対話をしていると、今まで自身が自覚していなかった考えや別の角度か
ら自身の考えが明らかになり、今回、それぞれみな違った、文字通り『新しい自分』を発見
しました。
この本は、私たちの活動を最初から最後までまとめたものです。自分はどう思っているの
か、どうしたいのかについて考え、自分はこうしたいんだ、こう思っていたんだ、という結
論を見つけました。タイトル、内容、構成、全て個人が自由に決めました。内容は、人によ
ってそれこそ全く違うものです。最初に何となく思っていた意見が、最後には一人の人とし
ての強い思いになっていました。今回の活動で得たものは一人一人違います。けれど、皆、
この授業で大切なことを得たことは確かです。これほど深く長く自分について考え続けて、
それぞれが答えを出しました。
この結論はここでは終わりません。私たちはこれからも自分を作りつづけます。今回出し
た答えはその過程であり指針であると私は思っています。私たちの自分自身に対する評価
は、これから私たちが考えて行動することに関わってきます。だから、新しい自分を知れた
ことは、これからの私たちがより『私たちらしく』なれることだと思います。私たちらしい
というのは、より自分のことを考えられるという意味です。
(「まえがき-自分の知らない自
分がいる」より)
2
19
20
附属小学校での教育実践
中学以降の外国語教育の土台としての外国語活動「言語・文化」
の実践で、附小児童・教員がどのような気づきや学びを得たか?
「「言語・文化」の実践」
実践報告②
留学生科目と専門科目や教職関連科目の合同授業の実践で、履
修生が「異文化・異言語の壁」をどう捉えたか?
実践報告① 大学での教育実践
「留学生教育と連動した言語文化教育の実践」
(中央教育審議会2014「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」)
●幅広い知識と柔軟な思考力に基づいて、知識を活用し、付加価値を生み、
イノベーションや新たな社会を創造していく人材や、国際的視野を持ち、
個人や社会の多様性を尊重しつつ、他者と協働して課題解決を行う人材が
求められている。
●「グローバル人材」の要素
要素Ⅰ:語学力・コミュニケーション能力
要素Ⅱ:主体性・積極性、責任感・使命感
要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ
(産学連携によるグローバル人材育成推進会議2011)
第1回「言語文化教育におけるグローバル人材育成」
シンポジウム
教員養成大学におけるグローバル人材育成を考える
「グローバル人材=英語運用力」以外の具体的なモデルを
示す必要がある
ことばの学び=ことばによって活動することで、一人一人がアイデン
ティティを自ら形成・実現していくこと。
●細川氏の講演
「グローバル人材」になる=「地球人」になる
21
岩坂 泰子
教育学部 英語教育講座
→教員自身もこのような学びを経験すべき
(中央教育審議会 教員の資質能力向上特別部会2012)
幅広い知識と柔軟な思考力に基づいて、知識を活用し、付加価値を生み、イ
ノベーションや新たな社会を創造していく人材や、国際的視野を持ち、個人
や社会の多様性を尊重しつつ、他者と協働して課題解決を行う人材が求めら
れている。
・学校教育における外国語教育・異文化理解教育の変化
eg. 小学校における外国語活動の必修化→外国語教科化
→「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」
(文部科学省 2013)
・学校教育現場の多言語化・多文化化
eg. 外国ルーツを持つ児童生徒及びその保護者への対応
1.学校教育現場を取り巻くグローバル化志向の社会的背景
和泉元千春
国際交流留学センター
実践報告①
奈良教育大学における
留学生教育と連動した言語文化教育の実践
2015.12.12
教育課程の中に留学生とに日本人学生が共に学ぶ場を創設する必要がある
・教育課程と留学生に対する言語文化教育は別の組織的枠組み
→対等な立場で交流を行う場が自然発生的に生まれにくい
・受入れ留学生の増加
●大学の国際化を目指した、海外協定校との学生交流
『教師教育とグローバライゼーション(教師教育実践交流ワークショップ
2013.11.23 記録および関連資料集)』2014年3月 東京学芸大学教員養成カリキュラム
開発研究センター
・教員養成課程の学生の「ドメスティック」な気質
・初等中等教育を担う大半は「公立」学校
→学校教育現場に外国籍人材は入りにくいのが現実
●学校教員・教員志望学生とグローバル志向
1.学校教育現場を取り巻くグローバル志向の社会的背景
と本学の留学生教育について
2.留学生と日本人学生の共修授業の目的と目標
3.共修授業 内容と学び
4.共修授業 今後に向けて
アウトライン
奈良教育大学における
留学生教育と連動した言語文化教育の実践
22
合計:45名
正規生
研究生
日本語・日本文化研修留学生
/交換留学生
正規生
9
研究留学生
5
2015年10月現在
人数
6
8
17
インド
インドネシア
ロシア
スーダン
タイ
カンボジア
ドイツ
チェコ
フランス
米国
ベトナム
ポーランド
ボスニア・ヘルツェゴビナ
ルーマニア
韓国
中国
メキシコ
留学生と国内学生の学びの目的が統合されていない
・体験を通じた専門知識・スキルの獲得
・コミュニケーションスキルの獲得
学びが十分に深まらない
国内学生の専門性に関わる活動
留学生の実践的な日本語使用・日本文化理解の機会
附小での国紹介のサポート
教職関連科目「小学校外国語活動」/留学生科目(計4回)
教材分析(国語教科書を読む)
→他国の言語教育について知る
例)国語教育専修/留学生科目(計3回)
教育課程:部分的な合同授業
これまでの取り組み
キャンパス内に多文化・多言語の環境
大学院
種別
学部
本学の留学生教育
→日本に関する深い洞察、気づきを国内学生と共有できない
日本国内での日本を話題とした科目にも関わらず、国内学生との
共修機会がない
理解を深める」ことを目的とし、グループワークによる協働学習
目的:現代日本を伝統との関連を体験を通して学習し、日本に関する
学部留学生(主に短期留学生)対象の科目(短期留学生必修科目)
~2014年度
留学生科目「現代日本論」
奈教大の共修の実践
「私、英語がぜんぜん話せないので…」
参加者はいつも同じメンバー。
(すでに異文化交流に関心の高い一部の学生)
留学生サポーター
課外活動:なっきょん’s caféや国際交流イベントの定期的な開催
これまでの取り組み(課外活動)
23
レーション」の力の育成
(国際文化フォーラム「外国語学習のめやす」)
言語的、文化的背景の異なる他者と協力して作業する「コラボ
②「批判的思考、問題解決、意思決定」といった高度思考力、
議論を展開できるような共同体を形成し、その体験記述活動を行うこと。
持ち、ことばによる活動を軸に、他者を受け止め、テーマのある対話や
さらに異質な他者への寛容性を高める。
文化理解を深める。
多様な文化的背景を持つ他者との日本語による協働を通じて文化的
な気づきの視点を獲得し、自文化・他文化をとらえることができる。
【受講生】日本人学生15名、留学生25名

【目標】

・個人一人ひとりが、自分の興味・関心から問題意識へという方向性を
日本や日本社会の事象や課題を通して他文化と自文化に対峙し、
【目的】
2.留学生と日本人学生の共修授業の目的と目標

自ら形成、実現していくこと。
90分×15回
→何のために共に学ぶのか? 共修によって何を学ぶのか?
どのような学びが得られるのか?
・2015年前期
・留学生科目「現代日本論」・専門科目「異文化理解研究」
2科目を合同で開講
奈教大の共修の実践
・「ことばによって活動する」ことで、一人一人がアイデンティティを
①相互文化的市民性(Intercultural citizenship)の志向
そこで参考にしたものは・・・
→異文化理解の必要性についてのリアリティのなさが否めず、
概念的な理解にとどまってしまう
~2014年度
目的:自分と異なる文化の世界観に照らして自己の文化を相対化し、異文化
接触によって起こる心の葛藤と受容のプロセスを理解することを通して、異
文化理解の必要性と方法を認識すること
専門科目「異文化理解研究」(英語教育専修2回生必修科目)
奈教大の共修の実践
他者理解に対する
アクション
第9-12回 グループワーク、
第13-14回 発表
第15回
振り返り
STEP1:異文化と出会う
第1回 出会いの他者紹介
第2回 異文化体験からの課題提起型学習
STEP2:言語のバリエーションと社会性の関係を考える
第3回 ①方言のイメージ
第4回 ②自分の言語でしか説明できない事象を伝える
STEP3:「文化」を再定義する
第5回 ①なじみのない食べ物のイメージ
第6回 ②文化的マイノリティへの意識
「文化」とは何か。
STEP4:他者理解における違和感を客観的に捉える
第7回 異文化接触場面会話の分析
第8回 中間自己評価
24
①運動部でどのようなことがあったのですか。
②「私(A)」は、今何が問題だと思っていますか。どう思っていますか。
③あなたは、「私(A)」の考え方をどう思いますか。
④あなたが「私(A)」だったらどうすると思いますか。
学生Aのエピソード
先日、私は運動部に入りました。私のほかに1年生が2人、2~4年生が
11人います。練習の日、1年生は1時間前に行ってグラウンドと部室のそうじ、
道具の準備をします。先輩たちは手伝ってくれません。
一番びっくりしたのは、飲み会です。飲み会では2年生から「1年生は先輩より
先に料理を食べ始めてはいけない」とか「先輩のグラスに飲み物がなくなったら
すぐに注ぎに行かなければならない」などいろいろなアドバイスをもらいました。
また、先輩から飲み物をついでもらうときは、先輩のグラスより高い位置に
グラスを持ってはいけないとも言われました。
これはスポーツとぜんぜん関係ないので、いやな気持ちがしました。
【第2部】
【第1部】
活動
体験的な「 文化」の再定義
紹介しよう。
あなたが体験した異文化間のコンフリクト(対立)を
二人乗りをしたのは悪かったですが、日本人学生もキャンパス内で二人乗りを
しています。私たちはすごくもやもやした気持ちになりました。
と注意されました。
「日本では自転車の二人乗りは禁止です。あなたの国ではいいかもしれません
が、ここではしてはいけません」
途中で大学のスタッフに呼び止められて
大切なオリエンテーションに遅れそうになりました。キャンパスで自転車に
乗った留学生の友達に会ったので、2人乗りをして教室まで行くことにしました。
学生が紹介したコンフリクトの事例
第2回
実践例)
ある程度なじみのある言語や文化について、文化現象
を観察したり分析したりする
ある程度なじみのある言語や文化について文化的要素
を特定(識別)する
25
・私は結果的に大阪弁が一番好きだったが、それは、なじみがあってよく知っ
ていて、歌の状況と合っていないことのギャップが好きだったからだと思う。
逆に沖縄弁のように違いすぎるとよく分からなくて気持ち悪い感じがした。
(国内学生)
・沖縄弁のイメージとして私は異国の言葉のように感じていたけど、かわい
ぶっているという意見を聞いて驚いた。バックグラウンドの違いでイメージ
も違うということがよく分かった。(国内学生)
言語(文化)とアイデンティティ=「個の文化」の意識化
授業後の振り返り
・「2人は留学生さんだから・・・」というふうに自分から距離を作ってしまって
いたんだな(国内学生)
・「外国人」というひとくくりで人を見てしまう考え方はおかしいと思った。
(国内学生)
「日本人は~。留学生は~。」という安易な二項対立への疑問
(国内学生)
に深く考えなかった問題だったと思うので、学ぶことが多かったです。
しかないのかなという結論にいたりましたが、普通に暮らしていたら、そんな
本との文化の違いを感じたからだと思います。結局、日本に生きる限り、従う
した。なぜそのような気持ちになったかというと、やはり自分が生きている日
・ポーランドでは敬語とため口がまるっきり違う言葉になるということに驚きま
身近なところにある「異なる文化」「異なる他者」に気づく
授業後の振り返り
第3回
実際に聞いてみましょう。
第4回
・自分の言語のことばを(他者の言語で(※発表者補足))説明するのは難しいで
すが、全部の言語のことばは同じだったら、つまらなくなると考えます。(フ
ランス)
・自分の国の言語でしか表せない言語を探していたが、自分はそう思っていた
が、相手の言語にも同じニュアンスの言葉があったときは、嬉しく思った。
(国内学生)
特定の言語現象について自分が持っている表象を言語で表現したり議論したり
しようという決意
授業後の振り返り
自文化のことばでしか言い表すことができないことばを日本語で説明して
みよう。

出身地の方言や仲間うちで使って
いることばを説明してみましょう。
「生まれてはじめて(「アナと雪の女王」より)の方言バージョンを聞い
てイメージを話し合いましょう。

実践例)
言語の共時的な変種(地域的、社会的、世代的、特定の人々に
関する変種について知る。
自分自身の言語的アイデンティティを決定している要因を知る
26
・日本はどうも少数派を排除する傾向にある。(略)あってはならないことだ。
(国内学生)
コンフリクトについて具体的なイメージや知識の不足=短絡的な結論に終始する
授業後の振り返り
2.もしあなたが、①まりあ、②まりあの親、③教師だったら、どんな気持ちが
今、教育現場では、体の性と心の性が一致しない「性同一性障害」の子ども
すると思いますか。
への対応が問題になっている。文科省が2014年に初めて行った調査結果によ
ると、全国の小・中学校や高校で「性同一性障害」と思われる児童・生徒は
3.これまでに自分がマイノリティになった、あるいは周囲にマイノリティが
少なくとも600人以上だそうだ。また教育現場はその子供たちへの対応に苦慮
存在した、という経験がありますか。
していることがわかった。自分の性に違和感を抱く子どもは一人で悩んだり、
そのときあなたは、どの立場でしたか。
不登校や自傷行為にいたったりするケースも多い。学校などの社会では、ト
イレや更衣室、制服、さらに部活動の選択など、男女の棲み分けが当たり前
だが、本人の精神的負担を減らすためにはどうすればよいのか。周りの同級
生や保護者にどのように伝えるべきなのだろうか。
(「クローズアップ現代」2014年12月9日放送より)
第6回
1.まりあさんはなぜ苦しんでいるのでしょうか。
実践例)
文化的偏見の存在に気づいている。
文化の多様性に関連して、価値観/規範には大きな多重性が
あることを知っている
・友人間の経済的格差についてのコンフリクト
・イスラム教徒に対するイメージ
・日韓のイメージ
・女装芸人のイメージ
・世界のいじめの傾向
・世界の障害児教育
・食文化の違い
・ジェスチャーによるコミュニケーション
【第2部】グループワークのテーマ
・みんなの話の中に性同一性障害の人との話があった。その話では、障害を持っ
ていても周りの人から受け入れられていて楽しそうだったというものもあった
が、周りの人が受け入れていたら自分も受け入れやすいだろうが、周りの人が
受け入れていない状態で自分だけ受け入れることはできるのか疑問に思った。
(国内学生)
低く見られている諸文化やなじみのないもの(文化的なもの)に対する寛容さ
(A-5.3.1)」に言及しながらも、「文化的に異なっているものに対する自分の抵
抗感や消極性を制御すること(A-4.1)」の困難さ、「文化的差異の広さと複雑さ
をすべてを理解することができないという状況(A-4.8)」に言及
授業後の振り返り
27

留学生の最終レポートより
クション」の流れで体験的に深める協働作業を積極的に採用した点
味)」→「「文化」の定義の再構築(個の文化の意識化)」→「他者理解へのア
③①②において、自己の文化認識や他者理解を「静的な文化理解(異文化への興
行為を通して相互的市民性を目指した言語文化教育を志向した点
②ことばによって自己を表し、他者を理解し、その他者とともに社会を作っていく
を取り入れた点
の異なる他者と協力して作業する「コラボレーション」の力の育成に資する活動
①「批判的思考、問題解決、意思決定」といった高度思考力、言語的、文化的背景
本実践の特徴
一番勉強になったのが授業で行った活動で自分の意見を言う勇気が出来た。日本の5つの伝統
的な食べ物がグループの前に配ってもらった第5回のことだった。(中略)先生が「鮒ずしが
おいしい、好きだと思う人?」と聞いて、Aさんが手を挙げた。学生全員が驚いた。どうやっ
て鮒ずしがおいしいと言えるか本当に信じられなかった。その時、私もびっくりして、Aさん
がおかしいなあと思った。さらに、Aさんの意見を聞いて恥ずかしかったも感じた。でも、ど
うして恥ずかしい感じがあったか分からなかった。数日間も考えていた。よく考えてから分
かるようになった。私が恥ずかしかったのはAさんのような真っ直ぐな人になれないからだ。
私はAさんの意見が不思議と思うより彼女がそれを言えたことに感嘆させられた。
Aさんが私に多くの自信を与えて、相手のことを聞くだけではなく自分の意見も述べる動機す
る気持ちを喚起してくれた。Aさんのおかげで、人々誰も違っているところがあって、それが
悪いことではないと分かってきた。(中略)
クラスでいくつかのグループに分かれて、コンフリクトについて発表する予定があって、私
のグループは異食文化をテーマにした。異食文化のコンフリクトの中で、私の国の犬食文化
について話したいと思った。その話を発表すると決める前に良いテーマと言われても結構悩
んでいた。「私の国では犬を食べる習慣がまだ強く残っている。犬肉が好きだ」などと言っ
たらみんなの反応はどうなるか、悪人と批判される可能性が高そうで、しない方が良いかな
あと思って心配していた。そこでAさんのことを思い出した後、「お互い理解してあげる」と
いうメッセージを伝えたいため、勇気を出して、発表がうまくできたと思う。
受講後の振り返り
国内学生




留学生の多くにとっても「日本」や「日本人」の多様性への気づきから自文化や無
意識の偏見を内省する視点が意識化された
国内学生の多くにとって本授業は初めて異文化を意識的に体験する機会であったが、
多くの履修生が、「文化」や「他者」への自身の態度を体験的に見つめなおす過程
を取り入れた教室活動で、異なる他者との協働の大切さや困難さを実感した。
他文化との比較や客観的な事象分析により、自文化や他文化に対する無意識の偏見
を内省する視点も意識化されたと言える。
安易な「外国人(留学生)対日本人」の二項対立で事象を捉えていた国内学生、留
学生が、異なる文化、異なる他者の観察、分析を協働で行うことによって、動的な
「個」としての文化を意識化するようになる様子が観察された
成果
私の中に起きたコンフリクトは、宗教によって食べ物が制限されている事に対する理解で
ある。今回、私が一緒にグループワークを行った留学生の中に宗教上の理由で食べ物の制
限を持っている人がいた。私はもちろん世界には宗教上の理由によって食べ物が制限され
ている人がいるという事実は以前から知っていた。悪いとも変なことだとも思わなかった
し、普通に受け入れることができていた。しかし、彼らとワークを進めていくうちに、も
し自分が宗教によって食べ物を制限しなければならない状況になったらどう感じるだろう
かという事を考えた。(中略)
本質的には理解できていなかった。(中略)
このようなことを考えているうちに、自分は果たして他者が信仰している宗教について理
解しているのだろうかという感情と、そのような宗教を持った環境に生まれたので本質的
な部分は理解できなくて当たり前であり他者の宗教を差別したりせずに受け入れているだ
けでも理解していることになるのではないか、という二つの感情が自分の中に対立した。
このことについて、「どうして良いのか分からない」というのが正直な意見である。(中
略)ただ単に、「様々な文化を理解する事が大事ですよ」というような説明だけでは言葉
不足ではないかと、この経験を通して思った。

受講後の振り返り
28
・ことばによって自己を表し、他者を理解する体験を通して、その他者とともに
社会を作っていくことの大切さや困難さに気づく
だけではなくて、
・身近に存在する「異なる他者」「異なる文化」に気づく
「異文化との出会いに対する喜び(留学生と話ができる!)」だけではない
多様な学び
留学生と日本人学生が共に学ぶ学習環境
29
(景浦攻:元文科省外国語担当教科調査官)
→英語嫌いが増える。このような現状を変えたい。
4.正しい英語でないといけないという強迫観念。
3.パターンプラクティスなどのドリルが中心の学習。
2.中学の授業は覚えることが中心の授業。
1. 中学ではアルファベットの学習に時間があまり割かれない。
→中1学生の文字に対する抵抗感
1.小学校外国語活動
必修化の背景
附属小学校 林 綾
教育学部 英語教育講座 岩坂 泰子
奈良教育大学附属小学校
「言語・文化」の実践
2015.12.12.
・目標:音声を中心に外国語に慣れ親しませる活動を通じ
て、言語や文化について体験的に理解を深めるとと
もに、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度
を育成し、コミュニケーション能力の素地を養う。
は第3・4年から、第5・6年は教科へ)
・2011年度(平成23年度)より、小学校において新学習指導要領
が全面実施され、第5・第6学年で必修化(→次期学習指導要領で
1.小学校外国語活動
目標
1.小学校外国語活動必修化の背景と目標
2.附小の外国語活動:「言語・文化」の目標
3.「言語・文化」授業 内容と学び
4.小学校外国語活動の今後に向けて
アウトライン
奈良教育大学附属小学校「言語・文化」の実践
30
日本語の多様性
・方言
・数字
英語の多様性
・イギリス英語
・アメリカ英語
など
テーマ例
∗ 5年の実践事例
文化の多様性
・留学生との交流
文字の多様性
・日本語の表記
・数字
∗ 内容:1つのクラスに4~5人の留学生に入ってもらう。
①それぞれの国のあいさつと、日本にきて驚いたこと
を全員で聞く。
∗ ②グループに分かれて留学生の国の紹介をきく。
∗ ねらい:留学生との交流を通して、世界にはいろいろな
国があることや、その国の文化があることを知る。
5年 留学生との交流を通して
文化の多様性に気づく
6年生の主な目標
・・・言語の規則性に気づく
・低学年担任1名・中学年担任1名・5年担任1名・6年担
任1名=計4名からなる。
3.「言語・文化」実践内容
5年生の主な目標
・・・言語や文化の多様性に気づく
深める時間「言語・文化」と名づける。
→日本と外国の言語と文化について理解を
2.附小の外国語活動
・「外(文科省)」からの方針で始まった試みを附小の子ど
もにとって実のある内容にしたい。
・「言語・文化」検討委員会発足:附属小学校の外国語活
動のあり方と内容の検討を目的として立ち上げた附小内
の教員による委員会
2.附小の外国語活動
31
∗ 内容:ハングル文字に隠されているきまりをみつける。
①「なら」のハングル語表記を知る
②「なら」をてがかりにハングル文字でかかれたものを考
える。
③韓国人話者からハングル文字のつくりについて聞く。
∗ ねらい:韓国語表記に使われるハングル文字のつくりは、
ローマ字と同じように、子音+母音のくみあわせにおいて
規則性があることに気づかせる。
ローマ字の表記規則から
ハングルの表記規則を見つける
∗ ほかの国のあいさつはどうなっているのかという疑問がクラスの児童に広がって
いった。
・ハンガリー語も、初めの部分は同じで、後ろの部分をかえると「おはよう」や
「こんばんは」になる
・ベトナム語と中国語は、時間による使い分けがない
という話を留学生が話してくれた。
留学生から、あいさつの言葉のしくみ( 「ブナ」が接頭語+昼か夜か)を教えても
らった ことから、日本語の「今日は」「今晩は」としくみがよく似ていることに気づいて
いった。
それぞれの国の言葉で「こんにちは」をどう言うのかを教えてもらっている時に、一人
の児童が「こんばんはは?」とつぶやいたことで、子どもたちの学びが広がった。
∗ ルーマニア語では
(こんにちは)
「ブナセァーラ」
(こんばんは)
「ブナズィワ」
=昼
=晩
言語・文化についての児童の気づき
エピソード
語の規則性
・多言語の月の言い方
から規則をみつける
ら
타
た
케
け
타 니
무
む
무
む
た
に
む
무
か
な
나 카
나 라
な
ら
라
라
ら
라
ら
音の規則性
・アルファベットと音の組
み合わせ規則を見つける
テーマ例
∗ 6年の実践事例
文字の規則性
・ローマ字の表記規則からハングル
の表記規則を見つける
文の規則性
・多言語の文構造の規則を
見つける
3.「言語・文化」実践内容
32
∗
∗ ・母語である日本語や日本の文化と比較することで、異文化理解
の方法を体験的に獲得している様子が確認できた。
∗
(体験的な学習による学び)
∗ ・あたりまえと思っていた「自分」の文化や言語を相対化するよう
になった。
(言語・文化学習に対する積極的な態度)
∗ ・外国語、外国に対する興味・関心の高まりが見られる。
∗
(なれ親しみ)
3.「言語・文化」
子どもの学びと外国語活動の目標
∗ ・韓国語はわけわからないかきかたをしていて、(読めない
なー)と思ってたけど、いろいろなかたをしていて、カタカナの
「ㅋ」と「ㅏ」で「 카(カ)」とよむ。ローマ字みたいで読みはむず
かしいけど、書きは覚えたら普通に書けるとわかった。(MA)
∗ ・韓国のりでみたぐらいしかないのにいきなりほかの国の文
字は無理だと思いましたが、ローマ字としくみが同じなのでわ
かりやすかったです。がんばって覚え使えるようになりたいで
す。楽しかったし、別の国の文字を知るのはうれしかったです。
(MR)
文字の規則性に関する児童の気づき
音声を中心に外国語に慣れ親しませる活動を通
じて、言語や文化について体験的に理解を深め
るとともに、積極的にコミュニケーションを図ろう
とする態度を育成し、コミュニケーション能力の
素地を養う。
「小学校外国語活動」の目標
4.「小学校外国語活動」の今後にむけて
33
1.将来の夢、または自分が就きたい仕
事をしている人の絵を描いてくる(宿題)
2.小グループになり、自分の絵を説明
する。
3.友だちの話を聞き、聞いた人のことを
ワークシートに書く。(部分的に英語)
4.結果発表
⚪⚪wants to be a ・・・ He(she)
likes・・・
I (don’t)want to be a・・・, too.
(ここの英語表現は教師が支援する)
1.単語の学習:職業の名前
先生、医者、野球選手、etc.
2.今日の表現の練習
A: What do you want to be?
B: I want to be a ・・・・・
3.友だちになりたい職業をきく活動
∗ <手順>
∗ 1.先生から各人に紙を配られ、先に「温泉たまご」、次に
「たまご温泉」の絵を描くよう指示される。
∗ 2.各人の絵が描けたら、お互いに絵を見せ合い、それぞれ
の絵の根拠を話し合う。
∗ 3.「たまご」と「温泉」の語順の入れ替えによる意味の違い
を言語化する。
∗ 4.先生による全体共有の後、留学生の母語で同じ規則性
のある例はあるかどうか、尋ねる。
∗ <設定>
∗ 留学生と小学生の交流授業で、小学生の小グループに留学生が1人ずつ入
り、それぞれの国紹介をして場が和んだ後の活動
「温泉たまご」と「たまご温泉」??
コミュニケーション能力育成のための活動例@附属小学校
5年生&留学生 2015.11.28実施
4.結果発表
I want to be a ・・・/He(she)
Wants to be a ・・・
(全て英語)
Bタイプ
Aタイプ
∗
(Hi, friends! 2 Lesson8)
次の2つの授業の展開で得られる学びを想像してみよう。
テーマ:What do you want to be?
∗ 「コミュニケーション能力の素地」とは?
∗ 社会のさまざまな課題を解決できる鍵(市民性)につながることば
の教育の一端を担えるか?
∗ →なじみのないことばや文化に対する開かれた態度の育成
∗ →直感のきく母語を利用したことばへの気づき(大津由紀雄)
∗ 言語の習得ではなく「ことばによって活動」しているか?
∗ 基本表現の暗記によるQ&Aはコミュニケーションか?
∗ <活動のポイント>
「温泉たまご」と「たまご温泉」??
コミュニケーション能力育成のための活動例@附属小学校
5年生&留学生 2015.11.28実施
∗ 「コミュニケーション能力の素地」とは?
∗ 社会のさまざまな課題を解決できる鍵(市民性)につな
がることばの教育の一端を担えるか?
∗ 言語の習得ではなく「ことばによって活動」している
か?
∗ 基本表現の暗記によるQ&Aはコミュニケーションか?
小学校外国語活動における
「コミュニケーション能力の素地」
34
∗ *子どもたちは意外と外国語への抵抗がない。
∗ *話がはずむと留学生の日本語がカタコトになる。
∗ *留学生は名詞や動詞など、日本の言葉を文法的に考え
たが、小5では感覚で日本語を使っているという違いを感じ
た。
∗ *意思疎通をするためにはたくさんのことばが必要。
∗ *みんなで話し合うことで班の中で意見が言いやすくなり、
みんなが活動に参加しやすくなると感じた。
∗ *絵は何かを伝えるときはとても効果的だ。
∗ *子どもたちは一所懸命留学生に初めて教えることばを説
明しようとしていた。
∗ *日本語の性質を説明するのにこのようなやり方があるの
だと初めて知りました。
コミュニケーション能力育成のための活動例@附属小学校
5年生&留学生 2015.11.28実施
「温泉たまご」と「たまご温泉」??
活動の参観による学生の気づきから
▼細川英雄先生の講演への学生コメント
○今日の細川先生のお話で出てきた「アイデンティティは動態的なものだ」という言葉に私
はとても「その通りだな」と思い、納得しました。固定化されるものでも、レッテルを貼
られるものでもない。常に流動している、あいまいなものであると認識できたのはとても
大きい収穫だったと思う。また、もっと積極的に留学生と会話をしたり、交流したりする
機会に参加して、自分の世界も広げていきたいなと思った。
○今まで自分が思っていたグローバルに対する考え方が少し変わりました。本当に必要なも
のは何か、何がグローバル人材と言えるのか、そう考えるだけでも自分自身に変化を起こ
せると思いました。
○私の母は韓国人で、父は日本人です。いつも私は中立の立場にいて、
「だから日本人は〜な
んだ」
「だから韓国人は〜なんだ」など、間に立って、いろいろな話を聞きながら育ちまし
た。やはり昔の人ほど、自分と同じ文化の人には安心感を持ち、外国の人には壁を作って
います。これからを支えていく子どもたちにはそのような考え方はしてほしくないです。
自分の目や行動で理解し、他人の意見など鵜呑みにして生きてほしくないと思いました。
○私は外国(語)って聞くと、なんとなくアメリカやイギリスという英語系の国しかイメー
ジしなかった。だが、講演を聞いて、様々な国の文化や実態というものを理解することが
大切なんだと気づくことができた。
○私は少し理想論だと感じた。一番手っ取り早い方法はその言語が話されている環境に入る
ことだとおっしゃっていましたが、それができたら苦労しないなあと思います。
○細川先生のお話を聞いて、例えば、英語をペラペラ話す人や英語のテストで高得点をとる
人、留学生などの自分が考えている「グローバル人材」イメージが先生とは異なっていた
ことがわかりました。また、外国語学習=コミュニケーション能力の向上ではないことも
わかりました。外国語=英語ではなく、いろいろな国があること、文化があることを教え
る必要があると思います。
○正直、来るのが面倒だったが、話がためになりすぎた。私は、国の対立が起こるのを防ぐ
ためには思想の数を減らすべきだと勝手に思っていた。もちろん不可能ではあるが。とこ
ろが細川先生の話はすごかった。異なるからこその出会いという言葉が印象的であった。
35
○国際交流留学センター主催でいろいろな行事をしているというのを知りませんでした。今
日のお話を聞いてとても興味がわきました。英語が上手でなくてもいいということなので
ぜひ参加させていただきたいと思います!
○小学生が言語活動を行うためには、言語を習得していることが必要なのではないか。
○奈良教育大学の実践例を通して、国内であっても他者との言語や思考の違いに気づくこと
ができました。しかし、そこからどう自分が主体的に行動すればいいのか難しいなと思い
ました。また、授業後の振り返りを読んで、知識としては異文化を理解できていますが、
本質的には私は何も分かっていないのではないかと思いました。私自身、コンフリクトに
ついて考え、グループワークを行い、実際にどのように感じるのか、実践してみたいと感
じました。
○多くの国の人々と直接会ったり、話したりすることで世界の価値など多くのことを気づく
ことがあるのだなと思いました。
基本的な表現の暗記ばかりしてもだめだなと思いました。
○異文化と触れ合うことで子どもの視野が広がり、相手を認め、理解することにつながる。
言葉の違いから文化の違いに気づき、相手の考え方を理解する。
○シンポジウムというものに参加するのは初めてでした。先生たちが前でディスカッション
している様子を見るのは新鮮でした。先生たち同士で質疑応答している。その内容はかな
り高度というか、深いなと感じました。それは、自分の意見をしっかり持っているのが伝
わってきたからそう感じたんだと思います。
○グローバル人材を育てるには言語だけじゃないと言っていたが、他の異文化理解は留学を
しても難しいと思う。グローバル人材は本当に育てられるのかと思った。
○今の時代、教師は「将来のグローバル社会を担う人材を育てる」ことが求められているが、
それは英語を流ちょうに話せる子どもを育てるという意味ではないのだと実感できた。子
どもたちにまず必要なことは、例えば留学生などの話を聞いて、英語に触れること、異文
化を知ることを通して自分自身を知っていく事だと感じた。
○文化=民族・国という考えを私自身もしていたけれど、それは近代の誤った考え方だとい
うことを知った。だから、一人一人が違う文化を持っているということを学んだ。
○「ことばの学び」の中で、言語習得は“結果”であって、
“目的”ではない。
36
○シンポジウムの前はグローバルと言われると世界全体をイメージしていたのですが、話を
通して、世界だけでなく、日本、社会と置き換えることができると学びました。広い目で
全体ばかりを見るのではなく、
狭義の意味での視点を養っていく必要があると思いました。
また、言語について学ぶことは、規則について気づく機会を与えたり、子どもに主体性を
持たせることにもつながるのだなと思いました。いろいろな言語に触れてみることで母語
に対しても興味を持ったり、なぜこのような言い方をするのかなど疑問を持つことで考え
方や捉え方が相対的になっていくのは面白いなと思いました。
○この国の人だからこの国の言葉を話すという大きな勘違いがあるという話を聞き、私の知
り合いに日本人の父母を持つけれど小さい時から英語に慣れ親しんで幼稚園に通うために
日本語の勉強をしたという子を思い出しました。初めてその話を聞いた時は驚いたし、び
っくりしたけれど、今日この話を聞いた時、ああ、私も現代社会の大きな勘違いをしてい
る一人なのだなと思いました。
○やはり自分は自分の文化や言語を当たり前と認識し、前提として考えがちだと感じた。今
日初めて聞いたことはどれも元より自分にないもので「は〜なるほど、そんな考え方があ
るのか」とサブ的な感想を抱いた。他の視点から考えているという自分と異なる人の“当
たり前”をより知る必要があると思った。
○外国語活動についての集会にもかかわらず、英語についての話が出てこなかったというこ
とは英語だけが外国語活動ではないのかなと思った。
○グローバルや外国語という考え方が変わった。言語を学ぶことが大切だと思っていたが、
そこがゴールではなくそれを通じて自分を高めることが大切なのだなと感じた。
○アイデンティティの話を聞いて、他の人の意見や考え方を素直に聞くということは違う発
想を持てたり、共有できたり、自分の考え方が広がることにもつながると思いました。自
分の意見が正しいと思っても冷静になることができると思います。留学生の「学内の自転
車2人乗り」の疑問についても悪いことだけど面白さを感じました。日本人に対する外国
人の素朴な疑問をもっと聞いてみたいと思いました。また、そうすることが国際交流の一
環でもあり、少しですがグローバル化の一部でもあるのではないかと思いました。
○全体を通して、子どもたちに外国のことを理解させようとする動きがとても進んできてい
るのだなと気付きました。異文化についての理解が深まれば個性の違いについての理解も
しやすくなり、いじめや偏見の減少にもつながっていけばいいなと思いました。上から教
えるのではなく、子どもたちが気づき、学ぶということの大切さを改めて実感しました。
37
附属小学校の様々な実践が公立の様々な小学校に広まっていくと良いと思いました。英語
や外国語を教えることについて、土台を教えるのは難しいとのことでしたが、土台の部分
にはやはり「覚える」とうことが必須になってくるのではないかと思いました。
○「グローバル人材」のお話を聞いて、言語活動に関することへの捉え方、関心の向け方を
考えさせられました。
言語活動を行うときにいかに体験的に学びとれるように教材を作り、
授業を進めるかが重要だと思いました。また、
「ことば」は多くの意味を含んでいて、また
わかった「つもり」で使っていることが多いのではないかと思いました。言語と社会はつ
ながりに密接している。社会に入って生活することで「ことば」の使い方を学んでいき、
結果として言語を習得することになるということに納得しました。母国語の習得はそのよ
うにして得られるものだと思いました。ただ、母国語を習得した後だと、母国語とは同じ
ようにはいかないだろうと感じました。
○私は外国(語)と聞くとなんとなくアメリカやイギリスという英語系の国しかイメージし
なかった。だが、講演を聞いて、様々な国の文化や実態というものを理解することが大切
なんだと気づくことができた。
○私は英語が嫌いだとずっと思っていたが、よく考えると私は他国の文化を知るのは大好き
だし、他国の人と話をするのは好きだ。私が嫌いなのは、ルールに従って英語を使わない
といけない(文法とか)事であって、他国の言葉を使うことすべてを嫌いになってはいけ
ないと思った。外国語、グローバル=英語ではないということをもっと感じていくべきだ
と強く思った。
○英語学習は結果としてできるようになるだけでそれは目的ではない。その先のことを考え
なければならないという言葉が印象的だった。ただ無意味な例文をなぞるだけのような実
践ではいけないことに気づかされた。
○この講義を受ける前に自分が考えていた「グローバル人材」がこの講義を受け、少し変わ
りました。言葉ではうまく伝えることはできないが、細川さんの「言語を学ぶのが目的で
はない」の言葉で印象が変わりました。自分自身が考える「グローバル人材」がよりはっ
きりとなるよう日々意識して外国語活動の授業受けていきます。
○世間一般的には良いとされているものであっても、ある人たちは反対の意見を持っている。
私たちは自分の考えが正しいと思いがちであるが、ディスカッションでもあったように反
対派の意見にも耳を傾けると一理ある場合が多い。だからこそ、誰かの意見だけでなく互
いに意見交換することが必要だと思った。
38
○頭では異文化について分かっているつもりでも(宗教によって食べられないものがあるこ
となど)いざ自分に置き換えたり、目の前にするとコンフリクトを感じるのは仕方のない
ことであり、異文化理解を深めるのは簡単なことではないと感じた。字を見て本を読んで
分かった気になるよりも、実際に異文化の人々と関わることが有意義だと思った。
○細川先生のお話はとても理解できる内容だったし、私もグローバル人材とは言葉というツ
ールを用いて他者に自らの意思を伝え、自らもまた他者について理解することであると思
う。しかし、その「グローバル人材」を育てる教育における実施について細川先生は具体
的な内容を述べていらっしゃらないように思えた。5〜10人強の語学学校と 30 人前後
を一度に見なければならない学校現場とではずいぶんちがうと思う。
○今回シンポジウムを受けて、小学校外国語活動の授業を受講しているものとして、附属小
学校の授業実践の紹介はとても関心を持った。特に「英語」の授業ではなく、
「ハングル語」
を使った授業で、文字の規則性を子どもたちが興味を持ちながら見つけ出していく様子が
印象的だった。
「英語」を中心とした授業を考えがちだが、外国語活動なので、他の言語、
文化に関して学べる授業も考えられるような力を今後身につけていきたいと思った。
○細川先生の話では、学校はコミュニケーション能力を育てる場所ではないとおっしゃって
いたがその部分は教師を目指す自分とは考え方がちがうと思った。しかし、学校という場
は子どもたちにとって自分の興味、関心を考え、自分と向き合う機会とそれを他者に発信
し伝えていく場であるという考え方には納得できた。実際、自分にとっては学校はそのよ
うな場であったなあ、と思った。
○「グローバル人材」とは複合的に社会に属する人のことであって、
「英語を話せる人」を指
しているとは必ずしもいえません。また、小学校外国語活動での目標である異文化理解を
するためには
「グローバル人材」
になる教育が必要であるということがよくわかりました。
自分ももっと視野を広げて、様々な社会に属することが必要であると思いました。
39
▼実践報告①への学生コメント
自分も知らないうちに、偏見や先
コンフリクトについての話が印
入観をもってしまっているのかと
象に残っています。運動部のエピ
思ったので、このような活動は他
ソード例が理解しやすかったで
者と自己を理解する上で貴重な体
す。日本人の自分でさえ少しモヤ
験になると思いました。
モヤすることが多々あります。留
学生についても同じことがいえ
るのだろう。そのようなコンフリ
クトについてもっと深く考えて
異文化は思いがけないところに
みたいです。
もある。私は基本的に自分と異な
るものは受け入れられると自分
では思っているし、自分とちがう
奈良教育大学で留学生と交流でき
文化を誇らしく思っている人を
るなっきょん's カフェなどの機会
かっこいいと思う。しかし、それ
がたくさんあるのに、学生が上手
はあくまで「違うことは変ではな
に利用しきれていないということ
い」と思っているだけで、理解し
が印象に残りました。
ようとしていたかは疑問である。
もしかしたら、関心が低いがゆえ
に異文化を受け入れられていた
のかなと思った。
対立は避けられないが、相手を知
ることで理解につながるのでは
ないかと考えます。私は留学生サ
ポーターをしていますが、集合時
他者を受け入れることの重要さを
間の5分前に着きます。ですが、
学んだ。自分も東京の出身で関西
彼女は 10 分後に着くので私は 15
に来てからいろいろなギャップ、
分待つことになります。これも一
言葉の話し方など、戸惑うことは
つの対立だと思いますが、文化や
少しあったが、
これが関西なんだ、
意識の違いを知っていれば寛容
ここの魅力なんだと今では考えて
になれるのではないでしょうか。
いる。
40
▼実践報告②への学生コメント
文字の規則性に関する児童の気づ
附属小学校では、様々な規則性を
きについての動画を見て、子ども
見つけ、他文化を理解するという
たちの気づきに注目することがで
授業を展開していた。小学生独自
きました。このような気づきが学
の発想から更なる授業が展開し
問、特に外国語活動には重要で、大
ていくのが素晴らしいと思った。
切なものだと思いました。
さりげないきっかけから異文化
理解が進んでいくのは素晴らし
いと思いました。
小学校で外国語に触れて様々な
言語の一端を知るが、中学校から
の、覚えることが中心の授業で
小学校外国語活動において「基本
は、国際活動でコミュニケーショ
表現の暗記による Q&A はコミュ
ンをとるための外国語を話すこ
ニケーションといえるか?」の視
とは難しいのではないかと思っ
点が印象的でした。今まで私はこ
た。しかし、形式にこだわってい
の活動はコミュニケーションだ
る今の外国語教育では、
「いざ」と
と思っていたからです。逆に温泉
いう時の対応や適応する力とい
たまごとたまご温泉を説明して
ったものが育たないのでは?と
みるという活動ではもともと用
も思った。
意されたテンプレート的なもの
がない中で、自分の思考を自分の
今後の実践授業などで、子どもたち
言葉で外国人に伝えたり、伝えよ
にどのように工夫をして授業をし
うとする姿勢が必要で、これこそ
ていけばよいか、大変参考になりま
がコミュニケーションなのでは
した。
ないかと思いました。
温泉たまごとたまご温泉の話も、と
小学生は話せないから、分からない
ても理解しやすかったです。子ども
から手を出さないということはせ
たちは意外と外国語への抵抗がな
ずに、教える立場の私たちが消極的
いと少し驚きました。
ではダメだなと考えを改めました。
41
42
第2回
「グローバル人材」に
求められる異文化間能力
―教員養成から学校教育へ―
シンポジウム「教員養成大学におけるグローバル人材育成を考える」
第2回 「グローバル人材」に求められる異文化間能力―教員養成から学校教育へ―
講演:グローバル時代の教員養成の課題 -「異文化間能力」育成の視点から-
佐藤郡衛氏(目白大学 学長)
実践報告①:ESDの視点に基づいた道徳性育成の授業実践」
本学附属中学校教諭 小嶋佑伺郎
実践報告②:「異文化間能力」を育む教員養成-博物館における校外学習をめぐって-
本学学校教育講座・教授 渋谷真樹
43
奈良教育大学国際交流留学センター主催
シンポジウムグローバル人材に求められる異文間能力
グローバル時代の教員養成の課題―「異文化間能力」育成の視点から―
目白大学学長
Ⅰ
佐藤 郡衛
今日の柱
1. 自分の教育・研究の振り返りから
2. グローバル化に伴う学校教育の課題について
3. 「異文化間能力」について
4. 教員養成における「異文化間能力」の育成について
Ⅱ
自分の振り返りから
1.研究の振り返り
(1) 「国際」
「グローバル」の進行とともに自分の研究の枠組み(異文化間教育学)の再考
が迫られる
(2) 自文化中心主義という問題の認識
(3) 研究上のカテゴリー(
「帰国子女」
「外国人児童生徒」
)の問題
(4) 研究する側と研究の対象者との関係性のあり方等々
(5) 「国民教育」という枠組みを暗に前提にした調査研究や「異」というカテゴリーの問い
直しの必要
2.教員養成系大学の改革に立ち会って
(1) 教員養成系大学の財政基盤の脆弱化(運営交付金比率と人件費比率の高さによる財政
基盤の弱さ)
(2) 行政主導型の改革(政治、政策誘導型になっていた)
(3) その中でグローバル化に対応した改革とは
附属学校の改革(東京学芸大学附属大泉中学校、附属高校大泉校舎の統合による国際中
等教育学校の立ち上げ、国際バカロレア(IB)MYP の推進
(4) 「教養系」の改組による多文化共生専攻の設置
多文化化に伴う自治体、国際交流協会、NPO 等との連携による取り組み
(5) 一方で大学全体の国際化推進の立ち遅れ
3.改革を振り返って
(1) 改革では大学の「知の構造」
(ショーン)の壁が大きい
(2) 組織的な取り組み、メインストリームの改革には結びつきにくい
(3) 改革のタイムラグがある
(4) 活動のための財源の確保が難しい、競争的資金等が頼みの綱
(5) 大学の生き残り戦略としての改革が強いられる
4.グローバル化の進行と改革
(1)
「グローバル化をどう飼いならすか」
(渡辺靖 『<文化>を捉え直す』 岩波新書 2015 年より)
(2) グローバリゼーションの負の側面をいかに制御し、正の側面を活用し、グローバリゼー
ションを飼いならし、持続可能なものにしてゆけるか。
44
(3) 内在的な改革の推進の必要性
Ⅲ
グローバル化と学校教育の変化
1.グローバル化による学校教育の変化
(1) グローバルスタンダード=世界標準の学力の要請(PISA など)
(2) 新しい資質・能力、例えば「21 世紀型スキル」等への注目
(3) グローバルな力の育成を早い時期から育成するための教育の内容・方法の開発・改善の
取り組み
(4) 「グローカル」な視点の必要性
2.学校の多文化化の進展
(1) 外国人住民の増加。
「移民」という特徴(長期化・定住化)
(2) 日本語ができない児童・生徒の増加→「日本語教育」という新しい課題
(3) 多文化教育の必要性
(4) 多様性の尊重と同時に、共通性をどう設定するかが課題→「市民性」の教育
3.学校教育の今日的課題
(1) グローバル化への対応
(2) グローバルスタンダードへの対応
(3) 多文化との共生という課題
(4) 学力のとらえ方の転換 21 世紀型スキル
(5) 未来への想像と創造(
「持続可能な教育」という視点)
4.グローバル化に関わる教育の動向
(1) 異文化理解という視点
(2) 多文化共生という視点
(3) 市民性教育という視点
(4) 持続可能な教育 ESD(Education for Sustainable Development)という視点
5.共通な視点
(1) 固定した見方から多様な見方を
(2) 関係を通したダイナミックなとらえ方を→変革というとらえ方を
(3) 課題解決という手法
(4) 新しい枠組みをつくりあげていくこと→未来の想像・創造という視点
Ⅳ
「異文化間能力」について
1.新たな資質・能力の必要性―「異文化間教育学」の視点から
2.「異文化間能力」のこれまでの研究
(1) 異文化間リテラシー
(2) 異文化間トレランス
3.個人と社会をつなぐために
「異文化間能力」とは
4.
(1) 現代的でグローバルな課題や社会的な課題を読み解くための能力
(2) 批判的な思考力。適切な規準をもとに自分なりの判断が下せる力や不合理な規則や既
45
成の枠組みを疑ってかかることができる能力
(3) 人と関わる能力。多様な文化的背景をもつ人と関わるということは、葛藤や対立を伴う
ことが多いが、それらをのりこえて関係を作りだしていくこと。
(4) 社会参加する能力。新しい社会の構成員になっていくには、既存の枠組みを前提にする
のではなく、自分がかかわる枠組みや場そのものを作り上げること。
(5) 異文化間能力とは、個人的能力としてではなく、社会の民主化にとって必要なものであ
り、新しい社会を創造するための能力を意味する。
5.どのように育成するか
(1) グローバルな課題の学習を進める
(2) 「構成主義的な学習」の必要性
(3) 人と関わり協働する場や機会を多く設定し交流活動を推進する
Ⅴ 教員養成における「異文化間能力」の育成について
1.グローバル化と教員養成系大学
(1) 教員養成系大学の“使命”と“悲鳴” 優秀な教員を送り出すことが使命だが、現実に
は教員採用率の向上が至上命題 改革の遅れの要因
(2) 「実践力=即戦力」の養成が課題だが、教師の専門性とはなにか、その中で実践力とは
どのように位置づくかと議論がないままに
(3) 教職を下支えする教養教育のあり方、教員としての基礎的な資質の明確化、新たな実践
研究のあり方
(4) 行政主導をいかに転化して改革を進めるか
(5) グローバル化に対応した制度設計が可能か
① 固定したカリキュラム(教員免許取得のための修得単位数の多さ)の中でどのよう
に新たな課題を受け入れるか
② 学期等の制度改革に対応できるか
2.
「異文化間能力」の育成に向けて
(1) 短期的な課題
① 現実的課題の学び。学際的な内容と多様な学習方法の導入(FD 等による授業改善
等)、奈良教育大の特徴の一層の打ち出し(ユネスコスクール、世界遺産学習等)
② 多様な文化・言語的背景を持つ学生の編入学の奨励
③ 海外のフィールドワーク、留学等の一層の強化
④ 海外の大学等との日常的な交流プログラムの実施
(2) 中長期的な課題
① 入学時期の検討(教員養成大学は難しいか?)
② 大学全体のグローバル化の促進(カリキュラムの見直し、交流の促進)
③ 海外の大学とのジョイント・ディグリー(複数大学が連携で学位記を授与)の検討。
海外の日本人学校への就職等を含めた対策。
3.できることから着実に進める
(1) 一人ひとりが
(2) 大学での取り組みにあたって
46
47
自分の教育・研究の振り返り
第1の柱
目白大学学長
(2016年3月19日)
佐藤 郡衛
-「異文化間能力」育成の視点から-
グローバル時代の教員養成の課題
奈良教育大学国際交流留学センター主催 シンポジウム
グローバル人材に求められる異文間能力
[~2013年まで]
東京学芸大学国際教育センター(当初は「海外子女教育センター」)
の教員として調査研究に
[2005~2009年まで]
東京学芸大学学長補佐として附属国際中等教育学校、教職大学院
の立ち上げ、第1回東アジア教員養成国際シンポの企画・実施等
[2010~2013年まで]
東京学芸大学の理事・副学長として大学改革、組織再編の推進
(「
教養系」の改組等)
[2014年~]
目白大学の学長、また児童教育学科教授として、私立大学の運営と
私立大学における教員養成
振り返りから
自分の教育・研究の振り返りから
 グローバル化に伴う学校教育の課題
について
 「異文化間能力」について
 教員養成における「異文化間能力」の
育成について

今日の柱
48
自文化中心主義という問題の認識
研究上のカテゴリー(「帰国子女」「外国人児童生徒」)の問題
研究する側と研究の対象者との関係性のあり方等々
「異」というカテゴリーの問い直しの必要
•
•
•
東京学芸大学の「国際教育センター」(当時は「海外子女
教育センター」)で国際、グローバルな視点からの調査研
究。専門は「異文化間教育学」。
「国」という枠組みを前提にした調査研究
「グローバル」の進行とともに自分の研究の枠組みの再
考が迫られる





大学の生き残り戦略としての改革が強いられる
• 政策誘導型、いわば「理念なき改革」を
• 財源がつきれば取り組みも終息せざるをえない
活動のための財源の確保が難しい、競争的資金等が頼み
の綱
• 必要性から改革に取り組むが実現するまでに数年かかる
組織的な取り組み、メインストリームの改革には結びつき
にくい
改革のタイムラグがある
• 教職大学院の立ち上げ等で顕在化
改革では大学の「知の構造」(ショーン)の壁が大きい
感想ー大学の改革について




一研究者として
多文化化に伴う自治体、国際交流協会、NPO等
との連携による取り組み(各種の研修会等の)
一方で大学全体の国際化推進の立ち遅れ
•
泉校舎の統合による国際中等教育学校の立ち上げ、国際バカ
ロレア(IB)MYPの推進
「教養系」の改組による多文化共生専攻の設置
• 附属学校の改革(東京学芸大学附属大泉中学校、附属高校大
教員養成系大学の財政基盤の脆弱化(運営交付金比率
と人件費比率の高さによる財政基盤の弱さ)が問題
行政主導型の改革(政治、政策誘導型になっていた)
その中でグローバル化に対応した改革とは





グローバリゼーションは否定派の言説によって一刀両断されがちだが、
それを巧みに「飼いならす(domesticate)ことが必要。
グローバリゼーションの負の側面をいかに制御し、正の側面を活用し、
グローバリゼーションを飼いならし、持続可能なものにしてゆけるか。
「行為者は構造の前に無力ではない。構造を内面化し、構造に対して
様々なゲームを仕掛けてゆく能動的な主体でもある。そして、そのゲ
ームにおいて『文化』をめぐる従来の境界線を編み直し、組み替えてゆ
くブリコラージュ(器用仕事)こそは、創造性の原点であり、変わりゆく
環境に対する適応力の源泉ともいえる」
内在的な改革の推進の必要性
(渡辺靖 『<文化>を捉え直す』 岩波新書 2015年)
「グローバル化をどう飼いならすか」
グローバル化の進行と改革





教員養成系大学の改革
49
「国民教育」の枠組みのとらえ直し、内容・方法
の問い直し(ESD、市民性教育等の新たな動き)
国際バカロレアの実施による新たな学びと新た
な教員養成
留学生の増加による大学の制度、カリキュラムの
問題の顕在化
多文化化に伴う学生相互の学びあい
実践に内在的に関与し、実践者との相互作用を
繰り返す中で、課題の解決を目指す研究




グローバルスタンダード=世界標準の学
力の要請(「PISA」型学力など)
新しい資質・能力、例えば「21世紀型スキ
ル」等への注目
グローバルな力の育成を早い時期から育
成するための教育の内容・方法の開発・改
善の取り組み
「グローカル」な視点の必要性
グローバル化による学校教育の変
化





改革を通して見えてきた変化




外国人住民の増加(2,172,892人)。長期化
・定住化による「移民」という特徴
日本語ができない児童・生徒の増加→「日本
語教育」という新しい課題
多文化教育の必要性
多様性の尊重と同時に、共通性をどう設定
するかが課題→「市民性」の教育
学校の多文化化の進展
グローバル化と学校教育の変
化
第2の柱
50


未来への想像と創造
(「持続可能な教育」という視点)
①思考力を中核とし、それを支える②基礎力と
使い方を方向づける③実践力の三層構造
(文科省)
学力のとらえ方の転換 21世紀型スキル
• グローバルスタンダードへの対応
• 多文化との共生という課題
• 異文化理解・寛容・協働などのスキルの必要性
グローバル化への対応




課題解決という手法
新しい社会やシステムをつくりあげていく
こと→未来の想像・創造という視点
、判断力などの資質・能力の育成
社会との関わりやつながり →責任、公共性
革というとらえ方を
• 関係を通したダイナミックなとらえ方を→変
固定した見方から多様な見方を
そこに共通な視点が

学校教育の今日的課題
「異文化間能力」について
第3の柱
Sustainable Development
)という視点
 持続可能な教育ESD(Education for
 市民性教育という視点
 多文化共生という視点
 異文化理解という視点
グローバル化に関わる教育の動向
51
異文化間教育学は、「新しい関係構築や社会の
変革という課題に向き合うこと」に特徴が。これ
は個人と社会との新しい関係構築を視野に入れ
るということ。
新しい教育は、これからの市民社会を作り上げ
るために必要な資質・能力を育成する必要があ
り、しかも「国民であり市民であるひと」も含めて
すべての構成員を対象にする必要がある。
どのような資質・能力が必要かが問われれる



異文化間リテラシー、異文化間トレランスの研究は、それらがすべて
の人に求められる能力としつつ、個人のみに限定したものになって
いる。
OECDの「DeSeCo」プロジェクトでは、コンピテンシーを「人生の成功
と正常に機能する社会の実現を高いレベルで達成する個人の特性」
として、これまでのコンピテンシーがどちらかといえば学校教育場
面での能力(学力)に限定されて議論されてきたが、より広い概念と
して捉え直し、「個人と社会の双方に利益をもたらすもの」という前
提にたって、「価値ある個人的・社会的成果をもたらす能力」である
と定義している(ドミニク・ライチェン他、2006:129)。
各個人が社会について高い能力や参加意欲をもてば、人間関係が
改善され、社会の民主主義化を進めることができることを強調し、
個人と社会を補完的な関係として捉える。
個人と社会をつなぐ必要性



新たな資質・能力の必要性-自分
の研究領域から
①グローバル社会の一員として問題を捉え、それに取り組む能力、
②他者と協働する能力および社会のなかでの役割・義務に責任を持つ
能力
③文化的な差異に対する理解・受容・尊重・寛容に関する能力
④批判的かつ体系的に考える能力
⑤非暴力的方法によって葛藤を解決する意欲
⑥環境保護のために自らのライフスタイルや消費習慣を改める意欲
⑦人権(女性やエスニック・マイノリティの権利等)に配慮し保護する能
力
⑧ローカル・ナショナル・インターナショナルの各レベルで政治に参加す
る意欲・能力
(嶺井明子編(2007)『世界のシティズンシップ教育』、東信堂を参照)
コーガンらの提唱する資質・能力
「多文化集団の共存や共生の必要性に直面することによって、遠くにあ
る理念ではなく現実的課題としての実践的な異文化間トレランスが追
究される段階」にあり、それは「<個人が心理的に>耐えることができる
力」から「(相手を)受け容れ、認めることができること」、さらに「共生的
関わりを持てること」までと広義に捉えている。(原裕視、2001)
「異文化間トレランス」の研究から
①「地球社会あるいは多文化社会と呼ばれる、今日の複雑な社会のあり
方を理解するための知識」、②「多元的な視点」、③「カルチュラル・アウ
ェアネス、自己調整力、状況調整力」といった「異文化対処能力」。
「多文化社会に生きるすべての人々にもとめられる能力であり、海外体
験を前提にしたものではない」という(山岸みどり、1997)
「異文化間リテラシー」の研究から
「異文化間能力」のこれまでの研究
から
52
プロジェクトを企画・実施し、
その成果をまとめ、発信する
力
社会のルールに基づき、判
断・評価し、自らの意見を主
張できる力
自らの権利、利益、限界、ニーズを守り、主
張する能力
現状と問題点の学習から自
分なりに考え自分の意見を
まとめる力
「大きな展望」の中で活動する能力
人生計画と個人的なプロジェクトを設計し、
実行する能力
調整スキル
対立を処理し解決する能力
共感性
他者とうまく関わる能力
チームワークスキル
情報処理力
コンピューター処理
技術を相互作用的に活用する力
協力する能力
科学的リテラシー
知識や情報を相互作用的に活用する力
読解力
数学的リテラシー
人と関わり協働する場や機会を多く
設定し交流活動を推進する
「構成主義的な学習」の必要性


グローバルな課題の学習を進める
生産性と説明力
イニシャティブと自立性
柔軟性と適応性
コミュニケーション
とコラボレーション
の能力
社会的、かつ文
化間での行動力
リーダーシップと
責任感
メディア・リテラシー
情報処理能力
ICT活用力
創造し、革新する能力
批判的思考力と問題解決能
力
21世紀型スキル

どのように育成するか
自立的に行動する
能力
社会的に異質な集
団での交流
ツールを相互作用的
に用いる能力
キーコンピテンシー
言葉、シンボル、テクストを相互作用的に活
用する力
現代的でグローバルな課題や社会的な課題を読み解くための能力
批判的な思考力。適切な規準をもとに自分なりの判断が下せる力
や不合理な規則や既成の枠組みを疑ってかかることができる能力
人と関わる能力。多様な文化的背景をもつ人と関わるということ
は、葛藤や対立を伴うことが多いが、それらをのりこえて関係を作
りだしていくこと
社会参加する能力。新しい社会の構成員になっていくには、既存の
枠組みを前提にするのではなく、自分がかかわる枠組みや場その
ものを作り上げること


グローバルな課題や現実的な課題は、直接的に1つの学
問、あるいは教科には位置づけにくいが、学際的、教科
横断的、あるいは総合的な学習としてカリキュラムに取
り込むことにより、学習者の学びに現実的意味を与え、
しかもその学びを通して批判的思考力や問題解決力な
どを獲得していくようにすること。
こうした課題は、複雑に問題が絡み合っており、正答が
なく、しかも探求様式が確定していないことが多い。し
たがって、多様な学習活動により、正答のないさまざま
な問題に、当事者意識を持ちあきらめずに関わり続ける
ことが必要。
グローバルな課題の学習
異文化間能力とは、個人的能力としてではなく、
社会の民主化にとって必要なものであり、新し
い社会を創造するための能力を意味する
4.
3.
2.
1.
「異文化間能力」とは
53
教師と学習者の協働作業、体験学習、協同探求などに
より、知識の生成がなされることが大切。
学習を孤立した個人の活動としてではなく、社会的な文
脈の中で行われるという捉え方を。学習の質は共同とい
う活動によって大きく左右され、相互の学びあいの中で
、知識をつくりあげていくという視点が重視される。
社会的な問題解決の学習への参加と同時に、そこでの
討論や対話といった参加型の学習が不可欠。参加型の
学習を通して、民主的な関係を作っていくために必要な
スキルを学び、それを実生活の中で活かすようにしてい
くこと。
教員養成における「異文化間
能力」の育成について
第4の柱



「構成主義的な学習」の必要性
社会に参加し、他者と関係を取り結びながら活動してい
くことに力点を置く。
単なる交流活動ではなく、自己と他者・世界と新しい関
係性を取り結ぶことの重要性を示している。日常的に自
分自身が巻き込まれている社会的な状況の中で、そこ
に組み込まれている多様な関係性を解きほぐし新しい
関係性を構築していくことが課題になる。
「多様な文化的空間の行き来と異質な他者と交流し差
異と取り組む」ことがグローバルな能力の育成と関連す
るという研究もなされており、留学等の促進が必要。
固定したカリキュラム(教員免許取得のための修得単位数の多さ)の
中でどのように新たな課題を受け入れるか?教員養成制度は?
グローバル化を促進する上での制度・組織改革は?
グローバル化に対応した制度設計が可能か?
教員養成系大学の“使命”と“悲鳴” 優秀な教員を送り出すことが使
命だが、現実には教員採用率の向上が至上命題 改革の遅れの要因
「実践力=即戦力」の養成が課題だが、教師の専門性とはなにか、そ
の中で実践力とはどのように位置づくかと議論がないままに
教職を下支えする教養教育のあり方、教員としての基礎的な資質の
明確化、新たな実践研究のあり方
行政主導をいかに転化して改革を進めるか
現状の認識からの出発
グローバル化と教員養成系大学



人と関わり協働する場や機会を多
く設定し交流活動を推進すること
54







池野範男(2014)「グローバル時代のシティズンシップ教育」『教育学
研究』第81巻第2号
ドミニク・ライチェン他著(立田慶裕監訳)(2006)『キー・コンピテン
シー』、明石書店
佐藤郡衛(2015)「『トランスナショナル』な状況下での文化間移動
とグローバル・シティズンシップ」『異文化間教育』43号、異文化間教
育学会
原裕視(2001)「異文化間トレランス」、『異文化間教育』15号、異
文化間教育学会
嶺井明子編(2007)『世界のシティズンシップ教育』、東信堂
渡辺靖 (2015)『<文化>を捉え直す』 岩波新書
山岸みどり(1997)「異文化間リテラシーと異文化間能力」『異文化
間教育』11号、異文化間教育学会
主な参考文献
)の検討。海外の日本人学校への就職等を含めた対応
海外の大学とのジョイント・ディグリー(複数大学が連携で学位記を授与
大学全体のグローバル化の促進(カリキュラムの見直し、交流の促進)
入学時期等制度のあり方の検討(教員養成大学は難しいか?)
中長期的な課題(具体例を通して)
ム開発、評価、FDによる授業改善等)、奈良教育大の特徴の一層の打ち
出し(ユネスコスクール、世界遺産学習等)
環境、見えないカリキュラムの改善(多様な文化・言語的背景を持つ学
生の編入学の奨励、海外のフィールドワーク、留学等の一層の強化)
海外の大学等との日常的な交流プログラムの実施
現実的課題の学び、学際的な内容と多様な学習方法の導入(カリキュラ
短期的な課題
「異文化間能力」の育成に向けて
「グローバル化を飼いならす」努力を。「従来の境界線を編み直し、
組み替えてゆくブリコラージュ(器用仕事)は、創造性の原点で、変
わりゆく環境に対する適応力の源泉」という指摘を再確認する
着実な教育研究活動を進めること
実践研究の新たな展望を
ご静聴ありがとうございました
•
学、学部の連携による取り組みなど。大学の特徴をいかし、「飼い
ならす」工夫を
教員養成制度のあり方の議論も
• 学内の周辺から改革し、全体へという視点
• 政策誘導型の「改革」にどう対抗するか。1つとして教員養成系大
大学での取り組みにあたって



一人ひとりが
ご質問等があればメールでお願いいた
します。
[email protected]


できることを着実に進める
55
〇他者との対話を通した子どもの自己内対話による価値観の構築をめざす
➂学習方法としての対話
〇同時に他者との関係性を問う
・問題解決の担い手として期待される「市民」とはどのような存在なのか
・「市民」が参加して公共のあり方を再構築する=ESDに込められた願い
②学習内容として「私とは何者か」を問う学び
〇ユネスコが「平和の文化」とつなげてESDを推進したことから
(ユネスコ憲章「人の心に平和の砦を築く)
〇本校の学びが「平和・人権・民主主義」を中心にすえてきたことから
①ESDの学習のコアとしての「平和」
ESDの学習構成における3つの視点
1.ESDの実践と道徳性の育成
奈良教育大学附属中学校
小嶋 祐伺郎
~ESD社会科からESD道徳へ~
ESDの視点に基づいた道徳性育成の授業実践
「特別な教科道徳」の設置(2015年3月27日 文部科学省官報)
中学校では2019年度から検定教科書に基づく授業が実施される
⇒道徳性の育成の取り組みが大きく方向転換していく中で・・・
〇ESDの学びからどのように道徳性を問うことができるか
〇どのような学習がESDにおける道徳教育としてふさわしいのか
2014ユネスコスクールESD優良実践事例集などから
これまでのESDの実践事例でも、道徳性の育成の視点
はあるが、直接「道徳の時間」での実践はほとんどない。
社会変革を求める能力や態度の育成をめざすESDの実
践は、価値教育や道徳性の育成を抜きにして語れない
1.はじめに ~ESDの実践と道徳性の育成~
・ESDの学習構成における3つの視点と道徳性の育成
・「平和の集い」を通した道徳性の育成
2.「ESD社会科」の実践
・「地球市民」としてのアイデンティティ
・「平和の集い」「韓国交流」とつなげたカリキュラム構成
⇒道徳の授業へ
3.試案「ESD道徳」の実践
・「特別な教科道徳」とESD
・ESD道徳のカリキュラム
・本年度の実践
4.課題の整理 ~来年度に向けて~
発 表 内 容 の 構 成
56
「東日本大震災とわたしたち」
つながり続けることの大切さを確認する
①4月新学期当初に全校で「道徳」の授業を実施。
(被害の実情を知り、失ったものの大きさや人々の悲しみ
を想うとともに、何が出来るか考える)
②奈良ASPネット参加校に呼びかけ支援物資を集めて送る。
(生徒が呼びかけ、仕分け作業や梱包、積み込みをする)
➂支援物資が届いた学校との手紙の交換が始まる。
④「平和の集い」で、気仙沼の先生の現状報告を聞く。
→新たな交流(継続してきたいくつかの学校を中心に)
と、何が求められているのか考える。
2011年
2014
「地球市民とはだれだろう」
2013
「もう一度平和に
ついて考えよう」
2012
ともに生きる
「被災地とわたしをつなぐ」
2011
「東日本大震災
とわたしたち」
2010
「アンネのバラ」
「平和の集い」を通した道徳性の育成 2010~2014
「アンネのバラをとりまく人々の想いを通して
ホロコーストの構造を考えよう」
「被災地は今
自分たちが励まされていることに気づく
B 実習生と
ともに
懸命に生きる子どもたちから何を学ぶか」
①「平和の集い」で教師の被災地訪問の話を聞く。
(懸命に健気に生きる子どもたち。故郷を失うことの意味。地域の再生
に力を注ぐ子どもたちの姿)
・発達課題を抱えた子どもの現状「やさしくすると弱いと思われる・・」
→一生懸命我慢して大人になろうとしている被災地の子どもと目の前
で大人になろうともがき苦しむ子どもたちをどうつなぐか・・・
・文化祭で「身近な他者との出会いを通して、被災地への支援のあり方
を考え、自己と他者との関係について考える」
≪ホスピス訪問 盲導犬とともに 動物セラピー など≫
→あたりまえのことがしあわせ、死を通して生を考える、
生きることは支え合い、他者の役に立つことは自分の喜び
・気仙沼の小学生との手紙の交流
→小学生の詩や作文への返事や自作の絵本を送ったり、クリスマスカー
ドの交換
2012年
東 日 本 大 震 災 起 こ る
・初めて日本にアンネのバラをもたらした奈良の修道尼との対話
(オットー・フランクとの偶然の出会いと託された3本のバラのお話を通して)
・ホロコーストの構造の理解を通して「学校や教室で平和の文化を創る」活動を
しよう。
・行動化→アンネのバラを栽培している修道尼のお兄さんに会って3本のバラをい
ただく。中庭改造計画とその中心にバラを植える。
・今の世界、私たちの歴史や学校の中にホロコーストの構造はないか。
・アンネフランク財団に手紙。募金活動。第1回奈良ASPネットワーク合宿
で報告(翌年、代表2名が招かれマンチェスターでワークショップ)
→「平和の文化」を実現する営みは、一人ひとりの身近な行動の積み重ね
にあり、その 想いをつないでいくことがわたしたちの役割である。
☆生徒会が提案して「行動化につなげるために奈良ASPネットの仲間とアク
ションを起こそう」と決議
2010年
57
す!
③縦割りでの
対話
○「平和の集い」で考えたり行動したこと
はずっとつながっていた。
○「平和の文化」の構築には、一人ひとり
の身近な行動の積み重ねや、想いをつ
なぐことが大切である。
②学級での
対話
2.ESD社会科の実践
!
大切に使わさせ
ていただきま
①資料を
もとに自
分の考え
を書く
④学校全体での
対話
⑤もう一度自分との対
話(作文、カード)
平和について考えよう」
過去3年間の「平和の集い」から学ぶことを・・・
「もう一度
「一人一人が地球市民の立場に
立って、国境を越えて連帯し協力
するグローバルな市民社会が今ま
さに求められているのです。」
(2012 新しい社会 公民
東京書籍検定済)
地球市民とは・・・
国際公民と国家公民
「グローバルな市民」は、「平和
で民主的な国家・社会の形成
者」とどうかかわるか?
地球市民の立場に立つとは?
2014年度「地球市民とはだれだろう」の授業から
喜び
の共
有
2013年
さらに深い
対話へ
調べたことを
報告、意見交
換
新聞の記事
活用して
村落共同体的コミュニティ
近年の小学校を中心としたESDの「ふるさと学習」の場としてのコミュニティ
・人々のつながり、相互扶助、郷土への愛着、先人の知恵への尊敬な
どによる自尊感情に基づくアイデンティティ
「健全な」ナショナリズム
他者(他国、多民族)に対して親和的なナショナリズム
批判的リテラシーを持って、国の課題(負の公共性)への疑問を持ちつつ、その変
革に向けて他者とともに生きようとするナショナリズムに基づくアイデンティティ
地球市民としてのアイデンティティ
ESDが求める「グローバルな市民」と国民国家の中の
「国民としての市民」との関係性をどうとらえていくか。
⇒家族・地域・民族・国家・世界とアイデンティティーを
柔軟につなげていく「多元的・複合的なアイデンティ
ティー」の形成をめざす
・「国家・国民」とは
・相互理解に必要なことは
・地球市民の資質とは
3年は社会科で、安重根と
看守の千葉十七との対話
を通して、2人の相互理解の
過程を通して、「国籍」「アイ
デンティティー」「地球市民」
について対話する。
特活や総合的な学習
における体験的学び
⇒感性的理解と社会参
加
基盤としての自己受容と自尊感情
社会科で
知的理解としての
歴史認識
⇒国民国家を柔軟
にとらえる
他者を所属意識ではなく、自己とのつな
がり意識でとらえ、つながった他者ととも
に、より良い社会をつくろうとする人間
地球市民とは・・・
○韓国交流
反韓(反日)嫌韓(嫌日)の
風潮の中で・・
自己の変容を語る
「平和の集い」では・・
・縦割りグループごとの討論
・韓国の生徒とともに討論
「教育」 「人権」「環境」 「いのち」
「防災」 「戦争・紛争」「憲法・法律
「国際関係」
全員がテーマを選んで資料作成
「地球市民」を育成する学習の構造
を
1,2年は縦割りで対話
2014「地球市民とはだれだろう」
58
小単元 「地球市民とはだれだろう」・・・5時間
①「日本人」って何だろう?
・「民族」とは「国民とは」
・「日本人」はどのようにしてつくられたか
・国民国家とその課題
(EU、バスク、奈良市の自治体外交と外国人
居留者から所属意識について考える)
・多様な日本人(黒潮文化・稲作文化・植民地
統治・ニューカマー)
②安重根は愛国者か、それとも犯罪者か
後述
➂平和の礎と魂魄の塔に込められた思い
大単元「未来への選択ー歴史を通してわたしたちの未来を考える―(8時間)
千葉は自分の立場(役割)に苦悩していたのでは
ないか。安に寄り添うことで、彼はその苦しみから
自由になれたのではないか。
安の行動(暗殺)はどんな理由があってもよくない
というが、デモやストライキ、あるいは不買運動な
どをやったところで、当時のマスコミや日本人がイ
ンパクトを持って取り上げたとは思えない。
他にどんな方法があったというのだろうか。
〇安と千葉の結末は過去のことではない。今でもクリミア併合など国と国のエゴが人々を苦しめていることに変わりは
ない。
〇千葉が終戦後、死ぬまでずっとだれにも黙って安重根を弔っていたということを聞いて、悲しくてたまらなかった。ど
んな思いで毎日手を合わせていたのだろう。私たちはこのことを忘れてはいけない。そして戦前にもこんな日本人が
いたことを誇りに思う。
〇韓国に行った2年生が話していたことを思い出した。私たちは韓国が嫌いな人の一方的な考えばかり聞いていた
のではないか。また韓国でも同じことが起きているのではないかと思う。ぼくは今までとは全く違う気持ちで、韓国の
生徒たちと出会えると思う。
千葉は安の態度からその人間性を知っ
たから尊敬するようになったのであって、
思想に感心したのはそれからだと思う。
千葉は安の東洋平和論の概
要を聞き、その思想に感銘を受け
たから尊敬するようになったので
はないか。
憎しみから相互理解という事実に感動しながらも、結末に悲しみや憤りを感
じる子ども
〇グローバルな
課題で、今後戦
争や紛争の原因
になりえることは
何か・・・1時間
〇現代の戦争の
原因は何
か・・・2時間
実践の具体
2.自己内対話
①山県有朋、伊藤博文
安部磯雄、石川啄木
それぞれの演説や論
考、詩、生い立ちなど
調べ、それぞれの世
界観やアイデンティティ
について考える。
②安重根の「東洋平和
論」の内容を調べ、現
在のEUの施策やユネ
スコ憲章と比べること
によって安のアイデン
ティティについて考える
③安重根と千葉十七の
獄中での対話を通して
なぜ理解しあえたのか
について考える。
・地球市民
の資質に
ついて考
えを深め
る。
3.グルー
プで対話
から学級
対話へ
④話し合ったことからもう一
度「地球市民」の資質につ
いて考えるとともに、そうし
た市民がなぜ必要なのか、
これまでの学習から考える。
③グループの話し合いを全
体化する。
②グループ内で相互理解で
来た理由を考える。
4.さらに深い対話へ
①安重根と千葉十七の2人
の対話の場面を生徒に朗
読させ、2人の心情に寄り
添いながら、2人の心情を
ノートに書く。
ガマの暗黒は人の希望を奪う。
あの中で家族や友人が同じ空
間にいることだけが唯一の希
望だったのだ。そんな気持ちに
軍人も住民も、日本人も朝鮮
人もない。
遠い故郷から沖縄で戦ったア
メリカ兵も同じように苦しんだ。
命の重みに国籍はない。
自分が日本や国をベー
スにものを考えているこ
とがよくわかった。ぼくは
今、グローバルにものを
考える出発点にいる。
沖縄の自然は、戦争の
悲しみを黙って受け止め
ている・・・
「平和の礎と魂魄の塔に込められた思い」の授業後の感想から
1.学習課題をつかむ
①「国家・国民」とは何
か
・国民国家を中世や近
世の国家と比べるこ
とによって、「国民」や
「国民意識」を形成し
てきた近代の歴史の
特徴を知る。
②国籍とアイデンティテ
ィは一致するのか
・戦前の日本の植民地
の人の国籍は?
・現代社会のアイデン
ティティの問題
・アイデンティティの問
題はあなた自身の問
題でもある
「地球市民とはだれだろう」の授業
59
自然との共生や生かされている自分の
実感に関すること
社会参加や参画の意欲や行動に関する
こと
4.主として集団や社会とのかかわりに関
すること
他者を共感的に理解しケアしケアされる
関係の構築に関すること
セルフエスティームの育成と個の確立に
関すること
3.主として自然や崇高なものとのかかわ
りに関すること
2.主として他の人とのかかわりに関する
こと
1.主として自分自身に関すること
~指導要領の道徳教育の4つの内容の読み替え~
(2)カリキュラム構成の視点
社会に存在するボーダー(境界)の非決定性を
積極的にとらえ「差異に基づく連帯」を将来に
おいて創造しようとする子どもの育成をめざす、
3年間の取り組み
2015年「ボーダー(境界)について考えよう」の授業から
3.試案「ESD道徳」の実践
自分からの距離が遠い
留 学 生
ニューカマー
在日コリアン
学級内
違いがわかりにくい
負の公共性
特別支援学級
違いがよくわかる
学習内容(学習の対象)
自分からの距離が近い
・学級・学校や社会を他者とともに創る意欲、自己効力感(コミット)
・他者の声を聴く
などの学習を通して
他者の立場や状況を共感的にとらえ、他者をケアし、場合によっ
ては、他者のニーズのために、共に社会システムや社会構造を変え
ようとする主権者を育てること。
~多文化共生社会における市民性育成の視点から~
(1)「ESD道徳」のねらい
60
交流で得た社会
参画の方法を身
近な課題解決に
応用する
学習課題に基づく
事前学習や現地学
習を通して、自己
の生き方と照らし
合わせて考える
生徒会活動など
を通して地域社
会で行動化する
年
3
2
現地の中高生と
の交流活動を企
画し、地域社会
における自己の
役割を考える
教師や先輩の現
地体験を聞き、
被災地の現状や
そこに生きる人
たちの思いを知
る
福島の学び
課題意識を深め、
修学旅行に学習
課題を決め、主
体的に学習する
ケアされる関係
に気づく
3年生の沖縄の
学びから、福島
との共通点に気
づく
沖縄の学び
地域の課題に関
心を持ち、解決
のために他者と
年
ともに考える
年
1 交流からケアし
身近な仲間との
障 害 理 解
生徒会が主体と
なって小学校と
一緒に「平和の
集い」を開催す
る
小学校での広島
の学びと沖縄の
学びの共通点に
ついて考え、修
学旅行に生かす
近代史の学習を通して、
国籍や民族についての
理解を深め、身近な在
日コリアンやニューカ
マーの問題に広げる
古代における東アジア
の中の日本の辺境の位
置付けや倭寇やアイヌ
の活動を通して国民国
家を相対化する
小学校での広島 アンネやアンネのバラ
の学びや、教師 をめぐる人々、ボスニ
の話から沖縄戦、アの留学生などの生き
ホロコーストと 方を知り、出会った人
の共通点に気づ たちの思いに共感的理
く
解をする
国家・国民の理解
他者のニーズに応え、ケアする感情を、
具体的な場面で体験する学び
4.社会参加や参画の意欲と行動
に関すること
広島の学び
他者の生き方(魂)に触れることによって、
命の尊厳や、自分が生かされている存在
であることに気づく学び。
3.自然との共生や、生かされて
いる自分に関すること
学 習 計 画
つながった他者に尽くしたい(ケアしたい)
という感情を呼び起こす学び
2.他者を共感的に理解し、ケア
しケアされる関係を構築する
こと
(3)実践の具体
他者の生き方を通して、葛藤しながらも生
きる人間の姿に共感するとともに、自分の
生き方を振り返る学び
1.セルフエスティームの育成と
個の確立に関すること
・活動ごとに、5組生徒と
手紙の交換をする
・5組の先生に質問する
「障害理解学習ー5組
の仲間」
人とのかかわりの大
切さを学び、身近な場
面でボーダーを考える。
特別支援学級の
子どもたちとの
かかわりと、手
紙の応答を通し
た
「障害って何だろ
う」の学習
〇1学期の学習
・福島を訪れた高校生の先
輩の話を聞いて・・
街づくりに参画する中高
生のようすを知る
「福島学習」
身近な関係を基に視
野を広げケアの大切さ
を知る。
学 習 の 流 れ
・映画や資料、教会の資
料室などで事実を知る
・オットーさんの気持ちを
受けとめた大槻さんの
思いをかみしめる
「ホロコーストとアン
ネのバラ」
他者と関わりその
思いを受けとめること
について考える。
①広島と福島=復興とは何か
②沖縄と福島=負の公共性
③広島とホロコースト=犠牲になった人への共感と怒り
④沖縄とホロコースト=「国民」からはずれた人への差別という
「病的なナショナリズム」
3年生との
(での)
沖縄学習
②
ユネスコスクールと
しての被災地(福
島)との交流学習
アンネのバラを通し
たホロコーストの学
④
習
③
小学生との広島学
①
習の連係
61
「留学生との交流会」
日常的なものを例
に、文化の違いを合
理的に理解するとと
もに、共通点をたい
せつにする態度を培
う。
・何をすることが留学生
の喜びになるのか考え準
備する。
・積極的に話しかける
・はじめてしゃべる他者の
大切なものを聞き取り、そ
のことについての詩を創
る」
ここまで学んだことを生か
して、交流会のあり方を
考えるとともに、互いの願
いを受けとめながら交流
会を企画し、実施する。
「5組との交流会」
「心とからだのコミュ
ニケーション‐インタ
ビュー詩を創ろう‐」
他者の気持ちを受
けとめるために必要
なことな何かについ
て考える。
・事前に訪問し、迎える準
備をする
「障害理解学習-視
覚障害の方を招い
て」
ゲストティーチャー
の生き方をとおして
障害についてさらに
深く知り、「共に生き
る」ことについて考え
る
人のぬくもりっていいなあ、と
思った。
始め自分が引いていたボーダー
が活動するにつれ消えていくこと
が実感できた。
・ほとんど日本語が理解
できない外国人に対して、
どうすれば意思を伝えるこ
とができるか、グループで
考え実践する。
さまざまな言語の
違いや、共通点に気
づき、言葉の持つ意
味や言葉と文化、価
値観について思いを
巡らせる。
「多言語学習」
先生、来年も続き
するよね?
もっと知りたい!
コミュニケーションは意欲や
相手への関心が一番大切な
ことだと思った。
コリアンタウンに行って、相手
の立場になって考えることや
自分で考えることの大切さを
知った。
障害者はわたしとは別の人間と思ってい
たが、アンネのことやボスニアのことを知
ると、なぜか「障害者と自分が同じ」という
ことがわかったから不思議だ。
セルビア人かボス
ニア人かというアイ
デンティティにゆれる
留学生の話を聞き、
「国家」や「民族」を分
けるものについて考
える。
「ボスニア紛争と民
族問題」
「多言語学習2」
(4)生徒の変容
・ドイツ人はどう考えてい
たのか。なぜだれも止
めなかったのか。
・沖縄戦との共通点はな
いのか。
・わたしたちの生活の中
で、ホロコーストと同じ
ようなことはないのか。
「ホロコーストとわた
し」
アンネのバラの学
びを広げ、身近な問
題とのかかわりにつ
いて考える
人がボーダーを引くのはなぜか
について考えた。ボーダーにはい
いボーダーと悪いボーダーがあ
ると思う。
・3年生の卒業研究を聞
き、福島の学びと関連
付けて、グループで課
題解決しながら私と他
者を分ける意味につい
て考える。
「沖縄学習」
なぜ沖縄は住民を
巻き込む戦場になっ
たかを知ることによっ
て、その後の沖縄の
歴史とのつながりを
考える。
62
(5)課題の整理 ~来年度に向けて~
わたしらしく人間らしく生きたいと願う
子どもの願いに寄り添う学校や教師
であり続けること
わたしたちが自由に選択する「政治の質」が重要である→政治教育のあり方
➂カリキュラム開発と実践研究における教師の協働性や研究機関等との連携
・大学の研究成果を実践に生かす
・ベテラン教師が若い教師や実習生とともに授業を創る(日本の学校文化のよき徒弟制
度を生かす)
④子どもの現実とどう向き合うか
・「ESDが求める学力を育むと、豊かに生きていける社会なのか」という問い
・18歳選挙権と政治教育・平和教育
・子どもの貧困・格差・発達課題と「道徳 学校教育」
主体的で自律的な「市民」「国民」をどう育てるか
実践者自身がESDに対する発展観(国家の発展観を反映するのか、社会変革
をめざすのか)を明らかにすること。
地球市民(グローバルシチズンシップ)の育成のために自問していること
②実践において「意識のグローバル化」と「行動のグローバル化」をどうつなげるか
・地域での学び・地域での出会いを通した「ケアの心」をどう社会参加・参画につなぐか
①「地球市民意識」をどう定義し、どうカリキュラム化するか
・「ケアの倫理」に基づいた、日本の社会的文脈や学校文化に根ざした「シチズン
シップ教育」は構築できるか?
・「特別な教科 道徳」とのかかわり
2016/3/19 @奈良教育大学国際交流留学センター
「グローバル人材に求められる異文化間能力」
実践報告②
「異文化間能力」を育む教員養成
―博物館における校外学習をめぐって―
渋谷 真樹
≪はじめに≫
なぜ教員に「異文化間能力」が求められるのか?
奈良教育大学における「異文化間能力」育成: ユネスコスクール推奨授業科目
・
2007 年に日本で初めて大学としてユネスコスクールに加盟
・
活動内容
○ASPnet を利用して、世界中の学校と生徒間・教師間で交流し、情報や体験を分かち合う。
○地球規模の諸問題に若者が対処できるような新しい教育内容やその手法の開発、発展を目指す。
・ 研究テーマ
①地球規模の問題に対する国際システムの理解 ②人権、民主主義の理解と促進 ③異文化理解 ④環境教
育 ⑤ESD(持続可能な開発のための教育)⑥世界遺産(文化遺産・地域遺産)
≪実践の概要≫
2015 年度後期「校外学習指導特講」
教育学専修専門科目(選択必修)
、社会教育主事資格科目、ユネスコスクール推奨授業科目(研究テーマ③)
受講生 22 人(正規 19 人+社会人 1 人+留学生 2 人、2~4 回生+教職大学院生)
目的
この科目では、学校外で行う教育活動の意義や内容について学びます。とりわけ、国際理解教育や多文
化共生教育をテーマに、校外学習を構想していきます。
到達目標
1
学校外での教育活動の意義や内容を知る。
2
グローバル化する現代社会における教育の課題を理解する。
3
学校外での国際理解教育や多文化共生教育のための指導案をつくることができる。
授業計画
1
オリエンテーション:校外学習とは?国際理解教育とは?
2~3 Ⅰ 「みんぱっく」を用いた国際理解教育:留学生とともに「みんぱっく」体験、ふり返り
4~6 Ⅱ テキスト講読:学校と博物館でつくる国際理解教育
7~8 Ⅲ ゲストティーチャーによる特別講話:
「多文化な子どもと校外学習・国際理解教育」
元学校教員、外国ルーツ青年、研究者など
9~11 Ⅳ フィールドワーク A:
「なら子ども国際フォーラム」参加、ふり返り
12
民博遠足の構想:各自の案を持ち寄り、この回を含め 3 回の授業においてグループで構想
13~14 Ⅴ
フィールドワーク B:国立民族学博物館遠足、ふり返り
15 まとめ:校外学習を通した国際理解教育・多文化共生教育
1
63
テキスト
中牧弘允・森茂岳雄・多田孝志編著『学校と博物館でつくる国際理解教育:新しい学びをデザインする』、
明石書店、2009 年
評価方法
1
授業参加状況(70%)
授業での取り組み状況、小レポート、指導案の発表
2
最終レポート(30%)
校外学習と国際理解・多文化共生教育に関する理解度・問題意識
≪実践のポイント≫
Ⅰ
アウトリーチ教材「みんぱっく」を用いた国際理解教育
・ 「スーホの白い馬」
(小2、国語)を導入に
・ モンゴル族中国人留学生をゲストティーチャーに迎えて
・ 授業を批判的に振り返る
Ⅱ

体験学習のメリット・デメリット

異文化との出合い、異文化間の葛藤への気付き

小中学校の教員として自分ができることを考える
テキスト講読
・ 国際理解教育とは?
・ 校外学習とは?
・ 博学連携とは?
・ 先行実践
Ⅲ
ゲストティーチャーによる特別講話
≪目的≫
・ 「国際理解教育」 を3Fに終わらせない。
・ 教室、地域、社会の中にある多文化に着目する。
・ 共生や尊重を唱える前に、現にある差別に気付く。
外国ルーツの子ども達の教育に長年関わってきた元高校教員(過去には、外国ルーツ青年、研究者も)
から「多文化な子どもと校外学習・国際理解教育」を聞く。
授業後のふり返りで: 「無知が怖い」から「無関心が一番怖い」へ。
教師のすべきことについての省察: 知ること、関心をもつこと、相談できる環境づくり、表現の場
Ⅳ
「なら国際こどもフォーラム」でのフィールドワーク
≪目的≫
・ 「外国にルーツをもつ子ども」と出会い、関わる。
・ 奈良県外国人教育研究会の教師達の活動に触れ、参加する。
自己紹介、世界のゲーム、立食パーティー、世界の遊び
2
64
小レポートより:言葉以外でのコミュニケーション、日本生まれ日本育ちの子ども達、文化と自分らし
さ、教師になるために知らなくてはならないことが増えた、一人一人と向き合う
Ⅴ
国立民族学博物館でのフィールドワーク
課題「奈良市立小学校で国立民族学博物館への遠足を計画する」
テキストで先行事例を知る→各自で指導案を作る→グループで検討(3 回)→博物館に「下見遠足」→班
ごとに指導案をまとめる
国際理解教育の理念や方法:異文化への気づき、寛容性の育て方、3F からの脱却
遠足実施の指導技術:手続き、事前準備、安全確保、ルール・マナーの遵守
≪まとめ≫
異文化との出合いの場の設定:人、もの、場所
異文化間の折衝の体験(→境界線の揺らぎ)
モンゴル人―中国人、内モンゴル―外モンゴル、外国人―日本人、差別―被差別、過去―現在、祭り―日常、普遍―特殊
異文化間のハーモニーと不協和音
3F からの脱却
教育技術と理論的支柱の両立
「異文化間能力」や学修成果の測り方
3
65
66
研究テーマ
①地球規模の問題に対する国際システムの理解
②人権、民主主義の理解と促進
③異文化理解
④環境教育
⑤ESD(持続可能な開発のための教育)
⑥世界遺産(文化遺産・地域遺産)
活動内容
・ ASPnetを利用して、世界中の学校と生徒間・教師間で交流し、情報や体験を
分かち合う。
・ 地球規模の諸問題に若者が対処できるような新しい教育内容やその手法の
開発、発展を目指す。
2007年に、日本で初めて、大学としてユネスコスクールに加盟
奈良教育大学における
「異文化間能力」育成
ユネスコスクール推奨授業科目
渋谷 真樹
―博物館における校外学習をめぐって―
「異文化間能力」を育む教員養成
実践報告②
2016年3月19日
奈良教育大学国際交流留学センター
「グローバル人材に求められる異文化間能力」
総
数 800,000
/
夫 600,000
婦
と 400,000
も
日 200,000
本
人
0
1,000,000
1,200,000
夫
婦
の
60,000
一
方
40,000
が
外
20,000
国
人
80,000
100,000
120,000
到達目標
1 学校外での教育活動の意義や内容を知る。
2 グローバル化する現代社会における教育の課題を
理解する。
3 学校外での国際理解教育や多文化共生教育のた
めの指導案をつくることができる。
目的
この科目では、学校外で行う教育活動の意義や内容
について学びます。とりわけ、国際理解教育や多文化
共生教育をテーマに、校外学習を構想していきます。
厚生労働省
0
1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010
年 年 年 年 年 年 年 年 年 年
妻日本・夫外国
夫日本・妻外国
夫妻の一方が外国
夫妻とも日本
総 数
日本における国際結婚の推移
グローバル時代を生きる
子どもたち
2015年度
校外学習指導特講
文部科学省
うち在日365人、新渡日1,256人
1,621人
奈良に暮らす「外国にルーツをもつ子どもたち」
(保幼小中高)
(2014、県外教)
教室の中の多様化
なぜ教員に「異文化間能力」が
求められるのか?
67
オリエンテーション: 校外学習とは?国際理解教育とは?
『学校と博物館でつくる国際理解教育』
校外学習を通した国際理解教育・多文化共生教育
授業を批判的に振り返る
まとめ:
– どんなことができるか?
– どんな工夫が必要か?
• 小中学校で展開するなら
– 利点は何か?
– 課題は何か?
• アウトリーチ教材、ゲストティーチャーを用い
た授業の
15
国立民族学博物館遠足、ふり返り
民博遠足の構想: 各自で案作成→計3回の授業でグループ討議
13~14 Ⅴ フィールドワークB:
12
9~11 Ⅳ フィールドワークA: 「なら子ども国際フォーラム」参加、ふり返り
7~8 Ⅲ ゲスト・ティーチャーによる特別講話、ふり返り
「多文化な子どもと校外学習・国際理解教育」
元学校教員、外国ルーツ青年、研究者など
4~6 Ⅱ テキスト講読
2~3 Ⅰ 「みんぱっく」を用いた国際理解教育
留学生とともに「みんぱっく」体験、ふり返り
1
授業計画
外モンゴルって?
これがゲルです
モンゴル族中国人留学生を
ゲストティーチャー
に迎えて
http://www.minpaku.ac.jp/research/sc/teac
her/minpack/mongol/index
民博アウトリーチ教材の活用
触ってみよう!
• ゲストティーチャーが来られることによって、外モンゴルや内
モンゴルの違いや、文字や言葉の種類・・・など住んできたか
らこそわかるモンゴルのことを知ることができた。
• 最も印象に残ったことは、モンゴルで使われている文字が私
にとっては全く読めない記号にしか見えなかったということで
ある。
• 普段関わることができない人を前にして、生の声でお話を聴
くということは、学校教育の外へ視野を広げる。
• 見て、触れて、感じて、児童自らそれに働きかけたい、もっと
知りたいと思わせるところまでが出会いのサポートだと思う。
• 子どもがメインの授業で、想像力がはたらく。
• 文章や言葉から頭で理解するものとは違った種類の深い理
解を得られるものが体験による学習なのだと考えた。
• 導入として「馬頭琴」の絵本を読んで、そこから興味を持って
もらってモンゴルという国の説明に入るのが子どもたちが集
中し、興味を持ってくれるのに効果的だなと思いました。
モンゴルって?
馬頭琴って?
「スーホの白い馬」(小2、国語)を用いて
これ何?
Ⅰ 「みんぱっく」を用いた国際理解教育
68
・ 子どもが教えてくれたこと
・ 奈良の在日外国人生徒と教師 (自分の出会った子どもたち)
・ 差別って何?
外国ルーツの子ども達の教育に長年関わってきた
元高校教員(過去には、外国ルーツ青年、研究者も)から
「多文化な子どもと校外学習・国際理解教育」を聞く。
≪目的≫
「国際理解教育」 を3Fに終わらせない。
教室、地域、社会の中にある多文化に着目する。
共生や尊重を唱える前に、現にある差別に気付く。
Ⅲ ゲスト・ティーチャーによる
特別講話
• ゲストティーチャーへの質問が少なかった。予備知識
が少なかったからではないか。事前学習が非常に重
要である。
• 楽しかったという記憶だけにならないよう、絵本につい
て考える時間や感想などを話し合う時間はしっかり設
けるべきだ。
• 今生きてどの程度使われているものか、遊牧生活が
どのように展開しているのか、消費生活との関連で興
味深い。
• ゲストティーチャーだけの意見にとらわれてしまう。ゲ
ストティーチャーに丸投げではこまる。
• なんの事後教育も行われないようなことにならないよ
うに気をつけねばとも思う。
• 「モンゴルなのにどうしてロシアや中国の文字を使っ
ているのだろう」と児童自身が疑問に持てば、それが
難しくても教師が効果的に発問できれば、より深い学
びにつなげることができると思う。
失敗を恐れて子どもと関わることをやめてしまえば、結局は机上での学びにと
どまってしまう。それでは意味がない。無関心が一番怖い。関心があれば、無
知を知り、改善することができる。子ども一人一人の課題に気付き、関心をも
ち、解決するために働きかける教師が求められているのではないか。
「無関心が一番怖い」
– 必ずしも「知識がある=うまく対応できる」ではない
のではないか?
– うまく対応するためには経験も必要。
– 実際に子どもと関わる勇気が必要。
– 自分の知識不足を痛感した、という声が多数。
「無知が怖い」
授業後のふり返りで
• 先行実践
• 博学連携とは?
• 校外学習とは?
• 国際理解教育とは?
Ⅱ テキスト講読
『学校と博物館でつくる国際理解教育』
69
・ (中国語を話している)この子たちと楽しい時間を過ごすこ
とができるのか、笑顔で向き合うことができるのか、不安なこ
とがたくさん浮かんだ。誰かの力を借りないとコミュニケー
ションもはかれないと思い、自分からすすんで声をかけること
ができなかった。(昼食後に)一人で遊んでいる弟をみかけ、
ふいに追いかけてみたら、自然と鬼ごっこが始まった。ここ
で、コミュニケーションをとるためには、言葉だけで行うので
はなく体のふれあいや表現だけでも十分通じ合えることが実
感できた。
・ やっぱり教師はすごい。たとえ言葉が伝わらなくても、児
童を笑顔にするコメント、興味をひかせるゲームを行って交
流しており、私ももっとこのような現場で学んでいきたい。
・ みんな日本人の小学生と何ら変わらない流暢な日本語
で、身構えていった私は拍子抜けしてしまった。見た目や
ルーツがあるというだけで、変に特別扱いしてはいけない。
ルーツが中国だから「中国について知っているでしょう?」
「中国語話してよ」という軽はずみな発言で、児童が「できな
い」という思いをさせるのはこちらの理解不足だ。さらに、自
分自身も日本のことをさほど知っているわけではないと痛感
させられた。
• (在日外国人の)子どもたちは、伝えたいことが
たくさんある。それを表現する場を与えてあげる
ことが大切なのだと感じた。
• 差別されている子どもたちを無視せず、いつでも
相談に来られるような環境づくりをしておられ
た。そうすることで、子ども達は「自分の居場所
は少なくてもここにはある」と感じることができ
る。これは外国人生徒に対してだけでなくて、す
べての生徒にするべきことだと思った。
• なぜ差別されるのか、差別されることでどんなこ
とが起こるのか、差別されている人の気持ちは
どうなのか、教師が知らなくては子どもたちに伝
えることは難しい。
世界のゲーム・
遊び
パーティー
• 中国の子どもが非常に元気に発言していたのが印象に残っ
た。私は異国で自分の言葉を堂々と発言するという経験をした
ことがないのでわからないが、子どもたちはうれしいという気持
ちだったのだろうか。私はうれしいだけでは表現できないような
感情があったのだと思う。
• 中国語で動物の名前を答える際、一斉に大きな声で答える姿
は数時間前とは大違いであった。聞いた話では、ふだんの学
校ではおとなしめな児童が多いようだったが、このフォーラム
では本来の自分を出せていたようだ。
• 戦争や国際問題についてどう児童に説明すればいいのか。私
が小学校教員になった時、社会の授業どうしよう・・・というの
が率直な感想だ。誤解のないように、傷つけないように、事実
だけを述べる授業ができるのだろうか、そして、そんな授業が
したいのか。「ひいおじいちゃんは戦争で亡くなった」とその児
童はケロッとした顔で言ったが、正直私は泣きそうだった。この
場で具体的な意見を出すことはできないが、知らなくてはいけ
ないことが増えたのは確かだった。
• 外国籍の児童は、他の児童と同じだけど、違っている。まずは
そういう意識をもつことが大切ではないだろうか。どう接するの
が正解かはわからないが、それも他の日本人の児童と接する
時でも同じことだ。一人一人と向き合うしかないと思う。
自己紹介
≪目的≫
「外国にルーツをもつ子ども」と出会い、関わる。
奈良県外国人教育研究会の教師達の活動に触れ、
参加する。
立食
Ⅳ 「なら子ども国際フォーラム」への参加
70
授業に使えそう
– 手続き、事前準備
– 安全確保:点呼、移動、トイレ
– ルール・マナーの遵守:時間、公共交通、見学
• 遠足を実施するための指導技術
– 異文化への気づきのためのハシゴづくり
– 寛容性の育て方
– 3Fからの脱却
• 国際理解教育の理念や方法
理念と技術の両立をめざして
これが
ゲルか!
先行事例→各自で指導案→グループ検討(3回)
→「遠足」(午前:館内見学→昼・レク→午後:班討議・発表)
課題 「奈良市立小学校で国立民族学博物館への遠足を計画する」
Ⅴ 国立民族学博物館遠足
人、もの、場
•
•
•
•
異文化間のハーモニーと不協和音
3Fからの脱却
教育技術と理論的支柱の両立
「異文化間能力」や学修成果の測り方
モンゴル人―中国人、内モンゴル―外モンゴル、外国人―
日本人、差別―被差別、過去―現在、祭り―日常、普遍―
特殊
• 異文化間の折衝の体験 (→境界線の揺らぎ)
• 異文化との出合いの場の設定
所
• 活動: 民博見学(ワーク
シートを使ってスケッチ)→
PC/図書館での調べ学習
→PPTで発表
• 目標: 国・地域ごとの儀礼
の特徴を知り、文化の違い
を感じ、その違いを受け入
れられるような寛容な態度
を育てる。
• 小6
世界の儀礼
まとめ
さまざまな結婚
• 小6
• 目標: 異文化間教での結
婚のかたちを知る。自分に
とっての文化に対する当た
り前や正しいという偏見を
なくす。
• 活動: 民博遠足→班での
新聞づくり
• 文化の違いの大切さや良さ
を伝える。
民博遠足指導案
71
○ 異文化間能力の評価
(「構成主義的な学習」の評価方法・観点・規準・基準)
○ 異文化間能力規準
(児童・生徒・教員のそれが設定可能か)
ディスカッション
2016年3月19日(土) 13:00~17:00
第2回
「グローバル人材」に求められる異文化間能力
―教員養成から学校教育へ―
奈良教育大学 国際交流留学センター主催 シンポジウム
「教員養成大学におけるグローバル人材育成を考える」
○ 異文化間能力育成のためのカリキュラム開発の可能性
(学習指導要領との関係,大学教員養成課程における
位置づけなど)
○ 異文化間能力育成のための教育技術・理論的支柱
(大学教員の授業も含む)
ディスカッション
13:00
開会挨拶
13:10-14:10 講演 佐藤郡衛氏(目白大学学長)
14:10-14:40 質疑応答
14:40-14:55 休憩
14:55-15:25 実践報告①
「ESDの視点に基づいた道徳性育成の授業実践」
15:25-15:55 実践報告②「『異文化間能力』を育む教員養成
-博物館における校外学習をめぐってー」
15:55-16:55 佐藤先生よりコメント、フロアとのディスカッション
16:55-17:00 閉会挨拶
【本日の流れ】
72
○ 異文化間能力育成のための教育実践における
「価値観」の位置づけ
ディスカッション
★アンケートをご記入の上、出口の「アンケート回収
BOX」に入れてお帰りください。
ご参加ありがとうございました。
▼参加者コメント
○「異文間能力」は幅広くとらえ方があり、自分の中ではまだ整理がつかずにいます。小嶋先生
の実践は、とても壮大で、一貫してやさしさが流れているような感じがしました。
渋谷先生の発表で、一番印象に残ったのが、
「みんぱっく」を用いた授業を批判的に振り返ると
いう部分です。今、私も国際教育や開発教育を実践として行っていますが、それを批判的にふ
り返り、改善していく。また、そういう視点は、自分にもつきつけられました。ゲストティー
チャーを招いての学習は、私もやってみて、とても意義のあるものだと思っています。日系ブ
ラジル人の方をお招きしましたが、そこに至るまでに文化や歴史、アイデンティティのゆらぎ
を学習したのちのゲストティーチャーの話だったので、効果的でした。担当教員とゲストティ
ーチャーの事前の密な打ち合わせや交流は本当に大切だと思いました。
一流の先生方のご意見を多く聞けたことができて刺激的でした。ありがとうございました。
○本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。私自身、外国人児童の日本
語教育に関わっておりますが、本日の講義の中で「
『文化』は外国の文化や国際交流といったこ
とだけを指すのか。障害を持つ人々などのことも含めるのか」といった話があり、大変興味深
かったです。日本人児童、外国人児童にかかわらず、子どもたちが様々な背景を持つ人々を理
解し、受け入れられるような教育を考えていきたいと思いました。
また、本日、
「多様な文化、言語的背景を持つ学生の編入学の奨励」という話がありましたが、
渡日、日本生まれの外国人児童生徒が自らを発揮できるように、受け入れ枠がもっと拡大され
ることを願います。
○関西でこのようなシンポジウムが開かれる機会が少ないため、よかったと思う。貴重な話を聞
くことができて、とても勉強になったし、いろいろな指摘、考え、活動を知ることができた。
最初、4 時間は長いと思ったけど、興味深い内容だったため、その時間でよかったと思います。
○留学生の受け入れに関わる者として、グローバル人材育成には相応の関心を持っていましたが、
今日は、何にも増して、小嶋先生の教育実践の深さに圧倒され、中二の息子を転入させたい(笑)
と思いました。
○学校教育の制度上のことについての話が多くなるのはシンポジウムの性質上仕方がないとは
思いますが、もう少し詳しく「個人として出来ること」
「社会としてできること」
「教育現場と
してできること」など『異文化間能力』を育んでいくために必要なことについて詳しく知りた
かったです。
○グローバル人材の育成が強く求められる今日、それを育てる教員自体がどのようにすればグロ
ーバルになれるのか行政の力も借りて、一日も早く確たる政策の確立が求められる。関係者のベ
クトルがあうことを期待しております。
73
74
平成 27 年度学長裁量経費プロジェクト
教員養成大学における「グローバル人材」育成のためのカリキュラムに関する総合的研究
奈良教育大学 国際交流留学センター主催 シンポジウム
「教員養成大学におけるグローバル人材育成を考える」報告書
平成 28 年 3 月
国立大学法人 奈良教育大学国際交流留学センター
〒 630-8528 奈良市高畑町
国際交流留学センター
TEL・FAX 0742-27-9177
電子メール
[email protected]
URL
http://cies.nara-edu.ac.jp/
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