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東日本大震災 3.11 の記憶
特集 東日本大震災 3.11 の記憶 被災地からの報告 有限会社 石山建築研究所 石山 良一 (山形地区) 3.11に山形の自社事務所で被災しました。今まで経験したことの無い長く大きな 揺れは、只事ではない事を物語っていました。唯一見えるワンセグの画面からは、 太平洋側の信じられない津波を報道しています。電気も戻る気配が無く、家族の安 否を気にしながら社員は全員帰宅。その後、長く暗くて寒い夜を過ごしたのは皆さ んも同じことと思います。 3.12朝に仙台に入り、「避難所に行く」とたった一度繋がった携帯で伝えてきた 仙台に住む娘を探しました。コンビニには長蛇の列、避難所の体育館は、被災した 人達でいっぱいになっていました。方々探したあげく娘は無事連れ戻しました。そ の途中で見た仙台市青葉区近辺での道路の陥没やマンション壁のせん断破壊、ブ ロック塀の転倒など、震度6強の地震の大きさに眼を見張るばかりでした。 ただ、今回の地震では木造建物に比べて、鉄骨や鉄筋コンクリートの中層以上の 大きな建物で、2階~4階辺りにせん断の大きなひび割れが出来ていたり、外壁が 落下していたり、PH階が転倒していたり、比較的大きな建物に被害が多く見られ たことに特徴を感じました。 大きな建物の周囲に起きた陥没(仙台市青葉区) 5.09~5.19まで、被災度調査の協力要請に早くから応じて頂いていた10人の山形の方に御協力を頂き, 若林区卸町 の被災度判定を行いました。沿岸地域被災作業員の宿泊等で、仙台近辺の宿泊場所の確保が難しく、山形の方は、連 日現地まで通って頂きました。 若林区卸町は、昭和40年代に造られた流通団地で、昭和53年の宮城沖地震を経験した建物も多く存在していまし た。同地区の被害は予想以上に甚大でした。倒壊した鉄筋コンクリートの建物も数棟有り、ブレースの破断で入れな い建物や液状化で傾いた建物、外壁やガラスの落下など、津波の被害情報の裏に隠れて、多くの建物が問題を抱え、 改修の順番を待っている状況でした。 初期の応急危険度判定では、建物外部からの損傷により、判定が成されて居た為に現状との違いがある場合も見受 けられました。その現状との違いの解消、診断されていない内部の危険個所を早急に判断し、持ち主に知らせるこ と。又、地域や建物によっての地震の傾向をまとめることが今回の大きなミッションとなりました。 震災で変形したブレース(仙台市若林区) 雑壁のせん断破壊(仙台市若林区) 液状化により傾いた建物(仙台市若林区) PH階の転倒(仙台市若林区) 柱のせん断破壊(仙台市若林区) 山形の方でも応急危険度判定に向う準備は早々に出来ていましたが、繋がらない 電話とガソリン調達が難しい事、交通機関の混雑などの問題点から派遣は見合され ました。宮城県における初期の応急危険度判定は各市職員と事務所協会会員、建築 士会会員、JSCA宮城の会員などで行われました。勿論、宮城の各会会員の方々は 全員被災者です。自宅や自社事務所の片付も早々に応急危険度判定に向かわれたと のことです。手伝えないもどかしさを感じながら刻々と時間は過ぎて行きました。 甚大な被害と被災者自身が応急危険度判定をすると言う状況から、宮城の方でも 統一した動きの判定依頼が出来ずにしばらく混乱したのも事実です。又、沿岸部で は、津波被害の建物数が、構造判定を要する震災被害の建物数を大きく上回ってい たことから応急危険度判定と言う作業に入れなかった地域が多かったことも統一し た動きが出来なかった大きな要因のひとつでもあるようです。 4 たより 壁のせん断破壊(仙台市若林区) 一日当たり1チーム2人で4~5棟の割合での建物調査で、全体合計、二百数十棟の調査が行われました。 調査票の記載、傾斜確認、危険個所の確認と写真撮影、概略平面のまとめなどで調査作業には、想像以上に時間を 要しました。 又、持主からのヒアリングも重要なポイントで、震災時の状況や改修状況を聞くことによって、隠れた場所での損 傷が見つかることも在りました。ただ、持主の「もう少し早く来てくれれば良かった。」と言う言葉には、只々、謝 るばかりでした。 4.07 度重なる余震で予想はしていたものの今までで最大の余震。又もや停電。 この時点でも山形は応急危険度判定に向える準備は出来ていましたが、宮城県側 で受入れる体制が出来ていないと言う理由でまたもや救援は見合わせとなりまし た。 ブレースの破断(仙台市若林区) 現在でも、宮城の構造設計者は、被災度調査依頼や補強改修で休まる暇が在りません。 国の被災市街地復興推進地域の決定の動きに伴い、むしろ最近になって、改修なのか、補強なのか、建替えなのか の動きが本格化して、忙しくなっている状況の様です。 本当の意味での復興にはまだまだ時間が掛かりそうですが、私達は、これからも出来る限りの支援をしていくつも りです。今回の経験を基に初期支援体制の強化と充実が大きな課題と思われます。 津波に流された車の残骸(多賀城市) 津波による瓦礫(仙台港付近) たより 5 特集 東日本大震災 3.11 の記憶 被災地からの報告 有限会社 石山建築研究所 石山 良一 (山形地区) 3.11に山形の自社事務所で被災しました。今まで経験したことの無い長く大きな 揺れは、只事ではない事を物語っていました。唯一見えるワンセグの画面からは、 太平洋側の信じられない津波を報道しています。電気も戻る気配が無く、家族の安 否を気にしながら社員は全員帰宅。その後、長く暗くて寒い夜を過ごしたのは皆さ んも同じことと思います。 3.12朝に仙台に入り、「避難所に行く」とたった一度繋がった携帯で伝えてきた 仙台に住む娘を探しました。コンビニには長蛇の列、避難所の体育館は、被災した 人達でいっぱいになっていました。方々探したあげく娘は無事連れ戻しました。そ の途中で見た仙台市青葉区近辺での道路の陥没やマンション壁のせん断破壊、ブ ロック塀の転倒など、震度6強の地震の大きさに眼を見張るばかりでした。 ただ、今回の地震では木造建物に比べて、鉄骨や鉄筋コンクリートの中層以上の 大きな建物で、2階~4階辺りにせん断の大きなひび割れが出来ていたり、外壁が 落下していたり、PH階が転倒していたり、比較的大きな建物に被害が多く見られ たことに特徴を感じました。 大きな建物の周囲に起きた陥没(仙台市青葉区) 5.09~5.19まで、被災度調査の協力要請に早くから応じて頂いていた10人の山形の方に御協力を頂き, 若林区卸町 の被災度判定を行いました。沿岸地域被災作業員の宿泊等で、仙台近辺の宿泊場所の確保が難しく、山形の方は、連 日現地まで通って頂きました。 若林区卸町は、昭和40年代に造られた流通団地で、昭和53年の宮城沖地震を経験した建物も多く存在していまし た。同地区の被害は予想以上に甚大でした。倒壊した鉄筋コンクリートの建物も数棟有り、ブレースの破断で入れな い建物や液状化で傾いた建物、外壁やガラスの落下など、津波の被害情報の裏に隠れて、多くの建物が問題を抱え、 改修の順番を待っている状況でした。 初期の応急危険度判定では、建物外部からの損傷により、判定が成されて居た為に現状との違いがある場合も見受 けられました。その現状との違いの解消、診断されていない内部の危険個所を早急に判断し、持ち主に知らせるこ と。又、地域や建物によっての地震の傾向をまとめることが今回の大きなミッションとなりました。 震災で変形したブレース(仙台市若林区) 雑壁のせん断破壊(仙台市若林区) 液状化により傾いた建物(仙台市若林区) PH階の転倒(仙台市若林区) 柱のせん断破壊(仙台市若林区) 山形の方でも応急危険度判定に向う準備は早々に出来ていましたが、繋がらない 電話とガソリン調達が難しい事、交通機関の混雑などの問題点から派遣は見合され ました。宮城県における初期の応急危険度判定は各市職員と事務所協会会員、建築 士会会員、JSCA宮城の会員などで行われました。勿論、宮城の各会会員の方々は 全員被災者です。自宅や自社事務所の片付も早々に応急危険度判定に向かわれたと のことです。手伝えないもどかしさを感じながら刻々と時間は過ぎて行きました。 甚大な被害と被災者自身が応急危険度判定をすると言う状況から、宮城の方でも 統一した動きの判定依頼が出来ずにしばらく混乱したのも事実です。又、沿岸部で は、津波被害の建物数が、構造判定を要する震災被害の建物数を大きく上回ってい たことから応急危険度判定と言う作業に入れなかった地域が多かったことも統一し た動きが出来なかった大きな要因のひとつでもあるようです。 4 たより 壁のせん断破壊(仙台市若林区) 一日当たり1チーム2人で4~5棟の割合での建物調査で、全体合計、二百数十棟の調査が行われました。 調査票の記載、傾斜確認、危険個所の確認と写真撮影、概略平面のまとめなどで調査作業には、想像以上に時間を 要しました。 又、持主からのヒアリングも重要なポイントで、震災時の状況や改修状況を聞くことによって、隠れた場所での損 傷が見つかることも在りました。ただ、持主の「もう少し早く来てくれれば良かった。」と言う言葉には、只々、謝 るばかりでした。 4.07 度重なる余震で予想はしていたものの今までで最大の余震。又もや停電。 この時点でも山形は応急危険度判定に向える準備は出来ていましたが、宮城県側 で受入れる体制が出来ていないと言う理由でまたもや救援は見合わせとなりまし た。 ブレースの破断(仙台市若林区) 現在でも、宮城の構造設計者は、被災度調査依頼や補強改修で休まる暇が在りません。 国の被災市街地復興推進地域の決定の動きに伴い、むしろ最近になって、改修なのか、補強なのか、建替えなのか の動きが本格化して、忙しくなっている状況の様です。 本当の意味での復興にはまだまだ時間が掛かりそうですが、私達は、これからも出来る限りの支援をしていくつも りです。今回の経験を基に初期支援体制の強化と充実が大きな課題と思われます。 津波に流された車の残骸(多賀城市) 津波による瓦礫(仙台港付近) たより 5 特集 東日本大震災 3.11 の記憶 震災による被災建物を復旧・再生 株式会社 たくみ 代表取締役会長 佐藤 卓 (山形地区) この度発生した、3.11の東日本大震災で被害を受けられた皆様に、衷心よりお見舞いを申し上げます と共に一日も早い復興をお祈り致します。 ①「被災住宅」 所 在 地 宮城県遠田郡美里町地内 N邸 構 造 木造平家建住宅土蔵接続 別棟板倉及び薬医門・控鉄骨(後補) 工 期 着工 平成23年5月10日 完成 平成23年11月30日 設計監理 有限会社 都市建築設計集団 代 表 手島 浩之 施 工 株式会社 たくみ仙台営業所 現場担当 菊地 健次 ・「被災程度」 住宅部小屋組下より柱が大きく傾き倒壊寸前。被害判定は「全壊」 。 N邸は明治後期の創建と推定され、小屋梁等に丁斧の痕跡も見られる。基礎は玉石の自然然石に土台 が回り、その上に柱建てと成っていた。軒高は4.3m程、天井も3.6mと高い。L字型の下屋縁側に面し て素晴らしい庭園が広がる。屋根は地場産の天然スレート板葺。玄関・茶の間周りは創建も古く、加 えて被害が大きく解体撤去となった。壁は土塗真壁が破損し、全面取り払った。建具は全て木製で、 内三割程が新補製作と成った。棟続きの土蔵は切石の基礎が回り、不同沈下や大きな破損は見られな い。 8年程前の宮城北部地震で被災された、施主様の親戚が同地区に有り、そのお住いの復旧工事(降幡 建築設計監理)も担当させて頂いた、今回の震災でも無事でした。又、文化財建造物や、古民家再生 の実績等を基に、被害調査と復旧計画を担当されました、都市建築設計集団様の推薦により、この度 の復旧再生工事を担当させて頂いた。 ・「工事の流れ」 設計図書に習って床材の再用材を分別、全て番付けして保存、次に桁、梁、胴差等に H 型鋼を差 込みジャッキアップし、曲がりや、高さを修正、仮筋違いを要所に緊結固定した。基礎は在来玉石を 撤去し、地盤補強を兼ねて住宅部全面を、鉄筋コンクリート造のベタ基礎を打ち。次に破損した柱や 構造材を補強して、使用不可の材料は同材種の新補材に取り替えた。壁面は筋違い材と構造用合板を 併用し耐震補強を行なった。内部真壁は白壁調クロス貼り仕上げ、新補木材は旧材に合わせ古色仕上 げとした。 解体部分の、玄関とダイニング&キッチンは、耐震補強を加えて増築となった。 別棟の板倉は、基礎及び板壁がしっかりして殆ど被害は見られない。又薬医門は幅も高さも大きく、 両開きの扉は八双金物が付き大変立派で、控えの鉄骨(後補)も丈夫で被害は見られない。結びに、 工事の施工については、都市建築設計集団様より何かとご指導賜り、お陰様で事故も無く立派に完成 する事が出来ました。深く感謝を申し上げます。施主様が先祖代々受け継いで来られたお住いを、子 孫に引き渡したいとの強い意向を実現出来ました。当社にとっても貴重な工事を御下命賜り大変光栄 でございます。今後ご家族皆様が末代まで、楽しく安全にお住い頂けますようお祈り申し上げます。 ①「N邸」被災状況 6 たより ①「N邸」完成 ②「被災土蔵」 所 在 地 宮城県名取市増田 地内 株式会社 鶴見屋商店 構 造 木造2階建土蔵。陳列所・倉庫。前面に2m程の下屋が付く、屋根本瓦葺、大棟化 粧瓦積。外壁基礎上2m程が海鼠(なまこ)壁・上部は漆喰壁・軒先周り蛇腹と成 る。1階の架構は全て欅組みで材質は良い、特に2階梁は太い。箪笥階段も素晴ら しい。土間コンクリート鏝押え、2階床木造 内壁は合板仕上げ。 工 期 着工 平成23年10月25日- 完成 平成24年5月31日 設計監理 株式会社 横山芳夫建築設計監理事務所 代表取締役 横山英子 施 工 株式会社 たくみ仙台営業所 現場担当 斉藤邦法 「被災程度」〔壁面〕下屋面に壁面が無く、3 方の壁に過剰な地震力が加わり、全面的に亀裂や浮き、剥れが発 生した。正面左妻 母屋材の腐蝕と蛇腹の加重で軒全体が瓦毎落下した。 〔屋根〕高さ 1.3m 程の大棟化粧瓦が、七割方崩落散乱した為、平瓦も大分破損した。 本屋と下屋の取合部分が破損した。全体的な不同沈下や曲がりは殆ど見られない。 ・「工事の流れ」 設計図書と設計事務所様のご指導と、工事毎の承認を得て施工する。 屋根瓦の破損材を取払い廃棄、新規焼き瓦を至急手配した。工事中の漏水を防ぐ為、屋根面にシート張り養生 する。壁面改修工事や左妻部分の蛇腹軒先改修・軒先瓦修めの為、建物周囲に足場を組みネット張り養生す る。左妻の軒先は、母屋材や屋根下地を新材にて補強し、屋根瓦を乗せ、蛇腹の木型下地を取付ける。 ・「壁面修復」 壁面全体について破損状況を調査し、使用材料や工法な どを選定する。 破損蛇腹については既存部と同型に修復する。内部欅柱腐 蝕に依る沈みは、ジャッキアップの上、欅材にて継木をす る。本屋と下屋の取合いは本屋柱と下屋部に梁材を架け補 強金物にて緊結する。今からが施工の本番になります。 上記が復旧工事の概要です。大変貴重な土蔵建築を、震災 前より頑丈で立派な建物に復旧すべく、当社も安全を最優 先に工期を守り。技術力を結集して取り組んで参ります。 ③「茅葺の家復旧」 所在地 宮城県石巻市河南町地内S邸 ②「㈱鶴見屋商店土蔵」被災状況 構 造 木造平屋建屋茅葺住宅185㎡ この住宅は2003年の宮城県北部地震で被災した。柱が基礎から外れ大きく傾いた。調度品も倒れ網戸も吹っ 飛んだ。ご主人は「もう壊すしかない」しかし、おじいさんは断固反対「茅葺屋根もやっと葺いたばかりこん な柱や梁はもう無い」何とか復原出来ないものか。たまたま茅根屋さんから当社に相談があった。早速綿密に 調査した結果、不同沈下や建家全体が傾き変形していた。しかし胴差や小屋組みはしっかりしていた。破損し た柱を取替え一部を修復し、全体を耐震補強すれば充分住めると判断した。出来るだけ安くとの見積もりも承 認を頂きました。 工事は、小屋組みをジャッキアップし。ベタ基礎の上に土台を回し。破損柱を取替へ建て込み、筋違いと構造 用合板を併用、要所に配置して耐震補強を行なった。工期は約5ヶ月を要した。以来8年経過しました。そし て平成20年6月発生した「岩手・宮城内陸地震」マグニュード7.2の地震や、此の度の東日本大震災にも何事 も無く無事でした。 当社としても、設計・耐震補強・施工技術を発揮出来たと自負しております。 ③「茅葺の家」揚舞状況 ③「茅葺の家」完成 たより 7 特集 東日本大震災 3.11 の記憶 震災による被災建物を復旧・再生 株式会社 たくみ 代表取締役会長 佐藤 卓 (山形地区) この度発生した、3.11の東日本大震災で被害を受けられた皆様に、衷心よりお見舞いを申し上げます と共に一日も早い復興をお祈り致します。 ①「被災住宅」 所 在 地 宮城県遠田郡美里町地内 N邸 構 造 木造平家建住宅土蔵接続 別棟板倉及び薬医門・控鉄骨(後補) 工 期 着工 平成23年5月10日 完成 平成23年11月30日 設計監理 有限会社 都市建築設計集団 代 表 手島 浩之 施 工 株式会社 たくみ仙台営業所 現場担当 菊地 健次 ・「被災程度」 住宅部小屋組下より柱が大きく傾き倒壊寸前。被害判定は「全壊」 。 N邸は明治後期の創建と推定され、小屋梁等に丁斧の痕跡も見られる。基礎は玉石の自然然石に土台 が回り、その上に柱建てと成っていた。軒高は4.3m程、天井も3.6mと高い。L字型の下屋縁側に面し て素晴らしい庭園が広がる。屋根は地場産の天然スレート板葺。玄関・茶の間周りは創建も古く、加 えて被害が大きく解体撤去となった。壁は土塗真壁が破損し、全面取り払った。建具は全て木製で、 内三割程が新補製作と成った。棟続きの土蔵は切石の基礎が回り、不同沈下や大きな破損は見られな い。 8年程前の宮城北部地震で被災された、施主様の親戚が同地区に有り、そのお住いの復旧工事(降幡 建築設計監理)も担当させて頂いた、今回の震災でも無事でした。又、文化財建造物や、古民家再生 の実績等を基に、被害調査と復旧計画を担当されました、都市建築設計集団様の推薦により、この度 の復旧再生工事を担当させて頂いた。 ・「工事の流れ」 設計図書に習って床材の再用材を分別、全て番付けして保存、次に桁、梁、胴差等に H 型鋼を差 込みジャッキアップし、曲がりや、高さを修正、仮筋違いを要所に緊結固定した。基礎は在来玉石を 撤去し、地盤補強を兼ねて住宅部全面を、鉄筋コンクリート造のベタ基礎を打ち。次に破損した柱や 構造材を補強して、使用不可の材料は同材種の新補材に取り替えた。壁面は筋違い材と構造用合板を 併用し耐震補強を行なった。内部真壁は白壁調クロス貼り仕上げ、新補木材は旧材に合わせ古色仕上 げとした。 解体部分の、玄関とダイニング&キッチンは、耐震補強を加えて増築となった。 別棟の板倉は、基礎及び板壁がしっかりして殆ど被害は見られない。又薬医門は幅も高さも大きく、 両開きの扉は八双金物が付き大変立派で、控えの鉄骨(後補)も丈夫で被害は見られない。結びに、 工事の施工については、都市建築設計集団様より何かとご指導賜り、お陰様で事故も無く立派に完成 する事が出来ました。深く感謝を申し上げます。施主様が先祖代々受け継いで来られたお住いを、子 孫に引き渡したいとの強い意向を実現出来ました。当社にとっても貴重な工事を御下命賜り大変光栄 でございます。今後ご家族皆様が末代まで、楽しく安全にお住い頂けますようお祈り申し上げます。 ①「N邸」被災状況 6 たより ①「N邸」完成 ②「被災土蔵」 所 在 地 宮城県名取市増田 地内 株式会社 鶴見屋商店 構 造 木造2階建土蔵。陳列所・倉庫。前面に2m程の下屋が付く、屋根本瓦葺、大棟化 粧瓦積。外壁基礎上2m程が海鼠(なまこ)壁・上部は漆喰壁・軒先周り蛇腹と成 る。1階の架構は全て欅組みで材質は良い、特に2階梁は太い。箪笥階段も素晴ら しい。土間コンクリート鏝押え、2階床木造 内壁は合板仕上げ。 工 期 着工 平成23年10月25日- 完成 平成24年5月31日 設計監理 株式会社 横山芳夫建築設計監理事務所 代表取締役 横山英子 施 工 株式会社 たくみ仙台営業所 現場担当 斉藤邦法 「被災程度」〔壁面〕下屋面に壁面が無く、3 方の壁に過剰な地震力が加わり、全面的に亀裂や浮き、剥れが発 生した。正面左妻 母屋材の腐蝕と蛇腹の加重で軒全体が瓦毎落下した。 〔屋根〕高さ 1.3m 程の大棟化粧瓦が、七割方崩落散乱した為、平瓦も大分破損した。 本屋と下屋の取合部分が破損した。全体的な不同沈下や曲がりは殆ど見られない。 ・「工事の流れ」 設計図書と設計事務所様のご指導と、工事毎の承認を得て施工する。 屋根瓦の破損材を取払い廃棄、新規焼き瓦を至急手配した。工事中の漏水を防ぐ為、屋根面にシート張り養生 する。壁面改修工事や左妻部分の蛇腹軒先改修・軒先瓦修めの為、建物周囲に足場を組みネット張り養生す る。左妻の軒先は、母屋材や屋根下地を新材にて補強し、屋根瓦を乗せ、蛇腹の木型下地を取付ける。 ・「壁面修復」 壁面全体について破損状況を調査し、使用材料や工法な どを選定する。 破損蛇腹については既存部と同型に修復する。内部欅柱腐 蝕に依る沈みは、ジャッキアップの上、欅材にて継木をす る。本屋と下屋の取合いは本屋柱と下屋部に梁材を架け補 強金物にて緊結する。今からが施工の本番になります。 上記が復旧工事の概要です。大変貴重な土蔵建築を、震災 前より頑丈で立派な建物に復旧すべく、当社も安全を最優 先に工期を守り。技術力を結集して取り組んで参ります。 ③「茅葺の家復旧」 所在地 宮城県石巻市河南町地内S邸 ②「㈱鶴見屋商店土蔵」被災状況 構 造 木造平屋建屋茅葺住宅185㎡ この住宅は2003年の宮城県北部地震で被災した。柱が基礎から外れ大きく傾いた。調度品も倒れ網戸も吹っ 飛んだ。ご主人は「もう壊すしかない」しかし、おじいさんは断固反対「茅葺屋根もやっと葺いたばかりこん な柱や梁はもう無い」何とか復原出来ないものか。たまたま茅根屋さんから当社に相談があった。早速綿密に 調査した結果、不同沈下や建家全体が傾き変形していた。しかし胴差や小屋組みはしっかりしていた。破損し た柱を取替え一部を修復し、全体を耐震補強すれば充分住めると判断した。出来るだけ安くとの見積もりも承 認を頂きました。 工事は、小屋組みをジャッキアップし。ベタ基礎の上に土台を回し。破損柱を取替へ建て込み、筋違いと構造 用合板を併用、要所に配置して耐震補強を行なった。工期は約5ヶ月を要した。以来8年経過しました。そし て平成20年6月発生した「岩手・宮城内陸地震」マグニュード7.2の地震や、此の度の東日本大震災にも何事 も無く無事でした。 当社としても、設計・耐震補強・施工技術を発揮出来たと自負しております。 ③「茅葺の家」揚舞状況 ③「茅葺の家」完成 たより 7