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2013年10月発行 第39号
! 第 号 Mudskippers 年(平成 年) 月発行 新 任 教 授 挨 拶 にをたく現新陰や正 た成 病校基 でうなをらと部るを子人ま各の手︵ 実︻ しど専て助た学 し 年 つとい押れい長こ使︶科っ県大術以就立行この場生切り常 で 礎 私 践助まう心母産し医本 、院 り 産 まに かすこすまうがとっ分だてそ家︵下職ちうと経で児開甲分 受教は︼ すかす子学ま学年 師。よる保のし部 のけ育、 わると﹂しこ、 もて娩けいしで子、先まよは験身蘇縫斐娩件のしは よ と れこをはたとく上赤やでまて、宮部のしう、をに生合がは近年た ろ所健教た看月 年まは看 し まと強、。ば﹁手ち鉗なし本患広長産たに後さ着法、あ助く間。、件間し赤護 し存の育。護 ! て 前 者汎︶ 。なにせけな乳り産あ 助 す"引 た十師 一を横でゃ子くた くで一、母学日 婦 州 道 の 分産 後分。字と さ全は っ助てまど腺ま師 がとに 般口車しんと、 おご層研子科付 。 骨 り か 人 臨 で娩就の助 ん摘子 て産いしの炎しに 、い押理ににのたをい盤部 願ざの究看にで 娩師 ま 件、 床 大師たた技のた任 こうしの﹁し勧。産う位長らが出宮科 職専産 いい向を護着佐 数 数 で 変教だ。術処。さし 人を昭 こ意通合横てめそま器︵はも九術が部 し門師 いま上通学任賀 役育い多も置会れたはあ達和はた学の で味そわ車お﹂のせ械逆婦集州︶ん長 の たすにじ・い大 、 、。 。 ︻ か ワ い を ﹁ か い よ ら け し 部 想 す が 考 し 無 の よ た 心り年 めと人意い 入 会 し 看 ひ て し さ い か 者 母 た 教 母 のまた助大 しいい護とくれいて﹂が親血﹂ ーの看なでそかうえずて長をこあえて意こう。てばと味う ﹁ 学 授 子 医しっ産へて分分方つだまといな検由液なをか護ぜ私のとに、、もは得とり方そ識とと私いに違は﹁ ﹂者、はよ思促立発非、るかまがれのとすたる耳うあ横 療たた師のい娩娩法答させ感たど査来が 看 浴 ﹁ ﹂。とと進き、スのえるんじととしの新ぜびなが安実ういしち想常横こらすでにう思るちのをこり車 護 とまきし学ま助タ改を方がた思先ても生、てぜ決静践なまて止転識車とし。き縛ちいとはだ傾とまの 学 め や に 職 す い ま 換 な を は か 思 な ら に 込 き 、 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For a certainty, it is also a big progress in medical history. In these two weeks, the most impressive course was that we went to Oda Hospital on July 4. In the hospital, everyone was so friendly. Although their English communicating ability is not very well, they tried their best to talk and introduce the facilities in the hospital. It was courageous. After that, we went to Yuai Village. It was a beautiful village for taking care of elderly people, and I have never seen so large place and so many facilities. Some people can go home every day, and some people have to live in the village for a long time. It depends on their physical status and mental status. Just like Japan, there are more and more elderly people in Taiwan, so taking care of them be- comes more and more important now. This time, I am so happy that we can see how the village works, and what the difference in taking care of elder between Taiwan and Japan. It was a good chance. After the Yuai Village, we went to Old Medical Books Museum, Yutoku Shrine, and Oda family s tea room to experience the Japanese culture. It was amazing that we could go into the Yutoku Shrine to see the praying-ceremony for us. I was touched beyond words. Besides Yutoku Shrine, a tea ceremony in Oda family s tea room was also an impressive thing. Although it was so complicated and you have to wait for a long time just to prepare one bowl of tea, however, it attracted me not only because of the graceful posture and movement, but also because of the thought― all for the guest . On July 10 afternoon, we and the Hawaii students demonstrated our PBL for the third grade of medical students. It was my first time PBL in English. I was so nervous because my English speaking ability was not so well, and all the students just looked at us. Although we didn t have enough time to finish it, we tried our best to demonstrate the spirit of it. I hope the 3rd 佐賀大学医学部の 国際交流・交換留学生の声 第 号 ! grade students could learn something from it. There were still many fun experiences in this exchange program, just like riding the Segway in Emergency, trying endoscope on simulator, and having the medical English lesson with the 3rd grade students. After the course in the hospital, we also joined the club of badminton and Japanese archery with Saga students. I am happy that we can make so many friends, not only Japanese and Hawaii students but also many professors and doctors. I was so lucky to have this chance to go to Saga University for this exchange program. I learned a lot from it. And I appreciate, sincerely, all the professors, doctors and students I met in Saga. Everyone was so kind and friendly. I will always remember all things in this program. Thank everyone!!! IFMSA 定例交換留学 本年 月、スウェーデンの Umea University から Andréas Forsblad さん、スペインの University of Cantabria から Marina Serrano Fernández さんの 名を IFMSA 交換留学生として受け入れました。諸先生方の御協力のもと、Andréas さんは精 神科と眼科で、Marina さんは胸部外科と整形外科で合計 週間の病院実習を行いました。 IFMSA って何だろう? Andréas さん Marina さん International Federation of Medical Students Associations の略で、日本語名は国際医学生連盟です。 年に設立され、 WMA(世界医師会)・WHO(世界保健機関)によって、公式に医学生を代表する国際フォーラムとして認められ、ECOSOC (国連経済社会理事会)の会員資格をもつ非営利・非政治の国連 NGO です。現在 ヶ国以上が加盟し、 万人以上の医学 生を代表する団体で、本部をフランスの世界医師会内に置いています。IFMSA には公衆衛生、エイズと生殖医療、難民、医 学教育、臨床交換留学、基礎交換留学の つの常設委員会があり、さまざまなプロジェクト・ワークショップを世界各国で運 営しています。 現在 IFMSA 日本支部は、全国の医学部 校の団体会員及び 人を超える個人会員によって構成され、各大学のご協力の もと、年間 名を、私たち学生による運営で交換留学に送り出しています。また、非営利・非政治の原則のもと、子供を通じ た健康増進プロジェクト・禁煙啓発活動・放課後性教育プロジェクト・在日難民との交流会参加などの国内活動や、サマース クール・難民キャンプでのスタディーツアーなど、様々な国際活動も行なっています。 (医学科 年・IFMSA-SAGA 代表 杉野絢子) My Saga keys. The extreme safety and honesty is one thing that really For a really long time I had been inter- makes me jealous of Japan. Twice I forgot my iPhone and when ested in visiting your country as every All of a sudden I was there. Far, far I ran back to find it, I blessed the righteousness of the people in single text I had read and picture I away from home. In Japan, Saga-shi Japan. In Sweden even if you forget a mobile charger someone had seen of Japan was really attrac- will take it after 5 minutes. tive and different from what we have (佐賀市) , 08:00 outside locker room at here in Spain. This interest in your an- Saga University Hospital waiting for Ayako, LEO for IFMSA and my Japa- In psychiatry of course the medication were quite similar to the cient culture together with the ad- nese protector, to show me to the psy- one we use in Sweden, but one thing that surprised me was vanced technology and medicine de- chiatry department where I had cho- that the way the doctors talk to the patients resembled very veloped in Japan is what brought me sen to be for my first two weeks of much how the doctors do in Sweden, the intonation, the body to apply for Japan as my IFMSA pro- clerkship. I was nervous. So many new and unknown things. I language etc. The reason for psychiatric problems was some- fessional programme for the past July. didn t even know how to distinguish a Japanese last name from times very different. We don t have so many depressed house first name. If I was lucky to even remember these for me wives caused by trouble with their mother in law. The simple I arrived in Saga from Spain after two days of trains and planes, strange names at all. How would I find my way in the hospital? reason is that they never live together in Sweden. Also the and now I can say it has been one of the most enriching experi- Everything was just written in Japanese. fright of tsunami and earthquakes are very low in Sweden. ences in my life, both, as a medical student and as a person. What should I expect? Strict Professors asking me impossible The two last weeks I spent in ophthalmology department and I could spend there a wonderful month, two weeks in Car- questions, students with thick glasses that just read hentai one of the best things was when we had the cataract surgery diothoracic Surgery department and two others in Orthopedics manga or worst of all that no one would care about me at all. on pig eyes. It was incredibly interesting to get a chance how it department. During that month I leart a lot about the Japanese is to be a surgeon. National Health System and also about how Japanese students work hard to be doctors. All my anxiety was unnecessary. Professor Monji smiled and welcomed me warmly to Saga. I handed over my gift, remem- Ohh yeah one last thing. I got really surprised when a doctor at bered to bow 15 degrees, and receive professors meishi(名刺) Hizen once bought everyone soda drinks. This made me really On the other hand, all the doctors and students try to make me with both hands in the bottom corners and say Arigato gozai- happy and it felt like we as students were appreciated. feel like home, always translating from Japanese to English so masu . I had a wonderful time in Saga and I will always be grateful to that I could follow the procedures during the day and trying to all the professors, doctors, students explain me as many things about Japanese culture as possible. The Japanese students were also very helpful. Showing me and everyone else who made my visit around, explaining everything from the functionality of the ex- to such a great experience. I hope in I really enjoyed my stay in Saga Medical School Hospital and I tra buttons on the toilettes to the importance of taking off my the near future I will have the possibil- would like to thank you this great opportunity that your Uni- shoes before entering the tatami. ity and come back to do research in versity offered to me. It has been a pleasure to meet such how to reduce anxiety with shiatsu. charming and helpful people that now I can consider them my friends. There were no huge culture shocks, but I was surprised that you were not supposed to have beard or color your hair if you Thank you! See you soon! Arigato go- were a doctor. Some things are much better in Japan for exam- zaimasu! ple that you don t / Andréas Forsblad shout and try to be calm and quiet in medical library at My clerkship in Saga Medical School Hospital my university some- My name is Marina Serrano Fernández and I m a student in the times it sounds like Faculty of Medicine of the University of Cantabria, Spain. the hospital. In the a house full of mon- Yours sincerely, Marina Serrano Fernández. ! 第 Mudskippers 号 年(平成 年) 月発行 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 佐賀大学医学部の国際交流・交換留学生の声 新たな提携校、台湾・輔仁(フジェン)カトリック大學 毎年 月、国際交流協定を結ぶハワイ大学医学部から 交換留学生を受け入れていますが、本年より新たに台 湾・輔仁カトリック大學とも交流協定を締結し、 を終えた 年次 名の留学生を初めて受け入れました。輔仁カ トリック大學は台湾北部の新北市に位置し、 の学部、 , 人の学生を擁する総合大学です。 今回の訪問では、本学医学科 年次カリキュラムの一 環である PBL のデモンストレーションにもハワイ大学 の学生さんと共に御協力いただきました。その時の緊張 した様子が感想文の中にもうかがえます。 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! I could say about my great experience, but words just can t express how amazing I feel. What I am sure is this experience will make me a better person and have a big impact to my future life. Summer Exchange Program Report Cheng Hung-Chih (Frank) I never have the experience of being exchange student before, so I am glad to have the chance to study in Saga Medical School as an exchange student. Despite Saga being called country-side, there are many cultural assets that describe true Japanese culture and people in Saga are very enthusiastic about international exchange. Everyone is kind and friendly. I also want to learn Japanese, so it is a good chance for me to practice my Japanese. In this program, we visited many departments, hospitals, and clinics to observe and emulate. In every department, there were some doctors to introduce the environment and clinical works of the department for us. In addition, we participated in the meeting to discuss the inpatients condition with the attending doctors and student doctors. When we made the rounds of the wards, the doctor will let us know the patient s condition and something we need to take notice before we go to see the patients. If available, we also did physical examination for patients. After we made the rounds of the wards, we still discussed more detail about the pathophysiology of the disease. Therefore, although it was the first time we saw the patients, we could grasp the important things very soon. The most impressive course for me was gastroenterology department. We not only observed the whole procedure of endoscopic submucosa dissection but also let us try to operate GI endoscope by ourselves to model of colon. I have never operated the GI endoscope by myself before, so this experience was unforgettable for me. In addition, it is worth to mention that we had the chance to visit the SAGA HIMAT. It is the first heavy ion medical accelerator in Kyushu. Heavy Ion beam cancer radiotherapy is the leading-edge radiotherapy, precisely irradiate cancerous cells with carbon ions accelerated to about 60-80% of the speed of light. Compared to conventional radiotherapy like X-ray or gamma ray, it is possible to concentrate the radiation dose very effectively. Therefore, it is free of pain and has minimal side effects. In Taiwan, this therapy was introduced from Japan. Maybe it will be the main therapy of cancer in the future. Therefore, visiting SAGA HIMAT was really a special course in this program. As the old saying goes, He that travels far knows much , visiting Saga let me learn many things and make many friends. It was very convenient and comfortable to live and study in Saga. Although the Japanese language was initially one of the great barriers for me, there were plenty of opportunities to learn Japanese. My Japanese has a great progress, and I can try to communicate with people in Japanese now. Thanks for the support of all the professors and doctors in Saga Medical School. I learn a lot and really enjoy the time in Saga. There is still so much …………………… The Experience as an Exchange Student to Saga Medical School Ho Yu-yang (Micheal) It was my first time as an exchange student to study abroad. Despite it was only a 2-weeks program, I still learned much during this visit to Saga. Saga Medical School locates at Nabeshima area in Saga prefecture. It is a clean and beautiful place with many nice and friendly people. When we first time arrived at Saga, the medical student drove to Saga station and waited for us almost until midnight. What s more, she took us to some famous attractions and introduced Japanese culture to us. There are two departments in Saga Medical School, the medical and nursing departments. Also, Saga University Hospital is seated by the medical school. So it is convenient for doctors to teach Saga medical students just by walking. Medical students seem to have a good relationship with the nursing students. In such an environment, I think they will cooperate with each other very well in the future. If I were a doctor in the Saga University Hospital, I would feel delighted with the members in this hospital. It is the first year that Fu-Jen Catholic University Medical School and Saga Medical School have exchange program. Originally, I thought that it was a program for students who were able to speak Japanese, but we were told that there would also be other students from Hawaii joining this program. It was a good chance to exchange experience as a medical student with other countries students in English. That way, we not only practiced English conversation very much but also learned the different ways of learning and how foreign medical students were qualified to become a doctor. Saga medical students learn basic medical knowledge with lectures, PBL, and TBL in their third and fourth grade, and we learn mainly by PBL. This time, we participated in the demonstration of PBL to the third grade medical students and discussed over the topic Coronary Arterial Disease with Hawaii s students in English. Although we are a little nervous to demonstrate in English, but we were so familiar with PBL that we could still do well this time. Actually, it is important for a student to adapt the different ways of learning, but I think it is more important that we should know other better ways of learning and compare the pros and cons between them. Therefore, I hope someday we can integrate a best way of learning for our juniors. In Japan, medical students go to the hospital as clerkship for two years, and graduate on their sixth grade, then start internship for two years. After that, they choose their specialties and become residents. However, in Taiwan, we graduate on our seventh grade after one-year internship. Then, we become PGY (postgraduate year) and after that become residents. There are a little difference between us but generally very similar in every stage corresponding to the age. Also, they have to pass two examinations at fourth grade and sixth grade, whereas we take the second exam at seventh grade. We share many common points with Japanese medical students but we are all sur- prised at the small difference. To me, I prefer to take examination earlier and have more time in internship to practice procedures and taking histories. I believe that a doctor without mature clinical skills won t convince patients, but, as the saying goes that practice makes perfect . I think it s better in Japanese medical system than in Taiwan. This time, the program plan has already been done only for the fifth grade students. After this visit, I think it was a good decision! Actually, we didn t have enough time in different specialties, so we could only learn a few from different courses. For example, when we went to gastroenterology, we spent most time seeing endoscopy and surgery. If we didn t see these procedures before, we might not know what doctors were doing. Since they were busy and they were not used to teaching in English, it would be difficult for a fourth grade medical student to realize what they are doing. Also, it was a good plan that we wouldn t spend all time in Saga University Hospital. We also went to Oda Hospital, Eguchi Hospital, and private clinics. Through visiting these places, we could have a deep realization about Ikyoku system in Saga. The most important of all, through this visit, I was impressed with the facility SAGA HIMAT . It is the latest medical science that Japanese have which is different from other countries. We were the first group of foreign students to visit HIMAT, and I was amazed by effective results this facility can make to deal with solid cancer. It is really expecting to introduce such technology to Taiwan! I am really appreciated to visit Saga Medical School this time. Thanks Professor Oda and Professor Yip make great effort to promote this program. Also, we are so grateful for Professor Oda for providing living space and applying scholarship for us. Besides, we were treated like great guests by other medical students. We had a good experience of learning and also had a good time there. Thanks to everyone in Saga Medical School! …………………… Feedback Report Liao Kuang-Yu (Klemen) Before going to Saga, I had never gone to the other hospital abroad. It was so lucky that we just finished our fifth grade course, the first year of clerkship, in June. So I really want to know what the difference in the medical environment between Taiwan and Japan. Therefore, I so expected this exchange program. In the first week, I was surprised that the history record for patient was written by Japanese, not by English, and that the textbooks for medical students were also written by Japanese. Although it is more difficult to communicate with foreigner, however, doctors and students can understand more correctly and more efficiently. Obviously, it has both advantages and disadvantages. The other that surprised me was technology of SAGA HIMAT. With heavy ion beams it is possible to concentrate the radiation dose very effectively, enabling pinpoint irradiation of cancerous cells. Unquestionably, it is the toppest radiotherapy for cancer now. (右ページへ続く) Mudskippers 年(平成 年) 月発行 第 ! 号 第 回 日 時 む つ ご ろ う 祭 月 日 ∼ テーマ 月 水 (推)!進!力! スイスイ行こうぜ! 泳げむつごろう祭 (^○^) 第 回 九州・山口医科学生体育大会成績表 主管大学:琉球大学 参加サークル名 バレー 女子 m バタフライ 位 位 m 背泳ぎ 位 m 平泳ぎ 位、 男子 女子 初戦敗退 m メドレーリレー 位 ダブルス ベスト m 個人メドレー 位 シングルス 優勝 m 平泳ぎ 位 団体戦 予選リーグ敗退 m リレー ダブルス ベスト 団体戦 予選リーグ敗退 シングルス ベスト 団体 コメディカル 団体戦 弓道 位 ボート 男子フォア 位 ダブルス ベスト 団体戦 優勝 個人戦 優勝、 、ベスト 優勝 一般戦 位 男子シングル 優勝 男子ダブル 優勝 フットサル 位、最優秀 射技賞、優秀射技賞 陸上 女子 優勝 総合 位 準優勝 m 位 個人戦 優勝、準優勝、最優秀射技賞 m 位 団体戦 初戦リーグ敗退 男子 位 m 回戦敗退 位、 mH 走高跳、走幅跳 位 回戦敗退 三段跳 位、 硬式テニス 男子 回戦敗退 やり投げ 位 女子 回戦敗退 × mR 位 回戦敗退 × mR 位 女子 団体戦 個人戦 サッカー 準硬式野球 水泳 初戦リーグ敗退 予選リーグ敗退 男子 m 自由形 位、 位 m メドレーリレー 位 柔道 m 個人メドレー 位 ソフトボール m 個人メドレー 位 ラグビー m リレー 位 位 位、 位 初戦敗退 主管校:弘前大学,九州大学 チーム) ぜ ひ 活 字 媒 体 に し て 一 生 叩 い て 下 さ い 。 ︵ 倉 岡 ︶ れ る 学 生 さ ん 、 ぜ ひ 門 を 写 真 の 一 葉 で も 歓 迎 で す 。 を 刻 も う と い う 情 熱 あ ふ 旅 先 で の お 気 に 入 り 風 景 せ ん 。 医 学 部 の 歴 史 に 名 イ な ど 何 で も 構 い ま せ ん 。 部 も ま っ た く 問 題 あ り ま 事 に 題 材 を と っ た エ ッ セ あ る い は 身 の 回 り の 出 来 書 籍 評 論 、 グ ル メ 情 報 、 験 、 課 外 活 動 報 告 、 音 楽 ・ y は 最 低 限 で す の で 、 兼 募 集 し て い ま す 。 D u t す 。 ま た 学 生 編 集 委 員 も 雷光 葉隠 天吼 鶴居 JUNO、鳳翔 ARK、蓮華 遥 ま す 。 研 究 室 で の 実 習 体 載 記 事 を 随 時 募 集 し て い 医 学 部 学 生 新 聞 で は 掲 さ ル ん い で か ︵ 編 。 ︶ 。 集 記 お 長 事 待 ま は ち で 電 し お 子 て 送 フ い り ァ ま 下 イ 編 集 部 か ら の お 知 ら せ 回戦敗退 回戦敗退 位 位 位 位 位 位、 位 優勝、 位 優勝 回戦敗退 回戦敗退 回戦敗退 準優勝 回戦敗退 決勝トーナメント敗退 回戦敗退 回戦敗退 回戦敗退 回戦敗退 優勝 位 位 位 位 位 回戦敗退 位 位 位 位 位 位 位 位 優勝 位 位 優勝 競技日:平成 年 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 校 を 紹 介 す べ く 、 こ の に お け る 国 際 交 流 の 実 月 際 に 加 え 、 佐 賀 大 学 医 学 部 む つ ご ろ う 祭 の 企 画 紹 介 い て 力 。 心 い よ た り だ 感 い 謝 た 申 。 ︵ し あ 倉 上 ら 岡 げ た ︶ た め 年 ・ 杉 野 絢 子 さ ん に 御 尽 S A G A 代 表 の 医 学 科 に 本 学 を 訪 問 し た 外 国 人 本 号 で は 新 任 教 授 挨 拶 、 授 、 そ し て I F M S A 月 日 優勝 バスケットボール部 男子 ‐ の 想 い 出 を 作 っ て み ま せ 出場 校数 第 回全日本医科学生体育大会 優勝 (大分大、熊本大、鹿児島大との合同 準優勝 [email protected]. 倉岡晃夫教授(編集長) 河野 史教授、新地浩一教授、尾 崎岩太准教授、柴田健太郎助手、 徳田悠希子 (研修医 年) 、野上 愛、吉田紀子 (医 ) 、森下さくら、 草場香那、牟田口真理 (医 )、壹 岐聡一朗、合田夏希、鈴木源晟、 橋本健太 (医 ) 、尼寺那佳子、沖 藤悠貴、中道あずさ、藤井玲衣奈 (看 ) 、竹藤徳子、溝内絢子、坂 井美月 (看 ) 、岩永鴻之介 (医 ) 要望などの連絡先 学生サービス課総務 [email protected] 位、 m 個人 ac.jp 新聞編集委員 m 位 m 自由形 位 位 総合 女子 位 月 日 結果 準硬式野球部 バスケットボール部 男子 女子 剣道部 男子 団体 サッカー部 ラグビー部 (熊本・大分・佐賀の九州合同チーム) バドミントン部 男子 団体 女子 団体 水泳部 男子 m 自由形 m 自由形 女子 コメディカル m バラフライ コメディカル m 背泳ぎ コメディカル m 平泳ぎ バレー部 男子 女子 ヨット部 総合 弓道部 男子 団体 女子 団体 陸上競技部 男子 団体総合 団体 × mR 団体 × mR 個人 m 個人走幅跳 個人三段跳 個人 m ハードル 女子 個人 m 個人 m 位 予選敗退 コメディカル 団体戦 個人戦 卓球部 男子 準優勝 男子 位 優勝、 女子クォドルプル 位、 漕艇部 月 日∼ 種目 男子 女子 総合 男子 舵手付きフォア一般戦 舵手付きフォア新人戦 ダブルスカル シングルスカル 女子 舵手付きクォドルプル 舵手付きクォドルプル新人 ダブルスカル 男子 団体 女子 団体 硬式テニス部 位 対校戦 競技日:平成 年 参加サークル名 優勝 総合 団体戦 女子 剣道 主管校:九州大学 結果 種目 回戦敗退 女子 女子 第 回西日本医科学生総合体育大会部門別成績 日(月) 位 位 バドミントン 男子 月 m 自由形 男子 男子 月 日(日)∼ 参加サークル名 結果 種目 バスケット 男子 卓球 開催期間:平成 年 日 エ ー ル を 送 り た い 。 が 、 そ の 活 躍 に 心 よ り 広 げ て い る 最 中 で あ ろ う ま さ に 東 京 で 熱 戦 を 繰 り に 推 挙 さ れ た と の 事 。 今 部 の メ ン バ ー が 国 体 選 手 と こ ろ で は 、 我 が ボ ー ト タ ル ジ ー だ ろ う か 。 聞 く 過 ぎ 去 っ た 青 春 へ の ノ ス 眩 し く 感 じ ら れ る の は 、 げ て い る 姿 が こ と の ほ か ポ ー ツ に 大 き な 成 果 を 挙 た 。 学 生 諸 君 が 勉 学 に ス さ が 心 地 良 い 季 節 と な っ か 通 り 過 ぎ 、 朝 夕 の 涼 し 酷 暑 の 夏 も い つ の 間 に 医 療 教 育 部 門 の 小 田 准 教 取 り ま と め に は 地 域 包 括 勧 め す る 。 な お 、 寄 稿 の あ っ た 。 ぜ ひ 御 一 読 を お と っ て は 極 め て 新 鮮 で 英 語 に の み 接 す る 身 に で あ り 、 普 段 学 術 論 文 の 描 写 は 圧 巻 か つ ユ ニ ー ク レ ア さ ん の 切 迫 し た 心 理 ン か ら 来 日 さ れ た ア ン ド て い る 。 特 に ス ウ ェ ー デ 実 感 で き る 記 事 と 確 信 し を 変 え る こ と の 重 要 性 を の 勧 め ﹂ の よ う に 、 視 点 授 の 御 寄 稿 に あ る ﹁ 横 車 打 っ て 特 集 し た 。 佐 藤 教 編 集 後 記 ! 交 換 留 学 生 の 声 " と 銘 医 学 生 名 の 体 験 記 を