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見知らぬ観客6
今から40年ばかり前のことである。祝日の前日だったと思う。高校の授業が終わると、 一旦家に帰ってから悪友たちと連れだって、京都市左京区の京一会館(写真は当時の 上映スケジュールポスター)へオールナイトを見に行った。京一会館は叡山鉄道一乗 寺駅から少し歩いた一乗寺下り松(宮本武蔵の決闘で有名)の小さなスーパーマー ケットの二階にあった。番組は1960年代後半の日活ニューアクション5本立てである。 日活ダイヤモンドライン(石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎ら)の流れをくむ渡哲也ら が主演した60年代後半の作品群だ。映画館に着くと長い行列ができており、中には東 京から来たという人たちもいた。何しろ当時はビデオもDVDもない時代だから、過去の 名作に触れようとしても簡単には見られない。映画評論家だって古典を見ようと思うと、 京橋にある東京国立近代美術館のフィルムセンターか、池袋文芸座、そうしてこの京 一会館でしか見られないのであった。そういう意味で、京一会館は知る人ぞ知る名画座 であり、全国的に名を馳せていた。「西の京一、東の文芸座」と謳われたのである。私は 高校から大学にかけて足繁くここに通い、ずいぶんお世話になった。 さて、そのオールナイトであるが、翌朝6時すぎだったかに終了しておもてに出たら、その日の看板が出ていて「大島 渚特集」の4本立て。これを見逃すことはできない。どうせ休日だから、われわれは近くの公園で仮眠をとったあと、10 時頃にはじまる4本立てにそのまま入場した。夕方に意識朦朧とした状態で映画館をあとに家路についた思い出があ る。合計9本見た勘定になる。若さのなせる無謀な体験であった。 後年マーケットが老朽化して建て直そうとしたとき、二階の映画館が邪魔だから取り壊す話になった。驚いた映画関 係者が反対運動を起こし、著名な映画監督や映画評論家が名を連ねて署名を集め、スーパーのオーナーに存続の 請願を行った。オーナーもまた驚いた。そんなに重要な映画館とは知らなかったので、建て替えを中止したというエピ ソードがある。 京一会館にはもうひとつ思い出がある。昼までに入ると学割が一段と安くなった。それで友人と昼前にチケットを購 入し、斜め向かいのラーメン屋で昼を済ましてから午後に映画館に行ったら、これが見つかって、もぎりのおばちゃんに さんざん叱られた。そのあまりの剣幕に、なにごとかと事務所から支配人が顔を出した。キネマ旬報の記事で顔を拝見 したことがある。私は、支配人まで巻き込んで話が大きくなったことに後悔した。ところが、である。おっかないおばちゃ んの後ろに立った支配人は事情を察すると、意外にも無言のままニタニタするばかりだった。おばちゃんは「次からは 承知せえへんで。きょうは見逃しといたる」と言い放つと、ようやくわれわれを開放してくれた。それにしても、あの支配 人の呆れたような、それでいて映画を愛する者同士に通じ合う慈愛に満ちた笑顔が忘れられない。 思い出といえば、黒澤明特集を見ている最中に、突然モノクロ画面の三船敏郎の顔がオレンジ色に染まり、そのうち 顔が溶けていった。フィルムが燃え出したのだ。すんでの所で「ニュー・シネマ・パラダイス」になるところであった。むか しのフィルムは可燃性なので、映写機のキセノンランプの強烈な熱とフィルムが走る摩擦熱でよく燃えることがあった。 映画館が禁煙なのは映写効果を妨げるだけではなく、発火しやすい材料があったからだ。しかし、京一会館は学生が 中心で、いつも紫煙に煙っており、煙草を嗜まない私は途中で眼が痛くなって困ることがよくあった。「煙が目にしみる」 どころではない。 その名物小屋も、ビデオが普及すると、もはやその使命を終えて、1988年にとうとう廃館となった。さよなら興行に は、当然私も駆けつけた。その日は溝口健二の「西鶴一代女」(52年)だった。未見だったので、その完成度に唸って しまった。「雨月物語」(53年)「近松物語」(54年)など溝口の代表作は見ていたが、ただよくできているという程度の 感想だった。ところが、「西鶴一代女」は違った。田中絹代扮する町人の娘が御所に女中奉公に出てから数奇な運命 に翻弄され、果ては遊女、夜鷹へと容赦なく転落していく凄まじさ。封建制の桎梏に縛られた女とこの世の「無常」の 哀れを、フェミニスト溝口はダイナミックにみごとに描ききったのである。こうして、西の名画座の雄は消えていった。 ところで、京都は撮影所が集積していたことから日本のハリウッドと呼ばれたが、名画座にもこと欠かなかった。邦画 専門の京一会館に対して洋画専門の名物小屋があった。「祇園会館」である。八坂神社の斜め向かいに立地し、学 生時代は洋画の殆どをここで見た。当時は3本立て。最近は2本立て興行となっていたようだが、今年の4月に閉館し てしまった。残る名画座はただひとつ、旧日本銀行京都支店(三条高倉)を別館として本館を新築した府立京都文化 博物館では、京都府が収集所蔵している日本映画の名作を入場料500円で日替わりで上映している。阪東妻三郎 主演の傑作時代劇「血煙高田の馬場」(37年)を見たときには、バンツマがバッタバッタと敵を斬り倒すとほぼ満席の 場内から掛け声がかかり、拍手喝采となったのには驚いた。観客が一体となった瞬間である。