...

地図からコラム 1

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

地図からコラム 1
地図からコラム 1
目
次
1.
「地図を求めて」
2.
「刑事ドラマの地図」
3.
「うんこやま」
4.
「初夢」
5.
「峠」
6.
「寝小便の朋」
7.
「住民票コード」
8.
「バス路線図」
9.
「2DKで迷う」
10. 「地図と領土と紙幣」
11. 「
『Cambridge』の地図」
12. 「九十九」
13. 「道の発達」
14. 「位置を知る」
地図からコラムの書き手”
やまちゃん”
です。
15. 「沼と呼ばれたくない」
ある日あるときから、あるメールマガジンに
16. 「秘密の地図」
地図をつなぎ手として、コラムを担当するこ
17. 「悪党どもが見る越前屋の地図」
とになりましたといいながら、小咄というか
18. 「地図の日向と風向き」
エッセイというか得体の知れないものを掲
19. 「六本木ヒルズでは、迷って当たり前」
載しました。
20. 「地図の“向き”
」
これは、そのときの「地図からコラム」に多
21. 「道を尋ねられ易い人」
少の手を入れたものです。
22. 「地図の読める人が国を良くする!」
ところで、自分のことは分かっているようで、
23. 「地図と花とシーボルト」
分からないものですが、自身では“シャイ”で、
24. 「匂いの地図」
“小心者”で、それから、うーーんと??しだ
25. 「東京でも、無人島でも使える地図」
いに分かるでしょう。年齢は、今でも少年の気
持ちを維持していますが、脱脂粉乳の味を記憶
している”やまちゃん”です。
「地図を求めて」
自分で言うのも何だが、
”やまちゃん”は、移
り気である。
でも、大概の他人の評価は、
「やまちゃんは、
地図が好き」である。でも、でも、本人は「地
「刑事ドラマの地図」
地図が好きの”やまちゃん”にとっては、
それが不動産の広告だろうが、住宅街の案内
図だろうが、
「地図」という文字と「地図」が
存在すれば全て興味の対象である。
図好きではない」と思っている。
「地図を、仕事
そして、より多くの人に地図が利用され、
を愛している」だけである(それを地図好きと
理解されていることが確認されれば、
「地図好
いうのかな)
。
き」の病人には何よりの薬である。
旅も好き、ドライブも好き、花も好き、書く
ことも好き…である。
そのような生活を送っていると、テレビ番
組も漠然と見ているわけにはいかない。ニュ
そこで、今日は旅と地図の話?。
ースやドラマが始まっても、ニュースに補助
九州に住まいしてから一年と少し、萩へ、那
的に使用される「地図」
、背景にある「地球儀」
、
覇へ、長崎へ、唐津へと訪ね歩いた。
仕事を愛している山ちゃんは、武家屋敷の町
トーク番組の本棚に積まれた「地図帳」など
にも視点が移る。
並を散策していても、居並ぶ焼き物屋の店先に
こうした小道具は、番組の内容を補う役割
目をやりながらも、市場に並べられたゴーヤの
のほか、デザインとしてあるいは設定に臨場
山を見ながらでも、仕事のことを忘れない。
感を持たせるものとして登場するのだろう。
萩の町並みのU字溝の蓋にあった町案内地図
どのようなものが、どのような場面で使用
を、那覇の曲がりくねったアーケードのはるか
されるか、注意を払うことになり、
「地図好き」
上空にあった大きな「楽しいお買い物マップ」
には、番組が伝えたいとしているもの以上に
を、唐津城下にあった見事な焼き物の「唐津城
奥深い観察が必要になる。突然、
「本棚の上の
下町絵図」を、そして太宰府の通りの中央にあ
地球儀が・・・」とか、
「あ、一万分の一の地形
ったタイル状の「太宰府史跡めぐり」の心が温
図だ」とかドラマの筋道と関係のないことを
かくなるような地図をしっかり記憶にとどめて
口走って、つれ合いのひんしゅくを買うこと
いる。
になる。
と書きながら、あらためて、旅人の心が温かく
そうしたなかで興味と疑問に思っているこ
「刑事ドラマの地図」がある。
なる地図とはどんなものだろうと思いを巡らす。 とに、
“やまちゃん”は、旅と仕事が好きである。
(2002.10)
ミステリードラマに登場する警察の大部屋
の壁には、必ずといって良いほど「地図」が
掛けられている。観察の範囲では、それらの
地図は「地形図」が圧倒的に多い。
「○○警察
署所轄管内図」とでもいったものが実在して
いても良いのだが、なかなかそうしたものに
はお目にかかれない。小道具を配置する専門
家は、より現実に近い再現をしようとして「地
形図」を配置していると思われるから、実際
に刑事が詰める事務室の壁には、常時何らか
の「地形図」が貼られているとも思うのだが
どうだろうか。
残念ながら、
「取調べ」を受ける機会に恵まれ
「うんこやま」
ない”やまちゃん”は確たる証拠を持ち合わ
せていない。
(2002.11)
若い読者には、寂しい綴りで申し訳ないが、
50 歳の峠を越えてしまうと、今の人生が 70 年
だとしても、粗方のことは終わってしまった。
残った人生は、これまでの蓄えを少しずつ引き
出しながら過ごすことになる。
そんな、老人力でしか特徴を示すことができ
ない”やまちゃん”に、たくさんの励ましメー
ルが届いた。
”やまちゃん”
、ひたすら恐縮して
いる。
皆さんの期待に応えて、
早々に収監され、
刑事部屋に貼られた地図の確認を待ちわびる毎
日である。
さて、今月のテーマは少々汚いのだが、中身
は高尚に?
話は、北へ旅立つ雁の群のように、高学年の
者が列の後先を行く集団登校の風景を5階の
窓から眺めていた頃のことである。
住宅の階段下で整列し、平屋の工員社宅を抜
けて、傍らに胡桃の木がある小さな橋をわたる
のを見届けると、その列は私の視界から遠ざか
る。その後、子らの列は、町屋裏の小さな空き
地に繁る膝ほどの高さの雑草の中を横切るこ
とが、ほんの少しの近道になっていた。そこに
は残土でできていたのだろうか、
2 から 3m ほど
の高まりを持つ小山があった。
その山こそが、彼らの名峰“うんこやま”で
あった。
何のことはない、
“うんこやま”の由来も、
誰もが想像できる程度のことである。
子供にとっての記憶の地図には、
“うんこやま”
が通学路とともに書き込まれていき、立派に成
長し、再訪したときに故郷を楽しくさせてくれ
るであろう。
山とは、地名とは、このようなことで人に知
られ、伝えられていくものではないだろうか。
時には曲げられ、忘れられそうになりながらも、
あるものは地図に残される。たとえ、標高数メ
ートルの山であっても、成人の脚でひとまたぎ
できる小川であっても。
「初夢」
例えとしては、ちょっと大げさではあるが、
地名が「わらび沢」や「五郎山」なら読者も納
「皆様、あけましておめでとうございます。そ
得するであろう。
して、本年もよろしくおつきあい願います。
」
ともかく、
”やまちゃん”は自然や人々の行
動などに目移りする道草のできる道が好きだ。
さて、
お正月といえば、
今どきの小金持なら、
毎日に変化を求めない人生、そして脇目もふら
海外旅行に出かけるのが定番でしょう。その次
ずに目的物にだけ向かう、そんな人は嫌いだ。
は、TDL や USJ などのテーマパークやスポーツ
(2002.12)
観戦、映画鑑賞?でも、年末年始は結構な連休
となるから”やまちゃん”としてはたった一つ
のイベントでは間が持たない。
ある先輩は、1 日乗り放題の格安航空券で、
東京→福岡→札幌→東京と乗り継いだと自慢し
ていたが、目的地に行ってみたというだけで達
成感は少ない。
この話を聞いたある後輩は、お正月に「三社
参りをしたんですよ」と自慢げに切り出した。
「自慢できるほどの三社参り?」と聞いてみる
と、なんと以下のようなものである。
羽田→新千歳 千歳神社 8:30(気温氷点下 1
度で猛吹雪)
新千歳→那覇 波之上宮 15:00(沖縄県内で
最も初詣で賑わう神社。気温 18 度)
那覇→関西 春日神社 19:00(泉佐野市内の
古い神社)
そして、関空から羽田に戻ったというから、
上にはうえというか、変わり者はいるものであ
る。
かく言う”やまちゃん”もその道では大いに
変わり者で通っている。
その「地図好き」が思い描いた「初夢」をひ
とつ!
200X 年元旦。”やまちゃん”は、今年こそよ
い年であるようにと願いを込めて、富士山と鷹
巣山(東京都)
、那須岳の地図を枕元に眠りにつ
いた。
思い立って旅に出ることになった”やまちゃ
ん”。京都・奈良へと向かった。
東海道新幹線は、他の各新幹線に比べるとト
「峠」
ンネルも割と少なく風景が楽しめる。特に、遠
くに見える風景と一体化し、窓にインポーズさ
もちろん、人生の峠の話ではない。
れた地図や解説が楽しい。今では、このシステ
“やまちゃん”、地図の近くに永いこといるせ
ムの拡張版は、
飛行機にも取り入れられていて、
いか、いろいろの質問を受けることになる。そ
特別シートに乗ると眼下の風景と飛行高度に連
の中に、
「峠とはどんなもので、日本にはいくつ
動した縮尺の地図とともに、季節ごとに変わる
ありますか」というものがあった。
各地の食や祭りの解説が人気であるとか。
「峠とは」と、あらためて考えて見る。
京に着いた“やまちゃんは”旅行会社の窓口
で渡されたある器具を付ける。
「馬の背、鞍の位置のような形の地形(鞍部と
いう)の頂点」をいう。だから、
「AB断面では、
このツールは、小型化され先ごろ発売された
最も低いところ、それに直交するCD断面では
優れもので、注視しているところや、指差して
最も高いところ」になる。そして、
「一般には人
いるところに関連した観光地の情報を音声や映
が山や丘を越える場所に限定して、このような
像として伝えてくれるから、ガイド本も必要な
地点を峠と呼ぶ」と答えることにした。
い(東大有川正俊助教授の研究から)
。
また、旅行ガイドやグルメ本などに用意され
これでも、分かったような、分からないよう
な、
という人にはもう少し簡単に努力してみる。
た観光地とレストランのジオコードを入力すれ
「山道あるいは坂道の登り切ったところだが、
ば、ルートガイドもお手のものである。高齢者
両側により高いところがある、山頂ではないと
。
向けや幼児向けといったものも用意されていて、 ころ」
しかも、GPS とその関連技術のおかげで、ビル
の谷間や地下街だろうがOKである。
京では、超有名な嵐山下の「吉兆」で舌鼓を
打ち、
「俵屋」とかいうこれも由緒ありそうな宿
に泊まり、翌日は奈良へ向かい古都と斑鳩を散
これだけ読んで、馬の背を想像しても、まだ
分からない人には、私には机上での説明不能と
いうことであきらめていただいて、次ぎに進む
ことにする。
それにしても峠は無数にあるため、その数や
策した。
最高点などの情報はない。また、正式な地図記
さて、この間の行動はというと、先ごろの定期
号もないが、かつては小縮尺図で橋の記号を利
健診の際に、
体のどこかに埋め込まれた IC チッ
用した地図もあったように記憶しているが、定
プのおかげで、くまなく家族に把握されている
かではない。
から安心である?(のだろうか)
。
世の中には不思議な人がいるもので、
「峠の
そして、帰りの関西空港から飛行機では、も
会」を主宰しているという大島文二郎さんは、
ちろんスペシャルシートを利用し、風景と解説
事件調書、裁判記録、旧地図から特定した峠を
を楽しんだ”やまちゃん”、満足して家路につ
記録しているのだという。埼玉県、群馬県、長
いたのだが?
野県だけで 574 の峠が確認され、今は 145 が地
複雑に交錯した各所の風景と不思議な呪文?に
形図に記されているといい、大島さんは、その
うなされて目が覚めた。
(2003.1)
うちの 350 カ所を訪問したのだという。
それにしても、
「地名」
「山名」
「山の高さ」
「古
地図」等々地図を道具にした遊びは、数知れな
い。
そうした中でさきごろ、
「三本の子午線ウオー
キングする旅」
という新聞広告が目に留まった。
三本の子午線とは、天文測量、日本測地系、世
「寝小便の朋」
界測地系による、それぞれの東経 135 度だそう
だが、地上にそれぞれの線が引かれているわけ
“やまちゃん”あるときから飛ぶ夢を見続けて
でもないから厄介だ。説明者の三本の子午線に
きた。そのことは他所で書いてきたから詳しい
ついてのうんちくに耳を傾けながら、日本測地
ことは話さない
系に従うモニュメントや天文測量と関連する施
(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Nam
設と GPS で得られた東経 135 度を訪ねるのだろ
iki/2467/)
。
ただ、
この年になって思うことは、
うか。ともかく、それらを縫うように瀬戸内海
飛ぶ夢の終わりは少年の終わりだということ。
から日本海へ歩くこと 180km のウオーキングだ
それは、30 歳を過ぎるころであった。いや今と
そうな。子午線を楽しむのか、ウオーキングを
なっては 40 歳を越えるころだと思いたい。
楽しむのか、他人の楽しみとは、よく分からな
いものである。
かくいう”やまちゃん”も、こうした話の収
ともかく飛ぶ夢を見たこと、上空から地形を
鳥瞰したことが地図とのかかわりの第二である。
第一のかかわりはというと、寝小便で書いた地
集を楽しみにしているのはもちろんのこと、
(測
図である。
量)
「標石で遊ぶ会」という、
(測量とは縁の無
“やまちゃん”が、かなり高学年まで寝小便と
い人ばかりの集まりだが)その道の人にしか理
親しかったということは、初告白である。少な
解できないものに関わっている。
いながら全国に散在する”やまちゃん”を慕う
女性フアンを裏切らないためにも、そのことは
**関連して質問をいただいた。
ずっと秘密裏にしてきた。
日本測地系、世界測地系は GPS で分かります
そのことを告白しようと思ったのは、
「佐高信
が、天文測量の子午線はそれらといくらずれて
の政経外科」なる書と、一つの新聞記事がきっ
いるのですか」といもの。
かけである。そこには、評論家である著者が、
話をごく簡単にしますが、天文測量での経度
そしてあの弁護士の中坊公平が寝小便に悩まさ
は、グリニッジで 12 時に通過した星が、任意の
れた朋であったこと。それだけではない、坂本
地点で、グリニッジ時間の何時に真上を通過し
竜馬も勝新太郎も寝小便たれだったのだという。
たかといったことで決まります。24 時間が 360
なぜか、いずれも一見強面である。佐高氏、
度ですからね(時間は角度でもあるんですよ)
。
中坊氏も評論や仕事の厳しさとは裏腹に、時折
ところが、この真上(鉛直線)というのが曲者
見せる笑みに独特の優しさを持っているような
で、地球の密度によって微妙に曲がってしまい
気がする。
ます。日本経緯度原点での観測値(日本測地系
そして、
ある日の新聞記事に寝小便は、
「本来、
の基準となった)は、天文測量によって決めら
就寝中には排尿を抑える物質が働くのだが、夜
れたもので、
このために 300m ほどの差が出てし
尿症の子らはそうした物質の動きが悪いのだと
まったことになります。
いう」
。病気なのである。
天文測量の値は、地球の密度に依存しますか
ら、各地で異なります。
(2003.2)
そんな言葉に勇気づけられて、外見とは異な
り優しい一面を持つ?”やまちゃん”は、この
ことを告白することにした。
地図への第三のかかわりは、職業軍人であっ
た父が所持していた大東亜共栄圏が朱に塗られ
た地図である。
”やまちゃん”この地図をタタミ
に腹ばいになり、いつまでも眺めていた。これ
らが、他愛も無い”やまちゃん”の地図とのか
「2DKで迷う」
かわりである。
こうして、
胸につかえていたものを吐き出し、
アリさんや、クマさん、ネコさんといったア
すがすがしい気分に浸ったある日のこと。
ルミバンのトラックが目につく季節になった。
今生のお別れかもしれない「飛ぶ夢」を見た。
“やまちゃん”も、かつて転勤族であった。
地上からどのように舞い上がったのだろうか、
コイズミ君の故郷、神奈川県横須賀市で生まれ
少年時代のように段々畑の上から飛び降りたの
てからこの方、
北海道から九州まで 10 の都道県
ではないようだ。ドラえもんのタケコプターの
に住まいし、20 回ほどの引っ越しをした。文句
ように平地から一気に飛び上がったようである。 も言わずについてきてくれた妻と子供たちには、
見下ろした先には、広い縁側を持つ古風な家が
その点では感謝しているのだが、転勤族であっ
あり、明るい日差しの窓越しに、なぜか上司が
たことに悔いてもいる。
寝床を延べているのが見える。
なぜかというと。
こちらに気づいた彼は、顔を見上げて「そん
かなり前に成人した息子に突然襲いかかるか
なところで、何をしているのだー」
。甲高い声が
“鬱”
。その遠因がここにあるからだ。そのこと
聞こえたような気がした。
は、本コラムとは直接係わり無いから詳しく触
“やまちゃん”
、知らぬ存ぜぬで、周りの景色に
れないが、若い父であった私は、転校に伴う子
目をやり空中散歩を続けたが、尿意をもよおし
供の微妙な気持ちの変化を読み取ることができ
て目覚めた。
なかった。私の目では、すぐに打ち解ける柔軟
ああー、今日が老人の始まり、幼児返りの始ま
な子供だと思っていたのだが、そこには大きな
りか。
(2003.3)
誤りがあったらしい。その時の生き様を引きず
ってのことである。
ともかく、
”やまちゃん”は転勤族であった。
そして、転勤族は「2DKで迷う」のである。
今時のマンションなら事情は違うのだが、その
ころのしがないサラリーマンの社宅は、
狭くて、
どこまでも定型であった。
そんな社宅の中で迷うのだから不思議である。
お呼ばれして訪ねる、お向いさんの部屋でのこ
とである。お隣さんの間取りは、階段を折り返
し線とした折り紙のようなもので、我が家の裏
返しである。と、頭では理解できている。
鏡を見ながら右のほっぺについた食べかすに、
なかなか手が届かない類である。
記憶の中にある、
“やまちゃんち”の2DKと
は、似てもにつかないものとなる。
いや、同じだが、ひっくり返っているから、迷
うことになる。トイレへ行こうとして、こども
部屋にいってしまう。
私たちは、行動範囲の地図をごく自然に頭脳
の中に持っている。それを書き換えるには、外
部からの新しい情報が必要になるのだが、お隣
「住民票コード」
さんを訪ねたからといって地図を書いてもらう
人はいない。
我が家の造りを元に、記憶の中にお隣さんの
“やまちゃん”は、北から流れてきた。その証
拠に“乾燥耳”である。
地図を描きなおす操作が必要になり、それに
ちなみに、南方系の人は、湿った“あめ耳”な
少々の時間を要することになる。
のだそうな。
このとき、書き直しの自由度が低い人が方向音
痴であると”やまちゃん”は思っている。
それはともかく、目の不自由な人々は、こう
した操作を常から繰り返しながら行動している
シベリアのそのまた北のエスキモーだろうか、
モンゴル平原からだろうか、とにかく私の祖先
は北方からこの地へやってきたのだと思ってい
る。
ことになる。触地図などによる外部からの客観
それはさておき、東から西へ、北から南へと
的な情報を得る機会は非常に少なく、提供され
流木のように流れて、北海道から九州まで住ま
たとしても、それらのデータがメンテナンスさ
いした。
れることも極端に少ないから、工事中による迂
さて、誰しも同じだろうが、好きなことは繰
回や新しい段差は、経験する度に書き足し、描
り返し実行するから、趣味に関連した行動や知
きなおさなければならないはずである。
識に端のものは驚くことが多い。
となると、書き換えの自由度が低くては行動で
きないことになる。
こどもが、怪獣大辞典や“どらえもん”を擦
り切れるまで読み、博識になることと同じだ。
いずれにしても、こうした弱者にこそ、より
ところが、
”やまちゃん”のそれは、強制的なも
メンテナンスされた触地図や地理情報を提供し
のだが確かに手馴れている。知識に溢れたもの
なければならないのだが。私たちの地図作りの
でもある。
“それ”とは、引越し術だ。
行動はどうだろうか。
両手の指では足りないほどの引越しを経験し
たから、引っ越しの準備・手順から、転居後の
**関連してご意見をいただいた。お詫びととも
多くの始末まで何の苦痛もなく出来る。といっ
に本文の一部を訂正させていただいた。
ても、体力の落ちた今では、その事で旨くでき
といいますのは、
「2DK で迷う」の内容につい
ないことが多くなった。それでも、書籍のため
て、三鷹市の Y 様から「目の不自由な人にも方
にはミカン用などの強固で持ち運び用の穴が開
向音痴な人は少なくありません。そういう人は
いた段ボールを集めることから始まって、すべ
決して一人では出歩けないので、家にこもりが
てに抜かりがない。
ちになるのです。コラムの趣旨は良いのですか
ら、もう少し慎重に・・・。
」というご指摘。
各種の届け出だって、住民票コードなどなく
てもスムースに出来る。
”やまちゃん”は、その
まったく Y 様のご意見のとおりである。言い
意味から住民基本台帳ネットに反対している?
訳がましいのですが、私も体の不自由な二人の
ところが、
”やまちゃん”の繰り返しは、他動的
姉がいる家庭で育ったこともあり、そうしたこ
なものだが、知識も豊富で行動に隙がない。準
とには十分配慮し、理解していきたいと常から
備から始まって、各種の届け出、事後の整理と
考えています。決して興味本位の発言ではない
抜かりが無い。特に、横半分に切られ十文字に
ことをご理解いただきたいと思います。
紐かけされたダンボールに救急箱のように、引
(2003.3)
越し用の消耗品を準備する手際のよさには、自
分ながら感心する。
この引越し救急箱の中身のことは、後に譲る
として、地図への見識は高いと思っている身と
「バス路線図」
しては悲しいのだが、引越しに関連して今でも
不案内なのが、新しい土地でのバス路線のこと
である。
(2003.3)
新しい土地に引っ越してきても、道に迷うこ
とは少なかった。
「少なかった」と過去形なのは、年のせいであ
る。若かりし頃は、一目新しい地図を見て、ひ
とたび町の概略が頭に入れば、当面の行動に支
障は無かった。ところが、その術も年とともに
衰えたようである。
目的地周辺を周遊することが多くなり、永年
連れ添った唯一の理解者にも、年だの、衰えた
だのと、ぶつぶついわれるほど信頼を低下させ
ている。
そのような中で、自らも不案内であると認め
るのが、
見知らぬ町でのバス路線のことである。
少なくても鉄道なら、鉄道事業者が計画的に整
備するから特にどうということはない。
ところが、バス路線はそうは行かない。交通需
要との関係と効率的な輸送を考え、郊外の多方
面から中心市街地にそして郊外へと向かうのだ
が、中心地では、複数系統が複雑に乗り入れる
ことになる。
網状の路線は、無計画な都市計画で?作られ
た道路に依存するから性質が悪い。
自分が向かう目的地の地名は知っていても、そ
の他の地名、それも読みまでは分からない新参
者には、どのバスが目的地を目指すのかが分か
らない。そこで、バス停の系統図を見ることに
なるのだが、それでもよく分からない。路線図
について良い地図表現といえるものが無いから
だ。地図表現が難しいのも真実である。
勢い運転手さんに問いかけることになるのだ
が、
転居したての利用者側は住所をキーに話す、
運ぶ側は停留所名で話したいから、これもかみ
合わない。
そこで、自分なりにバス路線図を見やすいも
のにしたいと試みた。複数の路線が交わる辺り
は、ねじり飴のような表現にしてみたが、あま
り良いアイデアとはいえない。転居者への便に
ついて考えると色表現だけではお手上げで、未
だ解決策は発見できていない。
(2003.4)
「地図と領土と紙幣」
“やまちゃん”は、かねがね幾枚もの切手で構
成されるモザイクのような地図が、いやモザイ
クの地図でできた切手が発行されることを夢見
ている。でもそれは、せめて切手であって、お
札に日本地図や伊能図が印刷されたらなどとは
考えていなかったのだが、ユーロ紙幣には、ヨ
ーロッパの地図がデザインされているのだとい
う。
ところが、この地図にカナリア諸島の一部の
島々が抜けているというクレームが起き、更に
は、フランスの地図製作会社から「我が社の地
図を無断使用している」という指摘も起きてい
るのだという。
お札の地図から始まったこのことは、地図に
ついての古くて新しい重要なテーマである。
その一つ「領土と地図」
、これは日本の竹島や北
方領土で起きている問題でもある。当該の島や
地域の帰属は、いつの時代の地図に、どのよう
に表現されていたかが決め手になる。
あるいは、
地図の上で正しい表記をすることで、主張の一
貫性を維持することにもなる。政府の作る地図
から自国の領土が欠落し、地名が誤って記入さ
れることは許されないのだ。
「日本海」を巡る日
本と韓国などとの問題もこのような、それぞれ
の国の主張の延長上にある。
「地図の著作権」
のことも、
難しい問題である。
日本の法律は、地図に著作性があり、著作権が
存在することを認めてはいるものの、
「地図とは、
地上の状態を一定の規則の下で、正確に表現し
たものである」からこそ、大縮尺になるほど、
誰が作成しても似たようなものができる。
また、
できなければならない。
そして、世界には官が作る地図に公共性を認
め無償提供する国と、地図は軍事機密であるか
ら公開も一部に限定して、しかも有償提供する
国とが混在しているが、どちらが良いかは一概
に言えない。いずれの国でも地図に著作権が存
在することは同じだが、官が国民サービスのた
めに道路や公共施設と同様に地図という情報イ
「
『Cambridge
『Cambridge』の地図」
Cambridge』の地図」
ンフラを無償提供することが、かえって多くの
場面では地図の著作権をないがしろにする風潮
毎年、春は病を抱えて迎える。
を作り出すこともある。末端の利用者に、地図
胸が痛み、頭痛がひどいときもある、ある 5
は無償であるという先入観を与えるからだ。
一方は、有償提供の世界では、地図の自由な
月はひどい耳鳴りが続いた。何週間かは我慢す
るが、堪えきれずに医師を訪ねる。24 時間心電
流通がやや不足し、かつ高価なものになり、市
図を記録し、
レントゲンや CT をとることもある。
民サービスが低下する傾向がある。
医師の言葉は概ね「診察の結果は、特に悪いと
おっとと、ちょっと真剣に考えてしまいまし
ころはありませんね」となる。その瞬間から、
た。が、私的な手作り地図ならどんな島を描い
痛みは和らぐ。毎度、発病から治癒までにおお
ても、島や海に怪しげな名前を付けてもとやか
よそ一月半を要する。
く言われる心配はない。
5 月病である。
そんな地図を描く”
やまちゃん”
は日本でも、
赤門をくぐったことも無い”やまちゃん”に
このように地図が印刷された1万円札、モザイ
は、正統といえる五月病は知らないが、自分な
ク模様の地図切手が早く出回ることを期待して
りの五月病だと分かったのは、何年かの後であ
いる。
(2003.5)
った。
ところが、ここ数年は、この病に罹らない。
訳は簡単であって、老いが肉体的な病を連れて
きたからだ。足が、腰が痛いというもの。
ところが、今年の春は新しい病がやってきた。
毎日がつらい。
“やまちゃん”は長距離通勤をしている。仕事
のために?何とか体力を温存しようと朝夕の通
勤は座りたいと考えているから、ごく自然に、
朝、家を出る時間は早くなる。
都心の乗換駅構内にある大きな書店は、早朝
からそうした時間調節の通勤客であふれている。
心地よいバックグラウンドミュージックの下で、
好きな本のサーフインをする瞬間は、時間を忘
れる。いや刻を忘れている。
本を買い求めて、あるいは立ち読みをして書
店を出ると、これから長時間の勤務が待ってい
る現実に帰る。快感の引き換えとなる、その気
分の悪さといったら無い。
それはともかく、その書店で気になる本を見
つけた。
「村上春樹全作品 1990-2000」
(講談社)という
ものだ。値段は 2500 円。
悪気は無いが、村上春樹氏とその作品には、
何の興味も無い。
厚手のブックカバーから取り出してはみたが、 「九十九」
ページはめくらない。
「装幀は和田誠か、買おうかな」手にとっては
「日本は島国だといわれますが、いくつの島か
迷っている。
ら成っているのですか。
」
そんな日が、何日も続いた。
その本のブックカバーは、小窓のようにくり抜
かれている。
小さな四角からは、
「Cambridge」の地図が見
常から質問を受けることが多い”
やまちゃん”
には、こんな質問も寄せられる。
答えの前に、島の定義について確認しておき
ます。
える。もちろん、本冊の表紙は地図でできてい
「領海及び接続水域に関する条約」では、
「自然
る。
に形成された陸地であって水に囲まれ、高潮時
悩める病が続いたある日。購入を決断したとた
においても水面上にあるものをいう」と書かれ
ん、今年の五月病は治癒した。
ているとのこと。だから、太平洋上に人工的に
そうだ、彼の「ノルウエイの森」
(講談社)に
島を作り、領土とし、その周辺を自国の領海と
は、
「卒業後は国土地理院で働きたい」という地
するといったことは、国際法上認められないの
理学専攻の学生がいて、主人公が「・・・確か
だそうです。
に地図作りに興味を持った人間が少しぐらいい
そのほか一般的には、
「水で完全に囲まれた陸
ないことには-あんまりいっぱいいる必要もな
地の一つ」
(国連海洋法条約 121 条)
「
、周囲を海、
いけれど-それは困ったことになってしまう」
、
湖などの水域で完全に囲まれた陸地」などと定
という件があることを思い出したからだ。
義され、一般にはグリーンランドより小さいも
その書籍は表紙を向けて書架の中央に位置し
ているが、未だ読まれていない。
(2003.6)
のを島というのだとか。
そろそろ、本題の「日本にはいくつの島があ
るのでしょうか」に明確にお答えしたいのです
が、島の定義、特に小さな方の決まりに左右さ
れます。
面積 1 平方 km 以上の島の数なら、・・・全国で
340 あるというのが一つの答え。
日本沿岸における外周 0.1km以上の島の数は
というと、6,852 島というのが二つ目の答え。
その時、日本で一番島の数が多い県は長崎県の
971 島、次いで鹿児島県が 605 島、北海道が 508
島となっている(海上保安庁海洋情報部調べ)
。
さらに、人が住んでいる島の数となると、少々
古いデータですが「日本島嶼一覧(昭和 57 年)
」
によれば 425 島だとか。
ところで、狭い海域にたくさんの島があるこ
とで有名な長崎県の九十九島。実際にはいくつ
の島があるのでしょうか。こんな疑問に答える
「九十九島の数調査研究会」なるものが地元に
あり。そこが調べたところ、ここだけで 208 の
島が確認されたという(ただし、ここでの島の
定義は満潮時に水面上にあるものすべて)
。
名称
の九十九より多い島数があることになった。
ということで、この定義なら「日本の島の数
調査研究会」なるものでも組織しなければ、と
ても日本の島の正確な数は分からないことにな
る。
話は、島から浜に移るが、千葉県の房総半島の
九十九里浜。太平洋に面した砂浜が弓なりに連
なるにところ。
それでは、
この九十九里海岸は、
九十九里あるのだろうか。
地図上では約 60km あるが。
1里=約 4.0kmとすると、とても九十九里
は無い。ところが、ある時期の1里=約 0.6k
mであったから、過去の長さの単位では九十九
里あったということになる。
うーん、それでは、九十九谷(千葉県)は、
そして九十九曲川(茨城県)
、九十九曲峠(高知
県・愛媛県)などはどうなるのだろうか、真実
のところは皆さんに確認していたくことにしょ
う。
読者の皆様には、もうお分かりのように「九
十九」は、概して「たくさんある」
「大変長い」
などを意味しているのであって、実数を示して
いるのではない。
それなら、
「百」ならどうかというと、百人町
(東京)
、百人浜(北海道)
、百万遍(京都)な
どは、百人同心に支給された地、百人が遭難し
た浜、百万回唱えた地などに由来していている
のだとか。関連して白里、白浜、白潟などは、
「白寿」の祝いと同様に「百ひく一」
、
「九十九」
と同じような意味を示しているものもあるのだ
とか。
同じように、J リーグでおなじみの日本サッ
カー協会の旗章にある、足でサッカーボールを
押さえる三本足のカラス、
「八咫烏(やたがら
す)
」の八咫も、8×18センチのからす(咫:
親指と人差し指を広げたときの長さ)というわ
けでもなく、非常に大きいという意味。もちろ
ん、大江戸八百八町、京都八百八寺、大阪八百
八橋も、うそ八百とは言わないが、その類のも
の。
(2003.7)
「道の発達」
ろうが、挑戦者のそれは微妙に曲がる。次に歩
く者は前者の跡を慎重に歩く。だが、対向者が
お年を召した”やまちゃん”は、夏でもエア
コンを控えている。
なぜかと問われても、
「ただなんとなく老体に
現れると、すれ違うため踏み跡を広げざるを得
ない。そうこうするうちに、小道は蛇玉の(蛇
が獲物を飲み込んだ)ように広げられ、次第に
は悪そう」といった程度のことである。
左右に曲がる。きっかり、直線的に作り直そう
そこで、暑さしのぎに、せめて話の内容だけで
などと考えるものはいない。
も雪景色を取り上げることにする。
より負担の少ない筋を通る。その後、雪が積
青春の一時期を札幌の町で暮らした。
そして、
もる融けるを繰り返すごとに、小さな地形の変
30 数年後再び札幌で住まいすることになった。
化や雪の高まり、水たまりや行きかう人を避け
長い空白があったが、町の様子はあらかた分か
て道は形づけられる。
雪解けを迎えるまでには、
ったし、新たな場所を訪問するとしても迷うこ
ゴビ砂漠の涸れ川のように道は動く。
とは少なかった。それというのも、札幌の道路
住民や役人の手で改修が行われない限り、道
網が碁盤の目のようになっていて、住所を言え
はこのように発達するのだと”やまちゃん”古
ば創成川と大通り公園の交差地点を原点とする
い地図を見ながら納得している。
座標軸で表現されることが理解を助けるからで
もちろん、ことの真相は定かでないから、こ
ある。その札幌が、明治初期からアメリカ人ケ
の話は、指先がしびれるような雪解け水に流し
プロンなどの技術者の指導で街作りを進めたこ
ていただきたい。
(2003.8)
とは、有名である。
それ以前、同様の例は京都と奈良ぐらいであ
ろう。
それはともかく、
自然発生的な道はどうして、
あんなにも不自然に曲がるのだろうか、それを
考えると眠れなくなってしまいそうであるが、
その理由を”やまちゃん”は知っている。
それは、再訪した札幌の住宅のベランダから見
えた、通勤者の歩く風景から解明できた(”や
まちゃん”
、
高いところから眺めるのが好き?)
。
そこには、大きな四角形の空き地があって、対
角線上に進むと駅までの道は最短となる。
ところが、通勤者の通る道は微妙に曲がりく
ねっているし、春から秋までの道筋は更に微妙
に変化する。
その原因は、降雪後に始まる小道の発生から
の経過を見ると明らかになる。
空き地が根雪になると、これまでの小道の情報
はクリアされる。
大雪なら誰もが除雪された車道か歩道を進む
が、いつしか挑戦者(子供や若者)が空き地を
横切る小道を造る。最短の対角線を目指すのだ
「位置を知る」
とである。GPS が発達した今では、それがかな
りたやすいことになった。まもなく私たちは、
1 年を経て、そろそろ皆さんからの”やまち
GPS つき携帯電話一つで、それも数センチの精
ゃん”像も、すっかり出来上がったころでしょ
度で所定の場所に位置することができる。時に
う。そうした期待を裏切ることなく、もう少し
は、室内や地下街ですらそれも可能になる。そ
がんばらなければならない。
のとき人は、ソーム課長の掛け声一つで、田の
そんな”やまちゃん”が苦闘する傍らの書棚
稲のように 50cm 間隔で立ち並ぶことができる
には、
過去 10 数年ほどの地図にまつわるスクラ
かもしれない(体型が配慮されないから、直立
ップがある。
できない箇所が出るかもしれないが、ともか
過去 10 数年といっても、
それほどのボリュー
く・・・)
。
ムはない。
”やまちゃん”は移り気だから、切り
こうした関連から、
「なぜ、彼らは整然と位置
取っては休む、思い出しては集めるという風で
することができるのか、
確認してみたいものだ」
ある。それも、引越しの度に捨てられそうにな
という、それだけのことで、この写真はスクラ
りながら、残ったものである。結果は、小ぶり
ップされた。
(2003.9)
の書棚一杯分である。
収集されたスクラップは、常時開かれるとい
うより、切り抜きすると同時に要所が蛍光ペン
でマーキングされ、キーワードが頭の片隅に入
れられた後は、時折読まれることがあるといっ
たことで、すべてが役立つわけでもなく、その
一部が時には日の目を見るといった程度のもの
である。
そうしたスクラップの中に、世界最大級とい
う大きなモスクで祈りを捧げる、敬虔なイスラ
ムの人たちの写真がある。
信者達は、ただ一心にメッカの方向を向いて
祈るのだろうが、建物の中で妙に整然と並んで
いるのが気がかりであった。
年始や年度始めの社長訓示などで集められた
社員は、なんの操作もしなければ整然と並ぶこ
とは無い。ソーム課長の指示で並ぶとしても、
極めて整然にとは行かない。
それにしても モスクのそれは素晴らしい。
イスラムの人のために用意されたホテルの床に
は、メッカの方向を示す目印がついているそう
だが、彼らは、配置された目印により、あるい
は足下のタイルの模様などを参考に位置してい
るのだろうか。
地図や測量の基本は、地球上の自分の位置を
知ること、指定された場所に正しく位置するこ
「沼と呼ばれたくない」
水植物が繁茂するもの。 池とは、湖や沼より小
さなものをいい、特に人工的に作ったもの(フ
“やまちゃん”長距離通勤途中の書店のレジの
ォーレル(1841-1912))
。
」と。
近くで、有名書店が発行する本の紹介本を見つ
ところが、最近では特にイメージアップの面
けた。無償である。しばらくこれが私の愛読書
から、定義とは関係なく、水溜り全般に「○○
となった。
湖」を使用する例が多くみられる。同様なこと
そこには、広範な書籍紹介や著者の随筆など
があって。
”やまちゃん”にはすこぶる相性がよ
は「○○高原」などにもある。
地図に表現されるには、
地理的な定義よりも、
い。
呼称について、市民権を得られることが必要で
ある日の、その書評誌に以下のようなフレーズ
ある。市民から、そう呼ばれること、名称から
があった。
場所が特定できれば良いということ。
「・・・『あのね』と“みっちゃん”に話し、
『ふ
水深が浅くて、葦などが繁茂しているのだが、
ーん、そうだったんだ』と言ってもらうことで
「沼」と呼びたくない人たちの操作で、
「湖」と
心は収まるのでした。・・・」
呼ばれる。
この際、文意はどうでもいい。ここに登場した
“みっちゃん”が懐かしい。
“やまちゃん”過去にそう呼ばれていた。
いや正確には、今でも、何年ぶりかで再会する
年を召した兄や姉からそう呼ばれている。
東北出身者が多かった”やまちゃん”の故郷の
ご近所では、
「おかあ」
、
「おどう」と呼ぶ家庭が
多かった。もちろん父母のことである。その中
で、関東から転居してきた”やまちゃん”ちは、
「かあちゃん」
「とうちゃん」と呼んでいた。
テレビが居間に位置するようになったころだろ
うか、姉たちが成人したころだろうか、誰から
とも無く、
「かあちゃん」はみっともないから止
めにして、
「かあさん」と呼ぼうということにな
った。
それでも
“みっちゃん”
には変更は無かった。
それっきり、還暦近くにもなる男は、兄姉た
ちから“みっちゃん”と呼ばれ続けている。
さて、
本題の地図の話に戻さなければならない。
地図に表示される、湖・沼・池といった呼び名
の違いはどのようになっているのだろうか。厳
密に区分することは困難なのだが、
地理学では、
次のように区分している。
「湖とは、水深が大きく、植物の繁茂が湖岸に
限られ、中央の深いところには沈水植物を見な
いもの。 沼とは、湖より浅く、最深部まで沈
思慮深く、
髪も繁茂していない、
“みっちゃん”
の場合はどうなるのだろうか。
(2003.10)
「秘密の地図」
にもいえることである。頭の中の地図は、個々
が理解できれば、どのように書かれていても良
ある日、電車の中での若い女性の会話に聞き
耳を立てた。
いのである。
(彼女も同じ)
。
だから、ハイイロハシブトカラス同士であっ
頭脳の情報の共有はできていないように、
一人がお勧めの店を紹介しているのだろうか、 ても、
目的地までの道筋を丹念に説明している。
勝手に書かれた地図は、他人には読み取れない
「あのね、山手線の内回りのホームを降りると
ものであるはずだが、地図の定義は「地表の状
ね、真ん中の階段を浦和方向に上ってね、それ
態を一定の規則で表現したもの」であるから、
から右、下谷口方向に進むとね・・・」
これを作成すれば、いくら「マル秘」扱いにし
「ちょっと待って、書き留めるから」聞き手が
たところで、それは守れない。
バックから手帳を取り出す。
戦時中の一時期、地図は「極秘」の扱いとな
「書くほどのことはないのに」
り、真実を描いたものは秘匿された。市中に出
「いや、後で考えるのいやだから」といいなが
回ったものには、軍事上重要な施設が田んぼや
ら書き出した。
”やまちゃん”ずうずうしく手帳
畑になり、他の建築物で埋められカモフラージ
を盗み見て、びっくり。
ュされ、公開された。空中写真ネガの該当地域
「山手線の内回りのホーム→ 真ん中の階段を
には墨が塗られた(焼き付けられたとき真っ白
浦和方向に上る→ 右、下谷口方向に進む→オ
になった)
。それは、要塞地帯を走る列車の窓に
レンジキオスクの脇を左に→ ・・・」と横書
ブラインドを下ろさせたのと同様で、重要施設
きに書き出したからだ。
の存在を暗に知らせていることになる。
共通の体験をもとに、複数の者にある目的地
そのような意味で、本来地図を作るという行
のまで地図を書いてもらうと、当然ながら各人
為は、
秘密の存在を無にすることかもしれない。
各様のものができる。もちろんそれは、紙状の
幸い、現在の日本では、地図はすべて公開され
ものに吐き出す以前の頭脳の地図がそれぞれ異
ている。また、公開された空中写真には、駐留
なるからである。
米軍の黒い戦闘機もさえも写っている。もちろ
メモする女性はその場所での実体験が無いか
ら、地上を思い浮かべることは難しかったのか
ん、偵察衛星の時代だから地図を非公開にして
も無意味な時代ではある。
もしれないし、ドイツなどからの帰国子女だっ
しかし、隣国を含め詳細な地図は非公開、国
たのかもしれない?(彼女の書いたそれは、聞
外持ち出し禁止の国がまだまだ多い。
(2003.11)
くところによるヨーロッパスタイルのカーナビ
ゲーションのようであったから)
。
それはともかく、紙などの媒体の地図を持た
ない動物は、頭脳の中にそれぞれの怪しげな地
図を持っているはずである。
その、動物たちの怪しげな地図の話だが。ハ
イイロハシブトカラスは、秋になると約 3 万個
のマツの実を数千箇所に隠し、それを春までに
全部探し出して食べてしまうのだという。
そこでの地図は、いくら特異なものであって
も、餌を探し出すという目的を立派に達成して
いる。同様な例は、人間も含めた他の動物たち
「悪党どもが見る越前屋の地図」
線を引いた、
「レントゲン室は赤い線のとおり進
んで下さい」という、あの縮尺1/1の地図も
時期はずれの紹介になったのだが、12 月 14
良い。デザイン的には少々いけないし、病人の
日まで東京国立博物館で、
「伊能忠敬と日本図」
ようにいつもうつむき加減で歩くわけにはいか
という催し物が開催されている。
ないし、誰しも目的の方向が一緒ということも
ここでのメインは、もちろん「伊能図」
。それ
ないからベターとはいかない。
も「大図」と呼ばれる縮尺 1/36,000 という大き
ともかく、図柄も文字も北を向いた地図の出
なものである。今回は、アメリカで新たに発見
現で、西洋文化にかぶれた明治期以降の悪党ど
されたものをディジタルデータで入手・出力し、
もは、たくさんの地図を複写しなければ、作戦
彩色したものを床展示している。全国分 200 枚
が立たなくなったはずである。
(2003.12)
を一挙公開する広いスペースはないから。関
東・中部地域だけの展示である。
ある読者の指摘と「世界の社会資本整備」
手前味噌だが、北九州市の当社「地図の資料
(http://www.coara.or.jp/~tounai/inside/ha
館」なら、
「中図」ではあるが日本全域が床展示
nno.htm)HP によると、
「ドイツ北部の大都市ハ
されている。
ノーファーは、
「緑のなかの大都市」と呼ばれ、
ところで、こうした大ぶりの日本地図の床展
中心市街地には歩道のうえに赤いラインがひい
示を見て違和感がないのはどうしてだろう。
てあって、このラインに沿って歩いていくと市
本来日本の地図は、大広間に広げて四方から見
内の主な名所を一回りできるようになってい
たものである。時代劇で悪党どもが忍び込む屋
る」とのこと。
敷の地図、戦国武士が戦の場所の地図を広げて
いる風景である。
壁展示の東京国立博物館所蔵の「大図」やそ
の他の古地図を含めて、
「注記」と呼ばれる文字
類や島や山岳の景色も四方八方の向きになって
いる。どこから見ても、どこに置いても良いも
の、不都合なものは体の位置を変えるか、地図
をどうにでも回転させればいいのである。少な
くとも、文字や景色の全てが読めないというこ
とにはならない。地図も、タタミ文化の延長に
あるということ。
翻って、街中で良く見かける案内図には、時
折向きが不適切なものがある。掲げた方向と実
際の地形が合わないからである。地図を作り、
文字列を並べる以前に掲示場所や、その向きを
頭に入れないと、旨くいかないのである。
“やまちゃん”
、このことの解決策としては、地
面に配置することが一つの方法であると思って
いるが、多くの実例に出合ったことはない。ま
た、これはどこかで書いたことだが、不案内な
ことが多い老舗旅館や病院では、廊下に複数の
「地図の日向と風向き」
地図の時刻は何時になるのでしょうか?。
さらに、地図記号の中で風に靡くものがありま
皆さん明けましておめでとうございます。今
年もよろしくお願いします。
す、
これも明確に右へ流れています。
となると、
西から強い風が吹いているのでしょうか。
ということで、地形図には、日の向き、時刻、
と書いているのは、2003 年末のことです。
風向き、そして季節も感じられます?。
コラムの読者のことを考えると、気分は正月で
読者には、質問の投げかけだけで、お年玉ど
なくてはなりません。何とか気持ちを高揚させ
ころか消化不良でしょうが、正月休みのひとと
て、とは思って見るのですが、普段は書き込み
き、季節は何時なのかも含めて、こうした事象
の少ない“やまちゃん”の手帳には、飲酒を伴
を証拠づける地図記号が何であるかなど、地形
う会合が、いくつか書き込まれていて、やや憂
図を眺めてお考え下さい。
鬱です。
ともかく正月ですから、お年玉気分で明るく
いきましょう。
“やまちゃん”
、
最近になってコラムと並行して
「へー」と驚く「地図豆」を連載しています。
その「地図豆」の全公開は、息の長いものです
から、これを先取りした「お年玉」をお送りし
ます。
地形図には、
「地図の日向」
「地図の時刻」
「地
図の風向き」があるということ。
「地図には、日向と日陰があるって、えー、ほ
んとー」という声が聞こえそうですが、本当で
す。
地図とは、
「地上の様子を紙などに表現したも
の」です。ですから、地上という立体的なもの
を、平面の中で何とか伝える工夫があります。
その、立体感を表現するときには、影を利用し
ます。陰影をつけるには、架空の太陽位置が存
在しなければなりません。
その太陽位置は、ちょっと考えられない北西
の位置にありますが、これが私たちにとって容
易に受け入れられる立体感を演出します。
また、地図記号には、影のついたものがありま
す。
記号のモデルになる実物も、陽が当たれば影
ができそうなものばかりですが、その影はとい
うと、いずれも下辺右側についています。真東
に影があるとすると、夕方なのでしょうか、そ
れにしては強い日差しのようです。そうなると
回答は、メルマガ連載の「地図豆」での登場
を持って代えます。お楽しみに。
(2004.1)
「六本木ヒルズでは、迷って当たり前」
先に何があるのだろうか』という楽しさを味合
うことができない。そのことが。すさんだ世を
『この
北九州市リバーウオークを訪ねたときのこと。 作っている遠因である」と。したがって、
同所を管理するお偉いさんから、
「ビル内で、目
先に何があるのだろうか』には、大いに賛同す
的地にたどり着かない者が多くいるので、ゼン
る。しかし、それを実現する手段には賛成しか
リンさん分りやすい手持ちの案内図や案内表示
ねる。
に力を貸して欲しいのですが」ということが話
これは、地図の問題ではない。建築(都市計
題になった。
画)設計上の問題である、誰しもがそうだとは
“やまちゃん”大いに同感であった。といって
断定できないが、
人は 90 度の倍数以外の角度を
も理事長の地図作りに共感したわけではない。
正しく認知できない。いわゆる方向音痴の女
利用者の「迷うということ」にである。そして、
性?は、角を三回通過すると空間位置が不確か
2003.7.12「朝日」の辛酸なめ子氏の「みんなで
になる。
迷えば怖くない」を思い出した。
ましてや、この曲線で構成される町では、さら
「なめ子」さん、名前からして、これまでかな
に混乱する。
りつらい思いをしているのかと思うが、本題と
「最初に右へ 60 度曲がり 20m 進み、次に左へ
は違うから、そのことは放っておいて。
45 度曲がり 20m 進んだとき」
、元の位置に対し
六本木ヒルズについて、彼女曰く、
「雲形定規
てどのように位置しているかを、瞬時に判断で
で描かれたような(そこでの)地図は、皆目検
きる人などいないに等しい。と、
“やまちゃん”
討が付きません。
・・・森タワーの側面は曲線で
は思っている。
構成されており、どの角でまがるという目安の
まして、
傾斜地に位置する六本木ヒルズでは、
概念が通用しないのです。全体的に円形の回廊
継ぎ足しされた温泉旅館と同様に、立体ジクソ
が多用されているので気づいたらグルグル回さ
ーのようにさらに空間認知を困難にさせている。
れて何周もしてしまいます。六本木ヒルズ・・・
楽しいはずの買い物を、苦しくさせていると思
館内表示や配られている地図全て見づらく、誰
うのだが。
もが迷子になる資本主義の迷宮です。
」と。
「今日も、六本木ヒルズを訪れる人は多い」
「なめ子」氏は、迷うことに快感を持っている
(2004.1)
というから、これも放っておいて。
話題の六本木ヒルズには、
“やまちゃん”も
早々に足を運んだのだが、恥ずかしくも迷った
のである。そして、一般の利用者も然りであろ
うと思った。まさに、
「なめ子」氏の観察どおり
である(それよりも、
“やまちゃん”この街に楽
しさを感じなかった)
。
このことを、件の理事長に披露すると「福岡
市のキャナルシティも含めて、設計者は、ジョ
ン・ジャーディ氏であって、彼には、
『この、曲
がりの先に何があるのだろ』という想像する楽
しさを体現しているの」のだという。
“やまちゃん”
、
このことは以前から発言してい
ることで、
「お節介商品が氾濫する現代は
『この、
「地図の“向き”
」
地図から想像すること、あるいは人に地図を従
属させることである。一般的には読み手の座標
今日のテーマは少々堅い「地図の“向き”
」に
ついての話だ。
現在は、身の回りの地図のほとんどが、向か
って上が北となっている。
軸に、
「北を上とした地図」を合わせること、回
転させることである。
重ねていうが、原始、私たちがそうであった
ように、それぞれのランドマークは、獲物の居
果たして、いつからそうなったのだろうか。
る山であり、果実の採れる森であり、単にそれ
識者の言葉を借りれば、
“地図の向き”は、人
を基準にさらなる目標物が描かれていた。その
間の行動や機械の発展と関係が深いことが知ら
中から読み取れる風景を想像して使う、工夫し
れているという。原始、人間は自然中心の生活
て使う、そして回転して使うことが地図を旨く
をしてきた。狩猟をし、果実などを採取するこ
使うコツである。
とで暮らしてきたから、自然発生的に、これら
に関連した情報を伝える手段として地図が出現
したのであろう。
それを実現したのが、カーナビゲーションで
ある。
カーナビゲーションの地図。それは、おせっ
そのときの地図の向きはというと、当然なが
かい商品らしく「想像して使う」は欠如してい
ら彼らの行動や思考と深く関連していて、重要
るが、
「人に従属して回転する地図である」とい
な目標物を特定の場所に置いたはずである。
うのが、カーナビゲーションの地図と人との主
それは、私たちが描く略地図と同様であって、
従関係である。
自分中心であり、それぞれが心象に残った山や
ところが、長いこと訓練され、馴らされた”
川(ランドマーク)を基準とした向きになった
やまちゃん”の頭の座標軸には、いつも北が頭
はずである。ところが、時代が進むと太陽や山
のどこかに固定されてある。進行方向に沿って
岳などの自然崇拝が起きる。こうなるとランド
自然に回転する地図を目の当たりにして、これ
マークが共有化され、そのことで“地図の向き”
を更に回転して、今、東南に向かっているのだ
も一定の方向になる。例えば、神殿や城郭がラ
から?熊本はこっちなどと、紙地図を併用して
ンドマークとなるのであるが、これをどう配置
苦闘している。
”やまちゃん”は時代から取り残
するだろうか。
された。
(2004.1)
民衆が神殿を崇めるように、街の中央や特定
の位置に神殿が配置されるのはごく自然のこと
である。神殿から民衆を支配するように、神殿
が民衆の中央に配置され、高まりに位置するの
も普通である。地図においても同じ、紙の特定
の場所に位置することになる。
その後、羅針盤の発見とともに探検の時代が
やってくる。その時の地図の向きは基準とする
北が上を向き、地図に記される文字の向きさえ
もそれに従った。こうしてしばらくは、地図に
人間が従属した。と、
”やまちゃん”は思ってい
る。
それでは、北を上とした「地図を上手に読む」
ということは、どのようなことだろうか。
「道を尋ねられ易い人」
がありそうなところなどを選んで聞き取りをす
るのがオーソドックスなところである。ところ
冬日のころ、薄暮の田舎道で訪問先の居宅が
が、最近は無人交番も多く、昔のタバコ屋に代
分らなくて、往生したことが有る。
わる店番を置く商店も見当たらない。だから、
夕暮れが暗闇になり、曲がりくねった先の見え
この問題の解決には、誰でもが「話し掛けやす
ない道が不安を強くする。
い人」
、
「地理知識の高い人」になるといいのだ
「向こうから人が来るよ。止めてとめて!」同
が。
乗者が言った。
「誰でもが地理の説明上手な人」になるには、
「すみませーん・・・」
それなりの教育が必要になる。
”やまちゃん”の
“やまちゃん”車を寄せ、声を掛けてから、
・・・
「出番だ!」と思ったものの、説明上手になる
先が続かなかった。
コツについては、よく把握できていない。
暗がりから振り返った顔は、
明らかに外国人。
中近東の人だろうか、ともかくそちらの方向の
人々だったので、次の言葉は飲み込んで、
「すみ
ませんでした」
といって、
車を出してしまった。
世の中には、
「道を尋ねられ易い人」がいるらし
い。
通勤の道すがらは勿論のこと、見知らぬ町を
散策中であっても、旅行鞄を下げた旅行中であ
っても、声を掛けられるのだそうだ。このとき
の「道を尋ねられ易い人」へのアタックは、話
し掛けやすい優しい顔が見える前方からだと思
うがどうだろうか。
背中から、
「優しい顔」が見えないから、後ろ
からも声を掛けられるのだとすれば、
「話し掛け
やすい」が、体全体からにじみ出るような奇特
な人ということになる。
件の「道を尋ねられ易い人」は、外国旅行中
も例外ではないそうだから、イラン人の例は、
これに当たるのかな?
どこから見ても堅物に見える”やまちゃん”に
は、何とも羨ましい限りである。
さて、問題解決のためには、付近の地理に詳
しく、説明上手な人を探し当てて、声を掛けな
くてはならないが、見るからにそのような人に
などに、お目にかかったことは無い。
行動パターンとしては、交番などの地図のあ
るところ、地理案内を仕事にしているところ。
あるいは、昔ならタバコ屋のおばちゃんなど、
時間もあり、それなりに地理的知識や説明経験
(2004.2)
「地図の読める人が国を良くする!」
比較にもならないが、
「ナポレオン 3 世の下で、
パリ大改造を担当したオスマンは、当初なによ
“やまちゃん”の顔の一つに新入社員などへの
りもまず厳密な測量に基づく地図が必要だと思
地図の先生というのがある。
ったそうである。
彼から指示されたデシャンは、
ここでの第一声は、
「地図の読める人になろ
う」というものだ。
直ちにパリ市全域の三角測量を行い、正確な
1/5,000 地図 21 枚を迅速に作成し、この期待に
その意味するものの最初のひとつは、当然な
応えた。そして、知事執務室に置かれたこの地
がら地図記号などの約束事を知って文字通り地
図をもとに、パリ改造計画が策定されたのだと
図が理解できる人になること。
いう」
(
「怪帝ナポレオン三世」鹿島茂著)
。
ふたつ目のそれは、地図から現地が想像でき
その結果は、歴史的建造物は残しながら 20
る人になることだ。地図は一定の約束事に沿っ
世紀、21 世紀に受け入れられるパリが造られた
て作られたものだから、それを読むことで知ら
のである。
ない街の風景や地形が想像できるはずである。
明治初期の日本でも、お雇い外国人技術者の
それができる人になることで、初めて見知らぬ
下、三角測量と地図作成が行われ、日本の未来
風景を想像できる地図を作れる人になれるとい
計画が立案されようとした。太平洋戦争後の日
うものだ。
本もその主旨は多少異なるものの、米軍による
さて、最後の「地図の読める人になろう」は、
日本全土の空中写真撮影と地形図修正が行われ、
ある意味で地図だけの人にはならないこと、視
焦土は新しい日本となる可能性を秘めていた。
野の広い人になることである。
が、計画と実行がひとたび日本人の手にかかる
その、
「地図の読める人」が、日本にたくさん欲
と、夢は小さなものになる。後に評価されたの
しいという話である。
は、名古屋市における 100m 道路など、わずかな
かつては日本最大級といわれたホームセンタ
ーが、“やまちゃん”の住む町の近くに
ある。
ものである。
なぜ、日本人に計画的な街づくり、特に市街
地の再開発はできないのか。
その行き帰りに通る交差点の一部が近ごろ改
あの交差点での誤りに象徴されている。根本
修された。ごく小さな道を除けば、改修前は平
的な混雑解消のひとつは、六叉路を 4 叉路にす
面交叉の六叉路で渋滞の名所でもあった。その
る交差点の単純化である。それには、少しだけ
交差点の東西を結ぶ道が拡張され立体交差にな
広い視野を持って交差点付近の改造が必要だっ
ったのだ。ところが、交通量の推定を誤ったの
たということ、そのためには種々の意味で「地
か、それとも設計が悪いのか、一向に混雑は緩
図の読める人」が必要だと“やまちゃん”は思
和されていない。
っている。
(2004.3)
その理由の一つは、立体になった東西の交通
量が(今のところ)少ないことでその恩恵を受
けるものが少ないこと。平面交差そのものを利
用する車線数が減少したこと。
六叉路が依然そのままであることで視界が悪
くなり、信号が複雑になったことなどが
考えられる。
残念ながら、日本には旧市街地に対する大胆
な都市計画というものが見えない。
「地図と花とシーボルト」
るが、そのころからすでに、価値の高い香辛料
入手の延長としての、種子戦略を展開していた
“やまちゃん”の母は健在である。
彼女は、93 歳で北の街で一人暮らしである。
のであろう。
ともあれ、ケンペルはウメ、ヤマブキ、シュ
そして、彼女の庭は、雪解けの春からナナカマ
ウカイドウ、サザンカ、ハナショウブ、ツバキ
ドが真っ赤に色づく初冬まで、花で溢れている
などを欧州に紹介し、あるものには学名を与え
はずである。
たという。シーボルトも同様に、テッセン、そ
その母が花を愛でるようになったのは、行商
してウツギ、アジサイ、ウメなどに学名を与え
の仕事から手を引いた後半生からである。それ
たという。ツュンベルクもまたしかりである。
以前、我が家には父の咲かせる花があった。家
そして出島には、立派な植物園もあった。
庭菜園の傍らに、菊やダリアのような多年や宿
地図・測量とともに草花との繋がり大いに感じ
根の草花類があった。
られる。
そんな影響を受けたのであろう、花好きであ
る。
そして、もちろん地図が好きである。
花のことでは、人との係わりは少ないが、地図・
測量のことでは、これまで多くの人に支えられ
て、私が育てられてきた。感謝の気持ちを、何
かで恩返ししたいと願っている。
常から、地図や測量が好きな人に手助けをし
たいと思っている。地図を作る人、測量をする
人の理解者を増やしたい。
「地図の楽しさを伝え
る人」になることが夢である。地図・測量に関
わる小文を書くことも、
その経過の一つである。
さて、地図・測量の流れで資料をめくると、出
島にいたケンペル、ツュンベルク、シーボルト
がいる。
シーボルトは、日本の近代地図を紹介した。
そして、
それ以前にはケンペルが日本を紹介し、
日本を地図にしている。
彼らは、行動制限の大きい悪条件下にあって、
いずれも熱心に、日本及び日本人の調査と研究
に従事した。言葉はもちろんのこと社会習慣も
大きく異なるなど未知の世界で、ツンペリーは
ケンペルを、シーボルトはケンペルとツュンベ
ルクの方法に学んで、より総合的に日本を知る
ことに取り組んだ。
その時、彼らは多くの植物とその種子類を持
ち帰った。
もちろんのこと博物学という学問のためもあ
たったそれだけのことが、
地図測量と関わる”
やまちゃん”には心の支えである。
(2004.3)
「匂いの地図」
像する機会が少なくなる。見る間でもなく、予
想し形作ることができなくなる。
ある者は「匂い喪失の時代」を憂いている。
「匂いを失うことによって、人の心は優しさや
温もりを失い、人間関係が冷たく、荒んだもの
ところが、
数年後のある日から次第に回復し、
今では 8 割方元に戻ったようである。
そんな、ある日の新聞に「匂いの地図」を見
になっている。
」と「失われた『匂い』を求めて」
た。
(森憲作東大教授: 2003.3.29 朝日)
の中で、安立博氏は、
「匂い喪失の時代」を憂い
匂いと脳の反応を地図化したものである。
ている。
匂いを識別するメカニズムは、つい最近まで
また、人類の発達により、知性の座が著しく
分からなかったことが多かったが、人の匂いセ
大きくなり・・・・しだいに視覚優位の時代になっ
ンサーは、347 種あるのだという。一方、匂い
ていき・・・知性偏重の文化になり、
そこで失うも
分子は 40 万種あるから一対一の組み合わせで
のは大きいのだそうだ。
はすべてを感じ取ることはできない。
実際には、
少々難しいが、消しゴムの匂い、クレヨンの
匂いセンサーはバーコード的な仕組みを持って
匂いといった、ふとした匂いによって、埋もれ
いて、一つの匂い分子に対して複数の匂いセン
ていた過去が甦ってくることがあるが、匂いを
サーが結合する。このような匂いセンサーと匂
失うことでこのような、過去の時間、生きた歴
い分子との組み合わせで 40 万種の匂いが識別
史を失うことになるのかもしれない。
できるのだという。
匂いについて、こんなにも思い入れるのには、
組み合わされた匂いの情報は、神経細胞を経
理由がある。
て嗅球という場所にある糸球体というものを経
“やまちゃん”は、無臭症である。無臭症であ
て大脳に伝えられる。この匂い分子をかいだと
ったというのが正しいかもしれない。
きの嗅球上の反応分布図が「匂いの地図」であ
今はかなり回復したが、一時はカレーの匂いも
る。
感じなかった。前にも書いた 5 月病が果てしな
ただそれだけのことではあるが、
”やまちゃん”
い延長戦のように続いて、専門医の診断を受け
には大切な情報である。
(2004.3)
たが完治しなかった。
匂いを発するのであろう液体を、注射針から
腕に注入され、
「何か匂いますか。どんな匂いで
すか」と看護婦さんに尋ねられたが、何の反応
も無かった。
治療は、
何ヶ月か行われた。
仰向けになって、
匂いの神経を刺激するのであろう薬を鼻に注入
し、
「じっと我慢の子」をするのだが、明らかに
分かるような回復はなかった。回復の兆しも無
く、半年も経過したころ、主治医から「このま
まもう少し続けてみますか。それともしばらく
休みますか」という自信のなさそうな問いかけ
に、治療を断念した。
その時の匂いの喪失は、直接的には食欲に影
響した。触れる前に感じる。食する前に想像す
ることが無くなる。正に視覚が優位になる。想
「東京でも、無人島でも使える地図」
豊富なすぐれモノ。
うーん、
「無人島でも使いたくない地図」につ
今回の話題は、
”やまちゃん”の普段の行いか
いては、
“やまちゃんは”話したくもないが、紙
らすると、もっとも遠いジャンルの話題だ?
質が悪く、もしものときの拭き紙にも使えない
女性週刊誌や芸能番組の話題に、
「抱かれたくな
もの。掲載範囲が悪く、見たいところが見えな
いタレント」というのがあり、名誉ある No.1
い。地図上に示された情報から現地位置の特定
には、例年のように「D」の名が上がる。一般論
が難しいほか、
一見、
情報で満ち満ちているが、
として反論しておくと、何も大多数の女性に抱
良い情報が少なく、
よく読むとノイズばかりで、
かれたいと思われる必要はないのであって、赤
情報表現が薄い、絵に近いモノ。
い糸で結ばれた人にめぐり合い、その人にさえ
君は、どの男を選ぶか。いや地図を選ぶか。
愛されればよいのである(最も、D はそうは思
え!”やまちゃん”はアナログの地図しか相手
っていないかもしれないが?)
。
にしていないのかな。
(2004.1)
さらに、
不謹慎な話であるが、
ある女性達は、
男性を次の3つのグループに分けるのだという。
「東京にいて寝ていい男」
「無人島に二人だけで流されたら寝てもいい
男」
「無人島に二人だけで流されても寝たくない
男」
当然、D はどこにいても寝たくない男なのだ
が、
「東京にいても、無人島にいても、日が落ち
れば寝てしまう」
”やまちゃん”には、この手の
ことは、もうよく分らなくなった。
では、
「東京でだけ使いたい地図」
「無人島で
なら使ってもよい地図」
「無人島でも使いたくな
い地図」はどうなるか。
「東京でだけ使いたい地図」はというと、グル
メスポットやショッピング情報などのコンテン
ツが満載されている。高層ビルの片隅にある小
さな公園の緑が強調され、縦横無尽の交通網や
モグラの巣よりも無計画に作られた地下街の表
示にも工夫があり、お金で買える都市の情報は
満載である。しかし、等高線を含めた地形表現
は貧弱であってもよい。
「無人島でなら使ってもよい地図」は、もしも
の時には、テント代わりや折りたたむとコップ
にもなる雨風に耐える強い紙で出来ていている。
紙ではないにしろ、情報から自然が読み取れ、
楽しい風景が想像できることで、希望がわいて
くるような、お金では買えないことへの表現が
Copyright 2012 オフィス 地図豆.
Fly UP