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いわゆる国鉄三大事件といわれる下山事件、三鷹事件、松川事件は

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いわゆる国鉄三大事件といわれる下山事件、三鷹事件、松川事件は
いわゆる国鉄三大事件といわれる下山事件、三鷹事件、松川事件はいずれも怪事件の様
相を呈している。その先陣を切って発生した下山事件の真相究明に記者魂をかけたのが朝
日新聞社会部記者、矢田喜美男である。かれが幾多もの妨害や多方面からの圧力を受け
ながら真実を明らかにするため調査した結果をまとめた名著「謀殺・下山事件」を社会派の
名匠、熊井啓が映画化したのが「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」(81年)である。
マッカーサー元帥率いるGHQは、昭和24年6月に鉄道省を解体して日本国有鉄道を発
足させ、まだ50歳にも満たない初代総裁、下山貞則に国鉄職員95,000人の首切りを命じ
た。それで7月4日に第一弾として37,000人の解雇を通告し、経営と先鋭的に対立する国
鉄労働組合はいよいよ態度を硬化させた。
映画はこうした背景を説明したあと、矢代記者(仲代達矢)が、昭和日報に取材現場から
映画「謀殺・下山事件」
電話をかけるところからはじまる。すると、上司から下山総裁が行方不明になっているので
そちらの取材に走れと指示を受ける。映画では矢田が矢代に、朝日新聞が昭和日報に変更されている。
実はその日、総裁は本社での重要な会議に臨むため、定刻どおり迎えに来た公用車に乗り込み自宅をあとにした。途中、総裁は三
越(百貨店)にちょっと用事があるので降ろしてくれと運転手に頼み、すぐ戻ると言い残して店内に入った。いっぽう、本社では会議が始
まろうとする時間になっても総裁が出社して来ないので総裁宅に電話をかけると、定刻に家を出たという。公用車ごと総裁が行方不明
になるという事態に、これは大変だということになって警視庁に失踪届が出された。昼過ぎになり、ようやく運転手から連絡があって総
裁が三越の店内に入ったまま消息を絶ったことが判明する。総裁は白昼に三越百貨店の中で忽然と消えたのである。
日付も改まった0時30分ごろ、東京都足立区の国鉄常磐線北千住駅-綾瀬駅間で下山総裁の轢死体が発見され、事件は急展開
をはかる。司法解剖を担当した東京大学法医学教室の権威、古畑種基博士の所見は「死後轢断=他殺」。その後も遺体が着ていた背
広に付着した大量の糠油と染料、ずたずたになった革靴に比べてほとんど無傷だった足、総裁をひいた列車の進行方向とは逆に数十
メートルに渡って線路上に付着していたA型の血痕(総裁の血液型はA)など、不可思議、不自然な事実がいくつか指摘された。にも関
わらず、捜査の流れが他殺説から自殺説へと変わるのである。現場の第一線で走り回る刑事たちの多くは他殺を信じて疑わなかった
が、警視庁の上層部では事件性が無いと判断し、捜査の終結に向かおうとしていた。東大の所見に対して慶応大学や現場検証した監
察医がこれと真っ向から対立する「生前轢断=自殺」を主張したことも流れを変えた。
矢代記者も積極的に捜査に協力し、やがて法医学教室に特命を帯びて出向することに
なって捜査陣と懸命の他殺説補強のための証拠集めを始める。さらに、事件の数日前に総
裁暗殺の計画を聞いたという朝鮮人の男がいて、偽情報を流した罪で占領軍に拘束され
ていた。矢代が面会に行くが立会いのMPの邪魔が入って証言を聞けない。のちにその男
は本国に送還すると称して連れ去られ行方知れずとなったらしい。矢代自身も駅のホーム
から何者かに突き落とされるという災難に見舞われる。
結局、GHQ本部の意向を汲んだと思われる政府筋の圧力により、翌年の3月には捜査
本部を解散してしまうのである。しかも、他殺か自殺かの判断も下されず、事件をウヤムヤ
にするという実に中途半端な店仕舞いだった。のちに松本清張は「日本の黒い霧」におい
てこの幕引きを占領軍の横車が入った結果だと推論し、過激な労働組合運動を押さえ込む
ために米軍が組合の犯行に見せかけて実行したとする陰謀説を明らかにした。同様に松
下山事件の実際の現場検証
川、三鷹の列車事故も米軍の関与があったと主張した。いまとなっては闇の中である。
ところで、矢代が旧知の検事たちに捜査終結を「いったいどこからの命令なのか」と執拗に食い下がって尋ねる場面がある。しぶしぶ
検事が答える。「G2だ」と。すなわち、占領軍参謀本部第2部の命令だというのだ。そこで、矢代は考える。これはとてつもない陰謀だ、
と。
当時の情勢を整理すると、下山事件直後の7月15日に東京三鷹で国鉄の無人電車が暴走し多くの死傷者を出すという大惨事が起
き、8月17日には福島県松川で貨物列車が脱線して乗務員3名が亡くなる事故が発生した。脱線は枕木の釘が故意に多数抜かれた
結果だと判明する。当時はそのような表現はなかったけれど、今でいうテロである。社会不安を煽って体制転覆を図る共産党の仕業だ
ということになり、三鷹・松川両事件では米国の赤狩りと呼応するように多くの党員、そのシンパが逮捕された。冤罪事件の様相を呈し
て文化人を中心に占領軍や政府を糾弾する機運が広がった。そうして、翌年6月、朝鮮戦争が勃発する。これを受けていわゆる「旧日
米安保条約」が締結され、60年に国民的な反対運動が起きた日米安保条約に大きく改定されるのである。矢代はこれらをひとつの流
れで捉える。米国は、米ソ冷戦とそれが具体的な対決の場となった朝鮮戦争を準備する流れの中で、日本をアジアにおける反共の砦と
し、そのために下山事件ほかの怪事件を利用して一気に左翼イデオロギーの押さえ込みを策謀したというのである。いや、もっと踏み込
んでいえば、下山事件ほかの怪事件は米軍が仕組んだという疑惑だ。
映画の後半で事件から10年近くたったある日、矢代のもとに見知らぬ人物から手紙が届く。下山総裁誘拐の現場にいたと告白する
内容だった。数人で総裁を車に乗せ、三越から油工場まで連れて行き、そこで暴行を加えて殺害したというのだ。結局その人物を探し
当てることはできなかったが、事件に関与したという新たな証人に遭遇するのだ。頑なに証言を拒む男を説得して逃走資金と引き換え
に下山総裁の遺体を現場まで運んだ一部始終の証言を得る。しかし、それから暫くして男は乳飲み子を抱えた妻を残して駅のホームか
ら転落死するのだ。男の変わり果てた姿を前に矢代が茫然自失して哀哭するところで映画は終わるのである。それは事件発生から数え
て15年目の64年(昭和39年)、「世界中の秋晴れを、全部東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」とNHKの北出清五郎
アナウンサーが名台詞を残した東京オリンピック開催の年であった。(2016年9月1日)
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