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マイスターⅩ期通信 第9号 植物園と植物の歴史
2 20 01 13 3 ((H H2 25 5))年 年 6 6月 月1 15 5日 日 9 9号 号 摂南大学薬学部薬学科 邑田裕子先生 植物園と植物の歴史 古く中国で発達した「本草学」が、奈良時代に伝わり、江戸時 代に最も盛んになり、明治 時代に植物学・生薬学に受 け継がれた歴史及びその 発展に寄与した植物園つ くりについてのお話 講座のテーマである研究論 文「江戸期から明治初期に かけての小笠原島産植物 について」(伊藤圭介日記 抜刷)及び日本植物園協会第4部会(薬用 植物園)の「薬草ガイドブック」「台所の薬草 ガイドブック」他多くの書籍及び研究調査 に携われています。 ※摂南大学付属薬用植物園 長尾丘陵のほぼ北端、洞ヶ峠に接する標 高60メートルの緩やかな丘陵地に総面積約 10,000m2の規模です。主に栽培している植 物は生薬・漢方処方用薬・民間薬などに用 いられている薬用植物及び香料・食料・染料 などに用いる有用植物や有毒植物類です。 植物園とは『広辞苑』では「植物の研究 及び知識の普及を目的として設けられ、 シェーンブルン宮殿オランジェリー物語 1754 年、オランジェリーの建物は、フランツ 1 世が行 った事業の一環としてニコラウス・パッカシにより建築 されました。南側を向いているファッサードは、大小さ 種々の植物を収集・栽培し、展示する施設」、 まざまな形をした半円アーチの空間と、装飾を施したピ 『生物学辞典』では「植物学研究を行い、 ラスターと呼ばれる付け柱が、変化のある趣を演出して そのために必要な資料を蒐集栽培する施設。 います。内部は、浅めの丸天井が心地よい調子で続き、 ふつう、研究室・ハーバリウムも備える。 床暖房により内部の温度が調整されていました。オラン 公衆に開放して一般教育の普及や慰安娯楽 ジェリーは、柑橘類や鉢植え植物の越冬用としてだけで の場にも供する事が多く、日本では研究を なく、皇室の祝宴等で使用する花の温室としても利用さ 主目的にしない物が圧倒的―」とある。 れていました。ヨーゼフ 2 世は、祝宴の時に、オランジ ヨーロッパ ェリーで保管されていた花とツヤのある柑橘類で飾られ 紀元前 387 年ころプラトンのアカデミア たテーブルを好んで使用しました。 13 世紀ローマ法王ニコラウス3世の薬草 オランジェリーの建物後部は、当時と同じ用途で今日で 園(ローマ大学の教授と記録) も利用されており、改装された部分の前では、シェーン 1543 年ピサの植物園(現在定義の植物園) ブルン宮殿コンサートが開催されます。 16 世紀イタリアのパドブァ(1545)、ボローニャ、ドイツのブレスラウ、ハイデルベルク、フ ランスのモンペリェ、オランダのライデン 1621 年オックスフォード大学植物園 1670 年エジンバラ薬用植物園、1820 年現在地に植物園、 1889 年王立植物園 1759 年オーガスタ王妃の庭園(3,5ha) (キュー植物園 の始まり) 1761 年オランジェリーは今で展示室 1772 年バンクス卿庭園主任 1841 年王立植物園 1842 年初代園長ウイリアム・フッカー卿 1848 年パームハウス 1865 年息子のジョセフ・フッカー卿が園長を引 き継ぎ 20 年、その間に繁栄する 1876 年ブラジルからキューを経て、アジアにパ ラゴムノキを導入 1965 年ウェークハースト分園(187ha) 1988 年皇太子妃記念温室 植物標本の収集と図書館の充実、有用植物 博物館、ジョドレル研究所、収蔵標本 700 万 点以上、植栽植物 25,000 種、キュー植物園 の案内書には、 「一般に受け取られている印象 には反する事であるが、この植物園は市民に 親しまれる憩いの場をつくるのが主目的では なくて、植物学の研究の場である。」と明記。 市民の憩いの場としての設計も、世界でも っとも完全な植物園のひとつ。(岩槻邦男著 『日本の植物園』東大出版会(2004)より) 日本 718 年『養老令』を制定。宮内省には典薬寮を 設け、薬園師2名、薬園生6名をおく。薬園師は本草を教え読ませて諸薬およびその採取・ 栽培の法を学ばせる。 918 年深根(江)輔仁『本草和名』2巻この頃なる。 『新修本草』の和名を考定。植物 389、産 地を記すことが多い。 927 年『延喜式』50巻が完成。薪 37「典薬寮」に各国が貢進する 薬材 209 品と数量。 1684 年麻布薬園を小石川御殿地の北端に移す。小石川薬園の発祥。 1799 年小野蘭山、京都出立して江戸に向かう。幕府医学館で講義、 薬園の管理も委ねられる。 1803 年小野蘭山、『本草綱目啓蒙』の刊行を開始 1829 年伊藤圭介『泰西本草名疏』2巻+附録2巻 1868 年小石川薬園が東京府の大病院附属薬園になる。 1875 年文部省博物館小石川植物園(植物園の初めての名称) 1877 年東京大学法理文三学部附属園 1884 年東京大学植物園 1886 年帝国大学理科大学 1897 年東京帝国大学理科大学附属植物園 1999 年東京大学大学院理学系研究科附属植物園 1947 年日本植物園協会創立 1966 年社団法人日本植物園協会 一口メモ 1.今までにいろいろな植物園 に行ったことがあるが植物園 の歴史まで考えたことはなか ったので、違った視点から植 物園を考えることが出来まし た。 2.固有植物園を通して小笠原 の島の歴史よくわかりました。 外国の植物園話も興味深く、 勉強になりました。 3.植物園の歴史、興味深く聞 かせていただきました。特に 小笠原の植物を見に行きたくなりました。 4.植物園の定義について深く考えたことは なかったですが。日本の植物園は研究のた めではなく市民の楽しみのためのものが多 いとのこと、植物に対する、日本人と欧米 人の考え方の違いが反映されていると思い ました。日本も植物の力を利用すべく研究 をもっと進めてほしいです。 5.植物園の始まりは薬草園からであった。 それが多様化して一般の人に植物に親しん でもらうところまでになったとの事、小笠 原の植物が現在そこが日本の領土であることにつながっていた話は初耳で有った。植物採取に スケッチは大事なこと。 6.植物園の歴史と言うのは考えたこともなかったが、お話を聞いてもおもしろいものだと思い ました。後半のお話は専門的でしたがわかりやすく、興味をもてました。 7.世界の植物園、小石川植物園、小笠原の植物についてよくわかりました。 8.ヨーロッパ、日本の植物園の歴史、おもしろかったです。また領土(小笠原)と植物の探検 がかかわっているとは思いもしませんでした。 9.ヨーロッパの植物園は植物学の研究の場であることを認識した。小笠原島産の固有種(絶滅 種)について残された標本、図、ラベル文献によって同定することが非常に難しく、ご苦労さ れたことが判った。やっと邑田先生の書かれた論文が理解された。 10.摂南大学植物観察には三度よせて頂きました。先生のお話を聴講するのは初めてです。いつ も解りやすくはっきり説明して下さるので気にいっています。今日も貴重なお話を聞かせて頂 き大変嬉しいです。また植物よもやま話等を聞かせて頂きたいです。 11.日本の小笠原へのかかわりの歴史を聞き(1830年頃ハワイの人が移住していた時期もあ った)目からウロコです。本当に知らないことだらけです。 12.小石川植物園について良く分かったが、近隣の植物園がどのような意図でつくられているか が知りたかった。見るポイント等も含めて小笠原の話は知らないことが多くおもしろかった。 13.後半の小笠原島の固有の植 物の話や文献を調べての研究 など大変興味を持つ事が出来 ました。時間も2時間にとら われず熱のこもった話を聞く 事が出来ました。 14.植物園の歴史は非常に興味 の有る話でした。植物園に対 するヨーロッパと日本の認識 のちがいがわかりました。 15.物自体のことよりも植物を 同定する過程の、多面的な推定 の方法が興味深かった。 16.植物園が研究の一部であっ たとは知らなかった。単にいろいろな植物を育て展示 しているものとして見ていた。小石川植物園に行って みたい。 17.今日の内容は少し難しかった。 18.植物園はどこも薬草園から始まったのを知った。 キュー植物園を訪れるのは無理でも小石川植物園へ は行ってみたい。 19.摂大の薬用植物園を見学した後の講義だったので 植物園の話は大変興味深かった。座学と実地研修のセ ットは理解し易く、今後もよろしく。 20.植物園の関係者にとっては、植物園の歴史に関し ては非常に興味があり新鮮味があった。 21.以前、標本作りの話を聞いた事がありましたが、邑田先生の過去の標本においての追跡調査 の説明に感動しました。 22.自然のフィールドを優先し、植物園はあまり行かなかったのですが、各々歴史や個性があっ ておもしろいですね。これからはもっと活用して楽しみたいと思います。小笠原の話も興味深 いものでした。 23.植物園に興味を抱いているとき、植物園の歴史と意図を学び、新たな見方と楽しみ方が増え ました。 24、薬草園の歴史もさるものながら、終盤の小笠原は面白いですね。絶滅種が多くて、植物を精 密に画いています。私も画く事に興味が出て来ました。 25.植物園てすごいですね。外国の植物園も見てみたい。 26.先生の情熱が感じられ、世界の植物園に行ってみたいと思いました。 27.植物園とは・・・・多様な存在理由がある事が分りました。小笠原島の話は大変おもしろか った。 28.海外の植物園をいろいろ知る事ができ良かったです。 29.日本の植物の原点は小笠原?小笠原は固有種が多いので本日の内容になったのでしょうか? 本来の日本の植物の話がもっとお聞きしたかったです。 30.名前だけでなく、標本・スケッチがあれば時代を越えて同定できる。楽しそうです。 31.植物園のルーツは薬草園なのですね。ヨーロッパの植物園にも、それぞれ個性があるようで 行ってみたい気がします。椰子、ラン、多肉植物がヨーロッパではめずらしいことを初めて知 りました。 32.スクリーンを使用する授業の場合、真中列の 前3列ぐらいは人が座らないようにしてほし い。後方では半分しか見えない。 33.「植物園」の認識を改めさせられた。市民の憩 いの場の印象が強いオレンジの必要性と温室 オランジェリーの関係はわかった。 34.植物園の歴史はあまり興味がわかりませんで した。先生の薬草の話が聞きたかったです。 35.もっと私達の身近な興味のある話題を提供し ていただきたいです。すみません、ねむたかっ たです。あまりよく覚えていません。で もたくさんのお話をありがとうございま した。 36.初めて参加しました。これからも、植 物に対して、生きる力など見出して、自 分を見つめてこれからも過したいです。 37.最初にタチバナの話をして下さったの は本当にうれしかったです。植物園のは じまりは薬草園であったことも「以外 な」感じもあったが、「やっぱり」という 気持ちがする。先生の植物と向き合う熱 い気持がジンジン伝わってくる。ぜひ、 また先生の植物観察に参加させていた だきたいです。 38.いつもながら邑田先生のお話はわかり やすく感心をします。植物園の果たして いた役割と歴史がよくわかりました。こ れからもいろいろと教えていただきた いものです。 39.市民に 開かれた京 都府立植物園の貴重さがよく分りました。 40.植物園の歴史を初めて教えていただき、固有種を守るための 研究や努力に敬意を表します。小笠原における植物調査について はやや専門的な活動の説明が多かったので、十分理解できない部 分もありました。 41.植物を植物園で見る場合と自然界で見る場合では自ずと観察 ポイントが違うのかも分りません。同じ役割を求めていると、ど うしても自然界での遭遇に感動を覚えます。これからは植物園を もっと活用したいと思います。 opl 植物園の歴史 http://www.gakugei-pub.jp/judi/semina/s0802/tu002.htm 植物館の歴史と現在 ヨーロッパの植物園の歴史 1) 食糧としての植物を収集保存する。 人間は地球上に生まれてきて食糧を得ようと植物を集めました。中国では紀元前 2500 年頃、 神農が有用植物を収集栽培したと言われています。また、アレクサンダー大王も紀元前 310 年、征服した地からバナナ、ニンニク等有用植物を持ち帰りました。これらを植物学的に整理 したのがアレキサンダー大王の家庭教師であったといわれるアリストテレスです。 2)薬を収集保存する。 ヨーロッパの歴史の中では、薬用植物だけを集めたのは、13 世紀、ローマ法王がバチカン の薬草植物園を作ります。16 世紀頃には修道院に薬草園が作られるようになりました。 3)教育機関。 13 世紀、ローマ大学で植物学の授業が始まるという動きがやっとでてきました。16 世紀な かば、大学医学部とは別に植物学が体系付けられます。 4)遺伝資源収集。 ヨーロッパは氷河期に多く植物を無くし植物相が乏しいことから、大航海時代以降、18 世 紀になるとアジアなど他の地域の豊富な植物をどんどん収集保存する植物園を作り始めまし た。有名なキュー植物園もこのころできたものです。 このようなヨーロッパの歴史をみていくと、18 世紀までの植物園は基本的に医学、食料、 有用植物のジーンバンクとしての機能を持ち、国の経済戦略のために植物を集めていたことが わかります。 5)観賞用施設としての植物園。 産業革命後、1851 年世界初の博覧会で鉄とガラスで作られたクリスタルパレスが登場し、 キュー植物園にも海外の珍しい植物を見せる観賞型温室が作られるようになりました。 6)交流型。 その後アメリカのロングウッドガーデンのように、フラワーショーを行ったり、美しい庭園 をもつ観賞型の植物園が登場してきました。そして、そこではパーティーや結婚式が行われる 交流型の植物園が生まれました。 現在の植物園のタイプ このようにヨーロッパの植物園の歴史をみると、植物園は Gene Bank(遺伝子銀行)であり、 経済的視点から植物収集を行ってきたものが主流でした。しかし、18 世紀や 19 世紀になると、 珍しい植物を「観賞」したり、植物に囲まれた空間で人々が憩う「交流の場」としての機能を もつように変わってきました。 20 世紀後半より植物園は社会状況の変化により、その内容がさらに分化していきます最近の 主要なタイプをあげると次のとおりです。 研究型 遺伝子資源収集型 牧野植物園、薬草園 環境保全型 新潟県立植物園等 緑化情報発信型 緑化植物園(90 年以前) ライフスタイル提案型 花の植物館オープン後(88 年) 住民参加型 花の町づくり型(2000 年以降) 園芸振興型 各地フラワーセンター(70 年代後半)とっとり花回廊 教育型 大学付属植物園 フラワーパーク型 各地フラワーセンター、各地の農業公園、緑化植物園(95 年以降) 「健康型」植物園は高齢化の進展、バリアフリー化に伴い、80 年代にはアメリカで「バリアフ リーガーデン」「園芸療法ガーデン」を展開してきました。 「遺伝子源収集 Gene Bank 型」は地球環境の悪化により地球脱出を視野に入れ 80 年代後半「宇 宙開発型」を展開しました。アメリカでは 1980 年代に、宇宙において地球と同じ環境を保つた めに必要な植物と 4 組の男女 8 人をミニ地球に入れ生活させた「バイオスフェア 2」が作られま した。最近は、イギリスでエデンプロジェクトという地球を再現した「環境教育実験型植物園」 がオープンしました。 海外の植物館の機能―事例 「遺伝資源保存型」のイギリスのキュー植物園では、ジーンバンクとして「情報収集機能」 「研 究機能」、キュレーターを養成する「教育機能」だけでなく、 「観賞機能」ショップ、レストラン など「サービス機能」持っています。「遺伝資源収集保存・環境教育型」のシドニーの植物園で は、6000 万年前に切り離されたというオーストラリア大陸の特殊な遺伝資源を市民「参加」で 収集保存するとともに、またその環境を守るための子供への「環境教育」に重点が置かれていま す。 そして「遺伝資源収集保存・産業振興・まちづくり型」のニューヨーク市立植物園はもっと実 践的です。薬品会社や食品会社と協力して「研究開発」を行い、植物園を運営していくための資 金調達も行っています。大学院と言う「教育機能」、ニューヨーク市の街路樹等の「緑のコンサ ルテイング」もしています。また同じニューヨーク市でもブルックリン植物園は「参加型植物園」 の代表と言えます。「研究機能」を持ち、地域への「緑化指導」も行います。それに加え、世界 で最初のチルドレンガーデンをつくり、大都市に生活する子供に「環境教育」を行っています。 また、ここはボランテイア活動がアメリカでもっとも盛んな「参加型植物園」で、ボランティア が主体的に植物園運営を行っています。 エプコットはディズニーワールドの中にある施設で「エンターテイメント機能」を持ち、また、 フロリダ大学とアリゾナ大学の研究所がパビリオンの中にあり、宇宙の農業を展示として見せる 「研究機能」を持っています。ディズニーの施設であるけれども、大学の研究室でもあるのです。 ロングウッドガーデンでは、「観賞型」、「エンターテイメント型」のショースペースですが、 園芸専門学校や大学院としての「専門教育機能」も持っています。ナイアガラ公園(カナダ・オ ンタリオ)は世界有数の観光地で、「レクリエーション機能・エンターテイメント機能」をもつ 公園です。ナイアガラ公園協会は 3 年制の園芸学校を持ち、ここは淡路景観園芸学校のモデルに もなっています。単なる園芸の技術者教育と言うよりは、カナダの公園管理技術リーダーを育て る「専門教育機能」も持ちます。 このように外国の植物園は社会貢献施設として、観賞・レクリエーション機能だけでなく、参 加や研究、教育等の機能が必ず入っていることがわかります。 日本の植物館の機能 1)珍種植物の見世物小屋から研究型植物園への展開 日本で最初にできた植物園は、江戸時代、徳川幕府が作った「小石川御薬園」。8代将軍徳川 吉宗の時代には「養生所(あるいは施療院ともいう)」が設けられました。これは明治になり、東 京大学附属植物園となります。一般に開放されていませんが、 「遺伝資源収集保存機能」 「専門教 育機能」をもつ施設と言えます。 しかし、一般の人々に開放され、西洋化の象徴として生まれた植物園は大正6年に開園した「大 典記念京都植物園」、現在の京都府立植物園です。国家戦略として植物収集が行われてきた欧米 とは違って、日本では「パーク&レクリエーション機能」の一つとして植物園が創られました。 そのため公園との違いが明確でない、研究・教育機能を持たないものになりました。 失礼な言い方かもしれないですが、昔は、日本の植物園といえば動物園のように見世物小屋的 観賞施設でした。パンダがやってくるように、サボテンがあるとかバオバブがあるといった、見 世物小屋的要素がないと人が来てくれないため、3 年に一度くらい、新しい植物を購入しなけれ ばいけなかったのです。 近年、公共施設の指定管理者制度も始まり、珍種植物を売り物にしてきた大きな植物園も、社 会貢献や経済性を考えねばならなくなり、地球環境の悪化も伴い研究型植物園を目指している所 が多くなりました。研究型の高知県立牧野植物園は、ニューヨーク市立植物園に勤務されていた 小山先生が園長をされていることから、有用植物の「遺伝資源収集保存機能」を高め、科技庁や 薬品会社の委託研究、カンナ酒等の地域の特産物の開発など、「環境保全」のための研究だけで なく「産業振興」「産業創出」に貢献しています。また有用植物の遺伝資源の収集のため、ミヤ ンマー、ソロモン等に植物収集に行く等、非常にアメリカ・ヨーロッパに近い植物園の形態をと っています。 2)フラワーパーク型・ライフスタイル提案型・参加型植物園の誕生 大阪花の万博(1990 年)の開催、バブル景気により豊かさが実感される時代を迎え、花き振興 のために作られたフラワーセンターも民有地緑化をすすめるために作られた緑化植物園も、また、 熱帯温室で珍種植物をコレクションする従来型の植物園も花をテーマとする観賞型の「フラワー パーク型」になっていきました。 花の植物館の誕生、大阪花の万博開催から、まちづくりにおける「花の役割」に対する認識が 急速に変わってきました。花を使えば人が集まるという認識になり、1990 年以降、行政は住民 参加の花のまちづくりを積極的にすすめ、全国にたくさんの花緑施設が生まれました。 1995 年に私が設計に関わった春日井都市緑化植物園「花と緑の休憩所」もそのひとつです。 ここでのは、花の好きのボランテイアたちが、月に一度デザインや植物について学習および花修 景施工作業を行い、日々の日常管理はボランテイアが行います。園芸、地域の読み取り方などを 含めたまちづくりの授業を受けたボランテイアは、駅、病院、学校、市街地空地などの公共スペ ース場で緑化活動を展開し、共生のまちづくりをすすめます。きれいな花やライフスタイルの提 案を見て感動した市民は、自らのライフスタイルを変えて、自然・生活環境まちづくりへの関心 を高め、個人として共生のまちづくりに参加していくという場合もあります。つまり、植物園が 「まちづくりインキュベーター」となっているのです。 それに比較し、園芸振興目的でつくられたフラワーセンターは農林水産省の花き振興も終わり、 現在多くの施設は目標を見失っている状態です。 花と緑の7恵 植物は私たちの社会波及効果をもたらしていま す。それを私は「花と緑の7恵」と呼びます。植 物は基本的にはきれいだと「感動」を与えるもの です。そして、人間は感動がないと生きていけま せん。そして人々が感動を分かち合うことで、 「交 流」が生まれるのです。植物は薬、食物として「健 康効果」もありますし、環境浄化や環境緩和など の「環境効果」もあります。また植物を育てるこ とには「教育効果」があります。そして「研究開発効果」。バイオテクノロジーだけでなく、昔 の建築デザイン、例えば、世界で最初の温室建築であるクリスタルパレスの屋根構造は、40kg ぐらいの重さの子供を葉っぱの上に乗せることができるオオオニバスの葉脈の構造に学んだの です。植物をじっと眺めることは「研究開発」につながるのです。そして、花は花その物として 「経済効果」も持ちます。 これらの 7 つの効果があれば、まちづくりは上手くいきます。花緑はまちづくりの「鍵」とい うのはこの点です。