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異教徒との休戦 - Researchmap

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異教徒との休戦 - Researchmap
スペイン史学会第 143 回定例研究会 2011 年 4 月 23 日(土)
於駒澤大学
異教徒との休戦 ーカスティーリャ王国とナスル朝グラナダ王国との間の休戦協定の特質ー
黒田祐我 (早稲田大学文学学術院助手)
[email protected] / http://researchmap.jp/yugatosnegros/
はじめに
・中世後期におけるカスティーリャ王国とアンダルス(=ナスル朝グラナダ王国)との関係についての研究
「カスティーリャとグラナダとの間の外交関係史は ... 未だ為されていない」
「幾らかの例外を除いて、
(休戦の)交渉の展開状況を説明してくれる文書は残されていない」
J. de M. Carriazo y Arroquía (1948)(2002, p.103.)
・両国間関係の2つの軸 =戦争 guerra と平和 paz
戦争行為の少なさ、休戦関係の維持、トラスタマラ朝の関心事=半島あるいは北方のヨーロッパ諸国との関係
→静態的な両国(カスティーリャ・グラナダ)間関係
「レコンキスタ」の忘却へ
「これは事実なのであろうか?時を経てかほどに英雄的精神とカスティーリャ騎士の軍事資質は衰退してし
まっていたのであろうか?」( エンリケ四世期に関して E. Benito Ruano, 1960, p.270.)
・戦争か平和か?
「85 年の平和と 25 年足らずの戦争(1350 年~ 1460 年)」(A. Mackay, 1976)
「85 年の平和と 15 年の戦争(14 世紀)
」(J. Rodríguez Molina, 2007) →和平関係の優位を主張
「王国間の平和にもかかわらず辺境における日常的暴力の頻発」
(M. Rojas Gabriel, 1995)(M. González Jiménez, 2008) →日常的暴力の優位を主張
・問題点
1.戦争と平和という二元性 dualidad からくる把握法
2.平和的接触が強調される←宗教戦争としての「レコンキスタ」概念の修正、現世界の状況
3.位相のズレ (王国間関係と「辺境」における関係)
・本報告の目的
1.戦争と平和を連関する現象と
して仮定したうえで王国間休戦
協定に着目
2.王国間休戦協定の締結状況、
内容を精査し、中世後期全時代
の中での変遷を分析する
3.カスティーリャ王にとっての
グラナダ王とは?アンダルスと
の関係を構築する意味とは?
への回答を示す
1
1.戦争と平和
1.
1.王国間戦争の変遷
・1252 年から 1492 年までの 240 年間において、戦争期間と言いうるのは 50 年未満 → 2 割以下の戦争期間
・征服状況
Tarifa(1292)、Gibraltar(1309-1333, 1462~)、Alcalá la Real(1341)、Algeciras(1344-c.1369)
Antequera(1410)
1340 年 Salado 会戦を除き「英雄的な」会戦の欠如
1.
2.当時の戦争とは?
① 略奪、伐採と焼き討ち tala y quema = 消耗戦 guerra de desgaste ≒ 貢納金徴収を伴う休戦協定
② 拠点の攻囲戦と降伏勧告 = 奪取戦 guerra de expugnación → 休戦協定で既成事実化
③ 会戦は出来うる限り回避する (e.g. D. Juan Manuel, Libro de los estados, 2007)
c.f. 中世盛期との関連性は明らかである (García Fitz, 1998, 2002)(The Tibyān, 1986)
1.
3.王国間における平和
・恒久的平和 paz ではなく「敵意の停止」としての休戦協定 (Dufourcq, 1980)
「沈静化された戦争 la guerra mitigada」 (M. García Fernández, 1990)
・休戦協定=常に厳密な期限付きであり、また個人間(=双方の王間)で締結される
→期間満了、あるいは契約者たる王の死去によって失効する
・休戦協定の締結までの流れ
① 双方のうちの一方から休戦の申し入れ
② 休戦協定に含まれる条項の取り決め =双方の利害調整を行う場
③ 合意に至るや、草稿を作成
④ 二通以上のバイリンガル契約文書を作成し双方の王あるいは全権保持者による署名を挿入する
⑤ 休戦協定の締結を各「辺境」拠点に伝達し、その公示 pregón を命じる
1.
4.王国間休戦協定の条項
① 休戦期間(何年何月何日から何年間あるいは何ヶ月)
② 臣従 vasallaje に関する条項(コルテスへの参加義務)(軍役奉仕義務)
③ 貢納金 paria(あるいはキリスト教徒捕虜の返還)に関する条項
④ 相手国内の反乱者あるいは敵となる第三国への援助や保護を禁止
⑤ 交易の自由に関する条項
⑥ 捕虜の返還、捕虜返還交渉人 alfaqueque に関する条項
⑦ 休戦協定を違反しての越境行為の裁定に関する条項
⑧ 「辺境」の確定 (「端から端まで de barra a barra」) と無住地 tierra de nadie の確保
⑨ 双方の誓約(双方が、それぞれの神に対して誓約する)
"E juramos por nuestro Señor Dios verdadero, en Trenidad é Unidad, que guardaremos é conpliremos á Vos
el dicho rey de Granada, estas pases(...) e asy jurades Vos, el dicho honrrado rey de Granada, por un Dios
Todopoderoso é por la creencia de vuestra ley ..."
(1439 年 4 月 15 日 3 年間の王国間休戦協定文書より)
⑩ 契約文書の作成に関して
"...mandamos escrevir en dos cartas de un mesmo tenor, é de una entencion cada una de ellas, en castellano
é en arávigo; é posimos en el castellano de cada uno de los contractos nuestra firma de nuestra mano, é los
mandamos sellar con nuestro sello acostunbrado pendiente, asy como Vos, el dicho onrrado rey de Granada,
posistes vuestra firma en el arávigo é vuestro sello público..." ( 同上 )
2
2.連関する戦争と平和 ―王国間休戦協定―
2.
1.中世後期におけるカスティーリャ王・グラナダ王間休戦協定の傾向
王国間休戦協定の締結状況と協定内容(1248年~1481年)
日付
1248-04-06
1252-06-??
1265-09-??
1271-??-??
1274-01
1276-01
1278-02-24
1281-11-??
1282-12-03
1291-05-??
1300-03-07
1304-08-15
1310-05-26
1312-09-07
1316-07-20
1318-??-??
1320-06-18
1321初頭
1331-02-19
1333-08-24
1333-10-16
1334-03-01
1338-03
1344-03-26
1350
1370-06-01
1378-02-10
1379-08-21
1382-10-01
1384-10?
1390-05?
1391-??-??
1395末?
1399-??-??
1408-04-15
1408-09-17
1409-03-19
1409-08-10
1410-11-10
1412-04-10
1413-04-12
1414-04-14
1415-04-16
1416-04-18
1417-04-16
1417-11?
1418-09-??
1419-04-18
1421-07-16
1424-07-15
1426-07-15?
1427-02-16?
1429-04c.
1439-04-15
1441末~
1443-04-15
1446-04-01
1448-04-26
1450-04-07
1452-09-01
1453-07-24
1454-07-24
1455-07-29
1456-10-16
1457-10-31
1458-12-15
1460-01-15
1460-04-01
1460-04-15
1461-04-15?
1462-11-20
1463-02-28
1464-03-14前
1465-04-20前
1472-01-18
1475-03-11?
1477-03-11
1481-03-12
休戦期間
20年間
20年間?
?
?
?
2年間
1年間
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?
?
?
?
7年間
?
8ヶ月間
1年間
8年間
?
4年間
4年間
2ヶ月間程度
4年間
4年間?
10年間
?
8年間
2年間
4年間
4年間
?
?
?
?
?
7ヶ月間
7ヶ月間
5ヶ月間
7ヶ月間
17ヶ月間
1年間
1年間
1年間
1年間
1年間
2年間
?
?
2年間
3年間
2年間
?
2年間?
1年間?
3年間
?
3年間
3年間
?
5年間
5年間
?
?
?
4ヶ月間
5ヶ月間
4ヶ月間
3ヶ月間
2ヶ月間
1年間
1年間?
6ヶ月間
8ヶ月間
1年間
2年もしくは5年間
3年間
2年間?
4年間
1年間
臣従 貢納金 交易 捕虜 越境騒擾解決
提唱
● ●
グラナダ王ムハンマド一世
●? ●?
グラナダ王ムハンマド一世
● ●
グラナダ王ムハンマド一世
グラナダ王ムハンマド一世
● ●
グラナダ王ムハンマド二世
カスティーリャ王アルフォンソ十世
カスティーリャ王アルフォンソ十世
カスティーリャ親王サンチョ
カスティーリャ親王サンチョ
● ●
カスティーリャ王サンチョ四世
カスティーリャ王フェルナンド四世
● ●
カスティーリャ王フェルナンド四世
● ●
● ●
●
?
カスティーリャ摂政ペドロ
カスティーリャ摂政ペドロ
グラナダ王イスマーイール一世
● ●
●
アンダルシーア諸都市群
アンダルシーア諸都市群
● ●
● ●
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グラナダ王ムハンマド四世
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● ●? ●?
カスティーリャ王アルフォンソ十一世
?
カスティーリャ王アルフォンソ十一世
?
● ●
●
グラナダ王ユースフ一世
?
カスティーリャ王エンリケ二世
●
?
カスティーリャ王ファン一世?
カスティーリャ王ファン一世?
?
グラナダ王ムハンマド五世?
グラナダ王ユースフ二世
グラナダ王ムハンマド七世
?
グラナダ王ムハンマド七世
グラナダ王ユースフ三世
●? ●?
グラナダ王ユースフ三世
?
●
●
●
グラナダ王ユースフ三世
●
アラゴン王フェルナンド一世?
●
●
アラゴン王フェルナンド一世?
●
●
アラゴン王フェルナンド一世?
●
●
アラゴン王フェルナンド一世?
●? ●?
アラゴン王フェルナンド一世?
●
●? ●?
摂政カタリーナ?
グラナダ王ムハンマド八世?
グラナダ王ムハンマド八世?
グラナダ王ムハンマド九世
●
グラナダ王ムハンマド九世
● ●
●
?
?
?
グラナダ王ムハンマド八世
●
● ●
●
グラナダ王ムハンマド九世
グラナダ王ムハンマド九世
●
● ●
●
グラナダ王ムハンマド九世?
カスティーリャ王ファン二世?
?
●? ●? ●?
グラナダ王Ismail
カスティーリャ王ファン二世
グラナダ王ムハンマド十世
カスティーリャ王エンリケ四世
●
グラナダ王ムハンマド十世
グラナダ王サアド?
●
グラナダ王サアド?
●
グラナダ王サアド?
?
?
●?
● ●
●
カスティーリャ王エンリケ四世?
●?
●? ●? ●?
?
●
rey Ismael?
●
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?
?
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カスティーリャ王エンリケ四世
●? ●? ●?
?
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カトリック両王?
● ●
●
カトリック両王?
3
特記事項
カスティーリャ王死去に伴う更新
カスティーリャ王死去に伴う更新
前休戦の確認
前休戦と同様との記述
グラナダ王暗殺に伴う
於フェス
形式上の休戦更新?
アルヘシラス占領と期を一
カスティーリャ王死去に伴う更新
カスティーリャ王死去に伴う更新
前休戦と同じ条件
休戦の更新?
グラナダ王死去に伴う更新
休戦の維持
グラナダ王死去に伴う更新
グラナダ王死去に伴う更新
グラナダ騒乱に伴う更新
おそらく更新か?
休戦交渉の開始
グラナダ王死去に伴う更新
カスティーリャ王死去に伴う更新
交渉のための一時的休戦
交渉のための一時的休戦
グラナダ新王アブー・アル・ハサン
・全体的な傾向
①休戦期間の長短
単純な戦争の停止 sobreseimiento de la guerra あるいは交渉のための一時的休戦=数ヶ月
カスティーリャ王の関心が他にある場合、戦争による疲弊の場合=長めに設定される
14 世紀まで=長めに設定される(1 年間~ 20 年間) 15 世紀=短めに設定される(数ヶ月間~ 5 年間)
②グラナダ王の臣従行為
14 世紀半ばまではコルテス参加、軍事奉仕義務を伴う詳細な内容である
しかし 14 世紀後半以降、臣従に関する条項はほとんどみられなくなる
③貢納金
貢納金の額は、多くの場合年額 12000 ドブラ金貨で固定化されているものの、額は変動する
=双方の「交渉」の結果として貢納金の額が決定されていたと考えられる
15 世紀以降、貢納金とともにキリスト教徒捕虜の返還が加えられる場合が散見される
④その他の条項
1310 年以降、他の詳細な条項が現れ始める
15 世紀になると、詳細に記述されることは減少し、
「慣習に従い segund es acostunbrada」と記され
る傾向が強まる =休戦協定の内容に関しての知識を双方が次第に慣習化していくことを示す
2.
2.戦争行為と休戦協定
①アルフォンソ十一世期(1320s. ~ 1344)
「海峡戦争」
日時
国王
情勢
1320-06-18
1321-初頭
1321-??-??
1327-01-20
1327-02
1327-04-21
1327-07~08
1327-09-30
1330-07~08
1331-01-02
1331-02-04
1331-02-19
1331-11-17
1332-09-27
1333-01-16
1333-02~
1333-08-24
1333-10-16
1334-03-01
1334-04-03
1338-03?
1338夏
1339-07-27
1340-10-30
1341-08-20
1342-07-22
1344-03-26
1344-03-27
1344-05-06
8年間の地域休戦協定(アンダルシーア=グラナダで個別)
地域休戦協定の再締結(コルドバ除く)
地域休戦協定の締結
アルフォンソ十一世、ムルシアからの情報でグラナダ内の騒乱を知る
● アルフォンソ十一世、セビーリャへ入城する
● アルフォンソ十一世、ムルシア各地への戦争開始の指令を発する
● オルベラ、プルナ、トーレ・アルアキメを占領する
● アルフォンソ十一世、戦争の継続を命じる
● テーバのその周域を占領→セビーリャへ赴き休戦交渉へ
● 休戦交渉を開始していることをアラゴン王に伝達する
● 休戦交渉のため、短期間の休戦を締結したことを伝える
● 4年間の休戦協定を締結し、全王国域に伝達する
ムルシアへグラナダから休戦協定違反し侵入がなされる
ムルシアでグラナダからの侵入・略奪→返還交渉へ
ムルシアにグラナダ王からの宣戦布告がなされたことを伝達する
● ヒブラルタル攻防戦
● 4年間の休戦協定を締結するも、ムハンマド四世の暗殺により無効へ
● グラナダ新王ユースフ一世と短い休戦(~12月半ばまで)
フェスにおいて4年間の休戦協定を締結する
アルフォンソ十一世、王国各地へ休戦協定締結を伝達する
休戦協定の更新か?
● 双方が休戦を破棄し、各地で戦争状態へ
● アルフォンソ十一世、遠征中に、ムルシアへ参戦を求める
● タリファ攻防→サラード会戦
●? アルカラ・ラ・レアルとその近郊を占領する
● アルヘシラス包囲へ向けて準備する
● 10年間の休戦協定を締結する
● アルヘシラスを占領する
王国各地へ休戦協定の締結を伝達する
活動地域
Occid, Centr
Occid, Centr
Oriental
Occidental
Oriental
Occidental
Occidental
Occidental
Oriental
Oriental
Occidental
Occid, Centr
Occid, Orien
Occidental
Central
Occidental
Occidental
・戦争行為の契機=グラナダ王国内における騒乱
“Vi vuestra carta que me enbiastes en que me faziades saber que ouierades nueuas de Granada, que Vzmen
que cuydara entrar en el Alhanbra et alçarse con ella et con Granada contra el rey, et que se le non guisara asy
commo el quisiera ... que agora abia logar para acabar contra ellos todo lo que quisiese en seruigio de Dios et
mío.” (1327 年 1 月 20 日付書簡)
(Documentos de Alfonso XI, n.LXXV., pp.87-88.)
4
・親征の多さ
アルフォンソ十一世の関心事=対グラナダ・マリーン朝への対処
・それでもなお、休戦を挟みつつ戦争を断続的に行う
=戦争行為は大規模な支出を伴うため、断続的にせざるを得ない
・休戦期間は多くの場合遵守され、満了をもって戦争が再開される
②摂政フェルナンド期(1406 ~ 1410)
日時
摂政
1405夏
1406
1406-10-16
1406-12-25
1407
●
1408
1408-04-15
1408-09-17
1408-11-09
1409-03-19
1409-08-10
1410-02
1410-03-23
1410-05~
1410-09
1410-11-10
1410-11-12
●
●
●
●
●
●
情勢
グラナダ王ムハンマド七世、休戦を破棄しアヤモンテを占領する
グラナダからの攻撃
休戦交渉をするも、批准されず
エンリケ三世の死去→ファン二世(摂政フェルナンド、カタリーナ)へ
戦争状態の継続
サアラ、プルナ、トーレ・アルアキメ、アヤモンテ、etcを占領する
戦争状態の継続
7ヶ月の休戦協定の締結
7ヶ月の休戦協定の締結
ムルシア王国へ、次年度の戦争準備を命じる
5ヶ月の休戦協定の締結
7ヶ月の休戦協定の締結(1410-04-01まで)
摂政フェルナンド、南下する
摂政フェルナンド、休戦期間の満了が近いため、家畜の移送を命じる
摂政フェルナンド、アンテケラを包囲する
アンテケラの占領
17ヶ月の休戦協定の締結
上記の休戦協定を各地へ伝達する
活動地域
Occidental
Occid, Centr, Orien
Occidental, Central
Occidental, Central
Oriental
Oriental
Occidental
Occidental
・戦争期は 1407 年と 1410 年のみであり、契機はグラナダ王国による休戦協定の破棄に始まる
・同じく、締結された短期の休戦協定の期間は戦争行為は行われておらず、戦争準備を命じている
③ファン二世期(1430s.)
日時
1430-04-09
1430-07
1431-03-11
1431-05-11から
1431-06-25
1431-07-01
1432-01-27
1432-04c.
1433c.
1433c.
1433c.
1433c.
1434-11c.
1435-05-30
1436c.
1436-01
1436-04
1436-05
1436-05c.
1436-05-18
1436-08-14
1438-04
1438-03-10
1438-10-17
1439-03-15
国王
●
●
●
●
情勢
ファン二世宮廷へグラナダでの騒擾の情報がもたらされる(ムハンマド八世からムハンマド九世へ)
ファン二世、グラナダ王との休戦協定締結を拒否 辺境防備を命じる
ヒメナ・デ・ラ・フロンテーラの占領
国王ファン二世の南下 コルドバ滞在
ユースフ四世、遠征中のファン二世を訪問する
グラナダ近郊イゲルエラでの会戦 ファン二世の勝利
ユースフ四世との折衝
ムハンマド九世からユースフ四世へ 後者の臣従
ユースフ四世の暗殺 再びムハンマド九世の治世へ
アルダレス、トゥロン、イスナハル、カステリャール・デ・ラ・フロンテーラの占領
ソレラの占領
イジョラ、モンテフリオのカスティーリャへの接近
ヒケーナの占領
ウエスカルの占領
グラナダからの改宗を希望する逃亡者を受け入れる
アレナスの降伏
ベレス・ブランコ、ベレス・ルビオの降伏
ガレラ、カスティリェハルの降伏
ベナマウレル、ベンサレマの降伏
バーサへの臣従勧告書状の送付
バーサ・グアディクスへの臣従勧告に関する王とフェルナンド・アルバレスの書簡
王からハエン域将軍フェルナンド・アルバレスへの命令書
ウエルマの占領
リオ・ベルデでの敗北 ファン・デ・サアベドラの捕囚
アルボクスの降伏
3年間の休戦協定の締結
活動地域
Occidental
Central
Central
Central
Central
Central
Central
Occidental
Central
Central
Oriental
Central
Central
Central
Oriental
Central
Central
Central
Central
Central
Central
Occidental
Oriental
・戦争開始の契機=グラナダ王国内における跡目争い ( ムハンマド八世→ムハンマド九世)に伴う騒乱状態
アラゴン・ナバーラとの休戦協定の成立→グラナダとの休戦協定の更新を拒否
5
"Este dicho día por la mañana, vino vn cavallero moro de Granada, del rrey Pequeño, e traya consigo çinco de
cavallo; e venía fuyendo del rrey Isquierdo. E desque salió el Rey don Jhoan de misa, llegaron a él e vesáronle la
mano, e diéronle las cartas que trayan del rrey Pequeño, de cómo le tenía preso el rey Isquierdo."
(1430 年 4 月 9 日 Crónica del Halconero, pp.57-58.)
・グラナダ王族を懐柔し、彼と臣従契約を結んだうえでグラナダ王として即位させる(Yusuf IV b. al-Mawl)
消耗戦と同時に、グラナダ王国「辺境」を懐柔する
"...yo Amir Almuslemin Abulhagis Yaçaf rey
"Estando el Rey don Jhoan en Alcalá de Henares, año de
de Granada Aben Arrays Abaudyle Mohamed
1436 años, vinieron envaxadores moros de Baça, e de Guadix.
Abenalmaul, ...ove otorgado un contrabto de
La envaxada hera esta que ayuso oyredes: que pedían al Rey
vasallaje e de otras çiertas cosas en la mi villa de
que les diese vn rrey moro, qual a su merced plugiese, e que
Hardales..." (1432 年 1 月 27 日付文書)
lo rreçibirían por rrey. E que farían guerra al rrey Esquierdo,
(Ed. L. Suárez Fernández, Juan II y la frontera de rrey de los moros, por su mandado; el qual rrey Esquierdo
Granada, Apéndice documental, n.IV., pp.39-42.) era a la sazón rrey de Granada." (1436 年)
(Crónica de Halconero, p.226.)
・親征の希少さ 戦争の継続は「辺境」有力者と王宮廷から派遣された司令 capitán が担う
・休戦協定の交渉の詳細 ハエン王国に派遣されたイニゴ・ロペス・デ・メンドーサに交渉を委ねる
休戦協定の交渉(1438年~1439年)
書簡日付
H842-05-25
(c.1438-11-13)
1438-11-24
提案先
内容
条件提示
Gr.→Ca. カスティーリャ王ファン二世へ休戦の申し入れ
(休戦期間、条件の詳細はなし)
Ca.→Neg. ファン二世、イニゴ・ロペス・デ・メンドーサに交渉権を委譲する
大元帥アルバロ・デ・ルーナ、1439年から1年間の休戦、最大限の貢納金供出と捕虜
1438-11-26
Ca.→Neg.
返還でもっての締結を指示する
条件:①グラナダ王の臣従、コルテス参加、軍役奉仕 ②戦争の損害の補填
?
Neg.→Gr. ③アルヘシラスの復興と譲渡 ④カンビル、ベルメスの譲渡
Ca.(1)
⑤年額20000ドブラ金貨の支払い
1439-01-02
Neg.→Ca. 1年間は短すぎるのではないかとして指示を仰ぐ
1439-01-15
Ca.→Neg. 1年間で交渉できなければ2年間での締結を指示する
c.1439-01-18
Gr.→Neg. Ca.(1)の条件全てを理由とともに全て拒否する
Gr.(1)
Gr.(1)の理由を否定し、臣従は「いかなる恥でもなくむしろグラナダ王と王国にとって利
1439-01-28
Neg.→Gr.
Ca.(2)
益である」とする
1439-02-11
Ca.→Neg. イニゴ・ロペス・デ・メンドーサへ協定内容の交渉とその締結を全権委任する
1年間もしくは2年間での休戦協定締結、アルフォンソ・デ・エストゥニガの解放を盛り込
1439-02-12
Ca.→Neg.
むように指示する
1439-[02]-24
Ca.→Neg. 1年間もしくは2年間、あるいは3年間以下で締結するように指示する
H843(sic.)-09-10 Gr.→Neg. 「これらの要求があまりに重く、達成できない」とし、自身の理をあらためて強調する
Gr.(2)
条件:①1年間の休戦 ②年額12000ドブラ金貨の支払い ③カスティーリャが指名す
?
Neg.→Gr.
Ca.(3)
る600名のキリスト教徒捕虜の返還
交渉の難航を吐露し、1年間の休戦は困難であるとし、また捕虜に関しても100名のみ
1439-03-02
Neg.→Ca.
を指名することとなると述べる
条件:①1年間では短すぎるとし、5年間を提案 ②キリスト教徒捕虜は「ムスリム捕虜
?
Gr.→Neg. の返還のため」であり、600名は多すぎる ③年額12000ドブラ金貨の貢納は多すぎる
Gr.(3)
とし、年額5000ドブラ金貨の供出を提案 ④交易の自由を提案
条件:①2年間の休戦 ②交易は家畜、オリーブ油その他に限定 ③返還する捕虜に
?
Neg.→Gr.
Ca.(4)
アルフォンソ・デ・エストゥニガを加える
交渉条件:①1年間の休戦 ②年額8000ドブラ金貨 ③アルフォンソ・デ・エストゥニガ
その他の返還
?
Neg.→Emb.
もしくは:①2年間の休戦 ②年額8000ドブラ金貨 ③300キリスト教徒捕虜の返還(内
30名を指名) ④交易の自由 での交渉を指示する
1439-03-24
Ca.→Neg. 「休戦期間は最大限短期とし、貢納は最大限多額で」の交渉を指示する
交渉の終結を伝達する
①3年間の休戦
②アルカラ・ラ・レアル、サアラ、ウエルマを交易拠点として開放し、馬の売買は禁止
1439-04-10
Neg.→Ca.
し、年7000頭の羊、年1000頭の雌牛の売買を許可
③550名のキリスト教徒捕虜の返還
④年額8000ドブラ金貨の貢納
1439-04-11
Neg.
都市ハエンにて、協定内容の草稿を作成する
1439-04-18
Neg.→Ca. 休戦の告示を行ったことを伝達する
* Ca.:カスティーリャ王宮廷 Gr.:グラナダ王宮廷 Neg.:イニゴ・ロペス・デ・メンドーサ Emb.:グラナダ王宮廷への使節
6
カスティーリャ側の要求 1 年間の休戦 臣従 全てのキリスト教徒捕虜の返還 拠点の譲渡 20000 ドブラ金貨 / 年の支払い
グラナダ側の要求 カスティーリャ側の要求を拒否し、5 年間の休戦 5000 ドブラ金貨 / 年の支払い
交易の自由
→締結内容 ① 3 年間の休戦 ②交易の自由 ( 制限つき) ③ 550 名のキリスト教徒捕虜の返還 ④ 8000 ドブラ金貨 / 年の支払い etc.
∴ 双方の要求の擦り合せの結果として休戦協定が締結されていることは明らか
④エンリケ四世期(1455 ~ 1460)
日時
国王
情勢
1452-09-01
ファン二世 5年間の休戦協定を締結する
1453-1455/56
グラナダ王=ムハンマド十世治世
1454-07-24
エンリケ四世 父王の休戦協定の遵守を「辺境」諸勢力へ命じる
1455-02-22
エンリケ四世 休戦協定交渉中のサアドを援助するようにヘレス、アルコス伯へ命じる
1455-03-29
エンリケ四世 アラゴン、ナバーラ王と和平締結したことを伝達する
1455-04
● エンリケ四世 グラナダ沃野へ進撃する
1455-04-30
● ムルシア王国との同時進撃を命じる
1455-05
● エンリケ四世 マラガ沃野へ進撃する
1455-06
● エンリケ四世 グラナダ沃野へ進撃する
1455-07-29
● 休戦協定を締結する
1455-12-06
エンリケ四世 ムルシア、カルタヘナへ次年度も戦争の継続を行うことを伝達する
1456-05
● エンリケ四世 マラガ沃野へ侵入、ヒブラルタルを服属させる
1456-06c.
● ヒメナ・デ・ラ・フロンテーラ、エステポナを占領する
1456-10-10
4ヶ月の休戦協定を締結する(サアド-エンリケ四世)
1457-03-17
1457-04-12
交渉継続中(休戦協定の更新か?)
1457-06~09
● エンリケ四世 グラナダ沃野へ進撃する
1457-10-16
● 5ヶ月の休戦協定を締結する(サアド-エンリケ四世)
1458-06
● エンリケ四世 グラナダ沃野へ進撃する
1458-07
● エンリケ四世 グアディクスへ侵入する
1458-07~09
● 休戦交渉の開始
1458-12-15
約4ヶ月の休戦協定を締結する
1459-12
休戦更新交渉の開始
1460-04-15
1年の休戦協定を実施する
・父ファン二世を継承したエンリケ四世は、当初、ムハンマド十世との休戦の更新を望む
活動地域
Occidental
Central
Oriental
Occidental
Central
Oriental
Occidental
Occidental
Central
Central
Central
ムハンマド十世とサアドとの内乱状態にいたるや、後者を援助し、戦争を開始する
・消耗戦を実施し、秋~春の間は短期間の休戦協定を締結し貢納金を支払わせる
結論
1.カスティーリャ・グラナダの交渉の結果として、休戦が結ばれており、決して静態的ではない関係である。
グラナダは出来うる限り長い休戦期間を希望し、また貢納金支払いの額を減額、交易の自由を望む。
他方でカスティーリャは貢納金と臣従を強制しようとし、休戦期間を短く設定しようと望む。
一見すると静態的な両国間関係、休戦協定文書の単調さの中にも、ダイナミズムが見出される。
2.異教徒同士の契約として不安定なものではあった。しかしあくまでそれぞれの神を前とした契約である以上、
その違法な破棄はほぼ出来得る限り回避されている。また、事実であるかは別として、その破棄の当事者はグ
ラナダ王であるとし、自身らの正当化を図る。
7
3.休戦協定文書の分析から、以下の傾向が見て取れる。すなわち、14 世紀前半まではカスティーリャ王はグラ
ナダ王に臣従と貢納金を前提として休戦を締結しており、臣従に関する条項、つまりは軍役奉仕の人数とコル
テス参加を含め、詳細に記述する傾向が明らかとなる。トラスタマラ王朝となる 14 世紀後半以降、臣従条項
はほとんど表れなくなる。
4.上記の区分は、同じく戦争行為にもみてとれる。すなわち、14 世紀前半アルフォンソ十一世期までの対グラ
ナダ戦争は、王が自ら指揮し、遠征拠点をセビーリャもしくはコルドバに置き、戦争行為自体も相対的に大規
模な傾向が見てとれる。他方で 14 世紀後半以降、親征を伴い王国「辺境」全土を巻き込むほどの大規模な戦
争行為は、極めて希少である。このように、休戦協定そして戦争行為の推移をみる限り、両王国の関係は大ま
かに二分される。
5.戦争と平和からみる中世後期の両文明間の関係は、表面上の差異を別とすれば、変化はない。
しかしながら、カスティーリャ王宮廷においては、臣下としてのグラナダ王、そして臣従の条件としての貢 納金に関する記憶が維持されていた。
“El alcayde Zoher demandó treguas por dos años; e la Reyna e el Infante no se las quisieron otorgar, antes el
Infante le fizo mostrar cartas de las parias que solían dar los reyes de Granada a los reyes de Castilla en otros
tiempos, e cómo heran sus vasallos e venían e enbiauan a sus fijos a Cortes cada año, a do las el Rey de Castilla
fazía. E por ende le dixeron la Reyna e el Infante que si treguas quisiese el rey de Granada con el Rey de Castilla,
que le convenía que otorgase el vasallaje, e diese las parias."
(1409 年 Crónica de Juan II de A. García de Santa María, p.269.)
6.カスティーリャ王とその宮廷は、11 世紀から続く伝統的なものを維持し続けていたと言える。
大規模にグラナダ王国に対して戦争を行うことは難しく、本稿で考察した期間は、ほぼ全てグラナダ王国内で
代がわりに伴う、あるいはマリーン朝が介入して生じた騒乱を好機ととらえて戦争を開始している。
この場合、グラナダ王族、あるいは各拠点に在する「反乱分子」を優遇、懐柔することによって、より有利な
休戦協定の将来的な締結に結び付けるための方策として戦争が位置づけられているのである。 「アルフォンソ(六世)によるトレド獲得は、我々が述べたように、年々進行する衰退のせいであった。彼が他の地
域の征服に用いた戦術も同じであった。彼の政策は、砦を包囲したり、自兵に都市攻撃を命じることではなかった。
なぜなら、それを成し遂げるのはあまりに困難であり、またこれらの地域には自身のそれとは異なる信仰の持ち主が
住んでいたからである。彼の政策は、毎年、都市から貢納金を取り立てることであり、またさまざまな形の侵略をもっ
て悩まし、最終的には、トレドがそうであったように、弱体化して屈服するまでそれは続いたのである。
(The Tibyān, chapter7., p.113.)
7.カスティーリャ王の対グラナダ戦争への関心が少なくなる時期(=トラスタマラ朝期)と「辺境」の有力者が
台頭し始める時期が完全に一致する。
「辺境」の自立性、
「辺境」の民がグラナダ王国との関係を独自に構築していく。
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― 未刊行史料 ―
Archivo Municipal de Murcia [Libros de Actas Capitulares y otras cartas]
Archivo de la región de Murcia
[ 電子史料 http://www.regmurcia.com/servlet/s.Sl?METHOD=FRMSENCILLA&sit=c,373,m,139,serv,Carmesi ]
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