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Title 蝉、ひぐらしを詠む万葉歌と中国文学 Author(s)

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Title 蝉、ひぐらしを詠む万葉歌と中国文学 Author(s)
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蝉、ひぐらしを詠む万葉歌と中国文学
宋, 成徳
京都大学國文學論叢 (2009), 20: 1-15
2009-02-28
https://doi.org/10.14989/137380
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
宋成徳
万葉集の歌の本文で、蝉(せみ)が詠まれたのは、この
大石蓑麻呂﹂と作者名も記されてある。
調抄しのみのまる
ひぐらしを詠む万葉歌と中国文学
万葉集の歌と漢詩文との聞の類似点を一つ一つの素材に
ついて調査し、詩と歌の聞の影響関係について論じる試み
になったのは、単なる偶然ではなく、中国文学の素材の受
歌だけである。万葉集で、蝉の鳴き声が、文学表現の対象
てみる。
る。すこし煩わしいかも知れないが、その例をすべて挙げ
的に﹃懐風藻﹄では、蝉の声が多く詠まれているからであ
容と関わると恩われる。そう考える理由は、万葉集と対照
を続けて来た 5。本論文は、月、雁に引き続いて、虫の
蝉と都の思い
蝉、ひぐらしを取り上げる。
あきの︿に
玄燕朔巳蹄
寒酬明暗且鷲
t
万葉集に、次のような蝉を詠んだ歌が一首ある。
安芸園の長門の島にして磯辺に船泊まりして作る
舞庭落夏樺
欧林驚秋蝋
.
. .
.
懐 懐
風 風
藻 藻
歌五首
石 走 る 滝 も とEろ に 鳴 く 蝉 の 声 を し 聞 け ば 都
し思ほゆ(巻十五・三六一七)
23
36
,
.
.
,
.
.
巻十五に収められた天平八年(七三六年)の遣新羅使の
歌である。題調から、遺新羅使が広島県安芸郡あたりに迎
稲葉負霜落
霜伊:歌舞朝;輔 朔
を 奥 ペ ひ ひ 匡 そ Sbeり
負 部T
て主古尋手て
ひ馬主秋夏麻;占ま己
て 養t
蝉 檀 呂2
曇たに
落「をを「 f
F帰
ち従驚落ち秋、り
語から宴
ごすし」
節
り着いた時の歌であることが分かる。左註には﹁右一首、
稲工
林庭(寒玄
葉正(にに紀き蝉燕
-1-
蝉
第
而而(吹
下と雲葉
(草柳大宮流
毛午前後
勾恒あ
山Z
花葉神手
野2
月風俳遼号
倍;雁蝉
朝E
朔寒
国E
落 瓢 朝E
蝉
後 前 佃 量t
朝号はは
臣Z
雁蝉
臣E
の
史書
臣主飛息ゃ
晶2
雲菓子
三与霜寒安争声
桂 蘭寸千
贋言ぷむ
麻E
前後さ
雁蝉麻子吹主
方t
は l立 心 里
時か複かをに
庭E
明涼
日Z
をに
「 度 唱A
呂E
を
害げを借遊
「月風
「度鳴
「しえ
秋りひー逐
秋
の
の
秋
秋るき
日てて山ひ
担送しび
日
まりむ
良 秋 暮A 日
語て
於
於
き笠葉会言事
長
長
長
玉
主
主
『宅
『宴ふり『
『宅
『宅
懐新
懐
月後桂静陰
風前蘭送穣
俳佃借寸心
遼量遊千里
左喜劇皇
塁
重
量
』客
8
6~
しの
E
さg し わ か れ か な レ ぴ
も
斜厩凌雲響斜雁雲を凌ぎて響し
軽蝋抱樹時軽蝉樹を臨きて断く
相恩知別働相恩知りぬ別の働を
いそのかみのあそみ huk主ろ
徒弄白雲琴徒らに弄ぶ白雲の琴
﹃懐風藻﹄山)
{石上朝臣乙麻呂﹁瓢寓南荒、贈在京故友﹂
蝉は、宵二十首の漢詩を集めた﹃懐風藻﹄で、詩の本文
で七例、序文に一例、合わせて八例も見られる。蝉を詠む
こと、蝉の声を詠むことが如何に好まれたかを知ることが
出来る。
漢詩文の素材の一つである蝉の鳴き声が、日本漢詩の世
界に早く受容され、そして歌の素材としても取り入れられ
たのではないだろうか。
それでは、万葉集の三六一七番歌の表現、詠み方から、
漢詩文の受容を具体的に指摘することは出来るであろう
まず、﹁石走る滝もとどろに鳴く﹂という表現につ
aM
﹃寓葉集﹄、新編日本古典文学全集﹃寓葉集﹄が指摘する
いて触れたい。三六一七番歌の滝は、新日本古典文学大系
とおり、必ずしも実景ではない。蝉の鳴き声を、滝の音に
それでは、中国文学では、蝉の声を滝の音に喰えた例は
喰えた比輪である。
-2-
g 序~
6
5~
71~
塁
塁
質
事
草
壁
藻躍
明涼
月風
(秋暮
大R
音吟
臣t
寒断
藤E
原E
葉f
山
朝E
裏Z
中
臣事蝉t
猿t
飽き音E
時f
前2
寒断
P
富
喜
買
事
(
E智 E電│霊
飛息
霜寒蝉│
朔寒
雁剛
葉山
於整型i
毒きち瓢告。
な
見られるだろうか。
まず、蝉の声は詩では楽器の音に喰えられる。
ああ
嵯葦時以近唱令嵯群吟し以て唱ふに近く
似篇管之除音箭管の除音に似る
︹﹁剛刷﹂﹃侍玄集﹄)
t
と、磐の音を蝉の鳴き声に輪えて表現する例も見られる。
さらに、唐詩には
碧蘇無塵染碧蘇塵染むること無く
寒蝉似鳥鳴寒蝉鳥の鳴くに似る
(挑合﹁省直書事﹂﹃全唐詩﹄)
好烏疑敵磐好鳥磐を敵くかと疑ひ
則剛剰刺制風蝉宰を射るを認む
(社牧﹁題張鹿土山荘一絶﹂﹃全唐詩﹄)
軍吟如縛鯖単り吟きて婿を転ずるが如く
覇捌制調劉群れ鵬ぎて隼を調ぷを学ぶ
(惰・頗之推﹁樹噺刺詩﹂﹃初事記﹄蝉)
と鳥の鳴き声、寧の音などに喰えた例も見られる 20
漢詩文で、蝉の鳴き声を、水の音と関連させて表現した
ものには、次のような例が見られる。
剰測糊幽咽泉の戦るがごとく蜘聞かに幽咽し
蝉の鳴き声を﹁似鯖管之徐音﹂﹁葦喋事調隼﹂と、篇、
或いは筆の笛の音に臨唱えて詠むのである。時代が下ると次
J
のような例も見られる。
巴や 、巴や︿
崩踊秋竹梢嫡婦たる秋竹の梢
回附割倒割巴蝉声は軟に似たり
細管事難成細管に学ぶも成り難し
(陸羽﹁盛山館嬉蝉聯句﹂﹃全唐詩﹄)
虚全﹁新蝉﹂は、﹁泉溜漕幽咽﹂と、蝉の声を泉の流れ
る音に喰える。また、陸羽は、﹁危端和不似﹂と、急流の
琴鳴乍往還琴の鳴るがごとく乍ちに往還す
長風強不断長風諮るも断えず
また
還在樹枝問還樹枝の聞に在り
(虚企﹁新蝉﹂﹃全唐詩﹄)
剣淵刺利倒危端に和するも似ず
音に似ないと詠むが、後に継ぐ﹁細管皐難成﹂という表現
{白居易﹁送客囲晩興﹂﹃全唐詩﹄)
上方有路底知慮上方路有りて応に処を知るべく
刷費州制劉劃疏磐寒蝉樹製記
(方干﹁贈乾素上人﹂﹃全唐詩﹄)
(許揮﹁長慶寺遇常州院秀才﹂﹃全唐詩﹄)
白居易、許揮は﹁巴蝉聾似磐﹂﹁疏磐寒蝉﹂と、蝉の声
を、磐の音にも喰える。そして逆に、
庭際孤松随鶴立庭際の孤松鶴に随ひて立ち
割問淵割明蝋剰窓聞の清磐蝉の鳴くことを学ぶ
-3-
と併せて、蝉の鳴き声を、激しく流れる水の音と楽器の音
に喰えた表現と見ることが出来る。
﹁超円館幕蝉聯句﹂は、顔真卿が湖州刺史在任中(七七三
1七七七年)に、陸羽、耽津、校然などの文人を集めて聞
いた詩会で詠まれた聯句であり、遣新羅使に受容された可
能性は考えられないが、近い時期の中国文学に類似の表現
は、次のようなものが挙げられる。
つひとこ
若夫歳章云暮若し夫れ歳章に云に暮れ
上天其涼上天其れ涼し
感運悲聾運に感じて声を悲しくして
E しぴ
貧土含傷貧士傷を含む
M 或は我が行の永久たるを歌ひ
劇制剖伺剥 刊
都を思うと詠む、その詠み方にもあると思われる。
蝉の鳴き声を聞いて、都を思うと詠む詩は、﹃懐風藻﹄
(惰・虚思道﹁悲鳴蝉﹂﹃曇文類緊﹄蝉)
寒蝉在樹鳴寒蝉樹に在りて鳴き
鶴鵠摩天遊鶴鵠天を摩して遊ぶ
客子多悲傷客子悲傷多く
涙下不可牧涙下りて収む可からず
(王仲宣﹁従軍詩﹂﹃文選﹄巻二十七)
は伊
鳴蝉腐寒音鳴蝉は寒音を贋まし
(晋・陸士龍﹁寒蝉賦﹂﹃醤文類燕﹄蝉)
周剰則刈叫則酬暫らく聴けば別人心は即ち断え
刻剛割引調剤劃持かに聞けば客子涙先に垂る
A
剥 刻 刻 判 鮒 劉 或 は むの裳無きを哀しぶ
にも見られる。さきにも引いた石上朝臣乙麻呂町﹁恩寓南
荒、贈在京故友﹂は、土佐に流された作者が、京の友人を
思う詩である。京の友人への思いを詠んだとは、京への思
いを詠んだこととも受け取ることが出来よう。その詩に、
﹁斜属凌雲響、軽蝉抱樹時﹂と、雁、蝉の鳴き声が詠まれ
たのである。﹃懐風藻﹄に詠まれた蝉の鳴き声は、叙景的
な意味合いが強く、万葉集の歌のように、それが京を思う
時菊輝秋華時菊は秋華を耀かす
IIll11111111 ︿ぴ
引領望京窒領を引いて京室を望めば
躍っか
南路在伐桐南路は伐桐に在り
(播安仁﹁河陽勝作二首﹂﹃文選﹄巻二十六)
王仲宜、播安仁の詩は、旅を詠んだ詩で、蝉の鳴き声を
が見られることは、注目に値するであろう。
三六一七番歌における漢詩文の受容は、蝉の声を聞いて
直接なきっかけとして明確に詠まれていないが、京への思
いとともに詠まれたことは、二一六一七番歌との共通点であ
ると言える。
中国漢詩文で、蝉の鳴き声を聞いて京を思うと詠んだ、
或いは旅で蝉の鳴き声を聞いて故郷を思うと詠んだ作品に
-4-
げる存在であり、その声を聞いて、漢詩人遣は季節の変化、
時聞の流れを感じるからである。
悲しみ、旅の辛さを傷むものとして認識されていた。その
原因は、寒蝉の鳴き声は、漢詩人にとって、秋の到来を告
﹁寒蝉賦﹂、虚思道﹁聴鳴蝉﹂、張E見﹁寒樹晩蝉疎﹂、簡
文帝﹁轄早蝉﹂、沈約﹁轄蝉鳴慮詔﹂、楕濯﹁賦得蝉﹂、誼
三首の歌の題調と歌の本文との関係については、二つの
可能性が考えられる。
一つは、題調が歌題として先に出されて、その題によっ
て歌が詠まれたことである。﹁晩蝉歌﹂﹁詠蝉﹂﹁寄蝉﹂に
類似する蝉を意識した詩題、作品は、漢詩文でも多く見ら
れる。﹃喜文類衆﹄だけを見ても、孫楚﹁蝉賦﹂、陸士龍
られる。しかし、これらの歌の本文に詠まれるのは、蝉(せ
み)ではなく、﹁ひぐらし﹂である。それは何故だろうか。
﹃懐風藻﹄に詠まれる蝉も、すべて秋蝉である。秋の蝉
の鳴き声と望郷の悲しい思いを詠むことは、漢詩の世界の
悲愁とも繋がるのである。
雲﹁詠早蝉﹂、主由躍﹁賦得高柳鳴蝉﹂、劉剛﹁詠蝉﹂、江
組﹁詠蝉﹂、蕪箇﹁蝉賦﹂、曹大家﹁蝉賦﹂、曹植﹁蝉賦﹂、
晋明帝﹁蝉賦﹂、温瞬﹁蝉賦﹂、得成﹁詰蝉賦﹂、顔延之﹁寒
蝉賦﹂、郭撲﹁蝉賛﹂、梁昭明太子﹁蝉賛﹂などが見られ
る。蝉を詠む文学が六朝時代に如何に盛んであったかを窺
うことが出来る。
﹁晩蝉歌﹂という題が、漢詩文の詩題によることは早く
節
-5-
詠んだ詩である。播安仁﹁河陽豚作二首﹂の﹁引領望京室﹂
は、京への思いと見なすことが出来よう。
陸土櫨﹁寒蝉賦﹂、虚恩道﹁聴鳴蝉﹂は、蝉を題にする
作品である。そのような作品で、﹁或歌我行永久、或哀之
乎無裳﹂﹁藍聴別人心即断、才聞客子涙先垂﹂と詠まれた
のである。漢詩文で、蝉は旅人がその声を聞いて、別れを
万葉集の歌の本文で、蝉(せみ)が詠まれるのは、三六
題調と歌の本文の関係において、もう一つの可能性は、
指摘されているが、﹁詠蝉﹂﹁寄蝉﹂も、漢詩文の詠題に
学んだ結呆であると考えられる。とすれば、漢語﹁蝉﹂に
相当するものが﹁ひぐらし﹂であると、万葉歌人は認識し
ていたことになる。
ひぐらしと晩蝉歌、詠蝉、寄蝉の題
(巻十・一九八二、夏相聞歌)という題を持つ歌が三首見
一七番歌のみであるが、題調で蝉を詠む歌であると示した
例はさらにある。
万葉集には、それぞれ﹁晩蝉歌﹂(巻八・一四七九、家
持、夏雑歌)﹁詠蝉﹂(巻十・一九六回、夏雑歌)﹁寄蝉﹂
第
﹁ひぐらし﹂を詠んだ歌が先にあって、﹁晩蝉歌﹂﹁詠蝉﹂
﹁寄蝉﹂という題が後に付けられたことである。つまり、
歌の作者が﹁ひぐらし﹂を詠んだ時、必ずしも漢語の﹁蝉﹂
を意識したとは隈らない。漢詩文的な題が必要になった時、
作者或いは編者によって題詞が付けられたことであるロ﹁ひ
ぐらし﹂に相当する漢語は、﹁蝿﹂と恩われるが、﹁晩姻
蝉の題の下に、ひぐらしの歌が詠まれたにしろ、﹁ひぐ
らし﹂の歌に、﹁詠蝉﹂﹁寄蝉﹂という題が付けられたに
しろ、作者、或いは編者のいずれかが、漢語の﹁蝉﹂と﹁ひ
ぐらし﹂を同じものと認識したことは変わらない。特に、
家持の巻八の一四七九番歌は、歌の内容から、題調に﹁晩﹂
を付ける根拠が見られず、﹁晩蝉歌﹂は家持自身が付けた
題詞である可能性が高い。少なくとも家持は漢語の﹁蝉﹂
に当たるものは﹁ひぐらし﹂と認識したのである。
-6-
歌﹂﹁詠蝿﹂﹁寄蝿﹂にしなかったのは何故だろうか。姻
は、﹃嘉文類緊﹄で、曹植﹁愁思賦﹂(愁)、王褒﹁洞矯賦﹂
以下、蝉を詠んだ三六一七番歌に続いて、蝉と同一視さ
れた﹁ひぐらし﹂を詠んだ歌と漢詩文との関わりについて
検討して見ょう。
夏のひぐらしと物思い
鳴きつつもとな(巻十・一九六回、夏雑歌)
家持の一四七九番歌は、引き値もってばかりいて、欝陶
万葉集には、次のようなひぐらしを詠んだ歌が見られる。
FE
大伴家持が晩蝉の歌一首
を
隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば
来鳴くひぐらし(巻八・一四七九、夏雑歌)
蝉を詠む
黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に
節
(篇)、繁欽﹁桑賦﹂{桑)、沈約﹁八詠・悲落桐﹂(桐)
なE の作品に詠まれるが、蝿を題にした作品は、縛成﹁鳴
蝿賦﹂のみである。歌題として﹁詠蝉﹂﹁寄蝉﹂なEがも
っと漢詩文の詩題に近い、と作者或いは編者は考えたので
はないだろうか。
明は、﹃新撰字鏡﹄に﹁徒瀦反、大蝉﹂とあり、蝉の一
種と考えられる。﹃葡雅﹄の﹁鯛﹂に対する解釈文も、﹃喜
文類来﹄では、蝉を詠んだ詩文とともに﹁蝉﹂の項目に纏
められている。﹃華文類衆﹄の﹁晶軍部﹂には、蝉、蝿、
蚊、蜂跡、峡蝶、蛍火、幅幅、叩頭晶、蛾、蜂、総棒、尺
蟻、蟻、蜘昧、蛸、嵯眼の項目が見られ、鯛には単独で項
目を立てず、﹁蝉﹂の項目に鐘めている。鯛を詠んだ作品
に﹁詠蝉﹂﹁寄蝉﹂という題調がつけられたのは、分類上、
鯛が蝉に属するという認識が働いていたかも知れない。
第
しいので、気を晴らそうと外に出ると、ひぐらしの鳴き声
が聞こえたと詠んだ軟である。巻十の一九六四番歌は、よ
りによって、物思いをする時に、ひぐらしの鳴き声が聞こ
えると詠んだ歌である。二首の歌の共通点は、心が晴れ晴
れしている時ではなく、欝陶しい時、物思いをする時に聞
こえて来るひぐらしの鳴き声を詠んだことである。このよ
着意含風蝉
審暖度雲属
明釦劇風樹 秋介にして繁慮積り
展樽長宵半 展転して長宵も半ばなり
(謝恵連﹁秋懐詩﹂﹃文選﹄巻二十三
/﹃醤文類衆﹄秋)
また、漢詩文には、姻と物思いを詠んだ例も幾っか見ら
る
鳴姻抱木令属南飛鳴鋼は木を抱きて雁南に飛ぶ
まれ
湖周側側制割制崩
有
野草蝿宮古包令室薬希野草は色を変へて茎薬希なり
し世
うな詠み方は、望郷の思いと蝉の鳴き声を詠むことと共通
るむ
原野何粛保原野何ぞ粛僚たる
れる。
剛制到五例制剥劃
遺f
語
りし
て告
する。
雁蝉
i
乙へ
秋日棲懐今秋日倭懐たり
劇剛湖剖割割問時の逝くこと餌るるが若きに感ず
桑原書之可哀案ぞ厭の声の哀れむ可き
なんそペ
干台府之高視台府の高楓に有り
かな
物慮陰而白惨物陰に慮して自ら惨しぶ
(貌・曹植﹁愁思賦﹂﹃醤文類衆﹄愁)
有噂喧之鳴蝋喧嘩と鳴く明
古
宮
漢詩文でも、蝉は、望郷の思いだけではなく、様々な物
思いとともに詠まれる。
主
主
喜
配量
恩節
愉主手
刷剛湖剖劇劇利引間ぞ時逝きて是に感ずる
-7-
雲風
遥四
秋風娃微涼秋風徹涼を発ち
調蝋醐謝側寒蝉我が側に鳴く
か︿
白日忽西匿白日忽ちに西に匿る
劇捌銅剣倒物に感じて我が懐を傷め
撫心長太息心を撫して長く太息す
{貌・曹植﹁贈弟白馬王彪﹂﹃醤文類衆﹄友悌)
きかづ舎
樹青草未落樹青く草未だ落ちず
蝉涼葉巳危蝉涼しく葉己に危し
調淵到剖樹齢深む長夜の想
{梁・呉均﹁秋念詩﹂﹃醤文類豪﹄秋)
顧憶晦耶后顧みて憶ふ臨邦の后
若E
し
護
霊
たた
宮歳之調年歳の我を略すに感ず
{晋・得戚﹁鳴鯛賦﹂﹃醤文類来﹄蝉)
漢詩文で、蝉、鋼は、﹁感物傷我懐﹂﹁還深長夜想﹂﹁耽
介繁慮積﹂と、或いは﹁盗恩情侃令若有遺﹂﹁日制時逝之是
感今、感年歳之我催﹂と、様々な物思いとともに詠まれた
ことが確認出来る。
物思いをする時に聞こえて来るひぐらしの鳴き声を詠む
万葉集の歌は、上のような中国文学の影響を受けているの
ではないだろうか。
ただし、万葉集の歌と漢詩文との聞には、一つの大きな
違いがある。それは、漢詩文で、物思いと詠まれた蝉は、
秋蝉であり、﹁夏雑歌﹂に収められた万葉集の一四七九、
一九六四番歌は、夏のひぐらしであることである。
漢詩文にも、夏の蝉は詠まれる。夏の蝉を詠んだ作品に、
陳子良﹁夏晩尋子政世置酒賦韻﹂、顔延之﹁夏夜呈従兄散
騎詩﹂が見られる。しかし、中国文学では、一般的に、夏
の蝉と人の物思いは詠まれない。というよりも、そもそも
中国文学で夏の物思いを詠むことは、文学の主流ではない。
中国漢詩文では、春と秋の物思いを詠むことが普通であり、
その秋の物思いを詠む作品、悲秋の文学伝統の中に、蝉、
鯛の虫の声が詠まれるのである。
﹃醤文類来﹄の﹁蝉﹂の項目は、﹁種記目、仲夏之月、
蝉始鳴。季夏之月、寒蝉鳴﹂と﹃礼記﹄の記述を引用する。
﹃札記﹄の記述からも、中国の蝉も日本と同じように夏か
ら鳴き始め、それが一番盛んに鳴くのが夏であることが推
測される。中国文学に詠まれた蝉と万葉集の歌に詠まれた
ひぐらしは、生物学的に実際に異なるかも知れない。しか
し、中国文学で、ひたすらに秋の蝉が詠まれるのは、根本
的に言えば、詩人遣が、専ら秋の思いを詠むことによる。
﹃札記﹄には﹁季夏之月、寒蝉鳴﹂と、寒蝉は夏の末に鳴
くと記されているが、実際に、漢詩文に詠まれた寒蝉は﹃醤
文類衆﹄では、すべて秋蝉である。﹃懐風藻﹄に於いて‘も
状況は変わらない。
万葉集で、夏のひぐらしが詠まれたこと、或いはひぐら
しの歌が夏雑歌に編集されたことは、中国人の文学意識と
明らかに異なる。その季節感覚は、盛んに鳴くひぐらしの
ひぐらしと恋
鳴き声を聞くのは夏であるという生活実感に基づくもので
あるう。
第四節
万葉集には、恋の思いとともに詠まれたひぐらしの歌が
幾っか見られる。
恋と詠まれたひぐらしの歌は、遣新羅使が詠んだ三五八
-8-
す る か も { 巻 十 五 ・ 三 六 二 O、遺新羅使)
蝉に寄する
ひぐらしは時と鳴けども恋しくにたわやめ我れ
は定まらず泣く(巻十・一九八三、夏相聞)
遺新羅使の三六二O番歌は、島陰に庵を結び、仮寝をし、
恋しい思いをしている時に、聞こえたひぐらしの鳴き声を
詠んだ歌である。ひぐらしは、単なる風物の表現ではなく、
九、三六二O番歌と、巻十の﹁夏相聞﹂に見られる女性の
恋を詠んだ一九八二番歌である。
新羅に遣はさるる使人等、別れを悲しぴて贈答し、
いた
また海路に情を働ましめて恩ひを陳べ、井せて所
2
に当たりて諦ふ古歌
タさればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ我が来
要EE
し
る妹が目を欲り(巻十五・三五八九、秦間満)
あきの︿犯
安芸国の長門の島にして磯辺に船泊まりして作る
歌五首
恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島陰に庫り
止む時もなし(巻十一・二七八五)
ま
恋衣着奈良の山に鳴く鳥の聞なく時なし我が
恋ふらくは(巻十二・三
O八八)
伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど我が恋の
みし時なかりけり(巻十四・三四二一一)
千鳥鳴くみ吉野川の川の音の止む時なしに思
ほゆる君(巻六・九一五)
湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや
時わかず鳴く(巻六・九六一)
あしひきの山下とよみ行く水の時ともなくも
恋ひ渡るかも(巻十一・二七
O四)
2
咲く花は過ぐる時あれど我が恋ふる心の中は
いを対照的に詠んだ女性の歌である。一九八二番歌に類似
する比輪、或いは反輸は万葉集で多く見られる。
を思い出したか、妻のことを思いながら山を越える時にひ
ぐらしの声を聞いて一層寂しくなったか、明らかではない。
しかし、前の歌とともに、旅での妻への恋心とひぐらしの
鳴き声を詠んだ歌と見ることが出来よう。
巻十の﹁夏相聞﹂に見られる一九八二番歌は、時を定め
て鳴くひぐらしと、いつも止むことなく続く自分の恋の思
いながら越える生駒山で聞くひぐらしの声を詠んだ歌であ
る。夕暮れに鳴くひぐらしの寂しい声を聞いて、妻のこと
作者の恋の思いと関わる。新日本古典文学大系﹃寓葉集﹄
が﹁鳴き声に物思いはいっそうつのるばかりであったろう﹂
と指摘したとおり、ひぐらしの声は作者の心境と無関係な
存在ではない。
もう一首の遣新羅使歌の三五八九番歌も、妻のことを恩
-9-
印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が恩ふ時
はさねなし(巻二十・四三
O 一)
以上の欧で詠まれる川、鶴、鳥、風などには、多かれ少
なかれ、皆叙景的な要素が認められよう。巻十の一九八二
番歌のひぐらしにおいても同じことが言える。つまり、一
九八二番歌は、ひぐらしの鳴き声を聞きながら恋の思いを
することを詠んだ歌である。
ひぐらしが恋の思いとともに詠まれることは、漢詩文に
見られない万葉歌の特徴であると指摘されている言。こ
れは、万葉集の歌の特徴というよりも、漢詩文では恋をE
面から詠まない特徴と関わると恩われる。
漢詩文で男性の恋心は、望郷の思い、旅の辛さの表現に
よって代替される。そのよう-な作品を視野に入れると、蝉
と恋心とを詠んだ作品は、漢詩文においても皆無とは言え
なくなる。上で挙げた虚恩道﹁聴鳴蝉﹂(﹃醤文類衆﹄蝉)
の﹁聖聴別人心即断、才聞客子涙先垂﹂は、恋心を詠んだ
例に数えることが出来るかも知れない。
漢詩文には、次のような作品も見られる。
奥君結新婚君と新婚を結び
E
宿昔嘗別離宿昔当に別離すべし
涼風動秋草涼風秋草を動かし
幡蜂鳴相随略陣鳴いて相ひ随ふ
測例寒蝉時測測として寒蝉吟じ
蝋剛捌柑樹蝉吟じて枯枝を抱く
枯枝時飛揚枯枝時に飛場し
身睡忽遷移身体忽ち遷移す
不悲身遷移身の遷移するを悲しまず
ただ
但惜歳月馳但歳月の馳するを惜しむのみ
(貌文帝﹁於清河見続船土新婚別妻一首﹂
﹃玉台新詠﹄巻一一)
例制捌捌燕僻極秋蝉柳に喋ぎ燕植を辞す
創割行役怨遁城君が行役し辺城に怨むことを念ふ
(﹁燕歌行﹂﹃謝重運集﹄)
魂文帝の歌は、新婚の妻との別れを詠む詩であり、謝霊
運の詩は、行役に行った夫を思う女性を詠む詩である。そ
こに蝉が詠まれたのである。離別を怨み、人を恋ふ心とと
もに詠まれた蝉ではないだろうか。
恋とひぐらしを詠む遣新羅使の旅の歌と、巻十の一九八
二番歌は、表現上で、漢詩文の受容を確定的に言うことは
ひぐらしと花
出来ないが、やはり、蝉の声を聞いて物思いをすると詠む
漢詩文の方法に学んだところが多いのではないだろうか。
第五節
-1
0-
万葉集に、ひぐらしと花を詠む歌が二首見られる。
八月七日の夜に、守大伴宿祢家持が館に集ひて宴
する歌
ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野
辺を行きつつ見ベし︹巻十七・三九五二
風を詠む
とぎす、二一二二番歌は、鹿と雁、四二二六番歌は、残雪
と橘の実を詠む。このような歌で、取り上げられた二つの
景物は、決して随意的ではなく、意識的に取り合わされた
のである宙活用語として﹁時は﹂﹁時に﹂の役割は、﹁な
へに﹂と共通するところがある量百三九五一番歌のひぐ
らしと女郎花も意識的な取り合わせであると考えられる。
ちしま
二二三一番歌は、風を詠む歌であるが、﹁萩の花咲き
たる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに﹂は、萩とひぐ
12EeEZ
だい
(現・曹植﹁愁思賦﹂﹃醤文類衆﹄愁)
蝉鳴きて早秋至り
割割剰規制問 意草芳非無し
(梁・粛子雲﹁落日郡西膏望海山詩﹂
﹃喜文類衆﹄遊覧)
秋風起今寒属蹄 秋風起りて寒雁帰る
ゃ
寒附鳴今例制酬 寒蝉鳴きて秋草排む
州鳴早秋至
鳴捌抱木令贋南飛鳴鋼は木を抱きて雁は南に飛ぶ
このように、万葉集で、ひぐらしは、女郎花、萩などの
花と意識的に詠まれる。
それでは、漢詩文の蝉はどうであろう。
矧割劉創制劃剰刺野草色を変へ茎葉樹なり
らしによる秋景の表現である。それに秋風が加わったので
ある。
萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへ
に秋の風吹く(巻十・二二三一、秋雑歌)
三九五一番歌は、家持の館の宴席で、大目秦忌寸八千嶋
が詠んだ歌である。ひぐらしが鳴くことと、女郎花が咲く
ことを﹁時は﹂で繋げて表現した歌である。
万葉集には﹁時は﹂或いは﹁時に﹂で二つの景物を詠む
例が幾っか見られる。
雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐ
れど(巻九・一七
O三)
ほととぎすいとねたけくは橘の花散る時に来
鳴きとよむる(巻十八・四
O九二)
さ雄鹿の妻問ふ時に月を良み雁が音聞こゆ今
し来らしも(巻十・二一一一一一)
この司の梢残る時にいざ和かな削欄の実の照
るも見む(巻十九・四二二六)
一
七O二一番歌は、雁と黄葉、四O九二番歌は、橘とほと
-1
1-
(梁・一耳帝﹁擬秋気搭落賦﹂﹃醤文類来﹄賦)
寒幽喋楊柳寒蝉は楊柳に喋ぎ
朔吹犯梧桐朔吹は梧桐を犯かす
(陳・張正見﹁寒樹晩蝉疎詩﹂﹃醤文類来﹄蝉)
ゃ
草駄腫鳴初章敏みて趨鳴くこと初めなり
側副柑剖創蝉は恩ふ花落ちし後
ll
うたりラえふひるが
r
zのふ“ vbみかた
やまu
A
寒蝉唱而柳薬瓢寒蝉唱ひて柳葉瓢り
霜鷹度而雄花落霜雁度りて藍花落らふ
小山丹桂小山の丹桂
いろ
流彩別愁之篇彩を別愁の篇に流し
剥捌剰剛長坂の紫蘭
制制剛叫剖到穫を同心の翼に散らす
(山田史三方﹁秋日於長王宅宴新居客﹂序
﹃懐風藻﹄匁)
海魚動圃波瀞魚円波を動かす
ーーはげ
鳴蝉属寒音鳴蝉寒音を腐まし
剛剰捌制朝時菊秋華を輝かす
りながら、次のような例を見ることが出来る。
蹄雁映蘭時帰雁蘭時に映じ
斜属凌雲響斜雁雲を凌ぎて響し
だな
-b
樫蝉抱樹吟怪蝉樹を抱きて吟く
(石上朝臣乙麻日﹁瓢寓南荒、贈在京故友﹂
しのきよも
月後桂静陰月後桂は陰を静ぶ
かつらかげ
雪崩遡劃風前蘭は働を送り一
{梁・簡文帝﹁聴早蝉詩﹂﹃喜文類緊﹄蝉)
漢詩文で秋は万物を凋落させる季節である。そのような
﹃懐風藻﹄旧)
﹃懐風藻﹄で、蝉と詠まれる風景は、中国漢詩文と大き
く異なる。
一色に凋落する自然を詠む中国漢詩文にも、わずかであ
いなぽ
季節感の中で蝉は、多くは、色を失って行く草木、凋落し
て行く風景とともに詠まれる。万葉集の歌と対照的である
ことは明らかである。
ひぐらしと花の取り合わせは、むしろ﹃懐風藻﹄の漢詩
とやや近い。
欲知間居趣閑居の趣を知らまく欲り
か
Z
来尋山水幽来たり尋ぬ山水の幽きことを
浮沈姻雲外浮沈す姻雲の外
捌制矧柑制叫拳翫す野花の秋
稲葉負霜落稲葉霜を負ひて落ち
ーーかぜ
蝉聾逐吹流蝉の声吹に逐ひて流る
お医みわのあそみやすまろ
(大神朝匡安麻呂﹁山蔚言志﹂﹃懐風藻﹄却)
子時露凝畏序時に露畏序に凝り
号
風樽商郊風商郊を転る
-1
2-
(播安仁﹁河陽勝作二首﹂﹃文選﹄巻二十六)
澗鳥鳴今夜剛清澗鳥鳴きて夜蝉清し
橘露騨今恵畑軽橘露唐きて葱姻軽し
(宋・謝荘﹁山夜憂﹂﹃醤文類衆﹄組載山)
早制清暮響早蝉暮響を滑らかにし
崇耐散晩芳崇蘭晩芳を散じる
{越中虚﹁遊滑都観尋沈道士得芳宇﹂﹃全唐詩﹄)
これらの作品と﹃懐風藻﹄の詩を考え合わせると、万葉
ひぐらしの鳴き声の鑑賞
集のひぐらしと花も、漢詩文と無関係とは恩われない。
第六節
万葉集には、ひぐらしの鳴き声を、毎日聞いても飽きな
いと詠んだ歌が一首ある。
蝉を詠む
夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞け
ど飽かぬ声かも(巻十・二一五七、秋雑歌)
一一一五七番歌は、秋雑歌の﹁詠蝉﹂に見られる歌である。
ひぐらしの声は、﹁日ごとに聞けど飽かぬ声かも﹂と詠
まれる。この担え方は、ひぐらしの声を聞いて、秋を感じ
る、物思いをする、恋心が募ると詠む作品の捉え方とかな
り対照的である。
一二五七番歌のひぐらしの声に対する積極的な捉え方
は、次のような漢詩文の蝉の捉え方と関わりがあるのでは
、
益
。
Eb
4
由
主主主E
天寒響屡噺天寒く響屡噺び
いよいよ
日暮聾溢促日暮れて声溢促す
繁吟欲知章繁吟尽きんと欲するが如く
剥嗣湖柑劃長韻巌相ひ続く
(梁・楕渥﹁賦得蝉詩﹂﹃醤文類燕﹄蝉)
端緩抱宵液端緩宵液を抱み
剰剖剥劃園間飛音露承けて滑し
(梁・誼雲﹁詠早蝉詩﹂﹃曇文類緊﹄蝉)
ど隠
葉疎飛更迦薬疎らにして飛ぶこと更に週く
制淵割問淵秋深く響き自ら清し
(階・王由樺﹁賦得高柳鳴蝉詩﹂﹃醤文類来﹄蝉)
割淵判樹刻声は上林の苑に流れ
影入侍臣冠影は侍臣の冠に入る
(陳・劉剛﹁詠蝉詩﹂﹃喜文類衆﹄蝉)
主
ち
ib
容麗鯛蟻容は綱蟻より麗しく
聾美宮商声は官商より美し
(晋・陸士龍﹁寒蝉賦﹂﹃醤文類来﹄蝉)
蝉の声を捉える表現に﹁長韻﹂﹁飛音承露清﹂﹁秋深響
白清﹂﹁書流上林苑﹂などが見られる。特に﹁聾美宮商﹂
-1
3-
文の蝉の鳴き声の捉え方が、二一五七番歌の﹁日ごとに聞
楽器に喰えて詠んだ詩も思い出されよう。そのような漢詩
0 蝉の声を各種の
は 、 蝉 の 声 が 音 楽 よ り 美 し い と 詠 む5
五頁)で論じた。
第十一一巻、東京、塙書房、一九八四年四月、五十一一一5七十
七三年四月、九5一一一十三頁)﹁花鳥歌の展開﹂(﹃商業集研究﹄
島歌の源流﹂(﹃寓葉集研究﹄第二巻、東京、塙書房、一九
a
参考文献について
a
小島憲之﹁語の性格│万葉語﹁晩蝉﹂の場合│﹂﹃美夫君志﹄第
表現についても指摘する
{六)右の(-石呉衛峰氏論文は、漢詩文の﹁審美宮商﹂という
六十四頁)書原因
究会﹃古代研究﹄第三十七号、二OO四年三月、五十六1
{玉)中島輝賢﹁なへ(に)様式の継承と変質﹂(早稲田古代研
学方法と軌を一にする
雪と橘の取り合わせば、雪と梅、雪と柳、雪と花を詠む文
けど飽かぬ声かも﹂という表現に繋がったのではないだ
ろうか。
︿
注
﹀
畢論叢﹄第十八号、三OO七年九月}、月については﹁月を
︹一)雁については、﹁万葉集の雁と中国瓦学﹂(﹃京都大学園瓦
詠む万葉歌と中国文学﹂(﹃圃語圏瓦﹄三OO八年六月号)
で論じた.
峰﹁﹃新撰万葉集﹄における漢詩への一視点lEの﹁蝉﹂を
二十三号、一九七九年三月、七十二一5七十人頁。
(-J漢詩文では、蝉の声を盤、軍に噛えることについて、呉衛
めぐって﹂(﹃圏語と圏文事﹄巻八十三一・第三号、ニOO六
寺窪健志﹁夏の夜のひぐらしの声│士伴家持﹁晩蝉歌﹂試論l﹂
﹃日本文芸論叢﹄第十一号、一九九七年三月、一 1十二頁。
らし│古典文学歳時記のうち│﹂(﹃群馬県立女子大学園文
芳賀紀雄﹃寓葉集における中園瓦畢の受容﹄東京、塙書房、三O
年三月、二十人3二一十九頁て小林祥次郎﹁せみ(付)ひぐ
学研究﹄第十六号、一九九六年三月、五十二了上ハ十六頁)
大学紀要﹄第十三号、一九九二年六月、二一五5二三四頁。
小山内鼻﹁﹃高葉集﹄に現われる昆虫類について﹂﹃創価女子短期
O三年十月、総八一四頁.
に既に指摘が見られる。
(二一)佐々木民夫﹁ひぐらしの歌﹂﹃万葉研究﹄︹仙台万葉研究会)
第十一一号、一九九一年十二月、
7L一十一頁。
せであり、その源流は、漢詩にあると井手至氏はすでに﹁花
︹四)橘とほととぎすの取り合わせは、意融的な花島町取り合わ
-1
4-
引用本文は次のよヲな書鞠による。
﹃謝重運集﹄(顧紹柏校注﹃謝霊運集校注﹄鄭州、中州古籍出販
﹃初事記﹄(北京、中華書局、一九六三年)
﹃事瓦類緊﹄(証紹櫨枝、上海、上海古籍出版社、 一九八一一年)
﹃全唐詩﹄(北京、中華書局、一九六O年)
﹃高葉集﹄(新編日本古典文学全集、小島憲之、木下正俊、東野
﹃得玄集﹄(景印文淵閤四庫全書﹃漢現六朝百三家集﹄台北、台
社、一九八七年)
一九六四年)
湾商務印書館、一九八一一一1 一九八六年)
﹃懐風藻﹄(日本古典文学大系、小島憲之校注、東京、岩波書府、
﹃瓦遺﹄(新釈漢文大果、内国最之助、網祐次、東京、明治書院、
治之共著、東京、小学館、一九九四年五月5 一九九六年八月)
一九六二了よ一O O一年)
せいとく・本学博士桂期課程)
-1
5-
﹃玉台新詠﹄(新釈漢文大果、内岡県之助、東京、明治書院、
九七四1 一九七五年)
そ
う
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