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当協会と(社)全国市街地再開発協会の共催により、 北米都市再開発事情

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当協会と(社)全国市街地再開発協会の共催により、 北米都市再開発事情
当協会と(社 )全 国市衝地再開発協会の共催により、北米都市再開発事情調査が平成 18
年 10月 5∼ 12日 までの8日 間実施されました。今回は、当協会の国際委員会が企画 し,
「地域主体の再開発」をテ…マに、米国のミネアポ リスとロサンゼルスを視察 しました。
調査団は国際委員会副委員長の南部繁樹氏を団長に総勢24人 の構成で、 ミネアポ リス
の「メ トロポ リタン・ カウンシル (広 域 自治体 )」 、 ロサンゼルス市の「地域開発公社
(CRA)」 を公式訪問し、各地の現場を視察 しました。以下、その概要を報告 します。
ロサンゼルス地域開発公社 (CRA/LA)に て
再 開 発 コーディネ ーター
2007 No.:25
社団法人再開発コーデ ィネーター協会
● 10月 5日 (木 )
オ司コ
えてしまいました。気候風土が違 うので、どこで
15時 25分 、成 田空港 をノースウエ ス ト020便 で
出発。所要時間10時 間40分 。満席での渡航 とな り
ました。 ミネアポリス ・セ ン トポール国際空港に
は、現地時間午後 12時 5分 定刻 の到着 で した。
大型バ スに乗 り込み、 ミネアポ リスのダウ ン・
もできるわけではなく、日本でつ くるとしたら少
し工夫がいると思われます。スカイ・ウェイは、
向かい合うビルのオーナーが同意し、自分たちの
資金でつ くって管理 しているようで、これは驚き
ました。日本では考えられないことだと思います。
タウ ンに向か い、昼食 を取 ることにな りました。
ダウ ン・ タウ ンに入 って気が付 いたのは、人が歩
いてい ないこ とです。そ うです、みんな車 で移動
するためなんです。市の中心部には大きな駐車場
があちこちに整備されており、改めてアメリカと
いう国は車社会なんだと実感させられました。
ニコレット・モール
ミネアポリス市街
「ニ コ レ ッ ト・モール」 は、市 内を南北 に縦 断 し
昼食後、早速 ダウ ン・ タウン南部 の コンベ ンシ
ている通 りで、バ ス 、 タクシー以外 の交通 を遮断
ョンセ ンター を視察 しました。スケールの大 きい
して い ます。通 り両側 の歩道 には野菜や果物 の露
施設で、「果たして施設全部が使用 されているのだ
店 が出てい ました。彫刻 な どのモ ニ ュメ ン トもあ
ろうか。維持管理はどうなっているのだろうか」
りましたが、期待 して い た よ り質素 な件 まい にち
といささか心配になりました。しかし、この日も
よっと拍子抜 け
催しが行われてお り、 2日 後からは別の催しもあ
か しこで行われてい ると想像 して いたので…)。 し
るらしく、会場づ くりが行われていました。
次に、バスで市内の中心部へ。そこには「スカ
か し、 夕方 になる とモール に面 した レス トラ ンの
イ・ウェイ」がありました。事前に雑誌やインタ
ーネットで調べていたのですが、
「百聞は一見に如
盛況で した。
かず」
、なかなかユニークで面白い施設でした。も
し、日本でも同様の施設をつ くろうとしたらどう
● 10月 6日 (金 )
だろう。まず道路側が何 と言うだろう、などと考
ン トを見学 しました。その昔、水運 と水力 を利用
再開発 コーディネーター
2007 No.:25
(も
っ とい ろい ろな催 しが、そ こ
テ ー ブルが並 び、お客 さんが い っぱ いで なかなか
ホテルを出発後、 ミシシ ッピー川 の リバ ー フ ロ
Jヒ米部前薪顎緑晴
調査団報告
―
した発電 に よる製粉工 場 が建 って いた との こ と。
往時 を しのぶ ミル シテ ィ・ ミュー ジア ムが残 って
い ます。
そ の後、 セ ン トポ ール市 にある「メ トロポ リタ
ン・ カウ ンシル」 (MetropOhtan Counc」
)を 公式
訪 間 しま した。 メ トロポ リタ ン・ カウ ンシル は、
ツイ ンシ テ ィー ズ 首都 圏 の 7つ の 郡
(カ
ウ ンテ
ィ)、 190の 市 の土 地計画、交通機 関、 上下 水 道、
公園施設計画、住宅、環境事業等を行 って い ます。
LRT(ラ イ トレール)
ッイ ンシテ ィー ズ大都市 圏 の 中 で、 既存 の政府 で
は十分 に対 処 で きなか った問題 を解 決す るた め
1967年 に創設 され、 16人 の委員が均 一 になるよ う
に 一 人 ひ とつ の地 域 を担 当 して い ます 。 また、
1994年 か らは 3機 関が合併 し運営事業 を始 めて い
ます。
プラ ンニ ング ・ アナ リス トの ジ ョン・H・ カリ
氏が概要説明を行 い、今後30年 間 に100万 人 の人口
増 を見込 んでい ること、住民 の 5人 に一 人が少数
MOA(モ ール・オブ
アメリカ)
民族 (マ イノ リテ イ)で あ ること、そのために交
通機関、特 にLRT(ラ イ トレール、軽便電車 )の
オブ・アメリカまで約23分 で結 んでいます。
整備 を行 い、住 みや す い環境 と住宅 の整備が重要
この施設は1992年 にオープ ンした米国最大規模
の複合 ショッピ ング・エ ンターテイメント施設 で、
課題 である ことな どの説 明があ りま した。
公式訪 問後、概要説明 で紹介 の あ ったケ ンジン
ミネアポリスのセン トポール国際空港 に隣接 して
トン・パ ー ク とイ ース ト・ ビ レッジの再 開発地 区
お りξ航空機 の待ち時間 にここを訪れることがで
を視察 しました。 いずれ も低層 の老朽化 した住宅
きるようにとの配慮があったそ うです。施設 をつ
「 メ トロ・ ドーム」 の改
くったそもそもの発端は、
を、中高層のアパー トメント (日 本でいうマンシ
ョン)に リニューアルし、オープンスペースを確
修 ・誘致に ミネアポリス との競争 に敗れて、その
保 した良好な環境の住宅になっていました。アメ
リカ流「身の文再開発」 といったところでしょう
跡地利用か ら生まれたそ うです。
アメリカ最大のショッピング・モールだけあっ
か。
て、 4階 建 ての四隅にデパー トが入 り、屋内中央
には遊園地、約520の ショップがひしめきあい、さ
● 10月 7日 (土 )
らには南北 2箇 所 のフー ドコー トを備 えてお り、
この 日は「モール・オブ・アメリ力」 を視察 し
ました。ダウン・タウンのメ トロ・ ドーム駅 まで
モール内は一 日中歩 いて も飽 きないつ くりになっ
てい ます (現 地通訳 の片桐氏 は、 このモールづ く
ホテルのバスで送ってもらい、LRTで 出かけまし
た。ミネアポリスのダウン・タウンからモール・
りにも関与 され、 日本 にもモール・オブ・ ジャパ
ンをつ くるのが夢 とのことで した)。
再開発 コーディネーター
200フ No.125
41
(日
)
15年 程前 は映画
ミネアポリスか ら空路 ロサ ンゼルス に入 り
(こ
産業が街 を去 り衰
の飛行機 も満席で身動 きできない状況でした)、 早
速、 ノセ ラ氏 と待 ち合わせて市内の再 開発地区を
化 し、 さびれた観
車窓か ら視 察 しました。 日曜 日に もかかわ らず
光地 になっていた
我 々のために再開発地区の案内 して くれました。
そうです。しかし、
※ノセラ氏は、昨年 4月 当協会の20周 年記念事業の一イ
今 は レス トラ ン、
ベ ン トである「国際都市再開発 ゼ ミ」で講師を務めら
れました。 ロサ ンゼルス市地域開発公社 (Communi_
ty Redevelopment Agency)上 席資金調達官。
﹄呻“嘔町糖鴫n暉
由ロ
● 10月 8日
退 して建物 も老朽
ホテル、専門店な
どが集積 した複合
ア ミュ ー ズ メ ン
ミネアポ リスで も感 じたことですが、市内の中
ト・パークとな り
八リウッ ド&八 イラン ド
心地は貧困者が多数住み、これ らの人たちの住宅
復活 しました。ハ リウッド&ハ イラ ン ド地域 は再
整備 と併せて、店舗整備 をしてゆ くとい う救済的
開発で整備 された地 区です。
色彩 の濃 い ものが、 当地 での再開発事業のようで
す。 日本のような駅前密集地域で高層 ビル をつ く
るものではないので、当初「 これが再 開発
?」
と
● 10月 9日
(月
)
「 コロ ンブスの 日」で休 日で したが、 この 日も
い う感 じを受けました。
ノセ ラ氏が午前中、再 開発地域 の現地案内をして
次に、1993年 に創設 されたラ・ブレア地区のフ
ァーマーズ ・マーケ ットと隣接する ショッピング
くださり、車窓か らリ トル ・ トウキ ョウ地区を視
察 しました。 この付近は シャッターが下 りた街並
セ ンター「ザ ・グロープ」 (2002年 オープ ン)を 視
みが続 いてお り、少 し異様 な感 じさえ しました。
察 しました。 日曜 日のせ いか、家族連れやカップ
通訳の平岩氏 によると、 リ トル・ トウキ ョウの盛
ルで大賑わいで、敷地内を路面電車が走 り、広場
ではミニコ ンサー トが行われてい る、 とても楽 し
衰は日本経済に左右 されるとのこと。 日本人観光
客が減ると訪れる人が減少 し、ひいてはお客 も減
いショッピング・セ ンターで した。
ると。あた りまえだが、妙 に納得。
また、ハ リウ ッ ドはさす がに世界 の観光地で、
カメ ラ片手に大勢 の人たちで賑わってい ました。
次に、郡 ・市庁舎や連邦裁判所 のある官庁街裏
手 のカテ ドラル
(天 使 のマ リア大聖堂)を
視察 し
ました。 ここは州政府の土地 ・市 の土地 ・連邦政
府 の土地 を活用 し、 寄付金 で教会等 を整備 して
2001年 にオープ ンした施設 です。グラ ン ド・アベ
ニ ューでは、ウォル ト・デ ィズニー・ コンサー ト
ホール前にバ ス を止め、周辺 の状況 も併せて視察
しました。
引 き続 き、ガーデ ィナ地区にある「ウォル・マ
ー ト」を視察 しましたが、 この地域 は税金が安 い
ので 日本の 自動車会社等が多数立地 してい る地 区
フアーマーズ マーケッ ト
42
再開発コーディネーター
200フ No.125
です。
米都市再開発事情
Jヒ
へ調査団報告
υ
―∼VA々 へ
再開発 プ ロジェク ト地区か らの財産税増収分
(そ
の うち少 な くとも20%は 中低所得者層向けの住宅
や債務返済 の財源 となる)、 ふたつ 日は税配分債権
の収益
(そ の うち少 な くとも20%は 住宅 に制限さ
れる)、 三つ 日は補助交付金、そ して四つ 目はその
他 一般歳入
(特 定不動産 の販売、デベロ ッパーの
支払 い、賃貸収入、 ロー ンの返済金 と投資収入 )
です。
グラン ド アベニュー
(デ ィズニー
コンサー トホール)
さらに、 フリー ウェイを南下 しサ ンタアナ地区
の「 サ ウス コー ト・ プ ラザ」 を視 察 しま した。
概要説明の後 も、 ノセラ氏 の案内で市 の南部地
区とチ ャイナ ・ タウ ン地区を車窓か ら視察 しまし
た。 いずれの地 区も既存 の古 い事務所 や倉庫等 の
修復、改修事業が進 め られてい ました。
MOA(モ ール・オブ・アメリカ)と はまた違 った
雰 囲気 の シ ョッピ ングセ ンターで、 ガイ ドブ ック
に よる と世 界有数 のブテ イックや人気 シ ョップ、
カリフォルニ ア限定 ブラ ン ドが集 まる米国内 で も
有数 の最高級 シ ョッピングセ ン ター だそ うです。
● 10月
10日
(火 )
CRA/LA(ロ
サ ンゼルス市地域 開発公社 )を
公式訪問 しました。
CRAは 、経済不振 の地域 に民 間投 資 を誘 引 し、
ロサンゼルス市南部の再開発事業
ス ラム街 や危険 な不動産 を排 除 して ロサ ンゼルス
市 を明 る くし、歴史的保全 や新 たな開発 を通 して
● 10月 11日 (水 )
旧来 の近隣地区 を活性化 させ る とともに、中低所
もう最終 日です。あっとい う間に 7日 間が過 ぎ
得水準 の人たちの住宅 を建設 し、雇用機会 の創造
と維持 を図 り、都市 の デザ イ ンや建築 ・芸術活動
てしまい ました。朝早 く起 きて 1時 間ほど市内 を
散策 しましたが、まぶ しい朝 日につつ まれたダウ
の促進、 まちづ くり活動 へ 市民参加 の拡大 を図る
ン・ タウ ンはまだ起 きたばか りで、人通 りもまば
こ とを目的に1948年 につ くられた公 的機関 です。
らで した。散策 しなが ら、 どこの国でも市街地に
CRAの 再開発事業 は市 内の 7地 域 で行 われてい
お ける住環境 の整備 と、災害 に強 い都市 の整備 は
ます。 イ ース ト・バ レー、 ウエ ス ト・バ レー、 ハ
リウッ ド&セ ン トラル、 ダウ ン・ タウ ン、イ ース
大切 な課題だ と改めて感 じました。
トサイ ド、サ ウス ・ ロサ ンゼルス、 ワ ッツ &ハ ー
後、 この経験 をどう活か してい くか、大 きな宿題
バ ーで、 32の 個別再 開発 プ ロ ジェク トと 3つ の再
初 めての海外出張 は大変貴重な経験 とな り、今
をいただいた気が しました。
活性化 エ リアがあ ります。
資 金 は 4つ の財源 があ るそ うで す。 ひ とつ は、
再 開 発 コーァ イネ ーター
2007 No.125
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