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行政と商店街 <目次> 1.導入 【岩波】 2.野毛地区の研究 【福島】 3.伊勢佐木商店街の研究 【歌藤】 4.元町商店街の研究 【田中】 5.野毛地区への提言 【福島】 6.伊勢佐木商店街への提言 【歌藤】 7.元町商店街への提言 【田中】 8.まとめ 【新里】 9.参考文献 ◆ 行政と商店街 ◆ 1.導入 このレポートは商店街と行政の関係がテーマである。具体的には、古くから存在する 地元に根付いた商店街が、新たなまちづくりの計画とそれを主導する市や都道府県など の行政とどう上手に関わっていけば生き残っていけるか、ということを考えていく。 Ⅰ.「生き残る」ということ 商店街が生き残る、ということはつまりその個性を存続させる、ということである。 その個性は当然商店街ごとに異なり、その個性を自覚している商店街もあれば、自覚 していないように見える商店街もある。商店街の個性にはハードとソフトの2つの面 があり、両方が他の商業地、商店街と異なる魅力を持つことが商店街の存続、繁栄に つながると私たちは考えている。 それでは、上に述べたハードとソフトについて説明する。商店街のハード面とは、 たとえば道路であったり、建物であったり、その商店街の無機質な部分のことである。 この場合個性というと、道路の舗装が綺麗、ということや、建物が大きい、さらには、 駅に隣接している、などが挙げられる。逆にソフト面の個性とは、その商店街で商売 する人々の理念や、商店街のオリジナリティ、商店街を運営していくための各種シス テムなどが挙げられる。ハード面の個性を作り出すことは多くの場合費用が掛かるが、 ソフト面の個性よりはわかりやすく、手がつけやすいといえる。逆にソフト面は目に 見えにくく、具体的な個性として把握しにくいといえる。 後に具体的な例として出てくるが、横浜の伊勢佐木町商店街を見てみよう。この商 店街は、かつては町の映画館を中心に全国有数の商店街として有名だったが、近年で は近隣に映画館が次々にオープンし、商店街として1つの大きな個性を失ってしまっ たといえる。この商店街は80年代頃から道路の改革を行っており、具体的には歩行 者天国の設置や道路の舗装の統一などが行われた。これはハード面の改革である。道 路は見た目も綺麗になり、歩きやすく、訪れた人々に良い印象を与える。しかしなが ら、この商店街は未だに映画という個性に代わるソフト面での個性を模索している最 中である。オリジナリティは商店街にとって他の商業地、商店街との差別化を図る重 要な手段であるといえる。ソフト面だけでなくハード面に関してもそれは同じである。 ◆ 行政と商店街 ◆ Ⅱ.商店街と行政をなぜ対立させたか このレポートのテーマは、前述の通り、商店街と行政の関係についてである。歴史 の深い商店街と行政主導のまちづくりは、ここではそれぞれ対立するものとして今回 のレポートでは扱った。この場合のまちづくり、とは地域の有効活用を図った開発や 再整備のことを指す。つまりこの場合、商店街が行政主導のまちづくり計画に組み込 まれないことが重要であるといえる。これにも、ハードとソフトの両面における理由 がある。 ハード面においては、その商店街特有の街並みを保存することが重要であるといえ る。しかしながら大規模なまちづくり計画に組み込まれると、その地域の効率化と引 き換えに商店街独自の街並みを失ってしまう恐れがある。一概にそうとは言えないが、 「中央集権的な体制の下では、中央で定められた基準や方針が地方に流され、画一化 が進行する。1)」通りがあり、その両側に店が立ち並ぶ、例外はあるもののその基本 的な街の形は、商店街としての1つのアイデンティティーなのではないだろうか。巨 大なショッピングモールは収益性は高いが、それでは商店街とはいえない。この場合 それぞれの商店街の街並みをその地域のオリジナリティとして存続させることが重 要なのである。 ソフト面でも、やはり地域のオリジナリティが重要になってくる。商店街の運営シ ステムや商店街としての理念などは、上から押し付けられて出来上がるものではない。 それぞれの地域に基づいた組織や協定が必要であるといえる。どの商店街も違った歴 史、特性を持っているし、それが強みにも弱みにもなることがある。商店街を運営管 理していくためには、組織の存在が必要不可欠である。立派なシステムもそれを実行 する人間がいなければ意味が無い。また、街の内部のシステム以外に、外部である TMO2)などの力を借りることもできる。自らの商店街の協定を持ち、それを基本理 念として活動する組織も多い。協定があれば、街の方向性を保ちながら街を発展させ ていくことができる。さらには、その組織を運営していく人々、商店街の住民の人々 のモチベーションや意識の高さも必要な要素の1つである。人々のモチベーションを 1) 「TRY21(タウンリノベーション横手株式会社)」 (http://www.yokotecci.or.jp/try21/hyoushi.htm) より引用 TMO 構想(Town Management Organization)とは全国的に多数の商店街に存在する、 「中 2) 心市街地に関わる官民の諸活動を総合的に企画・調整し、時には事業主体となって、中心市街地 の諸資源を活かして、活性化を図ろうとする機関」である。これは平成 10 年に経済産業省に施 行された。 ◆ 行政と商店街 ◆ 変えていくこともやはり上からの押し付けでは実現しづらい。商店街の住民 1 人 1 人 の自主性が求められる。そのためにも、やはりソフト面の管理は行政任せにしてはな らないといえる。 Ⅲ.自らの価値の創出 過去に比べ、現在の商店街はよりいっそう自らの価値を創出することを求められて いる。つまり、現状を維持するための努力だけでは実際に現状を維持することは難し くなっているのである。 1つの理由としては、やはりデパートやショッピングモールの増加が挙げられる。 消費者がより安く、より多様で新しい商品を求めようとすると、当然商店街は不利に なってしまう。なぜなら多くの場合こうした大型デパートなどの方が資金も、人員も 商店街の店舗よりはるかに規模が大きいからである。以前は、商品を売っているとい うことだけで集客することができた商店街も、いざ競争相手が出てくると、商品を売 っているということ以外の価値を見出すことが必要になってくる。オリジナリティが 1つの強みとなり、客を呼び戻すことにつながるのである。デパートやショッピング モールにとっては、強みを作り戦略を立てて商売することは当然のことである。商売 相手となり同じ土俵に立つ以上、当然商店街にもそれ相応の競争力が必要とされてい るといえる。 商店街の人員不足もまた諸問題の1つである。商店街を管理する組合員に若い人間 が加わり、顔ぶれが変わり、さらには世代が変わっていくことは新しい挑戦や改善を する上で望ましいことである。逆に、その商店街の顔ぶれが変わらず、ただ高齢化し ていくであると、やはり現状を維持していく方向性に向かいやすいといえる。高齢化 は人員不足につながり、人員が少ないということは意見の多様性を失うことにつなが る。日々変動していく市場で存続してゆくには、絶えず新たな挑戦をしていくことが 望ましい。これは商店街に限らず、様々なまちづくり計画にも同じことが言える。 自らの強みを創出するにはどうすればよいのだろうか。その答えは、当然その商店 街によって変わってくる。他には無いようなオリジナル商品を売り出すところもあれ ば、観光名所やレジャー施設を作ろうとしている商店街もある。また、店舗を選び、 特定の客層、客種を狙う商店街や、様々なイベントを開き、大々的に宣伝するところ も出てきている。強みの形はそれぞれ違うものの、これらはすべて現状に甘んじるこ とのなかった商店街の新たな挑戦である。 ◆ 行政と商店街 ◆ Ⅳ.なぜ横浜か 今回は例として横浜の三つの商店街、野毛商店街、伊勢佐木町商店街、元町商店街 を使用する。これらの商店街はすべて横浜市主導の埋立地のまちづくり計画である 「MM21」 (みなとみらい 21)に隣接しており、三商店街ともに良くも悪くも行政に 大きな影響を受けていると考えられる。また、これらの商店街はその歴史も似ており、 サンプルとして扱うには理想的な商店街であると判断した。この二つの理由により、 我々はこの三つの商店街を使うことにした。 Ⅴ.3つの商店街の特徴 三つの商店街の位置関係は下図(地図1)の様になっている。 位置関係 (地図1) これを見るとわかるように、それぞれの商店街はどれもその最寄り駅を挟んで MM21 と反対側に位置している。そのため横浜を訪れる人間のほとんどは、明確な意 図がない限りこれらの商店街を通らず MM21 に流れていってしまう。町の主役はこ ◆ 行政と商店街 ◆ れら商店街から新興の MM21 に移りつつあると言える。地図の中心に伸びる線は、 電車の路線図である。横浜駅から元町中華街駅に伸びる線がみなとみらい線。横浜駅 から桜木町駅、関内駅を通る線が JR 根岸線である。それぞれの商店街の特徴を下の 表にまとめてみた。 各商店街の特徴 野毛商店街 伊勢佐木町商店街 元町商店街 (以下、野毛) (以下、伊勢佐木) (以下、元町) 桜木町 JR 関内 みなとみらい線 元町中華街、 (JR、市営地下鉄) 、 市営地下鉄 最寄り駅 京急日の出町 伊勢佐木長者町 JR 石川町 主な客の種類 地元 地元 広域 主な業種 飲食店 チェーン店 衣料品店 商店街共同組合 伊勢佐木町 1・2 丁目 商店会 協同組合 協同組合 SS 会 飲食業共同組合 協同組合伊勢佐木町 商店街 街 づ く り 会 中華街、 野毛山動物園、 横浜スタジアム,etc 近隣施設 山下公園、etc にぎわい座,etc この表を見ると、やはり3つの商店街は最寄り駅という立地の面ではほぼ同等の、 非常に有利な条件を持っていることがわかる。主な客層に関しては、野毛、伊勢佐木 は地元客が多いことに対し、元町は広域から客を集客している。この1つの原因は、 中華街の存在なのではないかと考えられる。元町以外の2つの商店街は、MM21 に近 いところに立地しているものの、駅を挟んで MM21 とは逆の方面に位置している。 そのため MM21 に向かって歩く客は商店街の中は通らずに駅から離れて行ってしま う。それに対し元町には元町中華街駅というみなとみらい線のターミナル駅がある。 たしかに JR 石川町駅から降りた客は元町の商店街を通らずに MM21 の方向へ向かえ る。この点に関しては元町中華街駅は同様である。しかし、元町中華街駅から中華街 ◆ 行政と商店街 ◆ に向かう客は、位置関係上元町の商店街の中を通ることになる。これは、元町の集客 性の高さを支える1つの要因なのではないだろうか。逆に、野毛に関しては、近年東 急東横線が、桜木町駅をターミナル駅として使用しなくなった。1つのターミナル駅 を失ったということで、野毛の集客率は元町と比べ下がっているといえる。共同組合 に関しては、野毛、伊勢佐木は細かな組合に分かれていることに対し、元町はおおま かには SS 会という1つの組合がまとめている。この SS 会は、他の商店街の組合と 比べると、若い年齢の者が多いことが特徴である。 ◆ 行政と商店街 ◆ 2.野毛商店街の研究 Ⅰ.野毛地区の歴史 ⅰ)野毛地区の登場∼震災前 江戸時代の野毛地区は一部切立つ崖で、その下は浜辺となっており、そこでは海苔の 養殖が行われていた。それが開港以降交通の要衝であったため、奉行所や役宅が建ち、 政府用地として海面も埋め立てられていった。明治以降はその多くが廃止された。明治 末期から大正にかけては現在の桜木町駅に横浜駅があり、商業の街として発展した。ま た、明治期に設立され造船所が大正期を経て発展し、工業の街ともなっていった。 野毛の山には関内で商売をしていた横浜商人たちが財を成して移り住み、高級住宅街 となった。一方、山の下では交通の便が良いことや背後に宅地を抱えていることから、 商人の町として発展し、伊勢佐木に次ぐ賑わいを見せていた。他にも、山すそは医院や 弁護士などが集まっていた。震災前までの野毛は海から桜木町駅周辺に公共施設、大岡 川と桜川の川沿いに問屋、山に高級住宅街、山すそに医院等、山の下一帯には商店街、 裏には労働者の住宅といった様子であった ⅱ)震災以降 震災により横浜は全域的に大きな被害を受け、野毛も例外ではなかった。高級住宅街 の住人は大方が他方へ移り住んだ。しかし、復興後は再び多くの商店が並ぶ「不足ない 街」であったという。また、関東大震災後の復興と合わせて区画整理が行われ、道幅は 狭いながらも、ほぼ現状のような区画となった。 ⅲ)戦後の野毛 ① 闇市出現期 戦後、横浜には米軍が進駐し伊勢崎町や関内などの中心部は接収された。接収の 多くは 24 時間以内に立ち退けと、急に行われたため、周辺には職も行くあてもない 人々であふれた。そのなかで、最初の横浜市の再建計画が作られ、野毛は商店街と 指定されると共に露天の指定地となった。市民の日用品を充足させるため、野毛に は横浜マーケットが開かれ、伊勢崎町で商いをしていた人などが露天を開いた。伊 勢崎町は接収され、山下町は外国人の活動地域であり、元町では遠すぎるという理 由から野毛以外に日本人が集える適地がなかったため、野毛は露天の町として賑わ った。 まもなく、桜木町駅に近い今は埋めたてられた桜川沿いやその周辺の橋に露天の マーケットが発生し、クジラ横丁、クスブリ横丁、カストリ横丁などと呼ばれた。 ◆ 行政と商店街 ◆ そこでは、復員兵士や元工員など食と職を求める人があふれ、衣料や食料が闇価格 で売買された。 盛り場となった一帯には娼婦が集まり、賭博も行われた。また、横浜に職を求め て集まってくる浮浪者であふれ、風太郎と呼ばれた彼らは、路上、軒下など所かま わず寝た。そんな状況であったから、衛生状態は最悪で区役所ですら掃除が追いつ かず、異臭が街中に立ちこめていたという。 とはいえ、気軽に買い物ができる野毛の露天は市民にとっては便利なだけではな く、魅力でもあり、野毛に対する親しみを増幅させていった。また、今の野毛本通 りには映画館や劇場が開館し、場外馬券売り場も設置された。こうして野毛は娯楽 的要素が加わった。しかし、野毛と近い日出町周辺では娼婦などが集住し、麻薬の 売買が盛んになると共に進駐軍相手のバーや小規模のキャバレーが発生していた。 ② 闇市の解消 野毛山では 1949 年貿易博覧会が開かれ、児童館や観光館、科学発明館、天文館、 プールなどが造られ、両陛下や吉田総理などが訪れる等活況を博したが、野毛はいま だ露天や闇市が建ち、戦後の状態が続いていた。 この状況を打開するため野毛本通りと桜木町周辺のマーケットを解体し、ドブとな っている桜川を埋めたてて幹線道路とする計画を実行に移した。露天の立ち退きは難 航したものの強制執行と話し合いで事業は進んだ。そしてカストリ横丁の一部とクジ ラ横丁の露天を収容するために桜川沿いに桜木町デパートを造った。 露天の立ち退きが一段落ついた 1954 年には都橋近くと野毛大通りにはネオンアー チが設置され、街路にはアーケードがかけられた。翌年には旧桜川にかかる緑橋近く の露天も撤去され桜木町駅前商店会もアーケードをとりつけた。 こうして野毛周辺で復興と改造が行われる中、日出町では一部が売春と麻薬の巣窟 とかし、京急のガード下には怪しげなバーや飲み屋が発生して進駐軍相手の商売が行 われていた。1962 年には中毒患者が路上にあ ふれていた。その後日ノ出町では住民と警察 が協力して麻薬撲滅に取り組み効果をあげて いった。 野毛では 1961 年に桜木町デパートが解体 され、周辺に残っていた露天も全て撤去され た。露天がなくなった野毛本通りの商店街で は生垣を植え、アスベストを敷き、アーチを 増やし、アーケードを手直しし、戦後の状況 の清算を終えた。 かつての露天が移転した都橋商店街 ◆ 行政と商店街 ◆ ③ 再開発と斜陽 野毛の山では 1960 年代から次々と文化的施設が建設され、文教地区として定着して いった。 野毛周辺では市営地下鉄が開通し、駅前にゴールデンセンター(現ピオ・シティ)と その地下街、地下通路が出来た。しかし、ゴールデンセンターなど桜木町駅周辺は道路 に挟まれ周囲から孤立した状態であった。また、1979 年には野毛の駅を挟んで向かい にあり、野毛の飲食店の主要な客層を提供していた三菱重工業横浜造船所の閉鎖が決ま り、貨物駅も廃止された。そして、その跡地は『横浜 21 世紀プラン』として大規模な 再開発事業が行われる事となった。 野毛周辺の地区は飲食店を中心とする商店街が形成されていたが、復興・発展した伊 勢崎町や横浜駅西口商店街との商戦が激しく、野毛は店舗数は多いものの、販売額は低 く、商店街の中にも住宅が増加し、狭い街路に、前を走る国道の慢性的な渋滞、桜木町 駅の浮浪者などの問題を抱え、斜陽化の傾向にあった。 そのなかで、野毛地区でも総合的な地区開発の動きが出るものの、地元での調整がつ かず、断続的なミニ開発が行われた。野毛では『横浜 21 世紀プラン』の隣接地として の発展に期待を寄せていた。しかしながら実現したみなとみらい 21 は東横線桜木町駅 の廃止や、客の減少など厳しいものとなっている。 Ⅱ.野毛地区の現状 ⅰ)野毛の立地 野毛の商店街は JR 京浜東北・根岸線と横浜市営地下鉄の桜木町駅南側に国道 16 号と 桜川新道を隔てたところから京浜急行日ノ出町駅にかけて平戸桜木道路と大岡川の中 間地帯を中心に広がっている。野毛の商店街と平戸桜木道路を挟んだ向こう側には野毛 山動物園や横浜市立中央図書館、伊勢山皇大神宮、横浜にぎわい座、県立音楽堂等があ り、一応の文教地区となっている。JR 桜木町駅出口と市営地下鉄桜木町駅から商店街 までは「野毛ちかみち」という地下通路で接続されており、2つの大通りを渡る煩わし さは緩和されている。しかし、駅からは大通りと横浜市健康福祉総合センター、ぴおシ ティを隔てており、商店街区を望むことはできない。商店街内部の通りは、野毛本通り を始め、野毛仲通り、野毛小路、野毛中央通り、野毛柳通りがそれぞれに交差している。 どれも街路整備が終了しておりアーチが備え付けられている。また、本通り以外はどれ も「路地」のような狭い道でありその両側に主に飲食店が建ち並んでいる。(次ページ 図) ◆ 行政と商店街 ◆ (出所:『野毛マガ』 ) ⅱ)商店街と組織 野毛には現在、野毛商店街協同組合と野毛飲食業協同組合、野毛地区街づくり会があ り各々が連携して運営に当っている。野毛商店街協同組合は物販店中心で構成され現在 約 80 店程が、野毛飲食業協同組合は飲食店中心で約 200 店程がそれぞれ加盟している。 それら加盟店の多くが小規模店舗であるものの、各々に個性的であり、狭い街路や密集 した店舗などが醸し出す雰囲気と相俟って一定のファンの支持を集めている。物販店は 野毛本通りと平戸桜議長道路の周辺に分布し、タバコとパイプの専門店や zippo の専門 店など個性的な店も多い。飲食店は先に述べたように地区内部の狭い通りに面して広が っており、野毛飲食業協同組合発行の『野毛飲食マップ(2003∼2004)』に従って店舗 を分類すると、和食系の店舗が 49 店、居酒屋が 62 店、中華・ラーメンが 12 店、洋食・ 各国料理が 14 店、喫茶店が 4 店、屋形船が 2 艘、酒が 56 店となっている。居酒屋と 酒を足すと実に 118 店となり、飲食店の半数以上が飲酒を中心とした店舗であることが わかる。また、地区の内部にはコンビニエンスストアやスーパーマーケットは存在して いない。 以上のように野毛地区の特徴は①ひとつひとつの店舗規模は小さく、②飲食店中心で あり、しかも③飲酒を中心とする店が多い。実際、昼間の地区内部は営業している店が ◆ 行政と商店街 ◆ 少なく、夕方 5 時以降から営業の店が多いようである。また、風俗店もいくつか営業し ており、それも相俟って「夜の町」という印象が強く、あまりイメージは良くないのが 現状である。 ⅲ)客層と客足 客層としては固定客が多く、年齢もやや高めであり、商圏の範囲としては関内・関外 地区など地域からの客が殆どであるとのことである。 80 年代以降から長期的に衰退傾向であった客足であるが、みなとみらい 21 地区(以 降 MM21)の開発や東急東横線桜木町駅の廃止により拍車がかかり、特に桜木町駅廃 止以降は終着駅としてのメリットを享受できなくなり、以前と比べて売上が 3 割程度落 ち込んだという。また MM21 の集客は野毛地区には全く還元されていない。これは桜 木町駅が MM21 の中心からやや距離があること、桜木町駅と野毛が諸要因により遮断 された状態であることに加え、そもそも MM21 と野毛地区の雰囲気や役割があまりに 異なるために相乗効果が存在しないことが原因であると考えられる。 ⅳ)野毛地区のイベント・取組み 野毛地区で行われているイベントは横浜 TMO が運営する関内・関外エリアの紹介サ イト「ハマ・ラ・モード∼横濱散策ガイド∼」によれば 4 月上旬の大岡川桜祭り、4 月中 旬の野毛大道芸、野毛流し芸の3つと横浜にぎわい座での公演である。うち、最も有名 のものは野毛大道芸であると思われるが、これは地区の知名度向上には寄与していると 考えられるものの、地区の恒常的振興にはあまり寄与していないように思える。また、 近年実施地域が拡大してきており、野毛独自のイベントという感は薄まりつつあるよう である。 これらのイベントの他に野毛地区では 2005 年に横浜市の商学連携支援事業を利用し た『野毛サプライズ「Challenoge」』を実施した。これは横浜市周辺の大学生から、野 毛商店街協同組合及び飲食業協同組合と連携して実施できる非営利のイベントの企画 を募集し、コンペティションを経て特別賞を受賞したプランがある場合にはそれを商店 街の予算で実行に移すという企画である。2005 年は横浜国立大学のグループの 「Challenoge」が優勝し、ちぇるる野毛のテラスに大壁画を展示したほか、60 店舗の 地図と裏がアンケート用紙となったクーポン券をつけた『野毛マガ』を発行した。また、 4 月中旬に「野毛飲兵衛ラリー」というイベントも行われている。これは期間中にあら かじめ参加費 3500 円を払い、チケットとガイドブックを受け取り企画に参加している 店の中から気に入った 5 件を「はしご」できるという企画である。飲兵衛ラリーではあ るが、参加店は寿司屋やラーメン屋などもあり多様で、各店であらかじめ用意されたラ リーメニューを楽しめる。時間は30 分制限であるがお土産も用意されている。 ◆ 行政と商店街 ◆ Ⅲ.行政との関り 野毛商店街と行政との関りは主に 2 つある。1 つは横浜市の市街地開発事業の一環と しての桜木町周辺地区事業である。この事業の中で野毛一帯は「街づくり協議地区1)」 に指定され、街づくり協議指針を定めるとともに、連絡協議会を設置し、みなとみらい 21 地区との連携と一体化という視点に立った街づくりを進めるため、地区の特性をい かした地区振興を推進している。具体的な事業としては、これまでに「野毛ちかみち」 や「横浜にぎわい座」を含む住宅・商業施設、各街路の歩行者環境整備が実施された。 また協議指針に基づいて建物用途や壁面後退、建物デザイン等について建築計画時に事 前協議を行っているほか、100 円バスの運行も行っている。 ◆桜木町駅等周辺地区市街地開発事業の経緯 昭和63年6月∼11月 野毛・戸部・高島地区に「整備促進連絡協議会」設置 平成元年3月 都心循環バス運行開始 平成2年3月 野毛本通り(野毛坂)歩行者環境整備事業完成 平成2年11月 「公益信託横浜野毛地区まちづくりトラスト」発足 平成5年3月 野毛桜通り歩行者環境整備事業完成 平成6年10月 野毛柳通り歩行者環境整備事業完成 平成8年4月 野毛小路歩行者環境整備事業完成 平成8年11月 野毛町3丁目北地区第一種市街地再開発事業都市計画決定 平成10年1月 野毛仲通り歩行者環境整備事業完成 平成11年4月 桜木町駅前地下通路「野毛ちかみち」供用開始 平成12年12月 野毛中央通り歩行者環境整備事業完成 平成13年12月 野毛町3丁目北地区第一種市街地再開発事業施設建築物俊工 平成14年3月 動物園通り歩行者環境整備事業完成 平成14年4月 芸能センター「横浜にぎわい座」開館 平成14年4月 100円バス「日ノ出町駅ルート」運行開始 平成15年2月 野毛こうじ・宮川小路歩行者環境整備事業完成 もう 1 つは横浜商工会議所が設置する「中心市街地(関内・関外地区)TMO 構想」 の下での野毛地区活性化事業である。こちらでは、TMO と野毛地区街づくり会が主体 となって、野毛地区全体の回遊性の向上とソフト事業の推進による賑わいのある界隈性 創出に取組んでいる。また、TMO では関内・関外地区のイベントなどを紹介するホー 1) 駅周辺の商業・業務地区や、計画的開発地区など都市政策上重要な地区で、地区別に街づくり協議指針 を定める。その地区内で建物づくりを計画する場合には、指針に基づき、より安全で快適な街づくりのた めに、(1)共同化の推進、(2)壁面後退、(3)建物用途、(4)景観、(5) 緑化の推進などについて市との協議を進 める。 ◆ 行政と商店街 ◆ ムページ「ハマ・ラ・モード∼横濱散策ガイド∼」の運営を行っている。しかし、平成 13 年の構想策定から 4 年を経て周辺の環境も大きく変化してきており、TMO のあり方 についての再検討も行われている。 また前に挙げたように 2005 年には横浜市の「商学連携支援事業」を活用してイベン トを行うなど行政と商店街とのコミュニケーションは活発に行われているようである。 野毛ちかみち 野毛ちかみち 横浜にぎわい座 横浜にぎわい座(内部) + 野毛の通り(野毛小路、柳通り、中央通り) ◆ 行政と商店街 ◆ 3.伊勢佐木商店街の研究 Ⅰ.伊勢佐木の歴史 まず伊勢佐木町は横浜を代表する繁華街の1つであり、明治・大正・昭和・平成と続 いた歴史ある商店街である。商店街と聞いて頭に浮かべがちな典型的な地元の商店街、 というよりも繁華街・歓楽街としての性質が強かった。ここでは伊勢佐木町の歴史をま ず振り返ってみたいと思う。 明治 3 年に吉田橋という日本で最初の鉄の橋が 映画館 かけられて有名になり伊勢佐木町が誕生した。20 数個の商店が存在した。7 年頃には商家が広がり町 並化してきてその 1200 メートルに及ぶ商店街が自 然発生して次第ににぎわいをみせていった。 (36 年 2 月現在では家数 300 軒となりにぎわいは日本第一 に。浅草や京極でもはるかに及ばない状況)明治 42 年には日本初の洋画封切館オデオン座が開館し、 (出所:伊勢佐木町 1・2 丁目 HP) 町には次第に映画館・寄席・芝居小屋も開かれ、また、明治 43 年には野澤屋(後の松 坂屋デパート)がオープンするなど、後の大型百貨店となるものも現れ、歓楽街として めざましい発展をとげていく。大正に入り、12 年の大震災でいったん灰塵と化すが、 みるみる復興。新店舗が再建され立派な町並みが形成されていった。 昭和 4 年には午前 9 時から夜 10 時まで全面諸車止めが行われ「いせぶら」が流行す る。銀座か、浅草か、伊勢佐木町かと言われるほど「いせぶら」人気はひろまった。特 に根岸の競馬場開催の日は、芝居小屋や映画館の人出と重なって、みのやの羊羹、博雅 のシウマイ、亀楽せんべい、花見せんべい、鈴一の甘 昭和 44 年クリスマスモール 栗などお土産を求める人が群がった。こうして「いせ ぶら」全盛時代が続く。 しかし昭和 20 年、第 2 次世界大戦中横浜大空襲で 焼け野原となる。また、終戦と同時に松屋、野沢屋、 不二屋などが米駐留軍に接収される。米兵の往来する 商店街に日本人の姿はみられない数年がつづく。 昭和 26 年頃には接収も解除されつつあり次第に伊 勢佐木は元の姿になっていく。昭和 38 年には統一新 アーケードを建設。土、日、祝日の午前 11 時から午 後 9 時まで車輌通行止めとし、歩行者天国となる。 昭和 53 年にはアーケードに代わりイセザキ・モー ◆ 行政と商店街 ◆ (出所:伊勢佐木町 1・2 丁目 HP) ル(1・2丁目)完成。24時間歩行者天国のショッピング・ ウェルカムゲート モールが誕生。(横浜市・神奈川県補助事業)道路と店舗の段 差をなくし、人にやさしい街づくりの1歩をふみだす。また平 成 11 年には 1964 年次に作ったウェルカムゲートをリニュー アル(横浜市、経済産業省、神奈川県補助事業)するなど、横 浜市「関内駅周辺福祉のまちづくり重点推進地区」へ指定され、 またバリアフリー事業をより進めていく。こういったバリアフ リーの動きは 2000 年の案内板、樹木廻フラット化事業等にも かいまみられる。 Ⅱ.現状 数十年前までは映画館やデパートがあり歓楽街として広域から人が来てくれた。そし てそれに乗じて周りの商店もお客が映画館ついでに何か買って行ったりするからとて も栄えた。しかし、横浜駅西口など周辺地域の発展による百貨店の衰退、娯楽施設が全 国各地に増えていくに従い映画館の衰退、でもはや遠くから来る人はいなくなり地元客 が買いに来るのがほとんどとなった。そして、客数が減ったことからもちろん経営難に なっていく。後継者がいないことや従業員を雇う金がない、といった理由からテナン ト・チェーン店に土地を貸してしまう店が増え、今ではファストフードや飲食チェーン 店の看板ばかりが目立つ状態になっている。商店街側にも経営難を救う資金はなく、チ ェーン店の虫食い状態となっている。横浜駅西口等の開発がすすみ百貨店やショッピン グセンターが増えたことや、周辺地域でのスーパーマーケット、ディスカウントストア の開業により、顧客を奪われている 状態である。その対抗策として商店 モール化によって整備された街並み 街は、快適な歩行空間づくりが商店 街のイメージアップ・集客力アップ につながるということで歩行者天国 を実施したり、歩道のカラー化をし たり、車道と歩道の段差をなくすな ど行ってきている。それが伊勢佐木 の実施したモール化であり、バリア フリーが考慮された街となっている。 しかし 15 年かけてできたモール化 も完成当初は集客効果を示したが、 ◆ 行政と商店街 ◆ 実際その効果は年々薄まっていっている。また確固たるデータとしてはでていないもの の、東急東横線桜木町駅廃止やみなとみらい 21 の隆盛も少なからず客足の減少に影響 していることも、地元の方の話からうかがえる。 一方で、昔の写真に比べれば客数は減っているのは確かではあるが、訪れてみると地 元客がメインであるにせよ、閑散としているわけではなくなかなかのにぎわいをみせて いる。同時に交通の便も非常に良く、根岸線、横浜市営地下鉄、京浜急行・市バスが商 店街にアクセスしており高速道路横羽線もすぐそばに存在する。また平成 6 年に 1∼7 丁目の全区間のモール化が完成したことによって全面段差のないレンガタイルばりで 大部分が歩行者専用という、歩行者に安全で快適な空間となっており、樹木や彫刻など も整備されていてとても綺麗な街並みが形成され維持されている。 また、現在街ぐるみでとりかかっている大きな建設物や目標はいまのところない。 Ⅲ.行政との関わり 先ほど紹介したように近年に施行されていたモール化・ウェルカムゲートの事例では、 快適な歩行空間づくりをすることで商店街のイメージアップと集客アップをめざそう、 という狙いで行政の支援を受けて完成に至った。 しかし現在では伊勢佐木町は客足の減った現状に悩んでいるものの今後のビジョン はまだ定まっておらず、近年中に行いたい具体策も挙がっていない。大型駐車場をつく るなどの話は挙がってはいるが街全体の共通認識・目標にはまだなっていない。資金繰 りに苦しむ当商店街としては行政の力を借りたいところであり、また行政側もそういっ た話が来れば支援すると言っているが、行政側も商店側からなにも話がもちかけられな いため動くことができず膠着状態となっている。つまり現在は行政の支援はほとんど受 けていない状態である。 Ⅳ.問題点 さきほどもあげたように一番大きな問題点は商店街への客足が減っているというこ とである。そのことに乗じて経営難そしてチェーン店の増加という結果になり、商店街 らしさを失いつつある状態となっている。また、そういった悩みを抱えてはいるが実際 次の目標や街のビジョンがたてづらく、行政の意見を参考にしたり支援をうけることな く現在の膠着状態に至っている。 ◆ 行政と商店街 ◆ Ⅴ.背景 まず、あれだけの発展を見せた商店街がなぜ衰退していったかを説明したいと思う。 問題は様々な要素が絡んでくるため一概には言えないが、やはり最も大きな原因となっ たのは、1956 年以降横浜駅西口の開発がかなり進んだことであろう。戦後まもなく荒 れ果てていた横浜を立て直すには心臓部である都心部の再建が必要であることが考え られたため、横浜駅西口の開発が進んだ。その流れの中で百貨店やショッピングセンタ ーが次々に開業していった。 戦後登場した伊勢佐木町周辺の競合相手 横浜高島屋 1959/10 三越横浜店 73/11 相鉄ジョイナス 73/11 ルミネ横浜店 80/11 横浜駅東口地下街ポルタ 80/11 横浜そごう 85/9 マイカル本牧 89/4 横浜八景島シーパラダイス 93/5 ランドマークタワー 93/7 クイーンズスクエア 97/7 ウイング上大岡 SC 97/10 横浜ジャックモール 98/11 ワールドポーターズ 99/9 西武百貨店東戸塚店 99/10 赤レンガ倉庫 02/4 『ペリー来航 横浜元町 140 年史』 しかも横浜周辺部の市街地や商店街が鉄道やバスで横浜駅と直結しているものが多 かったため、買い回り品を中心に顧客を奪われていったのである。 百貨店はもちろん映画館にも言えることだが、今では娯楽施設やデパートはどこにで もあるものとなり、わざわざ伊勢佐木に行く必要もなくなったのである。こうして次第 に広域集客型から地元客のみの形へ移行していったのである。伊勢佐木特有の名産品が ないことや特徴ある老舗の数が減少したことも広域客撤退の一因であろう。 また横浜の経済において、使われる資本は地元横浜のものではなく東京の資本であっ た。そのため横浜の経済は東京の支店経済、という色が強く多額の消費が東京を中心に 市外に流出してしまっていた。この過度の流出、そして東京依存を食い止めるため「ス ◆ 行政と商店街 ◆ トップ・ザ・東京」が大きな課題となりつつあった。そういった流れが都心部の成長に 拍車をかけ、関内地区と横浜駅周辺を 2 分してしまった原因でもある。 また、ビジョンがたてづらいのは様々な理由が存在すると思われる。伊勢佐木町商店 街はモール化によって街の外見に統一感はあるものの、元町商店街のように並ぶ店の種 類に統一性は全く見られず、街全体のコンセプトが存在しない。映画館や百貨店のよう な客寄せができるものを中心においた歓楽街であったがために、以前は周囲の店がその 客集めの恩恵を受けていたが、客寄せ道具が衰退してしまった現在、広域から客を呼べ るようなものがなくなってしまったのである。さらにそこからくる経営難がテナント・ チェーン店への土地貸し出しを無造作に進めてしまい、余計に商店街としての特色を失 う一方で今後のビジョンをますますたてづらくしているのである。ビジョンがたてづら いため小さなことでも何から手をつけるべきか定められない状態で、そのため現在特に 取り組んでいることはない。ビジョンがないためにテナントの増加を黙認するのか防ぐ のかの方向性も定まってないため、状況は悪い方向へ進む一方である。 次に行政との関わりに関してだが、モール化・ウェルカムゲート設置時のように行政 の支援は現在特にない。モール化においては、街づくりにおける住民参加や人間性追及 に重点を置くアーバンデザイン行政が導入され、商店街内部でも快適な歩行空間作りと 商店街のイメージアップと集客力アップにつながる、という考えが浸透し行政の支援の 下に実施できた。これはしっかりしたビジョンの下に行ってきた事業であるが、さきほ ど述べたように現在は街にビジョンはなく、またそういったものに対する行政への相談 などもなくそのため行政側から提案を与えることもできず、行政の支援は受けていない 状態となってしまっている。 ◆ 行政と商店街 ◆ 4.元町の研究 Ⅰ.元町の歴史 ⅰ)元町商店街の始まり 元町商店街の歴史は、安政 6 年(1859 年)の横浜開港当時までさかのぼることが できる。横浜村は日本大通りを境に、日本人商業地区と外国人居留地区へ事業計画が 決定され、万延元年(1860 年)1 月に横浜村の居住 民 90 戸が隣接する本村に強制移転させられ、その年 2 月に「本村」を「横浜元町」に地名変更したのが元 町の始まりである。元町の居住民の大部分は当初農漁 業に従事していたが、横浜の開港に伴って山手居留地 に外国人が相当住むようになり、元町通りが山手の住 居地と関内の業務地を結ぶ外国人の日常的な通り道 になったのに伴って、外国人を対象に商売を始める者が (元町商店街ホームページ) 自然発生的に増えていった。 ⅱ)関東大震災∼戦後 大正12年9月の関東大震災で壊滅的被害を受け、またその頃各地で開港されたこ とにより外国居留地に存在していた多くの外国商社が東京に移転したことから輸入 品の流れは各港に分散され、輸入品の一手引き受け先としての元町の重要性は一気に 低下した。この結果かつての活気は薄れていった。 その後、昭和20年の太平洋戦争横浜大空襲によ って元町は焦土と化したが、終戦後米軍進駐軍が横 浜に上陸し、接収地が関内だったことによって、開 港当時のように外国人を対象に商売を始める者が 増えていき、開港当時の活気がよみがえった。 (元町商店街ホームページ) ⅲ)新たなるスタート しかし、昭和27年の朝鮮動乱により、米軍基地が接収解除されたことから、それ まで顧客の大半を占めていた駐留軍人とその家族が移動してしまい元町商店街は窮 地に陥った。そこで商店街の人々は元町の伝統を生かしつつ、日本人をターゲットと した新しいまちづくりを開始した。その一環として、元町商店街の全建築物の壁面線 を後退させるというセットアップ事業が行われた。この計画には、全長両側合計 1000 ◆ 行政と商店街 ◆ メートルの元町通りの軒下 1.8 メートルを後退させることにより、道路を広くして買 い物客が歩きやすい商店街にしようという狙いがあった。しかし、店舗を後退させ商 売をするスペースを譲るということには相当な反対があり、商店街では相当な回数に も及ぶ協議が行われた。そして、壁面線後退の事業は完成までに10年以上の年月を 費やした。この事業には相当な商店街の努力があったことがわかる。 昭和42年(1967)にはヨーロッパ6カ国の一流商店街と姉妹契約を結び、商 品の直輸入・情報交換を図り、独自のオリジナル商品の開発を進めた。さらには、商 店街の知名度を上げるために昭和41年(1966)以降全国一流百貨店と販売提携 した元町セールなども展開された。こうした商店街活動の積み重ねが、今日元町商店 街が全国有数のファッション商店街の地位を築くに至った。そして、現在では開港当 時の歴史と伝統を生かした西洋風の街並みが築かれ、全国でも有数のファッション商 店街としての地位を築いている。 (以上元町商店街ホームページ参照) Ⅱ.元町商店街現状分析 元町商店街の全長は約500メートルで商店街の両端には JR 石川町駅、横浜高速 鉄道みなとみらい線元町・中華街駅がある。渋谷駅、品川駅からは共に最速で約35 分と都内からも気軽に足を運べ、共同組合 SS 会が運営する駐車場や付近にも多くの 駐車場があり交通の便は良いと言える。 ◆ 行政と商店街 ◆ 元町商店街は広域型商店街、超広域型商店街に分類され、土曜・日曜・祝日には全 国から多くの買い物客が訪れる。年に数回のイベントが行われ、特に2月と9月の年 2回行われるチャーミングセールには全国からたくさんの買い物客が訪れる。 協同組合元町 SS 会加盟店のうち約7割は衣料品店であり、百貨店等は見られない。 元町発祥、または元町にしかないといった店が多い。現在全国に出店している洋菓子 の大手メーカー不二家、バッグのキタムラは元町創業である。 全国の商店街の多くは空き店舗の問題を抱えているが、元町商店街には空き店舗は 全く見られず、元町への進出を狙う店は後を絶たない。 商店街の各建物の一階部分はほとんど商店になっている。裏通りには川岸通り、元 町仲通り、代官坂がある。裏通りは住宅や神社と商店が入り混じった街並み。元町通 りのまちづくりは協同組合 SS 会が中心となって行われている。裏通りには振興組合 元町クラフトマンシップ・ストリートがある。 徒歩数分の圏内に横浜中華街、山下公園などの観光地がある。 元町商店街マップ (上図 ◆ 行政と商店街 ◆ 元町商店街ホームページ) Ⅲ.元町商店街のまちづくりと行政との関わり方 ここでは、元町商店街がまちづくりを行う際に元町商店街と行政はどのように関わ り、まちづくりが行われているのかという観点から元町商店街のまちづくりについて 紹介していく。 まちづくりの基本的な流れ 立案 整備計画の 商店街を母体とした個別プ 検討 ロジェクトチームの設置 実施計画 事業の実施 の策定 (上図 中心市街地 TMO 構想 横浜商工会議所) 元町商店街のまちづくりは、まず、基本計画を元町商店街の協同組合である元町 SS 会が自ら立案しそれを横浜商工会議所 TMO や行政(横浜市)の協力を得て計画 を策定していき、事業が実施されていく。 元町商店街のまちづくりにおける計画の立案は、行政に任せて行うものではなく商 店街が自ら立案していく。そして、上図のようにプロジェクトチームの設置、整備計 画の検討、実施計画の策定などさまざまな段階において行政や TMO の協力を得て、 元町商店街主体のもとまちづくりが行われている。 このように、元町商店街のまちづくりにおいて、まちづくりの主体となっているの は元町商店街なのである。 また、資金面においても行政がすべて出資するというわけではなく、まちづくりの 事業には行政が出資できる額がそれぞれ横浜市の条例によって限られているので元 町商店街自らも出資している。各事業における費用のうち市・県・国が3/4以内の範 囲で援助することができる。そして商店街の出資する費用のうち、事業費(設計・整 備費)から市等の補助金を除いた経費の 90%以内の範囲で、行政から20年間無利子 の融資が受けられる。このように、元町商店街におけるまちづくりは全て商店街が主 体となって行われている。 元町商店街では多くのまちづくりが行われているがそれらは元町商店街の将来のビ ジョンや商店街のルールを基に行われている。元町商店街にはまちづくりの理念、商 店街の将来像であるビジョンがあり、商店街のルールとして元町地区地区計画と元町 通りまちづくり協定がある。地区計画は住民の意見を反映させながら、横浜市が地域 ◆ 行政と商店街 ◆ にあったきめ細やかなルールを都市計画として定め、条例を定め、条例に合わない建 築は出来ないようにするために定められる。 元町通りまちづくり協定は元町地区地区計画を補完するために定められている。元 町商店街では建物の高さや道路や敷地境界からの外壁の後退距離などが細かく決め られていて、各商店に元町のまちづくりの理念、元町通りまちづくり協定や元町地区 地区計画の内容が記載された元町公式ルールブックを配布して、商店街のルールを理 解してもらいまちづくりが行われている。元町地区地区計画や元町まちづくり協定も 元町商店街の発意のもとに導入された。 地区計画策定の基本的な流れ 話し合い 賛同 (上図 横浜市へ 提案 都市計画決定 条例化 横浜市都市整備局ホームページ) それでは、実際に元町商店街で現在行われているまちづくりの事例をいくつか挙げ ていこうと思う。 ⅰ)道路再整備 昭和60年頃に、商店街の景観を改善し買い物客が歩きやすいようにと、電線の埋 設等道路再整備事業が行われ、1.8 メートルと狭かった歩道を、車道を狭めることに より 3 メートルに歩道を拡張するという事業が行われた。この事業計画は元町商店街 が自ら立案した計画である。そしてこの事業には約15億という費用がかかっている が、すべて行政が出資しているのではなく商店街側からも出資している。 元町商店街の歩道 2004年に行われた元町第三期まちづくり工事では、新たに全面的に道路の張替え、 ◆ 行政と商店街 ◆ ストリートファニチャーの設置、 照明の増設などが行われた。この第三期まちづくり事 業の全出資額が約7億のうち、元町ss会は2億数千万を出資している。 このように、元町商店街のまちづくりにおいて、行政はあくまでサポート役であっ て主体となるのは商店街なので、商店街側のやる気や自発性が必要不可欠である。 ⅱ)コミュニティアイデンティティの確立 2002年には元町商店街のコンセプトともいえるコミニュティアイデンティティ も見直された。そして、元町の目指すべきイメージを確立するために元町ブランドス テートメントが制定され、ブランドコンセプトに基づく新しいブランドマークが開発 された。このブランドマークは元町商店街のストリートファニチャーやホームページ などにも使用されている。 元町商店街ブランドマーク (上図 元町商店街ホームページ) このように、元町商店街ではしっかりとしたビジョン、地区計画、まちづくり協定 があるため、商店街に合ったまちづくりを行うことが出来るのである。このことから、 元町商店街のまちづくりにはしっかりとしたビジョンやまちづくり協定が必要不可 欠であることがわかる。 前に述べたように元町商店街のまちづくりには商店街側の努力があるのだが、元町 商店街で取り組んでいる事例を挙げていこうと思う。 ◆ 行政と商店街 ◆ ⅲ)共同配送システム つぎに、共同配送システムという取り組みについて紹介する。元町商店街を含む元 町地区では排気ガス・騒音などの環境問題、違法駐車問題・歩行者の歩行空間の確保 等、交通事故防止の観点から街内を通行する配送トラックの大幅削減を目的とし、各 行政機関(神奈川県警察本部交通規制課・加賀町警察署・横浜市環境保全局・横浜市 中土木事務所)ならびに各運送業者の協力のもと平成16年6月1日より元町共同配 送という社会実験を開始した。この取り組みは全国でも珍しい取り組みという。 内容は元町地区近隣に共同配送集配センターを設置し、元町地区の配送貨物は各運 送会社からすべて共同配送集配センターに集められ、そこから荷物を共同配送専用車 輌(元町ロゴのエコトラック)に積み替えて同地区への配送が行なわれる。集荷の荷 物に関してはその逆で、元町ロゴのエコトラックにより元町地区で集められた荷物を 共同配送集配センター経由で各運送会社のトラックに積み替えられ目的地まで配送 されるという仕組である。すなわち、元町地区における大型配送トラックが大幅に減 り、環境問題・交通問題等に対し大いに貢献しようという試みである。また、このエ コトラックは堀川沿いに設置された共同配送専用車輌の駐車スペース(エコカーゴス テーション)を使用し作業をおこなうことにより、配送トラックの元町地区でのまち 全体の交通安全等に寄与している。この共同配送システムは現在19社の協力を得て 行われている。 (平成16年9月1日現在) (元町商店街ホームページ参照) 共同配送システムの基本的な流れ 配送 集約 共同集約センタ (上図 元町地区共同配送システムマニュアル) ◆ 行政と商店街 ◆ 元町地区 全国 指定駐車場 共同配送用の元町ロゴのトラック (写真 元町商店街 HP) ⅳ)商品紹介 元町商店街では元町商店街の商品をどのように知ってもらうか、ということについて 日々議論されている。元町発祥または他にはない、といったオリジナルの商品の多い元 町商店街では、元町商店街にはどのような商品があるのか、ということを客に知っても らうということが必要不可欠である。そこで、元町ss会の元町オリジナル推進室では、 元町のオリジナル商品をどのようにすればお客さんに知ってもらえるかという問題点 について、各店舗の商品を紹介するフリーペーパーの雑誌を作っていこうという案も出 てきている。 ⅴ)近隣との協力 元町商店街は、近隣のライバル地のみなとみらいに対抗するため、平成13年には、 近隣の山下公園や横浜中華街と協力し YMC セントラルベイという協議会を設け、近隣 の商店とも協力し、地域一帯となって街の活性化に励んでいる。 ⅵ)裏通りとの連携 元町商店街の裏通りには仲通り、川岸通り、代官坂があるが、以前元町商店街はこれ らの裏通りとの回遊性に欠けているという問題点を抱えていた。しかし、現在では元町 商店街と連携したまちづくりが行われ、元町仲通りは元町街並み誘導型地区計画を導入 しハードの面でも表通りと合わせた道路整備が現在行われており(平成 17 年 11 月 22 日現在)、仲通りには洒落たレストランやカフェなど表通りとは異なった種類の店舗が ◆ 行政と商店街 ◆ 増えてきている。そして、以前は元町 SS 会がマップを作成する際に表通り以外のこれ らの三つの通りの店は載せていなかったが、現在のマップでは表通りだけではなくこれ らの三つの通りの店舗も掲載されている。 元町通りのセットバック 元町仲通り ◆ 行政と商店街 ◆ 元町商店街では現在のオーナー世代から次世代のオーナー世代の若者までが意見交 換をして、元町の長い歴史の中で培ってきたものを守りながらも、新しいものを積極 的に取り入れハード、ソフトそれぞれ時代に合わせたまちづくりを常に考えている。 Ⅳ.まとめ 元町商店街のまちづくりは商店街が主体となって行われており、各事業計画において 元町商店街立案の基に横浜商工会議所 TMO や行政(横浜市)と充分な意見交換が行わ れ、それらの援助を受けて実行されていく。これらの事業計画は元町商店街のビジョン、 元町地区地区計画、元町まちづくり計画を基に策定され、資金面においては横浜市の条 例の範囲内で横浜市が支援できる。そして、元町商店街では日々新たなまちづくりが考 えられている。 ◆ 行政と商店街 ◆ 5.野毛地区への提言 Ⅰ.問題意識 現在の野毛商店街は MM21 の後背地に位置し、東横線桜木町駅の廃止や近郊の競合 地域の増加、強大化で非常に厳しい状況にあるといえる。また、以上の要因がなくとも、 野毛商店街は長期に衰退傾向であり、戦後の社会資本をすでに消費しつくしたようにも 思える。近い将来に抜本的な地区の再構成が必要であると考える。しかしながら、再構 成時においても、MM21 の後背地であることや横浜の中心である関内に近いこと、依 然として 3 本の鉄道と幹線道路に囲まれた地域であることなどから鑑みて、野毛が商店 街地区であり続けることは周辺地域にとって望ましいものであると考える。 よってここでは、野毛地区の活気を新たに創出するとともに、将来に渡って活気ある 商店街地域とすべく提言を行いたい。 Ⅱ.現状分析 野毛商店街が抱える問題について、問題意識と適合するものを挙げていく。 まずは、①商店街全体が閉鎖的であることが挙げられる。これは、商店街が実際に閉 鎖的であるかどうかを問題にしているのではない。野毛商店街に関する限り、学生から アイディアを募集するなど実際には比較的オープンに活動をしているように感じられ る。ここで問題なのは、各店舗がそこはかとなく「一見さんお断り」の雰囲気を醸し出 していることにある。 次に②後継者問題がある。これは野毛に限ったことではなく、全国的に商店街や個人 商店が抱えている問題である。 そして③長期的ビジョンが描けていないことである。これは、後継者問題とも関係す るのかもしれないが、現状において商店街が独自に新たな、しかも効果的なビジョンを 打ち出すのは、人材や資本の面からも難しいのが現状である。 また、④現状の野毛地区の商店立 地としての魅力も問題である。今回 我々の班が調査を行った 3 つの商店 街の地価を比較してみても大きく 引き離されていることがわかる。 駅からの 距離 野毛 450m 395,000 367,000 -7.63% 伊勢佐木 300m 855,000 835,000 -2.40% 元町 350m 1,050,000 1,100,000 4.55% (右表) ◆ 県調査地価(円/㎡) 地区 行政と商店街 ◆ 平成16年 平成17年 騰落率 Ⅲ.提言 ⅰ)野毛の魅力発掘! 現状の野毛にもたくさんの魅力があることは事実であり、実際に野毛ファンの方の ホームページは今回の研究でも数多く眼にすることができた。しかしながら、それが 将来へ向けた発展性のあるものとなっていないこともまた事実であると思う。そこで、 野毛らしい魅力を野毛の過去の魅力から掘り起こし、提言の第1歩としたい。 TMO 構想の冊子中に野毛らしい物販として「露天商」とあった。確かに昔のにぎ やかであった頃の野毛のイメージと適合するものであると思う。しかし、そういった 外見上の魅力を再現するだけでは全く十分でない。なぜ野毛に多くの客が足を運んだ のであろうか。『わが街野毛』でインタビューを受けている地元の方や、青春時代を 野毛で過ごした方のコメントからは「独特の雰囲気と、活気」という言葉がでてきた。 つまり露天商を含む人々を野毛に引き寄せた魅力はその活力に満ちた雰囲気であっ たと考える。また、露天商は売るものやサービスをどこからか捻出する知恵や気概を 持つが、資本のない人ではなかったか。もちろん露天時代の野毛は多くの問題を抱え ており、必ずしも賞賛できるものではない。しかしながら、彼らが野毛の活力の源泉 であったのかもしれない。 そこで、以上のような点を踏まえつつ、新たな野毛の魅力として野毛のビジョンと なるようなものを提案したい。それは、「アイディアと気概はあるが資本はない個人 事業者(物販・サービス業者)が集まる街」である。 還元=野毛のビジョン 「アイ ディアと気 概は 露天商 昔 抽象化 あるが 資本はない 個人 活力 事業者が集まる街」 ⅱ)提言へ向けて 今回の提言では野毛を「アイディアと気概はあるが資本はない個人事業者(物販・ サービス業者)が集まる街」とすることで活性化し、かつ MM21 や周辺競合地域と の差別化を図りつつ相乗効果があるような街にしていきたい。 ポイントは以下の 3 つである。①該当するような新規事業者を呼び込む。②地域全 体を再構成する必要性を自分は認識している。③地区の商店立地としての魅力を高め る。 ◆ 行政と商店街 ◆ まず①への対応として、該当する新規事業者を支援する環境を整備していく。そこ で「商店街ファンド」の創設を提言する。次に②への対応として、地域再開発を行う。 そこで不動産の流動化手法を用いた「開発型流動化案件」としての再開発を提言する。 また、③については①・②に付随してもたらされると考える。 ⅲ)提言 a)商店街ファンド 野毛に「おもしろい」アイディアを持った事業者を誘致するために、野毛で新た に事業を行う商店(飲食・物販・サービス)を支援する仕組みを作る必要がある。 また既存事業者にとっても事業展開を再考する際に資金や日常的な支援があれば頼 もしいはずである。 ここで提言する「商店街ファンド」はこれまでのような担保や債務保証によらず、 事業の将来の収益を評価して資金提供を行う。つまり、提供した資金が投下される 事業の内容を吟味して資金を出すことになる。また、ファンドやそれに出資する諸 機関の活用やそれらのノウハウを活かした支援により事業を支援する。このファン ドは、事業成功により元金が返済されることによって運用益を出すことになるため、 事業者とファンド側の目的が一致している。よって、様々な場面においてファンド からの積極的な支援が見込める。 このような「商店街ファンド」について事例を調べてみたところ、東京都・埼玉 県南西部・神奈川県中央部の地域商店街及び中心市街地を対象としている「西武し んきんキャピタル商店街ファンド 1 号地域商業育成投資事業有限責任組合」 (以下、 「西武しんきん商店街ファンド」 )が 2005 年 8 月から組成金額 10 億円で運用を開 始していたことがわかった。また、この種のファンドの設立に際しては独立行政法 人中小企業基盤整備機構の「がんばれ!中小企業ファンド」出資事業からの出資を 見込めるようで、実際に「西武しんきん商店街ファンド」は組成金額 10 億円のう ち 5 億円をこの機構からの出資でまかなっている。 以上の事例を踏まえて「野毛ファンド」の概要を考えると、ファンドの運用主体 は能力や効率性などから考えて「西武しんきん商店街ファンド」と同様に地域の金 融機関となることが望ましい。出資者は、金融機関や機構に加えて地元行政や商店 街も参加し、対象範囲を野毛地区に絞ることで小規模地域密着型のファンドを目指 すことを提案する。また、商店街側が共同出資することで、支援条件に野毛商店街 協同組合等への加入を条件とすることが可能なのではないか。そうすれば、新規事 業者が増加しても商店街組織としての組織が維持しやすいように思う。 b)開発型流動化 不動産の流動化は主に 3 つに分けられる。1 つは資産流動化目的、2つには資産 ◆ 行政と商店街 ◆ 取得目的、もうひとつは資産運用目的である。このうち今回用いる資産流動化目的 の場合は更に 2 つに分けられ、ひとつは資産処分目的、もうひとつは資金調達目的 である。今回の場合は資金調達目的となる。 不動産の流動化は SPV (Special Purpose Vehicle)という特別目的会社を新設し、 それを中心として行われることになる。この会社は投資家からの出資金と借り入れ を元に不動産の所有者から不動産を購入し、その不動産の受益権から得る収入によ り借り入れの返済と投資家への配当を行う。 SPV 不動産売却 不動産所有者 利払い 金融機関等 借入 貸付,投資 不動産 (受益権) 資本 借家契約 配当 特定の出資者 投資 テナント 事業委託 事業会社 以上のような方法を用いて野毛の再開発を行う。この場合、地域金融機関と商店 街を含む地元企業や団体、行政が図中の「金融機関など」や「特定の出資者」にな ることが望ましい。また、テナントとしては再入居する既存の店舗と、新規事業者 であるが、既存の店舗についてはできる限り数を減らさないことが野毛の地区性を 維持する上では欠かせない。つまり店舗スペースの拡大が必要である。また、野毛 地区の山側はかつて文教地区として整備された経緯があり、それも踏まえて大学施 設や研究機関、カルチャースクール、SOHO も 2 階以上に誘致できれば、商店街へ の固定客の増加にもつながり望ましい。 以上のようなスキームで再開発を行った事例に NHK 福岡中央放送会館跡地再開 発事業がある。こちらは地元企業の積極的な投資があることや、すでに大きく空い た土地を利用したこと、入居予定者として再建中の地元老舗百貨店である岩田屋が 決まっていたことなど、野毛では実現が難しい諸要因が揃っており、単純に野毛で 実現可能とは言えない。また、収益性などを分析することは非常に困難である。し かし、将来的な再開発のアイディアとして取り上げることとした。 c)まとめ 以上 2 つの提言により、現状分析で挙げた問題点は解決される。つまり、この提 ◆ 行政と商店街 ◆ 言は野毛を「アイディアと気概はあるが資本はない個人事業者が集まる街」とする という長期的に継続可能なビジョンから始まる。また、このビジョンを達成しつづ ければ後継者問題は解消され、雰囲気も多様化していくであろう。どちらも「発想」 の域を出るものではないかもしれないが、そもそも野毛の商店街地域は依然として 交通面で有利な立地であり、MM21 にも近いにもかかわらず、隣接する伊勢佐木な どに比べると地価も安い。当に新しい事業を始める人にとっては魅力的な立地のは ずである。 最後に、野毛も長期的ビジョンを構築することが何よりも先決である。どのよう な形での復活もここから始まる。そのためには、TMO や行政も積極的に相談に乗 るべきである。また、 「商学連携」もきっかけになるかもしれない。さらに、野毛で 行われるイベントが 4 月に集中していることも改善していく必要があるだろう。1 年を通じて客に訴えかけていくべきである。 ◆ 行政と商店街 ◆ 6.伊勢佐木商店街への提言 ここでは伊勢佐木町のこれからの動きを提案していきたいと思う。おおまかにいうと どういったビジョンをたてていくか、とそのビジョンをどういうシステムで作り実行し ていくか、の 2 つをここでは提案したい。 まずビジョンであるが、商店街の名物となるようなものがないことや今まで歓楽街と して発展してきただけに、客寄せ道具が衰退してしまった現在構築するのが非常に難し い状態になっている。また資金面が乏しいことやテナント増加を食い止められるほどの 説得力を持った街の協定などもないということをふまえると、街全体が現実的に納得し、 協力できるものを考えねばならない。 例えばほんの 1 つの案として街への動線として新交通システムをとりいれるという 構想をうかがったが、確かにできれば武器となるがはたしてそれが多額の費用をかけて まで本当に必要なのか、そして効果が得られるのかを考えなければならない。そういっ たものをつくるためには多額の資金が必要となるため、街全体はもちろん支援団体や行 政を説得できるプランをたて力を借りなければならない。しかし、このプランを実行し たとして、MM21 という実力者が近隣にいながら伊勢佐木に客がわざわざ来たくなる ようなもの、魅力があるかといえばそれは疑問符がつくだろう。本当に効果が得られる ものでないと貴重な資源・資金を無駄遣いしてしまうし、そもそも誰もそのようなリス クが高すぎるものに協力することはないであろう。街全体が目指せる、力を貸そうと思 える方向性が示されなければ街は良い方向にすすめないはずである。 またもう 1 つ、小単位の事業として大型駐車場を作るという案もうかがったが、新交 通システムほどの資金は必要ないもののこれも本当に街の多くの人の賛同を得られる のだろうか。というのは、こういう街にしたいからこれが必要になる、という発想では なくただ単に人が車で来やすくなる、来客数が増えるだろうという発想からくるものだ からだ。まず伊勢佐木が広域商店街を目指すために駐車場を作るのであれば広域から人 を呼べるものを作るのが先であるし、地元客中心を目指すならわざわざ駐車場を作るよ りも既存の恵まれた交通網をうまく活かした方が効率的なはずだ。こういった小さな事 業も大事ではあるのだが、大目標(ビジョン)のないままあれもこれも手をつけようと すると、資金や土地ばかり必要になり大した効果も得られず、また街としての統一感も 失われていきかねないであろう。 ではどのようなビジョンを持つべきか。まず以前広域だったということから広域客を 集められる商店街として再生させる、という考えがあるだろう。しかしこれは伊勢佐木 町の場合難しいと思われる。歴史的に見て全国的に有名な名産品や名物が特にあったわ けでもなく、また流行った映画館や寄席に関しても今となっては全国至るところに存在 ◆ 行政と商店街 ◆ するわけであり、よほど特徴的なものを作らないとわざわ カレーミュージアム ざ客を遠くから呼ぶよせることはできないだろう。こうい ったものは 1 度きりで終わるものになる可能性もあり、よ ほどその歴史が街と市民に定着していない限りとりかかる のは難しいだろう。というのは成功する可能性が少ないだ けに街全体が目指すことが困難だからだ。資金や土地を多 く要するものは多くの人の賛同・協力なしに作ることは難 しい。伊勢佐木町にこういった系統のもので、カレーミュ ージアムというものがあるが、これもやはり爆発的な集客 力を持っているとは言いがたい。こう考えると伊勢佐木町の場合、広域を今から目指す のは難しいと思われる。 そこでやはり現実的なのは地元客中心がターゲットとなる方針でいくことであろう。 しかも伊勢佐木の場合、うまく売り出せば少し範囲が広めのエリアからも客を呼び込め る可能性を秘めている。というのは周辺にスーパーやディスカウントストアがさほどな いことや、住宅地が近隣にあること、また何よりも交通の便が優れていることがその理 由である。伊勢佐木町は野毛や元町の商店街に比べ、松坂屋やユニーがあるためこの関 内エリアの消費者にとってみれば日用品を買いそろえられる数少ない場の 1 つとして とらえられるはずである。伊勢佐木町に存在する老舗は様々なものがあって面白いが、 知名度に欠けていたり他にそのチェーン店があったりと客 松坂屋デパート が伊勢佐木町に足を運ぶ原動力になるには力が足りないよ うに思える。しかし松坂屋やユニーが伊勢佐木町の核店舗 となり、関内地区の客をひきつけられれば宣伝次第によっ ては老舗にも足を運ばせることは可能になる。ではどう核 店舗にしていくか、という話だが伊勢佐木のすぐ近辺にさ ほど競争相手はいないものの、交通が直に結ばれている横 浜駅近くのスーパー等と比較されることも当然見込んで戦 略を練っていかなければならない。消費者に横浜駅周辺やみなとみらい 21 で他の用の ついでに日用品を買わせるのではなく、伊勢佐木町に寄らせて日用品を買わせる流れを 作らなくてはならない。そのためには価格設定や品物の品揃えがキーポイントとなって くるであろう。松坂屋に関していえば創業年がかなり長く建物が 04 年に横浜市の歴史 的建造物に指定されたことなど、ささいな利でも活かして他と差をつけていきたいとこ ろだ。 こうして核店舗が安定すれば次は商店街内の老舗群である。百貨店で買い物を終わら せては商店街を展開している意味がなくなるし、商店街の発展につながらない。そこで 次にすべきことは各老舗がそれぞれ差別化を図り知名度をあげることであろう。伊勢佐 木に多いテナント・チェーン店は商品も価格も全国一律なので、それに対抗できる策は ◆ 行政と商店街 ◆ いくらでも考えられるはずだ。またそういった特徴が出てくれば次は知名度をあげるこ とが必要である。ターゲットが関内周辺の客層なので、町周辺に配られる新聞に折り込 みチラシを重点的にいれたり、商店街案内パンフレットを百貨店内に置いてもらったり するのも 1 つの手であろう。商店街に案内板を設置するのもまた 1 つの手であろう。モ ール化によって町並みは整っているしバリアフリーにも対応しており、「いせぶら」を できる環境はそろっている。 これまでビジョンそのものについてとりあげたが、次はビジョンをどういうシステム によって決めていくかを考えていきたい。まず伊勢佐木町の特徴として全体の協同組合 は存在しているのだが、1・2 丁目商店街振興組合、3・4 丁目商店街振興組合、といっ たようにさらに各小単位にわかれている。伊勢佐木町商店街は全長 1.2 キロメートルと 長く分けたほうが便宜上都合がつきやすいのかもしれない。しかし、まず商店街全体で ビジョンを決定しないと目指すものが各自それていってしまうばかりか、お互いに協力 もしづらい状況になってしまうのではないだろうか。近年 1・2 丁目のみ街づくり協定 を作った、という話をうかがう限りでは全体の共通認識を持てているかどうかは疑い深 い。分かれて短区間を集中的に扱うのは良いことなのだが、かといって順番をまちがえ て先に小単位からはじめると、最終的に違う方向性にすすむおそれがあるばかりか互い が干渉しなくなり独立していきかねない状態になってしまう可能性もなくはない。そも そも全体で協力していかないと大きな事業を達成することは不可能であろう。まずは全 体で何度も集まって意見を出し合い全ての振興組合が納得できて協力できる大目標を たてることが必要である。ビジョンが決まれば各振興組合で事業を分担、管轄すればよ いのである。 では次に誰が話をまとめていくかを考えていきたい。まずビジョンが達成できそうな 年月を考えるとおそらくその時期に大きく関わるのは一回り次の世代になるはずであ る。今組織の上の方にいる方は伊勢佐木町に長く住んでいた方が多く、一概には言えな いが歴史を長い目でとらえられる反面、そういった次世代の人に比べれば数十年先を想 像することは難しいのではないだろうか。というのは、伊勢佐木の歴史を見ればわかる ように数年で様々なことが商店街の内外でおこりうるわけで、それに実際かかわるであ ろう人には影響が直にくる。そういった危機感を持ちつつ、今現在の環境をタイムリー に感じられている世代の人の意見も取り入れたほうが、数十年後の理想系はたてやすい のではないかと思われる。次世代の伊勢佐木町を担っていける人の人材探しもかねて、 そういった人の意見をとりいれる機会を組織の上の方から積極的に作ってあげるとよ いのではないだろうか。もちろんそこで伊勢佐木の歴史と相談しながら意見をまとめて いくのは言うまでもない。 次に必要なのは商店街外部の協力を得ることである。そこで核となるのはやはり大き な力を持った行政であろう。現状では行政への打診がないようだが、ビジョンややりた ◆ 行政と商店街 ◆ いことが決まっていなくてもアドバイザー派遣などを積極的に利用することで、商店街 外部からの参考にできそうな意見が見つかるかもしれない。ビジョンが商店街側で決ま れば、市全体を見たときにそれが本当に有効なビジョンなのかもトータルな視点で行政 に指示や修正を加えてもらえばよい。市は広く行政の扱う範囲も広いわけだから商店街 側から積極的に接触していくことがなによりのうまい活用法だと思う。あとは商店街に 来ていただく消費者の交流と意見の取り入れを積極的にとりいれていくことだ。祭りな どの市民参加のイベントもあるわけなのでそういった機会を市民と話す機会として利 用してもいいし、逆に市民に作ったビジョンを掲示して一緒に修正していくのもいいだ ろう。このように多くの協力を得られれば、ビジョン達成の日も近いはずだ。 ◆ 行政と商店街 ◆ 7.元町商店街への提言 今回、まちづくりにおける行政と商店街の関わりという観点から元町商店街を対象と し研究してきたのだが、まちづくりにおいて元町商店街と行政の関わりはあえて問題点 を挙げて指摘するような点は見られなかった。そこで、今後元町商店街がすべきと思わ れるまちづくりについて提言していこうと思う。 現在元町商店街には元町 SS 会加盟店のうち衣料品の占める割合は7割にも上り、来 街者には女性が多く見られ、元町商店街の商店をみても女性客が入るような店が多い。 男性が楽しめるような店は少ないように思われる。これはこれまでにファッションに対 して男性よりも女性の需要が圧倒的に多かったからであると考えられる。しかし、今日 ではあらゆるファッション街でも男性専用の衣料品店が多くなり以前よりも男性用の ファッション誌も多く見られ、伊勢丹の新宿店では本館とは別にメンズ館ができ以前よ りも多くの男性用の店ができた。そして、クールビズなどにより通勤時でもラフなスタ イルをする人が増えた。このことから男性のファッションに対する需要が増えているの ではないかと考えられる。そこで元町商店街にもっと男性が楽しめる店を誘致すれば、 男性客が増え、さらに家族連れの買い物客が増えるのではないかと考えられる。そして、 元町商店街がより家族で楽しめる商店街になるのではないだろうか。 現在の元町商店街は、近年遠距離からの観光客が増えている。その観光客は元町商店 街に立ち寄っても店内の商品を買うのではなくただ見ていくだけ、または買ったとして も土産程度という客が多いようだ。なぜ観光客は見ていくだけなのかという点について 考えるとただ中華街のついでに立ち寄ったなどという理由もあるのであろうが、元町商 店街には来たがどこにどのような店があるのかわからないという意見も多々あるので はないかと考えられる。実際元町商店街には数百もの商店が軒を連ねていて、近年では 裏通りの店舗数も増えてきているようである。そこで、街頭に店舗検索システムを設置 するということを提案しようと思う。これは、元町商店街には来たものの自分の行きた いと思うような店がどこにあるのか、またどのような店があるのかわからないといった 客が自分の行きたい店を検索するというシステムである。靴屋に行きたいと思えば検索 メニューで衣料品を選択しさらにその中から靴類を検索すると、元町商店街の靴屋の商 店が検索される。そこで検索された各店舗の情報を読み取りその中から行きたい店を選 択していくのである。この検索システムを設置することにより、行きたい店が見つかり、 さらには元町商店街の顧客でも新たな発見があるのではないかと考えられる。 ◆ 行政と商店街 ◆ 8.まとめ Ⅰ.野毛商店街 ⅰ)提言の背景 野毛商店街は MM21 計画以前の競合地の増加、そして MM21 と東横線桜木町駅廃 止による客の減少により衰退した。現在物販店はかなり減少し飲食店中心の夜の街と なっている。毎年行っている「野毛大道芸」は一応野毛の知名度を上げたものの一時 的な賑わいにすぎず、皮肉なことに「野毛大道芸」の一部はみなとみらいで行われて いる。これまでに野毛商店街は学生などを中心に商店街活性化案の募集などを行って きたが、ここでは野毛に関してミクロ的な提案ではなく視点を大幅に変え、野毛をマ クロの視点から見た野毛地区再生案を挙げることにした。 ⅱ)提言の概要 ① 立地を生かした再生 野毛地区の立地と交通等の利便性を考えた場合、既存の形で野毛商店街を後世に残 してゆく必要は必ずしも無いのではないかと考える。次ページの地図(図1)から分 かるように横浜駅と官庁地区の中間に立地し、MM21の南西側に位置している。周辺 にはJR線桜木町駅や市営地下鉄線桜木町駅、京急線日の出町駅などもがあり、渋谷ま で東京まで30分、横浜まで10分と比較的恵まれた場所に野毛は立地している。このよ うな立地を考えると、野毛は商業地として魅力があるといえるだろう。ここに挙げる 野毛地区再生の案は、一度当該地区を再構成して新たな商店街を含む商業地区として 再生させるものである。 そこで、ハード面での整備として「開発型流動化」を、ソフト面での充実を図るた めに「商店街ファンド」を提言した。 野毛商店街の商圏内人口や定期的に野毛に通う人の数が増えれば、再入居した既存 店舗にとっても飲食店を中心に商売の機会が増えるであろう。 ◆ 行政と商店街 ◆ <図1> 提供:MSN地図 *那覇市ガーブ川周辺地区の再開発例 この地区周辺は1962から65年に掛けての改修工事により暗渠化されたガーブ川上 にできた水上店舗の集まりで、近年は地区周辺の老廃化などを背景にクリアランス方 式による再生案が市を中心に挙げられてきた。再開発が行われるのは3万3200平方メ ートルで、開発整備を行うに当たり該当地区北側は生鮮食料品小売店舗を中心とした 公設市場の形成やガーブ川線西側に新しい商店街「マチグヮーモール」の整備、また 該当地区南側には都市サービス機能としての公共・公益施設や公営住宅の整備、そし て駐車場整備などが整備案に組み込まれている。那覇市によると、2005年から施設の 取り壊し作業が始まり、2006年度に着工、2008年度には完成する。 (左 図2:現在のむつみ橋商店街 ◆ 行政と商店街 右 図3:再開発後の完成予想図) ◆ Ⅱ.伊勢佐木町商店街 ⅰ)提言の背景 繁華街及び歓楽街として発展してきた伊勢佐木商店街の魅力は、映画館と百貨店の 衰退とともに失われつつあり、今は特に目玉となるものはなく地元客中心の商店街と 成った。数十年前までは映画館やデパートがあり歓楽街として広域から人が集まった。 衰退の理由としては戦災・接収で復興が遅れたのに加え1956年以降横浜駅西口や周辺 地域の開発がかなり進んだことが挙げられる。その結果として買回り品を中心に顧客 を奪われてゆき、西口名店街(後のジョイナス)・横浜高島屋など郊外百貨店との競 争も激化して客を取られた。映画館にしても今では何処にでもあるのでわざわざ伊勢 佐木に行く必要が無くなり、遠方からくる客は大幅に減少した。今現在伊勢佐木に広 域的に客を呼ぶ力があるとはいいがたい。 ⅱ)提言の概要 ① 地元客を意識したビジョンづくり 周囲との客引き競争に負けた結果、現在伊勢佐木に訪れる客の殆どが地域周辺の住 民や会社帰りに飲食店を利用する客などで構成されている。さきほど述べたように伊 勢佐木町の構想の1つに挙がっていた大型駐車場があるが、はたしてそれが地元客を 意識した商店街に必要かというと疑問である。単発的なハード事業による集客力アッ プは短期的には可能かもしれないが、特に伊勢佐木の場合は地元客中心ということで 長期的な集客力アップは望めないだろう。まずは短期的なものより長期的なビジョン をたてて街の方向性を全事業に浸透させなければならない。客層や伊勢佐木の強みの 分析等など基本的な部分から把握しなおし、目指すべき伊勢佐木の姿をつくることが 求められる。ビジョンとその作り方に関してはさきほど述べたとおりである。 またその設定したビジョンの中でなすべき事業は、伊勢佐木の場合街頭整備や道路 舗装、バリアフリー化など必要なハード事業は既に終えているので、ソフト面を意識 した事業を導入していく必要があると思われる。例として、ポイント制を導入した駐 輪場の整備や商店街店舗による宅配サービスなど、地域に根ざしたものが良いだろう。 *他商店街での宅配サービスの取り組み例 ◆ 買い物しても手ぶらで帰宅 ― 中心商店街宅配サービス 青森市新町にある中心商店街では福祉サービスの一環として7つの商店街155店舗 が、商店街参加店で買い物をした際に、一個300円で市内当日配達をしてくれるサー ビスを提供している。午前四時受付迄や、要冷蔵の荷物や大きさ・重さにより追加料 金が必要となるなどの条件があるが、好評である。参加店は戸口にステッカー<図2> を貼るなどして客にサービス利用可を知らせている。 ◆ 行政と商店街 ◆ (図4)サービス提供:中心商街懇話会あきんど隊 ② 魅力ある商店街づくり 商店街の魅力は単にモール化や街頭整備などのハード事業によって得られるもの では ない。 商店街を構成する各店店舗が魅力的でなければ商店街全体が魅力的であ るはずが無い。下の写真(図 3)を見る限りでは奇麗で歩いていて楽しそうな伊勢 佐木だが、ふたを開けてみると個性の無い何処にでもあるような衰退傾向がみられる 商店街とさして変わらない。伊勢佐木を構成しているのはテナント・チェーン店や、 飲食店がほとんどであり地元客以外がわざわざ来るような店はあまりない。既存の商 店街各店舗の強みを生かした逸品づくりや、フランチャイズ店ではオリジナルメニュ ー、伊勢佐木店限定の価格設定などにより他商店街の店舗との差別化を図れるのでは ないだろうか。魅力ある商店街をつくるに商店街を構成する各店舗が率先してゆく必 要がある。 図) ◆ イセザキモール 行政と商店街 ◆ Ⅲ.元町商店街 ⅰ)提言の背景 現在ファッションの街として成功を収めている元町商店街は家族連れや中高年の女 性客を中心に賑わいを見せているが、男性の視点から見るとあまり魅力のある店が無 いという問題点がある。それは元町にある既存の店の多くが中高年の女性を対象とし たものであり、男性の私生活にターゲットを当てた専門店などが無いからである。ま た元町は雰囲気が商店街というよりも屋内型ショッピングモールといった感じであ り、今後裏通りとの回遊性を充実させてゆく上では、街頭に店舗検索システムなどを 設置すると良いのではないか。 ⅱ)提言の概要 ① 男性客や若い女性客を対象とした店を増やす 先に提言の背景で述べたとおりに、元町商店街は主に中高年女性を対象とした衣服、 ファブリック店やカフェなどの飲食店によって構成されている。家族連れで来た男性 客を対象とした店が少ないため、男性達は元町で暇を弄んでいるのが現状である。こ の事を考えれば男性客を対象とした店が無いことは大変な機会の損失である。渋谷の ような若い人達の街は多少治安が悪く元町に比べると下品な感じがするが、青山や表 参道、代官山などを訪れる、若くとも安定した所得のある客層を狙えば元町の雰囲気 を崩さずに若い層を元町に呼び込めるのではないか。 http://baja.de-blog.jp/bj/2005/01/ ◆ 行政と商店街 ◆ ② 店舗検索システムの導入 元町では、既にモトマチガイドブックなるものが元町SS会会員店や元町SS会事 務局、元町第一駐車場などで配布されているが、各店舗の情報は詳しくは載ってない ので街頭にタッチパネル式の検索システムやボタンを押すことにより目的の店、また は同カテゴリの店が点灯される地図などを導入することにより、より親しみやすい街 になるのではないか。特に男性に当てはまることだが一般に初めて訪れる場所などの 場合、目的の店や商品が見つからない場合諦めて帰るという傾向があるので、街頭に 店舗検索システムを設置する場合も分かりやすいところに設置しなければならない。 ◆ 行政と商店街 ◆ 9.参考文献 Ⅰ.参考 Web TRY21(タウンリノベーション横手株式会社) :http://www.yokotecci.or.jp/try21/hyoushi.htm 西部信金キャピタル株式会社 HP: http://www.seibucapital.co.jp/shotengaifund.html 独立行政法人中小企業基盤整備機構 HP: http://www.smrj.go.jp/kikou/press/article/007160.html 東京都中小企業団体中央会 HP:http://www.tokyochuokai.or.jp/ 日本商工会議所 HP:http://www.jcci.or.jp/index.shtml ティー・ハンズオンインベストメント㈱HP:http://www.thon.co.jp/index.htm 西部信用金庫 HP:http://www.seibushinkin.jp/index.htm 野毛飲兵衛ラリーHP:http://www.galstown.m-n-j.com/8/kanagawa/noge/ 野毛公式 HP:http://www.noge.com/ ハマ・ラ・モード∼横濱散策ガイド∼HP:http://www.yokohama-mode.jp/index.php 財団法人広域関東圏産業活性化センターHP:http://www.giac.or.jp/ あづさ監査法人 HP:http://www.azsa.or.jp/index.html 横浜市 HP:http://www.city.yokohama.jp/front/welcome.html 横浜市中区 HP:http://www.city.yokohama.jp/me/naka/newindex.html 横浜商工会議所 HP:http://www.yokohama-cci.or.jp/ 商店街情報センターHP:http://www2d.biglobe.ne.jp/ (2005/2/2) 横浜経済新聞 HP:http://www.hamakei.com/special/2004/12/23/index.html (2005/2/2) 元町通り商店街 HP:http://www.motomachi.or.jp/ 8/10,11/25 横浜市都市整備局 HP:http://www.city.yokohama.jp 11/8 伊勢佐木町 1・2 丁目 HP:http://www.isezaki.jp/ 伊勢佐木町 3∼7 丁目 HP:http://www.isezakicho.or.jp/home.html Ⅱ.参考書籍他 『まちづくりの発想』田村明 著 岩波書店 発行 『横浜・中区史』中区制 50 周年記念事業実行委員会 編・発行 『戦後 50 年 横浜再現』奥村泰弘・常盤とよ子 著 平凡社 発行 『中心市街地(関内・関外地区)TMO 構想』横浜商工会議所 発行 『証券化のしくみ』井出保夫 著 日本実業出版社 発行 『債権・不動産流動化のすすめ』金子栄作 『大型店とまちづくり』矢作弘 著 著 東洋経済新報社 発行 岩波書店 発行 『地方都市における不動産流動化の導入による中心市街地活性化策の検討に関する報告書』 (平成 17 年 3 月)財団法人広域関東圏産業活性化センター ◆ 行政と商店街 ◆ 『ヨコハマ「みなとみらい線」誕生物語計画から開通までのドラマ』 広瀬良一 著 『ペリー来航 横浜元町 140 年史』元町自治運営会 著 『元町の奇跡』神奈川新聞 編著 共同組合元町 SS 会 発行 全国商工新聞 2005 年 5 月 30 日 神奈川新聞 2004 年 4 月 21 日、2005 年 1 月 31 日 朝日新聞 2005 年 1 月 31 日 日本経済新聞 2003 年 11 月 10 日 『野毛飲食マップ 2003 年∼2004 年』野毛飲食業協同組合 発行 『野毛マガ』野毛サプライズ実行委員会 主催 『イセザキモール 3・4 御案内』伊勢佐木町 3・4 丁目商店街振興組合 『伊勢佐木モール 3・4』横浜市 『元町公式ルールブック』元町まちづくり協議会 『元町地区共同配送システムマニュアル』元町共同配送集約センター III. 取材協力一覧 協同組合伊勢佐木町商店街 野毛商店街協同組合 横浜市経済局商業・サービス業課 協同組合元町 SS 会 ◆ 行政と商店街 ◆ 神奈川新聞社 発行