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マヤにしてっ! - タテ書き小説ネット

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マヤにしてっ! - タテ書き小説ネット
マヤにしてっ!
白沢 雄
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
マヤにしてっ!
︻Nコード︼
N9496V
︻作者名︼
白沢 雄
︻あらすじ︼
﹁マヤの好きにしてっ!﹂を略して﹁マヤにしてっ!﹂。
わたし、八尾和美には密かな趣味があった。
それは、気になるクラスメートのコスプレを本人にも内緒でするこ
とだった。
まさかそれが、日常と非日常の間を往来する原因となる事など思い
もしないで。
1
はたしてエピクリマ大陸とは実在したのか? それともオカルトが好きなマヤの妄想の産物なのか?
2
マヤになる! 1
みんなは、何か趣味を持ってる?
わたしが最近はまっているのは、コスプレ。もちろん、コスチュ
ーム・プレイの事よ。
コスプレって、いいよね。いつもと違う自分に変われるんだから。
でもね、わたしのコスプレって、みんなが思っているのとはちょ
っと違うの。
普通、コスプレって、アニメやゲームのキャラクターの格好をす
るでしょ? それから、憧れている芸能人やカリスマモデルなんか
の真似をする人も珍しくないよね。
わたしがコスプレしてるのは⋮⋮
いつも学校で会っている、クラスメートなの。
*
わたしは、八尾和美。今年の春に入学した私立早宮女子高等学校
に通う、一年生よ。
⋮⋮自己紹介、終わり。
いや、冗談じゃなく、本当にわたしってこれしか話す事がない。
趣味だって、さっき話したコスプレしかない。
自分って本当に薄っぺらで空っぽな存在なんだって、思い知らさ
れる。
だからだろう。あの夏の出来事から、わたしが彼女のコスプレを
するようになったのは。
*
3
今日は二学期の始業式の日だった。
早宮女子は、有名大学への進学率がこの町では一番高い、いわゆ
る進学校だ。
入学した時から、生徒達は大学受験の準備を始めるし、クラス分
けなんかも入試の成績で決定される。
わたしが教室に入ると、わたしがコスプレしているクラスメート
の姿は無かった。机にカバンがないので、まだ来ていないのだろう。
﹁おはよう、八尾さん﹂
聞きなれた声が、後ろからした。振り向くと、そこにはエフェメ
ラ・ゴサマーさんが立っていた。彼女は、遙か北の国のどこかから
来た留学生だが、この国で生まれたかのように会話は流暢で、国語
で満点になったこともある。
﹁あ、エフェメラさん。おはようございます﹂
エフェメラさんの席は一番窓際の最後尾で、わたしはすぐ前の席
だ。この学校は、クラス分けは成績順だが、席の配置はクジ引きで
決まっている。だから、わたしの成績がエフェメラさんより上とい
うわけではない。実は彼女は、今年からこの国に来ているというの
に、成績学年で二番目だった。
透き通るような白い肌と淡い茶色の長髪に茶色い瞳。成績そのま
まに知性的な顔立ちをしている彼女は、校内で知らない人はいなか
った。
話している言葉は堅苦しい本で憶えたと思われる事務的な口調な
のに、実際は社交的な性格の彼女は誰からも好かれていたのだ。
しかし、わたしが憧れているのは彼女ではない。わたしが憧れて
いた人はむしろ、エフェメラさんとは逆に皆から距離を置かれてい
た。
わたし達が同時に着席すると、エフェメラさんが隣の席のよしみ
で話し掛けてきた。窓際の列だけ席が一つ多いので、エフェメラさ
んに隣接した席はわたしだけなのだ。
4
﹁君は、夏休み中には何かあったのか?﹂
夏休み明けのお決まりの質問だったが、わたしは一瞬だけ困って
しまった。まさか、クラスメートのコスプレをしていたとは、言え
ない。
﹁結局、ゼミの合宿しか遠出しなかったわ﹂
ゼミの合宿と聞いて、エフェメラさんは一瞬だけ動きを止めた。
わたしは、説明不足だったかと反省した。
﹁ああ、そうか。君も大変だな﹂
次の瞬間、エフェメラさんはちゃんと理解したのか判らない返事
をした。本来は演習と訳されるゼミナールを予備校という意味で使
っている上に略語になっているのだから、留学生の彼女が意味を推
測出来たら神業に近い。でも、知ったかぶりをしている様子ではな
い。
﹁エフェメラさんは、夏休みは何処かに行ったの?﹂
わたしからも尋ねると、エフェメラさんはタブレットPCを取り
出した。
﹁わたしは、一週間ほど故郷に帰っていたんだ。見るかい?﹂
そうエフェメラさんが言ったとたんに、わたし達の周りは人だか
りになった。どうやら皆も、彼女の故郷に興味があるみたいだった。
よく見ると、他のクラスの生徒まで混じっている。
﹁まとめて送信するから、受け取ってくれ﹂
画像を送られて満足したのか、周りの生徒達は十人程度に減った。
わたしのケータイも受信していたが、ここがわたしの席なので動く
に動けなかった。勿論、皆はエフェメラさんに注目しているのだが、
人の輪の中心にいたことの無いわたしには居心地が悪かった。
﹁Hyvaa huomenta!﹂
突然の聞き覚えのある声に、わたしは息を飲んだ。銀墨マヤが来
たのだ。
彼女こそ、わたしがコスプレしているクラスメートだった。
5
マヤになる! 2
始まりは、夏休みの初めにまで遡る。
何の趣味を持たずに勉学だけに励んで早宮女子のA組に入ったわ
たしは、入学してからも更に勉強をし続けた。
夏休みに重い荷物を背負って都庁前公園に来たのも、そこからゼ
ミが用意したバスに乗って合宿に行くからだった。
この合宿には、A組のクラスメートが他にも何人か参加していた
が、わたし達は軽い挨拶をした程度で、すぐにみんな自分の席につ
いて参考書や教科書を広げ出した。
一学期の試験の成績は、中間も期末もわたしは学年五位だった。
首位も夢ではないわたしに、両親の期待も大きかった。この合宿の
費用も決して安いものではないので、わたしは何としても結果を出
したかった。
﹁このバスは、路線バスじゃないよ!﹂
運転手が、何か言い争っていた。どうやら、部外者がバスを間違
えて乗ったようだ。レンタルしたバスと乗り合いバスを間違える人
なんて珍しいとは思ったけど、わたしは問題集から目を離さなかっ
た。
﹁なによこれ、ブクロにもジュクハラにも行かないの? つまんな
いわね﹂
聞き覚えのある声に反応して問題集から目を移すと、そこに立っ
ていたのはクラスメートだった。
﹁ぎ、銀墨さん?﹂
彼女こそ、全科目満点の成績を誇る銀墨マヤだった。成績よりも
奇行の方で学園の有名人だった彼女に、同じ学校の生徒達は皆まゆ
をひそめていた。
背中まである黒髪に赤いフレームの眼鏡をかけた彼女は、白地に
6
藤色の襟とラインが入ったワンピースを着ていた。肩から緑のポー
チをぶら下げている姿は、ほぼ全員がそれぞれの高校の制服を着て
いる車内では、とても目立つというか浮いていた。
﹁このバスはこれから野木口に行くんだから、さっさと下りろ!﹂
﹁野木口って、野木口高原? あそこってUFOで有名な所じゃな
いの。楽しそうね﹂
﹁UFOなんて知るか!﹂
﹁あそこにはUFOしか見る物がないのに、何しに行くのよ? 本
当につまんないわね﹂
そう言いながら車内を見回したマヤと、わたしは一瞬だけ目が合
った。それは、マヤがつまんないわねと言った、丁度その時だった。
口調は陽気だったのに、その視線はとても冷めていて、わたしの
心臓がその時一回だけ鼓動が全身を振るわせる程に強く爆発するよ
うに震えた。
結局、マヤはゼミの先生達に腕をつかまれてバスから追い出され
た。
わたしの周囲では、夏休みにまで彼女を見たくなかったとか、ど
うしてあんなのがトップなんだろうとかいったクラスメート達のグ
チが聞こえてきたが、それもバスが発車する頃には何事も無かった
かのように静かになっていた。
わたしも周囲に習って、黙って問題集を開いた。
だけど、わたしの気持ちは問題には全く向けられていなかった。
﹃つまんないわね﹄
二度も言ったマヤの言葉が、わたしの心にずっと引っ掛かってい
たのだ。
そんな訳は無いのに、まるでその言葉はわたしに向かって言われ
たような気がしたのだ。
確かに、彼女から見たら夏休みだというのに灰色のセーラー服を
着て勉強の為に遠出をするわたしなんてつまらない人間だろう。
わたしの三つ編みは、ほどいてストレートにすれば彼女と大差な
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い長さだったが、時間をかけて手入れされたのが一目で判るあの艶
のある長髪とは比べ物にならない。
私服だって家にはあるが、全部母親から買い与えられた物で、自
分で選んで買った事なんて無かった。
自分と彼女を比べると、どんどん憂欝な気分になって行き、しま
いには自分の黒縁メガネまでもが劣等感を生む原因になっていた。
どうして、自分と彼女はこんなに違うのだろう? 学校では、振
り向けばそこに座っているのが見える程に近い位置にいるというの
に。
マヤは、入学してから今までも、ずっとつまんないと思っていた
のだろうか? それが、彼女にとっては口にするまでも無い当たり
前の事実として。
彼女の言葉なんて、聞かなければ良かった。そうすれば、自分が
つまんない存在だという事実に、気付かないでいられたのに。
*
鉄筋コンクリートで作られた、まるで公立学校の校舎のように地
味なホテルが、ゼミの合宿所だった。
十人程度が寝泊りする大部屋のベッドは、鉄パイプで出来たとて
も硬いベッドで、寝心地は最悪だった。
それでも、なんとか心を落ち着けて眠りに付いたわたしが見たの
は、奇妙な夢だった。
*
わたしが立っていたのは、石造りの祭壇だった。灰色の舞台に立
っているわたしの前には広場があり、質素だが個性のある服装をし
た何万もの人々が整然と並んでいた。
周囲にある無数のかがり火で、状況はある程度判った。
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ここは、屋根付きの野球場や競技場を石で作ったような、巨大な
建物の中だった。もっとも、客席に当たる壁際には、半裸の人間や
様々な動物のレリーフを刻んだ塀しかないからスポーツを見る所で
はないようだったが。
星天図らしき幾何学模様が描かれた屋根がある事を除けば、歴史
の教科書にあったエジプトだかインカだかの祭事を描いた挿絵に似
ているなと思っていると、誰かがわたしの手を握った。
この時に自分の腕を見るまで、わたしは気付かなかった。自分が
着ている服は、目の前の人々と違った派手なものだという事を。
わたしと、わたしの手を持っている目の前の少女は、紅白の幾何
学模様が刺繍されたローブのようなゆったりとした上着を羽織って
いたのだ。
鏡が近くにないのをもどかしく思いながら確認すると、服だけで
はなく髪型も三編みではなく長髪をバレッタか何かでまとめたみた
いになっていて、メガネもかけていなかったのに遠くまでぼやけず
に見渡せていた。
目の前に居るいる少女は、恐らくショートボブと思われる後頭部
しか見えなかったが、何故かよく知っている人のような気がした。
少女に手を引かれて舞台の前方に進むと、大勢の人々が両手を上
げながら大声で叫んだ。
何が起きているのかさっぱりわからないわたしが怯えていると、
目の前の少女はこちらに振り返って微笑んだ。
髪型は違うしメガネもしていなかったが、その少女の顔はマヤだ
った。
*
あまりにも寝心地と夢見が悪かったせいか、まだ薄暗いうちに目
が覚めてしまった。
﹁どうして、わたしの夢にマヤが出てくるのよ?﹂
9
夢の内容を思い出したわたしは、非現実的な光景まで歴史の教科
書に例えてしまった事で軽い自己嫌悪におちいってしまった。本当
にわたしは、つまらない人間だ。
ぼうっとした頭でベッドから起き上がると、カーテンの隙間から
何かが光るのが目に入った。日の出とは逆方向だし、時間もまだ早
い。
﹁そういえば、UFOで有名だとか言っていたわね﹂
勿論、光の正体はUFOではない。UFOを一目だけでも見たい
観光客達が、虚空に向けてライトアップしてUFOを呼んでいるの
だ。
窓辺に寄ってカーテンを開けると、山地には似合わない灯台のよ
うな施設が輝いていて、UFOで町おこしをするシンボルとして建
っていた。
その灯台の周囲では、観光客達が持ち寄った懐中電灯やペンライ
トが地上を彩っていた。
中には、キャンプファイヤーまでしている人達が居た。周囲にテ
ントやキャンピングカーが見えるので、キャンプ場なのだろう。
﹁ん?﹂
いや、キャンプファイヤーをしていたのは、一人だった。他の人
達は、炎の明かりに便乗しようと集まっているだけだった。
キャンプファイヤーに照らされた姿は、あんな遠いのに何故か見
当がついた。
﹁ど、どうして彼女がいるのよ?﹂
銀墨マヤが、炎の前で踊っているのだ。
昨日と同じ格好をしているという事は、家には帰っていないとい
う事だろうか?
つまり、無性にUFOが見たくなった彼女は、バスを降りた後に
即断してここまで来たのだ。そして、灯台の近所にあるキャンプ場
で一人で丸太を集めて井桁を積み上げたのだ。結構大きい炎なので、
管理者の許可もちゃんと取ったのだろう。
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﹁これって、行動力があるっていうのかしらね﹂
自分には絶対に真似が出来ない事だ。
﹁え?﹂
わたしは、自身の内から湧き上がった気持ちに困惑した。
真似? 真似したいの? キャンプファイヤーを。
いや、そんな事じゃない。わたしが真似したいと思ったのは、マ
ヤそのものだ。何事にも束縛されない、彼女の自由な心情が羨まし
かったのだ。
わたしがマヤみたいに生きられるなら、すぐにでもここを飛び出
してキャンプ場まで走り出しただろう。しかし、そんな事はわたし
には無理だった。
どんなに羨ましくても、わたしはここからマヤを眺め続ける事し
か出来ないのだ。こことキャンプ場はほぼ同じ高さにあるというの
に、今のわたしは高嶺に咲く花を見上げているような気分だった。
その振り付けは、一体どこで習ったのか。それとも創作なのか。
マヤのダンスは、炎に照らされる姿が良く似合う激しくて可憐だっ
た。
そのマヤの舞いが、突然終った。踊りをやめたマヤは、こっちに
向かって手を振り出した。
﹁まさか、わたしに気付いてるの?﹂
いや、そうでは無かった。他の観光客も次々に空を見上げている
という事は、UFOが出現したに違いなかった。
それが、ほんとうにUFOなのか、飛行機か何かの見間違いなの
かは、わたしには確認出来ない。マヤがこっちに向かって手を振っ
ているという事は、UFOが出たのはこのホテルの真上なのだから、
わたしからは見えないのだ。
それでもわたしは、ずっとマヤを見続けていた。手を振っている
マヤが、まるでわたしに向かって一緒に踊ろうと誘っているかのよ
うに見えたからだ。
わたしは、あそこには行けない。それでもわたしはそんなマヤを
11
見られただけでも、何故か嬉しくなった。
12
マヤになる! 3
それから一週間後、特に何事も無く合宿は終った。
マヤも、UFOを見て満足したのか、次の日からは見かけなかっ
た。
わたしは、もうマヤの事は気にしないで行こうと決めた。いや、
諦めたと言うべきだろう。どんなに羨ましくても手が届かないので
は、現実を受け入れるしかない。
わき目も振らずに勉強に励んだ合宿で、わたしは更に学力を伸ば
した事を実感していた。その一方で、何か大きな物を失ったかのよ
うな脱力感もわたしの中にはあった。
出発地点と同じ公園に到着したバスから降りるたわたしは、どう
にも気だるかったので近くにあったベンチに腰掛けてしばらく休息
していた。
道路を隔てた十メートル先に、彼女はいた。
﹁銀墨さん?﹂
今日のマヤは、水色のブラウスに薄茶色のミニスカートをはいて
いた。そしてつばの広い若草色の帽子をかぶって、朱色のリボンを
襟で蝶結びにしていた。
マヤにとってわたしは、雑踏の中の通行人の一人にすぎない。当
然のようにわたしに気付く事も無く、彼女はデパートの中に入って
行った。
どうしてなのか、わたしは彼女に続いてデパートに入った。それ
から何がしたいとか、特に考えてもいなかったのに。
エレベーターが中々来なかったので、マヤはまだ一階にいた。わ
たしは、エレベーターホールには行かずに、エスカレーターを駆け
上った。
﹁マヤが行きそうな所って、どこ?﹂
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ファッションには気を使っているようだし、一学期の事件から察
するとマヤはオモチャも好きだ。今は昼時だったので、レストラン
も考えられた。結局わたしは、一階ごとに全力で駆け上がってマヤ
の降りたフロアを確認する事しか思いつかなかった。
紳士服売り場がある三階をスルーしたのは、我ながらいい判断だ
った。三回で止まったエレベーターを追い抜いたので、マヤが四階
で降りるのが見えたのだ。
柱の陰に身を潜めたわたしは、マヤの行き先を目で追った。
﹁どうして、隠れなきゃいけないのよ?﹂
一体、何が後ろめたいというのだろう。自分に突っ込みを入れな
がらも、本当は自覚していた。自分はつまらない人間だから、マヤ
に面と向かって会う度胸がないのだと。
さっさと家に帰るべきだったのではと迷っていると、マヤが貴金
属店に入って行った。
﹁この店って⋮⋮﹂
そこは、銀座に本店がある有名な老舗で、セレブ御用達として知
られていた。女子高生がファンシーショップに行くような感覚で入
る店では、絶対にない。
しかし、マヤに全く迷いは無かった。貴金属店に入ったマヤは、
数分後には包み紙を持って店から出てきた。初めから買う品を決め
ていたのか、それとも注文していた品を受け取りに来ていたのか、
そう思える程に短時間しかマヤは店に居なかった。
包み紙の大きさは、片手に乗るくらいだった。箱の大きさも勘定
に入れれば、マヤの買った品が指輪とかブローチ程度の大きさだと
いうのは遠目でも判った。
よほど気がせいていたのか、マヤは歩きながら包装紙を破り、そ
のままこの階の婦人用トイレに入っていった。
わたしが、そうっと後をつけて中をうかがうと、マヤが鏡の前で
イヤリングをつけているのが見えた。あの店でマヤが買ったのは、
それで間違いないだろう。
14
銀色のイヤリングには、銀色の棒状の飾りが一本下がっていた。
長さ十センチ程度。直径五ミリ程度のその飾りには装飾も模様もな
く、シンプルだが上品な輝きを放っていた。
満足そうに鏡に向かってマヤは微笑んでいたが、わたしは妙な違
和感を感じていた。その理由は、簡単だった。マヤは、右耳にしか
イヤリングをつけていなかったのだ。一つしか買わなかったのだろ
うか?
わたしがいぶかしんでいると、用事が済んだマヤがトイレから出
ようとしていた。慌てたわたしは、近くのアクセサリーショップに
入って棚の裏に隠れた。
包み紙をトイレの入り口に置いてあるゴミ箱に投げ捨てた。その
時のドサッという音は、只の包み紙にしては明らかに変だった。
エレベーターホールに向かうマヤの背中を見ながら、わたしはど
うすべきか迷っていた。
このままマヤがエレベーターに乗るのを見送れば、彼女を見失っ
てしまうのは間違いなかった。それでもわたしは、あれを確認した
かった。
トイレまで戻ってゴミ箱を覗くと、そこには包み紙がまだあった。
急いでそれを拾い上げたわたしは、テキストの入ったカバンに詰め
込んでその場から立ち去った。
わたしの家は、普通の二階建ての木造住宅だ。
﹁ただいまーっ﹂
玄関に入ったわたしは、疲れたから休むと居間のお母さんに言っ
て、慌ただしく二階に上がって行った。
誰も居ない筈なのに、勉強部屋に入ったわたしはキョロキョロと
辺りをうかがった。誰にも見られていないと確信したわたしは、椅
子に座ると膝に乗せたカバンの中からアレを取り出した。そうだ、
ゴミ箱にマヤが投げ捨てた包み紙だ。
わたしの思った通り、包み紙には中身が入っていた。さっきのマ
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ヤのように慌てて紙を破ると、中には青い小箱が入っていた。宝石
箱のように布張りになっているそれが、イヤリングが入っていた箱
なのは間違いない。
単なる直感だけで根拠の無い期待に胸を膨らましながら、わたし
は小箱をゆっくりと開いた。そして、期待は真実になった。
﹁はあぁ﹂
中に入っていた物を見て、わたしは溜息をついた。小箱に入って
いたのは、やはりイヤリングのもう片方だったのだ。
片方だけでも決して安くは無いそれを、マヤは何の迷いも無くゴ
ミ箱に投げ捨てたのだ。
きっとマヤは、初めから右耳にだけイヤリングをつけるつもりだ
ったのだろう。しかし、あんな高級な貴金属店では片方だけ売って
くれるわけが無かった。だからマヤは、二つセットでイヤリングを
買って、いらない方はあっさり捨ててしまったのだ。
このイヤリングは左右対称のデザインになっていて、別にどっち
の耳につけても問題ないように見えた。予備として左耳のイヤリン
グもとっておけたのに、マヤはそうしなかった。わたしも、そんな
事はマヤがやるにはケチくさいと感じていた。本当はマヤの事なん
て、わたしは全く判っていないというのに。
イヤリングを手にしたわたしは、当然のように誘惑にかられた。
わたしも、これをつけてみたいと。
カバンを机に置く時間も惜しくて床に放ると、わたしは白い洋服
ダンスを開いて鏡に耳を近づけた。
マヤと同じように右耳にイヤリングをつけると、それだけで胸の
鼓動が早くなった。それは、今まで忘れていた大事な事を突然思い
出したような、そんな感動だった。
だからわたしは、確信できた。わたしがやりたい事が、初めてや
れたんだと。
自分の三つ編みを、ふいに邪魔に感じてわたしはほどき始めた。
あの時のマヤは、ストレートの長髪だった。だからわたしも、少し
16
でもそれに近づきたくなったのだ。
﹁こんなセーラー服なんかじゃ、似合うわけ無い﹂
そう思うと、着ていた制服もまるで拘束具のように欝陶しく感じ
て、いきなり脱ぎちらかした。わたしは今まで、ハンガーに掛けな
いで脱ぎ捨てた事なんて一度も無かったのに。
そんな事をしても無意味なのは、心の底では判っていた。わたし
はマヤではないのだ。そんな事をしたからといって、マヤみたいに
イヤリングが似合うわけではない。
それでもわたしは、止まらなかった。
ハンガーに吊るされた何着もの洋服を、わたしは鏡の前で次々と
自分の体に押し付けた。しかし、何度繰り返しても結果は同じだっ
た。何を試しても納得できないわたしは、制服と同じように洋服も
次々と床に投げ捨て続けた。
何を着たって、わたしはマヤみたいに自分に満足して笑うことな
んて出来ないのだ。
﹁和美! 何てことしてるの!﹂
突然の母さんの声に、わたしはビックリした。ドアを開ける音に
も気付かなかったから、ノックもわたしには聞こえていなかったの
だろう。
母さんが足元に気を取られているうちに、わたしはイヤリングを
引き抜いてタンスにまだかかっている洋服のポケットにしまった。
﹁こんなに散らかして、さっさと片付けなさい!﹂
母さんの言う事も、もっともだろう。しかし、今のわたしはそん
な事には構っていられなかった。
﹁後でちゃんと片すわよ﹂
わたしの言い草が気に入らなかったのか、母さんが怒った顔でわ
たしに詰め寄った。
﹁今すぐ片付けなさい!﹂
母さんに叱られたわたしの中で、何かがはじけた。次の瞬間には、
わたしは両腕を思い切り母さんに向かって突き出した。
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﹁もう、ほっといてよっ!!﹂
﹁和美っ?﹂
わたしに突き飛ばされた母さんは、呆気に取られた顔で絨毯の上
に倒れていた。今まで一度も親に逆らった事が無いわたしのした事
を理解できない母さんの腕を掴むと、わたしはドアを勢い良く開け
て母さんを部屋から引きずり出した。
﹁もう、母さんは入ってこないでよ!﹂
そう言ってわたしは、勢い良くドアを閉めてノブを強く掴んだ。
このドアには鍵がついていないので、開けられたくなかったら自力
で抑えるしかなかった。
ドアの向こうで、母さんが必死にドアを叩いてくる。
﹁和美! どうしちゃったの!? 怒んないから出てきなさい!﹂
﹁あたしのことなんて判ってないくせに!﹂
ドアに向かって怒鳴ったわたしは、涙で目の前が歪んで見えた。
わたしは、いつの間にか泣いていたのだ。
やがて、ドアの向こうが静かになって母さんが一階に下りていく
足音が聞こえた。
母さんが根負けしたのを確信すると、急に脱力感が全身を支配し
た。
ベッドの上に倒れこんだわたしは、枕に顔を埋めながらうめく様
な声を出して泣き続けた。これは八つ当たりなんだって、自分でも
判っている。なんでわたしは、母さんにあんなことをしたのかと、
後悔と自責の念でわたしの頭は一杯になっていた。
この日は、父さんが出張中だったのが幸いした。
日が沈んで部屋の中が暗くなると、わたしはいそいそと部屋の後
片付けを始めた。
一階に降りると、キッチンの椅子に座っていた母さんが途方にく
れた顔をしていたので、わたしはとりあえず御免なさいと謝った。
昼から何も食べていなかったわたしは、冷蔵庫からマーマレード
18
とミルクを取り出すと、食パンと一緒にお盆に乗せて二階に戻った。
19
マヤになる! 4
次の日の朝、わたしは改めて母さんに謝罪して仲直りをした。
昨日から一睡もしていなさそうな母さんは、わたしが勉強疲れか
何かでヒステリーを起こしたのだろうとか、自分なりに納得出来る
理由を頭の中で描いていたみたいで、今日は勉強を休みなさいと力
なく笑いながら言った。
わたしも、行きたい所があったので、お言葉に甘えて外出するこ
とにした。
タンスのイヤリングをどうしようか迷ったけど、小箱もあるので
今日はポシェットに入れて持っていくことにした。
バスの中でのマヤの言葉から察すると、マヤの行動範囲は都庁前
を中心にしてブクロからジュクハラまでという事にある。環状線の
西側でも特に賑やかな地域だ。
それでも、かなり広い範囲を探す事になる。的を絞るとしたら、
あのデパートの中から探してみるのが良さそうだ。
わたしが探すのは、マヤ本人ではない。マヤの着ていた服だ。マ
ヤが満足していたコーディネートで、わたしもイヤリングを付けて
みたかったのだ。
マヤと同じ服を着た所で、わたし自身に似合うわけじゃないのは、
判っていた。それでも、一度は着てみないとわたしの気がすまない。
そこまでやって似合わないというのであれば、諦めも付くというも
のだ。
わざわざ貴金属店に直接出向いたという事は、マヤはネット通販
よりも実物を見て買うタイプと思えた。そうなると、足で探した方
が見つけられる可能性が高いようにわたしには思えた。
いつもは参考書程度しか買わないが、自分用のクレジットカード
20
は持っている。本屋の会員券を兼ねているので上限金額は低く設定
されていたが、今日はこれだけが頼りだ。
しかし、デパートの中だけでブティックは十軒を越えていた。シ
ョッピングの経験が無いわたしの見込みは、甘すぎたのだ。今日一
日だけでは、新宿すら全部は回れないだろう。
しかも、大変な事をわたしは見落としていた。店頭に展示されて
いる服は、既に秋物ばかりだった。そう、八月は確かに暑いが、暦
の上では秋に入っていたのだ。
自分の愚かさを呪いながらも、諦めきれずにデパートの中をうろ
ついていると見覚えのあるワンピースが目に入った。
我慢出来ずにショーウインドーまで駆け寄ると、確かにそれはマ
ヤがバスの中で着ていたものと同じ服だった。
イヤリングを買っていた時とは別物だったが、それでもわたしは
それがどうしても欲しくなった。目を凝らして、わたしは必死で値
札を凝視した。
﹁な、なんて事なの⋮⋮﹂
値札には季節が過ぎたせいか割引のシールが貼られていたが、そ
れでもカードの上限ギリギリの価格だった。値引きの交渉なんて、
要領が判らないし話術も巧みではないわたしに出来るわけがない。
他の服は、諦めるしかない。
しかし、それでもわたしは交渉しなければいけなくなった。店内
を見回すと、天井から若草色の帽子が吊り下げられていたのだ。こ
の帽子も季節から考えて、今を逃すと絶対に手に入らなくなる。
マヤはきっと、迷わず定価で買ったんだろうなと思いながら、意
を決したわたしは店へと入って行った。
生まれてはじめての値引き交渉は、なんとか上手くいった。まあ、
店の方もそろそろ在庫をさばきたいと思っていたのだろうが。
試着したまま着て帰ろうかとも思ったけど、結局ワンピースを紙
バッグに入れてもらってわたしは店を出た。帽子も、洋菓子店がデ
21
コレーションケーキを入れるようなデザインの箱に入れてもらった。
もうカードは使えないので、午前中で買い物が終ってしまったわ
たしは、あの時マヤが着ていた服を探す為に古本屋に立ち寄った。
本屋のファッション雑誌では、秋物ばかりか冬物の記事まで載って
いる状態だったので、夏物はここで探すしかないのだ。それに、古
本だったら財布の小銭だけで買える可能性もあった。
全国展開しているこの古本屋は、このあたりだけでも何軒も支店
があるので、ハシゴしやすかった。店内をうろついて夏物の服が載
っているバックナンバーを探していると、ファッション雑誌の棚に
違う雑誌が紛れていた。
単に探すのに邪魔だと思ってそれを引き抜いたわたしは、その雑
誌をそのまま小脇に抱えて目当てのファッション誌を広げた。
一時間ほど立ち読みしていたわたしは、マヤが着ていたあの服も
高価だという事実を再確認しただけだった。しかも、バーゲンセー
ルやアウトレットへ流したりする見込みの薄い店で売られていた事
も判った。
諦めてファッション誌を棚に戻すと、小脇に抱えていた雑誌が床
に落ちてしまった。この雑誌の事を忘れてしまう位、わたしは夢中
でマヤの服を探していたのだ。
本を拾い上げた時、わたしは表紙のモデルに違和感を受けた。着
ていた服が、セーラー服だったのだ。
﹁これ? ファッション誌じゃないの?﹂
不思議に思って広げると、すぐに謎はとけた。わたしの悩みに対
する答えを見つけたわたしは、その雑誌とファッション誌を抱えて
レジに向かった。
わたしが家に帰った頃には、もう夕方になっていた。
自分の部屋に戻ったわたしは、早速ワンピースに着替えるとイヤ
リングをポシェットから取り出した。室内なのに、帽子も被らずに
はいられない。
22
鏡の前に立って自分の姿を見たわたしは、もう昨日のような惨め
な気持ちはカケラも無い笑顔でいられた。わたしが本当は何をした
くて何になりたかったのかが判って、もう迷う必要は無くなったか
らだ。
それを教えてくれたのは、一冊の雑誌だった。わたしはさっきま
で環状線を何周もしながら、夢中になってそれを読んでいたのだ。
それは、コスプレを扱う雑誌だった。表紙の女の子がセーラー服
だったのも、アニメのヒロインが通っている学校の制服を再現した
コスチュームだったからだ。
わたしはアニメを見ないしゲームもやらないので、誰が何のキャ
ラクターのコスプレをしているかなんて全く判らない。それでもわ
たしには一つだけ、判った事があった。似てるとか似てないとか、
そういうのは構わないんだと。なぜなら、モデルの女の子の中には
明らかに男性キャラクターのコスプレをしている人もいたからだ。
まるで、コスプレしている少女達がわたしに﹁別にマヤになれな
くてもいいんだよ﹂と、教えてくれているみたいだった。
そうだ、マヤみたいになろうとか、マヤになるとか、そんな理由
じゃなかったんだ。わたしは只、今のつまらない自分から変身した
かったんだ。
そして、その切っ掛けを与えてくれたのは、マヤだった。マヤと
同じ服を着たり、マヤと同じイヤリングをつける事で、わたしは別
人になれるのだ。
コスプレしている間だけ、わたしの願いは叶えられる。そんな束
の間の夢をわたしは見つづけたかった。
この雑誌のモデル達も、わたしと同じ願望を持っているのだろう
か? それとも、わたしには想像もつかない、別の理由があるのだ
ろうか。
更に読み進めると、服を自作している読者の体験談が載っていた。
どうやら、自作やオーダーメイドがコスプレでは普通のようだった。
アニメに出る服なんて、実在しないのだから、当然といえるが。
23
実在しないから手に入らない。だから自作する。
今来ているワンピースみたいに、わざわざ実物を買う必要は無か
ったのだ。わたしは、オシャレではなくコスプレをしたいのだ。だ
ったら、本物のブランドにこだわる必要はない。ニセモノを買うの
は犯罪だが、本物に似せた服を自作するのならいいたせろう。
わたしは、マヤがイヤリングを買った時に来ていた服を、自作し
てみたくなった。家庭科の成績はそんなに悪くないので、家にある
ミシンを使えば何とかなるだろう。
今まで何の趣味も持たなかったわたしは、こうしてコスプレに目
覚めたのだった。
24
マヤになる! 5
そこは、祭壇の上だった。
﹁わたしは、戻って来たの?﹂
そうだ、以前にもわたしはこの祭壇に立っていた。確かに憶えて
いた。
﹁でも、ここは⋮⋮﹂
この祭壇は、以前とは大きく違う所があった。わたしの前にある
広場に、誰もいなかったのだ。それに、かがり火も殆どが消えて、
炭の部分がかろうじて赤い程度だ。
﹁そうだ、あの少女は?﹂
今のわたしが頼れるのは、以前に手を引いてくれたあのマヤに似
た少女だけだった。
わたしは、迷子が母親を捜しているように必死になって周囲を見
回した。祭壇には光源になるものがほとんどなく、床にある二つの
大きな記号だけが、夜光塗料で書かれたみたいに黄色く光っていた。
﹁あのマヤに似ていた少女はどこなの?﹂
そもそも、ここは何処にある祭壇なのだ? 壁の外の景色さえも、
わたしは知らなかった。それどころか、わたしが誰なのかも判らな
かった。
今のわたしは、メガネが無くても景色がはっきりと見える。まる
で、別人の目のように。
﹁まさか。今のわたしは、全く別人の身体なの?﹂
言いようのない不安に足がすくんで動けなくなったわたしの前に、
舞台の袖から捜していた少女が現れた。
この少女が誰なのかは全然判らなかったのに、彼女を見てわたし
は何故か安堵した。
少女が手招きしているのを見て、元気を取り戻したわたしでない
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わたしは再び歩き出した。
﹁待っていて、今行くから﹂
わたしには、少女に手を伸ばした。すると相手もまた、こちらに
向けて手を伸ばした。
足取りはとても重くて時間がかかったが、ついにわたし達の距離
は手が届く所まで近付いた。互いを求め合う二人の手が、指をから
ませあった。
また、変な夢をみた。合宿の時に見た夢の続きみたいだった。
﹁どうして、こんな夢を今日に限ってまた見るのかしら?﹂
今日は、始業式の日だった。夏休みは、昨日で終ったのだ。
夏休みの間、黙々と服を仕立てていたわたしに母さんは何も言わ
なかった。毎日の勉強は欠かしていないから、文句を言われる筋合
いもない。もしかしたら、わたしに突き飛ばされたショックが、ま
だ残っているのかもしれない。
出張から帰った父さんは、自分の家庭の変化に鈍かった。裁縫を
女の子らしい趣味だとしか認識していなかった。
一人っ子のわたしは、誰にも邪魔される事なくマヤの服の再現に
挑戦出来た。
まるまる一着分の服を自作するなんて、わたしは初めてだった。
最初のうちは、型紙を裏返しにしていたりといったささいなミスか
らまるまる最初からやり直しになったりして布も時間も沢山無駄に
してしまったが、途中からはなんとかコツが掴めた。
ブラウスでもこの調子なのだから、もしワンピースまで自作しよ
うとしていたら無駄になった布の量は桁違いに増えていただろう。
これだけは、本物を買えて良かったとわたしは思った。
結局、ブラウスとスカートが完成した時には、夏休みはとっくに
終っていた。しかし、流行の服を着るつもりじゃないわたしには、
そんな事はどうでも良かった。
26
*
﹁Hyvaa huomenta!﹂
始業式の日、マヤが教室に入って来るなり異国語の挨拶をしなが
らカバンを持っている方の手を振った。
﹁Hyvaa huomenta﹂
エフェメラさんも、手を振りながらマヤの挨拶に応えた。そう、
今のはエフェメラさんの祖国の挨拶なのだ。
エフェメラさんの故郷の話を聞きたかった生徒達は露骨に嫌な顔
をしたが、マヤは完全に無視してわたしのすぐ隣にまで寄ってきた。
いや、わたしもマヤに無視されているのだ。
マヤは何を言っているのかサッパリ判らない言葉を話していたが、
エフェメラさんだけはちゃんと受け応えていた。言うまでも無く、
これはエフェメラさんの母国語だ。どこの国の言葉なのかは知らな
いが、学園内でこれを話せる人は先生も含めてマヤだけだった。
異国語での会話が始まると、周りの生徒達は皆自分の席に戻って
しまった。
非常識な言動が目立つマヤには、友達らしい友達はいない。誰も
彼女と係わり合いになりたがらなく、エフェメラさんだけが母国語
で会話する時だけ付き合ってくれている。しかし、会話の中身は誰
も知らないので、友好的な話しをしているのかは謎だ。
だけど、それを言ったらわたしだって友達はいなかった。内気で
趣味も持っていないわたしは、なかなか話の輪に入れなくて、友達
が出来ないまま一学期が終ったのだ。
会話に参加出来ないのに自分の席から離れられないわたしは、ど
うすればいいのか判らなくて困ってしまった。
エフェメラさんだって、マヤと同じようにわたしより数段上の存
在だ。しかし、不思議とマヤのような羨望をわたしは持たなかった。
いや、考えてみれば一学期の頃はマヤに対しても特別な気持ちは無
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かった。マヤにあこがれたのは、合宿の出来事のせいだった。エフ
ェメラさんについては、校外で会った事が全く無いからそんな気持
ちにならないのだろう。
何も出来ずにただ二人を観察していると、マヤの耳たぶに赤い跡
がある事に気が付いた。そういえば、あのイヤリングはピアスじゃ
ないから、耳に挟まれた跡が出来るんだった。
わたしの体験からいって、あの赤さならさっきまでイヤリングを
つけていた事になる。もしかすると、夏休み最後の日から今朝まで
徹夜で遊んでいたのだろうか。
そんな事を考えていると、教室に担任の女教師の白樺ミツル先生
が入って来た。まだ二十代の先生は、手入れの行き届いた漆黒の長
髪と精悍な顔つきがカッコイイと評判で、女生徒たちの人気が高い。
﹁マヤも、席につきたまえ﹂
エフェメラさんがマヤと呼び捨てにした事にわたしは驚いたが、
マヤは普通にうんとだけ言って教壇の直前にある彼女の席についた。
﹁何、あれ?﹂
マヤの机の上に、何か大きい包みがいつの間にか置いてあった。
平たい板のようなので、キャンバスか何かかもしれない。カバンを
持っていた方の手を振って挨拶していたのだから、教室に入った時
から抱えていた筈なのに見覚えが無い。
最初は夏休みの自由課題か何かかもしれないと思ったが、全ての
宿題を提出した後にも机の上にあったので、そういう事でもなかっ
た。
マヤが変わり者だったのは、最初から判っていた。始業式で生徒
達が並んでいる光景を見ると、思い出す事がある。
それは、入学式の出来事だった。
入試も当然のように全科目満点だった彼女は、新入生の代表とし
て壇上に登っていた。
しかし彼女は、自分が代表だという自覚が全く無かった。そもそ
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も、入学式という事さえも理解していたかあやしい。
﹃あたしがこの学校に行きたいと思ったのは、この体育館の屋上が
形、色、方角の組み合わせが完璧だったからです。この学校に行き
たいと思ったあたしは、その道のりは大変なものでした。なぜなら、
最寄の駅のすぐ前に遊園地があり、開園時間が早かったら寄り道し
ていたでしょう。しかも、遊園地の隣にはでっかいオモチャ屋まで
あり、カードゲームが豊富に売られているのです﹄
ゼミのバスの時みたいに先生達に腕をつかまれて体育館から消え
たマヤは、式場に帰ってくる事はなくて集合写真の撮影にだけ参加
したが、校長先生と教頭先生に挟まれた位置に座っていた。
そんな事を思い出していると、いつの間にか校長先生の言葉が終
って教室に戻るところだった。
29
マヤになる! 6
全校集会と宿題の提出が終ると、もう今日は帰るだけだった。そ
の筈だったのだが、マヤの包みがどうも気になっていた。
先生が注意をしないという事は、私物ではなさそうだった。そう
いえば、ミツル先生が顧問をしていたのは美術部だった筈だ。
もしかしたら、美術部に関係あるのだろうか? しかし、マヤは
どこのクラブにも所属していない筈だ。
ホームルームが終わってすぐに、わたしは振り返ってエフェメラ
さんに尋ねた。彼女も美術部員なので、何か知っているかもしれな
い。
﹁ねえ、エフェメラさん。あそこの銀墨さんの包みって、キャンバ
スに似てるよね?﹂
エフェメラさんの返事を聞いたら、真相は簡単に判った。
﹁マヤなら、夏休み中に何度か部室に来ていた﹂
そう、マヤは美術部で絵を描いていたのだ。
﹁でも、彼女って美術部じゃないでしょ?﹂
その質問には、話せば長くなるからとエフェメラさんが言うので、
歩きながら話しを聞く事になった。
なんでもマヤは、夏休みの初日にいきなり部室にやってきたそう
だ。
*
この日は、モデル役のエフェメラさんを他の部員達が囲んで、デ
ッサンをしていた。美術部にはエフェメラさんを含めて五人しか部
員はいなかったので、結構モデルをやらされるらしい。モデルとい
っても高校生の部活なのでヌードになるわけはなく、エフェメラさ
30
んは制服姿のままだった。
一年生に至っては、エフェメラさん一人だけだった。いかに彼女
が人気者だとはいえ、部活まで同じにする程の熱心な追っかけがい
る訳ではなかったのだ。
確かに、この学校は教科にしても美術の扱いは良くなくて、授業
は教室で行われていて美術室だった部屋は物置となっていた。その
為、絵を画くのも旧校舎の三階の突き当たりにある部室だった。
そこへ、部室の扉をバンと勢い良く開けて、マヤが入ってきたの
だ。
﹁うんうん、やっぱりここね﹂
そう言ってマヤは、挨拶もしないで窓際まで部室を横切ったのだ。
勝手に窓を開けて外を見回し出したマヤを、ミツル先生は当然注意
した。
﹁銀墨さん、あなたは何しに来たの?﹂
﹁ここなら、体育館の屋上が見えるのよ﹂
振り返りながら、マヤは質問に答えた。ここでマヤは、ようやく
自分が居る場所に気が付いたようだった。
﹁あれ? みんな、絵を画いているの?﹂
﹁ここは美術部なんだから、当前でしょ。邪魔をしないで、さっさ
と出て行きなさい﹂
マヤも納得したみたいで、先生の言葉に頷いて部室を出て行った。
小さな騒ぎもこれで終わりだろうと誰もが思っていたが、二時間ほ
ど経ってマヤが再び部室の扉を開けた。
﹁みなさん、お待たせー!﹂
そう言って誰も待っていない部室に入ろうとすると、マヤの前に
先生が立ちはだかった。
﹁だから、絵を画く邪魔をするのはやめなさい﹂
﹁邪魔するわけ無いわよ。だって、あたしも絵を画くんだもん﹂
確かにマヤは、画材を持っていた。彼女は今まで、わざわざ買い
揃えていたのだ。
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これで文句は無いだろうとばかりに部室に入って来た彼女は、重
武装をしていた。水彩と油彩の絵の具に絵筆を両手に持ち、右の脇
にはスケッチブックを挟んでいた。しかも背中には、新品のキャン
バスとイーゼルまでおぶっていたのだ。
﹁あなたは、入部したいの?﹂
先生に尋ねられても、マヤはまともな返事をしなかった。
﹁あたしは、美術部ではなくてこの部屋に用があるの。ここは絵を
画く所だから、あたしも絵を画くの。判った?﹂
そんな理屈では、判るわけがない。しかし、絵を画く意思がある
のなら、いずれは入部してくれる可能性も考えられた。ただでさえ
部員が少ないのに、部員が増える機会を潰したくはなかった。
どうしようか迷っている先生に提案したのは、エフェメラさんだ
った。
﹁わざわざ画材まで揃えたのだから、体験入部みたいなものだと思
えばいいのでは?﹂
先生も折衷案を受け入れ、こうしてマヤは部員達と一緒に絵を画
く事を認めてもらった。他の部員達も、部員数の少なさは気にして
いたので渋々ながら了解した。
もっとも、マヤはいつも体育館が見える窓際に座っていたので、
モデルを見ないで外の景色ばかり画いていた。
何故かマヤは、画きかけの絵を部室に置いておかずに持って帰っ
ていた。机からはみ出る程の絵を持って帰るのは、大変だろうに。
それが、教室で見た包みの正体だったのだ。
*
これは、なんともマヤらしいエピソードだと思った。少なくとも、
体育館の屋上にこだわっている所は彼女でなければ起こり得ないだ
ろう。
マヤは、どうして体育館の屋上に固執するのだろう?
32
﹁そうだ、一度聞いてみるのもいいかもしれない﹂
全く接点の無いわたしとマヤだから、彼女に話し掛ける切っ掛け
に丁度いいと思った。
33
マヤになる! 7
気が付くとわたしは、三階の美術部室の前まで来ていた。
﹁あれ? どうしてここにきているの?﹂
﹁何を言ってるんだ。ここに行くつもりだった私にずっと付き合っ
て話しを聞いていたんだから、当然の結果だろう﹂
エフェメラさんは当たり前のように言っているが、新校舎の一階
にある教室からここに行くには途中で階段を上る必要がある。それ
でも今まで気付かなかった程に、わたしはマヤの話に夢中になって
聞いていたというのか?
既に上級生達が来ていたので、部室の鍵は開いていた。ドアをノ
ックしながら、エフェメラさんがわたしに尋ねてきた。
﹁八尾さんは、どうするんだ?﹂
﹁はい?﹂
一瞬何を言っているのか判らなかったが、どうやら部室に入るの
か聞いているらしい。マヤの包みについては大体事情が判ったので
用は無い筈だし、もう帰るべきだろうか。
﹁立ち止まってないで、さっさと入ってよ﹂
間違えようも無い声が、背後から聞こえて来た。
﹁あ、あれ⋮⋮﹂
振り返ると、そこには包みを抱えたマヤが立っていた。彼女も美
術部に用があるのだから当然なのだが、そうすると彼女に気付かず
にわたしはマヤの話をしていたのだろうか。
恥かしくなって立ち竦んでいたわたしは、エフェメラさんに腕を
掴まれた。
﹁八尾さんも、入るんだ﹂
﹁え? ちょっと待っ⋮⋮﹂
わたしの返事も聞かずに、エフェメラさんはドアを開けてわたし
34
を部室に引き入れた。マヤも、わたし達に続いて部室に入る。
スケッチを見せ合っていた美術部の先輩達は、わたし達を見て意
外そうな顔をした。
先輩達の中から部長と思われる人が、わたしの前に近付いて来た。
﹁美術部に何か用なの? もしかして入部希望者なのかしら?﹂
﹁え、ええと⋮⋮﹂
﹁今日の所は、体験入部だけです﹂
返答に困っていたわたしに代わり、エフェメラさんが答えてくれ
た。
﹁まあ、そうなの。よろしくね﹂
そう言って部長さんは、わたしの手を掴んで握手してきた。
良く見ると、四人の先輩たちのうち三人の胸には三年生を意味す
る緑色の校章が刺繍されていた。正規部員の中で青い刺繍の二年生
と小豆色の一年生は一人ずつなのだから、来年度に四人を切る可能
性は高そうだった。校内の規則に従えば、部費がゼロになって活動
停止という事になる。
部員を増やしたいから、マヤにも寛容だったり、わたしを積極的
に入部させたかったりするのだろうか。もしかして、わたしはエフ
ェメラさんにまんまと誘導されてた? そう考えると、やけに詳し
く事情を話してくれた事にも合点がいく。
マヤはというと、窓際でイーゼルを広げていた。絵の続きを画く
つもりなのだろうか。
﹁先生はまだ来てないけど、何か画いてみる?﹂
そう言って、部長は棚から新しいスケッチブックを取り出した。
﹁それなら、私の画材を使うといい。今日のモデル役は、ちょうど
私だからな﹂
そこまでされると、何か断りづらくなってしまう。今日はゼミも
ないので、午前中だけならいいかなとも思ってしまった。
﹁よし、出来た!﹂
マヤが、部室全体に響き渡る声をいきなり上げた。
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﹁まずは、一枚目の絵が完成したわよ﹂
そう言ってマヤがイーゼルに掛けた絵を見て、わたしは息を飲ん
だ。
﹁どうして、あの場所が?﹂
そう、キャンバスに描かれていたのは、あの祭壇だったのだ。
三年生の一人が、マヤに詰め寄った。
﹁それは一体、何の絵よ? あなたは今まで、窓から見ていた景色
を画いてたんじゃないの!?﹂
三年生に問い詰められても、マヤは平気な顔をしていた。
﹁窓から見ていた景色よ、勿論﹂
得意げな顔をしながら、マヤは次々と窓を開けた。そこから見え
たのは、信じられない物だった。
﹁ひいっ﹂
それを見て、わたしは腰を抜かしてしまった。
窓を開けた、ガラスのない側の景色は普通の外の風景だった。し
かし、ガラスのある側に映っていたのは暗闇に輝くサッカーボール
並みに大きい一つの目だった。
いや、良く見るとそこは暗闇ではなかった、黒い身体だったのだ。
目も一つだけというよりは、顔の横に目があるために片方しかこっ
ちには見えないだけにも見えた。何かに例えるなら、そこにいるの
はまるで宙に浮いたクジラのようだ。
しかも、マヤが窓を開けたから見えた筈なのに、その巨大生物は
ガラスの方に映っているという怪奇。この光景が、あの祭壇と何の
関係があるのだろうか?
﹁成る程、確かにおかしいな﹂
タブレットPCを、エフェメラさんが取り出していた。画面を地
面に垂直に持ち、裏面にあるカメラをマヤに向けていたのだ。そこ
には、何の異変も無い窓とマヤが写っていた。
わたしも、ケータイを取り出してマヤを撮影した。別にケータイ
ごしで見る景色を確認するだけでいいのに、わたしはマヤの笑顔を
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見た瞬間にシャッターを無意識に押していたのだ。
わたし達の顔を見回して、満足したような顔でマヤは窓を閉めた。
すると今まで映っていた大きな目は消えて、只の風景しか窓からは
見えなくなった。
校庭では、ラクロス部の掛け声が聞こえている。窓の外では何の
事件も起きていないのは、明らかだ。
﹁どう? これで判ったでしょ﹂
判るどころか、ますますわたしの頭は混乱してしまった。
﹁一体何なのよ? 只、窓を開け閉めしただけじゃないのよ﹂
マヤを問い詰めていた先輩の言葉に、わたしは驚いた。わたしや
エフェメラさんが見ていた景色を、先輩は見ていないのだ。このケ
ータイの画像のように、普通の窓にしか目に写らなかったという事
だろうか。
﹁いや、それでいいのよ。これ以上は聞かない方がいいわ﹂
部長が、先輩に問い質すのをやめさせた。もしかすると、部長に
もあれが見えていたのだろうか。
他の二人の先輩はどうなのかと思って見回すと、一人は首をかし
げているだけだが二年生の先輩の方は唖然としていた。
どうやら、この四人しかマヤの見せた景色を認識出来なかったよ
うだ。
﹁銀墨さん。これは一体、どういう事なの?﹂
声のした方を振り返ると、遅れて部室に来たミツル先生が、ドア
を開いた状態で首を傾げていた。やはり先生も、何があったのか判
らないようだった。
先生に尋ねられて、マヤはにこにこしながら答えた。
﹁別に、大した問題じゃないわ。ただ、ちょっと見方を変えただけ
よ。むしろ、あたししか今まで気付かなかったのに、今だけで五人
も認識したって事の方が興味深いわ﹂
五人? 一瞬マヤは数え間違いをしたのかと思ったが、よく考え
たらマヤ自身を数に入れるのをわたしが忘れていただけだった。
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そう言ってマヤは、キャンバスの上の隅に何かを書き足した。
﹃∀入∀W﹄
意味の判らない落書きをしたマヤは、いつの間に帰り支度を済ま
せていたのか、学生カバンを持ってスタスタと部室を出ようとした。
﹁また、絵を画きに来るからね﹂
そうだ、あの絵について聞かないと。わたしはマヤに、夢に出て
来た祭壇について尋ねようとした。
﹁あ、あの、銀墨さん﹂
まだドアの前に居た先生をよけて部室を出ようとしたマヤは、呼
び止めたわたしに振り返って笑顔を見せた。
﹁マヤでいいわよ、和美﹂
振り向きざまに名前を呼ばれて、わたしはドキリとしてしまった。
どうしてだか、わたしはマヤが華々しく見えたのだ。それどころか、
彼女が色とりどりの花に囲まれているかのように見える。入学して
から何ヶ月も同じ教室にいた彼女が、突然別人のように見えたのだ。
わたしにとってマヤに名前を呼ばれる事は、そんなに重大だった
のだろうか。自分の気持ちを落ち着かせようとしている間に、マヤ
は去ってしまった。
﹁マヤッ!﹂
今更呼んでも、マヤはもう戻ってこなかった。いや、呼ぶためで
はない。わたしは只﹃マヤ﹄と言ってみたかっただけなんだと思う。
今までは、心の中でしかマヤと呼んでいなかったのが、堂々と言え
るようになって開放的な気分になったのだろう。
エフェメラさんもマヤを呼び捨てにしていたという事は、同じ事
を言われたのだろう。だから、これはわたしだけが特別というんじ
ゃない。いや、それよりも大事な意味が含まれている。
わたしよりも先に、マヤにそう言われた人がいる! もう、この
順番は変えられない!
そんな事を思いながら、わたしはエフェメラさんの方を振り向い
た。
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﹁この落書き、もしかするとサインじゃないか?﹂
エフェメラさんが、キャンバスに顔を近づけていた。わたしもキ
ャンバスに近付いて、落書きを注視した。
﹁でもサインって、下の隅の方に書かない? マヤならセオリーを
無視する事もあるんだろうけど﹂
わたしの言葉を聞いて、エフェメラさんはいきなりキャンバスを
持ち上げた。
﹁だから、サインのある方が下の隅なんだ﹂
エフェメラさんが上下を逆にしたキャンバスをイーゼルに置くと、
わたしはビックリした。それは、祭壇の絵ではなかったのだ。
﹁これって、体育館?﹂
わたしは、窓から見える体育館とマヤの作品を見比べた。
色調こそ実際より暗くなっているが、それは全体図が入りきらな
い程にアップなっている体育館の絵だった。
この学校の体育館は、カマボコみたいな形をしている他校のと違
って屋根が平坦な直方体になっている。その屋根の部分が、ひっく
り返すと祭壇の舞台に見えるのだ。今の状態だと体育館の角として
出っ張って見える部分が、ひっくり返すと舞台の隅として引っ込ん
で見えた。屋根に大きく書かれていた﹃早宮﹄も、逆さにするとゴ
シック体のせいで何かの記号のように見えた。全ては目の錯覚なの
だ。
キャンバスの下の隅を見てみると、確かに﹃MAYA﹄と書いて
あった。謎の記号に見えたのも、単に逆さに書いただけだっのだ。
マヤの言う、ちょっと見方を変えただけという言葉の意味が、こ
れで判った。でも、あの窓に映ったクジラは、なんだったのだろう
? あれも錯覚だというの?
それを言ったら、振り向きざまのマヤの笑顔なんて、人間が光る
わけはないのに輝いて見えた。その上、マヤの周囲に赤やピンクの
花々が咲き誇っていたかのように見えた。そんな事は、絶対無いの
に。あれは、錯覚ではなく幻視というべきだろう。
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だからといってクジラが幻視だというなら、マヤに特別な感情を
抱いていない人にも見えている事実に説明がつかない。
エフェメラさんに、窓のクジラをどう思っているのか聞いてみた。
真っ先に、クジラがデジタルに写るか確認した彼女の判断力なら、
何かに気付いているかもしれない。
﹁エフェメラさん、窓に映っていたクジラって何なんでしょうか?﹂
わたしの問いかけに対するエフェメラさんの反応は、意外なもの
だった。
﹁あれがクジラに見えたのか? 私には、船のように思えたが﹂
船ですって? あんなに大きい目があったのに?
﹁二人とも、何言っているの? あれは大きいけど蝶だったわ﹂
二年生の先輩が、話に割り込んできた。しばし考え込んでいたエ
フェメラさんは、部長にも何が見えたのか尋ねてみた。
﹁あれは、馬こそなかったけど馬車だったわ﹂
やはり、部長の見た物も違っていた。それを聞いたエフェメラさ
んは、天井を見上げながら何か考え込んでいた。
﹁同じものが見る人によって違って見えるといった、トリックアー
トのたぐいではないな。これは、完全にオカルトじみている。やは
り、マヤでなければ判らないな﹂
聡明なエフェメラさんでも、最後はマヤに聞くしかないという当
たり前の結論になってしまった。
﹁マヤに聞くとしたら、やっぱりエフェメラさん? 二人は、母国
語で会話するほど親しいんだし。マヤって、一体どこで習ったのか
しら﹂
﹁いや、マヤは初めから話せると言ってた。習っていないのに、こ
の国の言葉を普通に使う時と変わらず頭の中から言葉が出てくるら
しい﹂
わたしにはビックリする程無茶苦茶な事を、エフェメラさんは当
然のように口にした。
﹁そんな事って、あるんですか?﹂
40
﹁これについては、本人が言っている事を信じるしかないだろう。
嘘をつく必要があるとは思えないし、信じていいだろう﹂
いつでも合理的な思考をするエフェメラさんなのに、そんな理由
であっさり信じられるものなんだろうか? どうやらエフェメラさ
んも、マヤには他の人達とは違う何かを感じているようだ。
41
マヤになる! 8
マヤに怪奇現象を見せられたせいで、本格的な美術部の活動は午
後からになってしまった。マヤに詰め寄っていた三年生も、マヤが
体育館の絵をちゃんと画いていたと知ってからは特に文句は言わな
かった。
途中から部室に入ったので、マヤが何をしでかしたのか判ってい
ない先生には、部長が手品みたいな物だと言って誤魔化していた。
先生が来たので、遅ればせながら自己紹介をする事になった。
﹁一年A組の八尾和美です。今日は体験入部に来ました。よろしく
お願いします﹂
部長は平岩奈緒美と名乗った。長い髪をツーテールにしていて、
赤いゴム紐らしきもので止めていた。前髪がやけに長くて、どんな
目をしているのかよく判らなかった。
二人の三年生はともに副部長で朝島耀子と玉川明子いう名前だっ
た。二人とも短髪だが、朝島先輩はボサボサした七三分けで玉川先
輩は前髪が富士山みたいに綺麗に流れていた。
唯一の二年生は颯爽貴笑という。雪のように白い長髪と肌をして
いて、赤い瞳が神秘的な印象を与えていた。目立つ外見だから今ま
でも見覚えが無いわけでもないが、こうして直接会うのは初めてだ
った。
来年は唯一の三年生だから、部員を集める責任が一番重いのは彼
女という事になる。
お昼の準備をしていないわたしはもう帰ろうかと思ったが、エフ
ェメラさんがサンドイッチを半分分けてくれたので、お言葉に甘え
て母さんに連絡してから部室にとどまった。
一応わたしは先輩達と一緒にエフェメラさんの坐像をスケッチし
ていたが、中の上程度の美術の成績のまんまのデッサンになった。
42
正式な部員になるつもりはないが、マヤが絵を画く所はまた見た
かった。マヤみたいに部員でもないのに堂々と居座って絵を画く神
経は無いので、もうしばらく様子見してみたいと部長に頼んで、体
験入部を延長して貰った。
﹁ただいまー﹂
わたしが玄関に入ると、既に晩御飯の準備は出来ていた。着替え
もせずに制服のままさっさと夕食を済ますと、わたしは二階に駆け
上がった。勿論、マヤのコスプレを今すぐにでもしたくて、気がは
やっていたのだ。
部屋に入るなり、わたしはカバンの中のものをぶちまけた。カバ
ンの底から、あのイヤリングが入った小箱が転がり落ちた。拾い上
げた小箱を机に置くと、今度は制服を引き剥がすような勢いで脱ぎ
始める。
制服を脱ぎ捨ててタンスを開こうとしたその時、制服のポケット
から落ちたケータイが床に落ちたショックで開いた。
﹁あっ﹂
あんなに急いでいたわたしが、落ちたケータイを見て動きを止め
た。ケータイの画面には、マヤのバストアップが写っていた。あの
時撮影したままになっていたのだ。
ケータイを拾い上げると、わたしは画面を間違えてけさないよう
に慎重に保存した。それからどうしようか少し迷ったが、マヤの写
真を待ち受けに設定した。
正面からマヤの姿を堂々と﹃盗み撮り﹄する。そんな矛盾した事
が両立できたのは、エフェメラさんの御蔭だ。この事だけは、わた
しは彼女に感謝している。
マヤの笑顔を見て満足したわたしは、ケータイを閉じて着替えを
続けた。
昨晩遅くにコスプレ衣装を仕立て終えたわたしは、じっくりとコ
スプレを楽しむ為にすぐに着るのを我慢していた。今日は、マヤに
43
ついてもっと良く知る機会があったから帰るのが遅くなってしまっ
た。
タンスに一晩眠っていた手作りのブラウスを取り出すと、下着姿
のわたしはそれをすぐに着ないで鏡の前で自分の胸に押し付けた。
﹁はあぁ﹂
マヤの服がついにわたしの物になった。それも、わたし自身の手
造りで。その喜びを実感して、わたしは熱気でのぼせたような溜息
をあげた。
ブラウスを羽織ると袖を腕を通して、袖口のボタンをはめた。わ
ざわざ自分のサイズを測って型紙からあつらえた服は、すべるよう
にわたしの両腕を受け入れた。
続いて、本物と同じデザインのブラウスのボタンに手を掛ける。
ファッション誌に全身像と一緒に胸元のアップが載っていたのは、
幸運だった。近所の手芸店を何件かハシゴし
て、それでも見つからずに古着屋まで回って同じボタンを使ってい
る服を見つけたわたしは、ボタンだけの為に一着買ったのだ。
ブラウスを着たんだから、勿論スカートもはく。一見するとブラ
ウスよりも仕立てるのが楽に見えるが、一作目はウエストと裾が平
行な輪にならなかった。これも型紙から計算して作ったのにだ。フ
ァスナーをつけた分のたわみのせいだとすぐに判ったが、わたしは
そこだけ直さずに全部作り直した。
靴と靴下だけは、アウトレットでも入手出来た。靴は、玄関にし
まってある。
タンスの小さい引き出しから取り出した、自分で白いリボンを染
めて作った朱色のリボンを首に巻くと、高揚感が増してきた。つい
に、あれをつける時が来たのだ。
思えば、これを拾ったのが全ての始まりだった。いや、廃棄物で
も本当は勝手に持ち帰ってはいけないから、これは立派な盗品だ。
そこの所は正直に認めよう。
机の上の青い小箱からイヤリングを取り出すと、わたしは鏡を見
44
ながら右の耳たぶに金具を挟んだ。あの、デパートのトイレでのマ
ヤの仕草が、わたしの脳裏で再現された。コスプレといのは服装だ
け真似るのではなく、動作も含まれるのだとつくづく思う。
最後に、白い厚紙の箱から帽子を取り出して被ると、ついにマヤ
のコスプレは完成した。
﹁ふふ、ふふふふ﹂
自然と、わたしの口から笑みがこぼれた。タンスの鏡を前にして、
フィギュアスケートのようにわたしはクルクル回った。
﹁あはははは﹂
微笑から笑顔へと変わったわたしは、帽子を手で押さえながらベ
ッドに倒れこんだ。
﹁はははっはっは﹂
ベッドの上で笑いながら、わたしは全身を激しく波打たせた。こ
の喜びは、体全体を使っても表現しきれない。
跳ね上がるように立ち上がると、何度もわたしは鏡の前で自分の
コスプレを確認した。
﹁わたしは、ついにマヤになったのね﹂
ケータイを取り出して待ち受けを見ると、画面の中のマヤも笑っ
ていた。
ベッドの上に座ると、わたしは肩をすくめて自分で自分を抱きし
めた。そのまま上半身を寝かせると、全身が小刻みに震えた。帽子
がどこかに飛んでしまった事にも気付かない程、わたしの意識は腕
に掴まれた二の腕に集中していた。
﹁ああ、もっと。もっと抱きしめてよ﹂
ケータイを開いて、わたしはマヤに話しかけた。
﹁マヤッ! マヤッ! マヤッ!﹂
そのままゴロゴロと転がったわたしは、ベッドから転落してしま
った。床に頭をしたたかぶつけたが、満足感が上回って痛みなんて
気にしてなかった。
﹁はあふ、はあはあ﹂
45
床に仰向けになったまま白い天井を見上げながら、わたしは荒く
なった息を整えた。
ベッドに手をついて立ち上がると、戸が開いたままのタンスに掛
けられたワンピースが目に入った。
そうだ、今夜はこのワンピースを着て寝よう。それが、わたしの
コスプレ記念日にふさわしい締めくくり方だ。
46
マヤになる! 9
一夜明けて、今日からは通常授業が始まる。
教室に入ると、マヤは既に来ていた。昨日のように、大きな包み
を持って。昨日の絵は美術部に置きっぱなしの筈だから、もう二枚
目のキャンバスを持って来たのだろう。
そうすると、マヤは今日も美術部に来るという事だ。わたしも、
美術部に顔を出してみよう。
﹁Hyvaa huomenta!﹂
﹁Hyvaa huomenta!﹂
昨日のようにマヤと挨拶を交わしたエフェメラさんが、また母国
語で何か話しかけている。マヤがキャンバスをエフェメラさんの席
の後ろに立て掛けたので、どうやら後ろの人の邪魔になるとか注意
していたのだろう。
そうすると、昨日の二人の会話も美術部についての話をしていた
だけに思えてきた。二人が共有している秘密を他人に知られたくな
いとかいった理由でなく、マヤが自分と同じ言葉を話せるのが楽し
いから使っているだけなのだろう。
それでも、わたしは二人の会話に入れない事が歯がゆかった。
昼休みになり、わたしは母さんが手作りした弁当をカバンから取
り出した。カバンの奥には、今もイヤリングが隠してある。わたし
にとっては、もうこれはお守りみたいな意味も兼ねていた。何を願
っているというわけでもないが。
エフェメラさんのお昼は、昨日と同じ手作りのサンドイッチだっ
た。実は一学期の間もいつもそれだった。何の特徴も無いポリ製の
容器に入れているのが、美術部員の愛用品とは思えない。
人気者のエフェメラさんは、お昼を一緒にいただきたいクラスメ
47
ート達に誘われるが、今日は先約があると言って断っていた。その
女生徒達の中で滝畑小春さんが一番ガッカリしているように見えた
のは、一年で生唯一のラクロス部のレギュラーになる位体格が大き
いからだろうか。
エフェメラさんに断られた滝畑さんは、わたし達と同じ列の一番
前にある自分の席に戻って行った。
﹁八尾さん、私達も行くぞ﹂
席を立ったエフェメラさんが、私の手を引いて立ち上がらせた。
﹁え? 行くって?﹂
一瞬何の事だか判らなかったが、青いビニール袋を手にしたマヤ
が教室から出て行くのが見えた。どうやら、昨日のことをマヤに聞
くつもりのようだ。
﹁あ、あの、ちょっと待って﹂
わたしは手に弁当を持ったまま、イヤリングの入ったカバンを慌
てて抱え込んだ。今日は教室を出る授業が無いので、小箱をロッカ
ーに隠したりとかしていなかったのだ。
元々目立つ存在のエフェメラさんの背後でこの格好は、恥かしい
位目立った。それでもマヤに関係がある事なので、わたしはエフェ
メラさんに付き合った。
そう言えば、わたしはマヤを昼休み中に見かけた事は無かった。
どこか一人になれる場所を学校内で見付けたのだろうか。
わたし達に尾行されているのを気付いてないのか、マヤは旧校舎
の裏に回った。あそこにあるのはゴミ捨て場なのに、マヤはそこで
昼食を取るつもりなのだろうか。
マヤに続いてゴミ捨て場に回ったわたしは、唖然とした。マヤの
行動は、完全にわたしの予想の斜め上を行っていたのだ。
今では使われなくなった筈のゴミ捨て場の焼却炉から、白い煙が
出ていた。そして、焼却炉の中からマヤは火箸でアルミホイルにく
るまれた何かを取り出したのだ。どうやら、焼却炉をオーブン代わ
りにしていたようだ。
48
廃棄された机の上にランチョンマットを広げたマヤは、ビニール
袋から取り出した弁当箱とアルミホイルの包みを並べて置いた。
﹁その弁当は、中々手が込んでいるな。マヤの手作りか?﹂
唖然としているわたしをよそに、エフェメラさんがマヤに話しか
けた。
﹁ええそうよ。もしかして、一緒に食べたかったの?﹂
こんな場所で声を掛けられたのを、マヤは少しも以外に思ってい
なかった。それどころか彼女は、尾行されていた事に気付いていた
のに全然怒っていなかった。
もしかして、デパートでマヤを尾けていた事にも気付いているの
? そうだとしたら、マヤはわたしをどう思っているのだろう? マヤに聞きたくても、尾行に気付いていないなら聞かない方がいい
ので、迷ってしまう。
﹁ほら、どうすんの?﹂
マヤと目が合ったわたしは一瞬だけ迷ったが、首だけは自分でも
判らないうちに縦に振っていた。まるで、頭よりも先に体が正直に
反応したみたいだ。わたしは、意を決した。
﹁は、はい! 一緒にお昼を食べましょう!!﹂
つい大声になってしまったわたしを、マヤはニコニコしながら手
招きした。
﹁こんなメンテナンスされていない焼却炉を使って、火事になって
も知らないぞ﹂
﹁大丈夫よ。火は使っていないから﹂
エフェメラさんの注意されても、マヤは明らかに無茶な事を言い
張っている。
﹁成る程。あれは煙ではなくてスチームか﹂
それなのにエフェメラさんまで、奇妙な事を言って椅子の準備を
始めた。たとえ蒸気でも、火を起こす必要はあるでしょううに。ど
うしようかと思ったけど、わたしだけ何もしないのも気が引けるの
で、マヤと並べるための机の準備をした。
49
ゴミ捨て場といっても、ここにあるのは粗大ゴミばかりだった。
生ゴミは、むしろ清掃車が回収出来るように入り口近くの駐車場の
そばに集められていた。だから、食事の邪魔になるような臭いは、
別になかった。
三人だけの昼食は、互いにオカズを交換しあったりして結構楽し
かった。足の曲がった椅子だけは、不安定で気を抜けないのがつら
かったけど。
マヤが焼却炉で作っていたのは、若鶏とハーブのアルミホイル蒸
しだった。でも、弁当箱のおかずは何故かエビ天だった。どうやら、
全部マヤの手作りらしい。
ハムサンドとレタスサラダとはいえ、エフェメラさんも自分の手
作りだったし。
マヤは、わたしのオカズの焼き魚を美味しいといってくれたが、
母さんが作ってくれた弁当なので複雑な気分だ。わたしも、弁当を
自分で用意したいと母さんに相談しよう。
そろそろ昼休みも終ろうという頃になって、やっとエフェメラさ
んが本題を切り出した。
﹁昨日の部室の窓ガラスに映った、あれは一体何なのだ?﹂
﹁あれは、宇宙人の仕業よ﹂
何故かマヤが最初から用意していた、三個一パックのプリンを配
りながら簡単に答えた。
﹁う、宇宙人?﹂
﹁宇宙人﹂
わたしのオウム返しを、マヤは更にそっくり返した。
確かにあれは、まともな現象ではなかった。だからといって宇宙
人というのはにわかには信じがたい。いや、ガラスに映ったものは、
見る人によって違う景色になるはずだった。マヤには、宇宙人に見
えたのかもしれない。
﹁あ、あのね、ガラスに映ったものがわたしにはクジラに見えて、
エフェメラさんは船が見えたっていうの。マヤには何が見えたの?
50
宇宙人なの?﹂
わたしの質問に、マヤは首を振った。
﹁和美達は、まだ一度しか見ていないから判らないのね。あれは多
分、宇宙人達の本かDVDといった記憶媒体の情報が漏れているの
よ。だから、見えたページ数が違えば同じ本でも違う挿絵が見える
のは当たり前でしょ﹂
人によって違うのが見えた理由については、マヤの言い分も少し
は理にかなっているように思えた。単に検証する手段がないから、
何とも言えないだけに過ぎないけど。
でも、宇宙人というのは、どうなんだろう? いや、マヤはUF
Oを見ているんだった。合宿での出来事を、わたしは思い出した。
UFOを見た事があるのなら、宇宙人だって見ていてもおかしく
ない。
﹁それじゃあ、マヤは見た事があるのよね。その、宇宙人を﹂
あのキャンプファイアーに憧れながら飛び込むことの出来なかっ
た自分を思い出すと、どうしてもUFOについてまで聞く事がため
らわれた。
わたしの質問に、マヤは昨日の時のような眩しい笑顔で答えた。
﹁ええ、勿論よ﹂
やっぱりマヤは、UFOだけでなく宇宙人も見ていたのか。マヤ
は宇宙人がいると思っているから、目に見えた怪奇現象は全部宇宙
人だと思えてしまうのだ。
エフェメラさんも、マヤから聞き出すのはやめたらしく、次の質
問に移った。
﹁それなら、どうしてあれが見える人と見えないひとがいるんだ?﹂
その質問に対するマヤの答えは、さらに驚くべきものだった。
﹁れが見える人には、共通点があるのよ﹂
﹁共通点? それは一体何なのだ?﹂
﹁あれが見える人達はね、みんな南の海に沈んだエピクリマ大陸の
人間の生まれ変わりなのよ﹂
51
﹁はあ?﹂
マヤの突飛過ぎる発想に、わたしは困惑した。それでも、エフェ
メラさんはまだ冷静さを保って最後の質問をした。
﹁どうして、そうだと判るのだ?﹂
エフェメラさんが尋ねると、マヤは一冊の雑誌を取り出した。
﹁これを読めば判るわ﹂
その雑誌の表紙には﹃FRマガジン﹄と赤字で大きく書かれてい
た。その雑誌は、わたしも名前だけは知っていた。
正式には﹃フューチャーレボリューションマガジン﹄というその
雑誌は、宇宙人や幽霊を扱う、オカルト雑誌だったのだ。
﹁デザートを急いで食べよう。そうしないと、五時間目に間に合わ
なくなる﹂
質問できる事は全部質問したエフェメラさんは、もう気持ちを切
り替えていた。マヤも、一瞬前までの事を忘れたかのように、プリ
ンを空の弁当箱に落としている。わたしも、二人に習ってプリンを
手に取った。
教室に戻ると、そこは事件の現場だった。
マヤの持って来たキャンバスが、破られていたのだ。
﹁なんて、酷い⋮⋮﹂
確かにマヤはクラスになじんでいなかったが、こんな事をされる
程嫌われている訳ではなかったはずだ。
昼休みの間も、教室は完全な無人にはならない。昼食や世間話と
かで、十人前後は必ずいた筈だ。エフェメラさんも、目撃者がいな
いかクラスメートに尋ねて回っている。
むしろ冷静だったのは、マヤの方だった。
﹁全く、どうしてこんな事が出来るのかしら﹂
マヤは、そう言ってキャンバスの穴を覗き込んだ。
﹁このキャンバス、裏側から穴を空けられてるわ﹂
確かに、マヤの言う通りだった。キャンバスの穴の縁のギザギザ
52
は、全部こっちに向かってそっていた。わざわざ裏返してからキャ
ンバスを突き破り、また元通りに戻すような面倒な事を犯人がする
とは思えなかった。
聞き込みを終えたエフェメラさんが、マヤに頭を下げた。
﹁誰も、犯人を見ていないそうだ。放課後まで私が預かると言った
のに、すまない﹂
﹁エフェメラのせいじゃないわよ。それに、何も画いてないキャン
バスで良かったし﹂
それを聞いて、わたしはある事に気が付いた。
﹁そうか、そういう事よ﹂
﹁ん、どうしたの? 和美?﹂
﹁もしかすると、間違えたんじゃないの?﹂
間違えたと聞いて、マヤにも判ったみたいだ。
﹁つまり、あたしの絵が部室にあると知らないで、こっちの新品を
破ったって事?﹂
わたし達の推理を聞いて、エフェメラさんも納得したように頷い
た。
﹁なるほど。画きかけの絵を破った方が、精神的ダメージがより大
きいからな﹂
エフェメラさんも、わたし達と同じ結論に達したみたいだ。する
と、今度は部室の絵が危ない。
騒ぎを聞きつけたのか、数学の教科担任と一緒にミツル先生も教
室に駆けつけた。
﹁ああっ。なんて酷い事をするの﹂
ミツル先生は、珍しく血相を変えてマヤに駆け寄って抱き締めた。
ここまで過剰な反応をするとは、周囲の生徒達も驚いている。
﹁銀墨さん、大丈夫? 悩み事があったら、いつでも先生に相談し
なさいね﹂
﹁落ち着いて下さい、先生。あたしは大丈夫だから、安心して下さ
い﹂
53
むしろマヤの方が、落ち着いて先生をなだめていたのがおかしい。
﹁今度キャンバスを持って来る時は、先生にあずけるのよ﹂
そう先生が言うので、大事な事を思い出した。
﹁先生、きっと犯人は美術部にあるマヤの絵も狙うんじゃないかと
思うんです。部室も確かめてくれませんか?﹂
わたしに頼まれて、先生はこっを振り向いて頷いた。
﹁ええ、そうね。それなら、いい方法があるわ﹂
先生はマヤに向き直すと、両手を取って握った。
﹁実は、部員達が夏休みに画いた絵を絵画展に出品する事になって
いるの。銀墨さんの絵も、一緒に出品するといいわ﹂
確かに、展覧会の会場なら警備も厳重だろう。具体的な対策を立
てるまでの時間は、充分に稼げる。マヤも先生の提案に反対しなか
ったので、ミツル先生はすぐに絵を見てくると言って教室を去って
行った。
残った数学の先生が生徒達を席に座らせて、ようやく授業が始ま
った。
54
マヤになる! 10
放課後になり、マヤは新しいキャンバスを調達するからと言って、
さっさと帰ろうとした。それを引き止めたのは、エフェメラさんだ
った。
﹁大事な話なんだ、掃除が終ったら付き合ってくれないか﹂
同じ列に席があるわたしとエフェメラさんは、今日は掃除当番だ
った。掃除か終って他の当番達が帰った後に、わたし達はエフェメ
ラさんの席に集まった。
キャンバスの件については、わたしは当事者ではなかったけど、
エフェメラさんの前の席なので自然と会話の中に加わっていた。そ
れに母国語で会話していないという事は、わたしにも聞いて欲しい
という意味があるように感じられた。
わたし達の前でエフェメラさんは、タブレットPCを机の上に置
いた。
﹁実は昼休みの間、これが机の中にしまってあったんだが、私の操
作ミスで偶然に動画の撮影モードになっていたんだ﹂
﹁ええっ? それじゃあもしかして、映っているの? その、犯人
が?﹂
﹁その通りだ、八尾さん。それを今から確かめるんだ﹂
タブレットPCを三人で覗き込んだ時、わたしは理由が判らない
違和感を覚えたが、親身になってくれているエフェメラさんを疑う
気がまったくならずに、すぐにその感じは忘れた。
わたし達は、再生された動画を目を皿のようにして凝視した。す
ると、そこに映っていたのは信じられない決定的瞬間だった。
壁に立て掛けてあったキャンバスが裏側から突き破られて、黒い
腕が穴から出ていたのだ。見せてくれたのがエフェメラさんでなけ
れば、CGか何かだと思っただろう。
55
﹁これで判ったわ。犯人は宇宙人よ!﹂
マヤの反応は、予想通りだった。しかし、人間業でないのは確か
なので、完全に否定する事も出来ない。
﹁でも、どうしてマヤの絵を宇宙人が破るの? 宇宙人に恨まれる
ことなんてしたの?﹂
わたしが尋ねると、マヤはニコニコしながら答えた。
﹁勿論あるわよ。エピクリマ大陸は宇宙人の侵略から世界を守って
たんだから﹂
エピクリマ大陸と聞いて、わたしには思い当たる節があった。勿
論、あの夢の中の祭壇だ。もしかして、マヤもあの夢を見ているの
だろうか?
ここはやはり、マヤに聞くべきだろう。しかし、夢については質
問すべきか迷った。夢と絵がたまたま似ているだけで、関連が無い
可能性もある。もし無関係だったら、マヤにまで変な人と思われて
しまう。
﹁それじゃあ、マヤの絵に描かれている祭壇がエピクリマ大陸にあ
るの?﹂
わたしに尋ねられて、マヤは雑誌を広げた。勿論、昼休みに見せ
た﹃FRマガジン﹄だ。今月号かと思ったが、よく見ると去年の今
頃の号だった。
﹁ほら、これを見て﹂
巻頭特集は、幻の大陸エピクリマの歴史についてだった。
その大陸は、高度な文明と住民達の超能力によって反映していた。
その豊かな大地を狙って宇宙人が幾度も侵略しようとしたが、超能
力や大型ロボットにアンドロイドやレーザーといった様々な手段を
用いて、全て退けてきた。しかし、大陸は天変地異によって一夜に
して海に沈んでしまったのだった。
それから、エピクリマ大陸の社会や宗教についても断片的な説明
がページの隅にあった。進んだ科学を持っている一方で、古代から
続く宗教も広く崇拝されていたらしい。特に人々の尊敬を集めてい
56
たのが、双子の巫女だという。
祭壇の想像図は、マヤの絵にもわたしの夢にもあまり似ていなか
った。巫女の姿も、幾何学模様のローブでなくて、えらい露出度の
高いベリーダンサーみたいな格好をしていた。
しかし、床にある記号だけは、見覚えがあった。あの体育館の屋
根にゴシック体で書かれた﹃早宮﹄を上下逆にしたような記号だっ
たのだ。
早の逆さまは、天上から滝のように水が泉に落ちて大地を潤して
いる記号で、宮の逆さまは、皿のような形の燭台の上の炎から一筋
の煙が上って天に達している様子らしい。つまり天と地、火と水の
四つを二つずつに分けて記号化している事になる。
記号が角ばっているのは、粘土板にナイフで線を引いて文字にし
た名残りとの事だ。
もっともらしい事が書いてあっても、結局はライターの想像が殆
どの記事なので、あまり信用する気にはならなかった。しかし、マ
ヤは信じてしまったらしい。
﹁そう、あたしこそが祭壇の双子の巫女の片方の生まれ変わりなの
!﹂
何かの本を読んで、そのヒロインに自分を重ね合わせる読者は珍
しくは無い。ましてや、それが一国のアイドルともなれば、自分こ
そがその生まれ変わりだと信じる人は全国にいるだろう。
ただ、わたしにとってはこれは夢の話をするチャンスだ。
﹁あの、それじゃあマヤは巫女の夢をみたりするの?﹂
﹁ン? 夢? そうね、祭壇の上で並んでお祈りする姿は夢に見る
事はあるわね﹂
そうか、やっぱりあるのか。
﹁実は、わたしも夢を見たのよ。祭壇の上の巫女の夢を。それもつ
い昨日﹂
わたしの話しを聞いて、エフェメラさんは一瞬だけこちらをこち
らを横目で見たが、すぐにタブレットPCに視線を戻した。
57
﹁八尾さんの言う事は、信じてもいい。彼女は、嘘はつかないから
な﹂
エフェメラさんは、変に思うどころかわたしの手助けまでしてく
れた。
その話しを聞いて、嬉しそうに微笑んだ。
﹁そうか、やっぱり貴方もエピクリマの人間だったのね。そういえ
ばへ、夢に出ていた双子の巫女はメガネをかけていないけどあたし
とあなたにそっくりだったわね﹂
そう言って、マヤは踊るような陽気な足取りで教室から出て行っ
た。もしかしたら、双子の巫女の神楽舞のつもりなのかもしれない。
気が付けば、教室にはわたしとエフェメラさんしかいなかった。
﹁不思議な物だ﹂
﹁そうですね、エフェメラさん。二学期になってから、本当に不思
議な事件が続いて﹂
﹁いや、その事を言ってるんじゃない。君とはすぐ後ろの席なのに、
この二日間だけで一学期中よりも沢山話している﹂
そう言えば、そうだ。一学期の間は、挨拶程度しかエフェメラさ
んとは言葉を交わしていない。
﹁マヤに関わってからの僅かな間に色々あったが、一番大きかった
のは私達二人の距離だな。八尾さんは、どう思う?﹂
どう思うって言われても、その事にわたしは今教えられたばかり
だ。何を言うべきか迷っていたわたしの脳裏に、昨日のマヤの言葉
が浮かんだ。
﹁それじゃあ、今度からは和美って呼んでくれませんか?﹂
エフェメラさんは一瞬キョトンとした顔になったが、すぐに笑顔
になった。
﹁和美⋮さんか。うん、いい感じだ﹂
エフェメラさんの場合は、入学初日の挨拶からファーストネーム
で呼んで欲しいと言っていたから、クラスメートはみんな苗字では
呼ばない。
58
﹁私は美術部に行くが、和美さんはどうする?﹂
マヤが来ないなら、わたしも部室に行く意味が無いと思ったけど、
元々美術部との接点が少ないわたしは、この細い繋がりを維持する
必要があった。
﹁マヤの絵が無事か気になるし、部室には行くわ。でも、今日はゼ
ミがあるから少し顔を出すだけだからね﹂
そう言ってわたしは、エフェメラさんと部室に行った。
部長は、先生とマヤの絵について相談していた。さっきまで絵は
職員室に置いてあったが、毎日置いておくには大きすぎた。最終的
には、対策として木製の画板に前後を挟まれた状態でロッカーにし
まい、絵画展に出すまではロッカーに鍵をかける事に決まった。
美術部には金庫なんて勿論ないし、これが考えられる最善である
事はわたしにも判る。
マヤの絵を先輩達も守るつもりなので、わたしも一安心した。昨
日に引き続いて、わたしはエフェメラさんの姿を一時間ほどスケッ
チブックに描いた。
颯爽先輩の姿が見えなかったが、どうやら登校していないらしい。
風邪か何かだろうか。
59
マヤになる! 11
結局、今日は新しい事件が起きて謎が増えた事と、マヤが宇宙人
や古代文明の大陸を信じている事が判っただけだった。
わたしにとっては、あの夢が本当にエピクリマ大陸の祭壇なのか
が気になった。しかし、怪しい内容の雑誌やその記事を鵜呑みにす
るマヤの証言だけでは、本当だと裏付ける事は出来なかった。
部室のマヤの絵は、無事だった。明日から展覧会の受付は始まる
そうなので、先生は出品の準備を急いでいた。
ゼミを終えて夜更けの町を歩いていると、知っている人に出会っ
た。いや、一方的にわたしが目撃しているだけか。
わたしが見たのは、マヤの後ろ姿だった。
﹁また新しい服を着ている⋮⋮﹂
マヤのコスプレをしているわたしの心に、火がついた。でも、残
念な事にマヤがキャンバスらしき包みを持っているせいで、大半が
隠れて見えなくなっていた。マヤのキャンバスを破った犯人を今ほ
どうらめしく思ったことは無い。
どうにかしてマヤの前に回らないと、服の確認が出来ない。
マヤは、もしかするとわたしの尾行に気が付いているかもしれな
い。しかし、今日のマヤの服は、今確認しないと次も同じ姿とは限
らない。二つの不安が、わたしの心の中で葛藤していた。
早く前方へ回ってマヤを見たい。そうは思っても、マヤには気付
かれないようにする必要があるから簡単にはいかない。
どうすればそんな事が出来るのか考えていると、幸運にも鏡のよ
うになっている喫茶店のガラス戸の前をマヤが横切った。
﹁今よ!﹂
わたしは、急いで駆け寄ってガラス戸に向けて目を凝らした。す
ると、幸運にもマヤの前でとが開いて、わたしの位置からだととて
60
も見やすい角度になってくれた。
この時マヤが着ていたのは、青いタータンチェックのワンピース
で七分袖だった。ミニスカートからは、緑のレギンスが顔を出して
いる。
マヤの服装を靴まで忘れずに必死で暗記したわたしは、忘れない
うちにカバンからノートを出して慌てて要点をメモした。
これで、コスプレのレパートリーがまた増える。期待に胸を膨ら
ませながら、わたしは布地を手に入れるために手芸店へと向かった。
タータンチェックは、バリエーションが多すぎて全く同じ模様は
入手が難しい。しかも、その服のためだけに織られた布地なら、入
手は不可能だといえた。
それでも、わたしが満足できるだけの布地は、手に入った。マヤ
の服と比べても、すぐには見分けが付かないぐらいによく似ている。
もっとも、すぐには裁断はしない。失敗しないように、今回もま
ずは型紙を作る所から始めよう。
明日は、早朝から弁当を自作するつもりだから、早く寝なければ
いけない。前のデーターがあるので、自分自身のサイズを計る必要
が今回は無いとはいえ、今日中に完成させるのは無理だった。
コスプレ衣装に夢中になっている間、わたしは美術部の事やエピ
クリマ大陸の事なんてすっかり頭の中から追い出していた。
*
そこは、いつもの祭壇⋮⋮ではなかった。見た目こそ祭壇なのだ
が、祭壇の外は広間ではなく女子高の敷地だった。
﹁まさか、この祭壇のある場所って、体育館!?﹂
体育館の屋上が、祭壇になっていたのだ。校舎を見上げると、美
術部の窓が見える。その窓からは、クジラがわたしを見下ろしてい
た。
61
﹁ええっ?﹂
ビックリして尻餅をついたわたしの前に、前かがみになって手を
伸ばす人がいた。
﹁マヤ?﹂
今日のマヤは、今までの夢のマヤと同じローブを着ていたが、髪
の毛は長髪で本物のマヤのように眼鏡をかけていた。
自分の顔をさわると、やっぱりわたしも眼鏡をかけていた。
わたしがマヤの手を掴むと、マヤはにっこりと笑った。
﹁つかまえたっ!﹂
突然、マヤの姿が消えてわたしは空に向かって勢い良く引き上げ
られた。わたしの手を掴んでいたのは、マヤのキャンバスを破った
黒い手だった。
黒い手に掴まれてどこまでも上昇し続けるわたしは、必死で手を
振り解こうとした。そんな事をしたらどうなるかを考えずに。
黒い手をふりほどいたわたしは、まっ逆さまに体育館へと落ちて
いった。
﹁キャアアアアッ!﹂
夢だというのに、わたしには空を飛べるような都合のいい事が起
きなかった。
夢から覚めた時、わたしはベッドから転落していた。
﹁な、何だったのよ?﹂
ベッドに這い上がった体は、ビッショリと汗まみれになっていた。
﹁今の夢は⋮⋮。ただの夢ね﹂
恐らく、ここ数日の出来事が原因でわたしの脳が見た、本来の意
味での夢なのだろう。
だから、今朝の夢には意味は無い。
時計を見ると、そろそろ目覚ましが鳴る時間だった。
﹁そうだ、お弁当﹂
今日からは、自分でお弁当を用意する事になってたんだ。わたし
62
は、制服に着替えて家庭科で使っているエプロンを身に着けた。
別に家庭科の成績は悪くないけど、コスプレ衣装に夢中になって
昨夜のうちに仕込みをしなかったから、簡単なオカズしか作れなか
った。
それでも、母さんのアドバイスを聞きながら料理している今の状
況は、決していやじゃない。むしろ、母さんとの仲がようやく修復
出来て、喜ばしいくらいだ。
薄焼きの玉子焼きに、豚肉とウインナーの炒め物、レタスとレン
ジで加熱したブロッコリーのサラダを御飯と一緒に弁当箱に詰めて、
一応今日の弁当は完成した。
ついでに余り物をまとめて父さんの弁当箱に詰めたら、父さんは
大いに喜んでくれた。何か悪い気がしたので、今夜はちゃんと明日
のための仕込みをしよう。
弁当を作って美術部にも行って、ゼミで勉強もする。
一番にやりたい事はコスプレなのに、わたしはやる事が突然増え
てしまった。それでもわたしは、一学期よりは遙かに充実した生活
を送れるのだと確信していた。
63
マヤになる! 12
教室に入ると、包みを抱えたマヤと鉢合わせた。どうやら、キャ
ンバスを先生に預けるつもりらしい。
﹁職員室に置いても、宇宙人には関係ないけどね﹂
そう言って、マヤは笑った。
確かに、あの黒い手が犯人なら金庫にしまっても破られるだろう。
﹁それじゃあ、部室にある絵も危ないんじゃないの?﹂
そう尋ねると、マヤは笑いながら首を横に振った。
﹁宇宙人が、どうして新品のキャンバスを破ったと思う? それは、
宇宙人が透視を出来ないからよ。職員室の机の上では宇宙人も見る
事が出来る。でも、部室のロッカーならそうはいかないわ﹂
犯人が宇宙人という前提条件さえ正しかったら、マヤの言うとお
りだろう。しかし、宇宙人でもない別の未知の存在の可能性もある。
やっぱり不安なので、今日も部室に顔を出そう。
昼休みになり、わたしはマヤの後を追いかけた。小箱も今日はポ
シェットに入れて腰に下げたので、安心できる。
わたしが声をかける間も無くさっさと教室を出たマヤは、旧校舎
の中に入って行った。どうやらゴミ捨て場でのお昼は昨日だけみた
いで、今日は旧校舎の階段を屋上まで上って行った。
﹁あれ? 屋上は閉鎖されている筈よね﹂
不思議に思っていると、マヤは屋上のドアをガタガタゆすって簡
単に開けてしまった。鍵が壊れているのをマヤは知っているみたい
だ。
﹁マヤ!﹂
流石にそれはマズいだろうと、わたしはマヤを呼び止めた。
こっちを振り向いたマヤは、ただ笑って手招きするだけだった。
64
どうしようか迷ったけど、折角の手作り弁当を無駄にしたくない気
持ちが最後には勝ってしまった。
昨日の事もあって、ランチョンマットはわたしも用意していた。
しかし、椅子も机も無い屋上でお昼を取るつもりだったマヤは、ハ
イキングで使うようなレジャーシートまで用意していた。しかも三
枚。
あまり端によると隣の校舎から見られるというわたしのアドバイ
スを受け入れたマヤは、屋上の真ん中でレジャーシートを広げた。
まだ九月になったばかりなので、昼時の青空からは太陽がわたし
達を見下ろしていた。昨日の校舎裏のゴミ捨て場は日陰になってい
たが、この屋上には照りつける日差しをさえぎるものは無かった。
﹁和美も、これを使う?﹂
マヤが取り出したのは、緑の折り畳み傘だった。これをパラソル
の代わり幾つも用意しているという事は、以前にもマヤがここで昼
食を取った事があるに違いない。
マヤと向かい合ってシートに座ったわたしが弁当箱を広げようと
すると、今度はエフェメラさんが屋上にやって来た。
﹁なんだ、こんな所にいたのか﹂
ここは立ち入り禁止だったというのに、特にとがめる様子も無く、
エフェメラさんは屋上に入って来た。
エフェメラさんは、何かプリントみたいなものを取り出してマヤ
に渡した。
﹁絵画展の申し込み用紙だ。名前くらいは、自分で書こう﹂
マヤが用紙を仕舞うのを確認すると、エフェメラさんもシートに
座ってお昼を取り出した。そうすると、今日もクラスメート達はエ
フェメラさんに断られてしまったのか。がっかりしているであろう
彼女達が、何か気の毒になった。
あれ? もしかして、わたしって三日連続でエフェメラさんとお
昼をとっているの? クラスメートに知られたら、恨まれるかもし
んない。
65
エフェメラさんは洋食が基本だから当然だけど、今日もお弁当は
サンドイッチだった。四つあったサンドは一種類だけでなく卵と蟹
とレタスとツナと薄切りハムを色々組み合わせていた。どんな味な
のかはともかく、昨日と比べて豪華そうではある。
マヤの方は、和風の弁当だった。というか、オニギリだった。昨
日は焼却炉のオーブンだったので、急に質素になった感じがした。
その理由は、すぐに判った。
片手を日傘に取られるから、残った手だけで食事をしなければい
けないのだ。片手で食べられるオニギリと違い、普通の弁当はかな
り手間が掛かった。暑いのを我慢して傘を置いたほうが、いいかも
しれない。
﹁和美さん、良かったらその弁当と私のサンドイッチを交換してく
れないか?﹂
エフェメラさんが、わたしが予想もしていなかった事を提案した。
﹁その格好では、食べにくいだろう。私は、別に日差しが苦になら
ないからな﹂
確かに、エフェメラさんはマヤから渡された傘をさしていなかっ
た。見た感じは北国の人っぽいのに、暑さに強いとは意外だった。
一学期の家庭科の授業では箸をちゃんと使っていたのはわたしも
見ていたから、弁当を食べるのには問題ないだろう。
﹁それじゃあ、お言葉に甘えていいかな﹂
そう言って、わたしは弁当箱をサンドイッチを取りかえっこした。
﹁ありがたく、いただきますね﹂
おとといも食べたから、エフェメラさんのサンドイッチが美味し
い事は知っていた。迷わずハムサンドを手にとって口を開いたその
時だった。
﹁えいっ!﹂
突然、マヤがわたしを突き飛ばした。サンドイッチを容器ごと落
としたわたしは、何が起こったのか判らないまま床を転がった。
﹁一体、どうしたって⋮⋮!?﹂
66
全部言い終える前に、わたしは慌てて立ち上がった。
わたしの目の前にいたのは、マヤのキャンバスを突き破った黒い
手だったのだ。床から生えていたそいつは、手だけではなく二の腕
の途中までが見えていた。そして、その手にはカッターナイフを握
っていた。
もしマヤが突き飛ばさなかったら、わたしが切られていた。間違
いなく黒い手は、わたしを傷つけるつもりだった。
床の上を滑るように、黒い手はわたしに向かってきた。
﹁ひい!﹂
間一髪の差で横に飛んでかわしたが、わたしは着地に失敗して転
んでしまった。それを見逃す黒い手ではなかった。
わたしの顔に向かって、カッターナイフが迫ってくる!
﹁和美!﹂
マヤが、わたしに飛び掛かって抱きついた。二人揃って横方向に
転がった事で、カッターナイフをギリギリかわした。
﹁あっぶないわねえっ!﹂
怒声をあげて立ち上がったマヤを見上げて、わたしは目を疑った。
マヤの後頭部の長髪が半分近く、無くなっていたのだ。わたしを助
けた時に、マヤの綺麗な黒髪が身代わりになったのだ。
呆気に取られたわたしは、立ち上がるのが遅れた。カッターが、
足元にまで迫っていた。
﹁和美さん﹂
わたしの体が、急に宙に浮いた。エフェメラさんがわたしを軽々
と持ち上げてジャンプしたのだ。
﹁ええ!?﹂
わたしを脇に抱えているというのに、その跳躍力は五メートルは
あった。わたしの体重は言いたくないが、オリンピックの金メダリ
ストより凄いのは確かだった。だって五メートルといったら、棒高
跳びのレベルのはずだ。
床から生えている黒い手は、ジャンプできずに床を滑り続けてい
67
た。どうやら、床からは離れられないらしい。
しかし、エフェメラさんはジャンプしているだけで宙に浮いてい
るわけではない。当然、着地はしないといけない。
﹁えい!﹂
マヤが、閉じた傘を黒い手に向けて振り回した。黒い手も、カッ
ターでマヤに応戦する。その間に、エフェメラさんは床に着地した。
しかし、危険はまだ続いていた。
黒い手は、もう一体いたのだ。確かに、マヤと戦っているのは右
手みたいだし、左手がいてもおかしくなかった。
68
マヤになる! 13
カッターが、わたし達に向かって振り下ろされそうになった。エ
フェメラさんが、わたしを頭上まで持ち上げた。わたしだけでも助
けようというつもりなのだろう。
﹁エフェメラさん!﹂
黒い左手は、突然向きを変えた。右手を加勢しようと、マヤに向
かっていったのだ。そのまま襲い掛かれば、エフェメラさんの足を
切れた筈だ。
﹁どういう事なの?﹂
気にはなったが、ピンチのマヤを救うほうが先だった。両手に傘
を持ったマヤは、二本の黒い手となんとか互角に渡り合っていたが。
先の丸い折り畳み傘では、叩かれても突かれても黒い手は痛くも痒
くもない。
﹁ああっ! お茶を忘れて来た!﹂
マヤには、今が大変な時だという自覚がないようだった。飲み物
の心配をしている場合ではないだろうに。
前後に挟まれないように巧みなステップで何とかしのいでいるが、
一度でも足を切られて床に倒れれば容赦なくカッターで切り刻まれ
るだろう。
﹁早く下ろして!﹂
とにかくマヤを助けたい。そう思って今もわたしを持ち上げてい
るエフェメラさんに言ったが、彼女は全く下ろす気はないようだっ
た。
何か、エフェメラさんが納得出来る理由を言わないと。こういう
時、マヤなら何と言うだろう? そうだ、マヤの言葉だ。
﹁エフェメラさん、マヤが今朝言っていたんだけど⋮⋮﹂
わたしが小声で耳打ちすると、すぐにエフェメラさんはわたしを
69
下ろして走り出した。
﹁五秒間だけ、持ちこたえろ﹂
わたしは、エフェメラさんが使わなかった傘を拾いに、シートの
所まで走り出した。黒い手の片方が、わたしに気付いて滑り出した。
一秒。
マヤは、一対一になった黒い手を右手の傘で殴ろうとするが、黒
い手は振り下ろされた傘を余裕でかわした。
黒い手の滑る速さは、わたしの全速力を上回っていた。わたしが
拾おうとした傘は、黒い手によって弾き飛ばされてしまった。
二秒。
左手の傘で、マヤは黒い手の持つカッターをひっぱたいた。鋭利
なカッターの刃先が、傘を貫通して突き出た。
傘を弾き飛ばした黒い手は、無防備な手の甲側をわたしにさらけ
出していた。わたしは、迷わず黒い手に蹴りを入れた。
三秒。
マヤは、カッターで貫かれた傘を捻りながら振り回した。古い刃
を折って切れ味を保つように出来ているカッターは、普通のナイフ
よりも折れやすかった。
黒い手を蹴ったわたしは、反転して金網のフェンスに向かって走
り出した。フェンスに向かって走るわたしを、黒い手が追いかける。
四秒。
カッターをマヤに折られた手は、一旦下がりながら新しい刃をグ
リップ部分から押し出そうとする。
もし、カッターをこっちに投げられていたらかなりヤバかったが、
マヤに刃を折られていた事で、武器を失うリスクを恐れたからか、
ただ追い回すだけだった。
お陰でわたしは、フェンスに跳んでへばりつく事が出来た。新校
舎とは逆向きのフェンスだから、多分他の人には見られていないだ
ろう。
遂に、約束の五秒になった。
70
わたしとマヤが黒い手の注意を引いている間に、エフェメラさん
は屋上の入り口に達していた。
わたしがエフェメラさんに言ったのは、黒い手は透視が出来ない
というマヤの指摘だった。しかも、新校舎からは見えない場所でお
昼を食べていて、入り口はマヤが開けたのだから先回りはしていな
い。
つまり、黒い手そのものが独立した生き物で無い限り、屋上の入
り口の辺りにわたし達を監視している存在がいる筈だった。
﹁きゃあ!﹂
入り口からエフェメラさんが飛び込むと、聞き覚えのある悲鳴が
した。エフェメラさんの声ではない。
黒い手が、吸い込まれるように床に潜って消えてしまった。危険
が無いのを確認して、わたしは恐る恐るフェンスから降りた。
﹁待て!﹂
﹁嫌あっ!﹂
エフェメラさんと誰かが争う声がした。どちらが優勢なのかは明
らかなので、わたしは安心して床にへたりこんでいた。たったの五
秒間だったのにわたしはとても疲れていた。
マヤの方は、息切れ一つしていなかった。シートに戻って、わた
し達のお昼がまだ食べられる状態にあるのを確認している。
入り口から屋上に戻ってきたエフェメラさんは、見覚えのある生
徒の腕を掴んでいた。彼女は、クラスメートの滝畑小春さんだった
のだ。
﹁滝畑さん?﹂
エフェメラさんは不機嫌な顔をしていたし、滝畑さんは泣きそう
な顔をしていた。いや、既に少し涙を流していた。誰が見ても、わ
たし達を襲ったのは彼女だと判る状況だった。
エフェメラさんにシートの所まで引きずられて正座させられた彼
女は、俯いていた。髪の毛を半分近く持っていかれたマヤを、正視
することが出来ないのだろう。そんな滝畑さんを見下ろすマヤの表
71
情がみるみると変わって行き⋮⋮笑顔になった。
﹁すごいわ小春! あなた、宇宙人だったのね!﹂
﹁はあ?﹂
マヤに責められると思っていた筈の滝畑さんは、キョトンとした
顔をしていた。
﹁ね、ね、あなた、いつから地球にいるの? もしかして、本物を
アブダクションして入れ替わってるの?﹂
﹁アブダクション⋮⋮。最良の説明への推論? いや、誘拐という
意味か﹂
エフェメラさんも、マヤの言葉に首をかしげていた。
﹁いえ、私は別に宇宙人じゃ⋮⋮﹂
マヤに両手を取られて、滝畑さんは困った顔をしていた。
﹁その話は後にしろ、マヤ﹂
論点がズレているというか完全にコースアウトしているのをエフ
ェメラさんが見かねて、二人に割って入った。
﹁まず聞くべきは、どうして滝畑さんが私達を襲ったのかだ﹂
﹁別に、エフェメラさんは襲っていないわよ。狙われたのは、わた
しとマヤだけよ﹂
そうだ、わたしを守るために無防備になったエフェメラさんを、
黒い手は攻撃しないでマヤに向かった。
﹁まさか、和美さんは知っているのか? 襲われた理由を﹂
エフェメラさんに尋ねられて、わたしは頷いた。
﹁滝畑さん、エフェメラさんの事が好きなんでしょ? だから、一
緒にお昼を食べていたわたし達にヤキモチ焼いたのよね?﹂
﹁あ、う、うん﹂
わたしに指摘されて、滝畑さんはためらいながらも認めた。
それを聞いて、冷静なエフェメラさんが怒り出した。
﹁そんな自分勝手な理由で、襲ったのか!﹂
﹁あ、あああぁ、あーん!﹂
自分が好きだった人に怒られて、滝畑さんは泣き出した。わたし
72
もマヤの髪を奪った彼女には色々言いたいことがあったのだが、ど
う声をかけたらいいのか判らなくなった。
﹁ちょっと、泣いてないで教えてよ。あの宇宙人は、どうなったの
か﹂
マヤは、それでもマイペースだった。
﹁そんな話は、後にしろ。マヤだって、髪を切られたんだから怒っ
ていいんだぞ﹂
﹁髪? ああ、無くなったんだよね。別にあたしは、そんな事には
怒ってないから﹂
﹁何?﹂
エフェメラさんも、意外そうな顔をしている。
﹁ほら、これはあなたのでしょ。階段下に落ちてたわよ﹂
そう言ってマヤが取り出したのは、ピンクの風呂敷に包まれた弁
当箱だった。泣き出した滝畑さんにわたし達が注目している間に、
マヤは拾っていたのだ。
﹁宇宙人について、聞きましょう。お昼も終っていないし﹂
日傘がボロボロになったので、わたし達は階段の踊り場に移動し
てお昼を再会した。箱ごと落としたのが幸いして、サンドイッチも
形が崩れただけで食べられる状態だった。
わたし達の中で一番背の高い滝畑さんが、今はとても小さく見え
た。
滝畑さんが黒い手との関係を、弁当を食べながらポツリポツリと
話し出した。
73
マヤになる! 14
それは、二日前の放課後の事だった。
部活動で校庭にいた滝畑さんは、ベンチで一休みしていた。エフ
ェメラさんが気になっていた彼女は、美術部室をふと見上げて、見
てしまったのだ。あの、奇妙な光景を。
﹁ええっ? あれって、外からも見えたの?﹂
﹁まあ、映っていたのはガラス窓だったからな。ステンドグラスみ
たいに、裏側からも見える人には見えたんだろう﹂
実際、わたし達も見ていたんだし、エフェメラさんの言葉に一応
納得した。あれ? 何か忘れているような⋮⋮。
﹁そうか、マヤが言っていた五人目って、滝畑さんだったのね﹂
﹁うん、校庭から部室が見えるんだもん、部室からも校庭が見える
のは当然でしょ。まあ彼女は、何か気になるようにチラチラ見てる
だけだったけど﹂
窓際にいたのはマヤだけだったから、わたし達からは見えなかっ
たのだ。
滝畑さんが見たのは、まさに巨大な黒い腕だった。そう、わたし
達を襲った黒い手そっくりなのが、窓いっぱいに映っていたのだ。
ただ、屋内からあれを見たわたし達と違って、外から美術部を見
た滝畑さんは、あれが前衛芸術か何かだと思ってそんなに驚かなか
ったらしい。そういえば、わたしが部室から見下ろした校庭は平穏
そのもので、誰もビックリしていなかった。
その日の事はこれで終わりで、事態が大きく動いたのは次の日だ
った。
滝畑さんは、入学式の頃からエフェメラさんの事が好きだった。
だけど、その気持ちを内に秘めたまま本人に伝えることが出来なか
った。
74
エフェメラさん自身は、社交的で誰とでもすぐに打ち解けていた。
滝畑さんも、何度かクラスメート達と一緒にエフェメラさんを囲ん
でお昼を共にしていた。だけど、それだけでは彼女の心は満たされ
なかった。
自分は、エフェメラさんからはただ一緒にいるクラスメートの一
人というだけの存在ではないのかと、不安ばかりがつのった。
だから彼女は、二学期になったら自分を変えようと思ったのだ。
そして、二学期に入って最初の昼休み。滝畑さんは意を決して、
エフェメラさんを誘ったのだ。自分は、他のクラスメートみたいに
アイドルとしてのエフェメラさんの取り巻きをしているんじゃない。
本当に友達になりたいんだと、伝えたかったのだ。
しかし、その気持ちはエフェメラさんに伝わる事は無かった。そ
れだけなら、明日再チャレンジしようと思うだけですんだろう。所
が、エフェメラさんはマヤを追って教室を出て行ったのだ。
昨日からキャンバスと思われる包みを持っていたマヤは、今朝は
エフェメラさんにキャンバスを渡していた。傍目には、マヤが夏休
みの間に美術部に入部したと思うだろう。それでお昼まで一緒にな
るなんて、予期せぬ出来事だった。
この学園は、別に複数の部を掛け持つ事は禁止されていない。し
かし滝畑さんは、ラクロス部のホープとして部員達の期待を背負っ
ている。その期待を裏切ってまで美術部にも入ることは出来なかっ
た。
自分がしたくても出来ない事を、気楽な帰宅部だったマヤには簡
単に出来た。元々、エフェメラさんの母国語が話せるマヤは気にな
っていたが、とうとう我慢できない程に気持ちが高ぶったのだ。
滝畑さんが席を立ち上がって振り返ると、そこには白い包みに入
ったキャンバスがあった。それは、マヤとエフェメラさんを繋ぐ絆
を象徴する物だった。
あんなもの、無くなってしまえばいい。
﹁黒くなってしまえばいいのに⋮⋮﹂
75
何故、そんな事を呟いたのか、本人にも判らない。それどころか、
これが自分の声なのかさえも判然としない。
雑談やゲームに夢中になっているクラスメート達は、彼女の変化
に気付いていない。第一、教室の一番前にいる彼女と一番後ろに置
いてあるキャンバスはあまりにも離れていて、何の関係があるよう
に見えよう。
﹃黒くなれ、黒くなれ、黒くなれ!﹄
自分の心の中で、奇妙な言葉が繰り返し木霊した。どうしていい
のか判らないまま、彼女はその言葉を復唱させられた。
﹁黒くなれ、黒くなれ、黒くなれ⋮⋮﹂
﹃黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!﹄
突然、キャンバスが破れて、黒い手が突き出された。不思議な事
に、あの美術部の窓に映った黒い腕によく似ていた。
﹁ひぃっ﹂
クラスメートにも聞こえない小さい悲鳴をあげた滝畑さんは、腰
を抜かして自分の席に着いた。
教室に戻って来たエフェメラさんは、キャンバスに開いた穴をみ
て驚いた。当然のようにエフェメラさんはクラスメート達に聞いて
回り、滝畑さんも尋ねられた。しかし、自分がキャンバスを破った
などと白状する事は出来なかった。
﹁だって、言えるわけないじゃない! 私が黒い手を出現させて、
キャンバスを破ったなんて!﹂
エフェメラさんが信じなければ、変な人だと思われる。信じれば、
怪しい力の持ち主だと見られてしまう。滝畑さんの気持ちも、判ら
ない事は無い。
それに、あんな物を自分が出したなんて、本人が一番信じたくな
いだろうし。
しかし、キャンバスを破った事は、彼女にとって逆効果だった。
エフェメラさんがみんなの前でマヤに謝罪した上に、放課後もマヤ
と何か相談していたのを見たからだ。
76
確かに、滝畑さんはわたし達と同じ列なので一緒に掃除をしてい
た。だから、教室を出る時に机を囲んでいるのが見えたのだ。
部活に遅刻するわけにはいかなかったので、詳しくうかがう事は
出来なかったが、キャンバスの件について話しているらしい事は判
っていた。
しかも今度は、何故かわたしまで一緒にいた。どういう事なのか
知りたくても、わたし達に直接聞く事は出来なかった。
暗欝な気持ちを抱えたまま、滝畑さんは一日を終えた。
﹃黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!﹄
そんな声をベッドの中で聞きながら、彼女は眠りに付いたのだっ
た。
次の日、昼休みが始まると同時にマヤとわたしは何処かに消えた
ので、今日こそエフェメラさんを誘おうと滝畑さんは決意を新たに
した。
しかし、結果は昨日と同じだった。用事かあると言って、エフェ
メラさんは席を立ったのだ。しかも、昼食らしきものを手に持って。
それでも諦め切れなかった滝畑さんは、お弁当を持ってエフェメ
ラさんを探し回った。そして、旧校舎の美術部室まで来た時、何か
硬いものが落ちる音が階段から聞こえて来た。
音の正体は、カッターナイフだった。どうしてそんな物が落ちて
きたのか不思議に思っていると、また上から音が聞こえて来た。
怖くなった滝畑さんだったけど、それでも気になって屋上まで上
った。そこで彼女が見たのは、床に落ちている二振り目のカッター
ナイフと、お昼をとっているわたし達だった。
自分が一番信じたくなかった景色が、彼女の目の前にあった。そ
れでも滝畑さんは、今日は四人でお昼を取ろうと声をかけるつもり
だった。決定的瞬間を目撃するまでは。
わたしとエフェメラさんがお弁当の交換をするのを、滝畑さんは
見たのだ。彼女が今までしたくても出来なかった事を、わたしがい
とも簡単に実行していたのだ。
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彼女の気持ちは、昨日よりも更に高ぶった。そこでまた、あの声
が頭の中で響き渡った。
﹃黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!﹄
彼女の両手には、カッターナイフが握られていた。親指に力を込
めると、カチカチと音を立ててカッターの刃が飛び出した。
﹃黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれ! 黒くなれっ!﹄
気が付くと、カッターナイフは手の中から消えていた。目の前に
は、カッターを握った二本の黒い手があった。
わたし達に向かって滑って行く黒い手を、滝畑さんは怯えながら
見送ったのだった。
78
マヤになる! 15
滝畑さんの告白は、それで全てだった。弁当も、丁度食べ終わっ
た頃合だった。
わたしを襲った理由を聞いた時には、彼女の前で無神経にサンド
イッチを平らげていたわたしの方が、何か気まずくなってしまった。
﹁黒くなれ、か。殺せとか壊せといったあからさまな言葉でない分、
罪悪感が薄くなる点が、余計にたちが悪いな﹂
エフェメラさんは、黒幕の狡猾さを思って不快な顔をした。
謎の声とか、カッターは誰が落としたのかとか、判らないことが
更に増えてしまった。
新しい謎といえば、エフェメラさんの跳躍力も気になったが、そ
の力に助けられた事もあってわたしは聞けなかった。マヤもその事
については特に気にしていないらしくて、エフェメラさんに尋ねな
かった。
しかし一人だけ、やたら喜んでいる人がいた。言うまでも無く、
マヤだ。
﹁凄いわあなた。それって、宇宙人の命令電波よ!﹂
そう言って、マヤは滝畑さんの手を握った。
﹁宇宙人の本を見れた人は何人もいるけど、電波まで聞けたなんて、
あなたが初めてよ。あたしも聞いてないっていうのに﹂
そういえば、わたしはマヤとは直接手を触れた事が無かった。一
瞬、わたしの中で何かが沸き起こるのを感じて、慌てて首を振った。
思えば、マヤとエフェメラさんが互いを呼び捨てにしているのを
見た時も、わたしはそんな気持ちになっていた。
なんとなく、滝畑さんの気持ちが判ってしまった。もしかしたら、
危うくわたしもエフェメラさんを傷つけそうになっていたのかもし
れない。そう思うと、どうしても彼女を憎めなくなってしまう。
79
﹁ねえ、マヤ。滝畑さんの事は、許してあげて﹂
出来るだけ自然な感じを装って、わたしは滝畑さんの手を握って
いるマヤの手にわたしの手を覆い被せた。
わたしの頼みを聞いて、マヤが首をかしげた。
﹁許すって、何を? 悪いのは、彼女を命令電波で操った宇宙人で
しょ?﹂
マヤの価値観では、滝畑さんは悪くないそうだ。でも、宇宙人の
せいにして事件を解決させるのも、悪くは無い。
﹁ええ、そうね。悪いのは宇宙人という事にして、禍根は断ちまし
ょう。エフェメラさんも、それでいいですか?﹂
わたしに促され、エフェメラさんも腕組しながらうなずいた。
﹁しかし、この髪はどうするんだ?﹂
﹁もう、エフェメラって、どうしてそんなに髪にこだわるの?﹂
いや、マヤがこだわらなすぎるのだ。
﹁いいから、よく見てなさい!﹂
マヤが、床に落ちていたカッターナイフを拾い上げると、残って
いた長髪を握って持ち上げた。何をするつもりなのか悟ったわたし
は、思わず叫んだ。
﹁ダメーッ!﹂
しかしマヤは、カッターを持つ手を止めなかった。何の迷いも無
くマヤは、残った長髪も全部バッサリと切り捨ててしまったのだ。
わたしの好きだった緑の黒髪が、今はマヤの手の中にあった。そ
んな衝撃的な光景にわたしが呆然としているのに、マヤは涼しい顔
をしていた。
﹁ほら、あたしにとってはこんなものなのよ。だから、気にしなく
ていいわよ﹂
マヤがそう言って微笑むと、滝畑さんはボロボロと涙を流して床
にへたりこんだ。
﹁あたしは怒ってないって言っているのに、どうしてこいつは泣い
ているの?﹂
80
マヤには、自分の方が変だという認識は、全く無かった。あの髪
の毛が毎日入念に手入れされていたことは、黒髪なのに銀糸のよう
に輝く一本一本を見れば誰の目にも明らかだというのに。
わたしもエフェメラさんも、何か言う度にマヤがとんでもない事
をするんじゃないかし心配で、何も言えなかった。
エフェメラさんは、ハンカチを取り出して滝畑さんの涙をぬぐっ
た。
﹁襲われた二人が許すと言うのなら、それでいいだろう。しかし、
一つだけ滝畑さんにはすべき事がある。それを聞かなければ、私は
納得できない﹂
エフェメラさんの言いたい事は、滝畑さんにも伝わったみたいだ。
滝畑さんは、わたし達に頭を下げた。
﹁ご、御免なさい。私のせいで、キャンバスを破られたりカッター
で切り付けられたりしてしまって。その上、銀墨さんの髪の毛まで
切ってしまって。本当に御免なさい﹂
ちゃんと謝った滝畑さんを見て、エフェメラさんも納得してくれ
た。
宇宙人の仕業だと思っているマヤは、壊した物も別に弁償しなく
ていいと言ってくれた。
こうして、キャンバスが破られた件だけは解決した。全て宇宙人
のせいにしているマヤだけは、何一つ謎だと思っていないようだっ
たが。
しかも、一番大きな問題が残っていた。
とっくに昼休みは終って、五時間目が始まっていたのだ。
*
五時間目に四人揃って遅刻した事を、わたし達は先生に謝って席
に着いた。
もっとも、クラスメート達はマヤを見てずっとざわめいていた。
81
昼休み前まで長髪だったのが、いきなりショートヘアーになったの
だから当然だ。
マヤが手で束ねて切り落としただけの髪型は流石に不恰好むだっ
たので、エフェメラさんがカッターナイフのみを使って綺麗に散髪
してくれたのだ。
ショートヘアーになったマヤを見て、わたしは何となく夢に出て
来たマヤに似た少女を思い出した。やっぱり、夢の少女はマヤと何
か関係あるのだろうか?
エフェメラさんは先生に何があったのかを聞かれても、ちょっと
ノンビリしすぎただけだとしか答えなかった。真面目な彼女の言葉
なので、先生はそれで納得したみたいだった。
明らかに不自然なメンバーだったので、クラスメート達の中には
昨日の事件と関係があると思っている人もいるみたいだ。まあ、本
当にそうなんだけど。
どうせ黒い手が伸びてキャンバスを破ったなんて、誰に言っても
信じないだろうし。数日黙っていれば、遅刻の一回や二回はみんな
忘れてくれるだろう。
放課後になり、わたしとマヤはエフェメラさんの席に集まってい
た。
﹁これを見てくれないか﹂
タブレットPCを取り出したエフェメラさんは、マヤが写ってい
る画面を表示した。あの、部室の窓に奇妙な光景が映っていた時の
画像だ。
﹁偏光レンズというのを知っているか。水面下の物体を、水面の反
射に惑わされずに見られるレンズで、釣り人がメガネにして使う事
もある。自然の世界では、水鳥のミサゴの目にも同じ機能があって
魚を捕まえるのに役立てている。条件さえ揃えば、ごく稀だが人間
の目でも備わる可能性のある能力だ。実際に百年以上昔には、海面
の下の落し物を難なく見つけた女性がいる﹂
82
そう言いながらタブレットPCをエフェメラさんがいじっている
と、画面のマヤの背後にある窓に何かが浮かんできた。
﹁映像をカメラのレンズも感知していたが、表示するには画像を加
工する必要がある﹂
ぼんやりとしているが、船らしいものが浮かんできた。これが、
エフェメラさんの見たものなのだろうか。
﹁どんなに画像を加工しても、これが限界か。二人の目にも、偏光
機能はないし﹂
﹁あ。あたしは水面の下が見えるわよ﹂
本当に、マヤはそんな事が出来るのか。だけど、わたしは普通の
人間だ。
﹁私は、わけあって偏光するコンタクトレンズを使っている。それ
でも、偏光レンズだけでは説明は出来ないのは同じだ。何の手がか
りもないよりは、ましだがな﹂
エフェメラさんがタブレットPCをしまうと、わたし達は今日も
美術部室に足を向けた。
マヤのように図太くないわたしは、結局部長から渡された入部届
けにサインしてしまった。その隣でマヤは、絵画展の出品届けにサ
インしていた。
エフェメラさんは、事件が無事に解決してマヤと犯人は和解した
とだけ部長と先生に伝えていた。どうやら先生は、わたし達が五時
間目に遅刻したのを知っているみたいだったが、先生なりに事情を
察したのか黙っていた。
正式な部員になった以上、今度からはわたしも自前の画材を用意
しなければいけなくなった。今日は、わたしはモデル役なので絵は
画かないけど。
前は部員達とは無関係に体育館を画いていたマヤが、今日は部員
達と一緒にわたしを写生していたのが、何か恥かしかった。
スケッチブックではなく、キャンバスに直接デッサンをしている
所が、マヤらしいと思った。マヤの隣にいる朝島先輩が、キャンバ
83
スが邪魔なのか画きにくそうにしていた。
そういえば、今日も颯爽先輩は欠席していた。やはり体調が悪い
のだろう。
部活が終ると、わたしはまっすぐ家に帰った。勿論、一番の楽し
みマヤのコスプレを早くしたいからだった。今日はゼミもないので、
深夜まで楽しめる筈だった。
84
マヤと行く! 1
それから、数日が経過していた。今から絵を画いてもどうせ絵画
展に間に合わないわたしは、ラストスパートに入っている部員達と
違ってのんびりしていた。
マヤと一緒に絵を画いたりモデルをしたりする部活と、家で一人
コスプレ衣装の裁縫をしている夜が繰り返され、穏やかな時間が流
れていた。
マヤのショートヘアーにも、幾分か慣れてきた。問題は、マヤの
コスプレをする為に、わたしも髪を切るべきかどうかだった。今の
所は長髪だった頃のコスプレしかしていないので問題ないが、その
うちショートヘアーのマヤのコスプレをしたくなるかもしれない。
その時にまた考える事にして、今は先送りにするしかない。
これまでにわたしが体験した数々の謎は、何一つ真相が解明され
ていなかった。しかし、気にはなってもそれで生活に支障をきたす
わけでもないので、積極的に調べようという気にもならなかった。
屋上の一軒以来エフェメラさんは、サンドイッチではなくごはん
の弁当を持ってくるようになった。クラスメート達とお昼を食べる
時は、頻繁におかずの取り替えっこをしてしいて、エフェメラさん
を中心にした輪が昼休みの恒例行事になりつつあった。
滝畑さんは、もう黒い手を出さなくなった。彼女も既に懲りてい
るというのもあるが、黒い手はやはり滝畑さんの力ではなくて、何
者かに与えられた能力だったんだろう。マヤは今でも、宇宙人の仕
業だと思っているようだった。
美術部の颯爽先輩は、あれからずっと学校を休んでいた。病気だ
としたら、かなりの重病に違いない。
今夜もわたしは、三つ編みをほどいてコスプレのブラウスに着替
えた格好で衣装作りに熱中していた。右耳には、いつものイヤリン
85
グもつけてある。
今日の作業は、自分でも驚くぐらいスムーズに進んでいた。作業
が一段落したわたしは、ケータイを開いて待ちうけ画面のマヤを見
た。美術部室のマヤは、今日もわたしに向かって微笑んでいる。
﹁あっ!﹂
わたしは、大事な事を忘れていた。明日からの部活のための画材
を買わないといけなかったのだ。
今までは美術の授業で使うスケッチブックと絵の具で間に合わせ
ていたが、そろそろ部活用と授業用の画材は分けるように先生に言
われていたのだ。
時計を見ると、もう近所の商店街は閉まっている時間だった。コ
スプレした姿のまま、わたしは家を飛び出した。
二十四時間営業の大型の雑貨屋で慌てて画材をかき集めたわたし
は、紙袋を右手から下げて帰途に着いた。
何か、初心者がいきなり使う事はなさそうな画材まで勢いで買っ
てしまった。無駄にしないように、これからは部活にも本気で励ま
ないと。
夜の繁華街を歩いていたわたしは、見覚えのある横顔を今日も見
つけた。
﹁マヤ?﹂
わたしがマヤを見間違う事は無い。しかし、顔だちもショートに
なった髪形も同じなのに、雰囲気が全然マヤと違っていた。何か、
マヤにしては色っぽいような気がしたのだ。まるで、マヤに似てい
るだけの別人みたいだ。
しかし、彼女の着ているブラウスはわたしと全く同じだったし、
右耳にはあのイヤリングまでつけていた。他人の空似でそこまで同
じなんて、信じられない。
マヤのような少女は、わたしの方をちらっと向いて微笑んだよう
に見えた。その瞬間、眼鏡のフレームだけはマヤと違って紫色なの
86
に気がついた。
﹁わたしが判るの?﹂
どうしても気になってしょうがないわたしは、少女の後を追いか
けた。
わたしが声を掛けるべきか迷っている間に、少女は路地裏へと入
って行った。
夜更けでも賑わいが衰えない繁華街から見た路地裏は、数歩先も
見えない程に暗かった。
一度でも踏み込んだら二度と出られないような気がしてとても不
安になったが、それでもわたしは意を決して路地裏に足を踏み入れ
た。
左手で壁を探りながら恐る恐る進んでいると、足元に水溜りがあ
るのかピチャピチャと音がした。冷たい感触を我慢して更に奥へと
進むと、薄ぼんやりとあかるくなっている出口らしい場所が見えて
きた。
生ゴミでも不法投棄されているのだろうか。ここは悪臭が漂って
いて、鼻では息が出来ない。
﹁はぁはぁ﹂
こんな不快な場所なのに、一番わたしが心配したのは、ブラウス
に臭いが移ってしまわないかという事だった。
出口かと思った場所は、路地の十字路だった。街灯が横道から少
しだけ顔をだしているが、対して明るくなったわけではない。
最早、少女は完全に見失っていた。路地から出ようと、わたしは
街灯に向かって歩き出した。
﹁ん?﹂
何か、柔らかい物を踏みつけた。目を凝らして見下ろしても、薄
暗くてよく見えない。
明かりになりそうな物はないかポケットを探ると、携帯電話が出
て来た。白い画面が一番明るそうなので、画面をメール作成に切り
替えてみる。
87
液晶画面を近付けて足元を照らしてみると、そこには人間の手が
あった。あまり逞しくないので、女性か子供の手に思える。
﹁に、人形の手よね﹂
そう信じたかったわたしだったが、よく見ると地面には血らしき
液体まで流れていた。
﹁インクよ、そうインクなのよ﹂
そう自分に言い聞かせながら、わたしは後ろへ下がった。しかし、
足が震えて思うように歩けない。
急に汗だくになった手まで震えて、握っていたケータイを落とし
てしまった。
﹁あっ﹂
落としたケータイは、地面を思わぬ方向へ転がって行った。横向
きになって止まったケータイは、最悪なものを照らし出した。
血まみれの顔が、青白い光に照らされていた。
﹁ひぃっ﹂
わたしは、ケータイを慌てて拾うと一気に街頭のある方向へと走
り出した。
﹁いやあああああっ!!﹂
大声で叫びながら、わたしは大通りを駆け抜けた。人目を気にす
る余裕なんて、この時のわたしには無かった。
大慌てで駅まで来たわたしは、紙袋とケータイをちゃんと持って
いる事にほっとした。ケータイも、血の流れていないところを転が
ったようで、傷が多少あるだけですんだ。
その直後に、大変な事に気付いて青くなった。
﹁イヤリングが無い!﹂
そうだ、わたしのコスプレの切っ掛けとなった、マヤとお揃いの
イヤリングが無くなったのだ。落としたとすると、あの路地しか考
えられない。
﹁どうしよう⋮⋮﹂
88
あそこに戻るのは恐いけど、イヤリングを失うのは絶対に嫌だ。
意を決して、わたしは路地への道を戻って行った。
大通りをそわそわしながら歩いていると、次第に周囲が騒がしく
なっていた。それは繁華街ならではの喧騒とは違う、不安を掻き立
てるざわめきだった。
悪い予感がしたわたしは、路地へ向かって走り出した。そして赤
いランプが見えた時、予感は的中した。
路地への入り口が、警察によって締め切られていたのだ。その周
りを野次馬達が何重にも囲んでいた。
何があったのか、確かめるまでも無い。死体が見つかったのは、
明らかだった。
﹁そうか、わたしのせいだ﹂
悲鳴をあげて路地から飛び出したから、誰かが路地を覗き込んだ
に違いない。この繁華街には交番もあるし、警察署までも歩いて数
分の近さだ。わたしが戻るよりも早く現場検証を始めるのは、充分
可能だ。
もしかしたら、わたしを目撃した人もここにいるかもしれない。
別にわたしが犯人ではないのだけど、急いでここから立ち去りたか
った。
こうなったら、イヤリングは諦めるしかない。むしろ、警察と路
地裏で顔を合わせなかっただけましだと思うことにした。
イヤリングも、似たような物を自作しよう。裁縫と違って、工芸
なんて全く経験が無いけど、やって出来ない事はないだろう。
後悔やら喪失感やらで泣きそうになったが、こんな所で目立つ事
は出来ない。わたしは家まで、平静を装い続けた。
不幸中の幸いといえたのは、帽子を家に置いて来ていた事くらい
だ。
家に帰ったわたしは、クタクタになってはいたが全身が汗でベッ
トリとしていたので、シャワーを浴びないわけにはいかなかった。
89
手作りの衣装は洗濯機に耐えられそうに無いので、洗面器で一晩
漬置きしてから手で洗う事にした。
汗を流してサッパリしたわたしは、パジャマよりもワンピースを
着たい気分になったので、マヤとお揃いのワンピースを着て、ベッ
ドに倒れるように横になって、そのまま寝入ってしまった。
自分の軽率な行為が招いた結果など、今のわたしには想像すら出
来なかった。
90
マヤと行く! 2
見慣れない灰色のセダンを校舎の駐車場で見かけたのは、三時間
目の音楽の直後だった。音楽室からの移動中に、エフェメラさんが
階段の窓の前で立ち止まったので、何かと思ってわたしも窓の外を
見たのだ。
エフェメラさんは、マヤにだけ判るように母国語で何か言った。
マヤも何か言い返していたが、勿論わたしには理解出来ない。
しかし、他人事ではないような気がして、マヤに何の話をしたの
か尋ねてみた。
﹁あれって、覆面パトカーよ。ナンバーで判るって﹂
それを聞いて、わたしはドキッとした。まさか、昨日の路地裏で
のわたしの姿を目撃されていたの?
とても恐くなったわたしは、今すぐにでも逃げたくなったが、何
処に逃げればいいのかも判らなかった。
結局、不安な気持ちを胸に抱えたまま、四時間目を過ごした。大
きな変化があったのは、昼休みに入ってからだった。
突然、校内放送でマヤが呼び出されたのだ。それも校長室に。
何事かと思ってクラスメート達は、マヤに注目した。マヤはとい
えば、弁当箱と教室のスピーカーを見比べて何か考えていた。お昼
と呼び出しのどちらを取るべきかで迷っていたのは、明らかだった。
するとマヤは、自分の席に座って弁当箱を広げだした。あろう事
か、お昼の方をマヤは選んだのだ。
﹁ちょっとマヤ。流石にそれはまずいわよ﹂
﹁大丈夫、美味しいから﹂
たまりかねて注意しても、マヤは弁当の話しかしなかった。それ
でも、急いで食べているだけましだろう。
結局、マヤは弁当を全部食べてから校長室に向かった。自発的に
91
ではない。待ちかねたミツル先生が教室に乗り込んで、マヤの腕を
掴んで連れて行ったのだ。
どうしてマヤが連れて行かれたのかを考えて、わたしは大事な事
を思い出した。
わたしが昨日落としたイヤリングは、元々はマヤが買った物だ。
老舗の貴金属店で売られていた高級品だから、特定するのに一晩も
かからなかったのだろう。警察が購入者を調べて回れば、マヤ以外
購入者はイヤリングを両方持っているのがすぐに判るに違いない。
わたしがイヤリングを落としたばかりに、マヤが疑われているの
だ。クラスメート達も、口々にマヤが何かやったのだと言っていた。
日頃から単独行動の多いマヤには、アリバイがあるとは思えない。
家にいたとしても、家族の証言ではアリバイにはならないし。
このままだと、本当にマヤが犯人にされてしまいかねない。
わたしは成す術も無く、呆然と教室の前の廊下に立ち竦んでマヤ
が見えなくなった廊下を眺めていた。そんなわたしの肩を、後ろか
ら誰かがポンと叩いた。振り返ると、エフェメラさんがわたしを見
ていた。彼女の目は、わたしを責めているみたいだった。
﹁どうして行かないんだ?﹂
﹁え?﹂
エフェメラさんは、まるで全てを見透かしているようだった。目
を背けたくなったのに、金縛りにかかったみたいに、わたしはエフ
ェメラさんから目を離せなくなっていた。
﹁和美さんは、何もしなければ、どうなるのか知っているんだろう
? だったら、どうしてそうしないんだ?
その言葉に、わたしはの胸は大きく一回鼓動した。
そうだ、どうすればいいのかなんて、決まっていた。本当の事を、
言えばいいだけだ。何をわたしは恐れているんだろう。
わたしが一番恐れなければいけないのは、マヤを失ってしまう事
に決まっている。
﹁有難う! エフェメラさん!﹂
92
わたしは、校長室に向かって駆け出していた。
校長室に続く廊下では、男の先生が二人、野次馬を追い払ってい
た。野次馬でないわたしは、そんなものに構わずに先に進んだ。先
生が一人、わたしの腕を掴もうとたが、間に割って入った人がいた。
わたしを追っていたらしい、エフェメラさんだった。
エフェメラさんは、先生達のネクタイを両手で一本ずつ掴んで引
き回した。
只でさえ目立つ優等生の蛮行に、野次馬達が群がった。最早、わ
たしの方には誰も注目していない。
﹁和美さん! 早く行くんだ!﹂
エフェメラさんの厚意を無駄にしない為にも、わたしは目的地へ
と急いだ。
校長室の前につくと、わたしは乱れた呼吸を整えた。扉の向うか
ら、マヤの声が聞こえて来た。
﹁そうよ、これはキャトルミューティレーションよ! いえ、人間
が被害にあったのだから、ヒューマンミューティレーションなのよ
!﹂
どうやらマヤは、相変わらず宇宙人の仕業だと思っているらしい。
それでも、マヤの主張を聞けば、殺人事件の話題なのは明らかだっ
た。このままでは、マヤの立場が益々悪くなってしまう。もう、一
刻の猶予も無い。
わたしは、軽くノックをすると鍵のかかっているのも構わずに扉
を開けようと、激しくノブを揺すった。
向うからちょっと待てという声がしたので手を止めると、鍵の外
れる音がした。勢い良くドアを引くと、わたしは校長室に飛び込ん
で叫んだ。
﹁マヤは無関係です! 殺人現場にいたのは、わたしです!﹂
校長室では、マヤがミツル先生と並んでソファーに座っていた。
テーブルを挟んでマヤの向かいには、校長先生と警察と思われる見
93
知らぬ人がいた。
﹁や、八尾さん?﹂
ミツル先生が事態を飲み込めないうちに、わたしはマヤの横まで
駆け寄った。
テーブルの上にはインスタントカメラで撮った写真が何枚か置い
てあった。他の写真には目もくれず、わたしはビニール袋に入った
イヤリングの写真を手に撮った。
﹁このイヤリングは、わたしのです! わたしが、路地裏で昨日落
としたんです!﹂
わたしは、手にした写真を刑事らしき人に突きつけながら叫んだ。
これで、言うべき事は全部言った。これから大変な事になるのは
漠然とだけど判っていたし、自分がこれからどうなるのか不安で胸
が一杯だった。
だけど、マヤの前で嘘を吐かなかった事だけは、わたしの心の唯
一の救いになっていた。
大変な迷惑をかけられたマヤは、わたしをどうおもっているのだ
ろうか? それが一番の不安だったわたしは、横目でマヤをちらっ
と見た。
マヤは、笑っていた。楽しいというよりは、何か嬉しい事があっ
たというような、そんな優しい笑顔だった。こんな状況だというの
に、わたしはその笑顔に見惚れてしまった。
﹁和美⋮⋮﹂
マヤが、笑顔のままわたしを呼んだ。
﹁もう、ここには用は無いわ。行きましょう﹂
テーブルの上に置かれた湯飲みを取って、マヤが立ち上がった。
﹁待て! まだ話は終ってないぞ!﹂
刑事が立ち上がって、マヤをまた座らせようとした。
﹁邪魔しないでよ﹂
そう言うとマヤは、湯飲みをひっくり返して中のお茶をぶちまけ
た。
94
マヤの行動にも驚いたが、その後に起こった現象にはもっと驚い
た。
お茶がこぼれたと思ったら、そのお茶を中心に白い煙が吹き上が
ったのだ。いや、煙にしては何の臭いも無かったし湿っぽかった。
これは、湯気だった。信じられない事に、お茶の水分が一瞬で湯気
になったのだ。
﹁これに似たような事が、どこかであったような⋮⋮?﹂
それが、先日の焼却炉を使ったスチームオーブンだと、少し考え
て思い至った。マヤは本当に、火を一切使う事なく蒸気を出す事が
出来たのだ。流石に今回は、そこまで高温にはなっておらず、生温
かい程度だったが。
﹁え? まさかそれって、超能力!?﹂
わたしは二学期に入ってから今まで、不思議な出来事を何度も体
験していた筈だった。それなのに、どうして今までマヤに特別な力
があるという事に思い至らなかったのだろうか?
視界が、完全に白一色に覆われた。何かカチャカチャ音が聞こえ
るのは、マヤが先生達のお茶や花ビンの水まで蒸気に変えているか
らだろう。
たとえ蒸気とはいえ、これだけの量だ。天上の煙感知器が、蒸気
を火事と誤認して鳴り響いた。
﹁きゃ!﹂
誰かが、わたしの手を引っ張った。この手の感触は、間違いなく
マヤだ。わたしは、マヤに引かれるままに走り出した。途中で、刑
事らしい人の短い悲鳴が聞こえた。恐らくマヤを逃すまいと扉の前
で待ち構えて、逆にマヤに倒されたのだろう。
校長室を飛び出した後、廊下の手洗い場に向かってマヤは全力疾
走した。水さえあれば、マヤは無敵だった。
廊下に水をぶちまけたマヤは、廊下を蒸気で満たした上に違う超
能力を重ねて発揮したのだ。
﹁喰らいなさい!﹂
95
マヤの撒き散らした水が、テニスボールサイズの透明な球体にな
って何発も発射された。蒸気で視界が悪い所に飛び道具で攻撃され
たのだから、刑事も先生もたまった物ではないだろう。格闘技の心
得のある筈の刑事をマヤがさっき倒せたのも、恐らくこの力を使っ
たからに違いない。
マヤの能力は﹃水を自在に操る力﹄なのだろう。蒸気まで発生さ
せて操れるのだから、水分子と言った方がいいかもしれない。
﹁あはははは!﹂
笑いながら、マヤが走り出した。わたしも遅れまいと、慌てて追
い駆けた。
96
マヤと行く! 3
気がつくと、わたし達は旧校舎の屋上にいた。刑事達をまいたマ
ヤとわたしは、ようやく一休み出来た。今は二人で、屋上の床に仰
向けで寝転んで青空を眺めている所だ。わたしから見てマヤの位置
は、脇腹の隣に頭が来ている。位置関係としては、二人はイの字み
たいな形になっていた。
息切れしそうなわたしに比べて、マヤは今回も息をあまり乱して
いなかった。
勿論、こんな所にいたっていつかは見つかってしまうだろう。そ
れでもマヤは、何の心配もしていないかのように笑っていたし、わ
たしもマヤが笑っていられるなら別に構わないと思った。
そんなマヤとは対照的に、わたしの心は沈んでいた。わたしには、
どうしてもマヤに謝らなければいけない事があったのだ。
どうしてマヤに殺人の疑いがかけられたのか、正直に言わなけれ
ばいけなかった。それで、もしマヤがわたしの事を嫌いになったら
どうしようかと、とても不安だった。だけど、いつまでも隠してお
けない事なのも承知している。
わたしは、意を決してマヤに全てを打ち明ける事にした。
﹁御免なさい、マヤ﹂
﹁ん、何が?﹂
マヤと目を合わせるのが恐くて、わたしは仰向けに青空を見上げ
たままでマヤに経緯を語った。
﹁あのイヤリング、マヤがデパートのゴミ箱に捨てたのを、わたし
が勝手に持ち帰ってつけていたの﹂
﹁なんだ、そんな事か。別にいいわよ、あたしは要らないから捨て
たんだし、かずみが欲しかったんなら、それで構わないわ﹂
イヤリングだけの事だと思ったから、マヤも簡単に許してくれた
97
のだろう。でも、話すべき事は、これだけではない。
﹁でも、わたしがマヤの格好をしたがったったら、こんな事にはな
ったのよ﹂
﹁あたしの格好?﹂
﹁そうよ。わたしはね、マヤそっくりの洋服を着てマヤと同じイヤ
リングをつけるのが趣味なの。そういう事が大好きなのよ。だから
わたし、町でマヤを見かけると、こっそり後をつけてマヤがどんな
ファッションをしているか観察していたのよ﹂
言ってしまった。わたしの秘密の趣味を包み隠さずに告白したの
だ。マヤはわたしの事を嫌いになったり、気味悪がったりするかも
しれない。マヤがわたしをどう思っているのか、とても不安だった。
﹁いいんじゃない。和美がそうしたいなら、好きにやればいいわよ﹂
マヤの言葉に、わたしは救われた気分になった。
﹁でもね、和美﹂
ところがマヤが更に言葉を続けたので、わたしは一瞬ドキリとし
た。何をマヤは言うつもりなのだろう?
﹁和美があたしの真似をして髪を切ったりするつもりなら、それは
やめてね。和美の三つ編みがなくなるのは、あたしは寂しいから﹂
自分の髪はあっさりと切ったのに、マヤはわたしの髪を心配して
くれていた。そんなマヤの言葉は、わたしの胸を暖かくしてくれる。
﹁ねえ、和美﹂
マヤが上半身だけ起き上がり、床に片手を突きながらこちらの方
を振り向いた。その表情は、笑顔ではあったのだが楽しげだったさ
っきまでのと違い、炎天下にいる事を忘れさせてしまう程に涼しげ
だった。
マヤが何か言いたそうに見えたので、わたしも手を突いて上半身
を起こした。
爽やかな笑顔をしたマヤの口元が微動して、これもまたガラスの
風鈴のように涼しい音色の声を発した。
﹁和美は友達っていうのは、どんな人を言うのか知ってる?﹂
98
﹁え?﹂
即答しずらい質問に困っていると、マヤがわたしの目をじっと見
ながら囁いた。
﹁友達っていうのはね、そばにいるだけで高潔な気持ちにさせてく
れる。そんな人間を言うのよ﹂
その言葉を聞いて、わたしはマヤのこれまでの行いを思い出した。
確かにマヤには奇行が目立つし、人の迷惑を考えなかったり図々し
い所もある。しかし、その一方で黒い手に襲われた時は真っ先にわ
たしをかばい、傘を振り回して立ち向かった。しかも、悪いのは宇
宙人だと言って、滝畑さんを怒らなかった。
彼女はわたし達とは価値観が異なるけど、その生き方はまっすぐ
で自分に対してウソが全く無い。その事に思い至った時、わたしは
どうしてマヤのコスプレをしたがったのかを初めて自覚した。
そうだ、マヤはわたしを高潔な気持ちにさせてくれる人だったん
だ。
それに比べて、わたしはどうだろう。自分より高い所にいるマヤ
を見て、羨ましがることしか出来ない。自分の思いを表現する唯一
の手段だったコスプレでさえも、彼女に迷惑をかけただけだった。
そんな自分の最低な所を思い知って気が重くなったわたしに、マ
ヤが右手を差し出した。
﹁校長室での和美は、とても素敵だったわ。あたしを助けたいとい
う本気が、あたしの心を揺さぶったの。そしてあなたは、自分の隠
れた趣味をあたしに打ち明けた。それはとってもつらい事だったの
に、あなたはやりとげた。きっとあたし達は、素敵な友達になれる
わ﹂
友達になれると、マヤが言った。その言葉は、わたしの救いにな
った。
﹁わたしも⋮⋮わたしだって、マヤの友達になりたい!﹂
わたしは右手を伸ばして、マヤの右手を掴んだ。
﹁うん、あたし達は、もう友達よ﹂
99
互いの手を握り合いながら、わたし達は立ち上がった。
﹁マヤ、大好き﹂
﹁あたしもよ、和美﹂
マヤは、高架水槽のある塔屋を左手で指差した。
﹁あそこに、登りましょう﹂
一体何をマヤは考えているのか判らなかったが、わたしはマヤを
信じて疑わなかった。マヤに続いて、わたしは搭屋の脇にあるはし
ごを上った。
塔屋に上がって水槽の脇を回ると、そこからは体育館の屋上が見
えた。どうやらここは、美術部の真上という事らしい。
屋上を見下ろしながら、マヤが話しかけた。
﹁ねえ、あたしたちはきっと、エピクリマ大陸の双子の巫女の生ま
れ変わりなのよ﹂
警察に追われているかも知れない状況など全く気にしていないマ
ヤが、いつかの話の続きを始めた。
わたしだって、もし本当にそうならどんなに素晴らしい事だろう
と、信じたかった。それに、前に見た夢の事もある。だから、わた
しもマヤの言葉を否定しなかった。
﹁きっとそうよ。だからわたしも、あの祭壇の夢を見たんだと思う﹂
マヤは、今度は体育館を指差した。
﹁一度、あそこに行ってみたいと思ったの。これから一緒に行って
みない?﹂
わざわざここまで登ったのに、これから一回まで戻るのかと思っ
たが、マヤの好きなようにすればいいと思って、わたしは首を縦に
振った。
﹁ええ、行きましょう。でも、まだわたし達を捜している人がいる
から、気をつけないと﹂
﹁それなら大丈夫よ﹂
そういうとマヤは、あろう事かそのまま前に一歩を踏み出そうと
した。慌ててわたしは、マヤの手を引き戻した。バランスを崩した
100
マヤは、その場で尻餅をついた。
﹁痛つつつ﹂
﹁早まっちゃ駄目ーっ!﹂
わたしに怒鳴られたマヤは、立ち上がりながら首をかしげた。
﹁早まるって、何を?﹂
﹁だってマヤ、今そこから飛び降りようとしたでしょ!?﹂
地面を見下ろしながら指すと、マヤはわたしの腕を掴んで少し上
にズラした。マヤに修正された指先は、体育館の屋根に向けられて
いた。
﹁何言ってんのよ、あそこに行くって言ったでしょ。下から屋根に
上る方法は無いんだから、他にどうやって行くのよ﹂
ようやく、わたしにもマヤの意図が理解出来た。マヤは、ここか
ら体育館まで直接行くつもりなのだ。
﹁ええっ? そんな事が⋮⋮﹂
途中まで言いかけて、マヤが超能力が使える事をわたしは思い出
した。
﹁何だ、空を飛べるんなら最初から言ってよ﹂
﹁空を飛ぶ? 誰が?﹂
﹁え?﹂
マヤの返事に、わたしは呆けた。もしかして、何も考えてなかっ
ただけなの?
﹁だ、だって、ここからあそこまで行くのよっ。空が飛べないなら、
どうやって行くっていうのよっ?﹂
﹁歩いて﹂
マヤの答えは、とても簡単だったが無茶苦茶だった。
﹁そんなの、出来るわけないでしょ!﹂
﹁出来るわよ。和美と一緒だから﹂
﹁ええっ?﹂
明らかに根拠の無いことを言いながら、マヤはわたしの右手を左
手で握った。
101
﹁あたしはね、和美と一緒ならこの程度の事なら簡単に出来るって、
信じてる。和美は、あたしの事を信じてないの?﹂
真正面から刺すような視線で見つめられていたら、わたしの心に
も自身が満ちてきた。わたしも、マヤとだったら何でも出来そうな
気がしてきた。
﹁わたしも、マヤを信じてるわ﹂
マヤに掴まれている手を、わたしは固く握り返した。
﹁行きましょう、マヤ﹂
﹁ええ、和美﹂
わたし達の目の前には、空が広がっているだけだった。それなの
に、不思議と恐怖は感じられなかった。ただ、マヤの暖かい手の感
触だけが、いまのわたしの全てだった。
わたし達は、手を取り合って空中へと足を踏み出した。それは、
とても自身に満ちた足取りだった。ちゃんと、何かを踏む事さえ出
来れぱ。
わたしが全身で感じたのは、一瞬の浮遊感とそれに続く落下する
感触だった。
隣のマヤを見ると、何か照れ笑いをしていた。やっぱり、出来も
しない事を出来ると信じても、出来ないに決まっていたのね。そん
なマヤの心が、手に取るように感じられた。
そうか、無理だったのね。
もうすぐ地面に激突するというのに、わたしは落ち着いていた。
それはきっと、マヤの友達になれたというのが、わたしにとって大
きな喜びだろう。マヤと信じあえたのなら、どんな結果になろうと
わたしはそれを受け入れるつもりだ。
目をつぶると、マヤと出会ってから今までの出来事が、走馬灯の
ように浮かんで消えた。
*
102
そこは、いつもの祭壇のある舞台だった。前回は舞台の下にいる
人々がいなくなっていたが、今度は屋根が消えていた。別に開閉式
の屋根というわけではない。破壊されたのだ。
天上に開いた大きい穴から見える外の景色は、黒い空が広がって
いた。穴の縁からは、崩れ落ちた石の粉がパラパラと降っていた。
人々で埋め尽くされていた広場には、今は大小様々な瓦礫が散りば
められていた。
マヤに似た少女が、わたしの前で震えてた。今までわたしを導い
てくれていた少女が、わたしの前で怯えた顔をしていたのだ。
そんな彼女を、わたしが両肩を掴んで引き寄せた。そのままわた
しに抱きしめられた少女は、両腕を広げて抱きしめ返してきた。
まるで、この世の終わりが迫っているようだった。今のわたし達
に出来る事といえば、互いの温もりを求め合って恐怖に耐える事だ
けだった。
もしここが本当にエピクリマ大陸だと言うなら、いつかは海の藻
屑になる運命だった。それが今だというのだろうか。
103
マヤと行く! 4
気が付くと、わたし達は仰向けに寝転んで青空を見ていた。視界
の中に旧校舎が入っていなければ、屋上で見た景色そのままの青空
に思えただろう。
ここは、校舎の下にあるアスファルトだった。
﹁和美、聞こえてるぅ?﹂
隣で寝転んでいるマヤが、話しかけてきた。
﹁あれ?﹂
わたし達は、生きていた。体中が痛いから、地面に確かに激突し
たのだろう。その時の記憶は、なかったけど。
マヤがヨロヨロと力なく立ち上がるのを見て、わたしも立ち上が
った。不思議なことに、立ち上がれない程の大きい怪我はしていな
かった。
﹁どうやら、助かったみたいね﹂
﹁え、ええ﹂
助かったのは嬉しいんだけど、今のわたし達の状態は、マヤの水
を操る力では説明がつかない。ただ、学校程度の高さの場合、落ち
ても助かる事も珍しくは無い。上手に受身を取れば、立って歩ける
確率もかなり低いが無いわけではない。
目をつぶったのは、まずかった。まさか、自分でも何故助かった
のか判らないとは。
﹁ねえ、マヤは何が起きたのかは、見てないの?﹂
﹁それが、あたしも肝心なときに目をつぶっていたから、判んない
の﹂
手ですみませんのジェスチャーをしながら微笑んでいるマヤは、
何か可愛かった。
﹁そうだ! 早く行きましょう!﹂
104
わたしの後ろに回ったマヤが、背中を押してせかした。確かに、
わたし達が屋上から落ちたのは、新校舎や校庭からまる見えの筈だ
った。もしかしたら、心中しているように見えたかもしれない。
まだ誰もここに来ていないのが不思議なくらいだ。いや、不思議
なんてものではない。明らかに変だ。
﹁そうね、早く学校から出ないと﹂
わたしがそう応えると、マヤがビックリした顔になった。
﹁ええっ? 体育館に行くに決まってるでしょっ?﹂
何とマヤは、まだ屋根に登るつもりだった。
一体どう言えばマヤが諦めるのかを考えていると、背後から声を
掛けられた。
﹁いつまでこんな所にいるのよ!?﹂
わたしが振り返ると、そこには平岩部長が腕組をして立っていた。
ここに来たのは偶然なわけはなく、わたし達に用があるのは明らか
だった。
﹁あなた達は、ここでグズグズしていないで、早く学校から立ち去
りなさい!﹂
校門の方を指して、部長がせかした。
﹁あたしは、嫌よ。体育館に行かなきゃいけないんだから﹂
マヤは、やっぱり体育館を諦める気にはならないようだ。
﹁今は行っちゃ駄目。体育館では緊急全校集会をしている所だから。
私だって、あそこから抜け出すのは大変だったのよ﹂
どうも生徒達を見かけないと思ったら、そういう事だったのだ。
そうすると、エフェメラさんみたいに目立っている人は、体育館か
らは絶対に出られないだろう。もしかすると、さっきの件で彼女ま
で叱られているかもしれない。いずれは、エフェメラさんにも謝ら
ないと。
﹁体育館は逃げないんだから、また今度行きましょ﹂
そう言ってわたしは、マヤの右手を両手で持って引いた。二人の
腕力には格段の差があったのだが、マヤはわたしに引っ張られてく
105
れた。
﹁しょうがないわね。体育館はまた今度にするわ﹂
わたし達は、部長にお礼を言って学校を後にした。
この時、色々と感じた疑問点を、わたしは全部後回しにしてしま
った。その事が、マヤの立場を益々悪くする事に思い至るべきだっ
たのに。
*
学校を抜け出したわたし達だったが、これからどうすべきかなん
て全く考えていなかった。マヤの提案で、コンビニに行ってお金を
マヤのカードで引き落とせるのを確認したから、慌てて何かをする
必要も今は無かった。
今は、弁当を学校に置きっ放しにしたわたしの為にマヤがおごっ
てくれたオニギリとウーロン茶を、公園の東屋でくつろぎながらい
ただいている所だった。ケータイの電源は切ってあるので、二人の
時間は誰にも邪魔されない。
ただ、マヤがお金を下ろした時に一つ気になる事があった。カー
ドに刻印されている名前が、何となく長い気がしたのだ。見たのは
一瞬だったし小さいローマ字だったので詳しくは読めなかったが、
本当にマヤのカードだったのか気になってしまった。大抵の質問は
宇宙人とエピクリマ大陸で説明してしまうマヤだったけど、カード
まではそのせいにはしないだろう。
オニギリを平らげた後に、わたしはマヤにその事を聞いてみた。
﹁このカード? 面倒だから、お父さんの名前のままなの﹂
そう言ってマヤが出したカードには、たしかに男の名前が刻まれ
ていた。
﹁父さんのカードを使って、大丈夫なの?﹂
マヤの言葉にある違和感が気になって、よせばいいのに更に聞い
てしまった。
106
﹁大丈夫だと思うよ。お父さん、死んじゃっているし﹂
もっと早く気が付くべきだったと、後悔した。しかも、父親のカ
ードを娘がそのまま使っているという事は、母親もいないのだと判
ってしまった。
何と言ったらいいのか判らずに口ごもっているわたしに、マヤが
猫がじゃれるように擦り寄ってきた。
﹁そんなに難しく考えなくて、いいの。あたしは、今のままでも充
分に満足しているんだから。それに、あたし達は、折角友達になっ
たんだから、もっとお互いの事を知った方がいいって思うの﹂
マヤが本心からそう言っているのは、わたしにも判った。ほんの
愛想笑い程度だったけど、マヤの笑顔に感化されて、わたしも口元
がほころんだ。
それから、わたし達はお互いについて中学の頃とか家族について
とかを夕方まで語り合った。そういえば、入学時のクラスメートと
のの自己紹介では、マヤは先生に連れ出されていたのでその場にい
なかったのを思い出した。
わたしが知ったのは、マヤが中二の時に男手一つで自分を育てて
くれた父親が殺されたという事だった。そして、その犯人は既に死
んでいるらしい。
思えば、キャンバスを破られた直後のミツル先生は、妙にマヤに
過剰に親身になっていた。担任の立場として、相談する家族がいな
いマヤの境遇を知らされていたのだろう。
わたしの方はと言えば、母親は専業主婦で父親は商社の営業マン
という、特に珍しくも無い普通の一人っ子だった。もっとも、マヤ
にとっての普通が明らかにわたしと異なるので、商社でどんな仕事
をしているのかまで話す事になったけど。
マヤがFRマガジンを読むようになったのは去年の夏で、自分に
特別な力があるのを知った事が切っ掛けだった。その力の意味を知
りたくて超能力関係の本を読んでいたら、エピクリマ大陸と宇宙人
の伝説を知ったのだ。マヤは、自分こそが大陸の双子の巫女の片割
107
れで、もう一人を捜して来るべき宇宙人の再来に備える使命がある
事を悟ったらしい。
夏休みでも受験勉強しかしていないわたしの中学時代とは、天地
の開きがあった。
受験勉強といえば、マヤは特に何の勉強もしなくてもテストの答
えが判るらしい。恐らく、エピクリマ大陸が沈んでから今までの間
に何度も転生していたので、今までに生まれ変わった人達の知識が
頭の中で眠っているらしい。確かに、エフェメラさんの母国語をマ
ヤは何の学習もしていないのに話せていた。
マヤとわたしが互いの過去を語り終えた頃には、もう夕方になっ
ていた。警察がわたし達を捜しているなら、とっくに見つかってい
てもおかしくない頃だ。もしかすると、家にも堂々と帰っていいか
もしれない。しかし、警官が家に張り込んでいる可能性もゼロでは
ない。
どうしようか考えていると、マヤがベンチから立ち上がりながら
わたしの手を引っ張った。
﹁そろそろ行きましょう、和美﹂
﹁行くって、どこへ?﹂
﹁決まってるじゃないの?﹂
マヤの屈託の無い笑顔を見ながら、わたしは考えた。マヤにとっ
て当然の事といったらそれは宇宙人だ。最後にマヤが宇宙人の話を
したのは⋮⋮。
﹁ヒューマンミューテレーション!﹂
﹁その通り! さあ、宇宙人を捜しに行くわよ﹂
それはつまり、殺人犯を捜すという事だ。
﹁ちょ、ちょっと待ってよ。何の準備も無しで宇宙人に会うのは危
険よ。こないだだって、カッターナイフで襲われたばかりじゃない
の﹂
マヤに宇宙人を諦めさせる事は、初めから諦めてた。それでもわ
たしは、少しでもマヤを危険から遠ざけるための説得を試みた。
108
﹁うん、和美の言う事にも一理あるわね。よし、準備をしてから行
きましょう﹂
どうやらマヤは、判ってくれたみたいなので、わたしはほっとし
た。
109
マヤと行く! 5
マヤが揃えた﹃準備﹄を見て、わたしは自分の見込みの甘さを痛
感した。
懐中電灯や折り畳み傘はまだいい。しかし、方位磁石やロープま
で持っていくなんて、まるで登山だ。
他にもマヤは、ペットボトルを数本リュックサックに入れていた。
わたしも、十リットル程度の水が入ったポリタンクを載せたカート
を任された。しかし、いくらマヤには超能力があるといっても、本
気で殺しに来る犯人を相手にするには、やはり不安が残る。
宇宙人の仕業だと思ってないわたしは、気休め程度だけど武器を
用意する事にした。とはいえ、女子高生が雑貨屋でいきなり買って
も怪しまれない刃物なんて、果物ナイフかカッターナイフ程度だ。
カッターにはいい思い出が無いので、わたしは果物ナイフを買って
カートにセロハンテープで巻いておいた。一応、マヤの分も用意し
ておこう。
準備が済んだわたし達は、ファミレスで作戦会議を開いた。マヤ
が、テーブルの上にチキンピラフと並べて地図を広げた。
﹁和美が見た現場って、ここよね﹂
マヤは地図に赤く印をつけた。割と縮尺の大きい地図だったが、
わたしが死体を見た路地までは無かったので、大雑把な印になって
しまった。
﹁和美は、なにしに路地に入ったの? もしかして、花摘み?﹂
﹁違います! わたしがあそこに行ったのは⋮⋮﹂
マヤがどう反応するのか予想できたわたしは、声が尻すぼみにな
ってしまった。
﹁ん、どうしたの?﹂
マヤが首をかしげながら、わたしの顔を覗き込んだ。このままで
110
は、本当にわたしが路地で用足しした事にされてしまう。
﹁あそこで、見たのよ。マヤにそっくりな人を﹂
﹁あたしにそっくり?﹂
マヤが目を輝かせた。やっぱりマヤは、宇宙人の仕業だと思って
いるに違い無い。こうなったら、全部打ち明けた方がいいだろう。
﹁外見も服装も同じで、眼鏡だけが違っていたの。イヤリングだっ
て、マヤと同じだったし⋮⋮。そうだ、イヤリングよ!﹂
﹁イヤリングがどうしたの?﹂
わたしはマヤに、イヤリングの持ち主について思った事を話した。
そもそも警察がマヤを疑ったのは、わたしが落としたイヤリングの
購入者を全員調べたからだ。その中で怪しいと睨まれたのが、マヤ
だった。だとするなら、マヤにそっくりな少女もイヤリングの持ち
主の一人として、警察が調べている筈だ。その事を警察に出頭して
打ち明ければ、マヤの容疑も晴れるかもしれない。
そこまで説明した所で、マヤは首を横に振った。
﹁言いたい事は判ったけど、多分それは無理ね﹂
﹁どうして? 宇宙人がマヤに化けていたから?﹂
﹁だって、あのイヤリング、あたしもこないだ落っことしたんだも
ん﹂
﹁えっ?﹂
それじゃあ、あの少女もわたしみたいに、拾ったイヤリングをつ
けてマヤのコスプレをしているだけって事? 真実は、あまりに呆
気なかった。顔までそっくりというのは、もう変装とか特殊メイク
のレベルで、わたしよりスゴいけど。
﹁このイヤリングについて警察に聞かれて、あたしは正直にこない
だ落としたって言ったのに、なんであんなに怒るのかな?﹂
まあ、そこは信じろっていう方が虫のいい話だろう。勿論、現場
にイヤリングを落としたわたしが一番悪いんだけど。
それにしても、わたしみたいにマヤのコスプレをしたがる人が本
当に他にもいるのだろうか? 勿論、マヤの良さが判るのはわたし
111
だけ、なんて思ってはいないけど。実際にエフェメラさんもマヤが
嫌いじゃないし。
﹁あたしに化けた宇宙人に遭うためにも、話しを戻すわよ、和美﹂
マヤが、現場の周囲の何ヶ所かに印をつけた。
﹁もし、ヒューマンミューテレーションが再び起きるとしたら、同
じくらい暗い場所でしょうね。区画が広い場所は、当然その中心が
暗くなるわ﹂
宇宙人の仕業だと思っている割には、マヤは意外にまともな推測
を立てていた。
﹁この繁華街なら、あたしもよく行く店があるし、イヤリングを紛
失した時期にも確かに行った覚えがあるわ﹂
わたしとマヤ、謎の少女の三人が同じ場所で活動していないと、
イヤリングの件は偶然でなく故意だとしても説明が確かにつきにく
い。
﹁腹ごなしが済んだら、早速行きましょう﹂
そう言って、マヤは地図をたたんだ。いいタイミングだと思った
ので、わたしはマヤに疑問に思っていた事を尋ねてみた。
﹁どうしてマヤは、それが宇宙人の仕業だと判ったの?﹂
わたしの質問に、マヤは何かカードみたいな物を出して答えた。
﹁実は、校長室から抜け出す時についでに持って来たんだけど、こ
れが警察に見せられた現場の写真なの。これを見ると判るけど、死
体の致命傷となった⋮⋮。和美、聞いてるの?﹂
危うく吐きそうになった口を押さえて、わたしはウンウンとうな
った。
食事中に、えらい物を見せられてしまった。思えばわたしは、マ
ヤに何か聞く度に後悔しているような気がする。
マヤのように、平気な顔で真っ赤なピラフをほお張る真似は出来
なかった。
それでも、見落としがあってはいけないと思い、写真を見る為に
夕食を勢い良く口の中に詰め込んで一気に飲み込んだ。これで、歯
112
を食いしばりながら写真を見れば、もう戻さないだろう。
改めて写真を見ると、大変な事が判った。
﹁え? 朝島先輩じゃないの!?﹂
何と、被害者は、美術部の朝島先輩だったのだ。
﹁今頃になって何言ってんのよ、和美﹂
﹁だって、昨日の路地は暗かったし、写真みたいにフラッシュで照
らされていなかったから、女性としか判らなかった﹂
まさか、被害者が身近にいる人だとは思わなかった。どうやら、
マヤが疑われる理由は、イヤリングだけでは無かったようだ。
﹁そうか、だから全校集会を開いたんだ﹂
考えてみれば、警察が来ていたのは秘密だったのだから、マヤが
校内で暴れて逃げ出しただけだ。まあ、目ざとい生徒の何人かには
感付かれていたようだが。
わたしが思うに全校集会は、生徒が殺されたから夜間の外出は控
えましょうとかいう内容だったに違いない。
そうなると、警察が来た本当の理由は朝島先輩が殺されたからで、
マヤからは事情を聞くだけだったのだろうか? まあ、イヤリング
は無くしたですました上に宇宙人の仕業だとか言って、マヤも事態
を悪化させていたけど。マヤは悪気も無ければ嘘も全然ついていな
いから、余計にタチが悪い。
﹁だけど、マヤが理由も無くこんな残酷な真似が出来ると、どうし
て思えるのかしらね﹂
﹁ホント、理由があればやるけどね﹂
﹁いや、そうじゃなくて⋮⋮﹂
やっぱり、尋問に乱入して正解だったのかな。
そういえば、動機は何なのだ? 見落としていた事実に、わたし
は気がついた。
﹁ねえ、マヤって女の子よね?﹂
﹁そりゃそうよ。男だったら、和美を今頃いただいているわよ﹂
嬉しいような恐ろしいような、それでいてくすぐったい気持ちに
113
なったが、わたしは話しを続けた。
﹁そう、そこよ。女の子のマヤが疑われているって事は、朝島先輩
は殺されて腹を裂かれたけど、それ以外の事は全くされていないっ
て事でしょ? 少なくとも、犯人の性別を特定出来るような目には
合っていない﹂
わたしの推理に、マヤは頷いた。
﹁つまり宇宙人は、地球人との交配を試みていないという事ね。そ
うなると、どうして腹を裂いたのかしら。地球人の腹には、他には
胃腸や肝臓、腎臓が入っているけど、それらがどうして宇宙人の研
究材料に成り得るかよね﹂
犯人が宇宙人にしろ地球人にしろ、やはり写真だけでは動機は判
らないようだった。
114
マヤと行く! 6
事情を説明しにくい事もあって、まだ母さんには電話の一つもし
ていなかった。かなり心配しているのは判っているけど、もし事件
をわたし達の手で早いうちに解決出来るのならそうしたい。
九月とはいえ、まだまだ日が落ちる時間は遅い。朱色の空の下で、
わたし達は手近な路地裏に入り込んだ。ここは事件現場のすぐ近く
で、振り返れば黄色いテープで飾られた立ち入り禁止となっている
路地も見える。
﹁今夜中には、この辺りの路地を全部回るんだからね、グズグズし
ないで﹂
ペットボトルを取り出して、マヤは先に進んだ。何故かこの路地
は石や瓦礫が散らばっていて、わたしの引いているカートの車輪が
一々引っかかってしまう。
﹁待ってよ、マヤ﹂
結局、ポリタンクを掴んでカートごと持ち上げた方が早いという
結論に達して、わたしはそれを実行して小走りでマヤを追い駆けた。
わたしは、殺人犯にしろ宇宙人にしろ、人殺しと戦う事ばかりを
心配していた。大変な事を見逃していたと思い知ったのは、路地に
入って五分後だった。
薄暗い路地裏は、人気も無い寂しい場所だった。
﹁なんか、いいよね。こういう雰囲気﹂
マヤは、輝く茜色の縞模様に彩られた景色の中を、踊るように駆
けぬけて行った。リュックの水が十キロもあるとは思えない程の軽
やかさだ。やっぱりわたしが好きになった少女は、何をやらせても
絵になる。まあ、わたしの欲目じゃないかと言われれば反論できな
いんだけど。
そんな事を考えていたら、転倒してしまった。
115
﹁あいたたた。一体、なによ⋮⋮!﹂
足元を見て、わたしは驚いた。黒い手が地面から伸びて、わたし
の足を掴んでいるのだ。しかも、もう一本の手がサバイバルナイフ
を振りかざしてこっちに迫っていた。
﹁マヤッ!﹂
わたしが叫ぶよりも早く、水のビームがナイフを持っていた黒い
手を貫通した。指を三本失った黒い手は、ビックリしたように慌て
て、地面の中に引っ込んで消えた。血とか体液といったものを全く
出さない所を見ると、やはり生物ではないのだろう。
わたしは、カートに縛ってあった果物ナイフを引き抜いて、足を
握っている黒い手に突き刺した。わたしの足から離れた黒い手は、
闇雲に踊るように暴れだした。いや、踊っているのではない。地面
に潜って隠れようとしているのに、手首に刺さったナイフが邪魔で
思うように潜れないでいるのだ。
﹁和美っ! 大丈夫!?﹂
マヤが、ペットボトルを振り回しながら駆け寄って来た。
﹁今よッ!﹂
その一言だけで何をすべきか察したマヤが、ペットボトルの口を
黒い手に向けた。高圧で発射された数発の水の弾丸は、黒い手に次
々と穴を空けた。穴という穴から黒い煙を噴き出して、黒い手は小
刻みに震えていた。黒い手は、噴出した煙の量に反比例して小さく
なっていき、最後は僅かな黒い灰だけを残して消滅してしまった。
﹁どうやら、倒せたみたいね﹂
マヤ灰の前にしゃがむと、空のペットボトルにそれを集めだした。
宇宙人と戦った記念品にでもするつもりだろうか。
﹁だけど、どうして黒い手がまた出たの? 滝畑さんの仕業ってこ
とはないわよね﹂
﹁彼女は関係なさそうね。やっぱり宇宙人が犯人だったのよ﹂
マヤが、とても嬉しそうに笑った。わたしの方は、まだ状況の整
理が出来なかった。
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結局、わたしの周りで起きている様々な事件は、どれも一つに繋
がっているという事らしい。だとすると、その大本は何なのだろう
か。まさか本当に宇宙人とかエピクリマ大陸とかじゃないでしょう
ね。
灰を集めていたマヤが、ペットボトルを投げ捨ててリュックから
懐中電灯と水の入ったペットボトルを取り出した。懐中電灯をわた
しに投げたマヤは、地面に落ちていたサバイバルナイフを拾い上げ
た。果物ナイフは、黒い手と一緒に破壊されたのだ。
﹁和美は、ライトをお願い﹂
この懐中電灯は、単一電池を四本も使う大型でかなり明るそうだ
った。懐中電灯のスイッチを入れると、期待を裏切らない明るさを
頼りに、わたしは用心深く周囲を見回した。
マヤのキャンバスを破った時は、黒い手が壁から生えていた。周
囲がフェンスに囲まれていた屋上と違って、ここなら黒い手は横か
らも上からも襲って来るだろう。しかもここは、壁同士が近距離で
向かい合っている路地裏だ。つまりわたし達は、のこのこと敵のホ
ームに入り込んでしまったのだ。
これは、殺人犯の正体を只の人間だと思い込んだわたしの失策だ。
今は、このピンチをマヤと一緒に切り抜けないと。すぐにでも逃げ
出したい所だが、かなり路地の奥まで来てしまった。道順は憶えて
いるけど、明るい所に出るまで逃げられるだろうか。
﹁マヤ、背後を取られないように注意しないと﹂
わたしの提案を理解したマヤは、こちらに背中を向けて後ずさっ
た。わたしも、背中をマヤに向けて前方と上に注意しながらカート
を引いて後ろに下がった。お互いの背中が触れ合う事で、背後から
いきなり襲われる心配は無くなった。
﹁倒したのは左手だったから、後は右手だけよね﹂
そうであってほしいという気持ちを込めて、マヤに話しかけた。
﹁阿修羅とか千手観音でなければね﹂
﹁そ、それは言わないで﹂
117
わたしが最も恐れている事を、マヤはためらいも無く口にした。
﹁大丈夫よ。本当にそうなら、最初から一斉に襲って来る筈だから﹂
マヤのいう事も、確かだろう。この路地で囲まれたら、もう逃げ
られない。それをしないというなら、二本しかいない確率は高い。
しかも、右手も指が三本ないのだから、相手は勝ち目がかなり薄い。
黒い手は、もう襲ってこないかもしれない。
﹁あのね、マヤ﹂
黒い手が来ないようならもう帰ろうかと言いかけたとき、怪しげ
な音がした。しかもわたしの正面、帰り道の方から聞こえてくる。
ズルズル、ペチャ、ズズズズ。
あの黒い手は、あんな音を立ててなかった。わたしの見込みは、
またも甘かった。敵は黒い手だけとは、限らないのだ。マヤも挟み
撃ちの可能性を気にしながら、慎重に振り返った。
﹁まさか、新しい敵?﹂
黒い手が倒されたから、また違う何かが襲って来たのだろうか。
どんなに見たく無くても、ちゃんと見なければ負けてしまう。路地
裏で見た先輩の死体が、わたしの脳裏をよぎった。これ以上判断ミ
スをすれば、あんな風に殺されてしまうのだ。
異様な音の主が、次第に懐中電灯で照らされている範囲に入って
来る。
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
そこにいたのは、指を失った右手だった。左手も無くなっていた。
確かにそこまではわたしの予想した通りだった。出現した手も、一
本だけだった。しかし、事態は悪くなっていた。黒い右手は、黒い
体から生えていたのだ。勿論、足もある。さっきから聞こえていた
のは、こいつの足音だったのだ。
﹁黒い手に、本体があったなんて!﹂
﹁宇宙人が出て来るのは、予想の範囲でしょ。驚かないの、和美﹂
いや、あれはマヤが思っているような宇宙人じゃないと思う、多
分。
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漆器のように艶のある黒い体の上には、まるでボウリングか砲丸
のような黒い球体が頭部のように乗っていた。球体の中央には、同
心円を描いた黒い模様が一つ浮かんでいるので、それが目かもしれ
ない。目があるという事は、たとえ操っている人間がいたとしても、
ここからは見えない遠い場所にいるかもしれないという事だ。
しかも、黒い体が持っている武器は、ナイフなんて可愛い物では
無かった。戦争映画で見るような銃だ。
﹁でも、宇宙人がライフルなんて、使うの?﹂
﹁和美、あれはショットガンよ﹂
﹁ええっ!?﹂
ショットガンっていったら、弾が無数に広がる銃じゃないの。狭
い路地では、ライフルよりも強力で確実だ。
﹁で、でも、ショットガンなら一発撃てば終わりよね? 片手じゃ
弾を入れなおすのは大変だし﹂
﹁最初から銃を使わないって事も、弾が一発しかないからだと思う
しね。問題は、その一発をどうするかよ﹂
相談している間にも、黒い体はこちらに銃口を向けてきた。
﹁和美! 灯りを投げて!﹂
自分が格好の的を持っている事をマヤに指摘されて、慌てて懐中
電灯を黒い体に向かって投げつけた。ショットガンの銃口が、頭上
で弧を描く懐中電灯の灯りに反射的に釣られて向きを変えた。
﹁今よっ!﹂
マヤのペットボトルから、水の弾丸が発射された。その攻撃は、
やはりショットガンに集中した。
ダーンッ!
暴発したショットガンから、見当違いの方向に弾が発射された。
わたしの頭上で雨どいが砕けて、破片が降り注いだ。
﹁うわっ﹂
敵から目を離すわけにはいかないわたしは、片手を頭上にかざし
て破片から身を守った。
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﹁キエーイッ!﹂
意味の判らない奇声をあげたマヤは、リュックを黒い体に向かっ
て投げつけた。そのリュックからは、水が振り撒かれている。事前
にマヤがリュックを、サバイバルナイフで穴だらけにしていたのだ。
大きな水の固まりも同然となっていたリュックは、マヤの水を操る
力によって銃弾並みのスピードに加速されていた。
弾丸どころか砲弾となってリュックが衝突すると、黒い体は一瞬
で粉砕された、上半身が吹っ飛ばされ、残った二本の足が地面に転
がっているだけとなったのだ。
﹁ええ!?﹂
残された足の断面を見て、わたしは驚いた。そこから、砕けた機
械や電子機器の残骸が顔を出していたのだ。黒い体の正体は、ロボ
ットだった。
﹁これこそ、宇宙人の科学力で作られた証拠よ!﹂
マヤの笑い声が、路地裏に響いた。まあ、彼女ならそう言うんじ
ゃないかとは思っていたけど。
120
マヤと行く! 7
嬉々として足を拾っているマヤを眺めながら、わたしは納得出来
ない事を考察した。
﹁だけど、黒い手は確かにロボットではなかったわよね﹂
要するに、腕以外の部分がロボットだったという事になる。壁か
地面からしか出てこれない黒い手にとって、体は何処からでも出現
できる動く壁だったという事だ。一々武器を地面に置いてから出現
して、武器を持つ必要がある面倒さも、ロボットに背負わせれば武
器の方から来てくれる。
そこまで考えて、重大な事にわたしは気が付いた。
﹁マヤ! 黒い腕は、まだ生きているわ!﹂
わたしが言い終わるよりも先に、黒い手がマヤの足元から出現し
て足首を掴んだ。
﹁うわっ!﹂
黒い手は、壁の上までマヤごと登って行った。マヤも女の子だか
ら大して重くないとはいえ、あんなに黒い手が怪力だとは思わなか
った。マヤは両手を振り回すが、向かいの壁までは僅かに足らなか
った。ビルの七八階あたりの高さで、黒い手はマヤを放り投げた。
﹁ひゃ!﹂
小さい悲鳴をあげて、マヤは落下して来た。
﹁マヤッ!﹂
わたしはカートを捨てると、マヤの真下に向かって全力疾走した。
別にマヤをキャッチ出来るとは思っていないが、マヤを見捨てるな
んて選択肢はわたしには全く無かった。
突然わたしはドンと突き飛ばされ、地面に転倒した。尻餅をつい
たまま見上げると、女性と思われる人影が宙を舞っていた。いや、
路地の左右の壁を次々と蹴って、素早く斜め方向に跳び上がり続け
121
ていたのだ。
﹁あれはっ!?﹂
空中でマヤをキャッチしてお姫様抱っこすると、再び壁を蹴り続
けて華麗に地面に着地した人影の正体は、わたしもよく知っていた。
﹁エ、エフェメラさん?﹂
間一髪でマヤを助けたのは、エフェメラさんだったのだ。
﹁エフェメラ! あいつを倒すのは、今しかないわよ!﹂
マヤが上を指すと、サバイバルナイフが刺さった黒い手が壁に潜
って逃げ出そうとしていた。マヤは、放り投げられた瞬間にナイフ
を投げていたのだ。黒い手の主も、マヤがここまで執念深いとは思
っていなかったろう。
しかし、果物ナイフの時とは違って、今度はナイフごと壁に潜ろ
うとしていた。このまま逃げられたら、今度はいつどこから襲って
くるか判らなくなる。
﹁私に任せたまえ。フライデイ!﹂
その言葉を合図に、エフェメラさんの長髪の下から何か奇妙な物
が出現した。見た所それは、長さは十五センチ程度のシャーペン並
みの太さの銀色の円筒形の物体だった。恐らくフライデイというの
は、その物体の名前だろう。
それが数本、まるで小鳥のように宙を舞って、黒い手に向かって
行ったのだ。しかもそれの先端が輝くと、黒い手が煙を出してのた
打ち回った。
間違いない、その物体はレーザーか何かを発射していた。レーザ
ーに何度も貫かれた黒い手は、さっきの左手のように。煙を吹いて
消滅した。
頭に落ちて来た灰を手で払いながら、マヤは足元に落ちて来たサ
バイバルナイフを拾い上げた。
﹁このナイフ、サバイバルナイフぽく加工してあるけど、元はクリ
スナイフだったみたいね。ほら、何か文様がうっすらと残っている﹂
エフェメラさんが、ペンライトを取り出してナイフを照らした。
122
わたしも、二人の後ろからナイフの刀身を見てみた。すると、確か
に波線にも筆記体にも見える模様が浮かんでいた。刀身の一部はレ
ーザーで焼かれたので、全体的な模様は想像も出来ない常態だった
が。
﹁きっと、このナイフだったら黒い手が握ったままでも地面に潜れ
る筈だったのね﹂
それで、さっきは黒い手が壁に潜れたのか。これで、壁に潜れた
理由は判った。
﹁ハンドメイドの可能性が高いから、入手ルートは知りようが無い
わね﹂
そう言いながら、マヤはナイフを自分の服の下にしまった。
エフェメラさんの髪から出て来たフライデイとかいう物体は、い
つの間にか見えなくなっていた。どうやら、また髪の中に収納され
たのだろう。
マヤが、エフェメラさんの肩に手を回した。
﹁よく来てくれたって言うべきかしら。今まであたし達をつけてい
たんでしょ?﹂
﹁正確には、町中をこいつで探し回っていたんだ。間に合って良か
った﹂
エフェメラさんの髪の毛から、またフライデイが一体出現してわ
たし達の前で浮いたまま停止した。どういう仕組みで浮いているん
だろう? まさか、反重力とかいうんじゃないでしょうね。
いや、それよりも大事なのは、あれがわたし達を見張っていたと
いう事だ。つまり、フライデイには目というかカメラがあるという
事になる。
﹁ひょっとして、キャンバスを黒い手が破ったのを撮影したのは、
タブレットPCではなくてこっちじゃないの?﹂
﹁ああ。確かにそうだが、どうして判った?﹂
﹁だって、机に入っていたなら、タブレットPCのカメラは下か上
を向いているはずよ。机の前に立て掛けてあったキャンバスは、撮
123
影できない。今まで何かおかしいとは思っていたけど、そういう事
だったのね﹂
だが、それはそれで気になる事があった。
﹁だったら、屋上で襲われた時にこれを使えば、もっと早く解決し
たんじゃないの?﹂
わたしに睨まれて、エフェメラさんは困った顔をした。
﹁確かに、すぐにフライデイを使えば、マヤが髪を切られなかった
かもしれない。しかし、私にも事情があったんだ。出来れば、そこ
は察して欲しい﹂
夜の路地裏と学校の屋上では、確かにわけが違うだろう。他の生
徒に見られても何とか誤魔化せそうなのは、精々ジャンプ力なのも
判る。そういえば、ジャンプ力の秘密は聞いていなかった。それく
らいなら、聞いても大丈夫だろう。
﹁それじゃあ、エフェメラさん。どうしてあなたは壁を駆け上った
り出来るの?﹂
わたしが尋ねると、エフェメラさんは真剣な顔つきでわたしの目
を見た。
﹁これから見る事は、誰にも言わないと約束出来るか?﹂
﹁え、ええ。絶対に言わないわよ。マヤも言わないよね?﹂
マヤは、わたしとエフェメラさんに向かって頷いた。
﹁勿論よ。あたしは今まで、約束を破った事はないわ﹂
そもそも、マヤと約束した人なんて、今までいなかったけど。
﹁そうか、それなら私の秘密を二人にだけ見せてやろう。驚かない
で見るんだ﹂
エフェメラさんはそう言うと、両手で長髪をたくし上げて後頭部
をわたし達に見せた。
﹁な、何よこれ?﹂
そこには延髄が本来ある筈なのだが、三センチ四方の正方形の銀
色の板がついていた。その板が上方向にスライドすると、その奥で
には機械や電子機器があった。更に良く見ると、そこにはフライデ
124
イらしい物が半分だけ見えていた。どうやらフライデイは、ここか
ら発射されるみたいだ。
それだけでなく、今度は後頭部の上半分だけがバスケットのフタ
が開くように回転しながらスライドした。長髪があるので判りにく
いが、髪の隙間から何か銀色に輝く無機的な物体が見え隠れしてい
た。
つまり、エフェメラさんの頭の中は普通の人間とは明らかに違う
のだ。
﹁エフェメラさんって、まさかロボットなの?﹂
頭が閉じて、銀色の板がスライドして元の場所に戻ると、エフェ
メラさんはこっちに向き直った。
﹁その通りだ。私の体は見ての通り機械で出来ている。故郷の写真
なんかも、CGだ。それから、ロボットではなくレイ=デイと私の
創造主は呼んでいた﹂
そんなエフェメラさんの告白を聞いて、予想通りマヤはまたも目
を輝かせた。
﹁やっぱりエフェメラは只者じゃなかったのね。貴方の正体は、エ
ピクリマ文明の超科学が生んだ人造人間だったのよ!﹂
マヤのはしゃぎっぷりを見ていると、わたしの方は逆に冷静にな
ってきた。学園のアイドルが人間じゃなかったというのに、落ち着
いて事実を受け入れられた。
マヤに突拍子も無い事を言われても冷静なまま、エフェメラさん
は首を縦に振った。
﹁ああ、そうだな。私の誕生には、エピクリマ大陸の存在が深く関
わっている﹂
﹁まあ、やっぱりそうだったのね!﹂
大喜びではしゃいでいるマヤに対して、わたしはエフェメラさん
の言っている事がどこか不自然だと怪しんでいた。秘密にしてる事
がまだあるのではないだろうか。なぜだか判らないが、そんな気が
したのだ。
125
﹁エピクリマ大陸は、やっぱり実在していたのよ。FRマガジンに
発表しないと﹂
マヤは怪しい振り付けで踊りながら背後に回り、わたしの首に腕
を回してきた。そして、耳元で小さく囁いた。
﹁ねえ和美。表があってこその裏よ。表も見ないで、その向こうに
ある裏が判った気になんてならないでよね﹂
一瞬、マヤが昨夜に見たそっくりさんのように妖しい顔つきをし
たように見えた。そう思った次の瞬間には、マヤは再び踊っていた。
マヤが何を言たかったのか、わたしには判らなかった。いや、本当
にそんな意味深な事をマヤは言ったのだろうか? 数秒前の事なの
に、自分の記憶に自信が無かった。
エフェメラさん見ると、足元に落ちていた黒い体の頭部だった残
骸を拾い上げていた。
﹁こんな物を警察に見せて真犯人ですって言っても、信じないだろ
うな﹂
確かにエフェメラさんの言う通りなので、わたしは下を向いて思
い悩んだ。あれだけ派手に学校で暴れたマヤとわたしは、無実を証
明しないと殺人犯にされてしまう。
﹁別に大丈夫よ。犯人なんて、二人のどっちかなんだから。一人ず
つ当たれば、一晩で片がつくでしょ﹂
マヤが、変な事を言い出した。一体、いつの間にマヤは犯人の候
補を二人に絞ったのだろうか? いや、二人が誰なのか、わたしに
も判る気がしてきた。
﹁それって、ええと⋮⋮。そうかっ。あの窓に映った映像を見た人
達ね。ここに三人いるから、後は部長達の二人という事ね﹂
滝畑さんも、それを見てから黒い手を出現させたのだから、確か
にその可能性は高いといえた。
﹁さすが、飲み込みが早いわね。そうと決まれば、早速家庭訪問す
るわよ﹂
マヤの提案に、エフェメラさんも乗り気だった。
126
﹁二人の住所なら、私が知っている。颯爽先輩の家が、ここから一
番近い﹂
颯爽先輩といえば、始業式の日に会ったきり、ずっと学校を休ん
でいた。
﹁もしかして、一連の事件と颯爽先輩の欠席って、何か関係あるの
?﹂
﹁それを、あたし達で調べるんじゃない﹂
マヤは、とっくに乗り気になっていた。だけど、わたしは大事な
事に気が付いた。これだけは、マヤに今言わなければいけないと思
った。
﹁ちょっと待って、マヤ﹂
﹁どうしたの、和美?﹂
わたしは、地面に落ちているペットボトルやリュックの残骸を拾
い上げた。
﹁自分達で出したゴミは、ちゃんと自分達で片付けないと﹂
マヤはキョトンとした顔でエフェメラさんと顔を見合わせたが、
すぐににっこりと微笑んだ。
﹁うん、マヤの言う通りね。和美のそういう所は、あたし好きよ﹂
路地裏の掃除を終えてから、わたし達はあらためて颯爽先輩の家
に向かった。
127
マヤと行く! 8
颯爽先輩の家への移動中、わたしは前から不思議に思っていた事
があったのでエフェメラさんに尋ねた。
﹁そういえば、ゼミの合宿なんて言葉を聞いて、少し考えてから理
解していたよね?﹂
わたしの前を歩くエフェメラさんは、振り返りもせずにわたしの
質問に答えた。
﹁ああ、そんな事もあったな。あれは、頭の中で言葉の意味を検索
エンジンで調べたんだ。本当は私にはネットに接続する機能が無い
から、通信機能を一時的に応用した。だからどうしても、人間の脳
に匹敵するわたしの頭脳でもタイムラグが起きる﹂
疑問が解決して、わたしはすっきりした。
エフェメラさんが、足を止めて振り返った。
﹁さあ、ついたぞ。あのマンションだ﹂
エフェメラさんに案内されてやって来たのは、オレンジがかった
茶色い色の壁をしたマンションの裏だった。
﹁ここの五階が、先輩の家だ﹂
エフェメラさんが指した窓には、灯りがついていた。留守ではな
いようだ。しかし、家族がいることも考えられる。
﹁そう言えば、颯爽先輩の家族って何人いるの?﹂
わたしの質問に、エフェメラさんは何故か首を横に振った。
﹁先輩には、家族はいない。保護者にあたる一家が近くに住んでい
るが、部屋で暮らしているのは一人だ。欠席届も、保護者の家の息
子が毎日届けている﹂
一人暮らしと聞いて、わたしは奇妙な共通点に気付いた。マンシ
ョンの玄関まで歩きながら、わたしはエフェメラさんに聞いてみた。
﹁マヤも家族がいないし、エフェメラさんも人間じゃないから家族
128
はいないんでしょ? まさか、美術部のほかの人達も家族がいなか
ったりするの?﹂
﹁そういえば、平岩部長や殺された朝島先輩にも家族はいない。先
生の家族までは知らないが、確かに奇妙だな﹂
エフェメラさんは、首を傾げた。今のこの国で、こんなに家族が
いない人が一つのクラブに集まるなんて、偶然にしては出来すぎて
いる。
﹁ねえ、エフェメラさんは、どうして美術部に入ったの?﹂
わたしの問い掛けに、エフェメラさんは上を見上げて歩きながら
答えた。
﹁部長が、入学式の直後に勧誘してきたんだ。他にもいくつものク
ラブに誘われていたが、まずは体験入部してみないかと言われてな﹂
どうやら、体験入部は部長の得意技らしい。でも、エフェメラさ
んはわたしみたいに押しに弱いとは思えないけど。
﹁玉川先輩をモデルにデッサンしていたら、部長が言ったんだ。白
い部分はパルプで黒い部分は炭素だ。でも、絵を見た人はそれを玉
川さんだと言うだろう。それは、あなたが紙と鉛筆に意味を持たせ
たからだ。それが画くという事だと。わたしにも人間みたいに絵が
画けたんだと思うと、もっと絵を画きたくなったんだ、﹂
エフェメラさんが絵に興味を持つように、部長は見事に成功した
のか。わたしが入部した経緯とはえらい違いだ。そんなことを話し
ているうちに、わたし達は玄関に到着した。この共通点が偶然かど
うかは、今はどんなに考えても答えが出ないだろうし、気持ちを切
り替えることにしよう。
マンションの入り口は、IDカードと暗証番号によって二重にロ
ックされていた。
﹁ここのロックは、後から増設されたものだな。これなら、私が何
とか出来る﹂
エフェメラさんが、カードスリットをいじろうとする。素手だけ
でどうやってロックを解除するのか、わたしは目を凝らして見守っ
129
た。
﹁その必要はないわよ。エフェメラ﹂
自動ドアの前に立ったマヤが、ここに来る前に買い直したリュッ
クからペットボトルを一本取り出した。
﹁この自動ドアは、内側は只の赤外線感知タイプよ。だったら、外
側から赤外線を反応させるものを送り込めばいいだけじゃないの﹂
ペットボトルから、水が蒸気となって噴き出した。ほとんどの蒸
気はガラスに当たって水滴に戻ったが、自動ドアの僅かな隙間から
内側に潜り込んだ蒸気が赤外線センサーに反応した。
﹁一人でも中に入れば、後は自由に内側から自動ドアを開けられる
わよ﹂
人差し指を顔の横で突き立てたマヤが、得意げに玄関に入って行
った。感心しながら、わたしもマヤに続いた。
﹁待て、二人とも。これから先輩の部屋に行く前に、確かめたい事
がある﹂
エフェメラさんの髪の下からフライデイが一機飛び出して、玄関
の外からマンションのベランダ側に回った。
﹁覗き見する趣味は無いが、もし敵だとしたら、のこのこと部屋に
入るわけにはいかないからな﹂
エフェメラさんが取り出したタブレットPCには、フライデイの
撮影した景色が映っていた。いつもなら、エフェメラさんの頭の中
に直接画像データーが送信されるのだろうが、わたしとマヤはそう
はいかない。
﹁ええっ?﹂
映し出された景色に、わたしは驚いた。マヤ達は、よく平気でい
られると思う。
部屋の中は嵐の後のように散らかっていて、壁や柱は傷だらけに
なっていたのだ。平行に何本も線が入っている壁の傷は、まるで野
獣が爪を立てたかのようだった。
﹁急ぐぞ、マヤ﹂
130
マヤとエフェメラさんは、マンションの階段を駆け上った。敵の
正体が判らないのにエレベーターに乗ると、最悪の場合は逃げ場が
無いからなのは、わたしにも判った。
わたしが二人に続いて階段を登ろうとすると、エフェメラさんが
振り返った。
﹁和美さん、ここから先は貴方が行くには危険すぎる。玄関で待っ
てるんだ﹂
﹁えっ!?﹂
エフェメラさんの言葉は、まるで突き放されたみたいに感じてわ
たしにはショックだった。確かにわたしには、エフェメラさんやマ
ヤみたいな特別な力は備わっていなかった。それでもわたしは、二
人の為に何かをしたかった。
マヤが、わたしの所まで階段を駆け下りて、わたしの手を掴み上
げた。
﹁エフェメラ、和美も連れて行くわよ!﹂
﹁しかし、彼女には⋮⋮﹂
わたしの手を引いて階段を駆け上ったマヤが、何か言おうとした
エフェメラさんの口元に人差し指を立てた。
﹁あたしには、和美が必要なの。離れるなんて、考えられない﹂
言葉を遮られて呆気に取られたエフェメラさんを尻目に、わたし
達は階段を走り続けた。
﹁マヤ⋮⋮﹂
今マヤが言った言葉は、わたしにはとても嬉しかった。本当に感
動した。わたしは絶対、今の言葉を一生忘れないと誓える。
﹁判った。和美さんも連れて行こう。ただし、彼女はちゃんと守る
んだぞ、マヤ﹂
そう言って目だけ笑うと、エフェメラさんもまた階段を上りだし
た。
131
マヤと行く! 9
五階に到着すると、エフェメラさんがわたし達を追い抜いてドア
の前に立った。
﹁ベランダにいるフライデイからの映像では、ドアの前には誰もい
ない。室内を調べさせたいが、レーザーで透明なガラスを溶かすの
は時間がかかる﹂
青い鉄製のドアには新聞受けもないので、フライデイを入れられ
ない。ここで少し待つしかないようだ。
﹁あたしは、あと二軒も調べなきゃいけないかもしれないのに、悠
長に待っていられないわよ﹂
ペットボトルを取り出したマヤが、ドアノブを掴んだ。水を操る
能力で、一体何をするつもりなのだろうか?
﹁ていっ!﹂
ペットボトルを振り回して、マヤはノブを思い切りひっぱたいた。
ドアの中から鈍い音が聞こえたかと思ったら、マヤがドアノブを左
右に揺すりながら回転させてドアを簡単に開けてしまった。
﹁それ、別にペットボトルを使う意味がないじゃないの﹂
何か新しい能力を見せるのかと思ったのに、期待して損した。
﹁あれ? 切れてる?﹂
マヤの言う通り、ドアのチェーンが途中で亡くなっていて切れた
鎖が足元に落ちていた。
﹁まずは、フライデイを室内に飛ばすべきだ﹂
﹁大丈夫、その必要はないわ﹂
エフェメラさんの言葉に振り向かずに返事をして、マヤはさっさ
と部屋に上がりこんだ。
﹁どうして大丈夫だと言えるのだ?﹂
﹁だって、血が流れてなかったじゃない﹂
132
マヤの指摘に、わたしとエフェメラさんははっとして顔を見合わ
せた。確かに部屋は散らかっていたが、血だけは床にも壁にも見え
なかった。
﹁ま、何があっても死にはしないんじゃないの﹂
マヤは何も警戒せずに玄関の照明をつけた。
﹁待ちたまえ。フライデイの熱センサーが、ダイニングキッチンに
人間程度の大きさの何かがいると伝えてきた。うずくまっているの
か、形状はよくわからない。用心するんだ﹂
マヤはうなずきながら、ペットボトルを何本もリュックから取り
出して、次々とボトルのフタを緩めた。
﹁コップや花ビンが割れているから、靴は履いたままがいいわよ﹂
先を進むマヤが言った通り、彼女の足元からはパキパキとかジャ
リジャリといった普通の室内ではありえない音が歩くたびにしてい
た。
﹁ねえ、エフェメラさん。保護者の息子が毎日欠席届を学校に届け
ているのよね﹂
﹁ああ、そうだ。場合によっては、彼からも話を聞かないと﹂
わたし達に気付いていない筈はないのに、ダイニングキッチンに
いる何かは沈黙を守っていた。向け位階に足を踏み入れるのは、ど
う考えても危険だ。
﹁そういえば、壁にあった傷って、ライオンか何かみたいだったよ
ね﹂
さっきからわたしが不安に思っていた事を口にすると、エフェメ
ラさんが大きな猫科の動物が映っているタブレットPCを見せた。
﹁爪あとのサイズから検索してみたが、ライオンや虎ほど大きくは
ないな。子供なら話は別だが、やはりヒョウやチーターの方がサイ
ズとしては近いな﹂
いつの間に検索したのかと思ったが、きっとエフェメラさんは指
先でタブレットPCを操作する必要がないに違いない。正体を隠し
てる時だけ、指で操作していたのだ。そういえば、さっきフライデ
133
イの映像を見せてくれた時も、画面はいじっていなかった。
右腕でペットボトルの束を抱えているマヤが、キッチンの入り口
から、口に左手をあてて中に向かって話しかけた。
﹁せんぱーい、そこにいるんですかー? いたら、返事して下さー
い﹂
しかし、何の返事も無かった。
﹁返事が無いけど、誰かいるわよね。勝手にやらせて貰うわよ﹂
ペットボトルのフタを口で開けたマヤが、三つ数えてボトルをキ
ッチンに放り投げた。
﹁いや、手榴弾じゃないから﹂
ダイニングキッチンに水蒸気が充満しているところは、むしろ煙
幕に近かった。
﹁来るわよ!﹂
わたしには見えない蒸気の向こう側が、マヤには見えるようだっ
た。以前マヤは、水面下の景色が見えるとも言っていた。水を操れ
るマヤには、水が障害にならないのだろう。
﹁ググルルルル﹂
野獣のうなり声らしきものが聞こえたかと思った瞬間、白い塊み
たいなものが蒸気の中から出現した。蒸気が保護色みたいになって
わたしには良く見えなかったが、それは何かの獣のようだった。
﹁グワァッ!﹂
白い獣がマヤに飛び掛かろうとした瞬間、マヤがペットボトルか
ら水の弾丸を発射した。顔面に水の弾が命中した獣は、マヤの脇を
通り過ぎて壁に激突した。そこで、やっとわたしにも獣の正体が判
った。それは、白い毛並みのヒョウだった。図鑑に載っているよう
な茶色い毛並みとは全然色が違うが、間違いない。
﹁グルルルル﹂
床に倒れたヒョウは、うなりながら立ち上がった。
﹁ちょっと見込みが甘かったかしら
新しいペットボトルを取り出しながら、マヤが立ち上がった。
134
﹁フライデイ!﹂
エフェメラさんの髪の下から、銀色の棒が何本も飛び出してヒョ
ウを囲んだ。その瞬間、ヒョウが姿を消した。天上から何かがぶつ
かる音がしたかと思ったら、つづいてリビングの方から激しく何か
が壊れるような音が聞こえた。
﹁フライデイが追いつけない?﹂
今の一連の音は、信じられないことに全部ヒョウが走ったり跳躍
したりして立てた音だったのだ。素早すぎるヒョウの姿が、わたし
には全く見えなかった。マンションの室内だというのに、まるで野
原に解き放たれたかのようにヒョウは機敏に動き回っていた。
もう、どうしてヒョウがマンションの部屋にいたのかとか、先輩
はどうしたのかとか、考えている余裕は全く無かった。
﹁えいっ! えいっ! えいっ!﹂
リビングに飛び込んだマヤが、何発も水の弾丸を発射し、エフェ
メラさんがフライデイを飛ばして追い回したが、ヒョウには最初の
出会い頭でのマヤの一発しか命中させられなかった。不幸中の幸い
は、ヒョウの方もマヤを噛むことが出来ずに、攻めあぐねている所
だろう。
いや、本当にそうなのだろうか? ほんの一瞬だけ、直接戦いに
関わっていないわたしには、考える暇が出来た。ヒョウには、戦う
意思が元々ないのではないかと思えたのだ。
そう思うと、他の事にも思いを巡らす余裕が出て来た。最初にマ
ヤに突っ込んで来たのも、ただの水煙とは知らないで慌てて飛び出
した出会い頭と考えられなくもない。
今のヒョウの機敏な動きも、部屋の内装を熟知していればこそ実
現可能なものなのではないか? それに、ヒョウはどこから入って
来たのか?
そんな様々な疑問から、一つの答えがわたしの頭に浮かび上がっ
てきた。それは、あまりにも非常識でバカバカしい結論だったが、
わたしはもうそんな非常識を普通に受け入れられるようになってい
135
た。
何か確かめる方法は無いかと周囲を見回すと、キッチンにコード
レス電話が落ちていた。わたしがそれを手に取っている間も、マヤ
達は戦っていた。
マヤの水の弾丸は、壁をえぐり家具を粉砕しながら濡らしていた。
元々荒らされていたとはいえ、エフェメラさんのフライデイも、天
上や床に焦げ目を作っていた。どうやら、隣の部屋まで貫通しない
ように、レーザーの出力を弱めているみたいだ。壊れている壁の断
面を見ると、防音にはなっているらしく、今の所この戦いは隣近所
にも気付かれていないでいる。
﹁野生の直感というのは、侮れないものだな﹂
エフェメラさんが、ヒョウに完璧にレーザーをかわされて舌を巻
いている。相手の動きを計算して先手を打っているはずなのに、こ
とごとくその裏をかかれていたのだ。黒い手にとどめを刺したエフ
ェメラさんが弱いはずはないが、どうも相性が悪い感じだった。
136
マヤと行く! 10
マヤの攻撃も全く当たっていなかったが、これはエフェメラさん
のフライデイに囲まれている中心からヒョウを出さないように威嚇
するのが目的だからで、レーザーの方が確実なのだから間違った作
戦ではない。即席タッグゆえの僅かなスキを見抜いて、囲まれそう
になるたびに間一髪で抜け出すヒョウの判断力が素早いのだ。
しかし、エフェメラさんは全くあせっていなかった。彼女は元々
冷静な正確というのもあったが、ベランダに回っていたフライデイ
で攻撃する機会を狙っていたのだ。その為にエフェメラさんは、こ
のリビングからヒョウを出す事だけは阻止していた。そしてついに、
マヤが攻撃のチャンスを作った。
﹁えい!﹂
マヤが発射した水の弾丸を、ヒョウはまた回避した。その瞬間、
ヒョウは吼えながら転倒した。今マヤが発射した弾丸は、球体では
なく三角柱の形をしていたのだ。水で出来たプリズムに反射して、
ベランダの死角からガラス越しに発射されたレーザーは、ヒョウの
予測出来ない角度からの攻撃に成功したのだ。今まで連携プレーが
うまく行ってなかったように見えたのも、相手の動きをパターン化
させる為の芝居だったのだ。
﹁今よ!﹂
転倒したヒョウに、マヤ達が次々と水の弾丸とレーザーを命中さ
せた。床に寝転んで動かなくなったヒョウにとどめを刺そうと、マ
ヤ達は狙いを定めた。
﹁駄目っ!﹂
電話機を掴んだまま、わたしは倒れているヒョウの上に覆いかぶ
さった。
﹁和美!﹂
137
マヤが、とっさに水の球をプリズム状に変形させてわたしの周囲
で宙に浮かせた。次の瞬間、一斉に発射されたフライデイのレーザ
ーが次々と水のプリズムで屈折して、壁や天井に穴を開けた。
﹁そこをどくんだ、和美さん!﹂
エフェメラさんが、攻撃の邪魔をしたわたしに向かって怒鳴った。
﹁戦っちゃダメっ! この人は、颯爽先輩よ!﹂
﹁何だって?﹂
にわかには信じられないようだったが、エフェメラさんはわたし
の話を聞こうと動きを止めた。わたしは、エフェメラさんに向けて
電話機を突き出した。
﹁短縮番号の一番にかけたら、思った通り彼のケータイにつながっ
たわ﹂
電話機からは、男の子の悲痛な声が聞こえて来た。
﹃ね、姉さんは無事なんですか!?﹄
男の子が誰なのか、エフェメラさんもすぐに理解した。
﹁そうか、保護者の息子に聞いたのか﹂
マヤ達がヒョウと戦っている間、わたしは彼にヒョウの正体が先
輩ではないかと尋ねたのだ。ヒョウを誤って殺してしまう前に連絡
がついて、本当に良かった。
マヤが、わたしの手から電話機をひったくった。
﹁お姉さんは生きているから、安心して﹂
全く不安の無いマヤの声を聞いて、少年は電話を切った。彼が絶
対に安心していないのは、明らかだった。
﹁彼は皐月真一というそうです。今、こっちに向かっているそうで
すから、詳しい事は彼から直接聞きましょう﹂
わたしに電話機を返したマヤは、傷だらけだがまだ使えるソファ
ーに先輩を寝かせると、何故か風呂場から水の入った洗面器を持っ
て来た。
﹁エフェメラは毛布を持って来て。今から傷を治しますからね。一
時間程度かかるから、先輩はじっとしてて下さい﹂
138
先輩には弱ってはいたが意識があるらしく、小さくうなりながら
首を縦に振った。汲んで来た水で傷口でも洗うのかと思っていると、
マヤはいきなり洗面器を先輩の頭上でひっくり返した。
﹁ええっ?﹂
慣れたと思っていても、いきなり予告もなしに行動するマヤには
やっぱり驚かされてしまう。洗面器からこぼれた水は、空中で透明
な球体となって静止した。
﹁この惑星の命は、海から生まれた。水には、命を癒す力があるの
よ﹂
そう言って洗面器を投げ捨てたマヤが目をつぶって水に手をかざ
すと、弾丸となって部屋中に撒き散らされていた水が無数の粒状と
なって浮き上がり出し、渦を巻いて水の球に集まりだした。二倍の
大きさにふくらんだ水の球は、今度は薄く広がってドーム状に形を
変えて先輩を包み込んだ。
ほんのりと青白く光っている水のドームの中で、苦しそうに唸っ
ていた先輩は静かで浅い呼吸に変わっていた。マヤの作ったドーム
には、傷を癒す力があるのだろう。
ドームの中の先輩にも、わたしから見て判る変化が起きていた。
体毛が徐々に透き通っていき、抜け落ちたりもしないで消えてなく
なった。ヒョウの足も次第に形を変えて人間の手足へと戻っていっ
た。顔も本来の端正な顔立ちへと戻り、雪のように白い長髪も生え
るというよりもまとめて盛り上がるように蘇えった。
またたく間に全裸の美少女に戻った先輩の体の傷は、みるみるう
ちに小さくなって完全に見えなくなった。いつの間に眠ってしまっ
たのか先輩は意識が無かったが、呼吸は確かにしていたのでわたし
はホッとした。
保護者の家は近所にあったので、さっきの電話から皐月くんが来
るまでに何分もかからなかった。まだ中学生だがわたしよりも背が
少し高い皐月くんは、女の子みたいな長髪に線の細い体をしていて、
139
ワイシャツ姿でなければ女子高生に間違えそうだ。
乱暴にドアを開けて部屋に飛び込んだ彼が最初に見たのは、もち
ろん治療中の颯爽先輩だった。
﹁姉さんっ!﹂
もうわたし達の姿も目に入っていない皐月くんは、先輩に駆け寄
ろうとした。マヤの治療の邪魔をさせまいと、エフェメラさんがと
っさに彼の腕をつかんだ。
﹁先輩は、じきに目が覚める。しばらく待て﹂
エフェメラさんはそう言ったが、それで皐月くんが大人しくなる
わけがなかった。エフェメラさんの手を力ずくで振りほどこうとし
て、皐月くんは手足をジタバタさせてもがいている。わたしも両手
を広げて少年の前に立ち、マヤの邪魔をさせまいとした。
﹁颯爽先輩を救うには、あなたの手助けが必要なの。だから今は、
わたしの話しを聞いて下さい﹂
わたしを睨む少年の目を真っすぐに見つめて、彼の両肩にわたし
は手をかけた。
﹁本当に、姉さんを救えるのか?﹂
皐月くんの問いかけに、わたしは黙って首を縦に振った。先輩を
助けられるか、本当の所は自信があるわけじゃない。だけど、先輩
を何とかしたいという気持ちだけは本当だ。
少しずつ落ち着きを取り戻した皐月くんは、暴れるのをやめて体
の力を抜いた。それを感じたのか、エフェメラさんも皐月くんから
手を放した。
﹁わたしは、八尾和美。彼女は、エフェメラさん。そして、先輩を
治しているのが銀墨マヤよ。ねえ、皐月くん。まずは、先輩に何が
あったのかを、教えてくれない?﹂
わたしに促され、皐月くんは今までにあった事を話し出した。
*
140
皐月くんが言うには、始まりはやはり始業式の日の夕方だった。
母親が数年前に亡くなり、父親は深夜まで働いている皐月くんは、
颯爽先輩の部屋で夕飯をとるのが日課だった。普段から先輩を姉さ
んと呼んでいるように、二人は本当の家族のような生活を小さい頃
からしていた。
合鍵も自分用のIDカードも持っている皐月くんは、いつも通り
に先輩の部屋のドアを開けようとした。ところが、ドアにはチェー
ンがかけられていて、中に入る事は出来なかった。
ドアの隙間から見た部屋の中は、やけに暗かった。カーテンが閉
め切ってあるのか外の光は入っていなかったし、電気も点、いてい
なかった。内側からチェーンが掛かっているから、姉さんは帰って
いる筈だと皐月くんは考えた。
何がなんだか判らなかった皐月くんが姉さんのケータイに掛けて
みると、部屋の中から着信音が聞こえてきた。しかし、すぐにケー
タイを切られたのか、着信音は鳴りやんで静かになった。
﹁姉さんっ! そこにいるんでしょうっ!? ドアを開けてっ!﹂
ドアを何度も叩いて呼びかけたけど、返事は全く返ってこなかっ
た。そこで今度は、ダイニングキッチンにある電話に掛けてみた。
しかし、姉さんは電話に出る事はなく、すぐに留守電に切り替わっ
た。皐月くんは、姉さんが聞いていると信じて留守電にメッセージ
を残した。
﹁姉さん、僕はきっと会ってくれると信じているよ。だから、どん
な事があっても僕は姉さんの味方なんだって、信じてよ﹂
さっきの大声とは対照的に、落ち着いた静かな声で皐月くんは留
守電に話しかけた。
録音が終了するたびに、皐月くんは電話を掛けなおしてメッセー
ジを伝え続けた。電話機が保存出来る容量が限界に達した頃、突然
ドアのチェーンが切断された。
﹁えいっ!﹂
チェーンを切ったのは、勿論皐月くんだった。彼は留守電にメッ
141
セージを吹き込みながら、金物屋に行って工具を買っていたのだ。
ドアに靴を挟んで半開きのままにして、中にいる姉さんに怪しまれ
ないようにする念の入れようだった。口調が静かになったのも、ド
アの外からの声が聞こえなくなっても不審に思われなくするためだ
ったのだ。
﹁姉さんっ!﹂
チェーンを一発で切断する程に大きいニッパーを抱えて、皐月く
んは部屋に飛び込んだ。部屋の明かりを点けて、辺りを見回す。
﹁姉さん! どこにいるのっ?﹂
リビングに入ると、テーブルとソファーがひっくり返っていた。
胸騒ぎがした皐月くんは、隣の寝室の扉を開けようとした。
﹁ダメッ! 入らないでっ!﹂
ドアには鍵がついていなかったし、皐月くんの側からは引き開け
るようになっていたのでドアに家具を置いたりしても意味はない。
だから姉さんは、ドアの反対側でノブを握って開かないように必死
で抵抗していたのだ。
﹁何故なんだ!? 姉さんっ!﹂
皐月くんは、僅かに出来たドアの隙間に裁ちバサミほどの大きさ
があるニッパーを差し込んだ。テコの要領で強引にドアをこじあけ
ると、腕を突っ込んでやっとドアを開ける事が出来た。
﹁姉さんっ!﹂
寝室に飛び込んだ皐月くんが見たのは、シーツにくるまってベッ
ドの下に潜り込もうとする姉さんだった。
﹁いったい何してるんだよっ?﹂
シーツを掴んだ皐月くんは、無理やり引きはがした。
﹁嫌あっ!﹂
シーツの中から姉さんを見て、皐月くんは愕然とした。そこにい
たのは、彼がよく知っている姉さんではなかったのだ。
﹁姉さん⋮⋮?﹂
床にうずくまっている姉さんは、泣きそうな顔をしてガタガタと
142
震えていた。
﹁嫌⋮⋮見ないで⋮⋮﹂
姉さんには、全身から白いヒョウ柄の毛が生え、耳や尻尾までつ
いていたのだ。
143
マヤと行く! 11
それから皐月くんは、ずっと颯爽先輩の面倒を見ていたのだ。最
初のうちはまだ人間らしい所があったし、日に何時間かは人間に戻
っていたので食事はその間にとっていた。しかし、昨日は一時間も
人間の姿にはならなかったし、変化した時は完全なヒョウの姿にな
っていた。
しかも先輩は、姿が変わる度に全身に激痛が走るせいで、その度
にのた打ち回って暴れるそうだった。だから室内が、あんなに荒ら
されていたのだ。
﹁それじゃあ、どうしてヒョウになったのかは先輩自身にも判らな
いのね﹂
﹁ああ、昼間の学校では変な物を見たらしいけど、それだけでヒョ
ウになるとは考えにくいし﹂
変な物って、あのクジラの事よね。颯爽先輩は、蝶が見えたそう
だけど。滝畑さんの黒い手の時と違って、ヒョウと蝶では全然違う。
いや、それを言ったら、わたしなんてまだ何も変化が起きていない。
マヤとエフェメラさんは、元々特殊な能力を持っていたからまた話
は別だろうし。
﹁先輩が目覚めたわよ﹂
マヤの言葉に、わたし達は振り返った。先輩は寝室からエフェメ
ラさんが持ってきた毛布にくるまって、青ざめていた。
﹁姉さん、大丈夫?﹂
皐月くんが、先輩の顔を覗き込んだ。
﹁大丈夫よ、シンちゃん﹂
シンちゃんと言われて、皐月くんは顔を赤くして下を向いた。そ
ういえば、彼の話の中では、先輩が彼を何と呼んでいるかは語られ
なかった。多分、初対面の人達の前で先輩に呼ばれたのは初めてな
144
のだろう。それどころか、皐月くん以外にこの部屋を訪ねる人はい
なかったのではないか。
きっと二人はこの部屋で、誰にも頼らずに二人きりで長い時間を
過ごしていたに違いない。皐月くんにとっても、家にいない時間の
多い父親よりも先輩の方がよっぽど身近な家族なのだろう。
﹁傷はもう、大丈夫よ。私が怖いのは、傷を癒している時に自分の
前世を見てしまったからなの。あの水のドームには、古の記憶を呼
び覚ます効果もあるみたいね﹂
前世と聞いて、マヤがにっこりと笑って颯爽先輩に抱き着いた。
﹁やっぱり貴方も、エピクリマ大陸の人間の生まれ変わりだったの
ねっ!﹂
マヤに頬ずりされて、先輩は困った顔をした。
﹁いえ、私の前世は、エピなんとかじゃなくて、大陸の高地にあっ
たキュンリャンという幻想郷の女王よ﹂
へえ、エピクリマ大陸の他にも伝説の国ってあったんだ。という
か、怪奇現象が見えるのは皆エピクリマ大陸の人間の生まれ変わり
とマヤが言っていたのは、見事に間違いだったわけだ。エフェメラ
さんが人間で無かった時点で、もう間違いだったわけだけど。
﹁まさか、エピクリマよりも古い幻想郷の女王様に会えるなんて思
わなかったわあたしと和美は、実はエピクリマ大陸の双子の巫女だ
ったのよ。よろしくね。﹂
前世の国の名前を聞いて、マヤは先輩の手を取って激しく握手を
した。
﹁そういえばその国の女王って、ヒョウの頭をしていたんでしょ?
FRマガジンに、ちゃんと書いてあったわ。そうか、正しい前世
の姿に戻れなくて、ヒョウそのものの姿になったのね﹂
マヤは、本人にだけ判る独り言を呟いて、勝手に納得していた。
﹁私の思い出したキュンリャンは、一年中花が咲き誇り蝶が舞って
いる美しい国よ。そういえば、あの窓に映っていた蝶は、キュンリ
ャンの蝶によく似ていたわ﹂
145
﹁それを見た事が、潜在意識にある前世の記憶を刺激してヒョウの
姿に変化するきっかけになったのね。そうすると、エピクリマ大陸
とキュンリャンで同じ蝶が生息していたという事ね。これは新発見
よ﹂
マヤは大喜びだったが、話が脱線してしまった。先輩もそれを感
じたのか、マヤの今の言葉は無視して話を進めた。
﹁このままだと、ヒョウから戻らなくなる日も遠くないかもしれな
い。そうなったら、一体どうすればいいのか⋮⋮﹂
途方に暮れる先輩に対して、マヤは何も心配していない様子だっ
た。
﹁先輩は、前世の姿を思い出したんでしょ? だったら大丈夫よ。
ちゃんとした姿に戻れなかったのは、上手く前世をイメージ出来な
かったからよ。今なら、ヒョウの頭になったり戻ったりも、自在に
出来るはずよ。やってみて﹂
やってみてと言われても、先輩は困った顔をしただけだった。
﹁折角姉さんが元に戻ったのに、どうしてまたヒョウになれなんて
言うのさ﹂
皐月くんの抗議も、当然だった。しかしマヤは、全く恐れ入るこ
と無く平然と微笑んでいた。
﹁何を言ってんのよ。貴方の愛しいお姉さんを助ける為じゃないの
よ。シンちゃん﹂
﹁なっ?﹂
マヤにからかわれて、皐月くんは顔を真っ赤にした。
﹁ヒョウになったお姉さんの面倒を一生見たいっていうなら、構わ
ないわよ。でも、そんなのは本当にお姉さんを手に入れた事にはな
らないわよ﹂
マヤは、皐月くんの頭に手を置いて、乱暴に撫でた。
﹁どうして、先輩が人間に戻っている時間があったと思うのよ? それは、貴方のお蔭じゃないの﹂
マヤは、皐月くんと先輩の手を取って握手させた。
146
﹁前世の記憶がヒョウに変えたように、今世の思い出が先輩を人に
戻したのよ。二人の絆を信じなさい﹂
マヤは、先輩のおでこに人差し指を突き立てた。
﹁しっかりイメージするのよ、颯爽先輩。ヒョウの頭をした女王の
姿を﹂
マヤに促されて、先輩は目を閉じて意識を集中させた。すると、
先輩の顔から白い毛が生え始めてきて、耳やひげまで出現した。マ
ヤの言っていたヒョウの頭の女性に姿が変わるまで、ものの一分も
掛からなかった。
﹁さあ、ここから元に戻るのよ﹂
先輩は、左手でも皐月くんの手を握り、両手に力を入れた。
﹁そう、この世界で一番大事な人の事を思えば、絶対に元の姿に戻
れるわ﹂
先輩が皐月くんの手を握っている両手におでこを当てて、精神を
集中させた。すると、みるみるうちにヒョウの頭部が、いつもの人
間のものへと戻っていった。
﹁姉さんっ!﹂
皐月くんが、先輩に飛びついて抱きしめた。勢いで毛布がズレ落
ちたのも構わずに、先輩も皐月くんを両腕で包み込んだ。
﹁心配かけて、ごめんね。でも、もう大丈夫よ﹂
颯爽先輩は、自分の胸の中で涙を流す皐月くんの頭を優しく撫で
た。
先輩は、自分の意志で姿を変える事が出来るようになった。勿論、
激痛もおきなくなっていた。ヒョウの頭になったり戻ったりは勿論、
中間のヒョウ耳の状態でシッポをふりふりさせたりも出来るように
なって、ついさっきまで人生最大のピンチだったのがウソみたいな
状態だった。
もう、色々な意味で何の心配もない。わたし達は、マンションを
後にする事にした。
147
﹁有り難う、世話になったわね﹂
先輩と皐月くんは、去っていくわたしたちの背中に並んでお辞儀
した。何か、時代劇のラストシーンみたいで、照れくさい。それに
わたし達は、先輩を助ける為に訪ねたわけじゃないし。
結局、颯爽先輩は殺人事件についてはシロだった。
エレベーターに乗った時に、エフェメラさんがわたしに向かって
頭を下げた。
﹁マヤの言った通りだ。和美さんがいなかったら、颯爽先輩を誤っ
て殺してしまっただろう。見くびって、すまなかった﹂
エフェメラさんに謝れると、こっちの方が申し訳ない気分になる。
﹁いえ、エフェメラさんだって、わたしを心配して言ったんだから、
少しも怒ってないわよ。だから、顔を上げて﹂
わたしがエフェメラさんに右手を差し出すと、顔を上げたエフェ
メラさんがわたしの手を掴んで仲直りの握手をした。それを見たマ
ヤが、わたし達の握手の上に右手を乗せた。
﹁これから平岩部長の家に行くのに、あたしはもう何も恐れる事は
なくなったわ﹂
マヤは、わたし達を信頼している。誰かに頼られた事なんて無か
ったわたしには、それはとても嬉しい事だった。その信頼をわたし
は絶対に裏切りたくなかった。
エレベーターが一階に到着すると、マヤが真っ先に玄関に進んだ。
﹁エフェメラ、平岩部長の家はどっちなの?﹂
颯爽先輩の部屋で、予期せぬ事態に時間を費やしたわたし達は、
エフェメラさんに案内されて先を急いだ。
148
マヤと行く! 12
平岩部長といえば、今思うと昼間の出来事は確かに不可解だった。
その事をわたしは、並んで歩きながらエフェメラさんに話した。
﹁そうか、部長が二人に学校から逃げるように言ったのか﹂
﹁ええ、そんな事をすればますます立場が悪くなる可能性が高いと
いうのに。もっとも、マヤは自分で犯人というか宇宙人を捕えるつ
もりみたいだったから、疑問に思っていなかったみたいね﹂
エフェメラさんは、わたしの言葉に疑問を持ったようで、眉をひ
そめながら一つ尋ねてきた。
﹁そういう和美さんは、どうしてすぐに疑問に思わなかったんだ?﹂
﹁え? ええと⋮⋮。ちょっと落ち着いて考えられなかったからか
な﹂
マヤと一緒に何かしてみたいという気持ちが先に立ったからだな
んて、わたしは何か気恥ずかしくて言えなかった。
﹁それに、普通の女子高生は、推理なんて小説かマンガを読むとき
しかしないわよ﹂
﹁和美さんは、推理小説を読むのか?﹂
﹁まあ、たまにね﹂
最後に呼んだのは、受験なんてまだ先だった中二の頃だった。内
容も、大体は覚えていたわたしは、何となくエフェメラさんにプロ
ットを話し出した。
﹁わたしが読んだのは、殺人とかじゃなくて人間消失物のミステリ
ーだったわ。白い壁に囲まれた病室のベッドの上で、女性が目覚め
るの。乗っていた電車の事故で、ずっと意識が無かったのよね。目
覚めてすぐに、彼女は部屋にいた女医に尋ねたのよ。一緒に乗って
いた娘はどうしたのかって。でも、女医は娘なんていないって言う
のよ。それで話は、本当に娘は存在していたのか、女医は娘を隠し
149
ているのかって謎を推理するのよ﹂
﹁ああ、それなら知っている﹂
その言葉に、わたしはびっくりした。
﹁ええっ! エフェメラさんも読むの?﹂
エフェメラさんが人間じゃないという事より、その小説は発行部
数も少ない上に表題作ではない短編で、電子化もしていないから、
マニアの間でも幻の傑作として知る人ぞ知る作品だったからだ。
わたしとエフェメラさんとの間に、マヤが割って入った。
﹁あれって、確か女性が寝ていたのは四半世紀もの間で、女医の正
体こそが成長した娘だったのよね。女性は現実を受け入れられなか
った為に、会話が噛みあわなかったというのが真相だった﹂
そう、確かにその作品だ。まさか、マヤまで読んでいたとは思わ
なかった。
﹁和美さん、その小説なら学校の図書館にもあったぞ。和美さんは
読んでいないだろうが、六月の図書委員会の委員会便りに紹介され
ていた﹂
﹁あら、そうだったの?﹂
真相なんて、案外こんなものである。先輩が殺された事件も、こ
れ位簡単ならいいんだけど。
﹁ねえ、あの家じゃないの?﹂
話し込んでいるうちに到着したみたいで、先頭を歩いていたマヤ
が立ち止って斜め上を指差した。
﹁ああ、そこが部長の家だ﹂
エフェメラさんは冷静なままだったが、わたしは口を半開きにし
てマヤが指した方角を見上げていた。
平岩部長の家は、三階建ての西洋風の屋敷だった。赤い屋根やツ
タのからまる象牙色の壁は、昼間だったらさぞ見栄えが良かっただ
ろう。屋敷を囲む塀は高く、内側が見えないレンガ造りなので、道
路からは二階より上しか見えなかった。
﹁こんな大きい家に一人暮らしをしているの?﹂
150
マヤとは違う意味で、部長も常識はずれだった。
﹁私も、実際に見るのは初めてだ﹂
塀の前でピョンピョン跳ねながら、マヤは目を輝かせていた。
﹁つまり部長の正体は、宇宙人かもしれないのね﹂
どうしてそんな結論に至るのか、わたしにはさっぱり理解出来な
かった。
エフェメラさんは、髪の下からフライデイを一体飛ばした。まだ
敷地内には入らずに、塀の上から慎重に庭を見下ろす。
﹁表側は、隠れる場所が少ないな﹂
タブレットPCの画面には、広い芝生が映っていた。確かに、ボ
ールペン程度の大きさのフライデイならともかく、わたし達が部長
に見つからずに庭を横切るのは不可能に思えた。
﹁屋敷の裏側は、林になっているな﹂
フライデイからの情報を元に、エフェメラさんがタブレットPC
に地図を描いた。
﹁むしろ、庭を突っ切る方がましね﹂
マヤとエフェメラさんが、互いの目を合わせて肯いた。やはり、
林の中は罠があると考えているのだろう。
﹁でも、表も裏も駄目なら、どこから入るの?﹂
わたしが質問すると、マヤは地図上の屋敷を指した。いや、屋敷
の屋根には何かあった。
﹁え、煙突?﹂
わたしが驚いているのを尻目に、マヤはリュックサックからロー
プを取り出した。
﹁ほら、買っといて良かったでしょ?﹂
どうやら、煙突から侵入するというのは、マヤにとってはとっく
に決定している事のようだ。しかし、問題が一つと言わずある。そ
のうちの一つを、マヤに聞いてみた。
﹁ねえ、マヤ。こっちにはソリもトナカイもないのよ。どうやって
煙突までたどりつくのよ?﹂
151
わたしに背中を向けてロープの束をほどいていたマヤが、手を止
めて振り向いた。
﹁そんなの、決まっているでしょ。その為のロープなんだから﹂
﹁でも、屋根に上らなきゃそのロープも掛けられないわよ﹂
そうだ、ロープを掛けるには屋根に上る必要があり、屋根に上る
にはロープを掛ける必要がある。これでは、絶対にどちらも出来な
い。
﹁大丈夫。ロープに屋根に上って貰うから﹂
一体何を言っているのかと思っていたら、マヤがペットボトルの
水をロープにかけ始めた。そうか、マヤにはそういう手があったの
か。
﹁さあ、行きなさい!﹂
ロープ自身がが重いのか、水の弾丸のような高速ではなく蛇が宙
を進んでいるかのようにくねりながら屋根へと飛んで行った。ロー
プの蛇は屋根に到着すると、避雷針に複雑に巻き付いて自らを頑丈
に結んだ。
﹁この塀は、電気か何かある?﹂
高い塀にどうしてもロープがぶつかってしまうので、マヤがエフ
ェメラさんに尋ねた。エフェメラさんは、おもむろに宙に浮いてい
るロープの端を掴んだ。
﹁大丈夫だ。電気は流れてないから、マヤが持ってもも問題は無い﹂
エフェメラさんからロープを受け取ったマヤは、電柱の地上一メ
ートル辺りの所にロープの端を結んだ。
頑丈に張られているのを確認したマヤは、軽業師のようにロープ
に苦も無く飛び乗った。マヤみたいに身軽でないわたしは、手でぶ
ら下がって進むしかない。そう思ってロープを握ろうとしたら、マ
ヤがロープに乗ったまましゃがんでわたしに向かって手を差し出し
た。
﹁和美はあたしが運ぶから、掴まってね﹂
マヤの笑顔に促されるまま、わたしはマヤの手を掴んだ。すると、
152
わたしの手を持ったままマヤはすっくと立ち上がった。
﹁きゃ!﹂
そのまま引き上げられる形で宙に浮いたわたしを、マヤは左手を
わたしの腰に添えて軽々と持ち上げた。そして右手を離してわたし
の背中に当てると、あっと言う間にお姫様だっこの体勢になってし
まった。
﹁ほら、首に手を回さないと落ちるでしょ﹂
﹁え、ええ﹂
屋上で黒い手と戦った時にエフェメラさんの脇に抱えられた事が
あったが、こんな大胆な抱えられ方は生まれて初めてだった。マヤ
自身は、別に何とも思っていないようだったが。
﹁体力はマヤよりあるから、わたしが和美さんを運ぼうか?﹂
﹁駄目っ!﹂
エフェメラさんの提案を、わたしは即座に大声を出して反対した。
反射的に反応したので、今のは自分でもビックリしてしまう。エフ
ェメラさんは善意で言っているのに、わたしは何を怒鳴っているの
だ。
﹁あ、いや、えーと。エフェメラさんは、わたし達が屋根へ上って
いる間は、周囲を見張っていて下さい﹂
自分でも白々しいと思う言い訳をして、わたしはマヤの首に手を
回した。
﹁うん、それが一番いいな﹂
エフェメラさんは何か判ったような事を言って、マヤを先に行か
せた。
マヤの首に両手を回したわたしは、屋根に到着するまでに一分間
しか無さそうなのが物足りなかった。
﹁うふふ。じゃあ、行くわよ和美﹂
マヤは、ロープの上とは思えない程軽快に飛び跳ねて屋根に向か
って上って行った。エフェメラさんも、周囲に何体ものフライデイ
を旋回させながらロープの上を歩いていた。本来ならわたしの方が
153
普通の筈なのに、今この場所では綱渡りを出来ない方が少数派とい
うのは不思議な気分だ。
154
マヤと行く! 13
屋根に到着すると、マヤはわたしから右手を離して避雷針を掴ん
だ。
﹁ほら、早く和美も掴まって﹂
わたしがマヤの首に回していた両手を離して避雷針に抱き着くと、
マヤはわたしの両足を優しくそっと屋根の上に下ろした。
﹁煙突まで、歩ける?﹂
﹁這って進めば、何とか﹂
煙突までは十メートル程度あり、マヤのような真似はわたしには
無理だ。だけど、この程度でマヤに甘えたくもなかった。
﹁うん、判った。頑張ってね﹂
マヤも、わたしの気持ちを察してくれたのか手を貸す気は無いよ
うだった。避雷針を掴む手を弱めながらゆっくりとしゃがむと、わ
たしは屋根に両手をついた。今いる場所は急こう配の屋根の頂上部
で、わたしは両手足でてっぺんを挟むような姿勢になって少しずつ
前進した。
こんな時は、何故か風が強くなったように感じてしまう。
﹁だ、大丈夫、大丈夫。わたしは大丈夫﹂
足がすくみそうになるが、呪文のように同じ言葉を繰り返す事で
何とか平常心を保ち続けていた。たった十メートルがとても長く感
じられる。結局、煙突まで五分くらい掛かってしまった。
﹁和美さん、よく頑張ったな﹂
わたし達より後にロープを上っていた筈のエフェメラさんが、い
つの間にか先に煙突に到着していた。ずっと下を向いていたから、
飛び越えられても気付かなかったのだろう。
エフェメラさんは、何故か座布団程度の大きさの木の板を持って
いた。どうやら煙突は使っていないらしく、その木の板で蓋をして
155
いたのだ。逆に言えば、飾りでない本物の煙突という事だから、こ
こから入れる可能性は高い。
﹁先にフライデイを煙突から室内に飛ばしてみたが、確かに一階に
誰かがいる。それが多分部長だろう。暖炉は使われていないが、掃
除も特にしていない。まあ、服がそんなに汚れる事はないだろう﹂
すすまみれの心配はないのは、有難かった。煙突の穴を覗き込ん
でいると、マヤがわたしの襟を掴んだ。
﹁さあ、さっさと入るわよ!﹂
﹁うわっ﹂
わたしとマヤは、三階建ての屋敷の屋根から一階まで続く煙突を
一気に降下した。
﹁あはははは!﹂
﹁ひゃあああ!﹂
リュックを背負った二人が落ちるには煙道が狭いせいか、そんな
にスピードが無かったのは幸いだった。暖炉の下にあるダミーの灰
の山に、わたし達は鈍い音を立てて着地した。落下した勢いを利用
して器用に暖炉から転がり出たマヤは、暖炉で尻餅をついたまま立
ち上がれないわたしに右手を差し出した。
﹁ほら、立って﹂
﹁ありがと、マヤ﹂
間の抜けた返事をしながら、マヤの手を引いてわたしは立ち上が
った。
﹁二人とも、無事か?﹂
﹁ひっ!﹂
暖炉の中から、エフェメラさんが首だけ逆さまに煙道から出して
話しかけた。突然だったので、何か生首みたいでビックリさせられ
た。どうやら、器用に手足を広げて煙道を逆さにになって降りて来
たらしい。人間でないせいか、逆さまになっても髪の毛は下に向か
わずに背中に向かって伸びていた。
暖炉からテキパキと這い出たエフェメラさんが、わたしの格好を
156
見て首をひねった。
﹁不思議と、全然汚れてないな?﹂
確かにエフェメラさんみたいに要領良く無かったのに、わたしの
服は意外に綺麗だった。しかし煙突の中が掃除されていたにしては、
エフェメラさんの方は服の所々に白い埃がまだら模様になってつい
ていた。どういう事なのか気になったが、改めて暖炉を覗いている
暇はない。
﹁エフェメラ、部長は何処にいるの?﹂
マヤに尋ねられて、エフェメラさんは暖炉の向かいの壁を指した。
﹁すぐ隣の部屋で、体温の反応がある。窓からはカーテンが閉め切
られていて、中が見えなかった﹂
それを聞いて、マヤは壁に耳を近づけた。
﹁うーん、やっぱり何も聞こえないわね。あたし達に気付かない事
はないから、誘っているみたいね。でも、この部屋にカメラは無い
ようね。壁の中のマイクだけかな?﹂
壁を手で撫でまわすように調べながら歩いたマヤは、部屋の角に
あるドアに辿り着くとそのままドアノブに手を伸ばした。
﹁マヤッ!﹂
わたしが何の警戒もしていないマヤに注意しようとすると、マヤ
はこちらを振り向いてウインクした。
﹁大丈夫よ、和美。だって部長は、あたし達に来て欲しいんでしょ
? だったら罠なんかで邪魔はしないわよ。問題は、部屋に入って
からよね﹂
そう言ってマヤは、平然とドアを開けた。
﹁あ、待ってよ﹂
わたし達も、マヤに続いて廊下に出た。いかにも洋館といった趣
のある廊下は、床に赤い絨毯が敷かれていた。天井にはシャンデリ
アを模した電灯が煌々としていて、廊下の脇には大きな壺やら西洋
風の甲冑やらが数歩ごとに並んでいた。甲冑を見ていると、路地裏
に出現した黒い体を連想させた。
157
﹁まさか、あの甲冑も襲って来ないでしょうね﹂
﹁それは無いでしょ﹂
マヤは、何のためらいも無く即答した。
﹁えっ? どうして判るの?﹂
わたしの疑問を聞いて、マヤは首を傾げた。
﹁だって、アレぜーんぶ、年代物の本物よ。動く鎧を作るんだった
ら、もっと新品で頑丈な物を使うはずよ﹂
﹁えっ? 本物!?﹂
﹁それに、あの壺だって百年も前の舶来品よ﹂
﹁はあーあ﹂
そんなのが当たり前のように何体も並んでいるなんて、まるで異
国の城内のようだ。部長も凄いが、骨董品の価値も判るマヤにも本
当に感心してしまう。これもマヤにとっては、前世の知識が出ただ
けの事なのだろうか?
﹁さあ、開けるわよ﹂
行きつけの店に入るかのような自然な振る舞いで、マヤは木製の
重たそうな扉を開けて部長が待ち構えている部屋に入った。マヤの
後を追ったわたしは、マヤの肩越しに部屋の中を見た。
どうやらこの部屋は、寝室みたいだった。天蓋のある大きなベッ
ドが、部屋の中央でデンと構えていた。ベッドの上では、エフェメ
ラさんが言っていた通り誰かがうずくまっていた。
﹁あ、あなたは!﹂
そこにいたのは、平岩部長では無かった。彼女がこんな所にいる
なんて、絶対に有り得ないはずだった。
﹁朝島先輩っ!?﹂
信じられない事に、そこにいたのは殺されたはずの朝島先輩だっ
たのだ。ブラウス姿の先輩は、ベッドの上でうずくまって震えてい
た。
﹁いいかマヤ、状況が掴めるまでは慎重に⋮⋮﹂
﹁まあステキッ! 宇宙人と入れ替わっていたのねっ!﹂
158
予想通り大喜びしたマヤは、エフェメラさんの注意を全く聞かず
に駆け出してベッドに飛び込んだ。
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
何か言いたそうだったが、先輩は口が上ずるばかりで声が全然出
ていない。マヤは、いつぞやの滝畑さんの時と同じように先輩の手
を取った。
﹁もしかして、今の先輩が宇宙人なの? それとも、殺された方が
宇宙人? ねえ、どっちなのよ?﹂
歓喜のあまり瞳孔が開いた目をこれでもかという位に見開いて、
マヤは朝島先輩に顔を近づけた。強烈な視線から逃れられない先輩
は、全身が硬直していた。蛇に睨まれた蛙っていうのは、こういう
のを言うのだろうか? まあ、あの様子だと、目の前の先輩は普通
の人だと思う。
﹁安心したまえ、和美さん。念の為調べてみたが、矢張りあの先輩
は本物だ﹂
エフェメラさんは、室内にフライデイを既に子幾つも飛ばしてい
た。恐らく、サーモグラフとかX線とかで先輩の体内を調べたのだ
ろう。ただ人間というだけでなく、先輩本人だと判るなんて、個人
データーを以前から収集していたとしか思えないけど。
いや、今は裏を考える必要はない。マヤだってそう言っていたじ
ゃない。先輩が本物なら、やる事は一つだ。
わたしは早速、先輩のベッドまで駆け寄って質問した。
﹁昨晩から今まで、一体何があったんですか? 学校では先輩が死
んだって、大騒ぎしているんですよ﹂
死んだと言われたのがショックだったのか、先輩は口を半開きに
したまま目を見開いて黙ってしまった。先輩自身にも、事情が呑み
込めていないのだろうか。
﹁どうやら、今の先輩には何を訪ねても無駄なようだな。部長がど
こにいるのか気になるが、今は先輩をつれて屋敷を出よう﹂
エフェメラさんの提案には、わたしも賛成だ。先輩が生きている
159
なら、マヤに掛けられている殺人の容疑は自動的に晴れる。真相が
説明できないのは困るが、それでも警察に捕まるよりは遥かにまし
だ。
﹁ええーっ!? どうして帰るのよ? これから宇宙人に会うって
いうのに﹂
口をとがらせて、マヤが反対した。思った通りマヤは先輩とは別
の意味で、事情が呑み込めていなかった。というか、部長が宇宙人
というのは、もうマヤにとっては決定事項になっているみたいだ。
ベッドの上で四つん這いになっているマヤの腕を、わたしは掴ん
だ。
﹁別に今日でなくても、ここに来ればまた会えるわよ﹂
エフェメラさんは、先輩に肩を貸して立ち上がらせようとしてい
た。今マヤの面倒を見るのは、わたしの役目だ。わたしの腕を振り
ほどこうとするマヤに、彼女が興味のある事を言って何とか言う事
を聞かせようとする。
﹁いいからマヤ、屋敷から出なさい! 朝島先輩を助け出せば、ま
た体育館に行けるようになるから!﹂
体育館と聞いて、マヤが抵抗をやめた。どうやら、効果があった
みたいだ。
﹁そうだ、体育館に行こう﹂
本当にわたしの言った事に効き目があったのかは微妙だが、マヤ
は自分からベッド
離れて立ち上がった。
﹁そうと決まれば、長居は無用だ。さあ、ここから出よう!﹂
﹃そんな事はさせないわっ!﹄
エフェメラさんの言葉に、誰かが返事をした。部屋全体に響き渡
るその声には、聞き覚えがあった。
﹁ぶ、部長?﹂
続いて、部屋全体が揺れ出した。
﹁な、何なのよ?﹂
160
異常事態に慣れていない朝島先輩が、エフェメラさんにしがみつ
いてうろたえていた。わたしだって、夏休みの前だったら同じよう
な反応をしていただろう。そう考えると、わたしはマヤに関わって
から少しの間に随分変わったんだと実感する。
161
マヤと行く! 14
マヤに袖を引っ張られたので振り返ると、マヤが天井を見上げて
いた。
﹁上?﹂
わたしも見上げると、天井がどんどん遠ざかっていくのが見えた。
﹁もしかして、この床が下がっているの?﹂
﹁どうやら、そうみたいだな。床下がサーチ出来ないので、何か地
下室があるとは思っていたが、こんな秘密があったとはな﹂
まさか、先輩をこの部屋におびき寄せる囮にしていたというの?
こっちには助けなきゃいけない理由があるから、まんまと引っか
かってしまったという事だ。その事にはマヤも気付いたらしく、見
上げたまま肩をワナワナと震わせていた。
﹁何て事なのっ! これってつまり、あたし達が煙突から入った意
味が無いって事じゃないの!﹂
﹁そんなの、何を今さら言ってるのよ!﹂
わたしマヤにが突っ込んでいると、床が一瞬だけ大きく揺れた。
どうやら部屋の降下が止まったみたいだ。
﹁ねえ、エフェメラさんはあそこまでジャンプ出来ないの?﹂
わたしが頭上十メートル以上も離れてしまった窓を指すと、エフ
ェメラさんは首を横に振った。
﹁私だけなら不可能ではないが、三人も運べない﹂
やはりエフェメラさんには、自分だけ逃げようという発想は無か
った。
﹁それに、あの窓こそ一番危険だろう。ここから逃げ出す者には、
部長は用はないだろうからな。朝島先輩が、ベッドで震えているだ
けで逃げなかったのが、むしろ良かったのだろう﹂
自動ドアにでもなっているのか、部屋の扉が突然開いた。その向
162
こうには、赤い廊下が敷かれた絨毯は勿論なかった。その変わりに
あったのは、暗い灰色の石のブロックを積み上げた壁がむき出しに
なった地下室だった。そして、そこに立っていたのはわたし達がさ
っきまで探していた女性だった。
﹁部長?﹂
ついに部長が、わたし達の目の前に出現したのだ。始めて見る私
服の部長は、白いローブに白いマントを羽織っていて、まるで医者
の白衣のようだった。相変わらず前髪が長くて、目が隠れてどんな
表情をしてるのかは判らなかった。
﹁私の研究室にようこそ、と言うべきかしらね。まとめて三人も来
るのは予想外だったけど﹂
エフェメラさんがすかさずフライデイを飛ばしたが、見えない壁
があるのか扉の付近で停止してしまった。部長が、口元をにやりと
吊り上げた。
﹁成る程、これが古代文明の超科学というやつね。初めて見るわ。
でも、それに対抗する手段が無いなんて思わないでね﹂
不敵に笑う部長を見て、マヤが嬉々として駆け寄ろうとした。
﹁そうか、あなたもエピクリマ大陸の技術を研究しているのね!﹂
しかし、空中で静止しているフライデイと同様に、マヤも入口の
所で金縛りにかかったかのように動きを止めてしまった。
﹁そう、確かに私の科学はエピクリマ文明の再現から出発したわ。
今は私の夢を叶える為に、一つの研究に集中しているけどね﹂
部長が得意げに話している間も、マヤは見えない力に全身を縛ら
れているというのに、必死に前に進もうとしていた。
﹁あ、あなたが研究しているのって、ホムンクルスよね。それとも
クローンかしら?﹂
マヤの一言で、部長は声を出さないまま口だけを大きく開けて驚
いていた。マヤは、更に言葉を続けた。
﹁昨晩殺された先輩は、貴方の技術で作られた複製品でしょ? 黒
い手や機械で出来た黒い体も、研究の過程で生まれた副産物じゃな
163
いの?﹂
何時の間にかマヤが手にしていたペットボトルから、マヤが水を
吹き出させた。ペットボトルから流れ出た水の帯が、マヤの周囲を
包むように何重にも取り囲んだ。
﹁あなたがやろうとしているのは、人間の、いや人体の製造でしょ
?﹂
マヤの体が少しずつ動き出し、自由を取り戻しつつあった。既に
先輩の表情からは、余裕の色が失せていた。懐からテレビのリモコ
ンのような機械を取り出した部長は、慌てて赤いボタンを何度も押
した。
﹁うぐっ﹂
マヤの動きが、再び止まった。どうやら、見えない壁の出力をリ
モコンで強めたみたいだ。一安心したからか、部長が溜息を一つつ
いた。
﹁そう、確かに私は人体を生み出そうと研究していたわ。私には、
新しい体が必要だったのよ﹂
部長が後ろを振り返ってリモコンを向けると、そこに積み上げら
れていた石の壁が中央から開いて左右にスライドした。石の壁の向
こうには、円筒形の水槽が何列も並んでいた。ほとんどの水槽の中
には得体のしれない肉の塊がプカプカ浮いていたが、中には見覚え
のある人が全裸で眠っている水槽もいくつかあった。
﹁朝島先輩に滝畑さん? まさか、あれがホムンクルスなの?﹂
だとすると、昨日殺されたのもホムンクルスだというの?
﹁そう、昨日の夜にホムンクルスが一体ここから逃げ出したわ。慌
てて捕まえようとしたけど、私は間違えて本物の朝島さんを捕えて
しまったの。まさか、ホムンクルスの逃げ出したすぐ近くで本物が
夜遊びしているなんて思わなかったから﹂
なるほど、それで先輩がここにいたのか。
﹁改めて本物を捕まえようと思ったら、ホムンクルスが殺されて大
変な騒ぎになっていたわ。お蔭で、本物を解放するタイミングを逸
164
してしまったわ﹂
すると、殺人犯は別にいたのか。だけど、ホムンクルスの場合も
殺人っていうのかしら?
﹁その上、今日になって銀墨さんが殺人の容疑が掛けられているじ
ゃないの。しかも、銀墨さんが自分から騒ぎを大きくしているし、
嫌になっちゃうわ﹂
それに関しては、わたしも部長と同意見だ。困った事に、わたし
も共犯だけど。
﹁私としては、このまま被疑者に失踪して貰うのが一番だった。二
人を泳がせれば、きっと真犯人を探しに動くって予想していたから﹂
いや、マヤには真犯人を探す気が有ったかどうかも怪しいんだけ
ど。事件に首を突っ込んだのは、本当に宇宙人の為だし。
﹁計算外だったのは、エフェメラさんがあそこまで深入りした事よ。
一人暮らしだからって理由だけで彼女を美術部にスカウトしたのは、
失敗だったわね﹂
やっぱり部長は、一人暮らしの生徒を意図して集めていたのか。
それがホムンクルスと関係があるというなら、考えられるのは一つ
だ。
﹁ホムンスルスを、本物の生徒とすり替えるつもりだったんですね。
そんな事をして、何の意味があるんですか?﹂
わたしが尋ねると、部長は先輩のホムンクルスが入った水槽にも
たれ掛かりながら笑った。
﹁うふふふ。あなたは、今までの自分の生活を捨てたいと思った事
はある? 私はいつも思っていたわ。誰でもいいから、今の自分と
入れ替わりたいって。心を持たないホムンクルスに自分の精神を移
し替えて、他の人と入れ替わるのが私の目的だったの﹂
それで、入れ替わった本物はどうなるのか? そんなのは考える
までも無かった。朝島先輩が生かされていたのは、単に騒ぎが大き
くなりすぎて今は殺すのが得策でないというだけの事だった。
﹁部長、あなたは間違ったことをしようとしているわ﹂
165
﹁なんとでも言いなさい。どうせわたしの気持ちなんて、誰にも判
らないんだから。助け何て来ないこの地下室で、みんな消えてしま
うといいのよ﹂
突然、足首を何かに掴まれて、わたしは床に倒れこんだ。見ると、
黒い手がわたしの足首を掴んでいた。
﹁この黒い手は、やっぱり部長の仕業だったんですね!﹂
﹁ええ、そうよ。銀墨さんは、私の研究の役に立ったわ。でも、だ
からこそ最大の障害になる恐れもあったのよ﹂
だから滝畑さんの、エフェメラさんに対する気持ちを利用したの
か。部長の自分勝手な行いで、どれだけの人が傷ついたか。
﹁わたしは、あなたを絶対に許さない!﹂
わたしに睨まれても、部長は平然としていた。
﹁許さないなら、どうだっていうの? 今のあなたには何の力もな
いでしょ? 銀墨さんも動けないし⋮⋮。エフェメラさんは何処な
の!?﹂
ずっとわたしに向かって得意げに話していた部長は、今頃になっ
て見落としていた事に気付いたようだった。しかし、もう遅い。エ
フェメラさんなら、一人だけなら窓まで飛び上れるし、どんな罠も
自分の身だけなら守り切れる。部長が地下に降りる為の階段かエレ
ベーターが、きっと一階のどこかにある筈だ。
﹁くっ。迷ってる時間は無いわね﹂
部長は、後ろを向けて走り出した。本当に迷わない所が、潔い。
しかし、部長の目の前には素早く動く人影が立ちはだかっていた。
勿論、その人影はエフェメラさんだった。
﹁捕まえて!﹂
部長のホームなだけあって、黒い手が一度に十本近くも出現して
エフェメラさんにまとわりついた。しかし、そんな事はとっくに予
想済みだった。
﹁フライデイッ!﹂
一度に数本の銀色の棒が出現し、まるで指揮者のタクトのように
166
優雅に宙を舞う。エフェメラさんを捕えていた筈の黒い手達は、次
々に煙を吹き出して朽ち果てていく。
﹁喰らいなさい!﹂
黒いマントの下から、部長がショットガンを取り出した。しかし、
銃口が火を噴く前に、自由になったエフェメラさんが、部長に突進
してショットガンを掴んだ。エフェメラさんが部長の手をひっぱた
くと、上を向いた銃口から見当違いの方向に銃弾が発射された。
﹁とどめだっ!﹂
ショットガンをひったくったエフェメラさんは、顔面に強烈なパ
ンチを一発ぶちかました。吹き飛ばされた部長は、床の上をゴムま
りのように跳ねながら転がって、マヤの足元で大の字になって動か
なくなった。
﹁キュウ﹂
エフェメラさんが、部長の落としたリモコンを拾ってマヤに向け
た。見えない壁に阻まれていたマヤが、いきなり走り出して部長に
つまづいて転倒した。
﹁痛つつつ。あ、和美っ!﹂
ようやくマヤが、黒い手たちに首を絞められているわたしと朝島
先輩に気付いた。ペットボトルを何本も取り出すと、一気に水流を
連射した。瞬く間に黒い手が水圧に引きちぎられて消滅した。
﹁げほ、げほ﹂
むせてはいたが、朝島先輩はどうやら無事だった。わたしも、首
が痛くて声が出ない。
﹁まだ逃げるつもりか!﹂
地面を這っていた部長を見て、エフェメラさんが弾の無いショッ
トガンを振り下ろした。
﹁ぐぎゃっ﹂
奇妙な悲鳴をあげて、背中を叩かれた部長はのた打ち回った。
﹁やはり、生かしておくわけにはいかないな﹂
部長の周りを、フライデイ達が取り囲んだ。一斉にレーザーが発
167
射されれば、部長は四散する事だろう。
﹁ひいいいっ!﹂
万策尽きた部長が、恐怖におののいた。しかしエフェメラさんは、
容赦するつもりは一切無かった。エフェメラさんが部長を八つ裂き
にしようとした瞬間、意外な事が起きた。
﹁殺しちゃダメ!﹂
マヤが、部長の上に覆いかぶさってエフェメラさんの邪魔をした
のだ。まさかマヤが、部長を庇うとは思わなかった。
﹁そこをどくんだ、マヤッ!﹂
エフェメラさんが、マヤの腕を掴んで部長から引き離そうとした。
しかしマヤは、かたくなにエフェメラさんに抵抗する。
﹁殺しちゃいけないの! だって、これを見て!﹂
マヤは、何かをエフェメラさんに見せたようだが、わたしの倒れ
ている位置からはよく見えなかった。
﹁こ、これは﹂
何を見せられたのか、エフェメラさんはうろたえていた。どうし
ても見たくなったわたしは、必死に立ち上がって歩き出した。
﹁あ、和美! これ見てこれ!﹂
マヤが、部長に肩を貸しながら立ち上がった。ついさっきまで殺
されかかったとは思えない程、マヤは満面の笑みを浮かべていた。
そんなに嬉しい事って、一体何なのだろうか。
﹁ほら、凄いでしょ。これ﹂
マヤは、部長の前髪をわたしの前でかき上げた。とんでもない物
を見せられて、わたしは我が目を疑った。
﹁ま、まさか、そんな事って!﹂
冷静なエフェメラさんがうろたえるのも、当然だった。だって部
長には、予想だにしない秘密があったからだ。
﹁な、ないっ!﹂
部長の顔には、何と目が無かったのだっ! 眉毛の下には肌色の
皮膚があるだけで、目の他にはまつ毛もまぶたも無かった。無いの
168
は目だけだから、のっぺらぼうともちがうのだろうが。
﹁これが、部長が他人と入れ替わりたかった理由だったんですね﹂
マヤを突き飛ばした部長は、自分の顔を両手で隠しながら床にへ
たりこんだ。
﹁ああ、嫌。見ないでよお﹂
目が無いから涙こそ流さないが、部長は泣いていた。きっと部長
は、誰にも知られる事なく今までずっと泣いていたのだろう。異形
の姿に生まれた秘密を、ひた隠しにして。
﹁ああ、なんて素敵なの!﹂
そんな部長の悲嘆など知る由もなく、マヤはうっとりとした顔で
部長の背中に抱き着いて頬ずりをした。
﹁やっぱり、あなたは宇宙人だったのね﹂
やっぱりマヤは、何か勘違いしていた。でも、部長の秘密を見抜
いたのは、その見当違いな観察眼だった。ならばその勘違いも、無
意味ではないのだろう。
﹁ああ、こんなに近くに宇宙人がいたなんて﹂
﹁みんな私をそう言うのよ! 宇宙人だ化け物だって! 私だって、
みんなと同じ姿に生まれたかったわよっ!﹂
わたしを殺そうとした人だったのに、何となく部長が気の毒に思
えてきた。マヤの部長に対する態度を見ていたら、わたしの中にあ
る憎しみの気持ちが薄まったみたいだ。
不思議な事だが、目が無いのに部長は物体の存在は勿論、色彩も
認識できるようだった。まあ、人並みに感じ取れないと美術部の部
長は務まらないだろうけど。
部長が振りほどこうとしても、マヤはしがみついて離さない。わ
たしは、マヤが他の女性に執着しているのは理由に関係なく放って
置けなかった。
﹁もう、マヤッたら﹂
マヤが満足するまで離さないのなら、満足させればいい。わたし
は、部長の前にしゃがみこんで尋ねてみた。
169
﹁黒い手やホムンクルスっていうのは、本当にエピクリマ大陸の技
術なんですか? 一体、その技術がどうして部長の手にあるんです
か?﹂
わたしの質問の意図を理解したのか、部長は自分の身の上からぽ
つりぽつりと話し始めた。
170
マヤと行く! 15
部長は、何とさる大財閥のお嬢様で、本当ならこの屋敷すら箱庭
に見える程の豪邸で暮らしている筈だったのだ。それが、この屋敷
で一人暮らしをしているのは、勿論この目が無い顔のせいだった。
世間体を気にした実家の人達は、義務教育の年齢のうちは病気だ
という事にして家から出さず、籍だけ置いていた中学を卒業すると
同時に生前相続という名目で、実際は不良物件だった不動産を外観
だけは見栄えがするようにリフォームして押しつけて実家から追い
出したのだ。平岩という姓も、母の旧姓なのだそうだ。
生活費は仕送りされるし、学校も実家のコネで進学出来たので不
自由は無かったが、親に捨てられたという思いは頭から離れなかっ
た。
そんな彼女は、ここに一人で住む事になった初日から荒れた生活
を送っていた。屋敷の家具を置物の銃をショットガンとして使える
ように改造して撃ち抜いたり、廊下にある絵画を陶磁器に満たした
灯油で燃やしたりした後、親と交わした契約書の穴を利用して自分
で壊した品々の修理費を実家に請求して欝憤を晴らすのが、春休み
の日課だった。この屋敷にある高価な品々が壊すために並べてあっ
たのかと思うと、何か呆れてしまう。
春休みの最後の日、部長は一階の物置を壊すつもりだった。リフ
ォームをした時に業者が手抜きでもしたのか、この部屋だけは古い
ままだった。ほこりが積もっているのは勿論、蜘蛛の巣が張ってい
る上に床にも大きい穴が開いていた。こんな手抜きを見落とすなん
て、実家も相当いい加減な管理をしていたのだろう。
自分が実家からどんな扱いを受けているか改めて思い知った部長
は、甲冑が握っていたハルバードを持ち出して、床の穴を更に広げ
ようとした。怒りに任せてハルバードを振り下ろすと、古くなった
171
物置の床は底が抜けるように一面がまるまる砕けた。
﹁きゃあっ!﹂
床下には、巨大な空洞があった。そう、今わたし達がいるこの地
下室があったのだ。どうしてこんな地下室があったのか知らないが、
部長は地上に出る為に地下を調べて回った。部長は目が無いとはい
え光は必要だったが、物置にあった懐中電灯が落ちていたので何と
か壁の位置は判った。
一階の物置へ続く階段に到着するまでに部長が発見したのは、異
国の言葉で書いてある古い文献と理科室のような実験道具の数々だ
った。懐中電灯程度の明かりでは字もよく判らないが、文献には挿
絵が有ったので人体に関する学術書である事は見て判った。部長は、
文献の一部を解読する為に持ち帰った。
部長が文献を解読しようと思ったのは、言うまでもなく普通の顔
を手に入れられるか研究したかったからだ。実家の財閥でも、部長
の顔を治す為の試みは少なからず行われていたが、目が無いのに見
えている不思議さが原因で実現しなかった。
文献の解読は容易だった。いや、不思議な事に部長には文字が読
めたのだ。それは、エピクリマ大陸の言葉で書かれていた。文献の
正体は、ホムンクルスの作り方や、意識を移し替える手段について
書かれた研究レポートだった。
もしかしたら、自分そっくりだが目があるホムンクルスを作って、
それに意識を移し替えれば普通の生活が出来るのではないかと、部
長は考えた。
このレポートに希望を見出した部長は、昼は学校に通いながら夜
はホムンクルスの研究をする生活を入学式の日から続けていた。研
究に必要な予算は、屋敷にあった美術品や工芸品を勝手に売って工
面した。
黒い手を助手として使うようになり、その為の機械で出来た黒い
体を用意してからは人間サイズの水槽が使えるようになって研究は
飛躍的に進んだ。
172
しかし、研究は容易には進展しなかった。文献の中から比較的簡
単に再現出来そうな手だけの黒いホムンクルスはすぐに実現したが、
より人間に近づけようとすると肉の塊みたいな失敗作になってしま
うのだ。
失敗の原因が一つしか考えられなかった部長は、ためしにクラス
メートの髪の毛を拾ってホムンクルスを造ってみた。その結果は、
部長にとって絶望的なものだった。今まで失敗続きだったのがウソ
のように、人間の姿を再現出来たのだ。
自分の体は、その組成から他人と全然違う。その事実を知ってか
ら、研究の目的が様変わりした。そう、別人をコピーしたホムンク
ルスに自分の意識を移し替え、その人とすり替わって生活しようと
望んだのだ。
勿論、入れ替わる相手は誰でもいいわけではない。どんなに外見
が似ていても、家族までは騙せないという事は判っていた。だから、
入れ替わるなら一人暮らしをしている人が良かった。生徒達の中か
ら密かに候補を捜すと、朝島先輩が条件に合っていると判り、彼女
と同じ美術部に入ったのだ。
そして、他にも独り暮らしの生徒を見つける度に彼女は美術部に
勧誘した。だから颯爽先輩やエフェメラさんが美術部に入ったのだ。
しかし、颯爽先輩髪の毛からホムンクルスを作ろうとすると何故か
猛獣みたいな姿になってしまい、人間でないエフェメラさんに至っ
ては全くホムンクルスが出来なかった。結局、朝島先輩しかホムン
クルスは成功しなかったのだ。
そこで先輩は、一人暮らしの生徒を部員以外からも捜し始めた。
マヤも一人暮らしなのを知ったが、生理的に受け付けないので滝畑
さんに目をつけた。彼女には家族はいたが、他県から入学する為に
アパートで一人暮らしをしていたのだ。
滝畑さんの場合は久しぶりに再会した家族を誤魔化せる程度の情
報が必要と考えた部長は、自作の薬を寝ている彼女に吸わせて身体
データーを取ったり夢遊病のような状態の彼女に故郷の出来事を聞
173
きだしたりしていた。
どうも、その薬の副作用で滝畑さんまで美術部の窓に映った景色
が見えたらしい。
それからずっと、部長は朝島先輩を観察しながらホムンクルスの
研究を続けていた。しかし、炭素で構成されている黒い手と違って
人間と同じ素材のホムンクルスは構成が安定せず、水槽から出すと
数時間で崩れ落ちて泡となってしまうのだ。最初のうちは一時間も
もたなかったから進歩はしているのだが、入れ替わった姿で一生を
過ごすには到底及ばなかった。
研究が一気に進展したのは、新学期初日の夜の事だった。マヤに
見せられた馬のいない馬車の動きを思い出しながらホムンクルスの
文献を見直した時、一瞬だけ文章をつい逆に読んだのがきっかけだ
った。文献に見落としていた個所があった事に気付いたのだ。
早速その個所を研究に取り入れると、ホムンクルスは一気に三日
も長持ちしたのだ。更に簡単な改良をすると、今度は一週間も持っ
た。
研究をしている一方で、進展のきっかけを作ったマヤの存在も部
長は気にしていた。実は、エピクリマの祭壇の絵は、文献の冒頭に
も描かれていたのだ。彼女は笑顔の裏で何を考えていて何を見抜い
ているのか、自分の研究を知っていて手助けしたのだろうか? 考
えれば考える程、部長はマヤの事が怖くなってしまった。
実は部長も、滝畑さんが怪奇現象を見ていた事に気が付いていた。
だから自分で直接手を下したくなかった部長は、自分以外にあれを
見た人がどういう変化をしたのかを確かめるのを兼ねて滝畑さんを
巻き込もうと企んだのだ。わたしとエフェメラさんはマヤと親しく、
颯爽先輩は学校を休んでいたので、他にいなかったという事もある。
意識を移す技術の応用で滝畑さんの心を誘導してけしかけ、それが
失敗した後はほとぼりが冷めるまで大人しくして次の機会をうかが
う事にしたのだ。
ホムンクルスの研究が順調に進んだ部長は、昨日ついに自分の意
174
識をホムンクルスに一時的に移す実験を行ったのだ。実験は思いの
ほか上手くいき、試しに庭まで出て歩いてみた程だった。しかし、
突然部長の意識は元の体に戻ってしまった。
地下室で目を覚ました部長は、慌てて庭まで戻った。しかし、ホ
ムンクルスは既に庭の外に出た後だった。屋敷の塀に電気を流すな
りの仕掛けをしていなかった事を後悔したが、全ては後の祭りだっ
た。
175
マヤと行く! 16
部長の話しを全部聞き終わった時、マヤはすっかり退屈していた。
どうやら、部長が宇宙人で無かった事がお気に召さなかったみたい
だ。
﹁そうすると、エピクリマ大陸の技術を最初に研究をしていたのは、
屋敷の前の持ち主という事なのか?﹂
エフェメラさんの質問に、部長は首を縦に振った
﹁でも、前の持ち主は私の実家に多大な借金をしたまま他界して、
屋敷を差し押さえた実家は地下室なんて何も知らなかったわ﹂
それはつまり、エピクリマ大陸の文献を最初に誰がどうやって入
手したのか全く判らない事になる。
﹁判らない事だらけだけど、マヤの無実さえ晴れれば、わたしはも
ういいわ。マヤはどうする?﹂
わたしに聞かれて、マヤは右手を上げてひらひらと振った。
﹁エピクリマ大陸の技術は魅力的だけど、この功績は部長のものだ
からね。わたしにはどうこうする権利はないわ﹂
既に、いや初めからマヤの論点は別の所にあった。エフェメラさ
んは、下を向いて首を横に振った。肝心のマヤがあれでは、苦労の
しがいもないだろう。
﹁私たちは、これで帰らせて貰おう﹂
部屋に戻ったエフェメラさんは、さっきからへたり込んだままの
朝島先輩の手を取って立ち上がらせた。
﹁部長が朝島先輩を監禁したことを、わたし達は警察に言わなけれ
ばいけません。ここに警察が来る前に、部長はどこかに逃げて下さ
い﹂
わたしにうながされて、部長は首を縦に振った。
﹁さあ、帰りましょうマヤ﹂
176
﹁うん、もうここに用はないしね﹂
完全に興味が失せたのか、マヤはあっさりしていた。
*
わたし達にとっては終わった事件だったが、大変なのはその後だ
った。
警察の安置所で保管されていたホムンクルスの死体が、泡になっ
て崩れてしまったのだ。その直後に本物の先輩をつれてわたし達が
警察にやって来たので、当然ながら質問攻めにあった。
事件を全て平岩部長のせいにして、わたし達は監禁された朝島先
輩を助けたのだと警察に言い張り続けた。被害者である朝島先輩も
話しを合わせてくれた。いや、誘拐された本人にも事情が判らなか
ったので、わたし達の描いたシナリオを鵜呑みするしかなかったの
だ。
それでも、朝島先輩殺害容疑が晴れたせいか、拘束されたのは一
晩だけで済んだ。
次の日、わたしには母さんが、マヤとエフェメラさんにはミツル
先生が警察署まで迎えに来てくれた。昨日からずっと心配していた
のか、二人とも疲れ切った顔をしていた。母さんの目の下のくまを
見ると、申し訳ない気持ちになる。
マヤたちは先生に連れられて行ったので、今日はここで二人とお
別れとなった。わたしと母さんは、家につくまでずっと黙っていた。
昨日から母さんに何があったのかは聞いていないが、想像はつく。
昼過ぎにいきなり警察が訪ねてくるし、ケータイは繋がらないしで
は、焦燥感がつのるばかりだろう。
家に戻ったわたしと母さんは、ダイニングキッチンのテーブルを
挟んで向かい合って座っていた。言いたい事があるはずなのに、母
さんは言い出せなくて困っているみたいだった。きっと、夏休みの
突然はじけたわたしを思い出しているのだろう。
177
わたしも、母さんには秘密にしたくはなかった。しかし、マヤの
超能力とかエフェメラさんの正体とか、秘密にしなければいけない
事が多すぎた。それに、マヤと共有している秘密があると言うのは、
今のわたしにはかけがえのない宝物だった。母さんには申し訳ない
気持ちはあるけど、そこだけは譲れない。
結局、警察に説明した内容をそっくりそのまま語るしか無かった。
わたしの話を全部信じたわけではないだろうが、母さんは黙って
全部聞いていた。わたしはますます申し訳なくなった。
﹁あ、あの、心配かけて御免なさい﹂
今頃になって、最初に言わなければいけなかった事をわたしは口
にした。わたしがやっと謝ったので、ようやく母さんは立ち上がっ
て晩御飯の準備を始めた。
晩御飯の準備が整った頃に父さんが仕事から帰ってきたが、何も
言わなかった。どうやら、本当に大変なことがあったのを知らない
でいるみたいだ。昨日から働きづめだったとはいえ、父さんがこん
なに鈍い人だとは思わなかった。
でも、もしかすると父さんみたいな態度の方が普通なのかもしれ
ない。非常識の連続だったこの数日間の体験のせいで、何が普通な
のか判然としなくなってしまった。
夜の寝室で、わたしは夜空を見上げていた。こうして静かな日常
の中にいると、昨日の様々が出来事が夢のようだった。だけど、あ
れは全て真実なのだ。
でも、本当に大事なのはマヤがわたしの趣味を好意的に解釈して
くれた事だ。この事の方が、超能力やホムンクルスよりもよっぽど
鮮明に記憶していた。
何よりも、マヤとあれだけ長い時間を過ごしたのが、嬉しかった。
屋上での、マヤの言葉を思い出す。
﹃友達っていうのはね、そばにいるだけで高潔な気持ちにさせてく
れる。そんな人間を言うのよ﹄
178
結局マヤは、滝畑さんも部長も憎まなかった。それは、わたし達
の理解の外にある価値観によるものかもしれないけど、そこにもマ
ヤの輝いている理由があるとわたしは信じている。
マヤのコスプレに着替えたわたしは、ケータイを広げてマヤの姿
を熱心に観察した。
﹁マヤ⋮⋮﹂
無性にマヤに会いたくなって、わたしは涙を流しながらベッドに
潜った。
179
マヤが好き! 1
エピクリマ大陸は、滅びの時を迎えていた。唯一残されたこの祭
壇も、床一面がひび割れていた。
近づかなければよく見えなかったマヤそっくりの少女の顔が、今
ははっきりと見えた。崩れ落ちた屋根の向こうの空はさっきまで黒
かったのに、今は七色に輝いていたのだ。
広場に散らばっていた瓦礫の正体を知って、わたしは青くなった。
崩れ落ちた屋根のかけらだと思っていたのは、広場を埋め尽くして
いた人たちの変わり果てた姿だったのだ。石となって崩れ落ちた人
々の中には、苦悶の表情を浮かべた顔が残っている者もいた。
わたしと抱きしめ合っている少女は、震えながら輝く空を見てい
た。
﹁ねえ、怖いの?﹂
わたしが尋ねると、少女は首を横に振った。
﹁そんな事はないわ。だって、あの方が来るのだから﹂
あの方? 一体誰の事を言っているのだろうか? それを尋ねよ
うとしたわたしを、少女が突然突き飛ばした。
﹁え?﹂
とりわけ大きい割れ目に足を取られて尻もちをついたわたしを、
少女は怪しい笑顔で見下ろしていた。わたしの腕の中で怯えていた
のが、まるで嘘だったみたいだ。
﹁あたしのせいで、この国は滅んだ。その罪はとても重くて、今ま
でのあたしは震えるしかなかった。でも、もう後悔はしない。国と
引き換えにしてでも、あたしは愛を手に入れるのよっ!﹂
少女は、舞台から飛び降りて駆け出した。
*
180
また、あの夢を見た。少女がわたしの前から突然去って行く夢は、
わたしにとって衝撃的だった。まるで、わたしの前からマヤが去っ
て行ったかのようで、胸に大穴が空いたような喪失感を味わった。
﹁マヤは、消えたりしないよね﹂
あの夢は、過去に本当にあった出来事だろうか? 夢で判るのは、
景色と音声だけだ。その時のわたしが何を考えていたのかは、判ら
ない。マヤも夢の自分がどうしてわたしを見限ったのか、判ってい
ないのだろうか。
そういえば、わたしはマヤのコスプレをしたまま就寝していた。
グッショリと汗で濡れた洋服を、わたしはベッドから起きるなり体
からはぎ取った。
一夜明けた朝、わたしはどうしようか迷ったが、マヤに会いたい
という気持ちが最後に勝って、学校に行くことにした。きっとマヤ
なら、何食わぬ顔をして学校に来ているだろう。そもそも、事件を
起こしたという自覚も無さそうだし。
﹁お早う、和美さん﹂
どんな顔して教室に入ろうかと校門をゆっくり歩きながらくぐる
と、エフェメラさんが背後から声をかけてきた。
﹁あ、エフェメラさん、お早うございます﹂
そういえば、昨日は先生と何を話したのだろう? マヤはどうし
たのかも気になったわたしは、エフェメラさんに尋ねてみた。教室
まで歩きながら、エフェメラさんはあらましを語ってくれた。
﹁昨日は、ファミレスに連れられて三人で食事したな。キンピラ牛
蒡にフレンチトーストッて、和美さんは好きか?﹂
﹁何よそれ? マヤッて、面白い食べ合わせをするのね﹂
﹁いや、先生の注文だ。マヤは三食ピラフで、私はカイザーサンド
だからな﹂﹂
﹁⋮⋮﹂
181
誰だって、意外な一面はある。食べ合わせ程度は、今更ビックリ
する事ではないだろう。
﹁それで、食事をしながら話しをしたのだが、まさか自分が人間じ
ゃないとは言えないからな。事件については、警察に話した内容を
そのまま使いまわした﹂
それじゃあ、わたしとお母さんの会話と大した違いはないのか。
﹁ただ、学校で暴れたのは問題だったからな。昼休みに校長室で謝
る事を、別れ際に約束した。問題は、マヤが自分のしでかした事を
自覚していない点だ﹂
ああ、それは判る。自分のしでかした事を謝れと言われれば、普
通の悪人は何で学校で暴れていけないのかと言い張るけど、マヤの
場合は何が問題なのかが判ってない。学校で立ちまわったのが呼吸
や食事と同列の感覚になっているのだ。本当の意味で罪悪感が無い
人間は、逆に悪事を楽しめない。だからって、はた迷惑には違いな
いけど。
﹁和美さんからも、マヤに何か言ってくれないか﹂
まあ、そこは暴れた経緯で壊した物や汚した物に対して責任を取
るように言うしかないだろう。
そんな話をしているうちに、わたし達はもう教室の前に到着した。
エフェメラさんはわたしの斜め後ろにいるので、わたしが扉を開け
なければいけない。結局、どうしようか決められなかったわたしは、
もう深く考えずに一気に扉を開ける事に決めた。
ガラガラッ!
歪んだレールの上をなぞりながら開く扉が濁った音を立てると、
クラスメート達が条件反射のように一斉にこちらを向いた。やっぱ
り一昨日の騒ぎが原因なのか、教室がさざ波のようにざわめいた。
殺人容疑はとっくに晴れたとはいえ、やっぱり気味悪がられている
んだろうな。
居心地が悪い中へ、わたしは黙って足を踏み入れた。
﹁皆さん、おはようございます﹂
182
わたしと対照的に、エフェメラさんはいつものようにクラスメー
ト達に挨拶をしていた。その凛々しい態度は、わたしには真似出来
ない。クラスメート達も、エフェメラさんに関してはまだ信用して
いるか、そうでなくても半信半疑といった感じの態度だった。
183
マヤが好き! 2
クラスメートたちがエフェメラさんに以前と変わらない態度で接
している一方、わたしに対しては冷たい態度を取っている。どうや
らわたしは、クラスのアイドルをそそのかして悪の道に引きずり込
んだ外道だと思われているみたいだ。いや、そもそも友達が少ない
わたしは、暖かく接して貰った覚えはマヤとエフェメラさんにしか
なかった。
﹁Hyvaa huomenta!﹂
背後から、聞き覚えのある挨拶が聞こえてきた。勿論これは、マ
ヤがエフェメラさんに挨拶しているのだ。
﹁Hyvaa huomenta!﹂
エフェメラさんも、笑顔で挨拶を返した。しかし、教室の生徒達
はマヤを白い目で見ていた。二人が仲良くするのが、どうしても我
慢ならないのだろう。マヤに面と向かって何か言ったりする生徒は
いなかったが、ヒソヒソと何か陰口を叩いている声は聞こえてきた。
まるでエフェメラさんの人気に反比例して嫌われているようだ。
そんな事など、マヤは全く気にしていない。本当に自分の興味が
無い事には、気に掛けないのだろう。
そういえば滝畑さんはどうしてるのかと見てみると、自分の席で
うつむいていた。言いたいことがあるけど、マヤは怖いという事だ
ろうか。
自分の席にカバンを置くと、マヤは本らしき物を取り出した。そ
れが今日発売されたばかりのFRマガジン最新号なのは、言うまで
もない。
﹁それは、コンビニにでも売っていたのか?﹂
﹁少し遠いけど、朝から営業している本屋があるのよ﹂
学校に来る前に、わざわざそこに寄って来たのか。本当にマヤは、
184
FRマガジンが好きなのだろう。マヤは、エフェメラさんの机の上
に全く遠慮する事無く雑誌を広げた。エフェメラさんは、迷惑がら
ずにそのまま自分の席に座る。前の席のわたしが横向きに座って腰
をひねると、エフェメラさんと向かい合う姿勢になった。
それにしても二人は、周囲の視線に全く動じない。マヤは全く視
線を感じておらず、エフェメラさんは視線に耐える芯の強さがあっ
た。どちらにしても、二人の横で居心地を悪く感じているわたしと
は、レベルが違う。
﹁今月は、エピクリマ大陸の終焉について特集されているの﹂
その言葉を聞いて、わたしは今朝の夢を思い出した。あの夢では、
マヤに似た少女は自分のせいで国が滅んだと言っていた。一体何を
したのだろうか? いや、そんな事よりも彼女に見捨てられた事の
方が重要だ。どうしてそんな事になったのか、その経緯が今月号に
書いてあるかもしれない。マヤから直接聞くのが不安だったわたし
は、どんな事が書かれているか知りたかった。
マヤに会ってからはこんな記事でも信じるようになったが、まさ
か記事の内容をあてにするなんて思わなかった。
マヤが広げたページを三人で覗き込むと、そこにはアクセサリー
を見せびらかしている女の子が写っていた。これは、ダイヤモンド
のカットを十二種類に分類した誕生カットというアクセサリーの広
告だった。誕生石がガーネットやムーンストーンだったりする女の
子には、これを彼氏に買わしていると聞いている。
﹁いや、グッズの広告はいいから﹂
エフェメラさんに突っこまれて、マヤはページをめくりなおした。
﹁漫画の連載が終わって、今月からページの配置が変わっているわ
ね﹂
今さら驚く事ではないが、先月までなら見たいページを一発で開
けるほどに、マヤはFRマガジンを読み込んでいたのだ。丁寧に確
認して、マヤはセンターカラーを開いた。
﹃エピクリマ大陸最後の日!﹄
185
血のようなといよりはトマトのような真っ赤な大見出しの下には、
凄惨な景色が描かれていた。これは、地獄絵図と言うべきだろうか。
記事の本文も、血文字のようなオドロオドロしい字体で書かれてい
た。でも、現実味のないデザインの建物が破壊されたり、SFヒー
ローみたいな服装の人が爆発に巻き込まれても、あまり怖くない。
むしろ気になったのは、遠くの洋酒のビンみたいな形をした塔の
屋上で戦っている存在だ。どこかで見たような黒い手が林立して、
銀色の服を着た人間と戦っているのだ。キャプションも、矢印の横
に書いてある。
﹃宇宙人の作った人造人間﹁レイ=デイ﹂に対抗する為に、大陸の
賢者達はホムンクルスを製造した﹄
人造人間といえば、心当たりは一つしかない。レイ=デイという
言葉にも聞き覚えがあったし。当然のようにマヤも気付いて、エフ
ェメラさんに向かってキャプションを指して見せた。
﹁これって、間違いですよね。去年のバックナンバーでも、双子の
巫女の姿が全然おかしかったし﹂
﹁それに、エピクリマの人達は爆発ではなくて石にされたのよね。
あたしも、和美と一緒に舞台から見下ろしていたわ﹂
わたしが見た夢と同じ内容を、マヤが言った。わたしとマヤが同
じ夢を見ていた事を確認出来て、嬉しくなった。あの夢の結末は、
脳裏から離れないけど。
マヤも相槌を打ってくれたが、わたしは思い出していた。エピク
リマ大陸の技術を研究していた平岩部長が、エフェメラさんの事を
古代文明としか言わなかった事を。始めて見たとも言っていた。そ
れは、エフェメラさんがエピクリマ大陸の技術で産まれたのではな
いという事だ。
そういえば、部長の述懐だと黒い手がついていた黒い体も現代の
工学技術の産物で、エピクリマ大陸の技術とは無関係だった。
だけど、エフェメラさんは言っていた。エフェメラさんの誕生に
は、エピクリマ大陸が深く関わっていると。彼女がエピクリマ大陸
186
に関わってるとしたら、それは大陸を沈めた側ではないのか?
しかし、エフェメラさんは黙って紙面を見つめていた。ほんの数
秒間だったが、とても長く感じられた。
ぽつりと、エフェメラさんは呟いた。
﹁大事な話がある。昼休みに校長室に行った後で、屋上に来てくれ
ないか﹂
﹁だったら、校長室に行かないで、そのまま屋上でお昼にしましょ
うよ﹂
いや、その優先順位はまずいだろう。一昨日もお昼を優先させた
のが、事態が悪化した原因の一つだったし。
﹁マヤ、校長室で壊したものについては、謝らないと﹂
わたしに言われて、マヤは首をかしげた。
﹁そうれもそうかもね。じゃあ、校長室に行くわ﹂
何とかマヤを説得する事が出来て、わたしもエフェメラさんも一
安心した。
187
マヤが好き! 3
昼休みになって、わたし達は校長室のソファーに並んでいた。
始業前に謝ると約束してたマヤは、物を濡らしたり壊したりした
事についてだけはちゃんと謝ってくれた。周囲を騒がせた事につい
ては、騒ぐ必要も無いのに勝手に周囲が騒いでいただけとマヤは思
っている節があるので謝らなかった。
それでも謝る事は謝ったので、今回は停学とはならずに厳重注意
のみとなった。マヤが何を書くのか判ったもんじゃないので、反省
文とかが無くて良かった。きっと、ミツル先生もマヤの作文を読み
たくなかったからだろう。
校長室の件は終わったといえば終わったので、わたし達は屋上の
入口の前に来ていた。ドアのカギは修理されたみたいで、マヤが揺
らしても開かなかったのだ。
﹁あたし、ピッキングが得意なんだけど⋮⋮﹂
﹁今日は、ダメッ!﹂
問題起こしたばかりなのにそんな真似をしたら、今度こそ停学に
なりかねない。非常階段もあるのだが、そっちにも行かせられない。
だから、エフェメラさんと二人で、ここでいいと主張した。幸いに
も入口の横にあるはめ殺しのガラス窓からは青空が見えるので、こ
こは別に暗くは無かった。
今年の残暑はまだまだ厳しかったが、わたしはなんとか我慢して
マヤたちと一緒にお弁当を食べていた。エフェメラさんの弁当も今
日は御飯だったので、三人でおかずのとりかえっこをしながら話し
を弾ませていた。今のわたし達をはたから見れば、微笑ましい昼休
みの一コマに思えなくもないだろう。話している内容は、当然エピ
クリマ大陸なんだけど。
﹁確かに私を作ったのは、宇宙の破壊魔王だ﹂
188
﹁ええ!? エフェメラさんは、宇宙から来たの?﹂
﹁いや、私は地球の秘密基地で作られたのだ。破壊魔王がどこの星
からやって来たのかさえ、私は判らない﹂
FRマガジンの記事は本当だった。そうするとわたしとマヤは、
前世ではエフェメラさんの敵だったという事になる。
﹁それじゃあ、黒い手と戦った事があるの? それにしては、屋上
での戦った時は詳しく知らなかったようだけど?﹂
エフェメラさんの塩鮭と自分の一口ハンバーグを交換しながら、
マヤが尋ねた。
﹁わたしはレイ=デイ達の中では最後に作られたからな。私が作ら
れた頃には、とっくに大陸が沈みかけてたんだ。あまりというか、
全く戦わなかった﹂
そうすると、黒い手と戦ったレイ=デイは別にいるのか。
﹁それじゃあ、他のレイ=デイ達もこの世界のどこかにいるの?﹂
わたしが尋ねると、エフェメラさんは窓から空を見上げた。何か、
遠い昔の何かを思い出しているみたいだ。
﹁それが、皆目見当もつかない。役目が終わった私は、二度と目覚
める事のない眠りについた筈だった。それなのに、わたしは今まで
に突然誰もいない格納庫で目覚めたのだ。破壊魔王はどこに行った
のかとか、どうして私だけ目覚めるのかなどは最初は判らなかった
が、何度も眠りについては目覚める事を繰り返しているうちに少し
ずつ判ってきた。わたしはの役目は、まだ終わっていなかったのだ
と﹂
まだ役目があるというのが、わたしは気になった。
﹁それって、まだ戦うっていう事なの? その、エピクリマ大陸の
巫女達と﹂
もしそうなら、エフェメラさんはわたし達の敵という事になる。
しかしエフェメラさんは、首を横に振った。
﹁いや、エピクリマ大陸はもうないし、破壊魔王も宇宙に帰ったの
かいなくなったから戦う理由はない。だから和美さんとも、わたし
189
は戦わない。何か役目があると思った私は、格納庫から出て時間の
許す限り外の世界で活動し、眠りにつきそうになったら格納庫に戻
るようになったのだ﹂
それで、今は女子高生になっているのか。留学生と言う名目なの
は、戸籍の管理の甘い国でそこの国民になってから日本に来たから
なのだろう。
﹁それじゃあ、エピクリマ大陸はどうやって沈んだの?﹂
マヤは、エフェメラさんに自分の興味のある事しか質問しなかっ
た。
﹁魔王との戦いで大陸は幾度となく危機にさらされ続けていたが、
最後のトドメは巨大な氷山だった。破壊魔王が、自身の力で人工的
に大陸の頭上に氷の塊を発生させたのだ﹂
エフェメラさんの言葉に、マヤが目を輝かせた。
﹁あたしの夢の通りね! やっぱりあたし達は、エピクリマ大陸の
巫女の生まれ変わりだったのよ!﹂
そう言って、わたしの手を取ってマヤが微笑んだ。窓からの日差
しが丁度いい角度にあたって、いやそんなんじゃなくマヤ自身の魅
力が輝いて、マヤの笑顔が眩しく見えた。
﹁そうね、わたしも嬉しいわ﹂
ちゃんとわたしの返事を聞いていたのか判らないまま、マヤは今
度はエフェメラさんの手を取っていた。
﹁こんなすぐ近くに、エピクリマ大陸沈没の当事者がいるのに気付
かなかったなんて、今まで勿体無い事してたわ。ねえ、やっぱりこ
こに来たのは体育館の屋上を見たかったからなの?﹂
マヤの質問に、エフェメラさんは首を横に振った。
﹁私とマヤが出会ったのは、偶然だ。もうトータルで何百年もこの
世界を渡り歩いたのだから、エピクリマ大陸の関係者に出会う事も
あるだろう。それが今だったという事だ﹂
成る程。いくら世界が広いと言っても、人間が集団で生活してい
る場所はかなり限定される。沢山の人が住んでいる大都市になれば、
190
範囲は更に狭くなる。偶然の発生する可能性は、それなりにあるだ
ろう。わたし達の転生する確率とか、エフェメラさんの活動してい
る確率なんて判らないから、具体的な可能性までは判らないけど。
わたしは、二人の間に入ってマヤの手をエフェメラさんの手から
離させた。
﹁しかも、部長までエピクリマの技術に関わってたのは、意外です
よね。それも全部、偶然と呼んでいいんですか?﹂
部長と聞いて、エフェメラさんは首を傾げた。
﹁あれは、マヤの見せた映像がきっかけで事態が進んだからな。颯
爽先輩の件といい、マヤ自身が意識せずに確率を上げた所がある。
偶然といえば偶然だろう﹂
そういえば、全ての始まりだったあの映像は何だったのだろう?
﹁あの怪奇現象は、マヤの言った通り、本当に宇宙人の仕業なの?
宇宙人に作られたエフェメラさんなら、何か知っていたんじゃな
いの?﹂
エフェメラさんは、わたしに尋ねられて首を横に振った。
﹁私にも、あれは判らない。生まれてから一度眠らされるまでに一
週間も無かったから、教わってない事の方が多いのだ。そもそも宇
宙人の仕業だとして、私を作った宇宙人と同じとも限らない﹂
エフェメラさんにも、判らない事があった。唯一の手がかりだっ
たので、情報が得られないのは残念だった。
﹁ねえ、和美﹂
マヤが、わたしの首に腕を回して来た。そういえば、前にも同じ
事があった。
﹁判らない事で、和美に何の不都合があるの?﹂
﹁え?﹂
マヤの囁きで、わたしは気が付いた。確かにわたしは、エピクリ
マ大陸の存在を知らなくても生きていける。
﹁わたしは、自分の力の正体を知りたかったのが、出発点だった。
和美は、一体何を知りたいの?﹂
191
わたしが知りたい物⋮⋮。そんなのは決まっている。あのクジラ
の正体なんかじゃない。
﹁マヤ、やっぱりわたしは⋮⋮﹂
﹁うんまーい! この甘さは、砂糖じゃないわね。和美の卵焼きっ
て好きよ﹂
マヤは、わたしの返事を聞いていなかった。
﹁もう、マヤッたら﹂
だけど、いつも通りのマヤを見ていると、不安な気持ちもどこか
へ消えてしまい、夢の話をするのも忘れてしまう。わたしを不安に
させたり安心させたり、そんなマヤに振り回されるのが気持ちよか
った。
192
マヤが好き! 4
放課後になり、わたし達は部室にやって来た。
﹁そういえば、部長は変わったのよね﹂
ホームルームの直後に、ミツル先生が教えてくれた。
あの日から、平岩部長は失踪しているし、朝島先輩もまだ休んで
いる。三年生は玉川先輩だけなので、昨日から彼女が臨時の部長に
就任していた。
部長が部員を拉致監禁したなんて学校創設以来はじめての不祥事
なので、廃部になるんじゃないかと心配したが、ミツル先生の尽力
によってなんとか部は残った。
エフェメラさんがドアを開けると、新部長と颯爽先輩が椅子に座
ってくつろいでいた。絵を画く気など全くない感じで、呆けた顔で
天井を見上げていた。何も事情を知らない新部長とずっと休んでい
た颯爽先輩は、昨日から大変だったのだろう。
﹁大分お疲れのようだな﹂
それだけ言うと、部室に足を踏み入れる事もなくエフェメラさん
はドアを閉めた。
今日は、部活が無くなった。ゼミも無いので、夜までの予定が無
くなった。エフェメラさんは、何か調べものがあると言って先に下
校した。
これから何をしようか悩んでいると、マヤに誘われた。
﹁用事がないんなら、あたしの家に来ない?﹂
ゼミがあったとしても、迷わずわたしはサボッただろう。初めて
マヤの家に行くとなって、わたしの心は全く勢いが衰える事無く弾
み続けた。
193
マヤの家を見て、わたしは唖然とした。
﹁前部長の屋敷程ではないけど⋮⋮﹂
そこは、レンガ造りの洋館だった。しかも、門扉が自動で開いて
いる。女の子が屋敷に一人暮らしするなんてケースが、身近に二人
もいるとは思わなかった。
﹁そういえば、マヤって金遣いが荒かったわよね﹂
高価なイヤリングを惜しげも無く片方捨てた上、もう片方を落と
しても別に気にしていないマヤの生活態度を支えるのは、生半可な
財源ではかなわない。だけどマヤは、両親が他界している。実家が
お金を持っている前部長とは、事情が違う。マヤは家庭の事情が事
情なので、どこにそんなお金があるのか聞きにくい。
﹁ほらほら、早く入りましょう﹂
背後からマヤに背中を押されて、わたしはマヤの家の門をくぐっ
た。春だったらさぞ見事だったろうと思われる緑色の桜並木をくぐ
って、これまた自動で扉が開く玄関に入った。
﹁いらっしゃい、和美﹂
わたしの前に回ったマヤは、手を引いて二階へと赤いじゅうたん
の敷いてある階段を駆け上った。
﹁あ、ちょっとマヤ﹂
転ばないように足元に精神を集中させて、わたしは階段を駆け上
がる。
階段を上ってすぐ目の前にある重たそうな木製の扉を開けると、
そこは書斎だった。いや、ベッドがあるから寝室なのだろう。シャ
ンデリアを模した蛍光灯や彫刻が施された窓枠がある、いかにも洋
風の屋敷と言った内装には似つかわしくないピンク色のベッドは、
マヤの趣味だろう。
﹁紅茶にコーヒー、ココアもコーラもあるわよ﹂
わたしがミルクティーを頼むと、マヤはわたしを部屋の中央にあ
るテーブルに座らせて部屋から出て行った。手持無沙汰になったわ
たしは、テーブルに置いてあるFRマガジンを手に取った。
194
﹁これには、エピクリマ大陸の記事は無いのね﹂
巻頭グラビアは、CDプレイヤーにそっくりなUFOと白猫みた
いな頭をした宇宙人が描かれていた。何か、颯爽先輩を連想させる
宇宙人だ。
﹁お待たせー!﹂
ティーセットをワゴンに乗せて、マヤが戻って来た。
﹁お菓子は、レアチーズケーキでいいかしら。水気のない菓子でも
いいなら、とうきびのウエハースもあるわよ﹂
マヤの淹れた紅茶や用意したお菓子は、とても上品な味がした。
部屋の雰囲気と相まって、まるで今のわたしが遠く西の国にいるか
のよう錯覚する程だ。本棚やテーブルの雑誌を気にしなければ、だ
けど。
わたしが来るのは急に決まったのだから、このお菓子はマヤが普
段から食べているのだろう。どこの店買ったのか気になって添えて
ある紙ナプキンを見てみると、桜吹雪の模様が描かれているだけで
店の名前は無かった。
﹁ん? 桜?﹂
つまりこのナプキンは、春物という事だ。残暑が厳しいとはいえ、
九月なら秋にふさわしい模様のナプキンを用意する筈だ。お店のお
菓子だったら。
﹁このお菓子は、もしかしてマヤの手作り?﹂
﹁うん、昨夜材料を買って作って、今朝から冷蔵庫で冷やしたんだ﹂
昨夜って、ミツル先生と別れた後に家にも帰らず、すぐに買い物
をしていたという事じゃない。職人並みの洋菓子の腕前よりも、そ
の神経の方に驚かされた。
﹁ほら和美、これ見て﹂
マヤが、宝石箱のような小箱を取り出した。その箱にわたしは、
見覚えがあった。少し横に広いが、前にマヤが買ったイヤリングが
入っていた小箱にそっくりだ。
﹁もしかして、これもイヤリング?﹂
195
マヤはうなずくと、小箱を開いた。中に入っていたのは、新しい
イヤリングだった。前にマヤが買ったのと違って、銀色の棒の代わ
りにハート形の宝石がついていた。無色透明でありながら蛍光灯の
光だけでここまで煌めく宝石は、本物のダイヤモンドに違いない。
この大きさだと、並の女子高生の小遣いで買える値段じゃないだろ
う。まあ、住んでる家からして並じゃないんだけど。
﹁ほら、ちょっと耳を貸して﹂
言うなりマヤは、わたしの左耳を引っ張った。
﹁痛っ﹂
﹁ほら、じっとしてて﹂
わたしの耳を、マヤがいじりだした。
﹁あれ、この感触?﹂
耳にイヤリングをつける感触は、三日ぶりだった。
﹁これ見て、和美﹂
マヤが鏡を取り出して、わたしに見せた。わたしの耳には、思っ
た通りハートのダイヤが輝いていた。
﹁ほら、これでお揃いでしょ﹂
マヤも、もう一つのイヤリングを左耳につけていた。
﹁もう片方は、和美がずっともってて﹂
何とマヤは、惜しげも無く高価なイヤリングを片方くれた。簡単
にゴミ箱に捨てた時と比べればまだましとはいえ、やっぱり恐縮し
てしまう。
﹁でも、わたしが持ってて、無くしたりしたら困るし﹂
﹁別に、また用意すればいいだけよ。これはうちにはいくらでもあ
るし﹂
﹁いくらでもって?﹂
﹁あら、言ってなかった? あたし、通販の仕事をしてんのよ。誕
生カットのダイヤの﹂
ええっ! あれってマヤが販売していたの?
﹁あたしも和美も六月生まれだから、ハートでお揃いね﹂
196
いつの間に、マヤはわたしの誕生日を調べたのだろう? もしか
するとこれは、誕生日が過ぎているわたしにサプライズパーティの
変わりにくれたのだろうか。
金銭感覚というよりも、根本的な価値観でわたし達には大きなズ
レがある。それでも、わたし達は友達をやっていけると信じたい。
﹁それじゃあ、マヤといる時は必ずつけているわね。普段は、大事
にしまっているから﹂
﹁うん、和美の好きでいいよ﹂
マヤは、わたしに提案を笑ってうなずいた。そして、切り替えが
早いというか、単にあきっぽいというか、すぐに次の話題に移った。
﹁ねえ、和美って洋裁の心得があるのよね。あたしのコスプレする
程なんだから﹂
マヤにコスプレの話題を振られて、わたしはドキリとした。マヤ
はその事を気にしていないみたいだったのに、どうして今になって
その話をするのだろうか。
﹁今度は二人で、お揃いの服を着て見ない? あたし達の手作りで﹂
マヤとペアルック! マヤの提案を聞いて、わたしの胸が高鳴っ
た。マヤと同じドレスを着て街に繰りす姿を想像するだけで、天に
も昇る気分だ。マヤとだったら、どんな服がいいだろう? ゴスロ
リ? それとも宮廷の舞踏会で着るようなのとか。
﹁和美、和美ってば!﹂
マヤに肩を揺すられて、正気に戻った。空想というか妄想という
か、一体何分間ひたっていたのだろう。
﹁もう、聞いているの? 和美﹂
マヤがすねるので、わたしは必死になって首を何度も縦に振った。
﹁も、勿論よ。二人でドレスを着るのよね﹂
﹁ああ? ドレスッて何よ? まあ、あの服もドレスと言うのかな
?﹂
どうやら、大事なことを聞き漏らしていたみたいだ。マヤは呆れ
たような顔で、本棚からスケッチブックを取り出した。
197
﹁ほら、これを再現するのよ!﹂
マヤが広げたページには、見覚えのある服が書いてあった。そう
だ、いつも夢で見ていたあのローブみたいな巫女の服だ。
﹁二人でこの格好をして、体育館の屋根に登るのよ﹂
マヤが目指しているのは、あの夢の再現だった。わたしは、その
マヤと一緒にいられれば幸せだった。目的は違っても、やりたい事
が同じならわたしは構わない。
スケッチブックを手渡されたわたしは、ページをめくって様々な
角度から画かれた服に目を凝らした。よく見ると、服には二種類あ
った。夢の中でマヤが来ている服とわたしが来ている服には、微妙
な違いがあったのだ。
﹁襟の赤い縁取りが、わたしの服は腰帯から下は白くなるのね﹂
赤い腰帯も、マヤのは朱色がかっていて結び目からの余り布が長
い。わたしと違って、マヤは夢の様子を良く観察していた。
特に大きく違っていたのが、背中の文様だった。マヤの背中には、
三角形から三日月のような角が生えた青い文様で、わたしの背中に
は縦長の楕円にお椀を伏せたようなコブがついている。やはりマヤ
も、見えているだけで意味までは判らないのだろう。スケッチブッ
クには、注釈や説明が一切無かった。
﹁ん、んん?﹂
一瞬だけ、眩暈がした。何か、大事な事を考えていたような気が
するのに、それをわたし自身が拒絶しているような、矛盾した感覚
が目の前に湧き出た霞のように視界を遮るのだ。
﹁和美ったら、また変になってるわよ﹂
再びマヤに肩を揺すられて、正気に戻った。
﹁あれ? 今、何を考えてたっけ?﹂
そうだ、マヤと揃いの服を作る話をしていたんだ。わたしは、一
通り目を通したスケッチブックをマヤに返した。
﹁これけだけ資料があれば、型紙におこせそうね﹂
ただ、襟のあたりは和服のような合わせ方になっているので、洋
198
服しか作っていないわたしには布の構成がよく判らない。何か、参
考になりそうな本があるといいけど。
﹁ねえ、マヤ。この家には裁縫に関する本はないの?﹂
一応聞いてみたが、やっぱりそんな本は家庭科の教科書くらいし
か無かった。
﹁必要なものは、これから買い揃えればいいわよ。さ、善は急げよ﹂
気の早いマヤは、今から二人で買い物に行こうと誘った。マヤと
買い物に行くのが嬉しくてしょうがないわたしが断る筈もなく、早
速ケータイで帰りが遅くなる事を母さんに伝えた。
199
マヤが好き! 5
繁華街までショッピングに来たわたしは、まずは古本屋に行こう
とマヤの手を引いた。
﹁何? FRマガジンのバックナンバーでも探すの?﹂
勿論、違う。
﹁これから探すのは、コスプレ関係の本よ。参考になる本が、きっ
とあるから﹂
双子の巫女の服は、現代人から見ても派手ではあるが極端に変で
はない。派手ではあるが、街中で着て歩いても注目されないと思う。
だから、似たような服の型紙も、探せばきっと見つかるだろう。
以前来た店とは別の支店だが、レイアウトは殆ど同じだった。フ
ァッション関係の棚を見つけたわたしは、型紙が載っていそうな雑
誌を物色した。
﹁見て見てーっ。回収騒ぎになった筈のバックナンバーが、こんな
所にあったわ﹂
﹁店員の耳に入ったら、売ってくれなくなるわよ﹂
わたしに注意されて、マヤは口をつぐんだ。
﹁それじゃあ、この本なんてどう?﹂
わたしの目の前の棚から雑誌を一冊、マヤは何気なく手に取って
広げた。わたしが見せられたのは、まさに探していたものだった。
使えそうな型紙が手に入ったので、服作りを簡略にさせられる目
処がついた。本屋次後は、必要な品々を買い揃える為に街中を歩き
回った。わたしは裁縫の道具が家にあったが、マヤは布地と一緒に
二人分の道具まで買ってくれた。それも、プロの仕立て屋が使いそ
うな高級品を。
買い物の後に和風ファミレスで夕食を済ませたわたし達が、マヤ
200
の家まで戻ろうかという時だった。突然マヤが空を見上げてキョロ
キョロしだした。
﹁どうしたの? UFOでも見つけた?﹂
﹁フライデイよ﹂
マヤが、そう言いながら指先を空に向けて左右に振った。しかし、
わたしが指の向いている方角に目を凝らしてもフライデイの姿が判
らない。
﹁でも、フライデイがいるなら、エフェメラさんもどこかにいるの
よね?﹂
そういえば彼女は、調べものがあるって言っていた。フライデイ
をどの位遠くから遠隔操作が出来るのかも判らないのに、わたしは
周囲を見回してエフェメラさんの姿を捜した。
﹁あっ﹂
わたしは見つけた。エフェメラさんではなく、マヤに似ていたあ
の少女を。メガネこそかけていなかったが、わたしの見間違いでは
絶対にない。服装も、初めて出会ったあの日のままだったし。少女
は、何かに追いかけられているかのように、人込みをかき分けて必
死に走っていた。
﹁マヤ、あっちよ﹂
買い物袋を三袋まとめて片手に持ったわたしは、もう片方の手で
マヤの腕を掴んだ。
﹁何なのよ、和美?﹂
﹁いたのよ、マヤ。あの人が!﹂
わたしの説明不足のせいで、マヤは首をかしげるだけだった。そ
れでもわたしについて来てくれるってことは、わたしを信じてくれ
ているのだろう。
あの少女は、路地裏に入って行った。わたし達も、今回は見失わ
ないようにと後に続く。
﹁そっち行くなら、ほらこれ﹂
マヤが、何か取り出した。何故かマヤは、ペンライトを持ってい
201
たのだ。しかも、二本。きっと、宇宙人か何かにいつ会う事になっ
てもいいように色々小道具を隠し持っているのだろう。
﹁サンキュー﹂
マヤから一本ペンライトを分けてもらうと、足元を照らしながら
路地に入って行った。マヤも、わたしの後ろから前方を照らしてい
た。この前は少女を見失ってしまったが、
今日はマヤと一緒だ。きっと追いつけるだろう。
﹁それにしても、フライデイが飛んでいるっていうのが気になるわ
ね﹂
エフェメラさんの調べ物に、何か関係あるのだろうか。わたしの
周りで起きている事の全部が一つに繋がっているような気がしたら、
何故か見えない牢屋に閉じ込められているような息苦しさを感じた。
﹁一体、誰がいたのよ?﹂
﹁前に言ったでしょ? マヤそっくりな人がいたのよ﹂
それを聞いて、案の定マヤの顔が笑顔になった。
﹁そうか、今度こそ宇宙人が化けているのね!﹂
いや、只のコスプレだと思うよ。でも、マヤがはしゃぐのも無理
はない。結局、部長は外見が変わっているだけで宇宙人ではなかっ
たし、エフェメラさんも宇宙人が作ったけど地球生まれだった。
﹁マヤは、前に宇宙人に会ったんでしょ? そんなに嬉しいの?﹂
﹁うん、去年のハイキングで出会ったのよ。あたしの弁当とお菓子
を奪って消えたから、あんまり話せなかったけど﹂
﹁え、そ、そうなの?﹂
サルみたいな宇宙人っていうか、それってサルよね。たまにエピ
クリマ大陸みたいに妄言じゃない事も混じっているから、完全に否
定はしないけど。
﹁宇宙人なら宇宙人って、早く言ってよね﹂
別に宇宙人だとは、わたしは思ってなかったけど。気が急いてい
るマヤは、狭い路地なのに壁に体をこすりつけながら無理やりわた
しを追い抜いた。頭上に紙袋を持ち上げて、わたしもマヤが少しで
202
も通り易くしようとした。わたし達が今着ているのは半袖のセーラ
ー服だったので、壁とこすれた二の腕がヒリヒリした。宇宙人に夢
中なマヤは、特に気にしていないようだ。
﹁あ、待ってよ﹂
暗い路地を駆けて行ったマヤのペンライトを見失わないように、
足元に注意しながらわたしも先を急いだ。手にしている紙袋が、壁
とこすれて今にも破れそうな音をたてる。
それにしてもマヤはたまに十字路をまがったりしているが、何を
根拠にして道を選んでいるのだろうか?
何度目かの角を曲がった時、マヤの歩みが遅くなった。マヤに追
いついたわたしは、何があるのかとマヤの肩越しに先を見た。ペン
ライトに照らされた先では路地が開けて、瓦礫が敷き詰められた空
き地になっていた。ペンライト程度では全てを照らしきれないので、
空き地の広さも形も判らない。
その空き地にいるのは、見覚えのある二人の少女だった。大人の
背丈程もある一際大きな瓦礫の頂上からエフェメラさんが無表情で
見下ろしているのは、あのマヤに似た少女だ。傷だらけで服も所々
が破れている少女は、怯えた顔でエフェメラさんを見上げていた。
空き地のそこかしこをフライデイが飛び回っているので、恐らくエ
フェメラさんが彼女を傷つけたのだろう。
﹁本当に、全部関係あったのね﹂
予想というか漠然とした予感だった物が現実となった事が、わた
しはかえって不安になった。わたしを囲っている見えない牢屋も、
本当にあるのだろうか。
ペンライトの光を感じて、エフェメラさんがこっちを振り向いた。
﹁マヤか。まさか、こんな時に来るとはな。だが、会ってしまった
なら仕方がない﹂
エフェメラさんが、憮然とした表情になった。対照的に、マヤの
表情は花が開いたかのような笑顔になった。
﹁そうか、あれが宇宙人なのね﹂
203
マヤが、少女に向かって駆け出した。エフェメラさんのフライデ
イ達が、次々と彼女の後頭部の中へと戻って行った。
﹁折角、あと一息でとどめだったのにな﹂
エフェメラさんは、何気なくトンデモない事を口にした。本気で
少女をエフェメラさんは殺すつもりだったのだ。
﹁一体、どうして殺そうなんて?﹂
わたしが問い詰めると、エフェメラさんは冷めた表情で少女を指
差した。
﹁平岩前部長のホムンクルスを殺したのは、彼女だからだ﹂
﹁ええっ!?﹂
確かに、あの夜の出来事と部長の告白を組み合わせれば、その可
能性はとても高いし意外ではない。しかし、彼女の事はマヤにしか
言ってない。どうしてエフェメラさんが、彼女に辿り着けたのだろ
うか?
﹁それじゃあ、ヒューマンミューテレーションは、やっぱり宇宙人
の仕業だったのね!﹂
マヤは、大喜びで少女の手を握った。本当に彼女が犯人なら、マ
ヤが危ない。今のわたし達は、水を用意していないのだ。
﹁マヤ! あれはヒューマンミューテレーションじゃないわよ!﹂
﹁ええ? あ、そうかホムンクルスミューテレーションなのよね!﹂
やっぱりマヤは、判っていなかった。
﹁彼女と一緒にいたら、マヤまでおなかを切られるわよ!﹂
わたしが叫ぶと、少女はマヤに抱き着いた。
﹁マヤッ!﹂
わたしは、紙袋を投げ捨てて走り出した。エフェメラさんも、駆
け出している。しかし、少女の次の行動は、わたしが予想だにして
いないものだった。
﹁なーで、なでなでなで﹂
少女は、マヤを抱えて頭を撫で回したのだ。
﹁えっ?﹂
204
一瞬、何が起こったのか理解できず、わたしは足を止めてしまっ
た。
﹁あらら?﹂
予想外だったのはマヤにとっても同じらしく、少女に抱えられた
まま頭に手をあてて激しくまばたきをしている。
﹁うふふふ。だーい好き﹂
マヤの首に手を回した少女は、改めてマヤを抱きしめた。
﹁だから二人を、会わせたくなかったんだ﹂
歯ぎしりしているエフェメラさんは、彼女がマヤの事を好きだと
初めから知っていたようだった。
205
マヤが好き! 6
やっと状況を理解したわたしは、怒りで血が上っていた。わたし
の目の前で、マヤが見ず知らずの他人に可愛がられたのだ。それは
まるで、自分が大切にしていた宝物を奪われたような不快感だった。
﹁絶対に許さない! マヤから離れなさいっ!﹂
マヤに買って貰ったハサミだけは、紙袋ではなく制服のポケット
に入っていた。包装紙を破りながら、わたしは少女に向かって突進
していた。
﹁許さないですって! その言葉、そっくり返すわよ!﹂
少女が抱きしめていたマヤを突き飛ばした瞬間、目の前が真っ白
になった。何が起こったのか判らないうちに、こんどは激しく横か
ら突き飛ばされた。
﹁うわっ﹂
瓦礫の上を転がったわたしは、そのまま壁に激突した。
﹁な、何なのよ﹂
地面に突っ伏したわたしが顔を上げると、目の前の光景に唖然と
した。
エフェメラさんの右肩が、大きく裂けていたのだ。二十センチ程
ある裂け目からは、銀色の機械が火花を散らしていた。エフェメラ
さんが、わたしを突き飛ばして身代わりになったのだ。
﹁やはり彼女に時間を与えるべきでは無かったな﹂
地面に膝をついたエフェメラさんは、うつぶせに倒れた。
﹁邪魔されたか、だけど次はどうかな﹂
少女がわたしに向けて、広げた右手を突き出した。すると右手の
前に粒状の光が大量に出現して、一か所に収束した。集まった光は、
皿のように平らな円盤になった。
﹁こいつを喰らえばいい!﹂
206
少女の右手から離れた円盤は、立ち上がったわたしの顔の右横ス
レスレを通過して壁に突き刺さった。円盤が光の粉になって消滅す
ると、壁にはエフェメラさんの肩と同じ裂け目が残された。いや、
同じ裂け目をもう一つ知っている。
﹁ホムンクルスの死体の写真と同じ裂け目⋮⋮﹂
エフェメラさんがいう通り、彼女が犯人だったのだ。しかも彼女
は、マヤのように特殊な力を持っていた。
﹁こないだは、無関係の乱入者を切ってしまったけど、また別人を
切ってしまったわね﹂
エフェメラさんを見下ろしながら、少女はさらりと酷いことを口
にした。彼女が本当に殺すつもりだったのは、路地裏におびき出さ
れたわたしだったのだ。
しかし、殺されそうになった事よりも重大なのは、次に彼女がわ
たしに向かって言った言葉だった。
﹁マヤと別れるのは、あんたの方よ! だって、私こそが双子の巫
女の生まれ変わりなんだからっ!﹂
﹁なんですって!?﹂
その言葉は、わたしにとって衝撃的だった。絶対に、そんな事は
信じたく無かった。
﹁そんなの嘘よっ! 巫女の生まれ変わりは、わたしなんだからっ
!﹂
そんなわたしの叫びを、目の前の少女は嘲笑った。
﹁あはははっ。巫女の生まれ変わりですって? そういうたわ言は、
何か超能力を使えるようになってから言いなさい﹂
﹁うっ﹂
少女の言葉が、わたしの胸に突き刺さった。確かにわたしには、
マヤや少女のような特殊な力は無い。
﹁それに、わたしとマヤを見なさいよ。こんなにそっくりなのよ。
あなたと私、一体どっちが双子に見えるかしら?﹂
そう言って少女は、紫色のメガネを取り出した。メガネをかけた
207
少女は、ますますマヤに似てきた。それを見せられると、わたしは
弱い。マヤを抱きしめている少女の姿は、何も知らない人が見たら
双子の姉妹が戯れているようにしか見えない。それでもわたしは、
マヤとの繋がりを信じたかった。
そうだ、わたしにはそのマヤとの絆がちゃんとあった。
﹁でも、でもわたしは、前世の夢を見てるわ! 絶対にわたしの前
世は、エピクリマ大陸の巫女よっ! マヤだって、そう言っている
!﹂
あの、祭壇の夢こそ私とマヤが確認し合った前世の記憶だ。お互
いに見た夢が同じだった証拠に、マヤはスケッチブックに巫女の衣
装を画いていた。
しかし少女は、メガネを外しながらわたしの必死の思いを鼻で笑
った。
﹁ふん、どうせエピクリマ大陸っていってもほんの一部分だけでし
ょ。私なんか、大陸の社会や文化まで見ているのよ。私が夢の内容
を雑誌に投稿しているの、知らないの?﹂
﹁雑誌? まさか、FRマガジンの事を言ってるの?﹂
どうして、今まで気付かなかったんだろう? 雑誌の記事だって
誰かが書いているのだから、その人もエピクリマ大陸の夢をみてい
る筈だって。
﹁そうか、あんたも読んでいたのね。編集部が面白おかしくアレン
ジしているけど、あの記事は私の夢が元になっているのよ﹂
少女の言葉を聞いて、今まで黙っていたマヤの目が輝いた。
﹁あの記事を書いたのはあなただったのね! あたしも会いたかっ
た!﹂
何のためらいもなく、マヤは少女の首に手を回した。
﹁あの記事は隅々まで読んでるわ。最後の名前も覚えてる。巌上4
奈っていうんでしょ﹂
﹁いや、あれは千の奈だからチナって読むのよ。編集部経由で届い
た手紙でも、4になってたわよね﹂
208
なんでマヤは、名前に算用数字が入っていると思うのかな。確か
に字体が変わっていて読みづらい記事だったけど、そんな読み間違
えはマヤしかしない。それはそうと、どうしてマヤの名前を知って
たのかと思ったら、手紙を出していたのか。
﹁そっか、チナっていうのね。よろしくね﹂
既にマヤは、場の空気を完全に壊して自分のペースで進めていた。
﹁あなたがエピクリマ大陸の夢を見たのって、いつから? ね、ね。
教えてよ﹂
マヤにはもう、チナしか見えていなかった。
﹁初めて夢を見たのは、もう二年半も前の事よ。私は、ずっとマヤ
を待っていた﹂
わたしの目の前で、二人は抱きしめ合っていた。その光景に、わ
たしは今朝みた夢を思い出して血の気が失せた。
﹁まさか、わたしを捨てるというの?﹂
わたしが呆然としていると、突然マヤが頭を押さえてうずくまっ
た。
﹁ひゃあ!﹂
何か頭痛でもしているのかと思ったら、エフェメラさんがわたし
の前に立った。応急処置をする機能があるらしく、制服の裂け目か
ら見える肩の傷には銀色の膜みたいな物で覆われていた。
マヤの周りを、フライデイが飛び回っている。どうやらマヤが頭
を押さえているのは、エフェメラさんの仕業だった。出力を下げた
フライデイのビームで、マヤは頭皮を焦がされたみたいだ。
﹁何をやっているんだマヤ!﹂
エフェメラさんは、本気で怒っているみたいだった。
﹁和美さんが必要なんじゃないのか? 離れられないんじゃないの
か? 友達をほったらかしにして自分だけで盛り上がってるんじゃ
ない!﹂
頭に手を当てたまま、マヤは立ち上がって振り向いた。
﹁そ、そうよね。和美も、あたし達と同じエピクリマ大陸の双子の
209
巫女だもんね。和美もこっちに来なさいよ﹂
にっこり笑って、マヤはこっちに向かって手を振った。
双子なのに三人いる事を疑問に思わない所は、マヤとはいえ非常
識が過ぎるような気がした。あのチナも、さっきとはうって変って
ムキになった表情でマヤの手を引いた。
﹁同じなんかじゃない! あいつじゃマヤの友達に何て絶対なれな
い! だって本当のマヤを受け入れられるわけがない!﹂
本当のマヤ? チナは何を言いたいのだろうか?
﹁中学の時にマヤは、人を殺した事があるのよ。それも、自分の力
を使ってね﹂
チナの言葉は、すぐに理解できなかった。だけど、わたしは思い
出した。理由があれば人を殺せると、マヤは言っていたのを。あの
言葉は、本当だったんだ。
﹁それでもマヤを好きでいられるのは、私だけよ。あんたのせこい
価値観では、マヤを受け入れられないわよ﹂
チナは、勝ち誇ったような顔でマヤを横から抱きしめて自分の頬
をマヤの横顔に近づけた。だけど、そんな事実もわたしには無意味
だ。
﹁嫌いになんかならない! マヤは、理由がなければ人殺しはしな
いんだから! 理由があって人を殺したんでしょ、マヤ?﹂
わたしに尋ねられて、マヤは首を傾げた。
﹁ああ、そうだった。先生が、お父さんを殺した犯人だったのよ。
それで、あたしは先生を許せなくって、湖に沈めたわ。そう、あた
しが初めて水を操れたのよ。前に言わなかったっけ﹂
言わなかった? そうだ、確かにマヤはファミレスで断片的に過
去を話していた。マヤにとっては、あれで全て話した事になってた
んだ。先生とかいう犯人は、初耳だけど。
﹁ええ、確かにそんな事を言っていた。わたしが、マヤの言葉の意
味に気付いていれば良かったんだと思う。いや、そんな事じゃなく
て、わたしはマヤが何をしても、それでもマヤが好きなんだって。
210
それだけは判って!﹂
﹁うん、判ってるわよ﹂
本当に判ってるのかどうかは兎に角、わたしはその言葉に安堵し
た。
﹁そんなの、見せかけよ! 本当のあんたは、マヤと私の間には絶
対に立ち入れないんだからね! 私とマヤが結ばれるのは、前世か
ら決まってる運命なんだから!﹂
それでもチナは、マヤとの関係を頑固に主張していた。
﹁わたしだって、マヤと一緒に祭壇に上っている夢なら見たわよ!
夢の中のマヤに手を握られた感触を、わたしは忘れない!﹂
わたしの叫びに、マヤは首をかしげて眉をひそめた。
﹁あれ? そうだったっけ?﹂
まさか、マヤが夢の内容を否定するとは思わなかった。わたしは、
マヤの予想外の反応に動転しながらも、更に言葉を続けた。
﹁マヤだって、夢を見たんじゃないの。あの、スケッチブックその
ままの格好のマヤと並んで歩いているわたしを﹂
﹁うん、確かに二人は並んでいたわ。前世の姿の和美とあたしがあ
の祭壇にいるのを、あたしも夢に見たわ﹂
やっとマヤも、夢の内容を認めてくれた。だからわたしは、もっ
と詳しく話せばマヤははっきりと理解する筈だと思った。
﹁ほら、マヤだって覚えている筈よ。わたしと手を取り合って、天
井の裂け目を見上げていたのを﹂
﹁見上げていた? 見上げて?﹂
マヤは、まだ何か悩んでいるいるようだった。一体、何にマヤは
引っ掛かっているのだろう。
﹁どうしたのよ、マヤ。お互いに取り合った手の感触を、忘れたの
?﹂
﹁え、それって⋮⋮﹂
マヤが、こめかみを手で押さえて俯いた。エフェメラさんに焦が
されたのは頭頂部だから、これはマヤ自身の頭痛だろう。
211
﹁あたしは、エピクリマの巫女よね。そうじゃなきゃ、いけないの
よ﹂
マヤは何かに悩んでいたようだったが、わたしは話すのを止めな
かった。
﹁そうよ、マヤはエピクリマの巫女よ。だって、巫女の服を完璧に
再現していたじゃないの。わたしでは、あそこまで正確には出来な
いわ﹂
﹁巫女の服?﹂
マヤは、何か不思議がっていた。
﹁もうやめなさい! あんたは黙ってればいいのよ!﹂
チナが、鋭い口調でわたしの言葉を遮ろうとした。
﹁和美さん、もうあいつは私が始末をするから、あなたは下がって
いてくれないか﹂
それどころか、エフェメラさんまでが、わたしがマヤに話しかけ
ようとするのをやめさせようとして前に進んだ。
﹁わたしの邪魔をしないでよ! わたしとマヤこそが、絶対に双子
の巫女の生まれ変わりなんだから! だって、マヤの書いた絵と、
夢に出たマヤの背中はおんなじだったんだから!﹂
﹁やめるんだ!﹂
突然、エフェメラさんがわたしに飛び掛かって、口を無理やり塞
ごうとした。
﹁な、なにうぉ⋮﹂
エフェメラさんの手を振り払おうとするが、わたしの腕力ではエ
フェメラさんに敵わなかった。
﹁ここは私に任せて、和美さんはマヤを見守っているんだ﹂
口を塞がれたまま、わたしはマヤに目を向けた。エフェメラさん
なら、フライデイのカメラで見ればいいんだろうけど、わたしはそ
うはいかない。
﹁背中を見る? 背中! 背中だって! あ、あたしは、背中を見
ていた! それも二人ともっ! だ、誰なの? あたしの視点はっ
212
!?﹂
頭を抱えながら、マヤは地面に倒れこんだ。
﹁お、落ち着いてマヤ﹂
チナが、マヤの腕を掴んで上半身を抱き起そうとした。
﹁いや! 違うなんて嫌よっ!﹂
マヤが、両腕を振り回してチナを突き飛ばした。
﹁きゃあっ!﹂
マヤは手加減しなかったみたいで、チナは勢いよく壁に叩きつけ
られた。頭を抱えたまま、マヤはうずくまって震えていた。
﹁いや、そんなの嫌よ! あたしは巫女の生まれ変わりなのよ! 先生を殺した力は、正義の力じゃないといけないのよ!﹂
﹁マヤ!﹂
エフェメラさんが、マヤの方を振り向いて叫んだ。
﹁何も気にするな! 今まで通りに、宇宙人とエピクリマ大陸の巫
女の事だけ考えていればいいんだ!﹂
エフェメラさんは、何かを知っている。恐らく、わたし達が知ら
ないうちにチナを殺そうとした理由と関係があるに違いない。エフ
ェメラさんがマヤに気を取られている隙を見て、わたしは口を塞い
でいる邪魔な手を振り払った。
﹁マヤ、聞いてよマヤ﹂
わたしは、チナみたいに突き飛ばされないように注意して、恐る
恐るマヤに近づいた。
﹁一体どうしたのよ、マヤ? わたし達は友達でしょ。困ったこと
があるならわたしに相談してよ﹂
わたしの言葉に、マヤは両腕で抱えられた頭だけを動かしてこっ
ちを見た。
﹁和美⋮⋮
わたしの名前をマヤが呟いたので、安心してわたしはマヤに歩み
寄った。しかし、マヤの瞳は今までの彼女とは別人だった。その、
暗いのに怪しく輝く目は、わたしの知っている誰とも違う、始めて
213
見る目立った。
﹁いや、見覚えがある⋮⋮。どうして、あの目が?﹂
それは、マヤに見せられたあの宙を飛ぶクジラの目を思い出させ
た。瞬間、わたしの頭が熱湯をかけられたかのような熱さと痛みに
みまわれた。
﹁そうだ、わたしは、もっと、もっと昔に⋮⋮﹂
おかしい。わたしは、頭を抱えながら思ってもいない言葉を口に
していた。一体わたしは、何を言っているんだ?
チナは、壁に手を付けてゆっくりと立ち上がると、マヤに向かっ
て叫んだ。
﹁あんな奴の言う事なんて忘れて! 私だけが、マヤを判るんだか
ら!﹂
マヤは今度はチナの方を向いた。胸に手を当てながら立ち上がっ
たマヤは、わたしとチナを交互に見比べた。突然、マヤの肩が小刻
みに震えた。
﹁そうか、そういう事だったのね。二人ともあたしを馬鹿にしてっ
!﹂
マヤが何を言っているのか、わたしには理解出来なかった。それ
でもわたしは、マヤに向かって手を伸ばしながら近寄った。
﹁マヤ、わたしの話を聞いて!﹂
だけどマヤは、わたしに向かって手を伸ばさなかった。両手で胸
を抑えたまま、マヤは頭上に向かって吠えた。
﹁うわああああっ!﹂
マヤの叫びに共鳴するかのように、地面が揺れた。敷き詰められ
た瓦礫がぶつかり合って不快な合奏を奏でる。地下の水道管にまで
影響が出たのか、地面から次第に水が湧き出始めた。
214
マヤが好き! 7
壁伝いに歩いていたチナが、マヤに背後から抱き着いた。
﹁落ち着いて、マヤ。いつだって私はマヤの味方よ﹂
﹁チナ⋮⋮﹂
マヤの背中にチナが頬を摺り寄せると、マヤは次第に落ち着きを
取り戻した。
﹁思い出してよ、マヤ。私にはマヤしかいないのよ! 私とマヤは、
あんなに愛し合ったというのに忘れたのっ?﹂
愛し合った? チナの言っている事は、わたしにとって一番の衝
撃だった。
﹁一体、いつ愛しあったっていうの? だって二人は今ここで出会
ったばかりじゃ⋮⋮﹂
いや、チナが言っている過去は、前世の出来事だろう。でも、愛
し合ったとはどういう意味なの? エピクリマの巫女だと、チナは
言っていたのに。
そもそも、わたしこそがエピクリマの巫女だ。巫女は、わたしと
マヤだけで充分だ⋮⋮。おかしい⋮⋮。何かが変だ。
﹁変じゃない、わたしは何かを間違えている⋮⋮﹂
わたしは、今朝の夢を思い出した。夢の中の少女は、愛を手に入
れると言っていた。そして少女は、わたしに背を向けた。
﹁そうか、背中よ!﹂
わたしは、夢の中で自分の背を見た事が無い。なのに、どうして
マヤは自分の背をスケッチブックに描いているの? もっと早く気
付いていい事を、わたしは無意識に避けていたように思う。
マヤとわたし、そしてチナの三人がいて、巫女の座は二つだけ。
だからわたしはチナが巫女でないと言い、チナはわたしが巫女でな
いと言った。だけど、まだ可能性がもう一つだけあった。
215
﹁まさか、巫女でないのは⋮⋮﹂
夢の中の少女は、誰を愛していたの? それは、あそこにもう一
人いたという意味ではなかったの? 一体どこに?
﹁何をやっている!﹂
そんな事を考えている間、わたしは呆然としていたのだろう。突
然、エフェメラさんが抱き着いてわたしを引っ張った。
﹁うわっ!﹂
わたしの目の前で、新しい水柱が立った。いや、水にしては熱い。
地面から吹き出していたのは、熱湯だ。他の水柱も、何時の間にか
熱くなっていた。周囲はあっという間に、もうもうとした湯気に包
まれた。
湯気の壁の向こうでは、マヤとチナの影が寄り添っていた。
﹁ねえ、チナ。あたしの前世は、エピクリマの巫女じゃなかったの
ね﹂
﹁そう、巫女ではないわ。だって貴方は、巫女を手に入れた存在な
んだから。私こそ、貴方の本当のパートナーよ。だから、そんなに
悲しまないで﹂
チナがマヤに囁いた言葉は真実かもしれないが、私は認めたくな
かった。
﹁ここは、私達のいるべき世界じゃない。だから、あの頃に戻りま
しょう。二人が愛し合った、あの思い出の日々を復活させるのよ﹂
チナがマヤを誘っている。このままでは、マヤが連れ去られてし
まう!
﹁行かないで! マヤッ!﹂
わたしは、マヤに向かって必死に叫んだ。本当は今すぐにでも駆
け寄りたかったが、エフェメラさんの腕はわたしをしっかりと抱え
て、今度こそ逃すまいとしていた。
﹁離して! 離してよっ!﹂
二人の腕力には、どうしようもない程の開きがあったが、わたし
はそれでも必死で振りほどこうとした。
216
スルリ、と表現したほうがいいだろうか? 気が付くとわたしは、
エフェメラさんの腕をすり抜けて駆け出していた。しかも、湯気が
透き通ったかのようにマヤの姿もはっきりと見えた。
﹁え?﹂
どうしてこんな事になっているのか、自分でもよく判らない。し
かし、わたしが足を止める事は無かった。
﹁マヤーッ!﹂
絶対に、マヤを取り戻す。その思いだけが、わたしの全身を支配
していた。
﹁危ない! 和美!﹂
もうわたしには、後ろからのエフェメラさんの言葉も耳に入らな
かった。それどころか、前方からチナが攻撃する態勢になっている
のも目に入らなかった。
マヤしか見ていないわたしは、光の円盤がすぐそばに来ている事
さえも視界に入っていなかった。わたしがやっと気付いた時には、
もう手遅れな程に光の円盤は顔面に迫っていた。しかし、円盤はわ
たしに当たる前に粉々に砕け、輝く粉雪のようにわたしの顔に降り
注いだ。
﹁うわ!﹂
別に熱かったり痛かったりはしなかったが、眩しさに視界を遮ら
れたわたしはマヤを見失ってしまった。それでも、わたしはまだ走
っていた。
﹁今度こそ!﹂
チナが、わたしをまた攻撃しようとしていた。マヤもそっちにい
るので、わたしはあえてチナに向かって疾走する。
﹁うわああああっ!﹂
一体どうしたのか、マヤの雄叫びが聞こえてきた。まるで、何か
ヒステリーを起こしているみたいだ。マヤの事が心配で心配で、わ
たしは必死になって叫んだ。チナも、マヤに向かって叫んでいた。
﹁マヤッ!﹂
217
﹁マヤッ!﹂
﹁あああぁぁんっ!﹂
わたし達三人の叫びが、不協和音となって空き地の中でコダマし
た。
さっきまで扱った周囲が、嘘のように寒くなった。冷気につつま
れたわたしは、自分の身体に雪か霜のようなものがまとわりつくの
を感じていた。
そうだ、どうして気付かなかったのだろう。水を自在に操れるな
ら、水蒸気に変えるのと逆に氷に変える事も出来るのだと。そして
マヤは、何故か今までそれをしなかった事を。
﹁なんてことだっ!﹂
わたしが最後に聞いたのは、エフェメラさんの狼狽だった。
218
マヤが好き! 8
気が付くと、わたしは暗い部屋にいた。どうやらここは、どこに
でもある普通の安アパートの居間のようだった。窓からは、夕日が
血のように赤い顔を半分地平に隠していた。
﹃これも、夢なの?﹄
景色ははっきりと見えるのに、自分に存在感が感じられない。エ
ピクリマ大陸の夢のようには、自分の存在を認識出来ないのだ。自
分の声さえも、どこかぼやけて聞こえる。
﹃わたしの体が、ないの?﹄
そうだとするなら、ここにはわたしの居場所が無い夢なのだろう。
部屋を見回すと、タンスの下で少女がうずくまっていた。何かに
怯えて震えているかのようだ。
乱暴に玄関のドアが開く音がすると、少女はビクッとして起き上
がった。わたしは、少女の顔を見て驚いた。マヤそっくりなのに、
背が小さい。まるで、中学生の頃のマヤみたいな印象だった。いや、
マヤはこないだまで長髪だった。
﹃それじゃあ、彼女はチナ?﹄
わたしは、チナの過去を見ているのだろうか。
男は、床を踏み抜くんじゃないかという程に激しい足音を立てて
居間に入って来た。ろれつが回らなくて、何を怒鳴っているのかよ
く聞き取れない。夕方だというのに酒臭い男は、定職についていな
さそうだった。恐らく彼は、チナの父親なのだろう。
少女は、涙目で恐る恐る父親を見上げた。
殴り飛ばされた。思い切り、手加減なく。父親の容赦のない一撃
で、チナは壁に叩きつけられた。
少女がなぜ殴られたのか、判らない。いや、理由なんてないのだ。
何か外で不愉快な事があって、その欝憤を晴らす為に暴力を奮って
219
いるのだ。マヤにそっくりな彼女が痛い目に合うのは、見ていて心
が痛む。
畳の上に寝転がっている少女に、男は馬乗りになって怒鳴りなが
ら何度も少女を殴っていた。殆どの言葉の意味は判らなかったが、
自分で殴っといてお前のせいで手が痛くなったなどと手前勝手で頭
の悪い因縁をつけていたのだけは何とか聞き取れた。
﹃これが、父親のする事なの?﹄
しかし、そんな親が実際に目の前にいた。全ての親が子供のを愛
しているわけじゃないのは判っている。どんなにつらくあたってい
ても何か理由があってやっているのだとという寝言も、いくら夢の
中だからといってもわたしは言う気はない。しかし、それでも目の
前の光景は酷かった。
どんなに目を背けたくても、実体を持たないわたしには全周囲の
景色が勝手に頭に入ってくるし目が無いので目を閉じる自由も無か
った。ただ何も出来ずに成り行きを見続けるしかない。
ようやく気が済んだのか、男は最後にチナを踏んづけてまた外に
出て行った。部屋には、ボロボロになった少女が残された。
﹁⋮⋮う﹂
少女が、何かうめき声を上げていた。
﹁⋮⋮がう、違う⋮﹂
そのまま、呆然と見下ろしているとチナの言っている事がようや
く聞き取れるようになった。
﹁こんなの、違う。私がいるべき所は、世界はこんなのとは違う﹂
チナは、タンスにてをかけてゆっくりと置き上がった。しかし、
まだふらつくみたいで、四つん這いになって居間から出た。
﹁きっと、本当にある筈よ。私を愛してくれる人がいる世界が⋮⋮﹂
ああ、そうなのか。チナにとって、この世界はとても残酷で現実
だと認めたくはなかったのだ。チナにとっての本当の世界は、他に
あった。
﹁私、帰る。本当の私がいる世界に﹂
220
シンクの下の棚を開けると、チナは上半身を棚に突っこんだ。
﹁傷の手当てもしないで、なにをやってるの?﹂
棚の中にいる上半身は、わたしの視点からは見えなかった。しか
し、カリカリと何か文字を書いている音だけは聞こえていた。
﹁帰りたい。帰りたいよぉ﹂
その嘆き声が、チナが何を書いているのかをわたしに教えた。彼
女は、エピクリマ大陸の記憶をしたためているのだ。つらい時には、
こうやって自分をなぐさめているのだろう。誰もいない筈の部屋で
こんなにコソコソしているなんて、よっぽど父親が怖いに違いない。
いきなり、玄関のドアが開いて、あの男が戻って来た。チナは、
慌てて棚から顔を出して扉を閉めた。今度の男は、一人ではなかっ
た。すぐには誰が父親か判らないほど個性のない同類たちを、何人
か連れて来たのだ。
恐怖に顔が引きつった少女は、痛みも忘れて必死に逃げ出そうと
した。しかし、狭い部屋に彼女の逃げ場は無かった。居間向かって
に走る少女の背中を、男は手加減せずに殴り飛ばした。畳の上に転
倒した少女に、男たちは次々とのしかかる。
少女の父親は、しわくちゃになっている札束を数えながらニヤニ
ヤしていた。そして、泣き叫ぶ娘を放ってまた出かけて行った。こ
れがどういう事なのかを知って、わたしは戦慄した。
﹃あの男、自分の娘を売ったんだ﹄
きっと、あのお金はあいつの飲み代に変わるのだろう。あの男は、
本当に自分の事しか考えていなかった。母親が見当たらないのは、
きっと娘を置いて真っ先に逃げ出したのだろう。彼女の味方は、こ
の世界にはいなかった。
少女の毎日は、この生き地獄の繰り返しだったのだろう。エピク
リマ大陸の記憶だけが心の支えだったなんて、悲しすぎる。
華奢な体を深夜までずっと嬲られ続けた少女は、畳の上に裸で寝
転がったままうわ言を繰り返していた。
﹁違う⋮違う⋮違う⋮﹂
221
少女に出来るのは、この世界を否定する事だけだった。それで、
一つ判った事があった。チナが平気でわたしを殺そうとしたり、ホ
ムンクルスを殺したり出来るのは、否定している世界の住民の命な
んて何にも感じていないからだ。
そんなチナが父親達を殺さないでいるという事は、まだこの時は
特別な能力に目覚めていないのだろう。現に今のわたしも、エピク
リマ大陸の巫女の夢は見るけど特殊な能力は何もない。
破り捨てられた服で体の汚れを吹いたチナは、タンスに向かって
ズルズルと畳の上を這いだした。新しい服を取り出して着替えると、
更に何着か取り出した。
少しは体力を取り戻したのか、チナはキッチンまで背中を丸めな
がら歩いて、また流しの下を開いた。エピクリマ大陸の話の続きを
書くのかと思ったら、チナは紙束を取り出した。
冷蔵庫の僅かな食べ物を取り出すと、チナはドアを開けて部屋か
ら去って行った。彼女はもう、この部屋には帰って来ないに違いな
い。恐らくあの紙束が、彼女の家出を決意させるだけの力を与える
程に書き溜められたのだろう。
ただ一人わたしだけが部屋に取り残されると、誰もいない居間は
次第に暗くなって何も見えなくなった。
*
どうしてこんな場所にいるのか、判らない。
木魚の音が読経に合わせて鳴り響き、壁には白黒模様のクジラ幕
が張られていた。そして部屋の奥には、菊の花があしらわれた写真
が飾ってあった。そう、ここは葬式場だ。
僧侶の後ろに座っているのは、茶色いブレザー姿の少女だった。
見た目は中学生だったが、彼女には見覚えがあった。
﹃もしかして、マヤ?﹄
高校に入った頃よりは短いが、髪が長いのでチナではないだろう。
222
しかし、印象が全然違う。悲しい顔をして、写真を見上げているか
らだろう。
﹃すると、あの人がマヤの父さん?﹄
写真の中で笑っていた男は長髪でほっそりとしていて、マヤに似
ていない事もなかった。知らない人にマヤの母親と言ったら信じて
しまいそうな美形だ。
葬式の出席者は数人で、大人しかいなかった。マヤのクラスメー
トは、誰も来なかったのだ。どうやら、この頃から友達はいなかっ
たのだろう。
﹃あれ? もしかして、ここって?﹄
そうだ、ここはマヤの家だ。自分の家で葬式をするなんて、広い
屋敷なだけの事はある。
父親の知り合いと思われる大人たちとお坊さんが帰ると、マヤと
背広姿の青年だけが屋敷に残った。霊柩車が来ない所を見ると、火
葬は明日以降なのだろう。遺体を安置する余裕のある家ならではだ。
不思議な事に、わたしの視点が徐々に動き出した。葬式場から外
に出て、わたしの視界は庭で固定された。葬式が終わったのか、マ
ヤ達が出てくるのが見えた。
門前で客達を見送ったマヤ達は、庭にある噴水池のほとりで一休
みしていた。あんな池は、わたしは知らない。既にこの時点で噴水
は止まっているし、この後すぐに撤去されたのだろう。
一見大理石のように見えるが表面処理が剥がれてモルタルが露出
している個所のある噴水の縁石に腰かけて、マヤはくつろいでいた。
﹁ありがとう、先生。わたしだけじゃ、葬式も出来なかったわ﹂
池の水を手ですくってマヤが戯れていると、先生とかいう人がマ
ヤの背後にゆっくりと回った。清潔そうな外見の男は一見すると銀
行員か営業マンみたいな感じだったが、多分クラスの担任か何かだ
ろう。
﹃先生ですって? まさか、あの人は⋮⋮﹄
突然、マヤの両肩を掴んだ先生が、水面にマヤの顔を押し付けた。
223
﹁うぶぉっ!﹂
何が起きたのか判らないマヤだったが、浅い水深に助けられて何
とか底に手をついて抵抗していた。とっさの反射神経は、やはりマ
ヤの身体能力の高さによるものだろう。
﹁ど、どうしでっ? ゴブッ﹂
左手で踏ん張りながら、マヤは必死に右手を振り回した。しかし、
圧倒的に不利な体勢では、空しい抵抗だった。
﹁お前は、ここで死ぬんだ! 父親の後を追ってな!﹂
今まで優しかった男が、ついに本性を現したのだ。マヤはもう、
父親を殺したのが誰かも判っただろう。
﹁今まで、必要な書類を全部代筆してやったんだ。遺書の筆跡も、
これでごまかせる﹂
マヤに親切にしていたのも、全て計画的な犯行だったのだ。完全
犯罪の成功を確信した先生は、全てをベラベラとしゃべりだした。
しかし、わたしは結果を知っているので、不安は全然なかった。
この後、マヤは自分の力に目覚めるのだ。そして、マヤは先生を⋮
⋮。
﹁う、うううっ!﹂
マヤが何か言おうとしていたが、先生は手加減を一切しなかった。
マヤの手は、しばらくはばたついていたがだんだん動きが鈍くなり、
とうとう動かなくなった。
﹃え、これで終わり?﹄
これで死んだら、マヤがいなくなっちゃうじゃない。意外な結末
に、わたしは言葉を失った。先生は、動かなくなったマヤを池の中
に投げ捨てた。
突然、水柱が吹き上がった。動いていない筈の噴水が水を吐き出
したので、先生は驚いて尻もちをついた。
水の中から、マヤが立ち上がった。どうやら、今になって水を操
れるようになったらしい。水でベットリと顔に張り付いた髪の毛の
隙間から、マヤの目が光った。
224
﹁先生、あなただったんですね﹂
父親の仇を知ったマヤの周囲で、水柱が次々に上がった。どうや
ら、今度こそ予想通りの展開になりそうだ。
先生は、真っ二つになった。水の柱が氷の剣となって、避ける暇
も無く振り下ろされたのだ。全てが終わって、どうしようかマヤは
困っていた。死体の処分もそうだが、その場のノリで殺してしまっ
たせいで先生の動機は聞けずじまいになっていた。それが余計に、
マヤの心を動揺させていた。
﹁そんな、どうしてこんな事が出来たの?﹂
様々な事に頭を痛めたマヤは、一番最後に自分が常識外の力を使
っていた事実に気が付いた。そして、池の水に手を突っ込んで意識
を集中した。
水面が渦を巻いたり霧が吹き出したりするのを繰り返していたマ
ヤは、段々と楽しくなったらしく、死体そっちのけで水で遊びだし
た。
マヤの作りだした霧が庭中にたちこめて、わたしは白い壁に囲ま
れて何も見えなくなった。
225
マヤが好き! 9
わたしがいたのは、多分ラブホテルの一室だろう。実際に入った
経験が無いから、よく判らないけど。ここでチナは、テレビの前の
ソファーに座っていた。チナの格好はセーラー服に見えるが、派手
な色合いなので私服だろう。
チナは、テーブルに乗っているスポーツバッグのファスナーを引
いた。中に入っていたのは、数冊のFRマガジンと大きな封筒の束
だった。FRマガジンの栞を挟んだページを広げると、そこにはエ
ピクリマ大陸の記事があった。正確には読者投稿コーナーだが、チ
ナが大量に投稿したので編集部が半ページだけだが特集を組んでく
れたのだ。
エピクリマ大陸の記事は、回を重ねるうちに次第にページ数が増
えていった。前にマヤが見せてくれた記事が最新号だったので、こ
の夢は一年前の出来事なのだろう。
封筒の束は、読者からの手紙が入っていた。手紙の宛先は編集部
だったが、大きい封筒は局留めでチナに送られていた。
﹃そうか、今のチナは住所不定だから、編集部経由で記事の感想が
送られて来るのね﹄
もしかしたら、家出する前から局留めを密かに使っていたのかも
しれない。
チナは、殆どの手紙は差出人の名前を見ただけで封筒に戻した。
ただ一つ、マヤからの手紙をのぞいて。
チナが広げたマヤの手紙には、エピクリマ大陸の巫女の服が間違
っていると書いてあった。マヤの夢に出てきたむ巫女の格好につい
ても詳しく書かれていた。それはマヤの夢が、記事に感化されて見
たものではない本当の前世の夢だという証明だった。
微笑を浮かべながら手紙をチナが読んでいると、シャワールーム
226
から中年男性が出てきた。男は、バスタオルを腰に巻いているだけ
の裸だった。男に呼ばれたチナは、手紙をバッグにしまって立ち上
がると。次々に服を脱ぎ捨てた。
﹃まさか、彼女って?﹄
男に誘われるまま、チナはベッドに入った。ここがラブホテルと
いう時点で、どうして気付かなかったのだろう。家を出たチナは、
援助交際をして生計を立てていた。何の免許も資格も無い彼女は、
結局お金を稼ぐ手段がこれしか無かったのだ。
二人で同時にホテルを出るわけにはいかないので、チナがシャワ
ーを浴びている間に客が先に帰った。全開で吹き出すお湯を浴びて
いたチナが、手に力を込めて体を洗いながらボロボロと涙を流して
いた。
﹁違う、違う、違う。こんな世界は、絶対に違う﹂
やっぱりチナは、好きでこんな事をしているわけではなかった。
チナは、自分にそんな事をさせている世界を憎んでいた。
*
わたしは、再びマヤの家の庭に来ていた。マヤは屋敷の中にいる
のか、姿は見えなかった。しかし、誰もいないなら、わたしがこの
家にいる意味はない。何処かにマヤがいないかと見渡していると、
門の影に見覚えのある少女がいた。
﹃チナ? ここに来ていたの?﹄
チナの手には、マヤの封筒が握られていた。封筒の裏に書いてあ
る住所を見て、チナはここを訪ねて来たのだ。しかし、チナの表情
は何か変だった。まるで、悔しそうな表情で肩を震わせていた。
﹁⋮⋮違う。こんなの違う。なんでこんなに不公平なのよ!﹂
どうやら、マヤと自分の境遇を比較して不公平に感じているらし
い。父親からあらゆる虐待を受け、今では体を売って生活している
チナには、マヤの立派すぎる屋敷が別世界のように見えている事だ
227
ろう。
﹁私と彼女で、何が違うっていうのよ!?﹂
封筒をひしゃげる位に強く握りしめながら、チナは屋敷を睨んで
いた。確かにマヤは、チナとは面識が無かった。家まで来たが、チ
ナはマヤと会わなかったのだ。
屋敷の玄関が開いて、マヤが出てきた。マヤの来ている黒づくめ
の服は、ファッションではなく喪服だろう。黒い帽子を深くかぶっ
ていて、黒いレースで顔もよく見えない。手にしているハンドバッ
グまで、黒い。
﹁彼女がマヤ?﹂
チナは目を皿のように開いて観察していたが、マヤが門の方に来
たので慌てて曲がり角まで下がった。すると、わたしの位置も葬儀
場の時みたいに勝手に移動し始めた。
チナは、マヤの後をつけだした。わたしも二人に引きずられるよ
うに一緒に視点を移動させられた。
電車を乗り継いでマヤが来たのは、山奥にある墓地だった。墓地
の近くで花を買っていたマヤは、墓前に線香と一緒に供えると数珠
を持ってお経を唱えた。十分くらいしてお経を唱え終えたマヤは、
墓石に向かって話しかけた。
﹁ねえ、お父さん。お父さんを殺した人は、あたしが殺しちゃった﹂
マヤの告白を立ち聞きしていたチナは、物騒な言葉を聞いて目を
見開いた。
﹁あたしには、変な力があったんだ。この力って、とっても凄いん
だから。悪い人を殺したのは何とも思っていないけど、自分の力は
何の為にあるのかが判らなくて不安だった﹂
マヤは、水の入った桶を両手で持って墓石の前に突き出した。桶
に意識を集中させると、中から飛び出した水が宙を舞って墓石に振
り注いだ。噴水みたいに吹き出した桶の水を見て、チナは危うく大
声を出しそうになった。
228
しかも、水流の反動なのかマヤの上半身が後ろにそってかぶって
いた帽子が地面に落ちると、チナはまた驚いた。
﹁ええっ!? 私?﹂
チナに見られている事など知らずに、マヤは墓石にまた話しかけ
た。
﹁でも、やっと判ったの。見てよ、これ﹂
マヤがハンドバッグから取り出したのは、FRマガジンだった。
﹁あたしね、このエピクリマ大陸の巫女に見覚えがあるのよ。絶対
あたしは、巫女の生まれ変わりなんだから﹂
雑誌をしまうと、マヤは帰って行った。墓石の影から出てきたチ
ナは、マヤの父の墓の前に立った。
﹁貴方は、いいお父さんだったみたいね。どうして、あんな奴が生
きてて貴方みたいな人が死ななきゃいけないのよ。やっぱり、こん
な世界は違うのよ﹂
チナは、墓石を濡らしている水に手を浸した。すると、チナが突
然手を抑えてしゃがみこんだ。
﹁ううっ。これって⋮﹂
腹の所で抱え込んでいた右手を上げると、手首から先が金色に輝
いていた。
﹁まさか、これって私の力?﹂
一分位じっと手を見て何か考えていチナは、ふいに立ち上がって
光る手を前方に突き出した。マヤがさっきしていた事を真似してい
るのか、チナも精神を光に集中させた。すると、光が少しずつ形を
整えて野球のボール程度の大きさに変わっていった。
﹁えいっ!﹂
光の球を、古くなって捨てられた墓石の山に向かって投げると、
墓石が光球にえぐられて穴が開いた。それ程大きい穴ではないが、
もし人間に使ったなら急所でなくても充分に命を奪えるだろう。
﹁やったわ! これはきっと、巫女の力ね!﹂
自分にも超能力があると知って、チナは飛び上って喜んだ。今ま
229
で見た事のない笑顔で、チナは墓石に向かって振り向いた。
﹁ねえ、マヤのお父さん。彼女はいずれ、あるべき所に私と一緒に
帰る事になるわ。私には、判ったのよ。マヤがどうして私にそっく
りなのかを﹂
チナは、マヤを追うように墓地を去って行った。
*
わたしは、見覚えのある場所に帰ってきた。あの、エピクリマ大
陸の祭壇だ。今度のわたしには、ちゃんとした体があった。
﹁そういえば、彼女はどこなの?﹂
マヤに似た少女を捜して周囲を見回すと、彼女は上にいた。
﹁まさか、本当に行ってしまうの?﹂
少女は、わたしの目の前で宙に浮いていた。いや、彼女の力では
ない。彼女と愛し合った存在に呼ばれて、上へ上へと引き寄せられ
ているのだ。
﹁彼女の恋人って、誰なの?﹂
わたしが天井を見上げると、天井の裂け目から大きな目がこちら
を覗き込んだ。黒い空に浮かび上がった目は、何か別の動物を連想
させた。
﹁あれは⋮⋮クジラ?﹂
あの大きな目が、わたしにはクジラに似ているように見えたのだ。
だけど、本当はあの目が誰なのか、わたしは知っている。
天井には、新しい裂け目が次々と生まれていた。その中の一つか
らは、空に浮かぶ白い船が見えた。いや、あれは船なんかじゃない。
そうだ、エピクリマ大陸が滅びたのは⋮⋮。
230
マヤが好き! 10
わたしは、ベッドの上で目が覚めた。
﹁ここは?﹂
上半身だけ起こして周りを見回すと、エフェメラさんがベッドの
すぐ隣で丸椅子に座っていた。どうやらここは、エフェメラさんの
寝室のようだった。食事のように人間のふりをする必要から、ベッ
ドも使うのだろうか。
﹁どうやら、体に戻ったようだな﹂
エフェメラさんの第一声は、不思議な言い回しだった。助かった
とか息を吹き返したとか、普通は言わないか。
﹁そうだ。わたしは、マヤと⋮⋮。マヤはどうなったの!?﹂
ベッドから立ち上ろうとしたわたしの肩を、エフェメラさんは両
手で押さえた。
﹁落ち着け、まずは何があったのかを聞くんだ﹂
﹁彼女の言う通りよ﹂
壁際の勉強机の前の椅子に、見覚えのある女性が腰かけていた。
机には、わたし達が買い物した紙バッグが置いてある。
﹁平岩⋮⋮さん?﹂
何故、平岩前部長がいるのだろう? 服装も、最後にお別れした
日のままだったし。
﹁彼女をここに招いたのは、私だ﹂
﹁私が、貴女を助けたのよ。エフェメラさんに頼まれてね﹂
どうやらエフェメラさんは、あの後も平岩さんの消息を掴んでい
たようだ。もしかしたら、ここでかくまっていたのだろうか。
﹁人体から意識を離したり移し替えたりする能力を私が研究してい
たのは、覚えているわね。その力で、貴女の命を体に留めさせてい
たのよ。もっとも、人間に使うのは初めてだったから、どんな副作
231
用があってもおかしくないけど﹂
その副作用について、わたしには心当たりがあった。
﹁もしかして、マヤやチナの過去を夢で見たのって、副作用のせい
なの?﹂
わたしが尋ねると、平岩さんは楽しそうに笑った。
﹁それは面白いわね。そうか、三人の中で力が一番弱いから、体か
ら離れた意識が二人の強力な精神波の波長に合わさせられて、同調
したのよ。もしそうなら、客観的な視点でマヤ達の夢を見る事にな
る筈だけど、どうだった?﹂
平岩さんの言った通りなので、わたしは首を縦に振った。
﹁だけど、最後に見たエピクリマ大陸の夢は、わたしの前世だった
わ﹂
﹁それは、体に意識がちゃんと定着した反動ね。良かったじゃない。
順番が逆になったけど、次はエフェメラさんの話す番ね﹂
平岩さんに促されて、エフェメラさんが何があったのかを話し出
した。
﹁和美さんは自覚していなかったが、チナとの戦いで君の特殊能力
が目覚めたのだ﹂
あの時は我を失っていたので深く考えていなかったけど、言われ
てみれば奇妙な事がいくつもあった。突然エフェメラさんの腕をす
りぬけたり、チナの攻撃が消滅したり。いや、前にもおかしな事が
あった。屋上から飛び降りても無事だったし、煙突の中を落ちても
汚れなかった。
﹁でも、どういう力なの? それぞれの出来事に、共通点が見当た
らないんだけど﹂
﹁共通点なら、あるだろう。和美さん自身だ﹂
﹁ええっ?﹂
わたしが? エフェメラさんの言っている事が、にわかには信じ
られなかった。
﹁正確に言えば、和美さんの体を媒体にした空間干渉だ。酸素が取
232
り込めないと大変だから、君の主観で都合の悪いものだけ自分とい
う空間に取り込まない能力だろう﹂
つまり、何事も無ければ何も起きない能力というわけだ。つい最
近までのわたしには必要のない力だったから、目覚めるわけがない。
﹁しかし、たとえ有害だったとしても君の主観では絶対に拒否しな
い存在があった。勿論、マヤと彼女に関する全てだ。だからマヤの
力が暴走しても、和美さんは抵抗しなかった。タイミングが悪い事
に、チナもマヤの暴走を止めようとして力を使った。結果として、
マヤの力の一部を取り込んだままチナの力を跳ね返し、チナは和美
さんに力を拒まれながらマヤの力を封じようとした。つまり、三す
くみが成立してしまったのだ。バランスの悪い三すくみは、三人の
中心で力を暴走させてしまった﹂
それで、わたしは暴走する力に吹き飛ばされてしまったのか。エ
フェメラさんが助けてくれなかったら、わたしの力では耐えきれな
い強力なパワーに潰されていただろう。
﹁体の傷は大した事は無かったが、力の直撃で精神が体から離れそ
うになっていた﹂
だから、エフェメラさんがわたしをここまで運んで、平岩さんに
治療して貰ったのか。おおよその事情は判ったが、大事な事をまだ
聞いてない。
﹁それで、マヤはどうなったの?﹂
エフェメラさんは、静かに首を横に振った。
﹁残念ながら、霧が晴れた時にはマヤはいなくなっていた﹂
きっと、チナが連れて行ったのね。
﹁でも、チナにとっては前世からの大事な人だから、マヤは酷いこ
とはされないわよね﹂
わたしの言葉を聞いて、エフェメラさんが神妙な顔つきになった。
﹁そうか、知ってしまったか﹂
﹁ええ、チナが前世で愛し合った相手は、宇宙から来た破壊魔王。
そして、マヤの前世だったのね﹂
233
﹁ああ。永遠の命を持っている筈の破壊魔王が、人間に転生してい
たとはな。きっと、人間になりたい位にエピクリマの巫女が好きに
なったのだろう﹂
エフェメラさんは、わたしの話にうなずいた。わたしは、更に話
しを続けた。
﹁だけどマヤは、夢に出てくるチナの前世を自分だと思い込んだ。
人を殺したばかりのマヤは、自分の力にポジティブな意味を求めて
いたから、そう思い込みたかったのよ﹂
そうだ、だからマヤは双子の巫女の姿を夢に見て知っていた。そ
れは、巫女自身の夢では有り得なかったのに、わたしは気付かなか
った。いや、マヤに合わせたくて、無意識に事実から目をそらした
のだ。
﹁チナは、マヤの顔を見て破壊魔王が自分の姿を真似て転生した事
を知った。破壊魔王には性別なんて小さい事だったけど、チナはマ
ヤに片思いし続ける羽目になった﹂
だからチナは、マヤを見守りつつ名乗り出る頃合いをうかがって
いた。
﹁和美さんの推測通りだろう。しかし、チナには予想外の事が起き
た。もう一人の双子の巫女の生まれ変わりまでマヤに接近した事だ﹂
そのままでは、マヤが自分の前世に気付く危険があった。だから
チナは、わたしを殺して双子の巫女の頭数を合わせようとした。F
Rマガジンを愛読するようになって、宇宙人やUFOにも興味を持
ったマヤがヒューマンミューテレーションと思い込むように、腹を
裂いて内臓をとり出したりまでして。
﹁エフェメラさんも、双子の巫女の頭数を合わせるもう一つの手段
として、チナを殺そうとしたんですね。エフェメラさんがそこまで
するのは、マヤが破壊魔王の生まれ変わりだからですか?﹂
するとマヤは、エフェメラのお母さんになるのだろうか?
﹁いや、確かに与えられた役目は、転生したマヤを見守る事だろう。
しかし、今のマヤは前世を間違って認識していて、破壊魔王とは別
234
人だ。昨日も言った通り、クラスメートになったのも偶然に過ぎな
い。私は、マヤは何も知らない方がいいと判断しただけだ﹂
だからエフェメラさんは、マヤにも真実を黙っていたり混乱させ
るだけの情報を与えたりしていたのか。
最後にはその為にチナを迷わず殺そうとしたエフェメラさんも、
やはり他の人達と価値観が違っていた。そこはマヤに似たのだろう
か?
﹁だけど、マヤは本当の前世を知ってしまった。チナにとっては、
前世の恋人が帰って来たという事よね。これも、運命なのかしら﹂
今まで黙っていた平岩さんが、わたしに向かって鼻で笑った。
﹁ははん、運命ですって? そんなもんのせいにすれば、考える必
要もなくて楽よね﹂
平岩さんは、手段はともかく自分の不遇に常に立ち向かっていた。
そんな彼女の言葉には、人生経験の重みがあった。
﹁和美さん、運命とは結果論の別の言い方に過ぎない。今、何もし
なければそれが結果になってしまう。認めたくない運命なら、何か
をするしかない﹂
何をすべきかは、わたしが考えるべきだ。そして、もう決まって
いる。
﹁エフェメラさんは、昨日って言ってましたよね。今は何時ですか
?﹂
エフェメラさんは、ベッドに手をついてわたしの前に身を乗り出
すと、ベッドの横にあるカーテンに手を伸ばして思い切り広げた。
窓から見えたのは、紺色の夜空だった。今の季節なら、まだ七時程
度だろう。
﹁今ならまだ、間に合います。行きましょう﹂
思い切りベッドから飛び上ったわたしだったが、足がふらついて
しまいエフェメラさんの肩を借りてやっと踏みとどまった。
﹁あ、ありがとう﹂
エフェメラさんから手を離すと、もう一度ゆっくりとわたしは歩
235
きだした。
﹁私が手を貸すのは、ここまでよ﹂
平岩さんは、わたしと入れ替わりにベッドに潜りこんだ。わたし
を救う為に、昨夜から寝ていなかったのだろう。目がないから、起
きているか寝ているか判らないけど。 チナは、いかなる手段を用
いてマヤを自分のものにするかなんて、知らない。しかし、行くべ
き場所は判っている。そこしかない。
﹁エフェメラさん、あなたもチナも前世のマヤを知っているけど、
今のマヤを一番知っているのは、わたしよ。マヤは、自分の好きな
事にはトコトン一途で、自分勝手なようでも友達思いで、それでい
てちょっぴり照れ屋な所もあるんです﹂
﹁照れ屋?﹂
﹁ええ。マヤって、自分らしくない事を言っていると思うと、口調
が突然変わって冷たい感じになっちゃうんです。あれって、照れ隠
しなんですよね。まあ、彼女が照れる基準は今もさっぱりわからな
いんだけど。そんなマヤが、わたしは大好きなのよ
無意識にさわっていたわたしの左耳には、ハートのイヤリングが
下がっていた。
236
マヤが好き! 11
わたしたちは、誰もいない夜の学校にやって来た。勿論、目指す
は体育館だ。ここから屋上は見えないけれど、二人がそこにいるの
は明らかだった。
なぜなら、体育館の上には白い物体が浮いているからだ。一見す
ると船みたいで、サイズも飛行船と見間違える程度だから、周囲の
通行人も何人かが見上げる程度でそんなに気にされていない。エフ
ェメラさんが以前タブレットで見せた船の正体は、これだった。
しかし、あれは船なんかじゃないし、これからどんどん大きくな
ってこの島国を覆う程に成長するだろう。そうだ、あれの正体は、
エピクリマ大陸を沈没させた氷山なのだ。
﹁屋上を確かめる﹂
エフェメラさんが、フライデイを飛ばした。エフェメラさんのタ
ブレットPCには、白黒画面で屋上の景色が表示されていた。隠れ
る場所のない屋上の中心に、二人はいた。
﹁マヤッ!﹂
わたしは、体育館に向かって駆け出した。
﹁屋上に上がるには、外階段から行かないと﹂
そもそも普通に屋上に上がる手段は、存在しない。もし行くなら、
踊り場の上のひさしから行くしかない。
﹁和美さんっ!﹂
追いついたエフェメラさんが、わたしの腰を抱えて持ち上げてく
れた。
﹁えいっ!﹂
エフェメラさんの腕の動きに合わせて、わたしは手を伸ばした。
ひさしに手を掛けたまま必死に足を持ち上げて、なんとかよじ登っ
た。その気になればわたしごと屋上に飛び上れるエフェメラさんだ
237
が、今はわたしを下から見守っていた。わたしが決着を付けろと言
いたいのだろう。
ひさしから雨どいを登って辿り着いた屋上で、まるでわたしを待
っていたかのように、チナはこっちを向いて立っている。マヤはチ
ナの両腕でにお姫様抱っこされていた。チナの右耳のイヤリングの
飾りも、マヤの左耳のダイヤも、近くの繁華街のネオンに反射して
玉虫色に輝いている。
﹁マヤッ! わたしよっ!﹂
しかしマヤは、チナの腕の中で黙ったままだった。メガネの奥の
目も虚ろで、まるで何にも考えていないようだった。
﹁チナッ! マヤに一体何をしたのよっ?﹂
わたしに怒鳴られても、チナはすまし顔を崩さなかった。
﹁別に、何もしていないわ。ただ、彼女は絶望しただけよ。自分の
水を操る力が、エピクリマ大陸を沈めた破壊魔王の氷山の名残りだ
と知ったから﹂
少し上半身をずらして、チナはマヤの顔に自分の顔を近づけた。
﹁でも、悲しむ事はないわ。だって、二人は前世で深く愛し合って
いたんですもの。巫女は、故郷を破壊魔王に捧げる程に。破壊魔王
は、永遠の命を捨てて人間になってしまう程に。こんな世界もエピ
クリマ大陸のように氷山を落として、あの頃を再現させるのよ﹂
チナは、マヤに向かって優しく微笑んだ。
﹁そんなの無理よ。だってわたし達は、もうわたし達でしかないん
だから! 巫女でも破壊魔王でもない。恋人同士でもないのよ!﹂
そうだ、わたしがマヤを好きになったのは、あのバスの出来事か
らだ。前世からの因縁なんて、どうでもいい。
﹁わたしは今のマヤが好きっ! 絶対に渡さない!﹂
両手の拳を握り締めたわたしは、チナを睨みながら両足に力を込
めて前進した。
﹁前世が巫女でも破壊魔王でも構わない! マヤが普通じゃない力
をもっていたり、それで人を殺していたって、別にいい!﹂
238
わたしは、マヤに対する思いのすべてをチナにぶつけた。
﹁そういう貴女はどうなのよ? マヤが好きなんじゃなくて、前世
の破壊魔王が好きなだけでしょ!﹂
わたしからマヤを奪おうとするチナを、絶対に許さない。はたか
ら見たら当り散らしているように見えたかもしれないが、それでも
構わなかった。
﹁貴女は確かに気の毒だし、前世に救いを求めるのも判る。だけど
マヤは、そんな事の為に生きているんじゃない! マヤはねえ、そ
ばにいればそれだけで気高い気持ちにさせてくれる人なのよ。それ
以上をどうして望むのよ!﹂
チナとわたしは、絶対に理解し合えないのは判っていた。それで
もわたしは、歩くのも叫ぶのもやめられなかった。
﹁一体、どういう方法でマヤに氷山を作らせたのか、わたしは判ら
ないし知りたいとも思わない! マヤを好きにはさせない! それ
だけよ!﹂
既にわたしは、手を伸ばせばマヤに届く所まで前進していた。不
思議な事に、チナはここまで攻撃をしてこなかった。両手がマヤで
塞がっているからだろうか? それとも、もうわたしにはチナの攻
撃は効かないと知っているのだろうか?
マヤを取り返そうと、わたしは手を伸ばした。その手をチナは、
右手でマヤを抱える姿勢になって左手ではじいた。
﹁痛っ?﹂
チナに手を弾かれたのが、信じられなかった。わたしの能力には、
チナの光の力も通じないというのに、普通に叩かれるとは思わなか
った。この力が、自分でコントロール出来ないせいだろうか?
﹁貴女の力なんて、まだまだ未熟なのよ﹂
チナは、冷たく笑った。
﹁そんなんでマヤを取り戻すなんて、無理よ無理。諦めなさい﹂
たとえそうだとしても、わたしに諦めるなんて選択はない。わた
しは右手で邪魔なチナの左腕を掴んで思い切り引いた。
239
﹁えいっ!﹂
﹁何を!﹂
チナも、逆にわたしの手を引いて振りほどこうとした。
﹁離れなさいよ!﹂
﹁マヤを取り戻すまで、離さない!﹂
わたしの腕力は、マヤやエフェメラさんとは比べ物にならないが、
チナとはいい勝負が出来るらしい。押したり引いたりを繰り返して、
結構な時間が経っていた。気付いたらわたし達は、屋上の片隅にま
で移動していた。縁に段差があるので今はまだ大丈夫だが、これ以
上寄ったらバランスを少し崩しただけで転落するだろう。
﹁うーんっ!﹂
チナが、突然こっちに向かって倒れるように押してきた。右手を
離せば簡単に受け流せるが、わたしはそんな事はしたくない。それ
に、今なら左手がマヤに届く。
﹁マヤッ!﹂
わたしの左手が、獲物に飛びつく蛇のように真っ直ぐとマヤに伸
ばされた。惜しくも腕は掴めなかったが、上着の弛みを指で挟む事
は出来た。わたしの上半身はかなり無理な体勢を強いられたが、そ
れはマヤを抱えているチナの方も同じだ。
﹁このおっ!﹂
チナがマヤを渡すまいと、体を大きくひねった。チナの頭がわた
しの目の前に無防備にさらけ出された。両手が塞がっていたが、ま
だ手はある。
﹁やあっ!﹂
わたしの頭突きが、チナのこめかみに命中した。こっちも痛かっ
たが、ここは我慢だ。
﹁うぐっ﹂
ついにチナは、バランスを崩して膝をついた。すかさずチナから
右手を離して、わたしは思い切りマヤの腕を引いた。
﹁えいやっ!﹂
240
チナの腕から、ついにマヤが離れた。わたしは、マヤを取り返し
たのだ。
﹁マヤァッ!﹂
わたしは、思い切りマヤを抱きしめた。
﹁もう、絶対にマヤを離さない!﹂
﹁そんなの、認めないっ!﹂
立ち上がったチナが、わたし達に掴みかかろうとした。
﹁もう、しつこい!﹂
両手にマヤを抱いたまま、わたしはチナに蹴りを入れた。蹴りが
上手くチナの腹に入ると、彼女は後ろにバランスを崩した。チナの
後ろには、空しか無かった。
﹁えっ?﹂
チナの体は、屋上から一メートルも離れた所で舞っていた。まる
でスローモーションで宙を漂っているように見えたチナは、これか
ら転落死するというのが信じられない位に優雅だった。そんなチナ
の、口元が笑っていた。
﹁どうして?﹂
チナがわたしから顔をそむけた一瞬、彼女の左耳が見えた。チナ
の耳たぶは、赤く充血していた。それを見た時、わたしは化かされ
ていた事を悟った。どうりで彼女の攻撃が当たるわけだ。わたしは、
彼女のすべてを受け入れているのだから。
﹁マヤーッ!﹂
今までチナだと思っていたのは、マヤだった。マヤはチナと服を
交換し、イヤリングも付け替えていた。そしてチナのふりをして、
わたしにわざと負けたのだ。
どうしてマヤがそんな真似をしたのかは、知らない。今はただ、
マヤを助けるだけだ。
﹁いやーっ!﹂
マヤに向かって屋上から飛び降りたわたしは、必死で手を伸ばし
た。校舎の屋上から落ちた時、わたしの力はマヤも守っていた。き
241
っとそれは、マヤと手を繋いでいたからに違いない。地面に激突す
る前に、マヤにタッチしないと。
﹁届いてーっ!﹂
指先に柔らかい物が触れたと感じた瞬間、わたしの目の前が真っ
暗になった。最後に耳に聞こえたのは、何かが墜落したかのような
轟音だった。
242
マヤが好き! 12
わたしが目を覚ますと、眼前に夜空が広がっていた。屋上から落
ちた時のようだ。
あの時ほどではないが、全身には痛みが残っていた。この惑星で
生活している以上、引力の全てを無効にするわけにはいかない。最
悪、生身のままで宇宙に飛んでいく危険を考えると、この程度の痛
みは仕方が無い。
﹁マヤはっ?﹂
慌てて飛び起きると、マヤはすぐ近くでわたしに背を向けてしゃ
がみこんでいた。立ち上がるのももどかしく、わたしは四つん這い
でマヤに近づいた。
﹁どうしてよマヤ? 何でチナと入れ替わったりしたのよ!﹂
わたしに振り返ったマヤは、ボロボロと涙を流して泣いていた。
﹁あたしのせいで、チナが壊れてしまった﹂
確かにチナは、様子が尋常でなかった。あれは、マヤの仕業だっ
たのか。
﹁あたしが、和美を選んだから。チナには、あたししかいなかった
のに、そんなの思いやらなかった。だからチナは、絶望してしまっ
た﹂
結局、チナとマヤは結ばれなかった。マヤがわたしを選んでくれ
たのは素直に嬉しかったし、何も得るものが無かったチナの結末は
気の毒に思う。それがどうしてチナと入れ替わった理由になるのか
判らない。
﹁あたしの心は、たとえ前世が破壊魔王でも人殺しでも、なお友達
でいてくれる和美がいたから救われた。あたしがチナに出来る事は、
そんなあたしの一番大切な人を譲ることだけだった﹂
つまりマヤは、わたしにチナをマヤと思い込ませ面倒を見させる
243
つもりだったのだ。しかも、自分はチナとして死のうとしていた。
﹁何やってんのよ﹂
わたしは、マヤの胸ぐらを掴んで立ち上がった。今のマヤは全然
力が無くて、わたしでも簡単に持ち上げられた。
﹁マヤがいなくなって、わたしがどんなに心配したと思ってるのよ
っ? マヤはわたしを信じていたくせに、どうしてマヤを信じてい
たわたしを騙すのよっ!﹂
わたしは、泣きながらマヤを揺さぶった。マヤのかけていた紫色
のメガネが、その勢いでずれ落ちた。
﹁ご、ごめんなさい。和美﹂
マヤが、素直に謝った。わたしが思った以上に、マヤは心身が消
耗していると判って、何か急に気の毒に感じた。
﹁うん、わたしも言い過ぎたわ。ごめんなさい﹂
わたしは手を離して、マヤに抱き着いた。マヤも、両腕を回して
抱き着き返した。わたし達は、涙を流しながら互いに抱き合った。
﹁どうやら、結果は出たみたいだな﹂
エフェメラさんが、チナをお姫様抱っこしてやって来た。チナは、
相変わらず焦点の定まらない目をして、何も見えても聞こえてもい
ないようだった。
﹁平岩先輩なら意識を戻せるかもしれないが、どうする?﹂
エフェメラさんは、チナをそのままにしても良いんだと言ってい
るのだ。しかし、わたしの気持ちは決まっていた。
﹁チナを、平岩さんの所に届けて下さい﹂
わたしの結果はもう出たけど、チナはまだ結果を見ていない。今
のチナが運命だなんて、思いたくない。
﹁本当にいいのか? また命を狙われるかもしれないぞ?﹂
﹁その時は、受けて立つわよ﹂
彼女だって、マヤが好きでした事だ。やっぱりわたしは、彼女を
嫌いになれない。
﹁言っとくけど、あたしは誰も選ばないわよ。だって、みんなあた
244
しのものなんだもん﹂
そう言って、マヤは笑った。早くもマヤは、本調子に戻ったみた
いだ。
﹁ほらマヤ、忘れものだ﹂
エフェメラさんが、マヤに指先ではじいてメガネを放った。マヤ
は、指先で苦も無くキャッチして顔に掛けた。
﹁あはは。やっと和美がよく見える。うん、ただいま和美﹂
そう言って、マヤは笑った。早くもマヤは、本調子に戻ったみた
いだ
わたしは、足元に落ちていたチナのメガネを拾ってチナのポケッ
トに入れた。
﹁あれ、何か入ってる?﹂
ポケットを探ると、そこにはイヤリングが入っていた。片方はマ
ヤがつけていて、警察にもう片方が没収されていた筈だ。いや、マ
ヤなら警察から取り返すのもたやすい。チナの右耳にそのイヤリン
グをつけると、左耳からダイヤのイヤリングを外した。
﹁こっちの方が、貴女にふさわしいわ﹂
わたしは、マヤの左耳を引っ張ってダイヤのイヤリングをつけた。
﹁マヤは、両方つけてなさい﹂
マヤの両耳には、異なるイヤリングが輝いている。マッチングは
していないが、マヤらしい感じになったと思う。
﹁あ、そうか。友達って二人いても良かったんだ。どっちかを選ぶ
必要は無いのよね﹂
そう言って、マヤは両耳をいじりながら自分に納得した。
﹁そろそろ、ここから立ち去ろう。もうすぐ騒がしくなる﹂
そう言ってエフェメラさんが指した校庭を見ると、巨大な氷の塊
がまるで白鯨が打ち上げられたみたいに横たわっていた。さっき聞
こえた轟音の正体は、氷山の墜落だったのだ。
﹁空中に浮いていた時は、僅かな力でも簡単に横滑りしたので、な
んとか校庭に誘導出来たのだ﹂
245
どうやらわたし達が屋上にいる間に、エフェメラさんが氷山の相
手をしてくれていたらしい。彼女の面倒見のよさは、本当に有りが
たい。
チナを抱えたまま歩き出したエフェメラさんが、振り返った。
﹁紙バッグは、どうする?﹂
そういえば、エフェメラさんの部屋に置きっぱなしだった。わた
しを押しのけたマヤが、エフェメラさんに向かって身を乗り出した。
﹁ああ、あれ? まだ使うから、一緒に行きましょ﹂
まだ使う? マヤはもう、巫女の生まれ変わりではないと判って
いるのに。
﹁これからは、今のあたし達が着る服を作りましょう。チナの分も
一緒に﹂
とても魅力的なな提案をしながら、マヤはわたしの手を引いて駆
け出した。
246
マヤが好き! 13
慌しかった九月は過ぎ去り、十月が始まった。
わたし達はそれからどうなったのかを、簡単に話すわね。
平岩先輩によって、一応チナは正気に戻った。今は、マヤの屋敷
で生活している。
最初の数日はマヤの用意した部屋に引きこもっていたけど、今で
はマヤにすっかり懐いている。チナの過去をどうでもいいと思って
いるマヤの非常識な価値観が、チナにとって居心地が良かったのだ
ろう。
前世からの因縁ではなく、改めて今のマヤを好きになったチナが
マヤと一つ屋根の下に住んでいるのは、わたしとしては羨ましいと
いうかチナとはいずれ戦わなければとか色々と複雑な気分だ。
マヤの近所の人達は、親戚の娘か何かだと思っているようだ。ま
あ、同じ顔が並んでいたら、赤の他人とは思わないだろう。
チナの家族については、心配ないと教えてくれたのはエフェメラ
さんだった。何でも父親は、とっくに姿を消しているらしい。
超能力を手に入れたチナに報復されたのだろうか。それとも、彼
を邪魔に思ったマヤの手にかかったか。
まあ、あんなに酷い父親なんだから、誰に何されようがわたしの
知った事じゃない。これ以上は考える必要は無い。
美術部は、受験を控えた三年生から二年生の颯爽先輩に部長が変
わった。前の部長が事件を起こしたので存続が危ぶまれたが、何と
マヤの体育館の絵が展覧会で文部科学大臣賞を受賞したので、その
実績に免じて首の皮一枚でつながった。マヤ自身は、部員じゃない
247
けど。
部長になった颯爽先輩は、正式な部員が三人しかいないので文化
祭をどうしようか悩んでいた。なんでも美術部は、画廊喫茶店を毎
年出していたそうだ。もっとも、去年のウエイトレスの制服を見せ
られると、画廊喫茶というよりはメイド喫茶だったんじゃないかと
思ってしまう。
部員ではないけど、一応賞を取ったマヤの絵は目立つ場所に飾る
予定だ。
ちなみに獣の姿の方は、あれから完全にコントロールできるよう
になったので心配はいらない。
平岩先輩は、まだエフェメラさんの家に隠れていた。エフェメラ
さんから謝礼をたんまり貰っているとかで、生活には困らないらし
い。指名手配されているとはいえ、未成年だからそんなに大々的で
はないし、簡単には捕まらないだろう。
時効まで何年かかるかは、知らないけど。
ミツル先生は、かなり疲れていた。まあ、問題起こした直後にま
た無断欠席を三人揃ってしでかしたら、頭も痛くなるだろう。問題
を起こしたのもマヤなら、美術部を救ったのもマヤなので、先生と
しては対処に困ってしまうのもしょうがない。
来年度は、まともな部員が入ってくるのを期待するしかない。
エフェメラさんは、今も普通に学校に通っている。彼女の正体は、
勿論わたし達しか知らない。クラスメートとは勿論、わたし達とも
たまに昼食を共にしていた。
もっとも、わたし達と一緒の時は他のクラスメートとは食事はし
ない。マヤは他の生徒達とは今でも全くそりが合わないし、第一マ
ヤはエフェメラさんの秘密を平気で口にしかねないから、皆と一緒
248
に居て貰うわけにはいかないのだ。
今の所、エフェメラさんにとってマヤは親しいクラスメートとい
った認識のようだった。
わたしとマヤは、チナとも一緒にドレスを自作するのが日常にな
っていた。
実はチナは、その為だけに専門学校で仕立て屋の勉強をしている。
そんなに飲み込みのいい方ではないチナだったけど、授業料を出し
てくれているマヤの期待を裏切らないように真面目に修行をして、
今では独学で身に着けたわたしよりも上達していた。
わたしは、マヤにはゴスロリを着せたいのだけど、チナはパステ
ルカラーのフリフリをマヤに薦めていた。まあ、結論としては、マ
ヤには何を着せても魅力的だという事になった。
たまに揃いの服を着て屋敷のテラスでお茶会をするけど、その時
はマヤを挟んだ両隣に座るのがわたしとチナの定位置になっていた。
わたしは、マヤがつけているダイヤのイヤリングが見える左側に座
る事が多い。
わたしは、お母さんにも迷惑をかけたので、せめて中間テストの
順位は落とさないように、マヤと付き合いながら試験勉強も怠らな
いでいた。それに部活動もするようになったので、一学期の時には
想像もしていない程に忙しくなった。
エピクリマ大陸の夢は、最近は見ていない。今のわたし達が知り
合う切っ掛けとなった前世の記憶は、もうその役目を終えたのだと
思う。
とはいえ、特殊な能力が消えたわけではないし、マヤが破壊魔王
の生まれ変わりである事に変わりはない。いつかまた新しい騒動が
起きる事もあるだろう。その時は、その時だ。
249
マヤと一緒なら、どんな事件もきっと楽しいと信じている。
終わり
250
マヤが好き! 13︵後書き︶
最初、この作品はとある新人賞に応募する作品でした。その時は
﹃氷山﹄のくだりは実は﹃津波﹄でした。どうして津波をやめたの
かは、皆さんお察しの通りです。
実は新人賞に応募したバージョンでは、津波を急遽カットしたの
で殆ど事件が起きずに肩透かしに終っていました。結果として一事
選考で落選しました。
それに、やっぱりマヤと和美はわたしの好みのキャラクターです
が、大多数の人には受けないようでもありました。そこで、敵にな
る筈だったエフェメラを味方にしました。更に、彼女が最初から登
場するように出だしを二学期の始まりにしました。
ちなみに、エフェメラの人格設定のモデルは、サイバーフォーミ
ュラーというアニメに出て来たAI﹃アスラーダ﹄です。事務的な
口調なのに人間臭いという矛盾を両立させていた名演技が良かった
です。
お気付きの方もいると思いますが、この作品の舞台は日本ではあ
りません。それ所か地球でもないどこか別の世界です。
震災で日本を舞台にしにくくなったという理由もあるのですが、
通信技術の進化の速度についていけないのが、一番の理由です。最
初は、昭和を舞台にする案もあったくらいですから。
次回作については、タイトルとプロットしか出来ていない作品が
いくつかあります。一つは﹃翼の抜けた天使﹄でもう一つは﹃ドラ
ゴンジョッキー﹄です。具体的な形になるまで時間がかなりかかり
そうです。
感想をいただけたら、うれしいです。
251
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9496v/
マヤにしてっ!
2016年7月8日08時41分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
252
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